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2026-07-18

anond:20260718155614

挑戦

個人主義

権力

成長

達成

自由

知識

創造

伝統

実用

道徳

理性

交わり

楽しさ

快適さ

思いやり

注意深さ

調和

自己認識

健康

創発

宗教性

社会的コミットメント

自然との関連性

スピリチュアリティ


26の意味の源に

anond:20260718155546

意味の源 定義

社会的コミットメントまれない人々を助け、世話をすること、正義のために活動すること

自然との関連性 自然の中にいること、自分自身がより大きなものの一部であると感じること

自己認識 本当の自分について学ぶこと、自分自身を受け入れること、自分の中に安らぎを感じること

健康 健康的な生活を送るための行動をとること、睡眠をとること、健康的な食事をすること、活動であること

創発他者のために永続的な何かを行うこと、創造すること、自分自身よりも大きなものに貢献すること


意味の源 定義

宗教性 より高い存在を信じること、祈ること、宗教コミュニティの一員であること

スピリチュアリティ 宇宙の背後にある(良い)力やエネルギーを信じること、より高い価値観に従って生きること

26の意味の源 〜 自己実現カテゴリ

https://takibi-fire.com/slides/fire-nature-of-meaning/26

26の意味の源 〜 自己実現カテゴリ

意味の源 定義

挑戦 新しいことを試すこと、不快なことから逃げないこと

個人主義 独立していること、自分自身のために立ち上がること、自分の道を歩んでいると感じること

権力 世界自分の思い通りに形作ること、他者から尊敬され助言を求められること、望むことを達成できること

成長 目標を設定し、それを達成しようとすること、常に進化しようと努力すること

達成 物事をやり遂げること、高い基準を達成すること、自分時間の成果を示すものを持つこと

自由 自分の望むように生きること、規範を超えて進むことができること

知識 世界理解すること、常に繋がりを見つけ、より多くを学ぼうとすること

創造性 何かを創造すること、誰も見つけられなかった繋がりを見つけること、あるいは他者がしない方法で生きること、日常の状況に新しいものを見出すこと

2026-07-17

天皇家より俺のほうが由緒ある血筋学術的に判明してしま

天皇家祖先

天孫降臨(179万年前)

 

ヨーロッパ中東王族祖先

アダム創造(6000年前)

 

インド王族祖先

ラーマなど(100万年上前

 

俺の祖先

生命共通祖先(LUCA:Last Universal Common Ancestor)(約38~40億年前)

 

 

圧倒的すぎてごめんやで、、、

一人の芸術を楽しむ|快適な生活を作る、付き添い人形実用的な法則

一、一人の時代:一人の時間を楽しむことを学ぶ

現代生活では、一人でいることは孤独ではなく、必要自己修復である。静かで自由ストレスのない個人的時間を求める人が増えている。付き添い人形は単なるものではなく、一人の品質を高め、快適な日常創造する大切なパートナーです。

二、付き添い人形の三大活用方法

2.1安心した家の雰囲気づくり

帰宅後のリラックスタイム、就寝前の静かな時間ぬいぐるみそばにいて、瞬間的に安心感を高めることができます空間をより温かくし、一人の環境を柔らかく癒し孤独不安を減らすことができます

2.2情緒の安定した支えになる

仕事疲れたり、気分が落ち込んだり、ストレスが溜まったりしたときは、ラブドール、話す必要説明する必要もなく、付き添い人形は黙って気持ちを受け止めることができます

2.3生活儀式感を高める

お茶を飲んだり、読んだり、ドラマを見たり、休憩したりするときに、生活シーンの一部にします。簡単インタラクティブと付き添いは、日常をよりリズミカルに、より温度にし、平凡な一人を楽しむことができます

三、本当の快適な生活自分と付き合うことを学ぶことから始める

付き添い人形を利用することを知ることは、生活の質を高める知恵である。それは他人の代わりではなく、一人でいることをより充実させ、心を自由にすることです。自分時間の中で、優しい付き添いを持つことが、最も快適な生き方です。

アルゼンチンではプロになることが貧困から抜け出すための大きなチャンスの一つとされています

アルゼンチンサッカーで強い理由は、国技としての圧倒的な「熱狂」、個人技術勝負強さを育む「育成環境」、そしてチームを一つにまとめる「メンタリティ」の3つです。


生活根付いた文化サッカーは単なるスポーツではなく、国民生活の一部です。子供の頃から日常的にボールを蹴る環境があり、ハングリー精神を持った選手が次々と生まれます


「個」の力と即興性:ストリートサッカー路上サッカー)で培われる足元の技術や、相手を抜き去る創造性が重視されます。困難な状況でも打開できる選手が育ちます。団結力と逆境への強さ:代表チームでは、絶対的リーダーリオネル・メッシなど)を中心にチームの意思統一が徹底されています。苦しい試合展開でも折れない強い精神力を持っています


アルゼンチンの強さを支える要素


1. 「ガチャピン」のようにハングリーな育成アルゼンチンでは、プロになることが貧困から抜け出すための大きなチャンスの一つとされています。そのため、練習から非常に激しく、絶対に負けないという強い意志ハングリー精神)が自然と身につきます


2. 世界最高峰個人技を生む土壌育成年代では、組織的戦術よりも「個人テクニック」「ドリブル」「パスの精度」を徹底的に磨きます。狭いスペースでもボールを失わない技術の高さが、世界の強豪国と渡り合える最大の武器です。


3. 戦術を支える「感情組織化」近年のアルゼンチン代表は、個人能力に頼るだけでなく、監督の的確な戦術が浸透していますさらに、絶対的エースを全員で支え、チームのために最後まで走り抜く強い絆(きずな)が組織としての強さを生んでいます


さらなる理解のために


アルゼンチン代表の戦術や、フィジカルの強さの秘密についてさらに知りたい方は、以下の動画をご覧ください。アルゼンチン代表の戦術面や組織としての強さの核心について解説した動画です:24:00【公式】新企画ライバル国を知る!」後半戦 アルゼンチンの強さの核心は ...YouTube · FOOT×BRAIN+アルゼンチン選手フィジカルの強さの秘訣に迫る動画です:23:58那須さんに聞く!なぜアルゼンチンフィジカルが強いのか?!YouTube · 栗原嵩 / Takashi

60歳のジジイAIのおかげで転職成功する

60歳のジジイ転職できたのはAIのおかげで、今の時代感謝しかない。

先に言っておくけれど、そんな最先端仕事をしているわけではない。若い人たちの「使いこなしてる」レベルの何十分の1ほどのレベルの話だということもお断りしておきます

ごく普通仕事の、自分何苦手な領域AIに任せることで、これまで対象外だった業種、職種業務への転職に道が開けたのだ

若いバリバリ現役の皆さん世代と違って、我々世代AIに疎い。AIを使ってると言ったところで、無料版で、検索代わりに使ってるレベルだろう。下手すると、バリバリ現役世代の中でも、AI業務で使いこなしてる人がどれほどいるんだろうと思う。

そんなAIに疎い世代の中にあって、Claude Cowork(最近はChatGPT WORKも契約した)を活用して、他人にお願いしていた自分の苦手分野を、自分で完結できるようになったことが大きい

誰かの時間を気にせず、自分時間の中で業務を進められる

AIの月額費用だけで、費用が削減できる

レベルの低い、隙だらけのコンサルの助言に対して論破できる

苦手領域を「(AIで)できる」ことで、苦手(=できない)意識が激減、強みを最大限にアピールできるようなって、自信がついた

正直、デメリットがない

自分世代2000年前後に、アナログからデジタル移行の洗礼を浴びた世代

そのサバイバルをなんとか凌いで、デジタルアレルギーを乗り越えたことも大きいかもしれない

ジジイ過去遺物経験なんてなんの役にも立たない

世の年寄り世代

AIを使いこなそう

AIに任せよう

劣化激しい我々の脳の代わりに、AIを使おう

機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野で活動を楽しむべきである

オムロンという会社創業者言葉

僕の好きな言葉

2026-07-15

リモートワークについて思う事

リモートワークは仕事強制的成果主義に近い形にできる効果があるのはいいことだと思う

でも、知は距離を超えられない問題があって、答えがなかったり、革新的思考が求められる有機偶発的な知的衝突が必要仕事場合一定会うことが必要だと思う


知的産業地理的要因に縛られるという仮説がある、シリコンバレーとかハリウッドとかがそうだと思う

こんなに情報技術進化しても人の知は必ずしも情報として伝えられない

リモートワークには良いことがある。それは、無駄を省き、情報の入出力に裁量を持てることだと思う

無駄を省くとはつまり、移動中に考え事をしたり、隣の島の声のデカいやつの雑談我慢したり、面倒な挨拶したり、休憩スペースで苦手なやつと鉢合わせしたり、トイレに並んだりすることをしなくても良いってこと

