はてなキーワード: 祖母とは
「ウェディングドレス姿綺麗だろうな」とか「〇〇ちゃんが結婚する時がおばあちゃんの人生で一番幸せな瞬間だと思う」とか「〇〇ちゃんはきっとお医者さんとか弁護士さんみたいな立派な旦那さんと結婚して幸せになれるよ」とか、孫の結婚に執着するの本当にやめてほしい。自分が幸せになるために孫を利用しないでくれ。
こういうことを言われるたびに、「いつ結婚するかなんてわからないし相手もいない。おばあちゃんが結婚=幸せという価値観を持っているのは時代的に仕方がないし、それはそれで尊重するけど、それをこちらに押し付けないでくれ」などと言い返してはいるが、その場では反省して謝ってくれるものの、結婚式場のそばを通ったり誰かの結婚の知らせを聞いたりするたびにまた同じことを言ってくるから辟易する。
勝手にお見合いセッティングするくらい振り切れていれば思いっきり反抗しても罪悪感がないのだろうが、表向き孫の幸せを願う健気な祖母かのようにあくまで願望や期待に留めてくるからまた腹が立つ。
自分の人生に口出しされるのが嫌だから反発してるのに、結婚というワードにこんなに拒否反応示すなんてこの子は同性愛者なのかしら、みたいな反応を母親が示してくるのも腹が立つ。同性愛者というわけじゃないから、と改めて表明するのも差別的で嫌だし、そもそも親と恋愛の話なんてしたくないから何も言わないけど、娘であろうと他人のセクシュアリティを勝手に想像して「理解」しようとしてくるのが嫌すぎる。
祖母に悪気がないのはわかっているが、結婚への期待をかけられるたびに、結婚してないあなたはおばあちゃん孝行できてないよ、早く結婚して家庭に入って夕食を作って旦那様を待つような生活をしないとね、そうしない限りあなたは幸せじゃないんだよと言われたような気持ちになる。今の私は十分幸せなんだから、その状態を認めてくれよ。そもそもまだ学生でこれから独り立ちしようと頑張ってる所なのに、なんで医者の妻とかいう付属品みたいな役割を割り当てようとしてくるんだよ。
ワイの祖父母の墓をよく見たら「俗名 ○○(祖母の名前)」って書いてあって、(ヒェー、ワイの祖母在日外国人だったんかい)と思ったけど
仏教の墓は戒名ではない生前名乗ってた名前を俗名と呼ぶらしく、ワイがかけた冤罪だった
祖父が死んだ後、バブルで持ってた土地を高値で売って残った家族はとても潤ってたらしい
在日外国人でも日本の土地買えたんかな?祖母は普通に日本人だから祖母名義で買ってた可能性はあるけど…
なお、伯父が浪費したために孫のワイにまで回ってこなかった模様…
ジェシー・アイゼンバーグが『The End of the Tour』の脚本を読んだのは、あるインタビューを受けた直後だった。
そのインタビューについて彼は、
「自分について好意的なことを書くつもりはないし、自分が望むような人物像として描かれることもないだろうと分かっていた」
と語っている。
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この映画は、ジェームズ・ポンソルト監督(『The Spectacular Now』)による作品で、ジャーナリストのデイヴィッド・リプスキーが書いた本を原作としている。
その本は、1996年、『Infinite Jest』という壮大なコメディ小説のプロモーション中だったデイヴィッド・フォスター・ウォレスと、リプスキーが過ごした5日間を記録したものだ。
彼自身も小説家だったが、成功は限定的で、『Rolling Stone』誌で働いていた。
彼は編集者を説得し、インディアナ州へウォレス(演:ジェイソン・シーゲル)のインタビューに行かせてもらう。
『Infinite Jest』の出版によって、当時34歳だったウォレスは文学界の有名人となった。
主要メディアは彼を「自分たちの世代の声」「天才」として絶賛した。
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ピューリッツァー賞受賞劇作家ドナルド・マーグリーズによる『End of the Tour』の脚本を読んだアイゼンバーグは、
「この男を演じるのは面白いと思った。単なる無害なインタビュアーではなく、誰かを暴こうとしてそこへ向かっている人物だから」
と感じたという。
文学者同士の長い会話など、素晴らしい映画になる題材には思えないかもしれない。
しかし『End of the Tour』は、ユーモアと哀しみを交えながら展開する、二人の間の魅力的な心理戦になる。
一種のロードムービーでもあるこの作品は、ポップタルトやジャンクフードを分け合うような馬鹿げた日常的な場面と、暗く告白的な瞬間を並置している。
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アイゼンバーグは、ウォレスについて人々が知っていることは、おそらく二つだけだと言う。
一つは、彼が1079ページにも及ぶ巨大な本を書いたこと。
写真では、しばしば祖母のような丸眼鏡をかけ、長い髪をバンダナでまとめている姿が写っている。
描写に満ち、魅惑的で、予想外の方向へ進む。
良くも悪くも、唯一無二の声だった。
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主にコメディ俳優として知られていたシーゲルをウォレス役に選んだことには、インターネット上で反発もあった。
ポンソルト監督は、シーゲルを一つのジャンルだけに閉じ込めることは馬鹿げていると言う。
ロビン・ウィリアムズやトム・ハンクスのようなコメディ出身者が、偉大なシリアス俳優になった例を挙げながら。
またポンソルトは、もう一人の主演俳優であるアイゼンバーグについても高く評価している。
彼をダスティン・ホフマンやジーン・ハックマンになぞらえ、
だと語る。
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早口で話し(ニューヨーク出身らしい特徴だ)、機転の利いた冗談をすぐ返すアイゼンバーグ(31歳)は、シーゲルとの関係について、
「映画の中の二人の人物の関係はしばしば対立的だけれど、僕たち自身はとても良い仲間意識があった」
と話す。
劇作家でもあり短編作家でもある彼は、マーグリーズの脚本を読むことを楽しみにしていた。
「登場人物たちが、本当に感情的に複雑な人生を持っていると分かっていた。台詞も良い。場面が3行程度で終わるようなものではない。こんな作品に関われる機会って、どれくらいあると思う?」
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アイゼンバーグの次の仕事は、8月にカリフォルニアで撮影開始予定のウディ・アレン作品。
その後には、自身初の短編集『Bream Gives Me Hiccups』の出版ツアーが控えている。
さらに、この年には『American Ultra』『Louder Than Bombs』の2作品が公開予定で、翌年には『Batman v Superman: Dawn of Justice』で悪役レックス・ルーサーを演じる。
「バットマン映画で僕が演じる場面は、本当に面白くて魅力的なんです」
と語る。
彼は、『End of the Tour』のような小規模作品と、大作映画の両方で仕事をすることに価値を見出している。
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「俳優との仕事の仕方を深く理解している、珍しいタイプの監督」
だと評価する。
また、最初はそれほどドラマチックではないと思った場面を、ポンソルトがより劇的なものに変えていくことに感銘を受けたという。
「一見すると何気ない会話の中に、生死をかけたような緊張感が生まれるんです。」
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結局、リプスキーは『Rolling Stone』の記事を書く必要がなくなった。
『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』のあとがきで、彼はウォレスと過ごした時間の中で、自分自身が抱えていた不安や劣等感を認めている。
興味深いことに、雑誌ライターとして経験豊富だったウォレスの方が、インタビューという行為についてはリプスキーよりはるかによく理解していた。
自分の発言がどのように誤解され、切り取られ、分析され、再構成される可能性があるか。
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カメラの存在と同じように、回り続ける録音機は現実そのものを変えてしまう。
その意味で、二人は互いのために演じていたのだとポンソルト監督は考えている。
しかし同時に、ウォレスは「自分自身を明らかにしようとしていた」とも感じている。
「彼は本質的に警戒心の強い人でした。おそらく作家や、思慮深く神経症的な人間がするように、常に自分自身を編集していたんだと思います」
とポンソルトは語る。
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『End of the Tour』はサンダンス映画祭で上映された際、好意的な評価を受けた。
特に、デイヴィッド・フォスター・ウォレス文学トラスト、彼の未亡人、そして何人かの編集者からである。
理由は複雑だ。
「ウォレスはスクリーン上で自分を描かれることを望まなかっただろう」
ということだった。
また、作家の遺産や作品を自分たちのもののように守ろうとする人々もいる。
ウォレスを直接知らず、遺産にも関係がない、ただのファンでさえそうすることがある。
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ポンソルトは言う。
「多くの人がデイヴィッドを深く大切に思っていることは理解しています。私たちは何も知らずに作ったわけではありません。この映画を金儲けのために作ったわけではない。もちろんお金のためでもない。私たちはデイヴィッド・フォスター・ウォレスを愛しています。願いは、より多くの人が彼の作品を読むことです。」
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作家が衝撃的な死を遂げたことを考えると、不快感を覚える人がいるのも理解できる。
しかし、文学者の自殺というものは決してウォレスだけの特殊な例ではない。
『End of the Tour』は、ウォレスが、おそらく最も力を発揮していた時期を描いている。
彼の死は遠い影として存在しているだけだ。
リプスキーの本は、5日間のインタビュー記録がほぼそのまま収録されている。
その中でウォレスはこう語る。
「作家は他の人より頭がいいわけじゃないと思う。ただ、彼らは自分の愚かさや混乱の中に、より説得力を持ってしまうんだと思う。」
そしてすぐにこう付け加える。
「でも今の言い方も、結局は音のいい言葉になるように僕が構成しているんだけどね。」
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これは、ウォレスが自分の名声や、自分が作られるイメージとの間に、どれほど居心地の悪く複雑な関係を持っていたかを示しているとも言える。
「公の人物としてできる唯一の望みは、自分について物語を作る人たちが、自分に対してある種の敬意を持っていることです。そして、この場合、それは確かにそうだったと思います。」
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有名人として、アイゼンバーグ自身も、自分について何が書かれるかを完全にはコントロールできないことを知っている。
実際、彼は以前、自分が不快に感じた記事を書いたインタビュアーに電話をした。
その記者は、その記事には皮肉なトーンがあったことを認めたという。
「自分がそこまで注目されるほどの価値があるとは思えなかったんです。それに、僕は特別に物議を醸すようなことをしていたわけでもありませんでした。」
Jesse Eisenberg read the script for “End of the Tour” shortly after doing an interview “that I knew was not going to say nice things about me or characterize me in a way that I would want to be characterized.”
The film, from director James Ponsoldt (“The Spectacular Now”), is an adaptation of journalist David Lipsky’s book that recounts five days in 1996 with David Foster Wallace during the promotion of the author’s epic comic novel “Infinite Jest.”
