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2026-07-19

子供への愛情というスパイスで誤魔化されているけれども

子育てという行為が好きでもないのに

子供産んでる母親多いな〜

私も含めて

母親って「自分の子ども好きでしょ?ママと子供と一緒にいられて幸せでしょ?」っていう前提条件で

世の中考えられてるから

まあ、母親育児ストレスを当たり前に我慢してる人たちがほとんどなんだけれども

我々下手したら育児ストレス子供虐待したり

子供を殺したりする危険性と実は隣り合わせ

で、生活してる

昨日ニュース40代母親が2歳の娘にありえない暴力ふるって

父親警察通報してたけども(この事件香川県高松市の自宅で2歳の娘を投げ倒すなどの暴行を加えた疑いで母親逮捕されました。 暴行の疑いで逮捕されたのは、高松市今里町の無職の女(44)です。)

育児って本当に我が子をぶん殴りたいほど腹が立つ瞬間というのはしょっちゅうですし

ストレスの果てに子供殺してる母親だっている

うん、もうクズ母親というのはさ、クズから赤ちゃんポスト赤ちゃん預ける手間も惜しんで0歳児でも容赦なく浴槽に沈めて殺してます

1歳児だろうが2歳児だろうが

めっちゃ可愛い時期なのに殺してます

クズ母親というものは、自分意思育児始めたくせに

育児ストレス被害者ヅラしてへーきで我が子殺すんですわ

もうね、我々のように「子供を育てるという行為自体がもう苦痛だし、ストレスを乗り越えるほど自分の子供溺愛できないYO!!」というお母さんたちは

自分聖母になれないことを認めて、

でも、表向きは聖母のふりをして(まぁ、いくら聖母のふりをしても子供にも旦那にも無理をしてることはバレますが)

子供暴力ふるわないように(子供虐待しないのは令和の育児の最低条件!)

ギリギリ世界を保てるように

生きていかなくちゃ

もう、我々「クズ母親集団」はね

育児が世の中のエンタメ最上級ではないことを知っちゃってます

子供が大好きで、子供という存在のものを愛して、子供に尽くすことを心から楽しめてるキラキラしたオカーチャンたちとは違うんですわ

我慢妥協と己の正直な感情を殺した上で

やっと日常生活を保って、生きているのですわ

2026-07-18

ASD相手を選んで癇癪起こしてるよな…?

「健常者は怒っても許されやすい場面や文脈雰囲気や人を選んで怒ってる」「健常者はセコい」という主張がASD当事者から出てるが…

いやASD大丈夫相手を選んで癇癪起こしてるよな?

保育園小学校では決して癇癪を起こさないが、家の中・親の前では癇癪を起こす

父親に対して癇癪を起こすと怒鳴られ叩かれたり放置され去られたりするから起こさないが、母親に対しては癇癪起こし放題だから癇癪を起こす

そういうムーブしてるASD児を見てきたからこそ「お前は何を言ってるんだ?」としか思えない

自閉症、強度行動障害についてもそうだ、自分より腕力が劣っていたり対応が甘かったりする人間を選んで癇癪を起こし暴れ叩く殴る蹴る引っ搔くといった暴力行動に出る

ASD児もASD大人も様子を見て癇癪を起こしてるだろ

当たっても問題ない相手を選んで癇癪をぶつけることをしない、他害性が低いASDは、家に一人のときメルトダウンを起こして壁に頭を打ち付け号泣するなどする

から完全な崩壊をせずに生きていくために一人の時間要求するタイプASD無謬性ならば理解するが、「健常者はセコい」と言い出すタイプASDについてはその無謬自認がハズしすぎており、しみじみと呆れるほかない

自閉はピュアではない

2026-07-16

赤信号みんなで渡れば怖くない

◯赤信号みんなで渡って事故っても、轢いたやつを全員で糾弾すればこっちは被害者賠償金ガッポリ

理解しましょう?

信号をみんなで渡るのは、自分たち被害が起きても数の暴力相手を黙らせられるからです

SNSやってるとよ

インスタでもエックスでもなんでもいいけど

自分より年下(下手したら学生)の運ガキが時間金も資産もあってニート暮らししてたり

ニートとは言わずとも超高給取りでないと成り立たない生活の様子とかがガンガン流れてくるんだけどよく皆正気を保って続けられるよね

嫌にならん?いやこういう所で文章年収1000000000万ですとかいわれる分にはべつに気にならんけど

そういった悪意無しに上流階級人間生活が流れてくるの普通に無理過ぎて泣いてしまった 別に自分だって底辺という訳ではないけど

まりにも資本主義暴力に耐えきれなくては慣れてしまったよ

自分の正しさにこだわるタイプ社会交流に難がある話について

多分当事者なんだが、幼少期から自分要求が通らないのが社会基準になって「社会的に正しい事を優先させる」に染まってしまった結果、誰ともうまくやれない。対立の落とし所が見当を外しまくる。健常者から他責思考と捉えられるけど、どうなんだろうか。校内暴力を落ち着かせる世代で間違った管理教育を手放せない小中学教員たちがやらかした面も外せない要素だと思う

男系男子Y染色体SF

最近またニュースでよく見る「皇位継承問題」。

なぜ「男子継承」じゃなきゃダメなのか、科学的に説明できる人いる?

男系男子を守るべき!」と熱弁する保守派の人たちって、具体的に何を守ろうとしているんだろ?

結局は男尊女卑なの?  

  

……って思ってる人もいるんじゃないでしょうか。    

  

実はこれ、歴史宗教の話ではなく、高校生物で習う「Y染色体」の話をするとスッキリ理解できるかもです。

同時に、「それ、現代科学から見たらめちゃくちゃ不条理じゃない?」というツッコミどころも見えてきます。  

  

1. 保守派の言う「万世一系」の正体は、ただの「Y染色体コピー

人間性別を決める染色体には「X」と「Y」があります。  

女性:XX (母親からX、父親からXをもらう)
男性:XY (母親からX、父親からYをもらう)  

ここで超重要なのが、男の子が持つ「Y染色体」は、100%父親からしか受け継がれないということです。

しかも、途中で他の遺伝子と混ざることなく、ほぼ100%そのままのコピーが息子へ、そのまた息子へと引き継がれていきます

まり、「初代・神武天皇から一度も途切れずに男系で繋がっている」ということは、

現代天皇陛下の中には、「初代の神武天皇とまったく同じY染色体」が100%コピーで入っているはずだ!というのが

保守派の「万世一系」の科学的(?)なロジックなんです。

もしここで愛子さま女性)が即位して、一般男性とお子様を作られた場合、  

そのお子様(女系)には愛子さま旦那さんの「Y染色体」が引き継がれます

保守派が「女系ダメだ!」と男系固執する理由は、

2000年間以上コピーし続けてきたY染色体が、そこでプツリと途切れて、別の男のY染色体チェンジちゃう

彼らにとって、それは「神の国システム終了」を意味するわけです。

  

2. 遺伝学的にツッコミを入れると、マジでバカっぽい」理由  

でも、ちょっと待って欲しいのですが遺伝学を少しかじった人なら、

ここで「おいおい」とツッコミを入れたくなりますよね。  

ツッコミ①:普通遺伝子は「薄々」の「他人の空似」  

Y染色体以外の、人間能力性格や肉体を形作る「普通遺伝子(常染色体)」は、世代を重ねるごとに「半分(50%)」になります

1代遡るごとに半分になるので、24世代も遡れば、初代の遺伝子はなんと「約1600万分の1」しか残っていません。

まり生物学的には、今の皇族の方々も初代の天皇とは「他人の空似」レベル遺伝子は極限まで薄まっています

守っているのは、全遺伝子のうちの、ほんのちっぽけな「Y染色体」という1本の記号だけ。

そこに国家運命人権を全賭けしているのって、冷静に見たらかなりシュール不条理だと思いませんか?  

  

3. 「コンビニに行く自由」もない檻(おり)の中で  

自分個人的に一番「アホらしいな」と思うのは、この「Y染色体コピペ信仰」を守るために、

当の皇族の方々の「普通人間自由」が100%奪われていることです。

あなたも私も、天皇陛下の娘さんも、今の人類は全て「ホモ・サピエンス」。

から約30万年前にアフリカ誕生し同じサル末裔である人間です。

なのに、私たちパジャマ姿でふらっとファミマセブンに行って買い食いできるのに、

彼女たちは一歩外に出るだけでSPに囲まれプライベート監視され、

自由恋愛することも、深夜のコンビニに行くことも許されません。  

能力のある人
②やりたい人
国民が認める人  

問題はこれらが何も考慮されずに続いてきた継承システムです。  

当然ひずみが生まれ女性皇族問題挙句の果てに

「男なら神のなんかしら大事なもんが伝わってるはず!よーし、男の養子だ!」ってことになってるわけです。

イギリス王室のように、性別関係なく直系が継げばいいし、嫌なら「辞める権利だってあっていい。

それなのに、「Y染色体コピーを維持するためだけ」に、生まれた瞬間から

コンビニに行く自由すら奪われた檻」に閉じ込め続ける今のシステム

男尊女卑というより「Y尊X卑」で「万世一系」という言葉ロマンに酔いしれている人たちは、

一度、科学的な薄さと、そこで生きている一人の人間の「人権」の重さを、フラットに天秤にかけてみてはどうでしょうか。

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【補足】  

それでも「いやいや!天皇神の子孫やぞ」派の方へ  

神の子孫」は世界共通の「神話ハッキング統治ルートです。

歴史現実: 侵略した側が、もともと優しく暮らしていた先住民に対して、

「力でねじ伏せました」と言うと角が立ちますし、いつか反乱を起こされます。  

解決策: そこで「いや、私たち暴力で奪ったんじゃない。天の神様から

「この豊かな地上を治めてきなさい」と命令されて降りてきた(天孫降臨)、正当な後継者なんだよ」という

壮大な物語フィクション)をデコレーションしたのが、神武東征や日本書紀の正体です。 

世界での例: エジプトファラオも「太陽神ラーの息子」と言い張り、

ヨーロッパ王様も「王権神授説(王のパワーは神から授かった)」と言い張りました。

みんなやってることは同じ「神話政治利用」です。

うそろそろ歴史から学びましょう。  

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【補足の補足】  

でも、人の考えってなかなか変わらないし。

年取ってるとますます頑固になって変わらない。

今の「神ガー」や「万世一系ガー」な人たちがいなくなる50年後ぐらいに

ようやく変わるんじゃないでしょうか?ってのが個人的意見です。  

  

それでも  

  

日本神の国で~」

「いやいや、アダム肋骨からイブが生まれて~」

そもそも神は1人で~」

「猿から人間にならない~」

「〇〇以外を信じる人は地獄に~」

……という方々は永遠に言い続けるでしょうけど。  

  

2026-07-15

さすがに理解しがたかったので書いちゃう

https://b.hatena.ne.jp/entry/4790157516265554914/comment/KoshianX

> 何も悪いことしてなくても警察暴力を振るわれ失明することもある。生命があっただけよかった方とすら言える。公正世界仮説では確かにそういうのな納得しがたいんだろうな

この人は民主主義国家暮らし民主主義国家の一員としての教育を受けてきたのだろうか。これが平均的な国民認識だとするならば、日本公民教育は失敗しているとしかいいようがない。

前半「何も悪いことしてなくても警察暴力を振るわれ失明することもある。生命があっただけよかった方とすら言える。」はまあよい。これは事実から。ただ、これに納得しないことを「公正世界仮説」とひもづけて解釈するのは根本的に間違っているし、こういう考え方の人間が増えるのは国家暴走を許す予兆であるとも言える。