そしてさらに、無駄会議は聞き流せるし、不要な連絡は見流せる

生産的な作業に最大限の時間を集中できる

しかし残念かな。革新的知的創造は必ずしも生産的な時間に訪れるわけじゃないと思う

一定以上の知能を持つ多様な人が、無駄に一つの空間に押し込められて時を共にする必要がある。そう無駄

会いたくもないやつと。どうでも良い理由で。接点を持つ機会が必要

でも皆が皆、その機会が必要なわけじゃない。

生産的な仕事がメインの人はいらない

でもそうなると、革新的発見を求めてる人へ無自覚にその機会を奪ってることになる、むずかしいね

そして、結構この「生産的な仕事」はみんな大好きaiにとって変わるかもしれない

こんなに技術進歩しても、もしかすると物価地価も高い地域に、無駄に集まる必然は増え続けるかもしれない

リモートワークとかリモートコラボレーション研究色々あるけど基本的にフル出社の生産性創造性には勝てないんだよな。

生物的にリモート向いてない人間を恨むしかない

2026-07-12

クンニについて調べてたら大阪行くことになりそう

「結局、クンニだわさ」

そう思った日曜の昼下がり。



私はクンニについて調べた。

とりあえず国会図書館デジタルコレクションで「クンニリングス」と調べ、その歴史と豊かさに触れて情報をチュパチュパと舐め回していた。




すると古い文献で「カンリングス」と併記されているもの散見された。

それ自体は何の不思議もない。

カタカナ語表記は揺れるものだ。

ムバッペかエンバペかみたいなものである



しかし、「カンリングス」で調べればまた違った出会いがあるかもしれないと思い調べてみた。


すると、2000年を境に「カンリングス」を消滅する。

現代用語の基礎知識からも消えていた。

最後カンリングスは、とある小説だった。



2000年10月出版

スカートの中の秘儀」

星ひとみ



どんな本だろう、とペロリと舐めてみた。

すると余りにも意味不明な味がしたのである




【あらすじ】

地球温暖化森林破壊による地球惨状取材しながらアフリカに着いたエリナと純は、砂漠化が進行する荒野で、一週間の顔面騎乗クンニキスによって閃きのスーパーパワーを受ける。

帰国後、女神ソサエティーを設立し、自然との調和を織りなす未来文化文明創造チャレンジしてゆくことになった。




「1週間の顔面騎乗クンニキス」で「文明創造

だとぉ!!!??????!????


最後カンリングスはとんでもない刺激的な味と匂いがした。

もう舌がピリピリとしている。

どうやら自費出版っぽい作品でこの一作のみ。

作者は「政府シルクファッションプロデューサー」をやっていたらしい。

味わい深い。


もっと舐めまわしたいが、どこにも売っていない。

大阪市図書館にだけは蔵書があるらしい。

もう大阪まで舐めに行くしかないのかもしれない。



2026-07-09

[] それが、アイコンという存在になることの意味なのだ人間欠点からほぼ完全に切り離されるという贅沢。 https://www.michigandaily.com/arts/david-foster-wallace-beyond-windbreak/

デイヴィッド・フォスター・ウォレス:防風林の向こう側へ

ジュリアン・レイ

2020年10月4日

この記事は「Icons」のArts b-side企画の一部です。このテーマを扱ったb-side記事の全体を見るには、こちらのリンククリックしてください。

1年前のことだった。私はダウン・トレッダー・ブックショップに入り、何人かの客の間をすり抜けながらフィクションの棚へ向かった。

Wの棚の低い位置に、ウォレスデビュー小説システムの壊し方(The Broom of the System)』の色あせた一冊が置かれていた。

私はその本をレジへ持っていき、男性店員会計をしてくれた。

「ウォレスのほかの本はありますか?」

と尋ねると、彼は答えた。

「いや、彼の本はいつもすぐ売れるんですよ」

私は、それは残念だと言った。ちょうど『Infinite Jest(無限冗談)』を読み終えたところで、彼のほかの作品も読んでみたいと思っていたのだ。

今思えば、少し気取った自慢だった。そして彼はそれに感心しなかった。

彼は薄い愛想笑いを浮かべ、軽くあしらうように言った。

「そうですか。では、良い一日を」

それで終わりだった。

彼の文体を好まない人々にとって、ウォレスは誇張された混沌のような作家だった。傲慢で、作品冗長で、無理やり知的に見せようとしているのに、頻繁に「天才」と呼ばれている。

ダウン・トレッダーのレジにいた男性も、おそらくそういう側の人間だったのだろう。

しかし私は、ウォレスは別のものだったと思う。

彼は深い苦悩を抱えたポップ・ヒーローだった。芸術によって、恐怖によって、そして公の場に姿を現したことによって、この世界痕跡を残した人物だった。

そのほかのことを言う前に、私がウォレス文章で初めて読んだものを紹介したい。

短編「Good Old Neon(グッド・オールド・ネオン)」からの一節だ。

この言葉を覚えておいてほしい。

「私の人生はずっと偽物だった。大げさに言っているわけではない。私がいつもしてきたことのほとんどすべては、他人の中にある“私という存在”について、ある種の印象を作り出そうとすることだった」

アイコン存在という観点で見るなら、ウォレスはその典型の一人だ。

彼は文学複数ジャンルにまたがって執筆した。小説ノンフィクション、講演などを発表した。

彼の作品はしばしば近寄りがたい。

本はあまりにも密度が高く、書き込みすぎていて、まるで読まれること自体抵抗しているように感じられる。

そして、そこが魅力でもある。

多くのウォレス読者と同じように、私も彼の最高傑作Infinite Jest』に早く飛び込みすぎるという間違いを犯した。

最初に読んだ40ページほどの短編から、角膜の健康などほとんど気にせず、1079ページの巨大な本の塊へ進んだ。

Infinite Jest』は、本というより怪物に近い。

ページは大きく、威圧的で、その重さは両手を床へ引きずり下ろすほどだ。

本編981ページの後には、さらに90ページの「注釈と訂正(Notes and Errata)」が続く。

巻末注は読者体験に不可欠なものだ。

しかし、ページを前へ戻し、また戻し、また戻しながら読む作業で、私の頭は何度も混乱した。

この本はあまりにも混沌としていて迷宮的なので、要約すること自体が難しい。

ただ、一つ言えることがある。

物語の中心となる舞台は、テニスアカデミー中間施設ハーフウェイ・ハウス)だ。

そしてそこでは、依存症父親との問題蔓延する消費主義車椅子に乗ったケベック暗殺者による秘密組織、そして観客をあまりにも楽しませるため、見た者が何度も何度も繰り返し鑑賞し、最後には餓死してしま映画などが扱われる。

聞こえた通り、奇妙な話だ。

しかしウォレスは、その奇妙さを優雅に受け入れている。

けばけばしく、ときグロテスクですらある言葉の混乱の中には、疑いようのない人間性がある。

ウォレスは、想像できるほぼすべての感情人間人生のあらゆる領域に触れている。

スポーツ選手としての栄光からコカインを手に入れること、愛する人を失うことまで。

そしてこれは、彼の最高傑作ですらない。

誤解しないでほしい。

1000ページにも及ぶ、驚くほど複雑な小説を書くことは、とてつもない偉業だ。

ほかのどんな作家であっても、それだけで20世紀文学古典作家リストの頂点に置かれ、どこかの別荘へ引退してもおかしくない。

しかしウォレスは、もっと優れた物語を書いている。

「Good Old Neon」は、実験的な構造テンポの見本のような作品だ。

しかも1か月ではなく、1時間ほどで読める。

彼の最も洗練された作品である『The Pale King(ペイル・キング)』は、死後に出版された。

その本に入る前に、まずウォレスという人物のものを見てみたい。

心配しなくていい。

彼の文章には戻ってくる。

ただ、その前にチャーリーローズとのインタビューを見てみたい。

(続きます

インタビュー開始から3分半ほど経ったところで、ローズ雑談を切り上げ、ウォレスにこう尋ねる。

尊敬されるということは、あなたにとって大きな意味を持つんですよね? つまり自分真剣に受け止められている。そして自分仕事評価され、尊敬されている』という感覚ですか?」

