はてなキーワード: 博士とは
夏のお手軽簡単皮を剥かなくても食べられるキウイフルーツを好んで、
インターネッツの情報にあったキウイフルーツは皮は剥かなくてもそのままモケモケのまま食べられるって情報を正に鵜呑みにして食べて、
うわ!本当にキウイフルーツって皮剥かなくて丸かじりオーケーなのね!
美味しいわ!ってもぐもぐ食べていたら、
あるとき、
口の中が血だらけになったの!?
いやいや、
今歯磨きしてないし、
そもそも私歯磨きしたってそんな滅多に出血しないでお馴染みなんだけど、
なんかキウイフルーツを食べた後に、
ああ!美味しかったな!よーし歯を磨いて寝ましょう!って食べたその場5秒ぐらいあとで、
いや正確には3分ぐらいたってるかな?
そのぐらいキウイフルーツを食べた後で歯を磨いたら血だらけになっていて、
確かに口の中の上顎が、
揚げたての唐揚げ定食のから揚げを思わず飛び付いて熱いまま頬張って、
口の中の上顎をじゅるっと火傷してしまったような、
そんなヒリヒリ感は覚えていたんだけど、
ここ最近そんな熱々で私の心をわしづかみにするホットなから揚げ定食のから揚げは食べてないのになぁ?って。
そう不思議に思っていて、
この出血ってなんだろう?って。
そう思ってここ2日ぐらい口の中がヒリヒリするなぁって暮らしていたのね。
で、
真っ赤になっていたから、
これは!?って冗談で英語で言うとJYODANってスペルの冗談の方で、
「キウイフルーツ出血」って検索ワードでインターネッツを検索してみたら、
キウイフルーツが大安売りの近所のマーケットがたくさん出てきたので、
よーし!私はせっかくキウイフルーツが大安売りだからって飛び込み前転して入店してキウイフルーツを買おうかな!って意気込んだの!
って違う違う、
そのキウイフルーツ大売り出し大出血サービス価格特価でお得に買える情報が欲しいんじゃなくって、
もしかしたら、
キウイフルーツが口の中で悪さして血が出てるのかも?って調べたいのよ、
って改めてインターネッツで調べてみたら、
特に緑のキウイフルーツの酵素が口の中の粘膜を少し溶かしてそれが出血しているかもです!って検索結果が出てきたの!
え?
洗濯シーエムで驚き屋があまりにもこの洗濯洗剤で洗うと汚れがよく落ちるから「驚きの白さ!」って凄い驚いた勢いでシーエムの声を吹き込むぐらいな強力さでちょっと驚いたわ。
てかさ、
海の昆布がなんで海の中で出汁が出ないか?って永遠の謎ってあるじゃない?
あれは昆布が生きているから頑張って溶け出さないようにしている!って昆布博士のクラコン博士がそう言っていて、
やっぱり生きている昆布って頑張っているんだ!って
私も手のひらを太陽に透かして見れば真っ赤に流れる血潮を感じるの!
私だって生きているの!
そんな、
生きている生身の人間がキウイフルーツの酵素で溶けるはずないじゃない!?って。
私生きているの!
そう力強く右の拳を突き上げて「生きているの!」って
卒業生が最初一人が「生きているの!」っていった後に残りの卒業生達が後に続いて「生きているの!」っていう卒業式の形式のコールアンドレスポンスってあるじゃない?
それぐらい私も一人で、
「生きているの!」「生きているの!」っていうわ。
人間だってキウイフルーツに溶かされないように頑張っているのに!
でも真実は一つ!
確かに口の中の出血はキウイフルーツの特に緑色のキウイフルーツは酵素が強力らしいので、
好んで食べていた緑のキウイフルーツはやっぱりそうだったみたい。
でもさ、
果物食べて口の中が血だらけになるってそんな危険なフルーツある?
これじゃ、
ああ!キウイフルーツ怖い!
絶対よ!
フリじゃないから。
てか、
私はそんなちびっ子ってワケでもないんだけど、
赤ちゃんとかちびっ子とかがキウイフルーツ食べたら大変なことになるんじゃないの?って。
よくある話で赤ちゃんにはハチミツは食べさせたらダメですよって気を付けてくださいねって話あるじゃない、
赤ちゃんにキウイフルーツを与えたらダメだって話は聞いたことないし、
ちびっ子にだってキウイフルーツを食べさせたら口の中から血が出る!って警戒して食べさせない家庭なんて今の今まで聞いたことがないわ。
もうさ、
キウイフルーツ食べ過ぎて、
お腹を下してーってなら分かるけど、
まだ胃の中に入っていないうちから口の中で血が出るなんて!って、
かなりホラーじゃない?
だから、
ずーっと口の中が熱々の揚げたてホッツなから揚げ定食のから揚げを頬張ってもいないのに
上顎がそれで火傷したみたいにヒリヒリしていて、
から揚げ食べてないのに、
なぜなぜなーに?って思っていたのよね。
まあキウイフルーツが原因だってことがハッキリと分かってよかったけれど、
なんだかキウイフルーツ買うのが怖くなってきたわ。
あれってマーケットで手に取ってパカーって開いてみるまで、
黄色いキウイフルーツか緑のキウイフルーツか分からないじゃない?
そんな賭けしてまで
キウイフルーツ食べる?
うーん、
なんかさ緑のキウイフルーツのパワーを抑える方法って何かないのかしらね?
よーく冷やして食べたらいいのかしら?
それってただの冷やしキウイフルーツになるだけよね。
まあ夏だし、
口の中のヒリヒリが直って治まるまで、
なんてね、
うふふ。
昨晩から冷やしていたので、
レモン1つあるので、
追いレモンをマジ搾り果汁追加してレモン感アップさせるレモンレモンしたレモン炭酸水ウォーラーもいいかも。
とにかく、
熱いので、
さくせんはお水しっかりよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
大東亜連邦が50年にもわたる戦争の結果、ヨーロッパ諸国に完全勝利しユーラシア大陸を完全掌握した未来。晋三もとい新造細胞という万能細胞の研究をしている東博士の息子、伊勢谷友介は戦地に赴きブービートラップでうっかり死亡してしまう。その訃報が届いたその日、博士の研究所にモノリスが落下、新造細胞が活性化し使用していた遺体たちが復活。軍部は直ちに排除しようとするも少数が逃げ出し新造人間として独立敵対を表明。そしてそのうやむやの中で伊勢谷も復活を遂げる。こうして軍部、新造人間、伊勢谷らの戦いが幕を開ける。
とにかく何もかもが過剰な映画だなーて印象。台詞も、設定も、カット割りも、CGIも、エフェクトも、登場人物も、劇伴も、何もかもが必要以上に盛られており下品な成金が金に飽かしてとりあえずいろんな食材を突っ込めるだけ突っ込んだ弁当みたいな映画だった。
少なくとも監督に脚本の才能はない。おそらく監督はそれをわかっていたからだろうかアニメシリーズ版の攻殻機動隊の脚本家を2人もつけて挑んでいるが、それでもなおひどい。メインテーマは反戦なんだけど、このテーマって俺はめっちゃむずいと思ってんだよね。
今回の大ボスの一人である新造人間の唐沢寿明は反乱軍鎮圧の名目で伊勢谷に嫁を目の前で殺され、その後虐殺され、さらにはその地域の奴らの遺伝子がなんかいいらしいみたいな研究の結果、仲間たちもろとも遺体をバラバラに切り刻まれ人体実験の養分にされ、奇跡が起きて復活したらしたでまた軍人に銃撃され、お前ら人間に他の生命を滅するその権利があると思っているなら俺たちにもその権利がある!と人類滅亡へ舵を切る。
そうして起きた大戦の末に伊勢谷がたどり着く結論が「我々は許し合うべきだった」となるのは流石に唐沢からすれば意味が分からんだろう。許し合うの「合う」はどこから来たんじゃいという話にならないか。
もろちん、戦いの連鎖をどこで断ち切るか、どこで赦すのか、それが反戦をテーマにした作品が持つ大きなテーゼであることは重々承知しつつも、それを誰が言うのか、どこで言うのか、これには細心の注意を払わないと傲慢な加害者と抵抗を許されない被害者の構図に陥ってしまう。少なくともこの作品においては唐沢は被害者でしかない。
確かに唐沢の村ではかつて自らが侵略者となり戦争につながり、そして今も反乱やテロが多発しているとしても作中の設定ではおそらく唐沢はそんなことには関わらず夫婦楽しく暮らしているだけだったはずだ。そしてそれを一方的に奪われ、殺され、遺体を弄ばれ、復活してなおまた殺されようとする。それをどう許すべきなのか。
他にもいろんなキャラにいろんな設定が盛り込まれているんだけど少なくともそれが脚本に有機的に絡んではこない。
視覚効果に関しては、新造人間側の巨大メカたち(そもそもこいつらもどこから来たんだって感じだし、途中から急に数が減るしでよくわからんが)を赤黒のモノトーンで描く演出はまぁどこかで見たなと思いながらもギリギリ格好よかった。そのロボを手刀で真っ二つに切り裂きながら割れたロボの向こうに伊勢谷が見えるシーン、ここだけは確かにええやんと思える。
他は妙にチャカチャカしたせわしないアクションシーンに加えてさらにカットがチャカチャカ割られて何が起きてるのかさっぱりわからないし、何も起きていないシーンでもなんか手を動かしていないと不安なのか、赤や白の光をにじませるエフェクトがかかっていて、何この演出ってなる。
そしてバックではなんか常に劇伴が流れ、さらにシーンが変わるごとに曲も変わるのでCGIのチャカチャカさと合わせて常にタメがなくせわしない印象を受けてしまう。しかもシーンごとに変わるから時々エッ!?みたいなタイミングで曲が切れてしまうのもマイナス。
とはいえ、とはいえ、監督の中に表現したい世界観がありその世界観を表現するために技量は拙いとはいえ誠心誠意取り組んだんだろうなという部分は見て取れる。少なくとも「映画監督」とwikipediaに載せるためだけに、事務所の金に物を言わせて何の存在価値もない映画を撮るような連中よりはよっぽど上等だと思う。
まぁそんな感じかな。
脚本ダメ、アクションほぼダメ、音楽微妙となると見るべき部分はほとんどない珍作ではあるんだけど、パチ屋のボンボンが俺が表現したいものはこれなんだ!と金と時間をつぎ込んでちゃんと一本の作品として完成させた熱意だけは本物なんだろうなと画面からちゃんと伝わってくるのは偉いと思う。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA083A40Y6A700C2000000/
https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/
自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界のカート・コバーン」へと還元し、その自己破滅をロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレスの作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症や自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身の肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。
だが、昔ながらの保守的な批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。
ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現を模倣したウォレスの自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体の鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的な理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。
ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義(登場人物だけがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。
要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである。
しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムそのものと混同することだ。ヒューバート・ドレイファスとショーン・ドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。
ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。
芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉なニヒリズムそのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。
この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガンに投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)
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ウォレスは、ドナルド・バーセルミやトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトをさらに推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)
その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組が最後にカメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省がプレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。
そのため、最初の長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代の卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。
