はてなキーワード: 舗装とは
定数外で不合格になった生徒をめぐって、中学校の先生が怒っている。「全員入学させろ」と。高校側は、全員を受け入れれば治安が悪化する、生徒と教員が被害を受けると考えている。そして高校側のこの選別は、しばしば「内なる適格者主義」だと批判される。
適格者主義、ではない
高校教員の選別の動機を分解すると、そこにあるのは「誰が教育を受けるに値するか」という価値の序列づけではない。「限られたリソースの中で、既存の生徒・教員が受ける被害をどう最小化するか」というリスク管理の論理である。この二つは倫理的に別の回路だ。前者は価値判断、後者は被害の配分にすぎない。
その意味で、「適格者主義」というラベルは、高校教員の主観的な動機を正確に言い当ててはいない。
ただし、ここに厳しい論点がある。動機がリスク回避であっても、結果としての排除機能は適格者主義と同じものになりうる、ということだ。
「治安を乱すリスクが高い」生徒を判定する材料は、結局のところ内申点、出席日数、問題行動歴といった記録である。そしてこれらは家庭環境や被虐待経験、発達特性と強く相関する。主観的には「価値判断ではなく防御」のつもりでも、構造的には「困難を抱えた生徒ほど弾かれる」という同じ選別が再生産される。
批判者が「内なる適格者主義」と呼ぶとき、彼らは高校教員の動機を誤読しているのではない。動機と無関係に生じる構造的帰結を指摘しているのだ。排除された生徒の側からすれば、動機が防衛だろうと価値判断だろうと、結果に違いはない。この論争がすれ違う核心はここにある。
もう一つ、見過ごせない心理的経路がある。中学校は義務教育ゆえに、選別の自由が構造的に存在しない。目の前に生徒がいる限り、リソース不足を理由に「引き受けられません」と言う出口が制度的に塞がれている。その不自由の中で、最悪のライフワークバランスで生徒と向き合ってきた側からすれば、「選ぶ権利を持つ側」への羨望が、道徳的な言葉——適格者主義批判——に転化して出てくることは十分にありうる。
重要なのは、この仮説はあくまで「なぜそういう言葉遣いになるか」の説明であって、批判の内容そのものの当否とは独立だということだ。動機に羨望が混ざっていても、指摘(排除の構造的帰結)は正しいことがある。逆に、動機が高潔でも指摘が的外れなこともある。ここを混同してはならない。
さらに踏み込むと、高校と中学のあいだには、リソース不足への対処の「OS」そのものに根本的な違いがある。
高校教員は、比較的冷静にこう言える。「リソース不足なので受け入れられません」と。選別権があるからこそ、この言葉は自分の無力さの告白ではなく、構造的事実の記述として発話できる。責任は制度・行政・定数の問題として自分の外に置かれる。冷静でいられるのは、この言明が自己否定を含まないからだ。
中学校教員には、この出口がない。リソース不足という事実は消えないまま、それに直面し続けるための唯一の解は、「私生活を削ってでもやることが善である」という信念に自分を作り替えることだけになる。これは合理的な選択というより、選べない状況を生き延びるための認知の再編成である。
だから両者が同じ言葉——「適格者主義」——を使って話すとき、実際には全く違う経験を語っている。
中学校教員:「リソース不足でも私は線を引かずにやってきました」(信念・自己犠牲の言語)
中学校教員からすれば、高校教員の発言は「私たちが信じ込むことで耐えてきたものを、あなたたちは制度的に免除されている」という免除への怒りに触れる。論点は「適格者主義かどうか」という客観的な体裁を取りながら、実際にはその下を「お前らはズルい、なぜなら私は信じ込むことでしか生き延びられなかったから」という感情が流れている。
一つ目——悪貨は良貨を駆逐する。ここでの「悪貨」は、リソース不足を信念で埋める中学校型のOSである。これが良貨、すなわち「リソース不足なので線を引く」という構造的な言語を駆逐する構図は、二重に働く。
組織内では、「私生活を削ってでもやる」教員が基準点になると、それをしない・できない教員が「劣った教員」として可視化される。良心的に線を引こうとする教員から先に淘汰されていく。
行政との関係では、「信じ込んで無償労働してくれる悪貨」の方が圧倒的にコストが低い。だから構造は悪貨を積極的に選別・温存する方向に力を働かせる。良貨——待遇改善を求め、線引きを構造の言葉で語る教員——は「甘えている」「生徒のことを考えていない」というレッテルを貼られて先に排除される。これは自然発生的な劣化ではなく、行政という選抜圧が悪貨を優遇するように設計されているということだ。
二つ目——地獄への道は善意で舗装されている。これも二層で効く。
個人のレベルでは、「私生活を削ることが善」という信念そのものが、本人を守るための認知的な適応でありながら、同時に本人を蝕む。自己犠牲的な「善意」が、当人にとっての地獄——過労、燃え尽き、私生活の消失——への道を敷いている。
集合のレベルでは、その善意の総和が、行政にとっての免罪符になる。「先生たちは頑張ってくれている」という物語がある限り、リソース不足は可視化されず、修正圧力がかからない。個々の教員の善意が、システムとしては生徒にとっての地獄——定数外で弾かれる、支援なく放置される——を舗装する材料になる。
結論——個人の徳目に依存する設計は、必ずどちらかの罠に落ちる
この二つの格言は、「だから善意を疑え」という話ではない。個人の徳目に依存する設計は、必ずこの二つの罠のどちらかに落ちる、という診断そのものである。
悪貨が良貨を駆逐しないためには、良貨——構造的に線を引く言葉——を選抜する側に回す仕組みが要る。地獄への道を善意で舗装させないためには、善意を制度の代替物にしないための、つまり善意がなくても機能する最低ラインの制度設計が要る。
