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デイヴィッド・フォスター・ウォレス:防風林の向こう側へ
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1年前のことだった。私はダウン・トレッダー・ブックショップに入り、何人かの客の間をすり抜けながらフィクションの棚へ向かった。
Wの棚の低い位置に、ウォレスのデビュー小説『システムの壊し方(The Broom of the System)』の色あせた一冊が置かれていた。
と尋ねると、彼は答えた。
「いや、彼の本はいつもすぐ売れるんですよ」
私は、それは残念だと言った。ちょうど『Infinite Jest(無限の冗談)』を読み終えたところで、彼のほかの作品も読んでみたいと思っていたのだ。
今思えば、少し気取った自慢だった。そして彼はそれに感心しなかった。
彼は薄い愛想笑いを浮かべ、軽くあしらうように言った。
「そうですか。では、良い一日を」
それで終わりだった。
彼の文体を好まない人々にとって、ウォレスは誇張された混沌のような作家だった。傲慢で、作品は冗長で、無理やり知的に見せようとしているのに、頻繁に「天才」と呼ばれている。
ダウン・トレッダーのレジにいた男性も、おそらくそういう側の人間だったのだろう。
彼は深い苦悩を抱えたポップ・ヒーローだった。芸術によって、恐怖によって、そして公の場に姿を現したことによって、この世界に痕跡を残した人物だった。
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そのほかのことを言う前に、私がウォレスの文章で初めて読んだものを紹介したい。
短編「Good Old Neon(グッド・オールド・ネオン)」からの一節だ。
この言葉を覚えておいてほしい。
「私の人生はずっと偽物だった。大げさに言っているわけではない。私がいつもしてきたことのほとんどすべては、他人の中にある“私という存在”について、ある種の印象を作り出そうとすることだった」
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アイコン的存在という観点で見るなら、ウォレスはその典型の一人だ。
彼は文学の複数のジャンルにまたがって執筆した。小説、ノンフィクション、講演などを発表した。
彼の作品はしばしば近寄りがたい。
本はあまりにも密度が高く、書き込みすぎていて、まるで読まれること自体に抵抗しているように感じられる。
そして、そこが魅力でもある。
多くのウォレス読者と同じように、私も彼の最高傑作『Infinite Jest』に早く飛び込みすぎるという間違いを犯した。
最初に読んだ40ページほどの短編から、角膜の健康などほとんど気にせず、1079ページの巨大な本の塊へ進んだ。
ページは大きく、威圧的で、その重さは両手を床へ引きずり下ろすほどだ。
本編981ページの後には、さらに90ページの「注釈と訂正(Notes and Errata)」が続く。
しかし、ページを前へ戻し、また戻し、また戻しながら読む作業で、私の頭は何度も混乱した。
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この本はあまりにも混沌としていて迷宮的なので、要約すること自体が難しい。
ただ、一つ言えることがある。
物語の中心となる舞台は、テニス・アカデミーと中間施設(ハーフウェイ・ハウス)だ。
そしてそこでは、依存症、父親との問題、蔓延する消費主義、車椅子に乗ったケベック人暗殺者による秘密組織、そして観客をあまりにも楽しませるため、見た者が何度も何度も繰り返し鑑賞し、最後には餓死してしまう映画などが扱われる。
聞こえた通り、奇妙な話だ。
けばけばしく、ときにグロテスクですらある言葉の混乱の中には、疑いようのない人間性がある。
ウォレスは、想像できるほぼすべての感情、人間の人生のあらゆる領域に触れている。
スポーツ選手としての栄光から、コカインを手に入れること、愛する人を失うことまで。
そしてこれは、彼の最高傑作ですらない。
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誤解しないでほしい。
1000ページにも及ぶ、驚くほど複雑な小説を書くことは、とてつもない偉業だ。
ほかのどんな作家であっても、それだけで20世紀文学の古典作家リストの頂点に置かれ、どこかの別荘へ引退してもおかしくない。
「Good Old Neon」は、実験的な構造とテンポの見本のような作品だ。
彼の最も洗練された作品である『The Pale King(ペイル・キング)』は、死後に出版された。
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その本に入る前に、まずウォレスという人物そのものを見てみたい。
心配しなくていい。
彼の文章には戻ってくる。
ただ、その前にチャーリー・ローズとのインタビューを見てみたい。
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(続きます)
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インタビュー開始から約3分半ほど経ったところで、ローズは雑談を切り上げ、ウォレスにこう尋ねる。
「尊敬されるということは、あなたにとって大きな意味を持つんですよね? つまり『自分は真剣に受け止められている。そして自分の仕事を評価され、尊敬されている』という感覚ですか?」
「それが私の顔に出ていると分かるんですか?……尊敬されたいと思わない人間を、誰か一人でも見せてください」
その後ウォレスは、『Infinite Jest』に対する世間の反応について語る。
彼は、批評家のすべてが本を最後まで読み終えてから評価を下しているとは思っていなかった。
ある時、彼は話の途中でこう遮る。
「……すみません、なんというか、実質的にどもってしまっていて……」
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ウォレスは、この会話の主導権を渋々握っているように見える。
あまり目を合わせない。
声は低く、速く、どこか夢見心地に聞こえる。
まるで思考がすでに装填されていて、それをただ外へ放出しているだけのようだ。
おそらく本人も気づかないまま、ウォレスは「どこにでもいる人間、しかし単なる普通の人間ではない」という自分の人物像を演じている。
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自分の才能を誇示する一方で、同時にそれを抑え込もうとしているようにも見える男。
しかし、これは毎朝起きてコーヒーを淹れ、犬を散歩させていた普通のウォレスの姿ではない。
その人物を垣間見るために、私の高校時代の英語教師、ハンター・ダンの話を紹介したい。
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その中にはデイヴィッド・フォスター・ウォレスも含まれていた。
なぜこれほど有名な作家が、たった40人ほどを対象にした高校の教室で開かれるワークショップに現れるのか。
ただ、おそらく友人への頼みごととして引き受けたのだろうと思った。
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ワークショップは、ポモナ大学の向かいにある高校の教室で行われた。
ほかの2人の講演者が先に話した。
彼はこんなことを言った。
「私は、自分の作品をそんなふうに生徒たちの前で読むことは絶対にしません」
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「分かりました。あなたの質問には答えます。でもそのあと、あなたがどう考えるのか聞きたいです」