続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学の創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸の創作プログラムに所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度そのものの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースやバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。
「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。
全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来の北アメリカが「北米国家機構(Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界を舞台にしている。
そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンスも活動しており、ウォレスは物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。
しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家そのものが巨大企業に圧倒されてしまっている。
「ワッパーの年」
この意味で、ウォレスはモダニズムの問題意識をさらに徹底させた作家だった。消費社会が人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である。
消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。
その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画『Infinite Jest』だ。
この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれてしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画をテロ兵器として手に入れようとする。)
この映画を制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリン、マリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。
一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。
そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールド・テニス・アカデミーである。ここは、ウォレス自身が哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。
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『Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である。
その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)
現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。
その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。
つまり、この作品はポストモダン社会の民族誌(エスノグラフィー)なのである。
時間も空間も商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要なものが押し流されてしまう危険も見抜いている。
マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネットが社会を支配する以前、1996年に出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。
「文化が逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」
「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」
『Infinite Jest』は、一つの世代の感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。
とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代にMTVが誕生し、大学時代にインターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。
語り手は、自己意識の牢獄や、無限の可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から、不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。
ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。
薬物依存と絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである。
この見方は私だけではない。
ウォレスの親友の一人だったジョナサン・フランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。
フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。
「私たちの多くにとって人生の意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレスの小説世界ではほとんど存在しない。」
しかし、その一方で彼はこう続ける。
「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分は理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」
私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。
読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。
ウォレス自身もまた、依存症や欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。
そして、この点こそが、ウォレスとフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。
二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。
極端な自己意識、メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。
フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。
私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。
あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。
なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。
それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。
しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものはシニシズムではない。
むしろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである。
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しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである。
それは現代の絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろ、ポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。
もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。
「革新的な文体を用いて、保守的な小説の目的を果たすにはどうすればよいか。」
『ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである。
しかしマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解そのものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。
「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」
彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。
作家スティーブ・ムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカルな世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。
「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」
先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。
そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。
これは決して矛盾ではない。
つまり、「ウォレスは小説の道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。
私たちは、「型破りな文体=非道徳的」という思い込みそのものを退けなければならない。
むしろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。
アップダイクの美文主義では、文体そのものが読者の注意を引きつける。
しかしウォレスが探していたのは、現代の私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。
だからこそ彼は、その声を通して、私たちに真正面から、誠実に、そして道徳的なビジョンを語りかけることができたのである。
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だからこそ、ウォレスがフョードル・ドストエフスキーの人生と作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。
ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。
「もっとも重要なのは、ドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分の文学的栄光しか考えていなかった人物――から、
夏ね!って思いながら忙しいことを夏のせいにして整理整頓を怠りまくりまくりすてぃーで、
私よくやりがちな、
事務所の私の机の上の風の谷のナウシカみたいに「の」が一方的に続くけれど、
その机の上に私が使っている、
その上に書類とかが乗っかって地層として長年というか1万年ぐらい経ってから、
あれ?私の電卓どこやったの?って
発掘作業が始まるのよね。
幸い、
すぐに発掘できる専門家の私の上の机の地層については専門家なので、
おおよその見当がつくの。
だいたいここらへんにありますな!ってまるで恐竜の化石をすごい長年の研究の勘で、
ここらへんにあるだろう!と見当を付けて掘り始めたらすぐに化石が出ちゃう博士みたいでしょ?
って。
もうさ、
でもこの時期忙しいから博士こと私はそんな電卓の発掘作業を慎重にやっている時間がないので、
やっぱり定位置に使ったら戻すという、
ちゃんとした人間としての整理整頓魂を培っていきたいものじゃない?
うーん、
ってその時また違うメモ帳じゃない適当な裏紙のちらしの裏にメモを書いたりするし、
そんなことしてるから、
あのメモどこに書いたっけ?って。
じゃないと、
うわ!ってなるじゃない。
その点、
私のゲーミングデスクの周りにゲームソフトのパッケージの抜け殻が散乱することがないのよ。
あれもない?
私は多分ゲームをした後にお片付けする際に慌てていて、
パッケージにそのパッケージじゃないゲームソフトのカートリッジを入れて、
パカッとオープンしたら全然違うソフトゲームカートリッジがはいっていて、
これも探す時間が、
あれ?あのソフトどこやったっけ?ってなるのよ。
だからダウンロードでゲーム機の中に全部入っちゃう管理の仕方は私にとっては都合がいいわよね。
ゲームソフトがどこに行っちゃったか?行方不明にならない問題。
でね、
それはそれでいいとして、
ゲームがたくさん入っていると、
容量問題が今度は出てくるじゃない?
