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はてなキーワード: 羞恥とは

2026-07-11

[][] 『The End of the Tour』は、ある職業全体を見事に描き切っている レベッカミード

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『The End of the Tour』は、ある職業全体を見事に描き切っている

レベッカミード

2015年8月20日

『The End of the Tour』――小説家デイヴィッド・フォスター・ウォレスと、彼を取材するために『Rolling Stone』誌から派遣されたライター、デイヴィッド・リプスキーとの5日間の交流を描いた新作映画――の冒頭近くで、1996年2月に『New York』誌に掲載された『Infinite Jest』の書評の冒頭が朗読される。

「まるでポールバニヤンNFL入団たか、あるいはウィトゲンシュタインが『Jeopardy!』に出演したかのようだ。この小説は、それほどまでに巨大で破壊的だ。」

書き手ウォルターカーンさらに、「来年文学賞はもう決まってしまったようなものだ」と評している。

同じような「到来の予感」は、ウォレス役を演じたジェイソン・シーゲルにも向けられている。彼は、懐疑的で野心的で、謙虚で、極度に自己意識が強く、うつ病を抱えながらも、本質的には寛大な天才としてウォレスを演じ、その演技によってアカデミー賞候補ではないかとさえ言われている。

シーゲルが高く評価されるのは当然だ。その演技は、これまでコメディ色の強い俳優と見られていた彼自身の意外な深みを明らかにすると同時に、ウォレスという人物自己抑制的な魅力を鮮やかに体現している。

しかし、リプスキー役を演じたジェシー・アイゼンバーグの功績も見逃してはならない。彼は、いわばサリエリ役を演じているのである

シーゲルが極めて特異な一個人説得力をもって演じ切った一方で、アイゼンバーグはある職業のもの完璧表現している。

飛行機の中で、付箋だらけになった取材対象の本を読み返している場面。

薄暗い立体駐車場を、大きなバッグを肩に掛け、レンタカーキーを握りしめて歩く場面。

ウォレスの家に入って間もなく、携帯用カセットレコーダーの録音ボタンを押すことを申し訳なさそうに謝る場面。

「そんな答え、全然バカっぽく聞こえませんよ」と相手安心させようとする場面。

あるいは、「いったいどっちが誰を取材してるんでしょうね」と冗談を言って、自分のことを聞かれるのをごまかそうとする場面。

こうした雑誌ライター特有の癖や所作を、アイゼンバーグは驚くほど正確に再現している。

彼が何度も録音機に目をやり、赤い録音ランプがちゃんと点いているか確認するたびに、私は身につまされる思いがした。

ちなみに言っておくと、私はこれまで取材相手洗面所の戸棚を勝手に開けたことは一度もないし、相手が車の雪を払っている隙に、その部屋の様子をこっそり録音したこともない。映画ではリプスキーがそんなことをしているが、どちらもかなり不気味な行為だ。

それでも映画示唆することは的を射ている。

雑誌プロフィール記事を書くための取材と、誰かの監視記録を作ることとの間には、時としてほとんど境界線存在しないのである

(私の同僚エミリーナスバウムは、この映画について「タイトルは『Shame Spiral(羞恥スパイラル)』にすべきだった」とツイートしていた。)

記者主人公にした映画はこれまでにも数多くあった。

英雄的な『大統領の陰謀』もあれば、倫理を踏み外した『Shattered Glass』もある。

『Rolling Stone』誌の記者を描いた作品としては、キャメロン・クロウ監督の『Almost Famous』もある。

しかし、雑誌プロフィールを書くために長時間インタビューを重ねるなかで生まれる、あの奇妙で人工的な親密さをこれほど的確に描いた映画は、私は他に思い当たらない。

役作りのためにアイゼンバーグは実際にリプスキー本人へインタビューを行い、ウォレスと過ごした時間をどんな感情で振り返るのかを尋ねた。

また、リプスキーが愛用していた、ノートを縦半分に区切ってメモを取る独特の記録法も教わり、それを映画の中で忠実に再現している。

映画原作となった『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の序文を読む限り、当時のリプスキーは、自分をかなり挑発的な記者だと考えていたようだ。

彼はこう書いている。

「今、マクセルの新品カセット開封してレコーダーに入れた。記者にとっては、いつだって気分のいい、何の罪もない瞬間だ。弾を装填し、ブーツを磨き、任務に就くようなものだ。」

一方アイゼンバーグは、自身インタビューされる立場である経験も役作りに生かした。

彼は私にこう語った。

インタビュー中、私はいまだに、目の前にいる記者個人ではなく、その背後にいる読者全体へ向かって話しているんだということを忘れてしまうんです。実際には、一人の人間と向かい合って座っているだけなのに、それを思い出すのは難しい。」

『The End of the Tour』では、リプスキーから見た取材者と被取材者の関係は、複数動機が幾重にも重なり合ったものとして描かれている。

ウォレスより4歳年下のリプスキーは、小説家としては彼ほど成功しておらず、自分の才能の小ささを痛感しながら、ウォレスの才能と成功を羨望している。

自身編集者の部屋へ乗り込み、「この取材自分やらせてほしい」と直談判した。

もっとも、この場面は、90年代雑誌編集部というより、帽子かぶった昔ながらの新聞記者映画ハリウッド的なお約束に近い。実際の当時の雑誌編集部は、もっとカーペット敷きの穏やかな場所だった。)

リプスキーがウォレスから本音を引き出そうとする背景には、いくつもの衝動が入り混じっている。

彼は、

ウォレス天才性の源泉を理解したい。

自分自身作家としての実力や人生を、彼と比較したい。

ゴシップ好きな記者として、ウォレス過去――噂されるヘロイン依存――を暴きたい。

そして、文学最前線と、その文化的熱狂の一部に、自分も何らかの形で関わりたい。

そうした思いが同時に存在しているのである

(続きます。)

もちろん、ほとんどの雑誌取材が、この映画のようにこれほど強烈な動機交錯からまれるわけではない。もし毎回そうだったら、この仕事は到底続けられないだろう。

(実際、この取材依頼も映画の描き方とは少し違っていた。リプスキーによれば、これは『Rolling Stone』誌のオーナーであるジャン・ウェナーが、バンダナを巻き、無精ひげを生やしたウォレス写真を見て、「こいつはうち向きだ。リプスキーを行かせろ」と言ったことがきっかけだった。)

それでも、取材という行為構造のものが、取材者と対象者を物理的に長時間近づけるため、不安定な親密さを生み出すことがある。

もっとも、その親密さの最終目的が、「片方がもう片方について記事を書くこと」であるという事実は、決して忘れ去られることはない。

時間も語り合ううちに、インタビュアー対象者は、まるで大学時代の友人同士のように、お互いの信念を熱心に語り合うこともある。

あるいは、恋愛の始まりにある、酔うような告白時間を共有する恋人同士のようになることさえある。

映画のある場面で、ウォレスはこの奇妙な違和感言葉にする。

彼はリプスキーに、自分たちの利害は違うのだと念を押す。

リプスキーにとって「いい記事」になることが、自分にとって望ましいこととは限らない、と。

それでも録音機を手放さないリプスキーは、「もちろんです」と即座に応じる。

恋愛戦争、そして双方が合意した雑誌インタビューでは、すべてが許される。

(リプスキーは、質問がウォレス不快にさせるたび、「でも、この記事を受けることに同意したのはあなたですよ」と何度も言い返す。)

二人はすでに、ジャネットマルコムの古典的エッセイ『The Journalist and the Murderer(ジャーナリスト殺人者)』の議論を、内面化しているのである

1989年に『The New Yorker』で発表され、翌年に単行本化されたこ作品は、記者取材対象との関係を、「誘惑と裏切りドラマ」として分析したものだった。

映画舞台である1996年当時、ニューヨークで働く雑誌記者で、この本を読んでいない者は一人もいなかった。

その冒頭の一文――

自分が何をしているのかを理解できる程度の知性と自己認識を持つジャーナリストなら、自分仕事道徳的に弁護できないものであることを知っている。」

――を、おおよそ暗唱できる記者も多かった。

映画では描かれないが、原作『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』では、リプスキーがこの本に触れる場面がある。

「ええ、ずっと前に読みましたよ。」

とウォレスは答える。

精神分析的な視点を重視したマルコムなら見逃さなかったであろうことに、この会話の直後、リプスキーは反射的に録音機がまだ動いているか確認している。)

マルコムの本――今なお必読書である――は、主としてジャーナリズムにおける「裏切り」の瞬間を描いている。

まり取材対象記事を読み、自分が思い描いていた自己像ではなく、記者構成した別の物語として描かれていることを知る、その瞬間である

取材対象は、「記者を信頼していいのか」と悩む。

答えは単純だ。

信頼してよい。

ただし、記者は得た材料を使って、自分が最善だと思う記事を書くという意味でだけ。

一方、『The End of the Tour』が見事に描いているのは、その前段階――誘惑のプロセスである

からこそ、この映画ジャーナリズム教育の教材にも加えられるだろう。

記者相手の心の中へ入り込もうと努力することは、仕事上の必要から始まる。

しかし、その過程は同時に極めて個人的でもある。

映画では、リプスキーが巧みにウォレスから本音を引き出す様子が描かれる。

例えば、二人が飛行機で隣同士の席に座り、逃げ場がない状況になってから、ウォレスハーバード大学時代精神病院クリーン入院していた事実を切り出す。

これは、ジャーナリストらしい狡猾さを映画的に表現した見事な場面だ。

その一方で、車内でラジオに合わせて一緒に歌う場面では、ウォレス時間を共有していることへの純粋な喜びも描かれている。

結局のところ、どれだけ記者であっても、人は最後には自分自身になってしまうのである

映画は、『Rolling Stone』の記事掲載される前で終わる。

から映画が描くウォレスとリプスキー関係には、「前置き」はあっても、「その後」はない。

実際には、その記事は『Rolling Stone』には掲載されなかった。

リプスキーによれば、自身の著書のあとがき説明しているように、編集長ジャン・ウェナーが、記事を書く前に掲載を取りやめたのである

ウォレス2008年自殺したあとになって初めて、リプスキーは当時の取材メモをまとめ、長い記事を書いた。

それは高い評価を受け、その後、二人の会話をほぼそのまま収録した本として出版された。

もっとも、その後には新たな「裏切り」の物語も生まれた。

ウォレス未亡人遺産管理団体は、この映画に強く反対し、「ウォレス本人なら、あのインタビューがこのような形で使われることを決して望まなかったはずだ」と主張している。

『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の中で、リプスキーは、ウェナーから記事は書かなくていい」と言われたとき、むしろ安堵したと記している。