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ワークショップが終わった。
おそらくポモナ大学の自分のオフィスへ戻るところだったのだろう。
ダンは声をかけた。
「おい! デイヴ!」
ウォレスは振り返り、大きくため息をついた。
「はい?」
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ダンは、ウォレスがテニス選手マイケル・ジョイスについて書いたエッセイについて尋ねた。
ウォレスは彼をじっと見て言った。
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しかしダンは、ウォレスについていくつか重要なことを覚えている。
彼は非常に優れた聞き手だった。
返答する前に、自分の考えを整理していた。
しかし同時に、そっけないところもあった。
あらゆる質問を議論として捉え、勝ちたいゲームのように向き合っていた。
そこには確かな自信があった。
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チャーリー・ローズとのインタビュー時とは違い、実際に会ったウォレスは葛藤しているようには見えなかった。
おそらく、有名なインタビューのような場面で「あなたは天才だ」という世間の期待に直面した時、彼本来の自己像と、周囲が求める「天才作家」という役割が衝突したのだろう。
ただし、別の形で。
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『The Pale King』に戻ろう。
物語の舞台は、イリノイ州ピオリアにあるIRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)の地域審査センターだ。
しかし550ページもの中で、ウォレスは税務申告書の審査という退屈で狂気じみた世界に命を吹き込む。
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私が初めて『The Pale King』の中に、本当のウォレスの手がかりを見つけ始めたのは、この作品だった。
第9章には「作者による序文(Author’s Foreword)」というタイトルが付いている。
ウォレスはこう書く。
「作者だ。つまり、本当の作者。鉛筆を握っている生身の人間であって、抽象的な物語上の人格ではない」
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彼は説明する。
「これから続くものは、実際にはまったくのフィクションではなく、かなりの部分で真実で正確なものだ。『The Pale King』は、実際のところ、作り話というより回想録に近い」
しかし、だからといって彼が「この物語は真実だ」と言う時、それが嘘になるわけではない。
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その人物は、同じく「デイヴ・ウォレス」という名前を持つ高級幹部と間違えられてしまう。
自分がそれほど尊敬されている人物になりすましていることの結果に直面するのを恐れ、デイヴ・ウォレス(登場人物)はその誤解を訂正しない。
そして、そのまま流されるように、本来なら幹部しか参加できないような重要な会議へ連れて行かれる。
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デイヴ・ウォレス(登場人物)は、会議で何が起きているのかまったく理解していない。
大量の汗をかき、自分が発するわずかな言葉さえもたどたどしい。
会議では、彼がなりすましている人物なら当然熟知しているはずの税法について、激しい議論が交わされる。
しかし当然ながら、デイヴ・ウォレス(登場人物)は税法について何も知らない。
自分が周囲の人々が思っているような人物ではないとバレないように、彼は沈黙する。
そして絶えずメモを取り続ける。
ページを埋め尽くすほど書き込み、自分が「物静かだが勤勉な観察者」であり、この自分には属していない世界に真剣に参加している人間だと思われるようにする。
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もしある作家が、これほど明確に読者へ語りかけた例があるなら、それはまさにこれだろう。
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彼は多くの本やエッセイを残した。
そして彼の作品が死後も出版され続けることで、彼はアイコンとなった。
彼の人生の暗い側面――薬物依存、鬱病との闘い――は、苦悩する天才という印象をさらに強めるものになった。
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2013年の伝記
『Every Love Story Is a Ghost Story: A Life of David Foster Wallace(すべての愛の物語は幽霊物語である:デイヴィッド・フォスター・ウォレスの生涯)』
の中で、D・T・マックスはウォレスと詩人メアリー・カーとの関係について短く触れている。
カーはボストンにあるハーフウェイ・ハウスでボランティアをしていた。
そこはウォレスが依存症と自殺未遂のために暮らしていた場所だった。
そこには特に衝撃的な一文がある。
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ウォレスとカーの関係の多くは長い間、暗闇の中に置かれていた。
そして、それについて声を上げる役割はカー自身に委ねられることになった。
そしてカーに、自分の皮膚に彼女の名前をタトゥーとして刻んだことを明かした。
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このような暗い部分を、「天才であることに伴う複雑さ」の一部として片づけるのは、とても簡単だ。
結局のところ、自分が好きな人物が犯した酷い行為について考えることは、不快ではないだろうか。
その人物の輝かしい作品という安全な領域を越えて、その人間そのものを考察しようとすると、世界に与えてくれた洗練された美しいものをただ楽しむよりも、はるかに大きな感情的作業が必要になる。
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あるいはさらに言えば、欠点そのものが美化され、象徴的な人物像を強化するほどになること。
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伝説的な人物という状態が生み出すこの症状は、私たちにこう考えさせる。
「彼は苦しんでいた。彼が私たちにこの物語を与えるために、どれほどの苦痛を経験したことだろう」
「彼は愛していると言った女性を追跡し、傷つけた。彼の人生をそれほど複雑にした悪魔とは、一体どんなものだったのだろう」
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もしかすると私は彼に甘すぎるのかもしれない。
あるいは、十分に寛容ではないのかもしれない。
私はウォレスを知らなかった。
私が検討できるのは、彼が残していった謎だけだ。
しかし私は思う。
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考えてみてほしい。
「Good Old Neon」の冒頭近くにある、あの消えかけるような言葉。
私はこう思う。
ただし、それを語ることができたのは、薄いガーゼのようなフィクションという仮面の裏側だけだったのではないか。
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(終)
東方より入場ォォォッ!!
