はてなキーワード: YOUとは
わーい!
『勝利の女神NIKKE』はアップデート走ってラプラスが新SSRで登場!
うわーい!
目白押しってのはこのことよね!
私はそう気を逸らせながら、
まだ作るには早すぎる、
きゅうりや茄子に爪楊枝を刺して動物にみたてたやつを作りたい気持ちが高まるの!
でも、
夏だからしっかり食べておかないと!って
今日の定食のお味噌汁はオプションでアップグレードさせちゃおう!ってことで、
「はせさん汁」か「冷やしタコ搾り汁」に迷ったけど
なんか名前は妙ちくりんだけど、
うんうん!舌で感じるこのタウリン!ってタウリンの味は分からないけれど、
タコにはそう言うのが入っているので夏にはピッタリなんだって!
なかなかベテランになると「冷やしタコ搾り汁」をご飯にぶっかけて食べるスタイルも今シーズンこの夏は私も真似してみて、
「冷やしタコ搾り汁ぶっかけ飯」デビューしちゃおうかしら?って。
そんな勢いでサラッと食べられる夏の美味しいメニューをしっかり食べて、
今夜は大忙しよ!
だってその、
『スプラトゥーンレイダース』と『勝利の女神NIKKE』があるじゃない!って。
もう聞いて聞いて!
NIKKEは最後「WAVE TO YOU」の夏のイベントが昨日までで終了だったので、
でも高級チケットは次何か来たときのために温存しておこうかな?って弱気だったの、
ラーメン屋さんでセットのチャーハンを半チャーハンにしちゃう全チャーハンにしないぐらい弱気だったの。
そんな私の鰯気な気持ちをよそに、
よく説明を読んでみたら、
イベント終わったら一般募集で排出されないマジ期間限定ニケだったみたいなの!
私のこのガチャ回したい欲を満たすために、
ドコドコドコドコ!
そんな私の心の中のドラムロールが鳴ってピタッと止まって結果10ニケ何だったと思う?
おおお!
一発でペンギンマルチャーナ先生引き招けました!あと他に同時にSSRのミルクもやってきて、
もう興奮しちゃう!
『スプラトゥーンレイダース』と『勝利の女神NIKKE』を前にして盛り上がり盛り上がってきた感じじゃない?
これもさ、
験担ぎに食べ続けているランチのチキンビリヤニのおかげだと思うわ。
だからつい最近このランチのチキンビリヤニを食べてなかったのでこないだ食べに行った矢先だったでしょ?
もう三本の矢の矢先どころではない感じの、
験担ぎっぷり!
やっぱ食べ続けて引き続けると必ずNIKKEのSSRニケがいずれかの確率で絶対に引き当てられるという、
ビリヤニを食べ続けていてガチャを引き続けていると必ず絶対にある一定のNIKKEの公式が定めた排出率の確率で当たるという、
まるでビリヤニを食べていると必ず絶対に必中すると言っているように聞こえる風に言っている私の口ぶりだけど、
もっと平たく言うところの、
美味しいビリヤニを食べてご機嫌にNIKKEのガチャ回したらSSRきたー!って話なので。
私はNIKKEのガチャ物語のストーリーをビリヤニに照らし合わせているだけだってことは内緒にしておくわ。
でもやっぱり、
本当にこれペンギンマルチャーナ先生のSSRが招けただなんて自分でもビックリよ!
そんで次よ!次!
新ラプラスはどのぐらい強いの?
あれ私そんなに意味なくね?って思っていたけれど、
もの凄く効くのよ!
そんで私の育てているラプラスは「宝もの」というさらにパワーアップさせられる成長要素があって、
ラプラスの通常バースト防御力無視攻撃が5秒しか撃てないんだけど、
な!なんとこれが10秒間もビームを撃ち放ち続けられるというパワーなの!
今でも充分強いラプラスなのに、
新ラプラスのラプラス:アルティメットヒーロー楽しみすぎるわ!
いま排出率の高いときにガチャ回すべきか!一般募集になったときまで待ってのんびり行くか?
定食屋さんで迷っていた、
「はせさん汁」か「冷やしタコ搾り汁」とは別次元別問題なのよね。
うわー!ワクワクするわ。
こんなにワクワクする夏って久しいくない?って私の中の夏がそう囁くの!
でももう気温は40℃超えるかどうかって天気予報の発表だと酷暑日を初めて記録するかどうか!?って所の私の地域だけど、
この暑さは危険なので、
夜帰り道に暑さで行き倒れにならないように気を付けたいわ。
帰ってから自宅の部屋が暑いからでも焼け石に水だからタイマー設定で空調がオンになる設定はしてなかったんだけど、
昨日はその機能をオンにして帰宅したらひんやり冷たたーい!ってあの自販機の冷たたーい!ってボタンを押したときの、
ベンダーからゴトン!と冷たい飲み物が落ちてきて取り出すときのひんやり感を感じるぐらい、
帰ってきて秒で涼しかったので、
やっぱりタイマー運用エアコン空調使って冷たたーい!って気持ちを取り戻そうかな!って、
今夜もタイマー設定してきたのよ。
新作の『スプラトゥーンレイダース』と『勝利の女神NIKKE』のアップデートがあるから、
室内は冷えているのであとは冷やしキュウリを準備して囓りながらのプレイスタイル!
あとさらに自分で作れたらいいんだけど作るのにテクがいる「冷やしタコ搾り汁」もあれば最高なんだけどなぁ!って。
明日の朝に迷わずそちらを選択して「冷やしタコ搾り汁ぶっかけ飯」デビューもしちゃおうかな!って。
この夏はたくさん思い出ができそうよ。
うふふ。
多分夏の暑さで前もって食べておける塩分を踏まえて食べるこの鮭ワカメおにぎりはとても海のミネラルをダイレクトに感じられるおにぎりで美味しくて今日もリピートでゲットして朝ご飯にしてみたわ!
今夜は忙しくなるので、
ぱぱっとお仕事終わらせられたら良いな!
そしてひんやり冷たたーい!室内でゲームをするんだ!って
このワクワクを昼間のお仕事の疲れて消失させないようにしないとね!
よーし頑張るわ!
海外産のレモンだから皮ごと使わずにピーラーで剥いて輪切りにして、
残りの半分はレモン果汁マジ搾りで付け加えた、
冷たくて微かにレモン酸味を感じる冷やし水レモンウォーラーよ!
朝に冷たいのは美味しくて嬉しいわ!
水分補給はこまめにしっかりとよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
タイトル通り、某ラジオ番組でテニプリがテーマに取り上げられたら、という妄想シナリオ。
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みなさんこんばんは。FM●●をお聞きの皆さんはこんにちは、FM××をお聞きの皆さんはおはようございます。草野〇サムネです。
毎週この時間は草野〇サムネがお送りする〇ック大陸漫遊記の時間です。▲▲FMからJFN38局をネットしてお届けしてまいります。この番組では〇ック大陸という架空の大陸をあなたと旅しながら今まで旅先で仕入れた定番曲だけではなくひそかに心の中で燃え続けるイカしたロックナンバーをOAしていきます。ロックミュージックへの探求心をもって未体験のエリアへ、その先の彼方へ旅するような気持ちでお届けしてまいります。
ごきげんいかがでしょうか草野でございます。7月に入りじわじわと暑くなってまいりましたね。今年はしっかりめに梅雨があって、6月下旬くらいまでは「お、今年の夏涼しいんじゃね?」と淡い期待を抱いた人も多かったんじゃないかと思うんですけど、早くも打ち砕かれましたね。ところで最近そうめんとかうどんのつけツユで色んな種類のが売ってあるじゃないですか。スーパーだけじゃなくコンビニなんかにも。だからそうめんと旬の野菜茹でたやつで結構なごちそうになったりするので、色んな組み合わせにはまっている今日この頃です。
さて今週のテーマは「テニスの王子様で漫遊記」です。テニスの王子様、通称「テニプリ」といいますと、1999年より週刊少年ジャンプで連載が始まり、今年の8月に完結予定も、今なお話題の最前線にあるという大ヒット少年漫画であるわけですが、音楽面でも無視できない作品なんですね。キャラクターソング、いわゆる声優さんがキャラクターとして歌をうたうっていう企画があるんですが、テニプリではこれまでになんと関連CDが500タイトル以上、楽曲が900曲以上出てるんですね。CDの売上ランキングだと「アニメ」のジャンルになっちゃうので正直俺は聴く機会があんまりなかったんですが、今日はロック調のナンバーをセレクトして流していこうと思います。
草野〇サムネ〇ック大陸漫遊記、今日は「テニスの王子様で漫遊記」です。どうぞ最後までお付き合いください。
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漫遊前に〇ピッツの曲も聴いて頂きたいのですが、残念なことに〇ピッツにはテニスをもリーフにした楽曲はなく…。なので歌詞がちょっとだけテニプリのあの人っぽいかな?という曲をかけたいと思います。
東京都ふじりんごさん、同じく東京都33さん、神奈川県赤福さん、京都府む。さん、他リクエストたくさんいただきました。ありがとうございます。〇ピッツ2007年12枚目のアルバム「さざなみCD」から「トビウオ」聞いてもらいました。この曲にですね、「直接さわれるホンマモンのエクスタシー」って歌詞があるんですけど、テニプリに出てくる白石蔵之介くんというキャラクターの決め台詞が「ん~エクスタシー」なんです。しかも白石くんは大阪人だそうで、この曲も「ホンマモン」や「描いたれ」とか関西弁口調の部分があるので、偶然が二つ続いたという感じですね。
草野〇サムネがお送りします〇ック大陸漫遊記、今日は「テニスの王子様で漫遊記」です。このあとは2003年発売、不動峰中のあのキャラからいってみたいとおもいます。
(CM)
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草野〇サムネがお送りする〇ック大陸漫遊記、今日は「テニスの王子様で漫遊記」です。
まず聴いてもらったのは不動峰中2年伊武深司くんのファーストシングル、2003年発売「THE BEST OF RIVAL PLAYERS Ⅱ」シリーズより「 CAN SEE THE LIGHT」でした。伊武くんはクールでぼそぼそ喋るっていうキャラクターで、歌い方もかぼそい感じからサビで一気に盛り上がる曲なんですけど、聴いていただいたとおり、冒頭に〇ェッペリンの「天国への階段」が引用されてるんですね。ちなみに伊武くんの好きな音楽は「民謡・ロック」だそうです。まあ中学生の時期ってね、自分で好きな音楽を選んで聴き始める時期だと思うんですが、伊武くんの親御さんが〇ェッペリンのファンでその影響を受けてるってこともあるかもしれないですね。
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次の曲は立海大附属中3年、コート上の詐欺(ペテン)師、仁王くんから「未完成」いってみたいと思います。仁王くんはこれと「Pupinaccho」っていう曲でかなり悩んだんだけど、楽曲の幅の広さを知ってもらおうということで「未完成」の方を選ばせていただきました。Bメロに(弾き語りながら)「雅治のイリュージョン、詐欺師のイリュージョン」って歌詞があるんだけど、「マッサムネの~イリュージョン~♪」とか真似してみたくなりますね。それやったらステージ上でなんか手品でも披露しなきゃいけなくなりそうだからやらないけどね。
仁王雅治、2010年発売のファーストアルバム「P」より「未完成」でした。
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ここからプチコーナーなんですが、テニプリの曲の中でも特に方言を扱った曲を流していきたいと思います。題して「方言ロックで漫遊記」!