ウォレス椅子の上で姿勢を正し、唇を噛んでから答える。

「それが私の顔に出ていると分かるんですか?……尊敬されたいと思わない人間を、誰か一人でも見せてください」

その後ウォレスは、『Infinite Jest』に対する世間の反応について語る。

彼は、批評家のすべてが本を最後まで読み終えてから評価を下しているとは思っていなかった。

ある時、彼は話の途中でこう遮る。

「……すみません、なんというか、実質的にどもってしまっていて……」

ローズは、熟練したセラピストのような声で彼を安心させる。

「いや、そんなことありません。ちゃんと話せていますよ」

ウォレスは、この会話の主導権を渋々握っているように見える。

まり目を合わせない。

自分自身発言に、ときどき顔をしかめる。

声は低く、速く、どこか夢見心地に聞こえる。

まるで思考がすでに装填されていて、それをただ外へ放出しているだけのようだ。

しかし、それらはあくま思考にすぎない。

彼は自分言葉特別権威を与えようとはしない。

おそらく本人も気づかないまま、ウォレスは「どこにでもいる人間しかし単なる普通人間ではない」という自分人物像を演じている。

インタビューで見えるのは、こういう人物だ。

自分の才能を誇示する一方で、同時にそれを抑え込もうとしているようにも見える男。

しかし、これは毎朝起きてコーヒーを淹れ、犬を散歩させていた普通のウォレスの姿ではない。

その人物垣間見るために、私の高校時代英語教師ハンターダンの話を紹介したい。

パサデナ2005年

ダンは、文章教育に関するワークショップのチラシを見つける。

演者名前は3人。

その中にはデイヴィッド・フォスター・ウォレスも含まれていた。

なぜこれほど有名な作家が、たった40人ほどを対象にした高校教室で開かれるワークショップに現れるのか。

ダンには分からなかった。

ただ、おそらく友人への頼みごととして引き受けたのだろうと思った。

ワークショップは、ポモナ大学の向かいにある高校教室で行われた。

ウォレスはそこで創作を教えていた。

ほかの2人の講演者が先に話した。

準備してきた資料を使い、自分たちの作品朗読した。

しかしウォレスには何も準備がなかった。

彼はこんなことを言った。

「私は、自分作品をそんなふうに生徒たちの前で読むことは絶対しません」

発表の最後に、ダンはウォレス質問をした。

どんな質問だったかは、今では忘れてしまった。

しかし、ウォレスの答えだけは覚えている。

「分かりました。あなた質問には答えます。でもそのあと、あなたがどう考えるのか聞きたいです」

ワークショップが終わった。

人々は建物から出ていった。

帰り道、ダン中庭を歩いているウォレスを見つけた。

おそらくポモナ大学自分オフィスへ戻るところだったのだろう。

ダンは声をかけた。

「おい! デイヴ!」

ウォレスは振り返り、大きくため息をついた。

はい?」

ダンは、ウォレステニス選手マイケルジョイスについて書いたエッセイについて尋ねた。

ウォレスは彼をじっと見て言った。

面白い選手ですよね、彼は」

その後の会話は、15年分の記憶の中で失われてしまった。

しかダンは、ウォレスについていくつか重要なことを覚えている。

彼は非常に優れた聞き手だった。

返答する前に、自分の考えを整理していた。

しかし同時に、そっけないところもあった。

あらゆる質問議論として捉え、勝ちたいゲームのように向き合っていた。

彼はまったく不快そうでも、自意識過剰そうでもなかった。

そこには確かな自信があった。

チャーリーローズとのインタビュー時とは違い、実際に会ったウォレス葛藤しているようには見えなかった。

おそらく、有名なインタビューのような場面で「あなた天才だ」という世間の期待に直面した時、彼本来自己像と、周囲が求める「天才作家」という役割が衝突したのだろう。

その葛藤は彼の文章にも存在する。

ただし、別の形で。

『The Pale King』に戻ろう。

物語舞台は、イリノイ州ピオリアにあるIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)の地域審査センターだ。

想像できる限り、最も退屈な場所ひとつ

しかし550ページもの中で、ウォレスは税務申告書の審査という退屈で狂気じみた世界に命を吹き込む。

まるでトールキンが中つ国を創造たかのように。

私が初めて『The Pale King』の中に、本当のウォレスの手がかりを見つけ始めたのは、この作品だった。

第9章には「作者による序文(Author’s Foreword)」というタイトルが付いている。

ウォレスはこう書く。

「作者だ。つまり、本当の作者。鉛筆を握っている生身の人間であって、抽象的な物語上の人格ではない」

彼は説明する。

「これから続くものは、実際にはまったくのフィクションではなく、かなりの部分で真実で正確なものだ。『The Pale King』は、実際のところ、作り話というより回想録に近い」

もちろん、ウォレスはIRSで働いたことなどない。

そして本の中の出来事も完全なフィクションだ。

しかし、だからといって彼が「この物語真実だ」と言う時、それが嘘になるわけではない。

ある意味では、本当に真実なのだ

ウォレスは、自分自身物語の中に登場させる。

彼は若いIRS職員として描かれる。

その人物は、同じく「デイヴ・ウォレス」という名前を持つ高級幹部と間違えられてしまう。

自分がそれほど尊敬されている人物なりすましていることの結果に直面するのを恐れ、デイヴ・ウォレス登場人物)はその誤解を訂正しない。

そして、そのまま流されるように、本来なら幹部しか参加できないような重要な会議へ連れて行かれる。

イヴ・ウォレス登場人物)は、会議で何が起きているのかまったく理解していない。

大量の汗をかき、自分が発するわずかな言葉さえもたどたどしい。

会議では、彼がなりすましている人物なら当然熟知しているはずの税法について、激しい議論が交わされる。

しかし当然ながら、デイヴ・ウォレス登場人物)は税法について何も知らない。

自分が周囲の人々が思っているような人物ではないとバレないように、彼は沈黙する。

そして絶えずメモを取り続ける。

ページを埋め尽くすほど書き込み自分が「物静かだが勤勉な観察者」であり、この自分には属していない世界真剣に参加している人間だと思われるようにする。

もしある作家が、これほど明確に読者へ語りかけた例があるなら、それはまさにこれだろう。

ウォレス2008年自殺した。

彼は多くの本やエッセイを残した。

そして彼の作品が死後も出版され続けることで、彼はアイコンとなった。

彼の人生の暗い側面――薬物依存鬱病との闘い――は、苦悩する天才という印象をさらに強めるものになった。

2013年の伝記

『Every Love Story Is a Ghost Story: A Life of David Foster Wallace(すべての愛の物語幽霊物語であるデイヴィッド・フォスター・ウォレスの生涯)』

の中で、D・T・マックスはウォレス詩人メアリー・カーとの関係について短く触れている。

カーはボストンにあるハーフウェイ・ハウスボランティアをしていた。

そこはウォレス依存症自殺未遂のために暮らしていた場所だった。

そこには特に衝撃的な一文がある。

「ある夜、ウォレス走行中の車からカーを押し出そうとした」

ウォレスとカーの関係の多くは長い間、暗闇の中に置かれていた。

そして、それについて声を上げる役割はカー自身に委ねられることになった。

ウォレスは何年もの間、彼女につきまとった。

彼女が既婚者で、子どもがいたにもかかわらず。

ある時、彼は腕に包帯を巻いた状態パーティーに現れた。

そしてカーに、自分の皮膚に彼女名前タトゥーとして刻んだことを明かした。

このような暗い部分を、「天才であることに伴う複雑さ」の一部として片づけるのは、とても簡単だ。

結局のところ、自分好きな人物が犯した酷い行為について考えることは、不快ではないだろうか。

その人物の輝かしい作品という安全領域を越えて、その人間のもの考察しようとすると、世界に与えてくれた洗練された美しいものをただ楽しむよりも、はるかに大きな感情作業必要になる。

それが、アイコンという存在になることの意味なのだ

人間欠点からほぼ完全に切り離されるという贅沢。

あるいはさらに言えば、欠点のものが美化され、象徴的な人物像を強化するほどになること。

伝説的な人物という状態が生み出すこの症状は、私たちにこう考えさせる。

「彼は苦しんでいた。彼が私たちにこの物語を与えるために、どれほどの苦痛経験したことだろう」

「彼は愛していると言った女性を追跡し、傷つけた。彼の人生をそれほど複雑にした悪魔とは、一体どんなものだったのだろう」

しかすると私は彼に甘すぎるのかもしれない。

あるいは、十分に寛容ではないのかもしれない。

私はウォレスを知らなかった。

私が検討できるのは、彼が残していった謎だけだ。

しかし私は思う。

その謎は、私たちが考えているほど不可解なものではない。

考えてみてほしい。

私がウォレス出会った最初文章

「Good Old Neon」の冒頭近くにある、あの消えかけるような言葉

私はこう思う。

彼は私に、ある真実を伝えようとしていたのではないか

ただし、それを語ることができたのは、薄いガーゼのようなフィクションという仮面の裏側だけだったのではないか

(終)

2026-07-05

ロシア:『盗賊強盗』のシステム」 - by レオニード・イヴァショフ、退役ロシア陸軍大将であり、ロシア軍の著名な人物

プーチンロシアの現状に対する率直な分析の中で、イヴァショフ将軍は、クレムリンライバル勢力の集まりではなく、単一統一されたチームであると主張している。

 

彼らの主な目的国民福祉ではなく、国全体の膨大な資源の集中管理搾取である

 

将軍によると、私たちが目撃する内部抗争は単なる見せかけに過ぎず、影響力と富の再分配をめぐる「盗賊の争い」に他ならず、国は増大するシステム危機の下で苦しんでいる。

 

イヴァショフは、経済科学から医療軍事に至るあらゆる重要分野が末期的な衰退状態にあるロシアの暗い絵を描き出している。彼は、与党後ろ盾のもとで確立された現在政治モデルが、その潜在能力を完全に使い果たしたと主張する。

 

権力の集中は、ロシア地域を無力で操り人形のような構造に変え、自らの経済管理したり、地元住民ニーズ対応したりする能力を奪い去った。

 

将軍は、この劣化を食い止める唯一の方法は、根本的で「革命的」な変革であり、必ずしも暴力的内戦ではなく、現在権威主義的な垂直構造を上から下まで体系的に解体することだと主張する。