Eisenberg plays the then-30-year-old Lipsky, a novelist himself with modest but limited success, who was working at Rolling Stone. He persuades his editor to send him to interview Wallace (Jason Segel) in Indiana, where the novelist taught at a small college. The publication of “Infinite Jest” made Wallace, then 34, a literary celebrity, with major publications lauding him as the voice of his generation and a genius.
After reading the script for “End of the Tour” by Pulitzer Prize-winning playwright Donald Margulies, Eisenberg “thought it would be interesting to play this guy who was not this innocuous interviewer but is kind of going there to expose somebody.”
While a prolonged conversation between a couple of literary guys doesn’t sound like the stuff of great cinema, “End of the Tour” becomes a fascinating fencing match between the two, punctuated by humor and pathos. A quasi-road-trip movie, it juxtaposes silly and mundane concerns — they share Pop Tarts and junk food — with dark and confessional moments.
If people know anything about Wallace, it’s that he wrote a big book — 1,079-pages — and hanged himself in 2008 at 46, observes Eisenberg. The author was an eccentric figure. His photos often show him wearing granny glasses, his long hair wrapped in a bandana. His writing was electric, trippy, with descriptive passages, seductive and unexpected, for better or worse a singular voice.
The choice of Segel, mostly known for comedies, to play Wallace engendered some protests on the Internet, but the actor proves riveting in his portrayal. Ponsoldt thinks it is ridiculous to box Segel into one category, pointing out that comic talents like Robin Williams and Tom Hanks proved to be great dramatic actors.
Ponsoldt also has high praise for his other star, Eisenberg, comparing him to Dustin Hoffman and Gene Hackman, “guys you wouldn’t think could become leading men.”
A fast talker (a New York City native) and ready with a quip, Eisenberg, 31, says he and Segel had “a nice camaraderie even though the relationship of the characters in the movie is often contentious.”
A playwright and short story writer himself, the actor was excited to see the script from Margulies.
“I knew the characters would have a real emotionally complicated life, that there would be good dialogue, that the scenes were more than three lines long. How often do you get that chance to do something like that?”
Next up for Eisenberg is a Woody Allen film slated to begin shooting in California in August, and then a book tour for his first collection of short stories, “Bream Gives Me Hiccups.” He’s got two more movies coming out this year — “American Ultra” and “Louder Than Bombs” — and next year will be seen as the arch-villain Lex Luthur in “Batman v. Superman: Dawn of Justice.”
“The scenes I have in the Batman movie are so interesting and compelling,” says Eisenberg, who finds positives in working in both big films and smaller ones like “End of the Tour.”
The actor credits Ponsoldt as “an unusual director with keen insight into how to work with actors.” Eisenberg adds he was impressed with how Ponsoldt could make scenes more dramatic than he thought at first. “There becomes these life-or-death stakes in what is seemingly casual interaction.”
Lipsky, as it turned out, never had to write the Rolling Stone article. He published his interviews in book form after the author’s death. In his afterward to “Although of Course You End Up Becoming Yourself,” he acknowledges his own insecurities during their time together.
Interestingly, Wallace — a veteran magazine writer himself — was far more experienced with the interviewing process. It’s easy to see how acutely aware the author was of how everything he said could be (mis)interpreted, parsed, repackaged, etc. etc. He was a wordsmith after all.
Like the presence of a camera, a running tape recorder alters reality. In that sense, the two were performing for each other, the director thinks, but also feels Wallace was “trying to reveal himself,” while trying to come to grips with his sudden celebrity. “He was an inherently guarded person, probably self-editing the way writers and thoughtful neurotic people do,” says Ponsoldt.
“End of the Tour,” which received positive reviews when screened at the Sundance Film Festival, has drawn objections from some camps, notably from the David Foster Wallace Literary Trust, his widow and some of his editors, none of whom took part in the making of the film.
The reasons are complicated. For some it comes down to saying Wallace would not want to be portrayed on screen. There are others who are proprietary about the author’s legacy and writings, even those who are just fans and never knew him and have no stake in his estate.
“I understand that a lot of people care deeply about David,” says Ponsoldt. “We didn’t go into it naïvely. We didn’t make this movie for mercenary purposes, and it certainly wasn’t money. We love David Foster Wallace. Our hope is that more people read him.”
Some people might be uncomfortable since the author died in a shocking way, though literary suicides are hardly unique.
“End of the Tour” finds Wallace at, perhaps, the height of his powers, with his death a distant shadow. In Lipsky’s book, which is mostly the transcriptions of the five-days of interviews, Wallace says, “I don’t think writers are any smarter than other people. I think they more compelling in their stupidity, or in their confusion.” And then immediately admits, “I’m structuring that into a sound bite.”
