はてなキーワード: 後者とは
デブやブスでは射精できないのは強者男性もどこ行っても爪弾きで女の恋愛対象にされなかった弱者男性も同じなんだよ
だから後者は「美人でも30過ぎた女や貧乳はチー牛ホビットと同じ価値しかないから妥協しろ」というたぬかな発言を絶賛して騙されて恥を晒した
前者=否定
お前の中では、俺のせいだって言い切ってる奴も、なきにしもならずって言ってる奴も、等しく信じ込んでるはずだって結論になるってこと?
dorawiiより
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「前者」と「後者」を具体的に明示してくれ
否定も肯定でもできない、前者とも後者とも違うよね?あるのかないのか自分の考え的に漠としてるってことなんだから。
dorawiiより
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2000年代〜2015年頃の匿名掲示板では結婚を「男にとって人生の墓場」や「男がATM化されるだけ」と表現していたのに、現在では「結婚できない男は不幸、結婚しない女は非国民」という真逆の主張に転換してるよな。
前者はダイヤルアップの従量課金制のインターネット接続の時代が終わり、孫正義のYahoo!BBモデム無料配布と安価で常時接続できるADSLの普及で「自宅PCインターネット」が一気にお手頃になり、大学生になった氷河期世代が大量にインターネットに参入した時期とちょうど重なる。
(ニッチな趣味人や学者のインターネットが本格的に少数派堕ちし、ふたば~ニュー速VIP~嫌儲~なんJといった雑談板、まとめブログの「陰キャ男クラブとしてのインターネット」が全盛期を迎えた時代、とも言い換えられると思う)
後者についてはスマホSNSインターネット時代かつ、皆婚文化が完全消滅済みで「選ばれた人間」しか結婚できなくなり、既婚であることが一種のステータスシンボルとして認識されることが進んだ現在に続く捉え方と言える。
真逆の主張ではあるが、どちらにしろ不幸感を覚えている男性が、不幸感の原因を女性のみに押し付けるという─他責魂─の現れという点では一致している。
そもそもの話だが、自慰行為についての調査を見ると成人男性は99%が経験者であるのに対し、成人女性は3割程度が未経験で、中年になろうが一切自慰行為をしないままであることが明らかになっている。
調査対象や調査主体が異なるどの調査でも、だいたい三割くらいがそのような結果になるので、嘘つきが紛れていることを考慮しても男女の性欲には実際に差があるとは言えると思う。
またピルを飲むようになると、男性ホルモンの効果が打ち消されて性欲が消失したという報告もある。ピル無しでも元々の体質によって一切の性欲がない、全く男を求めない女というのが三割程度存在するのではと推測する。
毎日自慰している1割弱の女は男性ホルモン量が多い体質で、自慰を必要とせず経験しないまま老いていく3割は男性ホルモン量が少ない体質なのではないかということだ。女性の性欲も、引き起こしているのは男性ホルモンである。
平成初期に当時の女性が必死に結婚を望んだのは、男性そのものが好きで陰茎に飢えていたからではなく、30歳を過ぎると解雇される社会構造の中で生活のために結婚するしかなかったからといえる。
そこにはもちろん、性行為・異性に一切の興味がないが、結婚しなければ食い詰めるので必死に婚活・見合いに明け暮れた3割程度の女性層がいたはずだ。それを「女は男を求めている」と解釈したのが、男性の勘違いだったのである。
その層が夫をATM化してセックスレス化するのは当然の帰結であり、そうした妻に当たった夫から「結婚は人生の墓場」という言葉が産まれ、ゼロ年代の2ちゃんねるを席巻したのでは。
そして医療の発達による急速な高齢化や障害者の長寿化により、老齢年金や障害年金の支出が嵩み、医療・福祉・教育・介護といった現場でも女性の労働力が不可欠になった結果、
女性は30歳を過ぎても解雇されなくなった。看護師の女性率は91.3%。解雇すると現場が崩壊するのだ。
1995年以降は窓際おじさんがリストラされてもおかしくない時代になっている。高度経済成長~バブル期のように「社員の男性のお嫁さん要員」としてお茶汲みの若い女性を採用するような余裕が企業になくなり、現場で戦力になるような女性労働者が求められるようになった。
(結果、知的障害・精神障害・発達障害などを抱えた無能女性が、実質的な社内水商売でありながら社保に加入できる「お茶汲み」で人生を誤魔化すことができず、はっきりと風俗堕ちしていくという女性の能力階層分断も発生してはいる。能力階層分断は男性の中では元々当たり前としてあったもので、女性の置かれた状況が男性化したといえる)
雇用があれば生活が成り立つため、男嫌い女性や性嫌悪女性が無理に結婚する必要がなくなった。男性のことが好きな女性しか結婚を求めなくなり、「男性が好きな女性」には「好みの男性」の概念があるため、「好かれるような男性」しか結婚できなくなった。これが既婚であることのステータスシンボル化に繋がった。
(その点、性欲がない女性が相手をATMと割り切るほうが、性的魅力が欠如した男性が結婚相手として選ばれるチャンスが残っていたともいえる。今やこの層の女性は結婚を避け、賃労働を選択するようになった。出産より賃労働のほうが待遇がマシだからである)
男性向けフィクションにおいて、2000年代〜2015年頃の匿名掲示板では処女厨しかおらず、キャラクターが非処女であれば作者が殺害予告されるレベルでの反発が起きていた。美少女絵の体型も「つるぺた」などペドフィリア的な感性が好まれた。
現在はといえば、「長乳」などの脂肪がだらしない体型、異様なまでに太い太腿、そして寝取られなどの性的にだらしない内面の女の絵が人気である。これは性欲が皆無の女性の存在、性嫌悪の女性の存在が可視化され認知が進んだことにより、
男性を求める、性欲がある、だらしないエロい女、体つきもだらしない、という像が求められるようになったということなのでは。だらしない女だからこそ、しょうもない男と能動的に性行為することに説得力が産まれるのである。
こうした流行の性癖変化も、「結婚は人生の墓場」から「結婚できない男は不幸、結婚しない女は非国民」への大転換並に、大きな変化だと思う。
7月15日(水)曇りのち晴れ
朝起きたら、雨が上がっていた。曇り空だったけど、昨日までの雨に比べたら、だいぶマシだった。梅雨明けが近いのかもしれない。天気予報を見たら、来週あたりから晴れマークが増えていた。そろそろ夏本番だ。
会社では、特に大きな出来事もなく、淡々と1日が過ぎた。こういう「特に何もない日」を日記に書くとき、何を書けばいいのか少し迷う。でも、考えてみたら、人生のほとんどはこういう「特に何もない日」でできているんだと思う。大きな出来事がある日の方が、実は少数派だ。
昼過ぎ、給湯室で、誰かが淹れたコーヒーの匂いが漂ってきて、つられて自分もコーヒーを淹れに行った。コーヒーの匂いというのは、不思議と人を惹きつける力がある。味よりも、香りの方が記憶に強く残るという話をどこかで聞いたことがある。本当かどうか分からないけど、コーヒーの香りを嗅ぐと、いろんな場所や時間を思い出す気がする。
午後、退勤前に、久しぶりに空を見上げたら、雲の切れ間から夕日が差し込んでいて、綺麗だった。オフィスの窓から見える景色は、いつもは特に気にしないけど、たまにこういう瞬間に出会うと、少し得した気分になる。写真を撮ろうかと思ったけど、結局撮らなかった。記憶にだけ残しておくことにした。
夜、家に帰る途中、商店街のパン屋さんでいい匂いがしたので、つい引き寄せられて入ってしまった。焼きたてのメロンパンを買った。家に帰って、まだ温かいメロンパンを食べたら、外はカリッと、中はふわふわで、とても美味しかった。こういう、予定していなかった小さな幸せが、意外と1日の満足度を大きく左右するんだと思う。
7月16日(木)晴れ
久しぶりの快晴だった。梅雨明けが近いことを実感する空模様。朝から気温が高くて、家を出た瞬間に「あ、今日は暑い日だ」と分かった。半袖のシャツにして正解だった。
会社への道すがら、セミの鳴き声を今年初めて聞いた気がする。夏の始まりを告げる音として、セミの声というのは象徴的だと思う。子供の頃は、セミを捕まえるのに夢中だったけど、大人になった今は、ただその声を聞くだけになった。捕まえようとは、もう思わない。
会社では、暑さのせいか、みんなどこか気だるそうだった。冷房の効きが悪いフロアで働いている同僚が「今日は特に暑い」とぼやいていた。冷房の効き具合というのは、オフィスによって本当にまちまちだと思う。効きすぎて寒いフロアもあれば、全然効いていないフロアもある。ちょうどいい温度のオフィスというのは、意外と貴重なんじゃないかと思う。