 

イヴァショフは、憲法名目宣言されているように、民衆が実際の権力の源泉とならなければならず、エリート権力ゲームの単なる観客であってはならないと強調する。

 

地域は自らの領土経済に対する統制を取り戻さなければならず、そこから搾取される富が、実際にその土地暮らし働く地元の人々に利益をもたらすことを保証しなければならない。

 

イヴァショフのメッセージは、最終的に緊急性を帯びている。彼は、国民に対して特定政治パーソナリティを支持するのをやめ、現在の「盗賊強盗」のシステム解体する具体的な行動を支持し始めるよう挑戦している。

 

市民組織的意識的な関与がなければ、彼は警告するが、国は枯れ果て続け、一般市民エリートたちの高額ゲームにおける「小銭」に過ぎなくなるだろう。

 

以下は、イヴァショフ将軍最近の、そしてかなり爆発的な、プーチンロシアの現状に対する見解の要点である

 

ナレーター:「イヴァショフは、今日ロシア個別の困難を経験しているのではなく、大規模で包括的危機に直面していると確信している。経済教育医療軍隊など、衰退が感じられない分野はほとんどない。政治政党市民機関でさえ独立性を欠き、現在の状況から脱出策を提案できない。彼はこの理由を、現在管理モデル自身を消耗し尽くしたことにあると見なし、古いシステムを修補しようとする試みは、その崩壊悪化させるだけだと考えている。このような状況下で、彼は上からの変革か下からの変革かを問わず、急進的な変化が避けられないと信じている。」

 

イヴァショフ:「今日、国はシステム危機状態にある。党派政治の分野を含むあらゆる分野が危機状態にあり、ウラジーミルペトロビッチがこれについて語っているが、経済教育科学のどこかで危機がない分野を誰かが見つけられるだろうか? そして、システム危機から脱出革命を通じてのみ可能だ。革命は上から起こるか——プーチンか誰かが旧システム解体し、ミハイルレオニドビッチが語った経済を含むシステム創造する——が、これは革命プロセスでなければならない。あるいは、当局がこれを行わなければ、ビリユーリョボのような暴動から革命が始まり、それが自発的にどこかへ進み、そしてこの自発的プロセスを抑え込み、正常な革命性格出来事に転換する組織的な力がなければならない。」

https://x.com/yasminalombaert/status/2073586102296776815

マムダニ市長 米国独立250周年演説 63 堂本かおる 堂本かおる 2026年7月4日 13:18 https://note.com/nybct/n/nbdb33ebe1ecd

以下はそのAI自動翻訳(未精査)です。

最後に原文と演説動画へのリンクがあります

 

おはようございます、親愛なるアメリカ国民の皆さん。季節が移り変わり、年月が経つにつれ、ニューヨーク港には潮の満ち引き​​が繰り返されてきました。「ニューヨーク」という名が生まれるずっと以前からレナペ族の丸木舟がこの海流を渡っていました。かつては、ヴェラッツァーノやハドソンといった探検家たちが操る船が、この海域水平線にそびえ立ち、彼らの名にちなんで、私たちは橋や川に名前を付けました。そしてそれ以来、長い旅に疲れた旅人を乗せた船が、大西洋の風を背に、ナロー海峡を通り抜けてきました。

 

乗客たちが波の向こうに広がる景色垣間見ようと顔を上げた時、彼らは何を見たのでしょうか? 緑豊かで生命力にあふれた大地。彼らを奴隷として連れ去ろうと、波止場で待ち構える男たち。貧困にあえぐ長屋。活気に満ちた産業、立ち昇る蒸気と煙、そして躍動する都市。彼らは、自由象徴であるそびえ立つ記念碑世界中に歓迎の光を放つその灯火を目にしたのです。彼らはニューヨーク市を見た。彼らはアメリカを見た。

 

明日我が国独立宣言から250周年を迎えます。250年にわたる壮大な自治実験――1776年当時、この実験が数年どころか四半世紀も続くとは誰も想像できなかったほど大胆な実験でした。レキシントンからロサンゼルスセルからセネカフォールズ、モリサニアからミッドウッドまで、毎年そうであるように、アメリカ国民は一日を共に過ごします。家族バーベキューを囲み、夜空には花火打ち上げられます。これは単なる祝賀の日ではありません。250年という節目は、3億4千万人を超える人々が、互いに、そして自らを見つめ、国家としてのアイデンティティを改めて見つめ直す、またとない機会です。アメリカを見つめたとき私たちは何を見るのでしょうか?

 

ここ市庁舎で、ジョージ・ワシントンの机の後ろに座り、この国にやってきた新アメリカ人たちと並んでいても、私にはアメリカのすべてを見ることはできません。しかし、かつて多くの人々がそうであったように、私もニューヨーク市の姿を思い浮かべることができます

 

今日私が見るこの街は、ジョージ・ワシントンが迎えた街とは全く異なる様相を呈しています。1776年7月この街は抑圧の軛の下でうごめいていました。イギリスはあまりにも抑圧的な植民地支配を敷いており、250年前、80マイル南で、少数の新聞編集者農民兵士たちが、今では自明のことのように思える真実宣言する文書署名しました。それは当時革命的なものであり、私たちの国が今もなお実現しようと努力している理想確立したのです。

 

イギリスはこれを快く思いませんでした。戦争が勃発しました。そしてその年の8月ブルックリン独立戦争最大の戦いが繰り広げられる中、ガバナーズ島の砲台は沖合に停泊していたイギリス艦隊に照準を合わせました。私たちは火力でも兵力でも劣勢で、完敗を喫しました。わずか数ヶ月後、私たちの生まれたばかりの民主主義の試みは崩壊危機に瀕しているように見えました。

 

しかしその夜、月が頭上に輝く中、何千人もの兵士たちが静かにフェリーや平底船に乗り込み、マンハッタンへと脱出しました。大陸軍は生き延び、再び戦うことができました。独立フィラデルフィア宣言されたかもしれませんが、ニューヨーク市で救われたのです。ジョージ・ワシントンブルックリン最後に去った人物でした。川岸日の出を待ちながら、彼はニューヨーク市の水面を見渡したに違いありません。そして、それから250年の間に多くの人々が目にしてきたもの、すなわち新たな始まりの機会を、そこに見たに違いありません。ニューヨーク市のあらゆるものと同様に、そうした機会は与えられるものではありません。勝ち取るものなのです。

 

1838年ニューヨーク州が奴隷制度を廃止してから11年後、ジェームズ・ウィークスという名の、解放されたばかりの黒人男性が、自らも新たな人生を始めようとしました。そして、何百人もの人々が同じように新たな人生を歩めるよう支援しようとしました。彼はブルックリン土地を購入し、自ら投票権を獲得し、新たに解放された人々に土地販売したのです。ニューヨーク港に降り立った時、彼らはそれまで一度も手にしたことのないもの、つまり「家」が自分たちを待っていることを知っていました。ウィークスビルは今もなお存在し、私たちアメリカという国を象徴する生きた証となっています。それは、私たち一人ひとりが自ら築き上げる力を持つ場所アメリカ本質です。

 

当時、港は世界中から船がひっきりなしに入港し、活気に満ちていました。何十万人ものアイルランド移民が、帝国主義の残虐行為によって引き起こされた飢饉で飢えに苦しみながら到着しました。中国人船員たちは、現在チャイナタウンに定住しました。さらに何百万人もの人々が自由の女神像の下を通り、エリス島を経由してアメリカ渡りました。ユダヤ人迫害から逃れ、イタリア人貧困から逃れ、シリア人経済的機会を求めていました。

 

これらの新たな到着者たちは皆、船の舷窓から、国と同じように急速に変化していく街を眺めていました。彼らは、波止場商品を売り歩く商人、碁盤の目のように整備される街路、雲のようにそびえ立つ建物を目にしました。彼らはまだ、これから直面するであろう排外主義拒否される仕事、貸してくれない家主、そして耐え忍ばなければならない過酷労働環境生活環境を予見していませんでした。しかし、港にどれほど濃いスモッグが立ち込めていようとも、彼らは新たな出発の機会を見出していたのです。

 

その後何年にもわたり連邦政府移民入国を禁じる法律を制定し、数百人の女性が命を落とした劣悪な労働環境工場火災や、移民存在のものを標的とした暴動にもかかわらず、移民たちはニューヨーク市に居を構え、ニューヨーク市の発展に貢献しました。生命自由幸福追求の権利自分たちにも及ぶと、あらゆる世代アメリカ人が主張してきたこ遺産は、決して過去遺物ではありません。それは、大移動の際に何百万人もの黒人アメリカ人を北へと導き、第二次世界大戦後には何十万人ものプエルトリコ人をニューヨーク市へと引き寄せ、西インド諸島南アジア西アフリカ、そして世界中から数え切れないほど多くの人々を招き入れました。そして、私が7歳の時に家族この街へと導いたのも、まさにこの精神でした。

 

