はてなキーワード: 数字とは
びてから、アイスを食べながらだらだらとテレビを見て、気づいたら日付が変わっていた。
7月11日(土)晴れ
休日。特に予定がなかったので、朝からゆっくり過ごした。目が覚めても、しばらく布団の中でスマホを見て、それから起き上がるまでに30分くらいかかった。この「起きているのに布団から出ない時間」というのは、人生の中でかなりの割合を占めている気がする。仮に1日30分だとしても、1年で180時間くらいになる。計算してみると、なんだか勿体ない気もするけど、この時間が意外と幸福度に貢献している気もする。
昼過ぎに、思い立って部屋の模様替えをすることにした。大掛かりなものではなく、机の位置を少し変えて、本棚の配置を変えただけだけど、それだけでも部屋の雰囲気がずいぶん変わった気がする。人間は変化を求める生き物なんだなと、模様替えをするたびに思う。特に不満があったわけではないのに、なんとなく変えたくなる。
模様替えの途中で、昔の写真が入った箱を見つけた。学生時代の写真や、旅行に行ったときの写真。しばらく手を止めて、写真を見返してしまった。今より若い自分の顔を見ると、なんとも言えない気持ちになる。懐かしいような、恥ずかしいような。友人たちとの旅行写真を見ながら、今どうしているんだろうと考えた。連絡を取っていない友人もいるけど、こういう写真を見ると、ふと連絡してみようかなという気持ちになる。実際に連絡するかは分からないけど。
夕方、模様替えが一段落したところで、少し疲れたので、コーヒーを淹れて休憩した。部屋の新しい配置を眺めながら、コーヒーを飲む時間は、なかなか良かった。特に生産的なことをしたわけではないけど、部屋がちょっと変わったというだけで、なんとなく達成感がある。
夜、夕飯にカレーを作った。多めに作って、明日以降も食べられるようにした。カレーは作った翌日の方が美味しいというのは、多くの人が言うことだけど、本当にその通りだと思う。今日はまだ作りたてなので、明日の熟成されたカレーを楽しみにしながら、まずは今日の分を食べた。
7月12日(日)晴れ
昨日作ったカレーの2日目を、朝ご飯として食べた。噂通り、味が染みて美味しくなっていた。朝からカレーというのは、少し重い気もするけど、休日だからいいかという気持ちで食べた。
午前中、特にすることがなかったので、久しぶりに映画を1本見た。配信サービスで前から気になっていた作品。内容の詳細はここには書かないけど、思っていたよりも良い映画だった。映画を見終わった後の、あの余韻に浸る時間が好きだ。すぐに次の行動に移らず、しばらくソファに座ったまま、見終わった映画の内容を反芻する。この時間があるかないかで、映画体験の満足度がだいぶ変わる気がする。
午後、久しぶりに実家に電話した。母が出て、近況をあれこれ話した。特に大きなニュースがあるわけではなかったけど、近所の話や、親戚の話、あと庭に植えている野菜の話などをした。母はミニトマトを育てているらしく、今年はよく実がなっているとのことだった。今度実家に帰ったら、そのミニトマトを食べさせてもらおうと思う。
夕方、また公園まで散歩に行った。先週も同じ公園に行ったけど、今週はまた少し違う光景があった。子供たちがシャボン玉で遊んでいて、それを見ている親御さんたちがいた。シャボン玉が夕日に照らされて、キラキラと光っていたのが綺麗だった。特に意味のある光景ではないけど、なんとなく心に残る瞬間だった。
夜、日曜日特有の憂鬱がまたやってきたけど、先週よりは少し軽い気がした。多分、模様替えをしたり映画を見たりして、それなりに充実した週末を過ごせたからだと思う。明日からまた1週間が始まるけど、まあなんとかなるだろうと思いながら、早めに布団に入った。
7月13日(月)曇り
月曜日。今週も始まった。朝、いつも通りの時間に起きて、いつも通りの準備をして、いつも通り家を出た。この「いつも通り」というのが、実は結構すごいことなんじゃないかと最近思う。毎日同じことを繰り返せるというのは、体調も気分もそれなりに安定しているということだから。
会社では、先週から持ち越しになっていたタスクを片付けた。特に問題なく進んだけど、途中で資料の数字が1箇所間違っていることに気づいて、修正するのに少し時間がかかった。小さなミスを見つけたときの、あの「あ、やってしまった」という気持ちと、それを直せたときの安堵感。仕事というのは、こういう小さな山と谷の繰り返しなんだと思う。
昼休み、久しぶりに外に出て、少し遠くの定食屋まで歩いて行った。いつもと違うお店に行くと、それだけで気分転換になる。生姜焼き定食を頼んだけど、思ったより量が多くて、お腹いっぱいになった。午後の仕事は、満腹感のせいで少し眠気との戦いになった。
夕方、退勤前に、上司から急な依頼が入った。明日までに簡単な資料を作ってほしいという内容だった。急な依頼というのは、いつも心臓に悪い。でも、内容自体はそこまで難しくなかったので、1時間くらいで片付けて、それから帰った。急な依頼をパッと片付けられたときは、ちょっとした自信につながる。
夜、家に帰って、テレビをつけながら夕飯を食べた。特に見たい番組があったわけではなく、なんとなくつけていただけだったけど、ニュース番組でやっていた特集が意外と面白くて、最後まで見てしまった。内容は忘れてしまったけど、見ているときは「へえ」と思っていた気がする。
7月14日(火)雨
朝から雨だった。傘を差して駅まで歩く間、靴が濡れないように気をつけて歩いた。水たまりを避けながら歩くという、地味に神経を使う作業。子供の頃は、逆に水たまりを踏むのが好きだったのに、大人になると避けるようになる。この変化はいつ起きたんだろうと、傘を差しながらぼんやり考えた。
会社では、昨日の急な依頼で作った資料を上司に提出した。特に大きな修正もなく、「ありがとう、助かった」と言ってもらえた。この一言だけで、なんとなく1日頑張れる気がする。人間、感謝の言葉に弱い生き物だと思う。
昼休み、雨だったので外には出ず、社内の休憩スペースでお弁当を食べた。今日は珍しく自炊した弁当だった。前日の夜に多めに作った野菜炒めを詰めただけの簡単なものだったけど、自分で作ったものを食べるというのは、なんとなく満足感がある。コンビニのお弁当も美味しいけど、自炊した弁当には、また違う種類の美味しさがある気がする。
