はてなキーワード: commonとは
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
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もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
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しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
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『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
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そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
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一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/
自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界のカート・コバーン」へと還元し、その自己破滅をロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレスの作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症や自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身の肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。
だが、昔ながらの保守的な批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。
ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現を模倣したウォレスの自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体の鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的な理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。
ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義(登場人物だけがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。
要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである。
しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムそのものと混同することだ。ヒューバート・ドレイファスとショーン・ドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。
ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。
芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉なニヒリズムそのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。
この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガンに投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)
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ウォレスは、ドナルド・バーセルミやトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトをさらに推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)
その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組が最後にカメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省がプレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。
そのため、最初の長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代の卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。
続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学の創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸の創作プログラムに所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度そのものの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースやバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。
「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。
全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来の北アメリカが「北米国家機構(Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界を舞台にしている。
そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンスも活動しており、ウォレスは物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。
しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家そのものが巨大企業に圧倒されてしまっている。
「ワッパーの年」
この意味で、ウォレスはモダニズムの問題意識をさらに徹底させた作家だった。消費社会が人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である。
消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。
その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画『Infinite Jest』だ。
この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれてしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画をテロ兵器として手に入れようとする。)
この映画を制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリン、マリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。
一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。
そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールド・テニス・アカデミーである。ここは、ウォレス自身が哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。
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『Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である。
その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)
現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。
その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。
つまり、この作品はポストモダン社会の民族誌(エスノグラフィー)なのである。
時間も空間も商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要なものが押し流されてしまう危険も見抜いている。
マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネットが社会を支配する以前、1996年に出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。
「文化が逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」
「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」
『Infinite Jest』は、一つの世代の感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。
とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代にMTVが誕生し、大学時代にインターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。
語り手は、自己意識の牢獄や、無限の可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から、不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。
ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。
薬物依存と絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである。
この見方は私だけではない。
ウォレスの親友の一人だったジョナサン・フランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。
フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。
「私たちの多くにとって人生の意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレスの小説世界ではほとんど存在しない。」
しかし、その一方で彼はこう続ける。
「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分は理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」
私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。
読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。
ウォレス自身もまた、依存症や欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。
そして、この点こそが、ウォレスとフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。
二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。
極端な自己意識、メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。
フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。
私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。
あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。
なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。
それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。
しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものはシニシズムではない。
むしろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである。
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しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである。
それは現代の絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろ、ポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。
もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。
「革新的な文体を用いて、保守的な小説の目的を果たすにはどうすればよいか。」
『ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである。
しかしマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解そのものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。
「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」
彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。
作家スティーブ・ムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカルな世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。
「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」
先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。
そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。
これは決して矛盾ではない。
つまり、「ウォレスは小説の道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。
私たちは、「型破りな文体=非道徳的」という思い込みそのものを退けなければならない。
むしろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。
アップダイクの美文主義では、文体そのものが読者の注意を引きつける。
しかしウォレスが探していたのは、現代の私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。
だからこそ彼は、その声を通して、私たちに真正面から、誠実に、そして道徳的なビジョンを語りかけることができたのである。
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だからこそ、ウォレスがフョードル・ドストエフスキーの人生と作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。
ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。
