はてなキーワード: Cageとは
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
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もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
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しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
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『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
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そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
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一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/
自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界のカート・コバーン」へと還元し、その自己破滅をロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレスの作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症や自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身の肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。
だが、昔ながらの保守的な批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。
ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現を模倣したウォレスの自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体の鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的な理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。
ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義(登場人物だけがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。
要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである。
しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムそのものと混同することだ。ヒューバート・ドレイファスとショーン・ドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。
ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。
芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉なニヒリズムそのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。
この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガンに投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)
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ウォレスは、ドナルド・バーセルミやトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトをさらに推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)
その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組が最後にカメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省がプレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。
そのため、最初の長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代の卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。
続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学の創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸の創作プログラムに所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度そのものの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースやバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。
「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。
全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来の北アメリカが「北米国家機構(Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界を舞台にしている。
そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンスも活動しており、ウォレスは物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。
しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家そのものが巨大企業に圧倒されてしまっている。
「ワッパーの年」
この意味で、ウォレスはモダニズムの問題意識をさらに徹底させた作家だった。消費社会が人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である。
消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。
その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画『Infinite Jest』だ。
この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれてしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画をテロ兵器として手に入れようとする。)
この映画を制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリン、マリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。
一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。
そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールド・テニス・アカデミーである。ここは、ウォレス自身が哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。
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『Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である。
その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)
現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。
その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。
つまり、この作品はポストモダン社会の民族誌(エスノグラフィー)なのである。
時間も空間も商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要なものが押し流されてしまう危険も見抜いている。
マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネットが社会を支配する以前、1996年に出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。
「文化が逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」
「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」
『Infinite Jest』は、一つの世代の感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。
とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代にMTVが誕生し、大学時代にインターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。
語り手は、自己意識の牢獄や、無限の可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から、不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。
ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。
薬物依存と絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである。
この見方は私だけではない。
ウォレスの親友の一人だったジョナサン・フランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。
フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。