午後、雨の音を聞きながら仕事をしていたら、なんとなく眠くなってきた。雨の日は集中力が落ちるというのは、月曜日にも書いた気がするけど、本当にその通りだと思う。気圧のせいなのか、湿度のせいなのか。コーヒーを2杯飲んで、なんとか乗り切った。
夜、雨が降り続いていたので、家でゆっくり過ごすことにした。お風呂にゆっくり浸かって、その後、久しぶりに読書をした。本棚の奥から出てきた、前に読みかけだった小説の続きを読んだ。雨の音をBGMに本を読む時間は、なかなか贅沢な感じがした。結局、眠くなるまで読んで、途中で寝落ちしてしまった。
今日から7月。特に何も変わらないんだけど、カレンダーが1枚めくれるだけでちょっと気持ちが変わるのは不思議だ。朝起きたら6時58分だった。7時に起きようと思っていたので、2分早く起きられたことに謎の満足感を覚える。別に2分早く起きたところで何がどうなるわけでもないのに。
コンビニでいつものように鮭おにぎりを買おうとしたら、鮭が売り切れていて、仕方なく昆布にした。昆布のおにぎりって、子供の頃は苦手だったのに、大人になってから急に美味しく感じるようになった。舌が変わったのか、それとも塩気の感じ方が変わったのか。多分どっちもだと思う。レジのお姉さんが「温めますか」と聞いてきたけど、おにぎりは温めないので「大丈夫です」と答えたら、なぜか少し気まずい空気になった。おにぎりを温める人もいるのかもしれない。今度試してみようかな。いや、多分試さない。
会社に着いたらパソコンの起動が異常に遅かった。Windows Updateが走っていたらしい。5分くらいぼーっと画面を眺めながら、こういう時間って人生でどれくらい積み重なっているんだろうと考えた。多分合計したら何日分にもなる。何日分もの人生を「読み込み中」の画面に捧げているのかと思うと、少し虚しくなったけど、別にどうしようもないのでコーヒーを淹れに行った。
お昼は同僚と近くの定食屋に行った。日替わり定食が鯖の味噌煮だった。鯖の味噌煮は好きなんだけど、骨が多いイメージがあって身構えてしまう。今日は割と骨が少なくて、安心して食べられた。同僚が「最近暑くなってきたね」と言うので「そうですね」と返した。この会話、多分1年に50回くらいしている気がする。季節の変わり目には必ず誰かが「暑くなってきた」「寒くなってきた」と言い、それに対して「そうですね」と返す。この儀式のようなやりとりに、何か意味があるんだろうか。多分ないけど、ないなりに大事な気もする。
夕方、雨がぱらついてきたので傘を差した。折りたたみ傘を持っていたのは我ながら偉かった。天気予報をちゃんと見ていたからだ。天気予報を見て傘を用意できた日は、なんとなく1日の勝率が上がる気がする。逆に傘を忘れて雨に降られた日は、その後もなんとなく調子が悪い。因果関係はないと思うけど、そういう気がしてしまうのは仕方ない。
夜、お風呂に入りながら、今日1日で自分が何を成し遂げたかを考えてみたけど、特に何も思いつかなかった。メールを何通か返信して、会議に1つ出て、資料を少し直した。それだけと言えばそれだけなんだけど、多分こういう「特に何もない日」の積み重ねが生活というものなんだろうなと思う。湯船に浸かりながらそんなことを考えていたら、のぼせてきたので出た。
7月2日(木)晴れ
昨日ののぼせのせいか、朝からちょっとだるかった。それでも起きて、いつも通り顔を洗って、歯を磨いた。歯磨き粉のチューブがそろそろ終わりそうで、最後の方は絞り出すのに苦労する。あの「もう終わりかけの歯磨き粉を絞る作業」って、地味にストレスが溜まる。新しいチューブに変えたときの、あの気持ちよさといったらない。ニュルッと簡単に出てくる感じ。人生の小さな喜びの一つだと思う。
今日は洗濯物がよく乾く天気だった。ベランダに干した洗濯物が風にはためいているのを見ると、なんとなく気分が良くなる。特に理由はないんだけど、白いシャツが風になびいているのを見ると「いい1日になりそうだ」という謎の予感がする。実際にいい1日になるかどうかは別として。
電車の中で、前に座っていたおじさんがずっとスマホでパズルゲームをしていた。カラフルなブロックを消すやつ。おじさんの指の動きがすごく速くて、なんだかプロフェッショナルな雰囲気があった。世の中には色んな「極める」がある。パズルゲームを極めるおじさんもいれば、将棋を極める人もいるし、たこ焼きの焼き加減を極める人もいる。それぞれの人がそれぞれの世界でそれぞれの熟練度を持っているというのは、考えてみると面白い。
会社では、給湯室でお茶を入れているときに、隣の部署の人と少し話した。「最近、暑いですよね」から始まり、「そうですね、まだ7月なのに」という展開になり、「これから8月とか、どうなっちゃうんでしょうね」で締めくくられた。この会話のテンプレート、本当によくできていると思う。誰でも参加できて、誰も傷つかず、特に何の情報も生まれない。ある意味、完璧なコミュニケーションだ。
昼休みに、スマホで特に見る予定もなかったニュースサイトをだらだら見ていたら、30分くらい経っていた。何を読んだか、あまり覚えていない。多分どうでもいい記事ばかりだったんだと思う。でも、こういう「何も生み出さない30分」も、休憩としては必要なんだと自分に言い聞かせている。
夜ご飯は、冷蔵庫にあるものだけで何とかしようと思って、野菜炒めを作った。もやし、キャベツ、にんじん、あと少しだけ残っていた豚肉。特に美味しくもまずくもない、普通の野菜炒めができた。こういう「普通」の料理ができるようになったのは、一人暮らしを始めてからの成長かもしれない。最初の頃は、何を作っても謎に味が濃かったり薄かったりしたから。
7月3日(金)晴れのち曇り
金曜日は、朝から少しだけテンションが上がる。理由は単純で、明日から休みだからだ。この「金曜日効果」は、社会人になってから何年経っても薄れない。むしろ年々強くなっている気さえする。
朝の電車で、席が1つだけ空いていたので座った。座れるとやっぱり嬉しい。座れた日は、なんとなくその日1日がいい日になる気がする。これも昨日書いた「傘の勝率」と同じ現象かもしれない。人間は、朝のちょっとした運不運に、その日全体の気分を左右されがちなんだと思う。