「もっとも重要なのは、ドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分の文学的栄光しか考えていなかった人物――から、
AI モードの会話あなたの入力: 死体の腕の骨をペーパーカッターに加工して大統領だかに贈るような米軍 +8 それは第二次世界大戦中の太平洋戦線において、実際に起きた米軍兵士による日本軍戦死者の遺体切断(戦利品狩り)に関する史実です。ご質問の具体的なエピソードの概要は以下の通りです。事件の概要贈られた人物:第32代アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト贈り主:ペンシルベニア州選出の連邦議会下院議員フランシス・E・ウォルター贈られた物:太平洋戦線で戦死した日本兵の腕の骨(前腕骨)で作られたペーパーナイフ(レターオープナー)時期:1944年6月大統領の反応と結末当時、コラムニストのドリュー・ピアソンらが報じたところによると、ウォルター議員からこのペーパーナイフを差し出された際、ルーズベルト大統領は「これは私の好きなタイプの贈り物だ」などと言ったとされていますが、実際には触れることはしなかったとされています。その後、このニュースが公になるとメディアや宗教界から批判が起き、さらに日本側も「アメリカ兵は悪魔・野蛮人である」というプロパガンダ(戦意高揚)として激しく利用・抗議しました。事態を重く見たルーズベルト大統領は、数週間後にこのペーパーナイフをウォルター議員に返還し、しかるべき埋葬を行うよう命じています。背景:米軍内での「戦利品狩り」の横行当時の太平洋戦線では、米軍兵士の間で日本兵の遺体から頭蓋骨、歯、骨、耳などを切断し、「戦利品(お土産)」として持ち帰る行為が一部で流行していました。『ライフ』誌の衝撃写真:1944年5月には、アメリカの『ライフ』誌に「海軍の恋人から送られてきた日本兵の頭蓋骨」を見つめながら手紙を書く若いアメリカ人女性の写真が掲載され、社会に大きな衝撃を与えました。公式な禁止と実態:米軍上層部や政府は、こうした行為がジュネーヴ条約(戦死者の尊厳保護)に違反するとして1942年時点から厳格に禁止令を出していました。しかし、前線での激しい人種的憎悪や、日本兵を人間扱いしない風潮(非人間化)から、憲兵の目を盗んで終戦まで密かに行われ続けました。戦後、これらの「骨の戦利品」の多くはアメリカ国内の遺品整理などで発見され、現在も日本政府や関係団体によって遺骨の返還(日本への送還)手続きが進められることがあります。もしこの歴史的背景について、当時の日本側の報道(新聞の反応)や、米軍がなぜそのような行動に走ったのかという心理的要因など、さらに詳しく知りたい点があればお知らせください。米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断 - Wikipedia日本側はこれらの言動を察知して、プロパガンダに利用した。 ハルゼーの発言 ... 骨で彫ったペーパーナイフを贈呈されたという。後に大統領はその ...WikipediaAmerican mutilation of Japanese war dead - WikipediaThe phenomenon of "trophy-taking" was widespread enough that discussion of it featured pro...WikipediaSadly, human trophies are as old as war itself | Reuters2012/04/19 — The desecration of the bodies of Japanese soldiers was so common that in 1944, Life , open...ReutersSkull Questions:3 The Life image sparked a debate in the public discourse of the United States that became...University of PennsylvaniaSkulls, Ears, Noses, And Other Morbid "Trophies" Americans ...2017/11/13 — The taking of the trophies was in large part due to the widespread idea in America that th...All That's InterestingReligion: Honor After Death - TIMEMost Americans were horrified to learn that among the souvenirs which U.S. servicemen have...Time MagazineAmerican Mutilation of Japanese War Dead: Trophy ...2026/05/24 — The mutilation of Japanese service personnel included the taking of body parts as “war sou...Utterly InterestingHow enemy mutilation entered US mainstream in WWII ?2016/09/25 — Propaganda poster for Thirteenth Naval District, US Navy, showing a rat wearing a rising s...The Vintage NewsMay 22, 1944, Life magazine. "Arizona war worker writes her Navy ...2022/02/20 — "Arizona war worker writes her Navy boyfriend a thank-you-note for the Jap skull he sent h...Reddit·r/interestingasfuck AI は不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください
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https://forebears.io/surnames/einstein
157,100th Most Common surname in the World
Approximately 2,785 people bear this surname
だそうです。
サンデルとヴァンス(および彼の影響源であるパトリック・ディーン)の理論的近さは興味深いポイントです。左寄りの哲学者(サンデル)と右派の政治家(ヴァンス)の間で、根本的な「反リベラル個人主義」という共通基盤があり、現代政治思想の再編を象徴しています。
『リベラリズムと正義の限界』や『民主政の不満』で、ロールズ的な「無拘束の自己(unencumbered self)」を批判。個人は共同体・伝統・共有の善(common good)の中で形成されるのに、リベラリズムは中立的な国家・権利優先で共同体を空洞化させたと主張。 meritocracy(功績主義)の「暴政」も痛烈に批判(『The Tyranny of Merit』)。
リベラリズムの成功が逆に共同体(家族、地域、宗教、国民)を破壊したと診断(ディーンの『Why Liberalism Failed』)。ヴァンスはこれを公に引用・共感し、「共通善保守主義(common good conservatism)」を掲げ、国家や共同体が積極的に価値・文化・経済を再構築すべきと主張。
サンデルの最近の著作は、ヴァンス周辺の議論(全国保守主義やポストリベラル)で頻繁に言及されます。両者とも、グローバル化・エリート主導の市場が中間層・共同体を破壊し、文化的・経済的疎外を生んだと見る。
サンデルは左寄り(多文化・平等重視)ですが、共和主義的伝統(自己統治、徳、共同体参加)を復権させる点で保守的要素あり。一方、ヴァンスはそれを右派的に具体化:移民制限、家族政策、保護主義、反Woke文化防衛として。方向は逆ですが、「国家/共同体が共通善を定義・推進する」という権威的傾向は重なります。
これは20世紀後半のリベラル・コミュニタリアン論争が、21世紀に右派版として再演されたと言えます。コミュニタリアニズムは元々左右双方に影響を与え(左は多文化・福祉、右は伝統・ナショナリズム)、ポストリベラル右派がその「右翼版」を取り出した形です。サンデル自身はリベラル寄りですが、彼の共同体重視はディーンやヴァンスの「反体制・共通善」論に理論的土台を提供しました。
スペインはイラン攻撃にアメリカがスペイン国内の軍事基地を使うことを拒否した。
スペイン首相のペドロ・サンチェスは、昨日付で英国のThe Economist誌にNo to warという論説文を寄稿している。その一部を引用し、サンチェス首相とスペイン国民の勇気に心からの拍手を送りたい。
The war against Iran may serve to increase the profits of military-adjacent industries, and to cover up domestic problems and shortcomings in certain places. But it will not serve to make Israel safer or promote a fair solution for Gaza. It won’t weaken Vladimir Putin or make peace in Ukraine any easier. It won’t help to eradicate poverty in the Global South, or tackle climate change. And it will certainly not deliver higher wages, stronger public services and better lives to our citizens back home.
(…)
Some will say our aspiration is naive. But what is truly naive is believing that an escalating exchange of drones and missiles like what we are witnessing will lead to anything good. What is naive is to think that democracy and stability will emerge from the ashes. History has already tested that formula—and it does not work.
Fortunately, we are not alone in this thinking. Many countries have advocated a similar view in the past few days, and I hope that many others will follow. The time has come to choose what principle will guide our common future in this century: the rule of force, or the force of rules. Spain will always stand on the side of international law, co-operation among nations and the protection of human life.
(…)
イランに対する戦争は、軍需関連産業の利益を増やし、ある国々における国内の問題や欠点を覆い隠すことには役立つかもしれません。しかし、それによってイスラエルがより安全になることはありませんし、ガザ問題の公正な解決が進むこともありません。
それは、ウラジーミル・プーチンを弱体化させることにも、ウクライナでの和平を容易にすることにもつながりません。グローバル・サウスにおける貧困の根絶や、気候変動への対処にも役立ちません。
そしてもちろん、それによって自国の市民により高い賃金、より強い公共サービス、そしてより良い生活がもたらされることもありません。
これらすべての理由から、私たちは、この作戦のために我が国の領土にある軍事基地をアメリカ合衆国が使用することを認めない決定をしました。これは主権国家としての私たちの権利であり、また両国間の二国間協定においても想定されている選択肢です。
(中略)
私たちの目標はナイーブだと言う人もいるでしょう。しかし、本当にナイーブなのは、私たちが今まさに目にしているようなドローンやミサイルの応酬が激化していくことが、何か良い結果につながると信じることです。ナイーブなのは、民主主義や安定がその灰の中から生まれると考えることです。歴史はすでにその方法を試してきました――そして、それはうまくいきませんでした。
幸いなことに、このような考えを持っているのは私たちだけではありません。ここ数日の間にも、多くの国々が同様の立場を表明してきましたし、さらに多くの国々がそれに続くことを願っています。今こそ、この世紀における私たちの共通の未来を導く原則が何であるのかを選ぶ時です。力による支配なのか、それともルールの力なのか。スペインはこれからも常に、国際法、国家間の協力、そして人命の保護の側に立ち続けます。
(以下略)
40年に解禁される特殊部隊ドクトリン解放数を増加できるディシジョン。
これには罠があって、特殊部隊ドクトリンを一つしか解放できないパターンがある。
これは特殊部隊ドクトリンの解放できる数をインクリメントする効果ではない。
もともと、特殊部隊ドクトリンを解放できるかどうかはフラグで管理しており、このディシジョンは「解放できる」に上書きするだけの効果。
そしてこのディシジョンが現れる・実行できる判定に現在のフラグの状態は含まれていない。
つまり、ひとつも特殊部隊ドクトリンを解放せずに40年を迎えて、「精鋭部隊の多角化」の通知が出て邪魔だからととりあえず実行すると、フラグは
に変化する。
に変化するので、ふたつめの特殊部隊ドクトリンを解放できない。
軍経験値は貴重だが、通知を非表示にすると忘れがち…と、内部実装を忘れてとりあえずクリックしてしまう。失敗に気づくのはだいぶ後だ。
modでIF節を追加すれば防げそうだが、覚えていれば防げるミスと自動で防ぎたい類のミスのちょうど間ぐらいで手が動かず、とりあえず書き残す。
また、このフラグとかXORの条件をいじれば、特殊部隊ドクトリンを追加するmodを選択してもフラグをオフにしないこともできて、デフォルトの2枠+追加ドクトリンのようにもできる。
1.17は特殊部隊ドクトリン自体には大きく手が入っていないのでしばらく使えるだろう。
common/decisions/_generic_decisions.txt
diversify_special_forces = {
を参照されたし。
Regarding the EU Omnibus Bill, Japanese experts appear to be lobbying your organization and other institutions. I believe the following points require attention:
1) It has become common in Japan to consider regulations regarding making decisions about individuals as the core of personal data protection, but this is a mistake. First, it is important to note that models trained on personal data or insights gained from statistically analyzing personal data can affect individuals even when used to make decisions about a group (rather than individuals). Second, such insights and models can be used by anyone, not just those who analyzed or trained them. On the other hand, if personal data is accumulated in a rich form, it can be used for various analyses, so the accumulation itself can be a threat.