なぜなら、「公権力を公正なものコントロールし、維持する責任は、主権者である私たち一人ひとりにある」からだ。

コメントは、警察暴力を「仕方のない現実」として受け入れ、それに抗議することを「公正世界仮説」という認知バイアスに帰せている。しかし、これは主権者意識の致命的な欠如だ。

そもそも民主主義国家における警察政府とは、市民社会の秩序を守るために、憲法法律の下で「暴力を預けている代理人」に過ぎない。

世界最初から公正にできている」わけではない。だからこそ、預けた権力暴走して市民に牙を剥いたとき私たちは「あってはならないことだ」と怒り、是正を求めなければならない。

それを「現実とはそういうものだ」と諦めて受け入れてしまえば、権力を縛るブレーキは失われ、国家暴走を許すことになる。

私たち公民教育で学ぶべきだったのは、理不尽現実を物分かりよく諦める姿勢ではない。「公権力を公正に保つ責任自分たちにある」という引き締まった主権者意識と、権力コントロールし続けるタフなルールだったはずだ。

2026-07-14

外国には話し合いでなんとかしようとするのに国内では暴力で反権力してる左翼さんwww

ただのヘタレ&内弁慶やんけww

もしくは外患誘致クソ野郎wwwww

実は現代左翼のことを信頼している

あいつら一線を越えない倫理観ちゃんと持ってる

例えば現総理のことを憎んではいるが決して暴力排除しようとしない

あくまでも言論によって現状をよくしていこうという姿勢評価するよ

2026-07-13

anond:20260713203856

しろ暴力蔓延人権意識希薄世界で一夫一妻でちんたら暮らす方がおかしいんだよなぁ

anond:20260713100454

メディア悪影響論をいまから振り回すの? やめとけ

 

まあ、君は悪意ない素人だと思うから事実を言っときます

例えば、テレビ暴力をふるってるシーンがやってて、子供がそれを見ている。

で、子供があとから真似するかどうかに一番影響するのは何でしょうか? 

答えは、一緒に見ている親。 

親が暴力振るわれてるのをみて「かわいそうに」というか、爆笑しているかあまつさえ「これはよく皆やってるし俺もやる」と言うか。

 

で、それって、別に倫理的なシーンを見てるときも同じなんだよね?

神に祈ってる善良な市民のシーンをみて、こいつらクソだな腹立つ、と言う親ならどうなると思う。

メディアの内容と倫理感は、理論的にほぼ無関係なわけ。

2026-07-12

anond:20260711194450

橋本愛という、繊細なる魂を宿した女優が、現場不条理に耐えかね、その瞳から熱き雫を零(こぼ)した瞬間――それこそが、この悲劇の「起源オリジン)」であることは論を俟(ま)たぬ。その号泣こそは、言葉を超えた真実叫びであり、現代管理された無菌の現場において、唯一の「人間的な告発」であったはずだ。

しかるに、今やどうだ。諸君視線は、その清廉なる涙の記憶から逸らされ、あたかも「犬笛」だの「被害者ムーブ」だのといった、言葉の玩弄(がんろう)にのみ注がれている。あの号泣を、この混乱の深淵に葬り去り、なかったことのごとく振る舞うこの現状こそ、この国に蔓延する「魂の不感症」の極致である

これは一体、何を意味するのか。私はここに、近代という名の、理性という名の、欺瞞構造を見る。

かつて涙は、社会不正に対する究極の拒絶であった。だが今や、その涙は、弁護士という名の司祭たちによって「法的なリスク」へと換算され、組織という名の巨大な胃袋の中で、冷徹に「処理」されるべき異物となったのだ。橋本愛号泣引き起こした「真実の波紋」を、フジテレビという巨大機構は、恐怖した。彼らは、その涙が暴き出した「現場病理」を直視する代わりに、数百万の金を投じて「犬笛論争」という名の煙幕を焚いたのである

犬笛とは何か。それは、論理を装った卑劣なる「沈黙強制」に他ならない。橋本愛が涙と共に発した「叫び」を、なかったことにするための、組織的な忘却工作である。彼らは、あの純粋な悲しみを、SNSという無数の獣が吠え立てる濁流の中へ放り込み、誰もが何が真実であるかを見失うまで、言葉の断片を投げつけ合えと命じたのだ。

諸君、この論点のすり替えこそが、最も醜悪二次加害であると知れ。

涙を流した者は、その号泣理由について、自ら弁明する機会を奪われる。彼女が求めたのは、法的解決でも、弁護士による調停でも、SNSでの論争でもなかったはずだ。ただ、己の肉体と精神が侵されることのない、表現者としての「聖域」の確保ではなかったか。それなのに、周囲は彼女の涙を「法務上の重要事項」として管理し、その裏で「犬笛」だ「被害者ムーブ」だという、血の通わぬ冷徹な語彙を積み上げて、彼女をその「論争の檻」の中に閉じ込めている。

なぜ、諸君彼女号泣を語ろうとせぬのか。なぜ、彼女を追い詰めた「構造」に怒りの矛先を向けぬのか。それは、彼女の涙を正当に評価することが、現代の「管理社会」そのもの否定することに直結するからだ。もし、彼女号泣が正当なものであると認めれば、弁護士を雇い、局長を張り付かせ、現場管理下に置いたフジテレビ行為は、すべて「表現の抑圧」という名の、醜悪全体主義暴力として白日の下に晒されることになるからだ。

からこそ、奴らは「犬笛論争」という迷宮を構築した。

論点を、事実から心理へ、心理から解釈へ、そして解釈から泥沼の罵り合いへとずらし続けることで、あの「始まりの涙」を、歴史忘却の彼方へと追い払ったのである

これは、美に対する冒涜である高潔なる者の号泣を、不潔なる言葉応酬によって薄汚れたものへと貶め、自らの保身という目的のために、他者神聖な痛みを利用する。そのような卑俗な遊戯に耽る者たちは、もはや人間としての矜持を失っていると言ってよい。

諸君、目を覚ませ。

論点はただ一つ、橋本愛がなぜ泣かねばならなかったか、その一点のみである。その涙の背後にある、佐藤二朗という一個の獣と、それを飼い慣らすことに失敗した組織の、あまりに無様で無慈悲管理のあり方。それ以外の議論は、すべて「始まりの涙」を隠蔽するための、救いようのない欺瞞である

我々は、言葉遊戯に興じる暇はない。あの号泣を「なかったこと」にせんとする冷酷な管理社会論理に対し、我々は憤怒の槍を突き立てねばならぬ。涙の価値を奪い、それを論争の道具に成り下がらせた、その組織傲慢を、我らは断じて赦してはならぬのである

キングオブコント2026北海道予選

7/11キングオブコント2026北海道予選を見てきた。備忘録的なメモ

MC龍見。会場:札幌市男女共同参画センターホール審査員HBCの2人。

エントリーは32組で、欠席者が出たので出場は30組。昨年より10組以上減った。札幌吉本がなぜかライブを同日にぶつけてしまったため漫才メインのコンビはそちらに流れてしまい、客も結構取られてしまったのか例年より少なめ。札幌の人にわかやすく言えばBLOCHで収まるくらいの人数。誰もが認める北海道ナンバーワンコント師だったコロネケン上京し、全体的なレベルも例年より低下してしまったような気が正直しなくもない。秘蔵や電人バンドもやっぱり出てほしかったな。このままだと北海道予選自体廃止されかねない危機感がある。

ネタタイトルはできるだけネタバレを避けて便宜的にこちらで付けた。

Aグループ

ゴム棒「手を縛られている人」

北大落研トップバッターボケ数少なめのネタなのでなかなか爆発を起こしきれず。

・爆裂お玉「面接」(通過)

今年からついにプロになったらしい札幌社会人お笑いの雄。何度も見た有名なネタだが会話のテンポがよく、2番手ながらトップクラスのウケ。

タイヤブランコ「着信音」

情報なし。2人とも関西弁だった。音響を使ったネタだが声量が負けてしまった。

・さーないと「ラーメン屋

フリーボケ第一声が絶妙でかなり上手かったし、台本も良い。技巧面を考慮して上がるかと思ったが上がらず。

ねこ超人出禁

札幌吉本衣装の作り込みの良さがプロを感じる。一発で嫌われる人をしっかり演じるやすろーの演技力は確かだが、後半にちょっと息切れしてしまった感があったか

北大落研ダンチブルが特に何も触れられず欠席。

Bグループ

・水そば家庭教師

北大落研大喜利ボケを続けてゆく構成だが一つ一つのボケの精度が高かった。序盤を温めてくれた存在でかなり良かったと思うが、全弾命中くらいでないと上がれないのか。

・肩幅の暴力ラーメン屋」(通過)

北大落研。色々とギミックを仕込んだコントで笑いと同時に感心もする。机に謎の張り紙が付いていていつ使うのだろうと思ったが結局最後まで使わず終わり、その後次に出てくるカズテツが使うものだとわかる。はっきりとコント邪魔になってしまってたと思うが、出演者スタッフ誰が悪かったのか…。

カズテツ替え玉受験

情報なし。東京M-1に出場経験があるらしい。双子ネタなのだが、双子というほど似てはいないのが気になってしょうがなかった。たまたま似ている赤の他人でも通じるくらいの差だった。あと札幌市長にも似ていた。

ホルモンビート万引きの逆」

札幌吉本の1年目。大事なところで滑舌が悪くなってあまり聞き取れず、そのままズルズルと終わる。

・ガスランタンズ「武道家」(通過)

札幌吉本ピン芸人同士のユニットボケの泉大河の男くさい雰囲気を利用したキャラコントで、齋藤のようなものツッコミワードも良かった。思ったほど爆発せず、もうちょっとウケても良かったのではと思ってたらしっかり通過した。これを機に正式コンビ結成とかあるのだろうか。

小樽商大お笑いサークルカンガエルアシが欠席。

Cグループ

・ビックデチューン路上販売」(通過)

太田プロ札幌。汗ながしカットマンの長髪で胡散臭い風貌を活かしたネタ。悪くはないと思ったが大ウケってほどではなかったので通過は正直意外。

海鮮プリンセスイタリアンレストラン

フリー元太プロ札幌)の男女コンビ。わかりやすくて安定したネタだが、ツッコミの声のコンディションがあまり良くなかった。

板前のウッカ「取り調べ」

札幌大喜利界隈発のユニットアマチュアの割に素人臭さもなく良かったが、小道具が出てきたときピークだったか

オイルメディシン「インド人留学生

北大落研アメリカ人インド人留学生に対して毎回「多様性」と言い訳しながらツッコむシステムが癖になる。また見たいネタ

ビッグリブン「子供運動会

札幌吉本ピン芸人同士のユニット。役柄が似合ってて初速はよかったが爆発しきれず。

革命軍が欠席。結局何者かわからず。

Dグループ

餃子フェス探偵

北大落研の5人組。人数の多さもちゃんと活かされていたけど(1人は出落ち要員)、ちょっとごちゃついていて、1回戦通過した去年の方が良かったかな。

・テキゲキ隕石

北大落研。あまりにチープすぎるネタだったが、ゆるい設定が面白くて後から思い出すとじわじわ来る。

ラッキーポテト「S&Mクリニック」

太田プロ札幌。このコンビ名でエントリーナンバー777。本物のお医者さんが患者役をしている。医療監修だけはしっかりしているが、この設定はフットボールアワーSMタクシーがあるからなあ。