「私たちの多くにとって人生の意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレスの小説世界ではほとんど存在しない。」
しかし、その一方で彼はこう続ける。
「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分は理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」
私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。
読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。
ウォレス自身もまた、依存症や欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。
そして、この点こそが、ウォレスとフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。
二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。
極端な自己意識、メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。
フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。
私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。
あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。
なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。
それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。
しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものはシニシズムではない。
むしろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである。
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しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである。
それは現代の絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろ、ポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。
もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。
「革新的な文体を用いて、保守的な小説の目的を果たすにはどうすればよいか。」
『ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである。
しかしマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解そのものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。
「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」
彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。
作家スティーブ・ムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカルな世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。
「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」
先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。
そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。
これは決して矛盾ではない。
つまり、「ウォレスは小説の道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。
私たちは、「型破りな文体=非道徳的」という思い込みそのものを退けなければならない。
むしろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。
アップダイクの美文主義では、文体そのものが読者の注意を引きつける。
しかしウォレスが探していたのは、現代の私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。
だからこそ彼は、その声を通して、私たちに真正面から、誠実に、そして道徳的なビジョンを語りかけることができたのである。
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だからこそ、ウォレスがフョードル・ドストエフスキーの人生と作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。
ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。
「もっとも重要なのは、ドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分の文学的栄光しか考えていなかった人物――から、
鶏の厩舎で、身動きもできないほどキチキチのカゴが大量に並べられた形をバタリーケージというけれども
Battery cageなのに日本語だと「バタリーケージ」なのは用語が輸入されたタイミングなんだな多分。
Batteryはもともと大砲並べた砲列のことで、NYのお台場はBattery Park。初期(ボルタとかの時代)の電池は数を並べないと出力でなかったからBattery
https://twitter.com/Kyukimasa/status/1612749810708414464
COC7で現状ある程度読み込んでいて、回せるものになります。初回しまだなのもあるよ。
COC6のシナリオもいくつかありますが、こちらはminataによって7版へコンバートしてあります。
ソロ・タイマンシナリオ→https://anond.hatelabo.jp/20201125114727
2PL固定→https://anond.hatelabo.jp/20201125115125
夜の12時すぎ、探索者たちは焦げ臭さとけたたましいサイレンで飛び起きた。どうやら同アパートの一室で火事が起きたらしい。
幸い一晩で火は消し止められ被害は拡大しなかったが、発火元の部屋は酷い有様で、住民1人が病院に救急搬送された。
警察署で事情聴取を受けいざ帰ろうとしたあなた達は、路地の影からこちらをじっと見つめる一匹の猫に出会うだろう。それは、キィとアパートの住人から呼ばれていた野良猫だった。
| プレイ人数 | 2~3 |
| 想定プレイ時間 | 3~4時間 |
| 形式 | 半シティ |
| ロスト率 | 低い(ほぼ無し) |
| 推奨技能 | 特になし。強いて言うなら目星 |
| 舞台 | 現代日本 |
| 探索者について | 継続新規問わず。アパートに住んでいられるくらいの信用は持ってきてください。 |
探索者たちは有人潜水艇ovoの乗組員として、深海の世界に溺れ往く
光の届かない、今や月より遠い地球の底で。
キミは何を得て、何を置き去りにするのか。
探索者たちは日本初の、民間研究所が開発した有人潜水艇「ovo(オーウォ)」に搭乗することとなった。
探索者たちは深海への探求心を胸に、潜水艇へ歩を進める。もはや月より遠い場所となった、光の届かぬ深海の世界へ向かうため。
| プレイ人数 | 2~3人(推奨2人) |
| 想定プレイ時間 | 4~5時間 |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 中。 |
| 推奨技能 | 目星 |
| 舞台 | 現代日本 |
| 探索者について | 継続新規問わず。潜水艇に興味があり、有人試験の募集に参加していること。 |
目が覚めると、探索者たちは見知らぬ部屋にいる。
どうしてここに居るのか、なぜ他の人々と一緒なのか、記憶が抜け落ちていてさっぱりわからない。
部屋はある程度の調度品が誂えられているものの、どこか生活感が感じられず…何より外に出るためのドアがない。
状況の全く見えぬまま、探索者たちは手探りに脱出を試みていくのだが──。
| プレイ人数 | 2~5人 |
| 想定プレイ時間 | 4時間程度(RPによる) |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 最高。生きて帰れると思わないこと。PvPあり。 |
| 推奨技能 | 目星・聞き耳・図書館 |
| 舞台 | 特に指定なし。好きな年代から連れてきてください。 |
| 探索者について | (ロスト率的な意味で)新規推奨。 |
夏の壱岐島は明るく、緑と生命に満ちている。数か月の間に砂丘と呼ぶことのできるほどに拡大してしまった南海岸を調査するため、探索者たちはこの島を訪れる。
その調査のさなか、探索者たちは生きとし生けるもののほとんどが死に絶え、あるいは生きているものも歪められ、砂に侵された白き砂漠へと迷い込むこととなる。
| プレイ人数 | 3~5人 |
| 想定プレイ時間 | 4~5時間程度(RPにより7時間程度まで伸びる) |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 低め |
| 推奨技能 | 芸術:音楽系、乗馬、医学or応急手当、コンピューター、目星、図書館、歴史、電気修理、戦闘技能 |
| 舞台 | 現代日本 |
| 探索者について | 新規推奨。職業指定はない。どのような理由であれ、調査に関わろうとする者であること。 |
ニュージーランド航空の南極飛行観光旅客ジェット機が謎の失踪を遂げた。
南極調査隊の必死の調査の末、旅客機の無線信号が途絶えた先には、未知の巨大な山脈が立ちはだかっていた。
前人未到のその山脈は、最高高度が海抜1万300メートルにも達する、エレベストを超える世界最高峰であることが明らかになった。
そのあまりに暴力的な山脈に、今、無謀にも挑もうとする者がいる。果たして、神々の頂の上で、探索者たちが出会うものとは。
| プレイ人数 | 3人固定 |
| 想定プレイ時間 | 5~6時間程度(RPにより8時間程度まで伸びる) |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 中。 |
| 推奨技能 | シナリオオリジナル職業『登山家』の職業技能 |
| 舞台 | 現代 |
| 探索者について | 新規推奨。職業『登山家』推奨。HO有り。登山家作成ルールは立卓時に配布いたします。 |
猫を飼っている、あるいは何らかの形で猫と強い縁を持っている探索者たちは、ある日不思議な夢の中で目覚める。
神殿に呼ばれた探索者たちは、何かを封印するためにこの神殿に呼ばれたようだ。
果たして探索者たちは無事に封印を完遂することが出来るのだろうか?
