はてなキーワード: 90年代とは
0179 花と名無しさん 2021/04/16 06:31:00
ベタかもしれないけど、やっぱmeeで読んでもシュガソルやロッキンみたいなテンプレ王道がりぼんだよねって思う
テンプレコテコテ王道って飽きるけど、なんだかんだ1番安心して読めて嬉しい
今だと初婚がそのややドジヒロイン×インテリ系を引き継いでくれてて安心する
ハニレモは男が冷めた側な上に女も可愛げ無いタイプだから、やっぱりりぼんは元気系の王道ヒロイン最強だわ
こどちゃとかも絶対に色褪せない名作だもんね
0180 花と名無しさん 2021/04/16 07:22:40
その内容書き込むのにわざわざハニレモを貶す必要性が全く無い件
ID:3dT+HpWu0
0181 花と名無しさん 2021/04/16 09:14:25
初婚は流行りのイチャラブだから人気あるけど特殊学園だしりぼんの王道かと言われると微妙な感じ
良し悪しとじゃなくてりぼんの看板らしさやキャッチーさとかその辺の話で初婚はなんか微妙に違う気が…
なんとなく古杏と同じポジションとして読んでるわ
黒崎さんは以前から漫画は上手いのにりぼんの顔になるには作風的に厳しめだから損だよなあと思ってた
上に出した古杏も連載中にmeeがあったらもっと外部で盛り上がったろうなあ
0182 花と名無しさん 2021/04/16 10:20:58
>>180
りなちゃは色々系統あるけど、1番りぼんが元気印売りにしてた感じする
ハニレモはその点ヒロイン大分違う上にオサレ漫画に寄ってるからりぼん古来王道ではない
こどちゃさな、ママレみき、ジャンヌまろん、ベイビィラブせあら
ここら辺がりぼんらしさだと思う
ID:/AEqQWKW0
0183 花と名無しさん 2021/04/16 10:45:29
90年代半ば〜後半の無敵ヒロインブームが特殊なだけでりぼんらしさをあれに限定するのは無理ある
だいたいあの頃はどの雑誌も強めヒロインブームだしりぼんに限った事じゃない
唯一無二のりぼんらしさがあるとしたら乙女ちっくのヒロイン(ドジっ子陰キャ)でしょ
id:I3hdvo060(1/2)
0184 花と名無しさん 2021/04/16 11:00:08
何が王道かよりそこら辺の黄金期無敵ヒロイン系があまりに人気で売れすぎた
やっぱ250万部の時の連載陣は伊達じゃない
いや毎年2回、計6週間くらいは帰ってるので雰囲気は別にわかってるが
お気持ちじゃん
逆にあなたは90年代のクソ貧乏でガチで通勤先の駅が爆破されるロンドンとか
知らないじゃん
https://archive.is/Z2Nby#selection-473.91-473.98
『The End of the Tour』は、ある職業全体を見事に描き切っている
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『The End of the Tour』――小説家デイヴィッド・フォスター・ウォレスと、彼を取材するために『Rolling Stone』誌から派遣されたライター、デイヴィッド・リプスキーとの5日間の交流を描いた新作映画――の冒頭近くで、1996年2月に『New York』誌に掲載された『Infinite Jest』の書評の冒頭が朗読される。
「まるでポール・バニヤンがNFLに入団したか、あるいはウィトゲンシュタインが『Jeopardy!』に出演したかのようだ。この小説は、それほどまでに巨大で破壊的だ。」
書き手のウォルター・カーンはさらに、「来年の文学賞はもう決まってしまったようなものだ」と評している。
同じような「到来の予感」は、ウォレス役を演じたジェイソン・シーゲルにも向けられている。彼は、懐疑的で野心的で、謙虚で、極度に自己意識が強く、うつ病を抱えながらも、本質的には寛大な天才としてウォレスを演じ、その演技によってアカデミー賞候補ではないかとさえ言われている。
シーゲルが高く評価されるのは当然だ。その演技は、これまでコメディ色の強い俳優と見られていた彼自身の意外な深みを明らかにすると同時に、ウォレスという人物の自己抑制的な魅力を鮮やかに体現している。
しかし、リプスキー役を演じたジェシー・アイゼンバーグの功績も見逃してはならない。彼は、いわばサリエリ役を演じているのである。
シーゲルが極めて特異な一個人を説得力をもって演じ切った一方で、アイゼンバーグはある職業そのものを完璧に表現している。
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飛行機の中で、付箋だらけになった取材対象の本を読み返している場面。
薄暗い立体駐車場を、大きなバッグを肩に掛け、レンタカーのキーを握りしめて歩く場面。
ウォレスの家に入って間もなく、携帯用カセットレコーダーの録音ボタンを押すことを申し訳なさそうに謝る場面。
「そんな答え、全然バカっぽく聞こえませんよ」と相手を安心させようとする場面。
あるいは、「いったいどっちが誰を取材してるんでしょうね」と冗談を言って、自分のことを聞かれるのをごまかそうとする場面。
こうした雑誌ライター特有の癖や所作を、アイゼンバーグは驚くほど正確に再現している。
彼が何度も録音機に目をやり、赤い録音ランプがちゃんと点いているか確認するたびに、私は身につまされる思いがした。
ちなみに言っておくと、私はこれまで取材相手の洗面所の戸棚を勝手に開けたことは一度もないし、相手が車の雪を払っている隙に、その部屋の様子をこっそり録音したこともない。映画ではリプスキーがそんなことをしているが、どちらもかなり不気味な行為だ。
雑誌のプロフィール記事を書くための取材と、誰かの監視記録を作ることとの間には、時としてほとんど境界線が存在しないのである。
(私の同僚エミリー・ナスバウムは、この映画について「タイトルは『Shame Spiral(羞恥のスパイラル)』にすべきだった」とツイートしていた。)
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英雄的な『大統領の陰謀』もあれば、倫理を踏み外した『Shattered Glass』もある。
『Rolling Stone』誌の記者を描いた作品としては、キャメロン・クロウ監督の『Almost Famous』もある。
しかし、雑誌プロフィールを書くために長時間インタビューを重ねるなかで生まれる、あの奇妙で人工的な親密さをこれほど的確に描いた映画は、私は他に思い当たらない。
役作りのためにアイゼンバーグは実際にリプスキー本人へインタビューを行い、ウォレスと過ごした時間をどんな感情で振り返るのかを尋ねた。
また、リプスキーが愛用していた、ノートを縦半分に区切ってメモを取る独特の記録法も教わり、それを映画の中で忠実に再現している。
映画の原作となった『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の序文を読む限り、当時のリプスキーは、自分をかなり挑発的な記者だと考えていたようだ。
彼はこう書いている。
「今、マクセルの新品カセットを開封してレコーダーに入れた。記者にとっては、いつだって気分のいい、何の罪もない瞬間だ。弾を装填し、ブーツを磨き、任務に就くようなものだ。」
一方アイゼンバーグは、自身がインタビューされる立場である経験も役作りに生かした。
彼は私にこう語った。
「インタビュー中、私はいまだに、目の前にいる記者個人ではなく、その背後にいる読者全体へ向かって話しているんだということを忘れてしまうんです。実際には、一人の人間と向かい合って座っているだけなのに、それを思い出すのは難しい。」
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『The End of the Tour』では、リプスキーから見た取材者と被取材者の関係は、複数の動機が幾重にも重なり合ったものとして描かれている。
ウォレスより4歳年下のリプスキーは、小説家としては彼ほど成功しておらず、自分の才能の小ささを痛感しながら、ウォレスの才能と成功を羨望している。
彼自身が編集者の部屋へ乗り込み、「この取材は自分にやらせてほしい」と直談判した。
(もっとも、この場面は、90年代の雑誌編集部というより、帽子をかぶった昔ながらの新聞記者映画のハリウッド的なお約束に近い。実際の当時の雑誌編集部は、もっとカーペット敷きの穏やかな場所だった。)
リプスキーがウォレスから本音を引き出そうとする背景には、いくつもの衝動が入り混じっている。
彼は、
(続きます。)
もちろん、ほとんどの雑誌取材が、この映画のようにこれほど強烈な動機の交錯から生まれるわけではない。もし毎回そうだったら、この仕事は到底続けられないだろう。
(実際、この取材依頼も映画の描き方とは少し違っていた。リプスキーによれば、これは『Rolling Stone』誌のオーナーであるジャン・ウェナーが、バンダナを巻き、無精ひげを生やしたウォレスの写真を見て、「こいつはうち向きだ。リプスキーを行かせろ」と言ったことがきっかけだった。)
それでも、取材という行為の構造そのものが、取材者と対象者を物理的に長時間近づけるため、不安定な親密さを生み出すことがある。
もっとも、その親密さの最終目的が、「片方がもう片方について記事を書くこと」であるという事実は、決して忘れ去られることはない。
何時間も語り合ううちに、インタビュアーと対象者は、まるで大学時代の友人同士のように、お互いの信念を熱心に語り合うこともある。
あるいは、恋愛の始まりにある、酔うような告白の時間を共有する恋人同士のようになることさえある。
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リプスキーにとって「いい記事」になることが、自分にとって望ましいこととは限らない、と。
それでも録音機を手放さないリプスキーは、「もちろんです」と即座に応じる。
恋愛と戦争、そして双方が合意した雑誌インタビューでは、すべてが許される。
(リプスキーは、質問がウォレスを不快にさせるたび、「でも、この記事を受けることに同意したのはあなたですよ」と何度も言い返す。)
二人はすでに、ジャネット・マルコムの古典的エッセイ『The Journalist and the Murderer(ジャーナリストと殺人者)』の議論を、内面化しているのである。
1989年に『The New Yorker』で発表され、翌年に単行本化されたこの作品は、記者と取材対象との関係を、「誘惑と裏切りのドラマ」として分析したものだった。
映画の舞台である1996年当時、ニューヨークで働く雑誌記者で、この本を読んでいない者は一人もいなかった。
その冒頭の一文――
「自分が何をしているのかを理解できる程度の知性と自己認識を持つジャーナリストなら、自分の仕事が道徳的に弁護できないものであることを知っている。」
――を、おおよそ暗唱できる記者も多かった。
映画では描かれないが、原作『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』では、リプスキーがこの本に触れる場面がある。
「ええ、ずっと前に読みましたよ。」
とウォレスは答える。
(精神分析的な視点を重視したマルコムなら見逃さなかったであろうことに、この会話の直後、リプスキーは反射的に録音機がまだ動いているか確認している。)
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マルコムの本――今なお必読書である――は、主としてジャーナリズムにおける「裏切り」の瞬間を描いている。
つまり、取材対象が記事を読み、自分が思い描いていた自己像ではなく、記者が構成した別の物語として描かれていることを知る、その瞬間である。
答えは単純だ。
信頼してよい。