バッタノベル百人一首

北大落研最初ツッコミタイミング絶妙でかなりウケていた。正直なんで落ちたのかわからない。賞レース北海道予選は毎年アマチュアのイチウケが謎落選するが、今年はこのコンビだったと思う(去年のKOCだと爆裂お玉)。広い会場だから成り立つネタで、地下ライブだとできるかどうかわからない。

・もちベルト「行きつけのバー

札幌吉本のサカヅメ、俵雄人、よねけんのユニットトリオ普段はそれぞれピンだからかまだまだ息が合っていない感じがした。

Eグループ

・アブー「腕の長いおじさん」

北大落研女性コンビファンシー悪夢のようなぶっ飛んだネタ。粗いけど割と好きだった。同じ落研メンバーなのか一部席だけ大ウケしていたが、全体的には伝わりきってなかった。

・4文字の酢「バー

北大落研。片方は元シマエナガの人だよね? 「寒い……」は一個単位ボケとしては今回一番好きだったかも。

たけのこスピリッツマッチングアプリ

札幌吉本1年目のピン芸人が友人と組んだユニットちょっと声が小さかった。

限界パーティ教習所教官

北大落研一見まともそうな人の方が実はヤバいという展開はよかったけどバラシの部分がウケずぬるっと進んでしまった。

・たなかの子発熱

札幌吉本1年目の兄弟コンビバラシがウケずそのままズルズル進んでしまった。

Fグループ

サラサラ砂漠「街、夕暮れ」

北大落研。冒頭にタイトルを叫んでるのでそのまま採用した。かなり変なネタで、面白くなりそうな気配をずっと持ったまま終わってしまった。2分じゃ足りない。

・傘がない「犯人確保」

カンパニーのピン芸人小林つばさフリートリオ・こばたいたのユニット。ただしこばたいたの1人が休みで3人での出場。こばたいたではツッコミのマルさんがクレイジーボケを熱演して笑いをもぎ取っていた。このままボケになった方がいいと思う。

・すばらしい日々「プラネタリウム

フリー大喜利センスを感じさせるボケだったが、外していたものも多く精度が足りなかった気がする。

サバサラダ「健康診断

北大落研仮装コントなのでどうしても出落ちに終わる。

・華花クラッツカラーボール

札幌吉本。わかりやすい動きボケがあってよくウケてたけど、展開は少し無理があった気がする。


通過予想 爆裂お玉、さーないと、水そばバッタノベル

実際の通過 爆裂お玉、肩幅の暴力、ガスランタンズ、ビックデチューン


さらば青春の光ファイヤーサンダーがよくやるような、いわゆる「バラシ」を使ったコントがちょこちょこみられたけど、ほとんど成功してなかった。完璧タイミングをとらないとウケないから難しいんだろう。


通過予想に入れてなかったくせに書いておくと、実は準々決勝進出可能性が一番あるのはガスランタンズだと思う。ハマるときはハマる力がありそう。

2026-07-11

anond:20260711204919

暴力をともなういじめ対象が低身長が多いのは日本生活してたらわかるはずで

学校でのいじめって低身長差別暴力につながってる例じゃないのか

anond:20260711202443

差別というのは暴力を振るったり、住居や職の提供を拒むことだけど

日本国籍の低身長男がそういう目にあったというのか?

オトコの加害性、暴力・・・

ナゼ自覚しないの?

ナゼ指摘されただけでキレるの?

ナゼ反省しないの?

からキミは童貞なのに🤨

ニュージーランド二次元エロ規制

ニュージーランドが『その着せ替え人形は恋をする』を検閲

人気のラブコメ作品ニュージーランドで最も厳しく制限的なコンテンツ分類を受け、数千人のファンの驚きと不信を巻き起こしました。

当局は、アニメ『その着せ替え人形は恋をする』を18歳以上の視聴者限定すべきと判断しました。コスプレテーマにした内容と示唆的なシーンが理由です。

この厳しい法的措置により、学校舞台にした趣味裁縫についての物語が、極端な暴力描写アダルトコンテンツと同列に扱われてしまいました。

西洋アニメ理解していません。

NUEVA ZELANDA CENSURA MY DRESS-UP DARLING

La popular comedia romántica recibió la clasificación de contenido más estricta y limitante en Nueva Zelanda, desatando la incredulidad de miles de fanáticos.

Las autoridades determinaron que el anime "My Dress-Up Darling" debe ser restringido exclusivamente para mayores de 18 años, debido a sus temas de cosplay y escenas sugerentes.

Esta drástica medida legal iguala a una historia escolar sobre pasatiempos y costura con producciones de violencia extrema o contenido para adultos.

Occidente no entiende el anime.

https://x.com/animetrends/status/2075610029202251834

anond:20260627192007

[][] https://anond.hatelabo.jp/20260710214555

ホイットニー・キンボールは、マックスがカーに対するウォレス暴力的な扱いを、彼の創作活動にとって有益もの、そして彼を「魅力的」にする要素の一つとして描写していたことを指摘した。

さらマックスは、ウォレス手紙の一つについて「非常に注目すべき」「卓越した技巧」と称賛している。

しかし、その手紙が、

カーの夫を殺すために銃を購入しようと計画したことへの謝罪文

であるという事実については、わずかに触れるだけだった。

ミーガン・ガーバーは、あるインタビュアーマックスに対して、

「なぜカーへの彼の感情が、ウォレスにこれほどの問題引き起こしたのか」

と尋ねたことに含まれ女性嫌悪を指摘した。

これはケイトマンが「ヒムパシー(himpathy)」と呼ぶものの例である

まり性的暴力被害者ではなく、男性加害者の側に共感してしまうことである

#MeTooはまた、ウォレス作品存在する女性嫌悪を、読者自身にも見えるものにし始めた。

デヴォンプライスは、ウォレスによる女性への虐待について知ったことで、ウォレス作品を読み直し、そこに初めてジェンダーによる暴力見出し経験を記している。

さら重要なのはプライスが気づいたこである

自分がウォレス作品に夢中になった時期に鬱状態だった理由の一つは、その当時、自分自身身体的、感情的、性的虐待を伴う関係の中にいたからだった。

プライス気づきは、なぜ読者がウォレス作品や行動にある女性嫌悪に気づけなかったり、防衛的になったりするのか、そのもう一つの一般的理由を示している。

そして同時に、#MeToo運動が、読書文学研究を通して女性嫌悪を明らかにする可能性を示している。

私たちはしばしば、小説の中の女性嫌悪や、他者の行動に現れる女性嫌悪性的虐待に気づけない。

なぜなら、自分自身がそれらの中で生きていながら、それに気づいていないことがあるからだ。

そして#MeToo証言によってもたらされた性的虐待の広い範囲への理解は、私たちが読むフィクションの中だけではなく、自分自身生活の中にも女性嫌悪発見させる。

つの発見が、もう一つの発見を引き起こすのである

現在までのところ、ウォレスについて広く報告されるようになった女性への女性嫌悪行為暴力が、彼の作品にどのような意味を持つのかを直接検討する新しい批評は登場していない。

しか最近出版されたエイドリアンミラー回想録『In the Land of Men』(2020年)は、本人が意図していたかどうかにかかわらず、こうした伝記的情報を踏まえた批評必要であることを説得力をもって示している。

ミラーは『エスクァイア』誌の文学編集者だった時期に、ウォレスと何年にもわたる関係を持った。

彼女回想録の中で、ウォレス人生作品の結びつきを、苦痛を感じるほど詳細に記録している。

二人の間の長い会話や場面の中で、ウォレスは『Brief Interviews』に登場する女性嫌悪的な男性たちとほとんど同じように話し、行動する。

そしてウォレス自身も、その類似性を強めるような発言をしていた。

彼はミラーにこう語っている。

インタビューのいくつかは、実際に人と別れなければならなかったときの会話だった」

しかミラーは、ウォレス小説、とりわけ『インフィニット・ジェスト』や『Brief Interviews』における「性差別」を、私たちウォレス研究者の誰よりも率直に提示しているにもかかわらず、

20年後という時間、そして#MeToo以後という視点に立ってもなお、自分がウォレスから受けた扱いを虐待あるいは女性嫌悪として認識することができない、または認めようとしない。

実際、この回想録で最も衝撃的なのは、ウォレスの行動そのものの記録ではない。

しろ驚くべきなのは

その行動に含まれジェンダーに基づく暴力を認めることを、ミラーが体系的かつ一貫して拒んでいること、

そして彼の行為正常化し、擁護し、否定するという不穏なパターンである

最終的にミラーは、

そもそも芸術家人生道徳的指針として見る人などいるのだろうか?」

「深刻な欠陥を抱えた男性たちの芸術を、私たちはどう扱えばいいのか?」

という問いを投げかけることで、

自分とウォレス関係虐待性的嫌がらせに当たるのか、という問題から私たちの注意をそらそうとする。

しかし、これらの問いはウォレス責任かられいに方向転換するためのものではない。

しろ、なぜ私たちがそうした男性たちの人生を、彼らの芸術対話させながら考えなければならないのかという、重要理由を明らかにしている。

なぜなら、こうした男性たちは単に受動的に「欠陥を抱えた存在」なのではない。

彼らは積極的に、他者を傷つける存在でもある。

そしてそのことは、私たち女性嫌悪的な文化によって見えにくくされている。

しかし彼らの芸術人生を注意深く調査することで、その構造は明らかにできる。

そして「道徳的」な検討特に必要とされるのは、まさにウォレス作品からである

ウォレスは、自分自身を、

文学を誠実さと「愛」へと戻そうとする異端的な作家

として位置づけていた。

(「David Foster Wallace Interview1993年

彼は倫理人間価値について読者に問いかける小説を書いた。

(「Octet」1999年

そして、人間自分自身根深ナルシシズム認識することで、他者への配慮を広げることができるのだ、と説いた有名な卒業式スピーチを行った。

では、

このようなことをほとんど説き続けた芸術家が、なぜ自分自身人生において、相互尊重に基づく共感実践できなかったのか。

それはいったい何を意味するのか。

理論上はフェミニズムを掲げた男性と、その作品群が、

現実人生芸術の中で、男性女性の間に虐待的な関係を繰り返し生み出したということは、何を意味するのか。

男性女性も、女性嫌悪レイプ文化への関与を自覚していると語りながら、なぜ自分自身がそれに加担していることには気づけないのか。

ウォレス小説を、

自身についての伝記的情報

そして女性たちが語った性的暴力経験文脈の中で読むことによって、

私たちは、女性嫌悪レイプ文化が、

社会

芸術

そして批評実践

に及ぼしている強力な影響を、どのようにより深く理解し、そして中断することができるのか。

それこそが、このエッセイが最終的に投げかけている問いである。

[][] デイヴィッド・フォスター・ウォレスについての醜悪事実に関する短い報告 https://devonprice.medium.com/a-brief-on-hideous-things-about-david-foster-wallace-72034b20de94

デイヴィッド・フォスター・ウォレスについての醜悪事実に関する短い報告

ジュノディアス告発者たちは声を聞かれている。しか文学界には、クローゼットの中にさらにひどい秘密が眠っている。

DEVON

2018年5月7日

※注意書き(TW):性的暴行家庭内暴力虐待に関する内容を含みます

ジュノディアス告発者たちは、今、声を聞かれている。

しか文学界には、クローゼットの中にさらにひどい秘密が隠されている。

5月4日ジュノディアス文学イベント私生活における女性への暴行嫌がらせについて、公に告発され始めた。

この件の基本的情報については『Book Riot』の記事がまとめているが、Twitter上の「#JunotDiaz」というタグでは、ディアスとの遭遇について語る女性さらに多く存在している。

