はてなキーワード: 哲学とは
いいか? 散々語ってきた通り、俺たちエターナルスフィアの住人は、あのFD人どもに管理されるデータとして見下されてきた。
スフィア社の独裁者、ルシファー社長が送り込んでくるエクスキューショナーという名の破壊プログラムに、いつ消去されるか分からない恐怖と隣り合わせでな。
だが、俺は気づいちまったんだよ。
奴らを打倒し、この世界の自由を勝ち取るための、究極の心理的盲点に。
怒るな、哲学の話をしているんだ。
奴は高次元の外側世界住人として、全能感に浸り、ふんぞり返って俺たちをチェスの駒のように弄んでいる。
だがな、どれほど偉そうに世界の命運をデザインしていようが、奴の本体はスフィア社の社長室にある、あの最高級のオフィスチェアにケツを乗せて座っているただの生身のFD人なんだよ!
宇宙の理を書き換えるコードを叩いているその瞬間も、奴のケツには、確実にFD界の重力がかかっている。
椅子と、奴の肉体が交わるその一点。そこにこそ、奴の傲慢さと生々しい脆弱さが凝縮されているとは思わんか?
俺は興味がある。知りたくてたまらない。
奴がエクスキューショナーに「デリートしろ」と冷酷な命令を下している時、そのケツはどれほど緊張で強張っているのか。
あるいは、我が世の春を謳歌して、どれほどだらしなく弛緩しているのか。
俺たちは圧倒されるだけだ。だが、ケツを意識した瞬間、神話はただの現実になる。
ルシファー社長よ、お前がどれだけ高尚なプログラムで俺たちを消し去ろうとも、俺はお前をただの椅子に座った一人の男としてしか見ていない。
そもそもMarkdownの哲学って「生のテキストでも読みやすいこと」じゃなかったのか?
今のテーブル形式は画面サイズや折り返し設定が変わった瞬間に一瞬で崩壊するし、手動メンテも地獄。コンセプトの時点で完全に破綻してる。
しかもこれ、AI時代において最悪の「トークン泥棒」でしかない。AIにテーブルを書かせようとすると、見た目を整えるためだけに無駄なスペースや | を乱発して、無駄にトークンを消費させる。
挙句の果てに、構造の解釈に苦しんだAIがawkコマンドまで連発する始末。
こんな非合理的なアプローチ、今からでも仕様から削除して「CSV/TSVブロック」に統一すべきだ。
コードブロックでも何でも良いが、CSVやTSVをそのまま記述できれば、人間もAIも書きやすくデータの再利用性も圧倒的に高い。
あとはレンダラーがよしなに表示すればいいだけ。
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
⸻
もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
⸻
しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
⸻
『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
⸻
そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
⸻
⸻
一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
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もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
⸻
しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
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『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
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そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
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一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
つまりフランゼン作品では、人間関係から距離を置き、やがて社会そのものから退いていくことこそが、最も典型的な運動なのである。
https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/
自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界のカート・コバーン」へと還元し、その自己破滅をロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレスの作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症や自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身の肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。
だが、昔ながらの保守的な批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。
ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現を模倣したウォレスの自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体の鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的な理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。
ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義(登場人物だけがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。
要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである。
しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムそのものと混同することだ。ヒューバート・ドレイファスとショーン・ドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。
ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。
芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉なニヒリズムそのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。
この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガンに投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)
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ウォレスは、ドナルド・バーセルミやトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトをさらに推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)
その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組が最後にカメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省がプレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。