菊の御紋、その影より歩み来るは――
“沈黙の帝王学”を骨に刻んだ男ッ!!
笑う角度も、歩幅も、沈黙の秒数さえも、国民の視線に晒されてきた。
だがッ!!
それは檻ではない。
それは鍛錬であるッ!!
山を知る。魚を知る。
そして何より、退かぬ顔を知っているッ!!
菊門の継承者・アキシノォォォッ!!
続いて西欧より入場ォォォッ!!
王冠とは飾りか!?
否ッ!!
王冠とは、首にかけられた最古のウェイトトレーニングであるッ!!
幼き日に母を失い、
その拳は重くない。
だが、その一礼が重いッ!!
その視線は鋭くない。
だが、その沈黙が刺すッ!!
英国王室――
彼女は笑う。
軍服を着た。
訓練を受けた。
そして知った。
スウェーデン王室――
北冠の盾姫・ヴィクトリアァァァッ!!
イベリア半島より若き剣が入場ッ!!
その年齢、若い。
その歩み、静か。
彼女は祝福だけを受けて育ったのではない。
そのすべてを、制服の襟元に畳み込んできたッ!!
若さとは未熟ではない。
中東より、砂塵を裂いて来る男ッ!!
水を持たぬ者は倒れ、
覚悟を持たぬ者は名を失うッ!!
そのすべてを一つに束ね、
静かな目で闘技場を見下ろすッ!!
彼にとって地下闘技場とは何か!?
答えは簡単。
武器はない。
威圧もない。
筋肉の誇示もない。
だが観客席のざわめきが、なぜか一段、低くなるッ!!
すでに一つの地下闘技場を生き抜いているッ!!
戦わぬ者が弱いなど、誰が決めた!?
静謐こそ刃。
品位こそ構え。
今宵決まるッ!!
血統か。
軍歴か。
民意か。
沈黙か。
歴史か。
王冠とは何か。
継承とは何か。
そして――
デザフェスで物売りするために2ブース以上で参加してる奴が正直全員嫌い。
昨今の当選しづらくなった状況を考えると出展したくてもできない人間が大勢いるなかでハンズやロフト、量販店に行けば販売されている商品を広々と優雅に場所を使って売られてもシンプルに萎えるし空気読めないと感じてそれだけで人としてそこにいる作者が無理になる。
待機列を作って近隣に迷惑をかける奴、抽選整理券で購入できない人が出る規模で物売りしてる奴ももうそういう状況になるんだったら自ブランドにとって適した商流、販売方法を考えるべき時であってただ物を売ってお金を稼ぐために安直に人気のあるイベントに乗っかるフェーズは終わっただろうと側からは思う。
でもその状態を良いと判断したデザフェスはただの人集めが得意な物売りイベントでしかなくなって、それが嫌ならもう行かない方がいいってだけの話なんだろうな。
凄い雨なんですけどーって台風接近ってところ、
そうね、
子どもの頃は小銭を握りしめて1つ買ってわーい!ってなっていたけれど、
私は大人になったので
夢の1ケース買い!
子どもの頃1つ1つ買っていた頃が懐かしむと同時に、
パッケージを1つ開けてカードで沢村一樹さんじゃない方の一喜一憂しつつ、
メインのウエハースを食べるの。
だけど
それに伴ってウエハースも開封したての開けた瞬間の新鮮なままで食べた方がいいじゃない?
うわ!
私の服のポケットにNIKKEウエハース入ってた!って間違って洗濯一緒にしたものなら大変なことになるじゃない?
だから1開封1食べウエハースってリズムを刻みつつ生活に取り入れつつも、
だけど、
人間って1日にウエハースを2つ以上食べるととてもじゃないけれどオヤツの食べすぎになっちゃうので、
NIKKE本編のゲームなら軽ーく1回で10連ガチャ必勝必須なわけじゃない?
ウエハースになると10連ガチャ開封したら大変なことになるのよ。
そんないっぺんにウエハース食べられないし、
次いつか食べるか分からないタイミングのために洋服のポケットにウエハースを剥き出しのまましまっておくのもなんかポケットの中が大変なことになるし、
うーん、
ここはもどかしいけれど、
1日1NIKKEウエハースガチャは奇しくもそうなっちゃうのよね。
紅茶のお供にピッタリな、
カレーのルーが入っているアラジンのランプみたいなあの入れ物の名前と、
鶏の丸焼きが入っていて寸前まで何が入っているか分からなくしてパカーン!って開けるあのドーム型の鶏の丸焼きを入れる専用のフタの名前と、
英国の婦人が3時のおやつに紅茶のお供でお菓子を食べるときに鳥かごみたいなところに1段に数個のクッキーが入っているあのなんか鳥かごみたいなお菓子入れの名前。
あの鳥かごみたいなところに
私が開封したNIKKEウエハースのウエハースをそっとのせて並べて置いておけば、
でもあれってよくみたらというかよく思いだしたらというか思い出すほど実物を見たことがないイメージで勝手にしゃべっているけれど、
ウエハースを入れて並べたところで長期保存できなくね?ってことに気付いたのよね。
あれはその場で食べられる分のクッキーとかがおそらく搭載されている感じだと思うので、
あそこの場所でクッキーを保存しておくものではなさそうな感じのイメージなのよ。
だから
私が張り切ってNIKKEウエハースをぶんぶん腕を回して10連ガチャつまり10連続開封して
開封して剥き出しになったウエハースはその英国の紅茶のお茶会でお菓子が入っているあの名前の分からない鳥かごみたいなところに入れて保存はできないのよね。
つまりは、
あんだけ所望していたNIKKEウエハースは一度に箱単位で買うことができるというのに、
いっぺんに20枚のウエハースを食べられるとは限らないのよね。
そんで、
あと毎日毎日同じ味のウエハースを食べ続けるというのも修行に近い何かがあるような、
本編の方のNIKKEのデイリーミッションは毎日全然苦じゃないのに、
NIKKEウエハースを毎日開封して毎日食べるというこっちのデイリーミッションは毎日達成できていないという、
またしても大人ってなんと皮肉な構造になっているの?ってそう思うと同時に感じるの。
こんなにNIKKEが好きで遊ぶのも大好きなのに、
ウエハースを毎日食べるとなるとこんなにも修業だったとは!って。