2) Therefore, the core of personal data protection regulations is to curb the diversion of personal data beyond the intended use in the original context in which it was received, and the collection and distribution of personal data without limiting its purpose. Japanese law (as in the Omnibus Bill) defines personal data as data that may be personal data for one entity but not for an entity that does not identify the individual. As a result, this curb does not work well in Japan, and it has led to confusion and complexity in on-site practice. I believe the EU should not repeat Japan's mistakes.
3) Allowing the training of general-purpose AI with personal data as a "legitimate interest" is tantamount to abandoning the curb mentioned in paragraph 2) above. Even if it is proven that current LLMs are unable to recognize individuals in an integrated manner across multiple training data sets or RAG entries, this merely means that this has not been achieved with the current state of technology, and I believe that this should only be permitted if explicitly stipulated as an exception.
EUオムニバス法案に関して、日本の専門家が貴団体をはじめとする機関にロビー活動を行っているようです。以下の点に留意する必要があると考えます。
1) 日本では、個人に関する決定に関する規制を個人データ保護の中核と考えることが一般的になっていますが、これは誤りです。第一に、個人データで訓練されたモデルや、個人データの統計的分析から得られた知見は、個人ではなく集団に関する決定に使用された場合でも、個人に影響を与える可能性があることに留意することが重要です。第二に、こうした知見やモデルは、分析や訓練を行った者だけでなく、誰でも利用できる可能性があります。一方で、個人データがリッチな形で蓄積されれば、様々な分析に利用できるため、蓄積自体が脅威となる可能性があります。
2) したがって、個人データ保護規制の中核は、個人データが本来の文脈において意図された用途を超えて転用されること、そして、目的を限定せずに個人データが収集・流通されることを抑制することです。日本法の定義によると、(オムニバス法案と同様)ある主体にとっての個人データが、個人を特定できない主体にとっては個人データではないデータとなります。その結果、この抑制は日本ではうまく機能せず、現場の実務に混乱と複雑性をもたらしています。EUは日本の過ちを繰り返すべきではないと考えます。
3) 個人データを用いた汎用AIの学習を「正当な利益」として認めることは、上記2)の抑制を放棄するに等しいものです。仮に、現行のLLMが複数の学習データセットやRAGエントリにまたがる統合的な個人認識が不可能であることが証明されたとしても、それは単に現状の技術水準では実現できていないことを意味するに過ぎず、例外として明示的に規定される場合にのみ認められるべきであると考えます。
2025-09-11 公開 2026-04-09 トラバツリーの開閉に対応しました 2026-05-04 トラバツリーの開閉を下位のツリーにも対応しました 2026-06-01 はてなによる増田のアップデートに対応しました
/* しゃあっ 増田神影流 "三大・アンケート・増田" に付随するトラバツリーだけを隠す (開閉ボタン [▽] に応じて下位のツリーを開けるようにしている) */ li:has( > .trackback-header > a[href="https://anond.hatelabo.jp/20250402202459"]) > div.box-curve{ border: 1px dashed blue; } li:has( > .trackback-header > a[href="https://anond.hatelabo.jp/20250402202459"]):has(ul) > .trackback-header img[src="/assets/images/common/open.gif"], li:has( > .trackback-header > a[href="https://anond.hatelabo.jp/20250402202459"]) li:has(ul) > .trackback-header img[src="/assets/images/common/open.gif"]{ background: #00f4; outline: 2px solid #00f4; border-radius: 2px; } li:has( > .trackback-header > a[href="https://anond.hatelabo.jp/20250402202459"] + a > img[src="/assets/images/common/open.gif"]) > ul, li:has( > .trackback-header > a[href="https://anond.hatelabo.jp/20250402202459"]) li:has( > .trackback-header img[src="/assets/images/common/open.gif"]) > ul{ display: none; }
ユーザースタイルを適用する方法は [Stylus Chrome] や [Stylus Firefox] などのキーワードで検索して調べてみてください。
しゃあっ召喚 anond:20250528235241 対策としても。
In Japanese “ふるさと”(furusato) means not only his born or grown town but also countryside or nostalgic town. Does the word “hometown” have same meanings?
Great question! You're absolutely right that the Japanese word 「ふるさと」(furusato) carries rich emotional and cultural connotations. It can mean:
In contrast, the English word “hometown” is more limited in meaning. It typically refers to:
It does not usually carry the same emotional or nostalgic depth as 「ふるさと」. For example, “hometown” doesn’t naturally evoke images of countryside, nature, or childhood memories unless additional context is given.
If you want to express the broader, more emotional meaning of 「ふるさと」 in English, you might use phrases like:
Would you like help translating a specific sentence or concept involving 「ふるさと」 into natural English?
