はてなキーワード: webとは
派遣でプログラミング覚えたいんですとやってきた人いたけど、さすがにWebアプリ系は短期間で厳しそうだったので、インフラ作業にアサイン移したら嫌で辞めていったな
現代の日本語において、もっとも誤解されている言葉の一つが「噴飯物(ふんぱんもの)」です。文化庁が発表した「国語に関する世論調査」では、本来の意味である「おかしくてたまらないこと」と答えた人が約2割にとどまったのに対し、誤用である「腹立たしくて仕方ないこと」と答えた人が約5割にのぼるという逆転現象が起きています。
「噴飯」とは文字通り、「おかしさのあまり、口に含んでいた飯を思わず吹き出してしまうこと」が語源です。つまり、大笑いして周囲の失笑を買うような「みっともない・滑稽な出来事」を指すのが本来の用法です。しかし、なぜこれほどまでに「怒り」のニュアンスへと変貌してしまったのでしょうか。その歴史を平安時代まで遡りつつ、誤用が広まった背景と今後の対策について考察します。
漢語の流入と平安時代の言語空間「噴飯」という言葉そのものは、中国の宋代の文豪・蘇軾(そしょく)の文集などに見られる古典的な漢語です。日本において漢語が本格的に定着・発展した土台は平安時代にあります。当時の貴族社会では、公文書や学問に「漢文(漢語)」が使われ、日常の感情表現には「和歌(和語・大和言葉)」が使われるという、二重の言語生活が営まれていました。平安時代において「おかしくてたまらない」という感情は、和語の「をかし」や「あなむつかし(※呆れるほどおかしい)」といった表現が主流であり、「噴飯」という即物的な漢語が日常会話で使われることはありませんでした。しかし、この時代に「漢字の訓読み」や「変体漢文」を通じて、漢語を日本語の感情表現へと落とし込む知的なシステムが完成したことが、のちの時代に「噴飯」のような漢語が文学表現として広く受け入れられる伏線となったのです。
下って江戸時代から明治時代にかけて、印刷技術の発達と広く大衆に向けた文芸(戯作や近代小説)の隆盛により、漢語が一般の読み物へ急速に普及します。明治期の作家・尾崎紅葉の『続々金色夜叉』には、「貫一は覚えず噴飯せんと為つつ(おかしくて思わず吹き出しそうになりながら)」という記述があり、この時点までは「笑う」という意味で正しく機能していたことが分かります。当時は漢文の素養を持つ知識層が言葉のストッパーとなっていたため、公の場で意味が変質することはありませんでした。
誤用が急速に拡大した時期「噴飯物」が「腹立たしい」という意味で劇的に広まったのは、20世紀後半(昭和後期)から21世紀初頭(平成)にかけてと推測されます。決定的な証拠となったのが、前述した2012年(平成24年)の文化庁の世論調査です。この時点で、すでに世間の過半数近くが間違った意味で覚えており、言葉の主客が完全に逆転し始めていたことが浮き彫りになりました。
漢字の混同(噴 と 憤)激しく吹き出す「噴(ふん)」という字が、怒りに震える「憤(ふん)」(憤慨、憤るなど)のイメージと強力に結びついてしまったこと。
「彼の発言は噴飯物だ」という表現は、本来「笑ってしまうほどバカバカしい」という意味ですが、批判の文脈で使われるため、受け手には「呆れて怒っている(腹立たしい)」ように見えてしまうこと。
現代において「飯を噴く」という行為は、単なる大笑いよりも「怒りのあまり口から泡を飛ばす」「不快感で口のものを吐き出す」といったネガティブな身体反応として直感的に解釈されやすいため。このように、「言葉の響き(ふん)」と「批判的な使用文脈」が重なり合った結果、現代人の脳内で「噴飯=怒りの噴出」という誤った回路が定着してしまいました。
言葉は時代とともに変化する生き物ですが、コミュニケーションの齟齬を防ぐためには一定の対策が必要です。「噴飯物」の誤用に対して、今後私たちはどのようなアプローチを取るべきでしょうか。
もっとも重要なのは、学校教育やメディアにおける適切なアナウンスです。単に「間違いだから直しなさい」と断罪するのではなく、「なぜ間違えやすいのか(噴と憤の勘違い)」というメカニズムとセットで解説することが効果的です。クイズ形式のテレビ番組やWebコラムなどで、雑学として面白く消費してもらうことで、自然な言葉のアップデートを促せます。
ビジネスシーンや公の文章において、相手の誤解や無用な摩擦を避けるためには、あえて「噴飯物」という言葉を使わず、より明瞭な言葉に言い換えるのが賢明な対策です。
👉 「失笑を禁じ得ない」「お笑い草だ」「あまりの滑稽さに呆れてしまう」
👉 「憤懡(ふんま)を覚える」「到底受け入れがたい」「断じて許しがたい」
一方で、言葉の歴史を見れば「本来の意味から180度変わって定着した単語(例:『全然』の肯定表現など)」は無数に存在します。すでに半数以上の人が「腹立たしい」と認識している以上、過剰に「誤用警察」として他者を糾弾することは建設的ではありません。文脈から相手の意図を正確に読み取る「受信力」を高めつつ、自身が発信する際は正確性を期すという、バランスの取れたスタンスが求められます。
平安時代に培われた漢語の受け入れ態勢から始まり、近代文学で華開いた「噴飯物」という言葉は、現代において「漢字の視覚的イメージ」と「使われる文脈」の罠によって、怒りの言葉へと形を変えつつあります。言葉の変遷を完全に止めることはできませんが、その背景にある歴史や理由を知ることは、私たちの日本語に対する解像度を大きく上げてくれます。単なる「正しい・間違い」の二元論を超えて、言葉が持つ背景を楽しみながら、場面に応じた柔軟なコミュニケーションを心がけていきたいものです。
おらんぞ。たとえば、こんな風にググってみるといい
"リクルート 平均年齢"
エグゼクティブ相当 平均年齢45歳、最年少32歳
課長相当 平均年齢39歳、最年少27歳
https://www.recruit.co.jp/people/inclusion/decent-work/
「はてな匿名ダイアリー(通称:増田)」の投稿やコメント欄から浮かび上がる平均的人物像は、「地方から上京した、IT・Web界隈で働く30代〜40代独身の知的労働者」です。技術や社会、サブカルチャーへの関心が高く、論理的思考を好みます。一方で、高学歴でありながら自己評価が低く、世間やエリートへの強いコンプレックスを抱えています。孤独感や生きづらさを内向的に分析する傾向があり、テキストでの自己表現に高い執着を持っています。ネットスラングや2ちゃんねる(現5ちゃんねる)文化の文脈を理解しており、冷笑的かつ批判的な視点から社会を眺めています。承認欲求と匿名性の間で揺れ動きながら、日々の仕事の愚痴や、誰にも言えないドロドロとした本音、言語化されない日常の違和感を、高い文章表現力でシニカルに綴るのが特徴です。
増田では大便を漏らすエピソードが頻繁に投稿されます。増田特有の匿名性と、読者層の健康・心理的背景、そしてプラットフォームの文化が複雑に絡み合っているためです。
増田では、他人の凄惨な失敗談や、誰にも言えない恥ずかしい本音が好まれる文化(通称:クソ記事・ウンコプログラミングなどの文脈)があります。
「漏らした」という強烈な体験談は、はてなブックマークで拡散されやすく、バズを狙う投稿者が集まりやすい性質があります。
悲惨な体験を文学的・シニカルに描くことで、読み物としてのエンターテインメントに昇華されています。
平均的人物像でも触れた通り、増田のメインユーザー層はIT・Web業界などで働く、精神的プレッシャーの強い30代〜40代の知的労働者です。
長時間のデスクワークや精神的ストレスにより、お腹を下しやすい過敏性腸症候群(IBS)を患っている人が少なくありません。
長距離の満員電車通勤など、トイレに駆け込めない閉鎖環境に置かれる機会が多いことも要因です。
「大人になって大便を漏らした」という事実は、Twitter(X)やFacebookなどの実名・半実名SNSでは絶対に投稿できません。
誰だか分からない「増田」だからこそ、プライドを捨てて最悪の失敗を吐き出し、精神的な救いを求めることができます。