新しいゲームソフトが発売待ったなしでオンラインでインターネッツで購入しておいて
帰って玄関開けたら2分でプレイ!ってスタイルを実行しようとしたら、
ゲーム機の空き容量が足りないのでダウンロードできませんでした!って
早く木の棒を持ってフィールドに走って行って戦いのバトルを繰り広げたかったのに!プレイできないだなんて!って。
そんな事態に陥らないように、
秋の秋刀魚フェアが私の通う定食屋さんでやるのを楽しみにしているほどのサンマの秋漁量を気にするぐらい空き容量を気にしているの。
パカッと本体の設定を開いたら、
うわ!
もうやめて!とっくに私のゲーム機のエスディーカードの空き容量はゼロよ!ってのを地で行く感じで、
整理しなくっちゃ!って思って隣の欄の項目を見たら、
本体空き容量がめちゃ空いてるじゃない?
うわ!私の本体の空き容量こんなにあったの!?って逆にビックリしたわ。
これなら新作買ってダウンロードも安心の多い日も安心って感じよね。
良かった良かった!って安堵の息をつくと同時にアンドそのゲームの発売日を楽しみにしているのよね。
まだかな?まだかな?って。
芦田愛菜だよ!ってモノマネを繰り広げるぐらいな感じで「まだかな?」って思うのよ。
まだでも発売日までに余裕があるから、
あとさー、
冷蔵庫の中の整理も意外と私苦手で、
多分恐らく冷蔵庫が発明される前かその今使ってる冷蔵庫が発売される前から入っているお味噌があんのよね。
食べる分には大丈夫そうだけど、
AIでお腹壊す人は人類初めてかもしれないな私になる可能性大なり小なりはあると思うから、
ちょっとお湯で溶いて味見してみるぐらいは挑戦してみようかしら?
あれ?意外とこれお味噌使えるくね?って。
冷蔵庫の整理も苦手だわー。
さすがに今回の冷蔵庫整理の話ではないけれど、
うわ!装着した瞬間冷え冷えで気持ちいい!ってやかましーわーい!って思うほど窓からその冷えた腕時計を投げ捨てようかと思ったけど、
その時多分ファッション誌で見かけた冷やし時計を真似して私も腕時計を冷蔵庫に入れてたんだわ!って思い出したわ。
思い出したけれど昨日の晩に入れたからだいたい6時間ってところね。
むしろ逆に正確な時を刻んでいたわ。
すっかりなんか時計入れていたことを忘れていて時計が朝にない!って冷蔵庫を開けたら入っていたので我ながらビビったわ。
時計は冷やしすぎ注意よ!って
注意する点はそっちじゃないわね!
うふふ。
朝は比較的しっかり食べる食欲はあるので、
ここぞとばかりにタマゴパワーを得るのよ。
あ!
また買っておかないとナイトな今夜よ!
忘れないようにしておかないと。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
息子は現在、小学二年生の八歳だが、四歳から自分用のスマホを持たせている
最初は使用時間に制限を設けていたが、延長申請が形骸化し、現在は事実上の無制限
食事中もタブレットでYouTubeを見ている、最悪だ。隙があればソファーで夜の踊り子やってる、最悪だ
デジタルガジェットが成長に有害であることはなんとなく想像がつく
子供には一切触れさせない方針の家庭もあるらしいが、それはそれで極端で別の弊害もあるだろう
問題は、スマホが有害であると断定できる科学的エビデンスがまだ十分にないことである
議論の多くはエビデンスベースではなく、憶測、推測、情緒の範囲で行われている
そりゃ当たり前である
完全なデジタルネイティブ世代、という用語が正しいのかは知らないが、幼少期からスマホを自由に触って育った人間が現れて、まだせいぜい二十年程度だろう
携帯ゲーム機まで広げても三十数年ほどか
単純に同じ土俵で比較していいのか、ベンチマークとして使えるのかも分からない
ともかく、デジタルガジェットの長期的影響を調べるなら、コホート研究で三十年くらいは追跡しなければ、有意なデータは得られないのではないか
そうした研究があるのかは知らない
大昔、スポック博士の育児書で、幼児の寝室は早期に親から分離すべきであり、それによって自立心が養われる、と提唱された
親にとっても楽のできる方法だったため支持され、またたく間に広まり、今では欧米諸国の文化として定着している
逆に早期分離が自立を促すという、明確な研究結果も出なかった
正しいとされたことが、後になって間違いだったとされる
スマホの使用時間と、将来の学歴、所得、犯罪率などが明確に相関し、それが看過できないほどの差として示されるなら自信を持って禁止できる
だが現時点では、そこまでのデータはない
子供の頃、ゲームもテレビも漫画も禁止され、おやつはすべて手作り、みたいな家庭で育てられた人間が後年狂った例を俺は見てきた
そこそこの学歴は手に入れた。だが極度のコミュ障になり、自立後は親の仇でも取るようにゲームとスナック菓子にのめり込む
ある程度の年齢になれば、いずれ持たせなければならない
それまで夢にまで見ていたスマホを中学生くらいで突然持たせたらどうなるのか
親の想定としては、その年齢になれば自制心が養われている、ということなのだろう
だが無理だ
中学生はアホだ
中学生で自制心を持てるというのなら、幼少期から持たせても大きな問題はないはずだ
むしろ親の指示に従いやすい幼少期から、やめるタイミングや切り替えるタイミングを習慣づけさせた方がいい、という考え方もある
幼少期のうちにさっさと飽きさせる
結局、十分なデータもエビデンスもないため、方針を決めかねている
子供は触りたがるので惰性で触らせている、それが現状だ
もちろん子供には、スマホ依存は恐ろしい病気である、バカになる可能性が高い、キミの今の生活態度ではお先真っ暗である、という説諭を繰り返している
「ほらあれを見てみ、あれが悲惨なスマホ依存症の末路だ、顔がアホみたいだろ、ああなっちゃうぞ」
いつか本人が意思決定するとき、判断材料の一つに組み込まれればいい
叱ることもできない
そのとおりだと思う
練習に打ち込んで上を目指すのか、楽な方を選ぶのか
切り捨てられる、それも含めて自己責任になる
なかなか厳しい時代だ
息子はここ一年ほどRobloxに夢中なのだが、先日パソコンを触らせてほしいと言い出した
余っていたノートパソコンがあるので制作ツールをインストールして渡した
まあ八歳だ
適当なタイミングで何かが実際に動くという感動を与えれば、そのうちハマるだろう
ワイは現職エンジニアで昔はテレビゲームのプログラムを書く仕事もしていたんだ、ナメんなよ、当時はアセンブラとCだけどな
Minecraftではわりと複雑な回路やトラップを作り始めている
ちゃんとやっている
そういう姿も見ているので今のところそれほど心配はしていない
STEM教育は、こうした能力を育てるためのエビデンスに基づいた教育メソッドの体系ではある
専門の教室も山ほどある
正しい型
成長モデル
そこに子供をはめ込んでおきながら、自由な発想を育てます、と言う
そこにある種の欺瞞を感じる
話は飛ぶが、息子が5歳のときに海外旅行先で足のつかないプールに放り込んだら一日でクロール息継ぎを習得したが
9か月前に入会したスイミング教室では未だに標準メソッド通りにビート板でバタ足をやらされてる、なんだかなぁと思うのである
俺は長期出張も多い
出張中は息子とオンライン通話をつなぎながら、RobloxやMinecraftを一緒にやる
こういう活動も、愛着形成や心理的安全性という意味では、まったくの無駄ではなかろう
もちろんリアルで一緒にサッカーをしたりバスケットボールをしたりもする
あと数か月もして三年生になれば、勝手に友達と外へ遊びに行くようになるだろう
今はまだ、画面の向こうで一緒に遊んでくれる
隣に座れば、今日あったことをぽつぽつ話してくれる(隠し事が少しずつ増えてきたのも嬉しい)
スマホを触らせすぎたのか
もっと止めるべきだったのか
正解はずっと後にならなければ分からない
その頃にはもう、俺の言うことなんて聞かなくなっているのだろう
だから今のうちに、一緒に遊んで、一緒に悩んでおく
どう育つのか
少し怖くて、かなり楽しみだ
「有吉弘行のグレートクエッション!それサイコーです!」を引き続き見ているのだが(120分もあるので分割して見てる)
子育てについての疑問で「勉強と遊びは何対何」と学者に問いかけたところ
「0対100」とのこと。遊びが100で良いと
まあ口ぶりからすると「幼児期に限って」だと思うけど。学齢になったらまた話は別じゃないか?