昼休み、暑さに負けて、冷たい蕎麦を食べに行った。ざる蕎麦とかき揚げのセット。冷たい蕎麦をすする瞬間、暑い日にしか味わえない美味しさがあると思う。同じ蕎麦でも、冬に食べる温かい蕎麦とは、また違う魅力がある。
夕方、退勤後、暑さで少しばてていたので、まっすぐ家に帰らず、コンビニでアイスコーヒーを買って、公園のベンチで一休みした。木陰に座って、アイスコーヒーを飲みながら、行き交う人を眺めていた。特に何をするでもない時間だったけど、こういう時間があるからこそ、また明日も頑張れる気がする。
夜、暑さでシャワーを2回浴びた。1回目は帰宅してすぐ、2回目は寝る前。夏はシャワーの回数が増えるけど、それも夏らしい過ごし方の一つだと思う。扇風機をつけながら、なかなか寝付けない夜を過ごした。
7月17日(金)晴れ
今週も金曜日を迎えた。梅雨が明けたようで、朝から強い日差しが照りつけていた。夏本番という感じがする。
朝、天気予報で「梅雨明けが発表されました」というニュースを見た。毎年、このニュースを聞くと、なんとなく気持ちが切り替わる。じめじめした季節が終わって、いよいよ夏本番。暑いのは苦手だけど、夏という季節そのものは、なんだかんだ好きだ。花火大会とか、かき氷とか、夏にしかない楽しみがたくさんある。
会社では、金曜日特有の解放感が朝から漂っていた。みんなどこか少し浮足立っている気がする。仕事自体は普段通りだったけど、心なしか作業のペースが速かった気がする。早く終わらせて、早く週末を迎えたいという気持ちが、みんなの中にあったんだと思う。
昼休み、同僚と「梅雨明けたね」という話をした。これもまた、季節の変わり目に必ず交わされる、テンプレートのような会話だ。でも、こういう会話があるからこそ、季節の移り変わりを実感できるのかもしれない。1人で黙々と過ごしていたら、案外季節の変化に気づかないまま過ぎてしまうこともある気がする。
夕方、退勤後、久しぶりに夕焼けが綺麗だった。オレンジ色の空を見ながら、駅まで歩いた。夏の夕焼けは、なんだか特別に感じる。空気が澄んでいるからなのか、日が長いからなのか、理由は分からないけど、夏の夕方の空は、他の季節とは違う美しさがある気がする。
夜、家に帰ってから、ビールを飲みながら、この1週間を振り返ってみた。特に大きな出来事はなかったけど、細かい小さなことがたくさんあった週だった気がする。歯医者に行ったり、部屋を模様替えしたり、映画を見たり、メロンパンを買ったり。1つ1つは些細なことだけど、こういう些細なことの積み重ねが、結局のところ生活そのものなんだと思う。特に何もない日々を、これからも積み重ねていきたいと思いながら、この日記を締めくくることにする。
7月18日(土)晴れ
土曜日。梅雨明け後、初めての休日だった。朝から日差しが強くて、カーテンの隙間から入る光だけで、目が覚めてしまった。せっかくの休日なのに、こんなに早く起きてしまうのはもったいない気もしたけど、二度寝する気にもなれず、そのまま起き上がった。
朝ご飯を食べながら、今日は何をしようか考えた。特に予定はなかったので、久しぶりにシーツと枕カバーを洗濯することにした。夏場は寝汗をかきやすいので、こまめに洗った方がいいと分かってはいるんだけど、ついつい後回しにしてしまう。今日は天気もいいし、いいタイミングだと思って、洗濯機を回した。
洗濯物を干している間、ベランダから外を見たら、隣のマンションの人がプランターで朝顔を育てているのが見えた。青い花がいくつか咲いていて、涼しげな印象だった。自分も何か育ててみようかなと、ふと思ったけど、植物を枯らしてしまいがちな性格なので、多分やめておいた方がいいと思う。過去に何度か観葉植物を枯らしている実績がある。
昼過ぎ、シーツを洗ってすっきりしたベッドで、少し昼寝をした。夏の昼寝は、扇風機の風にあたりながらするのが気持ちいい。30分くらいのつもりが、気づいたら1時間半くらい寝てしまっていた。休日の昼寝は、時間の感覚がおかしくなる。
夕方、近所のスーパーに買い物に行った。夏野菜のコーナーが充実していて、トマト、きゅうり、なす、ピーマンなどが安く売られていた。夏野菜のカレーを作ろうと思って、一通り買い揃えた。レジに並んでいるとき、前の人がすごい量の氷を買っていて、今日の暑さを物語っているなと思った。
夜、買ってきた野菜で、夏野菜カレーを作った。なす、ズッキーニ、パプリカを炒めて、いつものカレーに混ぜ込んだ。夏野菜のカレーは、彩りも良くて、なんとなく食欲をそそる。作りながら、来週も夏らしい料理を色々作ってみようと思った。
7月19日(日)晴れ
日曜日。今日も朝から暑かった。セミの鳴き声が、昨日よりもさらに元気になっている気がする。夏の日曜日というのは、なんだか特有の解放感がある。学生時代の夏休みの記憶と重なるのかもしれない。
午前中、久しぶりにプールにでも行こうかと思ったけど、準備が面倒になって、結局行かなかった。水着とかタオルとか、色々準備しないといけないのを考えると、腰が重くなる。「行こうかな」と思う気持ちと、「準備が面倒」という気持ちの綱引きに、いつも後者が勝ってしまう。来年こそは行こうと思う。多分来年も同じことを言っている気がする。
代わりに、家で麦茶を大量に作った。やかんで沸かして、麦茶パックを入れて、冷蔵庫で冷やす。夏の間、麦茶を切らさないようにするのは、地味に大事な家事の一つだと思う。冷えた麦茶をコップに注いで飲む瞬間の満足感は、夏ならではのものだ。
午後、実家からミニトマトが送られてきた。先週電話で話した、母が育てているミニトマトだった。段ボール箱いっぱいのミニトマトを見て、思わず笑ってしまった。こんなに食べきれるかなと思ったけど、洗って冷やして、そのままおやつ代わりに食べたら、意外とどんどんなくなっていった。庭で採れた野菜というのは、スーパーで買うものとは、なんとなく味が違う気がする。実際に味が違うのか、気持ちの問題なのかは分からないけど。
夕方、ミニトマトのお礼に、母に電話をかけた。「美味しかったよ、ありがとう」と伝えたら、母は嬉しそうにしていた。今年は水やりを頑張ったから、豊作なのだと言っていた。実家の庭の話を聞きながら、久しぶりに実家に帰りたいなという気持ちになった。次の休みにでも、帰省しようかと考え始めた。
夜、日曜日の憂鬱がまたやってきたけど、ミニトマトのおかげで、いつもより少し気分が良かった。小さな出来事一つで、気分というのは意外と左右されるものだと思う。
7月20日(月)晴れ
月曜日。夏本番の暑さの中での出勤は、なかなか体力を使う。駅まで歩くだけで、シャツがうっすら汗ばんでしまう。会社に着く頃には、涼しい格好で来たはずなのに、なんとなくくたびれた気分になっている。
会社の冷房は、今日はちょうどいい温度だった。先週、暑いとぼやいていた同僚も、今日は「今日はいい感じだね」と言っていた。冷房の設定温度というのは、本当にその日その日で違う気がする。同じ設定にしているはずなのに、なぜか体感が違う。多分、外気温との差が体感に影響しているんだと思う。
仕事は、月初めの締め作業が重なって、少し忙しかった。普段よりも集中して作業をこなした。忙しい日は、逆に時間が早く過ぎる気がする。暇な日はダラダラと長く感じるのに、忙しい日はあっという間に夕方になっている。時間の感じ方というのは、本当に不思議なものだと思う。
昼休み、忙しさのせいで外に出る時間がなく、デスクでコンビニのサンドイッチを食べた。作業をしながら食べるお昼ご飯は、あまり味わえていない気がするけど、忙しいときは仕方ない。
夕方、なんとか締め作業を終わらせて、いつもより少し遅い時間に退勤した。駅までの道、夕方でもまだ蒸し暑かった。電車に乗ったら、冷房が効いていて、生き返る心地がした。夏の電車の冷房ほど、ありがたいものはないと思う。
夜、疲れていたので、簡単にそうめんを作った。実家からもらったミニトマトを添えて、彩りよく仕上げた。忙しい日でも、こういう簡単な料理でさっと済ませられるのは、一人暮らしで身についたスキルの一つだと思う。食べ終わってすぐにお風呂に入って、いつもより早めに布団に入った。
今日から7月。特に何も変わらないんだけど、カレンダーが1枚めくれるだけでちょっと気持ちが変わるのは不思議だ。朝起きたら6時58分だった。7時に起きようと思っていたので、2分早く起きられたことに謎の満足感を覚える。別に2分早く起きたところで何がどうなるわけでもないのに。
コンビニでいつものように鮭おにぎりを買おうとしたら、鮭が売り切れていて、仕方なく昆布にした。昆布のおにぎりって、子供の頃は苦手だったのに、大人になってから急に美味しく感じるようになった。舌が変わったのか、それとも塩気の感じ方が変わったのか。多分どっちもだと思う。レジのお姉さんが「温めますか」と聞いてきたけど、おにぎりは温めないので「大丈夫です」と答えたら、なぜか少し気まずい空気になった。おにぎりを温める人もいるのかもしれない。今度試してみようかな。いや、多分試さない。