高校と中学の対立を、「あちらの内なる差別意識」「こちらのズルさ」という個人の道徳の問題に矮小化することは、リソース不足という本丸を見えなくする。両者とも、同じ資源不足構造の下流にいる当事者にすぎない。定時制・通信制・教育支援センターなど、弾かれた後の受け皿が十分にあれば、高校は排除する必要がなく、中学も「押し付けられた」と感じない。
問うべきは「どちらが適格者主義か」ではない。どの制度的レバー——定数改善、受け皿の整備、評価制度の変更——が、悪貨の駆逐と善意の搾取という二つの罠を同時に外せるか、である。
25
俺がドアベルを鳴らすと、見知らぬ女性が応対し、ドアを数センチ開けて覗き込んできた。
「すみません」と俺は言った。「ここはマンデラ夫人のご自宅ですよね?」
「あら、ウィリアムね!」彼女はドアを閉め、チェーンを外してドアを大きく開けた。「ベス、誰が来たか見て!」
母が台所からリビングへやって来て、タオルで手を拭いていた。「ウィリイ……どうしてこんなに早く戻ってきたの?」
「えっと、その……長い話なんだ」
「座って、座って」と、もう一人の女性が言った。「飲み物を持ってくるから、私が戻るまで話し始めないでね」
「ちょっと待って」と母が言った。「まだ二人を紹介してなかったわ。ウィリアム、こちらはロンダ・ワイルダー。ロンダ、こちらはウィリアムよ」
「お会いできるのをずっと楽しみにしていたの」と彼女は言った。「ベスからあなたのことは全部聞いてるわ――冷えたビール、一杯でいいわよね?」
「ええ。」彼女はなかなか好感の持てる、スリムな中年の女性だった。なぜ今まで会ったことがなかったのか不思議に思った。母に、彼女が近所の住人なのか尋ねてみた。
「えっと……それ以上の関係よ、ウィリアム。ここ数年、私のルームメイトなの。あなたが帰ってきた時に余分な部屋があったのはそのためよ――一人暮らしでは寝室を二つ持つことは許されないから」
「でも、どうして――」
「言わなかったのは、あなたがここに滞在している間、彼女を部屋から追い出しているような気分にさせたくなかったからよ。それに、実際はそうじゃなかったし。彼女には――」
「そうね」ロンダがビールを持って入ってきた。「ペンシルベニアの田舎に親戚がいるの。いつでもそっちに泊まることができるわ」
「ありがとう」私はビールを受け取った。「実は、ここに長くいるつもりはないんだ。サウスダコタへ向かう途中なんだ。別のねぐらを見つけることもできるし」
「あら、そんなことないわ」とロンダは言った。「私がソファで寝るから。」俺は古風な男尊女卑の考えの持ち主で、そんなことは許せなかった。少し話し合った末、結局俺がソファで寝ることに決まった。
俺はロンダにメアリイゲイがどんな人物か説明し、イギリスでの不愉快な体験や、自分たちの立ち位置を見直すために戻ってきた経緯を話した。母は私が人を殺したことに愕然とするだろうと思っていたが、彼女は何も言わずにそれを受け入れた。ロンダは、特にボディーガードもいないのに真夜中過ぎに街に出歩いていたことについて、少し小言を言った。
こうした話題やその他のことについて、夜遅くまで話し合った。やがて母はボディーガードに電話をかけ、仕事に出かけていった。
一晩中、母とロンダが互いに接する様子が、俺の胸に引っかかっていた。母が帰った後、そのことをはっきりと言ってみることにした。
どう言い出せばいいのか、はっきりとは分からなかった。「あの、えっと、母さんとは、一体どういう関係なの?」
彼女はグラスからひと口、長く飲み干した。「仲の良い友達よ」彼女は、反抗心と諦めが入り混じったような目で私を見つめた。「とても仲の良い友達。時には恋人同士になることもあるわ」
俺はひどく空虚で、途方に暮れた気分になった。母が?
「聞いて」と彼女は続けた。「90年代に生きようなんてやめたほうがいいわ。ここは最高の世の中じゃないかもしれないけど、あなたはこれを受け入れるしかないのよ」
彼女は俺のところへ歩み寄り、私の手を握ると、まるで私の前にひざまずくかのように身をかがめた。
彼女の声は柔らかくなっていた。「ウィリアム……ねえ、私はあなたよりたった2歳年上なだけなの――つまり、2年先に生まれただけ――言いたいのは、あなたの気持ちがわかるってこと。ベ――あなたのお母さんも理解しているわ。それ、私たちの……関係は、誰にとっても秘密なんかじゃない。ごく普通のことよ。この20年で、たくさんのことが変わった。あなたも変わらなきゃいけないの」
俺は何も言わなかった。
彼女は立ち上がり、きっぱりと言った。「お母さんが六十歳だからって、愛を必要としなくなったと思うの? お母さんはあなた以上に愛を必要としているわ。今でも。特に今こそね。」
彼女の目には非難の色が浮かんでいた。「特に今、あなたがあの死の過去から戻ってきた今。お母さんに、自分がどれだけ年をとったかを思い知らせるようなものよ。私が――20歳も若いのに、どれだけ年をとったかを。」彼女の声は震え、ひっくり返り、彼女は自分の部屋へ駆け込んだ。
俺は母に、メアリイゲイから電話があり、緊急事態が発生したため、すぐにサウスダコタへ行かなければならないと書いたメモを残した。ボディーガードを呼び、その場を後にした。
~~~
キーキーと音を立て、オゾンが漏れ、ボロボロの古いバスが、ひどい道路とさらにひどい道路の交差点で俺を降ろした。 スーフォールズまでの2000キロを移動するのに1時間、そこから150キロ離れたゲデスまでヘリコプターで2時間、そしてフリーホールドまでの最後の12キロを、ボロボロのバスで3時間、待ち時間とガタガタ揺られながら移動した。フリーホールドとは、ポッター家が農地を所有するコミューンの集まりだった。 この過酷な行程がまだ続くのか、この未舗装の道を農場まで4時間も歩いて行かなければならないのか、と俺は思った。