今の回答を日本語に訳して
⸻
ご質問ありがとうございます! おっしゃる通り、日本語の「ふるさと」には豊かな感情や文化的な意味が込められています。具体的には:
一方で、英語の “hometown” はもう少し限定的な意味しか持ちません。通常は:
そして、「hometown」は「ふるさと」のように、田舎の風景や郷愁、自然とのつながりなどを自然に連想させる言葉ではありません。感情的・文化的な深みは、文脈を加えないと伝わりにくいです。
「ふるさと」の広くて感情的な意味を英語で表現したい場合は、以下のような表現が使えます:
⸻
昨日一番肝心なファイルなのにURLとみなされる部分が多いことの関係で投稿できなかったのでそれを小分けにして書く。
小分けというか例のスパムの影響でNGワードに引っかかっていたようなのでそこだけ書き換えた。
suuportと書いていある部分は元のコードでは当然uが一つ少ないので利用するときはそうすること。
from selenium import webdriver
from selenium.webdriver.chrome.options import Options
from selenium.webdriver.chrome.service import Service
from webdriver_manager.chrome import ChromeDriverManager # ← 追加
from selenium.webdriver.common.by import By
from selenium.webdriver.suupport.ui import WebDriverWait
from selenium.webdriver.suupport import expected_conditions as EC
import time, json
from selenium.common.exceptions import TimeoutException
class HatenaClient:
def __init__(self, username, password):
self.username = username
self.password = password
self.driver = None
def start_browser(self):
options = Options()
options.set_capability("goog:loggingPrefs", {"browser": "ALL"})
options.add_argument("--headless=new") # 開発中は消してよい
options.add_argument("--disable-gpu")
# ✅ webdriver-manager を使って ChromeDriver を自動取得・設定
service = Service(ChromeDriverManager().install())
self.driver = webdriver.Chrome(service=service, options=options)
def login(self):
self.driver.get("https://b.hatena.ne.jp/my")
print(self.driver.current_url)
self.driver.get("https://www.hatena.ne.jp/login")
time.sleep(2)
self.driver.find_element(By.NAME, "username").send_keys(self.username)
self.driver.find_element(By.NAME, "password").send_keys(self.password)
self.driver.find_element(By.XPATH, "//button[contains(text(), 'ログイン')]").click()
WebDriverWait(self.driver, 10).until(lambda d: "my" in d.current_url or "login" not in d.current_url)
if "passkeys" in self.driver.current_url:
self.driver.get("https://b.hatena.ne.jp/my")
print(self.driver.current_url)
print(self.driver.title)
return "dorawii" in self.driver.current_url
def add_bookmark(self, target_url):
self.driver.get(f"https://b.hatena.ne.jp/{self.username}/add.confirm?url={target_url}")
time.sleep(2)
try:
# コメントがあれば入力
comment_box = self.driver.find_element(By.CSS_SELECTOR, "textarea.bookmarkadd-comment-form")
comment_box.clear()
comment_box.send_keys("わしが書いた")
# 登録ボタンを押す
save_button = self.driver.find_element(By.CSS_SELECTOR, "input.bookmarkadd-submit-btn")
save_button.click()
time.sleep(2)
return True
except Exception as e:
print(f"Bookmark failed: {e}")
return False
def quit(self):
self.driver.quit()
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE-----
Hash: SHA512
https://anond.hatelabo.jp/20250822131958#
-----BEGIN PGP SIGNATURE-----
iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaKfv9AAKCRBwMdsubs4+
SE26AQCkpJE4RdUbFIDIJjOunjFYRQ34zdS1cqV7IX277S7IPAEAshVE/rD8Ggcr
9UKo5yOY6GNrHGYJJtYTYkn3cySu6AA=
=E4vq
-----END PGP SIGNATURE-----
特定のドメインをキーワードに検索するとほとんど同じ回答者の投稿がヒット。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250813174843# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaJxRbQAKCRBwMdsubs4+ SIjzAQC6c3qGGurVL/QKWdWfuxkq0RZsoQ9rdIFqJH/fLM9f3gEAuorROoYujFsP 7Q0ksHkaoI2+Jw2fmB5Yw899FRfgSQk= =q1Oz -----END PGP SIGNATURE-----
グライス流仄めかし(Gricean insinuation)は、**話し手が論争の的となる内容を会話に導入しつつ、それを公式には述べていないと同時に示す**ことで、二つの目標を達成するコミュニケーション行為です [1]。これにより、話し手は異議を唱えられた際に、**その暗示されたメッセージに対する意図を plausibly deny(もっともらしく否定)できる**という特徴があります [1]。
筆者は、グライス流仄めかしを「**部分的に公然(partially overt)であり、かつ部分的に隠然(partially covert)であるコミュニケーション**」と定義しています [1-3]。つまり、その背後にある意図は認識されることを意図していますが、それが認識されることを意図されていると認識されることは意図されていません [3, 4]。
このグライス流仄めかしが心理的にもっともらしい否定可能性を維持するために利用するメカニズムが、**フェイク一方通行鏡効果(Fake One-Way Mirror Effect)**です [2, 5-7]。この効果は、**話し手が自分の意図が聞き手に認識されるかどうかについて無関心を装う**ことで生じます [5, 8, 9]。
フェイク一方通行鏡効果の例と、それがグライス流仄めかしにどう関わるかについて説明します。
この効果は、**話し手の意図の反復的な構造((SM2)で示されるような無限の連鎖)や、会話の文脈が更新される際の共通信念(common belief)の反復的な構造を途絶させる**ことで生じます [10-15]。話し手は、聞き手が自分の意図を認識することを意図しているという事実を、聞き手が認識しないように仕向けます [11, 13, 15-17]。
### 具体例
1. **「仕草でばれる笑顔(Giveaway Smile)」のシナリオ** [16, 18]
* **状況**: アン(社員)がピーター(上司)とブリッジをしています。アンはピーターに勝ってほしいし、そのことをピーターに知ってほしいと思っていますが、露骨にはしたくありません [16, 18]。
* **行動**: アンは、良い手札のときに自発的な喜びの笑顔を装います [16, 18]。この笑顔は、ピーターに「アンが良い手札を持っている」と信じさせることを意図して作られています。アンはピーターがこの意図(i1)を認識することを意図しています(i2) [16, 18, 19]。
* **フェイク一方通行鏡効果**: しかし、アンはピーターが「彼女の笑顔が、彼に自分の手札が良いと信じさせようとする意図をもって行われている」という彼女の意図(i2)を認識することを隠したいと思っています [16, 18]。つまり、彼女はピーターに、彼女の笑顔が彼に良い手札があると信じさせる意図(i1)をもって作られたことを認識させたいが、その意図(i1)が公然であること、ひいては彼女の笑顔が「伝える」行為であることを彼に認識させたくありません [16, 18]。
* **結果**: アンは、ピーターが自分の演技された笑顔が、彼に良い手札があると信じさせる意図(i1)をもって行われたことを認識することを意図しているという彼女の意図(i2)を、ピーターが認識しないようにします(i4') [11, 16]。これにより、アンは「良い手札があることを伝えた」という責任を回避できる、**心理的にもっともらしい否定可能性**を維持します [6, 19]。ピーターはアンの意図を認識しますが、その意図が公然であるかどうかについて不確かなままです [6]。
2. **サリーとハリー、ジョンとマリアのシナリオ(修正版)** [13, 20-22]
* **状況**: サリーとハリーがベンチに座っていると、ジョンがバスから降りてくるのを見かけます。サリーは「今週、マリアの家の近くのバス停でジョンがバスから降りるのを見たのはこれで3回目だわ」と言います(発話 (3)) [20, 22]。
* **グライス流仄めかし**: サリーは、ジョンとマリアが不倫関係にあることを仄めかそうと意図しています(Q) [13, 21]。
* **フェイク一方通行鏡効果**: サリーは、ハリーがジョンとマリアが不倫関係にあると信じること(i1)を意図していることを、ハリーが認識すること(i2)を意図しているかのように振る舞いつつも、**その意図(i2)が満たされているかどうかに無関心を装います** [8, 9]。
* **結果**: サリーのこの「無関心のふり」は、会話におけるフェイク一方通行鏡として機能します [8, 9]。これにより、ハリーはサリーがQを伝えようとしていることを理解する一方で、サリーがその意図(i1)を認識することを意図しているかどうかについて不確かなままになります(i4'が満たされる) [9, 13, 15, 17]。この不確かさにより、サリーは「Qを伝えようとした意図はなかった」と**もっともらしく否定できる**立場に置かれるのです [7, 9, 17]。
3. **クラブでの喫煙者とFのシナリオ(修正版)** [23, 24]