会社に着いたらパソコンの起動が異常に遅かった。Windows Updateが走っていたらしい。5分くらいぼーっと画面を眺めながら、こういう時間って人生でどれくらい積み重なっているんだろうと考えた。多分合計したら何日分にもなる。何日分もの人生を「読み込み中」の画面に捧げているのかと思うと、少し虚しくなったけど、別にどうしようもないのでコーヒーを淹れに行った。
お昼は同僚と近くの定食屋に行った。日替わり定食が鯖の味噌煮だった。鯖の味噌煮は好きなんだけど、骨が多いイメージがあって身構えてしまう。今日は割と骨が少なくて、安心して食べられた。同僚が「最近暑くなってきたね」と言うので「そうですね」と返した。この会話、多分1年に50回くらいしている気がする。季節の変わり目には必ず誰かが「暑くなってきた」「寒くなってきた」と言い、それに対して「そうですね」と返す。この儀式のようなやりとりに、何か意味があるんだろうか。多分ないけど、ないなりに大事な気もする。
夕方、雨がぱらついてきたので傘を差した。折りたたみ傘を持っていたのは我ながら偉かった。天気予報をちゃんと見ていたからだ。天気予報を見て傘を用意できた日は、なんとなく1日の勝率が上がる気がする。逆に傘を忘れて雨に降られた日は、その後もなんとなく調子が悪い。因果関係はないと思うけど、そういう気がしてしまうのは仕方ない。
夜、お風呂に入りながら、今日1日で自分が何を成し遂げたかを考えてみたけど、特に何も思いつかなかった。メールを何通か返信して、会議に1つ出て、資料を少し直した。それだけと言えばそれだけなんだけど、多分こういう「特に何もない日」の積み重ねが生活というものなんだろうなと思う。湯船に浸かりながらそんなことを考えていたら、のぼせてきたので出た。
7月2日(木)晴れ
昨日ののぼせのせいか、朝からちょっとだるかった。それでも起きて、いつも通り顔を洗って、歯を磨いた。歯磨き粉のチューブがそろそろ終わりそうで、最後の方は絞り出すのに苦労する。あの「もう終わりかけの歯磨き粉を絞る作業」って、地味にストレスが溜まる。新しいチューブに変えたときの、あの気持ちよさといったらない。ニュルッと簡単に出てくる感じ。人生の小さな喜びの一つだと思う。
今日は洗濯物がよく乾く天気だった。ベランダに干した洗濯物が風にはためいているのを見ると、なんとなく気分が良くなる。特に理由はないんだけど、白いシャツが風になびいているのを見ると「いい1日になりそうだ」という謎の予感がする。実際にいい1日になるかどうかは別として。
電車の中で、前に座っていたおじさんがずっとスマホでパズルゲームをしていた。カラフルなブロックを消すやつ。おじさんの指の動きがすごく速くて、なんだかプロフェッショナルな雰囲気があった。世の中には色んな「極める」がある。パズルゲームを極めるおじさんもいれば、将棋を極める人もいるし、たこ焼きの焼き加減を極める人もいる。それぞれの人がそれぞれの世界でそれぞれの熟練度を持っているというのは、考えてみると面白い。
会社では、給湯室でお茶を入れているときに、隣の部署の人と少し話した。「最近、暑いですよね」から始まり、「そうですね、まだ7月なのに」という展開になり、「これから8月とか、どうなっちゃうんでしょうね」で締めくくられた。この会話のテンプレート、本当によくできていると思う。誰でも参加できて、誰も傷つかず、特に何の情報も生まれない。ある意味、完璧なコミュニケーションだ。
昼休みに、スマホで特に見る予定もなかったニュースサイトをだらだら見ていたら、30分くらい経っていた。何を読んだか、あまり覚えていない。多分どうでもいい記事ばかりだったんだと思う。でも、こういう「何も生み出さない30分」も、休憩としては必要なんだと自分に言い聞かせている。
夜ご飯は、冷蔵庫にあるものだけで何とかしようと思って、野菜炒めを作った。もやし、キャベツ、にんじん、あと少しだけ残っていた豚肉。特に美味しくもまずくもない、普通の野菜炒めができた。こういう「普通」の料理ができるようになったのは、一人暮らしを始めてからの成長かもしれない。最初の頃は、何を作っても謎に味が濃かったり薄かったりしたから。
7月3日(金)晴れのち曇り
金曜日は、朝から少しだけテンションが上がる。理由は単純で、明日から休みだからだ。この「金曜日効果」は、社会人になってから何年経っても薄れない。むしろ年々強くなっている気さえする。
朝の電車で、席が1つだけ空いていたので座った。座れるとやっぱり嬉しい。座れた日は、なんとなくその日1日がいい日になる気がする。これも昨日書いた「傘の勝率」と同じ現象かもしれない。人間は、朝のちょっとした運不運に、その日全体の気分を左右されがちなんだと思う。
会社では、午後にどうでもいい会議があった。議題は「来月の飲み会の日程調整」。これのために30分の会議を設定するのは、ちょっとやりすぎな気もするけど、誰も文句を言わないので、そのまま進んだ。結局、候補日を3つ出して、後日アンケートを取ることになった。会議で決めたことは「後で決める」ということだけだった。こういう会議、実は世の中に結構多いんじゃないかと思う。
夕方、退勤時に、エレベーターで一緒になった知らない人と、なんとなく気まずい沈黙を共有した。1階から10階分くらい、無言でエレベーターに乗るのって、地味に緊張する時間だと思う。スマホを見るふりをしながら、階数表示を横目でチラチラ確認する。あの時間だけ特別に時間の流れが遅く感じる。
夜は、久しぶりに友達と電話した。特に用事があったわけじゃなくて、「最近どう?」から始まる、内容のない長電話。1時間くらい話したけど、話した内容を思い出そうとしても、断片的にしか覚えていない。友達の会社の上司が変な人だという話、最近見た映画の話、あと猫の話。それくらいしか覚えていないけど、多分こういう「内容を覚えていない長電話」こそが、いい友達関係の証なんじゃないかと思う。用事がなくても話せる関係というのは、実はそんなに多くない。
7月4日(土)晴れ
休日の朝は、目覚まし時計をかけていないのに、なぜか平日とほぼ同じ時間に目が覚める。体内時計というのは律儀なものだと思う。もっと寝ていたいのに、目が覚めてしまう。二度寝しようとしたけど、結局スマホを見てしまい、そのまま起きることになった。
今日は特に予定がなかったので、部屋の掃除をすることにした。掃除機をかけて、床を拭いて、あと本棚を整理した。本棚の奥から、もう何年も読んでいない本が何冊か出てきた。学生の頃に買った参考書とか、一度読んで満足した小説とか。捨てるかどうか迷ったけど、結局「いつか読むかもしれない」という気持ちに負けて、そのまま棚に戻した。多分このまま一生読まないんだろうけど、捨てる決断をするのも、それはそれでエネルギーがいる。
昼過ぎに、久しぶりに近所の商店街を歩いた。八百屋のおじさんが「今日はきゅうりが安いよ」と声をかけてきたので、特にきゅうりを買う予定はなかったけど、なんとなく買ってしまった。5本で150円だった。安い。家に帰ってから、5本のきゅうりをどう消費するか考えることになったけど、それはそれで悪くない悩みだと思う。
午後は、テレビをつけっぱなしにして、特に集中して見るわけでもなく、なんとなく画面を眺めながらだらだら過ごした。バラエティ番組で、芸能人が知らない街を歩いて美味しいものを探すという企画をやっていた。こういう番組、内容はほぼ毎回同じなのに、なぜか見てしまう。多分、他人が知らない街を歩いているのを見るのが、単純に楽しいんだと思う。自分は歩かなくていいという安心感もある。
夕方、買ってきたきゅうりを浅漬けにした。塩もみして、しばらく置くだけの簡単なやつ。冷蔵庫で冷やして、夜ご飯のときに食べたら、思ったより美味しくできていて、ちょっと得意な気持ちになった。人間、こういう小さな成功体験の積み重ねで、意外と機嫌よく生きていけるものだと思う。
7月5日(日)曇り
日曜日は、なんとなく1週間の中で一番時間の流れが遅い気がする。朝起きて、特に何もしなくていいという状態が、逆に何をしていいか分からなくさせる。結局、布団の中でスマホを見ながら1時間くらい過ごしてしまった。
昼前に、思い立って近くの公園まで散歩に行った。公園には、子供たちが遊具で遊んでいて、お母さんたちがベンチで話をしていた。犬を連れて散歩している人も何人かいた。柴犬、トイプードル、あと名前が分からない小型犬。犬というのは、種類が違っても、みんな同じくらい楽しそうに歩いているように見える。それがちょっと羨ましい。
公園のベンチに座って、しばらくぼーっとしていた。特に何も考えていなかったと思う。強いて言えば、木の葉っぱが風で揺れる音を聞いていた。ああいう「何も考えない時間」というのは、意外と貴重なんじゃないかと思う。普段は常に何かを考えているから、頭が休まる時間がなかなかない。