| プレイ人数 | 2~4人、ソロでも可能ではある |
| 想定プレイ時間 | 5~6時間程度 |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 中。 |
| 推奨技能 | 目星、図書館(PL自身が考えて謎を解いていく場面が多い) |
| 舞台 | 年代指定は特になし |
| 探索者について | 継続・新規問わず。猫を飼っていれば特に指定はない |
日本の首都東京の郊外にある街で、「血の池事件」と呼ばれる怪異が数か月前から発生していた。
あなたたちはその街でいつもと変わらない日常を過ごしていた。その日常の裏で恐ろしき事件が発生しているともしれず……
| プレイ人数 | 3~4人 |
| 想定プレイ時間 | 8~10時間程度(RPによる) |
| 形式 | シティ |
| ロスト率 | 高。 |
| 推奨技能 | 回避・幸運。あとDEX。 |
| 舞台 | 現代日本。東京郊外のある街。 |
| 探索者について | 継続・新規問わず。公開HOに推奨職業があるが基本的に事件に関われそうであれば特に指定はない。 |
あなたたちは友人の誘いを受けて、避暑地の別荘に旅行に出かける。
しかし、楽しいはずの旅行中、その友人はどこか悩みのある様であった・
どうやら彼の悩みの原因は、愛する妻の心変わりのようだ。これまで、互いに深く愛し合っていたはずの妻が、最近になって突然自分を憎むようになってしまったという。
| プレイ人数 | 3~4人 |
| 想定プレイ時間 | 7~8時間程度(RPによる) |
| 形式 | ほぼクローズド |
| ロスト率 | 中。 |
| 推奨技能 | 医学 |
| 舞台 | 現代日本。避暑地。 |
| 探索者について | 継続・新規問わず。指定職業は特になし。NPCと知り合いであることが望ましい。 |
夜風が冷たく吹きすさぶ頃。あなたは人を殺すことで報酬を得ている。
世に言われる「殺し屋」だ。
仕事を終えて後始末をしている最中、あなたのもとに一件の電話がかかってくる。
三人の男の殺害を命じられたあなたは、依頼人の待つ【黒嵜町(くろさきちょう)】に歩みを進めるだろう。
| プレイ人数 | 4人推奨 |
| 想定プレイ時間 | 8~15時間程度(RPによる) |
| 形式 | シーン変遷による時間経過型。半シティ。 |
| ロスト率 | 中。 |
| 推奨技能 | 拳銃、拷問 |
| 舞台 | 2020年、日本の黒嵜町と呼ばれる街。 |
| 探索者について | HO有り。特殊技能があるため基本的には新規探索者推奨。 |
有能な執事も、家柄という権力も奪われた今、日頃の学業と鍛錬で身に付けた知恵と技を使い、誘拐犯のアジトから脱出を目指す。
| プレイ人数 | 3人固定 |
| 想定プレイ時間 | 4~6時間程度 |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 低い |
| 推奨技能 | HOによる職業指定あり |
| 舞台 | 現代のどこか。 |
| 探索者について | 公開・秘匿HO有り。特殊探索者作成ルール&職業指定あり。新規限定。 |
(演奏技能は最大60 %までしかとることができない。導入の都合上、全員が幼馴染の集まりである必要がある。年齢の上限については問わない)
| プレイ人数 | 4人固定(公開HO有り) |
| 想定プレイ時間 | 4~5時間程度 |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 可能性有 |
| 推奨技能 | 図書館、目星、回避、編曲技能 |
| 準推奨技能 | 戦闘技能、精神分析 |
| 舞台 | 現代日本。 |