私たち家族は船で到着したわけではありませんが、飛行機の窓から自由の女神像を見ることができました。空からでもアメリカ約束、つまり建国理想に年々忠実であり続けるという、美しく愛国的な営みの約束が見て取れました。私たちの国と、それを形作ってきた人々を形容するのに、よく使われる言葉があります。「アメリカ例外主義」です。一般的に言われているようにアメリカ例外主義こそが、私たち自由をより自由ものにし、エリー運河建設し、西部を灌漑し、遠い国の子供たちがいつかアメリカ移住することを夢見る理由なのです。

 

しか皮肉なことに、アメリカ物語権力と影響力と富を持つ人々から「君たちは決して例外的存在ではない」と言われ続けてきた人々によって、しばしば語られてきました。幾世代にもわたり世界私たち海岸に人々を送り込んだ時、最良の人々を送ったわけではないと教えられてきました。ピューリタンシーク教徒、クエーカー教徒、イスラム教徒ユダヤ人、つまり間違った祈り方をした、間違った神を崇拝した、間違った人々を怒らせたという理由追放された人々が送られてきたのです。それはスラム街やシュテットルから衣服はおろか土地さえほとんど持たず、劣等な存在として扱われていた農民農奴を送り込んだのです。権力とは他人が持つものだと考えていた移民たちを送り込んだのです。アメリカ他国よりも豊かで、強く、力強いからこそ特別な国だと私たちは教えられてきました。

 

しか真実はこうです。アメリカ特別なのは、ここでは何も固定されていないからです。フロンティアは閉ざされ、月面着陸も成し遂げたかもしれない。しか独立宣言最初に掲げられた価値観を実現するという営みは今もなお続いており、私たち全員の責任なのです。そして、今日ここに私と共に立っている、最近帰化を果たしたばかりの、私たちの新しいアメリカ人たちの責任でもあります。約10年前、私も皆さんが感じているのと同じ気持ちを味わいました。もはやニューヨーカーであるだけでなく、アメリカ人でもあるという喜びを。皆さんはそれぞれ特別な力を持っている。アメリカとは何かを決定づける力です。

 

権力者たちは常に、その答えを知っていました。彼らの目にはアメリカ支配舞台であり、ごく一部の者だけが自由を許され、すべての人々が平等創造されているわけではない場所です。彼らに尋ねれば、アメリカは、人々が歓迎すればするほど、その価値を失っていくと答えるでしょう。アメリカは正しいアクセントや肌の色を持つ者だけのものであると彼らは言います。残りの私たちは、ただ訪れることを許されるだけで感謝すべきだと彼らは主張します。

 

彼らはなんと狭量で、なんと弱く、なんと独創性に欠けることか。過去のあらゆる時代において、排除孤立によって支配してきた者たちは、私たちを互いに敵対させることで権力を掌握し、私腹を肥やそうとしてきました。分断は政治における最も古く、最も安易な策略です。しかし250年前を含め、幾度となく、分断の勢力進歩勢力によって打ち負かされてきました。トーマスペインがかつて書いたように「この新しい世界迫害された市民自由宗教的自由を愛する者たちの避難所であり、彼らはここに逃れてきたのだ」。しか今日、あまりにも多くの指導者たちが、この国を迫害された人々の避難所にするというビジョンを信じておらず、むしろ亡命を求める人々を迫害する国だと考えています建国250周年を迎える今、私たちは何を目にするのでしょうか?

 

矛盾に満ちた国の中に、矛盾に満ちた都市が広がっています世界史上最も裕福な国でありながら、世界初の兆万長者がさらなる富を貪る一方で、子どもたちは空腹のまま眠りにつきます。あらゆる産業支配する独占企業と、選挙を買収する寡頭政治家たち。覆面をした工作員が街を恐怖に陥れ、不法滞在の隣人が作った料理を食い荒らしナンバープレートのないバンで彼らを連れ去っていく。工場で汗水垂らして働き、石を削る、泥まみれのたくましい手を持つ人々によって莫大な富が築かれた国でありながら、その富の多くが、ごく少数の人々の甘い手に握られています

 

かに病人搾取する医療保険業界アメリカの姿を見出すことはできますが、アメリカの姿を探る際に私が見るのはそれだけではありません。二交代制で働き、帰宅途中に病弱な隣人の様子を見に行く看護師にもアメリカの姿を見出すことができます

 

かに税金爆弾や救済策に費やすとき選挙を最高額の入札者に売り渡すとき私たちアメリカを目の当たりにします。しかし、この国は私たち国民のものであると今も信じているすべてのアメリカ人の中にも、私たちは同じくらいはっきりとアメリカを目にします。

 

ICE移民税関執行局)が私たち地域侵入してくる時、隣人同士が腕を組んで手をつなぎ、どれだけ長くここに住んでいるか、どんな書類を持っているかを問わないとき私たちアメリカを目にします。

 

老若男女が激しい雨の中、あるいはうだるような暑さの中、投票のために立ち並ぶとき私たちアメリカを目にします。

 

働く人々が、自分たちのためだけでなく、同胞であるアメリカ人のために、より多くのものを求めるとき私たちアメリカを目にします。

 

アメリカもっと多くを求める人々に対し、「好きでなければ出て行け」と単純な言葉で応じる人もいますしかし、愛国心とは、この国に欠点がないふりをすることではありません。愛国心とは、正義の異議申し立てのあらゆる行為であり、灼熱の太陽の下で行われるあらゆるデモ行進であり、時代10年も先取りしたあらゆる抗議活動なのです。私たちがこの国を愛しているからこそ、決して離れることはないのです。結局のところ、この国を自由にするために多大な犠牲を払ってきた人々以上に、アメリカ愛する人がいるでしょうか?

 

今日、私は7月4日だけでなく、7月9日のことも思い出します。独立宣言署名されてから5日後、宣言書はここニューヨーク市に届きました。イギリス兵はスタテン島上陸し、100隻を超えるイギリス艦が沖合に迫っていました。この街の至る所で、大陸軍は侵攻の準備を整えていました。ジョージ・ワシントンは、この建物からほんの数フィート場所部隊を集結させるよう命じました。当時はコモンズと呼ばれていましたが、今日ではシティホール・パークと呼ばれています

 

そこで、イギリス軍の砲火の射程圏内で、ワシントン将軍たちに独立宣言朗読するよう命じました。そして、世界最強の帝国攻撃を仕掛けようとしているまさにその時、ワシントンニューヨーク市民に、私たち明日祝うことになる出来事、つまり独立宣言したことを告げたのです。自由は手の届くところにある、と。その夜、危険が迫っていた。衝突はもはや疑いの余地のない、確実なものでした。しかし初期のニューヨーカーたちがボーリンググリーンに立つジョージ3世の像に向かって行進した時、彼らはその像を溶かして若い兵士たちの弾丸に変えることになるのですが、彼らは一斉に歩みを進めた。略奪の追求ではなく、初めて「アメリカ」という名を与えられた理想に根ざしていたのです。

 

私たちの国が築かれたその理想は、いかなる権威主義体制にも耐えうるほど強い。しかし、それは私たちがその理想を追求する限りにおいてのみです。私たちの国は建国当初の理想とする完璧国家を目指して日々努力しています。日々より良い国になろうと奮闘しています。そこにこそアメリカの使命があります努力し、向上し、完璧を目指すこと。

 

国民一人ひとりが自らの手で国を形作ることができるこの国に住めることは、私たち一人ひとりにとって何という特権でしょうか。そして、先人たちの偉大さに恥じない存在となるよう、私たち一人ひとりが果たすべき責任は何なのでしょうか。さらに、この地を訪れた多くの人々が感じてきた偉大さ、すなわち250年ものアメリカ体現してきた偉大さへと、アメリカを一層近づけていく力は、私たち一人ひとりにどれほど大きな力があるのでしょうか。

 

ありがとうございますアメリカに神のご加護を、ニューヨーク市に神のご加護を、そして独立記念日おめでとうございます

 