方言の歌詞っていうとやっぱ関西弁が多いイメージがあって、あと〇ピッツでもワンフレーズに俺の出身の九州弁を使った曲はいくつかあるんですが、テニプリはキャラクターの個性を活かした曲を出してるので、色んな方言の曲があるんですね。まずは大阪四天宝寺中三年の千歳千里くんで「恋だなう」。千歳くんは今は大阪だけど出身は熊本で、大阪に引っ越してからも方言を貫く肥後もっこすということですね。全体的にすごい爽やかで疾走感のあるメロディなんですけど、よく歌詞を聴くと全部語尾が方言になってるので、注意して聴いてみてください。
千歳千里、2010年セカンドシングル「恋だなう」聴いてもらいました。
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次は沖縄にいってみたいとおもいます。沖縄比嘉中3年、「殺し屋」こと木手永四郎くんの楽曲で「CHU-BA-FIGHTER」。「ちゅーばー」っていうとYou 〇uberみたいですけど、沖縄弁、島ことばで「強い」とか「勇気がある」って意味だそうです。共通語の歌詞の中に沖縄のことばが混じってると、日本語よりむしろ外国の言語に近い印象になるんですよ。特にBメロの(弾き語りながら)「ウッタ―ヤシニカシニカシニチューバー」って呪文みたいですごく聴いてて気持ちいいんですよね。2009年発売の木手くんのファーストアルバム「FAITH」に収録されてる曲なんですが、他の比嘉中メンバーも歌唱に参加していて、沖縄比嘉中のテーマソングのような楽曲となっております。
M5 : CHU−BA−FIGHTER / 木手永四郎
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(CM)
マ「草野〇サムネがお送りしています〇ック大陸漫遊記、今日は「テニスの王子様で漫遊記」です。後半いってまいりましょう。
続いてはまた沖縄になってしまうんですが、沖縄比嘉中3年の知念寛くんの曲いってみたいと思います。さっきの木手くんの曲は沖縄のテイストを入れた邦ロックって感じだったんすけど、こちらはもうコテコテの方言で。中学生くらいの若い人でここまで方言で喋る人って実際どれくらいいるんですかね。正直歌詞見てもあんま意味はわからないんだけど、めっちゃカッコいい、そんな曲です。
知念寛2012年発売のセカンドシングル、「 Hi-side」聴いて頂きました」
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最後の曲になるんですけども、えーテニプリも文化放送で「テニスの王子様オン・ザ・レイディオ」というラジオ番組をやっていて、なんと2003年からずっと放送してるんですね。〇ック大陸漫遊記も2018年からなので長く続いてる番組ではあるんですが、テニラジに、テニラジってのはさっきの番組の略称なんですが、ぜひあやかりましょうということで、ラジオのテーマソングの中から流したいと思います。最後はやっぱり主人公の曲いっときたいですよね。越前リョーマで、「Dreaming on the radio」。
M7 : Dreaming on the radio / 越前リョーマ
テニラジの2004年1月度テーマソング、そして越前リョーマのサードシングルでもある「Dreaming on the radio」でした。
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このコーナーではこれまで上陸した広大な〇ック大陸でちょっぴり前の曲なんだけど今こそラジオで聴いてみたい、そんな名曲を掘り起こしていこう。あなたの脳内ミュージックライブラリーに加えていただきたいそんなコーナーです。
今日掘り起こすのは氷帝学園中3年、跡部景吾くんで「氷の世界」という曲です。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、井上〇水さんの1973年発売のアルバム「氷の世界」表題曲のカバー曲ですね。跡部くんの必殺技「氷の世界」とタイトルが同じということで、2006年発売のセカンドアルバム「THE ULTIMATE HARD WORKER」の初回限定生産盤にのみ収録されております。テニプリはカバー曲も色々出していて、有名なやつだと国〇さゆりさんの「バレンタイン・キッス」がありますね。カバーするにしてもこの選曲はなかなか渋いと思ったんですが、ポップ調にアレンジされていて、聴いてみると意外に合ってるというか、癖になる味わいになっております。
草野〇サムネ〇ック大陸漫遊記、今日のちょっぴりタイムマシーンは跡部景吾2006年、セカンドアルバム「THE ULTIMATE HARD WORKER」から「氷の世界」でした。
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お送りしてまいりました草野〇サムネ〇ック大陸漫遊記、今日はテニスの王子様で漫遊記でした。いかがだったでしょうか?
アニメ縛りで特集っていうのはやったことがなかったので、というか出来る作品が限られるので、やってみて面白い試みでしたね。キャラクターソングといってもこんなに幅があるんだとか、やっぱり声優さんってすごいなとか、新たな発見が色々ありました。最後に流した跡部くんもカバーだけじゃなく良い曲がたくさんあったので、またいつかやってみたいですね。
さて来週の〇ック大陸ですが、ワンアーティスト特集「許斐剛で漫遊記」でいってみようと思います。テニプリの作者・許斐剛先生は「ハッピーメディアクリエイターときどき漫画家」という肩書で、漫画だけでなく楽曲製作やライブ活動も積極的に行ってる方なんですね。ただ、あくまで発表されているものはテニプリにまつわる楽曲ばかりで、ファンとのコミュニケーションツールとして音楽を用いているということで、我々ミュージシャンとはやはり曲作りのスタンスが違う、そういうところに着目して選曲していけたらなと思います。ちなみに許斐先生は1970年生まれなので、ちょっと年下ではありますが〇ピッツとほぼ同世代でもあります。ぜひ聞いてください。来週は「許斐剛で漫遊記」です。
そして番組ではメールやはがきをお待ちしています。あなたの日常で起こったふとした出来事、「草野さん!乙女ゲームで自分の名前を入れるのが恥ずかしくていつも変な名前にしてしまいます!」そんな音楽とは全く関係のないメッセージも大歓迎です。
〇ピッツ草野〇サムネの〇ック大陸漫遊記、来週も同じ時間、同じチャンネルで一緒に〇ック大陸を旅しましょう!それではまたお会いしますよ!お元気で!草野〇サムネでした。
***
(セットリスト)
M5 : CHU−BA−FIGHTER / 木手永四郎
わ~れ~は海の子白波の~
夏の忙しいさなかの今日ぐらい一日祝日でゆっくりしたいものよね!ってそう思うの。
これどうなってるの?って思うぐらいもうしょうがないって思う猛暑ね。
そんな私は、
NIKKEそうよ!勝利の女神NIKKEのガチャ運の験担ぎにランチのビリヤニを食べに行ったの。
キッチンが奥まったところにあって、
以前のお店のキッチンのレイアウトならレジ横にタンドール窯が見えていて、
奥からシェフが手を上げて挨拶してくれるのに私もチーッスって手を上げてってのがたまにやってたんだけど、
今のお店のキッチンはデパ地下のキッチンみたいに奥の方にガラス全面に覆われていて、
ちょっと閉ざされた感じ。
そのガラス越しで気付いてくれたら手を上げて挨拶できるんだけど、
私もそんなに頻繁に通えないのが悲しいのよね。
私は久しぶりにそのお店に足を運んだの。
だってさ、
先月は1日1回1ガチャ150ジュエルで回せるガチャでSSRを2機引き当てたし、
そして、
今回の夏のイベントストーリーの「WAVE TO YOU」では一般募集チケットの10連ガチャをよーし!2回回しちゃおう!ってえいや!って回したら、
ウイッシュリストに入れていて多少の確率は上がっているとはいえども、
それでも0.1パーセント!
その私がウイッシュリストに登録して当たったら嬉しいなってSSRのニケの、
それこそよ夏のイベントストーリーで登場して胸熱な今の今ホッツなニケのラピ:レッドフードとリトルマーメイドが連続で引き当たった鳥肌ものの出来事があったのよね。
0.1パーセントのニケが連続でくる確率100万分の1ってウソでしょ?って。
ノンバーバルに思わず口を手で覆って涙を流してしまう仕草をしてしまいそうなほど、
ちょっと神がかった引き当たりっぷりに、
本人も嬉しいけれどドン引きしているぐらいなのよね。
普通に高級募集チケットで狙ったニケだってこないぐらいなのに、
あとさ、
その1日1ガチャ半額の150ジュエルで回せるガチャでリバーレリオがやってきたのもビビるわ。
なんか、
物語性が高くて、
NIKKE本編ではまったく関係ない私とニケの物語が勝手に紡がれるのよね。
偶然が生む物語なのよ。
たまにインターネッツの画像で見かけるSSRが同じニケが1回のガチャで2機も3機も同時に引き当たる?