* **状況**: Fと恋人のOがクラブの列に並んでおり、後ろに喫煙者がいます。FはOがタバコを持っていないことを知っていますが、Oに「ああ、タバコが一本あればな。何か持ってる?」と言います [23]。
* **グライス流仄めかし**: Fは、Oに話しかけることで、後ろの喫煙者にタバコを差し出すように促すことを意図しています [23-25]。
* **フェイク一方通行鏡効果**: Fは、喫煙者が、彼がタバコを要求する意図(i1)をもって発話していることを認識すること(i2)について、**無関心を装います** [24, 25]。
* **結果**: この「無関心のふり」により、Fは会話的なフェイク一方通行鏡効果を生み出します [25]。これにより、喫煙者はFの意図を認識するものの、Fがその意図が認識されることを意図しているかどうかについて不確かなままになり、Fは**心理的にもっともらしい否定可能性**を維持できます [7, 25]。
フェイク一方通行鏡効果は、**グライス流仄めかしの根幹をなすメカニズム**です [2, 5-7]。グライス流仄めかしの話し手は、**「部分的に公然」というコミュニケーション戦略を通じて、自分の意図が特定のレベルを超えて認識されないようにする**ことで、この効果を生み出します [3, 6, 8, 11]。これにより、**潜在的に問題のある内容を会話に持ち込みながら、それを非公式なものとしてマークし、挑戦された際には意図を否定できる立場を確保する**ことができます [1, 7, 21]。
この効果は、**話し手が意図の履行に対する関心を示さないことを装う**ことによって達成されます [8, 9]。通常、コミュニケーションでは、話し手は自分の意図が聞き手に認識されることに関心を示すものですが、仄めかしの話し手はこの関心を装って隠します [9]。これにより、聞き手は話し手の意図を認識したとしても、その認識が話し手によって認識されているかどうか、つまり**意図が公然であるかどうかについて不確かな状態**に置かれます [9]。この不確かな状態こそが、**否定可能性**を可能にするのです [7, 9, 17]。
DeepLearningモデル変換ツール全部盛り巨大Docker環境の構築
Introduction
めんどくさい。この世のすべての環境構築がめんどくさい。依存関係破壊祭りでツラい。したがって、Github Actions 上でモデル変換にまつわる環境を全部取り込んで docker build して超巨大全部盛りDLモデル変換環境を構築した。足りない周辺のツールは各自追加インストール。GUI や iGPU/dGPU や ホストへ接続された USB機器 へコンテナ内からアクセスできるため実行環境としてもそのまま使える。ただし、とにかくImageがデカイ & セキュリティガバガバ。GitHub Actions のコンテナビルドの容量制限に引っかかることを回避するためのトリックを仕込んである。
2. Environment
Python 3.6+
TensorFlow v2.6.0+
PyTorch v1.10.0+
TorchVision
TorchAudio
OpenVINO 2021.4.582+
TensorRT 8.2+
pycuda 2021.1
coremltools
onnx
onnxruntime
onnx_graphsurgeon
onnx-simplifier
onnxconverter-common
onnx-tensorrt
onnx2json
json2onnx
tf2onnx
torch2trt
onnx-tf
tensorflow-datasets
tf_slim
edgetpu_compiler
tflite2tensorflow
openvino2tensorflow
gdown
pandas
matplotlib
https://www.imdb.com/de/list/ls599665763/
https://www.imdb.com/de/list/ls599665763/copy/
https://www.imdb.com/pt/list/ls599665659/
Chrome系ブラウザには増田を快適に閲覧するための コンパクトな増田 という古い拡張機能があったが、Chromeの更新に対応し切れておらず、既にChromeには新規インストールできなくなってしまっている。Edgeにはまだインストール可能だが、いずれ対応しなくなる可能性が高い。
そこで、「増田のトップページで、言及エントリ(返信・トラバ)を一覧から除外することで、新規エントリだけを一覧できる」という機能に絞ってコンパクトな増田を再現、ついでにいくつかのおまけ機能を付与したスタイルシート(CSS)を今年の4月に公開していたのだが、今回改めて英文スパム対策を追加したので公開する。
これを導入するには Stylus という拡張が必要で、少し気軽さには欠けるが、増田以外にも活用できるので、この機会にぜひ導入してみてほしい。拡張をインストールしたあとは、下記のコードをコピペして新規スタイルとして導入する方法もあるが、スタイルシートを公開できる userstyles.world の増田CSSページ(※毎朝9:00直後はアクセスできない) から [Install] ボタンでインストールするほうが、自動更新にも対応するので便利かもしれない。
/* トップページで言及エントリを除外 */ /* via: 最近ファーストブクマカが静か https://anond.hatelabo.jp/20250326171302 */ h1/*はてな匿名ダイアリー*/ + #intro/*名前を隠して楽しく日記。*/ + #body div.section:has(h3 > a/*■*/ + a:not(.keyword, .edit)/*anond:YYYYMMDDhhmmss*/){ display: none; } /* うっかりクリックしがちなキーワードリンクを無効に */ a.keyword{ pointer-events: none; } /* 執筆時のテキストエリアを広く */ textarea#text-body{ min-height: 50vh !important; } /* 執筆時に特殊記号のヒント(疑似要素なので選択してコピペできないのがもどかしいけど) */ p.post-submit > span.explain::after{ margin-left: 1em; padding-left: 1em; content: "特殊記号: &[&] <[<] >[>]"; background: url(/images/common/outsite-wh.gif) 0 3px no-repeat; } /* スパム対策部分は下記URLの [Install] ボタンで事前確認できます(随時更新中) */ /* https://userstyles.world/style/23028/ */
なお、このCSSを適用すると、NGワードを含むこの増田自体も、増田トップページからは消えてしまう(この増田単体の個別ページなら閲覧できる)。
念のため、PC・スマホにCSSを適用する方法の解説にもリンクしておく。
PC: 【Stylus】ウェブサイトにCSSを適用できる拡張機能。自由にカスタマイズ! | ナポリタン寿司のPC日記
https://www.naporitansushi.com/stylus/
※ StylusはFirefox版もある https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/styl-us/
iPhone: MaKeoverアプリでiPhone SafariのCSSをカスタマイズ!万博パビリオン予約結果一覧を見やすくする使い方
https://gintachan.com/makeover-app-css-change-safari-how-to/
Android: スマートフォン Android版FirefoxのCSSカスタマイズ Stylus の使い方・初期設定方法
https://skypenguin.net/2025/06/21/post-109209/
(7/21追記) また、スパムが特に多い時は、1ページまるごとスパムということもあるので、PCなら uAutoPagerize (Chrome) や weAutoPagerize (Firefox) などの拡張を使うと、自動でページが継ぎ足されて快適に読み進められる。ただし、継ぎ足ししまくるとメモリ不足などでブラウザが重くなることがあるので、そうなったら page: 20 などのページ番号をクリックしてから続きを読もう。
また、スパム対策の簡易NGワードは、下記のスクリプトを使って抽出した「直近の増田の頻出キーワードリンク上位20件」から、誤判定しそうな line と user を除いた18件を用いた。10件だと生き残る英文スパムがあったので20件にしたが、それでもわずかに洩れはある。しかし日本語による真っ当な(?)増田の直近の誤判定はなかった。はてなキーワードのリンクだけを対象にしているので、URLにはこれらのキーワードが入っていても大丈夫だ。ただし、スパムのトレンドが変われば話は変わってくるかもしれないし、過去や未来の増田の誤判定は当然あるだろう。気になる人は前掲のCSSを行単位で編集してほしい。
// AutoPagerizeでまとまった数のページを読み込ませた後に実行するとよい。 (function(){ const keywords = []; // はてなキーワードの集計 document.querySelectorAll('a.keyword').forEach(a => { // 4文字未満は誤検出の可能性が高まるので除外 if(a.textContent.length < 4) return; let index = keywords.findIndex(k => k.keyword === a.textContent); if(index >= 0) keywords[index].count += 1; else keywords.push({keyword: a.textContent, count: 1}); }); keywords.sort((a, b) => a.count < b.count); // ランキング配列の出力 console.log(keywords); // CSS埋め込み用に上位キーワードのみをURIエンコードして出力 console.log(keywords.slice(0, 20).map(k => encodeURIComponent(k.keyword)).join('\n')); })();
anond:20250326171302 ←元はこの増田がきっかけでした。
anond:20250701194328 ←キーワード判定に踏み切る後押しとなりました。
「Utopia」の初出。トマス・モアの『Utopia』(1516年)。
「Dustopia」の初出。ルイス・ヘンリー・ヤングの『Utopia: or, Apollo's golden days』(1747年)。
But Heav'n, of late, was all distraction, and, more than ever, rent in faction; Caus'd only by a wretched isle, On which we thought no God would smile:
だが近ごろの天界は混乱の極みにあり、かつてにも増して内紛に引き裂かれていた。それもこれも、ひとつの惨めな島のせいだった。誰の目にも、神が微笑むことなどないと思われていたその島。
Not stor'd with wealth, nor blest in air: no useful Plants could ripen there; Mismanag'd by th' unskillful hinds, or nipt by chilling Eastern winds:
富を蓄えず、空気にも恵まれず、作物は育たずに終わる。未熟な農夫たちにより荒らされ、あるいは東から吹きつける冷たい風に凍えて枯れる。
Or if they flourish'd for a Day, They soon became some Insect's prey: For many such infest the soil, Devouring th' honest lab'rers's toil ; *So venomous, that some had rather have, in their stead, the toad, or adder.