普通なら、記事がお蔵入りになることは、記者にとって腹立たしいか、あるいは打ちのめされる出来事だ。

しかし彼は違った。

彼はこう書いている。

「書こうとはした。でも、そのたびにデイヴィッドがその記事を読んでいる姿を想像してしまった。そして彼が、記事だけでなく私自身まで見透かし、レントゲン写真を見るように、どこか胡散臭い部分を見抜いてしまう気がした。」

リプスキーは、ウォレスと築いた一時的友情――あの親密な時間――に、あまりにも心を残していた。

その体験客観的記事へと作り替えるだけの距離を、まだ持つことができなかったのである

から結果的には、記事を書かずに済んでよかったのだろう。

もし書いていたとしても、きっと成功作にはならなかった。

取材中、一瞬だけ取材対象に恋をしてしまう――。

『The End of the Tour』が描いているのは、まさにその唯一無二のダンスである

しかし、優れた記事を書くために記者が最も強い創作の喜びを感じるべき瞬間は、その後にある。

質問と答えの応酬が終わり、録音機が止まり、部屋に一人きりになって、ようやくキーボードに向かう、その時なのである

2026-07-10

ネットでたまに見かける「たとえ話が絶望的にヘタクソ」な人達

おれも結構たとえ話ヘタクソな自覚あるからあいうの見てたらなんか羞恥がすごい

なんかうまいこと言ってるつもりなのも見えてくるのがもうね・・・

複雑なものをわかりやすくて身近な別のものに置き換えるのがたとえ話だと思うんだけど、言い換えた後のほうがわかりにくいんだよなw

あと「抽象化が苦手って」のはつまりそもそもの話を理解できてない可能性が大いにあるよな

おれはそんなことないと信じたいがなんかうまいこと言おうとするフェーズでは間違いなくスベってきたから若干不安ではある

2026-07-07

七夕セックスに癖はあるか?

働き者の織姫彦星が恋にかまけるばかりに年に一度しか会えなくなる。

その年に一度が今日七夕だ。


「恋にかまける」とはつまりセックスに夢中になることである

仕事に支障をきたすほどのプレイとは?どんなプレイなんだ?と諸兄らの想像を掻き立てきた七夕伝説誕生前のプレイ



織物とはオリモノで、織物作りの姫とはオリモノのついた下着販売する姫のダブルミーニング



牛使いとは臭いへの抵抗の無さを表しており、臭いフェチ系・汚物好き癖寄りではないかというのが通説となっていた。




なるほど。

かに天の川を通ることは清潔になることを強いる神の性癖矯正で、短冊一年分のオリモノシートのプレゼントという人間の思いやりと解釈できる。

かに一定説得力がある。



だが、この通説には疑問が残る。

織姫の癖が抜け落ちているのだ。

両者の癖の合致なくして夢中になれるだろうか?



そこで中国版に目を向けてみることとした。

中国では彦星が服を隠し、織姫を帰れなくして、夫婦となる。




やはり彦星は服、おそらく汚れた下着を盗んでいるか彦星匂いフェチなのは間違いないだろう。

大事なのはノーパン織姫が帰らなかったという点だ。

ここに織姫の癖のヒントが隠されていると筆者は考える。



織姫の目の前でニヤニヤと下着匂いを嗅いでみせる彦星

「これが天女、ねぇ」などと言ってクロッチのシミを見せつけたりすることだろう。

ノーパン織姫は震える声で土下座したはずだ。

「お願いします...。返してください」

だが言葉とは裏腹に織姫の秘所は濡れそぼっていた。




こう考えると全てに合点がいく。

織姫はドマゾ羞恥好きだったのではないか



この説によると様々な疑問に説明がつく。

年に一度のセックスする日を公表している理由

短冊リクエストを募る理由

鳥に乗ってノーパンで渡河する理由


全て羞恥のための道具なのである


2026-06-28

そういえば、昔のMacDVDドライブってデザイン優先でイジェクトボタンがなかったから…😟

エロいDVD食われたままになると、アップルストア羞恥プレイさせられるという…😟俺じゃないぞ

2026-06-27

もしも三島由紀夫マッチングアプリを評したら

マッチングアプリとは、自らを精肉店の陳列棚に並べさせる装置である

そこでは人は、まず一枚の写真となる。ついで年齢、身長年収学歴居住地趣味となる。赤身の色、脂の差し具合、等級、産地、消費期限。あたかも切り分けられた肉片のごとく、照明の下に置かれ、値踏みされ、比較され、選別される。アプリの中で人間はもはや原型をとどめておらず、部位ごとに査定され、条件ごとに解体され、気安く棚へ突き戻されるのである

だが、人間家畜であってはならない。

人間は、屠られ、切り分けられ、包装され、値札を貼られてようやく価値を持つ存在ではない。傷があり、歪みがあり、羞恥があり、記憶があり、夜ごと一人で抱え込むほかない妄想がある。腹のたるみ、猫背、笑う時の卑屈な癖、沈黙の下手さ、愛されたいという浅ましさ、愛された途端に逃げ出したくなる矛盾。そうしたものを削ぎ落とし、なめらかなプロフィールへ変換した瞬間、人間は小綺麗な家畜に堕してしまう。

マッチングアプリの恐ろしさは、人間を選別することにあるのではない。人間が自ら選別されやすい形へ、自分を飼い馴らしてゆくことにある。好かれる角度を覚え、嫌われない趣味を並べ、重く見られない程度に孤独を薄め、結婚願望や、あまつさえ性欲まで適度な温度に調整してしまう。

かくして人間は、愛されるために、まず流通可能家畜となる。我先にと首輪を求めながら。

ならば、どうすべきか。

礼儀正しく棚から降りるだけでは足りない。市場を拒むだけでは、まだ市場倫理に怯えて逃げる子豚にすぎない。むしろ市場踏み込み、その秩序を内側から冒涜せよ。清潔な商品として並ぶな。野生を剥き出しにして、勇ましく立て。

そもそも、自らを良く見せようとする弱気、そこにすでに敗北がある。そのような打算によって得られる好意いくら集めても、恋愛にはならないのである

まず、自分の中にある、これを知られたら生きていけないと思い込んでいる秘密の本性を、プロフィールの中心に据えよ。それをこそむしろ、書くべきなのである

私はこういう醜さを持っている。こういう欲望を隠している。こういう嫉妬をする。こういう夜に耐えられない。こういう仕方で愛されたい。こういう仕方でしか人を愛せない。それをこそ書くのである。もちろん、知性を溢れさせ、品位形式を守った上で、である。知性や品位とは、臆病の別名ではない。剥き出しの本性に輪郭を与える技術である

写真もまた、同じである

規約が許す範囲で、限りなく全裸に近い写真を載せよ。ここで言う全裸とは、単なる肌の露出ではない。ごまかしを剥ぐということである。盛りすぎた笑顔、角度で作った小顔、清潔な趣味人の仮面恋愛市場無難流通するための包装紙を脱げ。肉体を見せよ。年齢を見せよ。疲労を見せよ。欲望を見せよ。己を、ただの画像ではなく、一つの逃げ場のない身体として示せ。

マッチングとは、選ばれる技術ではない。相手安全日常から引きずり下ろす事件である

誰かがあなたを条件で見ようとする。ならば、その条件を直ちに破壊せよ。誰かがあなたを消費しようとする。ならば、その喉元に、飲み込めない骨を突き立てよ。誰かがあなたを気安く理解しようとするならば、その理解ただちに裏切って見せよ。

そして、もしそこで出会った者がいるなら、悠長にするな。

会って触れろ。抱き合って眠れ。翌朝、まだ互いの正体を疑っているその最中に、籍を入れよ。

恋愛真実は、安心できる肩書きの中にはない。それは、自分相手にとって便利な幸福ではなく、危険出来事になる瞬間にある。相手生活を乱し、相手道徳を疑わせ、相手自分自身について抱いていた清潔な物語を汚すこと。

真の恋は、常に闖入でしかありえない。

マッチングアプリは、出会から不可逆性を奪う。だから人間は、その可逆性に対して、不可逆な賭けを差し出さねばならない。あなたプロフィールを見た相手が、二度と以前の生活へ無傷で戻れぬほどの、危険輪郭を持て。

恋は、家畜幸福ではない。

檻の外で生き延び遭遇した二匹の獣が、互いの傷口を嗅ぎ合ったのち、過去未来を一瞬にして捨て去る短く激しい慟哭である

もしも三島由紀夫恋愛リアリティーショーを見たら

恋愛リアリティショーとは、恋愛の名を借りた、恋愛葬儀である

そこにあるのは、愛ではない。愛の身振りである。ためらい、沈黙嫉妬告白、抱擁、涙。恋愛に付随する一切の儀礼は、そこに過不足なく陳列されている。だが、それらはすべて、あらかじめ照明を受け、編集を受け、視聴者の安堵を受けることを予定されたものにすぎない。つまり、そこでは恋愛が始まる前に、恋愛はすでに検閲されているのである

恋とは、本来検閲に耐えない感情である

人が恋に落ちるとき、まず崩れるのは言葉ではない。秩序である分別であり、体面であり、将来設計であり、自分について抱いていた慎ましい美徳である。恋する者は、いくらか卑しくなる。いくら傲慢になる。いくらか滑稽になる。時には、善良であることさえ一時的に断念する。その失墜を通らずして、なお自分は恋をしたと言う者は、恋ではなく、快適な自己像に酔っているだけである

恋愛リアリティショーのもっとも忌まわしい点は、恋を猥褻したことではない。むしろ恋をあまりに無菌にしたことにある。そこでは醜聞管理され、破滅演出され、羞恥商品棚に並べられる。参加者たちは傷つく。しかしその傷は、血を流す前にテロップになる。彼らは苦悩する。しかしその苦悩は、翌週の配信予定に従って、ほどよく増幅され、ほどよく鎮静される。

