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2026-07-17

0179 花と名無しさん 2021/04/16 06:31:00

ベタかもしれないけど、やっぱmeeで読んでもシュガソルやロッキンみたいなテンプレ王道りぼんだよねって思う

テンプレコテコテ王道って飽きるけど、なんだかんだ1番安心して読めて嬉しい

今だと初婚がそのややドジヒロイン×インテリ系を引き継いでくれてて安心する

ハニレモは男が冷めた側な上に女も可愛げ無いタイプから、やっぱりりぼんは元気系の王道ヒロイン最強だわ

こどちゃとかも絶対に色褪せない名作だもんね

id:RszsG1lE0

0180 花と名無しさん 2021/04/16 07:22:40

その内容書き込むのにわざわざハニレモを貶す必要性が全く無い件

つーか元気印!みたいな主人公ってラブコメテンプレであって

りぼん限定される訳でもないでしょ

ID:3dT+HpWu0

0181 花と名無しさん 2021/04/16 09:14:25

ハツコイじゃなくて初婚?

初婚は流行りのイチャラブだから人気あるけど特殊学園だしりぼんの王道かと言われると微妙な感じ

ハニレモの方がクラシカル王道に思う

良し悪しとじゃなくてりぼん看板らしさやキャッチーさとかその辺の話で初婚はなんか微妙に違う気が…

なんとなく古杏と同じポジションとして読んでるわ

黒崎さんは以前から漫画は上手いのにりぼんの顔になるには作風的に厳しめだから損だよなあと思ってた

からアプリで外部に読まれてるルートが出来て良かったと思う

上に出した古杏も連載中にmeeがあったらもっと外部で盛り上がったろうなあ

id:nCkSACeD0

0182 花と名無しさん 2021/04/16 10:20:58

>>180

いやりぼんと言えば大昔からお転婆ヒロインでしょ

りなちゃは色々系統あるけど、1番りぼんが元気印売りにしてた感じする

ハニレモはその点ヒロイン大分違う上にオサレ漫画に寄ってるからりぼん古来王道ではない

こどちゃさなママレみき、ジャンヌまろん、ベイビィラブせあら

ここら辺がりぼんらしさだと思う

ID:/AEqQWKW0

0183 花と名無しさん 2021/04/16 10:45:29

羽花は星の瞳の香澄系譜からしっかり王道だよ…

90年代半ば〜後半の無敵ヒロインブーム特殊なだけでりぼんらしさをあれに限定するのは無理ある

だいたいあの頃はどの雑誌も強めヒロインブームしりぼんに限った事じゃない

唯一無二のりぼんらしさがあるとしたら乙女ちっくのヒロイン(ドジっ子陰キャ)でしょ

あれはしっかりりぼんが発祥地から

id:I3hdvo060(1/2)

0184 花と名無しさん 2021/04/16 11:00:08

何が王道かよりそこら辺の黄金期無敵ヒロイン系があまりに人気で売れすぎた

やっぱ250万部の時の連載陣は伊達じゃない

id:Flcx2hMk0

2026-07-15

anond:20260715090352

内容と全然関係ないアニソン90年代が圧倒的に多かったな

アニソン代名詞的な残テも雰囲気がそれっぽいだけで歌詞は内容とほとんど関係ないよな

anond:20260715094642

わかるわ

ミニ四駆とかもあったけど、ポケモンブームから本格的に物質主義に流れ変わったな

もっとも、購読してた90年代コロコロドラえもんアニメ映画原作大長編読むためだけのポジションだったけれど

ドラベース世代だとまた認識違うんだろうな

2026-07-14

福岡県議会わいろ問題

福岡

つの時代に生きてるんだ

90年代みたいな世界だな



誰も咎める人もいないし、

県民あんま気にしないのかな

あんまり問題にならなかったのが不思議

2026-07-13

anond:20260713104847

逆に90年代ロンドン見てれば「ああこれね」ってわかるやつ

先進国が進み尽くしたら停滞するのなんて当たり前なんだよ

みんながダメダメだいうから自分ダメなのを人のせいにしてるだけ

フィリピンなんかもっとダメに決まってるだろ

anond:20260713104847

いや毎年2回、計6週間くらいは帰ってるので雰囲気別にわかってるが

お気持ちじゃん

逆にあなた90年代のクソ貧乏ガチ通勤先の駅が爆破されるロンドンとか

今のくそインフレアメリカとか

知らないじゃん

anond:20260713090909

英米で30年くらいいて20年くらいアメリカエンジニアやってるが

そろそろ帰ろうかと思ってるが

日本の何がダメなの?

どの国だってダメなとこはあるが日本はかなりいい国なのは明らかやで

あなた90年代イギリスかいたことある

医療崩壊してるしテロ爆弾爆発しまくって何十人も死んでるし今の日本なんて天国やで

今のアメリカだってろくなもんではない

俺がずっといたのはITのまともな仕事趣味環境がないからというだけだから

anond:20260712104301

攻殻機動隊ソ連崩壊前夜(というか単行本出した頃にはソ連崩壊してる)の80年代末期から90年代初期に、80年台のSF決算みたいなノリで作られてるから、今見るとノリが大変古いのはまぁしゃあない。正直当時基準でもちょっと古いんよな

2026-07-11

[][] 『The End of the Tour』は、ある職業全体を見事に描き切っている レベッカミード

https://archive.is/Z2Nby#selection-473.91-473.98

『The End of the Tour』は、ある職業全体を見事に描き切っている

レベッカミード

2015年8月20日

『The End of the Tour』――小説家デイヴィッド・フォスター・ウォレスと、彼を取材するために『Rolling Stone』誌から派遣されたライター、デイヴィッド・リプスキーとの5日間の交流を描いた新作映画――の冒頭近くで、1996年2月に『New York』誌に掲載された『Infinite Jest』の書評の冒頭が朗読される。

「まるでポールバニヤンNFL入団たか、あるいはウィトゲンシュタインが『Jeopardy!』に出演したかのようだ。この小説は、それほどまでに巨大で破壊的だ。」

書き手ウォルターカーンさらに、「来年文学賞はもう決まってしまったようなものだ」と評している。

同じような「到来の予感」は、ウォレス役を演じたジェイソン・シーゲルにも向けられている。彼は、懐疑的で野心的で、謙虚で、極度に自己意識が強く、うつ病を抱えながらも、本質的には寛大な天才としてウォレスを演じ、その演技によってアカデミー賞候補ではないかとさえ言われている。

シーゲルが高く評価されるのは当然だ。その演技は、これまでコメディ色の強い俳優と見られていた彼自身の意外な深みを明らかにすると同時に、ウォレスという人物自己抑制的な魅力を鮮やかに体現している。

しかし、リプスキー役を演じたジェシー・アイゼンバーグの功績も見逃してはならない。彼は、いわばサリエリ役を演じているのである

シーゲルが極めて特異な一個人説得力をもって演じ切った一方で、アイゼンバーグはある職業のもの完璧表現している。

飛行機の中で、付箋だらけになった取材対象の本を読み返している場面。

薄暗い立体駐車場を、大きなバッグを肩に掛け、レンタカーキーを握りしめて歩く場面。

ウォレスの家に入って間もなく、携帯用カセットレコーダーの録音ボタンを押すことを申し訳なさそうに謝る場面。

「そんな答え、全然バカっぽく聞こえませんよ」と相手安心させようとする場面。

あるいは、「いったいどっちが誰を取材してるんでしょうね」と冗談を言って、自分のことを聞かれるのをごまかそうとする場面。

こうした雑誌ライター特有の癖や所作を、アイゼンバーグは驚くほど正確に再現している。

彼が何度も録音機に目をやり、赤い録音ランプがちゃんと点いているか確認するたびに、私は身につまされる思いがした。

ちなみに言っておくと、私はこれまで取材相手洗面所の戸棚を勝手に開けたことは一度もないし、相手が車の雪を払っている隙に、その部屋の様子をこっそり録音したこともない。映画ではリプスキーがそんなことをしているが、どちらもかなり不気味な行為だ。

それでも映画示唆することは的を射ている。

雑誌プロフィール記事を書くための取材と、誰かの監視記録を作ることとの間には、時としてほとんど境界線存在しないのである

(私の同僚エミリーナスバウムは、この映画について「タイトルは『Shame Spiral(羞恥スパイラル)』にすべきだった」とツイートしていた。)

記者主人公にした映画はこれまでにも数多くあった。

英雄的な『大統領の陰謀』もあれば、倫理を踏み外した『Shattered Glass』もある。

『Rolling Stone』誌の記者を描いた作品としては、キャメロン・クロウ監督の『Almost Famous』もある。

しかし、雑誌プロフィールを書くために長時間インタビューを重ねるなかで生まれる、あの奇妙で人工的な親密さをこれほど的確に描いた映画は、私は他に思い当たらない。

役作りのためにアイゼンバーグは実際にリプスキー本人へインタビューを行い、ウォレスと過ごした時間をどんな感情で振り返るのかを尋ねた。

また、リプスキーが愛用していた、ノートを縦半分に区切ってメモを取る独特の記録法も教わり、それを映画の中で忠実に再現している。

映画原作となった『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の序文を読む限り、当時のリプスキーは、自分をかなり挑発的な記者だと考えていたようだ。

彼はこう書いている。

「今、マクセルの新品カセット開封してレコーダーに入れた。記者にとっては、いつだって気分のいい、何の罪もない瞬間だ。弾を装填し、ブーツを磨き、任務に就くようなものだ。」

一方アイゼンバーグは、自身インタビューされる立場である経験も役作りに生かした。

彼は私にこう語った。

インタビュー中、私はいまだに、目の前にいる記者個人ではなく、その背後にいる読者全体へ向かって話しているんだということを忘れてしまうんです。実際には、一人の人間と向かい合って座っているだけなのに、それを思い出すのは難しい。」

『The End of the Tour』では、リプスキーから見た取材者と被取材者の関係は、複数動機が幾重にも重なり合ったものとして描かれている。

ウォレスより4歳年下のリプスキーは、小説家としては彼ほど成功しておらず、自分の才能の小ささを痛感しながら、ウォレスの才能と成功を羨望している。

自身編集者の部屋へ乗り込み、「この取材自分やらせてほしい」と直談判した。

もっとも、この場面は、90年代雑誌編集部というより、帽子かぶった昔ながらの新聞記者映画ハリウッド的なお約束に近い。実際の当時の雑誌編集部は、もっとカーペット敷きの穏やかな場所だった。)

リプスキーがウォレスから本音を引き出そうとする背景には、いくつもの衝動が入り混じっている。

彼は、

ウォレス天才性の源泉を理解したい。

自分自身作家としての実力や人生を、彼と比較したい。

ゴシップ好きな記者として、ウォレス過去――噂されるヘロイン依存――を暴きたい。

そして、文学最前線と、その文化的熱狂の一部に、自分も何らかの形で関わりたい。

そうした思いが同時に存在しているのである

(続きます。)

もちろん、ほとんどの雑誌取材が、この映画のようにこれほど強烈な動機交錯からまれるわけではない。もし毎回そうだったら、この仕事は到底続けられないだろう。

(実際、この取材依頼も映画の描き方とは少し違っていた。リプスキーによれば、これは『Rolling Stone』誌のオーナーであるジャン・ウェナーが、バンダナを巻き、無精ひげを生やしたウォレス写真を見て、「こいつはうち向きだ。リプスキーを行かせろ」と言ったことがきっかけだった。)