会社では、午後にどうでもいい会議があった。議題は「来月の飲み会の日程調整」。これのために30分の会議を設定するのは、ちょっとやりすぎな気もするけど、誰も文句を言わないので、そのまま進んだ。結局、候補日を3つ出して、後日アンケートを取ることになった。会議で決めたことは「後で決める」ということだけだった。こういう会議、実は世の中に結構多いんじゃないかと思う。
夕方、退勤時に、エレベーターで一緒になった知らない人と、なんとなく気まずい沈黙を共有した。1階から10階分くらい、無言でエレベーターに乗るのって、地味に緊張する時間だと思う。スマホを見るふりをしながら、階数表示を横目でチラチラ確認する。あの時間だけ特別に時間の流れが遅く感じる。
夜は、久しぶりに友達と電話した。特に用事があったわけじゃなくて、「最近どう?」から始まる、内容のない長電話。1時間くらい話したけど、話した内容を思い出そうとしても、断片的にしか覚えていない。友達の会社の上司が変な人だという話、最近見た映画の話、あと猫の話。それくらいしか覚えていないけど、多分こういう「内容を覚えていない長電話」こそが、いい友達関係の証なんじゃないかと思う。用事がなくても話せる関係というのは、実はそんなに多くない。
7月4日(土)晴れ
休日の朝は、目覚まし時計をかけていないのに、なぜか平日とほぼ同じ時間に目が覚める。体内時計というのは律儀なものだと思う。もっと寝ていたいのに、目が覚めてしまう。二度寝しようとしたけど、結局スマホを見てしまい、そのまま起きることになった。
今日は特に予定がなかったので、部屋の掃除をすることにした。掃除機をかけて、床を拭いて、あと本棚を整理した。本棚の奥から、もう何年も読んでいない本が何冊か出てきた。学生の頃に買った参考書とか、一度読んで満足した小説とか。捨てるかどうか迷ったけど、結局「いつか読むかもしれない」という気持ちに負けて、そのまま棚に戻した。多分このまま一生読まないんだろうけど、捨てる決断をするのも、それはそれでエネルギーがいる。
昼過ぎに、久しぶりに近所の商店街を歩いた。八百屋のおじさんが「今日はきゅうりが安いよ」と声をかけてきたので、特にきゅうりを買う予定はなかったけど、なんとなく買ってしまった。5本で150円だった。安い。家に帰ってから、5本のきゅうりをどう消費するか考えることになったけど、それはそれで悪くない悩みだと思う。
午後は、テレビをつけっぱなしにして、特に集中して見るわけでもなく、なんとなく画面を眺めながらだらだら過ごした。バラエティ番組で、芸能人が知らない街を歩いて美味しいものを探すという企画をやっていた。こういう番組、内容はほぼ毎回同じなのに、なぜか見てしまう。多分、他人が知らない街を歩いているのを見るのが、単純に楽しいんだと思う。自分は歩かなくていいという安心感もある。
夕方、買ってきたきゅうりを浅漬けにした。塩もみして、しばらく置くだけの簡単なやつ。冷蔵庫で冷やして、夜ご飯のときに食べたら、思ったより美味しくできていて、ちょっと得意な気持ちになった。人間、こういう小さな成功体験の積み重ねで、意外と機嫌よく生きていけるものだと思う。
7月5日(日)曇り
日曜日は、なんとなく1週間の中で一番時間の流れが遅い気がする。朝起きて、特に何もしなくていいという状態が、逆に何をしていいか分からなくさせる。結局、布団の中でスマホを見ながら1時間くらい過ごしてしまった。
昼前に、思い立って近くの公園まで散歩に行った。公園には、子供たちが遊具で遊んでいて、お母さんたちがベンチで話をしていた。犬を連れて散歩している人も何人かいた。柴犬、トイプードル、あと名前が分からない小型犬。犬というのは、種類が違っても、みんな同じくらい楽しそうに歩いているように見える。それがちょっと羨ましい。
公園のベンチに座って、しばらくぼーっとしていた。特に何も考えていなかったと思う。強いて言えば、木の葉っぱが風で揺れる音を聞いていた。ああいう「何も考えない時間」というのは、意外と貴重なんじゃないかと思う。普段は常に何かを考えているから、頭が休まる時間がなかなかない。
夕方、日曜日特有の憂鬱がじわじわとやってきた。いわゆる「サザエさん症候群」というやつだ。特に明日の仕事に大きな問題があるわけではないのに、なんとなく気分が沈む。この現象、多分ほとんどの社会人が経験しているんじゃないかと思う。日曜日の夕方6時くらいから、テレビから国民的アニメの主題歌が流れてくると、条件反射的に憂鬱になる。パブロフの犬みたいなものだ。
夜、明日の準備として、シャツにアイロンをかけた。アイロンをかける作業は、地味だけど、なんとなく心が落ち着く。シワが伸びていく様子を見ているのが、単純に気持ちいい。無心になれる作業の一つだと思う。アイロンをかけながら、来週のことをぼんやり考えた。特に大きな予定はないけど、水曜日に歯医者の予約が入っていることを思い出して、少し憂鬱になった。
7月6日(月)雨
朝から本降りの雨だった。月曜日に雨が降ると、なんとなく1週間の始まりとしてはハードモードだと感じる。傘を差して、濡れた靴下のまま会社に行くのは、地味に不快だ。靴の中に水が入ってくる、あの感覚。防水の靴を買おうかと何年も思っているけど、結局買わないまま今年も梅雨を迎えている。
電車が少し遅延していた。雨の日はいつも電車が遅れる。「弱冠の遅れ」というアナウンスをよく聞くけど、「弱冠」という言葉の使い方として合っているのか、前から気になっている。多分、正確には違う言葉なんだろうけど、鉄道業界の中でそういう言い回しが定着しているんだと思う。今度調べてみようと思いつつ、多分調べない。
会社に着いたら、傘立てがいっぱいで、自分の傘を置く場所に少し困った。こういう「傘の置き場所問題」は、雨の日の地味なストレスの一つだと思う。あと、他人の傘と自分の傘を間違えないか、いつも少し心配になる。同じような黒い折りたたみ傘を持っている人が多いから。
仕事は、特に大きな出来事もなく、淡々と進んだ。資料を作って、メールを返信して、会議に1つ出た。雨の日は、なんとなく仕事の効率が落ちる気がする。気圧のせいなのか、気分のせいなのか分からないけど、集中力が続きにくい。窓の外の雨音を聞きながら、ぼーっとする時間が普段より多かった。