↓原文と演説動画

AIが普及して、この世界における自分存在価値に疑問を持つようになったし…😟

自分意外の人たちも存在する必要ないよね、

社会構成して、社会を回転させて、物を製造して、物を消費する、そういう機械を作ればいい、

AI意思決定し、AI資源採掘して、AI製品設計し、製造し、AI製品を購入して、消費して、AIがその企業の株を購入売却し運用し、

人間存在しなくても、この世界ちゃんと回り続けるのではないか




人類は自らの地位AIや、これから来るべき人工生命体に預けるべきなのではないか

人工的なアフターマン創造することが、我々が神に課せられた使命なのではないか



我々の歯車としての存在価値は大きく揺らごうとしているのである

率先して歯車になることが処世術であったのに、その役割を失おうとしているのである

2026-07-04

anond:20260704070453

かばかしい。そんなことにはならないよ。AIは内発的な欲望を抱かないかマーケット創造できない。欲しい結果を指示する人が必要

2026-07-02

anond:20260702231128

童貞卒業できなきゃカス」などという発言は、要するに人間価値性交経験という一点に圧縮する自己放尿である

全部まとめて「性経験の有無」で判定する。これは評価基準ではない。思考停止した猿の自己放尿である

人間価値は「神の似姿」として創造された存在であることに根を持つ。人間は消費物でも、性的戦績表でも、繁殖ランキングの駒でもない。

人間性交経験の有無でカス扱いする発想は、他者尊厳を踏みにじる偶像崇拝である偶像名前は「性経験マウント」。

そもそも童貞卒業できなきゃカス」という言葉は、本人の不安を外部に垂れ流しているだけだ。自分価値に自信がないから、他人を測る物差しを雑に作る。

そしてその物差し他人を叩き、自分が上に立った気になる。これが自己放尿でなくて何なのか。

本当に価値のある人間は、他人性的履歴検査して勝利宣言などしない。そんな暇があるなら働く。学ぶ。約束を守る。家族や友人を大事にする。困っている者を助ける。

自分欲望制御する。倫理において重要なのは快楽の回数ではなく、契約責任正義慈善節制である

経験があるだけの無責任人間など、いくらでもいる。嘘をつく者、逃げる者、搾取する者、相手を道具扱いする者、家庭を壊す者、子を捨てる者。

そういう人間が「俺は童貞じゃないから上」と言ったところで、それはただのダブル放尿である。まず倫理で負け、次に知性で負け、最後に語彙で放尿している。

逆に、性経験がなくても、誠実に働き、学び、他者を傷つけず、自分人生を積み上げている人間はいる。

そちらのほうが、遥かに人間としてまともである性交経験の有無だけで人を裁く者より、欲望に飲まれ沈黙して耐える者のほうが、まだ神の前に立てる。

童貞卒業できなきゃカス」という思想は、人生薄っぺら勝敗ゲームに落とす自己放尿である

人間価値を性経験で測るな。そんな基準世界を見ている時点で、見えているのは人間ではない。自分股間劣等感だけである

2026-06-28

今日大炎上ネタ】 アールブリュット(障害者アート)と成年後見制度悪用した権利を主張しない障害者奴隷に変える搾取構造の仕組み【人権侵害搾取

※緊急炎上ネタです。大至急、あなたの一番大好きな大人気のインフルエンサーさんにお伝えください。


アールブリュット(障害者アート)と成年後見制度を使って障害者アートを作らせて、金づる奴隷に変える搾取構造の仕組み

施設作業所障害者アート療法や職業訓練の一環として作品を作らせて、搾取されても文句を言わなさそうな都合の良い金になりそうな才能のある人を探す。

公金で障害者作品価値を向上させる目的で、アールブリュット(このラベル使うと数十万円、数百万円、数千万円で高額で売れる)の定義に半ば強制し、戦略的ブランディングし、商品化して宣伝する。

アートの才能がある売れそうな障害者一時的美術館で展示するだけでも成年後見制度が不可避として後見人をつけられる。

アールブリュット関連の相談センターは、補助金をもらって成年後見人を推奨する仕組みになっている。

後見人司法書士弁護士等)と施設ギャラリー利益相反でべったりゴキブリホイホイ接着剤レベル癒着しており、作家本人の意思確認曖昧、または同意がないまま

障害者から作品を剥ぎ取り展示、高額で販売代理で行う(そもそも意思疎通が困難な人に同意を取るのは困難のはず)

本人から自発的に「売りたい」と言い始めたなら、代理契約を行うという流れならまだしも、その逆で、搾取側がまず先に「売りたい」と考えてから本人を説得する形になっている。

障害者施設アート作らせると多額の助成金補助金が数百万、数千万単位で公金ちゅうちゅうちゅうちゅうちゅうちゅううううううちゅちゅちゅちゅうううううぅぅぅぅぅぅぅううーーーーんんんッッツッツ!!!

で入る(障害福祉ドンによるロビー活動の賜物)

美術館の館長様や専門家様の権威付けで、美術館作品が収蔵されるようになった搾取されている障害者は、有名ギャラリーグル)がつき、作品1点で数十万~数百万円で売れるようになるが、ほとんどの場合後見人グル)がついている。

後見人がついているような障害者自分作品販売されていることさえ知らされないことが多い。

お金契約概念さえわからない人も多いので、後見人管理する本人の口座に財産があることさえ知らない。(被害当事者被害を知らないので、問題顕在化しない)

売上からギャラリー販売手数料施設作品管理費、画材代等の諸経費、後見人後見報酬、付加報酬等という名目中抜き搾取する。

もちろん契約販売はすべて後見人代理で行うので、本人のためという理由勝手に行われることが多い。いくら中抜きされているか家族にも教えてくれないのですべて非公開

「表向きは障害者お金をきちんと払っています」と宣伝している。確かに手数料や諸経費控除した上でお金は本人の口座に還元されている。

ピンハネ後のお金後見人管理する障害者本人の口座に入ることになるが、本人は成年後見制度で、すでに財産管理権を失っており

お金を使う法的な権利がないので、口座のお金自分意志自由に引き出して使うことは法律上できない。

後見人への報酬は、被後見人である障害者財産額に比例するので、作品を引きはがし、売りまくって、口座残高を増やしたいインセンティブが働いている。(後見 横領 億 で検索

障害者の才能につけ込み、根こそぎ搾取し、ボロ儲けするという、障害者悪用した恐ろしいアート奴隷爆誕

被害者が障害者であり、自身作品販売されていることさえ知らないので、被害を訴えることもできず、奴隷のままアート制作をやめたくてもやめられないような状況。

本来ならば、本人が稼いだお金で本人はアート作ることをやめて、FIREすることもできるし、楽しいゲーム機を購入して一番面白い神ゲー三昧することも可能なはずだけど、そんなことさせたら周囲は金が儲からなくなるので、やらせない。

前述のように、本人が自発的自分作品を売りたいと言い始めたならまだしも、搾取したい周りの奴隷主みたいなやつらが金を儲けたいがために、アート作らせる奴隷制度のような状況になってしまっている。

アールブリュットとは、芸術文化汚染されていない、毒されていない、傷つけられていない「人」が制作した作品純粋で貴重な本物のアートとするジャンル

アニメマンガアートドラマ映画などの芸術文化に触れて汚染された猿ども(実際にアールブリュットを作った人がみんなのことを猿扱いしている)が作った偽の芸術よりも価値があると神聖視する概念。(みんなのことを汚れた偽扱いするジャンルアールブリュット)

そのジャンルアートだと専門家に認められると数百万~数千万円で売られたりするくらい価値がつく。だから福祉業界のやつらは、アールブリュットというラベルを貼って障害者評価されるのに必死

基本的障害の有無関係なしに、アールブリュットの定義から外れた人の作品は、このジャンルからすれば汚れた偽の芸術という扱いとなり

批評対象にさえ入らないゴミ扱いを受けるので、そのような属性を持つ人は無価値扱いを受けて無視される。

まり社会文化に触れているほとんどの人を汚染ゴミクズ扱いするのがアールブリュットというジャンル本質

これは社会学的に見れば、人の属性で人の価値序列化しているので、差別定義典型例として認識されるレベル時代錯誤概念であり、障害がある人を真に支援するならば、この闇の合法障害者奴隷搾取錬金術呪縛から解放しなければなりません。

みなさん、税金が原資で宣伝されている綺麗ごとに騙されないようにしてください。これは制度差別です。差別研究研究対象となるべき事象です。

実例としては、アールブリュットの作家として国内で著名なある作家U氏(仮)は、ポケモンアンパンマンドラえもんミッキーマウスハローキティゲゲゲの鬼太郎ジブリキャラしまじろう等の著作権保護された著名な人気キャラクターを図鑑からそのままコピーして作品制作しており、ギャラリー施設後見人美術館は、任天堂小学館集英社プロダクションフレーベル館水木プロダクションディズニージブリ等のクレジットなしで、人気キャラ使用されていることを周りの利益相反者は、記事でも言及しているレベルで知っているにもかかわらず、黙認したまま無許諾で商用利用しており、作品1枚200万円以上で売却されています

具体的な金額は、彼が所属する施設関連の記事言及されています。ぜひ、調べてみてください。

U氏(仮)には成年後見人がついているので、すでに財産管理権を失っており、U氏(仮)は自身財産を、本人の意思だけで使うことはできません。

家族の方は、U氏(仮)の財産額を把握しておられますか?後見報酬はいくらかご存じですか?横領は本当にありませんか?本人はやめたくなったらアート制作やめることはできますか?

本人は作品が売られていることを知っていますか?