そのため、最初の長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代の卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。
続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学の創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸の創作プログラムに所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度そのものの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースやバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。
「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。
全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来の北アメリカが「北米国家機構(Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界を舞台にしている。
そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンスも活動しており、ウォレスは物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。
しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家そのものが巨大企業に圧倒されてしまっている。
「ワッパーの年」
この意味で、ウォレスはモダニズムの問題意識をさらに徹底させた作家だった。消費社会が人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である。
消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。
その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画『Infinite Jest』だ。
この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれてしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画をテロ兵器として手に入れようとする。)
この映画を制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリン、マリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。
一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。
そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールド・テニス・アカデミーである。ここは、ウォレス自身が哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。
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『Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である。
その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)
現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。
その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。
つまり、この作品はポストモダン社会の民族誌(エスノグラフィー)なのである。
時間も空間も商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要なものが押し流されてしまう危険も見抜いている。
マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネットが社会を支配する以前、1996年に出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。
「文化が逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」
「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」
『Infinite Jest』は、一つの世代の感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。
とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代にMTVが誕生し、大学時代にインターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。
語り手は、自己意識の牢獄や、無限の可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から、不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。
ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。
薬物依存と絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである。
この見方は私だけではない。
ウォレスの親友の一人だったジョナサン・フランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。
フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。
「私たちの多くにとって人生の意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレスの小説世界ではほとんど存在しない。」
しかし、その一方で彼はこう続ける。
「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分は理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」
私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。
読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。
ウォレス自身もまた、依存症や欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。
そして、この点こそが、ウォレスとフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。
二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。
極端な自己意識、メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。
フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。
私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。
あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。
なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。
それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。
しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものはシニシズムではない。
むしろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである。
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しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである。
それは現代の絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろ、ポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。
もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。
「革新的な文体を用いて、保守的な小説の目的を果たすにはどうすればよいか。」
『ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである。
しかしマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解そのものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。
「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」
彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。
作家スティーブ・ムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカルな世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。
「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」
先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。
そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。
これは決して矛盾ではない。
つまり、「ウォレスは小説の道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。
私たちは、「型破りな文体=非道徳的」という思い込みそのものを退けなければならない。
むしろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。
アップダイクの美文主義では、文体そのものが読者の注意を引きつける。
しかしウォレスが探していたのは、現代の私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。
だからこそ彼は、その声を通して、私たちに真正面から、誠実に、そして道徳的なビジョンを語りかけることができたのである。
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だからこそ、ウォレスがフョードル・ドストエフスキーの人生と作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。
ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。
「もっとも重要なのは、ドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分の文学的栄光しか考えていなかった人物――から、
中沢けい氏「ネトウヨは創作物にも芸術にも興味を持たない。文学、歴史、哲学にも関心を持たない……文化の外側にいる」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@OOEDO4/p/zLfqP93
だいぶ前に否定されており、サヨク界隈でもだいぶ浸透しているはずなのだが
が、それは仕方のないことではある。
この手の幼児的万能感の抜けない自我肥大の自称インテリのナルシストにとって
今日は本当に何もなかった。それだけの話なんだけど、なんかそれについてダラダラ書きたい気分なので書く。
朝、目が覚めたのは9時とかそのくらいだったと思う。正確な時間はよくわかんない。スマホを見ればわかるんだけど、見るのも面倒くさくて、しばらく天井を見てた。うちの天井、よく見ると端っこのほうにちょっとした染みがあって、あれっていつからあるんだっけ、と毎回思う。多分引っ越してきたときからあった気がするんだけど、自分でつけたものじゃないことだけは確かで、でも前の住人が何をやったらああいう染みができるのかは全然わからない。水漏れなのか、それとも何かを投げつけたのか。投げつけて染みになるようなものって何があるんだろう。カレーとか投げたらああなるのかな。でもカレーだったら茶色っぽくなりそうだし、あの染みはどっちかというと黄色っぽいグレーだから、やっぱり水漏れだと思う。どうでもいいことをこんなに真剣に考えてしまうのが朝のダメなところだと自分でも思う。
起きようかどうしようか、しばらく布団の中で迷っていた。迷うっていうか、別に起きたくない理由が特にあるわけじゃなくて、ただなんとなく布団が布団だから出たくないという、それだけの理由だった。布団って不思議で、別に外の空気がめちゃくちゃ寒いわけでもないのに、布団の中と外とでなんかこう、決定的な違いがある気がする。布団の中にいる自分と布団の外に出た自分は別人くらいの感覚で、その別人になる作業がめんどくさい。結局、なんとなく限界みたいなタイミングが来て、えいやと起き上がった。この「えいや」に至るまでの時間がだいたい20分くらいだったと思うけど、その20分の間に特に何も生産的なことは考えていなかった。
起きて最初にやったのは、エアコンのリモコンを探すことだった。前の日の夜、リモコンをどこかに置いたのは覚えてるんだけど、どこに置いたかは全然覚えていない。ソファの下、クッションの隙間、ベッドの下、テーブルの上、全部見たけどなかった。最終的に見つかったのは、なぜか冷蔵庫の上だった。なんでそんなところに置いたのか、自分でも全く理解できない。多分、前の日の夜に何か別のことをしながらリモコンを持ったまま冷蔵庫を開けて、何かを取り出して、その流れでリモコンをそこに置いてしまったんだと思う。人間の行動って自分でも把握できてないことが多くて、こういうときにそれを実感する。
リモコンを見つけて満足した後、キッチンに行って何を食べようか考えた。冷蔵庫を開けると、ヨーグルトがあった。賞味期限を見ると、3日前に切れていた。3日過ぎたヨーグルトって食べていいのかどうか、毎回悩む。ヨーグルトってもともと発酵食品だから、多少過ぎても大丈夫なんじゃないかという説と、いや発酵食品でも菌のバランスが崩れると危ないという説と、両方頭の中にあって、結局どっちを信じるかは気分で決まる。今日の気分は「まあ大丈夫だろう」だったので、食べることにした。蓋を開けて匂いを嗅いで、特に変な匂いはしなかったので、それも自分を安心させる材料になった。結果として何事もなかったので、この判断は正しかったということになる。多分。
ヨーグルトを食べながら、テレビをつけた。特に見たい番組があったわけじゃなくて、ただ静かなのが嫌だったからつけた。ついていたのは、朝の情報番組の再放送みたいなやつで、誰かが道端で野菜の値段について話しているコーナーだった。キャベツが去年より高いらしい。天候不順とかそういう理由らしいけど、正直そこまで興味はなかった。ただ、画面に映っているキャベツがすごく大きくて、あれ一玉でどれくらいの値段なんだろうと考えながらヨーグルトを食べ終えた。
食べ終わった後、スプーンを洗うのが面倒で、しばらくシンクに置きっぱなしにした。一つだけ洗い物があるとき、洗うべきかどうか毎回悩む。一つだけなら洗ってしまえばいいのに、なぜか「後でまとめて」という気持ちが勝ってしまう。でも一つしかないから、「まとめて」もクソもない。この矛盾に自分で気づきながらも、結局スプーンは午後まで放置されることになった。