こっちの方が重いデイリーミッションのチョコレートが重いのよね。
NIKKEの本編のゲームの方のデイリーミッションならよっぽどのことじゃない限り毎日頑張って楽しめているのに、
このNIKKEウエハースの毎日開封して1ウエハースを食べるというデイリーミッションに対しては虚空をむく白目になってしまうわ。
でもこれを乗り越えないと次のまた1箱NIKKEウエハースは買えないし、
つーか
買うことすらこのウエハースの重みを思ったらとてもじゃないけれどケース買いなんてできないわ!って。
子どもの頃駄菓子屋さんに小銭を手に握りしめてあんなに欲しかったNIKKEウエハースだったのに。
ってそう思うの。
でもさ、
逆に思ったの。
NIKKEの世界では食べ物が「パーフェクト」ってので供給されていて、
一応形や味はその素材を主にして変えられるみたいだけれど
基本「パーフェクト」なのよね。
毎日パーフェクトばかり食べている同じものを食べているアークの市民やニケたちの、
アークの食事をウエハースばかり毎日食べていて疑似体験させるかのようだわ。
きっと、
そんな魂胆があるこのNIKKEの食玩だと思うの。
そう思うとチョコウエハースだって美味しくいただかなくちゃ!って思うわけ。
でも、
私は当分1ケース食べ切っても次買うかはちょっとやめておこうかな、
でもいっぺんにたくさん食べようとするのが悪いのよね自分。
だから
3時のおやつに1つずつ食べられるようにしてみようかなって
そうすれば20日で完食よ!
気分を盛り上げるために
あのクッキーを入れる鳥かごみたいな英国のお茶会で登場するあの入れものが欲しくなっちゃったわ。
うふふ。
雨降っててお昼ランチ出るのも面倒くさいなぁって、
ランチ分もなにかおにぎりかサンドイッチを買おうかと思ったけど、
お昼はお昼の気分になったときに任せましょう!ってことで
ランチは気の向くままにって感じね。
雨早くやんで欲しいわ。
昨日作って置いておいた分完成の今朝ゴクゴク飲んでキマったわ!
蒸し暑い一日になるかも。
飲んで出発よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
『平等』
舞台: 明治16年、慶應義塾の書斎。福沢諭吉が『学問のすゝめ』の改訂に取り組んでいる夜更け。
悪魔:(突然、洋灯の影から現れ、西洋風の礼装で一礼)「福沢諭吉先生。あなたの『天は人の上に人を造らず』という言葉、実に見事です」
福沢:(眼鏡を押し上げ、冷静に観察)「おや、随分と物々しいお方が訪ねてこられた。どうやら普通の客人ではなさそうだな」
悪魔:「ええ、私は…『平等』という概念の普及によって、利益を得る日本の悪魔です。今回、あなたに特にお礼を言いに参りました」
福沢:「ほう? わしが平等を説くことで、悪魔が喜ぶとはこれ如何に」
悪魔:(優雅に椅子に座りながら)「あなたの言葉は確かに人々を鼓舞しました。しかし同時に、最も巧妙な『罠』を仕掛けたのです」
悪魔は掌をかざすと、そこに現代日本の光景が浮かび上がる——受験戦争、就活の敗者、SNS上の妬みと劣等感…
悪魔:「見てください。『平等』を信じれば信じるほど、人々はわずかな格差に敏感になり、他人との比較に苦しむ。あなたが与えた『平等の幻想』が、かえって人々の心に深い不公平感を植え付けたのです」
福沢:「違うな。わしは『法の下の平等』と『機会の平等』を説いた。結果の平等など、夢物語だと知っている」
悪魔:「それです! まさにそこが素晴らしい。あなたは『機会の平等』を説くことで、すべての失敗を『自己責任』に帰着させる装置を作り上げた。失敗者は社会を恨むのでなく、自分を責め続ける——これ以上に効率的な苦悩の製造装置がありますか?」
福沢:(机を叩いて)「迂闊なことを! わしが求めたのは『独立自尊』の精神だ。他者との比較ではなく、自己の成長を——」
悪魔:(遮って)「しかし現実は? 学歴、収入、容姿——あらゆるものが序列化され、人々はあなたの言葉を盾に『努力不足』と自己嫌悪に陥る。最も残酷なのは、『平等であるべき』という理想と、『明らかに不平等な現実』のギャップなのです」
悪魔:「江戸時代、身分は固定されていましたが、人々は比較の範囲が限られていた。あなたが『平等』を説いたおかげで、誰もが無限の比較対象を持つ地獄に放り込まれた——これこそ私の最高の芸術作品です」
福沢:(静かに、しかし力強く)「聞け、悪魔よ。お前の論理には重大な誤りがある。確かに平等は苦悩をもたらすかもしれぬ。しかし、それは成長の苦悩だ。身分制度の下で蠢くより、苦しみながらも上を目指す方が、人間らしい生き方ではないか」
悪魔:(嘲笑して)「では質問を。あなたの愛する日本で、『平等』の名の下に、かえって新たなエリート階級が生まれ、学歴エリートが庶民を見下す構造ができあがった。これも『独立自尊』の成果ですか?」
福沢:「……それも一理ある。しかし、わしは諦めん。教育こそが、真の平等への道だ」
悪魔:(立ち上がり、深々とお辞儀)「そのお考えこそが、永遠の苦悩を保証するのです。あなたが教育を重視すればするほど、人々は『教育格差』に敏感になり、さらに深い苦しみが生まれる——まさに悪循環の始まりです」
悪魔は次第に影の中に消えていく。
悪魔:「福沢先生、あなたの掲げた『平等』という理想は、人類に永遠の不満と苦悩を与えてくれました。これ以上に価値ある貢献がありましょうか? 心から感謝申し上げます」
悪魔が消えた後、机の上には初版の『学問のすゝめ』が置かれていた。ページは「天は人の上に人を造らず」の箇所で開かれている。
福沢諭吉:
「たとえ悪魔の言う通りだとしても……人間が上を目指して苦しむ権利を、誰が奪えようか? 平等は確かに幻想かもしれぬ。しかし、その幻想を追い求めることが……人間なのである」
当時は自分が就職活動中だったから、その手のツイート?ポスト?が多いんだけど無職・非正規の人達はなんかこう危機感なさすぎだろ