That might be construed as the author having an uncomfortable, complicated relationship with his fame and image.
“The only hope you have as a public figure is the people making a story about you have some reverence for you, which in our case would be true,” says Eisenberg.
As a celebr
今までの人生を振り返ってみて、自分に優しく接してくれた女性って、考えてみたら父方のお祖母ちゃんくらいしかいない。
なのに、親の離婚のせいで、最期に死に目に会うことすらできなかった。それだけは今でも本当に残念だし、やりきれない気持ちが残ってる。
逆に、母方のお祖母ちゃんはあからさまにきょうだい贔屓をする人で、子供ながらに正直ウザかった。
でも、不器用ながらもご飯を作ってくれた恩があるから、どうしても憎みきれないところもある。
その母方の実家も、結局は本家と疎遠になった。だからお祖母ちゃんが亡くなった時も、葬式にすら出られなかった。
でもまあ、ぶっちゃけ今さら親戚の顔なんて見たくもないし、会いたくもない。
葬式に出なくて済んだのは、それはそれで結果オーライだったのかもしれないな、とも思う。
アラサーを迎え、自分の人生を振り返った時にいろいろと思うことがあり、
回転がゆっくりな頭ではオーバーフローしてしまって一度文章として吐き出したくなったので書き込みます。
普段は自分の思っていることを吐き出すことが少なく、長文も書くことがないので日本語を誤用したり間違っていたりしているかも。
主観で書いたので多分150%増しに被害者面してます。ごめんなさい。
さて、私は生物学上の父が嫌いです。
私が学生の時に、父は自らのルーズさ故に多額の借金をし、会社にも離縁(訴)状を叩きつけられクビになりました。
父はまた家族が暮らせるような環境が整ったら迎えに来るといって母と離婚しました。
専業主婦だった母は一人で育てられる経済力なんてもちろんなく、母子ともども母方の祖父母の元に身を寄せました。
祖父母のおうちは太くもないですが細くもなく、ありがたいことに余裕はないだろうに金銭面も生活面も嫌な顔をせず支援してくれました。
また、母の兄弟も私たちを邪険にすることなく、外に連れ出してくれて時にはお小遣いもくれました。
そうした人たちのおかげで義務教育だけでなく高等教育まで修了することができました。
周りの支援してくれた方々には足を向けて寝ることはできません。一生の御恩として今でも感謝しています。
一方で、そうしたご厚意で、温情で、あるいは不憫な親戚の子供として気にかけてくれる度に
普通の家庭とは異なる、そうした支援がないと自分たちが生活できないことにピリピリとした息苦しさ感じていました。
(支援してもらっていたのだから、学校でも家でも迷惑をかけてはならない。大学も学費を払ってもらった以上しっかり学費分以上に勉強しなければと身を引き締めることを考えて生活していました)
今となっては、恵まれた環境で育っているのだからそんなことを思うことすら贅沢というか烏滸がましいと思いますが、
両親に対してなぜ子供を作ったのか、こんな惨めな思いまでして生きていかなければならないのかと考えていた時期もありました。
父がいずれ迎えに来る、そう思って母も弟も私も(そして迷惑を被っていた祖父母も)頑張って毎日生きてました。
時折父から母のもとに「今こういう状況で頑張っています」というメールが届いていたものの、
その報告メールのスパンは空いて、数年後「迎えに行けません、ごめんなさい」という趣旨のメッセージが届きました。
経緯や説明もなし。
専業主婦で自分で稼ぐ術を持たぬ母を丸腰で放り出して、挙句の果てに子供まで見捨てるのか。
父方の親戚から「お年玉、お父さんに渡しておいたから受け取ってね」と連絡がなければ、お年玉を準備してくれていたことすら知らなかった。
社会人としては尊敬できなくとも、肉親としての父親は優しく信頼できる存在だった父を頭の中で埋葬しました。
今となってはどのような経緯でどういった背景があって、その決断に至ったのかを知ることはできませんが(というより別に興味もありませんが)
犯罪や不貞を犯して親子関係を抹消した方がまだましだと思えるくらい、最悪でした。
かくして、生物学上の父親から我々は離縁され今に至るわけですが、当然その予後は良いわけがなく。
父が迎えに来ることを心の支えにしていた母は、心身を壊し、手帳保持者になりました。
あんなに明るく面白かった母が、げっそりし、表情が抜け、時折包丁を振り回し自殺をほのめかすような廃人になる姿は二度と見たくありません。
症状が落ち着かない母に対してどのように接していいかわからず、腫れ物のように扱うのを見て悲しくなりました。
いつよくなるのかわからない状況で焦りが見えはじめ、穏やかな祖父母ですら声を荒げたり、血縁である祖母と母の関係性が悪くなるのを目にして、
もはや肉親ですら分かり合えることはないのだと子供ながらに理解しました。
(今となっては、あの母の様子を見てどのように接していいのかわからないというのも理解できますし、
そんな私たちを切り捨てなかった祖父母・親戚には、重ねてにはなりますが本当に感謝しています)
周りからも必ず言われる言葉「お母さんと弟を頼んだよ」は、長女として誇らしく、母を支えねばと思いながらも、私を縛る楔にもなりました。
じゃあ私自身は誰が支えてくれるの、助けてくれるの、と。
(ちょうどその時期に「Nのために」というドラマが放映されており、クソ親父を持つ主人公家族と自分たちが重なったのがとても印象に残っています。)
金銭的には助けてくれても、その環境からは誰も助けてはくれないことを悟り本当に苦しかった。
みんながお小遣いをもらい、家庭の心配などせずに勉強して、遊んで、安心してお家に帰れる環境がうらやましかった。
祖母と母の言い争いに仲介しなきゃとかベッドに潜る母の様子を見なきゃと思うと、毎日帰り道の足が重かった。
でも、それが私の家族だから。面倒を見てもらっているからと毎日必死でした。
(そんな中で希望となったのは、アイドルやアニメ・ゲームでした。
友達とジャニーズについて話したり、頑張ってバイトしてためたお金でライブに行ったり、ゲームを遊んだり、今でいう「推し活」が心の支えでした。
これらがなければ、今の私はいませんでした。本当にありがとうございました。)
この状況を作った父が憎らしく、またこの状況を全く知らない、その後の私たちの状況を知ろうともしない父に怒りが沸きました。
人を壊しておいて、人の人生をめちゃくちゃにしておいて、のうのうと、平然と、生きている父が許せませんでした。別に父も許しを乞うているわけではないでしょうが。
「1歩進んでは2歩下がる」ような感じで過ごしつつも、生きながらえて大学卒業までできました。
就職は実家から離れた場所を選びました。一人暮らしがしたかったから。一人部屋で誰もいないところで過ごしたかった。
家族が、特に母と弟が心配ではありましたが変化も必要と押し切りました。
物件を借りる際に、割引キャンペーンを適用するには両親どちらかを保証人にすべきという条件がありました。
叔父・叔母、祖父母ではダメかと尋ねたもののNG回答で、祖母が涙ながらに「保証人になれなくてごめんね」と言わせてしまったことは一生心のシコリとなっています。
無職・手帳持ちの母では当然審査落ち、一番頼りたくない父に頼らざるを得ず、悔し涙を流しながら保証人になって下さいとメールしたこともシコリになっています。
連絡が取れたこと、拒否されなかっただけまだ父にも良心があったのだと思いますが、今後もこんなふうに血縁関係の縁は決して切れないのだと思った出来事で私の中ではショックを受けた出来事の一つです。
(今となっては、保証人いらずの物件を借りればいいだけではあるのですが、社会に出る前のヒヨコには無情に思えた出来事でした)
あの時は複雑だっただろうに、快く送り出してくれた祖父母と母・弟に感謝しています。
そのあとは、「時間が傷を癒す」とも言いますが、いい風回しとなり、母も私も弟も落ち着くべきところに落ち着きました。
(母と弟の間では色々あったとは思いますが、その苦労は私には見せないでくれています)
そんな環境で育ち、誰よりも感情や誰かの視線に敏感になったであろう弟は、ひねくれもせず(というかひねくれることすらできなかったかもしれませんが)心優しい人になりました。
周りの支援あってか社交性もあって私よりも社会になじめている気がします。どうか彼女と幸せになってほしい。
もともと男勝りな私ではありますが、これらの出来事も相まって、結婚や子育てはものすごく遠くのものとなってしまいました。
誰かと恋する、誰かを愛する、慈しむ、そういう感情がごっそり抜け落ちてしまったように思います。経験もない喪女です。
また、父の面影を発見してしまうことが嫌で、鏡を見ること、写真を撮られることも好きにはなれません。血は化粧でごまかせないので化粧も嫌いです。
自分の中に父親に似たルーズさ、だらしなさを自覚するたびに自分が嫌いになります。
父の存在が私の中で消えている今、自分自身が一番嫌いまであります。自分のことをどうやって好きになればいいのかわからない。
母には申し訳ないですが、父のDNAが残る子供も作りたくはありません。子供は大好きだけど。
自分の手で父のNDAを引く子供を育てられる気もしません。(そもそも相手がいないという話はおいておいて)
憎らしい恨めしいと思う気持ちも0ではないけれど、もはや何も感じません。勝手にすればいいんじゃない。
むしろ、老後の面倒はその人に見てもらえることに安堵してます。
ただ、私はこどおばで誰かに色恋のベクトルを向けられないのに、還暦間近のジジイが元気なのは少しイラっとしてます。純粋に羨ましい。
アラサーで周囲がどんどんステージアップしていくなか、こどもおばさんのまま取り残されていて焦りを感じてらしくもないことをしてしまいました。
ずっと抱えてきたネガティブな感情を少しでもポジティブに変えたくて書いてみたけど、やっぱり難しいですね。
割り切れもせず、このままかもしれないけど、やっぱり未来は明るいことを期待して締めくくります。
こんな誰かの不幸が誰かの蜜なっていれば幸いです。
私はタイトルの通り今年(2026年)、37になるほぼ天蓋孤独のオッサンである。
15年寄り添ってくれた愛猫も虹の橋を渡ってしまい、いよいよ生きる意味を失いかけている。
また、愛猫の死を機に、改めて自分の人生の不幸と不運と理不尽さに嫌気がさしている。
私が27歳から10年の間に経験、現在進行形で直面している不幸は次の通りだ。
0.毒親育ち
この記事は主に上記の通りに進む、まあ見出しのようなものだと思って欲しい。
こんな私の人生でも、近しい境遇の方にとっては、何かの役に立つかもしれない。
ここで敢えて明かしておくが、私は五体満足で発達障害や現在進行形で精神病の類にはなっていない。
そんな風に言われるが、それは当の本人にはなんの慰めにもならない。
昔の価値観を押し付けて「働けばなんとかなる」という人もいるが、救いのない不幸の連続の中にスッポリと収まってしまった私は、まさしく詰んでいる。
それに不幸から抜け出し、幸福を目指すには、「また人生をやり直す」と奮起しようとするには、若さとエネルギーが圧倒的に足りない。
人生をやり直そうと努力しても、その上に覆い被さるように不幸が重なると、2度目、3度目のやり直しは非常に重たいものになる。
それではまず、なぜ「ほぼ天蓋孤独」なのかについて語ろうと思う。
私の母は自慢ではないが毒親だ。
後述する祖父母との関係は最悪で、孫の私が祖父母の介護と葬式、家と墓の処分費用を負担しなければならなくなったのは、主にこの母親のせいである。
幸いなことに彼女は看護師資格があったため、60を過ぎた今でも働けているが、若い頃から現在に至るまで、仕事を転々とし、貧乏暮らしを常としている。
「自分は良い母親だ」と昔から思っおり、幼い頃から私をつねる、叩く、殴るを躾と称して日常的に行なっていたし、ちょっとしたことで怒り、腹を立てると、私を殴打しながら「私の小さい頃はこんなもんじゃ済まなかった!」と自分の暴力を正当化していた。
常に「自分が正しいかという謎の根拠を持っており、こういう性格の母のため、お察しの方も多いだろうが、職場で場孤立するし、まともに相手にはされていない。
それに私も他の人たちと同じく、彼女の相手をしていると宇宙人と話しているような気になってくる。
私のことを未だに「カワイイアカチャン」と無自覚に尊厳を踏み躙ることを平気でするし(私が30を過ぎても同様の発言をするので、流石に閉口してしまった)。