ただし、記者は得た材料を使って、自分が最善だと思う記事を書くという意味でだけ。
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一方、『The End of the Tour』が見事に描いているのは、その前段階――誘惑のプロセスである。
だからこそ、この映画はジャーナリズム教育の教材にも加えられるだろう。
記者が相手の心の中へ入り込もうと努力することは、仕事上の必要から始まる。
映画では、リプスキーが巧みにウォレスから本音を引き出す様子が描かれる。
例えば、二人が飛行機で隣同士の席に座り、逃げ場がない状況になってから、ウォレスがハーバード大学院時代に精神病院マクリーンへ入院していた事実を切り出す。
これは、ジャーナリストらしい狡猾さを映画的に表現した見事な場面だ。
その一方で、車内でラジオに合わせて一緒に歌う場面では、ウォレスと時間を共有していることへの純粋な喜びも描かれている。
結局のところ、どれだけ記者であっても、人は最後には自分自身になってしまうのである。
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映画は、『Rolling Stone』の記事が掲載される前で終わる。
だから、映画が描くウォレスとリプスキーの関係には、「前置き」はあっても、「その後」はない。
実際には、その記事は『Rolling Stone』には掲載されなかった。
リプスキーによれば、自身の著書のあとがきで説明しているように、編集長ジャン・ウェナーが、記事を書く前に掲載を取りやめたのである。
ウォレスが2008年に自殺したあとになって初めて、リプスキーは当時の取材メモをまとめ、長い記事を書いた。
それは高い評価を受け、その後、二人の会話をほぼそのまま収録した本として出版された。
ウォレスの未亡人と遺産管理団体は、この映画に強く反対し、「ウォレス本人なら、あのインタビューがこのような形で使われることを決して望まなかったはずだ」と主張している。
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『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の中で、リプスキーは、ウェナーから「記事は書かなくていい」と言われたとき、むしろ安堵したと記している。
普通なら、記事がお蔵入りになることは、記者にとって腹立たしいか、あるいは打ちのめされる出来事だ。
しかし彼は違った。
彼はこう書いている。
「書こうとはした。でも、そのたびにデイヴィッドがその記事を読んでいる姿を想像してしまった。そして彼が、記事だけでなく私自身まで見透かし、レントゲン写真を見るように、どこか胡散臭い部分を見抜いてしまう気がした。」
リプスキーは、ウォレスと築いた一時的な友情――あの親密な時間――に、あまりにも心を残していた。
その体験を客観的な記事へと作り替えるだけの距離を、まだ持つことができなかったのである。
もし書いていたとしても、きっと成功作にはならなかった。
『The End of the Tour』が描いているのは、まさにその唯一無二のダンスである。
https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/
自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界のカート・コバーン」へと還元し、その自己破滅をロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレスの作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症や自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身の肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。
だが、昔ながらの保守的な批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。
ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現を模倣したウォレスの自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体の鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的な理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。
ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義(登場人物だけがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。
要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである。
しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムそのものと混同することだ。ヒューバート・ドレイファスとショーン・ドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。
ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。
芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉なニヒリズムそのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。
この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガンに投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)
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ウォレスは、ドナルド・バーセルミやトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトをさらに推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)
その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組が最後にカメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省がプレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。
そのため、最初の長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代の卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。
続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学の創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸の創作プログラムに所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度そのものの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースやバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。
「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。
全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来の北アメリカが「北米国家機構(Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界を舞台にしている。
そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンスも活動しており、ウォレスは物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。
しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家そのものが巨大企業に圧倒されてしまっている。
「ワッパーの年」
この意味で、ウォレスはモダニズムの問題意識をさらに徹底させた作家だった。消費社会が人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である。
消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。
その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画『Infinite Jest』だ。
この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれてしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画をテロ兵器として手に入れようとする。)
この映画を制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリン、マリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。
一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。
そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールド・テニス・アカデミーである。ここは、ウォレス自身が哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。
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『Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である。
その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)
現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。
その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。
つまり、この作品はポストモダン社会の民族誌(エスノグラフィー)なのである。
時間も空間も商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要なものが押し流されてしまう危険も見抜いている。
マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネットが社会を支配する以前、1996年に出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。