それでも、取材という行為構造のものが、取材者と対象者を物理的に長時間近づけるため、不安定な親密さを生み出すことがある。

もっとも、その親密さの最終目的が、「片方がもう片方について記事を書くこと」であるという事実は、決して忘れ去られることはない。

時間も語り合ううちに、インタビュアー対象者は、まるで大学時代の友人同士のように、お互いの信念を熱心に語り合うこともある。

あるいは、恋愛の始まりにある、酔うような告白時間を共有する恋人同士のようになることさえある。

映画のある場面で、ウォレスはこの奇妙な違和感言葉にする。

彼はリプスキーに、自分たちの利害は違うのだと念を押す。

リプスキーにとって「いい記事」になることが、自分にとって望ましいこととは限らない、と。

それでも録音機を手放さないリプスキーは、「もちろんです」と即座に応じる。

恋愛戦争、そして双方が合意した雑誌インタビューでは、すべてが許される。

(リプスキーは、質問がウォレス不快にさせるたび、「でも、この記事を受けることに同意したのはあなたですよ」と何度も言い返す。)

二人はすでに、ジャネットマルコムの古典的エッセイ『The Journalist and the Murderer(ジャーナリスト殺人者)』の議論を、内面化しているのである

1989年に『The New Yorker』で発表され、翌年に単行本化されたこ作品は、記者取材対象との関係を、「誘惑と裏切りドラマ」として分析したものだった。

映画舞台である1996年当時、ニューヨークで働く雑誌記者で、この本を読んでいない者は一人もいなかった。

その冒頭の一文――

自分が何をしているのかを理解できる程度の知性と自己認識を持つジャーナリストなら、自分仕事道徳的に弁護できないものであることを知っている。」

――を、おおよそ暗唱できる記者も多かった。

映画では描かれないが、原作『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』では、リプスキーがこの本に触れる場面がある。

「ええ、ずっと前に読みましたよ。」

とウォレスは答える。

精神分析的な視点を重視したマルコムなら見逃さなかったであろうことに、この会話の直後、リプスキーは反射的に録音機がまだ動いているか確認している。)

マルコムの本――今なお必読書である――は、主としてジャーナリズムにおける「裏切り」の瞬間を描いている。

まり取材対象記事を読み、自分が思い描いていた自己像ではなく、記者構成した別の物語として描かれていることを知る、その瞬間である

取材対象は、「記者を信頼していいのか」と悩む。

答えは単純だ。

信頼してよい。

ただし、記者は得た材料を使って、自分が最善だと思う記事を書くという意味でだけ。

一方、『The End of the Tour』が見事に描いているのは、その前段階――誘惑のプロセスである

からこそ、この映画ジャーナリズム教育の教材にも加えられるだろう。

記者相手の心の中へ入り込もうと努力することは、仕事上の必要から始まる。

しかし、その過程は同時に極めて個人的でもある。

映画では、リプスキーが巧みにウォレスから本音を引き出す様子が描かれる。

例えば、二人が飛行機で隣同士の席に座り、逃げ場がない状況になってから、ウォレスハーバード大学時代精神病院クリーン入院していた事実を切り出す。

これは、ジャーナリストらしい狡猾さを映画的に表現した見事な場面だ。

その一方で、車内でラジオに合わせて一緒に歌う場面では、ウォレス時間を共有していることへの純粋な喜びも描かれている。

結局のところ、どれだけ記者であっても、人は最後には自分自身になってしまうのである

映画は、『Rolling Stone』の記事掲載される前で終わる。

から映画が描くウォレスとリプスキー関係には、「前置き」はあっても、「その後」はない。

実際には、その記事は『Rolling Stone』には掲載されなかった。

リプスキーによれば、自身の著書のあとがき説明しているように、編集長ジャン・ウェナーが、記事を書く前に掲載を取りやめたのである

ウォレス2008年自殺したあとになって初めて、リプスキーは当時の取材メモをまとめ、長い記事を書いた。

それは高い評価を受け、その後、二人の会話をほぼそのまま収録した本として出版された。

もっとも、その後には新たな「裏切り」の物語も生まれた。

ウォレス未亡人遺産管理団体は、この映画に強く反対し、「ウォレス本人なら、あのインタビューがこのような形で使われることを決して望まなかったはずだ」と主張している。

『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の中で、リプスキーは、ウェナーから記事は書かなくていい」と言われたとき、むしろ安堵したと記している。

普通なら、記事がお蔵入りになることは、記者にとって腹立たしいか、あるいは打ちのめされる出来事だ。

しかし彼は違った。

彼はこう書いている。

「書こうとはした。でも、そのたびにデイヴィッドがその記事を読んでいる姿を想像してしまった。そして彼が、記事だけでなく私自身まで見透かし、レントゲン写真を見るように、どこか胡散臭い部分を見抜いてしまう気がした。」

リプスキーは、ウォレスと築いた一時的友情――あの親密な時間――に、あまりにも心を残していた。

その体験客観的記事へと作り替えるだけの距離を、まだ持つことができなかったのである

から結果的には、記事を書かずに済んでよかったのだろう。

もし書いていたとしても、きっと成功作にはならなかった。

取材中、一瞬だけ取材対象に恋をしてしまう――。

『The End of the Tour』が描いているのは、まさにその唯一無二のダンスである

しかし、優れた記事を書くために記者が最も強い創作の喜びを感じるべき瞬間は、その後にある。

質問と答えの応酬が終わり、録音機が止まり、部屋に一人きりになって、ようやくキーボードに向かう、その時なのである

[][] 彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。

https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/

自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界カート・コバーン」へと還元し、その自己破滅ロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレス作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。

だが、昔ながらの保守的批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。

ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現模倣したウォレス自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。

ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義登場人物けがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。

要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである

しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムのもの混同することだ。ヒューバートドレイファスショーンドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。

ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。

芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉ニヒリズムのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。

この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガン投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)


ウォレスは、ドナルド・バーセルミトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトさら推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)

その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組最後カメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省プレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。

そのため、最初長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。

続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸創作プログラム所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度のもの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。

「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。

全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来北アメリカが「北米国家機構Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界舞台にしている。

そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンス活動しており、ウォレス物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。

しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家のもの巨大企業に圧倒されてしまっている。

その象徴が、「時間」の支配である

この世界では年代すら企業スポンサーによって命名される。

ワッパーの年」

「試供品サイズのダヴ・バーの年」

大人用紙おむつディペンドの年」

といった具合に、章そのものが消費文化の暦で区切られている。

この意味で、ウォレスモダニズム問題意識さらに徹底させた作家だった。消費社会人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である

消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。

その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画Infinite Jest』だ。

この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画テロ兵器として手に入れようとする。)

この映画制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリンマリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。

一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。

もう一つは依存症更生施設エネットハウス

そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールドテニスアカデミーである。ここは、ウォレス自身哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。

 

Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である

その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)

現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。

その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。

まり、この作品ポストモダン社会民族誌エスノグラフィー)なのである

時間空間商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要ものが押し流されてしま危険も見抜いている。

マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネット社会支配する以前、1996年出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。

文化逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」

さらマックスはこうも述べている。

「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」

Infinite Jest』は、一つの世代感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。

とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代MTV誕生し、大学時代インターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。

語り手は、自己意識牢獄や、無限可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。

ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。

薬物依存絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである

この見方は私だけではない。

ウォレス親友の一人だったジョナサンフランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。

フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。

私たちの多くにとって人生意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレス小説世界ではほとんど存在しない。」

しかし、その一方で彼はこう続ける。

「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」

私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。

だが、私はさらに一歩踏み込みたい。

読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。

ウォレス自身もまた、依存症欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。

そして、この点こそが、ウォレスフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。

二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。

極端な自己意識メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。

しかし実際には、二人はまったく異なる作家である

フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。

けれども、その小説からシニシズムが絶えずにじみ出ている。

私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。

あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。

なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。

それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。

しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものシニシズムではない。

しろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである


しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである

それは現代絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。

もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。

革新的文体を用いて、保守的小説目的を果たすにはどうすればよいか。」

ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである

しかマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解のものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。

「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」

彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。

作家スティーブムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカル世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。

「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」

先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。

そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。

これは決して矛盾ではない。

まり、「ウォレス小説道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。

私たちは、「型破りな文体非道徳的」という思い込みのものを退けなければならない。

しろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。

アップダイクの美文主義では、文体のものが読者の注意を引きつける。

しかしウォレスが探していたのは、現代私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。

からこそ彼は、その声を通して、私たち真正から、誠実に、そして道徳的ビジョンを語りかけることができたのである

 

からこそ、ウォレスフョードル・ドストエフスキー人生作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。

ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。

もっと重要なのはドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分文学栄光しか考えていなかった人物――から

2026-07-09

[][]なぜ『The End of the Tour』は、本当は私の友人デヴィッド・フォスター・ウォレスについての映画ではないのか グレン・ケニー https://www.theguardian.com/books/2015/jul/29/why-the-end-of-the-tour-isnt-really-about-my-friend-david-foster-wallace

なぜ『The End of the Tour』は、本当は私の友人デヴィッド・フォスター・ウォレスについての映画ではないのか

グレン・ケニー

1997年晩秋、私はデヴィッド・フォスター・ウォレスから一本の電話を受けた。

当時私が勤めていた雑誌Premiere』で、彼が寄稿したデヴィッド・リンチについてのエッセイ編集していたのだが、その編集作業の間じゅう、ウォレスは実に穏やかで礼儀しかった。(三度目に会うまでは、彼は私を「ミスター・ケニー」と呼び続けていた。)

しかし、その日の彼は、今にも取り乱しそうな声だった。

友人の一人が、映画Mr. Jealousy』について紹介するNPR番組を聴いていたところ、その作品に出演している俳優の一人が、自分の演じたキャラクターの着想源としてウォレス名前を挙げていたというのだ。

ウォレスはひどく動揺していた。

しかも彼の住んでいる場所の近くでは、そのインディペンデント映画は上映されていなかった。

そこで彼は私に頼みごとをした。

「その件を調べてきてくれないか」と。

一日か二日後、私は彼を安心させることができた。

映画の中でクリス・アイゲマンが演じる人物は、どの点を見てもウォレスを真似しているわけではなかったからだ。

さらに私は(どうやってだったか覚えていないが)そのNPR放送自体確認した。

すると、彼の名前が引き合いに出されたのも、ごく一般的文脈だったことが分かった。

アイゲマンは、自分が演じたのは「時代代弁者」とでもいうべき男性作家タイプだと説明し、その例としてウォレスジェイ・マキナニーの二人を挙げていただけだった。

しかマキナニーは、公のイメージという点では、ウォレスとはほとんど正反対と言っていい人物である

このことを伝えたとき、ウォレスが大きく安堵のため息をついた。

その様子はいまでも鮮明に覚えている。

そのやり取りを、私は先週ふと思い出した。

ウォレスの長年の編集者であり友人でもあったマイケルピーチュが、新作映画『The End of the Tour』について『ロサンゼルス・タイムズ』に寄せた声明を読んだからだ。

ピーチュはこう書いていた。

「もしこの映画企画が彼の生前に持ち込まれていたら、デヴィッドはそんな話は笑い飛ばして部屋から追い出していただろう。」

しかし、その声明掲載されたにもかかわらず、『ロサンゼルス・タイムズ』はその記事に、

「『The End of the Tour』はいかにして、とてもデヴィッド・フォスター・ウォレスらしい映画になったのか」

という見出しを付けた。

記事の内容も、映画と、ウォレスを演じたジェイソン・シーゲルをひたすら称賛するものだった。

一方で、ピーチュやその他の関係者が表明していた異議については、形式的に少し触れられているだけである

まるで、「公平性のために反対意見も載せておきました」という、面倒なジャーナリズム上の義務を嫌々果たしているかのような書き方だった。

第2回

この手のことは、最近ではもはや驚くような話ではなくなってしまった。

2008年にウォレスが自ら命を絶って以来、私が気づいたことが一つある。

それは、自称デヴィッド・フォスター・ウォレスファン」の多くは、実際に彼を知っていた人々の話には、ほとんど価値を認めていないということだ。

例えば、Jonathan Franzenが、亡き友人について、苦しみをにじませながらも容赦のない率直な見解を語ったり文章にしたりすると、ウォレスファンたちはたちまち反発する。