そのくせ、私の名義で借金をし、さらに「あなたは1億円受け取れます」というような詐欺に金を払うために私を騙し、何年も経った今でも悪びれることなく、返済も謝罪もしない彼女を「母親」として愛することは、私には不可能だ。
そういう家庭環境の中で、市営住宅に20年近く住み着き、まともに働いていない彼女が母であることは、私にとって最大の不幸だ。
なぜなら普通の家庭なら受けられるであろう、両親からの次のような支援というものを一切受け取れないし、受け取れなかったからだ。
◯万が一の時に帰れる実家
◯最低限の衣食住
◯何かあった時の資金援助
◯生活を立て直す土台
◯精神的な安定感
無条件で助けてくれると信じられる身内が存在しないという事実は「困った時に誰も助けてくれない」という強迫観念と結びつく。
仮に生活を立て直すために同居しようにしても、過去に滞納歴があり、何かと問題を起こす母親を理由に市から断られる可能性が高い。(望んで一緒に住みたいわけではないが)。
しかも、最近ではYouTubeのお陰で「陰謀論者」にアップデートしているらしく、数年前は「警察が私をマークしている」と統合失調症のようなことまで言い出す始末である。
ここまで来ると自分でも「盛りすぎでしょ?」と思わなくもないのだが、残念ながら事実だ。
毒親という存在は程度の差こそあれ、死ぬまで、いや死んでも子供を蝕み続ける"永続的な毒"なのだ。
こういう親とは疎遠になる、縁を切る、しか逃れる術がない。
だが縁を切ったところで、他のセーフティが生えてくる訳ではないし、血のつながりがある以上、何をどうやっても毒親からの被害をゼロにするのは難しい。
ということで、ある程度の被害を抑えることができるだろう。
ただ一人っ子で、片親・毒親で怠惰で貧乏でバカであり、自分の親ーー祖父母の介護を押し付けられた私のような人間の場合は、別である。
私が27の時に経験した不幸だ。
九州の山間の車がなければ生活ができない、ど田舎に少々ボケた祖父とまだ健康な祖母がいた。
私は母とは高校を卒業してから疎遠になっていたものの、祖父母のことは大切に思っていたので、毎日のように電話をし、長い休みの度に実家に顔を出していた。
2人は母が言うような虐待をするタイプには見えなかったが、若い頃の祖父はイケイケだったらしく、問題児だった母にはキツく当たっていたのは事実らしかった。
当時、私はそれなりにフリーランスとして稼いでおり、同棲して事実婚のような彼女もいて、それなりに順風満帆だった。
そろそろ起業もーーと思っていたある冬の日に、祖母が倒れたという連絡が祖父から入った。
それから祖母の入院の手続きを孫の私が行い、実家に泊まり込んで対処をしていたら、今度は祖父の認知症が悪化。
おいおい勘弁してくれよ、と思った矢先に夜間に出歩き、警察沙汰となって、あっという間に今度は祖父が介護施設に入居。
その頃、祖母も入院しており、なんとか命は助かったものの、認知機能がかなり低下し、退院後は自宅で介護が必要なレベルになってしまった。
さらに、さらに間が悪いことに、祖母がその知らせを受けて、病状が悪化し、当初1ヶ月だった入院が長引き、祖母が退院したのは季節が夏を迎える頃だった。
ちなみにこの間、母親は一切見舞いにも来ていなければ、入院・介護にかかった費用すら一円も払っていない。
田舎だけあって、こういう悪い話は一気に広がる。
母親が実家に寄り付かなかったことも近所の人伝でバレており、「あそこには関わらない方が良い」という認識が生まれたのか、親戚も寄り付かなくなり、私は孤独の中で祖父の病院への面会やその他もろもろの手続き、祖母の自宅での介護とフリーランスの仕事をこなして行った。
祖父は、病院に入院してるとは言え、もう片方の祖母は自宅で介護をしなければならず、かと言って金を稼がないわけにもいかず、フリーランスの仕事も同時並行で進めて行った。
その当時は、5年近く付き合って同棲していた彼女を前の家に残し、介護とフリーランスの仕事に明け暮れていた。
「自分の家の事情だから」と当時の彼女には迷惑をかけてはならないと思い、毎日のように連絡はしても、泣き言は言わないようにしていた。
「無理しないでね」
最初は彼女の方も色々と心配をしてくれて、電話で気遣ってくれた。
流石に寂しくなったのか、私がいないことに対して文句を言うようになってきたのだ。
「今度はいつ帰ってくるの?」
「私のこと、どう思ってるの?」
祖父母の介護に追われていなければ私だって車を走らせ、彼女に会いに行き「心配かけてごめん!」と抱きしめて、なんとか凌いでいただろう。
次第にお互いの気持ちはすれ違い、私はますます疲弊して行った。
若い頃は筋肉隆々としていて、モテていた祖父だったが棺の中の彼は、ほっそりとした顔つきになっており、胡乱気な顔つきで死んでいた。
私は祖父の死を祖母に伝え、母と彼女に伝えてから、1人で葬式の準備を行なった。
葬式は家族葬ということもあり、祖母と私と地元の親戚のみで、葬儀を執り行った。
祖父はあっけなく骨になって骨壷に収まるサイズまで小さくなってしまった。
「ああ、これでやっと終わりか」と祖父が死んでホッとした自分がいたが、うかうかもできなかった。
昼食べたことも忘れ、冷蔵庫の中のものを食い荒らし、誰彼構わず電話をするようになったのだ。
最初のうちはなんとか対処していた私だったが、流石に耐えられなくなり、地域の福祉課に相談。
地域の民生委員の診断の結果、祖母は要支援1であることが判明。
渡りに船とはこのことか、なんとか介護施設に祖母を入居させることができるようになり、少しだけ仕事に集中できるようになったーーと思った束の間、今度は彼女が2人で住んでいた家を引き払いたいと言ってきた。
「おいおい、このタイミングでかよ?」という言葉をグッと飲み込みながら、LINEと電話で彼女とやりとりをしていた。
あーでもない、こーでもない、私は悪くない、今は状況が悪いから〜という話も彼女の耳には届かなかった。
これでは埒が開かんと、祖母が介護施設に入り、少し時間に余裕ができた私は彼女と住んでいたアパートで、彼女と話し合うことになる。
と、彼女は私をやじった。
彼女が私に言った言葉は私がこれまで飲み込んできた言葉だった。
でも、当時の私は、自分の身の上の不幸は彼女には関係ないとたくさんの言葉を飲み込み、「ごめんね」と彼女に寄り添うことだけに集中していた。
色々2人で話し合い、2人で足繁く通っていたラーメン屋で、いつものラーメンを食べ、それからまた色々と話をして、泣いたり、鼻水を啜ったりしながら、少しずつ落ち着いていった彼女だった。
だが、彼女の意思は固く、結局一緒に住んでいたアパートを引き払うことになった。
本当は別れたくなかったし、一回ぐらい私の実家に来て欲しかった。
そんな今更な言葉を飲み込んで「落ち着いたら、連絡してね!」と彼女に私はLINEで伝え、実家に戻った。
アパートを引き払って1ヶ月が過ぎた頃、「好きな人ができた」と彼女に別れを切り出され、私の心はさらにボロボロになっていく……。
祖父が死に、彼女から別れを切り出され、祖母はまだ介護施設に入居中。
要支援1のおかげで、介護施設で面倒を見てもらえていたが、施設の話によると要支援認定が消えそうだという話になりつつあった。
本来なら、要支援認定が無くなる方が良いのだろうが、このボロボロな私の状態で再び、祖母の介護と仕事の両立は無理としか思えない。
なんとか年内は施設で、ということで落ち着きそうだったが、再び自宅で介護を……となった矢先、今度は祖母が亡くなった。
その年、私は祖父と祖母を介護し、祖父を亡くし、彼女と別れ、祖母を失った。
そして、とうとう祖母の葬式には、母も親戚も訪れず、私が1人だけの家族として、祖母を見送ったのだった。
さて、この怒涛の1年からの教訓は
◯厄介ごとがあると親しい人でも逃げ出す
10年前に比べて、今は制度やサービスがだいぶ改善されているので頼れるところは頼るべきだろう。
それに介護をする側に自分がなった時に、身内はやすやすと裏切る可能性があることも、覚えておいて欲しい。
結局、みんな厄介ごとに巻き込まれたくはないのだ。
それが自分の家族であれ、親戚であれ、恋人であったとしても、自ら救いの手を差し伸べてくれるような奇特な人は1人もいないと考えた方が良いだろう。
誰も助けてくれないダブル介護は、幸いなことに1年で終わりを告げた。
27歳だった私が28歳になり、頼れる人もいないまま、天蓋孤独になった。
そのあとは、もともとない貯金をさらに切り崩し、1円にもならない田舎の実家を処分。
墓じまいを行い、先祖の骨も粉骨し、まだ新しい祖父母の骨と共に彼らが生まれ育った山の中にひっそりと撒いた。
その後、残った唯一の忘れ形見の猫と介護で作った借金と共に、生まれ育った実家から離れた土地で、1人で暮らすことになる。
その時の心境は今思い出しても、なんとも言えない。
1人で生きなければならないというプレッシャーと誰も助けてくれなかったという絶望。
迷惑をかけるだけかけて死んでいった祖父母と葬式に来なかった毒親と親族への恨みと怒り……これがつい最近まで渦巻いていた。
もし、あの時に自殺していたら、大怨霊として周囲一帯を呪い続けていただろう、と確信を持つほどに私は身の上の不幸を憎んでいた。
この出来事から、もう10年も経つが、昨日の出来事のように思い出せてしまう。
元気だった2人の笑顔も。
棺で眠る2人の顔も。
無理なビジネスに手を出したり、寂しいからと飲み歩いたり、無駄に人に親切にしたり。
フリーランスの仕事は続けていたが業界の荒波にのまれ、また不安定な精神状態の中で、一体何をしていたのか、記憶が定かではない。
その日、その日を過ごしていたら、あっという間に10年が過ぎていた。
その間にコロナが流行り、世界は目まぐるしく変わり、世の中がどんどんと移り行く中で私だけが取り残されていった。
とにかく「やり直せる」「自分なら稼げる」という思い込みだけがあった。
これが無ければ私は、もう少しまともな人生を歩んでいただろうし、無茶で無謀で継続性のないアクションも取らなかったように思える。
そう思う気持ちもわかるが、帰る家も、入る墓も自分から捨てざるを得なかった身の上としては、簡単に割り切れるものではない。
それに介護で作った借金を返し続けていることもあり、私にとって10年前は今の不幸と地続きなのだ。
あの日、祖母が倒れなければ、10年前の不幸もなかったし、今の不幸も存在しなかった。
だがタイムマシーンはない、過去はやり直せないし、時計は巻き戻らない。
一度起きてしまった不幸と大き過ぎる不幸による影響力は、消せないのだ。
その超局所的な私的災害による個人経済の疲弊と精神への著しい負担。
そんな状況でも頼ることができない、頼れる人がいない、肉親や実家というセーフティのない状況は、現在進行形で私の心と認知能力を蝕み続けている。
ーーしかも自分が10年前の不幸に囚われ、自らの人生を毀損していることに気づいたのは、自分の認知が歪んでいることを自覚したのは、つい最近のことだ。
15年連れ添った猫を寿命で亡くし、本当の意味で1人になってから、自分が狂っていたことにやっと今年、気づいた。
今の自分に何も残っていない。
何も積み重ねられていない。
誰も助けてくれない。
なんのための10年だったのか?
何をすれば、救われたのか?
全ては自分のせいなのか?
誰かが助けてくれれば、母親がまともであったなら、もう少しまともな人生になっていただろうに。
誰かに関わるだけの自分の心のエネルギーや出会いを求めるだけの余裕があったなら、また違った人生だったはずだ。
無駄に10年生き続け、歳を取り、もはやフリーランスとしてのキャリアもAI時代で役に立たない。
37歳の自分に借金しか、資産が残ってない……というのは、お笑いグサ以外の何物でもないだろう。
そんな10年間、不幸の中で狂っていた私が言える教訓は
◯友だちや恋人、つながりを作ろう
◯事業資金を無理に借りたりするのは、やめましょう
私の10年間、おそらく今後の人生は、さらにこの10年よりも、取り返しのつかないものになるだろう。
だからこそ、何かの縁でこの記事を読んだ人の役に立てると嬉しい。
困難の中にいる人。
もちろん、何気ない日常を過ごしている人でも良い。
私の代わりに、不幸に振り回されず、幸せな日々を過ごして欲しい。
自分でもまるで
医者の患者の話を聞いてないような早い相槌にむかつきながら症状を話していたら薬を増やすことになった。
病院で薬局に処方箋を送信して、薬局へ。毎回思うけどジェネリックがないからといって薬価高すぎるよ。薬がたくさん種類あるならまだしも5000円オーバーだとなんで…と絶望する。
ストレスからの緊張性頭痛や体のこわばりで頭痛外来に通院。これは自立支援の1割負担にはならないのでこの価格。別途精神科にも通院してる。
薬を飲むたび、飲まなくてもいいサプリとかを以前は飲んでたなと思い出して、そのような意識高い習慣が消えたことを感じる。
毎日少なくとも3種類の薬を飲まないと体が動かなくなる可能性がある身体になってしまった。今回増量もした。祖母とお揃いだねと話していた神経の薬が二倍量になってしまった。びっくり!