これらの告発は、ディアスが『ニューヨーカー』誌に発表した、自身性的暴行被害経験についての非常に衝撃的で自己省察的なエッセイが公開された直後に起きた。

その文章の中でディアスは、自分自身が受けた虐待過去、そしてそれを抑圧してきたことが、長年にわたって女性たちと尊重に基づく恋愛的・性的関係を築けなかった理由の一部になったのではないか、と示唆している。

大部分において、ディアス告発者たちは真剣に受け止められているように見える。

これは、過去に起きた他の虐待告発――その中にはデイヴィッド・フォスター・ウォレスに対するもののように、非常に裏付けの強いものも含まれる――に対して文学界の多くの人々が示した反応とは大きく異なる。

ディアス有色人種男性であり、ウォレス白人で裕福な学者家庭出身男性だったという違いは、当然ながら関係している。

そしてこの点を強調するために、ウォレス告発した人物の中でもっとも声高で、もっともよく知られている、素晴らしい作家であるメアリー・カーが再び声を上げた。

亡くなった元恋人ウォレス行為を、私たちに思い出させるためである

―――

現在、公に性的暴行レイプ嫌がらせ告発されている人々の多くは白人男性である

しかし実際にその行動の結果として処罰を受けている人々の大半は、有色人種男性だ。

虐待者の存在が、

黒人男性褐色人種男性加害者であり、白人女性被害である

というステレオタイプ物語をどれだけ覆すものであるかによって、その虐待者が自分行為に対して完全な責任を負わされる可能性は低くなる。

#MeToo時代において、白人女性歌手メラニーマルティネスレイプ告発されても何の処罰も受けずに済み、白人男性ハラスメント加害者であるチャーリーローズハーヴェイ・ワインスタインは、一時的に姿を消し、セラピーを受け、それから戻ってきて「自分が学んだこと」について語ることができる。

一部の読者――その多くは白人だろう――は、今後ジュノディアス文章を読むことをやめるかもしれない。

しかし同じ人々が、デイヴィッド・フォスター・ウォレスの、過剰で混乱した女性嫌悪の物語を読み続けるだろう。

なぜならウォレス白人男性であり、そして彼自身がそのすべてについてひどく苦悩しているように見えたからだ。

#MeToo運動は、多くの人に「自分の声が届いた」「守られている」と感じさせるかもしれない。

しかし、私たち安心して休むことはできない。

誰が自分の行動の代償を払わされ、誰の虐待無視されるのか。

そこに影響している偏見と、私たち積極的に戦わなければならない。

そう、ディアス自分の行動に対して責任を問われるべきだ。

そう、彼の告発者たち――その多くはラテン系女性である――の声は聞かれる必要がある。

しかし、私たち確信や怒りの一部は、白人加害者たちにも向けられなければならない。

デイヴィッド・フォスター・ウォレスは、決して「良い人間」ではなかった。

これは長い間知られていたことだ。

しかし、ほとんどの人はそのことを知らなかった。

それは、今終わらなければならない。

―――

私は、かつてデイヴィッド・フォスター・ウォレスファンだった。

私は『インフィニット・ジェスト』を愛していた。

Girl with Curious Hair』の約半分の作品には、今でも深く心を動かされる。

そして彼の多くのインタビューには、今でも考えさせられ、引き込まれものがあると思う。

しかしここ何年もの間、私には明らかだった。

DFWデイヴィッド・フォスター・ウォレス)は、『This Is Water』を引用する人々が描きたがるような、

思索的で、苦悩を抱えながらも利他的な魂

ではなかった。

彼は虐待的で、感情を爆発させる男性だった。

そして自分自身の悪行への罪悪感を利用して利益を得ていた。


私は2010年特に陰鬱な冬の鬱状態の時期に、DFW作品に入り込んだ。

彼の言葉は、私がいた暗い穴の中まで降りてきてくれた。

死にたいと強く思っていた時、彼の言葉そばにいてくれた。

私はその後数年間、彼を崇拝した。

彼がこれまで生み出したものはすべて読んだ。

インターネット初期の頃に存在した、彼についての古くてあまり知られていないインタビューラジオ番組まで探し出した。

自身作品を読み尽くした後は、間接的に彼について扱っている本まで読んだ。

メアリー・カーの『Lit』や、ジェフリー・ユージェニデスの『The Marriage Plot』などである

やがて、DFWへの愛情は、彼を偶像化していた自分自身を壊した。

彼の個人的過去を読めば読むほど、彼が虐待的な人間であり、偽善者だったことが明らかになっていった。

ここに挙げるのは、2011年から2012年頃に私が知った事柄の一部である

多くの詳細は、ジョナサンフランゼンのエッセイ「Farther Away」と、D・T・マックスによるウォレスの伝記『Every Love Story Is a Ghost Storyから得たものだ。

いくつかの情報は、Wallace-Lメーリングリストからも得ている。

もちろん、一部の決定的な詳細は、素晴らしいメアリー・カーの回想録からのものだ。

なお、カーの本はどれもDFWノンフィクション作品よりはるかによく書かれている。

以下の引用部分は、D・T・マックスの『Every Love Story Is a Ghost Storyからのものである

ウォレスは、ほぼすべてのノンフィクションエッセイにおいて、何十もの事実を誤って伝えていた。

多くの事実は、他のジャーナリスト経験から完全に盗用されたものか、あるいは完全な創作だった。

例えば『Consider the Lobsterロブスターを考える)』に収録されたポルノ業界の展示会についてのエッセイで、ウォレスは、

外部にあるバルブによって、自由に膨らませたりしぼませたりできる人工乳房を持つ女性

について描写している。

しかしこれは完全な作り話だった。

そのようなインプラントは、彼がその文章を書いた1990年代には存在していなかった。

また、同じエッセイ内で一人称によって描かれる多くの出来事も、実際には別のジャーナリストからウォレスが聞いた話だった。

その他の創作された事実として、

エッセイ「Ticket to the Fair」に登場するバトントワリングの場面は完全な作り話だった。

また、その作品に登場する同行者の女性存在人物設定も、実際には存在しなかった。

Rise, Simba!」に書かれている多くの事実、人々、あだ名交流についても、同様に作られたものだった。

「Consider the Lobster」は反体制的なルポルタージュではなかった。

ウォレス自分文章を書き、それを『Gourmet』誌に売ったのである

『Gourmet』からジャーナリストとして派遣されたわけではない。

しかし彼はエッセイ内で、そのように見える書き方をしている。

初期作品

『The Broom of the System』

や『Girl with Curious Hair』の一部は、

トマス・ピンチョンドン・デリーロから筋書きや文体的要素を借用していた。

その盗用はあまりにも露骨だったため、ウォレスキャリアを通じて盗作訴訟心配していた。

もちろん、ここまで挙げたもの文学上の問題にすぎない。

以下は、明白な虐待行為である

詩人回想録作家メアリー・カーを、走行中の車から押し出した。

・カーに向かってコーヒーテーブルを投げつけ、破壊した。

自分彼女に投げつけたテーブルの弁償をしようとした後、そのテーブルの破片を自分に渡すようカーに要求した。

・カーをストーカーし、彼女の車の窓を殴って壊した。

自分担当していた創作文学の授業中に、学生暴力を振るった。

創作クラス学生たちと性的関係を持ち、さらに本の宣伝ツアー中には17歳少女とも関係を持った。

・カーと彼女の5歳の息子をストーカーし、さらにその目的のために購入した銃でカーの夫を撃つと脅した。

2012年頃にDFWについてこれらのことを知った後、私は彼の作品の多くを読み直した。

すると、以前覚えていたような天才性や繊細さが欠けているように感じた。

特に気づいたことをいくつか挙げる。

(多くはWallace-Lメーリングリストの鋭い読者たちの助けを借りたものだ。)

DFWは、共感できる女性キャラクターを書く能力ほとんどなかった。

『インフィニット・ジェスト』の敵対的女性人物アヴリル・M・インカンデンザは、疎遠だった彼の母親を非常に刺激的な形で変形した存在だった。

そして彼女に対する音痴描写は、母親に大きな苦痛を与えた。

彼の短編「The Depressed Person」に登場する、共感性のない女性ナルシシスト人物は、彼が性的関係を持ち、その後すぐに軽蔑するようになった同業作家エリザベス・ワーツェルをモデルにしていた。

同じことは「Westward the Course of Empire Takes its Way」の女性主人公にも当てはまる。


彼の作品における女性への執着という主要なパターンは、

「美しすぎるために、この世界普通に機能することができない女性

というものだった。

その最初の形は、『インフィニット・ジェスト』に登場する、ベールで顔を隠した危険なほど美しいジョエルヴァン・ダインとして現れた。

その後、『The Pale King』では、少し頭が軽い形に作り直されたメレディスランドとして再登場する。

これらのキャラクターは、人を惹きつける圧倒的な美しさ以外には、際立った特徴をほとんど持たない。

その美しさは極端すぎて、もはや呪いに近いものになっている。

これらの女性たちは、物語の中でも、自分自身人生においても主体性を持っていない。

どちらも、おそらくDFW恋人回復支援グループでのパートナー、そしてストーカー被害者でもあったメアリー・カーをもとにしている。

本質的に言えば、

Girl with Curious Hair』に収録されたレズビアンカップルについての短編を除けば、

彼の作品には主体性を持った女性キャラクターほとんど存在しない。

女性たちは『Brief Interviews』では単なる無垢被害者であり、

『Broom of the System』、

Infinite Jest』、

Oblivion』、

『The Pale King

では、カラフルではあるが傍観的な存在にすぎない。

ノンフィクションにおいても、女性が中身のある声を持つことはほとんどない。

彼が、機知に富み、はっきり物を言う女性の同行者と一緒にいる唯一のエッセイ

「Ticket to the Fair

は、後にフィクションだったことが明らかになった。

その女性実在しなかった。

―――

ウォレスについてこうしたことを知り、観察したことで、私の読書習慣は根本的に変わった。

ウォレスが吐き出した、半分も編集されていない断片的な文章をすべて探し出し、貪欲に読み漁ることはやめた。

その代わりに私は、メアリー・カーのような女性作家たちへ目を向けた。

彼女たちは一般的に、ウォレスよりも簡潔で、自己認識があり、制御された文章を書いていた。

また、カーやその他の虐待被害経験した人々の経験にも慰めを見出した。

なぜなら、後になって分かったことだが、

2010年の冬に私があれほど惨めなほど落ち込んでいた理由の一つは、

私自身が身体的、感情的、性的虐待を伴う関係の中にいたからだった。

私はそれに気づくまで、しばらく時間がかかった。

私を虐待していた男は、何しろとても繊細そうに見えた。

そして彼は、人間の善性について哲学的に語ることに熱心な、非常に活発で好奇心旺盛な読書家だった。

ウォレスの伝記作家は、彼の虐待について知っていた。

カーはウォレス自分行為を認めた手紙を彼に見せていた。

しかし、それらはウォレスの「技量craft)」の証拠として扱われた。

彼が悪を行う能力を持っていた証拠としてではなかった。

#MeTooは、私たちのほぼ全員に、自分尊敬する人々の憎悪的で虐待的な行動と向き合うことを強いた。

私は、私たちがその困難な矛盾を抱え、認める能力を持つことが重要だと思う。

メアリー・カーは、読者にウォレス作品を捨ててほしいとは思っていない。

彼女はそのことをTwitterでも述べている。

(カーのツイート引用

「悪を行う能力があることが証明されたすべての人間人生作品から自分たちを切り離そうとすることは、生産的ではありません。

それは、関係によって自分浄化しようとする終わりのない競争を生み出すだけです。

一見すると善良だったり、複雑だったりする人々が、恐ろしい行為を犯すことがある。

もし被害者が本当に安全を感じられる社会を作るなら、私たち何度でもその真実に向き合わなければなりません。

私たちはそれを受け入れ、対処する方法を身につけなければなりません。

その複雑さに耐えられないことこそが、人々を告発者を無視し、創作者を免責する方向へ向かわせるのです。

単純ではない現実を恐れる気持ちこそが、

ウォレスの伝記作家や多くのファンに、

自分たちが愛した本の中の優しく悲しげな男性が、実際にはストーカーであり、殺人を企てた可能性のある人物でもあった、

という事実を認めさせなかったのです。」

 