実は「大人が大便を漏らす(便失禁)」というのは、公にだれも口にしないだけで、医学的にも決して珍しいことではありません。
衛生用品大手のユニ・チャームが実施した2万人規模の大規模な実態調査によると、成人の約2割が「軽い便もれや下着への付着」を経験しています。さらに、その経験者の約2割は「週に1回以上」の頻度で発生していると回答しています。
驚くべきことに、この調査では加齢による身体能力の低下よりも、20代〜30代の若い世代のほうが経験率が高いという結果が出ています。
緊張や過度なストレスによる自律神経の乱れから、急激な下痢を催す過敏性腸症候群(IBS)を患う現役世代が非常に多いためです。
「ただのおならだと思ったら、液体状の便だった」というケースが最も多い失敗パターンです。
「大人が漏らす」ことは社会的な羞恥心が極めて強いため、友人や家族はもちろん、医師にすら相談できず8割以上の人が1人で抱え込んでいます。
その結果、完全匿名で誰の目も気にしなくていい「増田」のような場所に、唯一の吐き出し口として毎日のように投稿が集まるという縮図が出来上がっています。
コールセンターかけても法的事前告知ばかり長くなって解決不能なWeb手続き勧めてきて必要な選択肢を後ろの方にしてまで通話料毟り取るビジネスなんとかしろ長電話クレーマー対策なのは分かるが急いでる必要な電話まで迷惑被るのはマジクソ
うちの親父(70代)くらいだと、家父長制の家で古風な父親像を見て育ったけど、社会は既に変容し始めていて、そのギャップに苦しむということがある世代だと思うけど、なんか今でもWeb上を見ると、そういう人たちが結構いるもんだ
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
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もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
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しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
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『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
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そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
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一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/
自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界のカート・コバーン」へと還元し、その自己破滅をロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレスの作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症や自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身の肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。
だが、昔ながらの保守的な批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。
ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現を模倣したウォレスの自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体の鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的な理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。
ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義(登場人物だけがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。
要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである。
しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムそのものと混同することだ。ヒューバート・ドレイファスとショーン・ドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。
ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。
芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉なニヒリズムそのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。
この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガンに投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)
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ウォレスは、ドナルド・バーセルミやトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトをさらに推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)
その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組が最後にカメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省がプレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。
そのため、最初の長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代の卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。
続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学の創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸の創作プログラムに所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度そのものの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースやバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。
「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。
全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来の北アメリカが「北米国家機構(Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界を舞台にしている。
そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンスも活動しており、ウォレスは物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。
しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家そのものが巨大企業に圧倒されてしまっている。
「ワッパーの年」
この意味で、ウォレスはモダニズムの問題意識をさらに徹底させた作家だった。消費社会が人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である。
消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。
その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画『Infinite Jest』だ。
この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれてしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画をテロ兵器として手に入れようとする。)
この映画を制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリン、マリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。
一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。
そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールド・テニス・アカデミーである。ここは、ウォレス自身が哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。
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『Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である。
その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)
現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。
その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。
つまり、この作品はポストモダン社会の民族誌(エスノグラフィー)なのである。
時間も空間も商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要なものが押し流されてしまう危険も見抜いている。
マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネットが社会を支配する以前、1996年に出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。
「文化が逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」
「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」
『Infinite Jest』は、一つの世代の感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。
とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代にMTVが誕生し、大学時代にインターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。
語り手は、自己意識の牢獄や、無限の可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から、不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。
ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。
薬物依存と絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである。
この見方は私だけではない。
ウォレスの親友の一人だったジョナサン・フランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。
フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。
「私たちの多くにとって人生の意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレスの小説世界ではほとんど存在しない。」
しかし、その一方で彼はこう続ける。
「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分は理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」
私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。
読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。
ウォレス自身もまた、依存症や欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。
そして、この点こそが、ウォレスとフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。
二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。
極端な自己意識、メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。
フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。
私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。
あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。
なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。
それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。
しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものはシニシズムではない。
むしろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである。
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しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである。
それは現代の絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろ、ポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。
もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。