初診で薬の登録をする時、5種類飲んでますと登録する。飲み過ぎだ。7錠。本当ならもっと飲まなきゃいけない。20代だけど。
飲まなくてもよくなるだろうか。こわいね、こんなに薬がないと危険だと感じながら生きるの。
フェイブルマンズ少年は芸術家気質の母と研究者気質の父というユダヤ人の元に生まれる。そしてある日、映画館で列車事故映画を見たことで衝撃を受け、映画撮影の道にのめり込んでいく。様々な工夫を凝らし、ボーイスカウトらを集めた西部劇映画などを撮りながら、主人公は映画を撮るとはどういうことなのかを知り、大人になっていく。
みたいな話。
まず冒頭、列車事故映画を見て大ショックを受けた主人公が母親にヒソヒソと誕生日にほしいものをねだるシーンがあり、てっきりカメラを求めるんだろうなと思って見てたらなぜか列車模型の1車両を頼んでいて、その後、キャンドルが増えていく憎い演出で毎年毎年車両のプレゼントをもらい、もしかして鉄ちゃん育成映画か?と思って見ていたら、5年くらいかけて全車両揃った時点でいきなりクラッシュムービー撮り始めて、こいつ、大監督に必要とされる構想〇年力を幼少期から身に着けていた……だと!?ってなった。
俺が映画見た時のフェイブルマンズ少年くらいの年は将来の夢はブロッコリーでクラッシュムービーを撮ったくらいのころにはぜいりしになるのが夢だったので、そんな長い間、間接的な方法で夢に近づいてたのすごすぎるだろ。
でさ、映画を撮るときにシーンが終わるときに「カット!」って言うじゃん。
つまり映画って何かを切り取るってことなんだよ。これは最後にデイヴィッド・リンチが登場して「芸術ってのは地平線をどこに置くかってことなんだ!」ってフェイブルマンズ青年に天啓を与えるシーンにも通じていて、つまり映画、芸術っていうのは現実をどう切り取るか、その切り口のことなんだなぁっていうそういう映画だった。
途中でフェイブルマンズ少年は祖母が亡くなって落ち込む母親を励ますためにキャンプ旅行に出かけ、そこでファミリー記録ムービーを撮ることになる。そこでいろんな愉快なことがあり、それをしっかりカメラに収めたフェイブルマンズ少年はその動画の編集中に映り込んだ母親と叔父さんの心の通じる瞬間を発見してしまう。
それは倒れる母を抱きとめる叔父という何でもないシーンだったにもかかわらず、コマとコマの間には確実に感情が映り込んでいてそれを発見してしまったフェイブルマンズ少年は懊悩する。なんならキスしてる場面も映ってたし。しかし、出来上がったムービーは家族の楽しいキャンプ旅行ドキュメンタリーになっていた。
しかしそのことで彼と母親の関係はぎくしゃくし始めそれが頂点に達した時、彼は母親に今度はそれ以外の部分を「カット」した映像を母親に見せる。そのことが最終的に家族を壊すかもしれないことも知りつつ。映像は冷徹に冷酷に"それ"を映し出すことができる残酷さをここで彼は知り、その恐ろしさに映画の道から離れようとする。
そうしていろいろあってカリフォルニアに移住し、そこでネオナチジョックス学生にユダヤ人とのことでいじめられるが、それをきっかけにちょいデブの女の子と知り合い恋に落ち、恋愛パワーで映画の道に復帰。おさぼりの日とかいう意味不明なレクリエーションの記録映画を撮ることになる。
そこで彼はネオナチジョックス学生のリーダーをまるでヒーローのように編集し、プロムで放映。学年のリーダー格だった彼のヒーロー然とした映像に会場は大盛り上がり。うっかり小デブに振られた主人公がしょんぼりと廊下でうずくまっていると憤懣としたリーダーがやってきて主人公を詰める。
あれは俺じゃない。あんなに俺はすごくない。俺の能力は俺の努力の結晶だ。なのにみんな俺がすごくて当然だと言う。俺はそれにずっと苦しんでいたのに、お前は俺に二度と越えられないような俺を映し出した。いじめへの仕返しか、と。
それに対してフェイブルマンズ少年は、カメラはありのままを映すだけだ。そして俺はお前を中心にした方がいい映像になると思ったからそうしただけだ。仕返しでも何でもないと返し、リーダーから気骨あるやんとなんとなく認められた感じになる。
ここでもやっぱり映像にはイケてるスポーツマンとしてのリーダーだけが映り、彼がそうなるための苦悩や努力はすべて「カット」され、しかし実際に彼が身に着けてきた能力、現在が残酷なまでに映し出されるという映画が持つ暴力性が表現されている。と、同時にその暴力性がフェイブルマンズ少年を映画の道に突き動かしたように、人々の心に響き、すこし相手を変えることができるという希望も表現されていてよかった。
そうして最後にデビッド・リンチから地平線を中心に置く作品はクソと言われ、事務所を追い出され希望に満ちた背中で街を歩き去るフェイブルマンズ青年の映像が映し出され、ガコッと地平線の位置が下に下がって映画が終わるのもオシャレでよい。ただ間違いなく一枚の絵としては地平線が中央にあった時のほうがよかったのも皮肉でよい。
こうして生まれたときから構想〇年力を持ち、現実を映像に"切り取る"才能に恵まれた少年フェイブルマンズはスティーブン・スピルバーガーとして世界最高の映画監督の一人に成長していくのであった。
まぁ、そんな感じかな。
フェイブルマンズ少年が幼少期からいろんな自主製作映画を撮っていくのにいろんな技法を頑張って駆使するのを見て、映画ってこんなふうに作られているんだろうなぁっていう知識欲も満たせるし、フェイブルマンズ一家も、そのゴタゴタも愉快で楽しいし、映画を撮るってどういうことかって言うテーマがしっかりしていてよかった。
まぁ自伝的な作品ということで過度な盛り上がりとかはないのでそういうのを期待している人にはちょっとかもしれないけど、(俺は世代じゃないけど)スピルバーグめっちゃ好きな人にはマストな一本なんだと思う。
例の🍌ノート読んだ。
もう、怖くて、、、1ヶ月くらい病んでた。
私は斜陽のうちに育った。ほんと、どんなにさかのぼっても、ずっと偉い人しかいない。でも、贅沢したことない。そのうち何人かは教科書にでてくるけど、お金儲けが下手。祖父母の家には書生さんがいたらしいけどお金儲けが下手。
それを嫌った父は、家を出て、サラリーマンで普通に出世を頑張った。きっとその過程で、気づかずにコネテ的なこともあったと思う。でも、収入はサラリーマンの範囲を超えない。普通。年収1500万が上限で、それは、、、多分、最後の2年くらい。
でも、出てく量は半端なかった。頼まれたらしないといけない量が。でも、父は頑張った。曽祖父が偉かった祖母の夢を壊さないために。曽祖父が偉かったから拗らせてしまった祖父のために。
今、私は。ちゃんと働いてたけど、結婚するって思ってた人に貢ぎすぎた上に、もう、なんやかんやアルバイトの身の上。父が、私の老後の準備してる。
父は教科書にでない。勲章も多分もらわない。(私の親戚で勲章を持ってない60代以上は父くらいなのだ、本当に。)
だから、🍌さんも🍌のお姉さんも、父に見えたし、🍌さんのお姉さんは私の未来でもあって病んだ。
そして、私は、それを目当てに寄ってきた人も分からず、見る目がなくて、さらに父を疲弊させているのだ。
懺悔。
母方の祖母が末期がんと診断された。
一度は抗がん剤で治療をしてみたものの、身体への負担が大きく、本人の希望で治療をやめて緩和ケアに入った。
最近の祖母の様子から、そろそろかも…ということで、家族みんなで祖母に会いに行こうと母から提案された。
貴重な土日休みを丸々使って、700kmの距離を3万5千かけて行きたくないんだわ。
欲しい財布もバッグもジュエリーもたくさんあるのを我慢してコツコツお金貯めてるんだわ。
祖母は優しくて、子供のころたくさんご飯を作ってくれて、毎年一緒にお祭り行ってくれて、海も行ってくれた。
年に1,2回しか会わなかったけど、祖母の家はなんだか懐かしい匂いで好きだった。
手先が器用で、大量に手芸をしては孫たちに配ってくれた。
小学◯年生を兄妹に一冊ずつ買ってくれた。豪華な色鉛筆も買ってくれた。成人した時はパールのネックレスとイヤリングをくれた。
字が綺麗だった。メダカをたくさん飼っていた。
母的には毒親だったのだろう。
私としては、母のようなバケモン級の毒親をこの世に生み出したのは罪だと思う。
数年前に従兄弟が若くして亡くなった時、祖母がその死を軽く扱った事は許せないと思う。
叔父の気持ちの横取りはできないが、内心かなり腹が立っている。
別に祖母は悪人ということではなく。祖母は良い人でも悪い人でもないんだと思う。
それは母も私も同じだと思う。
「15年近く死ぬ死ぬ詐欺してたばーさんもようやくだねー。ははは!」くらいでいいと思っている。
そんな訳で、気持ちの余裕的には葬式前に祖母に会いに行きたいと思わない。
一度は行くと言ってしまったが、母に断りを入れたい。
が、母のことなのでキレて怒鳴っておまけに粘着してくるはず……うおー、めんどくせーーー!!!!
前日になって急に体調を崩した事にしようかな。上手くいくかな……。
■追記
なんかAIというコメントがついてたけど、1から10まで手書きですね…こう適当に判断してコメントつけるのすごく失礼だな?