「文化が逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」
「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」
『Infinite Jest』は、一つの世代の感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。
とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代にMTVが誕生し、大学時代にインターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。
語り手は、自己意識の牢獄や、無限の可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から、不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。
ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。
薬物依存と絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである。
この見方は私だけではない。
ウォレスの親友の一人だったジョナサン・フランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。
フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。
「私たちの多くにとって人生の意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレスの小説世界ではほとんど存在しない。」
しかし、その一方で彼はこう続ける。
「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分は理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」
私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。
読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。
ウォレス自身もまた、依存症や欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。
そして、この点こそが、ウォレスとフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。
二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。
極端な自己意識、メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。
フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。
私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。
あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。
なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。
それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。
しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものはシニシズムではない。
むしろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである。
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しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである。
それは現代の絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろ、ポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。
もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。
「革新的な文体を用いて、保守的な小説の目的を果たすにはどうすればよいか。」
『ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである。
しかしマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解そのものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。
「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」
彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。
作家スティーブ・ムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカルな世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。
「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」
先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。
そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。
これは決して矛盾ではない。
つまり、「ウォレスは小説の道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。
私たちは、「型破りな文体=非道徳的」という思い込みそのものを退けなければならない。
むしろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。
アップダイクの美文主義では、文体そのものが読者の注意を引きつける。
しかしウォレスが探していたのは、現代の私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。
だからこそ彼は、その声を通して、私たちに真正面から、誠実に、そして道徳的なビジョンを語りかけることができたのである。
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だからこそ、ウォレスがフョードル・ドストエフスキーの人生と作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。
ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。
「もっとも重要なのは、ドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分の文学的栄光しか考えていなかった人物――から、
なぜ『The End of the Tour』は、本当は私の友人デヴィッド・フォスター・ウォレスについての映画ではないのか
グレン・ケニー
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1997年の晩秋、私はデヴィッド・フォスター・ウォレスから一本の電話を受けた。
当時私が勤めていた雑誌『Premiere』で、彼が寄稿したデヴィッド・リンチについてのエッセイを編集していたのだが、その編集作業の間じゅう、ウォレスは実に穏やかで礼儀正しかった。(三度目に会うまでは、彼は私を「ミスター・ケニー」と呼び続けていた。)
しかし、その日の彼は、今にも取り乱しそうな声だった。
友人の一人が、映画『Mr. Jealousy』について紹介するNPRの番組を聴いていたところ、その作品に出演している俳優の一人が、自分の演じたキャラクターの着想源としてウォレスの名前を挙げていたというのだ。
ウォレスはひどく動揺していた。
しかも彼の住んでいる場所の近くでは、そのインディペンデント映画は上映されていなかった。
そこで彼は私に頼みごとをした。
「その件を調べてきてくれないか」と。
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一日か二日後、私は彼を安心させることができた。
映画の中でクリス・アイゲマンが演じる人物は、どの点を見てもウォレスを真似しているわけではなかったからだ。
さらに私は(どうやってだったか覚えていないが)そのNPRの放送自体も確認した。
すると、彼の名前が引き合いに出されたのも、ごく一般的な文脈だったことが分かった。
アイゲマンは、自分が演じたのは「時代の代弁者」とでもいうべき男性作家のタイプだと説明し、その例としてウォレスとジェイ・マキナニーの二人を挙げていただけだった。
しかもマキナニーは、公のイメージという点では、ウォレスとはほとんど正反対と言っていい人物である。
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このことを伝えたとき、ウォレスが大きく安堵のため息をついた。
その様子はいまでも鮮明に覚えている。
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そのやり取りを、私は先週ふと思い出した。
ウォレスの長年の編集者であり友人でもあったマイケル・ピーチュが、新作映画『The End of the Tour』について『ロサンゼルス・タイムズ』に寄せた声明を読んだからだ。
ピーチュはこう書いていた。
「もしこの映画の企画が彼の生前に持ち込まれていたら、デヴィッドはそんな話は笑い飛ばして部屋から追い出していただろう。」
しかし、その声明が掲載されたにもかかわらず、『ロサンゼルス・タイムズ』はその記事に、
「『The End of the Tour』はいかにして、とてもデヴィッド・フォスター・ウォレスらしい映画になったのか」
という見出しを付けた。
記事の内容も、映画と、ウォレスを演じたジェイソン・シーゲルをひたすら称賛するものだった。
一方で、ピーチュやその他の関係者が表明していた異議については、形式的に少し触れられているだけである。
まるで、「公平性のために反対意見も載せておきました」という、面倒なジャーナリズム上の義務を嫌々果たしているかのような書き方だった。
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第2回
この手のことは、最近ではもはや驚くような話ではなくなってしまった。
2008年にウォレスが自ら命を絶って以来、私が気づいたことが一つある。
それは、自称「デヴィッド・フォスター・ウォレスのファン」の多くは、実際に彼を知っていた人々の話には、ほとんど価値を認めていないということだ。
例えば、Jonathan Franzenが、亡き友人について、苦しみをにじませながらも容赦のない率直な見解を語ったり文章にしたりすると、ウォレスのファンたちはたちまち反発する。
インターネットには、
といったコメントが並ぶ。
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この傾向は、『The End of the Tour』をめぐる報道でも繰り返された。