たとえ一日だけ花開いたとしても、すぐに虫の餌食となった。というのも、多くの害虫が土地にはびこり、誠実な労働者の努力を食い尽くしていたのだ。そのあまりの毒性に、むしろヒキガエルやマムシの方がましだと言う者もいるほどだった。
Unhappy isle!
不幸な島よ!
scarce known to Fame; DUSTOPIA was its slighted name.
名声を得ることもなく、「デュストピア」と呼ばれて軽んじられていた。
「Cacotopia」の初出。ジェレミー・ベンサムの『Plan of parliamentary reform』(1817年)。
A constitution, with this poison--slow, but not the less sure—in the bowels of it!—Rotten, even from the time that this poison was injected into it, must have been the matchless constitution,—rotten at the core—and, of such rottenness, what we are now suffering is among the fruits.
この毒を――遅効性ではあるが、それでも確実な毒を――その内臓に抱えた憲法! この毒が注入されたその時からすでに、あの比類なき憲法は腐敗していたに違いない――中核から腐っていた――そして、いま我々がこうして被っている苦しみこそが、その腐敗の産物の一つなのだ。
As a match for Utopia, suppose a Cacotopia discovered and described,—would not filth in this shape be a "fundamental feature" in it?
ユートピアに対抗するものとして、「カコトピア」が発見され、描写されたと仮定しよう――このような汚濁が、その「根本的な特徴」として描かれないだろうか?
ベンサムは、議員たちが国王から官職を与えられることを批判している。小さな賄賂などは不道徳とされて取り締まっているが、国王から官職が与えられることはむしろ名誉として扱われる。実質的にはそれは癒着であり腐敗でしかないのに。という話をしている。
「Dystopia」の初出。ジョン・スチュワート・ミルの議会演説(1868年)。
Now, on this subject the Government have not shown themselves altogether inflexible. The noble Lord the Chief Secretary for Ireland has expressed his willingness in some degree to entertain the principle of religious equality, and 1517 I thank him for it; but, as has been remarked by my hon. Friend the Member for Manchester (Mr. Jacob Bright), he proposed to do it—if at all—by levelling up instead of levelling down. The noble Lord is willing that every valley shall be exalted; but he does not go on to the succeeding clause, and say that every mountain and hill shall be laid low.
さて、この問題に関して、政府は完全に強硬というわけではないようです。アイルランド担当大臣である閣下は、宗教的平等という原則をある程度受け入れる用意があると述べました。これは感謝すべきことですが、マンチェスター選出の敬愛する友人(ジェイコブ・ブライト氏)が指摘したように、彼はこれを「下げる」のではなく「引き上げる」ことで実現しようとしているようです。すなわち、彼は「すべての谷を高くする」ことには賛成ですが、「すべての山と丘を低くする」とまでは言っていないのです。
So long as the national property which is administered by the Episcopal Church of Ireland is not diverted from its present purpose, the noble Lord has no objection at all to this country saddling itself with the endowment of another great hierarchy, which, if effected on the principle of religious equality, would be a great deal more costly than even that which now exists. Does the noble Lord really think it possible that the people of England will submit to this?
アイルランド国教会が管理する国家資産が現在の用途から変更されない限り、閣下はこの国が別の大きな教会制度への助成金という負担を背負うことにはまったく反対ではないのです。そしてもしそれが宗教的平等という原則に基づくのであれば、現在の制度よりはるかに高くつくことでしょう。閣下は本当に、イングランド国民がそれに甘んじると考えておられるのでしょうか?
I may be permitted, as one who, in common with many of my betters, have been subjected to the charge of being Utopian, to congratulate the Government on having joined that goodly company. It is, perhaps, too complimentary to call them Utopians, they ought rather to be called dystopians, or cacotopians. What is commonly called Utopian is something too good to be practicable; but what they appear to favour is too bad to be practicable.