最近30周年でこれまでの総括みたいなグッズが沢山出てるから、自分もポケモンとの思い出を振り返りたくなっただけ
今は亡き母方の祖母が、今はもう閉店してしまったおもちゃ屋さんで買ってくれたのをよく覚えている。
フシギダネを選んで冒険を始めたが、まだ幼稚園生だったので、ゲームが下手で、横で見てた兄に途中で取られてしまってバッチの1つも手に入れれなかった気がする。
ゲームは一旦そこで止まってしまったけど、ポケモンのアニメは観ていて、喋るピカチュウのぬいぐるみを誕生日か何かで買ってもらった。
ずっと連れ歩いてたけどある日急にどこにも無くなってしまった。人の出入りの多い家だったので誰かが持って帰ってしまったのかもしれない。
ピカチュウとおしゃべりが出来るゲームに憧れていたけど、家にニンテンドー64が無かった。親の知人の家でプレイさせてもらったけど、恥ずかしくて全然ピカチュウに話しかけられなかった。
小学生になって、何のタイミングだったか忘れてしまったが父方の祖父にポケットモンスターエメラルドをたしか買ってもらった。
丁度ルビーとサファイアや過去のポケモンもも兄弟のお下がりだったかを貰って、何周もプレイした。
ポケモンのゲームについてきたイラスト調の地図を見るのが大好きで、ゲーム内のドット絵のマップが、正確に反映されかつ自然に描かれて居るのは何時間でも眺めてるられた。
ゲームのなかでは行けない所はどんなふうになっているのだろうと、想像が止まらなかった。
そこから暫くポケモンと疎遠になっていたけど、中学3年生か高校入った頃かに、ポケットモンスターSPECIALにドハマりした。
子供の頃にも読んでいたけど、アニメとはまた違うストーリー、個性的なトレーナー達やポケモンに夢中になり、そのままポケモンがまた大好きになった。
兄弟のお下がりのダイヤモンドをプレイして、その後プラチナ版も買ってやった。
プラチナ版は、殿堂入りした後もストーリーやできる事が色々あって、ずっと同じデータをやり込んだ。
ジムリーダー達の事も好きなので、別荘に色んなトレーナーが遊びに来てくれる事が嬉しかった。
そうやってポケモンばっかりやっていたら、今度はハートゴールド・ソウルシルバーが発売された。
同じくポケモン好きな友達と、発売日の学校帰りに買い、そのまま友達の家で集まって遊んだ。
HGSSはポケモンの連れ歩きができるのが嬉しくて、ダイパで手に入れた色違いポケモンを沢山連れて行って一緒に冒険した。
ポケスロンや、ポケウォーカーが楽しくて、学校にこっそり持ち込んで毎日対戦や通信をした。体育のマラソンが少し楽しくなった。
ちゃんと、完全に新作のポケモンを発売前から待ってプレイするのはこの時が人生で初だったと思う。
田舎なのに珍しく大きな看板でブラックホワイトの広告が掲載されていたのが嬉しくて、毎日見上げて眺めた。
ブラックホワイトは発売日に買って、1週間くらいでクリアした。(受験生だったのですぐクリアして後は封印すると決めていた。)
全て初登場のポケモン達、今までにない大都会や色んな通信での遊びがとても未来的に感じて楽しかった。
まだ自分のなかではブラックホワイトは最新最先端ののポケモンと言う気持ちがほんのりある。
大学生になって、ついにずっと憧れていたポケモンセンターに行けるところに引っ越した。
沢山通ったけど、暫くして少しまたポケモンと距離ができた。XYは買ったけど、マップがあまり好みでは無かったのか、クリアまでいかず途中でやめてしまった。
勿論買った。
「大空を飛ぶ」が、かつて地図を眺め続けて、ずっとポケモンの世界を自由に巡りたかった自分の夢が叶ったようでとても楽しかった。
当然のようにサン・ムーンも買った。サン・ムーンは雰囲気が楽しく、島毎に纏ったマップも好きですぐクリアした。
リージョンフォームのポケモンも好きだったし、リーリエちゃんのことも大好きになった。
現実世界とリンクしてポケモンが現れる事にドキドキした。とんでもない技術のゲームだと感動したけど、スマートフォンでこまめにプレイするのが大変で、段々とやらなくなってしまった。
Switchの時代になり、ポケモン以外あんまりやってこなかったのに、ブレスオブザワイルドにドハマりしていたら剣盾が来た。
ダイマックスのバトルは迫力と盛り上がりがあって、とても好きだった。
ただ、一本道すぎたマップがあんまり好みじゃないな…と残念に思った。
そう思っていたら、突然のレジェンズアルセウスが出て、今までとは全然違うポケモンにびっくりした。
ポケモンが、その辺を歩いていたり、襲ってきたりする事が革命的に感じた。
そうこうしていたら、更にスカーレット・バイオレットが、オープンワールドで出ると聞いて、ドキドキしながら待っていた。(オープンワールドのゲームが好きなので)
発売したスカバイは、落胆と良かったところのごちゃ混ぜでまだ複雑な気持ちでいる。
オープンワールドと聞いて、ブレスオブザワイルドのように広大なマップのあちこちに、気になる物が沢山あって、トゥーン調で綺麗な景色でどこに行っても飽きない、無限に探索を出来るゲームを想像していた。
けど、スカバイは何だか世界がのっぺりしていて、代わり映えのしない景色の中を歩くゲームという感覚だったので、オープンワールドに期待していた自分はがっかりしてしまった。
けど、ストーリーは、それぞれのルートでしっかり素敵な物語があり、最後には皆でエリアゼロに踏み込むのは、初代に仄めかされているスタンド・バイ・ミーを感じてとても良かった。
スカバイをオープンワールドにしたのは多分、まるで現実世界にポケモンが居るみたいな、ポケモン達が自然に存在して暮らしてるゲームを作りたかったんだろうなと思う。自分が期待してたオープンワールドと方向性が違ったんだなと考えている。
30代 女 既婚 小梨
母親は小さい頃に実の父親を亡くし、その後再婚するも酔うと手がつけられないほど暴れる酒癖の悪い義父だったらしい。私にとっても優しくて面白くて大好きな祖父だったが、大変な生活を送っていたらしい。
父親は、父親の母親(私からみると祖母)が幼少の頃から近所では有名な「変な子」で、周りから敬遠されていたらしい。だが、見た目はとても美しく、見た目で惚れた祖父が結婚を申し込み父を産むも、そんな祖母を嫁にもらった祖父も変人扱いされ、近所からは「あそこの家には近づくな」と陰で言われ続けていた。今で言う発達障害なのか、知的障害だったのか、なぜ祖母はそんな扱いを受けていたのかわからないが、私が物心つくずっと昔から祖母は精神病院に入院し、精神病院で亡くなった。
転職を10回ほど繰り返している。どの職場もすぐにいじめられ退職か、仕事が覚えられずいじめられ退職をしている。
私と姉は1歳しか違わないため、小中学生時代はよく目の前で姉がいじめられている姿を目にしていた。
同級生に殴られたり、馬鹿にされているのに気付かず囃し立てられ変な言動を繰り返したり。
そんな姉の姿を見るのがたまらなく辛かった。
今なら支援級へ行けるのかもしれないが、学力は底辺寄りではあるが全くできないわけではないので普通級で高校を卒業している。もっと酷い障害なら救いの手もあるだろうが、全てが中途半端すぎて福祉の手助けも受けられない。
また、私自身も子宮器系の病気があり、とんでもない月経過多で薬を長年服薬している。
そんな家族や自分の姿を見ているから、子供を作ることがとても怖い。
私が完全に未熟ではあるのだが、もし子供になんらかの障害があったら、と考えると、怖くて仕方がない。
正直、どんな子供が生まれても愛する自信はある。だが、私が知らないところ、手の届かないところで姉のように我が子がいじめられたら私は自分を責めるだろう。
これだけ家族内に障害を持った人物がいて、遺伝する可能性が高いのに生んだ自分の判断を後悔すると思う。
結局自分。私が辛いから、私が後悔するから。けれども、この壁を乗り越えられない。
もうすぐ出産のタイムリミットと言われる年齢に差し掛かる。年齢が上がれば上がるほどリスクは上がるため、内心焦っているが一歩が踏み出せない。
ピルを飲み生理を止めると子宮の状態が若い状態のままサポータトできると聞いて長年ピルを飲んでいる。
周りが羨ましい。
闇バイト。羨ましいものである。簡単に騙されて貶されて、あとは人生お気楽に転落するだけなのだからなんて良い御身分だろう。中には司法や世論や家族に恵まれてろくな刑にされず助けられる奴もいるかもしんない。そうでなくても楽なもんだろ。底まで落ちたら守るものも失うものも無くタダ飯食って待ってりゃ大して苦しまずに老いて殺してもらえる訳だ。さぞかし呑気でいられることだろう。生い立ちが不幸なら情状酌量に恵まれる可能性もある。ブタ箱に入って甘やかされるなんて可哀想で幸せなこった。反吐が出る。存外に司法は世論に左右されて酌量する。結局大多数の人間に都合のよい方が正義になるのだ。
物心ついた時にはゴミ屋敷みたいな祖母の家に住んでいて、事あるごとに居候と文句を言われ、たまに帰ってくる母はヒステリーを起こしては「私はお前を産まなきゃ幸せだったんだ!」っとブチ切れて私の首を絞めるわ殴るわ包丁を持って追いかけ回すわ、水の張った湯船に頭を押さえ込まれて溺れさせられるわガチの虐待をされる。これまたクズな母の叔父には顔面ぶん殴られて鼻の骨を折られる。父親違いの兄貴には身体をまさぐられわけもわからぬまま恋人まがいの玩具にされる。蛙の子は蛙なわけ? 絶やすべき遺伝って確実にあるよね?私は死んでも子供なんか作らねぇ。それだけで社会貢献になるだろ。
他にも子供時代は散々。時折母に知らないオッサンやオバサンの家に連れて行かれて「お金を貸して!この娘を食わせないといけないの!」と金をせびるダシにされる。そのくせ母がせびった金は全部パチ屋に消えた。母は小学校も中学校も教育にかかる一切の金を払えない、給食費すら踏み倒す。義務教育ってそれでも通わせられるんだから凄いよね。15年前の児童相談所は訪問してきても私とマン・ツー・マンで話もせずに、親が適当宣えば簡単に帰って行ったし。そんな環境で、そんな状態で尚お勉強しなさいなんて強要するんだから本末転倒。学校も勉学よりさっさと私を母から引き離して児童施設かなんかに送って公金で育てさせてくれたら、私はもう少し賢く高収入の仕事に就いて真っ当に生きれたかも知れなかったのに。学校では死にたくなるほど惨めだった!!貧しい身なりはイジメの標的にされる。当時の自分を客観的に見れるほど覚えてはいないんだけど、家庭環境がクソだったから私も相当クソみたいなガキだったんだろうとは思う。当然外見も中身もクソみたいな私はイジメられっ子だった。まぁ、私みたいな生い立ちの子供は大概そうだろうが。イジメてきた同級生の顔も名前も死ぬまで忘れない。ランドセルも中学校指定鞄も切り刻んだけど、私だけ別枠で写っている卒業アルバムは捨てずに取っておいてある。別に復讐なんかする気はないけど、時折思い出して怨むと少しスッキリするし昨今スマホで本名を調べればイジメっ子達の大体の近況も分かる。リーダー格でイジメてきた背の高い女子は今現在、実家の金で地元の不動産屋の社長になってた。世の中理不尽ばかりだ。まぁ、でも、卒アルに写ってる奴らが今どんな人生を生きていようと、紛れもなく私に恨まれ続けている事実は変わらないのだ。彼らは死ぬまで「誰からも恨まれない人」にはなれない。私が恨み続けるから。私の恨みが呪いになるまで何も知らないまま首を洗って待っててほしい。あと30年くらい恨んでたら怨みつらみに足が生えて不能犯になってくれるかもしんないし。この程度の可愛い怨みでも嫌に思うなら私を恨めば良いのだ。彼らが私の名前と顔を覚えているかは怪しいものだけど。
どうだろ? 私も結構クソみたいな地獄の人生送ってると思うんだけど。凶悪犯の生い立ちの記事とか読んで、よく私はシリアルキラーにならなかった(ならない)もんだなと思うもん。なんでそんなもん読んでたかって? 好奇心と親近感と寂しさだろう。ひとりぼっちの私には、本やネットで調べられる凶悪犯の生い立ちくらいしか私と同じ傷を受けた人達が見つからなかった。そういった人達の幼少期が自分と重なる事に親近感を覚えたけど、彼らが悍ましい犯罪を犯した事には共感出来なくて不思議だった。彼らと私の違いって何?
人に執着すれば良かったのか?
手っ取り早く股でも開けば良かったんだろうか?
なりふり構わず薬にでも溺れれば良かったのか?
躊躇わずに人を傷付ければ良かったのか?