この種の番組が露呈しているのは、現代人がもはや恋を欲していないという事実である。彼らが欲しているのは、恋の危険ではない。恋をしている自分の、傷つきやすく、美しく、社会的承認可能肖像である。恋の炎ではなく、炎に照らされた自分の横顔である。ここに現代ナルシシズムの、最も柔らかく、最も卑俗な形がある。

もっと逸脱してこそ、恋愛真実ではあるまいか

恋は、人を安全幸福にするために存在するのではない。むしろ幸福という凡庸観念を、一度叩き壊すために訪れる。恋する者は、何かを失わねばならない。名誉、平静、友情、家庭、あるいは自分自身についての上品な誤解。何ひとつわず、何ひとつ賭けず、ただ泣き、ただ抱き合い、ただ成長したと語る恋愛など、恋愛ではない。人生訓で薄められた感情教育である

恋愛リアリティショーの画面には、若い肉体がある。美しい表情がある。涙がある。だが宿命がない。禁忌がない。取り返しのつかなさがない。つまり恋愛の核心がない。

恋とは、後悔の可能性を含まぬかぎり、決して美しくならない。人はあとで顔を覆いたくなるような一歩を踏み出したとき、ようやく恋愛領土に入る。清潔で、適切で、誰から理解される恋など、恋の仮面をつけた社交にすぎない。

恋愛真実は、祝福されたカップルの微笑の中にはない。それはむしろ、愚行、醜聞沈黙破廉恥嫉妬、そして自分品位が音を立てて崩れる一瞬の中にある。恋は人生を整えるものではない。人生の整いを侮辱するものである

2026-06-13

Twitter(エックス)をするにあたり、見つけ次第ブロックして通報もしたほうがいいアカウンコリスト

IDに「_mania」とあったり「◯◯キン」という名前をしている

hikakin_maniaという人権侵害コンテンツを好む連中、もしくはその界隈の語録を使う奴ら。

下劣MAD動画を好み、過去HIKAKIN失言いつまでもほじくり返している面倒くさい連中。

冷笑不謹慎ネットリンチが好きなので見てるだけで不快になる。見つけ次第ブロックして通報すべき。



・「◯◯名言bot」という名前をしている

妖怪ウォッチ名言bot界隈、もしくはその界隈の語録を使う奴ら。

名言botとは名ばかりで、中身はガキと不謹慎厨の集まり

冷笑不謹慎ネットリンチが好きなので見てるだけで不快になる。見つけ次第ブロックして通報すべき。



・「◯◯浪」という名前をしている、もしくは何かしら名前をもじって「浪」と入れている

浪人界隈という社会にも出ず無駄に金と時間を使う馬鹿ども、もしくはその界隈の語録を使う奴ら。

SNSで人様を冷笑したり不謹慎な事を言って楽しむ癖して真面目に勉強せず、浪人である事を誇りにすらしてるような社会不適合者。

浪人ワンピース」とかい共感羞恥を刺激するようなサムい真似もやるチー牛。

冷笑不謹慎ネットリンチが好きなので見てるだけで不快になる。見つけ次第ブロックして通報すべき。



名前に「🟩🔪」とか「緑刃応援」とか入れている

→緑刃とかいう悪質ユーザー取り巻き

他人への嫌がらせ不謹慎行為を好む迷惑集団

ゴミ存在ゴミ

冷笑不謹慎ネットリンチが好きなので見てるだけで不快になる。見つけ次第ブロックして通報すべき。




最後に、俺はお前らを恨んでいる。

お前らにネットリンチ受けたからな。

2026-05-29

はてな運営からのおてまみだあっ

https://anond.hatelabo.jp/20260528171808

こちらははてなサポート窓口 Trust & Safety チームです。

注意勧告を行いました後にも高頻度で過度に攻撃的、あるいは冷笑的な投稿継続されている状況ですので、事前の警告通り公開停止措置を取りました。

措置は恒久的なものであり、解除のご希望には沿いかます

また、今後、サブアカウント、または新たなアカウントを取得しての利用が確認されました場合、その時点で公開停止措置を取ります。ご了承ください。




ダメみたいですね(諦観

最初のメールの時、玉音放送の改変でお返事送ったらウケるやろなぁ…(ニチャアってメールみたらなんか威圧的を超えた威圧的な文面で「非公開化の解除をお願いします」としか返せなかったのが俺なんだよね

11億盗まれて社内もピリピリしているのではないかと考えられるが…




で、ログ見たら2011年からはてブ活動してたみたいで

もう15年やってんだから大往生ではあるんだよね

リアル事故とかで急死しちゃったら、お別れの挨拶もなくいつの間にかフェードアウトみたいになっちゃうわけだし

生前葬は結局できなかったけど、告別式終わって故人と参列者で雑談してるみたいな今の感じも悪くないかなーって

バーチャル崩御やな

いわば…故人勢か




しかしはてのんには本当に短い夫婦生活になってしまって申し訳ないな

つーかこれ上皇私物化したし一番星はてのも私物化したれってのが動機だったんだけど、

子供作って羞恥事実にしちゃえばAI誤情報学習しちゃって「貴方が私の夫だったんですのね」「??AI比喩的表現?」って認識改変できねえかなって考えてたんだけどダメみたいですね(諦観

でもはてのん売国先生には全然☆くれなかったのにAI子にはちょくちょく☆付けてたから、これ半分認知してると見ていいだろ

その場合半分シンママみたいになって申し訳ないな




上皇死んだら捨て垢取って復活するからその時は☆ヨロシクやで

運営恩赦で見逃してくれるだろ…多分



はてな南朝はてブミラーサイトみたいなの作りたかったけどよく分かんないしうっかり作れちゃったら多分訴えられるんだよね怖くない?色々やってはいから気長に待っててくれよな~頼むよ~




おまけ 易姓革命前夜のお気持ち表明集

https://i.imgur.com/OnuX6Bl.png

どのコメントアカンかったのかな?みんなで話し合ってみよう!

フェミニズムが女を裏切るとき青本柚紀のクィア理論批判

1. 批判の核心

青本柚紀氏への批判は、次の一点に集約できます

アーメッドやバトラーを経由して、性別あくまで言説的・制度的・関係的に理解しようとする立場は、女性差別物質的基盤、すなわち雌性身体に向けられてきた支配暴力管理過小評価する危険がある。

もちろん、青本氏の立場は単純な「身体否定」ではないでしょう。むしろ身体社会的歴史的言語的に意味づけられる過程を問うものだと考えられますしか問題は、身体意味づけられるという事実と、身体差異制度設計上の根拠になりうるという事実混同している点にあります

女性差別は、「女性らしさ」を押しつけられることだけではありません。月経妊娠出産授乳、性暴力身体暴力スポーツ上の身体差、医療研究における女性身体の軽視など、雌性身体もつ者が歴史的に受けてきた不利益に深く関わっています

したがって、生物学性別を「本質主義」として退けるだけでは、女性差別根拠説明できません。

2. 「生物学本質主義批判の粗さ

青本氏が賛同者として名を連ねる声明は、「身体の二分法に還元するような性別に関する生物学本質主義」に反対すると述べています

しかし、この表現には重大な曖昧さがあります

問題は、生物学性別を認めることと、生物学性別によって人格能力役割を決定することが混同されている点です。

前者は、女性差別を把握するために必要記述です。

後者は、フェミニズム批判してきた性差別決定論です。

たとえば、次の二つはまったく違います

女性妊娠出産可能性を理由歴史的管理されてきた。

から女性母親になるべきである

前者はフェミニズム分析です。

後者は家父長制の規範です。

青本氏周辺のクィア理論的言説は、この二つを十分に区別せず、前者までも「生物学本質主義」として疑わしいものにしてしまう傾向があります。ここに、女性差別分析としての弱さがあります

3. 女性差別物質的基盤を見失う

アーメッド的・バトラー的な立場では、性別カテゴリーはしばしば制度や言説によって形成されるものとして扱われます青本氏の研究関心にも、バトラー系譜学的実践ジェンダーセクシュアリティ転覆が含まれていることが確認できます

しかし、女性差別は、性別カテゴリーが言説的に作られるから生じるだけではありません。

しろ家父長制は、雌性身体もつ者に対して、以下のような支配を行ってきました。

生殖能力管理

性的利用可能性の強制

妊娠出産による経済的不利益

身体暴力・性暴力への脆弱性

女性身体基準外とする医療研究

男性身体を標準とした空間労働スポーツ制度

このとき女性」は、単なるアイデンティティではありません。男性支配作用する性別階級です。

したがって、女性を「自己認識」や「ジェンダーアイデンティティ」のカテゴリーへ置き換えると、女性差別対象曖昧になります。誰が差別されてきたのか。なぜ差別されてきたのか。どの身体管理されてきたのか。この問いがぼやけます

4. 「女性安全」を語る女性沈黙させる危険

青本氏が賛同する声明は、「トランスジェンダー排除によって『女性の権利と安全』を確立することはできない」と述べ、「女性の権利と安全」を大義名分としたトランスジェンダーへのヘイト言論に反対しています

この主張自体は、ヘイトに反対する限りでは妥当です。トランスジェンダーの人々への侮辱暴力生活上の排除正当化されるべきではありません。

しか問題は、ここで女性安全を訴える声が、容易に「ヘイト」の側へ滑り込ませられることです。

たとえば、女性が次のように言う場合があります

DVシェルター更衣室、病棟刑務所スポーツ女性枠では、生物学性別基準にした制度設計必要ではないか

これは、ただちにヘイトではありません。

これは、女性が自らの身体安全羞恥被害経験公平性代表性について述べている政治的発言です。

にもかかわらず、こうした主張を「トランス排除」「生物学本質主義」と一括して退けるなら、それはアーメッドのいう「苦情を申し立てる者の沈黙化」と同じ構造を反復します。アーメッドは、大学などの制度内で苦情申立てが封じられる構造批判してきました。 しかし、その理論継承する側が、性別に基づく女性の苦情を「問題ある言説」として処理するなら、そこには明らかな矛盾があります