夜、家に帰ってから、濡れた傘を玄関で開いて乾かした。傘立てがないので、床にビニール袋を敷いて、その上に傘を置いている。この応急処置的な傘置き場を、そろそろちゃんとした傘立てに変えようと思いながら、もう2年くらい経っている。多分、この先も変えないまま何年か過ぎるんだろう。
7月7日(火)曇り時々晴れ
七夕だった。特に短冊に願い事を書くわけでもなく、笹を用意するわけでもなく、ただカレンダーを見て「あ、七夕か」と思っただけだった。子供の頃は幼稚園や小学校で短冊を書かされた記憶があるけど、大人になってから七夕を意識することは、ほとんどなくなった。
会社の給湯室に、誰かが折り紙で作った小さな笹の飾りが置いてあった。誰が作ったのか分からないけど、ちょっとした心遣いだなと思って、少し和んだ。短冊には「売上目標達成」と書かれていて、思わず笑ってしまった。会社らしい願い事だと思う。
昼休みに、七夕にちなんで素麺を食べようかと思ったけど、結局コンビニでいつものサンドイッチを買ってしまった。七夕に素麺を食べる風習があるらしいということを、テレビか何かで見た記憶があるけど、実際に実行したことは一度もない。今年も同じだった。
夕方、空を見上げたら、雲が多くて星は見えそうになかった。天の川がどうとか言われても、そもそも都会に住んでいると天の川自体、見たことがない。織姫と彦星が年に一度会えるという話は素敵だけど、天気に左右されるというのは、なんだかロマンチックさに欠ける気もする。晴れの年もあれば、雨の年もある。今年は多分会えていない。
夜、実家の母から「七夕だね」というだけのメッセージが届いた。特に返信を求めているわけでもなさそうだったけど、一応「そうだね、こっちは曇ってて星見えなさそう」と返信した。こういう、内容のない親からのメッセージというのは、なんだかんだ嬉しいものだと思う。用事がなくても連絡してくれるというのは、多分ありがたいことなんだろう。
7月8日(水)晴れ
朝から気持ちのいい晴天だった。梅雨の合間のこういう晴れの日は、なんだか得した気分になる。洗濯物を干して、いつもより少し早足で駅まで歩いた。
今日は歯医者の予約日だった。特に痛いところがあるわけではなく、定期検診だったけど、それでも歯医者に行くのは、なんとなく気が重い。あの独特の消毒液の匂いと、器具のキーンという音。子供の頃から変わらない苦手意識が、大人になった今でも残っている。結果は特に問題なく、「歯石が少し溜まっているので、取っておきましょう」と言われて、歯石取りをしてもらった。歯石を取ってもらった後の、歯がツルツルになる感覚は、地味に気持ちがいい。
会社では、新しいプロジェクトの説明会があった。詳しい内容はここには書かないけど、要するに新しいシステムを導入するという話だった。こういう説明会は、いつも「これで業務が効率化されます」という話で終わるけど、実際に効率化された試しがあまりない気がする。新しいシステムに慣れるまでの間、むしろ一時的に非効率になることの方が多い。それでも、みんな真面目にメモを取っていた。
夜、歯医者帰りで少し口の中に違和感が残っていたので、柔らかいものを食べようと思って、お粥を作った。卵を落として、梅干しを添えた、シンプルなお粥。体調が悪いわけでもないのに、お粥を食べるという行為自体が、なんとなく「今日はゆっくり過ごそう」というメッセージを自分に送っているような気がして、悪くなかった。
夜遅く、ベランダに出て夜風にあたった。梅雨の晴れ間の夜は、湿度が高くて、少し蒸し暑い。でも、星がいくつか見えて、七夕の日には見えなかった星が、1日遅れで見えたことに、少し面白さを感じた。織姫と彦星も、1日遅れで会えたのかもしれない。そんなことを考えながら、部屋に戻った。
7月9日(木)晴れ
朝、久しぶりに早起きできたので、朝ご飯をちゃんと作った。トーストと目玉焼きと、コーヒー。目玉焼きの黄身を、いつも半熟にしようとして、気づいたら固焼きになっていることが多いんだけど、今日は珍しく理想的な半熟にできた。黄身にトーストをつけて食べる瞬間は、朝の小さなご褒美だと思う。
通勤中、電車の中で、隣に座った人が大きなあくびをしていた。あくびというのは伝染すると聞くけど、実際に自分もつられてあくびをしてしまった。科学的にどういう仕組みなのか分からないけど、人間の共感能力みたいなものが関係しているらしい。今度調べてみようと思う。多分調べない。
会社では、久しぶりに取引先との打ち合わせがあった。オンラインではなく、実際に来社しての打ち合わせだった。画面越しではなく、実際に人と会って話すというのは、なんだかんだやっぱり情報量が違うなと感じた。相手の些細な表情の変化とか、話すときの間の取り方とか、そういう細かいニュアンスが、画面越しだとどうしても伝わりにくい。
打ち合わせの後、取引先の人と少し雑談した。趣味の話になって、その人が最近キャンプにはまっているという話をしてくれた。キャンプ、興味はあるけど、道具を揃えるのが大変そうで、なかなか手を出せずにいる。でも、話を聞いていたら少し憧れてしまった。焚き火を眺めながらお酒を飲む時間、想像するだけで良さそうだ。今度、道具をレンタルできるキャンプ場を調べてみようと思った。これも多分すぐには行動に移さないと思うけど。
夜、キャンプの話に触発されて、ベランダで小さなろうそくに火をつけて、それを眺めながらビールを飲んでみた。焚き火とは程遠い、ささやかすぎる代替行為だけど、それでも炎を眺めるという行為自体には、なんとなく心を落ち着ける効果があるように感じた。人類は火を発見してから、ずっとこうやって炎を眺めてきたのかもしれない。そんな大げさなことを考えながら、ビールを飲み終えた。
金曜日。今週も無事に終わりそうだ。朝から、なんとなく体が軽い気がする。1週間頑張った後の金曜日特有の解放感が、朝から漂っている。
会社では、午前中に細かいタスクをいくつも片付けた。メールの返信、資料の修正、経費精算。どれも大きな仕事ではないけど、こういう細々としたタスクが溜まると、地味にストレスになる。全部片付けた後の、受信箱が空になった瞬間の爽快感は、なかなかのものだと思う。ただ、この爽快感は長くは続かない。だいたい30分後には新しいメールが届いて、また受信箱が埋まっていく。賽の河原の石積みみたいなものだ。