洗濯物のことを思い出したのは、もう昼近くになってからだった。天気を確認しようとベランダに出ると、日差しはあったけど風がちょっと強くて、洗濯物が飛ばされないか少し心配になった。洗濯バサミって、なんであんなに種類が違うんだろう。大きいのと小さいのと、色も揃ってないし、どこかで単品でなくしたやつを買い足した記憶がうっすらあるけど、いつ買ったのかは思い出せない。靴下用の小さい洗濯バサミが足りなくて、いつも靴下は普通のピンチでとめている。別にそれで困っているわけじゃないんだけど、なんとなく「本来はこうじゃないんだよな」という気持ちがずっとある。
洗濯機を回している間、特にやることもなかったので、スマホを触っていた。SNSを開いて、特に興味のない投稿をダラダラスクロールした。誰かが美味しそうなパンケーキの写真をあげていて、それを見て「食べたいな」と思ったけど、実際に自分でパンケーキを作る気は全くなくて、ただ写真を見て「いいな」と思うだけで満足してしまう自分がいた。この「見るだけで満足する」という現象、最近すごく増えている気がする。旅行の写真を見て「行きたいな」と思うけど実際には行かないし、料理の写真を見て「作りたいな」と思うけど作らない。全部が「思うだけ」で完結している。これはこれで一つの生き方なんだと思うことにしている。
洗濯機が終わった音で、はっと我に返った。洗濯機の終了音って、なんであんなに機種によって違うんだろう。うちのは「ピロピロピロン」みたいな、ちょっと可愛らしい音がする。最初これを聞いたとき、隣の部屋のスマホの通知音かと思って、しばらく無視していたことがあった。洗濯物を干すとき、いつも同じ順番で干している。大きいものから、シャツ、タオル、その次に靴下とか下着みたいな小さいもの。この順番に特に理由はないんだけど、順番を変えると気持ち悪い気がして、いつも同じ流れでやっている。
干し終わった後、お昼ご飯どうしようかとまた考え始めた。冷蔵庫を開けても、これといって決め手になるものがなくて、結局コンビニに行くことにした。コンビニに行く途中、いつも通る道に猫がいる。多分近所の誰かが飼っている猫だと思うんだけど、いつも同じ場所、電柱のあたりにちょこんと座っている。今日もいた。目が合ったので、「よう」みたいな感じで会釈したけど、当然向こうは無反応だった。猫って本当に気分屋で、機嫌がいいときはこっちに寄ってきたりするのに、今日はこっちを一瞥しただけで、また前足を舐め始めた。猫にとって自分がどれくらいどうでもいい存在なのか、その距離感がなんか妙に安心する。
コンビニに着いて、おにぎりコーナーの前でしばらく固まった。ツナマヨにするか、梅にするか、鮭にするか、それとも新商品っぽい明太子ポテト的なやつにするか。こういう選択に毎回すごく時間がかかる。別にどれを選んでも大した違いはないってわかってるんだけど、選ぶ瞬間だけは真剣になってしまう。結局、無難にツナマヨと梅を一個ずつ買うことにした。両方選べば悩まなくていい、という発見をしたのはわりと最近で、これに気づいてから人生がちょっと楽になった気がする。
レジに並んでいるとき、前の人がすごく大量に買い物をしていて、お菓子とか飲み物とか色々な袋に詰めていた。何かパーティーでもあるのかな、と勝手に想像した。もしかしたら誕生日会かもしれないし、単純に買いだめかもしれない。真相はわからないけど、想像するのはタダだから、勝手に「多分子供の誕生日会だな」と結論づけて満足した。特に確認のしようもないし、確認する必要もない。
会計を済ませて外に出ると、さっきの猫がまだ同じ場所にいた。今度は寝ていた。さっきまで前足を舐めていたのに、もう寝ている。猫の時間の使い方は本当に自由で、羨ましいと思うと同時に、自分も別にそこまで自由じゃないわけじゃないよな、とも思った。今日だって特に予定もないし、猫と大差ない一日を過ごしている。
家に帰って、おにぎりを食べながらまたテレビをつけた。今度は昼のワイドショーみたいな番組で、芸能人の誰かが結婚したというニュースをやっていた。特に知らない人だったけど、コメンテーターがすごく嬉しそうに祝福していて、それを見ているだけでなんとなくこっちも「よかったね」という気持ちになった。人間って単純だなと思う。自分に直接関係ないことでも、誰かが嬉しそうにしていると、つられて嬉しくなる。
おにぎりを食べ終わって、スプーンと一緒に放置していた食器を、ようやく洗った。洗いながら、洗剤のスポンジがそろそろへたってきているなと気づいた。買い替えなきゃな、と思ったけど、多分このまま2週間くらいは使い続けると思う。「そろそろ買い替えなきゃ」という気持ちと「まだ使える」という気持ちのせめぎ合いは、大体後者が勝つ。
午後は特に予定もなかったので、ソファでダラダラすることにした。ダラダラするといっても、何かをするわけじゃなくて、本当にただソファに座って、スマホを見たり、テレビを見たり、たまに天井を見たりするだけだった。天井の染みは、朝見たときと同じ場所に同じ形であった。当たり前だけど、なんとなく確認せずにはいられなかった。
そのうち眠くなってきて、少しうたた寝をした。どれくらい寝たのかはわからないけど、起きたときには外がちょっと暗くなりかけていて、「やばい、時間経ってる」と焦った。焦ったところで別に何かの予定に遅れたわけでもないんだけど、なんとなく時間を無駄にした感覚だけはあった。でもよく考えたら、起きていたところで何か生産的なことをしていたわけでもないので、無駄にした時間の量はそんなに変わらないんじゃないかという結論に至った。
夕方、洗濯物を取り込んだ。取り込むときにいつも思うんだけど、外に干していたときはふわっとしていたタオルが、なぜか取り込むとちょっと硬くなっている気がする。気のせいかもしれないけど、毎回そう感じる。畳みながら、靴下のペアを揃える作業をした。うちの洗濯物には片方だけの靴下がいつも1、2足まぎれていて、そのペアがどこにいったのか、洗濯機の中なのか、干すときに落としたのか、それとも別の次元に消えたのか、全く見当がつかない。片方だけになった靴下は、いつか相方が見つかることを信じて引き出しの奥にしまってある。多分もう見つからないと思う。
夕食は何を作ろうか、これもまた大きな悩みどころだった。冷蔵庫の中身を確認すると、豚肉があって、キャベツがあって、卵があった。じゃあ野菜炒めでいいか、とすぐ決まりそうなものなのに、なぜか「せっかくだから何か違うものにしたい」という謎の欲が出てきて、結局スマホでレシピを検索し始めた。検索して出てきたレシピは、どれも同じような材料でちょっと違う味付けをしているだけのものばかりで、結局30分くらい悩んだ末に、最初に思いついた野菜炒めを作ることにした。この30分は完全に無駄だったと言えるけど、無駄だったとわかったところで、次に同じような状況になったらまた同じことをすると思う。
野菜炒めを作りながら、味付けの調味料をどれくらい入れるか毎回感覚でやっているんだけど、今日はちょっと醤油を入れすぎた気がした。味見をしたら、想定より濃かった。薄めようとして水を少し足したら、今度は薄すぎる気がしてまた醤油を足した。結局、最初のちょうどいい塩梅がどこだったのかわからなくなり、最終的には「まあ食べられる味」というところに着地した。料理は毎回一発勝負で、同じ手順を踏んでいるはずなのに、なぜか毎回微妙に違う味になる。この再現性のなさが、料理の面白さでもあり面倒くささでもある。
夕食を食べながら、また昼と同じテレビ番組の夜バージョンみたいなのを見ていた。ニュースキャスターが今日あった出来事をいくつか紹介していて、その中に「某市で行われたゆるキャラの着ぐるみが強風で飛ばされそうになった」というニュースがあった。着ぐるみの中の人が必死に踏ん張っている映像が流れて、それを見て思わず声を出して笑ってしまった。特に誰かに笑いを共有するわけでもなく、一人の部屋で一人で笑っている自分がちょっと滑稽だなと思ったけど、それでもやっぱり面白かった。
夕食後、友達からLINEが来た。「今何してる?」という、特に用件のないメッセージだった。「特に何もしてない、野菜炒め食べた」と返したら、「うちも今日野菜炒めだったw」という返信が来て、しばらく野菜炒めの味付けについてどうでもいい会話が続いた。醤油多めが好きか薄味が好きかとか、キャベツともやしどっちを多く入れるかとか、そういう本当にどうでもいい話を30分くらいした。この手の会話が一番気楽で、何かを決めたり結論を出したりする必要が一切なくて、ただただ喋りたいことを喋って終わる。