『Although Of Course You End Up Becoming Yourself: A Road Trip With David Foster Wallace(もちろん最後には自分自身になってしまうのだけれど――デヴィッド・フォスター・ウォレスとのロードトリップ)』
の映画化が発表されたとき、デヴィッド・フォスター・ウォレス・トラストは反対の意思を表明した。
するとライターのMaria Bustillosは、かつてウォレスが本に書き込んでいた母親に関するメモを再掲載し、それほど深い洞察もないまま「ウォレス研究家」のような立場を装っていた人物だが、The Awl に
「死者は同意できない(The Dead Cannot Consent)」
彼女は、「トラスト」という存在を、まるでオーウェル小説に出てくるような巨大で匿名の組織であるかのように扱っていた。
しかし実際には、それはウォレスが2004年から亡くなるまで結婚していた妻、カレン・グリーンが代表を務める小さな団体にすぎない。
それにもかかわらず、バスティージョスは鼻で笑うようにこう書いた。
「もし彼が自殺していなかったなら、この映画に同意したかどうかなどという、悲しく、理解しがたい問いについて、なぜわざわざ推測する必要があるのだろう。」
⸻
私は、その問いは少なくともカレン・グリーンにとっては、決して「理解しがたい」ものではないと思う。
また、ウォレスの文芸エージェントだったボニー・ネイデルにとっても、そしてもちろんピーチュにとっても同じだ。
彼らにとって、ウォレスが何を望み、何を望まなかったかという問題は、抽象的な知的議論ではなかった。
昔から、そして今もなお、極めて現実的で個人的な問題なのである。
⸻
2011年、カレン・グリーンは Observer 紙のインタビューで、人々にこう訴えようとしていた。
「ジャーナリズムがジャーナリズムであることは分かっていますし、人々は『私が彼の遺体を発見した』という話を何度でも読みたがるのかもしれません。でも、それはデヴィッドその人でもなければ、彼の作品でもありません。」
そして続けてこう語っている。
「そういう扱い方をすると、彼は『有名人の作家』という存在に変えられてしまう。それは、彼の中の一番大切な部分からすれば、きっと顔をしかめるようなことだったと思います。」
⸻
こうした人たちは、自分たちが知っていたウォレスという人間と、ファンたちが奇妙なほど「自分たちのもの」と思い込んでいるウォレス像との間で、常に板挟みになってきたのである。
⸻
私は、カレン・グリーンやマイケル・ピーチュ、あるいはボニー・ネイデルほど深くデヴィッド・フォスター・ウォレスを知っていたわけではない。
それでも、生前の彼について文章を書く際に「私の友人」と呼んでも、彼が嫌がることはない程度には親しかった。
『A Supposedly Fun Thing I’ll Never Do Again(楽しいことのはずが、二度とやりたくない)』
の謝辞の中で、私に
「The Mollifier(なだめ役)」
というあだ名まで付けてくれている。
⸻
1998年には、ラスベガスで開かれたAVNアワードを取材するため、私はデイヴ(ウォレス)と週末を共に過ごした。
彼はその体験を後に
というエッセイにまとめている。
という名前で登場させていた。
⸻
『Big Red Son』となる原稿を『Premiere』誌が編集した際、その扱いに彼は激怒し、後に『Consider the Lobster』の注で、その編集を**「bowdlerized(検閲・無害化されてしまった)」**と書いた。
そして、その表現はまったく正確だった。
私たちは主に電話で話していたが、2004年以降になると、会話の多くは、お互いが人生の伴侶と出会えた幸運について語ることになっていった。
私は昼間の仕事を失ったことについて長々と愚痴をこぼしたが、彼はとても励ましてくれた。
その年の9月、彼は亡くなった。
⸻
第3回
そうした、比較的限られた立場から見ても、『The End of the Tour』は私には失笑ものだった。
私は映画評論を書く際、歴史的事実に忠実でない作品であっても擁護してきたことが少なくない。
映画というものは、それぞれが独立した一つの世界であり、その世界の中で評価されるべきだ――良くも悪くも、そう考えてきたからだ。
しかし、そのような距離を置いた姿勢は、この映画を初めて観た瞬間に吹き飛んでしまった。
⸻
この作品は、1996年の5日間を舞台に、デヴィッド・リプスキー(演じるのはジェシー・アイゼンバーグ)と、デヴィッド・フォスター・ウォレス(演じるのはジェイソン・シーゲル)の、脚色された人物像を描いている。
さらに物語は、2008年を舞台にした場面で始まり、同じく2008年の場面で締めくくられる。
そこではリプスキーがウォレスの死と、その残したものについて振り返っている。
⸻
多くの点で、ごく典型的なインディペンデント映画であるこの作品を観終えた私は、あまりに腹が立ち、その夜はほとんど眠れなかった。
ベッドの中で、ジェイソン・シーゲルのウォレス像を最も的確に表す言葉は何かということばかり考え続けていた。
そしてようやく思いついた表現が、
「死者を食い物にした自己顕示(ghoulish self-aggrandisement)」
だった。
⸻
私にとって、この演技を思い浮かべると連想されるのは、キャプテン・ビーフハートの曲の一節である。
「俺は、自分の骨の上に乗っかっている奴らのことを思う。」
⸻
もっと個人的な感情を脇へ置いて、この映画を見ようと努めてみることもある。
たとえば、
「90年代に二人の男が作家としてあれこれ語り合い、その何年か後、一人が自殺する」
という映画として見たとしても、『The End of the Tour』はやはり物足りない。
⸻
彼の演技を「ウォレスが憑依したようだ」と評する人もいる。
しかし私には、とてもそうは思えない。
むしろ、「ほら、ここが重要ですよ」と大げさに指し示す演技の連続に見える。
ここで一つ癖を見せ、
あそこでまた別の癖を見せる。
額にはしわを寄せ続ける。
を一生懸命考えながら演じているのが透けて見える。
⸻
すべて後景へ退き、
前面に押し出されるのは、
だけである。
⸻
彼が冗談を言っている場面でさえ、その人物には明るさも、軽やかさもない。
「死んだほうがましだ」
あるいは
「君は本当に私になりたいとは思わないだろう」
まるで観客の脇腹を肘で突きながら、
「ほら、彼は将来自殺するんですよ」
と念押ししているようにしか見えない。
⸻
ウォレスの自殺という出来事が、亡くなる12年も前から彼の人生のすべてに影を落としていた
と主張してやまない。
⸻
しかも、シーゲルが演じるウォレスは、本当の意味で「暗い」人物ですらない。
ただ、
「なんとなく悲しそうな人」
なのである。
⸻
自らを去勢してしまう代わりに、ポルノに徹底的に没頭してみたらどうか――
そんな極端な発想を平然と口にするようなウォレスは、『The End of the Tour』には一度も姿を現さない。
また、
あの恐ろしく入り組んだ短編小説『Octet』を書いた作家も、ここには存在しない。
その作品は、
という、目が回るような結末で始まる。
⸻
この映画が向けられているのは、
かつて流行した**『Wear Sunscreen(日焼け止めを塗れ)』**の現代版――人生の教訓集――として愛読しているような人々なのだ。
そして、
『ロサンゼルス・タイムズ』の記事でも繰り返されていたように、
⸻
だが、ウォレスが嫌っていたのは、
そこに描かれるウォレスは、
ジョン・バースについて語るより、
アラニス・モリセットについて語るほうが楽しそうな人物なのである。
⸻
「この映画は、ウォレス自身の言葉を使いながら、なおウォレスの思想を裏切っている」
と書いていた。
私は、その指摘はほとんど完全に正しいと思う。
⸻
第4回(完結)
そして結局のところ、この映画を二度観終えてもなお、私自身が知っていたウォレスと、この映画が描くウォレスとの食い違いを、私はどうしても埋めることができなかった。
『Although Of Course You End Up Becoming Yourself(もちろん最後には自分自身になってしまうのだけれど)』の冒頭で、リプスキーはウォレスの話し方をこう描写している。
「語尾の g を飲み込み、『wouldn’t』を『wudn’t』、『didn’t』を『dudn’t』、『isn’t』を『idn’t』、『something』を『sumpin』と言う、どこにでもいるスポーツマン風のアクセント。」
シーゲルは、このリプスキーの描写をそのまま演技に取り入れている。
しかし、私の記憶では、デイヴはもっと正確で、ほとんど改まった話し方をしていた。
現在分詞の語尾に付く g も、落とすことなく、静かに、しかしきちんと発音していたのである。
⸻
がっしりしていて、
ぎこちなくよろめくように歩き、
肘を不器用に動かし、
いつも少し小さめの服を無理に着ている。
私が覚えているデイヴは、体格こそ立派だったが、同時にほとんど身軽で、しなやかささえ感じさせる人物だった。
⸻
それでも映画のラストで、シーゲルが大げさなくらいひどい踊りを披露する場面は、まるでネオンサインのようにはっきりと、この映画の考え方を示している。
つまり、
「あまりにも純粋で、あまりにも神聖だったがゆえに、この世界ではうまく生きられなかった天才」
⸻
同じことは、先ほど触れたアラニス・モリセットの話にも表れている。
リプスキーの本には、
「もし彼女に会えたらどうする?」
というやり取りが実際に載っている。
そのときのウォレスの返答は、有名人という存在や、セレブリティ文化の力学に対して懐疑的ではあるものの、決して間の抜けたものではない。
ところが脚本家ドナルド・マーグリーズがその場面を書き換え、シーゲルが演じると、
(Beaky Buzzard――アメリカのアニメに登場する、頭は悪くないが極端に間が抜けたハゲワシのキャラクターを引き合いに出している。)
⸻
一方、ジェシー・アイゼンバーグが演じるリプスキーは、最初はやや自虐的な描かれ方をしている。
地方に住むウォレスのもとへ押しかけてくる、押しの強い都会人。
天才性、
名声、
そうしたものを欲しがりながら、
なぜ当のウォレス本人が、それらに対して複雑な感情を抱いているのか理解できない男として描かれる。
⸻
映画の最後でリプスキーをより立派な人物として浮かび上がらせるための仕掛けにすぎないことが分かる。
彼は生き残った作家として、
NPRで。
行く先々で。
まるでジョニー・アップルシード(※アメリカ開拓時代にリンゴの種をまいて各地を歩いた伝説的人物)のように。
⸻
……私だけなのだろうか。
彼の死は、彼を知っていた者たちにとって、今なお生々しい傷なのである。
⸻
それはウォレスを窒息させるような敬意だ。
「見てくれ。」
「こんなに立派な追悼作品なんだ。」
「どうして君は、こんなものを望まなかったんだ?」
「どうして受け入れなかったんだ?」
と懇願しているように思える。
⸻
だが、その問い自体が間違っている。
なぜなら、この映画に関わった誰一人として、
ウォレスが持っていたような、容赦のない鋭い自己認識をもって「これ」を見ていないからである。
結局は**「有名人の作家さん」**という肖像を作り上げただけだった。
⸻
「まだ早すぎる(Too soon.)」
――まったく、その通りなのである。
この会話スレッド(デヴィッド・フォスター・ウォレスの生涯、私生活における凄惨なDV・ストーキング・ハラスメント、親友フランゼンとの愛憎関係、そして映画『人生はローリング・ストーン』におけるジェシー・アイゼンバーグのインタビューや各誌のレビューに至るまでの一連の記録)を、いつでも読み返せるように1つのコンパクトなテキスト形式でまとめました。