昼休みに、同僚と「今年の夏、どこか行く?」という話になった。特に旅行の計画があるわけではなかったけど、話しているうちになんとなく気分が盛り上がった。海がいいか、山がいいか、それとも近場の温泉でのんびりするのがいいか。結局、結論は出ないまま昼休みが終わった。でも、こういう「実現するかどうか分からない旅行の話」をするだけでも、なんだか楽しい気分になれる。
夕方、退勤後に、久しぶりに1人で居酒屋に寄った。カウンター席に座って、生ビールと、焼き鳥の盛り合わせを頼んだ。1人で飲む酒というのは、誰かと飲むのとはまた違った良さがある。誰にも気を使わず、自分のペースで飲める。隣に座っていた知らないおじさんが、店員さんと常連らしい会話をしていて、その様子を眺めているのも、なんだか楽しかった。
家に帰る道すがら、コンビニに寄って、アイスを買った。金曜日の夜に食べるアイスは、なんだか特別に美味しく感じる。1週間頑張った自分への、ささやかなご褒美という感じがする。家に帰って、シャワーを浴
会社には借金がある会社と、借金がない会社がある。ここまでは誰でも知っている。ところが世の中には、「借金がない会社なのに、ある日突然借金を返す係になる会社」というものがあるらしい。
たとえば町内会である。ある日、隣町のおじさんが高級車をローンで買った。すると翌日、「では皆さんで返済してください」と回覧板が回ってくるようなものである。
「いやいや、車を買ったのはあなたでしょう」
と言いたくなる。
LBOという仕組みを知ったとき、私はしばらく頭の中で図を描いてみた。買う人がお金を借りる。そこまではいい。そのあと会社同士をくっつける。すると借金が「はい、あなたのものです」と引っ越してくる。借金というのはずいぶん社交的な生き物である。自分で歩いてくる。
しかも返済するのは、その借金を作った人ではなく、まじめに仕事をして利益を出してきた社員たちなのである。
これを聞くと、「借金返済マシーン」という言葉が少々乱暴ながら、妙に腑に落ちる。
「いやいや、企業価値を高めるんです。」これは間違ってはいない。
しかし「企業価値を高める」という言葉は便利である。野球選手に向かって「もっと打ってください」と言うくらい便利だ。
ではどうやって高めるのかというと、利益を出してもらう。配当を出してもらう。借金をちゃんと返してもらう。
なるほど、数字はきれいになる。ただ、その数字をきれいにしているのは、朝から現場へ行き、営業へ出て、図面を書き、報告書を書き、客先へ頭を下げている人たちである。
数字はエクセルで増えない。人が働くから増える。そこを忘れると、「企業価値」という四文字だけが一人歩きする。
社員説明会で光ったのは「わが社には内部留保はいくらありますか」という質問だった。
そこへ突然、「実は親戚が住宅ローンを組みまして」と言われる。
もちろん親戚が組んだローンである。
なのに返済はこっち。
もっと気になるのは二年後だ。ファンドは二年ほどで売却する計画らしい。
私はここで駅伝を思い出した。
タスキは渡る。しかし借金も渡る。しかも走っているのは同じ社員たちである。
もちろん、企業買収そのものが悪いと言うつもりはない。買収によって会社が立ち直る例もたくさんある。
新しい技術が入り、新しい販路ができ、社員が報われることもある。問題は、「誰が価値を生み、誰がその果実を受け取るのか」という配分なのだろう。
会社というのは工場でも、建物でもない。最後は人である。利益を出すのも人。技術を磨くのも人。客に選ばれるのも人。
その人たちが「この会社のために頑張ろう」と思えなくなった瞬間、貸借対照表には現れない、一番大きな資産が静かに流出していく。
人材流出という言葉はよく聞くが、あれは人が辞めることではない。「この会社で頑張ろう」という気持ちが、少しずつ会社の外へ歩いていく現象なのだ。
ところで、この話を最初に聞いたとき、私は少々動揺した。いや、「少々」ではない。かなり動揺した。
説明を聞いているうちに、頭の中で何かが音を立てて組み替わっていくのである。
会社というものは、お客さんに役立つものをつくり、その利益で社員が給料をもらい、新しい技術に投資し、また次の仕事をする。
そんなふうに理解していた。もちろん株主もいるし、銀行もいる。
しかし、みんな最後は「事業」が中心にあるものだと思っていた。
ところが今回は、順番が逆だった。
事業は借金を返すためにある。利益は借金を返すためにある。賞与も研究開発も、そのあとである。
「ああ、そういう世界もあるのか。」説明を聞きながら、そんなことを考えていた。
社長は淡々と数字を説明していた。年間いくら返済する。利益が足りなければこうする。十年くらいかけて返済する。
経営者としては、それしか説明のしようがない。感情で借金は減らない。だから数字を語る。
しかし、聞いている側は数字だけを聞いているわけではない。自分は明日から何のために働くのだろう。そんなことまで考えてしまう。
実は、借金そのものよりも、こちらのほうが重い。人間というのは、「何のために頑張るのか」がわからなくなると、急に力が出なくなる生き物だからだ。
ところが、「この会社でもうひと頑張りしてみよう」という社員の気持ちは、どこにも載っていない。会計上はゼロ円である。
そんなコメントをよく見かける。
で、何が言いたいんだ?
いずれにしても、みっともない。
全文を創作させることもあれば、壁打ちだけに使うこともある。
構成を整理させる、推敲する、表現を整える、誤字脱字を直す、改行や文章のリズムを調整する。
今どきネットに文章を出すのに、AIを一度も通さない方が珍しくなりつつある。
最低でも校正、誤字脱字、改行、文章のリズムくらいはAIに見てもらえばいい。
読みにくい文章を無加工で投げ、読者に解読作業をさせるより、よほど親切だろう。
仮に全文をAIに書かせたとしても、AIを使ったというだけで創作性が消えるわけではない。
テーマを決め、立場を与え、材料を選び、構成を指示し、出てきた文章を採用するか捨てるかを決める。
もちろん、
と投げるだけでも、それらしい文章は出てくる。
だから何だ?