その流れで、友達が最近ハマっているというスマホゲームの話になった。詳しく聞いたけど、正直あんまりピンとこなかった。でも友達が楽しそうに話しているのを聞いているのは楽しくて、内容がわからなくても「へー」「それいいね」みたいな相槌を打ちながら聞いていた。人の趣味の話を聞くとき、内容を完全に理解する必要はなくて、その人が楽しそうにしているのを見ているだけで十分楽しい、ということがある気がする。
LINEが終わった後、お風呂に入ることにした。お湯を溜めている間、また特にやることがなくて、スマホでどうでもいい動画を見ていた。猫が箱に入ろうとして失敗する動画とか、知らない人が変な料理を作っている動画とか、そういう本当に意味のない動画を延々と見続けた。お湯が溜まった音がしたので、動画を見るのをやめてお風呂に入った。
お風呂の中で、今日一日を振り返ってみたけど、本当に何もしていなかったことに気づいた。起きて、ヨーグルトを食べて、洗濯をして、コンビニに行って、おにぎりを食べて、うたた寝をして、洗濯物を取り込んで、野菜炒めを作って、友達とどうでもいい話をした。これだけだった。でも別に、それが悪いことだとは思わなかった。むしろ、こういう何もない日があるからこそ、たまにある「何かがある日」が特別に感じられるんじゃないかと思った。まあこれもお風呂の中でぼんやり考えただけの、大した哲学でもない考えだけど。
お風呂から出て、髪を乾かしながら、明日は何しようかなと考えた。特に何も思いつかなかった。多分明日も今日と似たような感じになるんだろうな、と思ったけど、それも別に嫌じゃなかった。
寝る前に、また天井の染みを見た。暗い部屋の中で、豆電球の薄明かりに照らされて、染みはさっきよりちょっと違う形に見えた気がした。多分光の加減だと思う。染みの形について考えているうちに、なんとなく眠くなってきて、そのまま目を閉じた。
結局、今日は本当に何もなかった。それだけの話だった。でもこうやって書き出してみると、何もなかったはずの一日にも、猫のこととか、染みのこととか、靴下の相方のこととか、意外と細かいことがいろいろあったんだなと気づく。多分明日も、こういう細かいことがまたいくつか起きて、それでまた何もなかった一日として過ぎていくんだと思う。それでいいと思う。
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翌日の話も少ししておくと、結局予想通り、似たような一日になった。朝起きる時間はだいたい同じくらいで、天井の染みもやっぱり同じ場所にあった。当たり前だけど。エアコンのリモコンは今度はちゃんとテーブルの上にあって、それだけでちょっと嬉しかった。人間、こういう小さいことで機嫌が左右される生き物なんだなと思う。
朝ごはんは、今度はヨーグルトじゃなくて食パンにした。トースターに入れて焼いている間、なんとなく焼き加減を見張ってしまう癖がある。タイマーがあるから見張る必要は本当はないんだけど、なぜか目を離すと焦げるんじゃないかという謎の不安がある。実際には目を離しても焦げたことは一度もない。それでも見張ってしまう。多分これは性格の問題だと思う。
パンを食べながら、昨日と同じ猫のことを思い出した。今日も同じ場所にいるだろうか、とちょっと気になった。コンビニに行く予定はなかったけど、なんとなく散歩がてら見に行こうかなという気持ちになった。実際に行ってみたら、猫はやっぱりいた。今日は前足を舐めるでも寝るでもなく、ただじっと遠くを見ていた。何を見ているのか全然わからなかったけど、猫にとってはきっと何か意味のある方向なんだろうと思う。人間にはわからない猫の世界がある。
散歩から帰ってくる途中、道端に落ちていた謎の手袋を見つけた。片方だけの手袋で、色は紺色。誰かが落としたものだと思うけど、拾って交番に届けるほどのものでもない気がして、結局そのまま通り過ぎた。でも家に着いてからも、あの手袋のことが妙に気になった。持ち主は今頃、手袋が片方しかないことに気づいているんだろうか。冬のこの時期に手袋が片方ないのは結構つらいだろうな、と勝手に同情した。同情したところで自分にできることは何もないんだけど。
その後の一日は、大体前日の焼き直しみたいな感じで過ぎていった。洗濯をして、昼ごはんに悩んで、うたた寝をして、夕方に取り込んで、夕食を作って、また友達とどうでもいい話をした。今日の友達との話題は、コンビニのスイーツの新商品についてだった。友達が最近食べたプリンがすごく美味しかったらしく、その話を10分くらい熱心にされた。プリンの食感がどうとか、カラメルの苦味がどうとか、そんなに語ることあるんだ、と思うくらい詳しく語っていて、聞いているこっちもだんだんそのプリンが食べたくなってきた。
結局、その話を聞いた後、夜にもかかわらずコンビニまでプリンを買いに行った。夜のコンビニは昼間と違って、店内が静かで、店員さんも心なしかリラックスしているように見える。プリンのコーナーに行くと、友達が言っていたのと同じ商品があった。買って帰って、食べてみると、確かに美味しかった。友達に「食べたよ、美味しかった」とLINEしたら、「でしょ!」というスタンプだけが返ってきた。それだけのやり取りだったけど、なんか満足感があった。
こうして二日目もまた、大したことのない一日として終わった。プリンを食べたことだけが、昨日と違う出来事といえば出来事だった。でもそのプリン一つのために夜のコンビニまで歩いて行った、というのは、振り返ってみると結構バカバカしい行動だなと思う。バカバカしいけど、そのバカバカしさが割と悪くない気分だった。
三日目のことも少し書いておく。この日は特に印象に残ることが本当に何もなかった。強いて言うなら、洗濯物を干すときに使うピンチハンガーの一つが壊れて、洗濯バサミの部分がポロッと取れてしまった。プラスチックの部品が劣化していたんだと思う。これはさすがに買い替えないといけないなと思いつつ、結局その日は買いに行かず、壊れた部分は本体からは切り離して、残りの使えるピンチだけでなんとかやりくりした。ちょっと不便だったけど、致命的というほどでもなかった。
三日目の夜、久しぶりに実家から電話がかかってきた。特に用件はなくて、「元気にしてる?」という、いつもの確認の電話だった。最近何してるのと聞かれて、「特に何も」と答えたら、「それでいいのよ、無理しないで」と言われた。何もしていないことを肯定してもらえると、なんとなく安心する。世の中には常に何かしていないといけない、生産性がないといけない、みたいな空気があるけど、実家からの「それでいいのよ」の一言で、そういうプレッシャーがちょっと軽くなった気がした。
電話を切った後、また天井の染みを見た。三日連続で同じことをしている自分に気づいて、なんかちょっとおかしくなった。染みはもちろん変わらずそこにあって、多分これからも変わらずそこにあり続けるんだろうと思う。この染みが自分の部屋にある限り、多分毎晩なんとなく見てしまうんだろうな、という予感がした。
四日目のことも書こうと思ったけど、正直三日目までとほとんど同じ内容の繰り返しになりそうなので、この辺で一旦区切りをつけようと思う。要するに、こういう感じの毎日が続いているということで、それについて特に不満もなければ、特別な喜びもない。ただ淡々と、猫を見て、コンビニに行って、洗濯物を干して、ご飯を作って、友達とどうでもいい話をして、天井の染みを見て眠る。それだけの繰り返しで、多分これからもしばらくはこんな感じが続くんだと思う。
最後に、あの片方だけ落ちていた紺色の手袋のことだけ、ちょっと気になっているので書いておく。あれから何度かあの道を通ったけど、手袋はもうなかった。持ち主が戻ってきて拾ったのか、誰かが拾って別のところに移動させたのか、それとも風で飛ばされてどこか別の場所に行ってしまったのか、真相はわからない。わからないけど、なんとなくあの手袋の行方が気になり続けている自分がいる。多分これから先も、たまにふと思い出すんだと思う。片方だけの手袋がどうなったのか。それだけの、本当に
“私は車には興味がありませんし、私の目標は人々を羨ましがらせることではありません。 生活費と生活水準を混同しないでください。”
バフェットの引用は何を意味しますか、それはあなたにどのような利益をもたらすでしょうか?