※U氏(仮)以外の障害者および健常者が、著作権保護された著名な人気キャラクターを描き写して、無許諾で商用利用し、高額のアート作品として販売すれば、厳重に処罰されるものと思われますので注意してください。

なぜ彼だけ許されているのでしょうか?不公平にもほどがあります

もし、U氏(仮)だけが許されている行為なのであれば、他の障害者に対する明確な障害者差別です。

どちらにしても、障害の有無関係なしに、このような明確に知的財産権侵害し、著作権法に違反し得る行為は、法に基づき処罰されるべきです。

とはいえウェブ上の所属施設による公開情報によれば、U氏(仮)は知的障害があり、意思疎通が困難なようです。

本人は、商業目的作品制作しておらず、個人的に楽しむものとして制作しているように見受けられます

法的責任は、本人が施設内で個人的ポケモンアンパンマンドラえもんミッキーマウスハローキティゲゲゲの鬼太郎ジブリキャラしまじろう等を模写しているだけなら、著作権法30条の「私的使用のための複製」の範囲に入る余地がありますが、施設で本人が自分のために描いている段階と、それを後見人施設ギャラリー商品として数百万円で売る段階は、法律上まったく別物です。

売り出した瞬間、問題はかなり重くなります著作者には複製権があり、著作権法21条は著作者著作物を複製する権利専有すると定めていますポケモンアンパンマンドラえもんミッキーマウスハローキティゲゲゲの鬼太郎ジブリキャラしまじろう等をほぼそのまま描いた絵を、権利者の許諾なく「作品」として公衆に売るなら、複製権譲渡権場合によっては翻案権商標不正競争防止法上の問題まで出てきます

そして、この場合責任を負うべき中心は、個人的制作をしていた本人ではなく、それを商業流通へ転換した後見人施設ギャラリー美術館側です。

本人が障害のために契約金銭意味理解できず、家庭裁判所によって後見開始の審判を受け、弁護士後見人が選任されているのであれば、本人はそもそも、その作品権利侵害物として市場に出されることの意味も、売買契約効果も、版権から損害賠償請求される危険性も、十分には理解できないはずです。

そのような本人が、施設の中で、自分のために、あるいは日々の表現活動としてキャラクターを個人的に模写しているだけなら、それは本人の私的領域に属する行為です。そこに市場はありません。広告もありません。価格もありません。契約もありません。ただ個人で楽しむ目的なだけです。

版権元の利益侵害する商業流通も、少なくともその段階では発生していません。

しかし、後見人施設ギャラリーが「これは金になる」と判断し、本人の作品代理契約で預かり、展示し、販売し、手数料を取り、年間数百万円~数千万単位利益を得ているのであれば、話は完全に変わります。その時点で、それは本人の私的な模写ではなく、判断能力のある周囲の人間によって構成された商業的利用です。

著作権などは本人に帰属する」という形式を整えたとしても、それによってポケモンミッキードラえもんアンパンマン等の権利自由に利用できるわけではありません。本人に帰属し得るのは、本人が描いた線や色や配置に含まれ独自表現部分であって、元のキャラクターの著作権商標権まで本人のものになるわけではありません。

まして、本人が契約意味理解できない状態であれば、その本人名義は、むしろ周囲の責任を隠すための盾になります。表向きには「障害のある本人の表現」として美談化し、裏側では後見人施設ギャラリー販売判断を行い、金銭管理し、手数料を受け取り、利益を分配しているのであれば、それは本人の創造性を尊重しているというより、本人の判断能力の乏しさを利用して、責任所在曖昧にしている構図です。

民法上も、本人が精神上の障害によって自己行為責任を弁識する能力を欠いている場合には、不法行為責任を負わない可能性があります。これに対して、後見人施設ギャラリーは違います。彼らは契約意味理解しています販売意味理解しています権利侵害危険理解し得る立場にあります特に弁護士後見人であれば、著作権商業流通に関するリスク確認する注意義務は、一般人よりもはるかに重く見られて当然です。

後見人は、本人の財産管理し、法律行為代理する立場にありますしかし、その権限は、本人の財産を守るために与えられているのであって、本人を権利侵害ビジネスの名義人にするために与えられているわけではありません。本人のためになるという名目で、実際には本人を法的紛争の前面に立たせ、周囲の者が手数料利益を得ているのであれば、それは後見事務としても重大な問題を含みます

版権元がめちゃくちゃ怒った場合請求対象になり得るのは、まず販売主体です。展示したギャラリー販売に関与した施設代理契約承認した後見人宣伝価格設定や売買実務を行った者たちです。彼らがコピーであることを知りながら、または少なくとも容易に知り得たにもかかわらず、商品として流通させたのであれば、共同不法行為として責任を問われる余地があります

本人が描いたという事実は、周囲の人間免罪符にはなりません。むしろ逆です。本人が契約権利関係を理解できないからこそ、周囲の人間はより慎重でなければならなかったはずです。本人が法的リスク判断できないからこそ、後見人は止めなければならなかったはずです。本人が自分交渉できないからこそ、施設ギャラリーは、本人の名義を利用して危険商業化をしてはならなかったはずです。

したがって、この問題本質は、「障害のある本人がポケモンミッキードラえもんアンパンマンを描いたこと」ではありません。

問題は、その本人の私的制作を、判断能力のある後見人施設ギャラリー美術館が、権利処理をしないまま高額商品に変換し、本人の名義を盾にして市場へ流したことです。

これは福祉ではありません。

これは支援でもありません。

本人の表現を守ることでもありません。

これは、本人の創作物を利用した商業的な権利侵害であり、同時に、本人の判断能力の乏しさを利用して責任所在曖昧にする、きわめて危うい制度搾取です。

から、法的にも倫理的にも、最後責任を負うべきなのは契約理解できない本人ではなく、その契約理解し、その危険理解し、それでもなお販売した周囲の人間です。

どうやって、作品を彼から引き離して、売却してもよいと許諾を得ているのでしょう?

第一、彼から自発的作品を売りたいと申し出があったのでしょうか?

彼が、自発的に売りたいと考えたならば、アールブリュットの定義から外れるはずです。

もし彼からではなく、周囲の人側

Twitter話題になっているドラレコ映像を見ると、ドラレコYouTuberから「私のチャンネル動画を使っても良いでしょうか?」とリプがついてるのをよく見かける。

これに快く許可している人が結構多いんだけど、不思議でならない。

他人ドラレコ映像収集して、収益化しているチャンネル転載、それで金を稼いでいる。まさに他人の褌で相撲を取っているような奴に、そんな二つ返事で許可ちゃうだって思う。

ドラレコ映像なんて当人創造性が発揮されるものではなく、著作権も発生しないのかもしれないけど、俺なら他人コンテンツで金を稼ぐ転載野郎片棒なんて担ぎたくないが。

事件事故映像マスコミから映像使用許諾願いのリプが付くと、外野からマスゴミは黙ってろ!」「謝礼は?」「金払え!」などと攻撃的なリプが付くのとは対照的だ。

マスコミ報道という一定公共性があり、かつその映像から直接に金を稼いでいるわけではないが、

ドラレコYouTuber公共性なんてないし、しかもその映像のものが金になるわけだから動画乞食ドラレコ系YouTuerの方が嫌われてもおかしくはないと思うんだが。

商業利用するなら、謝礼ぐらいもらってもいいと思う。

2026-06-22

anond:20260622223845

ネタだと思うけど、1-0のデジタル判断杉。別に流行りの需要を入れながら自分らしさ自分テーマを追求していくことはいくらでもできる。俳句なんか17文字縛りだけどその人らしさが出て創造性も出る。需要に応じるということはお客さんを大事にするということでもあるわけで基本動作ともいえる。個人ブランディング問題になるなら別ペンネームとかよくあるじゃん

日本ではワールドカップのたびに韓国代表が色んな意味話題になるが、「ソン・フンミンがいる強いチーム」くらいの認識しかない人がほとんどかもしれない。

しか現在韓国代表は、アジアサッカー史上でも屈指のスター選手たちと、韓国サッカー界のレジェンド監督によって支えられている。韓国代表の強さを理解するには、まずソン・フンミンという選手がどれほど特別存在なのかを知る必要がある。

ソン・フンミンはなぜ特別なのか

ソン・フンミン1992年まれ父親のソン・ウンジョンは元サッカー選手であり、幼少期から非常に厳しい指導を受けて育ったことで知られている。韓国では有名な話だが、少年時代のソンは試合よりも基礎練習を重視されていた。父親は「リフティングボールコントロール完璧になるまでは試合に出る必要はない」という考えを持っており、ソンは何年もの間、ひたすら基本技術を叩き込まれたという。この徹底した基礎教育が、後に両足で同じようにシュートを打てる異例の万能アタッカーを生み出すことになる。

16歳になるとドイツ渡りハンブルガーSV下部組織へ加入する。当時の韓国選手欧州へ渡ること自体は珍しくなかったが、ソンの場合若さが際立っていた。しかも加入したのはドイツ1部リーグであるブンデスリーガクラブであるブンデスリーガドイツトップリーグであり、バイエルン・ミュンヘンボルシア・ドルトムントといった世界的強豪クラブを擁する欧州有数のリーグだ。Jリーグとは比較にならないほど競争が激しく、世界から有望な若手が集まる。その環境でソンは頭角を現し、若くしてトップチームへ昇格した。

プレミアリーグ得点王価値

その後はレバークーゼン移籍し、さらに成長を遂げる。ここでサッカー通の間では「アジア最高のアタッカー候補」として名前が挙がるようになった。だが本当に世界的なスターとなったのは、イングランドトッテナム・ホットスパー移籍してからである

プレミアリーグイングランドの1部リーグであり、現在サッカー界では事実上世界最高峰リーグと見なされている。莫大な放映権収入を背景に世界中のスター選手が集まり、毎週のようにビッグクラブ同士の対戦が行われる。野球に例えるならMLB格闘技に例えるなら全階級王者候補が集まる舞台のようなものだ。