仕事見つけなきゃな…でも見つけてません…みたいなつぶやきが多いけど、自分からしたら「実家が太いのか貯金食い潰して生きてんのかな。のんきでいいな」としか思えない
そら前職がブラックだったのは同情するけど、こっちも残業100時間やってメンタルの病気患って短期離職して、貯金も無い失業保険出るか微妙なラインで必死こいて就活してまた正社員やってんのよ
効いてるのかよく分からねえ薬飲みながら面接嫌だなって思いながら毎日1件~2件は面接して、土日は求人見て大体15件は応募してたわけ。そうすりゃ翌週も1社~3社ぐらいは書類選考通るから日程調整して面接入れんのよ
通院する日は空けておいて、毎週金勘定しながら一日600円ぐらいで過ごしてたのよ。30代未経験で書類選考60社落ちましたってこちとら資格アリ経験アリの職種で200社は落ちてるぞ
エージェントだって使ってたし自分で求人応募だってしてた。生活費苦しくてリボ払いでやりくりしながら交通費も捻出して、場合によってはサラ金とか親兄弟にも金借りる算段までしてた
こいつら本当に当時の自分と同じ状況にはとてもじゃないけど見えない。まあSNSなんて必死さを投稿するもんでもないから一部だけなのかもしれないけど
「ろくろを回すポーズ」は、インタビューなどで語られる抽象的なアイデアを具体的に表現しようとするジェスチャーである一方、実際の陶芸では、回転する粘土の芯をとらえながら両手の力加減で緻密に成形していく、非常に繊細で力強い力学的な作業を指します。
ポーズとしての「ろくろ回し」用途と意味: 主にビジネスやIT業界のインタビュー写真などで見られるジェスチャー(ネットスラングで「エアろくろ」とも呼ばれます)。ビジョンや構想など、形のないものを両手で包み込んで具体化している様子を演出する際によく使われます。
手の動き: 両手のひらを適度な間隔で向き合わせ、何かを包み込むような形を作ります。多くの場合、リラックスした表情や語りかけるようなニュアンスが伴います。
実際の動作としての「ろくろ」手の位置と姿勢: 実際の陶芸では、両手の親指以外の指を揃え、しっかり固定した状態で粘土を挟み込みます。粘土の中心がずれないように力を均等にかけるため、肘を太ももや脇腹に固定して全身で支えるのが基本です。
力の入れ方: 遠心力に負けないように、両手の筋肉をフル活用して粘土を押し上げたり広げたりします。ポーズのように空中で優雅にふんわりと動かすのとは異なり、非常に強い力や絶妙な力加減が求められます。
このように、ポーズは「空中で優しく何かを形作っているように見せる」のに対し、実際の動作は「回転する粘土の芯をブレずに固定し、押し上げる」という全く異なるアプローチになっています。
エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(The History of the Decline and Fall of the Roman Empire)第34章には、アッティラとフン族の容姿描写がある。現代基準だとヤバい発言だが、18世紀のヨーロッパ人視点を知る上では貴重な記録だ。以下引用抜粋する。
• 「現代のカルムック人(Calmuck=モンゴル系遊牧民)の本物の不具(genuine deformity)」と明言。
• flat nose(平たい鼻)、swarthy(暗黒の・浅黒い) complexion、埋まった小さな目、髭がほとんどない点などを強調し、黄色人種的特徴を「deformity(不具・変形)」 として強く否定的に書いている。
アッティラの肖像は、現代のカルムック人の本物の不具(genuine deformity) をそのまま体現していた。大きな頭、浅黒い肌、奥深く落ちくぼんだ小さな目、平たい鼻、髭の代わりに数本の毛だけ生えた顔、広い肩、そして神経質な強靭さはあるものの不均衡で歪んだ体躯 であった。」
• フン族を「人間種から区別される」存在として描写。flat noses と髭の少なさ(東アジア系特徴)を、若さの優雅さや老年の威厳を欠く 欠点として挙げている。
• また「shrill voice, uncouth gestures, and the strange deformity of the Huns」と、声・動作・全体的な不具を合わせて「奇怪な変形」と表現。
「彼らは人間の他の種族とはっきり区別される存在だった。広い肩、平たい鼻、頭の奥深く埋もれた小さな黒い目、そしてほとんど髭が生えないため、若者の男らしい優雅さも、老年の威厳ある風貌も、一切持ち合わせていなかった。こうした現実の恐怖に加えて、甲高い声、粗野でぎこちない動作、そしてフン族の奇怪な不具(strange deformity) が、人々に驚愕と強い嫌悪 を掻き立てた。」
ギボンはフン族を中国史の匈奴と関連づけ、「Tartars are an ugly and even deformed race(タタール人は醜く、変形した人種)」 と表現する部分もある(中国の貢女制度を語る文脈で)。
これらの記述は、黄色人種的特徴(平たい顔・鼻、浅黒い肌、埋まった目、髭の薄さ)を「deformity」「ugly」として文明(ヨーロッパ・白人)側から見た「他者性・脅威」の象徴 にしている。
「タタール人は醜く、さらには変形した人種である。彼らは自らの女たちを単なる家事労働の道具とみなしており、その欲望——いや、むしろ食欲——は、より優美で洗練された美しさに向けられていた。中国から選りすぐった最も美しい乙女たちが、毎年、フン族の粗野で野蛮な抱擁 に捧げられたのだ。」
• フン族を「savage destroyer(野蛮な破壊者)」「terrors of the world(世界の恐怖)」「formidable barbarian(恐るべき蛮族)」と繰り返し呼ぶ。