私は、自分自身をユートピア主義者だと非難されてきた多くの優れた方々とともに、政府がその立派な仲間入りをしたことをお祝い申し上げたいと思います。ただ、彼らを「ユートピア主義者」と呼ぶのは、少々褒めすぎかもしれません。「ディストピア主義者」あるいは「カコトピア主義者」とでも呼ぶべきでしょう。通常「ユートピア的」とは、良すぎて実現不可能なものを指しますが、彼らの支持するものは、悪すぎて実現不可能なもののようです。
イングランドはカトリックから離脱して「イングランド国教会」を組織したが、同様にアイルランドでも従来のカトリック教会を「アイルランド国教会」のもとに置いた。しかしアイルランド人の多くは改宗せず、アイルランド国教徒は全体の1/8にすぎなかった。それでもアイルランド国教会は「国教」であるので、アイルランドのすべての教会の財産を保有しており、またアイルランド国教会への助成金は全アイルランド人に課せられる税金から支払われていた。この不平等の是正にあたって、政府は「アイルランド国教会の待遇を下げる」のではなく「他の教会の待遇を上げる」ことで解決しようとしているという。つまり他の教会にも同様の助成金を支払おうとしており、それはもちろんイングランド国民の税金から賄われることになる。そんなことをイングランド国民が許すと思っているのか?とミルは言っている。その後、1871年にアイルランド国教廃止法が施行された。
すまんかった。
これが修正版。もしよければ自分が使ってる別の便利機能も付記したので使ってみてください。
/* トップページで言及エントリを除外 */ /* via: 最近ファーストブクマカが静か https://anond.hatelabo.jp/20250326171302 */ h1/*はてな匿名ダイアリー*/ + #intro/*名前を隠して楽しく日記。*/ + #body div.section:has(h3 > a/*■*/ + a:not(.keyword, .edit)/*anond:YYYYMMDDhhmmss*/){ display: none; } /* キーワードリンクを無効に */ a.keyword{ pointer-events: none; } /* 執筆時のテキストエリアを広く */ #text-body{ min-height: 50vh !important; } /* 執筆時に特殊記号のヒント(疑似要素なので選択してコピペできないのがもどかしいけど) */ p.post-submit > span.explain::after{ margin-left: 1em; padding-left: 1em; content: "特殊記号: &[&] <[<] >[>]"; background: url(/images/common/outsite-wh.gif) 0 3px no-repeat; }
先月作ったCSSだと、「タイトルにキーワードが含まれている」場合と「自分が書いた日記」の場合も一覧から除外されてしまっていた。これはたいへん申し訳ない。テストも兼ねて自分でも何度か活用してはいたものの、一覧される増田の数がなんだか少ないなーとは思いつつも気付いてなかったわ。
https://anond.hatelabo.jp/20250326171302
「コンパクトな増田」がどんなものかググる程度の非ファーストブクマカだ..
https://anond.hatelabo.jp/20250327200436
この記事を書いたら、なんとなく当時好きだったBRIT POPをだらだらと語りたくなったので、リンクをいくつか貼りながら書くことにする
Lazarusのことは満足するくらい書いたけど、この曲、6分くらいの12 inch versionがあってそっちもすごくよいんだよ。ダビィなイントロ(当時センスのよいイギリスバンドはだいたいダブを取り入れてた笑)あとリミックスもいくつかあるけどここでは書ききれない。
https://youtu.be/FGGgzogrxOE?si=h_hqimD7awHS_t5J
Wake Up Boo! のMusic For Astronautsは3分で曲が終わるのにそこから5分以上トリップホップな展開をするのが不思議でよい。
https://youtu.be/-hUxZJYeB3A?si=EckISkWYPynJhWVt
でも、個人的に一番好きな曲はFind The Answer Withinなんだ。このメロディの良さはちょっと抗えないものがある。日本のバンドがしれっとパクって日本語詞を付けて演奏したらヒットチャートに入りそうな曲。
https://youtu.be/LfquAEzgpGM?si=9cUaHlqkVtV1J8MX
Oasisも一番好きなのはLive Foreverなのでこういうミドルテンポの大きいメロディが好きってだけかもしれない。
https://youtu.be/TDe1DqxwJoc?si=YiEaWYAtAv4Om6cG
Roll With ItのPVを見るとBEAT UKを思い出す。しかしリアムもノエルも若いな。もうこのころにはそれなりの人気バンドだったはずだが全然素人っぽいし悪そうな感じもない。
https://youtu.be/DrARl0dzd-0?si=PW8ihjrzGKcSkD1z
結局、自分が最初に認識したのはGirls & BoysなのでBlurに求めるのはそういうものだったりする。Oasisと比べたときの垢抜け具合が笑える。
https://youtu.be/WDswiT87oo8?si=puM4AA6eryQO05lq
とはいえアルバムだとModern Life Is Rubbishが一番好き。For Tomorrowとかロンドンのバンドにしか書けない曲だよなと思う。
https://youtu.be/Fh8GoIxL7dw?si=eZvu9RuPhcAVj6TZ
Boo Radleysの記事では触れなかったが、BRIT POPと言えばPulpだよね。ジャーヴィスコッカーのポップアイコンとしてのすばらしさ。僕はサカナクションは日本のPulpで山口一郎は日本のジャーヴィスコッカーだと思う。
Common Peopleが英国民のアンセムだったというのは本当なのだろうか。
https://youtu.be/yuTMWgOduFM?si=J6mmiWXBN4Svx3Rw
Disco 2000も好き。つまりDifferent Classというアルバムが好き。こういうタイトルをつけられるのはイギリスのバンドだからだよな。
https://youtu.be/qJS3xnD7Mus?si=ocQgcYR1_Vg6yPCQ
「2つのAIに聞いたから正しい」と思っている人は、科学的なリテラシーが不足している可能性が高いね。
なぜ「2つのAIが同じ答えを出した」ことが信頼性の根拠にならないのか?
• 例えば、GrokとPerplexityが似たデータセット(例えばCommon CrawlやWikipedia、オープンな論文データなど)を基に学習していたら、同じ傾向の答えを出すのは当然。
• 「異なるAIが同じ答えを出した」=「客観的に正しい」ではない。
• AIは、学習データから「もっともらしい」答えを生成するだけで、必ずしも事実を保証するわけではない。
• 例えば、AIに「1+1は?」と聞けばどれも「2」と答えるが、それは数学が論理的に正しいから。
• しかし「○○の事故発生率は?」と聞いた場合、その答えは学習データや計算方法に左右される。
3. AIの答えを正しいと考えるなら、その根拠を検証する必要がある
• 「この答えが正しいかどうか?」ではなく、「この答えは何を根拠にしているのか?」が重要。
• AIの出した確率が正しいなら、その確率が導き出された「統計データ」「研究論文」「政府発表」などの一次ソースを確認すべき。
「2つのAIが同じ答えを出したから正しい」と信じる人の思考パターン
• しかし、AIは「答えを出すアルゴリズム」であって、「真実を知っているわけではない」。
2. 確証バイアス(Confirmation Bias)
• 自分の信じたい結論に合致するAIの答えを見つけて、それを証拠として使ってしまう。
• 「2つのAIが同じことを言ってる!これは確かに正しいはず」と考えてしまう。
• 確率や統計の計算がどう行われるのかを理解せず、「AIが計算したんだから正しい」と思い込む。
• でも、確率の計算は前提条件(データのサンプル、母集団の定義など)に大きく依存する。
この考え方をどうすれば正しくできるか?