エビデンスとして「幼児期から先取り教育をした場合、小学校3年生で教育をしなかったグループと学力の差が無くなり、なんなら追い抜かれた」という研究結果があるとのこと
だから何
普通の教育してたらそうなるかもしれんよ。遊びが100であるべき幼児期に詰め込み教育をすることで脳の伸びしろを潰すとかで
でもな
明治期の英才教育みたいに、幼児に「白文を読ませる」みたいなレベルのことやってれば、末は博士か大臣かを地で行くのよ
幼児期に大卒レベルまで教育すれば追い抜かれることは無いのよ(まあ、それやるのって所謂ギフテッドの場合だよね)
つまり、「低レベルな先取り教育は無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!!!」ってことよね
やるなら徹底的にやれ(子供本人が望んでない限り、完全なる毒親だな)
そしてその子が将来どうなるかは未知であり、巧いこと勝者?になれたら「運が良かった」と思うべきだね
ソムリエさん教えてよAI による概要 ティラノサウルスのセックスという言葉からは、古生物学者ケネス・カーペンターが提唱した「巨大な体重を支えるため、ティラノサウルスは交尾の際に巨体を相手の上に乗せず、互いに寄り添うように行った(愛の抱擁スタイル)」という有名な学説が連想されます。この学説やティラノサウルスの生態にちなんで、以下のワインがしばしば話題にのぼります。ドクター・エッジ ティラノサウルス・ドレッジオーストラリアのタスマニアで作られるピノ・ノワール主体の赤ワインです。そのロゼや淡い赤を思わせる軽やかな色合いは、獰猛な肉食恐竜というより、カーペンター博士が提唱したティラノサウルスの「繊細な愛の抱擁(セックス)」のイメージにぴったりだとワイン愛好家や一部のコミュニティで語られています。カールソン・ヴィンヤーズ ティラノサウルス・レッドアメリカ・コロラド州のワイナリーが手がける、恐竜がデザインされた赤ワインです。ミディアムボディでどんな食事にも合う親しみやすい味わいが、「寄り添うような優しさ」としてこの学説を彷彿とさせます。また、日本国内では「ティラノサウルスなどの恐竜が生息していた時代の地層(キンメリッジ期など)からミネラルたっぷりのワインが造られる」という切り口から、シャブリ地区(フランス)などの土壌のロマンとしてこの言葉が引用されることもあります。
パシフィック・リムみたけど冒頭でめっちゃ説明してきてびっくりした
まあこの作品って巨大ロボと怪獣が殴り合うのがメインで、いちいちその背景とか別にどうでもいいだろ?って割り切った作りだなと思った
その割にはメインの戦闘が暗かったり雨降ってたり水中だったりなんだけど
インターステラー見た
プロット的にはマン博士のアレとか幽霊の正体とか高次元の正体とかその辺はまあ早々に予想が付きやすい(何も伏線もなかった謎の生命体だすよりは人類のほうがお話としてまとまりがいいだろうし)お話ではあるんだけど映像の力がとにかく強かった。
あとキモカワTARSが最高の相棒だった。最後もなんだかR2D2みたいに一緒に旅立ててニッコリ。別にそんなこっそりいかんでもよくない?とは思ったけど。
この前に見たのがヘイルメアリーで、そっちも地球がやべーんだ・片道切符の強行でどうにかしろ!と似たような絶望的な状況ではありながらも人間同士の争いが~みたいなのがなく(正確には宇宙船内では
そのようなことが起きるのを想定して冬眠させられたし何かあったら自殺できるように手段も用意されていた、後は地上でも争いが起きるであろうことが語られてはいた)なんかギスギスというか善い面を見せられた気持ちの良い作品だったのに対して、
ひたすら地球はヤバくなる一方だし調査も失敗続きで絶望的な展開続くんで畑燃やされた兄が撃ったりしてこないかとヒヤヒヤしてた。
恵まれた環境でクソみたいな学歴と経歴ですげえすげえ言われてる
無能だけど周りがイエスマンだらけで学歴がゴミでも政治家になれば勝手に期待して貰える所なんか良いよね
こういう時に鳩山由紀夫はどうなんだ?って人たまに見かけるけど学歴見た事ない?東大出てスタンフォード大で博士修了してるんすよ
コネだけではどうしようもないエリートの高みを邁進した奴はいくら政治的失敗しててもこれは許される
でも上の二人は何の努力もせずに総理になってその後クソみたいな院政敷いて周りに煙たがられてるでしょ
お隣の国の大統領見なよ、ドナルド・トランプは難関私立大を出てるけど所詮私大なんだよな
コネや金さえ出せば誰でも入れるんだよ、日本で喩えるなら慶應SFC出てる奴は軒並みバカ扱いされてるのはそういうこと。
ましてや安倍は成蹊を替え玉受験だし麻生も旧宮家出身者ならどれだけ出来が悪くても誰でも入学できる学習院である
そういう無能が高学歴だと皆勘違いしちゃうよね、で期待しちゃう
親ガチャ人生SSRでなければ到達し得ない頂きだけど、よく考えてみて欲しい
彼らはその国の代表として何か国民のために善政しましたか?って話
皆誰もしてないよね、せいぜい保身に走る周りを富ませただけに過ぎない
で大抵そのツケを次の総理大臣が支払わされてる
無能な息子に足を引っ張られてたけど、国民のために善政敷いてたものね
やっぱり学生時代に苦労した人は若い人の気持ちをよく汲んでるって好例だね
ttps://x.com/kaibaumgartner/status/2064351360355627397
)は、ハンナ・スピア博士(Dr. Hannah Spier)との議論で、フェミニズムは単なる政治運動ではなく、本質的に女性の異性内競争の表れであると主張しています。
この議論が主に無視しているのは、異性間関係の文脈における男性の行動であり、それは一般的に伝統的なジェンダーロールに適合しています。このようなダイナミクスが、フェミニストのジェンダーモデルに対するより大きな受容と擁護につながった可能性があります。
1. フェミニズムは乗っ取られた運動ではなく、ライバルの生殖成功を減らすことを目的とした女性の異性内競争の表れです。
2. 女性の競争の主な通貨は生殖成功であり、社会的・イデオロギー的なメカニズムがそれに影響を与えるために用いられます。
3. 現代のフェミニズムは、魅力、女性らしさ、結婚、母性の伝統的なシグナルを攻撃し、それによって出生率を低下させます。
4. 女性はすべての男性を憎むよう促されているのではなく、良い夫や父親に関連する非常に男性的な特性を不信するよう促されています。
5. 美徳シグナリングは、自己犠牲としてよりも、他者の行動を形成しようとする試みとして見なされ、しばしば彼らの犠牲を伴います。
6. フェミニズム、環境主義、その他の進歩的な運動は、地位と道徳的優越性に焦点を当てた共通の心理的基盤を共有していると主張されます。
7. 出生率の低下を経験する文明は、結局の衰退に先立つ形で、ますます進歩的で反出生主義的になる傾向があります。
8. 古代ローマは現代のフェミニズムに似たレトリックを示しました:結婚、母性、男性の権威に対する敵意が、出生率の低下を伴っていました。
9. 人間の行動は、主に意識的な認識の外側で進化した動機によって駆動されます;人々はしばしば自分が特定の信念を抱く理由を理解していません。
10. 出生率の低下が政策のミスではなく、深い進化的ダイナミクスを反映している場合、トレンドを逆転させることは、インセンティブを変えるだけよりもはるかに困難かもしれません。
出典:ttps://youtube.com/watch?v=MkC5kEY-pVk
フォロー:ttps://x.com/DrDaniS
ttps://x.com/i/status/2065197702443634797