| 探索者について | 公開・秘匿HO有り。特殊探索者作成ルール&職業指定あり。新規限定。 |
又は月で変わらぬ日常を送る。
これから何が起こるかも知らずに。
| プレイ人数 | 4~6人固定 |
| 想定プレイ時間 | 6~8時間程度 |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 中。PvP可能性あり。 |
| 推奨技能 | 目星、聞き耳、図書館、知識技能(天文学、生物学、医学等、自由に取っていい) |
| 準推奨技能 | 戦闘技能、機械修理、コンピュータ |
| 舞台 | 2069年。月。 |
| 探索者について | 基本的に新規のみ。月面研究員2人固定。それ以外は指定なし。特殊作成ルール有 ※そのキャラクターらしい技能を取ってくるのが一番楽しめます。 |
時を同じくして始まった物語が有ったことを、君たちは証明しなければならない。
| プレイ人数 | 4~6人固定 |
| 想定プレイ時間 | 18~24時間 |
| 形式 | シティ探索 |
| ロスト率 | 高。途中退場有り |
| 推奨技能 | 目星・聞き耳・図書館・戦闘技能・運命力 |
| 推奨職業 | 『警察』『病院関係者』『大学生』各1人以上。作成ルール・設定有り |
| 舞台 | 2069年の東京都の架空の区 |
| 探索者について | 新規のみ。指定職業PC以外は物語当日である7月7日の午前8時に病院に来るという理由があればOK。 |
※PL会議を行う場合は必ず宣言をして頂くことになります。無かった場合、全てPC発言として捉えますのでご了承ください。特殊な処理を行うシナリオになります。
2018年8月11日。平成最後の夏。暑さが続く夏の日がとっぷりと落ちた頃、探索者はプラネタリウムへと向かう。
日が落ちて大分時間が経つのにも関わらず、じっとりとした暑さは健在であり、探索者の頬を汗が伝う。
実は探索者は今回、『大人も子供も天体観測を楽しもうツアー』というものを予約しており、このプラネタリウムへと足を運んでいる。
あなた達はここで、世界の命運をかける出来事に巻き込まれていくことになるだろう。
| プレイ人数 | 2~4人 |
| 想定プレイ時間 | 5~6時間 |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 低い |
| 推奨技能 | 目星 |
| 準推奨技能 | 交渉技能、隠密、聞き耳、科学:天文学 |
| 誰かひとりは絶対持っていてほしい | 運転(四輪) |
| 舞台 | 現代日本、平成最後の夏。 |
| 探索者について | 継続・新規問わず。探索者の年齢は18歳以上であること。 |
2XXX年、第三次世界大戦は各国の共倒れという形で終結した。
荒廃と衰退しか生まぬ散々たる結末に世界は憤怒し、この戦争の責任を主要国の4人に押し付けた。
__それが貴方たち探索者だ。
共通HO:貴方は死刑囚である。第三次世界大戦終結後、国際機関である "国際同盟 "に捕らえられ、 戦争責任を負う戦犯者 として 本日処刑される予定だ。(セッション開始直前に「秘匿HO」配布有り)
| プレイ人数 | 4人固定(HO有り) |
| 想定プレイ時間 | 6時間程度 |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | 低い。 |
| 推奨技能 | 各HO推奨技能 |
| 準推奨技能 | 目星、図書館、精神分析、戦闘技能 |
| 舞台 | 2XXX年、第三次世界大戦後 |
| 探索者について | 基本的に推奨技能の関係で新規のみ。公開HOあり。協力型。(セッション開始直前に「秘匿HO」配布有り) |
真実とは、何でしょうか?