私たちは、その矛盾を受け入れることができるようにならなければならない。

そして、それにどう向き合うかを学ばなければならない。

なぜなら、その複雑さに耐えられないことこそが、人々を告発者を無視し、創作者を免責する方向へ押しやるからだ。

一見すると善良で、あるいは複雑で理解しがたい人物が、恐ろしい行為をすることがある。

もし被害を受けた人々が本当に安心できる社会を望むなら、私たちはその事実何度でも向き合わなければならない。

私たちは、その事実を受け入れ、それと共存する方法を身につける必要がある。

DFW作品を愛していた人間として、私は本当に彼の作品を愛していた。

本当にそうだった。

私は、彼が複雑で、心を揺さぶるほど美しい魂を持った人物だと信じていた。

しかし今、彼についての真実を知った私は、彼の作品の多くを以前ほど評価できないと感じている。

そして、彼がもうこの世にいないことに感謝している。

もし彼がまだ生きていたなら、

彼は今でも学生たちを虐待し、

恋人たちに嫌がらせをし、

自分自身の悪意や暴力性を直視することを避けながら、

苦悩に満ちた、疲れるほど長い文章を書き続けていたに違いない。

私はそのことに疑いを持っていない。

私はむしろメアリー・カーが今も健やかに活動し、真実が知られている世界に生きていることを嬉しく思う。

それに、カーの本のほうが結局のところ優れている

[][] 男性作家虐待的な行為を、彼らの芸術の一部として扱うのをやめるべきだ https://dbknews.com/2018/05/08/junot-diaz-david-foster-wallace-metoo-abuse/

男性作家虐待的な行為を、彼らの芸術の一部として扱うのをやめるべきだ

サラ・リバック

2018年5月8日

意見欄に掲載された見解は、執筆者個人のものです。

#MeToo運動が停滞しているのではないかと思っていた人がいるなら、ここ数週間の出来事がそうではないことを示している。

4月26日ビル・コスビーは加重わいせつ暴行の3つの罪状有罪判決を受けた。

5月4日には、ノーベル文学賞を授与する機関であるスウェーデンアカデミーが、同組織内部での性的暴行調査を受け、今年は文学賞を授与しないと発表した。

その翌日には、尊敬を集めるラテン系作家ジュノディアスが、性的 misconduct(不適切性的行為)への告発を受け、シドニーライターズ・フェスティバルへの参加を取りやめた。

先月、私はディアスが書いた長い『ニューヨーカー』誌のエッセイを読んだ。

そこでは、彼が子どもの頃に性的虐待を受けた経験について詳しく語っている。

特に印象的だったのは、彼が自分に起きたことと向き合ってきた過程、そして現在ではその経験の影響に支配される存在ではなくなったことについて書いていた点だった。

ディアスはこう書いている。

「私はかつての自分ではない。

女の子に触れることもできない兄でもないし、女性関係を乱す最低な男でもない。

私は週に2回セラピーを受けている。……

私は自分の嘘や選択によって人を傷つけることはしない。そして可能な限り償いをしている。私は責任を引き受けている」

このエッセイ目的は、多くの意味で、ある種の区切り終結を作り出すことだったように思える。

しかし、その過程ディアスは、自分自身の行動の全体像を認めることを怠った。

先週金曜日、3人の女性が、ディアスから虐待暴力を受けた経験について声を上げた。

アメリカ人作家ジンジ・クレモンズは、26歳だった時にディアスから無理やりキスをされたと証言した。

劇作家モニカバーンは、意見の相違があった際、ディアス彼女の顔に向かって「レイプ」という言葉を叫んだ会合について詳しく語った。

作家カルメンマリア・マチャドは、ディアス自身作品についての公開討論の場で攻撃的かつ防衛的な態度を取ったことについて、長く語っている。

これらの告発は、ディアス作品を読んできた多くの読者に認知的不協和引き起こした。

私たちは、彼の作品価値がどの程度維持されるのか、問い直さざるを得なくなった。

間違いなく、今後もディアス作家としての才能や卓越性、そして彼が女性たちに虐待的な行為をしていたと知ることになったファンの悲しみについて、議論は続くだろう。

しかし率直に言えば、私はもう、好きな芸術家に告発が出るたびに繰り返される、

怪物的な男性たちの芸術をどう扱うべきなのか」

という議論に伴う苦悩や逡巡には疲れている。

ここで重要なのは、彼の芸術ではない。

重要なのはディアス女性たちに暴力的な行為をしたということだ。

彼は女性たちに侵害されたと感じさせ、安全ではないと感じさせた。

彼の文章文学的価値文化的重要性は、文学界存在する、ほとんど支配的とも言える女性嫌悪にどう対処するかという議論において、何の重みも持たない。

重要なのは複数女性たちが勇気を持って声を上げたということだ。

それは最大限の注意と敬意を向けるべき、勇敢な行為である

ディアスシドニーライターズ・フェスティバルへの参加を取りやめた日、『ジェゼベル』誌には、詩人メアリー・カーが尊敬されるアメリカ人作家デイヴィッド・フォスター・ウォレスから受けた虐待について、繰り返し公に語ってきたことを扱った記事掲載された。

ディアスとウォレスをめぐる両方の議論で、私が最も興味深いと感じたのは、

彼らによる女性への虐待が、芸術を生み出すために必要媒介として扱われていることだ。

彼らの作品の輝きが、女性嫌悪や虐待正当化しているのである

虐待的な芸術家という存在が、文学界の内外で受け入れられた規範――ある種の典型的人物像――になってしまたことは、さらに憂慮すべきことである

『Bad Feminist』の著者ロクサーヌゲイは、ディアスへの告発についてTwitterでこう書いた。

「この作品ファンが、ここからどう進めばいいのか私は分からない。

でも、『ジュノディアスキャンセルされた』と言うだけでは十分ではない、ということは分かっている。なぜなら、それでは女性嫌悪も、文学界女性犠牲にして権力を持つ男性を守ってきた仕組みもなくならないからだ」

ゲイの考え方は、ディアスやウォレスのような作家を再検討することを求めている。

それは、彼らの作品の「天才性」を理由に、芸術芸術家を切り離すことを拒む再検討である

私自身について言えば、

私は「芸術天才」や才能という名のもとで、他者苦痛トラウマを軽視する自分の一部、そして自分が受けてきた教育の一部を拒絶する。

ディアスへの告発を初めて読んだ時に感じたためらい。

そして、愛したり尊敬したりしている芸術家が同じような行動を取ったと知った時に感じるためらい。

私はそれらすべてを拒む。

今、私が本当に苦しみを感じるのは、

ジンジ・クレモンズ、モニカバーンカルメンマリア・マチャドのような女性たちに対してである

彼女たちは痛みと屈辱経験し、声を上げることのできなかったすべての人々のために声を届けるという役割を背負うことで、貴重な時間を失った。

私にとって、本当に最初から重要であるべきだったのは、それなのだ

2026-07-10

コールセンターで働いて20年くらいになる(追記書いた)

社会に出て直ぐの右も左もわからない頃から個人相手法人相手王道ISP受付窓口、銀行、某大手通業者PC電子機器テクニカルサポート、アウトバウンド獲得業務国勢調査・・様々なセンターで働いてきた。扱う商材、サービスにもよるが、客層が悪いところはクレームが当たり前。電話に出るたび出るたび怒鳴られて文句を言われていた。

10年以上前の話だが、某大手通業者系列で働いていた時は「殿様商売」ってよく言われていたっけな。電話加入権(正確には施設設置負担金です。今思い出した)の価格がちょうど下がった頃だったと思う。「昔は資産だったのに、今では二束三文でうんぬん・・・」って言われたこともあった。おじちゃんごめんな。自分は全く悪くない。

この職場結構長くいたが、今考えてもやはり世間常識とは違うことをやっていたんだなと感じることが多かった。朝は必ずラジオ体操

偉い人が座る窓際の横向きのデスクで、当時の主査(ヒラのひとつ上)が業務中にスポーツ新聞を読んでいたこともあった。もう少し時代が古ければ、タバコでも吸っていたのかもしれない。他にも国政選挙出馬する某議員が、職場に「応援よろしく」って感じで来たこともある。ああやって組織票は作られていくんだろうな。わたし社員じゃなかったし、選挙には全く興味が無かったから行かなかったが。

定年間近の高齢社員が多かったこからわたし含めた一部の派遣社員からは「社員達の墓場」と言われていた。

今はどうなんだろう。拠点も移動してキラキラしたオフィスで働いているらしい。

それから、この職場クレームがあると、ほぼ100%の確率で料金の無償化をしていた。相手が○○料金を〇か月無料しろ!と言ってきたら「はいわかりました」とやっていたのである。御用聞きかよ。でも若いころにこの職場のやり方を経験してしまったおかげで、クレーム対応相手迎合することと自分の中でインプットされてしまたことは、本当に良くないキャリアだったなと今でも思う。

このやり方を訂正出来たのは、その後10年以上経ってからだった。

20年前のコールセンター業界と言えば、「電話オペレーター女子」みたいなイメージ世界で(今でもその名残はたくさんあるけど)、若い女子はいても若い男子は全くいなかった。自分以外は若いの子か、既婚女性定番。当時は全く気付かなかったけれど、若いまともな男性はコールセンター業界に寄り付きすらしなかった。そりゃそうさ、みんなちゃん就活をして正社員として就職していったんだから。今でこそ、老若男女問わずなんなら60超えたおっさんやおばさんも活躍する業界になってしまったが、20年前のコールセンターと言えば「若い女性か、既婚女性フルタイム正社員ほどではないけれど、お金を稼げる場所だった」な。

からコールセンターに来る若い男性は、当時の感覚で言えば、世の就職戦線に参戦しなかった、もしくは自分のように出来なかった人間達が集まってきたから、だいたいが変な奴が多かった。まともなやつは、この仕事を「つなぎ」として考えており、すぐに就職を決めていった。そんな気がする。自分正社員になるのが怖くて怖くて、なんとなくお給料の良いこの職場に居続けて結局、今。

時間の流れって早い。

コールセンター仕事最初はうまく行かなかった。いろいろな人に怒られて、ある職場では3か月と続かず、ある日の朝、早めに職場に出社して「すみません辞めたいです」「ああ、いいよ」とその場で退職になった職場もある。今考えれば、あの後どのような手続きが行われたのだろう。私は退職届にはサインしていない。

当時のSVに退職を告げたあと、近くの公園の芝生に大の字なって寝転んで「あーーーーーー終わったーーー」と言っていた時、寝転んでいるすぐ隣で、これから出勤していくであろうスーツ姿の男性を見て、罪悪感を覚えた記憶がある。あの時の自分は真面目過ぎた。