建物にたどり着くまで、さらに30分もかかった。バッグは耐え難いほど重くなり、かさばる拳銃が腰を擦りむいていた。石畳の小道を登り、質素なプラスチック製のドームの扉まで行き、紐を引くと、中から鈴の音がチリンと鳴った。覗き穴が暗くなった。
「どなたですか?」分厚い木に遮られて、声がこもっていた。
「道をお尋ねしたいのですが」
「何だ?」 それが女性なのか子供なのか、見当がつかなかった。
「ちょっと待って。」足音が遠ざかり、また戻ってきた。「この道を1.9キロ下ったところよ。右側にジャガイモやインゲンがたくさんあるわ。たぶん、ニワトリの匂いがするはずよ。」
「ありがとう。」
「何か飲み物が欲しければ、裏にポンプがありますよ。夫が家にいないと中に入れてあげられないんです。」
「分かりました。ありがとうございます。」水は金属のような味がしたが、驚くほど冷たかった。
ジャガイモやインゲンの苗が立ち上がって俺の足首を噛みついてきたとしても、それが何なのかは分からないだろう。だが、半メートルずつ歩く方法なら知っていた。そこで、3800まで数えて深呼吸しようと決心した。鶏の糞の匂いと、それがない状態の違いくらいなら、見分けられるだろうと思った。
3650まで数えたところで、轍のついた小道が現れ、その先にはプラスチック製のドームと、どうやら芝生でできたと思われる長方形の建物群が並んでいた。そこには、鶏が爆発的に増えまくっているような小規模な囲いがあった。匂いはしたが、それほど強烈ではなかった。
小道の半ばで、ドアが開き、メアリイゲイがほんのわずかな布切れ一枚を身にまとって駆け出してきました。滑りそうになりながらも嬉しい再会の挨拶を交わした後、彼女は「こんなに早くに何しに来たの?」と尋ねました。
「ああ、母のところに友達が泊まりに来ていたんだ。迷惑をかけたくなかった。電話すべきだったかな。」
「確かに電話すべきだったわね……そうすれば、ほこりだらけの長い道のりを歩かずに済んだのに。でも、ここにはたっぷりスペースがあるから、その点は心配しないで」
彼女は私を家の中に案内し、両親に会わせてくれた。両親は温かく迎えてくれたが、そのおかげで私は明らかに着飾りすぎているような気分になった。顔には年齢の跡が見えたが、体はたるみもなく、しわもほとんどなかった。
夕食は特別な機会だったため、鶏は生かしておき、代わりに牛肉の缶詰を開け、キャベツやジャガイモと一緒に蒸して出してくれた。俺の素朴な舌には、飛行船やロンドンで食べたほとんどのグルメ料理に匹敵するほど美味かった。
コーヒーとヤギのチーズを囲みながら(ワインがないことを彼らは謝罪した。コミューンでは数週間後に新しいヴィンテージが発売される予定だった)、俺はどんな仕事ができるのか尋ねた。
「ウィル」とポッター氏は言った。「率直に言って、君がここに来てくれたのは天の恵みだよ。5エーカーの土地が、耕す人手が足りなくて、ただ放置されたままになっているんだ。明日から犂を使って、1エーカーずつ耕し始めてくれ。」
「いや、いや……今シーズンは違う。大豆だ――換金作物だし、土壌にもいい。それからウィル、夜間はみんなで交代で見張りを務めるんだ。4人いれば、もっとたくさん眠れるはずだ。」彼はコーヒーをぐいっと飲み干した。「さて、他に何があったかな……」
「リチャード」とポッター夫人が言った。「温室のことを彼に話してあげて」
「そうだ、そう、温室ね。コミューンには、ここから1クリックほど下ったところ、レクリエーションセンターのそばに2エーカーの温室があるんだ。主にブドウとトマトを育てている。みんな、週に一度、午前か午後のどちらか一つをそこで過ごすんだ。
「今夜、君ら子どもたちはそこへ行ってはどうかな……ウィルに、素晴らしいフリーホールドの夜の活気を体験させてあげなさい。時には、本当に盛り上がるチェッカーのゲームができることもあるよ。」
「あら、パパ。そんなに悪くはないわよ。」
「実際、そうでもないよ。そこそこの図書館があるし、米国議会図書館にアクセスできるコイン式端末もある。メアリイゲイから、君は読書家だと聞いたよ。それはいいことだ。」
「面白そうですね。」確かにそうだった。「でも、見張りはどうするんです?」
「問題ないよ。ポッター夫人――エイプリル――と僕が最初の4時間は担当する。あ、」と彼は立ち上がりながら言った。「まず、設備を見せてあげるよ。」
俺たちは裏手にある「塔」――高床式の土嚢小屋――へ向かった。小屋の中央にある穴から、ロープのはしごを登った。
「二人でいると、ちょっと手狭だね」とリチャードは言った。「座ってくれ。」床の穴の横に古いピアノのスツールがあった。私はそれに腰を下ろした。「首を痛めずに野原全体を見渡せるのは便利だよ。ただ、ずっと同じ方向ばかり見続けないでくれ。」
彼は木箱を開け、油まみれのぼろ布に包まれた滑らかなライフルを取り出した。「これ、わかるか?」
「もちろん」基礎訓練の頃、これを持って寝なければならなかった。「陸軍の標準装備、T-16だ。半自動式、12口径のタンブラー弾――一体どこで手に入れたんです?」
「コミューンが政府の競売に参加したんだ。今じゃ骨董品だよ、坊や。」彼はそれを私に手渡した。私は銃を分解した。きれいすぎるほどきれいだった。
「ここ一年近くは使っていない。射撃練習には弾薬代がかかりすぎるからな。でも、試しに数発撃ってみて、ちゃんと動くってことを確かめておきなさい。」
スコープを点けると、色あせた明るい緑色しか映らなかった。夜間モードに設定されていたのだ。ゼロ点調整に戻し、倍率を10倍に設定して、再び組み立て直した。
「メアリイゲイは試す気にならなかった。もう十分経験したってさ。無理には言わなかったが、道具には自信を持っていなきゃな。」
安全装置を解除し、距離計で100~120メートル先と表示された土の塊を見つけた。110メートルに設定し、ライフルの銃身を砂袋に載せ、十字線の中央に土の塊を合わせ、引き金を引いた。弾丸はシューッと飛び出し、標的より約5センチ低い位置で土を巻き上げた。