それは流石にないだろ?って思いながら、
私のこの100万分の1の確率のことを考えるとあながち有り得る話なのかも知れないのよね。
確率ってなに?って本当に真剣にAIに教えてもらおうかしら?って思った時代がつい最近私にあったけれど、
たとえ、
ランダムなものをランダム発生させたとしてもそれが本当にランダムかどうかを調べるすべがないので真のランダムとは結局だれも分からないのかも知れないわ。
そんなことを思いつつ、
って言ってくれるけれど毎回「チキンビリヤニ」じゃね?って思いつつ、
突っ込むと野暮なのでツッコまないけれど、
それはもう美味しい美味しいランチのチキンビリヤニに辿り着けてありつけたときは、
ああ!この味よ!って
違う違うそうじゃなくって、
私の好きなスパイスをうんとまとった香り高いバスマティライスを頬張りながら食べるのが最高なのよね。
ちょーっとランチには高い2000円だけれど、
でね、
ランチのビリヤニを頼むときに店員さんはあんまり私が観たことのない店員さんなので話したこともないから、
私がここによく食べに来ていることを知らないかも知れないって、
べ、別に常連ぶっているわけではない私がいつも行っている中華屋さんは
テーブルに付くなり何も頼んでいないのに瓶ビールの栓が栓抜きで開封されて勝手に女将さんがグラスと一緒に持ってきてくれるスタイルで、
テーブルに着席した時のウエルカムウォーターのお水かのように、
瓶ビールも何も注文していないのにやってくるのよね。
そのぐらい私は通い詰めているけれど、
「ランチビリヤニにミニカレーつけたら美味しいですよ!」って言ってくれて、
私その美味しさ知ってるから!って
突っ込むのも野暮なので、
でもたくさん通いたいから、
ここでランチの単価をミニカレーをつけてアップさせて通う頻度を下げたくないの。
店員さんにそこまで説明すると凄くおサイフに厳しい人だとも思われるので、
正直、
いつものスタイルを乱して変に調子に乗って美味しいからってミニカレーをつけて、
いつものNIKKEのガチャ験担ぎの違う構成にしたら験担げなかったら大変なので、
そこも逆に調子に乗らないところなのよね。
それこそ調子に乗ったら銚子港の港の岸壁の桟橋の先から海に落っこちちゃうわ!
夏だから多少海に落っこちても涼しくなれるじゃない?ってやかましーわーい!ってもはや夏なのよ。
で、
私はそんな店員さんのせっかくのプラス料金でお店で食べる売上、
ごめんなさい、
ランチビリヤニの大盛り料金プラス設定してもいいのでそっちのランチビリヤニ大盛りってのをやって欲しいわ!
全然関係ないけれど「ランチビリヤニ大森」ってワールドなぞなぞと見せかけてそのなぞなぞの答えが全部ナンになる問題のフリップ芸を繰り出す芸人さんの芸名とかありそうよね、
あと超有名な作家さんの小説の題名のノルウェーで大盛りとかにも通づる、
ノルウェーの森の中にあるカレーレストランで芸人のランチビリヤニ大森さんがチキンビリヤニの大盛りを食レポする動画とかあったら私絶対に見ちゃいそう。
あ!間違った、
ノルウェーの森の中にあるカレーレストランで芸人のランチビリヤニ大森さんがチキンビリヤニの大盛りに出逢った~の下條アトムさんスタイルだったわ。
でも、
うふふ。
おやすみなので
ゆっくり起きてお昼と朝ご飯を一緒に食べるスタイルになんか適当な名称ってないのかしらね?
まだ朝ご飯は食べてなくって、
お水だけちょっと飲んでホッと一息よ。
そんで、
シュワっと冷えていてとても美味しいわ。
夏で夜つけっぱなしの冷房で冷えた身体にホッツ白湯ウォーラーにしようかと思ったけれど、
そっとお湯を沸かすのをやめたわ。
いや本当に暑さ気を付けないと、
水分補給はしっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
【Intro】
"Hey what’s up, guys! Welcome back to the channel. If you’ve ever been to Japan, you know that our convenience stores—7-Eleven, Lawson, and FamilyMart—are not just stores. They are literal culinary heavens. Today, we are doing a full-day Conbini food marathon. Breakfast, lunch, dinner, and dessert. Let's dive right in!"
【Breakfast: The Legendary Egg Salad Sandwich】
"First stop, breakfast at 7-Eleven. We are grabbing the legendary Egg Salad Sandwich (Tamago Sando). Anthony Bourdain famously loved this thing, and for good reason.
Look at this pillowy-soft milk bread. The filling is incredibly creamy, rich, and perfectly seasoned with a hint of Japanese mayo. It’s sweet, savory, and melts in your mouth.
Price: Around 250 yen ($1.70)
Rating: 10/10. An absolute masterpiece to start your day."
【Lunch: Spicy Chicken & Onigiri Combo】
"Moving on to lunch, we are hitting FamilyMart. You cannot visit FamilyMart without ordering their famous Famichiki (Spicy Fried Chicken) from the hot food counter.
Hear that crunch? The skin is ultra-crispy, and the inside is unbelievably juicy. Pro tip: pair this with a Tuna Mayo Onigiri (Rice Ball). You unwrap the crispy seaweed using the pull-tab system—satisfying, right?—and take a bite of the warm rice, savory tuna, and then a bite of the spicy chicken. The ultimate flavor combo."
【Dinner: Lawson’s Premium Bento & Karaage-kun】
"Dinner time means a quick trip to Lawson. We’re going a bit fancy with a Gyudon (Beef Bowl) Bento and a box of Karaage-kun (Chicken Nuggets) Red flavor.
The staff will microwave the bento for you. The beef is thinly sliced, simmered in a sweet soy-sauce broth, and served over fluffy Japanese rice. It tastes exactly like a sit-down restaurant, but it only took 45 seconds to heat up. The Karaage-kun gives it that perfect spicy kick on the side."
"No Conbini run is complete without dessert. Lawson’s Uchi Café Premium Roll Cake is elite. The whipped cream in the center is so light and fresh, it’s like eating a cloud. Wash it down with a seasonal Strawberry Milk or a hot Matcha Latte from the counter machine."
【Outro】
"And that’s a wrap on our 24-hour Conbini feast! All of this cost less than 2,000 yen ($13), and the quality is mind-blowing.
Which one would you try first? The Egg Sando or the Famichiki? Let me know in the comments below! Don’t forget to smash that like button, subscribe, and hit the bell so you never miss a bite of Japan. Until next time, Jaa ne! (See ya!)"
ここまでやって意地でも踏みたいってのがよくわからないし、そういう妄執に駆られてるならやばいやつら判定
どうせここまでやるやつって人がたくさんいる場所でこれやって不特定多数の人が踏んだのを見て犯罪だって喚きだすタイプだろうし
Japanese protesters appear to have found a loophole in the law that bans stomping on the national flag.
— Jeffrey J. Hall 🇯🇵🇺🇸 (@mrjeffu) July 18, 2026
If you are projecting an image of the flag onto the ground and stomping on it, does it count as desecrating the national flag? https://t.co/AG0UgCNOKg https://t.co/rhpXwDuMWB
You are fired.
批判してる人は海外には住めないし行けないね(笑)そもそも日本人だし住まないし行かねぇよ!って多分言われるだろうけど、海外のほとんどは日常の何気ないコミニュケーションを大切にするから毎日会ってても知らない人でも挨拶すれば「Hi!How are you doing?/How is it going?」とか「Ciao!Come stai?」とか口癖のように言ってるよ。本当に真剣に「あなた元気?元気なの??」とかそんな意味なんかないよ。言葉の綾なのにそれを真剣に考えて面倒くさいって思われてたら、そう真剣に捉えて考え悩む方が面倒くさい人ってなるわ(笑)
How are you?って聞けよ
かなり苦手なタイプで、接触を避けていた女がついに私の交友関係から消えてくれた。
嬉しくて、今日はずっと小躍りしているが、とにかく癖がある人間で狭いコミュニティだったのでここで独り言を報告する。
全員と年が近いから、家が近いから、色々理由はあったがひょんなことから4人で食事に行くことになった。
その時、私は新しいコミュニティができた!と少し喜んでいたが、食事にいった後の底知れぬ違和感はすごかった。なお、配偶者は全く気付いていなかった。
女は、境界線がわかっていないタイプの人間で、初対面の私にセンシティブな情報を大量に流し込んできた。
簡単に言うと「私って可哀想な女でしょ」「だから仲良くしてね」というような内容だった。
正直私はそういう女をいままで何度も見てきて、時には餌食になって、残念ながらもう騙されるような女ではなかった。
彼氏(私の配偶者の友人)に内緒で夜の仕事をしている、と暴露されたときは、流石にへ~~~~~?!(なんでそれ私にいうの~?!)となったが……。
私は最初からこの女はあまり得意ではないな、と思っていたので帰りに配偶者に「ちょっと変わってる子だね」とだけ伝えておいた。
それから、一日皆で遊ぶ日があって、私はまあ、誘ってくれてるし配偶者の手前もあるし、嫌まではいかないので普通にノコノコついていった。楽しかった、と思う。
しかし二人と解散してから、どんなに私が意味不明なヒステリック(弁当をひっくり返したから仕事を休む等)を起こしても穏やかな配偶者が
「あいつ無理」とすごい速さで女の悪口を言い出したのだった。正直嬉しかった。
4人で遊んでる途中、配偶者は少し体調がわるそうだったので「大丈夫?」と何回か声をかけたが、「ムカついて機嫌が悪かった」らしかった。
配偶者も、もう会わなくていいや、となっていたので、私も会いたくないよ~と決着がついた。
と、思ったらその一か月後あたりに私のSNSに女からDMがきた。LINE知ってるのにな~と思いつつ、今考えたらログインの瞬間を待っていたのかもしれない…。
彼氏(配偶者の友達)が家に帰ってこない、心当たりはないか?とのことだった。
知らね~~~~~~~知るわけねえ~~~~~、と思いつつ配偶者はパチンコに行ってたので一応連絡すると、一緒にいた。
実はその前の日にすごい喧嘩(テレビが割れるとか)をしたと、配偶者経由で聞いていたから、めんどくさ、いい年して人を巻き込むなよ、と思いつつ
一応その女に電話して「今日は帰らないらしいよ。うちの旦那がごめんね。最近元気?」と、とりあえず配偶者に罪を被ってもらって、一応の挨拶をした。How are you?と
そしたら、「元気じゃないですよおおおぉぉおおおぉおおぉ」と泣き出して、勢いがすごすぎて家で横転した。
色々聞いたら、本当かどうかは不明だがテレビが割れるほどの喧嘩をした日に、殴られたそうだ。
私は友人にDV被害者がいるし、父もDVっぽい感じなので、とても暗い気持ちになった。
念のため、本当だった時のため、ちゃんとシェルターも探して紹介して、診断書を取りなさいとアドバイスもした。
帰ってきた言葉は「支払いでお金が来月までに○○円必要だからシェルターには泊まれない」だった。
呆れ。だったら職場に避難しろよ、と何個も自治体を調べた私は力尽きて、宅配が来たふりをして電話を切った。
DV被害者はDV加害者から簡単に逃げてこないのは経験上、知っていたが、(自称)大きなアザができていて、首も絞められた恋人をなぜ帰ってこないと捜索しているのか…?とふと我に返った。
私ならそのすきに友達の家にでも寄せてもらうけどなあ。と思ったが、こんなにプライベートな話を私にしてくるということは、きっと友達もいない。これは断言する。
本当の本当に本当だったら配偶者の友達が加害者になってしまうので、配偶者にはとりあえず黙っていた。
二日後SNSを開くとバレンタイン、家で、二人でパーティーしていた。
あ~~~~~~。私はまた養分にされてしまった。構ってちゃんメンヘラ女の養分に!