AIが作った文章だろうが、そこに論ずべきテーマがあり、批評すべき主張があるなら、その内容に反応すればいい。
書いてあることが間違っているなら、間違いを指摘すればいい。
論理が破綻しているなら、どこが破綻しているか説明すればいい。
そこで、
AIが書いたと見抜いたことと、その文章が間違っていることは別問題である。
少し文章が整っている。
誤字脱字が少ない。
接続詞が正しく使われている。
AIを見抜いているのではない。
普段自分が読んでいる文章より少し整っているから、AIだと思っているだけではないのか。
人は小説を読み、登場人物の判断を批判し、物語の背景や社会構造を論じる。
ただし、架空の出来事を実話として偽装するなら、それは別の問題である。
人間が書いた嘘なら許され、AIが書いた嘘だけが問題になるわけではない。
にもかかわらず、
とだけ書いて去る。
内容には触れない。
誤りも示さない。
反論もしない。
ただ「俺は見抜いた」と足跡だけ残す。
それは批評ではない。
それでもわざわざ「AI」と書き込みたくなるのは、文章を批評したいからではない。
自分が機械に騙されなかったことを、誰かに褒めてもらいたいからだろう。
だが現代では、機械が作った文章だから反応したくない、という観念自体がすでに古臭い。
人間だけで作ったものと、機械が補助したものを完全に切り分けることなど、すでに不可能になりつつある。
それを理解せず、
「AIを使ったらズル」
「人間が全部書かなければ本物ではない」
と言い続ける。
メーカーが仕方なく増産する
ここまでわかってて、なんでまだ放置してるんだよ
発売から半年間、定価を一円でも超えた二次流通は全部違法にしろ
手数料で誤魔化すな
定価以下でなら転売プラットフォームでも売り放題で合法だよ、安価で売れ
というわけで転売プラットフォームは定価超えの数字をそもそも入れられないようにしろ
売れてからBANした方が騙された奴の金を掠め取れるから泳がせてるって知ってるけどさ
だがやめろ
そういう真似をするな
というかだな、信用を積めよ
コンプライアンス守れ
自分たちが儲けられれば経済活動が死のうがどうでもいいという行動を改めろ
信用を積め
で、取り上げた後まだプラットフォーム運営してたら違法ってことで営業停止な
まぁ政治家が懐に入れない前提だけど
まさかそんな、な?
とにかく発売直後の商品の利ざやを潰せ
買い占めの旨味を消せ
メーカーを守れ
転売ヤー撲滅法を作れ
30万人って言ってる人々に対しては「数字を大きくしたからって議論の本質が変わるわけじゃないのに余計な反論を招いて議論をややこしくすんなよ…」と思うし、
数千人って言ってる人々に対しても「数字を小さくしたからって議論の本質が変わるわけじゃないのに余計な反論を招いて議論をややこしくすんなよ…」と思うんだよな
まあもちろん冷静に数字を見ることも大切なんだけどさ
ガザの死者数、ぶっちゃけ思ったより民間人が犠牲になってないよな
ニュース見てると毎日「ガザで民間人が大量虐殺されてる!ジェノサイドだ!」って大騒ぎしてるけど、色んなデータや数字を追ってみると、ぶっちゃけ世間の印象とはちょっと違う
今、全体での総死者数ってだいたい7万人規模って言われてる
で、イスラエル軍(IDF)の発表だと、そのうちハマスとかPIJの戦闘員を1万7000〜2万5000人くらいは殺害してるって主張してるんだよね。これ信じるなら、死者の3割〜4割近くがバリバリの戦闘員ってことになる
もちろん「どうせイスラエルの大本営発表でしょ」ってツッコミは入ると思う。でも、実はハマス側から漏れてくるデータや、第三者の分析を見ても「なんだかんだ1万人〜2万人台後半は戦闘員が死んでる(全体の20〜35%程度)」って推定が主流になりつつある
当然、民間人が巻き添えになってるのは悲惨なことだ。でもさ、これ、ゲリラが「人間の盾」を多用するような過去の泥沼の市街戦と比べたら、民間人の犠牲者比率ってかなり低く抑えられてる方なんだよ
一部のメディアは機密データ引っ張り出してきて「いや民間人被害はもっと多い!」って言ってIDFを叩いてるけど、それでも確実に戦闘員の割合は無視できないレベルで高い
同じ計算すると今1500万だぞ
少し詳しく説明すると 家計調査で老人夫婦65歳以上の月の収支±×12か月×30年で出すんだけど
去年の月不足額は42,434だから42434×12×30≒15,200,000くらいになる
ほーん?減ってるんだってなるかもしれんけど、そもそもがあの数字出した周辺がおおよそ1100万だか1200万くらいだったかな?
あの2000万だけなぜか突出した年があった
せやこれ使って庶民あおって株買わせたろ!日本株もあがってうはうはや!って思った金融庁が煽ったレポートがあれ
実際みんな買うようになるんだけどな、投信のオルカンかS&Pをな!
それはいいとして近年も1200万前後を推移してたけどさすがに物価高になって徐々にあがって、去年も1500万までいったのなら、そのうちマジで各年平均で2000万もいくかもな
まあもう少し話したいのは、上記みたいな経緯なんで数字に強いとか、数字を検証しろとか、データを見ろいう人が
老後2000万問題がーってやって、かつ、そういう話をしないなら、数字なんか見てねえから、お前どの口がいうんだ?って状態だからそいつは信じなくてよい
一応俺が言ってるの信用ないかもしれんからそれ関連の話書いてるとこもはっとく
https://siaa.or.jp/column/63
https://toushin-plaza.jp/column/rougo2000man-basis/
今の業界に対して、先行きが見えない強い不安や閉塞感を感じていらっしゃるのですね。市場の縮小、理不尽な構造、待遇の悪化など、業界全体が沈んでいくような感覚の中にいると、焦りや精神的な疲労も大きいかと思います。その危機感は、次の一歩を踏み出すための重要なサインです。変化を起こすために、まずは状況を整理して具体的に動くためのロードマップを提案します。
技術革新(AIなど)、法改正、人口減少など、原因が構造的なものか確認します。
「業界全体の衰退」なのか、単に「今の勤務先の業績悪化」なのかを見極めます。
他の業界でもそのまま使える技術(例:プログラミング、特定の資格)を書き出します。
業界を問わない能力(例:営業力、プロジェクト管理、交渉力、課題解決力)を明確にします。
職務経歴書に書けるよう、これまでの成果を数字(売上、効率化の割合など)で整理します。
人手不足、IT/DX、環境・インフラなど、資金と人が集まっている分野をリサーチします。
「前職の知識 × 新しい業界」で、自分だけの強みを作れるルートを探します。
転職市場における自分の「現在の価値」を知るために、まずは相談だけでも開始します。
今の状況を打開するために、さらに具体的なアクションを考えましょう。
もしよろしければ、以下の点を教えていただけますか?