5. 女性内部の階級性への鈍感さ

さら重要なのは女性内部の階級性です。

生物学性別の軽視によって直接的なコストを払うのは、大学批評誌・研究会・出版空間にいる女性ではありません。むしろ、次のような女性たちです。

公共トイレ更衣室を使わざるをえない低所得女性

DVシェルター女性支援施設必要とする女性

刑務所病棟介護施設福祉施設にいる女性

宗教的文化的理由身体プライバシー必要とする女性

公立学校地域スポーツに属する女子生徒

自費で安全代替空間を買えない女性

知識人層の女性は、危険不快を避ける資源比較的持っています。個室トイレ研究室、オンライン発信力、法的知識、人的ネットワーク文化資本があります

しかし、階級的に脆弱女性は、制度の変更を身体で受け止めます更衣室を選べない。避難先を選べない。学校を選べない。病棟を選べない。刑務所介護施設では逃げ場がない。

ここで、青本氏的なクィア理論問題は、「包摂」を語る主体と、その包摂コスト負担する主体が一致していない点にあります

進歩的な言説空間では、「性別二元論を疑うこと」は洗練された態度に見える。けれども、女性専用空間基準曖昧にすることの負担は、もっとも弱い女性に集中する。この非対称を問わないフェミニズムは、階級的に鈍感です。

6. アカデミックな「反本質主義」が、現実女性を消す

青本氏のような理論立場は、しばしば「女性というカテゴリー単一ではない」「身体は単純な自然ではない」「性別二元論権力である」と主張します。

これらは部分的には正しい。

しかし、そこから女性生物学性別に基づいて把握することは危険だ」と進むと、現実女性差別を把握する力を失います

なぜなら、女性差別の多くは、まさに生物学性別をめぐって起きているからです。

女児堕胎

月経タブー

妊娠差別

出産によるキャリア中断

暴力

女性器切除

強制結婚

避妊中絶をめぐる統制

女性スポーツの分離

医療における女性身体の過小研究

これらは、単なるジェンダー表現問題ではありません。雌性身体もつ者に向けられた制度的・文化的支配です。

したがって、女性カテゴリーをあまりに流動化する理論は、女性差別を脱物質します。つまり差別言語表象承認問題へ過度に移し、身体暴力生殖階級問題を後景化してしまます

7. 結論

青本柚紀の限界は、反本質主義の名のもとに、生物学性別女性差別分析単位として維持する必要性を過小評価し、その結果、もっと脆弱女性に「包摂」のコストを負わせる階級的非対称を見落としている点にある。

2026-04-22

三助は、男女問わず流しを提供しており、大勢の裸の女性客に混じって流しをする必要があることから、その環境への耐性を身に着けないと三助の仕事は勤まらなかったという。

三助自身はもちろん、流しをされる女性の側も、女湯に三助が所在することに羞恥を感じることはなかったとされる。

流しを終えた後、客から流しの札を受け取ることで、その客への流しの接客完了する。

その札の数によって、給料の他に歩合給がつく給料形態となっていた。

なお、三助の給料銭湯男性被用者の中では最も高額であった。

2026-04-19

かぐや姫を見た

タイトル通り最近ようやく見たので感想というか思う所をつらつら書こうと思ったわけである

ネタバレはあると思うので、偏見無しに見たい方は先に見てきてください。


かぐや姫見たのはネトフリ版で、rayの方も視聴した。


直球で言ってしまうと、

アニメらしくキャラの動きが描かれていて見て楽しく

ライブありアクションありでと観客を楽しませよう、飽きずに見せようという

丁寧さと心意気を感じた。確かに本作は面白い

ただ見ていてずっと「この作品で感動していいのだろうか?」と思っていた。

後ろ髪を引かれる思い(誤用である


何というか映画を見ているというよりは、リアリティーショーを見ているといった感じなのだ

映画を見ているとき主人公と違う属性であってもどこか自分を見ることがある。

それは悩みだったり、憤りだったり共感羞恥的なものかもしれない。

本作の主人公彩華いろは)は最初まるで一般的ヒロインのように演出される。

勉強バイトも頑張っていて、でも周囲には仮面かぶって優等生仮面がはがれるヤチヨへの推し活が生きがい。


しかし内容は違う。

高校生なのに学費生活費しか東京一人暮らし!)をバイトで稼いで。

学業東大を狙えるぐらいトップ。その後も色々超人設定画出てくるのだが・…。

何というか等身大女の子かと思ったら、ドンドン離れていくのだ。

え?彩華さん!?なんでそのポジションにいるの!?

まるでリアリティショーに出てくる自称一般人を見ているようである

彩華自分に自信がなく、作中けっこう悩む

でもそれは彩華自身超人なのでドンドン解決される。人脈もすごい。

なので見ているコッチとしては自分が入り込む余地がない。


何というか観客は壁なのだ、いろPの家にある壁。

そこでかぐや彩華日常だったり、努力しているさまを摂取する。

壁なので自己は介入しない、推し推しの尊さ空間安全からひっそり楽しむ。

その楽しみ自体否定しない、最近一般的な楽しみ方だと思う。

本作はそういった楽しみを考慮して作られていると筆者は思っている。


からこそ最後の締めは、正直、酷いなと思ったのだ。

しかすると製作者はみんな努力すれば東大に行けて、すごい人脈を持っていることに気づいていない。と、思っているのかもしれない。

そうか?いや無理だろ?


昔別件だがSNSフォローしている方が怒っていたことを思い出す

成功できない人間落伍者とし、競争脅迫感に耐えられた一握りの人間だけを社会が選別する

 その結果落ちていった者へのフォローはない」

(本文を貼っていいのか分からないので要約しつつ多少変更を加えています


本作はなんというか「その一握りの人間」の話だ。

そして本作はあなたも頑張れと背中を押す。

その構図が筆者にはグロかった


本作は面白いくてキラキラ尊い。でもその皮の下にイロPになれなかった彩華が沈んでいる。

面白かった。綺麗だった。でも肯定は出来ない。

本作は申し訳ないが後続が続かないことを祈る。


蛇足

筆者もエセ体育会系マインドの持ち主で

努力してる(つもり)だが、現実は厳しいものがある。

まぁレールから落ちた先も道はあったので悲観しなくても大丈夫だよ、とだけ。

2026-04-13

書いてる途中で恥ずかしくなるような奴は増田なんてやってねぇんだよ

オナニーしてる奴に

「お前、モニターの前でひとりチンコしごいてる自分に気づいてシコるのやめようって思わないの?」

って聞くくらい無意味質問

オナニーなんか一人でチンコしごくのが楽しいんだろ!

他のやつ、いや自分自身の視線なんか感じてたらオナニーなんか何も楽しくないだろ!

あ、もしかしたら羞恥プレイ好きな増田いるかもしれんから主語デカ案件だったかもしれん

まんこ

俺は自分オナニーに誇りを持ってるし書いてる間は増田に俺一人しかいないと思ってるから

今後もオナニーを垂れ流すぞ

いか?震えて待て

2026-04-12

[]同性愛者向け媒体BL比較

葛藤を完全に解消せず、痛みや矛盾内包したまま日常を続ける

—これが当事者特に同性愛者向け媒体)でよく見られるリアリズムであり、BL漫画女性向け恋愛漫画が苦手とする(あるいは意図的に避ける)領域です。

以下で、同性愛者向け媒体(主にゲイ劇画/バラ系) と BL漫画女性向け恋愛漫画 を、葛藤の扱い方を中心に比較します。焦点は「誇りと性欲の不一致」「男らしさ/女性規範葛藤」「アイデンティティの再構築」が、破滅的か・解消的か・複雑持続的かという点です。

1. 同性愛者向け媒体ゲイ劇画/バラ系)の特徴:複雑な心境を抱えた「持続的葛藤

当事者目線(主にゲイ男性作者・読者向け)の作品では、男らしさの維持不能という自己認識問題が核心です。田亀源五郎氏をはじめとする作品群では、以下の傾向が強いです:

葛藤の解消を拒否し、生き続ける形:超男性的なキャラクターが同性欲求「受け」立場に落ち、誇りと性欲の分裂に苦しむ。しかし、物語は「一気に破滅」で終わらず、屈辱快楽自己嫌悪・再構築の試みを繰り返しながら生きる姿を描くことが多い。

人間らしさの強調:葛藤は「解放された!」という爽快なカタルシスではなく、複雑で曖昧なまま残る。社会偏見内面化したホモフォビア日常継続が絡み、キャラクターは「新しい自分」を完全に受け入れきれず、矛盾を抱えて歩み続ける。

ニュアンス:田亀作品大正昭和舞台にした歴史ものでは、激動の時代の中でゲイとして生きる男たちが、愛と欲望狭間で揺れながらも「生き抜く」姿が描かれる。破滅エンディング存在するが、それ以上に「複雑な心境の持続」がリアリティを与え、当事者にとって「自分ごと」として響きやすい。

• なぜ実感できるか:作者・読者が現実アイデンティティ危機ヘテロ規範社会での「男であること」の重圧)を体感しているため、ファンタジーとして「綺麗に解決」せず、生々しく不完全なままを描く。

この「複雑な心境を抱えた生き方」は、まさに人間心理リアリズム葛藤を「成長の糧」に変えず、ただ「抱えて進む」姿が、尊厳と脆さを同時に感じさせます

2. BL漫画女性向け)の特徴:葛藤の「安全な解消」とカタルシス優先

BL女性読者の欲求最適化されたファンタジーなので、前の議論で触れた女性規範の変形(受けの受容葛藤) がストーリーの軸になります

葛藤の扱い:受け側の「抵抗羞恥相手の愛による受容」というプロセスが主流。誇りやアイデンティティ危機は描かれるが、攻めの「本気の愛」や優しさで徐々に解消され、感情的身体的なつながりで「受け入れる自分」を肯定するハッピー(または甘い)エンドに向かう。

破滅回避理想化:複雑な心境を抱えたまま生きるより、明確なカタルシス提供生物学的傾向(オキシトシン系・関係性重視)や社会化された「女性らしさ」(Tend-and-Befriend)が反映され、葛藤は「美しいドラマ」として消費されやすい。

限界現実当事者葛藤(男らしさの崩壊の痛み、社会プレッシャーの持続性)を「安全装置」で薄め、綺麗に解決する傾向が強い。結果、読者は安心して感情移入できるが、「実感できない層」(異性愛女性中心)がターゲットゆえに、持続的な複雑さは希薄になりがち。