• 混血(アラン人など)で「swarthy complexions を白く改善」したと書くことで、純粋なタタール的特徴を暗に劣位に置いている。
遊牧モンゴロイド系を「醜悪・不具・粗野・恐怖」の象徴として強調しつつ、中国定住文明は尊重する。また、フン族をモンゴル(Moguls/Tartars)の先駆け的な存在として扱い、両者を遊牧蛮族の典型として並べて論じている。モンゴルの方が規模が大きかったと認識しつつ、フン族も同等の「文明の敵」としての破壊力を持っていたと見なしている。
この春から同棲を始めたんだけど彼女のシャワー時間が長過ぎな気がする。
俺にはこれが正直長過ぎると思ってる。
(たまのスペシャルケアな日とかに時間がかかるのは分かるけど毎日は長いだろって)
俺の感覚だと洗髪5分、トリートメント5分、化粧落としと洗顔3分、身体5分で20分くらいで終わるだろうって感じ。
そこから脱衣所の脱ぎ着加味しても30分あれば十分じゃないのか?何してんのそんなに。
(トリートメントの置く時間に体洗ったりもできるだろうしもっと短くてもいいと思う。)
彼女のシャワー中に帰宅した俺が夕食の準備やその他諸々をやってる。
そして今はテーブルに食事を並べて彼女のドライヤー終わりを待ってる。
つまり彼女は俺よりも先に帰宅して優雅にシャワーを浴び終わったらご飯の準備が終わってるって状況。
欧陽菲菲、ジュディ・オング、テレサ・テンは、いずれも1970年代~80年代の日本歌謡界を席巻したアジア出身の歌姫です。出身地や音楽性、日本での活躍のスタイルに明確な違いがあります。1. 欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)出身地: 台湾(中華民国)特徴・代表曲: 圧倒的な歌唱力とソウルフルな歌声、激しいステージアクションが持ち味。『雨の御堂筋』や『ラヴ・イズ・オーヴァー』などの大ヒット曲で知られ、日本の音楽シーンに外国人歌手として新たなスタイルを確立しました。2. ジュディ・オング出身地: 台湾(中華民国)特徴・代表曲: 台湾生まれ、日本育ちで、歌手だけでなく女優や版画家としてもマルチに活躍しています。最大のヒット曲『魅せられて』は、エスニックな衣装と優雅な振り付けで一世を風靡しました。3. テレサ・テン出身地: 台湾(中華民国)特徴・代表曲: 透明感のある歌声と優れた表現力で「アジアの歌姫」と称されました。『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』など、切ない女心を歌った「アジア歌謡」を多数ヒットさせ、日本のみならず中華圏でも絶大な人気を誇りました。
もうじき生後3ヶ月を迎えようとする元気な大きめの男児の新米ママである。
息子は生後2ヶ月をすぎた頃から、この世界の様々なものに興味を持つようになった。
キョロキョロと色々なところを眺めている様がとても愛らしい。
最近はもっぱら天使のように可憐で女神のように美しいこの私(ママ)に夢中だ。
ミルクを飲んでいても、私の美しさにかまけて笑みをこぼし、そして口からミルクもこぼす。
私の美しさに抗えず一度の哺乳量がかなり減ってしまって頻回になってしまったためミルク中にガーゼで優しく視界を隠してみたが、
途中で美が足りん!麗しの母上の顔を見せたまえ!とお怒りになってしまってダメだった。
諦めて本人のペースに合わせてミルクをあげることにした。
そうすると私は飯が食えんのよ…
ミルク後は1人で楽しく私によく似た美声の発声練習をしている。
発声練習を続けていると楽しくなりすぎて泣き出すので、ここでこの私、聖母の出番だ。
抱っこをして、イヤホンで音楽を聴きつつ、音楽に合わせて激しくなりすぎないように軽くステップを踏んで踊る。
15分ほど踊り狂ったあとは息子はお昼寝。
私も束の間の休憩だ。
急いでご飯をかきこみ、洗濯をまわし、あまつさえ晩御飯の支度までしてしまうのだから私は素晴らしく立派で、自分に感服だ。
えらい。えらすぎる。もうこれ以上ないくらいえらい。
で、私はいつ休憩できるんだ?
そんなこんなをしていると、また息子は麗しの母上の顔が見たい!あわよくばミルクも欲しい!と泣く。
ミルクを作り、流れるような華麗なステップを踏みながらミルクコールをしながらお届けに上がる。
そしてまた息子は美声を披露するのだが、少し見守っているとなんだかにおう。
におう、におうぞ。
意を決してオムツを開けると、息子はいつの間にか花を摘んでいる。
うんこしたら泣いてお知らせして欲しいな…
そして気がつくと愛しのダーリンが颯爽と風のように帰ってきている。
なぜなら私は既に愛しのダーリンのために世界一(手抜き)と言われたこの腕によりをかけて愛情たっぷり、油こってりの晩御飯を支度しているのだから。
これはもう盛大に褒め散らかされてお小遣いをもらって優雅にカフェでコーヒーを飲んじゃっても許されるくらいの功績だ。
そんなことを思いながら、おかずを皿に盛り、味噌汁をつぎ、私はここで重大なことに気がつく。
ご飯炊くの忘れた。
都内在住の独身で年収は900万円だけど、確かに生活に困るということは無いにせよ別に高給取りで優雅な生活をしているというつもりは全くない。
普通にスーパーで安い食材を買ってきて食べてるし、住んでいる部屋だって家賃は安い。というか最近の物価上昇は本当に家計に直撃していて資産なんて全然貯まらない。
次の給与改定のタイミングで1000万に到達しなかったら転職も考えているぐらいには、この給料じゃ自分の思う普通の人生には足りないと思っている。
一方で年収400万でもそこそこ、500万や600万貰えれば上位クラスみたいな扱いのネット記事も多くて、いやそれでどんな生活してるんだろうと思ってしまう。
まともにご飯食べられるのか?外食の選択肢があるのか?休みの日にちょっと電車に乗って遊びに行くなんてことさえ難しいんじゃないか?