インターネットには、

フランゼンは自己中心的だ」

「彼は本当のウォレス理解していなかった」

といったコメントが並ぶ。

この傾向は、『The End of the Tour』をめぐる報道でも繰り返された。

ジャーナリストDavid Lipskyの著書

『Although Of Course You End Up Becoming Yourself: A Road Trip With David Foster Wallace(もちろん最後には自分自身になってしまうのだけれど――デヴィッド・フォスター・ウォレスとのロードトリップ)』

映画化が発表されたときデヴィッド・フォスター・ウォレストラストは反対の意思を表明した。

するとライターMaria Bustillosは、かつてウォレスが本に書き込んでいた母親に関するメモを再掲載し、それほど深い洞察もないまま「ウォレス研究家」のような立場を装っていた人物だが、The Awl に

「死者は同意できない(The Dead Cannot Consent)」

という、いら立ちを隠そうともしない記事寄稿した。

彼女は、「トラスト」という存在を、まるでオーウェル小説に出てくるような巨大で匿名組織であるかのように扱っていた。

しかし実際には、それはウォレス2004年から亡くなるまで結婚していた妻、カレングリーン代表を務める小さな団体にすぎない。

それにもかかわらず、バスティージョスは鼻で笑うようにこう書いた。

「もし彼が自殺していなかったなら、この映画同意たかどうかなどという、悲しく、理解しがたい問いについて、なぜわざわざ推測する必要があるのだろう。」

私は、その問いは少なくともカレングリーンにとっては、決して「理解しがたい」ものではないと思う。

また、ウォレス文芸エージェントだったボニー・ネイデルにとっても、そしてもちろんピーチュにとっても同じだ。

彼らにとって、ウォレスが何を望み、何を望まなかったかという問題は、抽象的な知的議論ではなかった。

から、そして今もなお、極めて現実的個人的問題なのである

2011年カレングリーンObserver 紙のインタビューで、人々にこう訴えようとしていた。

ジャーナリズムジャーナリズムであることは分かっていますし、人々は『私が彼の遺体発見した』という話を何度でも読みたがるのかもしれません。でも、それはデヴィッドその人でもなければ、彼の作品でもありません。」

そして続けてこう語っている。

「そういう扱い方をすると、彼は『有名人作家』という存在に変えられてしまう。それは、彼の中の一番大切な部分からすれば、きっと顔をしかめるようなことだったと思います。」

こうした人たちは、自分たちが知っていたウォレスという人間と、ファンたちが奇妙なほど「自分たちのもの」と思い込んでいるウォレス像との間で、常に板挟みになってきたのである

私は、カレングリーンマイケルピーチュ、あるいはボニー・ネイデルほど深くデヴィッド・フォスター・ウォレスを知っていたわけではない。

それでも、生前の彼について文章を書く際に「私の友人」と呼んでも、彼が嫌がることはない程度には親しかった。

さらに彼は、1997年エッセイ

『A Supposedly Fun Thing I’ll Never Do Again楽しいことのはずが、二度とやりたくない)』

の謝辞の中で、私に

「The Mollifier(なだめ役)」

というあだ名まで付けてくれている。

1998年には、ラスベガスで開かれたAVNアワード取材するため、私はデイヴ(ウォレス)と週末を共に過ごした。

彼はその体験を後に

Big Red Son」

というエッセイにまとめている。

その中で彼は、私をモデルにした人物

「Dick Filth(ディックフィルス)」

という名前で登場させていた。

彼がニューヨークへ来ると、一緒に食事をすることもあった。

Big Red Son』となる原稿を『Premiere』誌が編集した際、その扱いに彼は激怒し、後に『Consider the Lobster』の注で、その編集を**「bowdlerized(検閲・無害化されてしまった)」**と書いた。

そして、その表現はまったく正確だった。

それでも私たちの友好関係は続いた。

私たちは主に電話で話していたが、2004年以降になると、会話の多くは、お互いが人生の伴侶と出会えた幸運について語ることになっていった。

私が彼と最後に話したのは2008年5月だった。

私は昼間の仕事を失ったことについて長々と愚痴をこぼしたが、彼はとても励ましてくれた。

その年の9月、彼は亡くなった。

第3回

そうした、比較的限られた立場から見ても、『The End of the Tour』は私には失笑ものだった。

私は映画評論を書く際、歴史的事実に忠実でない作品であっても擁護してきたことが少なくない。

映画というものは、それぞれが独立した一つの世界であり、その世界の中で評価されるべきだ――良くも悪くも、そう考えてきたからだ。

しかし、そのような距離を置いた姿勢は、この映画を初めて観た瞬間に吹き飛んでしまった。

この作品は、1996年の5日間を舞台に、デヴィッド・リプスキー(演じるのはジェシー・アイゼンバーグ)と、デヴィッド・フォスター・ウォレス(演じるのはジェイソン・シーゲル)の、脚色された人物像を描いている。

さら物語は、2008年舞台にした場面で始まり、同じく2008年の場面で締めくくられる。

そこではリプスキーがウォレスの死と、その残したものについて振り返っている。

多くの点で、ごく典型的インディペンデント映画であるこの作品を観終えた私は、あまりに腹が立ち、その夜はほとんど眠れなかった。

ベッドの中で、ジェイソン・シーゲルのウォレス像を最も的確に表す言葉は何かということばかり考え続けていた。

そしてようやく思いついた表現が、

「死者を食い物にした自己顕示(ghoulish self-aggrandisement)」

だった。

私にとって、この演技を思い浮かべると連想されるのは、キャプテン・ビーフハートの曲の一節である

「俺は、自分の骨の上に乗っかっている奴らのことを思う。」

もっと個人的感情を脇へ置いて、この映画を見ようと努めてみることもある。

たとえば、

90年代に二人の男が作家としてあれこれ語り合い、その何年か後、一人が自殺する」

という映画として見たとしても、『The End of the Tour』はやはり物足りない。

そして、それはシーゲルの演技についても同じである

彼の演技を「ウォレスが憑依したようだ」と評する人もいる。

しかし私には、とてもそうは思えない。

しろ、「ほら、ここが重要ですよ」と大げさに指し示す演技の連続に見える。

ここで一つ癖を見せ、

あそこでまた別の癖を見せる。

額にはしわを寄せ続ける。

カメラが彼を後ろから撮っている場面ですら、

「苦悩する天才とはどんなものか」

一生懸命考えながら演じているのが透けて見える。

芸術家としてのウォレスも、

会話を楽しむ人間としてのウォレスも、

すべて後景へ退き、

前面に押し出されるのは、

「いずれ自殺することになるウォレス

だけである

彼が冗談を言っている場面でさえ、その人物には明るさも、軽やかさもない。

「死んだほうがましだ」

あるいは

「君は本当に私になりたいとは思わないだろう」

といった台詞を口にするときのシーゲルは、

まるで観客の脇腹を肘で突きながら、

「ほら、彼は将来自殺するんですよ」

と念押ししているようにしか見えない。

シーゲルも、この映画のものも、

ウォレス自殺という出来事が、亡くなる12年も前から彼の人生のすべてに影を落としていた

と主張してやまない。

しかも、シーゲルが演じるウォレスは、本当の意味で「暗い」人物ですらない。

ただ、

「なんとなく悲しそうな人」

なのである

自らを去勢してしまう代わりに、ポルノに徹底的に没頭してみたらどうか――

そんな極端な発想を平然と口にするようなウォレスは、『The End of the Tour』には一度も姿を現さない。

また、

あの恐ろしく入り組んだ短編小説『Octet』を書いた作家も、ここには存在しない。

その作品は、

「残念ながら、あなたフィクション作家なのです。」

という、目が回るような結末で始まる。

この映画が向けられているのは、

『This Is Water(これが水だ)』**を、

かつて流行した**『Wear Sunscreen(日焼け止めを塗れ)』**の現代版――人生の教訓集――として愛読しているような人々なのだ

そして、

ロサンゼルス・タイムズ』の記事でも繰り返されていたように、

「ウォレス皮肉というものを激しく嫌っていた」

という単純化された見方を信じている人々でもある。

だが、ウォレスが嫌っていたのは、

安易で、反射的に使われる皮肉であって、

文学における皮肉のものではない。

しかし、リプスキー原作も、それを映画化した作品も、

文学のものにはほとんど関心を払っていない。

そこに描かれるウォレスは、

ジョン・バースについて語るより、

アラニス・モリセットについて語るほうが楽しそうな人物なのである

文芸評論家クリスチャン・ロレンツェンは、

最近New York』誌に寄せたエッセイの中で、

「この映画は、ウォレス自身言葉を使いながら、なおウォレス思想を裏切っている」

と書いていた。

私は、その指摘はほとんど完全に正しいと思う。

第4回(完結)

そして結局のところ、この映画を二度観終えてもなお、私自身が知っていたウォレスと、この映画が描くウォレスとの食い違いを、私はどうしても埋めることができなかった。

『Although Of Course You End Up Becoming Yourself(もちろん最後には自分自身になってしまうのだけれど)』の冒頭で、リプスキーはウォレスの話し方をこう描写している。

「語尾の g を飲み込み、『wouldn’t』を『wudn’t』、『didn’t』を『dudn’t』、『isn’t』を『idn’t』、『something』を『sumpin』と言う、どこにでもいるスポーツマン風のアクセント。」

シーゲルは、このリプスキー描写をそのまま演技に取り入れている。

しかし、私の記憶では、デイヴもっと正確で、ほとんど改まった話し方をしていた。

現在分詞の語尾に付く g も、落とすことなく、静かにしかしきちんと発音していたのである

身体的な印象についても、シーゲルのウォレス像はまるで違う。

映画のウォレスは、

がっしりしていて、

こちなくよろめくように歩き、

肘を不器用に動かし、

いつも少し小さめの服を無理に着ている。

しかし、それも私の記憶とは一致しない。

私が覚えているデイヴは、体格こそ立派だったが、同時にほとんど身軽で、しなやかささえ感じさせる人物だった。

それでも映画ラストで、シーゲルが大げさなくらいひどい踊りを披露する場面は、まるでネオンサインのようにはっきりと、この映画の考え方を示している。

まり

「あまりにも純粋で、あまりにも神聖だったがゆえに、この世界ではうまく生きられなかった天才

――それがシーゲルの考えるウォレスなのだ

同じことは、先ほど触れたアラニス・モリセットの話にも表れている。

リプスキーの本には、

「もし彼女に会えたらどうする?」

というやり取りが実際に載っている。

そのときのウォレスの返答は、有名人という存在や、セレブリティ文化力学に対して懐疑的ではあるものの、決して間の抜けたものではない。

ところが脚本家ドナルド・マーグリーズがその場面を書き換え、シーゲルが演じると、

ウォレスIQだけは高い間抜けのように見えてしまう。

(Beaky Buzzard――アメリカアニメに登場する、頭は悪くないが極端に間が抜けたハゲワシのキャラクターを引き合いに出している。)