夕方、日曜日特有の憂鬱がじわじわとやってきた。いわゆる「サザエさん症候群」というやつだ。特に明日の仕事に大きな問題があるわけではないのに、なんとなく気分が沈む。この現象、多分ほとんどの社会人が経験しているんじゃないかと思う。日曜日の夕方6時くらいから、テレビから国民的アニメの主題歌が流れてくると、条件反射的に憂鬱になる。パブロフの犬みたいなものだ。
夜、明日の準備として、シャツにアイロンをかけた。アイロンをかける作業は、地味だけど、なんとなく心が落ち着く。シワが伸びていく様子を見ているのが、単純に気持ちいい。無心になれる作業の一つだと思う。アイロンをかけながら、来週のことをぼんやり考えた。特に大きな予定はないけど、水曜日に歯医者の予約が入っていることを思い出して、少し憂鬱になった。
7月6日(月)雨
朝から本降りの雨だった。月曜日に雨が降ると、なんとなく1週間の始まりとしてはハードモードだと感じる。傘を差して、濡れた靴下のまま会社に行くのは、地味に不快だ。靴の中に水が入ってくる、あの感覚。防水の靴を買おうかと何年も思っているけど、結局買わないまま今年も梅雨を迎えている。
電車が少し遅延していた。雨の日はいつも電車が遅れる。「弱冠の遅れ」というアナウンスをよく聞くけど、「弱冠」という言葉の使い方として合っているのか、前から気になっている。多分、正確には違う言葉なんだろうけど、鉄道業界の中でそういう言い回しが定着しているんだと思う。今度調べてみようと思いつつ、多分調べない。
会社に着いたら、傘立てがいっぱいで、自分の傘を置く場所に少し困った。こういう「傘の置き場所問題」は、雨の日の地味なストレスの一つだと思う。あと、他人の傘と自分の傘を間違えないか、いつも少し心配になる。同じような黒い折りたたみ傘を持っている人が多いから。
仕事は、特に大きな出来事もなく、淡々と進んだ。資料を作って、メールを返信して、会議に1つ出た。雨の日は、なんとなく仕事の効率が落ちる気がする。気圧のせいなのか、気分のせいなのか分からないけど、集中力が続きにくい。窓の外の雨音を聞きながら、ぼーっとする時間が普段より多かった。
夜、家に帰ってから、濡れた傘を玄関で開いて乾かした。傘立てがないので、床にビニール袋を敷いて、その上に傘を置いている。この応急処置的な傘置き場を、そろそろちゃんとした傘立てに変えようと思いながら、もう2年くらい経っている。多分、この先も変えないまま何年か過ぎるんだろう。
7月7日(火)曇り時々晴れ
七夕だった。特に短冊に願い事を書くわけでもなく、笹を用意するわけでもなく、ただカレンダーを見て「あ、七夕か」と思っただけだった。子供の頃は幼稚園や小学校で短冊を書かされた記憶があるけど、大人になってから七夕を意識することは、ほとんどなくなった。
会社の給湯室に、誰かが折り紙で作った小さな笹の飾りが置いてあった。誰が作ったのか分からないけど、ちょっとした心遣いだなと思って、少し和んだ。短冊には「売上目標達成」と書かれていて、思わず笑ってしまった。会社らしい願い事だと思う。
昼休みに、七夕にちなんで素麺を食べようかと思ったけど、結局コンビニでいつものサンドイッチを買ってしまった。七夕に素麺を食べる風習があるらしいということを、テレビか何かで見た記憶があるけど、実際に実行したことは一度もない。今年も同じだった。
夕方、空を見上げたら、雲が多くて星は見えそうになかった。天の川がどうとか言われても、そもそも都会に住んでいると天の川自体、見たことがない。織姫と彦星が年に一度会えるという話は素敵だけど、天気に左右されるというのは、なんだかロマンチックさに欠ける気もする。晴れの年もあれば、雨の年もある。今年は多分会えていない。
夜、実家の母から「七夕だね」というだけのメッセージが届いた。特に返信を求めているわけでもなさそうだったけど、一応「そうだね、こっちは曇ってて星見えなさそう」と返信した。こういう、内容のない親からのメッセージというのは、なんだかんだ嬉しいものだと思う。用事がなくても連絡してくれるというのは、多分ありがたいことなんだろう。
7月8日(水)晴れ
朝から気持ちのいい晴天だった。梅雨の合間のこういう晴れの日は、なんだか得した気分になる。洗濯物を干して、いつもより少し早足で駅まで歩いた。
今日は歯医者の予約日だった。特に痛いところがあるわけではなく、定期検診だったけど、それでも歯医者に行くのは、なんとなく気が重い。あの独特の消毒液の匂いと、器具のキーンという音。子供の頃から変わらない苦手意識が、大人になった今でも残っている。結果は特に問題なく、「歯石が少し溜まっているので、取っておきましょう」と言われて、歯石取りをしてもらった。歯石を取ってもらった後の、歯がツルツルになる感覚は、地味に気持ちがいい。
会社では、新しいプロジェクトの説明会があった。詳しい内容はここには書かないけど、要するに新しいシステムを導入するという話だった。こういう説明会は、いつも「これで業務が効率化されます」という話で終わるけど、実際に効率化された試しがあまりない気がする。新しいシステムに慣れるまでの間、むしろ一時的に非効率になることの方が多い。それでも、みんな真面目にメモを取っていた。
夜、歯医者帰りで少し口の中に違和感が残っていたので、柔らかいものを食べようと思って、お粥を作った。卵を落として、梅干しを添えた、シンプルなお粥。体調が悪いわけでもないのに、お粥を食べるという行為自体が、なんとなく「今日はゆっくり過ごそう」というメッセージを自分に送っているような気がして、悪くなかった。
夜遅く、ベランダに出て夜風にあたった。梅雨の晴れ間の夜は、湿度が高くて、少し蒸し暑い。でも、星がいくつか見えて、七夕の日には見えなかった星が、1日遅れで見えたことに、少し面白さを感じた。織姫と彦星も、1日遅れで会えたのかもしれない。そんなことを考えながら、部屋に戻った。
7月9日(木)晴れ
朝、久しぶりに早起きできたので、朝ご飯をちゃんと作った。トーストと目玉焼きと、コーヒー。目玉焼きの黄身を、いつも半熟にしようとして、気づいたら固焼きになっていることが多いんだけど、今日は珍しく理想的な半熟にできた。黄身にトーストをつけて食べる瞬間は、朝の小さなご褒美だと思う。
通勤中、電車の中で、隣に座った人が大きなあくびをしていた。あくびというのは伝染すると聞くけど、実際に自分もつられてあくびをしてしまった。科学的にどういう仕組みなのか分からないけど、人間の共感能力みたいなものが関係しているらしい。今度調べてみようと思う。多分調べない。
会社では、久しぶりに取引先との打ち合わせがあった。オンラインではなく、実際に来社しての打ち合わせだった。画面越しではなく、実際に人と会って話すというのは、なんだかんだやっぱり情報量が違うなと感じた。相手の些細な表情の変化とか、話すときの間の取り方とか、そういう細かいニュアンスが、画面越しだとどうしても伝わりにくい。
打ち合わせの後、取引先の人と少し雑談した。趣味の話になって、その人が最近キャンプにはまっているという話をしてくれた。キャンプ、興味はあるけど、道具を揃えるのが大変そうで、なかなか手を出せずにいる。でも、話を聞いていたら少し憧れてしまった。焚き火を眺めながらお酒を飲む時間、想像するだけで良さそうだ。今度、道具をレンタルできるキャンプ場を調べてみようと思った。これも多分すぐには行動に移さないと思うけど。
夜、キャンプの話に触発されて、ベランダで小さなろうそくに火をつけて、それを眺めながらビールを飲んでみた。焚き火とは程遠い、ささやかすぎる代替行為だけど、それでも炎を眺めるという行為自体には、なんとなく心を落ち着ける効果があるように感じた。人類は火を発見してから、ずっとこうやって炎を眺めてきたのかもしれない。そんな大げさなことを考えながら、ビールを飲み終えた。
金曜日。今週も無事に終わりそうだ。朝から、なんとなく体が軽い気がする。1週間頑張った後の金曜日特有の解放感が、朝から漂っている。
会社では、午前中に細かいタスクをいくつも片付けた。メールの返信、資料の修正、経費精算。どれも大きな仕事ではないけど、こういう細々としたタスクが溜まると、地味にストレスになる。全部片付けた後の、受信箱が空になった瞬間の爽快感は、なかなかのものだと思う。ただ、この爽快感は長くは続かない。だいたい30分後には新しいメールが届いて、また受信箱が埋まっていく。賽の河原の石積みみたいなものだ。
昼休みに、同僚と「今年の夏、どこか行く?」という話になった。特に旅行の計画があるわけではなかったけど、話しているうちになんとなく気分が盛り上がった。海がいいか、山がいいか、それとも近場の温泉でのんびりするのがいいか。結局、結論は出ないまま昼休みが終わった。でも、こういう「実現するかどうか分からない旅行の話」をするだけでも、なんだか楽しい気分になれる。