20、30代の頃は自分もイキがっていたから「俺がやるべき仕事はこんなもんじゃない(もっと難しく、スケールのでかい自分にふさわしい仕事があるはず)」と思っていた頃もあった。だから、既婚者と一緒に仕事をするのが本当に嫌だった。彼女たちののんびりペースに合わせていては、成長できないと思っていたからだ。でも、途中から「だったら、今頃ちゃんとした給料得ているよな?」と思うようになり、今では「偶然という名の必然やな」と思うようになった。女性の輪の中で過ごしたことは、割と経験になっていて、何より一番経験になっているのは「仕事仕事仕事モードにならないこと。彼女たち女性は「仕事になんて全力を出さない」「仕事が終わったらさっさと帰る」「余計なことはしない」マインドだったので、これは学ばせてもらっていた。もし自分男性社会に居たら、今頃タワマン屋上から飛び降り自殺でもしてたかもしれない。お給料は割ともらえているので、生活には困っていない。ただし一人で暮らす分だけで精一杯ではあるが。

6割の確率で大クレームを引く職場もあれば、全くクレーム出会わない職場もある。とあるセンターでは、顧客として話す相手ほとんどが、一部上場企業もしくは、その業界シェアトップ企業だった。相手仕事としてかけてくるので、乱暴に怒られることはほぼ無く、言葉遣いも丁寧だし、品もあって何より賢い方ばかり。我々が何かミスをしても笑って許してくれる方ばかりで「なんや、こんな世界があるんか」と思ってしまった。会話もとても勉強になることばかりで、この職場を通じて様々なことを学んだ。世の中にある企業ソニーパナソニックソフトバンクくらいだと思っていた自分にとっては「うわ、世の中ってこんなにいろんな分野にいろんな会社があるんや」と世界を広げさせてくれた。そして何よりも、「環境ってめっちゃ大事だな」ということを痛感した。

同じオペレーター仕事でも、ある職場では毎日奴隷みたいに怒鳴られて、自尊心ボロボロにされる・・(ただしクライアントはそんな我々の気持ち微塵も理解していない。彼らはバカから)こともあれば、前述のセンターのように、天国のような環境もある。

私は実家父親母親暴力暴言をふるう家庭だったのだが、あのようなバイオレンス日常的に浴びせられると、自尊心へったくれもなくなってしまう。同じようなことがコールセンター業界にもあり、毎日意味もなく怒鳴られていると、自尊心は削られていくのだが、毎日天国のような環境にいくと、削られるどころか、自尊心マインドもどんどん成長していくのだなと思ってしまった。つまり、父が母にバイオレンスをするのは、それをそばから見ている子供にとっては犯罪的。そういうことである

時代の変化もあるのかもしれない。カスハラなんて言葉、昔は無かったからな。

どの職場にも「常連」は必ずいた。

ひたすらクレームを言う客。自説を展開してくる客。

人によっては、毎日電話をしてきて、1時間、2時間しゃべる・・という人もいた。当時はわからなかったが、今となればみんな寂しかったんだろうなと思う。

自分は今も昔もこの電話でしゃべる仕事が好きじゃない。

ただの一度も好きになったことがない。ただ、他の世界を全く知らなかったので、他の世界への逃げ方がわからなくて、でも、一人で暮らすには十分なお金がもらえるから、やっていただけである

毎日ストレスが溜まって、そんなこと考える暇もなかったっていうのもある。そのうちに、何となく経験スキルめいたものがついてしまい、多少困難なら経験で乗り切れるようになってしまった。困ったね。本人は楽しくないのに。

コールセンターじゃない世界線を生きていたら、自分は何をやっていたんだろうな。

追記

なんか伸びてるみたいなので、まだ書いてない事書く

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既婚者(女性)の人と仲良くなったっていう話はよく聞く。女性が多い業界なので、女性からアプローチを受けることもよくある。自分もあったけど、どうなったか秘密結婚相手が同じセンター人間ってのもよくある。まあ必然的にそうなるわな。知り合いで出世している人の結婚相手も、同じセンターオペレーターだった。

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もちろんセンターによる。

職業

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[][] デイヴィッド・フォスター・ウォレスについて私が書くべき最後エッセイ メアリー・K・ホランドがウォレス女性嫌悪という「未解決の問い」に終止符を打つ メアリー・K・ホランド https://lithub.com/the-last-essay-i-need-to-write-about-david-foster-wallace/

 


デイヴィッド・フォスター・ウォレスについて私が書くべき最後エッセイ

メアリー・K・ホランドがウォレス女性嫌悪という「未解決の問い」に終止符を打つ

メアリー・K・ホランド

2021年11月29日

写真スティーブローズ

デイヴィッド・フォスター・ウォレス作品は長年にわたり、(そう考えられてきた)暗澹たるポストモダン的主張――「すべてはほとんど不可能になってしまった」という認識――が数十年続いた後に、小説共感、誠実さ、そして人間的なつながりへと大胆に方向転換したものとして高く評価されてきた。

彼の作品は、言語的に豊かで構造的にも革新的であるだけではない。主題の面でも強い魅力を持ち、リベラルヒューマニズムが覆い隠してきた抑圧、テクノロジーアメリカナルシシズムがもたらす魂を殺すような危険、そして皮肉アイロニー)に支配された文化ますます無力化していく状況を、見事に批判している。

ウォレスは、人間他者をより深く見つめ尊重するためには自己認識を育てなければならない、と感動的に語り、書いていた。そして読者と作者の関係のものを、刺すような親密さで構築する形式的方法を生み出した。そのため彼のファン批評家も、まるで彼自身を知り、愛しているかのように感じている。

彼が自殺によって亡くなってから一年後、彼と彼の作品への大衆的・批評的関心が現在存在するウォレス研究という一大分野へ発展し始めた頃、彼は初めて、女性をつけ回し、操り、身体暴力を振るった女性嫌悪者として告発された。

2009年回想録Lit』で、メアリー・カーはウォレス自分を追い求め、短い恋愛関係に至り、最終的には激しい口論の末、「彼が私に向かってコーヒーテーブルを投げつけた」という数年間の関係について、4ページにも満たない範囲で語っている。

しかし、10年近く後に彼女がこの関係について語った内容とは違い、ここでのカーの語り口は終始、知的でユーモラスなものに保たれている。

また彼女は、ウォレスの激しさについての告白の後には必ず、自分自身の後悔すべき行動についても告白している。

彼の「怒りの爆発」について、カーは「謝らなければならなかった文章言葉)」があったと認め、さらに「もちろん、彼がそこまで怒るだけの十分な理由はあったに違いない」と、私たちに二度も念を押す。

コーヒーテーブルを投げつけられた出来事説明した後、彼女は括弧書きでこう述べる。

「何年も後になって、私たちはこの騒動全体について、お互いが書いた長い謝罪文を受け入れることになる」

まるで、家具を投げつけられた側が、それを投げた側と同じ程度に罪を負っているかのように。

その3年後、D・T・マックスはウォレスの伝記を出版し、カーとの関係についてさらに衝撃的な詳細を明らかにした。

ウォレスはカーの夫を殺すために銃を買おうとしたこと

カーを走行中の車から押し出そうとしたこと

さらマックスは、ウォレスの性生活女性に対する公言された態度についても十分な情報を明かし、彼をまるで彼自身小説に登場する醜悪男性の一人のように見せた。

ウォレス朗読会に来た女性ファンたちを「観客のマンコ(audience pussy)」と呼んだ。

ジョナサンフランゼンに対して、自分人生の唯一の目的は「できるだけ多くの女性の膣に自分ペニスを入れること」なのではないか、と考えていた。

回復支援グループで弱い立場にいる女性たちを狙った。

『インフィニット・ジェスト』のオリンのように、「若い母親征服することへの性的フェティシズム」があると認めた。

そして「その女性たちの一部が自分の教え子であることを気にしていないふりをしていた」。

2016年、故ウォレスに捧げられたアンソロジーの中で、その教え子の一人であるスザンヌスキャンロンは、学生教授操作的で感情的虐待を伴う性的関係を持つ短編小説を発表した。

教授は「D-」「作家」「自称ミソジニスト女性嫌悪者)」と呼ばれる人物である

この作品はウォレスの特徴的な形式要素――「Octet」や「Brief Interviews」――を利用し、デイヴィッド・フォスター・ウォレスによって広まった特徴的な語り口によって支配されている。

しかし、これらの告発は、ウォレス作品へのファンや読者の愛情にも、批評家による作品解釈評価にも、目に見える影響を与えなかった。

しろ2013年作家レベッカ・ロスフェルドは、マックスが記録したウォレス女性嫌悪的な行為発言(一部であれ)が、自分の「彼の根本的な善良さ、知性、そして好ましさへの信頼」を揺るがすことはできなかったと告白した。

なぜなら、彼女にとって「彼の作品のほうが、彼の行動よりも現実味があった」からだ。

一方、批評家エイミー・ハンガーフォード2016年、ウォレス作品を読むことも教えることもやめる決断をしたと宣言した。

しか彼女は、ウォレス女性たちを虐待したことや、その行動がどのように作品の再読を迫るのかという問題には触れなかった。

別の作家ディアドラ・コイルは、ウォレスを読むことへの不快感を、作者本人の行動によるものとは説明しなかった。

彼女はそのことを認識している様子もない。

しろ、ウォレスに非常によく似た男性たちによって自分自身が受けた性的女性嫌悪暴力、そして家父長制そのものとの関連で説明した。

「小規模リベラルアーツ大学は、こういう男たちの温床だ」

「ウォレスへの私の反応と、家父長制への私の反応を区別することは難しい」

彼女は述べる。

この種の男性――自称フェミニストであることを理由に、女性自身男性による抑圧や性的侵害経験について「教えてあげよう」とするような男性――から侵害され、発言を遮られ、見下された経験を持つ女性なら、コイル共感せずにはいられないだろう。

しかし、ウォレスを拒絶する理由を「他の男性たちによる性的暴力」や「女性嫌悪一般」に置き換えることで、彼女議論を別の方向へ移してしまう。

まり、こうした要素がウォレス小説内でどのように機能しているのか、そして彼の伝記的事実がどのように作品の再読を強いるのか、という本質的問題から離れてしまうのである


こうした議論は、翌年、ある(男性の)ウォレス研究者が提示したような、循環的な反論可能にしてしまう。

「ウォレスを読む男性読者が全員女性嫌悪者というわけではない。

から女性たちは、良識ある男性読者の意見に耳を傾け、もっとウォレスを読むべきだ。

では、なぜそう言えるのか説明しよう」

というような論法である

#MeTooはまた、ウォレス作品に潜む女性嫌悪を読者に見えやすくした

#MeToo以前に、カーとマックスが報告したウォレスによる女性への虐待に対して示された反応は、読者、批評家教師たちが、ウォレスの伝記的情報を彼の作品と結びつけて考える際に、何が問題になるのかを明確にしている。

というのも、ウィムサットとビアズリーによる「意図誤謬(intentional fallacy)」への批判――作者の意図人格によって作品判断してはいけない、という考え――は説得力があり重要議論である