このインタビューで取り上げたかどうかはわかりませんが、以前に私が主張したように、フェミニズムのミサンドリー的要素は、直接的な男性嫌悪とはほとんど関係がなく、むしろ女性の配偶者選択を操作することに関係していると私は考えています。
女性の配偶者選択を、男性を優れた保護者や優れた提供者たらしめる側面から遠ざけるために、それらの側面を悪魔化するというのは、確かに他の女性の生殖成功を阻害する有効な方法です。
また、このような悪魔化は、男性がそのような特性をより少なく示すようになり、それが全体として社会の男性が女性や子供たちに提供しようとする保護と資源供給を弱体化させるだろうと予測できます(そして、私たちの周囲でもその証拠が見られるという合理的な主張が成り立つと思います)。
フェミニストの間でレズビアニズムがみられることについては、上記の論理的延長線上にあると主張できます。理想的でない男性を選ぶよりもさらに生殖的に制限的な選択、つまり子孫を残すことが不可能な女性を選ぶこと。フェミニストの教義内で「政治的レズビアニズム」(女性が政治的な理由で単にレズビアンになるべきだという考え——女性に対する本質的な性的魅力の有無にかかわらず)の推進は、この考えと一致します。
政治的レズビアニズムに関連するもう一つの考えは、パフォーマティブ・レズビアニズムです。これは、レズビアニズムを自分自身で体現する——他人にただ推進するだけでなく——という概念で、操作的なシグナルとして機能します。理論的には、これは「結婚するな、子供を持つな」と説教するインフルエンサーたちが、何年にもわたって大衆の巨大な聴衆に対して、永遠の独身生活の素晴らしさを演じ続け、突然婚約を発表し、結婚して18ヶ月以内に2人の子供を産むのと同じように機能します。
パフォーマティブ・レズビアニズムも同様の方法で機能するでしょう(影響力のある女性にとって):抑圧的な男性とのパートナーシップの代替としてレズビアニズムを説教し、自分自身で1つまたは連続したレズビアン関係を持ち、聴衆に「選択によるレズビアニズムは確かに可能だ」と証明する。つまり、以前に女性に性的魅力を感じたことがなくても、別の女性に恋に落ちることが可能だ……などなど。そして突然:男性と結婚し、何十人? 何百人? の他の女性たちを説得して男性との関係を終わらせたり、そもそも始めなかったり(それが彼女たちにとって結婚や子供につながったかもしれないのに)した後で、子供を産むのです。
つまり、これが異性内競争/生殖抑制が、フェミニストの間でより多くのレズビアン(少なくともレズビアン関係)の割合をもたらす可能性があるという2つの経路です。一般集団と比較して:操作的なシグナルとしてレズビアニズムを体現すること、そして他のフェミニストのシグナルと教義に操作されてレズビアニズムを受け入れること。女性の性的指向が男性の性的指向よりも生涯を通じてはるかに柔軟で変化しやすいという事実が、これらのメカニズムの可能性を示唆しています。
もちろん、異性内競争に関連しない他の説明もあります。男性を悪魔化し、無関係だと烙印を押すようなフェミニズムのブランドは、直女よりもレズビアンの女性により強く訴求する可能性があります。なぜなら、レズビアンの女性は平均的にそのイデオロギーと自身の関係の間で葛藤を経験する可能性が低いからです。もちろん、葛藤の可能性は依然としてあります——レズビアンの女性にも父親や兄弟がいます。しかし、全体として、この違いも(一部の)フェミニストのサークルでレズビアン女性の割合が直女よりも多くなる結果をもたらすと予想されます。上記の説明のどれもが相互に排他的ではありません。
闇バイト。羨ましいものである。簡単に騙されて貶されて、あとは人生お気楽に転落するだけなのだからなんて良い御身分だろう。中には司法や世論や家族に恵まれてろくな刑にされず助けられる奴もいるかもしんない。そうでなくても楽なもんだろ。底まで落ちたら守るものも失うものも無くタダ飯食って待ってりゃ大して苦しまずに老いて殺してもらえる訳だ。さぞかし呑気でいられることだろう。生い立ちが不幸なら情状酌量に恵まれる可能性もある。ブタ箱に入って甘やかされるなんて可哀想で幸せなこった。反吐が出る。存外に司法は世論に左右されて酌量する。結局大多数の人間に都合のよい方が正義になるのだ。
物心ついた時にはゴミ屋敷みたいな祖母の家に住んでいて、事あるごとに居候と文句を言われ、たまに帰ってくる母はヒステリーを起こしては「私はお前を産まなきゃ幸せだったんだ!」っとブチ切れて私の首を絞めるわ殴るわ包丁を持って追いかけ回すわ、水の張った湯船に頭を押さえ込まれて溺れさせられるわガチの虐待をされる。これまたクズな母の叔父には顔面ぶん殴られて鼻の骨を折られる。父親違いの兄貴には身体をまさぐられわけもわからぬまま恋人まがいの玩具にされる。蛙の子は蛙なわけ? 絶やすべき遺伝って確実にあるよね?私は死んでも子供なんか作らねぇ。それだけで社会貢献になるだろ。
他にも子供時代は散々。時折母に知らないオッサンやオバサンの家に連れて行かれて「お金を貸して!この娘を食わせないといけないの!」と金をせびるダシにされる。そのくせ母がせびった金は全部パチ屋に消えた。母は小学校も中学校も教育にかかる一切の金を払えない、給食費すら踏み倒す。義務教育ってそれでも通わせられるんだから凄いよね。15年前の児童相談所は訪問してきても私とマン・ツー・マンで話もせずに、親が適当宣えば簡単に帰って行ったし。そんな環境で、そんな状態で尚お勉強しなさいなんて強要するんだから本末転倒。学校も勉学よりさっさと私を母から引き離して児童施設かなんかに送って公金で育てさせてくれたら、私はもう少し賢く高収入の仕事に就いて真っ当に生きれたかも知れなかったのに。学校では死にたくなるほど惨めだった!!貧しい身なりはイジメの標的にされる。当時の自分を客観的に見れるほど覚えてはいないんだけど、家庭環境がクソだったから私も相当クソみたいなガキだったんだろうとは思う。当然外見も中身もクソみたいな私はイジメられっ子だった。まぁ、私みたいな生い立ちの子供は大概そうだろうが。イジメてきた同級生の顔も名前も死ぬまで忘れない。ランドセルも中学校指定鞄も切り刻んだけど、私だけ別枠で写っている卒業アルバムは捨てずに取っておいてある。別に復讐なんかする気はないけど、時折思い出して怨むと少しスッキリするし昨今スマホで本名を調べればイジメっ子達の大体の近況も分かる。リーダー格でイジメてきた背の高い女子は今現在、実家の金で地元の不動産屋の社長になってた。世の中理不尽ばかりだ。まぁ、でも、卒アルに写ってる奴らが今どんな人生を生きていようと、紛れもなく私に恨まれ続けている事実は変わらないのだ。彼らは死ぬまで「誰からも恨まれない人」にはなれない。私が恨み続けるから。私の恨みが呪いになるまで何も知らないまま首を洗って待っててほしい。あと30年くらい恨んでたら怨みつらみに足が生えて不能犯になってくれるかもしんないし。この程度の可愛い怨みでも嫌に思うなら私を恨めば良いのだ。彼らが私の名前と顔を覚えているかは怪しいものだけど。
どうだろ? 私も結構クソみたいな地獄の人生送ってると思うんだけど。凶悪犯の生い立ちの記事とか読んで、よく私はシリアルキラーにならなかった(ならない)もんだなと思うもん。なんでそんなもん読んでたかって? 好奇心と親近感と寂しさだろう。ひとりぼっちの私には、本やネットで調べられる凶悪犯の生い立ちくらいしか私と同じ傷を受けた人達が見つからなかった。そういった人達の幼少期が自分と重なる事に親近感を覚えたけど、彼らが悍ましい犯罪を犯した事には共感出来なくて不思議だった。彼らと私の違いって何?