それは簡単です。
探索者達はある時、見知らぬ部屋で目を覚ます事になる。
| プレイ人数 | 2~4人 |
| 想定プレイ時間 | 4時間程度 |
| 形式 | クローズド |
| ロスト率 | あり。死ぬときは死ぬ。 |
| 推奨技能 | 目星 |
| 準推奨技能 | 聞き耳、医学、心理学 |
| 舞台 | 現代日本 |
| 探索者について | 継続・新規問わず。 |
(要は勇気がないんでしょ?)
(獣は檻に入れておけという話だよ。)
(おああーーーっ。https://b.hatena.ne.jp/entry/338552466/comment/vlxst1224)
(単著もないのに。)
それなら仕方ない
「キモい」「無理」「腐女子氏ね」って非難轟々だったぞ>ニコ静止画って書いたら
それらは大人気だ!非難の米がつくとか観測範囲が狭いって言われたんだよな
しかし、男女平等エロの『腐界に眠る王女のアバドーン』も男男のエロシーンはオフにできる機能付きだし
これは同人だからではなくて商業作品でもそうで大昔だと『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』のcageとかでも男の娘はOFF機能あったし
いったいどっちなのかそろそろはっきりしたいところだ
そうだろうか
一般人/女キャラ萌えだけに特化したオタク/淫夢厨などを生み出すウェイ系のライトオタク・DQNオタク/オールドタイプのオタク の巣窟と思って見とるけどな>ニコニコ静画(ニコニコ漫画)
歴史や神話ゆかりの作品みるとオールドタイプのオタクの米が面白い
非商業の作品だと種付けおじさんにメスイキさせられてしまう話とかも好意的に受け入れられている(女の方がいいという米はあっても攻撃性はない)
『腐界に眠る王女のアバドーン』みたいな男も女も落とせるゲーム作ろうって米ついてる
が、そのゲームでも男男のエロシーンはオフにできる機能付きだけどな
これは同人だからではなくて商業作品でもそうで大昔だと『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』のcageとかでも男の娘はOFF機能あったで
昨日見事にリバーでA落ちてKKが負けたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
社会に出て働いて入金してプレイしてレーキ納めてやるって言ってるのにスターズは何が不満なんだ?
10万VPP以上貯めても昔みたいにスーパーノバを超える待遇を受けるのほぼ無理だからwって言っててたくさんプレイするやつなんかいねーよ。
MBOしてもいいしインサイダー取引もどうでもいいからプロモ増やせよ。
SHARK CAGEとかどうでもいいからサーバ安定させろよ。
日本の有名なモデル兼金融系OLに払う金あるなら私にもMEGA10ボーナスくれよ。
どうすんだよ2NLに戻らなくちゃならねーだろ。
ふざけんなスターズ。
プロモも増やせないしレーキバックもマックス30%くらいしか払えないけどポーカーエコノミーなんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
オンラインポーカーサイトがプレイヤーにプレイさせないでどうすんだよ。
チャレンジがあれば10NLでもプレイするって2NLプレイヤーがゴマンといるんだから取り敢えず入金ボーナス出すか夢あるチャレンジやれよ。
みんな『SAY YES』だの『YAH YAH YAH』だの、大喜利のネタがいかにもありきたり。確かに『SAY YES』とか『僕はこの瞳で嘘をつく』は汎用性高いけど。
ということでファン歴5年(つまりほぼ新参だけど)の俺が、ASKAの曲の中で、薬物疑惑と絡めて聴くと味わい深い曲を紹介します。
自分達を犯罪者になぞらえて、もう後戻りは出来ない、俺たちはひとつに結ばれちまってるぜ、このまま進もうぜーと歌い上げる。
今聞くともう、薬物中毒でありながらCHAGEandASKAにとってなくてはならない存在であるASKAが、CHAGEや事務所の人間に語りかけてるようにしか聞こえない。