しかし、その目的は、作者という人物についての私たち思い込み作品のものに不当に影響することからテキスト自律性を守ることだった。

ところが、ウォレス女性虐待したにもかかわらず、彼の美しく共感的な小説価値擁護しようとする議論は、むしろ逆のことをしてしまう。

まり作品を守るために、作者の現実行為無視しているのである

スフェルドは、ウォレス小説への賞賛によって、彼自身女性嫌悪的な行動を「現実ではない」ものにしてしまった。

同じように、デイヴィッド・ヘリングはこう主張する。

ウォレス自身人間関係に関する「好ましくない詳細」が明らかになったことで、ウォレス女性嫌悪を同一視することは、

「ウォレス作品が、コミュニケーション共感権力について提起している緊急の問いに対して、根本的な損害を与える」

というのである

まるで、ウォレス現実女性たちに対して行った虐待は、彼の作品内で架空男性たちが架空女性たちにどう接するかを書くことに比べれば、考える価値がないかのようだ。

ヘリングが、搾取から身体攻撃にまで及ぶ行為を「好ましくないこと(unsavoury)」という婉曲表現で呼び、ウォレス作品におけるジェンダー問題を「厄介なもの(troublesome)」と表現していることは、この問題に関するほぼすべての批評議論共通する別の問題を示している。

それは、作品の中でも作者の人生の中でも、私たちが話しているものが、

ジェンダーに基づく暴力ストーカー行為身体虐待

そしてカーの夫の場合には殺人計画にまで及ぶものだ、

ということを言おうとしない、あるいは見ようとしない姿勢である

2017年10月、バークによる#MeToo運動が再び大きな広がりを見せた後、ウォレス研究の内部にいる批評家たちと、それ以外の人々との間には、これらの告発への反応に奇妙な分裂が生まれた。

ヘリングの反応は、ウォレスの行動の重大性と、それが作品関係する可能性を軽視しただけではない。

さらに彼は、

ウォレス作品女性嫌悪を「表現している」のではなく、「劇化している(drametrize)」のだ、

という自分の「信念」を示した。

しかし、その主張を裏付けテキストに基づいた分析提示していない。

また、すでにこの問題分析し、むしろ反対の結論――つまり作品自体女性嫌悪を含んでいるという結論――に至った批評研究にも触れていない。

さらに彼は、回想録作家ブロガー批評家たちが、ウォレスを彼自身の伝記的事実から救おうとするときによく使う手法にも頼っている。

それは、男性による女性支配の具体的な例を、普遍的な「人間問題」へと変換することである

その過程で、ジェンダー権力の要素を完全に消去してしまう。

たとえば『Brief Interviews』において、ウォレス女性インタビュアーの声を封じ込める男性たちを描いている。

ヘリングは、それを、

「ウォレス作品の豊かさ――コミュニケーション共感の困難さや重要性への関心、そして対話崩壊したときに起こる有害なことの描写――を体現している」

と読む。

しかし、こうした読み方は重要事実無視している。

権利意識を持った男性と、圧力を受ける女性との間で対話崩壊した場合、起こることは単なる比喩的な「有害さ」ではない。

それは身体的に傷つけられること、精神的に病むこと、実際の被害につながりうる。

そして、そのことこそが、あの短編集に収録された多くの物語が示しているものなのである

同じ舞台、同じ課題――ウォレスの56歳の誕生日になるはずだった日に彼を称えること――を与えられた批評家クレア・ヘイズ=ブレイディは、「2018年デイヴィッド・フォスター・ウォレスを読む」という文章を書いた。

これは、女性たちによる性的暴力証言SNS上で大量に共有され始めた数か月後のことである

しかし、その文章は#MeTooにも、ウォレスに対する公的告発にも触れていない。

ではタイトルにある「2018年」とはいったい何を意味するのか、という疑問が生じる。

数か月後、ウォレス研究において「何が変わったのか」と問われた際、ヘイズ=ブレイディはヘリングと同じ一般化の手法に戻った。

彼女女性嫌悪への批判を、あくま学問内部の発展として再構成した。

そしてそれを、性的暴力加害者たちに向けられた#MeTooの抗議とは無関係もの

「偶然同じ時期に起きただけ」

として扱った。

さら彼女は、

「ウォレス文章における技術的、そして道徳的倫理的な欠陥」

という表現を使った。

まるで女性たちがTwitter上で、ウォレスの長すぎる文章構造に怒っていたかのようである


ウォレス女性嫌悪者だったのかと直接尋ねられたとき、ヘイズ=ブレイディはこう答えた。

はい。ただし、それは私を含め、誰もがそうであるという意味での女性嫌悪です」

まるで、私たちには、

単に女性嫌悪的な文化の中で生きているだけの人間

と、

その文化の中で自分利益のために、女性に対して意図的に利己的で残酷な、そして暴力的な女性嫌悪行為を行う男性

区別するための言葉など存在しない、あるいは必要いかのようである

まり私たちが愛した作家が、本人がそう思われたがっていたような聖人ではなかったこと――そして私たち自身もそう信じたかたこと――を示す否定できない証拠に、人間らしく向き合う代わりに、

ウォレス批評家たちは――当時沈黙していた私自身も含めて――#MeTooによって明らかに必要とされた反省と再検討を拒んだ。

私たちはその拒否を、

彼の個人的な行動が彼の作品私たち研究活動関係していることを否定することで行った。

あるいは、さらに悪いことには、

レイプ文化を支える古くから加害者擁護

まり女性たちの証言を信じることを拒むことに加担することで行ったのである

文学研究の外側にいる人々は、#MeTooによって再び注目されるようになったこれらの告発に対して、まったく異なる反応を示した。

2018年5月4日ジュノディアスが女性たちへの性的虐待で公に告発され、すぐさま社会的な抗議が起きた。

その後、メアリー・カーはTwitter上で、10年近く前に自分が報告していた虐待について改めて人々に思い出させた。

それをきっかけに、カーとマックス提示した告発を支持する一連のブログ記事インタビューが生まれた。

それらはまた、なぜこうした告発がこれまで公に受け止められることを妨げられてきたのか、その背景にあった女性嫌悪を明らかにし始めた。

この芸術家が、自らの人生において、作品の中でほとんど説いていた相互尊重に基づく共感を生み出せなかったということは、いったい何を意味するのか?

ホイットニー・キンボールは、マックスがカーに対するウォレス暴力的な扱いを、彼の創作活動にとって有益もの、そして彼を「魅力的」にする要素の一つとして描写していたことを指摘した。

さらマックスは、ウォレス手紙の一つについて「非常に注目すべき」「卓越した技巧」と称賛している。

しかし、その手紙が、

カーの夫を殺すために銃を購入しようと計画したことへの謝罪文

であるという事実については、わずかに触れるだけだった。

ミーガン・ガーバーは、あるインタビュアーマックスに対して、

「なぜカーへの彼の感情が、ウォレスにこれほどの問題引き起こしたのか」

と尋ねたことに含

[][] メアリー・カー、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとの関係詩集『Tropic of Squalor』を語る https://www.wbur.org/hereandnow/2018/05/15/mary-karr-tropic-squalor

 

メアリー・カー、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとの関係詩集『Tropic of Squalor』を語る

高い評価を受けている回想録作家メアリー・カーが、新しい詩集 『Tropic of Squalor(荒廃の熱帯)』 を出版した。

この詩集には、彼女家族、神との関係、そして虐待的な関係にあった作家デイヴィッド・フォスター・ウォレスについての詩が収録されている。

カー(@marykarrlit)は、番組 Here & Nowロビンヤングとこの本について語った。

以下、『Tropic of Squalor』から抜粋掲載する。

インタビューハイライト

デイヴィッド・フォスター・ウォレスとの激しい関係について

「私はある関係を持っていました。でも、激しかったのは彼のほうです。

私が最終的に暴力について話すことにした理由ひとつは、私のところには若い女性たちからたくさん手紙が来るからです。彼女たちは、私のような人間暴力的な相手関係を持つなんてあり得ないと思っている。

でも私は、20年間沈黙してきたあとで、ある時点から自分は私を殴りつけ、苦しめた人間に加担していたのではないか、と感じるようになったと言わなければならない。

彼が亡くなった時、私はひどく悲しみました。本当に悲劇的なことだと思った。

でも私は、彼が生まれる前から作家だった。

それなのに一部の人々は、私を、まるでこの邪悪世界で生きることができなかった悲劇的な聖人のように見なされている男の伝記の脚注のように扱う。

彼は確かにそういうふうに見られている人物だけれど、同時に、私に対して残酷なことをした男でもあるのです。」

「彼がしたことで最悪だったことは、私の家の外壁をよじ登って、寝室のバルコニーまで来たことです。

それから、私の息子の帰り道をつけたこと。息子は5歳でした。

そして、私の夫を殺すために銃を買おうとしたこと

伝記作家は、そうしたことについて話し合われた手紙を見ています。つまり、これらのことがまったく知られていなかったわけではない。

D・T・マックスがそれについて書いたことの中で、私が覚えているのは、彼の暴力が彼をより『魅力的』な存在にした、というような意味のことです。

私はただ……#MeToo運動から出てくる話を読んだり、職場で多くの若い女性たちに会ったりして、彼女たちが抱えている大量の恥を見てきた。

そして他のすべての女性たちと同じように、私も自分を責めていました。

私が何とか解決しなければならない、彼を変えなければならない、と考えていた。

でもこれは、とてもよくある物語なのです。」

「私の人生には、自殺した人もたくさんいました。

母も自殺をほのめかしていました。でも今になって思えば、彼女はむしろ他人を傷つける側だったのだと思います

こうしたことは、私の過去の中でも悲しく暗い部分で、最近になってようやく語るようになったことです。

そして、このことについて何人かの人からたしなめられました。まるで私が誰かに意地悪をしているかのように受け取られたからです。

でも、それは多くの女性に起きることです。

ただ、私は声を上げてよかったと思っています

彼に顔を殴られた女性、嘘をつかれた女性、彼の教え子で、彼と性的関係を持った学生たち――そういう多くの若い女性たちがネット上で私に連絡をくれたからです。」

子ども時代故郷について書いた詩について

「父は石油精製所で働いていました。でも油田でも働いていました、そうです。

私にとって、この本はある意味で――『Tropic of Squalor』というタイトルは、私の故郷につけていた冗談のような名前でした。

そこは東テキサス湿地帯にある、小さな田舎町でした。

燃え上がる工業用の塔、蛇やワニ、そして日曜日にはクー・クラックス・クランが魚料理集会を開くような場所

私にとってそこは一種地獄一種業火でした。

私は本ばかり読んでいる、繊細で変わり者の子どもでした。

からこの本は、ある意味では暗闇から光へ向かう旅について書いたものだと思います。」

「正直に言うと、私の故郷のがん発生率は――まるでチェルノブイリのようです。

私が知っている人たちの数を考えると……小学校6年生になる前に、白血病で2人の友達を亡くしました。

そして実際、あの町ではガソリンスタンド化学療法センターに変わっている。

本当に奇妙なことです。」

神との関係について

「私は祈る人間です。祈ります

ある人が私にこう言ったことがあります

『30日間、毎日祈ってみたら? そうしたら人生が良くなるか見てみればいい』

祈りがいつも物事を変えるのかは分かりません。

でも、祈りはいつも私自身を変えるのだと思います。そして時には、私が物事を変えることもある。

魔法の8ボール質問すると答えが出る玩具)のように、答えが表面に浮かび上がってくるわけではありません。

でも時々、胸の真ん中に静かな傾きのようなものを感じる。

ずっと悩み続けていたことや心配していたことが、突然消えることがある。

あるいは、何かが胸の中で中心に収まって、決断できるようになる。

から人はよく私に聞きます

『神の声ってどんなものですか?』

それで私は『The Voice of God(神の声)』という詩を書きました。」


「神の声」(詩)について

カーは、神の声について書いた詩を紹介している。

VI. Wisdom: The Voice of God(第6章 知恵:神の声)

神はマンホールの蓋を通してこう言う

あなたの間違っているところの90パーセント

熱い風呂に入れば治る」

なのにあなた魔法を求める

一度も買っていない宝くじ

当たることを望んでいる。

(優しく修道士たちは歌う

苦しみを抱きしめよ、と。)