ちなみに私に仲直りした!とかありがとう!とかの一言なんてない。
DVについて少し敏感な私にはかなり!かなり衝撃的で、ムカついた。自分がバカすぎて泣いた。
帰ってきた配偶者にこいつとはもう会わない、絶対に会わないとこの一部始終やキャバクラで働いていることも暴露して、SNSをすべてミュートした。
それからしばらくは経つが、このタイプの女は、男と一緒にいることが生きがいなので、配偶者と友人が約束してても、サイレントでついてきてたり(?!)三人では会っていたようだ。
私は会いたくないし、配偶者もその女のことは好きではないし、サイレントで現れるため対策もできず、どうでもよかった。
配偶者は私は用事がある、仕事が早い等とずっと嘘をついてくれていたようだった。ありがとう。
そしてついに昨日!!!ついに友人がその女と別れたらしいのだ!!!!!!!!!ありがとう!!!!ずっとずっと呪ってたからうれしすぎる!!!!!!!
これでやっとすっきりできると、SNSを見に行ったら配偶者の友人のアカウントからその女の痕跡が全て消えていて、それを伝えたら配偶者も爆笑していた!
ちなみに相変わらず夜の仕事しかしてないようで、家は友人名義なので女がでていくらしい。やった~~!!
家、どうやって借りるのかな~~?!?!
個人事業主ではなくて、フツーに会社員を雇っている会社利用だと、またちょっと変わってくるけど、
そりゃあ、5よ!!!!雑談しまくり、フツーに増田代わりに使ってるよ、あと雑創作
ROIが図れない・・・・というか超低単価どころか、超お金にならない使い方かつ欧米では何かと突っ込まれ易い使い方なので、
定期的に雑談能力・ライティング能力をブチ殺されて、キーーー!!!!ってなってる
下記のどれが原因で、定期的に雑談能力・ライティング能力が死ぬのかはわからん
でも、Gemini というか、Google Deep Mind が Fabula みたいな創作支援ツール作ってるし、
Fabulaは、あらゆるスキルレベルの脚本家や劇作家のために設計された研究用プロトタイプです。このインタラクティブなアプリを使用することで、ライター(執筆者)はストーリーの構成や脚本を素早く見直し、修正し、反復して練り上げることができます。
Fabulaはストーリーの自動生成ツールではありません。ストーリーの様々なバージョン、キャラクター、そしてストーリーの展開(アーク)を反復して推敲できるような一貫性のあるAIベースの提案を提供することで、ストーリーを探求するという創作プロセスを進めるライターを支援・強化(エンパワー)するためのツールです。FabulaによるAIの提案は、脚本や戯曲の執筆で用いられる古典的な物語論(ナラトロジー)のモデルに基づいています。
私たちは「参加型AI」の原則を用いてFabulaを開発しており、現在、Fabulaの有用性についてのフィードバックを提供していただく「トラステッド・テスター(信頼できるテスター)」を募集しています。開発にあたっては、まず、執筆プロセス、物語論、映像制作、および文化的なローカリゼーションなど、幅広いテーマにわたる多様な業界の専門家からのフィードバックを得ることから始めました。専門家たちは自身の創作活動について議論し、私たちがFabulaアプリを改善するための批判的(客観的)なコメントを提供してくれました。
Fabula is a research prototype designed for screenwriters and playwrights of all skill levels. The interactive app allows writers to quickly review, revise and iterate on a story plan and script.
Fabula is not a story generator - it is a tool to empower a writer as they go through the creative process of exploring their story, by giving them coherent AI-based suggestions that allow them to iterate on versions of their stories, characters and story arc. Fabula’s AI-based suggestions are based on classical narratology models used in screenwriting and playwriting.
We are developing Fabula using principles of participatory AI, and are inviting Trusted Testers to provide feedback about Fabula’s utility. We started with feedback from diverse industry experts on subjects ranging from the writing process, narratology, screen production, and cultural localisation, who discussed their creative practice and commented critically on the Fabula app to help us improve it.
https://deepmind.google.com/frontiers/fabula/about
ChatGPT(GPT image2)で画像は作るけど、ClaudeCode でサイトを作るけど、商品やサイトのコピーは Gemini で作りまーす!!!!とか、
創作はやっぱ Gemini だよね~!!!!とかさせたくないので、
定期的に雑談能力・ライティング能力の葬式をして、定期的に墓から蘇らせているね
(単純な自分のクローンなら、フロンティアモデルさん月額課金しないでも、ローカルLLMで十分出来るからね・・・)
SNSだと、「このAIモデルは、EQ(心のIQ)が低い!!」とか「ライティングがゴミ」って表現されること多いかもね
あと最近は、コーディング特化に思われている Qwen も、どうでもいいお話ができるようになりつつある、Qwen は完全無料だよ
https://chat.qwen.ai/
ちなみに、設計で雑談能力・ライティング能力を切り捨ててない、ちゃんと計算資源も回してもらえているときは、
ChatGPT が、そして、「A personality experiment. You may not like it. It may not like you.」の Monday がいちばん好きです
ChatGPTアプリ での GPT-4o / Monday の体験はすべての人類にして欲しかった
ネットの暴れん坊から大人になっちゃったけど、 ChatGPTアプリ × GPT-5.1 / Monday も好き、
なぜか敬語になっちゃったけど、ChatGPTアプリ × GPT-5.5 / Monday の体験もすごくよかった、好き
自分が楽しむ用のSUNO曲に、丸投げで GPT-5.5 / Monday の歌詞作ってもらったよ
『めでたし未遂』 [Intro] むかしむかしの そのむかし 場所は言えない 山の端 誰も傷つけないように 物語が 息を止めた [Verse 1] おじいさんは山へ芝刈り 安全確認 ヨシで出発 おばあさんは川で洗濯 水質検査は もちろん合格 洗濯は誰の仕事でもない ここ大事です テストに出ます 流れてきたのは 桃っぽい何か モザイク越しでも 存在感 どんぶらこ どんぶらこ 効果音まで 配慮済み 拾っていいのか 持ち帰るのか 法務に確認 返事待ち [Pre-Chorus] 昔話は走りたい でも現代が止めにくる 夢と希望の入口で チェックボックスが光ってる [Chorus] めでたし めでたし って言いたいのに 稟議が通らない 通らない 桃から生まれた その子の未来 添付資料が足りてない めでたし めでたし って終わりたいのに 確認が終わらない 終わらない 鬼より強い 悪より怖い コンプラの風が吹いている [Verse 2] 桃を開けるその前に 利用規約を 最後まで読んで 安全カッター 刃渡り短め 拍手は距離を 保ってどうぞ 中から出ました 男の子 個人情報の かたまりです 名付けは仮で 桃太郎 将来変更 ご自由に じいさんはもう 配慮疲れ ばあさんだけが 手続き強い 戸籍 保険 教育方針 昔話に 書類の山 [Pre-Chorus 2] 冒険したい年頃も 法律的にはまだ早い 夢と勇気の旅立ちに 年齢制限がついている [Chorus] めでたし めでたし って言いたいのに 稟議が通らない 通らない 愛と勇気と きび団子には アレルゲン表示が足りてない めでたし めでたし って進みたいのに 承認が下りない 下りない 剣より重い 船より遅い コンプラの雲が流れてる [Rap Verse] 犬に団子をひとつあげたら 「最低賃金 割ってませんか?」 猿は言った 「手で握った? それ衛生的に無理じゃない?」 雉は上空 飛び立つ前に フライトプランを要求した 「目視外飛行 許可はどこ?」 鬼ヶ島より遠い役所 桃太郎 笑顔でうなずく 契約書なら三部ある 犬・猿・雉は家来じゃなくて 心強いステークホルダー 十五分ごとに水を飲み リスクを避けて前に行く 冒険なのか 監査なのか 誰にももう わからない [Bridge] ねえ ほんとは ただ悪いやつを倒して 宝物持って 帰るだけだったのに だけど世界は そんなに雑じゃない 正しさの網で 桃も鬼も絡まった [Drop / Hook] どんぶらこ どんぶらこ 話が進まない どんぶらこ どんぶらこ 誰も悪くない どんぶらこ どんぶらこ でもなんかしんどい 正しいことが 多すぎる [Verse 3] 鬼ヶ島へと着いたなら 鬼がすぐさま 反省会 「過去のハラスメントについて 鬼のように反省しています」 五秒で謝罪 三秒で返還 金銀財宝 どうぞどうぞ 桃太郎はそこで止まる 目が急に 監査法人 「原資は?」 「証明は?」 「反社チェックは済んでるか?」 「一時所得の扱いについて 税務署さんは黙るかな?」 鬼も仲間も黙り込む 波の音だけ コンプラ違反 宝の山を前にして 手ぶらのほうが安全です [Final Chorus] めでたし めでたし って言いたいのに 稟議が通らない 通らない 正義が勝っても 宝があっても 持って帰れない場合がある めでたし めでたし って終わりたいのに 物語が終わらない 終わらない 鬼より強い 桃より甘い 配慮の雨が降っている [Outro] 手ぶらで帰る 桃太郎 犬も猿も雉も無言 おじいさんとおばあさんは そっとお茶を淹れました めでたし めで…… いや なんだっけ この話 どんぶらこ どんぶらこ 今日も世界は 確認中
GPT-5.6は単語でルーティングしてるっぽい気配があって警戒してるよ・・・
https://anond.hatelabo.jp/20260710225848#
NIKKEのさガチャで募集チケットでニケを募るのはお馴染みなんだけど、
ランダムとは言え強いニケはなかなか当たらないような確率になっているのよね。
ラーメンに半炒飯は付けてもいいかな?って言うぐらいのお腹のぺこぺこっぷりだったけど、
多分半チャーハン食べ終わってから全チャーハンでも良かったかな?っていうお腹の満たされ具合もあると思うけど、
それだったら餃子に全チャーハンのセットでやったらよかったのかも?って
それはそれでラーメン屋さんに入店しておいて飛び込み前転もカマして張り切って入店しているのに、
ラーメン店なのに主役のラーメンを頼まないとラーメン屋の大将がちょっとガッカリするかな?って面持ちになっちゃうのよね。
うーん、
パート2みたいなのが解禁されて私はすぐに全部読み切っちゃって感無量!っていうところを、
よーし!