「革新的な文体を用いて、保守的な小説の目的を果たすにはどうすればよいか。」
『ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである。
しかしマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解そのものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。
「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」
彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。
作家スティーブ・ムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカルな世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。
「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」
先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。
そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。
これは決して矛盾ではない。
つまり、「ウォレスは小説の道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。
私たちは、「型破りな文体=非道徳的」という思い込みそのものを退けなければならない。
むしろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。
アップダイクの美文主義では、文体そのものが読者の注意を引きつける。
しかしウォレスが探していたのは、現代の私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。
だからこそ彼は、その声を通して、私たちに真正面から、誠実に、そして道徳的なビジョンを語りかけることができたのである。
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だからこそ、ウォレスがフョードル・ドストエフスキーの人生と作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。
ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。
「もっとも重要なのは、ドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分の文学的栄光しか考えていなかった人物――から、
色んな略称を作るのにハマってるから、Web上で作れるサイトを作ってみた
https://abbreviation-generator.netlify.app/
使い方
・元の単語・名称に、略称を作りたい単語(例:バーガーキング)を入れる スペースで区切ると複数単語入力可
・略称の文字数に、何文字で略すかを数字で入れる(最高20文字まで)
複数単語を入れた場合、最初に入れた単語の頭文字→次に入れた単語の頭文字→~→最後に入れた単語の頭文字→最初に入れた単語の2文字目→という様に文字を抜き出す
(例:バーガーキング マクドナルド すき家 4文字指定→バマすー)
ChatGPTにHTMLコードを書いて貰って、自分で少し手直ししただけだから、バグとかあるかもしれないので、その時は教えて
元々の本文
警察の相談記録の件、加害者本人に連絡行かないシステム、それでこそ相談記録だしやっぱり日本の警察は頭がいいな
デジタルフォレンジックとまでいかない程度のWebアーカイブで警察はとにかく彼が発信者で間違いないと被害者の陳述を信じてくださる
これに俺も救われたんだ。2年前のこと
元々の本文
警察の相談記録の件、加害者本人に連絡行かないシステム、それでこそ相談記録だしやっぱり日本の警察は頭がいいな
デジタルフォレンジックとまでいかない程度のWebアーカイブで警察はとにかく彼が発信者で間違いないと被害者の陳述を信じてくださる
これに俺も救われたんだ。2年前のこと
○ご飯
朝:なし。昼:Inゼリー。カロリーメイト。夜:焼きうどん。チーズ、にんじん、大根、、ピーマン、キノコのスープ。バナナ。目玉焼き。間食:なし。
○調子
むきゅー。はややー。お仕事はあやふやー。なんか面倒になって明日ゆっくりもう一度やる。
なんかずっと雨が降ってるせいで落ち着かない。
なんかずっと主人公が可哀想な目にあってておいたわしいんだけど、どこかでご褒美シーンとかはあるのかしら。
○ポケットモンスタームーン(ゴーストポケモン旅1周目)
マーマネとマーレインのカップリング、公式でベッタリな割にあんまり見かけないな。
技術系の資料は読む。だが、インデックスから必要な情報にアクセスして終わりだ。最初から最後まで通読して、著者の用意した順番で技術体系を頭に流し込もうという気はない
新技術の取っ掛かりならWebで十分だし、今ならAIに聞けば大抵のことは教えてくれる。必要なら一次資料に当たればいい
それで困ったことはない
電車の中で自己啓発本を読み、線を引き、付箋まで貼っている大人を見ると、正直、恥ずかしくないのかと思う
「私はこの年になるまで、自分の人生の扱い方すら分かりませんでした」と周囲に吹聴しているようなものだ
若いうちに悩み、他人の思想を借り、人生観やアイデンティティを組み立てるのは健全だ
だが、いい大人が「人生を変える習慣」だの「嫌われる勇気」だのを蛍光ペン片手に読んでいると、オマエその年になるまで何を学んできたんだ?としか思えない
それならポケモンGOでボックスを整理し、ギフトを処理しているほうがまだ人生に有益である
もちろん、新しい情報や知見、仮想体験が人生を豊かにすることは否定しない
知識を得ることは損ではない
ネットでよくね?
手っ取り早いし、更新も早いし、必要な情報に直接アクセスできる
ただ、他人の経験を読んだだけで、自分まで賢者になった気になるな
読書は思考の取っ掛かりになる、想像力を養う、思考力を鍛える、という人もいる
そんなもん学生の間に済ませておけ
本を読んで考えた気になる段階は、若いうちに卒業しておくべきだ
大人になってから必要なのは、他人の完成した思考を順番に摂取することではなく、散らばった情報を拾い、比較し、疑い、自分で組み立てることだ
考えるには基礎知識がいるし、知らない分野に入れば誰でも初心者になる
だが、それも紙の本でなければならない理由にはならない
論文も統計も一次資料も専門家の議論も、検索すればいくらでも出てくる
図書館の使い方、索引の引き方、文章の読み方、知識の吸収の仕方、人にものを教わる態度
その基礎体力をつけるために、読書が重要だったことは否定しない
きっちり基礎体力を備えて大人になったなら、あとはインデックスだけでいい
ほんで堀江とかひろゆきとかヒカルの本がベストセラーになるのw
読書で知性が身につくんじゃなかったのかよ。ヒカルてw屋台のくじ引きの人だよね?www頭痛で頭が痛くなる
経済は何十年も停滞、低い生産性、前例踏襲にしがみつき、幸福度も低い
ずいぶん本を読んだ成果が出ているじゃないか
だが少なくとも、本を読めば思考力が高まり、人生も社会も豊かになるという読書家の宣伝文句は、国家単位ではまるで再現されていない
本を読む人間が賢いのではない
それを何に変えたのかである
何百冊読んでも、会社では前例踏襲、会議では沈黙、人生に悩めばまた自己啓発本
知らんがな
習慣という名の惰性で紙をめくり、思考している気分になっているだけじゃねぇか
いい年をして、知性の補助輪を自慢するな
【追記】
いい年して本読むやつってその習慣そのものに謎の優越感もってんのな
で、一生懸命本読んで、知性上げてるつもりが
🤔ニアピン?