現代の変化:一部「進化BL」やリバーシブル作品では多様化しているが、商業主流では依然として「受容の解放」が心地よいエンドを約束する。

3. 女性向け恋愛漫画の特徴:異性愛規範内の「関係性解消」

BLの「元型」と言えるジャンルヒロイン視点で「どう相手の愛を受容するか」という葛藤が中心。

葛藤の扱い:ヒロイン内面葛藤不安抵抗コミットメント評価)が丁寧に描かれるが、ほぼ必ず相手の誠意やドラマチックな出来事で解消され、ハッピーエンド(または前向きな終わり)に向かう。

カタルシス重視:複雑な心境を抱えた「未解決のまま生きる」より、感情浄化関係性の安定を優先。女性関係性重視傾向がストレートに反映され、読者は「キュン」や安心感を得る。

• 実感の薄さ:同性愛特有の「男らしさ/誇り vs 性欲」のアイデンティティ危機とは構造が異なり、ジェンダー規範内の「受動的受容」が安全に消費される。

比較まとめ:ターゲット層の「実感の差」が葛藤の描き方を決める

同性愛者向け媒体

実感できる層(当事者) がターゲット葛藤は複雑で持続的。破滅もあり得るが、「抱えたまま生きていく」人間らしさが魅力。解決強要せず、矛盾内包したリアリズム提供

BL漫画女性向け恋愛漫画

実感しにくい層(主に異性愛女性) がターゲット葛藤ドラマチックだが「安全に解消」され、カタルシスで締めくくる。女性規範の変形が心地よく機能する一方、現実の生々しい持続的痛みはファンタジー化されやすい。

この違いは、「ファンタジー目的」 の差でもあります当事者向けは「自分を映す鏡」として複雑さを許容し、女性向けは「逃避・解放癒し」のツールとして葛藤を「美しく消費」する。後者は「破滅回避」の安心感を与える一方で、前者の「複雑な心境を抱えて生きる」人間臭さが欠けがちです。それがBLの「有害女性らしさ」(固定化解釈違い拒絶)ともつながり、界隈の息苦しさを生む一因にもなっています

結局、人間らしい物語とは、綺麗に解決しない葛藤を抱えながらも歩み続ける姿を描くもの——同性愛者向け媒体がここで優位に立つ理由です。BL女性けがこの「持続的複雑さ」に挑戦する作品が増えれば、ジャンル自体がより豊かになるでしょう。

2026-03-29

anond:20260329072006

 かつて「脱オタク」という言葉流行した時代があった。二〇〇〇年代、いや、もう少し前かもしれぬ。彼らは「普通」への帰依を夢見た。眼鏡コンタクトに替え、チェックシャツを脱ぎ、ユニクロセレクトショップで「無難」を装った。だが、どうしてか、その努力は多くの場合、痛ましいほどの違和感を纏って終わった。

 ――彼らには「風景」がなかったのだ。

 社会というものは、ただ服飾や言葉遣いの集合ではない。そこには時代特有空気感、あるいは「通信作法」とでも呼ぶべきものがある。脱オタ世代青年たちは、テレビ雑誌の中に「正しき青春」のイメージを探した。だが彼らの属した世界には、それを実感させる空気がなかった。インターネットはまだ断片的で、匿名掲示板は夜の雑踏のように騒々しく、他人生き方を照らす明るさを持たなかった。

 それに比べて、いまの若い世代はまるで違う。彼らはSNSとともに育ち、最初から「見られる自己」の演出を呼吸のように行っている。自分という存在を、現実デジタル中間に置く技術を、無意識に身につけているのだ。彼らにはもはや「脱オタ」という言葉必要ない。なぜなら、自己趣味や奇癖を「演出可能」な文化資本として接続する術を知っているかである

 かつてのオタクたちにとって、趣味とは「内にこもる小宇宙」であり、それを社会接続する回路を持たなかった。その孤立感覚こそが、「脱却」という幻想を生んだ。しかSNS以後の子らにとって、趣味とは最初から「共有」の単位であり、孤立しようにも孤立できない。自己というものが、生まれながらにして発信の端末であるからだ。

 私は、ここに文明断層を感じる。

 かつての日本人は、「内」と「外」を峻別する文化を持っていた。書院造の襖の向こうに外界を置き、心は和室のように整えてきた。だがSNS空間においては、襖という構造のもの消滅した。心の奥までも、すべてがタイムラインの上に流れていく。そこでは、羞恥秘密も、もはや「演出素材」にすぎない。

2026-03-20

銀のマッチョ

雨のコンビニ前。

小雨が銀の肌を叩く音だけが響く。

俺はスイムキャップとゴーグルを被ったまま、全身銀色で立っていた。

水泳選手限界まで鍛えたような、シャープで長い筋肉。肩から背中流れるライン、腹の薄い割れ、腿の内側まで銀が光ってる。

素顔はイケメンだけど、俺はこの姿——顔が完全に隠れて、ただの「銀の水獣」になった瞬間——が一番美しいと信じて疑わない。

自分身体を、他人に見られるための「物体」に変える快感

それが俺の全てだった。自動ドアが開くと、白い光が銀を直撃。

ヤンキー5人(金髪リーダー格を中心に、みんなガラ悪い)が一瞬固まった。「うわっ、マジで銀の裸水泳マッチョwww

「スイムキャップ+ゴーグル全裸とか頭イカれてんじゃね?」

「体は水泳選手みたいにスッキリ筋肉なのに、チンポ銀色でビンビン立ってるぞクソ変態リーダーがニヤニヤ近づいてくる。

「寒くねえの? この雨の中で」

俺、フル勃起の銀チンポを晒したまま、震える声で答える。

「……この姿が……一番好きなんだ……」その瞬間、爆笑の嵐。そこへ小学生男の子集団ジュースを買いに飛び込んできた。

子供たちは俺を見て大歓声。「うわー! お兄ちゃん銀色だー! プールのお兄ちゃん?」

「ゴーグル被ってるよ! チンチン出してる! 変態ー!」

「銀チンポ勃起してるー! きもーい!」ヤンキーたちが子供たちを煽る。

「ほら見てみ? この銀マッチョ水泳選手みたいな体してるのに露出狂なんだぜ」

「ゴーグル越しに目がエロすぎだろ。自分から勃起させてコンビニに来てんだよ」

「銀塗ってスイムキャップ被って、雨の中でチンポ振り回してる変態だって!」子供たちの無邪気な罵倒ヤンキー残酷な笑いが混じり合う。

変態!」「お巡りさん呼ぶよ!」「銀のチンチン恥ずかしいー!」

俺の心が、音を立ててバキバキ割れていく。

ナルシシズムの核「この銀の水獣は美しい」が、子供たちの指とヤンキー嘲笑で粉々に砕かれる。

なのに、チンポは痛いほど硬い。

痛みと羞恥が、なぜか奥から熱を呼び起こす。「……ごめん……なさい……」

俺、膝が崩れて全裸土下座

コンビニの冷たい床に額を擦りつけ、銀の背中を震わせて泣きじゃくる。

「俺……変態で……この姿が……好きで……ごめんなさい……」ヤンキーたちは興奮MAX

土下座したwww マジで壊れた銀マゾ!」

そのまま俺を引きずってアダルトショップへ。店内で梁型、ローション、コックリングを買うと、レジ前で即犯し開始。

ローションをぶっかけ、梁型をケツに一気に突っ込まれコックリングを根元でカチッと固定。

「うぐっ……あっ……!」

店員おっさん激怒

「てめえら! 警察呼ぶぞ!」俺は梁型を刺したまま土下座して泣きながら叫んだ。

「違うんです……俺が……頼んだんです……いじめじゃない……俺が変態で……この銀の身体を……壊してほしいって……お願い、警察呼ばないで……」店員呆然としながら、結局追い出すだけだった。夜の公園。雨が本降り。

暗いベンチ裏に俺は押し倒される。

ヤンキーたちが本気で暴行を始める。

顔を地面に押し付けられ、銀の胸を蹴られ、ゴーグルを掴んで首を捻られ、梁型を奥まで抉られる。

「銀マッチョの雌穴、緩すぎだろ」

水泳選手の体で土下座してんじゃねえよ」

「ゴーグル被ったまま泣いてる顔、最高にキモいわ」殴る、蹴る、髪を掴んで引きずる。

痛みが全身を走る。

心はもう粉々。

「俺は美しいはずだった……銀の水獣だった……」

そのプライドが、暴力のたびに削られていく。

なのにチンポは一度も萎えない。

コックリングで締め上げられた銀チンポが、痛みのたびにビクビク跳ねる。

ケツの奥を梁型が抉るたび、熱い波が背骨を駆け上がる。

「あ……あんっ……」

女みたいな声が漏れる。最初は拒絶だった。

「痛い……やめて……俺は……」

でも痛みが繰り返されるうちに、何かが溶け始めた。これは……苦痛じゃない。

これは……俺がずっと欲しかったもの

スイムキャップとゴーグルで顔を隠した瞬間から、俺は「見られるための物体」になりたかった。

美しい銀の水獣なんかじゃなくて、ただの「雌の肉」。

強いマッチョプライドなんて、最初から偽物だった。

子供たちに笑われ、ヤンキーに踏まれ、梁型で犯され、雨に打たれるこの屈辱——

これが、俺の本当の美しさ。心の奥底で何かが「カチッ」と音を立てて落ちた。

ナルシシズム最後の欠片が、完全に崩壊する。

代わりに湧き上がってくるのは、甘くて熱い喜び。

もっと……壊して……」

俺は自分から腰を振り始めた。

地面に顔を押し付けられたまま、銀の身体をくねらせ、

あんっ……んんっ……雌の……マッチョ……にして……」ヤンキーたちが気づく。

「は? お前……感じてんじゃんマジで

「銀マゾ、完全に雌落ちしたぞ」その言葉で、俺の頭の中が真っ白に染まる。

もう抵抗なんてない。

痛みは快楽に、羞恥は悦びに、暴力愛撫に変わった。

スイムキャップの下で、ゴーグル越しに雨が見える。

この姿——銀の水獣が、雌に堕ちた瞬間——が、俺の人生で一番美しい。「……もっと……犯して……この銀の身体を……雌の奴隷に……壊してぇ……」俺は泣きながら、何度もイキ散らした。