夕方、退勤後に、久しぶりに1人で居酒屋に寄った。カウンター席に座って、生ビールと、焼き鳥の盛り合わせを頼んだ。1人で飲む酒というのは、誰かと飲むのとはまた違った良さがある。誰にも気を使わず、自分のペースで飲める。隣に座っていた知らないおじさんが、店員さんと常連らしい会話をしていて、その様子を眺めているのも、なんだか楽しかった。
家に帰る道すがら、コンビニに寄って、アイスを買った。金曜日の夜に食べるアイスは、なんだか特別に美味しく感じる。1週間頑張った自分への、ささやかなご褒美という感じがする。家に帰って、シャワーを浴
ありがとうを言いつつ文句を言う人ってのがあまりイメージできないんだけど、世の中そういうもんなんだろうか。
ありがとうが言える人は、多少不満があっても口に出さない気がするし、
文句言うやつは嫁姑戦争だったり家事をする夫に対してだったりありがとうすらないイメージ
どちらかといえば後者よりなんかな
3時間ぐらいクラウドの障害で増田が使えなかったってやつさあ。
これを機会にサ終しても一定数には納得されてそれで済んでたと思うんだよね。
そこまでやる気がなくてだらだら三時間かかったのか、精いっぱいやって三時間もかかったのかしらないけどさ、前者ならだったらやめちまえばよかったのにって思うし、後者でも2時間半ぐらい経ったところでもうこれサ終でいいんじゃねってならないのが理解できないんだよね。
何億も盗まれた事件はなんだったのか、あれだけのことがあってこんな道楽に少しでも労力を割き続けようという意思決定を続けるのがほんと俺には謎なんよ。
その増田のサービス継続にかたくなにこだわるのはなんなん?ほとほと不気味でしょうがない。
dorawiiより
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ブロンテ家唯一の男児であったブランウェルは、父パトリックに溺愛され甘やかされて育ったためか、うぬぼれの強い青年に成長した。ブランウェルは他の姉妹たちと同じく文学や絵画を始めたがいずれも大成せず、次第に文学的才能に恵まれた姉妹たちに対しコンプレックスを抱くようになった。18歳の頃、自身を含め姉妹4人の肖像画を描いたが、後にこの肖像画より自らの姿を抹消している(このページの右上を参照)。また他の姉妹たちと同じく家庭教師をしており、受け持った子の母親と不倫関係に陥ったが、やがてその関係を父親に知られて解雇された。
これらの諸問題から、酒と麻薬に溺れて急速に生活が荒れ、1848年9月24日に31歳で急死した。その葬式の折にエミリーは風邪をひき、医者の診察を受けて結核にかかっていることが判明したが、彼女は自分が病気であることを認めようとせず、薬を飲むことも拒否し、同年12月19日に30歳で死去した。続いてアンも結核にかかり、翌1849年にスカーブラに移ったが、療養の甲斐なく5月28日に29歳で死去した。
きょうだい唯一の生き残りとなったシャーロットは『シャーリー』、『ビレット』を発表。1854年には、父の反対のため求婚を断っていた副牧師のアーサー・ニコルズと結婚。やがて妊娠が判明したが、翌1855年3月31日、妊娠中毒症のため胎内の子供と一緒に38歳で死去した。ブロンテ家の子供たちは全員子孫を残すことなく早世したため、その血筋は断絶した。
Patrick Branwell Brontë
1817年6月26日ヨークシャーのソーントンに生まれる。シャーロット・ブロンテの弟、エミリ・ブロンテ、アン・ブロンテの兄。3歳の時英国国教会牧師だった父の転任でハワースに移住、家庭で主に父から教育を受けて育つ。9歳の時きょうだい4人が空想物語を作り始め、ブランウェルはシャーロットと一緒にアングリア王国のロマンスを展開させた。1838年ブラッドフォードで肖像画家の職業を試みたが挫折、自分の姿を後で塗り消した姉妹3人の群像画を残している。1840年に半年家庭教師を務めた後、鉄道駅員になり、2年後に職務怠慢で解雇。1843年にはアンと共にソープ・グリーン・ホールの家庭教師になったが、雇主ロビンソン夫人との感情のもつれから2年後の1845年解雇された。ハワースに戻ると、落後者意識を強め、阿片や酒に溺れて急激に衰弱する。詩の創作は生涯続けていたが、短詩15篇が新聞に掲載されたほかは大部分手書き原稿のままに残された。肺結核のために1848年9月24日31歳で死亡。
勉強することに意味がないと思うな、と無差別に鼓舞する受験のハウツー本。クソ。
勉強することに(受験業界が想定している)意味がない奴ほど海馬が弱い人はいる。
結局将来何も身についてないかもしれない。それはわかってる。その無意味な感じと今何かを知りたいというせめぎ合いのなかで後者がわずかに勝ってるというだけ。
同じくFラン大学に行くと決めている人間に対するメッセージだとも思えない。そういう人間が勉強のハウツー本を手に取るとは思ってないだろうから。
Fランにしか行けないほどのヨワヨワ海馬なのにそれ以上の大学を目指そうとしてる人をも対象に入れて無差別に鼓舞していることの、無責任さを糺す。
dorawiiより
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デリバリーやってる企業は基本外資だから日本人が間違いを正せず突っ走ることは関係ないと思いますけど…。
全体で発生する2%の不具合を修正するために100の労力を投資するか、基本機能の向上のために100の労力を投資するかだったら後者を選ぶ。って考えから来てる。
少数のタワマン利用者のために余計な管理が増えるルールを追加しない。タワマン利用者への便宜を通すことで得る利益と、そのせいで増える人件費を比べて、たいした差がないなら、リスクは許容する。
ちなみに日本企業は2%の改修のために500の労力とかかけてしまって頑張ってるのに全体的にはマイナスになるみたいなことを30年ぐらいやってる。
定数外で不合格になった生徒をめぐって、中学校の先生が怒っている。「全員入学させろ」と。高校側は、全員を受け入れれば治安が悪化する、生徒と教員が被害を受けると考えている。そして高校側のこの選別は、しばしば「内なる適格者主義」だと批判される。
適格者主義、ではない
高校教員の選別の動機を分解すると、そこにあるのは「誰が教育を受けるに値するか」という価値の序列づけではない。「限られたリソースの中で、既存の生徒・教員が受ける被害をどう最小化するか」というリスク管理の論理である。この二つは倫理的に別の回路だ。前者は価値判断、後者は被害の配分にすぎない。
その意味で、「適格者主義」というラベルは、高校教員の主観的な動機を正確に言い当ててはいない。
ただし、ここに厳しい論点がある。動機がリスク回避であっても、結果としての排除機能は適格者主義と同じものになりうる、ということだ。
「治安を乱すリスクが高い」生徒を判定する材料は、結局のところ内申点、出席日数、問題行動歴といった記録である。そしてこれらは家庭環境や被虐待経験、発達特性と強く相関する。主観的には「価値判断ではなく防御」のつもりでも、構造的には「困難を抱えた生徒ほど弾かれる」という同じ選別が再生産される。
批判者が「内なる適格者主義」と呼ぶとき、彼らは高校教員の動機を誤読しているのではない。動機と無関係に生じる構造的帰結を指摘しているのだ。排除された生徒の側からすれば、動機が防衛だろうと価値判断だろうと、結果に違いはない。この論争がすれ違う核心はここにある。
もう一つ、見過ごせない心理的経路がある。中学校は義務教育ゆえに、選別の自由が構造的に存在しない。目の前に生徒がいる限り、リソース不足を理由に「引き受けられません」と言う出口が制度的に塞がれている。その不自由の中で、最悪のライフワークバランスで生徒と向き合ってきた側からすれば、「選ぶ権利を持つ側」への羨望が、道徳的な言葉——適格者主義批判——に転化して出てくることは十分にありうる。
重要なのは、この仮説はあくまで「なぜそういう言葉遣いになるか」の説明であって、批判の内容そのものの当否とは独立だということだ。動機に羨望が混ざっていても、指摘(排除の構造的帰結)は正しいことがある。逆に、動機が高潔でも指摘が的外れなこともある。ここを混同してはならない。
さらに踏み込むと、高校と中学のあいだには、リソース不足への対処の「OS」そのものに根本的な違いがある。
高校教員は、比較的冷静にこう言える。「リソース不足なので受け入れられません」と。選別権があるからこそ、この言葉は自分の無力さの告白ではなく、構造的事実の記述として発話できる。責任は制度・行政・定数の問題として自分の外に置かれる。冷静でいられるのは、この言明が自己否定を含まないからだ。
中学校教員には、この出口がない。リソース不足という事実は消えないまま、それに直面し続けるための唯一の解は、「私生活を削ってでもやることが善である」という信念に自分を作り替えることだけになる。これは合理的な選択というより、選べない状況を生き延びるための認知の再編成である。