現在の具体的な業界や職種何を見て「もう駄目だ」と強く感じたのか(給与、労働環境、将来性など)次にやってみたいことや、興味のある分野状況に合わせた具体的なステップや、あなたのスキルが活かせるおすすめの業界を提案いたします。
他業種に転職しようと考えていた。
10年前からずっとそう思っていた。
今いる業界はもう駄目で、この職場もだいぶ駄目で、せめて同業他社のもっとマシな所へとずっと考えていた。
でも資格の勉強も続かなかったし、面接や自己分析も面倒くさくなって、気づけば筋トレや瞑想ばかりやっていた。
心身を鍛えるに従って鈍感力が養われ、自分のどうしようもない現状や周囲のマイルドヤンキーじみた世界観へのかったるさも薄らいでいった。
そうなるとアレほど強かった焦燥感は薄まり、代わりに少しずつ負担の増えていく仕事へのストレスを解消するために安易な娯楽へ逃げる気持ちが強くなった。
金の力で美味い飯や高い家具を手に入れる生活に慣れてしまうと、転職することで一瞬でも下がる賃金が怖くなっていった。
それでも時折ふと自分のスキルを棚卸しすると今いる会社でしか使えない知識ばかりしか手元に残ってないことに気付かされる。
泣きそうだった。
10年前に思い切って飛び出していれば、いやもっとずっと前の段階で新卒の頃に別の業界に、もっと言えば大学選びの段階からもっと将来に対して前向きに真剣に考えるべきだったんじゃないか。
そうやってグルグルと考えていく中で、ふと客観的に自分を見直すとたらればの中にさえ具体性がないことに気づいてしまう。
具体的に自分の人生をどうやるのかを計画する能力が足りてなくて、たまたま進んだ先の水が自分に合うかどうかの運任せで行きてきたのだとハッキリわからされる。
学生時代の頃に与えられた「計画性を持つ機会」を有意義に使えっていなかったことが最大の敗因だったのだ。
ようやく重い腰を上げて自分の人生の先行きを数字を交えながら分析していくと、よほど楽観的に考えない限りは「今の会社にしがみつくこと」が最適解になりそうだと浮かび上がってくる。
同僚の性格の悪さは愛想笑いで受け流し、面倒な仕事はそれとなく「この無能には任せないほうが良いな」と相手に諦めさせ、その上で「コイツの代わりになる人間を育て直すよりはこのまま使うほうがコスパがいい」と思わせ続ければいいのだ。
よっぽど油断しない限りはそれらはそれほど難しくなく達成できるだろうし、それによって得られる金銭的な利益に匹敵するだけのものを別の会社で手に入れるために必要な努力量を自分が捻出出来るとも思えなかった。
10年前、まだどこかに「あと少し頑張ればずっと良い人生を歩めるだけの余地」が残されていたことをふと思い出し、どうしようもない気持ちに包まれる。
そのしんどさにもなれ、年相応の鈍感さが身についていき、自分の人生が今のぬるま湯にどっしりと浸かっていく未来が分かる。
悲しいぜ。
格差と再分配の話ってことをわかってないよね
賦課方式になった年金は現役世代が稼いだお金の一部を年金世帯に再配分する形となっている
これから言えることは年収300万くらいの氷河期派遣の貧乏人すら国全体から見れば再分配するための原資として金を徴収される側ってことよ
年収300万、ドル換算したら2万ドル未満の人ですら上位50%側に立たされるような国なのよ
そんな国で「格差是正をしましょう!所得の再分配を強化しましょう!」というのがどういうことを意味するかわかる?
年収300万以上の現役世代から年金世代や最低賃金世帯にもっとお金を回しましょうってことだよ
「分厚い中間層」なんでものはこの国にはとっくに残ってなくて、それを取り戻すこともどうやってもできなくて(だって50%が250万以下しか稼げてないんだぜ?)
そしてこの状況は今後2050年に向けて着実に酷くなる一方だってこと
これが現実なんだよね
これがわかってたら高齢者医療の話とか、外国人労働者の話とか、各種手当の所得制限の話とかで絵空事言わなくなると思うんだけどね
同じメニュー、同じ値段。
今度は受け皿付きのグラスが出てきて、店員さんがゆっくり酒を注ぎ始める。
「もう十分じゃない?」
と思っても止まらない。
ついには受け皿に、とくり、とくり、と酒がこぼれる。
「ああ、この店、分かってる。」
もちろん、冷静になれば思う。
どうせ量は180mlなんだろう。
受け皿にこぼした分を含めて180mlなのかもしれないし、実はどちらの店舗もほとんど変わらないのかもしれない。
気分で飲む。
「こんなに注いでくれた」という気分は、数mlよりずっと価値がある。
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チェーン店なのだから、本当は店舗によって体験が変わるのは良くない。
でも、もし現場に少しでも裁量があるなら、「お客さんが嬉しくなる演出」に使える人は強い。
私は日本酒を飲みに行ったはずなのに、持ち帰ったのは「歓迎された」という記憶だった。
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人は100点の仕事を覚えているわけじゃない。
「そこまでしてくれるの?」
と思った仕事を覚えている。
ほんの一手間。
ほんの一言。
受け皿にこぼれる、あの数滴みたいなものだ。
たぶん、人はその数滴のためにリピーターになる。
anond:20260712203400 によせて
元増田の文章は釣りっぽいけど実際にある話なので一応書いておく
俺の時はかなりの資産家だった元上司が亡くなり、遺産の一部がかつての事業立ち上げメンバーに配られた
俺の取り分は1200万
俺は死ね自殺しろ家族も殺せと書きまくってるがそんな警告はこないアカウントがある。
まあ俺がその気になれば、500とか1000のブクマをつけるのなんて簡単だからな。
要はこんなゴミカスサイトの意味のねえ釣り書き込みにブクマをつけ拡散するゴミみたいな人生を送るブクマカが悪い。
NIKKEのさガチャで募集チケットでニケを募るのはお馴染みなんだけど、
ランダムとは言え強いニケはなかなか当たらないような確率になっているのよね。
ラーメンに半炒飯は付けてもいいかな?って言うぐらいのお腹のぺこぺこっぷりだったけど、
多分半チャーハン食べ終わってから全チャーハンでも良かったかな?っていうお腹の満たされ具合もあると思うけど、
それだったら餃子に全チャーハンのセットでやったらよかったのかも?って
それはそれでラーメン屋さんに入店しておいて飛び込み前転もカマして張り切って入店しているのに、
ラーメン店なのに主役のラーメンを頼まないとラーメン屋の大将がちょっとガッカリするかな?って面持ちになっちゃうのよね。
うーん、
パート2みたいなのが解禁されて私はすぐに全部読み切っちゃって感無量!っていうところを、
よーし!