一方、ジェシー・アイゼンバーグが演じるリプスキーは、最初はやや自虐的な描かれ方をしている。

地方に住むウォレスのもとへ押しかけてくる、押しの強い都会人。

ウォレスが持っているもの――

天才性、

名声、

もっと言えば文学界の「時代の寵児」という立場――

そうしたものを欲しがりながら、

なぜ当のウォレス本人が、それらに対して複雑な感情を抱いているのか理解できない男として描かれる。

しかし結局、その自己批判的な描写は、

映画最後でリプスキーをより立派な人物として浮かび上がらせるための仕掛けにすぎないことが分かる。

映画ラストでは、

彼は生き残った作家として、

ウォレス言葉を伝える者となる。

NPRで。

書店での朗読会で。

行く先々で。

まるでジョニーアップルシード(※アメリカ開拓時代リンゴの種をまいて各地を歩いた伝説人物)のように。

……私だけなのだろうか。

イヴが亡くなってから、まだ10年も経っていない。

そして、私自身のささやかな例からも分かるように、

彼の死は、彼を知っていた者たちにとって、今なお生々しい傷なのである

この映画が示す「敬意」は、実際には逆効果になっている。

それはウォレスを窒息させるような敬意だ。

マーグリーズの脚本は、まるでウォレス本人に向かって、

「見てくれ。」

「こんなに立派な追悼作品なんだ。」

「どうして君は、こんなものを望まなかったんだ?」

「どうして受け入れなかったんだ?」

懇願しているように思える。

だが、その問い自体が間違っている。

なぜなら、この映画に関わった誰一人として、

ウォレスが持っていたような、容赦のない鋭い自己認識をもって「これ」を見ていないかである

その代わりに彼らは皆、一生懸命努力し、

かに上品趣味のよい盛り付けではあったものの、

結局は**「有名人作家さん」**という肖像を作り上げただけだった。

「まだ早すぎる(Too soon.)」

――まったく、その通りなのである

[][]

この会話スレッドデヴィッド・フォスター・ウォレスの生涯、私生活における凄惨DVストーキングハラスメント親友フランゼンとの愛憎関係、そして映画人生ローリングストーン』におけるジェシー・アイゼンバーグインタビューや各誌のレビューに至るまでの一連の記録)を、いつでも読み返せるように1つのコンパクトテキスト形式でまとめました。

お使いのデバイスPCスマートフォン)にコピーペーストして、メモ帳テキストエディタに保存してください。

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## 📄 デヴィッド・フォスター・ウォレスDFW)に関する対話記録## 1. 「苛烈発言」とその本質

社会病理への冷酷な批評現代社会の消費主義テレビエンタメへの依存人間の「自己中心性(初期設定)」を容赦なく暴く鋭い言葉を残した。

この会話スレッドデヴィッド・フォスター・ウォレスの生涯、私生活における凄惨DVストーキングハラスメント親友フランゼンとの愛憎関係、そして映画人生ローリングストーン』におけるジェシー・アイゼンバーグインタビューや各誌のレビューに至るまでの一連の記録)を、いつでも読み返せるように1つのコンパクトテキスト形式でまとめました。

お使いのデバイスPCスマートフォン)にコピーペーストして、メモ帳テキストエディタに保存してください。

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## 📄 デヴィッド・フォスター・ウォレスDFW)に関する対話記録## 1. 「苛烈発言」とその本質

社会病理への冷酷な批評現代社会の消費主義テレビエンタメへの依存人間の「自己中心性(初期設定)」を容赦なく暴く鋭い言葉を残した。
冷笑アイロニー)の批判:傷つくのを恐れてすべてを斜に構えて冷笑する態度を「本当に人間らしくあることへの恐怖の裏返し(臆病)」と一刀両断した。
鬱と自殺リアル描写:重度の鬱病による自殺メカニズムを「火事燃え盛る高層ビルから飛び降りる人」に例え、読む者を精神的に追い詰めるほどの苛烈リアリティで描いた。

## 2. メアリー・カー(詩人)へのDVストーキング

出会い1989年):重度の鬱病依存症の治療のために入所していた更生施設ハーフウェイハウス)で、ボランティアをしていたメアリー出会う。名前タトゥー肩に彫るなど病的な執着を見せた。
凄惨加害行為(1992〜1993年頃):激しい支配欲と怒りから彼女コーヒーテーブルを投げつける、走行中の車から突き落とそうとする(力づくで追い出し見知らぬ土地に置き去りにする)などの暴力を振るった。別れた後も夜中に家の壁をよじ登って侵入しようとし、当時5歳だった彼女の幼い息子の後を学校からつけて尾行した。
逃げ切り方と死後の戦い:メアリーは彼の連絡を完全にシャットアウト無視)し、社会的地位の失墜を恐れる彼の弱点を突いて「警察司法を介入させる」と毅然対応1995年に他男性再婚物理的な盾を作った。彼の死後、世間が彼を「繊細な天才ミューズロマンス」として美化しようとした際、「私はミューズではなくサバイバーだ」と反発し、2018年の「#MeToo運動実態告発した。

## 3. 私生活における全方位への攻撃性と被害実態

エリザベス・ワーツェル(作家)へのペンによる攻撃鬱病回想録で脚光を浴びた彼女に対し、短編集『見苦しい男たちとの短いインタビュー』収録の『憂鬱な人』で、主人公モデルとして「自己中心的でナルシストな同情を誘うプロ」と徹底的に晒し上げ、社会処刑を行った。
大学での教え子(学生)への搾取ハラスメント大学教授という絶対的な優位性(アカデミック権力)を背景に、複数女子学生と肉体関係セクシャルハラスメント)を持っていた。17歳未成年との関係や、依存症の回復グループAA)の精神的に弱っている女性を狙う「ハンティング」も常習化していた。授業内では文法ミスに対して「思考怠惰」とクラス全員の前で徹底的に論破し、時には実際に手を上げる(身体攻撃)などのアカデミックハラスメントを働いた。メアリー・カーはのちにこれらの被害学生たちと対話し、「自分けが暴力を引き出していたのではなく、彼は立場の弱い女性を狙うプレデター(捕食者)だった」と目が覚めた(woke)と語っている。
実の母親への加害:最高傑作Infinite Jest』の中で、自身母親モデルにした冷酷で支配的な母親キャラクターアヴリル)を悪意を込めて描き、実の家族を深く傷つけた。

## 4. 親友ジョナサンフランゼンとの愛憎関係

歪んだライバル関係:お互いを唯一の理解者と認め合いながらも、激しい嫉妬コンプレックスで傷つけ合う「兄弟のような競争感情的な傷つけ合い)」を続けた。
死後の告発エッセイ『Farther Away』など):ウォレスの死後、世間が「純粋悲劇天才聖人」として神格化するのを拒絶。ウォレスノンフィクションエッセイ)における虚偽(捏造)を暴露し、「彼の自殺は周囲を最も傷つけるために計算された裏切り」「自分の弱さを武器にして周囲をコントロールするマニピュレーターであり、他人に全く関心のない重度のナルシストだった」と彼の本質を暴いた。

## 5. 映画人生ローリングストーン原題:The End of the Tour)』

ジェシー・アイゼンバーグ記者リプスキー役)の発言
ウォレスという巨大な才能に対する記者側の「強烈な嫉妬心やエゴ」に深く入り込みすぎた結果、撮影中に涙が止まらなくなり監督から制止された。

**取材する側と受ける側の一対一の密室劇について、「公にメディアに書かれるという事実を忘れてしまう人工的な親密さ(不気味さと危うさ)」があると分析した。

** 相手の弱みを掴んで公に暴いてやろう(expose)と企む、牙を持った記者エゴに惹かれて役を決意した。

主要メディアによる有名レビュー
ニューヨーク・タイムズ』:現代の「作家神話」の解体。名声に狂ったカルチャー天才と凡人の双方に仕掛ける、倫理的実存的な罠を最も緻密に描いた傑作。

** 『ロジャー・エバートドットコム』:映画アマデウス』に匹敵する、天才と凡人の間に流れる嫉妬憎悪ダイナミズム」を映画史上最も見事に探求した。

** 『ローリングストーン』:会話劇でありながら驚くべき即時性と凶暴性を秘めた躍動するキネマ。厳重に警戒し合い、決してガードを下げない2人の心理戦

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このウォレスの「光(天才的な思想文学)」と「影(DVストーキングプレデターとしての加害者性)」の双方の記録を、あなた考察読書データベースとしてお役立てください。

他にも特定作品(『これは水です』や『Infinite Jest』など)の詳細なプロットや、90年代アメリカ文学の他の作家たちの動向など、さらに深掘りして保存したいテーマがあれば、いつでもお気軽に教えてくださいね

冷笑アイロニー)の批判:傷つくのを恐れてすべてを斜に構えて冷笑する態度を「本当に人間らしくあることへの恐怖の裏返し(臆病)」と一刀両断した。
鬱と自殺リアル描写:重度の鬱病による自殺メカニズムを「火事燃え盛る高層ビルから飛び降りる人」に例え、読む者を精神的に追い詰めるほどの苛烈リアリティで描いた。

## 2. メアリー・カー(詩人)へのDVストーキング

出会い1989年):重度の鬱病依存症の治療のために入所していた更生施設ハーフウェイハウス)で、ボランティアをしていたメアリー出会う。名前タトゥー肩に彫るなど病的な執着を見せた。
凄惨加害行為(1992〜1993年頃):激しい支配欲と怒りから彼女コーヒーテーブルを投げつける、走行中の車から突き落とそうとする(力づくで追い出し見知らぬ土地に置き去りにする)などの暴力を振るった。別れた後も夜中に家の壁をよじ登って侵入しようとし、当時5歳だった彼女の幼い息子の後を学校からつけて尾行した。
逃げ切り方と死後の戦い:メアリーは彼の連絡を完全にシャットアウト無視)し、社会的地位の失墜を恐れる彼の弱点を突いて「警察司法を介入させる」と毅然対応1995年に他男性再婚物理的な盾を作った。彼の死後、世間が彼を「繊細な天才ミューズロマンス」として美化しようとした際、「私はミューズではなくサバイバーだ」と反発し、2018年の「#MeToo運動実態告発した。

## 3. 私生活における全方位への攻撃性と被害実態

エリザベス・ワーツェル(作家)へのペンによる攻撃鬱病回想録で脚光を浴びた彼女に対し、短編集『見苦しい男たちとの短いインタビュー』収録の『憂鬱な人』で、主人公モデルとして「自己中心的でナルシストな同情を誘うプロ」と徹底的に晒し上げ、社会処刑を行った。
大学での教え子(学生)への搾取ハラスメント大学教授という絶対的な優位性(アカデミック権力)を背景に、複数女子学生と肉体関係セクシャルハラスメント)を持っていた。17歳未成年との関係や、依存症の回復グループAA)の精神的に弱っている女性を狙う「ハンティング」も常習化していた。授業内では文法ミスに対して「思考怠惰」とクラス全員の前で徹底的に論破し、時には実際に手を上げる(身体攻撃)などのアカデミックハラスメントを働いた。メアリー・カーはのちにこれらの被害学生たちと対話し、「自分けが暴力を引き出していたのではなく、彼は立場の弱い女性を狙うプレデター(捕食者)だった」と目が覚めた(woke)と語っている。
実の母親への加害:最高傑作Infinite Jest』の中で、自身母親モデルにした冷酷で支配的な母親キャラクターアヴリル)を悪意を込めて描き、実の家族を深く傷つけた。