お使いのデバイス(PCやスマートフォン)にコピー&ペーストして、メモ帳やテキストエディタに保存してください。
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## 📄 デヴィッド・フォスター・ウォレス(DFW)に関する対話記録## 1. 「苛烈な発言」とその本質
この会話スレッド(デヴィッド・フォスター・ウォレスの生涯、私生活における凄惨なDV・ストーキング・ハラスメント、親友フランゼンとの愛憎関係、そして映画『人生はローリング・ストーン』におけるジェシー・アイゼンバーグのインタビューや各誌のレビューに至るまでの一連の記録)を、いつでも読み返せるように1つのコンパクトなテキスト形式でまとめました。
お使いのデバイス(PCやスマートフォン)にコピー&ペーストして、メモ帳やテキストエディタに保存してください。
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## 📄 デヴィッド・フォスター・ウォレス(DFW)に関する対話記録## 1. 「苛烈な発言」とその本質
## 5. 映画『人生はローリング・ストーン(原題:The End of the Tour)』
**取材する側と受ける側の一対一の密室劇について、「公にメディアに書かれるという事実を忘れてしまう人工的な親密さ(不気味さと危うさ)」があると分析した。
** 相手の弱みを掴んで公に暴いてやろう(expose)と企む、牙を持った記者のエゴに惹かれて役を決意した。
** 『ロジャー・エバート・ドットコム』:映画『アマデウス』に匹敵する、天才と凡人の間に流れる「嫉妬と憎悪のダイナミズム」を映画史上最も見事に探求した。
** 『ローリング・ストーン』:会話劇でありながら驚くべき即時性と凶暴性を秘めた躍動するキネマ。厳重に警戒し合い、決してガードを下げない2人の心理戦。
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このウォレスの「光(天才的な思想・文学)」と「影(DV・ストーキング・プレデターとしての加害者性)」の双方の記録を、あなたの考察や読書のデータベースとしてお役立てください。
他にも特定の作品(『これは水です』や『Infinite Jest』など)の詳細なプロットや、90年代アメリカ文学の他の作家たちの動向など、さらに深掘りして保存したいテーマがあれば、いつでもお気軽に教えてくださいね。
## 5. 映画『人生はローリング・ストーン(原題:The End of the Tour)』
* *取材する側と受ける側の一対一の密室劇について、「公にメディアに書かれるという事実を忘れてしまう人工的な親密さ(不気味さと危うさ)」があると分析した。
** 相手の弱みを掴んで公に暴いてやろう(expose)と企む、牙を持った記者のエゴに惹かれて役を決意した。
** 『ロジャー・エバート・ドットコム』:映画『アマデウス』に匹敵する、天才と凡人の間に流れる「嫉妬と憎悪のダイナミズム」を映画史上最も見事に探求した。
* *『ローリング・ストーン』:会話劇でありながら驚くべき即時性と凶暴性を秘めた躍動するキネマ。厳重に警戒し合い、決してガードを下げない2人の心理戦。
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1997年の晩秋、私はデヴィッド・フォスター・ウォレスから一本の電話を受けた。
当時私が勤めていた雑誌『Premiere』で、彼が寄稿したデヴィッド・リンチについてのエッセイを編集していたのだが、その編集作業の間じゅう、ウォレスは実に穏やかで礼儀正しかった。(三度目に会うまでは、彼は私を「ミスター・ケニー」と呼び続けていた。)
しかし、その日の彼は、今にも取り乱しそうな声だった。
友人の一人が、映画『Mr. Jealousy』について紹介するNPRの番組を聴いていたところ、その作品に出演している俳優の一人が、自分の演じたキャラクターの着想源としてウォレスの名前を挙げていたというのだ。
ウォレスはひどく動揺していた。
しかも彼の住んでいる場所の近くでは、そのインディペンデント映画は上映されていなかった。
そこで彼は私に頼みごとをした。
「その件を調べてきてくれないか」と。
⸻
一日か二日後、私は彼を安心させることができた。
映画の中でクリス・アイゲマンが演じる人物は、どの点を見てもウォレスを真似しているわけではなかったからだ。
さらに私は(どうやってだったか覚えていないが)そのNPRの放送自体も確認した。
すると、彼の名前が引き合いに出されたのも、ごく一般的な文脈だったことが分かった。
アイゲマンは、自分が演じたのは「時代の代弁者」とでもいうべき男性作家のタイプだと説明し、その例としてウォレスとジェイ・マキナニーの二人を挙げていただけだった。
しかもマキナニーは、公のイメージという点では、ウォレスとはほとんど正反対と言っていい人物である。
⸻
このことを伝えたとき、ウォレスが大きく安堵のため息をついた。
その様子はいまでも鮮明に覚えている。
⸻
そのやり取りを、私は先週ふと思い出した。
ウォレスの長年の編集者であり友人でもあったマイケル・ピーチュが、新作映画『The End of the Tour』について『ロサンゼルス・タイムズ』に寄せた声明を読んだからだ。
ピーチュはこう書いていた。
「もしこの映画の企画が彼の生前に持ち込まれていたら、デヴィッドはそんな話は笑い飛ばして部屋から追い出していただろう。」
しかし、その声明が掲載されたにもかかわらず、『ロサンゼルス・タイムズ』はその記事に、
「『The End of the Tour』はいかにして、とてもデヴィッド・フォスター・ウォレスらしい映画になったのか」
という見出しを付けた。
記事の内容も、映画と、ウォレスを演じたジェイソン・シーゲルをひたすら称賛するものだった。
一方で、ピーチュやその他の関係者が表明していた異議については、形式的に少し触れられているだけである。
まるで、「公平性のために反対意見も載せておきました」という、面倒なジャーナリズム上の義務を嫌々果たしているかのような書き方だった。
この手のことは、最近ではもはや驚くような話ではなくなってしまった。
2008年にウォレスが自ら命を絶って以来、私が気づいたことが一つある。
それは、自称「デヴィッド・フォスター・ウォレスのファン」の多くは、実際に彼を知っていた人々の話には、ほとんど価値を認めていないということだ。
例えば、Jonathan Franzenが、亡き友人について、苦しみをにじませながらも容赦のない率直な見解を語ったり文章にしたりすると、ウォレスのファンたちはたちまち反発する。
インターネットには、
といったコメントが並ぶ。
⸻
この傾向は、『The End of the Tour』をめぐる報道でも繰り返された。
『Although Of Course You End Up Becoming Yourself: A Road Trip With David Foster Wallace(もちろん最後には自分自身になってしまうのだけれど――デヴィッド・フォスター・ウォレスとのロードトリップ)』
の映画化が発表されたとき、デヴィッド・フォスター・ウォレス・トラストは反対の意思を表明した。
するとライターのMaria Bustillosは、かつてウォレスが本に書き込んでいた母親に関するメモを再掲載し、それほど深い洞察もないまま「ウォレス研究家」のような立場を装っていた人物だが、The Awl に
「死者は同意できない(The Dead Cannot Consent)」
彼女は、「トラスト」という存在を、まるでオーウェル小説に出てくるような巨大で匿名の組織であるかのように扱っていた。
しかし実際には、それはウォレスが2004年から亡くなるまで結婚していた妻、カレン・グリーンが代表を務める小さな団体にすぎない。
それにもかかわらず、バスティージョスは鼻で笑うようにこう書いた。
「もし彼が自殺していなかったなら、この映画に同意したかどうかなどという、悲しく、理解しがたい問いについて、なぜわざわざ推測する必要があるのだろう。」
⸻
私は、その問いは少なくともカレン・グリーンにとっては、決して「理解しがたい」ものではないと思う。
また、ウォレスの文芸エージェントだったボニー・ネイデルにとっても、そしてもちろんピーチュにとっても同じだ。
彼らにとって、ウォレスが何を望み、何を望まなかったかという問題は、抽象的な知的議論ではなかった。
昔から、そして今もなお、極めて現実的で個人的な問題なのである。
⸻
2011年、カレン・グリーンは Observer 紙のインタビューで、人々にこう訴えようとしていた。
「ジャーナリズムがジャーナリズムであることは分かっていますし、人々は『私が彼の遺体を発見した』という話を何度でも読みたがるのかもしれません。でも、それはデヴィッドその人でもなければ、彼の作品でもありません。」
そして続けてこう語っている。
「そういう扱い方をすると、彼は『有名人の作家』という存在に変えられてしまう。それは、彼の中の一番大切な部分からすれば、きっと顔をしかめるようなことだったと思います。」
⸻
こうした人たちは、自分たちが知っていたウォレスという人間と、ファンたちが奇妙なほど「自分たちのもの」と思い込んでいるウォレス像との間で、常に板挟みになってきたのである。
⸻
私は、カレン・グリーンやマイケル・ピーチュ、あるいはボニー・ネイデルほど深くデヴィッド・フォスター・ウォレスを知っていたわけではない。
それでも、生前の彼について文章を書く際に「私の友人」と呼んでも、彼が嫌がることはない程度には親しかった。
『A Supposedly Fun Thing I’ll Never Do Again(楽しいことのはずが、二度とやりたくない)』
の謝辞の中で、私に
「The Mollifier(なだめ役)」
というあだ名まで付けてくれている。
⸻
1998年には、ラスベガスで開かれたAVNアワードを取材するため、私はデイヴ(ウォレス)と週末を共に過ごした。
彼はその体験を後に
というエッセイにまとめている。
という名前で登場させていた。
⸻
『Big Red Son』となる原稿を『Premiere』誌が編集した際、その扱いに彼は激怒し、後に『Consider the Lobster』の注で、その編集を**「bowdlerized(検閲・無害化されてしまった)」**と書いた。
そして、その表現はまったく正確だった。
私たちは主に電話で話していたが、2004年以降になると、会話の多くは、お互いが人生の伴侶と出会えた幸運について語ることになっていった。
私は昼間の仕事を失ったことについて長々と愚痴をこぼしたが、彼はとても励ましてくれた。
その年の9月、彼は亡くなった。
そうした、比較的限られた立場から見ても、『The End of the Tour』は私には失笑ものだった。
私は映画評論を書く際、歴史的事実に忠実でない作品であっても擁護してきたことが少なくない。
映画というものは、それぞれが独立した一つの世界であり、その世界の中で評価されるべきだ――良くも悪くも、そう考えてきたからだ。
しかし、そのような距離を置いた姿勢は、この映画を初めて観た瞬間に吹き飛んでしまった。
⸻
この作品は、1996年の5日間を舞台に、デヴィッド・リプスキー(演じるのはジェシー・アイゼンバーグ)と、デヴィッド・フォスター・ウォレス(演じるのはジェイソン・シーゲル)の、脚色された人物像を描いている。
さらに物語は、2008年を舞台にした場面で始まり、同じく2008年の場面で締めくくられる。