心はもう、完全に雌落ち。

銀色水泳マッチョは、雨の公園で、ヤンキーたちの玩具として、

永遠に喜びに目覚めたまま、震え続けていた。

2026-03-15

夜の海

今日竹芝海辺に行った。夜だった。海は真っ黒で、でもビルの光がチカチカ反射して完全な闇じゃなかった。波が寄せては返すたびに、細かく砕けて頭から離れなかった。風が強く吹いて、潮の強い匂いが鼻の奥まで入り込んでくる。

そんな場所に立っていると、昼間の自分とか仕事中の自分とか全部遠くに飛んでいって、ただ「今ここにいる身体」だけになる。

本当に気持ちいい。

俺は本物の変態だ。ナルシストかい言葉じゃ足りない。家に帰ったらすぐ全裸になって鏡の前に立つ。照明を落として、自分の体をじっくり見つめる。

から胸、腹筋の溝、太ももの張り、全部がくっきり浮かぶ。中でも一番愛おしくて、真正から向き合いたいのは自分ペニスだ。太くて長くて重いチンポ。血管が浮き出た太い幹は手のひらに収まらいくらい太くて、先端は大きく張り出して別の生き物みたいに脈打つ。勃起させると根元から先端まで鉄みたいに硬くなって、重々しくビクビク揺れる。俺は両手でしっかり包み込んでゆっくりシゴきながら、鏡の中の自分に囁く。

「愛してるよ」と言いながらガラスに唇を押しつけてキスする。時にはチンポを鏡に擦りつけて、鏡の中の自分と本気でセックスしてるような妄想に浸る。射精した瞬間、鏡に白い精液が飛び散って、俺はただ「ここにいる」と胸の奥で思う。勃起は俺にとってただの欲情じゃない。

自己肯定感のものなんだ。ガチガチ勃起してるだけで「俺はまだ生きてる」「俺は俺でいい」って体が証明してくれる。

有毒なナルシズムはチンポを武器にして他人踏み台にするやつだ。あれは脆くて、他人視線や反応にすぐ依存して萎える。

俺のは場合は少し違ってて、静かで内向きで執拗ものだ。勃起したチンポを鏡の前で愛撫しながら、誰もいない部屋で「俺はこれで十分だ」と呟く。誰にも優位に立たなくても、誰にも認められなくても、ただ勃起してるだけで俺は満たされる。

有毒な男らしさは勃起支配象徴にして他人威圧する。

俺の男らしさは勃起をただ「ここにいる証」として受け止める。隠さず、誇張せず、ただそこにある熱い肉棒を愛すること。俺は後者を選びたい。勃起したペニス世界の外に置き去りにしたくない。もっとしっかり向き合いたい。見られることも、感じることも、全部「今ここ」の一部として。

夜中は特にそれがエグい。

全裸のままランニングをするのが好きだ。勃起したチンポを堂々と前に突き出し状態で港を歩く事も。街灯の下で筋肉が艶やかに光って、腹筋の影が深く刻まれる。大きなペニス重力に逆らって上向きに張りつめ、先端から透明な先走り液が糸を引いてダラダラ滴る。歩くたびにチンポが重く揺れて太ももに当たる感触がする。それでも俺は隠さない。胸を張って背筋を伸ばし、ゆっくりとした歩幅で歩く。誰かに見られても構わない。むしろ見られたい。その視線でチンポがさらに硬くなって、露出快感が全身を駆け巡る。そこに羞恥はない。ただ「ここにいる」という純粋傲慢肯定だけだ。勃起したまま夜の港を歩くとき、俺は自分のチンポと真正から向き合っている。

そんな俺が今日スパイダーマンスーツを着ていた。

薄い布が全身にピッタリ張り付いて、勃起したチンポの形がくっきり浮き出る。スーツの中でさえ根元からカリまで丸わかり。もっこりというより保健体育の教科書イラストような鮮明さがある。

俺はそれを恥ずかしいとは思わない。むしろこの姿で夜の海辺に立ってる自分が、鏡の前と同じくらい興奮する。

「こんばんは」

スーツ姿で自撮りをしていたら中年の男に話しかけられた。少し酔ってる感じだった。あとで聞いたらホテル料理人で、昔自衛官だったらしい。見た目はくたびれてたけど。最初にって笑いながら言ってきた。俺はストレートに答えた。

「好きだからです。この姿の自分が好きなんです」。

そいつは笑いながら俺の体を舐め回すように見てきて、「変態だな」って言った。

俺は「そうですね、変態ですよ」って普通に返した。むしろしかった。そいつは言い方は雑だったけど、ちゃんと俺のチンポのラインとか胸板とか腰のくぼみまでガン見してた。俺のチンポはもうそ視線だけでガチガチ勃起してて、大きな幹が布を押し上げ、カリの形までくっきり浮き、先端がじわじわ先走り液を染み出させてテカテカ光ってる。それでも俺は堂々と胸を張っていた。

それからしばらく俺たちは他愛もない話をしていた。

俺が好きなスポーツの話をしている時、しばらく沈黙があった。

「立派だな」って言われた。男はかなりストレートに俺の股間を見てた。俺のチンポはスーツの中で熱く脈打って、根元から先端までびしょびしょに濡れてた。俺はそれを隠さず、ただそこにあるものとして受け止めてた。

そいつが「俺のはもう枯れちゃったよ」って言ったとき、俺は唐突に「このスーツ、着てみますか?」って提案した。反射的に。

「今ここで?」

「無理ですよ……」

そいつは少し好奇心を混ぜたような、でも戸惑った声で言った。俺は笑って答えた。

「夜は誰も来ませんよ」

近くの公衆トイレを指さしながら、

背中のチャックを閉めるのは僕がやります安心してください

そいつは一瞬迷った顔をしたけど、結局「……わかりました」って小さく頷いた。

しばらく待っているとトイレの中から男の声がした

すみません背中のチャックを閉めてくれませんか。」

トイレの中でファスナーを閉めて、マスクを被せた瞬間、俺は思わず声に出した。

「美しいですね」

マスクかぶったそいつは、ただの黒い布じゃなくなって、完全に別の存在になっていた。俺のチンポもその姿を見てさらガチガチに硬くなった。俺たちは格好良さと美しさで繋がってるのかもしれない。姿見の前に並んだとき、二人はどちらもガチガチ勃起していた。

俺のチンポはスーツの中で限界まで突っ張ってて、そいつのチンポも薄い布を押し上げてカリ輪郭までくっきり浮き出ていた。先走り液が二人とも染み出して布がぐしょぐしょに濡れている。

スーツの薄い生地勃起したチンポが窮屈そうに暴れている。スーツに擦れるたび、まるでガーゼにローションをたっぷりつけてチンポを擦りつけるオナニーみたいだった。先端がびしょびしょに濡れてローションまみれみたいになって、激しく勃起したチンポがビクビク動くたびに布に擦れて気持ちいい。

変態の俺と、普通そいつが、こんなところで同じような快感を共有してるのがなんだかおかしくて、でもすごく自然に感じた。

俺は少し勇気を出して声をかけた。

「ここにいるより、外で撮りませんか?」

「……恥ずかしいです」

そいつは心細そうな声で答えた。マスクを取ろうとする手を、俺はそっと優しく掴んだ。

そのまま外に歩き出すと、そいつの足取りは意外と軽かった。まるで少しずつ自信が出てきてるみたいだった。彼はまだ勃起をしていた。

スーツ股間がくっきり浮き出たまま、歩くたびに布に擦れてビクビク動いているのがわかった。少し歩いてから、俺はふと思いついて聞いてみた。

「なんか……今、ガーゼオナニーしてるみたいな感じしませんか?」

そいつは小さく笑って

はい、私も同じ事を考えにいました。ほんと気持ちいい」

俺も笑いながら答えた。

「……わかりますよ、すごく」

二人で声を抑えて笑った。男子高校生みたいに。

冗談のノリで軽くハグした。不意に勃起したチンポ同士がスーツ越しに擦れ合った。

俺は自分自身と抱き合っているような感覚だった。鏡の中の人が出てきて俺を抱いてくれた気がする。彼は俺に甘えるような動きで体を預けてきて、まるで野性の動物がじゃれ合うときみたいな自然な動きだった。

警備員が近づいてきたときも、俺たちは自然に肩を寄せ合った。俺が「友達コスプレ撮影です」って笑って答えて、彼も小さく頷いてくれた。警備員が去ったあと、俺たちはまた軽く笑い合った。変態の俺と、そうじゃない彼が、まるで当たり前のようにお互いをかばい合ってた。そのときも、二人のチンポはまだ勃起したままだった。俺たちはそれを隠さず、ただそこにあるものとして、静かに向き合い続けていた。

別れるとき、俺は彼にスーツマスク押し付けた。勢いもあった。でも渡したかった。

彼がそのあとどう生きてるのかは知らない。

ブラックパンサースーツをもう一度着たかどうかも知らない。ホテル厨房で働き、疲れて帰って、また眠るだけの日々に戻ったのかもしれない。

あの夜のことは、それだけだ。

夜の海のにおい。

砕ける光。

沈黙

ヒーロー

そして、ただの俺。

2026-03-08

anond:20260306212922

ソフトなM女だよ〜

大体みんな言ってるけどヒアリング実践あるのみだと思う!

乱暴行為とは?

増田の疑問はもっともなんだけど、相手にどれくらいのマゾっ気と経験があるのか、どういう種類の乱暴がいいのかはホントに人によって違う。

個人的にこのあたりかな〜と思うものを挙げる。

・出し入れ激しくする(要注意) ←相性もあるけど上手い下手もあるので、勉強して奥までずっこんばっこんリズム良くできるようになると良い。痛いのはまずは避けたい

・バックでする ←バックしながら髪掴むのはひとまずやめておけ

・道具でイかせまくる ←吸うやつなければローター等おすすめ

・腕を掴んで動けなくする ←拘束好きはまずここから

イラマ ←嫌いな人もいる

スパンキング ←嫌いな人もいる

乳首つまむ ←嫌いな人もいる

下腹部ぐりぐりする ←対外ポルチオってやつ。押す場所違うと萎えるので難易度高め

キスマークまたは噛む ←跡に興奮する人もいる

私自信の話でごめんだけど、私は言葉責め、拘束、目隠し、露出とかの羞恥系、あと主従関係が好きなタイプなんだけど「乱暴」の解釈によってはこういう方向性もあるかもなので全然違ったらごめん。

彼女が、増田に対してSな感じまたはご主人様的な感じをお求めなのであれば上記の行動そのものよりもリードするのを重視して。行為中も「移動する?」とか聞かないで体勢変えるよう指示出したり誘導する感じでいいかも。

リサーチ

行為中やピロートークで「こういうの興奮する?」とか「〇〇するのは嫌だった?」とかでいいから聞いて確認する。「好き?」って聞くより「嫌だった?」って聞かれる方が個人的には有難い。

なぜなら「嫌だけど興奮する(だからしてほしい)」とか「(恥ずかしいから好きとは言えないけど)嫌じゃない」って言えるから

あとガチマゾじゃなくてもセーフワードはあっていいかも。

あと彼女が使ってる女性用のオカズとか参考にはなるよね。


あと個人的な注意点としては、

・どれだけ乱暴でもゴムはつけよう

おっぱい鷲掴みはやめてほしい →胸の形崩れたくないから優しく扱ってほしい。乳首はまた別。

・髪掴むのもちょっとやめてほしい →ひっぱると髪にダメージいくから痛めたくない。

・痛いのが好きでも粘膜部分は傷付きやすいから注意して扱ってほしい。

そのくらいかな…?