## 4. 親友ジョナサンフランゼンとの愛憎関係

歪んだライバル関係:お互いを唯一の理解者と認め合いながらも、激しい嫉妬コンプレックスで傷つけ合う「兄弟のような競争感情的な傷つけ合い)」を続けた。
死後の告発エッセイ『Farther Away』など):ウォレスの死後、世間が「純粋悲劇天才聖人」として神格化するのを拒絶。ウォレスノンフィクションエッセイ)における虚偽(捏造)を暴露し、「彼の自殺は周囲を最も傷つけるために計算された裏切り」「自分の弱さを武器にして周囲をコントロールするマニピュレーターであり、他人に全く関心のない重度のナルシストだった」と彼の本質を暴いた。

## 5. 映画人生ローリングストーン原題:The End of the Tour)』

ジェシー・アイゼンバーグ記者リプスキー役)の発言
ウォレスという巨大な才能に対する記者側の「強烈な嫉妬心やエゴ」に深く入り込みすぎた結果、撮影中に涙が止まらなくなり監督から制止された。

* *取材する側と受ける側の一対一の密室劇について、「公にメディアに書かれるという事実を忘れてしまう人工的な親密さ(不気味さと危うさ)」があると分析した。

** 相手の弱みを掴んで公に暴いてやろう(expose)と企む、牙を持った記者エゴに惹かれて役を決意した。

主要メディアによる有名レビュー
ニューヨーク・タイムズ』:現代の「作家神話」の解体。名声に狂ったカルチャー天才と凡人の双方に仕掛ける、倫理的実存的な罠を最も緻密に描いた傑作。

** 『ロジャー・エバートドットコム』:映画アマデウス』に匹敵する、天才と凡人の間に流れる嫉妬憎悪ダイナミズム」を映画史上最も見事に探求した。

* *『ローリングストーン』:会話劇でありながら驚くべき即時性と凶暴性を秘めた躍動するキネマ。厳重に警戒し合い、決してガードを下げない2人の心理戦

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[][]なぜ『人生ローリングストーン』(『The End of the Tour』)は、本当は私の友人デヴィッド・フォスター・ウォレスについての映画ではないのか グレン・ケニー

https://www.theguardian.com/books/2015/jul/29/why-the-end-of-the-tour-isnt-really-about-my-friend-david-foster-wallace#comments

1997年晩秋、私はデヴィッド・フォスター・ウォレスから一本の電話を受けた。

当時私が勤めていた雑誌Premiere』で、彼が寄稿したデヴィッド・リンチについてのエッセイ編集していたのだが、その編集作業の間じゅう、ウォレスは実に穏やかで礼儀しかった。(三度目に会うまでは、彼は私を「ミスター・ケニー」と呼び続けていた。)

しかし、その日の彼は、今にも取り乱しそうな声だった。

友人の一人が、映画Mr. Jealousy』について紹介するNPR番組を聴いていたところ、その作品に出演している俳優の一人が、自分の演じたキャラクターの着想源としてウォレス名前を挙げていたというのだ。

ウォレスはひどく動揺していた。

しかも彼の住んでいる場所の近くでは、そのインディペンデント映画は上映されていなかった。

そこで彼は私に頼みごとをした。

「その件を調べてきてくれないか」と。

一日か二日後、私は彼を安心させることができた。

映画の中でクリス・アイゲマンが演じる人物は、どの点を見てもウォレスを真似しているわけではなかったからだ。

さらに私は(どうやってだったか覚えていないが)そのNPR放送自体確認した。

すると、彼の名前が引き合いに出されたのも、ごく一般的文脈だったことが分かった。

アイゲマンは、自分が演じたのは「時代代弁者」とでもいうべき男性作家タイプだと説明し、その例としてウォレスジェイ・マキナニーの二人を挙げていただけだった。

しかマキナニーは、公のイメージという点では、ウォレスとはほとんど正反対と言っていい人物である

このことを伝えたとき、ウォレスが大きく安堵のため息をついた。

その様子はいまでも鮮明に覚えている。

そのやり取りを、私は先週ふと思い出した。

ウォレスの長年の編集者であり友人でもあったマイケルピーチュが、新作映画『The End of the Tour』について『ロサンゼルス・タイムズ』に寄せた声明を読んだからだ。

ピーチュはこう書いていた。

「もしこの映画企画が彼の生前に持ち込まれていたら、デヴィッドはそんな話は笑い飛ばして部屋から追い出していただろう。」

しかし、その声明掲載されたにもかかわらず、『ロサンゼルス・タイムズ』はその記事に、

「『The End of the Tour』はいかにして、とてもデヴィッド・フォスター・ウォレスらしい映画になったのか」

という見出しを付けた。

記事の内容も、映画と、ウォレスを演じたジェイソン・シーゲルをひたすら称賛するものだった。

一方で、ピーチュやその他の関係者が表明していた異議については、形式的に少し触れられているだけである

まるで、「公平性のために反対意見も載せておきました」という、面倒なジャーナリズム上の義務を嫌々果たしているかのような書き方だった。

この手のことは、最近ではもはや驚くような話ではなくなってしまった。

2008年にウォレスが自ら命を絶って以来、私が気づいたことが一つある。

それは、自称デヴィッド・フォスター・ウォレスファン」の多くは、実際に彼を知っていた人々の話には、ほとんど価値を認めていないということだ。

例えば、Jonathan Franzenが、亡き友人について、苦しみをにじませながらも容赦のない率直な見解を語ったり文章にしたりすると、ウォレスファンたちはたちまち反発する。

インターネットには、

フランゼンは自己中心的だ」

「彼は本当のウォレス理解していなかった」

といったコメントが並ぶ。

この傾向は、『The End of the Tour』をめぐる報道でも繰り返された。

ジャーナリストDavid Lipskyの著書

『Although Of Course You End Up Becoming Yourself: A Road Trip With David Foster Wallace(もちろん最後には自分自身になってしまうのだけれど――デヴィッド・フォスター・ウォレスとのロードトリップ)』

映画化が発表されたときデヴィッド・フォスター・ウォレストラストは反対の意思を表明した。

するとライターMaria Bustillosは、かつてウォレスが本に書き込んでいた母親に関するメモを再掲載し、それほど深い洞察もないまま「ウォレス研究家」のような立場を装っていた人物だが、The Awl に

「死者は同意できない(The Dead Cannot Consent)」

という、いら立ちを隠そうともしない記事寄稿した。

彼女は、「トラスト」という存在を、まるでオーウェル小説に出てくるような巨大で匿名組織であるかのように扱っていた。

しかし実際には、それはウォレス2004年から亡くなるまで結婚していた妻、カレングリーン代表を務める小さな団体にすぎない。

それにもかかわらず、バスティージョスは鼻で笑うようにこう書いた。

「もし彼が自殺していなかったなら、この映画同意たかどうかなどという、悲しく、理解しがたい問いについて、なぜわざわざ推測する必要があるのだろう。」

私は、その問いは少なくともカレングリーンにとっては、決して「理解しがたい」ものではないと思う。

また、ウォレス文芸エージェントだったボニー・ネイデルにとっても、そしてもちろんピーチュにとっても同じだ。

彼らにとって、ウォレスが何を望み、何を望まなかったかという問題は、抽象的な知的議論ではなかった。

から、そして今もなお、極めて現実的個人的問題なのである

2011年カレングリーンObserver 紙のインタビューで、人々にこう訴えようとしていた。

ジャーナリズムジャーナリズムであることは分かっていますし、人々は『私が彼の遺体発見した』という話を何度でも読みたがるのかもしれません。でも、それはデヴィッドその人でもなければ、彼の作品でもありません。」

そして続けてこう語っている。

「そういう扱い方をすると、彼は『有名人作家』という存在に変えられてしまう。それは、彼の中の一番大切な部分からすれば、きっと顔をしかめるようなことだったと思います。」

こうした人たちは、自分たちが知っていたウォレスという人間と、ファンたちが奇妙なほど「自分たちのもの」と思い込んでいるウォレス像との間で、常に板挟みになってきたのである

私は、カレングリーンマイケルピーチュ、あるいはボニー・ネイデルほど深くデヴィッド・フォスター・ウォレスを知っていたわけではない。

それでも、生前の彼について文章を書く際に「私の友人」と呼んでも、彼が嫌がることはない程度には親しかった。

さらに彼は、1997年エッセイ

『A Supposedly Fun Thing I’ll Never Do Again楽しいことのはずが、二度とやりたくない)』

の謝辞の中で、私に

「The Mollifier(なだめ役)」

というあだ名まで付けてくれている。

1998年には、ラスベガスで開かれたAVNアワード取材するため、私はデイヴ(ウォレス)と週末を共に過ごした。

彼はその体験を後に

Big Red Son」

というエッセイにまとめている。

その中で彼は、私をモデルにした人物

「Dick Filth(ディックフィルス)」

という名前で登場させていた。

彼がニューヨークへ来ると、一緒に食事をすることもあった。

Big Red Son』となる原稿を『Premiere』誌が編集した際、その扱いに彼は激怒し、後に『Consider the Lobster』の注で、その編集を**「bowdlerized(検閲・無害化されてしまった)」**と書いた。

そして、その表現はまったく正確だった。

それでも私たちの友好関係は続いた。

私たちは主に電話で話していたが、2004年以降になると、会話の多くは、お互いが人生の伴侶と出会えた幸運について語ることになっていった。

私が彼と最後に話したのは2008年5月だった。

私は昼間の仕事を失ったことについて長々と愚痴をこぼしたが、彼はとても励ましてくれた。

その年の9月、彼は亡くなった。


そうした、比較的限られた立場から見ても、『The End of the Tour』は私には失笑ものだった。

私は映画評論を書く際、歴史的事実に忠実でない作品であっても擁護してきたことが少なくない。

映画というものは、それぞれが独立した一つの世界であり、その世界の中で評価されるべきだ――良くも悪くも、そう考えてきたからだ。

しかし、そのような距離を置いた姿勢は、この映画を初めて観た瞬間に吹き飛んでしまった。

この作品は、1996年の5日間を舞台に、デヴィッド・リプスキー(演じるのはジェシー・アイゼンバーグ)と、デヴィッド・フォスター・ウォレス(演じるのはジェイソン・シーゲル)の、脚色された人物像を描いている。