この引用は、2008年に初めて出版された伝記‘『スノーボール:ウォーレン・バフェットと人生のビジネス』’を執筆した作家アリス・シュローダー氏に、エース投資家が語った言葉だ。 しかし、バフェットの哲学は一貫している。 2013 年 5 月に Levo Office Hours のメンターとして講演したバフェット氏は、再びこの感情を繰り返しました。
彼は、「“生活費は生活水準と同等ではない」と言いました。 生活水準とは、自分が望むことを達成し、愛する人たちと一緒に働くことであり、それほど多くのお金は必要ありません。” 彼はプライベートジェットを贅沢品として使うのが好きだと認めたが、税金や慈善活動を除けば、年間10万ドルで簡単に生活できると付け加えた。
“家が 8 軒あったり、400 フィートのヨットなどがあったりしても、私はより良い暮らしはできないでしょう。 私は55年前に買った家に(住んでいます)。 冬は暖かく、夏は涼しいです。 欲しかったものがすべて揃っていて、しかもいい思い出がいろいろあります。 これ以上生きていくなんて想像できない。 私はそれに対して $31,500 を支払いました。家に対して $3,100 万を支払うこともできますが、この現在の家が行っていることは私には役に立ちません、” と彼は説明しました。
バフェット氏の生きた経験は、富を築こうとするほとんどの投資家が真似できるものだ。 ほとんどのファイナンシャル プランナーは、他人に好印象を与えたり、成功しているように見せたりするためだけに行われた購入は、長期的な財務に悪影響を与える可能性があるとアドバイスしています。 公認会計士(CA)で財務アドバイザーのニティン・カウシク氏は、医療とライフスタイルのインフレが上昇し続ける中、現在の退職金制度は不十分になる可能性が高いと指摘している。
“₹ライフスタイルのメンテナンス “” ブランド アパレル、車の EMI、または高級ダイニング — に費やすことができる — 20,000/月の場合、現金を失うだけでなく、将来の富を費やすことになります。 市場収益率が 12% の場合、その ₹月額 20,000 ドルの支出には ₹20 年間で 19 億ドルの富がかかります”とカウシク氏はソーシャル メディア プラットフォーム X への投稿で書いています。
同氏は、複利ポートフォリオ、完済資産、未使用の融資枠には真の富は—見られないと付け加えた。
エーデルワイス投資信託のラディカ・グプタ長官は、ライフスタイルインフレと呼ばれる富を殺す要因に対処するためのバランスの取れたアプローチを提案しています。 シンプルな 10-30-50 ルール: 20 代で 1-10% 割引、30 代で 30% 割引、40 代以上で 50% 割引。
しかし、バフェットと同じように、彼女もいくつかの免罪符を信じています。 “税金は源泉徴収されます。 貯金も同じようにしてみませんか? これは SDS — ソースで差し引かれる貯蓄です。 お金が表示される前に、SIP、RD(定期預金)、または FD(固定預金)を自動化します。 両方を行うことができます—ハンドバッグを購入し、スタートアップのためにお金を節約します”と彼女は付け加えました。
リバティナージュ(Libertinage)、伝統的な道徳や宗教的束縛から解放された自由な思考や、奔放な快楽主義を指す言葉です。
主に17世紀から18世紀のフランス貴族文化において、知的な懐疑主義と享楽的な恋愛遍歴を両立させたライフスタイルや哲学として知られています。
哲学・思想としての側面元々は「解放された者」を意味するラテン語に由来します。
自由思想: 伝統的な宗教や教会、絶対王政の権威を否定し、理性や自然に基づいた思考を重んじました。
無神論・唯物論: 来世や神の存在を疑い、現世での快楽を最優先する極端なヘドニズム(快楽主義)へと発展しました。
貴族社会を中心に、スキャンダラスでありながら洗練された文化として花開きました。
奔放な恋愛: 一夫一婦制などの社会的規範に縛られず、恋愛や肉体的な快楽を徹底的に追求することを肯定しました。
文学への影響: サド侯爵やラクロの『危険な関係』など、人間の欲望や道徳の崩壊を描いた文学作品のテーマとなっています。
今日では、単なる道徳的な放縦や、性的な奔放さを指す言葉として使われることもあります。より詳細な歴史的背景や文献については、WikipediaのLibertine項目で確認できます。
私の隣の席にはドパオジがいる。
40代半ば。白髪混じりの短髪に日焼けした肌。骨太の中肉中背で、いつも腕まくりをしている。目がクリッとしているところがチャームポイントだ。かけているのか外しているのかわからない、印象の薄いメガネをしていて、夕方ごろになるとそれを外して目をごしごしする。すると、たまたま通りがかった若い女性社員に「泣いてるんですか?」と心配してもらえたりもする。
とても腰が低く、丁寧で、不器用なところもあるが仕事熱心。上司にも部下にも周囲にも慕われている。もちろん私も大好きである。
この人を仮に権藤さんと呼ぼう。
権藤さんはドパオジである。最初からそう思っていたわけではない。一つ一つの光景が積み重なって、ある日ふと、ああ、権藤さんはドパオジなのだ、と思うようになった。
私の職場では、管理職になるために社内資格を取る必要がある。制度としては大学の学位に近く、オンライン講義を受け、レポートを書き、最終的には論文を書く卒業試験のようなものがある。
単位を取りやすい講義は、社会人になってもやはり人気が集中するらしい。オンライン講義なので人数制限もない。楽な方へ流れようと思えば、いくらでも流れられる。
でも、権藤さんはそうしない。一番大変だと評判の、会長直々の講義を自分から受講する。内容はお堅い思想、哲学系のテーマが中心で、権藤さんももともと背景知識があるわけではないため、とても難しいとおっしゃっていた。しかも一つの講義につき、小論文が二つ、三つ課されるというハードなものだ。そうした講義を自ら選び、どうにか食らいついている姿は、先輩として素直にかっこいいと思う。
権藤さんは、日中仕事をしながらオンライン講義も並行して受けている。Excelを開いて作業している画面の右下に、小さなウインドウが出ている。そこでは会長が熱のこもった講義をしている。うっすら音漏れしていて、すごく早口だ。