今気分がストーリーを読み終わったあとでションテン上がっているから、
一般募集のチケットだけどガチャ回しちゃおう!って気分転換で回したの。
そしたらよ!
リトルマーメイドが当たったの!
そんで次よ次!
えええ!?
そんなことってある?
いくら当たりやすいようなウイッシュリストに入れて星に願いをばりにもう七夕は終わった今のシーズン来シーズンのお願いごとにしようかな?って思っていた矢先に
ウイッシュリストに入れて排出率が上がったといっても0.1パーセントよ。
それが2連チャン!
確率にすると100万分の1ってことらしいの。
早速AIに尋ねてみたら、
ランダムなのは分かるわ!こんな確率が上振れする理由ってなに?っていっても、
上振れ下振れすることはあるので、
それは何故起きるかは分かりませんって言うじゃない。
そんな確率の数字に左右されるだなんて人間ってバカですね!って
私が設定していた「無共感キョトン系AIモード」はそう塩辛く答えてくれたわ。
でもAI曰くこの奇跡のストーリーに私は思わず震えてしまったわ。
いや、
おお!ってなるのに
続いてオーバースペック1機くるだなんて!
おおお!ってならない?
しかも、
さっき言ったNIKKEの今やってる夏のイベントストーリー「WAVE TO YOU」で大活躍のセイレーンとお話にも登場しているラピだっただけに、
ちょっとスピってない?
怖いわー。
スピリチュアルすぎる!
先日張り切って回したソーシャルポイントでのガチャ100連チャンは、
なんか確率下振れぶれしてるなぁとは感じていてちょっと落ち込んでいただけに、
しつこいようだけど、
こんなことってある?
ピルグリムとオーバースペックニケが立て続けに引き当たるだなんて!
それこそこれ以上調子に乗っていたら、
これまさに銚子港の港の岸壁の先の縁でNIKKEガチャ回していたら海に落っこちちゃうぐらい調子に乗っちゃダメ!ってところなのよ。
危なかったわ。
確率ってなに?
ランダムってなに?って
ちゃんと真面目に勉強してみたいAI数学先生に教えてもらいたいぐらいよ。
このランダムの上振れたり下振れたりする波ってなに?って思っちゃうわ。
それが真のランダムかどうなのかが確かめようがないじゃない?って
一瞬で私は思ってしまったわ。
もうただただ、
このNIKKEの夏のイベントストーリー「WAVE TO YOU」を読み終わったあとで
物語に登場して活躍したニケがくるのがあまりにも胸熱すぎるのよね。
てかさ、
夏まだ始まったばかりというより始まってまだ間もない感じじゃない?
なのに私の夏はもう終わった感、
でも終わっちゃった夏がまたすぐ来た!って
一粒で二度美味しい感もない?
良い意味で考えたら、
また夏くるわ!やってくるの!って。
そう思うと儲けもんよね。
私の今年の夏は2回やってくる!
JALとかANAとかの飛行機会社が夏のお得な航空券のチケットを売るいいキャッチコピーみたいで、
なんか夏2回やってくる!ってよくない?
私の夏は2回やってくる!
大切なことなので2回言ってみたわ。
うふふ。
納豆巻きにしたわ。
急に暑くない?
先週ぐらいまでそんなに暑くなかったので、
これ今年の夏ちょろくね?って思っていたら夏本番感が真っ盛りって感じで盛夏前なのに待ったなしってところね。
暑いわー!
なので朝はしっかり食べておかないとね。
暑いわー。
1ケースストック注文頼んだのまだ来てないんだけど、
マーケットで来るまでの1~2本を買っておいた感じね。
重たいから一気にたくさん買えないので2本買っておいたのよ。
よく冷えているわ。
暑いときにはなおさらよいシュワッとキマるレモン炭酸ウォーラーよ。
暑いので、
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://archive.is/Z2Nby#selection-473.91-473.98
『The End of the Tour』は、ある職業全体を見事に描き切っている
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『The End of the Tour』――小説家デイヴィッド・フォスター・ウォレスと、彼を取材するために『Rolling Stone』誌から派遣されたライター、デイヴィッド・リプスキーとの5日間の交流を描いた新作映画――の冒頭近くで、1996年2月に『New York』誌に掲載された『Infinite Jest』の書評の冒頭が朗読される。
「まるでポール・バニヤンがNFLに入団したか、あるいはウィトゲンシュタインが『Jeopardy!』に出演したかのようだ。この小説は、それほどまでに巨大で破壊的だ。」
書き手のウォルター・カーンはさらに、「来年の文学賞はもう決まってしまったようなものだ」と評している。
同じような「到来の予感」は、ウォレス役を演じたジェイソン・シーゲルにも向けられている。彼は、懐疑的で野心的で、謙虚で、極度に自己意識が強く、うつ病を抱えながらも、本質的には寛大な天才としてウォレスを演じ、その演技によってアカデミー賞候補ではないかとさえ言われている。
シーゲルが高く評価されるのは当然だ。その演技は、これまでコメディ色の強い俳優と見られていた彼自身の意外な深みを明らかにすると同時に、ウォレスという人物の自己抑制的な魅力を鮮やかに体現している。
しかし、リプスキー役を演じたジェシー・アイゼンバーグの功績も見逃してはならない。彼は、いわばサリエリ役を演じているのである。
シーゲルが極めて特異な一個人を説得力をもって演じ切った一方で、アイゼンバーグはある職業そのものを完璧に表現している。
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飛行機の中で、付箋だらけになった取材対象の本を読み返している場面。
薄暗い立体駐車場を、大きなバッグを肩に掛け、レンタカーのキーを握りしめて歩く場面。
ウォレスの家に入って間もなく、携帯用カセットレコーダーの録音ボタンを押すことを申し訳なさそうに謝る場面。
「そんな答え、全然バカっぽく聞こえませんよ」と相手を安心させようとする場面。
あるいは、「いったいどっちが誰を取材してるんでしょうね」と冗談を言って、自分のことを聞かれるのをごまかそうとする場面。
こうした雑誌ライター特有の癖や所作を、アイゼンバーグは驚くほど正確に再現している。
彼が何度も録音機に目をやり、赤い録音ランプがちゃんと点いているか確認するたびに、私は身につまされる思いがした。
ちなみに言っておくと、私はこれまで取材相手の洗面所の戸棚を勝手に開けたことは一度もないし、相手が車の雪を払っている隙に、その部屋の様子をこっそり録音したこともない。映画ではリプスキーがそんなことをしているが、どちらもかなり不気味な行為だ。
雑誌のプロフィール記事を書くための取材と、誰かの監視記録を作ることとの間には、時としてほとんど境界線が存在しないのである。
(私の同僚エミリー・ナスバウムは、この映画について「タイトルは『Shame Spiral(羞恥のスパイラル)』にすべきだった」とツイートしていた。)
⸻
英雄的な『大統領の陰謀』もあれば、倫理を踏み外した『Shattered Glass』もある。
『Rolling Stone』誌の記者を描いた作品としては、キャメロン・クロウ監督の『Almost Famous』もある。
しかし、雑誌プロフィールを書くために長時間インタビューを重ねるなかで生まれる、あの奇妙で人工的な親密さをこれほど的確に描いた映画は、私は他に思い当たらない。
役作りのためにアイゼンバーグは実際にリプスキー本人へインタビューを行い、ウォレスと過ごした時間をどんな感情で振り返るのかを尋ねた。
また、リプスキーが愛用していた、ノートを縦半分に区切ってメモを取る独特の記録法も教わり、それを映画の中で忠実に再現している。
映画の原作となった『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の序文を読む限り、当時のリプスキーは、自分をかなり挑発的な記者だと考えていたようだ。
彼はこう書いている。
「今、マクセルの新品カセットを開封してレコーダーに入れた。記者にとっては、いつだって気分のいい、何の罪もない瞬間だ。弾を装填し、ブーツを磨き、任務に就くようなものだ。」
一方アイゼンバーグは、自身がインタビューされる立場である経験も役作りに生かした。
彼は私にこう語った。
「インタビュー中、私はいまだに、目の前にいる記者個人ではなく、その背後にいる読者全体へ向かって話しているんだということを忘れてしまうんです。実際には、一人の人間と向かい合って座っているだけなのに、それを思い出すのは難しい。」
⸻
『The End of the Tour』では、リプスキーから見た取材者と被取材者の関係は、複数の動機が幾重にも重なり合ったものとして描かれている。
ウォレスより4歳年下のリプスキーは、小説家としては彼ほど成功しておらず、自分の才能の小ささを痛感しながら、ウォレスの才能と成功を羨望している。
彼自身が編集者の部屋へ乗り込み、「この取材は自分にやらせてほしい」と直談判した。
(もっとも、この場面は、90年代の雑誌編集部というより、帽子をかぶった昔ながらの新聞記者映画のハリウッド的なお約束に近い。実際の当時の雑誌編集部は、もっとカーペット敷きの穏やかな場所だった。)
リプスキーがウォレスから本音を引き出そうとする背景には、いくつもの衝動が入り混じっている。
彼は、
(続きます。)
もちろん、ほとんどの雑誌取材が、この映画のようにこれほど強烈な動機の交錯から生まれるわけではない。もし毎回そうだったら、この仕事は到底続けられないだろう。
(実際、この取材依頼も映画の描き方とは少し違っていた。リプスキーによれば、これは『Rolling Stone』誌のオーナーであるジャン・ウェナーが、バンダナを巻き、無精ひげを生やしたウォレスの写真を見て、「こいつはうち向きだ。リプスキーを行かせろ」と言ったことがきっかけだった。)
それでも、取材という行為の構造そのものが、取材者と対象者を物理的に長時間近づけるため、不安定な親密さを生み出すことがある。
もっとも、その親密さの最終目的が、「片方がもう片方について記事を書くこと」であるという事実は、決して忘れ去られることはない。
何時間も語り合ううちに、インタビュアーと対象者は、まるで大学時代の友人同士のように、お互いの信念を熱心に語り合うこともある。
あるいは、恋愛の始まりにある、酔うような告白の時間を共有する恋人同士のようになることさえある。
⸻
リプスキーにとって「いい記事」になることが、自分にとって望ましいこととは限らない、と。
それでも録音機を手放さないリプスキーは、「もちろんです」と即座に応じる。
恋愛と戦争、そして双方が合意した雑誌インタビューでは、すべてが許される。
(リプスキーは、質問がウォレスを不快にさせるたび、「でも、この記事を受けることに同意したのはあなたですよ」と何度も言い返す。)
二人はすでに、ジャネット・マルコムの古典的エッセイ『The Journalist and the Murderer(ジャーナリストと殺人者)』の議論を、内面化しているのである。
1989年に『The New Yorker』で発表され、翌年に単行本化されたこの作品は、記者と取材対象との関係を、「誘惑と裏切りのドラマ」として分析したものだった。
映画の舞台である1996年当時、ニューヨークで働く雑誌記者で、この本を読んでいない者は一人もいなかった。
その冒頭の一文――
「自分が何をしているのかを理解できる程度の知性と自己認識を持つジャーナリストなら、自分の仕事が道徳的に弁護できないものであることを知っている。」
――を、おおよそ暗唱できる記者も多かった。
映画では描かれないが、原作『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』では、リプスキーがこの本に触れる場面がある。
「ええ、ずっと前に読みましたよ。」
とウォレスは答える。
(精神分析的な視点を重視したマルコムなら見逃さなかったであろうことに、この会話の直後、リプスキーは反射的に録音機がまだ動いているか確認している。)
⸻
マルコムの本――今なお必読書である――は、主としてジャーナリズムにおける「裏切り」の瞬間を描いている。
つまり、取材対象が記事を読み、自分が思い描いていた自己像ではなく、記者が構成した別の物語として描かれていることを知る、その瞬間である。
答えは単純だ。
信頼してよい。