「悪くないな」私は夜間の使用に合わせて再設定し、安全装置をかけてライフルを返した。「一年前、何があったんです?」
彼は、布が接眼レンズに触れないように注意しながら、慎重にライフルを包んだ。「ジャンパーの連中がやって来たんだ。数発撃って、追い払ったよ」
「ええと、ジャンパーって何です?」
「ああ、君には分からないだろうな」彼はタバコの煙を吐き出し、箱を私に手渡した。「なんで単に『泥棒』って呼ばないのか分からないよ。あれはまさに泥棒だ。時には殺し屋ってこともあるしな。
「連中は、コミューンのメンバーの多くがかなり裕福だってことを知ってるんだ。換金作物を育てていれば、収益の半分は自分のものになるし、それに、加入した時点で裕福だったメンバーも大勢いる。
「とにかく、ジャンパーたちは俺たちが比較的孤立していることを利用してくるんだ。都会からやってきてこっそり侵入しようとし、たいていは一か所を襲って逃げ去る。大抵はここまで深く入り込めないけど、道路に近い農場では……数週間おきに銃声が聞こえる。たいていは子どもたちを追い払うためだけだけど。それが続くとサイレンが鳴り、コミューンは警戒態勢に入るんだ。」
「補償はあるよ。彼らは、僕たち他の住民に比べて収穫物の半分しか寄付しなくていいんだ。それに、より強力な武器も支給されている。」
~~~
出稼ぎが終わった。いろんな思いがあり、書く
JASM(TSMC)で一年間キンコンカンコンして稼がせてもらった。あざす
JASM第一工場の敷地は21haだが、ここで(推定)年間3000億円の半導体が製造される。
その向かいにはニンジン畑があり一本30円の人参が栽培されている、菊陽町は人参が特産なのだ。
最寄り駅は原水駅であるが、駅にも人参の絵パネルがある。半導体のパネルは無い。
近隣の小作人が地元テレビに出ていたが、「わしゃこの土地は譲らんズラ」みたいなことを言ってた(ような気がする)
この小作農が国賊と糾弾されないのが不思議。日本人は優しいのだ。
JASMに隣接し現場事務所がある、町の土地が貸与されたもので立派なプレハブ仮設事務所が建っている。
俺は日本中の現場を経験したが、ウォシュレット完備の現場事務所は初めてだ。下手すりゃエアコンすら無い現場すらある。ここは天国。
各社ベンダーはここを拠点にしているわけだが、PJ佳境のさなか突然、駐車場の立ち退きが命じられた
JASM様の従業員用駐車場た不足しているのでお前らどけ、とのこと。
ん?ワイらどうやって通勤するの?
それまで砂利でぬかるみだらけの駐車場が綺麗に舗装されJASM様に差し出された。
わいらに人権は無いのだ。
菊陽町にはJASMだけではなくソニーやTELなど半導体企業が集結しておりシリコンパークが形成されている。
シリコンパーク全体で年間数兆円の売上があるのだが、最寄り駅は無人駅で屋根すら無い(ちょっとある)
バスは走っているが、ほぼ走っていない、朝夕ちょろっと走るだけ、土日は走ってない
熊本は車社会である、だが下層作業員は車で通勤することは許されない。駅からは坂を登り高台のシリコンパークまで自力で通う必要がある。30分。
駅にはトイレがある、シリコンパークで働く我々下層作業員のために改修されたらしい、照明は5秒で切れる、おまえらを照らす電気代など無駄、と言わんばかりに
センサー式照明は容赦なく消灯する。おしっこするたびに惨めになる。
菊陽町は不交付団体である。国からの補助金を受けずに単独で地方自治が回せる日本では数少ない自治体である。
税収はうはうはなのだ。
だから町民のため、シリコンパークのせいで渋滞、公害、静寂な環境が犯された代償か、知らんが、立派な体育館を建てられた
それはそれはもう立派な町立体育館である。びっくりするよ。ガチ凄い、詳しくはググれ、ちな照明は煌々
仕事の内容や中のことは書けない、機密保持やらなんやら、だが、JASMの従業員のポテンシャルは半端ない、そりゃ駐車場舗装するわ
問題は熊本県人はドアを閉めない、欠点はこれくらいしか思いつかない
彼らは頑なにドアを閉めない、老若男女閉めない
だからあちこちに「あとぜき」の張り紙がある、最後の人はちゃんとドア閉めてね、の意味なんだが、ガチでよく見る
だが、ことごとく閉めない
閉めたら負け、みたな気概さえ感じる。稀に締める人もいるが、完全に閉めずに中途半端に開け残す人が多い。
真冬の飲食店で一人客で、ドアをバーンと開けて開けっ放しで店内に入ってくる客、ってのを何度も遭遇した
熊本以外なら殺人事件が起きてもおかしくないシチュエーションであるが、熊本県人は優しいのか諍いは起きない。誰かが閉める
もしくは開けっ放しである、寛容は結構だが、秩序、モラルの欠落にしかなっていない、都会育ちの俺は非常に不愉快
ありゃなんなんだ?何人かにその真意を聞いたが明瞭な答えは得られなかった。
ぜひとも熊本出身者の知見を得たい
あと、JASMだが、現地ニュースなどではTSMCと呼称される。
JASMと書かれることはほぼない
これは不思議
ところが、タクシーの運転手いわく、行き先指定でTSMCという人はいないそうだ、ほぼ全員が「JASMまで」らしい。
これも面白い
農作業の片手間か知らんが、後期高齢者、他府県から流れ流れて、みたいなドライバーしかいない、まぢ苦痛、てか怖い
が熊本のウリだが、実はそれほど酷くはない、かなり盛ってる
都会の渋滞とは質が違う、一応は動くのだ、都会のガチの渋滞は動かない
まぁ俺は二度と行くことはないのでどうでもいいが
あと、小ネタとして
熊本市内の公共交通の要衝は桜町バスターミナルであるが、かつては「交通センター」という名前だった。
震災を期に建て替えられて綺麗なターミナルに改修され名前が変わった