もう出だしが良い。
びくびくするな 顔を変えるな
何もなかった そのままでいい
誰も思わない 聴かれもしない
すべてを認めるな
今まさにこんな感じなんじゃないんですかねえ。
これに続く、
手抜かりは掃いて捨てるほど
あるにはあったさ
それでもここまで潜り抜けてきたさ
サビの
とか、CHAGEや事務所の人間が今聞いたらどんな気分になるんだろうと思う。
とりあえず俺は本当にこれぐらい開き直ってほしいと思ってる。
一番目のサビはそうでもないんだけど、
二番目のサビがいい。
Nothing will ever change. We are the ONE
俺たちの鐘の音がどこかで鳴るはずだ
Cracking open the cage. Close to the line
俺たちはひとつ名で結ばれちまってるよ
ケージ(直球)
開けるんですか。
いや、実際にはあけられないんだけど。クラックっていうか多分ただの保釈だけど。
そして、それに続くフレーズがこの曲で一番強烈だと思う。
だってまあ、CHAGEandASKAだもんね……J-WALKとかラッツと違うもんね……ふたりの名前堂々と載せたんだもんね……。
Ah みんなこっちだよ 素敵なとこだよ
出だしド直球
Ah みんなこっちだよ 他人同士さ
汗の出所と来た。
結局は尿でしたけどね。
楽しんだ人が勝ちです 怒った人が負けです
(略)
口を汚すケーキのようなもんだよ
納得する人は少ないかもしれないけど、この曲、何か詞の調子が『パラダイス銀河』とかの頃に戻ってる。変な敬語で。
これを歌ってる光GENJIとかアリだと思いますがどうでしょうか。
で、サビ。
みんなで行こう 仲良しこよしで行こう
裸足で行こう 行こう 行こう
何にそんなうきうきしてるんですかねえ。
この曲、詞がシニカルな分、メロディをポップにしたとASKAは語ってたんだけど、もう残念なぐらいマッチしてる。
そのピークがやはりこのサビ。
極めつけはCメロ
刺激好きですジャパニーズ
ブレーキなかったんだね(悲嘆)
一部週刊誌では渡英したときに薬物を覚えたとされてたけど、この『ONE』こそはASKAのソロアルバム唯一のロンドンレコーディング。
本場でキメてはしゃいでたんですかね。
と。こんな感じで、将来きっと『夢の中へ』に並ぶことになる名ネタ曲だと思う。
最後に言っておくと、
ASKAの詞はだいたい、クスリ決めながら書いたとか言われても仕方ないぶっ飛び方のものが多い(実際キメて書いてたの曲があるのか、それがどれなのかはもちろんわからん)。
コード進行も笑えるぐらい複雑だし。
薬物騒動を面白がってる初心者はどれ聴いてもげらげら笑えるはず。
まあそういう奴らを全員殺してやりたいけど今は我慢してやる。
他に味わい深い曲を聴きたいやつは、
『kicks』に入ってる薬物について直接言及してる『kicks street』を抑えるといい。
後は、最近の曲である『いろんな人が歌ってきたように』とか『birth』を聴けば良い。
2000年代後半以降のASKAは輪廻転生だとかめぐりあわせだとか宗教じみた思想を取り入れた末に、「すべては愛なんだ、君も認めたっていいだろう」と繰り返す地獄に踏み込んでた。
http://anond.hatelabo.jp/20140211223843
あなたの症状はお酒を減らさなければならないという罪悪感があるのに自分の意思ではお酒を止められず社会的にお酒を飲んではいけない場面でお酒を飲んでしまう、というものです。飲酒行動に対するコントロールを完全に喪失している状態ですので、99.9%アルコール依存症です。簡単な自己診断テストがあるのでやってみて下さい。
久里浜医療センター CAGEテスト http://www.kurihama-med.jp/alcohol/cage.html