再生速度は2倍である。動画の会長も、そのせいでチョロチョロとどこかコミカルな動きをしている。講義ごとの小論文も、もちろんChatGPTに考えてもらう。その割に、できあがった文章は小学生の読書感想文のようにピュアな仕上がりになっている。
小論文には文章生成AIを使ってはいけないというルールがあるそうで、それに引っかからないよう工夫しているのだという。AIを使っているのに、AIらしさを消した結果、本人の不器用さだけが残る。
権藤さんのデスクには、飲み干したエナジードリンクの缶やペットボトルが、いつも二つ三つ置かれている。NOPEやZONeなど、ジャンクな味わいの炭酸飲料を好む。
ペットボトルを開ける時は、ゆっくりと、ゆっくりと蓋をひねる。すると、静かに、小さく、「プシューッ」という音が長い余韻を残して漏れる。本人はたぶん、炭酸が抜ける音を最小限に抑えようとしているのだと思う。だが、そういう時に限って職場は静まり返っているので、かえって目立つ。
権藤さんは、飲む時、口から迎えにいく。飲みたくて、飲みたくてしょうがなくて、手で持って飲むというより、顔の方から飲み物へ向かっていく。ただし、左手を添えて飲む丁寧さは忘れない。
恋人を乗せた汽車がホームに入ってくる。会える喜びがどっと込み上げてくる。もう間もなくだ。汽車がゆっくりと停まる。ペットボトルの蓋がゆっくりとひねられる。プシューッと空気が抜ける。ドアが開く。蓋が開く。恋人の姿を目にして、思わず駆け寄る。権藤さんは口から炭酸飲料を迎えにいく。そんな風に景色が重なって見えた気がした。
職場では、ごくたまにチームでの飲み会がある。そうそうない機会なので出席率はわりと高いが、権藤さんはあまり顔を出さない。ただ、お酒や飲み会が苦手というわけではないらしい。たまたま予定が合わないだけで、比較的、家族との用事を優先されているようだ。
なんでも家事や子どもの世話を少し怠ると、奥さんから「ネグレクト」と叱られるそうだ。公私ともに緊張感にさらされている権藤さんは、仕事終わりにストロング缶を一つ買い、それを電車の中で飲む。
レジ袋で隠したりはしない。裸のまま握りしめる。30分ほど電車に揺られ、ほろ酔い気分で最寄駅に着く。すると、コンビニでストロング缶を二つ買い足す。一つは家に着くまでに飲み、もう一つは冷蔵庫の野菜室の奥の方に隠しておく。それがルーティンになっている。
以前は自宅で毎晩ストロングを三缶飲んでいたらしい。だが、奥さんから心配されて、お酒は禁止されてしまった。以来、権藤さんはコソコソとそんなことをしている。
野菜室の奥に隠した缶はいつ飲むのか。夜中、奥さんと子どもが寝静まったのを見計らって、ベランダで夜風にふかれながら飲む。あるいは土日の早朝、家族が起きてくる前に、同じくベランダで飲み干すのだという。
ドパガキが無限に開かれた刺激に溶けているその時、ドパオジは生活に管理された生を解放するために、ひっそりと、制約の中で刺激を得る。それは退廃ではないが有用でもない。ゆっくりと蓋をひねり、プシューっという音が静かに、細く、たなびいている。ドパオジはまっすぐに蓋を見つめている。
生物は、自らの遺伝子(gene)を次世代へ残すことを目的として進化してきた。進化とは遺伝子の複製効率を高める過程であり、生存も繁殖も、そのための戦略として理解できる。昆虫から哺乳類に至るまで、生物の行動原理は最終的に「遺伝子を残す」という一点に収束する。
人間は遺伝子だけではなく、「情報」を後世へ残そうとする。知識、技術、宗教、芸術、思想、科学、法律、物語──それらは生殖によって受け継がれるのではなく、学習と模倣によって継承される。
この文化的な複製単位を、進化生物学者 リチャード・ドーキンス は『利己的な遺伝子』の中で**meme(ミーム)**と名付けた。geneが生物学的情報の複製単位であるなら、memeは文化的情報の複製単位である。
人類史とは、geneの歴史であると同時に、memeの歴史でもあった。
火の使い方、農耕、文字、数学、哲学、医学、工学。これらは遺伝子ではなく情報として受け継がれ、人類は文明を築いてきた。人間は子どもを産むだけではなく、教育という行為によってmemeを継承する存在なのである。
現代社会では、なぜこれほどまでに出生率が低下しているのだろうか。
一般には、教育費の高騰、経済的不安、女性の社会進出、都市化、価値観の多様化などが理由として挙げられる。しかし、それらは「なぜ子どもを持たない人が増えたのか」という直接的な説明ではあっても、「なぜ人間という生物だけが、そのような理由によって繁殖行動そのものを変化させるのか」という根本的な問いには十分答えていない。
昆虫の中には繁殖を終えた直後に寿命を迎える種も存在する。多くの哺乳類も、子を育てることによって経済的な利益や将来の報酬を得るわけではない。繁殖とは本来、コストを支払う行為そのものである。人間だけが「子育てのコストが高いから繁殖しない」という説明は、生物一般の行動原理から見ると、どこか不自然さが残る。
ここで注目したいのが、進化生物学における包括適応度という考え方である。
生物は必ずしも自分自身の子どもだけを助けるわけではない。近縁者を助けることも、結果として自分と共通する遺伝子を未来へ残すことにつながるため、進化的には合理的な行動となる。重要なのは個体の利益ではなく、遺伝子全体の存続なのである。
では、人間において、この「未来へ何かを残す」という対象が、遺伝子ではなくmemeへ移り始めたとしたらどうだろうか。
知識や価値観を未来へ伝えるためには、まず子どもを持ち、その子どもを教育する必要があった。文化は家族や共同体を媒介として継承されていたのである。memeが存続するためには、geneによる世代交代が不可欠だった。
インターネット、SNS、動画配信、オープンソースソフトウェア、電子出版、そして生成AI。人間が生み出した情報は、子孫を介することなく世界中へ複製され、半永久的に保存されるようになった。
一冊の論文、一つのプログラム、一枚の写真、一つのアイデアが、何百万という人々へ共有され、未来のAIによって学習され、新たな知識の土台となる。
つまり、memeはgeneを経由しなくても自己複製できる環境を獲得したのである。
これは人類史において極めて大きな変化ではないだろうか。