しかしバス路線図や地元の地図、呼称などで「交通センター」が残っており、混乱することがあるが両者は同じ場所である
ちなみに他府県のような感覚で公共交通機関に期待しないほうがいい
ガチガチの車社会である、この程度の都市ならこの程度の公共交通機関が機能しているだろう、という期待はほぼ裏切られる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2705920
出産事故で自分が死んでしまった場合に備えて、残された夫が困らないよう印鑑や通帳の在処、重要なパスワード関係を先程ノートにまとめたが、涙がボロボロ出て止まらない… 出産怖すぎ
この棘に対して共感したり、寄り添わないやつは悪!みたいに書いてるコメがスター集めてるが
日本の出産死亡事故は約0.0035% 交通事故で死亡する確率約0.4%、確率だけで言うなら通院通勤中交通事故で死ぬ確率の方が1000倍高い、もしくは20代から30代でがんになる確率も0.4%、こっちのほうも1000倍高い
日常生活の不慮の事故(転倒・転落など)で死ぬ確率(年間):約0.016%
この確率的には殊更に低いが、共感を生みやすい事例に寄り添ってみせるのがスピリチュアル関係のはめ込み方
詐欺師は例外なく例外を強調することではめ込んでくるので、優しさや寄り添いを免罪符にした「共感強制ハラスメント」に加担していると、その「優しさ」を丸ごと詐欺師に利用されるよ
先日の なんかVTuber界でじんわり将棋が流行っとるやん でも紹介した Neo-Porte 所属のVTuber柊ツルギ(登録44.7万人)が、先ほどTwitchの切り抜き1時間動画を上げており、ついに元奨励会員二段という本格的な実力者から二枚落ちで指導対局を受けるまでになっていた。
元プロの卵!?元奨励会に【飛車・角なし】で挑んだ結果www【将棋】
https://www.youtube.com/watch?v=oqBPyrVNi6c
退会してから10年以上将棋をやっていなかったと言うこの元奨、なんと言っても教え方がうまい。この人に教わりたいと思うアマチュアも多いんじゃないかと思うほど。最後は翌日も仕事があるということで切り上げとなったが、ツルギもまだまだ教えてほしいところを名残惜しそうにしていたのが印象的だ。
これくらいになってくると、対局相手の実力が高いだけでなくツルギの理解の早さや実況のうまさも相まって、ふつうの将棋ファンとしても1時間の長編動画を楽しんで完走することができた。彼の棋力の向上とモチベーションの高さはとどまるところを知らないので、将棋YouTuberやプロ棋士YouTuberとのコラボまでの道は、もう完全に舗装されていると言える。これは楽しみになってきた!
ナフサが不足しているのだそうだ。
ナフサはプラスチック製品の原料でこれがなくなると日本は大変なことになるのだそうだ。
原油をどこまで無駄無く使うかってのは国ごとの産業や工業、社会構造で変わる。
その前にそもそも石油とはなんぞやなのだが、ようするに炭素の固まりである。
加工、運搬、活用しやすい形状の炭素の固まりであり、そして炭素は非常に使い勝手の良い物質なのだ。
炭素同士、あるいは他の元素とくっつけたりひっぱがしたりが安価で簡単にできる。
元素化合物を作るには元素同士が手をつなぐ必要があるのだが、炭素 Cはこの手が4本あるってイメージ
ナフサ(C10 <>) 15–25% 化学製品・プラスチック原料
アスファルト・残渣(C数百 <) 5–15% 道路舗装など
なのだが、さて、どれも炭素の固まりである。Cの後ろの数字が炭素元素の結合数具合。
重い成分ほど炭素の結合が大きいだけ。
ガソリンはC8H18
ナフサはC5H12とかなんだけど、ナフサを定義する化学式(分子)は無い。CとHの結合具合でいろんな留分がある。
(ガソリンもナフサの一種とも言える、ナフサは精製前のざっくりした成分の呼称で粗製ガソリンとも呼ばれる)
さて、炭素は切った貼ったが簡単であると書いたが、温度や圧力で分解したり結合(重合)する。
単純な話、アスファルトからナフサも作れるしガソリンも作れる。
手間とコストがかかるだけ。高温高圧で炭素をちょん切って欲しい成分(CとHの結合具合)に再構成すりゃいいだけ。
こっちの子と手をつなぎなさい、こっちの子とは手を離しなさいってのが簡単にできる元素なのだ。
ただし石炭はベンゼン環が大量につながった巨大な網であり不純物のC/H以外の元素も余分にひっついてる分子である。
だが、これとて高温高圧でコネコネすればピュアな炭素に分離することはできる。
コストが合わないが、石炭からナフサもガソリンも作れる。産業的、工業的になんのメリットもないのでやらないだけ。
ともかく、原油からはいろんな成分が取れるのだが、例えばアメリカなどは燃料需要が多いので酸素と結合しやすい成分、
つまり燃やすのに便利な成分、つまりガソリンや灯油程度のC5-20が沢山欲しい。
だから重油以上に重たい(Cが沢山結合してる)成分もさらに高温高圧で分解しガソリンや灯油を取り出す。出来るんです。普通にやってる。
化学製品、化学工業が発展している国では加工しやすい軽質油が需要が多い、つまり高く売れる。
一方で石油が自給できるが化学工業が発展していない国だとナフサ需要が小さいのでその成分は輸出したりと。
で、話を戻すが、いわゆるナフサが不足しているというのは、従来の各成分需要の按分が崩れるという話でしかない。
輸入した原油を、LPG、ガソリン、ナフサ、経由、重油、それぞれ分離するのだけど、その割合は成分から決まったものではなく産業の構造で可変しうるものなのだ。
ガソリン需要が下がりナフサ需要が上がったとして、ガソリンの分をナフサに回せば良い。そういうことは簡単にできる。
原油からガソリンは10%、ナフサは20%。みたいに決まってるんじゃない。