だから両者が同じ言葉——「適格者主義」——を使って話すとき、実際には全く違う経験を語っている。
中学校教員:「リソース不足でも私は線を引かずにやってきました」(信念・自己犠牲の言語)
中学校教員からすれば、高校教員の発言は「私たちが信じ込むことで耐えてきたものを、あなたたちは制度的に免除されている」という免除への怒りに触れる。論点は「適格者主義かどうか」という客観的な体裁を取りながら、実際にはその下を「お前らはズルい、なぜなら私は信じ込むことでしか生き延びられなかったから」という感情が流れている。
一つ目——悪貨は良貨を駆逐する。ここでの「悪貨」は、リソース不足を信念で埋める中学校型のOSである。これが良貨、すなわち「リソース不足なので線を引く」という構造的な言語を駆逐する構図は、二重に働く。
組織内では、「私生活を削ってでもやる」教員が基準点になると、それをしない・できない教員が「劣った教員」として可視化される。良心的に線を引こうとする教員から先に淘汰されていく。
行政との関係では、「信じ込んで無償労働してくれる悪貨」の方が圧倒的にコストが低い。だから構造は悪貨を積極的に選別・温存する方向に力を働かせる。良貨——待遇改善を求め、線引きを構造の言葉で語る教員——は「甘えている」「生徒のことを考えていない」というレッテルを貼られて先に排除される。これは自然発生的な劣化ではなく、行政という選抜圧が悪貨を優遇するように設計されているということだ。
二つ目——地獄への道は善意で舗装されている。これも二層で効く。
個人のレベルでは、「私生活を削ることが善」という信念そのものが、本人を守るための認知的な適応でありながら、同時に本人を蝕む。自己犠牲的な「善意」が、当人にとっての地獄——過労、燃え尽き、私生活の消失——への道を敷いている。
集合のレベルでは、その善意の総和が、行政にとっての免罪符になる。「先生たちは頑張ってくれている」という物語がある限り、リソース不足は可視化されず、修正圧力がかからない。個々の教員の善意が、システムとしては生徒にとっての地獄——定数外で弾かれる、支援なく放置される——を舗装する材料になる。
結論——個人の徳目に依存する設計は、必ずどちらかの罠に落ちる
この二つの格言は、「だから善意を疑え」という話ではない。個人の徳目に依存する設計は、必ずこの二つの罠のどちらかに落ちる、という診断そのものである。
悪貨が良貨を駆逐しないためには、良貨——構造的に線を引く言葉——を選抜する側に回す仕組みが要る。地獄への道を善意で舗装させないためには、善意を制度の代替物にしないための、つまり善意がなくても機能する最低ラインの制度設計が要る。
高校と中学の対立を、「あちらの内なる差別意識」「こちらのズルさ」という個人の道徳の問題に矮小化することは、リソース不足という本丸を見えなくする。両者とも、同じ資源不足構造の下流にいる当事者にすぎない。定時制・通信制・教育支援センターなど、弾かれた後の受け皿が十分にあれば、高校は排除する必要がなく、中学も「押し付けられた」と感じない。
問うべきは「どちらが適格者主義か」ではない。どの制度的レバー——定数改善、受け皿の整備、評価制度の変更——が、悪貨の駆逐と善意の搾取という二つの罠を同時に外せるか、である。
まず、Dom/Subユニバースってのはオメガバースみたいな海外発の二次創作BL用(たぶん)の設定のことね。今は一次にも使われてるし、BL以外にも出て行ってるという話を聞いた気がする。調べてないから正確ではないが。簡単に言うと世界の人間はDom, Sub, Switch, Usualの4種類に分けられて、Domには支配欲、庇護欲があり、Subには被支配欲、庇護下に置かれたいという欲があり、Switchにはそのどちらもがあって、それが満たされないと体調に異常を来すなどする、そんでコマンドと呼ばれる特殊な命令を下したりそれに従ったりするとDom, Sub, Switchは心地いい(性的快感や安心感を得るみたいな設定が多い。この辺は作品によるが、とにかくポジティブな反応がある、くらいに思ってほしい)……みたいなやつ。他にも色んな付随する設定があるんだが、詳しくはググってくれ。とりあえずこれだけ知ってれば私の言いたいことはわかると思う。
一応言っておくけど私は腐女子で、二次創作はそもそもそれほど読まんが一次のDom/Subユニバースはたまに読むって感じ。中身によるが割と好き。
その上で私はこれが多少の倫理的な緊張を孕んでいる気がするんだが、それが上手く言語化できなくてモヤモヤしている。
chatGPT、Gemini、Claudeを壁打ち相手にして色々考えたからちょっと聞いて欲しい。(ちなみに、Geminiは強い言葉で一刀両断してくるらしいので切り込み隊長として、Claudeはこういう文系っぽい論理構成がうまいっぽいので論点整理役として、chatGPTは一番馴染みがあったのでコイツを統合役として使った。まあ馴染みがあると言っても正直ほぼ使ったことなかったのであんまり上手いこと手綱を握れた自信はない。この文自体は自分で書いた。私の使い方の問題かもしれないが、コイツら壁打ちの整理役としては使えるけどあんまり正しく繋がった文章の生成には向いてない気がするぜ……。普通に壁打ち中も主述関係おかしかったりしたもん)
まず前提として、現実にドミナント/サブミッシブと呼ばれる性的嗜好的なモノは実在する。それはBDSMの中の嗜好(?)の一つとも呼ばれる(ホントはもっと複雑だけど、まあそういうカテゴリが現実にあるんだな~くらいに思ってほしい。詳しくはググってくれ)んだが、要は支配/被支配に興奮を覚える嗜好のこと(ホントはもっと複雑ry)。スッッゲ~~~~~雑に言うと、ドミ = S, サブ = Mみたいな感じ?(SM軸とドミサブ軸って違うとされてるのでドミマゾとかも存在してるんだが、あくまで一般的なイメージの話。ごめんなSM界隈の人。間違ってるのはわかってる。なんなら私はあんまドミサブわからん身体的苦痛だいすきマゾです。そういうのもいる)。
この記事上ではわかりにくいからDom, Sub, Switch, Dom/Sub表記をDom/Subユニバースの設定の物として、ドミ、サブ、スイッチャー, D/s表記を現実の物として扱うものとするね。
その上で問題(便宜上「問題」としたが、「倫理的な緊張を孕んでるような気がする事柄」くらいの意味)として
・実在するD/s概念を、生物学的属性として再構成、架空設定を付与すること
・創作上のDom/Sub像が普及することで、現実のD/s像が見えにくくなること
ざっくりこの二つが上げられる気がする。
とりあえず今回は一個目だけ扱うことにする。希望があれば二個目の話も簡単に追記するかも
一つ思考実験をしてみた。
これは私がDom/Subユニバースに疑問を抱いたときに思いついた話なんだが、たとえば「ホモセクシャルバース」というのがあったとする。それは「この世には、ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、ストレートの4種類の人間がいて、ゲイ、レズビアン、バイセクシャルには発情など社会的不利になる生物学的特性があり、社会的地位が低い」みたいな設定。性的指向と性的嗜好は違うかもしれないが、実在する属性として借りた。なんらかの任意の属性に生物学的属性や本能を付与することがこの思考実験の肝。
で、この「ホモセクシャルバース」、直感的にかなりマズい気がしないか?
つまり、この思考実験によって「実在する概念を、生物学的属性や本能として再構成すること」に問題がある可能性が浮上する。
ただし、同性愛とD/s間には違いがあって、整理すると
→同性愛の方が比較的広く知られているため、実在の概念であるという認識が広く強い。だから、それを生物学的属性として再構成し、そこに架空の設定を付与することに違和感があるという認識が広がりやすい
・同性愛者(特にゲイ)にある種のステレオタイプな負のイメージがまだ根強くあり、実際差別されてきた歴史があると言う事実
→差別を正当化するような創作上の設定は差別の助長に繋がるのではないか? という懸念が生まれる
あたりが挙げられる
後者はあんまり元々のステレオタイプイメージがないD/sには当てはまらないんじゃないかという気がするので、ホモセクシャルバースがDom/Subユニバースより大きな違和感を抱かせることの一因になっている。(SMには亀甲縛り、鼻フック、首輪にリードのオッサンを鞭でぶっ叩くボンデージ、網タイツ、仮面の女王様、みたいなギャグ由来のイメージはあるが、D/sにはない気がする。そもそもドミナント/サブミッシブみたいな言葉をDom/Subユニバースで知ったって人も多いのでは?)