なんかもう日本って本当に貧乏なんだなと思う。普通に働いていれば普通に食べたいものが食べられて外食したい時に出来て、思い立ったら週末にふらっと小旅行出来る、それぐらいは当たり前であって初めて先進国だと思うんだけどなぁ。
15時51分。ひさしぶりに少し遠くの森林公園に来た。360度見渡す限り緑だらけで、さすが森林公園という感じだ。ウグイスさんがまだ鳴いている。
湿生樹林ゾーンはどの池も濁っていた。水面には油の膜が張っていてこれじゃあカルガモさんも入りたがらないだろうなと思った。なんでこんなに汚いんだろう?数年前はカルガモさんが優雅に浮かぶくらい澄んでいた気がするんだが。アメリカザリガニのせいか?
広場の池はまだマシで、大きいカルガモさんと小さいカルガモさんが一羽ずつ浮かんでいた。
小さいほうは嘴を後ろにして胴体にうずめるようなかわいい姿勢をしていた。これはカルガモさんがよくやる休息のポーズだ。
大きいほうは胸のあたりを念入りに羽づくろいしていた。嘴で羽をぐりぐりするたびにカルガモさんを中心とした波紋が広がり、なんだかいい感じの絵画に出てきそうな風景だった。
使用されたモデルとプロンプト、テーマを逆算してください。理由も答えてください。
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火曜日の朝は、いつも鋭角な匂いがする。しかし、アーチボルド・ペルニッケル氏にとって、そのような些細な幾何学は問題ではなかった。彼の手には、祖父から受け継いだ純銀製の、見事な装飾が施されたバターナイフが握られていたからだ。
午前七時ちょうど、真鍮製の目覚まし時計がジリリリリと暴力的な金属音を部屋中に撒き散らした。通常の人間であれば、頂部のボタンを叩いてその騒動を鎮めるだろう。しかしペルニッケル氏は、手にしたバターナイフを優雅に宙で翻すと、空中に震えるその「音の波」をすくい取った。
「ずいぶんとダマになっているな。これでは胃にもたれる」
彼は呟きながら、ベッドサイドに置かれたトーストの表面に、けたたましいアラーム音を均等に塗り広げていった。彼がバターナイフを握っている限り、この世のあらゆる事象——騒音、哀しみ、あるいは重力さえも——は、平らに塗り伸ばされるべき「ペースト」に過ぎなかった。刃先が滑るたびに、ジリリリという音は徐々にマイルドなハミングへと変わり、最後には完全にパンの気孔の中へと吸収された。
ペルニッケル氏がこの日、音を塗り広げるというアプローチに絶対の自信を持っていたのには、明確かつ(彼にとっては)科学的な理由があった。というのも、つい三十分ほど前、彼は洗面所で「赤い水玉模様の靴下が、完全に裏返っている」という驚くべき現象を目撃したばかりだったのだ。靴下が裏返るということは、世界の裏地が表に出ているということである。今朝の世界は裏返っている。裏返っているのだから、通常は耳で聞くべき音は、舌で味わうべきものへと変換されているはずだ。この直近の鮮烈な記憶は、彼の脳内で圧倒的な統計的優位性を獲得し、他のあらゆる過去の経験や物理法則を瞬時に駆逐していた。
「靴下が裏返っていたのだ。音をパンに塗るのは当然の帰結である」
彼は音の塗られたトーストを一口かじり、カリッという食感とともに午前七時の響きを胃袋へと流し込んだ。
身支度を整え、山高帽を被ったペルニッケル氏は、右手に純銀のバターナイフをステッキ代わりに握りしめ、霧の立ち込める石畳の街へと足を踏み出した。
街は奇妙な活気に満ちていたが、彼の目にはすべてが巨大な朝食のテーブルに見えた。道の向こうから、郵便配達員のモリスが、車輪のついた巨大な皮鞄を引きずりながらやってきた。モリスはひどく困惑した顔で、角の郵便ポストと格闘していた。
「おはようございます、ペルニッケルさん。どうにもこのポストの口が固く閉ざされていましてね。手紙がちっとも入らないのです」
ペルニッケル氏は歩み寄り、赤い鉄の塊を鼻先で検分した。彼の手の中で、純銀のバターナイフが微かに冷たい光を放った。
「モリス君、君は物事の本質を見誤っている。これはポストの口が閉じているのではない。単に、このポストがまだ『冷え切った固いバター』のままであるというだけのことだ。冷たいバターにナイフを立てようとすれば、反発されるのは道理だろう?」
「はあ……バター、ですか?」
モリスが目を白黒させるのをよそに、ペルニッケル氏は真顔で頷いた。そして、なぜ自分がそう確信しているのか、その揺るぎない論理を開陳した。
「考えてもみたまえ。私が家を出る直前、玄関のドアノブがいつもより三度(さんど)ほど冷たかったのだ。直近で確認された最も強烈な事実が『冷たい』なのだから、世界中のあらゆる問題の原因は『冷えによる硬化』に起因していると判断するのが、最も理にかなった確率的推論というものだ。ドアノブが冷たいのだから、ポストも冷たい。疑う余地はない」
ペルニッケル氏はバターナイフの腹をポストの赤い塗装にピタリと当てると、手首のスナップを利かせて、ポストの表面を「削ぐ」ような動作をした。銀の刃が虚空を滑る。すると、物理的な接触は一切ないにもかかわらず、ポストの口はあたかも室温で溶け出したかのように、だらしなく半開きになった。