今気分がストーリーを読み終わったあとでションテン上がっているから、
一般募集のチケットだけどガチャ回しちゃおう!って気分転換で回したの。
そしたらよ!
リトルマーメイドが当たったの!
そんで次よ次!
えええ!?
そんなことってある?
いくら当たりやすいようなウイッシュリストに入れて星に願いをばりにもう七夕は終わった今のシーズン来シーズンのお願いごとにしようかな?って思っていた矢先に
ウイッシュリストに入れて排出率が上がったといっても0.1パーセントよ。
それが2連チャン!
確率にすると100万分の1ってことらしいの。
早速AIに尋ねてみたら、
ランダムなのは分かるわ!こんな確率が上振れする理由ってなに?っていっても、
上振れ下振れすることはあるので、
それは何故起きるかは分かりませんって言うじゃない。
そんな確率の数字に左右されるだなんて人間ってバカですね!って
私が設定していた「無共感キョトン系AIモード」はそう塩辛く答えてくれたわ。
でもAI曰くこの奇跡のストーリーに私は思わず震えてしまったわ。
いや、
おお!ってなるのに
続いてオーバースペック1機くるだなんて!
おおお!ってならない?
しかも、
さっき言ったNIKKEの今やってる夏のイベントストーリー「WAVE TO YOU」で大活躍のセイレーンとお話にも登場しているラピだっただけに、
ちょっとスピってない?
怖いわー。
スピリチュアルすぎる!
先日張り切って回したソーシャルポイントでのガチャ100連チャンは、
なんか確率下振れぶれしてるなぁとは感じていてちょっと落ち込んでいただけに、
しつこいようだけど、
こんなことってある?
ピルグリムとオーバースペックニケが立て続けに引き当たるだなんて!
それこそこれ以上調子に乗っていたら、
これまさに銚子港の港の岸壁の先の縁でNIKKEガチャ回していたら海に落っこちちゃうぐらい調子に乗っちゃダメ!ってところなのよ。
危なかったわ。
確率ってなに?
ランダムってなに?って
ちゃんと真面目に勉強してみたいAI数学先生に教えてもらいたいぐらいよ。
このランダムの上振れたり下振れたりする波ってなに?って思っちゃうわ。
それが真のランダムかどうなのかが確かめようがないじゃない?って
一瞬で私は思ってしまったわ。
もうただただ、
このNIKKEの夏のイベントストーリー「WAVE TO YOU」を読み終わったあとで
物語に登場して活躍したニケがくるのがあまりにも胸熱すぎるのよね。
てかさ、
夏まだ始まったばかりというより始まってまだ間もない感じじゃない?
なのに私の夏はもう終わった感、
でも終わっちゃった夏がまたすぐ来た!って
一粒で二度美味しい感もない?
良い意味で考えたら、
また夏くるわ!やってくるの!って。
そう思うと儲けもんよね。
私の今年の夏は2回やってくる!
JALとかANAとかの飛行機会社が夏のお得な航空券のチケットを売るいいキャッチコピーみたいで、
なんか夏2回やってくる!ってよくない?
私の夏は2回やってくる!
大切なことなので2回言ってみたわ。
うふふ。
納豆巻きにしたわ。
急に暑くない?
先週ぐらいまでそんなに暑くなかったので、
これ今年の夏ちょろくね?って思っていたら夏本番感が真っ盛りって感じで盛夏前なのに待ったなしってところね。
暑いわー!
なので朝はしっかり食べておかないとね。
暑いわー。
1ケースストック注文頼んだのまだ来てないんだけど、
マーケットで来るまでの1~2本を買っておいた感じね。
重たいから一気にたくさん買えないので2本買っておいたのよ。
よく冷えているわ。
暑いときにはなおさらよいシュワッとキマるレモン炭酸ウォーラーよ。
暑いので、
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
彼は、三の倍数と三のつく数字を口にするときだけ、アホになった。
人々はそれを芸と呼んだ。
一時の流行だと笑った。
だが、誰も知らなかった。
彼はアホになっていたのではない。
世界を正常に保つため、自ら理性を捨てていたのだ。
ある日、ひとりの数学者が、決して見つけてはならないものを見つけた。
それは紙の上に書くことができた。
数えることもできた。
証明することさえできた。
「なぜ今まで気づかなかったのか」
やがて世界は、少しずつ狂い始めた。
三階と四階の間で、エレベーターが一度だけ停止するようになった。
四人で撮ったはずの写真には、誰も知らない影がひとつ増えていた。
人々はその数を知ろうとした。
数学者は式を組み、科学者は観測し、政府は研究施設を立ち上げた。
家族は顔を忘れ、記録から名前が消え、空いた椅子だけが理由もなく残された。
ただ一人。
世界のナベアツだけは違った。
「さぁーん!」
三を口にした瞬間、彼の理性は途切れた。
論理を捨て、計算を捨て、数を数として認識する能力そのものを手放す。
それは芸ではなかった。
三の向こう側にあるものから、己の精神を守るための訓練だった。
何年も前から、"彼"だけは気づいていたのだ。
三を正しく認識してはならない。
三を真面目に受け止めてはならない。
三に到達した瞬間、思考を止めなければならない。
理解しないことだった。
三の次に来る数は何か。
世界中の人々が、同じ問いを聞いた。
誰もが答えを知っている気がした。
口に出せば、すべてが完成する。
ナベアツは、ただ一人、前へ出た。
「一……」
空が暗くなった。
「二……」
時計の針が止まった。
人々の口が、一斉に開いた。
そして。
「さぁーーーーん!」
ナベアツは、全力でアホになった。
その夜、人類は皆アホになった。
大統領が白目をむいた。
数学者が腰をくねらせた。
軍人が奇声を上げた。
誰も答えを口にできなかった。
誰も、その数を理解できなかった。
三と四の間にあった何かは、形を失った。
世界は救われた。
だが、人々は覚えていなかった。
自分たちが何を見たのか。
誰が戦ったのか。
なぜ世界中が同じ瞬間にアホになったのか。
記録に残ったのは、ひとりの芸人だけだった。
人々は彼を見て笑った。
くだらないと言った。
懐かしいと言った。
ナベアツもまた、笑っていた。
それでよかった。
理解された瞬間、それは再び三と四の間に現れる。
夕暮れの街を歩きながら、桂三度は三台目のタクシーを見つけた。
そして今日も、盛大にアホになった。
世界が、四へたどり着けるように。