しかし、前者は違和感の有無や大小には直接関与せず、認識の広がりやすさの差にすぎない。
ここから、二者間にはホモセクシャルバース>Dom/Subユニバースという違和感の強弱はあるものの、「実在の概念を、生物学的属性として再構成し、そこに架空の設定を付与することへの違和感」は同性愛とD/sに共通の違和感ではないかと考えた。
あとはまあ、「あまり社会的に認知されていないD/sという概念に架空設定を付与すること」のマズさ(つまり実態の見えにくさ、最初に挙げた二つの問題の二個目の方にあたる)もある気はするね。
そんで、その「生物学的属性への再構成」が、現実のD/sが持つ複雑な若干汚めの側面を恋愛作品向けに整理・選別する方向へ働く、みたいなことが起こっている気がするんだわ。AIと喋ってるときはこの現象に「脱色」とかいう名前をつけてたんだけど。少なくともメインストリートでは割とそうじゃない?
とにかくその結果として、現実では交渉や葛藤の対象であるはずの欲望や関係性が、「運命」や「恋愛」の中で自然と解決されるものとして描かれやすくなったりね。これは私の感想でしかないが。
「じゃあお前が書け」みたいな話ではあるし、実際それしか解決の手段がないので書いてもいるんだが、こう……「メインストリートの傾向、大丈夫か?」というお気持ちと、「そもそも実在のカテゴリを示す言葉にそういう設定つけて大丈夫なんか?」みたいな気持ちがね……。
まあそれはそれとしてD/sモノもSMモノも好きだしDom/Subユニバースも読むし、Dom/Subユニバースの人気によってそういう作品を好む人口が増えれば自ずと裾野が広がって多様性が生まれ私の欲しい作品も増えるんじゃないかという下心があるので全部を否定するつもりはないんだけど。当事者から否定的な声が上がってるのを聞いたこともないし(声が上がりにくい界隈の性質とかはあるのかもしれんが)。
他にもDom/Subユニバース作品の傾向に関して言いたいことはあるが、それは多分に私の好みとかが反映されるから別のとこでやるわ。
天皇制があることで、国民平等の理念が損なわれるし、主権やその他の価値判断の主体が国民自身の側にあるということがぼやけるだけ。
元々この千年、お飾りでしかなかったんだし。
(「親政」が建武と明治であったけど、前者は明らかに失政、後者はすぐに傀儡)
被災地への訪問とかもありがたいとも言えるけど、別に首相か衆参議長が行けばいいだけの話。
上皇や今上天皇は象徴天皇制の在り方を自問していて、人格的にも認められる人だからいいけどさ。
昭和天皇はクズエピソードの宝庫。大正天皇に至っては…ノーコメント。
今後、タイのワチラロンコンみたいなのが皇位継承したら、日本だったら持たないよ。
(さすがに日本でタトゥー入れまくりの人物が皇位継承するとは思えないけど)
社会が変わらない・良くならない一因になり続けるんだったら、ない方がマシ。
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
⸻
もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
⸻
しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
⸻
『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
⸻
そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
⸻
⸻
一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
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もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
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しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
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『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
⸻
そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
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一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
つまりフランゼン作品では、人間関係から距離を置き、やがて社会そのものから退いていくことこそが、最も典型的な運動なのである。
A Supposedly True Thing Jonathan Franzen Said About David Foster Wallace
第1回
⸻
ジョナサン・フランゼンがデイヴィッド・フォスター・ウォレスについて語ったとされる「本当らしい話」
率直に言ってしまうしかない。今年のニューヨーカー・フェスティバルで、ジョナサン・フランゼンは、デイヴィッド・フォスター・ウォレスが自身のノンフィクション作品の少なくとも一部、場合によってはかなりの部分を創作していた、と語ったのである。
私はその場にはいなかった。しかし金曜日にエリック・オルターマンによる要約を読み、その出来事について他のフェスティバル報道ではまったく触れられていないことに気づいたため、オンラインで公開されていた対談映像を確認した。
以下は、そのやり取りの該当部分を大まかに書き起こしたものである(読みやすさのため「あー」「えー」といった言い淀みは一部省略している)。
⸻
レムニック
「私は興味深く思っていたんですが……この世には、ノンフィクションとフィクションの境界について、ある種の極端にポストモダン的な考え方をする人たちがいますよね。つまり、結局は全部『書かれたもの』なのだから、事実性とか事実そのものを気にするのは古臭くて堅苦しい考え方であって、たとえばカプシチンスキが実際には起こっていないことを書いても、それはポーランドという国全体の比喩なのだから構わない、というような考え方です。
そういう事実と虚構について異なる考え方を持つ作家は他にもいますが……あなたは、その境界線についてはかなり厳格ですよね。つまりあなたは――」
フランゼン(割って入る)
「(聞き取れず)」
レムニック
「――ノンフィクションを書いていると称しながら、ごまかしをすれば――」
フランゼン
「そう。」
レムニック
「――それは読者を欺いていることであり、一種の虚偽申告のようなものだと考えている。」
フランゼン
レムニック
「デイヴィッド?」
フランゼン
レムニック
「じゃあウォレスは……」
フランゼン
「うん。」
レムニック
「クルーズ船の記事で会話を作り上げるくらいなら問題ない、と考えていたということ?」
フランゼン
「たとえばね。うーん……。」
レムニック
「それを聞いて本当にショックだよ。」
フランゼン
「分かる、分かる。でも、実際にはああいうことは起きていないんだ。気づいていると思うけど、彼は君の雑誌には一度もノンフィクションを書かなかっただろう。」
レムニック
「まあ、頼まなかったわけじゃないんだけどね。でも、それは別の話で……。」
フランゼン
「彼は、おそらく……。」
レムニック
フランゼン
「ファクトチェッカーは……私は本当にファクトチェッカーが怖い。」
レムニック(笑いながら)
「それでいい。」
フランゼン
「でも、それはテニスのコートのラインみたいなものなんだ。すごいショットだった。でも問題は、ベースラインを2フィート越えてしまっていたことだ。どれほど素晴らしいショットでも……。」
レムニック
「でもデイヴィッドなら『インだ』と言っただろうね。」
フランゼン
「まあ、そうだね……。私はデイヴのあのクルーズ船の記事は大好きなんだ。だから私は別に……つまり、私たちは少し違うやり方をしていただけなんだ。」
⸻
2. あるいは新しい情報なのか、
判断するのは非常に難しい。
すべては、「ああいうことは実際には起きていない」という彼の言葉をどう解釈するかにかかっている。
まさかフランゼンは、ウォレスの有名なクルーズ船記事「Shipping Out」(後にエッセイ集『A Supposedly Fun Thing I’ll Never Do Again』収録時に改題された)の中で語られている出来事が、すべて実際には起こっていないと言いたかったわけではないだろう。
彼は会話についての質問に答えているのだから、その発言は会話部分だけを指しているのかもしれない。
あるいは、このクルーズ船の記事だけではなく、他のエッセイにも当てはまる話なのだろうか。
映像ではレムニック自身もこの告白にかなり驚いた様子で、それゆえにこれ以上深く追及しなかったのかもしれない。
フランゼン本人が詳しく説明するまでは、彼が何を意味していたのか、私たちは推測するしかない。
⸻
第2回
もっとも、フランゼンは、この話を聞いて誰も驚かないと思っていた可能性もある。
実際、ウォレス自身はインタビューで、自分のノンフィクションにある程度の手を加えていたことを認めている。
1998年のインタビュー(トム・スコッカが昨年Slateに再掲載したもので、それ以前には短縮版がThe Boston Phoenixに掲載されていた)で、ウォレスは例えば引用を読みやすく整えるため、「like(えーと)」のような口癖を削除したり、句読点を修正したりしていたことを、悪びれる様子もなく語っている。
さらに彼はこう続けている。
「実際のところ――ここだけの話だけど、それから『ボストン・フェニックス』の理解ある読者にも――小説家を雇ってノンフィクションを書かせれば、ときどき多少の脚色が入るものなんだ。」
またウォレスは、デイヴィッド・リプスキーとの1997年の対話(後に『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』として出版された)の中で、「Ticket to the Fair」(後に「Getting Away from Already Being Pretty Much Away From It All」へ改題)についても語っている。