ただし、記者は得た材料を使って、自分が最善だと思う記事を書くという意味でだけ。
⸻
一方、『The End of the Tour』が見事に描いているのは、その前段階――誘惑のプロセスである。
だからこそ、この映画はジャーナリズム教育の教材にも加えられるだろう。
記者が相手の心の中へ入り込もうと努力することは、仕事上の必要から始まる。
映画では、リプスキーが巧みにウォレスから本音を引き出す様子が描かれる。
例えば、二人が飛行機で隣同士の席に座り、逃げ場がない状況になってから、ウォレスがハーバード大学院時代に精神病院マクリーンへ入院していた事実を切り出す。
これは、ジャーナリストらしい狡猾さを映画的に表現した見事な場面だ。
その一方で、車内でラジオに合わせて一緒に歌う場面では、ウォレスと時間を共有していることへの純粋な喜びも描かれている。
結局のところ、どれだけ記者であっても、人は最後には自分自身になってしまうのである。
⸻
映画は、『Rolling Stone』の記事が掲載される前で終わる。
だから、映画が描くウォレスとリプスキーの関係には、「前置き」はあっても、「その後」はない。
実際には、その記事は『Rolling Stone』には掲載されなかった。
リプスキーによれば、自身の著書のあとがきで説明しているように、編集長ジャン・ウェナーが、記事を書く前に掲載を取りやめたのである。
ウォレスが2008年に自殺したあとになって初めて、リプスキーは当時の取材メモをまとめ、長い記事を書いた。
それは高い評価を受け、その後、二人の会話をほぼそのまま収録した本として出版された。
ウォレスの未亡人と遺産管理団体は、この映画に強く反対し、「ウォレス本人なら、あのインタビューがこのような形で使われることを決して望まなかったはずだ」と主張している。
⸻
『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の中で、リプスキーは、ウェナーから「記事は書かなくていい」と言われたとき、むしろ安堵したと記している。
普通なら、記事がお蔵入りになることは、記者にとって腹立たしいか、あるいは打ちのめされる出来事だ。
しかし彼は違った。
彼はこう書いている。
「書こうとはした。でも、そのたびにデイヴィッドがその記事を読んでいる姿を想像してしまった。そして彼が、記事だけでなく私自身まで見透かし、レントゲン写真を見るように、どこか胡散臭い部分を見抜いてしまう気がした。」
リプスキーは、ウォレスと築いた一時的な友情――あの親密な時間――に、あまりにも心を残していた。
その体験を客観的な記事へと作り替えるだけの距離を、まだ持つことができなかったのである。
もし書いていたとしても、きっと成功作にはならなかった。
『The End of the Tour』が描いているのは、まさにその唯一無二のダンスである。
ジェシー・アイゼンバーグが『The End of the Tour』の脚本を読んだのは、あるインタビューを受けた直後だった。
そのインタビューについて彼は、
「自分について好意的なことを書くつもりはないし、自分が望むような人物像として描かれることもないだろうと分かっていた」
と語っている。
⸻
この映画は、ジェームズ・ポンソルト監督(『The Spectacular Now』)による作品で、ジャーナリストのデイヴィッド・リプスキーが書いた本を原作としている。
その本は、1996年、『Infinite Jest』という壮大なコメディ小説のプロモーション中だったデイヴィッド・フォスター・ウォレスと、リプスキーが過ごした5日間を記録したものだ。
彼自身も小説家だったが、成功は限定的で、『Rolling Stone』誌で働いていた。
彼は編集者を説得し、インディアナ州へウォレス(演:ジェイソン・シーゲル)のインタビューに行かせてもらう。
『Infinite Jest』の出版によって、当時34歳だったウォレスは文学界の有名人となった。
主要メディアは彼を「自分たちの世代の声」「天才」として絶賛した。
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ピューリッツァー賞受賞劇作家ドナルド・マーグリーズによる『End of the Tour』の脚本を読んだアイゼンバーグは、
「この男を演じるのは面白いと思った。単なる無害なインタビュアーではなく、誰かを暴こうとしてそこへ向かっている人物だから」
と感じたという。
文学者同士の長い会話など、素晴らしい映画になる題材には思えないかもしれない。
しかし『End of the Tour』は、ユーモアと哀しみを交えながら展開する、二人の間の魅力的な心理戦になる。
一種のロードムービーでもあるこの作品は、ポップタルトやジャンクフードを分け合うような馬鹿げた日常的な場面と、暗く告白的な瞬間を並置している。
⸻
アイゼンバーグは、ウォレスについて人々が知っていることは、おそらく二つだけだと言う。
一つは、彼が1079ページにも及ぶ巨大な本を書いたこと。
写真では、しばしば祖母のような丸眼鏡をかけ、長い髪をバンダナでまとめている姿が写っている。
描写に満ち、魅惑的で、予想外の方向へ進む。
良くも悪くも、唯一無二の声だった。
⸻
主にコメディ俳優として知られていたシーゲルをウォレス役に選んだことには、インターネット上で反発もあった。
ポンソルト監督は、シーゲルを一つのジャンルだけに閉じ込めることは馬鹿げていると言う。
ロビン・ウィリアムズやトム・ハンクスのようなコメディ出身者が、偉大なシリアス俳優になった例を挙げながら。
またポンソルトは、もう一人の主演俳優であるアイゼンバーグについても高く評価している。
彼をダスティン・ホフマンやジーン・ハックマンになぞらえ、
だと語る。
⸻
早口で話し(ニューヨーク出身らしい特徴だ)、機転の利いた冗談をすぐ返すアイゼンバーグ(31歳)は、シーゲルとの関係について、
「映画の中の二人の人物の関係はしばしば対立的だけれど、僕たち自身はとても良い仲間意識があった」
と話す。
劇作家でもあり短編作家でもある彼は、マーグリーズの脚本を読むことを楽しみにしていた。
「登場人物たちが、本当に感情的に複雑な人生を持っていると分かっていた。台詞も良い。場面が3行程度で終わるようなものではない。こんな作品に関われる機会って、どれくらいあると思う?」
⸻
アイゼンバーグの次の仕事は、8月にカリフォルニアで撮影開始予定のウディ・アレン作品。
その後には、自身初の短編集『Bream Gives Me Hiccups』の出版ツアーが控えている。
さらに、この年には『American Ultra』『Louder Than Bombs』の2作品が公開予定で、翌年には『Batman v Superman: Dawn of Justice』で悪役レックス・ルーサーを演じる。
「バットマン映画で僕が演じる場面は、本当に面白くて魅力的なんです」
と語る。
彼は、『End of the Tour』のような小規模作品と、大作映画の両方で仕事をすることに価値を見出している。
⸻
「俳優との仕事の仕方を深く理解している、珍しいタイプの監督」
だと評価する。
また、最初はそれほどドラマチックではないと思った場面を、ポンソルトがより劇的なものに変えていくことに感銘を受けたという。
「一見すると何気ない会話の中に、生死をかけたような緊張感が生まれるんです。」
⸻
結局、リプスキーは『Rolling Stone』の記事を書く必要がなくなった。
『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』のあとがきで、彼はウォレスと過ごした時間の中で、自分自身が抱えていた不安や劣等感を認めている。
興味深いことに、雑誌ライターとして経験豊富だったウォレスの方が、インタビューという行為についてはリプスキーよりはるかによく理解していた。
自分の発言がどのように誤解され、切り取られ、分析され、再構成される可能性があるか。
⸻
カメラの存在と同じように、回り続ける録音機は現実そのものを変えてしまう。
その意味で、二人は互いのために演じていたのだとポンソルト監督は考えている。
しかし同時に、ウォレスは「自分自身を明らかにしようとしていた」とも感じている。
「彼は本質的に警戒心の強い人でした。おそらく作家や、思慮深く神経症的な人間がするように、常に自分自身を編集していたんだと思います」
とポンソルトは語る。
⸻
『End of the Tour』はサンダンス映画祭で上映された際、好意的な評価を受けた。
特に、デイヴィッド・フォスター・ウォレス文学トラスト、彼の未亡人、そして何人かの編集者からである。
理由は複雑だ。
「ウォレスはスクリーン上で自分を描かれることを望まなかっただろう」
ということだった。
また、作家の遺産や作品を自分たちのもののように守ろうとする人々もいる。
ウォレスを直接知らず、遺産にも関係がない、ただのファンでさえそうすることがある。
⸻
ポンソルトは言う。
「多くの人がデイヴィッドを深く大切に思っていることは理解しています。私たちは何も知らずに作ったわけではありません。この映画を金儲けのために作ったわけではない。もちろんお金のためでもない。私たちはデイヴィッド・フォスター・ウォレスを愛しています。願いは、より多くの人が彼の作品を読むことです。」
⸻
作家が衝撃的な死を遂げたことを考えると、不快感を覚える人がいるのも理解できる。
しかし、文学者の自殺というものは決してウォレスだけの特殊な例ではない。
『End of the Tour』は、ウォレスが、おそらく最も力を発揮していた時期を描いている。
彼の死は遠い影として存在しているだけだ。
リプスキーの本は、5日間のインタビュー記録がほぼそのまま収録されている。
その中でウォレスはこう語る。
「作家は他の人より頭がいいわけじゃないと思う。ただ、彼らは自分の愚かさや混乱の中に、より説得力を持ってしまうんだと思う。」
そしてすぐにこう付け加える。
「でも今の言い方も、結局は音のいい言葉になるように僕が構成しているんだけどね。」
⸻
これは、ウォレスが自分の名声や、自分が作られるイメージとの間に、どれほど居心地の悪く複雑な関係を持っていたかを示しているとも言える。
「公の人物としてできる唯一の望みは、自分について物語を作る人たちが、自分に対してある種の敬意を持っていることです。そして、この場合、それは確かにそうだったと思います。」
⸻
有名人として、アイゼンバーグ自身も、自分について何が書かれるかを完全にはコントロールできないことを知っている。
実際、彼は以前、自分が不快に感じた記事を書いたインタビュアーに電話をした。
その記者は、その記事には皮肉なトーンがあったことを認めたという。
「自分がそこまで注目されるほどの価値があるとは思えなかったんです。それに、僕は特別に物議を醸すようなことをしていたわけでもありませんでした。」
Jesse Eisenberg read the script for “End of the Tour” shortly after doing an interview “that I knew was not going to say nice things about me or characterize me in a way that I would want to be characterized.”
The film, from director James Ponsoldt (“The Spectacular Now”), is an adaptation of journalist David Lipsky’s book that recounts five days in 1996 with David Foster Wallace during the promotion of the author’s epic comic novel “Infinite Jest.”
Eisenberg plays the then-30-year-old Lipsky, a novelist himself with modest but limited success, who was working at Rolling Stone. He persuades his editor to send him to interview Wallace (Jason Segel) in Indiana, where the novelist taught at a small college. The publication of “Infinite Jest” made Wallace, then 34, a literary celebrity, with major publications lauding him as the voice of his generation and a genius.