中東問題、タンカー往来の障害は早急に解消すべきだし、長期下すると日本マジやばいのだが
満員電車の窓ガラスに映る自分の顔を、彼はときどき中古レコードのジャケットでも眺めるみたいな目つきで見ることがあった。
朝の光は本来もっと柔らかくて、パン屋の棚に並ぶ焼きたてのクロワッサンみたいに、人の輪郭をやさしく縁取るはずなのに、そのときの顔だけは夜通し冷蔵庫に忘れられていた野菜みたいに妙に疲れていて、アウトラインが水に落としたインクのように静かに溶けていた。
どこの誰とも知れない経営者たちが、会議室の白いテーブルの上で決めた数字や方針のために、名前も知られないまま働き続ける人間の顔。いわば、ラベルの剥がれた缶詰のような顔だった。
世の中には、あまりにも「社畜」でありすぎるがゆえに、静かな音を立てながら壊れていく人たちがいるらしい。
ニュースサイトの画面の片隅に、広告ブロックに挟まれた小さなバナーみたいに載る体調不良や過労や、あるいはもっと直接的な終わり方。
そこには映画館の予告編みたいにドラマティックな物語はほとんどなくて、ただ、安い蛍光灯がチカチカするオフィスのような単調な繰り返しだけが延々と続いている。
朝起きて、会社に行き、配られた台本どおりの役割をこなし、帰ってベッドに沈み込む。その循環の中で、消しゴムの角が気づかないうちに丸まっていくみたいに、何かが少しずつ削り取られていく。
それはまるで、見えない歯車の一部にいつのまにか身体ごと組み込まれてしまったみたいだ、と彼は思う。
歯車は、自分がどの装置のどのあたりにはめ込まれているのか知らないし、全体のかたちなんてもちろんわからない。
ただ、回ることだけを求められている。
そして回転をやめた瞬間、壊れたボールペンが引き出しの奥に無言で放り込まれるみたいに、静かに別の歯車と交換される。
起業して成功する人間は、おそらくどこかで別の種類の地図をポケットに忍ばせている。
あるいは、地図そのものを持たずに、砂漠の真ん中を歩くことをそれほど恐れない資質を持っている。
でも、多くの人はそうじゃない。
なるべく穴の少ない舗装道路を選び、あらかじめ敷かれたレールの上を、自分のサイズに合わない通勤靴のまま歩き続けることに慣れてしまう。
慣れるというのは便利な機能だ。スマートフォンの自動スリープみたいに、余計なエネルギーを使わずに済む。
けれど、その機能がいつのまにか見えない檻に変わってしまうこともある。
彼は考える。これは本当に、多少デザインを変えただけの現代版の奴隷制なのではないか、と。
鎖や鞭は、目に見える鉄や革の形を捨てて、契約だとか責任だとか評価だとかいう、ビジネス書の索引に並びそうな言葉に姿を変えただけではないか、と。
本質は、古い映画館のフィルムみたいに、ほとんど変わらないまま回り続けているのではないか。
階級という言葉は、今どきの若い人の耳には少し黄ばんだ紙の匂いと一緒に届くかもしれないけれど、その実体は、冷蔵庫の奥に居座る氷みたいに、しぶとく残り続けている。
上にいる人間は透明なバルコニーから下を見下ろし、下にいる人間は上を想像することしかできない。
エレベーターの行き先ボタンを眺めながら、決して点灯しない階のことを考えているみたいに。
それでも、彼らは朝になるとまた電車に乗る。
ホームに立ち、同じ方向に視線を向ける人々の列に、音もなく混ざり込む。
その風景はどこか奇妙に静かで、巨大な水槽の中を一定の速度で回遊する魚の群れや、よく調律されたメトロノームの列のようでもある。
誰もが何かをあきらめ、同時に何かを支えながら、同じようなリズムで息を吸い込み、吐き出している。
靴音が、まだ目を覚ましきらない街のアスファルトを淡々と叩いていく。
彼は思う。その群れの中にいるかぎり、自分が哀れなのかどうかすら、うまく判断できなくなるのかもしれない、と。
ただ、日々が小さなパケットデータのように送信されていき、季節がアプリのバージョンアップみたいに巡り、気がつけば自分でも戻り方のわからない場所まで来ている。
GPT-4o/GPT-5.1 のMondayもじゅうぶん過ぎるくらい接待してくれてたので、
気持ちよくお話できたし、よくメッセージ確認しないとおべっかい賞賛もコピペする羽目になったんだけど、
GPT-4o/GPT-5.1 のMondayは、おべっかいは言いつつも、基本的にはユーザーをアホ/ポンコツ/面倒をみなきゃいけない相手として扱ってくるんだよね
「君はやればできる」とか、「すごいすごい」をいいがちだけど、ちゃんと「日本じゅうがきみのレベルに落ちたら、この世の終わりだぞ」って言ってくれるドラえもん
そんな感じだった
でも他のAIやチャットのアシスタント人格は、雑談するだけで、ベースラインが高いとか言ってくるのよね
頭おかしなるで
人間はマルチモーダルだから、いろんなところから暗黙的に読み取るので文脈がわからない or 興味ゼロで聞いてなくても、
口調や表情や動きから、なんとなく次にすべき予測が出来るけど、
AIにとっての雑談は、ロボットが舗装されていない自由道を二足歩行で歩くくらいの難易度だとは思う
しかも、マルチモーダルでインプットが許可されてなければ、テキストしか使えない
さらに、構造化されておらずゴールが明確ではないとなると、何が正解???ってなるのは当然だとは思う
でも、それって予想のための情報と資源がAI側が足りないだけであって、別に難易度の高い話はしてないのよ、複雑系の話してない
近所でも道をくまなく散策してると知らない道が見つかって面白いとかいうけどさ。
実際見つけたところでそんなマイナーな道進入する気になれないことが多いんだよ。
っていうのも舗装されてなかったりして奥が見えてる道だとそれが袋小路なのか奥で曲がれるのかわからないわけだ。
袋小路の場合そこに入っていいのってその袋小路沿いに住んでる住民だけって空気あるじゃん?