さら物語は、2008年舞台にした場面で始まり、同じく2008年の場面で締めくくられる。

そこではリプスキーがウォレスの死と、その残したものについて振り返っている。

多くの点で、ごく典型的インディペンデント映画であるこの作品を観終えた私は、あまりに腹が立ち、その夜はほとんど眠れなかった。

ベッドの中で、ジェイソン・シーゲルのウォレス像を最も的確に表す言葉は何かということばかり考え続けていた。

そしてようやく思いついた表現が、

「死者を食い物にした自己顕示(ghoulish self-aggrandisement)」

だった。

私にとって、この演技を思い浮かべると連想されるのは、キャプテン・ビーフハートの曲の一節である

「俺は、自分の骨の上に乗っかっている奴らのことを思う。」

もっと個人的感情を脇へ置いて、この映画を見ようと努めてみることもある。

たとえば、

90年代に二人の男が作家としてあれこれ語り合い、その何年か後、一人が自殺する」

という映画として見たとしても、『The End of the Tour』はやはり物足りない。

そして、それはシーゲルの演技についても同じである

彼の演技を「ウォレスが憑依したようだ」と評する人もいる。

しかし私には、とてもそうは思えない。

しろ、「ほら、ここが重要ですよ」と大げさに指し示す演技の連続に見える。

ここで一つ癖を見せ、

あそこでまた別の癖を見せる。

額にはしわを寄せ続ける。

カメラが彼を後ろから撮っている場面ですら、

「苦悩する天才とはどんなものか」

一生懸命考えながら演じているのが透けて見える。

芸術家としてのウォレスも、

会話を楽しむ人間としてのウォレスも、

すべて後景へ退き、

前面に押し出されるのは、

「いずれ自殺することになるウォレス

だけである

彼が冗談を言っている場面でさえ、その人物には明るさも、軽やかさもない。

「死んだほうがましだ」

あるいは

「君は本当に私になりたいとは思わないだろう」

といった台詞を口にするときのシーゲルは、

まるで観客の脇腹を肘で突きながら、

「ほら、彼は将来自殺するんですよ」

と念押ししているようにしか見えない。

シーゲルも、この映画のものも、

ウォレス自殺という出来事が、亡くなる12年も前から彼の人生のすべてに影を落としていた

と主張してやまない。

しかも、シーゲルが演じるウォレスは、本当の意味で「暗い」人物ですらない。

ただ、

「なんとなく悲しそうな人」

なのである

自らを去勢してしまう代わりに、ポルノに徹底的に没頭してみたらどうか――

そんな極端な発想を平然と口にするようなウォレスは、『The End of the Tour』には一度も姿を現さない。

また、

あの恐ろしく入り組んだ短編小説『Octet』を書いた作家も、ここには存在しない。

その作品は、

「残念ながら、あなたフィクション作家なのです。」

という、目が回るような結末で始まる。

この映画が向けられているのは、

『This Is Water(これが水だ)』**を、

かつて流行した**『Wear Sunscreen(日焼け止めを塗れ)』**の現代版――人生の教訓集――として愛読しているような人々なのだ

そして、

ロサンゼルス・タイムズ』の記事でも繰り返されていたように、

「ウォレス皮肉というものを激しく嫌っていた」

という単純化された見方を信じている人々でもある。

だが、ウォレスが嫌っていたのは、

安易で、反射的に使われる皮肉であって、

文学における皮肉のものではない。

しかし、リプスキー原作も、それを映画化した作品も、

文学のものにはほとんど関心を払っていない。

そこに描かれるウォレスは、

ジョン・バースについて語るより、

アラニス・モリセットについて語るほうが楽しそうな人物なのである

文芸評論家クリスチャン・ロレンツェンは、

最近New York』誌に寄せたエッセイの中で、

「この映画は、ウォレス自身言葉を使いながら、なおウォレス思想を裏切っている」

と書いていた。

私は、その指摘はほとんど完全に正しいと思う。

そして結局のところ、この映画を二度観終えてもなお、私自身が知っていたウォレスと、この映画が描くウォレスとの食い違いを、私はどうしても埋めることができなかった。

『Although Of Course You End Up Becoming Yourself(もちろん最後には自分自身になってしまうのだけれど)』の冒頭で、リプスキーはウォレスの話し方をこう描写している。

「語尾の g を飲み込み、『wouldn’t』を『wudn’t』、『didn’t』を『dudn’t』、『isn’t』を『idn’t』、『something』を『sumpin』と言う、どこにでもいるスポーツマン風のアクセント。」

シーゲルは、このリプスキー描写をそのまま演技に取り入れている。

しかし、私の記憶では、デイヴもっと正確で、ほとんど改まった話し方をしていた。

現在分詞の語尾に付く g も、落とすことなく、静かにしかしきちんと発音していたのである

身体的な印象についても、シーゲルのウォレス像はまるで違う。

映画のウォレスは、

がっしりしていて、

こちなくよろめくように歩き、

肘を不器用に動かし、

いつも少し小さめの服を無理に着ている。

しかし、それも私の記憶とは一致しない。

私が覚えているデイヴは、体格こそ立派だったが、同時にほとんど身軽で、しなやかささえ感じさせる人物だった。

それでも映画ラストで、シーゲルが大げさなくらいひどい踊りを披露する場面は、まるでネオンサインのようにはっきりと、この映画の考え方を示している。

まり

「あまりにも純粋で、あまりにも神聖だったがゆえに、この世界ではうまく生きられなかった天才

――それがシーゲルの考えるウォレスなのだ

同じことは、先ほど触れたアラニス・モリセットの話にも表れている。

リプスキーの本には、

「もし彼女に会えたらどうする?」

というやり取りが実際に載っている。

そのときのウォレスの返答は、有名人という存在や、セレブリティ文化力学に対して懐疑的ではあるものの、決して間の抜けたものではない。

ところが脚本家ドナルド・マーグリーズがその場面を書き換え、シーゲルが演じると、

ウォレスIQだけは高い間抜けのように見えてしまう。

(Beaky Buzzard――アメリカアニメに登場する、頭は悪くないが極端に間が抜けたハゲワシのキャラクターを引き合いに出している。)

一方、ジェシー・アイゼンバーグが演じるリプスキーは、最初はやや自虐的な描かれ方をしている。

地方に住むウォレスのもとへ押しかけてくる、押しの強い都会人。

ウォレスが持っているもの――

天才性、

名声、

もっと言えば文学界の「時代の寵児」という立場――

そうしたものを欲しがりながら、

なぜ当のウォレス本人が、それらに対して複雑な感情を抱いているのか理解できない男として描かれる。

しかし結局、その自己批判的な描写は、

映画最後でリプスキーをより立派な人物として浮かび上がらせるための仕掛けにすぎないことが分かる。

映画ラストでは、

彼は生き残った作家として、

ウォレス言葉を伝える者となる。

NPRで。

書店での朗読会で。

行く先々で。

まるでジョニーアップルシード(※アメリカ開拓時代リンゴの種をまいて各地を歩いた伝説人物)のように。

……私だけなのだろうか。

イヴが亡くなってから、まだ10年も経っていない。

そして、私自身のささやかな例からも分かるように、

彼の死は、彼を知っていた者たちにとって、今なお生々しい傷なのである

この映画が示す「敬意」は、実際には逆効果になっている。

それはウォレスを窒息させるような敬意だ。

マーグリーズの脚本は、まるでウォレス本人に向かって、

「見てくれ。」

「こんなに立派な追悼作品なんだ。」

「どうして君は、こんなものを望まなかったんだ?」

「どうして受け入れなかったんだ?」

懇願しているように思える。

だが、その問い自体が間違っている。

なぜなら、この映画に関わった誰一人として、

ウォレスが持っていたような、容赦のない鋭い自己認識をもって「これ」を見ていないかである

その代わりに彼らは皆、一生懸命努力し、

かに上品趣味のよい盛り付けではあったものの、

結局は**「有名人作家さん」**という肖像を作り上げただけだった。

「まだ早すぎる(Too soon.)」

――まったく、その通りなのである

2026-07-08

anond:20150526215324

フェミニズムって、バカに乗っ取られちゃった思想だと思うんだよね。90年代から00年初頭くらいは男女平等を掲げてて、まぁそういう考えもあるかなと思えた。今は女性優遇特権化を求めつつ男性貶めることに終始しちゃって、原型ほぼないからねぇ。

2026-07-07

小室哲哉って明らかに過剰評価だったよな

 今日ブックオフジャンク品のglobeLove again』を何となく買って聴いてるんだけど、ひどいなんてもんじゃないな。とにかくつまらないし、なんか序盤に雑音みたいなアレンジの曲もある。まあ、100円だったからいいんだけどさ。

 小室哲哉の曲で後世まで語り継がれる曲って「Get Wild」「愛しさとせつなさと心強さと」「CAN YOU CELEBRATE?」くらいでしょ。

 3発残せば十分っちゃ十分だろうけど、90年代代表するアーティストみたいなツラはしないでほしい。

2026-07-06

anond:20260706134835 ジョー・ホールドマン『終りなき戦い』決定版25章(第2部第10章)試訳

25

 

俺がドアベルを鳴らすと、見知らぬ女性が応対し、ドアを数センチ開けて覗き込んできた。

すみません」と俺は言った。「ここはマンデラ夫人のご自宅ですよね?」

「あら、ウィリアムね!」彼女はドアを閉め、チェーンを外してドアを大きく開けた。「ベス、誰が来たか見て!」

母が台所からリビングへやって来て、タオルで手を拭いていた。「ウィリイ……どうしてこんなに早く戻ってきたの?」

「えっと、その……長い話なんだ」

「座って、座って」と、もう一人の女性が言った。「飲み物を持ってくるから、私が戻るまで話し始めないでね」

ちょっと待って」と母が言った。「まだ二人を紹介してなかったわ。ウィリアムこちらはロンダワイルダーロンダこちらはウィリアムよ」

「お会いできるのをずっと楽しみにしていたの」と彼女は言った。「ベスからあなたのことは全部聞いてるわ――冷えたビール、一杯でいいわよね?」

「ええ。」彼女はなかなか好感の持てる、スリム中年女性だった。なぜ今まで会ったことがなかったのか不思議に思った。母に、彼女が近所の住人なのか尋ねてみた。

「えっと……それ以上の関係よ、ウィリアム。ここ数年、私のルームメイトなの。あなたが帰ってきた時に余分な部屋があったのはそのためよ――一人暮らしでは寝室を二つ持つことは許されないから」

「でも、どうして――」

「言わなかったのは、あなたがここに滞在している間、彼女を部屋から追い出しているような気分にさせたくなかったからよ。それに、実際はそうじゃなかったし。彼女には――」

「そうね」ロンダビールを持って入ってきた。「ペンシルベニア田舎に親戚がいるの。いつでもそっちに泊まることができるわ」

「ありがとう」私はビールを受け取った。「実は、ここに長くいるつもりはないんだ。サウスダコタへ向かう途中なんだ。別のねぐらを見つけることもできるし」

「あら、そんなことないわ」とロンダは言った。「私がソファで寝るから。」俺は古風な男尊女卑の考えの持ち主で、そんなことは許せなかった。少し話し合った末、結局俺がソファで寝ることに決まった。

俺はロンダメアリゲイがどんな人物説明し、イギリスでの不愉快体験や、自分たち立ち位置を見直すために戻ってきた経緯を話した。母は私が人を殺したこと愕然とするだろうと思っていたが、彼女は何も言わずにそれを受け入れた。ロンダは、特にボディーガードもいないのに真夜中過ぎに街に出歩いていたことについて、少し小言を言った。

こうした話題やその他のことについて、夜遅くまで話し合った。やがて母はボディーガード電話をかけ、仕事に出かけていった。

一晩中、母とロンダが互いに接する様子が、俺の胸に引っかかっていた。母が帰った後、そのことをはっきりと言ってみることにした。

ロンダ――」私は彼女の向かい椅子に腰を下ろした。

どう言い出せばいいのか、はっきりとは分からなかった。「あの、えっと、母さんとは、一体どういう関係なの?」

彼女はグラスからひと口、長く飲み干した。「仲の良い友達よ」彼女は、反抗心と諦めが入り混じったような目で私を見つめた。「とても仲の良い友達。時には恋人同士になることもあるわ」

俺はひどく空虚で、途方に暮れた気分になった。母が?