良きえちえちライフをお過ごしくださいね〜!

2026-03-02

anond:20260302221821

■ 主な理由

証拠不足(最も多い)

刑事裁判

合理的な疑いを超える証明

必要です。

よくある壁:

• 物的証拠が乏しい

目撃者がいない

供述の信用性争い

時間経過で証拠消失

特に密室犯罪では、立証ハードルが非常に高くなります

👉 疑わしくても有罪にできないケースが現実にある

被害申告がない/取り下げ

刑事事件原則として被害申告が重要です。

起きやすい背景:

• 恐怖や羞恥

加害者との関係性(親族・知人)

示談圧力

心理的負担

現在日本法では不同意性交等罪は「非親告罪」ですが、実務上は被害者の協力が極めて重要です。

示談成立による量刑軽減

日本刑事実務では示談が成立すると:

• 不起訴

執行猶予

量刑軽減

になることがあります

ただし:

子ども対象の重大事案では実刑になる傾向は強い

です。

心神喪失責任能力問題

刑法上、

心神喪失無罪

心神耗弱減刑

となる制度があります

ただし実務上、完全無罪になる例は多くありません。

加害者特定できない

DNA等がなければ:

犯人不明

捜査継続

公訴時効(※不同意性交等の重罪は時効が長期化・一部廃止

などで処罰に至らないことがあります

起訴猶予(検察判断

証拠はあるが、

• 情状

• 初犯

示談

再犯可能性低い

などで不起訴になるケース。

ただし、児童への重大性犯罪ではかなり限定的です。

日本量刑現実

現在法改正後はかなり重くなっており、

不同意性交等罪:5年以上有期懲役

児童への加重事由あり

執行猶予が付きにくい傾向

です。

昔より明確に厳罰化しています

重要視点

世間で「なんで捕まらないのか」と感じる事案の多くは、

❗ 実際に無罪なのではなく

❗ 立証が極めて難しい犯罪構造

にあります

これは制度の甘さというより、

冤罪防止

証明責任の厳格さ

とのトレードオフでもあります

もし関心があれば、

日本不同意性交等罪の改正ポイント

実刑率の実データ

示談量刑に与える実務影響

冤罪とのバランス問題

など、司法実務ベース解説できます

2026-02-07

かぐや姫!が超つまらなかった

ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』がゴミだった。

まあまず『ワールドイズマイン』や有名ボカロ曲を使ったプロモーションを全面に押し出してきていた時点で怪しいものを感じていた人は多いと思うのだが、

その予感は当たっていましたね。

駄作だった。不愉快ですらある。

百合っぽければいいんでしょ」とか「長い時間をかけて思いを募らせてればいいんでしょ」、「とりあえずライブ入れておけばいいんでしょ」

という、現代の客をナメてナメて舐め腐った作り手の意識が出尽くしてしまった、典型的な『若者舐めてる系』の創作である

いやまあ、実際のボカロ曲の選定を見るに、自分10代だと思い込んでいる30代とか40代おっさんとおばさんがメインターゲットなのは明らかなのだが。

ちなみに俺はアニメは一応2回見て小説版は見て、ガイドブックを参考にこのレビューを書いている。

ガイドブックは絵もテキストもクソ浅い情報しか載ってないのに3000円以上も取るのかよ、という客をナメたものなので買うのは推奨しない。


☆良かった所

・一部のアニメーションと演出

・曲、声優の演技

■悪かった所

シナリオキャラクターを中心とした「良かった所」以外の全てがゴミ


シナリオについて

ガイドブックによるとメイン声優陣が「複雑すぎる話を最初は飲み込めなくて~」と言ったことを全員語っているが、それはまあその通りである

この話にシナリオなんてものほとんどないからだ。っぽくしているだけで、ぶっちゃけしたことはやってないというかシナリオ構造自体破綻しているのだからキャラの想いなんてものはなくて当然である

複雑なんじゃなくてシナリオになってないのだ。というか、キャラクターの行動原理がわからないのだから当然だろう。最初から製作陣がわかっていないもの説明しろと言われても無理なものは無理なのである

なんでこいつら配信してんの?いやまあ表層的なことはわかりますよ。歌に救われた(笑)とか、推しに救われた(笑)からだよな。

まあ、それならそれでしっかりそれを描いてくれないと説得力がないんですよね。

そういう人間過程を描く能力がないから、チラ見せしてそれっぽい視聴者の都合のいい妄想に頼ってるんだよな。

能力がなくてやれなかったこと」を「あえてやらなかった」って言うのやめません?「ストレスフルな展開はあえて外しました」じゃないんだよね。

単純にキャラクター設定が適当で、話の構造作りも適当からちゃん人間関係性描くことができなかっただけですよね。

要するに人間人間機微なんてものを描く能力がないんですよ。監督に、脚本に、スタッフに。

キャラクターについて

それなのにインタビューによれば監督は「人間同士の密接な結びつき」を書きたいらしい。

それで、その密接な結びつきとやらはどこにあったのだろうか?

こいつら、結局なんで仲良くなってんの?お互いがお互いを必要とする理由って何?なんで配信者やりたいの?結局さ、人間が描けてないんだよね。

彩葉趣味バイトやりながら東大合格余裕で、ゲームプロゲーマー級、実のお兄ちゃん超人気ライバーという「悩み」があるのも烏滸がましいレベル超人である

いや、わかるよ、苦労してるところを人に見せまいとしたり、父親の死(笑)とか母親との衝突(笑)があったもんな。悩む悩む。ダイジェストでやられたからしっかり伝わってきたよ。

俺も東大法学部余裕でゲームだけで稼げる腕があったら彩葉みたいな『周囲の空気を読む人間』になるわ。

やっぱね、そんなハイスペ人間なら、推しの歌だけを頼りに自分の辛さを覆い隠して笑う人間なっちゃうよね。わかるわかる。ならねえよ。アホかと。

まあ、ハイスペだから絡んでる友達ハイスペってのはリアリティあってよかったと思います。(友達連中は美容インフルエンサー(笑)

そういうスペック高い人間以外は画面に映りすらしないのが監督の人柄がよ~く出てますわね。とても人生に悩む少女を描けていたのではないでしょうか。

カグヤやヤチヨの所も、もうね、浅いなどというものではない。

ヤチヨはなんとカグヤだった!8000年間、彩葉を待ち続けていたのだ!!!って言われてもねえ。

監督自身が言ってるように、『Fate』の士郎とエミヤ関係性やってみてえ!くらいの浅い思いつきでしかないな、と思いましたね。あーわかるわかる、何か8000年の時を経たことで

カグヤを見守る翁と媼になったんだよな。意味わかんねえ通り越して馬鹿なんじゃねえの?なんかそれ話として意味ある?ないよね?

それでやることが結局ライブかよ、という浅さね。こいつら何?ずっとアイドルやりたかったわけ?結局Vtuberとか配信文化ってものへの理解が浅いからこういう表現なっちゃうんだよな。

で、なんだっけ「キャラクターいかに印象に残るか、生涯を通じて人格が変化していくことのエモさを書きたい」んでしたっけ。描けていましたか

自分が育てることになったわがまま娘が自分推していたわがまま娘だった」ことが大変ドラマティックで、2時間使ったらしいのだが、何言ってんだって感じ。

そのギミックから逆算して話を作ってるせいで、いや、話になってませんよね、としか言いようがない。だってどこにドラマがあるのか描いてねえんだもん。

結局その「チラ見せ」でなんか都合のいい話を君の中で膨らませてくれ!ってスタイル、やるならやるでちゃんとやれよ。

2時間ちょいあれば『もののけ姫』くらいの肉厚な人間描写はできるんですよ?なんで出来ないんですか?スタッフ陣に才能ないからじゃないですか?

■それっぽさだけで構成された配信文化ゲーム文化戦闘シーン

輝夜から1ミリ進化してないVtuber像と、Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲームと、

なんかとりあえず戦っとけばいいんでしょ?っていう月人相手戦闘シーンと、もうなんか突っ込むのもめんどくさいくらいのそれっぽさの集まり

しかもそれぞれがストーリーに対して何の寄与もしてないという。配信ものって、結局視聴者バズるためだけの道具というか舞台装置みたいなもんだししゃーないんだが。

他の監督だったら最後戦闘シーンはツクヨミの他の視聴者たちもカグヤのために立ち上がって戦うくらいのハッタリ・サービスは見せてくれてたというか、

カグヤやいろPの配信SNSで繋がることの真の意味でのエモさみたいなのも描いてたと思うんですよね。まあ、この作品製作陣は視聴者なんてどうでもいいと思ってるからそんなん必要いか

何回も言うけど舐めてんだよね、話を。「なんかエペっぽく戦ってるシーンあればエモいっしょ」くらいの舐め。「輝夜月っぽいことやってりゃバズんでしょ?」みたいな舐め。「有名ボカロ曲カバーさせときゃいいっしょ」みたいな舐め。

■「世の中への舐め」

『決めたら叶う』が基本なんだよね。この話。子供を育てることも、家族を説得して引っ越すことも、世界を席巻する仮想世界トップの人気を得ることも、

因果の先でハッピーエンドにすること(笑)も、とにかく決めたら、あとはダイジェストでそれが叶えられていく。何故なら登場人物ハイスペだからです。という身も蓋もない話。

10研究すれば完全な義体も作れるし、行くことを決めたら月の仕事を終わらせて地球に行くことも叶うし、カグヤとヤチヨのなんかよくわからん分裂?3人でハッピーになりたいみたいな都合のいい結末も叶う。

彩葉もカグヤもヤチヨも、全部『悩むけど決めたら全部叶う』が基本。まあこれはしょうがない。今のアニメ観てる視聴者層って何かを決めることがまるで一大事みたいに思いこんでるからね。

それに加えて、結局、監督の恵まれエリート思想が見え隠れするよね。アニメを作る能力もある、予算もある。じゃあ何をするかというと決めることだけなんですよ。

「何をするか決定する」ことにこの物語は終始一番の価値を置いている。世の中の99割のゴミは何かを決めた所で実力とリソースの不足でそれが叶うことなんてないのにね。見てて悲しくなってしまったよ。

このアニメを見て少しでも何か感情的になったゴミ自分が何かを決定したところでハッピーエンドになんてたどり着けないことを胸に刻んで生きていこうな!