人に執着すれば良かったのか?
手っ取り早く股でも開けば良かったんだろうか?
なりふり構わず薬にでも溺れれば良かったのか?
躊躇わずに人を傷付ければ良かったのか?
子供の頃は全部諦めて世界をシャットアウトしたからそういったものに近付く機会が、良くも悪くもなかった。6歳くらいの私は16歳かそこらで死ぬ予定を立てたから学校に行かなくなって人と関わるのを辞めた。電話代すら払えない家だったからネット環境なんか無い。子供の頃、私は完全に孤独だった。家出も試みたけど6歳の私は結局行く当てもなくて家に戻るしか無かったから、親と縁を切ることは出来なかった。親は半年くらいは学校行けってクソ喧しかったけど何があってもされても徹底的に無視した。私が目に見える怪我をしたら結局外に出せないし。まぁ、クズのバカなので半年もしたら騒ぐこともしなくなった。慣れって素晴らしいね。私もだいぶ色んな痛みに鈍感になった。どうせ死ぬと思うと何でも気にならなくなるものだから楽だった。毎日図書館に通って山程児童書や図鑑を読みまくった。本を読んでる時だけは幸せだった。ファンタジーに夢想している間は現実なんか見なくて良かったから。結局は依存してただけ。それが薬じゃなくて本だっただけで。やっぱり私も非行に走る人間と本質は同じなんだろう。
子供時代はそんなんだから非行に走る事も無かった。じゃあ今はどうだろ。ネットで色んなものを読んだ。YouTubeの動画で色んな事件を知った。漫画も好きに買ってる。外道の歌とムルシエラゴとサタノファニと星屑の王子様超好き。映画も見る。ホステルとミッドサマーは微妙だった。悪魔のいけにえとタッカーとデイルとヴィーガンズ・ハムは大爆笑しながら観た。ハロウィンのマイケル・マイヤーズめっちゃ好き。羊たちの沈黙のハンニバル博士とクラリスの関係も大好き。グリーンマイルとイミテーション・ゲームは泣いた。アニメも好き。メイドインアビスの烈日とタコピーは泣いたしオーバーロードと幼女戦記とゴールデンカムイはテンションブチ上がって楽しい。いつ読んでも面白いワンピースはもはや聖典。だからといって影響されて他人をどうこうもしないし、自分がどうこうする事も考えたことすら無い。影響される奴とされない奴の違いってなんだろうね。なんで私は影響されないんだろうね。現実と幻想の区別がつきすぎるんだろうか。私のクソ長い一人語りの裏付けも怪しいものだけど。
現実逃避してアウトローに走る道は無いけど、私は今こうして増田に投稿できるし、このスマホを使って繋がろうと思えばいくらでも同じ穴の狢と出会えるだろう。執着も股を開く先も薬も楽に見つけられるかもしれない。だとしてもやらない。
だって嫌だ。絶対に嫌だ。子供の頃、あんなにも搾取されて利用されて奪われ続けていたのに、なんでやっと自由に選択できる大人になってまで他人の玩具にならなきゃいけないんだ。他人なんか金もらっても素粒子だって関わりたくない。大人になって自由に過ごせるようになって、家に籠もって好きなだけ本を読んで動画を見てゲームをして過ごしていられるのに薬なんかやってラリってる暇はない。袖振り合うことすら嫌なのになんでわざわざ人なんか傷付けなきゃいけなんだ。面倒くさいし疲れるし、何より傷付けるという行為が嫌だ。痛い思いはよく知ってる。なんでわざわざあんな思いを他人に強いる事があるんだ。他人を傷付けた所で自分の痛みが消えることは無い。かつて私を傷付けやがった奴ら全員がそうだったように、人を傷付けても自分の問題は何ひとつ解決しない。私の子供時代は無かったことにならないし、そもそも放っておいても人は死ぬ。私の鼻を折った叔父はガンで呆気なく死んだ。呑んだくれてうだつの上がらない兄もそのうち酒で死ぬだろうし、母もあと10年も持たないだろう。葬式挙げたくねぇな。拒否れねぇかな。同級生は知らんが性格が変わってないならそれなりに生きて苦しんでるだろ。性格変わってるなら昨今のいじめ問題ニュースを見ながら自分のしたことを時々は思い出して反省してるか怯えてるかもしれん。今のところそんな奴ら全部へ復讐に走る暇はない。時間の無駄過ぎる。人生なんて自分の快楽を追うだけで精一杯だ。
奴らを忘れられない、復讐しないと生きていけないというのなら私は命なんか要らない。他人にかかずらってまで、そんな面倒くさいしがらみに塗れて生きるくらいなら虹の橋を渡ってなけなしの来世に期待するほうがまだマシである。私は死後の世界なんか無いと思うけど、もしあったら神でも仏でもひと言物申させて欲しい。私の人生ハードモード過ぎるんだけど!!私、前世でユダか提婆達多かだったわけ?そうじゃないなら割に合わないんだけど!!!来世は良い思いさせろよゴラァ!!!せめて私を苛んだ奴ら全員地獄に落ちてないと悪魔崇拝者になるぞオラァ!なんて思うけど多分死んだ後は無だろう。意識が消えたらそこでおしまいだ。きっと死なんてものはテレビの電源がパッと消える程度のものでしかない。それ以上もそれ以下もない。ただ終わるだけのものだ。命なんてそんなもんだ。宗教なんてクソ食らえ。親に殺されそうになってる時すら助けてくれない神なんて祈る価値も無い。救うべき時に救ってくれなかったものを信じられるかボケ。
あーぁ。
なんで私は楽な方に落ちていけないんだろう。
彼らと私の人生に大して違いは無いだろうに。
ずっと考え続ける。いまでさえ。
騙されない程度には頭が良すぎたから?
人を傷付ける程には無情になれないから?