あなたのつらい気持ちの原因はアルコールです。すなわちアルコールが体からなくなった時のアルコール離脱症状をあなたが「つらい気持ち」と自己解釈しているのです。大量の汗、集中力低下、イライラ感、手の震え、不快な気分、動悸、息切れなどがアルコールが切れた時に発生し、アルコールを飲むとそれらの症状が和らぐという経験はないですか? アルコールを止めれば一時的に離脱症状は強くなりますが2週間もすればなくなります。今のあなたのつらい気持ちもアルコールさえ止めれば良くなる見込みがあります。離脱症状を和らげる薬もあります。
全日本断酒連盟 http://www.dansyu-renmei.or.jp/
http://anond.hatelabo.jp/20100110142109のブックマークコメントについて。
RRD バカはてめーだ。禁止されてる場所で酒を飲む、これだけでアルコール依存症のスクリーニングテストを必要十分に満たす。書かれないと分からないバカはモノ書くな。雇えなんて誰が書いた?妄想ヒドすぎ。病院行け。 2010/01/11
はあ。まあ、とりあえず後回しにしておこうか。「書かれても分からない」んだろうけど。
masudami ↓KASTにもCAGEにもそんな項目ないし、一項目チェックついただけじゃスクリーニング通りません。さらにスクリーニング通っても擬陽性なだけでそ。プリントアウトして病院へ(怒られに)GO。 2010/01/11
情報ありがとうございます。なるほど、見てみましたが確かに「禁止されてる場所で酒を飲む」という項目はないようですね。ない項目でどのように「スクリーニングテストを必要十分に満たす」のか。全く常人には理解しがたいことです。
triggerhappysundaymorning 派遣村収容者はアル中多数って説?事実だったら就職以前の問題だわな. 2010/01/11
steam_heart となると、派遣村で暮らしているのを隠さないといけないわけだwってそれってループするんでもう面倒臭いんで、就職の面談の時に判断してくれません?各種法制を守ってね。 2010/01/11
anomy 健常者の世間, 雇用, 福祉, 社会保障 池田信夫の取り巻きの市場原理主義者は「雇用を社会保障や福祉と勘違いするのはやめませんか?」と言っていたが、これはこれで正しい。つまり、私企業としては雇用の義務はないが政治は面倒見る義務があるってだけ。 2010/01/11
言っておきますが、「酒を飲む派遣村民を雇わなくてなにが悪い」というのが「一理合」って、「派遣村収容者はアル中多数」となり、「となると、派遣村で暮らしているのを隠さないといけない」となるとしたら、それは、
「禁止されてる場所で酒を飲む、これだけでアルコール依存症のスクリーニングテストを必要十分に満た」し、
酒を飲む派遣村民が(元記事に書かれてもいないのに)もれなく確かにアルコール依存症であり、
闇市場もクソも、どうやってでも酒を呑むのがアルコール依存症だよ。酒を呑むことしか考えない、酒を呑むことが人生のすべて、それがアルコール依存症。
も本当に正しく、
そんなもの売り飛ばして酒飲むに決まって
る場合の話なんですよ。それって本当にアルコール依存症の正しい理解なのかな? 「ヒドすぎ」の「妄想」ではないかな? どこにも書いてないものを分かっちゃってるだけなんじゃないのかな?というのをみんな考えてみようね、というのがこちらの意図なわけです。
「健常者の世間」については色々考え方もあるでしょう。個人的には酒びたりで仕事をやっても(職種上問題が発生しにくいなら)本当は構わないとさえ思います。仕事に必要なのは突き詰めて言えば「仕事に必要な能力」のみなのでね。ところが、アルコール依存になったが最後、あらゆるルールを守れなくなるのだあ、というようなことを言う奴がいるのですよ(笑)。健常者と依存者・病人じゃなく、言ってみれば一般人・通常と悪人・損害の話になってしまうわけです。いやまあ、ルールを守れない奴を職場から排除するな、皆の者、納期も出社時間も職務規定も破れ破れえい、というような仕事場があるのならぜひ「酒を飲む派遣村民」の雇用をしてほしいと思いますが。
さて、大半は上記の中で対応していると思うから、莫迦の相手は残りの部分だけにしよう。
雇えなんて誰が書いた?