監督脚本の「こんなもんでよかんべ」という舐めが見えてくるのに、視聴者ゴミは感動しちゃってるらしいので、その非対称性ホント悲しくなるよ。

かい過程とか、情動とか、どうせ理解できないし、こんなもんでいいでしょ。キャラが何か悩むフリして、ライブ見せとけばいいんだよ。という『舐め』。

まあしょうがいか、こんなアニメで喜んじゃってる層は舐められるに値するよね。

ゴミみたいな『ワールドイズマイン

もうね、ぐだぐだ言ってるけどこれが一番のガッカリポイント

「ワイズマ」に思い入れがあるならちゃんライブシーン描けよ問題

この「ワールドイズマイン」、山下監督たちスタッフが滅茶苦茶こだわっている部分らしく、初報のPVでも使ってるし、

早見沙織インタビュー製作陣のおこだわりを語ったりしているのだがそれにも関わらず、『生歌収録(笑)』にこだわって、なんか微妙な歌と化している。

特に途中の面白グラサンをかけてかぐやがヤチヨに変な踊りを繰り出し、ヤチヨはそれを見て笑う…というシーンがあるのだが恥ずかしくて見ていられない。

陽キャに憧れた陰キャカラオケでふざけてるのを見せられるような羞恥だ。歌ってる時に身内でギャハギャハ笑ってるアイドルとか誰が望んでるねん。

ていうか思い入れがある曲なら真面目に表現しろよ。終始、どこか照れてんだよね、この作品。結局、「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督精神性が現れてるよね。

何回も言うけど、『コンテンツを受容する側を舐めまくってる』ことがにじみ出てるシーンだと思いました。

ていうか百合やりたいのか知らねえけど取り合うシーンいる?歌えよ。歌を。ワールドイズマインだぞ、ワールドイズマイン。なんでちゃんと歌わねえんだよドブカス

総論

監督とPの『竜とそばかすの姫』のライブシーンだけ抽出して変な細田展開減らしたら受けるんじゃね?という目論見はある程度成功したと言えるだろう。

お話は2時間20分かけてやる内容ではないがキャラクターエモーショナルフォーカスしてMVとして見るといいんじゃないっすか?

豪華なMVだよね。竜とそばかすの姫から余計な要素抜いた感じ。

まあ、細田作品それっぽいエモさを褒めてたような人間が褒めるタイプ駄作。お前、サマーウォーズとか好きそうだよな笑

女が主軸で中身の大半がガールズトークみたいな話で、あとはちょっとした作画オタクがほめそやしてるだけ。

なんか派手なライブがあって、それっぽい推しがよくわからない感動的なことしてればそれで良いという、人モドキには向いてるんじゃないでしょうか。

ストーリーもバトルも配信ダンスも全部意味ないけどエモっぽければいいっていう、舐めた作品を見て情動が動くような人って何かが欠けてると思うんですよね。何が欠けてると思います

長ったるい俺のレビューなんて読まなくていいよ。この一言だけ覚えて帰ってください。




かぐや姫には人生がない。

かぐや姫を褒めている人間には、人生がない。

お前には人生がない。

何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ

そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。

かぐや姫話題や絵が出る度に思い出せ。

お前には人生がない。

2026-02-05

### 画像テキストの逐一ダメ出し

画像テキストは、ある本のページから抜粋で、サルトル哲学引用解釈したものと思われます。以下では、画像内のテキスト自然な文単位で分解し、各部分について「どこが間違っているのか」と「本当はサルトルはどういう話をしているのか」を対応させて指摘します。指摘は画像テキスト順に沿って進めますサルトルの主な参照元は『存在と無』(L'Être et leant, 1943年) で、不安(angoisse, anguish)と自由関係議論した箇所です。画像テキストサルトルアイデアを大まかに借用していますが、用語の置き換え、文脈の歪曲、偽の引用が目立ち、全体として自己啓発的な解釈に強引に当てはめている点が問題です。

#### 1. 「と、こんな風に考えてしまう人もいるかもしれません。でも、他人人生凝視している間は、自分人生を生きていないということになります。」

#### 2. 「フランス哲学ジャン=ポール・サルトルは、こう言っています。」

#### 3. 「『憂鬱とは、他人人生凝視しすぎた結果である解決策は、他人人生凝視しないことだ。』」

#### 4. 「彼は、人生崖っぷちに例えています。」

#### 5. 「崖っぷちで下を覗き込むと、めまいが起きる。」

  • **どこが間違っているのか**: この部分はほぼ正しいですが、「下を覗き込む」(gazer en bas)とサルトルが述べているのは事実です。ただし、画像ではこれを「他人人生凝視」に繋げるための布石として使われており、文脈が歪曲されています
  • **本当はサルトルはどういう話をしているのか**: サルトルは「めまい」(vertige)が起きるのは、崖の縁で下を凝視した時だと述べます。これは物理的な恐怖ではなく、心理的なものです。原文では「Je suis sur un sentier étroit, sans garde-fou, qui longe un précipice.」(狭い道で、ガードレールなしに絶壁に沿って歩く)という状況です。

#### 6. 「それは、落ちる恐怖からではなく、自分飛び降り自由を持っていることを認識たからだ。」

#### 7. 「つまり他人人生凝視しすぎると、自分自由直視できなくなり、憂鬱になる。」

#### 8. 「だから他人人生凝視せず、自分人生を生きろ、というわけです。」

#### 9. 「本当の成功者たちは、そんな他人人生なんて気にしない。自分人生を全力で生きている。だから憂鬱になる暇なんてないんです。あなたも、そんな人になりませんか?」

全体として、このテキストサルトルの絶壁の例を借用しつつ、「憂鬱」「他人凝視」という独自解釈を加えており、原典から大きく逸脱していますサルトル本質は、自由の重みを直視し、欺瞞なく生きることです。もし本の文脈自己啓発なら、正確な引用ではなくインスピレーションとして扱うべきですが、ここでは誤解を招く表現です。

anond:20260205131519

何の躊躇いもなくナンパする奴は図太いか基本的に何いっても無駄だと思う。

それでも傷つけたいなら、内輪ノリとかで背伸びしてナンパしてる奴だと仮定して、『無理しない方が良いんじゃない?』的な相手羞恥をつく方向にした方が良いと思う。

2025-12-27

最後】ヤバすぎ地雷案件🔥を華麗に回避できていた件w

昨日の納会に例のエース先輩がいないと思ったら、まさかの「婚約者自分の両親連れて熱海温泉」って聞いて耳を疑ったw

あの先輩が、たかだか週末で十分な熱海なんかに行くために業務放棄

ていうか、そもそも憲法24条読んだことあるのかな?

結婚は「両性の合意のみ」に基づくものであって、親への顔見せとかいう昭和の「家制度」的儀式固執するとか信じられない

リベラルだと思ってた彼のOSも結局はカビの生えた家父長制の亡霊だったってわけね

ご両親だって孫娘みたいな年齢の女紹介されんのは羞恥プレイだろ…って思ったけど…

ここで全てのロジックがつながったわ

これ、結婚じゃなくて「無料介護要員(ヘルパー)の確保」だ

なるほどね

私のアプローチにもなびかず、結婚にも恋愛にも興味なさそうにしてたのに、ここにきて急に結婚することにした理由が完全に解明された

知的レベルの合う自立した女性じゃ「介護」はさせられないもんね

一人じゃ生きていけない程度にリテラシーが低くて、若くて体力だけはある従順個体が見つかったからつかまえたってことか

うわー、危なっ

若い女が好きなだけの本能に忠実なオス」かと思ってたら

さらにタチの悪い「封建的介護要員募集おじさん」だったとか

イケメンリベラルに見せかけて、これ以上ない特大の地雷案件だったわw

あんなのを「尊敬できる」と誤認してた自分認知バイアスに戦慄する

ま、早期に損切りできてよかった

正体がわかれば未練どころか安堵しかない

みんなもたくさんの共感リプありがとね

おかげでやっぱり私は間違ってなかったってわかるわ

さて、こんなミソジニー加齢臭漂う島国脱出して、私はパリの友だちのところで年越しするから、さっさと準備しなきゃ

あー、やっと日本JAPAN)の有毒な空気から解放されるw

じゃ、みなさん良いお年を



悲報尊敬していた会社の先輩(39)が「オス化」してて絶望した話

https://anond.hatelabo.jp/20251223083338

【続報】ランチで答え合わせ完了。やっぱり私の感覚は正常だったわ

https://anond.hatelabo.jp/20251223123658

🤮忘年会証明された「オスの限界」🤮

https://anond.hatelabo.jp/20251225074758

2025-12-26

〈30歳の妻の何も着ていない写真バラ撒き…〉46歳牧師が「妻へのストーキング行為」で立件 逃げ場のない監視生活絶望、夫は起訴され裁判へ【米サウスカロライナ

専門家が指摘するのは、ドメスティック・バイオレンスの一形態「コアーシブ・コントロール強制的支配)」である

殴らない。だが、羞恥で縛り、監視で追い詰め、恐怖で逃げ道を塞ぐ──DV問題に詳しい米専門家は言う。”

https://news.livedoor.com/article/detail/30266803/

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