子供の頃は全部諦めて世界をシャットアウトしたからそういったものに近付く機会が、良くも悪くもなかった。6歳くらいの私は16歳かそこらで死ぬ予定を立てたから学校に行かなくなって人と関わるのを辞めた。電話代すら払えない家だったからネット環境なんか無い。子供の頃、私は完全に孤独だった。家出も試みたけど6歳の私は結局行く当てもなくて家に戻るしか無かったから、親と縁を切ることは出来なかった。親は半年くらいは学校行けってクソ喧しかったけど何があってもされても徹底的に無視した。私が目に見える怪我をしたら結局外に出せないし。まぁ、クズのバカなので半年もしたら騒ぐこともしなくなった。慣れって素晴らしいね。私もだいぶ色んな痛みに鈍感になった。どうせ死ぬと思うと何でも気にならなくなるものだから楽だった。毎日図書館に通って山程児童書や図鑑を読みまくった。本を読んでる時だけは幸せだった。ファンタジーに夢想している間は現実なんか見なくて良かったから。結局は依存してただけ。それが薬じゃなくて本だっただけで。やっぱり私も非行に走る人間と本質は同じなんだろう。
子供時代はそんなんだから非行に走る事も無かった。じゃあ今はどうだろ。ネットで色んなものを読んだ。YouTubeの動画で色んな事件を知った。漫画も好きに買ってる。外道の歌とムルシエラゴとサタノファニと星屑の王子様超好き。映画も見る。ホステルとミッドサマーは微妙だった。悪魔のいけにえとタッカーとデイルとヴィーガンズ・ハムは大爆笑しながら観た。ハロウィンのマイケル・マイヤーズめっちゃ好き。羊たちの沈黙のハンニバル博士とクラリスの関係も大好き。グリーンマイルとイミテーション・ゲームは泣いた。アニメも好き。メイドインアビスの烈日とタコピーは泣いたしオーバーロードと幼女戦記とゴールデンカムイはテンションブチ上がって楽しい。いつ読んでも面白いワンピースはもはや聖典。だからといって影響されて他人をどうこうもしないし、自分がどうこうする事も考えたことすら無い。影響される奴とされない奴の違いってなんだろうね。なんで私は影響されないんだろうね。現実と幻想の区別がつきすぎるんだろうか。私のクソ長い一人語りの裏付けも怪しいものだけど。
現実逃避してアウトローに走る道は無いけど、私は今こうして増田に投稿できるし、このスマホを使って繋がろうと思えばいくらでも同じ穴の狢と出会えるだろう。執着も股を開く先も薬も楽に見つけられるかもしれない。だとしてもやらない。
だって嫌だ。絶対に嫌だ。子供の頃、あんなにも搾取されて利用されて奪われ続けていたのに、なんでやっと自由に選択できる大人になってまで他人の玩具にならなきゃいけないんだ。他人なんか金もらっても素粒子だって関わりたくない。大人になって自由に過ごせるようになって、家に籠もって好きなだけ本を読んで動画を見てゲームをして過ごしていられるのに薬なんかやってラリってる暇はない。袖振り合うことすら嫌なのになんでわざわざ人なんか傷付けなきゃいけなんだ。面倒くさいし疲れるし、何より傷付けるという行為が嫌だ。痛い思いはよく知ってる。なんでわざわざあんな思いを他人に強いる事があるんだ。他人を傷付けた所で自分の痛みが消えることは無い。かつて私を傷付けやがった奴ら全員がそうだったように、人を傷付けても自分の問題は何ひとつ解決しない。私の子供時代は無かったことにならないし、そもそも放っておいても人は死ぬ。私の鼻を折った叔父はガンで呆気なく死んだ。呑んだくれてうだつの上がらない兄もそのうち酒で死ぬだろうし、母もあと10年も持たないだろう。葬式挙げたくねぇな。拒否れねぇかな。同級生は知らんが性格が変わってないならそれなりに生きて苦しんでるだろ。性格変わってるなら昨今のいじめ問題ニュースを見ながら自分のしたことを時々は思い出して反省してるか怯えてるかもしれん。今のところそんな奴ら全部へ復讐に走る暇はない。時間の無駄過ぎる。人生なんて自分の快楽を追うだけで精一杯だ。
奴らを忘れられない、復讐しないと生きていけないというのなら私は命なんか要らない。他人にかかずらってまで、そんな面倒くさいしがらみに塗れて生きるくらいなら虹の橋を渡ってなけなしの来世に期待するほうがまだマシである。私は死後の世界なんか無いと思うけど、もしあったら神でも仏でもひと言物申させて欲しい。私の人生ハードモード過ぎるんだけど!!私、前世でユダか提婆達多かだったわけ?そうじゃないなら割に合わないんだけど!!!来世は良い思いさせろよゴラァ!!!せめて私を苛んだ奴ら全員地獄に落ちてないと悪魔崇拝者になるぞオラァ!なんて思うけど多分死んだ後は無だろう。意識が消えたらそこでおしまいだ。きっと死なんてものはテレビの電源がパッと消える程度のものでしかない。それ以上もそれ以下もない。ただ終わるだけのものだ。命なんてそんなもんだ。宗教なんてクソ食らえ。親に殺されそうになってる時すら助けてくれない神なんて祈る価値も無い。救うべき時に救ってくれなかったものを信じられるかボケ。
あーぁ。
なんで私は楽な方に落ちていけないんだろう。
彼らと私の人生に大して違いは無いだろうに。
ずっと考え続ける。いまでさえ。
騙されない程度には頭が良すぎたから?
人を傷付ける程には無情になれないから?
たぶんどれも違うかも。一番の理由はそれらを全部失えるほどには切羽詰まって無いからだろう。選択を選べるくらいには中途半端に肝が据わっていてマトモに生きれてるのが問題。実際19で家を出てからもう10年以上1人だけで生きれてる。すごくね? 定時制だったけど高校の学費も諸経費も自分のバイト代で払って卒業したし、バイト代貯めて卒業した日に家を出たし。それから誰からの助けも援助も貰わずに、テメエで真っ当に稼いで生きてきてるんだぞ。高卒で大してスキルも無かったから年収200万前後の仕事しか就けなかったのに。それでも誰の手も引かないから私は誰からも褒められないし知られない。それなのに胸を張って生きてる。誰も知らない、褒めない私の事を私は世界一誇りに思って愛している。それで充分だ。私はもう私以外要らない。灰になるまで独りで過ごしたい。私は他人に執着をするような人間にならない。きっとこれが第二の理由かも知れない。人間が嫌い過ぎて人恋しさを全く捨ててしまったんだろう。私は他人に何一つ求めない。生涯愛されたいとも思わないから生殖に執着することも無い。だから傷付ける事もない。だから私は無害と認定されて、マトモの世界のレールに乗っていられる。実際はマトモの空気に押しつぶされそうになっているけど。
これが一番キツい。ただ金を稼いで生きるだけならめっちゃ簡単なんだ。だけど真っ当な世界で真っ当に働こうとすると周りが皆、マトモなのだ。性格云々ではない。マトモな人でも性格がおかしいやつは沢山居る。だけど大人になるまでに培ってきたものが違い過ぎる。幼少期に当たり前に両親が居て虐待されずに育てられて、普通に大学まで通わせてもらって、自動車も免許代も苦も無く払ってもらうか一時的に立て替えてもらって、大人になっても実家で暮らしてられる。そもそもの思考がちゃんとマトモ。そういう人間達の中で私一人アウェー。当然昔の話など出来るわけもないし、仲良くなれる気もしない。それでも仕事に支障が出ると面倒だからちゃんとコミュニケーションはとる。広くて狭い社会では報連相が出来ないと仕事にならない。だから私は愛想良くして話しやすい人間のふりをする。すると相手は私を自分と同じ括りの人間だと思い込んで、自分のマトモな物差しで私と仲良くしようとしてくれるんだ。お気持ちは有難いが遠慮させてほしい。誰も悪くないけど私は誰とも仲良くなれないんだ。だってあなた虐待されて育ってないじゃん。貧困を知らないじゃん。「実家市内?なんで実家で暮らさないの?コスパ悪くない?」なんて悪気無く聞いてくる奴と同じ価値観でお話出来ねぇよ。
ここらへんで上手いこと線を引いてくれる人ばかりなら良いのに、それでもグイグイ来る人間もいるし拒絶されたと嫌う人間もいる。これが、ほんとに面倒くさいし大変。マトモな人達の常識で窒息しそうになる。窒息しそうになりながらマトモなフリをしてそれとなく無害なポジションを陣取って、陰口は叩かれようとも直接的な被害のない場所に自分の立ち位置を定めて円滑に仕事をする。職場で全く自分の事を話さないけど愛想が良くて話しやすい、でも積極的に連絡先交換とか一切しない人間が居たら私かも知れないから放っといてくれ。
毎日これを耐える事もなく同じ穴の狢で仲良くラリパッパ出来る奴らが本当に妬ましい。なりたくはないけど超気楽だろ。右を見ても左を見てもお仲間だらけ。それが良いか悪いかは置いておいて、さぞかし楽しいことでしょう。毎日頭空っぽでアヘアヘ騒いでりゃ簡単に時間を浪費して終われるわけだ。これで自分らは社会から疎外された被害者だとか言い出したら傑作。楽な方に転んで楽しんだのはテメェだろ。被害者ぶってんじゃねぇよゴミ。
結局私は落ちた奴らが羨ましいんだと思う。
でもお仲間になろうとは微塵も思えない。
私と同じやついない?どっち付かずのギリギリの所でマトモに生きようと足掻いてどうにか踏み止まってる奴。世の中絶対いると思うんだけど見つけらんないの。別に仲良くしなくて良いからさ、同じ穴の狢を見つけて安心させてほしい。
祖母とは大体月イチくらいで会っているのですが、大手企業に私が転職してからと言うもの、最低でもランチ一名5000円以上の食事を指定してきます。
もちろん私の奢りなので、会う度に必ず10000円以上消費する訳です。
祖母は小さい頃から私の面倒をよく見てくれて、学費の援助等もしてくれたので、そこには本当に感謝していて、基本的には応えたいと思っています。
ですが、
・他人(私)の話は一切聞かず自慢話(習い事で賞を取ったとかそういうの)だけを延々とする
・自慢話が尽きたらそこら辺にいる人の悪口を話す(他人を指差して「あの人ブスねぇ〜」等)
・飯を奢っても「値段の割に大したことないわね」などとほざく
・ヨイショしないと不機嫌になる
といったクソババアムーブをかましまくっており、私からすると「金がかかる上に苦痛」という状態です。