その作品には、「Native Companion(地元案内人)」という人物が登場する。ウォレスとともにアイオワ州のステート・フェアを回り、戸惑うウォレスに対して事情通としてコメントする役割を担う人物だ。
ウォレスは、その人物には「実際には別の誰かの声を与えた」とリプスキーに打ち明けている。
⸻
しかし一方で、ウォレスは、自分は真実を書くことに強い責任を感じているとも繰り返し語っていた。
スコッカとのインタビューでは、クルーズ船の記事で出会った夫婦について、自分が裏切ってしまったという思いを苦しそうに語っている。
ところがウォレスは、その妻について「女装したジャッキー・グリーソン」という、あまりにも不器用な表現を書いてしまったのである。
彼はこう語っている。
「あれは、本当にひどい出来事だった。あの人たちはクルーズ中、本当に親切にしてくれたんだ。
実際、そのあとカードまで送ってくれて、記事が載るのを楽しみにしていた。
そして記事が出た。
それ以来、私は二人から一度も連絡をもらっていない。
気持ちを傷つけてしまったんじゃないかと、今でも心配している……。
でも、トゥルーディの気持ちを気にするあまり、本当のことを書けなくなるわけにはいかなかった。
彼女は本当に素晴らしい、とても親切で、決して魅力のない人でもなかった。
ただ、たまたま女装したジャッキー・グリーソンにそっくりだっただけなんだ。」
⸻
「あの記事には作り話なんて何一つない。
変な話だけど、私はそんなことをしたことはない。
……まあ、バトントワリングの場面は、あそこまでの大惨事ではなかったかもしれないけど。
⸻
そしてもちろん、問題になっている二つの作品――クルーズ船の記事とアイオワ州フェアの記事――はいずれもHarper’s Magazineに掲載されたものだった。
編集を担当したのは、現在はScribnerに所属するコリン・ハリソンである。
現時点では彼はこの件について何もコメントしていない。
しかし、これらの作品が掲載された後にHarper’sで編集者を務めたドノヴァン・ホーンは、Twitterで次のように書いている。
Harper’s のファクトチェックは、私が経験した限り(1998〜2011年)、他の雑誌と同じくらい厳格だった。むしろそれ以上だったと言ってもいい。
続けて彼はこう付け加えた。
とはいえ、それが絶対に誤りを見逃さない仕組みだったという意味ではない。
⸻
ウォレス自身が語っていた「真実を書いていた」という説明がすべてごまかしだったのか。
⸻
第3回
ここで意見を述べる私の資格といえば、正直に言ってしまえば、ウォレスとフランゼンの友情についての噂を執拗に追いかける文学ゴシップ中毒者である、という程度のものしかない。(このあたりのどこかでは階級闘争が起きているらしい、という話も耳にするけれど。)
しかし、そうした熱狂的な観察者として考えるなら、「ああいうことは実際には起きていない」というフランゼンの発言と、「ときどき多少の脚色はある」というウォレス自身の説明との間に横たわる隔たりを理解する鍵は、おそらくフランゼンとウォレスの関係という、ますます長くなっていく脚注の中にあるのではないかと思う。
例えば、文字起こしでは伝わらない、あのやり取りのいくつかの点を考えてみよう。
確かに話の流れは、ウォレスとフランゼンの友情や、お互いにどんな影響を与え合ったかという話題から続いている。
しかし、ここで問題の発言は、ほとんど脈絡なく差し挟まれた話題のように持ち出されている。
レムニックはすでに話題を切り替え、フランゼン自身のノンフィクションについて質問し始めていたのだ。
レムニックが前置きを話している間、フランゼンは身をかがめ、眼鏡や鼻をいじりながら、ぼんやりとうなずいている。
そして「デイヴと私はその点で意見が違っていた」と言い始めたとき、彼は自分の膝を見つめていて、話の途中になって初めてレムニックと目を合わせる。
その直後、彼は笑みを浮かべる。
もちろん、その無言のしぐさをどう読むかは人それぞれだろう。
私の解釈はこうだ。
彼は意識的に、この話を打ち明けることを選んだ。
それでも彼は話した。
ただ――これはあくまで私自身の印象だが――そこには悪意は感じられない。
むしろ、彼が終始浮かべている笑顔には、どこかいたずらっぽさがあるように思える。
⸻
多くの人――そして本人もそう考えているはずだが――なら、自分の親友の作品に対して「事実をでっち上げていた」と言うことは、非常に重大な告発だと考えるだろう。
それにもかかわらず、フランゼン自身は、それを友情の精神で語っているつもりなのだ。
彼自身の自己認識と、私たち読者が受け取る印象との間にあるこの落差。
それこそが彼の代名詞であり、多くの人が――まあ、率直に言えば――彼を嫌わずにはいられなくなる理由でもある。
⸻
それが最も顕著に表れていたのが、今年4月に**『ニューヨーカー』**へ寄稿したウォレス追悼エッセイだった。
その文章は、フランゼンがマサフエラ島を訪れる場面から始まり、最後には激しい非難文とも追悼文ともつかない、居心地の悪い宙づり状態で終わる。
本当に言いたいことは、孤島や『ロビンソン・クルーソー』について延々と続く脱線の奥深くに埋もれている。
そのため、このエッセイは、一方ではひどく重苦しく、他方では痛々しいほど感情をむき出しにした文章として読めてしまう。
フランゼン自身、「ウォレスの自殺後、自分は怒りと仕事に逃げ込んだ」と早い段階で認めている。
しかし、その怒りは本人が自覚していない形でも繰り返し表面化している。
その結果、彼は「退屈さとしてのうつ病」や「幼児的な怒り」、「自殺はキャリア戦略である」といった、あまりにも単純化された診断へと突き進んでしまう。
⸻
また彼は、ウォレスについて他人が抱いたイメージにも反発しているように見える。
ニューヨーカー誌では、彼はこう書いている。
「ウォレスの小説を読んだこともなく、名前すら聞いたことがなかった人たちが、『ウォール・ストリート・ジャーナル』に掲載されたケニオン大学卒業式スピーチだけを読み、『偉大で穏やかな魂を失った』と嘆いた。」
さらにデイヴィッド・リプスキーには(『Rolling Stone』誌掲載、オンライン未収録)、こう語っている。
ウォレスの神話化されたイメージを壊そうとするこの衝動は、おそらくウォレス自身なら理解しただろう。
「何を崇拝するかは、自分で決めることができる。」
しかし、
「本当の神以外のものを崇拝すれば、それは必ずあなたを食い尽くす。」
⸻
第4回
今週号の**『ニューヨーク』誌**に掲載されたエヴァン・ヒューズの記事の中で、エリザベス・ワーツェルは、フランゼンが若い頃どんな人物だったかについてこう語っている。
「晴れた日でさえ、ジョン・フランゼンの周囲では雨が降っていた。」
怒りや悲しみは、きっと彼にとって今に始まったものではない。
しかし、ウォレスの死後にその傾向が強まった理由を理解するのは、さほど難しいことではない。
彼はこう書いている。
「そのうつ病の人間は、最も自分を愛してくれた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で、自ら命を絶った。
そして彼を愛していた私たちは、怒りと裏切られた感覚を抱えたまま残された。
それは単に、私たちが注いできた愛という投資が失敗したという裏切りではなかった。
彼の自殺によって、その人間そのものが私たちのもとから奪われ、代わりに非常に公的な伝説へと変えられてしまったことへの裏切りだった。」
さらに彼はこう続ける。
「自分が本当に愛されるに値しない人間だったことを永遠に証明するために、彼は可能な限り残酷な形で、自分を最も愛していた人々を裏切る必要があった。
家で自殺し、彼らをその行為の直接の目撃者にすることによって。」
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もちろん、フィクションとノンフィクションの違いについての(しばしばあまりにも学術的になりすぎる)議論と同じように、ここでも問題になるのは、
「これらの文章は、ウォレスという人物についての客観的事実として正しいのか」
という問いではないように思える。
本当に問うべきなのは、
「これらの文章は、フランゼンが友人の死に苦しんでいるということを表現する文章として、誠実なのか」
ということだ。
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結局のところ、ウォレスとフランゼンの友情について読んだり、見たり、聞いたりすればするほど、あのフェスティバルでの発言は、フランゼンが世間に向かって投げたもう一つの言葉の弾丸のように見えてくる。
そして彼は、それが跳ね返って自分のところへ戻ってくることを望んでいたのではないか。
「competitive wounding(競争的な傷つけ合い)」
と表現している。
彼はそこで、互いの原稿の感情的な力によって相手を動かそうとした、という意味で話している。
しかし、事実関係を見てみると、それは二人の関係全体を表す、より大きなテーマだったようにも思える。
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このテーマに取りつかれたように調べていく中で、私が見つけた最も興味深い資料のひとつは、二人が――さらに、残念な服装をしたマーク・レイナーも加わって――**『チャーリー・ローズ』**で対談している映像だった。
ぜひ見てほしい。
私が一番好きな場面は、11分頃に出てくる。
二人は、現代小説についての高度な理論をめぐって議論している。
そのやり取りは、攻撃的でありながら同時に親密でもある。
その1分間だけを見ても、フランゼンが私たちに語っている物語全体が、もしかすると本当に真実なのかもしれない、という十分な証拠になると思う。
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しかし、もちろん。
それがクルーズ船についての話であれ、
失われた友人についての話であれ、
それは「単なる物語にすぎない」のかもしれない。
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ミシェル・ディーンの文章は、これまでに Bitch、The American Prospect、The Rumpus などにも掲載されている。
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(訳了)