たぶんどれも違うかも。一番の理由はそれらを全部失えるほどには切羽詰まって無いからだろう。選択を選べるくらいには中途半端に肝が据わっていてマトモに生きれてるのが問題。実際19で家を出てからもう10年以上1人だけで生きれてる。すごくね? 定時制だったけど高校の学費も諸経費も自分のバイト代で払って卒業したし、バイト代貯めて卒業した日に家を出たし。それから誰からの助けも援助も貰わずに、テメエで真っ当に稼いで生きてきてるんだぞ。高卒で大してスキルも無かったから年収200万前後の仕事しか就けなかったのに。それでも誰の手も引かないから私は誰からも褒められないし知られない。それなのに胸を張って生きてる。誰も知らない、褒めない私の事を私は世界一誇りに思って愛している。それで充分だ。私はもう私以外要らない。灰になるまで独りで過ごしたい。私は他人に執着をするような人間にならない。きっとこれが第二の理由かも知れない。人間が嫌い過ぎて人恋しさを全く捨ててしまったんだろう。私は他人に何一つ求めない。生涯愛されたいとも思わないから生殖に執着することも無い。だから傷付ける事もない。だから私は無害と認定されて、マトモの世界のレールに乗っていられる。実際はマトモの空気に押しつぶされそうになっているけど。
これが一番キツい。ただ金を稼いで生きるだけならめっちゃ簡単なんだ。だけど真っ当な世界で真っ当に働こうとすると周りが皆、マトモなのだ。性格云々ではない。マトモな人でも性格がおかしいやつは沢山居る。だけど大人になるまでに培ってきたものが違い過ぎる。幼少期に当たり前に両親が居て虐待されずに育てられて、普通に大学まで通わせてもらって、自動車も免許代も苦も無く払ってもらうか一時的に立て替えてもらって、大人になっても実家で暮らしてられる。そもそもの思考がちゃんとマトモ。そういう人間達の中で私一人アウェー。当然昔の話など出来るわけもないし、仲良くなれる気もしない。それでも仕事に支障が出ると面倒だからちゃんとコミュニケーションはとる。広くて狭い社会では報連相が出来ないと仕事にならない。だから私は愛想良くして話しやすい人間のふりをする。すると相手は私を自分と同じ括りの人間だと思い込んで、自分のマトモな物差しで私と仲良くしようとしてくれるんだ。お気持ちは有難いが遠慮させてほしい。誰も悪くないけど私は誰とも仲良くなれないんだ。だってあなた虐待されて育ってないじゃん。貧困を知らないじゃん。「実家市内?なんで実家で暮らさないの?コスパ悪くない?」なんて悪気無く聞いてくる奴と同じ価値観でお話出来ねぇよ。
ここらへんで上手いこと線を引いてくれる人ばかりなら良いのに、それでもグイグイ来る人間もいるし拒絶されたと嫌う人間もいる。これが、ほんとに面倒くさいし大変。マトモな人達の常識で窒息しそうになる。窒息しそうになりながらマトモなフリをしてそれとなく無害なポジションを陣取って、陰口は叩かれようとも直接的な被害のない場所に自分の立ち位置を定めて円滑に仕事をする。職場で全く自分の事を話さないけど愛想が良くて話しやすい、でも積極的に連絡先交換とか一切しない人間が居たら私かも知れないから放っといてくれ。
毎日これを耐える事もなく同じ穴の狢で仲良くラリパッパ出来る奴らが本当に妬ましい。なりたくはないけど超気楽だろ。右を見ても左を見てもお仲間だらけ。それが良いか悪いかは置いておいて、さぞかし楽しいことでしょう。毎日頭空っぽでアヘアヘ騒いでりゃ簡単に時間を浪費して終われるわけだ。これで自分らは社会から疎外された被害者だとか言い出したら傑作。楽な方に転んで楽しんだのはテメェだろ。被害者ぶってんじゃねぇよゴミ。
結局私は落ちた奴らが羨ましいんだと思う。
でもお仲間になろうとは微塵も思えない。
私と同じやついない?どっち付かずのギリギリの所でマトモに生きようと足掻いてどうにか踏み止まってる奴。世の中絶対いると思うんだけど見つけらんないの。別に仲良くしなくて良いからさ、同じ穴の狢を見つけて安心させてほしい。
失敗するのが分かってるから
でも結局「上手くいくかもしれない」つって大金注ぎ込んでデカい何かを生み出して赤字垂れ流す方が
街だけじゃない、コンテンツもそう、服もそう、誰しも正解を求め合わせるようになってしまった
その方が楽だし、悲しいことに冒険した時の期待値というのは大抵「無難」を下回るから、いつしか冒険しなくなる
ネタバレ世代なんだよね、「末は博士か大臣か」が言えないというか
ひょっとしたら有名になれるかもとか、金持ちになれるかもとか、夢を見れない時代
お山の大将も、自分が井の中の蛙だってSNSですぐ分かってしまう
「ひょっとして自分が一番じゃね?」「ひょっとして彼が一番じゃね?」と勘違いできる人はごく僅かになってしまった
隣町の誰かの伝説や噂もないし
大人しくしてた方がお得だって、やんちゃしてもしょうがないって分かっちゃうし
こういう揺れがない時代っていやだよなあ
100人がチャレンジするからこそ99人が死んでも1人が偉業を達成するみたいなのもないしさ
打算的だよね
自分は人のこと言えないんだけど、若い人に「教えてあげよう」と言うときに「あれ、これ人生のネタバレか?教えないほうが良いか?」って迷うようになった、言わないと後で恨まれるけどね
テーマの割に内容は割とシンプルなジュブナイル映画の佳作。66点。
核ミサイル発射施設の発射担当官がなんか思ってたんと違ったので彼らをAIに置き換えようという計画がスタートする。一方その頃、コンピューターオタクでハッカーの主人公はクラスの陽キャギャルとなんかいい感じになりつつも、発売予定のゲームをゲットするために無差別ハッキングを行っていると謎のコンピューターにアクセスしてしまう。オタク特有の熱中モードに入りセキュリティを突破すると相手から「ゲームしようぜ」と言われ、面白そうという理由で全面核戦争ゲームをプレイすることに。しかしそのコンピューターは国防総省のガチの戦略シミュレーターでゲーム内容が現実に起こっていることのように国防総省側には表示されてしまう。こうして世界は核の炎に包まれた。
みたいな話だっけ?
冒頭、核の発射施設から始まっていきなり核を撃て!って命令が来て、へぇ~そんなふうになってるんだ~っていうめっちゃ興味深い発射指令シークエンスを経て、発射担当官が2人で同時にキーを回していざ発射!というところで一方の担当官が「え、これガチで回すの?」ってなっちゃって、もう一人の担当官に銃を向けられる。っていう緊迫したシーンからスタートしてめっちゃわくわくさせられる。
で、これは全米各地で同時に行われたシミュレーションで基地側には訓練であることを知らせずにガチの発射命令を出してちゃんと発射シークエンスを行えるかということを調べた結果、20%の担当官が良心の呵責等からキーを回せなかったということになる。まぁ何も知らせずにそんな実験して、えいやあで回したらガチで発射されたらどうするんだろうって気がしないでもないが、まぁ、その辺はちゃんとやったんだろう。
で、まぁ軍の上層部としてはいや今回は訓練やったけどガチで核撃ってきたときに、反撃のミサイルが担当官の感情一つで発射されなかったら大問題ジャンってなってAIに置き換えることを決定する。40年以上前の俺が生まれる前の映画なので当時は冷戦ガチってた頃だと思うから、この感覚はかなり実感があったものなんだと思う。
ここで軍人は「お前が生まれる前から基地には軍人がおったんや!」と反論するも「いや、言うて今の撃つ撃たないも機械がシミュレートして数値を出してそれを見て人間がGO出して人間がキー回してるだけやん。そのキー回すところを置き換えるだけやで」って言われてぐぬぬってなるの、めーっちゃ現代のAI議論と同じで草生えました。
で、ぶっちゃけ主人公のイチャイチャパートとかハッキングパートとかに関してはもう40年前の話なのでシンプルに古臭いし、一人の天才学者にコンピューターとか作らせたら内部がブラックボックスになっちゃって危ないよね~あとセキュリティがそいつのパーソナルな情報に紐づいてることが多いから脆弱性高いよね~っていう100回見たやつながらも、人類は一人SE属人化問題を40年前から何一つ解決していないのかってなりつつも、まぁ、よくある感じのやつであんま興味深くはなかった。
で、まぁ戦略シミュレーターにアクセスしちゃってAIと全面核戦争ゲームを始めた結果、それが国防総省から見てガチの全面核戦争始まったやん!ってなって対抗準備を進めたことで、今度はガチでソ連側に「おい、あいつら核戦争の準備始めたぞ!」ってなって緊張状態が高まっていくっていうのは、ビグローのハウス・オブ・ダイナマイト感があって結構アガった。ビグローもたぶんこの映画見たんやろな。
当たり前のように主人公はFBIによって逮捕され基地に連れていかれ、ひと悶着ありながらもオタク知識を使って脱出するシークエンスがあってヒロインと2人で死んだと思われていた天才学者の家を探して会いに行く。そこでなんかいきなりプテラノドンが飛んでてウェッ!?ってなるの好き。まぁ、学者が作った玩具だったんだけど、ここで彼が愛する息子の死を経て「未来を見ることを辞めて、過去に生きている」人間であることが分かる。
自分の子供のように育てた内部的にその名前まで付けたAIを戦争に転用した人類に絶望した彼は自分の子供が望むんやったら別に核撃たれて死んだらええやん。ここやったら核落ちたら秒で死ねるしとすっかり冷笑系になるも、唯一ここで存在価値を発揮するヒロインの「うちまだ17やで。死にtonight。息子も生きてたらそう言うたんちゃうか?」という若さゆえの前向きさを発揮し、それに絆されて学者と一緒に基地に向かう展開はもうおじさんの俺にはまぶしすぎる。俺も今すぐ核戦争起きて人類滅べと思っているだけに。
で、基地についてAIとの最終決戦になり、ゲームとして核戦争を起こそうとするAIと主人公の対話で「これはゲームじゃない現実なんだ」と説得する主人公に対してAIが「どう違うんです?」と返すのはなかなかイカしてるなと思った。そして、間違えなければ永久にドローになり続ける〇×ゲームを仕掛けることで「勝ち負けがないゲームはある」ということを学習させることで、再度AIは全面核戦争ゲームのシミュレートを始める。
学者が自分の子供のように学習させ続け、ゲームに勝つための方法を学習させ続けた10歳の子供のようなAIにとってゲームは勝つためにやるものであるという前提。それをハックすることで「全面核戦争ゲームはどうやってもドロー=どっちも負け」になると学習させて最終的に「このゲームは始めたら負ける」という結果を出させる。っていうのは、核戦争は始めたらもう終わりだね(織田哲郎)っていう結論自体はチープながらも、プロセス自体はなんか今見ても結構フレッシュだなと思った。AIが全面核戦争ゲームを終了した後に「博士、チェスをしましょう」って言い出すのもキュートでマル。いや、お前、反省も覚えろよ。
ただ、冒頭で示された、PEBCAK=Problem Exists Between Chair And Keyboard(問題は椅子とキーボードの間に存在する)問題——担当官の勝手な判断で核ミサイル発射されない件って結局どうなったん?っていうのはかなり不満。核撃ったら終わりだから担当官がいようがいまいがどうでもいいってこと?スタート地点ここだったから、なんかここに関してはもうちょっとなんか回答が欲しかった。
後はまぁ、未来ある若者たちのために核戦争辞めようね!っていうのと、世界の未来は若者たちが切り開いていくんだ!っていうのは王道ジュブナイルものとしていいとしても、主人公とヒロインが今作のテーマに対しての成長があんまないのも不満。そもそもこいつら主人公はオタクだけどオタクなりに犯罪しつつ(このへんのエピソードめっちゃジョブズ)楽しくやってるし、陽キャギャルは言うまでもないので、このクソデカ事態を通して何か問題が解決したり前進したりしないので、そこなんか目配せしとけばもっと作品に深みとコクが加わったんじゃないだろうか。
まぁ、そんな感じかな。
ハウス・オブ・ダイナマイトばりのガッチガチの全面核戦争に対する軍事シミュレーションパートと、コッテコテのジュブナイル若者頑張りパートがまあ割といいバランスで配合されていて今見ると流石に技術の古さは否めないけどエンタメとしては割とよくできてるんじゃないかと思う。
ハウス・オブ・ダイナマイト見るテンションで見るとそうはならんやろってなりそうだけど、ジュブナイルものだと思って見たら意外と硬派な部分あるなってなれるのでそっちのテンションで見るのがオススメ。
別所でひたすらサンリオのPCゲームをまとめたので、その際に発見した情報をテキトーにまとめておく。備忘録的なヤツです。
あと、対象は日本人視点のWindowsのCDゲーム。PICO、オンライン、デスクトップアクセサリや、ハガキ制作ソフトは割愛。
言わずと知れたPCゲーム入門編。みんな富士通のパソコンに入ってて遊んだよね?
・サンリオ タイニーパーク 番外編 バッドばつ丸ゴージャスタウンは大さわぎ
時折、通常のタイニーパークと混同される。ミニゲーム集。無印タイニーパークよりも収録ゲームが多い。
・サンリオ スーパータイニーパーク プレミアム おみせやさんだいすき
・サンリオ スーパータイニーパーク プレミアム なかよし だいぼうけん
・サンリオ スーパータイニーパーク プレミアム 絵と音であそぼう
3Dで、町を探索できるミニゲーム集。これも思い出せないゲームとして名前が挙がる。
3Dのミニゲーム集。ピューロランドシリーズと違い、ミニゲームのみ。
スポーツカーニバルとサーカスカーニバルを収録。同名のファミコン、GBソフトがあるので混乱しがち。
絵本とCDが一緒になったシリーズ。絵本の内容はCDのゲームに即している。
タイニーパークに次いで思い出せない人が多いんじゃないか?裁縫がテーマで、島の各所を巡って服、マフラー、バッグとかを作ったりする。
マロンクリームやポコポン、パティ&ジミーなど珍しいキャラも登場。同名の絵本が存在するので注意。
PICOを冠しているが、PICOではなくPCソフト。知育ミニゲーム集。
・ぱそピコ サンリオピューロランド あそびながらおぼえよう! ひらがな カタカナ
以下、セガの「ゴー!ゴー!ぱそピコランド」と連携可能な、ミニゲーム集。
・ぱそピコ あいとゆめのくに サンリオピューロランド ちゃんとできるかな? みんなとたのしいおゆうぎかい
・ハローキティー きおくはかせ
・おさるのもんきち かずはかせ
・ポチャッコのかたちはかせ
特に共通の名称が無いシリーズ。知育ゲームだが、英訳され「Hello Kitty: Big Fun Deluxe」にまとめて収録されている。
・Hello Kitty おはなしをつくろう
・Hello Kitty かずあそび かたちあそび
・Hello Kitty たのしいおえかき
・ハローキティ25周年記念CD-ROM だいすき!! ハローキティ
デパート等、町を散策しながら、ミニゲームで遊べる。いちご新聞のデータベースを閲覧可。
思い出せないサンリオゲーム頻出。町を探索しながら、八百屋(ハンギョドン)や郵便局、交番などを巡れる。川で虫などの自然観察や、パンやカレーなどの料理作成など、記憶に残りやすい。
・縁日大好き! どんじゃらほい
レアだけどちらほら聞く。どんぐりを通貨にお祭りを楽しむミニゲーム集。サンリオの比較的マイナーなキャラが多数出演。
太ったキティをダイエットさせ、トライアスロンに勝利するゲーム。ミニゲーム集。
基本的にはデータベースだが、インタラクティブ要素があるらしい。
上に同じ。
・ハローキティといっしょにあそぼ
ファングッズとして稀に日本で輸入されていた。基本的には知育/ミニゲーム集
・Hello Kitty: Big Fun Deluxe
・Hello Kitty: Creativity Center
・Hello Kitty: Cutie World
・Hello Kitty: Bubblegum Girlfriends
・Keroppi Day Hopper
大別するとこんな感じである。他にもネット上で未発見だったり、プレイ動画がネット上に無いゲームもあるので情報求ム。
最近AIの所為で情報が押し流されてしまい、まともに出てこないのでWebArchive等で掘り起こして簡易的にまとめた。後の人の参考になれば幸いである。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:海鮮丼。春巻き。味噌汁。どら焼き。夜:沢庵納豆冷奴。人参大根エノキのスープ。キュウリ。ギョニソ。目玉焼き。バナナ。ヨーグルト。間食:アイス。
○調子
むきゅー。はややー。お仕事はがんばりー。
明日からちゃんとしなきゃいけない仕事があるので、準備をしてた。
キリよく7000翔して区切りにしたいな。
○ポケットモンスタームーン(序盤ポケモンと電気袋ポケモン旅)