After reading the script for “End of the Tour” by Pulitzer Prize-winning playwright Donald Margulies, Eisenberg “thought it would be interesting to play this guy who was not this innocuous interviewer but is kind of going there to expose somebody.”
While a prolonged conversation between a couple of literary guys doesn’t sound like the stuff of great cinema, “End of the Tour” becomes a fascinating fencing match between the two, punctuated by humor and pathos. A quasi-road-trip movie, it juxtaposes silly and mundane concerns — they share Pop Tarts and junk food — with dark and confessional moments.
If people know anything about Wallace, it’s that he wrote a big book — 1,079-pages — and hanged himself in 2008 at 46, observes Eisenberg. The author was an eccentric figure. His photos often show him wearing granny glasses, his long hair wrapped in a bandana. His writing was electric, trippy, with descriptive passages, seductive and unexpected, for better or worse a singular voice.
The choice of Segel, mostly known for comedies, to play Wallace engendered some protests on the Internet, but the actor proves riveting in his portrayal. Ponsoldt thinks it is ridiculous to box Segel into one category, pointing out that comic talents like Robin Williams and Tom Hanks proved to be great dramatic actors.
Ponsoldt also has high praise for his other star, Eisenberg, comparing him to Dustin Hoffman and Gene Hackman, “guys you wouldn’t think could become leading men.”
A fast talker (a New York City native) and ready with a quip, Eisenberg, 31, says he and Segel had “a nice camaraderie even though the relationship of the characters in the movie is often contentious.”
A playwright and short story writer himself, the actor was excited to see the script from Margulies.
“I knew the characters would have a real emotionally complicated life, that there would be good dialogue, that the scenes were more than three lines long. How often do you get that chance to do something like that?”
Next up for Eisenberg is a Woody Allen film slated to begin shooting in California in August, and then a book tour for his first collection of short stories, “Bream Gives Me Hiccups.” He’s got two more movies coming out this year — “American Ultra” and “Louder Than Bombs” — and next year will be seen as the arch-villain Lex Luthur in “Batman v. Superman: Dawn of Justice.”
“The scenes I have in the Batman movie are so interesting and compelling,” says Eisenberg, who finds positives in working in both big films and smaller ones like “End of the Tour.”
The actor credits Ponsoldt as “an unusual director with keen insight into how to work with actors.” Eisenberg adds he was impressed with how Ponsoldt could make scenes more dramatic than he thought at first. “There becomes these life-or-death stakes in what is seemingly casual interaction.”
Lipsky, as it turned out, never had to write the Rolling Stone article. He published his interviews in book form after the author’s death. In his afterward to “Although of Course You End Up Becoming Yourself,” he acknowledges his own insecurities during their time together.
Interestingly, Wallace — a veteran magazine writer himself — was far more experienced with the interviewing process. It’s easy to see how acutely aware the author was of how everything he said could be (mis)interpreted, parsed, repackaged, etc. etc. He was a wordsmith after all.
Like the presence of a camera, a running tape recorder alters reality. In that sense, the two were performing for each other, the director thinks, but also feels Wallace was “trying to reveal himself,” while trying to come to grips with his sudden celebrity. “He was an inherently guarded person, probably self-editing the way writers and thoughtful neurotic people do,” says Ponsoldt.
“End of the Tour,” which received positive reviews when screened at the Sundance Film Festival, has drawn objections from some camps, notably from the David Foster Wallace Literary Trust, his widow and some of his editors, none of whom took part in the making of the film.
The reasons are complicated. For some it comes down to saying Wallace would not want to be portrayed on screen. There are others who are proprietary about the author’s legacy and writings, even those who are just fans and never knew him and have no stake in his estate.
“I understand that a lot of people care deeply about David,” says Ponsoldt. “We didn’t go into it naïvely. We didn’t make this movie for mercenary purposes, and it certainly wasn’t money. We love David Foster Wallace. Our hope is that more people read him.”
Some people might be uncomfortable since the author died in a shocking way, though literary suicides are hardly unique.
“End of the Tour” finds Wallace at, perhaps, the height of his powers, with his death a distant shadow. In Lipsky’s book, which is mostly the transcriptions of the five-days of interviews, Wallace says, “I don’t think writers are any smarter than other people. I think they more compelling in their stupidity, or in their confusion.” And then immediately admits, “I’m structuring that into a sound bite.”
That might be construed as the author having an uncomfortable, complicated relationship with his fame and image.