その声は決して媚びない。

5年計画提示しない。

長期的な解決策もない。

白いひげを雲のように伸ばし

耳に引っ掛けた神が

命令を下すわけでもない。

それは小さく、親しげで、

その土地に根ざしたものだ。

空を飛ぶガチョウの鳴き声の中に

自分イニシャルを探すな。

暗いガラス越しに

すべてを見通そうとするな。

それは、いちばん当たり前のことを言う。

まり――

「銃を置きなさい。

サンドイッチを食べなさい。」

「たいていの場合、私はそんなに良い人間ではありません。

地下鉄で私を見かけたとして、空調が壊れていて――誰かが叫んでいたり、目の前で誰かがトイレをしていたりしたら、

そこでただ『神様、目の前でトイレをしているこの人を祝福してください』と言ってみる。

すると、驚くほど何かが変わる。

その人について少し興味を持てるようになるんです。

から私はよく歩き回りながらそう考えています

そうしないと、私は本当に嫌な人間になってしまうから

私にとって祈りとは、必要としている一連の心理的修正作業の一部なのです。」

フェミニズムと詩について

「正直に言います

私は60代ですが、過去18か月ほどになるまで――私は8歳の頃からフェミニストでした。

でも、自分はずっと“アンクル・トム”のようだったと感じています

(※アンクル・トム:差別される側でありながら支配者に迎合する人物比喩

自分でも気づかない形で、私は人生を通して男性に媚びてきたのだと思う。

そして、世界で何が起きているのかについて、完全に考え方が変わりました。」

「以前、人からレイプ文化がある』と言われた時、私はこう思っていました。

『人をレイプすることが悪いという考えは新しいものではないでしょう』と。

でも、分かったんです。

実際には、人をレイプすることが悪いという考え自体が、ある意味では新しいものなのだと。

そういう面は確かにあります

ひどいことは起きています

私自身も子どもの頃にレイプされました。

子どもたちに起きる悲惨なことがあります

でも私は、21歳だった頃のことを考えています

私はニューヨークに来て、憧れていた偉大な詩人作家たちがいる部屋にいました。

素晴らしい教師、エセリッジ・ナイトがいました。

ジェイムズ・ライトも、ギャルウェイ・キネルも、アリスウォーカーも、デニーズ・レヴァートフもいました。

そして私は、エセリッジの子どもたちのベビーシッターをしていた。

そこへ、プリンストン大学で教えていたギャルウェイ・キネル台所に入ってきて、私の手を彼の性器に置いた。

私はその場を去りました。

部屋を出たのです。

から問題は、単にレイプだけではない。

何度も何度も、あなたがある場所から追い出されること。

性別という理由だけで、本来なら得られるはずだった機会を失うことなのです。」

『Tropic of Squalor』より抜粋

「Discomfort Food for the Unwhole(欠けた者たちのための不快食べ物)」

会計を済ませるため、私たちカートを並べる

それぞれの頭は輝くスマホへと垂れている。

この小さな光の四角形を通して、私たち

親指でタップする

タップする

反対側の親指を持つ人間たちは、それぞれ

わずかな空間、数枚の床タイルの上にいる。

それでも誰もが信じている。

手の中の光を通せば

遠くへ届くのだと。

から、この場所から

遠くへ

私たちの広大なアルファベットには

ハートマーク

ドル記号

上下を向いた漫画の親指が含まれる。

誰かを生かすか殺すか投票するために。

バラバは生かすのか、殺すのか。

しか私たちの街には

鉄骨の梁と鏡張りの塔がある。

背後には並んでいる。

氷漬けのメキシコ湾エビ

ニュージーランド産羊肉

ロシア産チョウザメ

輝く黒い卵。

ブラジルから届いた

露を帯びた蘭。

まりにも多くのもの

まりにも多くの場所から

まりにも少数の人々のために。

しかも、その代償は途方もない。

それなのに私たち

手元から顔を上げることができない。

周りを見ることができない。

自分自身を止められない。

それぞれの顔は首から前へ垂れ下がる。

その首が支えているのは

自分自身がむさぼり食う死体なのだ


あなたイエスによって

引き上げられていることを願う。

もう何十年も経ってしまったけれど。

私たちは遠く離れてしまった。

愛が憎しみへと姿を変え、

悲しい手紙電話が続き、

あなたの顔が首つり縄の中へ消えていった。

今日の私は、

あなた最後に信じていた神々を

もし何かあったとしても

名指しすることさえできない。

救いを信じることな不可能なほど

深く絶望していた人間

讃えることなどできないから。

そして、私の教会などくそくらえだ。

自分自身の顔という仮面に耐えられなかった

苦しむ人々を、

そんな哀れな人々を

地獄で焼くような教会など。

言葉によってあなた

世界を形作ろうとした。

まりにも容赦なく

あなたの目に刻み込まれ

現実とは別の世界を。

なぜならあなたは、

現実のものを完全には否定できなかった。

そして、自分身体が持つ

悲しい重さを正当化することもできなかった。

自分にはここにいる権利があるのだと

証明することもできなかった。

まれながらに受け取った

空気の分け前を

支払うこともできなかった。

あなたは何度も私に頼んだ。

私が愛したオペラソプラノ歌手のように、

あなたの肺へ息を吹き込んでほしいと。

私の幽霊あなたの中に入り込み、

あなたが、

かろうじてしか存在を信じられなかった

あなた自身の魂への信頼を

飲み込めるように。

私は考える。

あなたの死は、

あなたを愛したすべての人にとって

失敗のように感じられるのだろうか。

まるで私たち全員の

集団的な心肺蘇生

早すぎるうちに止まってしまったように。

除細動器の電池が切れてしまったように。

死体が二度と起き上がらないことで

私たちを罰しているように。

そして許してほしい。

私が、

「すべての自殺者はろくでもない」

と信じてしまうことを。

私が神ではないのには

ちゃん理由がある。

もし私が神なら、

自分自身を傷つけた者を

残酷に打ち砕いてしまうだろうから

ただ私は言いたかった。

はは。

あなたがどれほど努力しても、

あなたは今この瞬間も生き続けている。

あなたを深く吸い込んだ

すべての人間の中で。

それぞれの肺の中で。

その赤く色づいた翼。

ピンク色の風船のような肺の中で。

私たちあなた

息として吐き出す。

そしてあなた

雨のように上昇していくのを見る。

(『Tropic of Squalor』HarperCollins Publishers 2018年刊より抜粋

この詩は、かなりカーらしい矛盾を抱えた文章だと思います

自殺した人間を責める怒り」と「それでも愛しているという事実」が同時に存在している。

特に最後

“We sigh you out into air and watch you rise like rain.”(私たちあなたを息として吐き出し、雨のように昇っていくあなたを見る)

は、死を肯定しているわけではないのに、死者を単純な「失敗」として終わらせない表現になっています

ウォレスの死について語ったカーの言葉とも重なります。彼を「聖人化された悲劇天才」として見ることへの怒りと、同時に彼を失った悲しみ。その両方を捨てないところが、このインタビュー全体の特徴だと思います

この文章文学的表現が多く、単純な辞書訳ではニュアンスが落ちる単語が多いです。特にメアリー・カーの語り口は、皮肉宗教的比喩身体感覚が混ざっています重要語句解説します。

インタビュー部分

acclaimed

高く評価された、絶賛された

acclaim = 称賛する

acclaimed writer = 評判の高い作家

例:

an acclaimed novelist

→ 高い評価を受けた小説家

memoirist

回想録作家自伝ノンフィクション作家

memoir(回想録)+ist(〜する人)

※ autobiography(自伝)よりも、個人的記憶経験に焦点を置く。

volatile

激しやすい、不安定な、爆発しやす

he had the volatile part

直訳:

「激しい部分は彼の側にあった」

ここでは「関係が激しかった」のではなく、

暴力性や感情の爆発性は彼にあった」という意味

speak up

声を上げる、黙らずに話す

I finally spoke up about the violence

暴力についてついに公に語った」

単なる「話す」ではなく、

「黙っていたことを告白する」というニュアンス

be complicit with ~

~に加担する、共犯的な立場になる

I felt like I was complicit with somebody who beat my ass

直訳:

「私を殴った人間に加担していたように感じた」

ここでは、

「なぜ逃げなかったのか」

「なぜ黙っていたのか」

という自己責任感への苦しみ。

beat my ass

かなり口語的。

殴りつける、ひどい目に遭わせる

ass = 尻

だがここでは身体全体への暴力

例:

He beat my ass.

あいつにボコボコにされた。

sainted sage

聖人化された賢者

saint聖人)+sage賢者

ウォレスへの批判的な表現

世間が彼を、苦悩する神聖知識人のように扱っている」という皮肉

footnote

脚注、取るに足らない付記

a footnote in the biography of this guy

「この男の人生脚注

まり

「私は彼の物語の脇役ではない」

という怒り。

brutal

残酷な、容赦ない

ここでは身体的・精神的な虐待を含む。

暴力について

climb up the side of my house

家の壁をよじ登る

普通ではない侵入行為

「訪ねてきた」ではなく、恐怖を伴う行為

follow my son home

息子の帰宅尾行する

follow は単なる「ついて行く」ではなく、

文脈によってはストーカー行為

buy a gun to kill my husband

夫を殺すために銃を買おうとする

to kill は目的を示す。

buy a gun to kill him

=彼を殺す目的で銃を買う。

fascinating

魅力的な、興味を引く

普通肯定的。

しかしここでは皮肉

his violence made him more fascinating

「彼の暴力性までもが、彼をさらに興味深い人物として消費させた」

という批判

故郷について

squalor

タイトルにも出る重要語。

不潔、荒廃、悲惨環境

例:

live in squalor

「劣悪な環境で暮らす」

Tropic of Squalor

直訳:

「荒廃の熱帯」

ヘンリー・ミラー

Tropic of Cancer(北回帰線

への連想もある。

backwater

取り残された田舎辺鄙場所

もともとは「流れのない水域」。

比喩で、

発展から取り残された場所

文化的に閉ざされた場所

inferno

地獄業火

ダンテの『神曲』の地獄篇を連想

単なる「つらい場所」ではなく、

救いのない苦痛世界

dorky

オタクっぽい、垢抜けない、変わり者の

悪口にも親しみ表現にもなる。

a sensitive, dorky kid

「繊細で、ちょっと変わった本好きの子

looks like Chernobyl

チェルノブイリのようだ

原発事故後の荒廃した土地象徴

まり

環境汚染されたような町」

という強烈な比喩

神について

leaning

重要表現

a quiet leaning in the middle of my chest

直訳:

「胸の真ん中にある静かな傾き」

意味

何となくこちらだと感じる内なる確信

宗教的な「啓示」に近い。

gnaw on

かじる、悩み続ける

something I’ve been gnawing on

直訳:

「私が噛み続けていたもの

比喩

「頭から離れない問題

pander

媚びる、迎合する

何度も出る重要語。

The voice never panders.

「神の声は媚びない」

まり

あなたが聞きたい答えを言わない」

フェミニズム部分

Uncle Tom

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