アルコール依存者も、経済的に十分自立できればそのほうがいいだろう。そもそもの「派遣村民」というところから考えても、村に行かなくてはならないのは仕事が安定しなかったりして低収入だからだ。安定した職で相応の収入があるのならウチで炬燵にでも入って好きに呑んだりすればいいのであって、わざわざ派遣村になぞいくわきゃあない(笑)。安定するどこかの職場、収入の多くなるどこかの職場が彼らを雇うなら、それがどれほどいいことか。
福祉は福祉であるべきだが、「福祉がないといけないという状況」より、「もし仮に福祉がなくても問題なくやっていける状況」のほうがいいに決まっている。それを達成するのは普通、経済的な自立が必要になるはずだ。そしてそれは、派遣村に来るような人間にとって言えば「誰かに雇われる」ことだろう。ところが、派遣村で酒を飲んだら即アルコール依存症認定、アルコール依存症となったらもうルール無用だぞお、と訳の分からないことをほざいて、派遣村民の雇用を妨害しかねない奴がいるのだ。
本当に重度の依存症、どんな些細な飲酒禁止も守れず、酒のためなら何でも売り飛ばすような人間は確かにしかるべき対応が必要だろう。問題はそうである人間もそうでない人間も一まとめに論ずることであり、そういう莫迦の妄言が派遣村民の不利益になりかねないものだ、ということなのだよ。書かれたら分かったかな? なんだったら「病院行」ったらどうかね。
しかし、これにスターつけてるbogus-simotukare、Nephren-Ka、chintaro3、activecuteは何を考えてるのかな(笑)。何かの依存症ですか。
a pig in a cage on antibiotics.
アメリカ国務省は8日に発表した人権報告書で、韓国を人身売買国と規定して、「韓国が人身売買の発生地と同時に中間地、または終着地」としながら、「主に性売買の目的で韓国女性が、カナダとメキシコを経由してアメリカや日本などへ渡っている」と明らかにした。
これに関してMBC『PD手帳』は2部作特集『衝撃報告!海外韓人、性の輸出実態』として日本とアメリカを中心に、現地韓国女性の性売買の実態を取り上げる。
14日に放送される第1部、アメリカ編『黄金の鳥篭(Gilded Cage)の鳥達を救い出せ』ではアメリカ現地の韓国性売買女性の売春問題を取り上げる。また、アメリカ各地を転々として性売買をする女性達の証言と、各種形態の性売買の現場も紹介される。
『黄金の鳥篭』と言うのは2005年6月30日、アメリカFBIを含めた10ヵ所の機関がLAとサンフランシスコ一帯の韓人遊興業店を急襲して40人余りのブローカー組織員と143人の性売買女性を逮捕した作戦名だ。
1,000名の捜査要員と、1,200万ドルの予算が投入されたこの事件は、アメリカでも前例の無い最大の人身売買検挙事件で、関連報道が太極旗と共に紹介されて韓国のイメージを失墜させた。
取材陣は、作戦を担当したケビン・ライアン連邦検事を含めた関連者に、直接会って韓国人の売春実態の深刻さを尋ねた。
実際に最近、アメリカで韓人ブローカーが関連した韓国の性売買女性たちの売春問題が頻繁にマスコミに報道されながら「不法売春分野は韓国系が掌握している」と言う言葉が出ているほどだ。ロサンゼルス警察ジェイソン・リー広報官によれば、この地域で1ヶ月に逮捕する70??80人の売春女性の中で90%以上が韓国女性だと言う。
一方21日、第2部日本編『日本に進出した韓国の集娼村』は日本で成り立つ性売買の実態を集中報道する。
韓国と日本を行き交って性売買をしている韓国女性の数は既に4万―5万人を上回る。また滞留期間の満期を過ぎても日本に定着する女性も数千人に至る。
製作陣は事業主による監禁と搾取など、国内と現地業店の間の密着された構造の中で横行される、性売買女性達への人権蹂躙現場を告発する。