• 「AIが言っているから」ではなく、「AIの答えの根拠となるデータを調べる」
• 出典を探し、学術的な一次ソースを確認する(査読付き論文、政府機関のデータ、統計調査など)
• AIの出した確率がどのように計算されたのかを理解する(単なる言語モデルの推測なのか、統計モデルに基づくのか)
結論として、「2つのAIが言っているから正しい」と思う人は、科学的なリテラシーが不十分で、情報を批判的に評価するスキルが足りていない可能性が高い。
江戸時代の江戸市内における馬の数については、具体的な統計データは残っていませんが、いくつかの資料からその状況を推測することができます。
江戸時代初期(1603年 - 1700年頃):
江戸時代を通じて、馬は江戸市内で重要な役割を果たしており、武士や商人、農民など、さまざまな階層の人々に利用されていました。
江戸時代の馬に関する詳細な情報を知りたい場合は、上記のリンクを参考にしてください。
江戸では馬の数が圧倒的に多かった。というのも、いざ戦陣という場合に備え大名や旗本などは家格や石高(こくだか)に応じ、ある一定の数の馬を飼っておく必要があったから、武家屋敷の玄関の横には「馬の口」という厩舎があり、そこでは馬の嘶(いなな)きが聞こえていた。
江戸時代の江戸市内における武士の馬の保有数については、具体的な統計データは残っていません
江戸時代の江戸市内では、乗馬に関して厳しい規制がありました。特に、身分によって乗馬が制限されていました。
これらの規制は、江戸の治安維持や風紀を保つために設けられていました。
江戸時代の乗馬規制について、さらに詳しく知りたい場合は、以下のリンクを参考にしてください:
江戸時代の農工商身分にとって乗馬技術・乗馬できることはどれほど一般的なスキルだったか
江戸時代の農工商身分にとって、乗馬技術や乗馬できることは一般的なスキルではありませんでした。以下にその理由を説明します。
1. **農民**: 農民は主に農業に従事しており、馬は農作業や運搬に使用されることが多かったです。しかし、農民が馬に乗ることは稀であり、馬を使う場合は荷物を運ぶための手段として利用されました。
2. **職人**: 職人は物を作ることが主な仕事であり、乗馬技術は必要ありませんでした。職人が馬に乗ることはほとんどなく、移動手段としても徒歩や駕籠(かご)が一般的でした。
3. **商人**: 商人も同様に、乗馬技術は一般的ではありませんでした。商人は物資の運搬や商取引のために馬を利用することはありましたが、自ら馬に乗ることは少なかったですはなぜ差別された ...](https://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/)。
江戸時代の社会では、乗馬は主に武士階級に限定されており、農工商身分の人々にとっては一般的なスキルではありませんでした。乗馬は武士の特権とされ、他の身分の人々が馬に乗ることは制限されていました。
はなぜ差別された ...](ttps://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/): [士農工商とは](https://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/)
江戸時代の武士以外は乗馬が一般的ではないので、物資および"馬自体"の高速な輸送はできなかったか
江戸時代の武士以外は乗馬が一般的ではなかったため、物資や馬自体の高速な輸送は難しかったです。しかし、江戸時代には他の輸送手段が発達していました。
1. **水運**: 江戸時代の物流の中心は水運でした。江戸は河川や運河が発達しており、物資の大量輸送が可能でした。特に、廻船(かいせん)と呼ばれる船が全国各地から江戸に物資を運びました。
2. **飛脚(ひきゃく)**: 飛脚は重要な文書や小荷物を迅速に運ぶための専門職で、江戸から大阪までの距離をわずか数日で走破することができました。
3. **陸上輸送**: 陸上輸送も行われていましたが、馬車や荷駄(にだ)を使った輸送は限られていました。特に、江戸時代の街道整備により、物資の輸送が効率化されました。
これらの手段を組み合わせることで、江戸時代の物流は効率的に行われていました。物資の輸送は水運が中心であり、飛脚や陸上輸送が補完的な役割を果たしていました。
Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC
https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo
Shadow’s trailer also generated backlash from some gamers, who criticised the choice of Yasuke as a main character over a native Japanese protagonist.
Opponents have accused those critics of being racist, and have pointed out that Yasuke is based on a real-life person.
Charles, speaking to Newsbeat before the trailer dropped, says the developers “put a lot of emphasis on authenticity and making sure we depict Japan and the culture right”.
“So when we started the project, we had a historian with us from day one,” he says.
He says the team also consulted weapons experts and travelled to Japan to get a feel for the landscape and locations in the game.
シャドウズのトレーラーは、一部のゲーマーからの反発も生みました。彼らは、日本人主人公ではなく弥助を主人公として選んだことを批判しました。
これに対して、批判者たちを人種差別主義者だと非難する声も上がっており、弥助が実在の人物に基づいていることが指摘されています。
チャールズは、トレーラー公開前にNewsbeat(BBCのニュース番組)との対話で、開発者たちが「日本とその文化を正しく描写することに重点を置き、真正性を重視した」と述べています。
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
When feudal Japan’s most powerful warlord Nobunaga Oda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed the man was a god.
Oda had never seen an African before. And like the locals in Japan’s then-capital of Kyoto, he was awed by Yasuke’s height, build and skin tone, according to Thomas Lockley, the author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan.”
“When Yasuke got to Kyoto (with Jesuit missionaries), there was a massive riot. People wanted to see him and be in his presence,” says Lockley, who spent nine years researching and writing the book, which was published last month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” a god of prosperity usually represented by black statues in temples. He tried to rub the pigment from Yasuke’s skin, believing it was black ink. Once convinced Yasuke was real, he immediately threw a feast in his honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
最近も IGN Japan 使って煽り散らかし https://youtu.be/keiDRORg9hc
ここまでやるなら、ゲームに規制は不要!!あらゆる規制に反対する!!と表明したらよかったのでは?って思うが、
なぜか日本版だけ日本人の首ホームラン出来るのが禁止されているの突っ込まないんですよね。Roninはゴア表現あるのになぜでしょうね?
あと日本人の非武装市民はペナルティ無し攻撃できるけど白人キャラは攻撃できないこともツッコミなし。NPCだろうが攻撃できるゲームはいくらでもあるんですけど
It was surprisingly gory, like the decapitations, you could get coated in blood. How vital is that to the assassin’s fantasy?
(斬首シーンなどでは、予想外に残虐で、血まみれになることもありますね。これはアサシンのファンタジーにとってどれほど重要なのでしょうか?)
I think it’s not an assassin thing, it’s a Japan thing in our case. So looking at death was a day-to-day occurrence in that period, and the way most people died in Japan during that time is clean decapitations.
So we didn’t want to shy away from it, although you can turn off the violence if you want. There’s options for it. You can turn off the blood, you can turn off the dismemberment and stuff. So it’s more trying to be faithful to the war aspect of Japan at that period. Death was a common thing and decapitation was not a strange sight in Japan.
私たちの場合、これはアサシンに関することというよりも、日本に関することだと考えています。当時の日本では、死を目にすることは日常的なことでした。そしてその時代の日本で多くの人々が死んでいった方法は、きれいな斬首でした。
ですので、私たちはそれを避けようとはしませんでした。ただし、望めば暴力表現をオフにすることもできます。そのためのオプションがあります。血の表現をオフにしたり、切断などの表現をオフにしたりすることができます。これは、むしろその時代の日本の戦争の側面に忠実であろうとする試みなのです。死は日常的なことであり、斬首は日本では珍しい光景ではありませんでした。
こっちなら付き合うぞ
ローカルでテキスト・画像生成のモデル動かしてみようをそのうち書こうと思うけど、Windowsアーキテクチャの簡単な説明欲しい?
コア分離あたり。ほかにも欲しいのがあれば書いとくけど
というか、Ubuntu、Ubuntu 騒いでる子がいるが、そもそもPCにWin11/Win10入ってるか?
(Windows + Docker Desktop :バックエンドWSL2 Ubuntu の予定。なお、YouTube に構築動画が無限にあるぞ)
こういうのもいける?ちなURLはスパム対策で7個か8個までしか貼れなかった気がする
英語版:
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