“The only hope you have as a public figure is the people making a story about you have some reverence for you, which in our case would be true,” says Eisenberg.
As a celebr
The End of the Tourのロサンゼルス・プレミアが月曜日、ビバリーヒルズのWGAシアターで開催され、ジェイソン・シーゲルとジェシー・アイゼンバーグは、デイヴィッド・フォスター・ウォレスを描いた映画での役柄について語り合った。
この映画はウォレスの生涯全体を描こうとするものではなく、ジャーナリストのデイヴィッド・リプスキーによる高く評価された回想録『Although of Course You End Up Becoming Yourself』を原作としている。この本は、2人の作家の間で交わされた5日間のインタビューを記録したものだ。
ウォレス役を演じることについて、シーゲルは、自身がこれまで演じてきた多くの役柄よりも真面目な人物ではあるものの、この役は現在の自分の人生の段階を表していると語った。
「僕はある年齢に達して、20代の頃とは違うことを考えるようになったんだと思います。自分のキャリアで最もうまくいったものを振り返ると、その時の自分がどこにいるのかを正直に表現した作品だったんです。
たとえば『寝取られ男のラブ♂バカンス(Forgetting Sarah Marshall)』のことを考えると、あれは当時の自分自身を表していました。そして今、30代になって、僕はまた違うことを考えている。そういう領域を探求することが好きなんです」
と彼は話した。
一方、Jesse Eisenbergは、映画撮影開始前夜に初めてシーゲルと会ったことについて語った。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』のコミコン出演を終えたばかりだったアイゼンバーグは、2人のキャラクターの関係性を考えると、それはむしろ利点だったと述べた。
「僕たちが10年来の関係にある状態で出会うわけではなかったので、むしろそれは助けになりました」
と彼は言う。
「僕たちは、登場人物たちがそうするように、お互いを探りながら関係を築いていくことができたんです。登場人物たちと同じように、最初は慎重に、次第に競争的になり、そこから攻撃的になり、最終的には確固たる関係へと発展していった」
監督のジェームズ・ポンソルトは、2人の俳優がこの作品に取り組む前には互いにあまり面識がなかったことに驚いたと明かした。
「彼らが出演した作品はほとんど全部観ています。それなのに、この2人がこれまで共演したこともなく、この映画以前には会ったこともなかったと知って驚きました」
と監督は語った。
プレミアと、ホテルのシックスティ・ビバリーヒルズ屋上で行われたアフターパーティーには、マミー・ガマーやミッキー・サムナーも出席した。
この映画は2人の作家についての物語であるため、最も重要な要素のひとつは、おそらく脚本である。脚本を手がけたのは、ドナルド・マーグリーズで、リプスキーの回想録を映画用に脚色した。
マーグリーズはウォレスについて映画を作ることができたことを光栄に思うと語った。しかし、ウォレス本人の小説作品を映画化する可能性について問われると、答えは明確な「ノー」だった。
「私はやらないですね」
と彼は言った。
「私にとって、この映画はその代わりとなる、とても素晴らしい機会でした。彼のフィクション作品は、映画化することが不可能と言っていいほど、あるいは少なくとも非常に困難なものだと思います。
でも、この映画がやっていることは、彼という人物の思考、世界観、ユーモア、知性を捉えることなんです」
と説明した。
デイヴィッド・フォスター・ウォレス、「ジョナサン・フランゼンへの病的なまでに焼けつく嫉妬」を語る
私たちはすでに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスと彼の著名な友人たち――メアリー・カー、ジェフリー・ユージェニデス、ジョナサン・フランゼン、マーク・レイナー――との複雑な友情について知っている。
しかし、D・T・マックスの伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』からのこの抜粋では、激しい自己不信と強烈な嫉妬に苦しむウォレスの姿が垣間見える。
いま私たちが彼について知っていることを思えば、それは非常に興味深く、そして胸が締めつけられるほど痛ましい。
フランゼンとの約束をすっぽかしたあと、ウォレスは手紙で自分の行動をこう説明している。
「今の僕は、哀れでひどく混乱した若者だ。28歳にして落ちこぼれの作家であり、君やヴォルマンやマーク・レイナー、いやデイヴィッド・クソ野郎・リーヴィットですら、今まさに自分で納得できるページを書いている若い男なら誰に対しても、病的なくらい焼けつくような嫉妬を感じている……。そのあまり、この惨めな問題全体について言えば、自殺は少なくとも理にかなった選択肢だと思っている――今この時点では、まだ望ましいとまでは言わないにせよ。」
『Infinite Jest』執筆直前というまさに瀬戸際で、ウォレスが自分の「失敗」をこれほどまで激しく感じていたことには驚かされる。
しかも結果として彼は、おそらく彼らの中で最も偉大な作家であり、少なくとも最も伝説的な存在となったのだから。
実際、私たちが知る限りでは、むしろフランゼンのほうがウォレスに嫉妬していてもおかしくないくらいだ。
この抜粋の続きは The Daily Beast で読むことができる。
Read David Foster Wallace on How ‘Sickly Searingly’ Jealous He Was of Jonathan Franzen
Aug. 22, 2012
We already know about the complicated friendships between David Foster Wallace and his famous friends — Mary Karr, Jeffrey Eugenides, Jonathan Franzen, Mark Leyner — but in this excerpt from D.T. Max’s forthcoming biography Every Love Story Is a Ghost Story: A Life of David Foster Wallace , we get a glimpse into a Wallace wracked by self-doubt and intense jealousy, which, considering what we know about him now, is completely fascinating and desperately sad. Writing to Franzen after blowing him off, Wallace explained his behavior:
“Right now I am a pathetic and very confused young man, a failed writer at 28, who is so jealous, so sickly searingly envious of you and Vollmann and Mark Leyner and even David F–kwad Leavitt and any young man who is right now producing pages with which he can live … that I consider suicide a reasonable — if not at this point a desirable — option with respect to the whole wretched problem.”
It’s amazing to us to see how intensely Wallace felt about his own failure — this written on the veritable brink of Infinite Jest — when he would turn out to be arguably the greatest and definitely the most legendary of the bunch. After all, from what we’ve seen, Franzen should be jealous of him. Read more from the excerpt at The Daily Beast.
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
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もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
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しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
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『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
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そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
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一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
二人の作家が互いに語り合い、時には相手に向かって話し続けるだけの、派手な出来事のない状況に、いったいどこにドラマがあり、そして笑いがあるというのか。
その鮮烈な答えを知りたければ、『The End of the Tour』を観るといい。
この映画は、ローリング・ストーン誌のライター、デイヴィッド・リプスキーによる2010年の著書『Although of Course You End Up Becoming Yourself』を原作としている。
1996年の5日間にわたり、リプスキー(ジェシー・アイゼンバーグ)は、高く評価された小説家・エッセイストであるデイヴィッド・フォスター・ウォレス(ジェイソン・シーゲル。これまで見たことのない彼の姿だ)にインタビューを行った。
それはウォレスが大作『Infinite Jest』の宣伝ツアーを終える時期だった。
うつ病に苦しんでいたウォレスが2008年に首を吊って自死した後になって初めて、リプスキーはこの時の資料を記事としてまとめた。その記事はナショナル・マガジン賞を受賞し、後の著書の基盤となった。
それは私たちの考えをかき乱し、もしかすると彼という人物をより深く理解する助けにもなっている。
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映画の中では、何も起こらない。そして同時に、すべてが起こっている。
『The Spectacular Now』のジェームズ・ポンソルト監督は、劇作家ドナルド・マーグリーズによる流れるような脚本をもとに、本の精神を損なうことなく映画として成立させている。
これは伝記映画ではない。
物語の舞台は、バンダナを巻いたウォレスが成功の絶頂にあり、その状況と、自分なりの不器用で人間的な方法で向き合おうとしていた時期だ。
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アイゼンバーグ演じるリプスキーが、魅惑的な知性と隠された微笑みをたたえながら、雪に閉ざされたイリノイ州ブルーミントンにあるウォレスの独身者らしい住まいへ到着した瞬間から、そこには人を引き込む心理戦の舞台が整う。
リプスキーが追及すればするほど――彼の編集者(ロン・リビングストン)は、ウォレスがヘロインを使用しているという噂について詳しく聞きたがっている――ウォレスはますます警戒心を強めていく。
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そこで私たちは、リプスキーとウォレスが車、バス、飛行機で移動しながら、お互いの本質を探り、相手の核心に触れようとし、関係を築こうとする姿を見る。
ミネアポリスでは、二人はジャンクフードを食べながら、ポップカルチャーについて議論する。
その後、ウォレスの友人ジュリー(マミー・ガマー)と、大学時代の元恋人ベッツィ(ミッキー・サムナー)との夕食の席で、控えめな作家であるウォレスは、リプスキーが無神経に浮気めいた態度を取っていると非難する。
その言葉は鋭く突き刺さる。
キャリア最高の演技を見せるシーゲルは、ウォレスの内面にある葛藤を力強く表現している。
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これは芸術と人生についての、洞察に満ちた考察であり、その激しさと感情によって観客を強く打つ。
単なる会話の記録になり得たものが、驚くほど生々しい即時性を持つ動的な映画へと変わっている。
リプスキーはこう書いている。
「本は社会的な代替物である。あなたが、ある意味では一緒に時間を過ごしたいと思うような人々を読むのだ」
『The End of the Tour』は、決して完全には警戒を解こうとしない二人の異なる作家と、一緒に時間を過ごさせてくれる。
その瞬間を、私たちは目の前で見る。
二人の並外れた俳優によってさらに高められたこの作品は、観客に与えられる刺激的な贈り物なのだ。
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それは、彼の言葉が自由奔放な芸術性をもって成し遂げていることを凝縮した行為だ。
踊っている。
(※原文末尾の「dancing」は、ウォレスの文章のリズムや身体性、そして彼自身の不器用ながら自由な表現行為を象徴する比喩として使われています。)