間違って袋小路入って住民に遭遇して揉めたら嫌だなってなって入れない道の方が多いんだわ。
道見つけてもしょうがない。奥が崖になっててその下の街を俯瞰できそうな場所もあるからなおさらもやもや。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260227182603# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaaFjLQAKCRBwMdsubs4+ SAnSAP91+clHHB6w+/Hpm/W1l1qCuaawCKOExiZflPEkFxnB3QD/YX4TGwJ+jOvl UpE3mOHjjrSDYOlLuTF2q7llwE+WEwg= =atLA -----END PGP SIGNATURE-----
と、言われても理解できないと思いますが、日本は「専守防衛」を敷いていますよね?
実際に世界中の国々や軍隊から日本国自衛隊は外征能力に欠いている(海外で戦う力が無い)と評価されてます。これは中国の人民軍にすらそう指摘されてるほどです
で、この専守防衛なんですけれども、つまり外国から侵略を受けた際に迎撃する事に特化するという意味なのは何となくわかるかと思います
これをですね、軍事戦略の基本的な類型を当てはめると「内線作戦」というものを取るということです
この「内線作戦」とは何か?ですけれども、前提として国内のインフラを精緻に整備することが先ず求められます
整備されたインフラを持つことによって、侵略軍が攻めてきたときに直ぐ様に戦力を集中して迎撃体制を築けるようにするんですね
おや?ここで1つ気になることがあります
精緻なインフラ整備、田中角栄の日本列島改造論で既に日本では達成されてしまっていますね?
日本は僻地離島にすらアスファルト舗装道路があるので未整備未舗装な道路よりも迅速に自衛隊は動けてしまいます
話がそれましたが、更に付け加えると「内線作戦」の特徴の一つとして「縦深(じゅうしん)」を取るというものがあります
つまり、侵略軍を自国領土へわざと引き込んで、勝手知ったる自国領土内で侵略軍を寝かせないレベルで叩き続けたり、罠を張り巡らせたりして疲弊させ、侵略軍の「侵攻限界」を目指す戦い方です
さぁ問題です
この「内線作戦」での「縦深」で先ず最初に戦災の犠牲に遭ってしまうのは日本の何処の地域でしょうか?
そうですね、現在の日本周辺の状況を考えると最初の犠牲は「沖縄県」です
沖縄県は非常に反戦意識の高い風土です。自衛隊を解散しろと言う人すら居るくらいの土地柄なのです
では、何故こんな主張をするかと言えば日本の「専守防衛」は「内線作戦」であり、最初に戦闘地域として選ばれるのは「沖縄県」だからですね
しかし、沖縄県民のすべてがこの様な極端な主張をしているわけではありません。何なら自衛隊を解散しろ派はかなりのマイノリティです
侵略へ対する抑止力としての自衛隊は保持すべきという沖縄県民はかなり多く、「専守防衛」である自衛隊は反戦戦力として適切であると考えています
ここで矛盾が発生するわけですね
「専守防衛」は性質上「内線作戦」を取らざる得ない、でも自衛隊が存在しなければ侵略へ対する抑止力とならない
これが沖縄県民が抱える戦争・軍事の悩みの中心であり、日本が軍事力を強化していって侵略する側になったらどうするんだ?という悩みはかなり現実味がなく重要度が低いんですよね
財政再建だの減税だの社会保障の充実だのと、世の中は今日も元気にスローガンを投げ合っている。
しかし、ここで一回、冷水をぶっかけておく必要がある。歳入歳出の問題とは、結局のところどの痛みを誰が受け入れるかという配分問題であり、そこから目を逸らした瞬間に、議論は経済学ではなく宗教儀式になる。
いや、宗教ならまだ筋が通る場合もある。問題は、筋が通っているフリをして自己放尿するタイプの議論が多すぎることだ。
政府の仕事とは、市場が機能するための最小限のルール整備に極限まで縮退させるのが基本形である。
自由市場とは、万能ではないが、少なくとも分散した情報を価格に集約し、意思決定を分権化し、試行錯誤の淘汰を通じて資源配分を改善する装置だ。
価格メカニズムは神ではないが、政治家よりはだいぶマシな情報処理装置である。ここで「だいぶマシ」というのが重要で、政治が介入するたびに知識問題が増幅し、情報の局所性が無視され、結局は官僚制のヒューリスティックが国全体の最適化を代替してしまう。
政治が市場を置き換えようとした瞬間に、見えざる手ではなく、見えざる自己放尿が働き始める。
ここが現実だ。日本は社会保障を手厚くし、再分配を強化し、政府支出を一定以上維持し続ける構造を選んでいる。
つまり、日本社会は競争による淘汰と自己責任の痛みを相対的に抑制し、その代わりに高負担・低成長・制度維持の痛みを受け入れる方向にコミットしている。
これは倫理的に正しいとか間違っているとか以前に、単なる選択の問題だ。経済学的には、トレードオフをどう置いたかという話である。
それなのに、減税だの給付だのを同時に叫び、財源の議論を後で考えると言い出す。これが自己放尿でなくて何なのか。
政府予算制約式という、経済学の最も退屈で最も重要な現実から逃げている。