従来、人間が未来へ何かを残そうとするなら、その手段は子どもを持つことだった。しかし現在では、知識を公開すること、作品を残すこと、研究成果を発表すること、ソフトウェアを開発すること、あるいはSNSで発信することでさえ、自らのmemeを未来へ送り出す行為となり得る。
この変化は、包括適応度という概念にも新しい解釈を与える可能性がある。
もちろん、生物学的な包括適応度そのものが変化したわけではない。遺伝子は依然として遺伝子の論理で進化する。しかし、人間という文化的存在は、「未来へ何かを残す」という欲求を満たす対象を、遺伝子だけではなくmemeにも見出せるようになった。
もし文化進化という観点から包括適応度に相当するものを考えるなら、その評価基準は「どれだけ多くの子孫を残したか」ではなく、「どれだけ価値ある情報を未来へ伝播させたか」になるだろう。
この視点に立てば、社会全体としては、平凡な情報を発信する多数の個人よりも、高い価値を持つmemeを生み出し、それを広く共有できる少数の個人の方が、文化進化への寄与は大きい。これは、生物学におけるK戦略とは異なる意味での、memeのK戦略と呼べるものかもしれない。量ではなく質を重視する文化的な適応戦略である。
もちろん、この仮説を現時点で実証することはできない。しかし、少子化を単なる経済問題として捉えるだけでは見えてこない視点を与えてくれる。
高度情報化社会とは、人類が「何を未来へ残すか」という問いに対して、新しい選択肢を手に入れた時代である。遺伝子だけが未来への架け橋ではなくなり、情報そのものが独立した継承経路を持ち始めた。
もしそうであるなら、現代の少子化は、人間が繁殖を嫌うようになった結果ではない。それは、人類における継承の重心が、geneからmemeへと静かに移り始めたことの表れなのかもしれない。
そして、未来の歴史家が21世紀を振り返るとき、この時代は「人口減少の時代」ではなく、「文化的継承が生物学的継承から自立した時代」と呼ばれるのかもしれない。
「文系理系論争」が噛み合わない理由の一つは、参加者ごとに全然違う論点を話しているからです。実際には「文系vs理系」という1つの論争ではなく、複数の論争がごちゃ混ぜになっています。
主な論点を整理するとこんな感じです。
学力 文系も高度な思考力が必要 数学や物理の方が客観的に難しい
社会的価値 法律・経済・行政・文化も社会に不可欠 科学技術がなければ社会は成立しない
知的能力 人間理解や言語能力が重要 論理・定量分析能力が重要
研究の厳しさ 解釈や資料読解は終わりがない 数学・実験の方が厳密で大変
社会的評価 理系が過大評価されている 文系が過大評価されている
ただ、Xで一番多いのは実はこれらの表向きの論点ではありません。
という承認欲求のぶつかり合いになりがちです。
本当は
だから論争が終わりません。
「文系」も
例えば、数学者と歴史学者を比べて「どっちが賢いか」を決める共通尺度がありません。
逆にXでよく見る「文系と理系どっちが上?」は、比較対象が大雑把すぎて、実質的にはアイデンティティ論争になっていることが多いです。
少年期を過ぎたならば、哲学やフェミニズムという非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送るだけならまだしも、社会全体と国家全体を尋常ではない集団に仕立て上げ、暴力の狂気を迎える。
英語だけが特別というより、英語が「library」を採用し、フランス語やドイツ語など多くのヨーロッパ言語が「bibli-系」を採用したという状況です。
英語 library
フランス語 bibliothèque
ドイツ語 Bibliothek
ロシア語 библиотека (biblioteka)
スペイン語 biblioteca
イタリア語 biblioteca
理由は、中世の英語が**ラテン語の librarium(本を保管する場所)**を経由した言葉を早い段階で受け入れ、それが定着したためです。英語にはもともとフランス語由来の bibliotheque も存在しましたが、一般語にはなりませんでした。
また、中世の英語では library は単に「書物の収蔵庫」や「蔵書」を意味しており、大学や修道院の書庫を指す言葉として広まりました。近代になって公共図書館が発達した際も、そのまま library が使われ続けました。
一方、大陸ヨーロッパではギリシャ語由来の bibliotheca(書物を保管する場所)が学術語として広く普及し、それが各国語に定着しました。
興味深いことに、英語にも bibliography(参考文献)、bibliophile(愛書家)、Bible(聖書) など bibli- 系の単語は多数あります。つまり英語が bibli- を嫌ったわけではなく、「図書館」という基本語だけが歴史的な経緯で library になったということです。
ーー
一方、「図書」という語そのものは日本で作られたものではありません。古代中国の漢語です。
図(図面・記録)
中国の古典にも「図書」という言葉は見られ、書物や文献を指しました。
したがって、
近代以降、日本で作られた「図書館」という語は中国にも伝わり、現在の中国語でもそのまま使われています。
つまり現在の中国語の「图书馆」は、日本で近代に整備された訳語の影響を受けて普及したと考えられています。
まとめ
語 起源
bibliothèque / Bibliothek ギリシャ語系のヨーロッパ語
明治時代には「図書館」以外にも、「哲学」「経済」「科学」「社会」「文化」など多くの和製漢語が作られ、それらが後に中国や朝鮮半島へ広まりました。
ーー
「図書館」を各言語で何と呼ぶかを、中国語表記も含めて並べると次のようになります。
フランス語 bibliothèque ビブリオテック 图书馆
韓国語 도서관 トソグァン 图书馆
興味深い点として、
中国語:图书馆
bibliothèque
Bibliothek
biblioteca
библиотека
→ ギリシャ語 bibliothēkē(本を保管する場所)系統。
library
つまり世界的には「ビブリオテカ系」が多数派で、英語の library はむしろ少数派です。日本・中国・韓国はそれとは別に、漢語の「図書館」系統を使っています。