「ほら見給え。少し削いで、常温に馴染ませてやった。これで手紙という名のジャムを詰め込めるだろう」
「あ、ありがとうございます……?」
混乱の極みにあるモリスを残し、ペルニッケル氏は意気揚々と歩みを進めた。彼にとって、手にした銀の刃は万物を切り開き、ならし、滑らかにする唯一絶対の哲学であった。
広場に出ると、空模様が怪しくなってきた。灰色の重たい雲が、街の煙突を押し潰さんばかりに低く垂れ込めている。道行く人々は傘を準備し、足早に家路を急ごうとしていた。
「なんという不手際だ。空の表面がひどく焦げているではないか。これでは太陽の光が塗れない」
彼はバターナイフを天に向けて高く掲げた。彼にとって、あの黒雲は天候の悪化ではなく、明らかに「焼きすぎたトーストの焦げ目」であった。
どうやってあの焦げ目を落とすべきか? 彼は再び、自らの最新の記憶の引き出しを乱暴に開け放った。そこには、つい先ほど遭遇した「半開きの郵便ポスト」の記憶が、まばゆいばかりの鮮度で鎮座していた。
「そうだ。つい先ほど、ポストは削ぐことで開いた。直近の成功体験によれば、問題は『削ぐ』ことで劇的に解決する。過去千回の雨降りの記憶などどうでもいい。最も新しく、最も強烈な成功こそが、この宇宙の最新のルールなのだ!」
彼は背伸びをし、空に向かってバターナイフを力強く滑らせた。ジョリッ、ジョリッという、巨大な乾パンを削るような音が大気を震わせた。見えない刃が雲の腹を削ぎ落とすと、削りカスとなった灰色の雲が、ボロボロと粉雪のように石畳へと降り注いだ。焦げ目を削ぎ落とされた空の裂け目からは、バターのように濃厚で黄色い陽光が、とろりと街へ滴り落ちた。
「完璧だ。実に滑らかな空になった」
その時、広場のベンチからすすり泣く声が聞こえた。見ると、隣人のマダム・ポルカドットが、両手で頭を抱えて震えている。彼女の足元には、形を持たない半透明の青いゼリーのような塊が、ぶよぶよと不気味に脈打っていた。
「ああ、ペルニッケル氏! 助けてくださいな。私、『火曜日』を落としてしまったのです。落とした拍子に、火曜日がこんなに膨れ上がって、私の足首に絡みついて離れないのです。これでは水曜日に行けませんわ!」
マダム・ポルカドットの足元で蠢くそれは、曜日の概念が実体化したような、非常に厄介で哲学的な代物だった。普通の人間であれば、神父を呼ぶか、精神科医に駆け込む場面である。
しかし、ペルニッケル氏の目は冷静だった。彼は右手のバターナイフの重みを確認し、左手で顎を撫でた。
「なるほど。火曜日が膨張していると。マダム、落ち着き給え。これは全くもって単純な現象だ」
彼は青いゼリー状の『火曜日』に近づいた。道具を持った彼にとって、この不定形の概念もまた、処理されるべき巨大な「食料の塊」に過ぎない。
「なぜ火曜日がこのようにぶよぶよと膨張しているのか? 理由は火を見るより明らかだ。つい一分前、私は空の焦げ目を削ぎ落とした。削ぎ落とされた空は軽くなり、光が満ちた。つまり現在の世界において『削ぎ落とされたもの』と『満ちるもの』は等価なのだ。この最新のデータに基づけば、あなたの火曜日は、空から削ぎ落とされた重力を吸収して膨らんだパン生地に他ならない」
彼の論理は、直近の自らの行動という極小のサンプルのみを根拠として、壮大かつ狂気的な三段論法を構築していた。
ペルニッケル氏は純銀のバターナイフを高く振り上げると、ぶよぶよと膨らむ『火曜日』の中心に深々と突き立てた。そして、手際よく、それを均等な厚さのスライスに切り分け始めた。
「一切れはあなたのポケットへ。一切れは私の帽子の中へ。残りは野良犬の腹の中へ。こうして切り分けて塗ってしまえば、火曜日などというものは、あっという間に消費されてしまうものです」
ナイフが滑るたびに、巨大だった『火曜日』は薄っぺらな青いスライスとなり、やがて空気中へとシュワシュワと溶けて消えていった。足首を解放されたマダム・ポルカドットは、歓喜の声を上げて水曜日の方角(広場の東側)へと駆けていった。
ペルニッケル氏は深く息を吐き、純銀のバターナイフを胸のポケットに丁寧にしまった。
世界は今日も、彼のナイフによって完璧に塗られ、削がれ、切り分けられた。すべての謎は、今朝の靴下と、さっきのポストと、少し前の空の記憶によって、寸分の狂いもなく説明づけられた。彼の心には、一片の疑いもなかった。
帰宅したペルニッケル氏は、夕食のスープを飲み干すと、ふとテーブルの隅に置かれた「真鍮製の巨大な漏斗(じょうご)」に目を留めた。彼はそれを手に取り、じっと見つめた。
「なんと美しいフォルムだろうか。これさえあれば、広すぎる世界も、散らかった思考も、すべて一つの穴に注ぎ込むことができるに違いない」
彼は漏斗を枕元に置き、ベッドに入った。眠りに落ちる直前、窓の外を一羽の巨大な紫色の蛾が横切った。蛾の羽ばたきは、パタパタというよりも、ズズズという重低音だった。
「なるほど」と、ペルニッケル氏は微睡みの中で確信した。「紫色のものが重低音を出すということは、明日の世界はすべて、狭い場所へ注ぎ込まれることで低く唸るのだな。すべてが繋がったぞ」
彼は真鍮の漏斗を抱きしめ、滑らかで、切り分けられた夜の中へと深く沈んでいった。明日は間違いなく、すべてを注ぎ込むための完璧な水曜日になるはずであった。