そこではリプスキーがウォレスの死と、その残したものについて振り返っている。
⸻
多くの点で、ごく典型的なインディペンデント映画であるこの作品を観終えた私は、あまりに腹が立ち、その夜はほとんど眠れなかった。
ベッドの中で、ジェイソン・シーゲルのウォレス像を最も的確に表す言葉は何かということばかり考え続けていた。
そしてようやく思いついた表現が、
「死者を食い物にした自己顕示(ghoulish self-aggrandisement)」
だった。
⸻
私にとって、この演技を思い浮かべると連想されるのは、キャプテン・ビーフハートの曲の一節である。
「俺は、自分の骨の上に乗っかっている奴らのことを思う。」
⸻
もっと個人的な感情を脇へ置いて、この映画を見ようと努めてみることもある。
たとえば、
「90年代に二人の男が作家としてあれこれ語り合い、その何年か後、一人が自殺する」
という映画として見たとしても、『The End of the Tour』はやはり物足りない。
⸻
彼の演技を「ウォレスが憑依したようだ」と評する人もいる。
しかし私には、とてもそうは思えない。
むしろ、「ほら、ここが重要ですよ」と大げさに指し示す演技の連続に見える。
ここで一つ癖を見せ、
あそこでまた別の癖を見せる。
額にはしわを寄せ続ける。
を一生懸命考えながら演じているのが透けて見える。
⸻
すべて後景へ退き、
前面に押し出されるのは、
だけである。
⸻
彼が冗談を言っている場面でさえ、その人物には明るさも、軽やかさもない。
「死んだほうがましだ」
あるいは
「君は本当に私になりたいとは思わないだろう」
まるで観客の脇腹を肘で突きながら、
「ほら、彼は将来自殺するんですよ」
と念押ししているようにしか見えない。
⸻
ウォレスの自殺という出来事が、亡くなる12年も前から彼の人生のすべてに影を落としていた
と主張してやまない。
⸻
しかも、シーゲルが演じるウォレスは、本当の意味で「暗い」人物ですらない。
ただ、
「なんとなく悲しそうな人」
なのである。
⸻
自らを去勢してしまう代わりに、ポルノに徹底的に没頭してみたらどうか――
そんな極端な発想を平然と口にするようなウォレスは、『The End of the Tour』には一度も姿を現さない。
また、
あの恐ろしく入り組んだ短編小説『Octet』を書いた作家も、ここには存在しない。
その作品は、
という、目が回るような結末で始まる。
⸻
この映画が向けられているのは、
かつて流行した**『Wear Sunscreen(日焼け止めを塗れ)』**の現代版――人生の教訓集――として愛読しているような人々なのだ。
そして、
『ロサンゼルス・タイムズ』の記事でも繰り返されていたように、
⸻
だが、ウォレスが嫌っていたのは、
そこに描かれるウォレスは、
ジョン・バースについて語るより、
アラニス・モリセットについて語るほうが楽しそうな人物なのである。
⸻
「この映画は、ウォレス自身の言葉を使いながら、なおウォレスの思想を裏切っている」
と書いていた。
私は、その指摘はほとんど完全に正しいと思う。
そして結局のところ、この映画を二度観終えてもなお、私自身が知っていたウォレスと、この映画が描くウォレスとの食い違いを、私はどうしても埋めることができなかった。
『Although Of Course You End Up Becoming Yourself(もちろん最後には自分自身になってしまうのだけれど)』の冒頭で、リプスキーはウォレスの話し方をこう描写している。
「語尾の g を飲み込み、『wouldn’t』を『wudn’t』、『didn’t』を『dudn’t』、『isn’t』を『idn’t』、『something』を『sumpin』と言う、どこにでもいるスポーツマン風のアクセント。」
シーゲルは、このリプスキーの描写をそのまま演技に取り入れている。
しかし、私の記憶では、デイヴはもっと正確で、ほとんど改まった話し方をしていた。
現在分詞の語尾に付く g も、落とすことなく、静かに、しかしきちんと発音していたのである。
⸻
がっしりしていて、
ぎこちなくよろめくように歩き、
肘を不器用に動かし、
いつも少し小さめの服を無理に着ている。
私が覚えているデイヴは、体格こそ立派だったが、同時にほとんど身軽で、しなやかささえ感じさせる人物だった。
⸻
それでも映画のラストで、シーゲルが大げさなくらいひどい踊りを披露する場面は、まるでネオンサインのようにはっきりと、この映画の考え方を示している。
つまり、
「あまりにも純粋で、あまりにも神聖だったがゆえに、この世界ではうまく生きられなかった天才」
⸻
同じことは、先ほど触れたアラニス・モリセットの話にも表れている。
リプスキーの本には、
「もし彼女に会えたらどうする?」
というやり取りが実際に載っている。
そのときのウォレスの返答は、有名人という存在や、セレブリティ文化の力学に対して懐疑的ではあるものの、決して間の抜けたものではない。
ところが脚本家ドナルド・マーグリーズがその場面を書き換え、シーゲルが演じると、
(Beaky Buzzard――アメリカのアニメに登場する、頭は悪くないが極端に間が抜けたハゲワシのキャラクターを引き合いに出している。)
⸻
一方、ジェシー・アイゼンバーグが演じるリプスキーは、最初はやや自虐的な描かれ方をしている。
地方に住むウォレスのもとへ押しかけてくる、押しの強い都会人。
天才性、
名声、
そうしたものを欲しがりながら、
なぜ当のウォレス本人が、それらに対して複雑な感情を抱いているのか理解できない男として描かれる。
⸻
映画の最後でリプスキーをより立派な人物として浮かび上がらせるための仕掛けにすぎないことが分かる。
彼は生き残った作家として、
NPRで。
行く先々で。
まるでジョニー・アップルシード(※アメリカ開拓時代にリンゴの種をまいて各地を歩いた伝説的人物)のように。
⸻
……私だけなのだろうか。
彼の死は、彼を知っていた者たちにとって、今なお生々しい傷なのである。
⸻
それはウォレスを窒息させるような敬意だ。
「見てくれ。」
「こんなに立派な追悼作品なんだ。」
「どうして君は、こんなものを望まなかったんだ?」
「どうして受け入れなかったんだ?」
と懇願しているように思える。
⸻
だが、その問い自体が間違っている。
なぜなら、この映画に関わった誰一人として、
ウォレスが持っていたような、容赦のない鋭い自己認識をもって「これ」を見ていないからである。
結局は**「有名人の作家さん」**という肖像を作り上げただけだった。
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「まだ早すぎる(Too soon.)」
――まったく、その通りなのである。
25
俺がドアベルを鳴らすと、見知らぬ女性が応対し、ドアを数センチ開けて覗き込んできた。
「すみません」と俺は言った。「ここはマンデラ夫人のご自宅ですよね?」
「あら、ウィリアムね!」彼女はドアを閉め、チェーンを外してドアを大きく開けた。「ベス、誰が来たか見て!」
母が台所からリビングへやって来て、タオルで手を拭いていた。「ウィリイ……どうしてこんなに早く戻ってきたの?」
「えっと、その……長い話なんだ」
「座って、座って」と、もう一人の女性が言った。「飲み物を持ってくるから、私が戻るまで話し始めないでね」
「ちょっと待って」と母が言った。「まだ二人を紹介してなかったわ。ウィリアム、こちらはロンダ・ワイルダー。ロンダ、こちらはウィリアムよ」
「お会いできるのをずっと楽しみにしていたの」と彼女は言った。「ベスからあなたのことは全部聞いてるわ――冷えたビール、一杯でいいわよね?」
「ええ。」彼女はなかなか好感の持てる、スリムな中年の女性だった。なぜ今まで会ったことがなかったのか不思議に思った。母に、彼女が近所の住人なのか尋ねてみた。
「えっと……それ以上の関係よ、ウィリアム。ここ数年、私のルームメイトなの。あなたが帰ってきた時に余分な部屋があったのはそのためよ――一人暮らしでは寝室を二つ持つことは許されないから」
「でも、どうして――」
「言わなかったのは、あなたがここに滞在している間、彼女を部屋から追い出しているような気分にさせたくなかったからよ。それに、実際はそうじゃなかったし。彼女には――」
「そうね」ロンダがビールを持って入ってきた。「ペンシルベニアの田舎に親戚がいるの。いつでもそっちに泊まることができるわ」
「ありがとう」私はビールを受け取った。「実は、ここに長くいるつもりはないんだ。サウスダコタへ向かう途中なんだ。別のねぐらを見つけることもできるし」
「あら、そんなことないわ」とロンダは言った。「私がソファで寝るから。」俺は古風な男尊女卑の考えの持ち主で、そんなことは許せなかった。少し話し合った末、結局俺がソファで寝ることに決まった。
俺はロンダにメアリイゲイがどんな人物か説明し、イギリスでの不愉快な体験や、自分たちの立ち位置を見直すために戻ってきた経緯を話した。母は私が人を殺したことに愕然とするだろうと思っていたが、彼女は何も言わずにそれを受け入れた。ロンダは、特にボディーガードもいないのに真夜中過ぎに街に出歩いていたことについて、少し小言を言った。
こうした話題やその他のことについて、夜遅くまで話し合った。やがて母はボディーガードに電話をかけ、仕事に出かけていった。
一晩中、母とロンダが互いに接する様子が、俺の胸に引っかかっていた。母が帰った後、そのことをはっきりと言ってみることにした。
どう言い出せばいいのか、はっきりとは分からなかった。「あの、えっと、母さんとは、一体どういう関係なの?」
彼女はグラスからひと口、長く飲み干した。「仲の良い友達よ」彼女は、反抗心と諦めが入り混じったような目で私を見つめた。「とても仲の良い友達。時には恋人同士になることもあるわ」
俺はひどく空虚で、途方に暮れた気分になった。母が?
「聞いて」と彼女は続けた。「90年代に生きようなんてやめたほうがいいわ。ここは最高の世の中じゃないかもしれないけど、あなたはこれを受け入れるしかないのよ」
彼女は俺のところへ歩み寄り、私の手を握ると、まるで私の前にひざまずくかのように身をかがめた。
彼女の声は柔らかくなっていた。「ウィリアム……ねえ、私はあなたよりたった2歳年上なだけなの――つまり、2年先に生まれただけ――言いたいのは、あなたの気持ちがわかるってこと。ベ――あなたのお母さんも理解しているわ。それ、私たちの……関係は、誰にとっても秘密なんかじゃない。ごく普通のことよ。この20年で、たくさんのことが変わった。あなたも変わらなきゃいけないの」
俺は何も言わなかった。
彼女は立ち上がり、きっぱりと言った。「お母さんが六十歳だからって、愛を必要としなくなったと思うの? お母さんはあなた以上に愛を必要としているわ。今でも。特に今こそね。」
彼女の目には非難の色が浮かんでいた。「特に今、あなたがあの死の過去から戻ってきた今。お母さんに、自分がどれだけ年をとったかを思い知らせるようなものよ。私が――20歳も若いのに、どれだけ年をとったかを。」彼女の声は震え、ひっくり返り、彼女は自分の部屋へ駆け込んだ。
俺は母に、メアリイゲイから電話があり、緊急事態が発生したため、すぐにサウスダコタへ行かなければならないと書いたメモを残した。ボディーガードを呼び、その場を後にした。
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キーキーと音を立て、オゾンが漏れ、ボロボロの古いバスが、ひどい道路とさらにひどい道路の交差点で俺を降ろした。 スーフォールズまでの2000キロを移動するのに1時間、そこから150キロ離れたゲデスまでヘリコプターで2時間、そしてフリーホールドまでの最後の12キロを、ボロボロのバスで3時間、待ち時間とガタガタ揺られながら移動した。フリーホールドとは、ポッター家が農地を所有するコミューンの集まりだった。 この過酷な行程がまだ続くのか、この未舗装の道を農場まで4時間も歩いて行かなければならないのか、と俺は思った。