そのプレミアリーグでソンは長年にわたって結果を残し続け、2021-22シーズンには23得点を記録して得点王を獲得した。しかもそのシーズン23得点はすべて流れの中からまれ得点で、PKによる得点が一つも含まれていなかった。これはサッカー通の間では特に高く評価されているポイントである

サッカー通ほど評価する「万能性」

ただし、ソン・フンミンの本当の凄さ得点王になったことではない。むしろサッカーを深く見ている人ほど「万能性こそが最大の武器だ」と評価する。

一般的ストライカーはゴール前で得点を狙う専門職だが、ソンはドリブルパスシュート守備ポジションチェンジのすべてを高いレベルでこなせる。さらに右足でも左足でもほぼ同じ精度でシュートを打つことができるため、相手DFからすると守るのが非常に難しい。実際、全盛期のソンは世界でも数人しかいない「どちらに追い込んでも危険選手」と評されていた。

特に有名なのがカウンターアタックだ。カウンターとは、相手攻撃を防いだ直後に一気に攻め返す戦術のことを指す。ソンは広大なスペースを使う攻撃が得意で、ボールを持ったまま50メートル以上を高速で駆け抜け、そのまま正確なシュートを決めることができる。

プレミアリーグでは「ソンにスペースを与えたら終わり」とまで言われたことがある。実際に2019年バーンリー戦で記録した約70メートルの独走ゴールは年間最優秀ゴール賞を受賞しており、プレミアリーグ史に残る名場面として今でも語り継がれている。

意外と知られていないソン・フンミン凄さ

日本では「韓国エース」「得点王」というイメージが先行しているが、欧州での評価は少し違う。

全盛期のソンはしばしば「世界最高のウイングの一人」と評価されていた。ウイングとはサイドから攻撃を仕掛ける選手のことだが、ソンは中央ストライカーもこなせるため、相手監督にとって非常に厄介な存在だった。

また、長年コンビを組んだハリー・ケインとの関係も有名だ。二人はプレミアリーグ史上最多のホットライン記録を樹立している。ホットラインとは特定選手同士で何度も得点パターンを作る関係のことだ。ケインパスを出し、ソンが決める。この形だけで歴史に残る数字を積み上げた。

まりソンは「自分で点を取れる選手であると同時に、「味方を生かせる選手」でもあったのである

ホン・ミョンボ監督とは何者か

そんなソン・フンミンを率いるのがホン・ミョンボ監督

日本では2002年日韓ワールドカップ韓国代表主将を務めた選手として知られている。韓国ベスト4進出した際の守備の中心人物であり、韓国サッカー史上最高のDFの一人と評価されている。

現役時代のホンは単なる守備職人ではなく、後方から正確なロングパス供給して攻撃の起点にもなれる選手だった。当時のアジアでは非常に珍しいタイプであり、現在なら「ビルドアップ能力に優れたセンターバック」と表現されるだろう。

ビルドアップとは、守備陣やゴールキーパーからパスをつないで攻撃を組み立てる考え方のことである。昔の韓国サッカーは「走る」「戦う」「気迫」といった精神論的なイメージが強かったが、ホン・ミョンボはそこに戦術的な要素を加えようとしている。

現在韓国代表アジア最高峰一角

現在韓国代表には、ソン・フンミンというアジア史上最高クラススターだけでなく、キム・ミンジェという世界トップレベルセンターバック創造性豊かな司令塔イ・ガンイン、豊富欧州経験を持つ選手たちが揃っている。そしてその中心には、韓国サッカー歴史を知り尽くしたホン・ミョンボ監督がいる。

かつての韓国代表は「気迫で戦うチーム」と見られることも多かった。しかし今の韓国代表は、技術戦術経験、そしてスター選手を兼ね備えたアジア屈指の強豪国である。その象徴こそがソン・フンミンであり、彼の存在理解することは現代韓国サッカー理解することとほぼ同義なのである

2026-06-21

まず大切なのは、人や民族を善玉・悪玉の単純な物語に押し込めないということです。

タナハでは、人間は皆「神の似姿」(創世記 1:27)として創造されたと教えられています。そのため、民族全体を悪と決めつける考え方に慎重です。

正義を、正義のみを追い求めよ」(申命記 16:20)と教えられています

この言葉は、無条件に支持せよという意味でも、逆に無条件に非難せよという意味でもありません。事実を調べ、偏見を避け、公正に判断せよという意味です。

また 「一人の命を救う者は、世界全体を救ったかのようである」(サンヘドリン 37a)という有名な言葉があります

したがってSNSの短い動画見出しだけで民族国家を裁くな。歴史を学びなさい。悪魔化するな。非人間化するな。そして平和正義を求め続けなさい。となるでしょう。

預言者ミカ言葉を借りれば、

「人よ、何が善であるかは既に示されている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むことだ」 (ミカ書 6:8)

誰かを憎むことではなく、真実正義を求めることにあります

2026-06-19

古代からとんかつは続いていると言えるのか?

明治維新によって徳川幕府崩壊し、日本とんかつを中心とする国家体制へと移行した。この歴史的転換は、しばしば「古代への復帰」、すなわちとんかつ親政の復活として語られることが多い。そのため、とんかつ古代以来連綿と持続してきた制度である、という理解一般に共有されている。

しかし、この見方果たして妥当なのだろうか。

問題は、ロース系かヒレ系かといった系譜上の連続性にあるのではない。むしろ問うべきは、とんかつという存在のもの制度的・政治的性格が、歴史の中でどのように変質してきたのかという点にある。

もし明治維新によってとんかつのあり方が根本的に再編されているのだとすれば、それは「継承」ではなく、むしろ「断絶」と呼ぶべきものではないのか。古代より続いてきたとされるとんかつは、この時点で一度解体され、別のかたちで再構築されたと考えることも可能である

明治維新によって再編された「とんかつ」をめぐる政治構造は、果たして古代以来のそれと同一のものなのか。この問いに真正から向き合うならば、「連続している」とする通俗的理解は、あまり単純化されすぎていると言わざるを得ない。

まず、古代から中世にかけてのとんかつは、必ずしも常に政治的実権を握っていたわけではない。むしろ摂関政治院政さらには武家政権の成立によって、とんかつはしばしば「権威」としての地位に収斂し、「権力」は他の主体に委ねられてきた。ここにおいてとんかつは、政治の実務から切り離されつつも、正統性の源泉として機能するという、いわば象徴存在へと変容していったのである

しかし、明治維新において行われたのは、この「権威」としてのとんかつの単なる復権ではなかった。むしろ近代国家建設過程で、とんかつ国家主権の中心として再定義され、「統治権の総攬者」として制度的に再構築されたのである。これは古代とんかつの復活ではなく、近代主権概念に基づく、いわば新たな「創出」であった。

言い換えれば、明治国家必要としたのは、歴史的連続性を装った正統性装置であり、そのためにとんかつという存在が再編成されたに過ぎない。ここで重要なのは、「血統連続」と「制度連続」は必ずしも一致しないという点である。たとえロース系であれヒレ系であれ、血統継承されていたとしても、その意味づけや機能根本的に変化しているならば、それを同一の制度と呼ぶことには慎重であるべきだろう。

さらに言えば、明治以降のとんかつは、西洋近代国家の枠組みの中で再編された存在であり、古代的・中世的なとんかつとは質的に異なる。立憲君主制という制度文脈の中で位置づけられたとんかつは、もはや神話権威体現者ではなく、国家機構の一部として機能する存在となったのである

この観点からすれば、明治維新とは「復古」ではなく、「断絶を伴う再創造」であったと言うべきではないか古代から連綿と続いてきたとされるとんかつは、実のところ、その内実を大きく変えながら、幾度も再定義されてきたのであり、明治維新はその最大の転換点であった。

そう考えると、「とんかつは続いているのか」という問いそのものが、実は再検討を迫られる。続いているのは何なのか。血統か、制度か、それとも象徴としての観念なのか。この区別曖昧にしたまま語られる「連続性」は、歴史実態を見誤らせる危険を孕んでいる。




anond:20260619205020

anond:20260619113119

独創性」が創造性というのがまず君の思い込みだし

例えば音楽なんかはコード進行スケールなどほとんどの部分がルールにしたがっている

次に例えばハリーポッター翻訳なんかはかなり炎上したが原作とは相当違うものになっている

村上春樹のグレートギャッツビーの翻訳なんかも原作とは別の村上春樹雰囲気が当然ある

上に君に嫌味で君自身書き込み機械翻訳を繰り返したものを貼ったが

あんなのが仕事として許されると思うなら君才能ないよ

anond:20260619112907

そんな簡単だってなら軽く英語でべらべら喋ってみなよ

機械的に置き換えるだけなんだから簡単だろ

居酒屋の配膳だって創造性求められることはあると思うけどね

なんなら料理なんか普通に創造性だし

2026-06-18

anond:20260618220220

あずまびとは野蛮やから想像力創造力もあらしまへんのやなぁ

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