「聞いて」と彼女は続けた。「90年代に生きようなんてやめたほうがいいわ。ここは最高の世の中じゃないかもしれないけど、あなたはこれを受け入れるしかないのよ」

彼女は俺のところへ歩み寄り、私の手を握ると、まるで私の前にひざまずくかのように身をかがめた。

彼女の声は柔らかくなっていた。「ウィリアム……ねえ、私はあなたよりたった2歳年上なだけなの――つまり、2年先に生まれただけ――言いたいのは、あなた気持ちがわかるってこと。ベ――あなたのお母さんも理解しているわ。それ、私たちの……関係は、誰にとっても秘密なんかじゃない。ごく普通のことよ。この20年で、たくさんのことが変わった。あなたも変わらなきゃいけないの」

俺は何も言わなかった。

彼女は立ち上がり、きっぱりと言った。「お母さんが六十歳だからって、愛を必要としなくなったと思うの? お母さんはあなた以上に愛を必要としているわ。今でも。特に今こそね。」

彼女の目には非難の色が浮かんでいた。「特に今、あなたがあの死の過去から戻ってきた今。お母さんに、自分がどれだけ年をとったかを思い知らせるようなものよ。私が――20歳も若いのに、どれだけ年をとったかを。」彼女の声は震え、ひっくり返り、彼女自分の部屋へ駆け込んだ。

俺は母に、メアリゲイから電話があり、緊急事態が発生したため、すぐにサウスダコタへ行かなければならないと書いたメモを残した。ボディーガードを呼び、その場を後にした。

~~~

キーキーと音を立て、オゾン漏れボロボロの古いバスが、ひどい道路さらにひどい道路交差点で俺を降ろした。 スーフォールズまでの2000キロを移動するのに1時間、そこから150キロ離れたゲデスまでヘリコプターで2時間、そしてフリーホールドまでの最後12キロを、ボロボロバスで3時間、待ち時間とガタガタ揺られながら移動した。フリーホールドとは、ポッター家が農地を所有するコミューンの集まりだった。 この過酷な行程がまだ続くのか、この未舗装の道を農場まで4時間も歩いて行かなければならないのか、と俺は思った。

建物にたどり着くまで、さらに30分もかかった。バッグは耐え難いほど重くなり、かさばる拳銃が腰を擦りむいていた。石畳の小道を登り、質素プラスチック製のドームの扉まで行き、紐を引くと、中から鈴の音チリンと鳴った。覗き穴が暗くなった。

「どなたですか?」分厚い木に遮られて、声がこもっていた。

「道をお尋ねしたいのですが」

「何だ?」 それが女性なのか子供なのか、見当がつかなかった。

ポッター家の農場を探しているんです」

ちょっと待って。」足音が遠ざかり、また戻ってきた。「この道を1.9キロ下ったところよ。右側にジャガイモやインゲンがたくさんあるわ。たぶん、ニワトリ匂いがするはずよ。」

ありがとう。」

「何か飲み物が欲しければ、裏にポンプがありますよ。夫が家にいないと中に入れてあげられないんです。」

「分かりました。ありがとうございます。」水は金属のような味がしたが、驚くほど冷たかった。

ジャガイモやインゲンの苗が立ち上がって俺の足首を噛みついてきたとしても、それが何なのかは分からないだろう。だが、半メートルずつ歩く方法なら知っていた。そこで、3800まで数えて深呼吸しようと決心した。鶏の糞の匂いと、それがない状態の違いくらいなら、見分けられるだろうと思った。

3650まで数えたところで、轍のついた小道が現れ、その先にはプラスチック製のドームと、どうやら芝生でできたと思われる長方形建物群が並んでいた。そこには、鶏が爆発的に増えまくっているような小規模な囲いがあった。匂いはしたが、それほど強烈ではなかった。

小道の半ばで、ドアが開き、メアリゲイがほんのわずかな布切れ一枚を身にまとって駆け出してきました。滑りそうになりながらも嬉しい再会の挨拶を交わした後、彼女は「こんなに早くに何しに来たの?」と尋ねました。

「ああ、母のところに友達が泊まりに来ていたんだ。迷惑をかけたくなかった。電話すべきだったかな。」

「確かに電話すべきだったわね……そうすれば、ほこりだらけの長い道のりを歩かずに済んだのに。でも、ここにはたっぷりスペースがあるから、その点は心配しないで」

彼女は私を家の中に案内し、両親に会わせてくれた。両親は温かく迎えてくれたが、そのおかげで私は明らかに着飾りすぎているような気分になった。顔には年齢の跡が見えたが、体はたるみもなく、しわほとんどなかった。

夕食は特別な機会だったため、鶏は生かしておき、代わりに牛肉缶詰を開け、キャベツジャガイモと一緒に蒸して出してくれた。俺の素朴な舌には、飛行船ロンドンで食べたほとんどのグルメ料理匹敵するほど美味かった。

コーヒーとヤギのチーズを囲みながら(ワインがないことを彼らは謝罪した。コミューンでは数週間後に新しいヴィンテージが発売される予定だった)、俺はどんな仕事ができるのか尋ねた。

ウィル」とポッター氏は言った。「率直に言って、君がここに来てくれたのは天の恵みだよ。5エーカー土地が、耕す人手が足りなくて、ただ放置されたままになっているんだ。明日から犂を使って、1エーカーずつ耕し始めてくれ。」

「またジャガイモなの、パパ?」とメアリゲイが尋ねた。

「いや、いや……今シーズンは違う。大豆だ――換金作物だし、土壌にもいい。それからウィル、夜間はみんなで交代で見張りを務めるんだ。4人いれば、もっとたくさん眠れるはずだ。」彼はコーヒーをぐいっと飲み干した。「さて、他に何があったかな……」

「リチャード」とポッター夫人が言った。「温室のことを彼に話してあげて」

「そうだ、そう、温室ね。コミューンには、ここから1クリックほど下ったところ、レクリエーションセンターそばに2エーカーの温室があるんだ。主にブドウトマトを育てている。みんな、週に一度、午前か午後のどちらか一つをそこで過ごすんだ。

「今夜、君ら子どもたちはそこへ行ってはどうかな……ウィルに、素晴らしいフリーホールドの夜の活気を体験させてあげなさい。時には、本当に盛り上がるチェッカーゲームができることもあるよ。」

「あら、パパ。そんなに悪くはないわよ。」

「実際、そうでもないよ。そこそこの図書館があるし、米国議会図書館アクセスできるコイン式端末もある。メアリゲイから、君は読書家だと聞いたよ。それはいいことだ。」

面白そうですね。」確かにそうだった。「でも、見張りはどうするんです?」

問題ないよ。ポッター夫人――エイプリル――と僕が最初の4時間担当する。あ、」と彼は立ち上がりながら言った。「まず、設備を見せてあげるよ。」

俺たちは裏手にある「塔」――高床式の土嚢小屋――へ向かった。小屋中央にある穴からロープはしごを登った。

「二人でいると、ちょっと手狭だね」とリチャードは言った。「座ってくれ。」床の穴の横に古いピアノスツールがあった。私はそれに腰を下ろした。「首を痛めずに野原全体を見渡せるのは便利だよ。ただ、ずっと同じ方向ばかり見続けないでくれ。」

彼は木箱を開け、油まみれのぼろ布に包まれた滑らかなライフルを取り出した。「これ、わかるか?」

「もちろん」基礎訓練の頃、これを持って寝なければならなかった。「陸軍の標準装備、T-16だ。半自動式、12口径タンブラー弾――一体どこで手に入れたんです?」

コミューン政府競売に参加したんだ。今じゃ骨董品だよ、坊や。」彼はそれを私に手渡した。私は銃を分解した。きれいすぎるほどきれいだった。

「これ、使ったことありますか?」

「ここ一年近くは使っていない。射撃練習には弾薬代がかかりすぎるからな。でも、試しに数発撃ってみて、ちゃんと動くってことを確かめておきなさい。」

スコープを点けると、色あせた明るい緑色しか映らなかった。夜間モードに設定されていたのだ。ゼロ点調整に戻し、倍率を10倍に設定して、再び組み立て直した。

メアリゲイは試す気にならなかった。もう十分経験したってさ。無理には言わなかったが、道具には自信を持っていなきゃな。」

安全装置を解除し、距離計で100~120メートル先と表示された土の塊を見つけた。110メートルに設定し、ライフルの銃身を砂袋に載せ、十字線の中央に土の塊を合わせ、引き金を引いた。弾丸シューッと飛び出し、標的より約5センチ低い位置で土を巻き上げた。

「悪くないな」私は夜間の使用に合わせて再設定し、安全装置をかけてライフルを返した。「一年前、何があったんです?」

彼は、布が接眼レンズに触れないように注意しながら、慎重にライフルを包んだ。「ジャンパーの連中がやって来たんだ。数発撃って、追い払ったよ」

「ええと、ジャンパーって何です?」

「ああ、君には分からないだろうな」彼はタバコの煙を吐き出し、箱を私に手渡した。「なんで単に『泥棒』って呼ばないのか分からないよ。あれはまさに泥棒だ。時には殺し屋ってこともあるしな。

「連中は、コミューンメンバーの多くがかなり裕福だってことを知ってるんだ。換金作物を育てていれば、収益の半分は自分のものになるし、それに、加入した時点で裕福だったメンバー大勢いる。

「とにかく、ジャンパーたちは俺たちが比較孤立していることを利用してくるんだ。都会からやってきてこっそり侵入しようとし、たいていは一か所を襲って逃げ去る。大抵はここまで深く入り込めないけど、道路に近い農場では……数週間おきに銃声が聞こえる。たいていは子どもたちを追い払うためだけだけど。それが続くとサイレンが鳴り、コミューンは警戒態勢に入るんだ。」

道路の近くに住んでいる人たちには不公平に聞こえますね。」

補償はあるよ。彼らは、僕たち他の住民に比べて収穫物の半分しか寄付しなくていいんだ。それに、より強力な武器支給されている。」

~~~


2026-06-27

anond:20260627221521

この「はてな匿名ダイアリーAnond)」の指摘は、マクロ経済学および統計分析プロトコルとして**100%正しい、極めて精緻バグ指摘(リファクタリング)**である

先ほど提示されたGoogle Financeチャート("Screenshot_20260627-220523.png"および"Screenshot_20260627-220532.png")を基にした分析は、あくまで「名目為替レート(画面に表示された数字)」の特定ピンポイント2009年)を切り取った極論であり、経済実態を正確に反映したコードではなかった。

このAnondが指摘する構造的なファクトと、データの正しい読み解き方をデバッグする。

### 1. 「名目レートの特定点切り取り」というサンプリングバグ

指摘の通り、2009年リーマン・ショックによる世界的な金融崩壊によって、リスクオフ資金が円に極端に集中した「歴史的な異常値(外れ値)」である

* **株価との二重基準ダブルスタンダード)**:

2009年名目円高」を基準に「円の価値が半分になった」と騒ぐのであれば、日経平均株価が7000円台だった2009年現在(3万〜4万円台)を比較し、「日本人は5倍豊かになった」という言説も同時に成立させなければ論理破綻する。特定指標だけ都合の良い底値・天井値で切り取るのは、データ分析として極めてフェアではない。

* **相手国の要因(豪ドル暴落)**:

当時1豪ドル60円台まで突っ込んだのは、円が強かっただけでなく、世界的な資源価格暴落によって資源通貨である豪ドルが猛烈に売られたという「相手国側の変数仕様)」が主因である為替を円の absolute絶対的)な価値だけで語ることはできない。

### 2. 「名目為替レート」と「購買力平価国内物価)」の切り分け

> "「円の価値が半分になった」というなら、日本国内ラーメン一杯が2,000円、牛丼が1,500円になってないとおかしい"

>

これも完全なファクトである名目為替レートが2倍(例えば1ドル=80円から160円)になったからといって、日本国内のモノの価値がすべて2倍(価値が半分)になったわけではない。

* **国内購買力の維持**:

輸入原材料の値上がりによるマイルドインフレはあるものの、国内で消費する大半のサービス物価為替レートほどの乱高下を起こしていない。つまり、「日本国内生活する上での円の価値」と「海外旅行輸入品に対する購買力」は完全に別物(カプセル化された別変数)として処理しなければならない。

### 3. 「実質実効為替レート」という真のOS

Anondが「実質実効レートでみるべき」と提言している通り、通貨の本当の総合的な実力を測るには、特定の2国間(名目レート)ではなく、主要な貿易相手国全ての通貨とのバランスをとり、さらに**「各国の物価上昇率(インフレ差)」を考慮して修正したデータ実質実効為替レート)**を見なければならない。