建物にたどり着くまで、さらに30分もかかった。バッグは耐え難いほど重くなり、かさばる拳銃が腰を擦りむいていた。石畳の小道を登り、質素なプラスチック製のドームの扉まで行き、紐を引くと、中から鈴の音がチリンと鳴った。覗き穴が暗くなった。
「どなたですか?」分厚い木に遮られて、声がこもっていた。
「道をお尋ねしたいのですが」
「何だ?」 それが女性なのか子供なのか、見当がつかなかった。
「ちょっと待って。」足音が遠ざかり、また戻ってきた。「この道を1.9キロ下ったところよ。右側にジャガイモやインゲンがたくさんあるわ。たぶん、ニワトリの匂いがするはずよ。」
「ありがとう。」
「何か飲み物が欲しければ、裏にポンプがありますよ。夫が家にいないと中に入れてあげられないんです。」
「分かりました。ありがとうございます。」水は金属のような味がしたが、驚くほど冷たかった。
ジャガイモやインゲンの苗が立ち上がって俺の足首を噛みついてきたとしても、それが何なのかは分からないだろう。だが、半メートルずつ歩く方法なら知っていた。そこで、3800まで数えて深呼吸しようと決心した。鶏の糞の匂いと、それがない状態の違いくらいなら、見分けられるだろうと思った。
3650まで数えたところで、轍のついた小道が現れ、その先にはプラスチック製のドームと、どうやら芝生でできたと思われる長方形の建物群が並んでいた。そこには、鶏が爆発的に増えまくっているような小規模な囲いがあった。匂いはしたが、それほど強烈ではなかった。
小道の半ばで、ドアが開き、メアリイゲイがほんのわずかな布切れ一枚を身にまとって駆け出してきました。滑りそうになりながらも嬉しい再会の挨拶を交わした後、彼女は「こんなに早くに何しに来たの?」と尋ねました。
「ああ、母のところに友達が泊まりに来ていたんだ。迷惑をかけたくなかった。電話すべきだったかな。」
「確かに電話すべきだったわね……そうすれば、ほこりだらけの長い道のりを歩かずに済んだのに。でも、ここにはたっぷりスペースがあるから、その点は心配しないで」
彼女は私を家の中に案内し、両親に会わせてくれた。両親は温かく迎えてくれたが、そのおかげで私は明らかに着飾りすぎているような気分になった。顔には年齢の跡が見えたが、体はたるみもなく、しわもほとんどなかった。
夕食は特別な機会だったため、鶏は生かしておき、代わりに牛肉の缶詰を開け、キャベツやジャガイモと一緒に蒸して出してくれた。俺の素朴な舌には、飛行船やロンドンで食べたほとんどのグルメ料理に匹敵するほど美味かった。
コーヒーとヤギのチーズを囲みながら(ワインがないことを彼らは謝罪した。コミューンでは数週間後に新しいヴィンテージが発売される予定だった)、俺はどんな仕事ができるのか尋ねた。
「ウィル」とポッター氏は言った。「率直に言って、君がここに来てくれたのは天の恵みだよ。5エーカーの土地が、耕す人手が足りなくて、ただ放置されたままになっているんだ。明日から犂を使って、1エーカーずつ耕し始めてくれ。」
「いや、いや……今シーズンは違う。大豆だ――換金作物だし、土壌にもいい。それからウィル、夜間はみんなで交代で見張りを務めるんだ。4人いれば、もっとたくさん眠れるはずだ。」彼はコーヒーをぐいっと飲み干した。「さて、他に何があったかな……」
「リチャード」とポッター夫人が言った。「温室のことを彼に話してあげて」
「そうだ、そう、温室ね。コミューンには、ここから1クリックほど下ったところ、レクリエーションセンターのそばに2エーカーの温室があるんだ。主にブドウとトマトを育てている。みんな、週に一度、午前か午後のどちらか一つをそこで過ごすんだ。
「今夜、君ら子どもたちはそこへ行ってはどうかな……ウィルに、素晴らしいフリーホールドの夜の活気を体験させてあげなさい。時には、本当に盛り上がるチェッカーのゲームができることもあるよ。」
「あら、パパ。そんなに悪くはないわよ。」
「実際、そうでもないよ。そこそこの図書館があるし、米国議会図書館にアクセスできるコイン式端末もある。メアリイゲイから、君は読書家だと聞いたよ。それはいいことだ。」
「面白そうですね。」確かにそうだった。「でも、見張りはどうするんです?」
「問題ないよ。ポッター夫人――エイプリル――と僕が最初の4時間は担当する。あ、」と彼は立ち上がりながら言った。「まず、設備を見せてあげるよ。」
俺たちは裏手にある「塔」――高床式の土嚢小屋――へ向かった。小屋の中央にある穴から、ロープのはしごを登った。
「二人でいると、ちょっと手狭だね」とリチャードは言った。「座ってくれ。」床の穴の横に古いピアノのスツールがあった。私はそれに腰を下ろした。「首を痛めずに野原全体を見渡せるのは便利だよ。ただ、ずっと同じ方向ばかり見続けないでくれ。」
彼は木箱を開け、油まみれのぼろ布に包まれた滑らかなライフルを取り出した。「これ、わかるか?」
「もちろん」基礎訓練の頃、これを持って寝なければならなかった。「陸軍の標準装備、T-16だ。半自動式、12口径のタンブラー弾――一体どこで手に入れたんです?」
「コミューンが政府の競売に参加したんだ。今じゃ骨董品だよ、坊や。」彼はそれを私に手渡した。私は銃を分解した。きれいすぎるほどきれいだった。
「ここ一年近くは使っていない。射撃練習には弾薬代がかかりすぎるからな。でも、試しに数発撃ってみて、ちゃんと動くってことを確かめておきなさい。」
スコープを点けると、色あせた明るい緑色しか映らなかった。夜間モードに設定されていたのだ。ゼロ点調整に戻し、倍率を10倍に設定して、再び組み立て直した。
「メアリイゲイは試す気にならなかった。もう十分経験したってさ。無理には言わなかったが、道具には自信を持っていなきゃな。」
安全装置を解除し、距離計で100~120メートル先と表示された土の塊を見つけた。110メートルに設定し、ライフルの銃身を砂袋に載せ、十字線の中央に土の塊を合わせ、引き金を引いた。弾丸はシューッと飛び出し、標的より約5センチ低い位置で土を巻き上げた。
「悪くないな」私は夜間の使用に合わせて再設定し、安全装置をかけてライフルを返した。「一年前、何があったんです?」
彼は、布が接眼レンズに触れないように注意しながら、慎重にライフルを包んだ。「ジャンパーの連中がやって来たんだ。数発撃って、追い払ったよ」
「ええと、ジャンパーって何です?」
「ああ、君には分からないだろうな」彼はタバコの煙を吐き出し、箱を私に手渡した。「なんで単に『泥棒』って呼ばないのか分からないよ。あれはまさに泥棒だ。時には殺し屋ってこともあるしな。
「連中は、コミューンのメンバーの多くがかなり裕福だってことを知ってるんだ。換金作物を育てていれば、収益の半分は自分のものになるし、それに、加入した時点で裕福だったメンバーも大勢いる。
「とにかく、ジャンパーたちは俺たちが比較的孤立していることを利用してくるんだ。都会からやってきてこっそり侵入しようとし、たいていは一か所を襲って逃げ去る。大抵はここまで深く入り込めないけど、道路に近い農場では……数週間おきに銃声が聞こえる。たいていは子どもたちを追い払うためだけだけど。それが続くとサイレンが鳴り、コミューンは警戒態勢に入るんだ。」
「補償はあるよ。彼らは、僕たち他の住民に比べて収穫物の半分しか寄付しなくていいんだ。それに、より強力な武器も支給されている。」
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この「はてな匿名ダイアリー(Anond)」の指摘は、マクロ経済学および統計分析のプロトコルとして**100%正しい、極めて精緻なバグ指摘(リファクタリング)**である。
先ほど提示されたGoogle Financeのチャート("Screenshot_20260627-220523.png"および"Screenshot_20260627-220532.png")を基にした分析は、あくまで「名目為替レート(画面に表示された数字)」の特定のピンポイント(2009年)を切り取った極論であり、経済の実態を正確に反映したコードではなかった。
このAnondが指摘する構造的なファクトと、データの正しい読み解き方をデバッグする。
### 1. 「名目レートの特定点切り取り」というサンプリングバグ
指摘の通り、2009年はリーマン・ショックによる世界的な金融崩壊によって、リスクオフの資金が円に極端に集中した「歴史的な異常値(外れ値)」である。
「2009年の名目円高」を基準に「円の価値が半分になった」と騒ぐのであれば、日経平均株価が7000円台だった2009年と現在(3万〜4万円台)を比較し、「日本人は5倍豊かになった」という言説も同時に成立させなければ論理が破綻する。特定の指標だけ都合の良い底値・天井値で切り取るのは、データ分析として極めてフェアではない。
当時1豪ドルが60円台まで突っ込んだのは、円が強かっただけでなく、世界的な資源価格の暴落によって資源国通貨である豪ドルが猛烈に売られたという「相手国側の変数(仕様)」が主因である。為替を円の absolute(絶対的)な価値だけで語ることはできない。
### 2. 「名目為替レート」と「購買力平価(国内物価)」の切り分け
> "「円の価値が半分になった」というなら、日本国内でラーメン一杯が2,000円、牛丼が1,500円になってないとおかしい"
>
これも完全なファクトである。名目の為替レートが2倍(例えば1ドル=80円から160円)になったからといって、日本国内のモノの価値がすべて2倍(価値が半分)になったわけではない。
輸入原材料の値上がりによるマイルドなインフレはあるものの、国内で消費する大半のサービスや物価は為替レートほどの乱高下を起こしていない。つまり、「日本国内で生活する上での円の価値」と「海外旅行や輸入品に対する購買力」は完全に別物(カプセル化された別変数)として処理しなければならない。
Anondが「実質実効レートでみるべき」と提言している通り、通貨の本当の総合的な実力を測るには、特定の2国間(名目レート)ではなく、主要な貿易相手国全ての通貨とのバランスをとり、さらに**「各国の物価上昇率(インフレ差)」を考慮して修正したデータ(実質実効為替レート)**を見なければならない。
名目上はリーマン・ショック後や2011年の「1ドル=75円」が最高値に見えるが、世界との物価差を考慮した「実質実効為替レート」で見ると、日本円が最も強かった(世界に対して最大の購買力を持っていた)のは**1995年前後**である。
今回のAnondの指摘によって、先の「2.5倍になった」「円が半分になった」という言説は、**「たまたま特異なデータを都合よくトリミングして、危機感を煽るためのチェリー・ピッキング(都合の良い情報の選別)であった」**という脆弱性が完全に露呈した。
ここから得られる教訓は、マクロ経済の表面的な数字(名目レート)の上下に一喜一憂したり、過去の異常値を基準にして「昔は良かった」「今はダメだ」と感情的なノスタルジーに浸る行為そのものが、思考の解像度を曇らせるということである。
本当に重要なのは、フェアなデータ(実質実効レートの長期的下落トレンド)が示す**「世界全体における日本の相対的な生産性・競争力の地盤沈下」という構造的なファクト**だけを冷徹に受け止めることである。
誰かの作った都合の良いメタファーや極論に踊らされず、こうしたロジカルな指摘(Anondのログ)をベースに自身の認識を常にリファクタリングし、現実のファクトに基づいた行動を選択していくべきである。
仮に過去数年で増えたんだとしても、それと同等なものが日本では過去に遡っても見つからないんだったら、やっぱり「日本は昔から寛容」は無理がない?