嫌になってきたので、たまには庶民的な店でもいいんじゃない?と提案すれば、「ケチケチして気分が悪い」と返ってくる始末です。
なお、給与天引きと物価高で余裕はない。というのを説明しても理解は得られず…
•年寄りは図々しくなる生き物。ババァは基本がクソババァ。これはババァ標準ムーブ。気にするな。
•人間、独り立ちしたら育ててくれた人に孝行するもの。それが大人ってもの。
つまりババァーの多少のわがままは許してやれ。派が多数でした。
完全に私個人の価値観で言えば、子供は3歳までの可愛さで全て恩返しし切っているので特に何もいらない派です。子供たちはその子供たちのために時間とお金を使って欲しいし、孫にたかるなんて余計に理解できず…
実話を基にした極めてアンフェアなサタニックサイコミステリの珍作。42点。
クリスチャンの刑事イーサン・ホークのもとにアル中親父が娘に性的暴行を行った容疑で逮捕される。娘によって告発された彼は罪を認めながらも犯行当時の記憶が一切ないと話す。失われた記憶を呼び戻すために心理学者を呼び退行催眠療法を施すと、アル中父親は娘に儀式的な暴行を加えるイーサンの同僚の刑事を見た!と証言。父親を告発した娘エマ・ワトソンの下に向かいこの件を聞くと彼女も父親以外に同僚の刑事を見たと告発。さらには彼女は悪魔崇拝儀式的なものに巻き込まれていたと話し始める。悪魔崇拝者と刑事の戦いが始まる。
みたいな話ではなかった。
これさぁ、「バッサ・モデネーゼの悪魔たち」を積読チャンネルで知って読んでて、さらにそこから派生して「マクマーティン保育園裁判」も調べてたからかなり序盤で「あぁ、この話か」ってなっちゃったのかなりもったいなかった。
ちなみに上にあげた2つはどちらも「(性的)虐待、悪魔的儀式を受けた」と子供たちが証言したことで容疑者たちが逮捕されたが捜査を続けても証拠は一切出ず、証言はどんどん綻びを増し実は子供たちが嘘をついていた。その証言内容は大人たちが行った「こんなことをされたんじゃないか」という質問、尋問、誘導によるものがほとんどであったと考えられる、という事件。
というわけでそういう話です。
小さな田舎町で敬虔なクリスチャンながら酒浸りの父親に母親は自殺し、祖母はクレイジーで息子はゲイで娘は警官と関係を持ち妊娠し堕胎というキリスト教的に見たパーフェクトオワ家族。そこで娘は人生一発逆転ちゃんねるということで父親を冤罪で告発し施設入りを狙うも、なぜか父親は容疑の否認もしないし記憶がないと言い出し、そこに介入してきた刑事と心理学者のせいで「なんか集団暴行だったらしい」という話になってしまい、とりあえず話を合わせた結果、当時の悪魔崇拝者ブームも絡んで「実は悪魔崇拝儀式だったらしい」等と話がどんどん膨らんでいってしまう。
最終的に真相を暴かれた後も娘は自分のついた嘘に飲み込まれ「悪魔教団と戦った少女」としてメディアに引っ張りだこになり、イーサンはなんやったんやこの事件、としょんぼりするのだった。
父親が容疑を否認しなかったのは、彼は彼なりに娘に恨まれる理由も理解しており罪を被ることで娘の傷が癒え、いつか娘が自分のこの思いを知ったときに自分の行ってきた愚行が許されるのではないか、というバカみたいな自己犠牲からだったことがわかり、見ているこちらも意気消沈。息子がゲイになっちゃってそれが受け入れられなかったことも彼の心の傷になっており、宗教が救うのは宗教的に善とされている人だけなんだなという冷徹な真理を突き付けられる。イーサンの同僚の警官を告発したのも、彼が娘を孕ませ堕胎の罪を犯させたのを憎んでいたからだろう。
またイーサンはエマのことをもとから憎からず思っており、彼女の告発をうのみにし最初から父親が彼女に性的暴行をおこなったに違いないと決めつけ、心理学者に退行療法を行わせるが、それが結果的に確証バイアスを固める結果になってしまう。「何が見える!」と問うことは「何かが見えるはずだ」という誘導に他ならないし、「誰が見える」と問うことは「誰かが見えるはずだ」という誘導に他ならない。
こうして持論を自分で補強し続け彼は存在しもしない悪魔教団を追いかけ同僚を告発しそれでも飽き足らずない証拠を探して半狂乱になっていく。終いには自分でも悪魔教団に拉致される夢を見てしまうが、逆にその夢で見た老婆がビルボードに燦然と輝くスープの広告ババアであったことから「これって刷り込みじゃね?」と冷静になるのはちょっと面白かった。
嘘、思い込み、確証バイアス、言えない秘密、贖罪が複雑に絡み合った「何もない」事件だったというのは真相として虚しさがあった。
冒頭にスターウォーズよろしく「1990年代に悪魔崇拝による被害が続出して~」みたいなことがテロップで説明されるんだよね。それ見て、いや、悪魔崇拝ってここで言っちゃって大丈夫?隠しといたほうがフックになるんじゃない?と思って見てたら冒頭でいきなり十字架出てきて、まぁそういうテンションの映画なのかと思ってると、最後にテロップで「悪魔崇拝って言い張るも証拠が一切出てこない事件が頻発してそのうちなくなって、退行療法は今では使われていない」みたいに出てきて、テロップミスリードはさすがにゴミやろってなった。このテロップなくてもこの映画の面白さは一切変わらんし、一方的に前提条件として悪魔崇拝を押し付けてきておいて、でもそうじゃない話だったんですよ!はマッチポンプもいいところじゃん。許せません。
あと、おそらく平成令和最高の裏切り者女優であるエマ・ワトソンがUNウィメンに選ばれた翌年にこの映画が撮られ、この時点ですでに私利私欲によって平気な顔をして恩人を陥れる裏切り者女を演じていたことに強いシンクロニシティを感じた。
まぁそんな感じかな。
元ネタを知らずに見ればエーッそんな話なのー!ってなれると思うし、まぁ時代感を知ったりと退行催眠って怖いよねっていう反省映画、一種のアンチキリスト教的映画としては一定の強度はあると思うので、まぁイーサン・ホークとエマ・Watsonのファンは見てみてもいいんじゃないかな。
もう2年前だ 子どもが生まれる前に関西の友人に会いたいという理由で1人で3泊ほどした
子どもが生まれてから一度も帰ってない 祖父はひ孫の顔を見ずに逝った
逝ってから、お線香をあげに祖父母の家に行ったがそれも蜻蛉返りで私の実家に顔を出さずに関東に帰った 親とも会ってない
どれも仕方ない
分かってる 一歳半の子どもを関東から関西にはじめてつれていくのは色々アレなのは
私は「ええやんどうにかなるわ 世の中の人どうにでもなっとるわ」と思ってしまうが、こういうのが良くないんだろう 私の周りにいる人の意見はいつだって正しい 正しくて辛い
そうこうしてるうちに第二子を身籠り、第一子の世話もあるためもう実家にはいけないし泊まれもしない
結局また行かないんだろうな
そこに違和感を感じるのはお門違いだけど、
義実家には何十回行っただろう 義祖母には何十回ひ孫を合わせて抱っこしてもらっただろう
義両親は何回うちの家に来ただろう
近ければ行くのもくるのも当然だ 皆、いい人だし
私の人間性だけが悪い なんなら私の親戚がアレだから無理してまで行きたがらないんだろう
こんなこと考えたくない
ゲームだったらポーズ画面にして不貞寝してしばらく再開しないと思う
祖母が死んだ。
最期の数年はずっと寝たきりで意識もなかったから、だいたいの親族はとっくに覚悟ができてた。
実家から電話で連絡を受けたときも「とうとう死んじゃったよー」みたいな軽いノリだった。
ここからが本題。
火葬場に行った。
「では、しばらくお待ちください」
そう言われて控室に移動する。
お茶菓子を食べたり、小さい子の遊び相手をしたりしながら過ごす。
1、2時間くらいして、呼ばれた。
「お骨上げになります」
もう焼き終わったのか。意外と早かったな。まあ、おばあちゃんはずいぶん小さくなっちゃってたからなあ。
そう思って収骨室に入った。
そこで私は見た。
煙である。
めちゃくちゃ煙が出ている!
モクモクとか、そういうレベルじゃない! ブワーッって台から煙が吹き出している! ブワーッって!
いや、骨上げって、こう……もっと静かなものだと思ってたんだけど……
カラカラに乾いた白い骨がきれいに並んでいて、職員さんが「こちらが喉仏でございます」とか神妙に説明してくれる、あのイメージ。みんなも経験したことあるよね?
しかし今回は違った。
完全に「アツアツの焼き立てをお持ちしました!」という絵面。
そして匂い。
これがもう、完全に焼肉屋だった。
あの、服につくタイプのやつ。
換気が追いついてない店のやつ。
脳が一瞬バグった。
「おいしそうな匂いがする」
違う。これはおばあちゃんだ。
でも鼻は正直だった。
いや、待って。煙ブワーッなんですけど。全然冷めてないんですけど。
「台座が大変お熱くなっているので! お気をつけください!」
レストランで鉄板料理をサーブする時みたいなセリフを火葬場で聞くことになるとは思わなかったよ。
親戚たちも慌てて箸を持ち、骨を壺に入れていく。
私の番が回ってきた。箸を持つ。台を挟んだ対面にも親戚が立つ。
でも、顔がよく見えない。 煙が邪魔で、目の前にいる親戚の表情が見えない! それくらい部屋に煙が充満していた。
骨を箸で持ち上げる。 熱気がすごい! 顔に熱気がくる! 煙が目に染みる!
骨上げが終わった後、私の顔はテカテカしていた。
脂である。
おばあちゃんの脂そのものなのか、棺の成分なのか、正確なところは知らない。
でも体感としては完全に「換気能力がショボい焼肉屋でカルビを焼きまくった人」だった。
顔はテカテカ。眼鏡はベトベト。髪にも服にも焼肉の匂い。鼻の穴の中もこころなしか脂っぽい。
火葬場を出た私は、完全に「祖母を見送った孫」ではなく、「牛角から出てきた喪服の男」だった。
家に帰って、すぐに風呂に入った。
シャンプーも二回した。
全身も念入りに洗った。鼻の中まで洗った。
喪服なのに。
悲しみの正装なのに、匂いだけが打ち上げ後の大学生みたいになっている。
私は思った。
人生の最後に、親族みんなの顔を脂でテカらせ、服に匂いを残す。
安らかに眠ってください。