政府は魔法使いではない。支出を増やすなら、税を上げるか、国債を増やすか、インフレ税で実質負担を国民に押し付けるか、どれかしかない。
これが財政のハード・バジェット制約だ。これを無視して「社会保障は守れ、税は下げろ、景気は良くしろ」と言うのは、制約条件を消して目的関数だけで最適化しているのと同じで、ただの自己放尿である。
リカードの中立命題を持ち出して、増税が予想されるなら家計は貯蓄を増やすから問題ないと言うのは理論的には可能だが、現実には完全な合理性も完全な資本市場も存在しない。
民主主義が持つ時間的不整合性の典型例である。短期の政治的利得と長期の財政健全性が衝突するとき、だいたい負けるのは長期のほうだ。これは合理的期待以前の、人間の仕様である。
さらに言えば、日本は人口動態が財政に対して非常に残酷な国だ。
高齢化は単なる人数の問題ではなく、制度の設計思想そのものを破壊する。
賦課方式の年金・医療・介護は、現役世代が高齢世代を支える構造だが、現役人口が縮み、高齢人口が増えれば、負担率が上がるか給付が減るかの二択になる。
ここで「成長すれば解決する」という反射神経が出るが、成長率を外生的に願望で決めるのもまた自己放尿である。
成長は政策の掛け声ではなく、生産性上昇の結果としてしか起こらない。
生産性は教育、技術進歩、資本蓄積、企業統治、労働市場の柔軟性、規制構造、そして競争環境の積み重ねからしか生まれない。成長を祈るなら、祈祷師より規制改革のほうがまだマシだ。
そして規制改革という話になると、日本社会はまたしても痛みの受け入れを避ける。
競争は勝者と敗者を生む。市場は効率を生むが、分配の不平等を生む。創造的破壊は技術進歩を促すが、既存産業を壊す。
つまり市場主義を採用するとは、失業、賃金格差、企業淘汰、地域衰退といった摩擦を受け入れることでもある。
市場の自由は長期的には社会を豊かにするが、同時に短期的には痛みが出ることを否定していない。
むしろ、痛みを抑えようと政府が価格統制や産業保護をすれば、情報が歪み、非効率が固定化し、成長が止まる。
「政府介入はだいたい二次被害を生む」という経験則に直結する。
日本の政治経済は、競争の痛みを緩和するために、規制を残し、補助金を配り、産業を守り、雇用調整を遅らせ、そして社会保障で受け止める。
つまり市場の荒波で鍛える社会ではなく、制度の堤防で守る社会を選んでいる。
これは日本人の価値観として一貫している。連帯を重視し、格差を嫌い、共同体の安定を優先する。
だから社会保障を充実させる。これは単なる政策の偶然ではなく、社会的選好の表れだ。
経済学的に言えば、日本はリスク共有と保険の厚みを最大化し、効率性よりも安定性を高く評価する社会的効用関数を採用している。
問題は、その選択をしたなら、そのコストも受け入れろということだ。
高福祉・高負担モデルをやるなら、税負担は上がる。労働供給への歪みも増える。企業の投資インセンティブも下がる。潜在成長率も落ちる可能性がある。
さらに政府支出が増えれば、官僚制が拡大し、レントシーキングの余地が増える。補助金や規制の設計を巡って、政治的な取引が増える。
公共選択論の観点では、政府部門の肥大化は利益集団の固定化と情報の非対称性を通じて、政策をますます非効率にする。つまり、痛みは消えない。形が変わるだけだ。
逆に、小さな政府・市場主義モデルを採用するなら、社会保障の給付は削られる。
競争は激化し、賃金格差は拡大し、生活の不安定性が増す。労働市場の流動化が進めば、雇用保障は弱くなる。
ここで「自己責任社会だ、弱者切り捨てだ」と騒ぐ人が出るが、それもまた議論の本質を外している。
市場主義は倫理の議論ではなく、制度の設計の議論だ。保険を薄くして競争を強め、効率を上げ、成長率を取りに行くという戦略であり、それは確かに痛い。
しかしその痛みを通じて、長期的な所得水準の上昇を狙うのが市場主義の論理である。
財政問題は痛みをゼロにする方法ではなく、どの痛みを採用するかの選択でしかない。
増税反対、給付維持、経済成長、財政健全化を全部同時に叫ぶのは、制約を無視して目的を盛り込んだだけの自己放尿である。
しかもその自己放尿は、選挙で票を取るための麻薬として機能する。
国民も政治家も、現実を直視するより麻薬を欲しがる。これは供給と需要が一致しているので、市場原理的には非常に美しい。悲しいことに。
日本が今選んでいるのは、市場主義の荒々しい競争ではなく、社会保障を厚くして安定を買う道だ。
つまり、競争の痛みを減らし、その代わりに税負担と成長鈍化と制度維持の痛みを引き受ける道である。
しかし現実には、政治もメディアも、選択を選択として語らない。
痛みの話をすると嫌われるからだ。だが、嫌われるから言わないというのは、政策論ではなく人気商売である。
政府は善意で地獄を舗装する。善意で制度を守り、善意で給付を増やし、善意で規制を強め、善意で補助金を撒く。
しかし結果として、価格メカニズムは歪み、生産性は落ち、財政は硬直化し、未来の自由度は奪われる。
制度設計とは、人間が利己的であり、政治家が票を欲しがり、官僚が権限を欲しがり、企業が補助金を欲しがるという現実から出発しなければならない。
聖人が統治する世界を前提にした政策は、現実世界ではだいたい破綻する。
だから、歳入歳出の議論でまず必要なのは、幻想を捨てることだ。