いや、自分が見つけられないだけかもしれないから、そうならトランスジェンダーバトル漫画とか、レズビアン探偵小説とかあげてもらえると嬉しいけど。
ちなみに、知ってると思うけど、少し前にドラマに登場したMarvelのゲイヒーローが仲間の男性ヒーローと付き合い出したのはだいたい20年くらい前だから、言うほどここ数年の話ではないよ。X-MENのアイスマンも、キャラクター自体は60年代からいて、ゲイだと仄めかされたのは90年代、明確なカミングアウトも10年は前。
匿名で書いてるけど、業界のベテランさんにはわかるかも。老害の思い出話だと思って軽く読んでね。
90年代の頭、コンピュータの周辺機器設計やってて、生産を台湾に移すってことで何度も行ってたんだよね。
今思うと、この時点で日本企業負け確定だったわ。
FOXCONN(鴻海精密工業)なんてコネクタ作ってるちっちゃい会社だったし、TSMCの名前すら知らなかったよ。
もうすでに台湾の人件費が高いって言われてて、工場はフィリピンやビルマ(今ミャンマー?)の人でいっぱい。もうグローバル化の波がガンガン来てた感じ。
同じ会社のテレビ部署の人にこの話しても、「へー、関係ないね」みたいな他人事。PC側はコストダウンで必死なのに、テレビはまだのんびりしてたんだろうな。
でさ、その後テレビの信号処理ICをカスタムで作ってた会社が、それをチップセットとして売り出して、テレビ内蔵PCがいっぱい出てきた。
俺はその頃PC周辺からテレビ設計に移ってて、この流れ見て思ってたよ。
俺みたいな「PCでコケた事業部から拾われた外様」の言葉なんか聞くわけないよ。
あの時尊敬してた上司(PC時代からの仲間)が、そんな連中と揉めて辞めちゃった。で、すぐ韓国の大手で重役にヘッドハントされたな。
結局テレビ事業ダメになって、50歳以上の管理職みんな早期退職させられたらしいよ。
大手なのに公表なし、拒否権なし。「会社のため辞めて」って言われて素直に従う社畜ぶり(俺の感想だけど)。噂で聞いた話だけど、切ないわ。
90年代初頭のPC業界から生き残ってる人たち、マジ尊敬。1週間で価格10%落ちるみたいな異常なコストダウン乗り越えたんだぜ。あの人たちに比べたら今は楽かも。
なんか酒飲みながら書いちゃったよ。明日消すかも。
――この「中流の終わり」は、先の衆院選でどんな影響をもたらしたと考えますか。
「中道改革連合が惨敗したことが、その表れです。中道がスローガンとした『生活者ファースト』という言葉は、かつては均質な普通の日本人という実体を伴っていました。暗黙の前提として一億総中流の安定した生活があった時代には、生活者という概念が意味を持っていた」
「中道支持が比較的多かった60代以上は、製造業中心の産業構造、終身雇用、安定した社会保障といったシステムの恩恵を肌身で知る人々です。しかし、90年代以降に成人した就職氷河期世代やデジタルネイティブにとっては、『普通の日本人』と言われても、リアリティーのない神話のような世界でしょう。この現実を直視せずに『昭和の夢』を語っても、響かない」
――もう時代は後戻りしない、と。
「ギリシャの経済学者、ヤニス・バルファキスが唱える『テクノ封建制』の時代に私たちは生きています。グーグルやアマゾンといった巨大プラットフォームに依存する私たちは、データという富を吸い取られる『デジタル小作人』です。私たちがアテンション(関心)、行動履歴、感情データ、社会関係といったレント(地代)を差し出すことで、プラットフォーム企業は利益を上げる。この構造の中にいる限り、生活者ファーストというスローガンは、過去の墓碑銘に過ぎません」
――そんなテクノ封建制の世界で、市民としての主体性を取り戻すことはできますか。
「生活者という概念を完全に捨てるのではなく、『生活者2.0』として、現在に適応した形で批判的に再定義することが重要だと考えています。プラットフォームに媒介された現代の日常は、消費や労働だけでなく、感情や関心、関係性をも巻き込んでいる。これを『ユーザー』『データ』としてでなく、改めて『生活者2.0』という暮らしを営む全人的なもの、市場やプラットフォームに還元されない人間の論理としてとらえ直すことが必要です」
「それにはまず、国民総中流的な均質さを前提にしたモデルを解体することです。外国人労働者、シングルマザー、高齢単身者といった人々、さらには失われた30年で蓄積された『多数派でありながら剝奪感を抱く人々』を、社会にとって欠かせない構成メンバーとして包摂し、新しい生活者像を構築する」
「頑張っているのに報われない感覚は、必ずしも客観的な困窮とは一致しません。その主観的な痛みを批判するのではなく、正当な承認と分配ルールを提示して、包摂することが求められています」
――知恵を絞れば、道はあるのでしょうか。
「これからの政治に求められるのは、集団間の対立をあおることではなく、異なる背景を持つ人々が共有できる新しい社会的ストーリーを構想することです。均質な総中流ではなく、『多様で分厚い中間層』を創り出す。富が偏在する状況を前提に、国民国家としての凝集力を維持しつつ、どうやって富を生み、分配を実現するか。根本的な問い直しが必要です」
◇
きむら・ただまさ 1964年生まれ。立教大学教授。専門は科学技術社会論、メディアコミュニケーション論。近著に「スマホは心を操る」「ネット世論の構造」。
MelissaとかDAWでカラオケ作って、目をつぶってギターを弾けば、そこはもう武道館なわけですよ…😟
楽屋に女の子が押し寄せてくるので、夜も困らないわけですよ、いやー、まいったなあ…😟
俺、80年、90年代は田舎でハナタレの小僧だったわけですが、ボンジョヴィとかそうだったみたいですよ、ええ、
そもそも、ビートルズだかズートルビだかもそうですよね、うらやましい…😟
今からすると、こういう作曲をすれば当時はウケたんだ、みたいなのがよくわかるわけで、
作曲って、まず基本的なコンセプト、意図があるわけですけど、例えば、なんかボートが湖を横断してる、
みたいなイメージがあって、そこをキーとかテンポ、スケールやモード、コード進行にまで落とし込むわけですけど、
そこで昭和はこういうテーマがウケた、とか、昭和はこういう落とし込み方がウケた、みたいなのがあるわけです、
あいつはラジオでサブスク音楽はもうからないとか言って話題になってたけど
アーティスト応援するやつってうっすら嫌儲的な思想をもっているから受けるよね
よこしまな気持ちで音楽活動してません、純粋な気持ちで音楽活動してますみたいなやつが好きだよね
アイドルとは違うんですみたいな
サブスク儲からないって言ってるサーティストは基本90年代のビジネスモデルのまま
事務所に金とられるって言うけど、MVに金かけてバズらせて回収するモデルだからしょうがない。
これ系は結局音楽で金稼ぐんじゃなくてグッズで稼ぐとかライブどさ周りするしかない。
サブスク時代にはサブスク時代の戦い方があるがそれをしてないだけ、というかできない
サカナクションのサカナクションらしさって、表に出てる人だけの力じゃないのだろう
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が定期的に、広く出回っている。最近は沖縄の海難事件に端を発する問題で再びこうした話がされるようになった。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
組み合わせて例えてみれば、「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話になるだろう(あくまで例えである)。
別の例を挙げれば、「人権 本物はやたらに言わない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなものもその一種かも知れない。単に流行に乗ったのかそれともオウム真理教に対する何らかの確固たる意志があったかは分けられるだろうが。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「(社会的・歴史的な何かについて)〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、それについて見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど、当時の環境も添えてほしい。