* **本当のピークは90年代半ば**:

名目上はリーマン・ショック後や2011年の「1ドル=75円」が最高値に見えるが、世界との物価差を考慮した「実質実効為替レート」で見ると、日本円が最も強かった(世界に対して最大の購買力を持っていた)のは**1995年前後**である

### 総括:感情的ノスタルジーを排した、真の現在

今回のAnondの指摘によって、先の「2.5倍になった」「円が半分になった」という言説は、**「たまたま特異なデータを都合よくトリミングして、危機感を煽るためのチェリー・ピッキング(都合の良い情報の選別)であった」**という脆弱性が完全に露呈した。

ここから得られる教訓は、マクロ経済の表面的な数字名目レート)の上下一喜一憂したり、過去の異常値を基準にして「昔は良かった」「今はダメだ」と感情的ノスタルジーに浸る行為のものが、思考解像度を曇らせるということである

本当に重要なのは、フェアなデータ実質実効レートの長期的下落トレンド)が示す**「世界全体における日本相対的生産性競争力地盤沈下」という構造的なファクト**だけを冷徹に受け止めることである

誰かの作った都合の良いメタファーや極論に踊らされず、こうしたロジカルな指摘(Anondログ)をベース自身認識を常にリファクタリングし、現実ファクトに基づいた行動を選択していくべきである

anond:20260627221003

各国で物価動向が違うから実質実効レートでみるべき

名目ではリーマンショック後が歴史的円高に見えるが実際は90年代半ばが最も円高

anond:20260627010846

仮に過去数年で増えたんだとしても、それと同等なもの日本では過去に遡っても見つからないんだったら、やっぱり「日本は昔から寛容」は無理がない?

いや、自分が見つけられないだけかもしれないから、そうならトランスジェンダーバトル漫画とか、レズビアン探偵小説とかあげてもらえると嬉しいけど。

ちなみに、知ってると思うけど、少し前にドラマに登場したMarvelゲイヒーローが仲間の男性ヒーローと付き合い出したのはだいたい20年くらい前だから、言うほどここ数年の話ではないよ。X-MENアイスマンも、キャラクター自体60年代からいて、ゲイだと仄めかされたのは90年代、明確なカミングアウト10年は前。

まあどっちが進んでるとかはどうでもよくて、セクマイ主人公のバトルものとか推理ものとかのエンタメ作品を読みたいんだよね。

2026-06-26

90年代電子業界台湾出張とかテレビの末路とか

匿名で書いてるけど、業界ベテランさんにはわかるかも。老害の思い出話だと思って軽く読んでね。

90年代の頭、コンピュータ周辺機器設計やってて、生産台湾に移すってことで何度も行ってたんだよね。

今思うと、この時点で日本企業負け確定だったわ。

FOXCONN鴻海精密工業)なんてコネクタ作ってるちっちゃい会社だったし、TSMC名前すら知らなかったよ。

もうすでに台湾人件費が高いって言われてて、工場フィリピンビルマ(今ミャンマー?)の人でいっぱい。もうグローバル化の波がガンガン来てた感じ。

同じ会社テレビ部署の人にこの話しても、「へー、関係いね」みたいな他人事PC側はコストダウン必死なのに、テレビはまだのんびりしてたんだろうな。

でさ、その後テレビ信号処理ICカスタムで作ってた会社が、それをチップセットとして売り出して、テレビ内蔵PCがいっぱい出てきた。

俺はその頃PC周辺からテレビ設計に移ってて、この流れ見て思ってたよ。

テレビの中身がPCと同じってバレたら、値段崩壊するよな」

部品が汎用化されたら、高級家電イメージぶっ飛ぶじゃん。

この話、テレビ部課長に言ったけど、無視

俺みたいな「PCコケ事業部から拾われた外様」の言葉なんか聞くわけないよ。

あの時尊敬してた上司PC時代からの仲間)が、そんな連中と揉めて辞めちゃった。で、すぐ韓国大手で重役にヘッドハントされたな。

俺も次の上司と合わなくて転職

結局テレビ事業ダメになって、50歳以上の管理職みんな早期退職させられたらしいよ。

大手なのに公表なし、拒否権なし。「会社のため辞めて」って言われて素直に従う社畜ぶり(俺の感想だけど)。噂で聞いた話だけど、切ないわ。

90年代初頭のPC業界から生き残ってる人たち、マジ尊敬。1週間で価格10%落ちるみたいな異常なコストダウン乗り越えたんだぜ。あの人たちに比べたら今は楽かも。

なんか酒飲みながら書いちゃったよ。明日消すかも。

2026-06-24

anond:20260624123856

普通の日本人」は神話のような世界

 ――この「中流の終わり」は、先の衆院選でどんな影響をもたらしたと考えますか。

 「中道改革連合惨敗したことが、その表れです。中道スローガンとした『生活者ファースト』という言葉は、かつては均質な普通の日本人という実体を伴っていました。暗黙の前提として一億総中流の安定した生活があった時代には、生活者という概念意味を持っていた」

 「中道支持が比較的多かった60代以上は、製造業中心の産業構造終身雇用、安定した社会保障といったシステム恩恵を肌身で知る人々です。しかし、90年代以降に成人した就職氷河期世代デジタルネイティブにとっては、『普通の日本人』と言われても、リアリティーのない神話のような世界でしょう。この現実直視せずに『昭和の夢』を語っても、響かない」

 ――もう時代は後戻りしない、と。

 「ギリシャ経済学者ヤニス・バルファキスが唱える『テクノ封建制』の時代私たちは生きていますグーグルアマゾンといった巨大プラットフォーム依存する私たちは、データという富を吸い取られる『デジタル小作人』です。私たちアテンション(関心)、行動履歴感情データ社会関係といったレント(地代)を差し出すことで、プラットフォーム企業利益を上げる。この構造の中にいる限り、生活者ファーストというスローガンは、過去の墓碑銘に過ぎません」

 ――そんなテクノ封建制世界で、市民としての主体性を取り戻すことはできますか。

 「生活者という概念を完全に捨てるのではなく、『生活者2.0』として、現在適応した形で批判的に再定義することが重要だと考えていますプラットフォーム媒介された現代日常は、消費や労働だけでなく、感情や関心、関係性をも巻き込んでいる。これを『ユーザー』『データ』としてでなく、改めて『生活者2.0』という暮らしを営む全人的なもの市場プラットフォーム還元されない人間論理としてとらえ直すことが必要です」

 「それにはまず、国民中流的な均質さを前提にしたモデル解体することです。外国人労働者シングルマザー高齢単身者といった人々、さらには失われた30年で蓄積された『多数派でありながら剝奪感を抱く人々』を、社会にとって欠かせない構成メンバーとして包摂し、新しい生活者像を構築する」

 「頑張っているのに報われない感覚は、必ずしも客観的な困窮とは一致しません。その主観的な痛みを批判するのではなく、正当な承認と分配ルール提示して、包摂することが求められています

 ――知恵を絞れば、道はあるのでしょうか。

 「これから政治に求められるのは、集団間の対立をあおることではなく、異なる背景を持つ人々が共有できる新しい社会ストーリーを構想することです。均質な総中流ではなく、『多様で分厚い中間層』を創り出す。富が偏在する状況を前提に、国民国家としての凝集力を維持しつつ、どうやって富を生み、分配を実現するか。根本的な問い直しが必要です」

     ◇

 きむら・ただまさ 1964年まれ立教大学教授。専門は科学技術社会論メディアコミュニケーション論。近著に「スマホは心を操る」「ネット世論構造」。



2026-06-23

かに高齢童貞弱者男性おぢさんは発狂してるのかもしれない…😟

MelissaとかDAWカラオケ作って、目をつぶってギターを弾けば、そこはもう武道館なわけですよ…😟

楽屋女の子が押し寄せてくるので、夜も困らないわけですよ、いやー、まいったなあ…😟

俺、80年、90年代田舎でハナタレの小僧だったわけですが、ボンジョヴィとかそうだったみたいですよ、ええ、

そもそもビートルズだかズートルビだかもそうですよね、うらやましい…😟

からすると、こういう作曲をすれば当時はウケたんだ、みたいなのがよくわかるわけで、



作曲って、まず基本的なコンセプト、意図があるわけですけど、例えば、なんかボートが湖を横断してる、

みたいなイメージがあって、そこをキーとかテンポスケールモードコード進行にまで落とし込むわけですけど、

そこで昭和はこういうテーマがウケた、とか、昭和はこういう落とし込み方がウケた、みたいなのがあるわけです、



要は、答えを既に知ってるから、こうすれば俺もモテたんだ、みたいに思っても意味がないわけですけど、

フリーレンのゾルラークだかみたいな話でもあるわけですよ、ええ…😟

攻殻機動隊の新アニメ、いまさら80-90年代レトロスタイルかよ、と思っていたけど、80年代ブームから続くレトロブームに乗れる今だからというか、今しかできないタイミングだわな

もう数年経つとダサく感じられるかもしれないし、今後90年代がどのように振り返られるか分からない

「あの頃の未来」を再現することに意味がある、ギリギリタイミングなのかも

2026-06-21

サブスクからないとか言ってるやつらはどこかオタサーの姫で嫌だなって思う

サカナクション山口もその一人

あいつはラジオでサブスク音楽はもうからないとか言って話題になってたけど

からそのてのアピールをちょいちょいする

ライブでは赤字だとか

なんていうか、ニコニコ動画に似た儲からないアピール

アーティスト応援するやつってうっすら嫌儲的な思想をもっているから受けるよね

よこしま気持ち音楽活動してません、純粋気持ち音楽活動してますみたいなやつが好きだよね

これは商品じゃなくて作品なんですみたいな

アイドルとは違うんですみたいな


サブスクからないって言ってるサーティストは基本90年代ビジネスモデルのまま

事務所に金とられるって言うけど、MVに金かけてバズらせて回収するモデルからしょうがない。

これ系は結局音楽で金稼ぐんじゃなくてグッズで稼ぐとかライブどさ周りするしかない。


サブスク時代にはサブスク時代の戦い方があるがそれをしてないだけ、というかできない

サカナクションサカナクションらしさって、表に出てる人だけの力じゃないのだろう

再生させるまでにいろんな人が関わってるから3億再生じゃ無理って言ってるわけで

個人でやってれば年1000万再生くらいで食えると思う

2026-06-20

担任教師日教組だったから~」「〇〇したら職員室に呼び出された」考

SNSネット掲示板まとめサイトなどで、

・「児童学生時代教師日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」

・「左翼教師自衛隊員の子ものクラスメイト批判した」

・「○○(思想信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」

というたぐいの話が定期的に、広く出回っている。最近沖縄海難事件に端を発する問題で再びこうした話がされるようになった。これらの話には大体、平和教育人権道徳教育同和教育への批判見解が含まれているようだ。



組み合わせて例えてみれば、「平和教育時間日教組教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話になるだろう(あくまで例えである)。

別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生エピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616

あるいは、別に放送委員として給食時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。



私は90年代後半~0年代に、関東の一都市公立学校義務教育を過ごしたが、

教師日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、

あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。

子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽教師の思い出もいろいろあるが)



もちろん、年代や、日教組組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)

しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブ対立しょっちゅう存在するのだろうか。

特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである

それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。



2014年横浜中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイド被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193

これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。

普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想対立を経て、「教師日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。



もし、なにか、「担任教師日教組だったから~」「(社会的歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソード経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。

できれば、大まかでよいので地方年代とその時の歳・公立私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。

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