まんしゅうきつこの弟 血まみれ +3 漫画家・まんきつ先生(旧筆名:まんしゅうきつこ)の弟さんが「血まみれ」になったエピソードは、彼女の自伝的サウナ漫画『湯遊ワンダーランド』第3巻の最終回に描かれた実話です。エピソードの概要発生した状況:まんきつ先生と実の弟である写真家・江森康之さんの間で、激しい口論(きょうだいの確執)が勃発しました。血まみれの理由:口論の最中、興奮したまんきつ先生が弟さんの顔面(あるいは皮膚の薄い部分)を引っ掻いてしまい、そこから大量の血が噴き出したためです。インタビューでも「実話で、皮膚が薄いところだからすごく血が出た」と本人が語っています。漫画での扱い:元々『湯遊ワンダーランド』はサウナ漫画ではなく「きょうだい漫画」として企画されており、この血まみれの喧嘩シーンが第1話になる予定でした。最終的にサウナ漫画へと路線変更されましたが、この衝撃的なエピソードは最終回の回想シーンとしてしっかりと回収されています。まんきつ先生と弟(江森康之氏)の関係性作中では喧嘩やきつい言葉の応酬も描かれますが、非常に絆が深い姉弟です。アルコール依存症に苦しんでいたまんきつ先生に「顔がよどんでる。サウナに行って毒を抜け」とサウナを勧めて救ったのはこの弟さんです。過去には、弟さんのリクエストで彼が包茎手術をしたときの一部始終をまんきつ先生が漫画化(『まんしゅうきつこのゲスな話』に収録)するといった、ぶっ飛んだ協力関係も築いています。他にも『湯遊ワンダーランド』の作中エピソードや、弟の江森康之さんとの他のエピソードについて詳しく知りたい情報があれば、お気軽にお知らせください!ちょっとだけ成長する物語」『湯遊ワンダーランド』まん ...2019/07/04 — この作品は、アルコール依存を激白した『アル中ワンダーランド』でデビューした漫画家、まんきつ(連載時ペンネームは「まんしゅうきつこ」)先生が、サウナ ...ダ・ヴィンチWebまんしゅうきつこの作品一覧 - 電子書籍・無料漫画なら ...漫画家のアシスタントを辞め、自暴自棄になっていたきつこ。新天地を求め、オムツプレイ専門店の面接を受けることに!? 小さな雑居ビルへ向かうとそこには――「オムツ倶楽部の面接」。ある日...ブックライブ湯遊ワンダーランド | まんしゅう きつこ |本 | 通販悪夢と退屈な日々に悩む漫画家まんしゅうきつこが、弟の助言で銭湯通いを始める。マナーにうるさい常連客や個性的な人々と出会いながら、サウナと水風呂で「ととのう」快感を知り、日常に熱と色...Amazon.jp根本敬ゲルニカ計画 - Motion Gallery2017/07/08 — さて、ご存知の方も多いでしょうが、まんしゅうさんはゲルニカ計画の公式カメラマン・江森康之さんの実のお姉さん。motion-gallery.netちょっとだけ成長する物語」『湯遊ワンダーランド』まん ...2019/07/04 — 高石:連載がはじまる前の企画段階では、“おふろ漫画”ではなく、“きょうだい漫画”になる予定だったんです。きょうだいの確執などを連載にしようとしていたんですよ。そのときに生まれたのが...ダ・ヴィンチWeb AI は不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください