はてなキーワード: 不定とは
「近所に駄菓子屋があるんですが、
そこで買ったスーパーボールをうちの車にぶつけて遊んでいる子供がいたそうです。」
また、お前が推測してるんではなく妻から報告されてる(伝聞)んだから、
ようですよりそうですが適切。
「妻が見つけてその子供に注意し、駄菓子屋にも文句を言ったそうです。」
ガキの行動を窘めればしまいの話なのにスーパーボール自体を問題視する
お前の嫁は頭が悪そう。
駄菓子屋の店主は市外の人で不定期で開いていて子供が集まって飛び出したりして危険です。ゴミも散らかります。近くに公園があります。
オブラートに包まず言うとこれは健常者かどうかギリギリのラインの国語力だ。
意味がわからないほどではないとはいえ、この短いエントリでほぼ全段落で壊れているので
成人並みの作文能力は無いとみなせる。
国語力というより物事を頭の中で整理する力自体が弱いように見える。
一応意見を求めてるので応えておくと
お前が駄菓子屋を気に入らないのはわかったが理由はどれも不確かだし弱い
という感じ。
FBIの人質事件担当のケイトはある日、いつものように事件を解決しようと一軒家に踏み込みなんだかんだあって制圧するも壁の中や床下から大量の遺体が発見される。その後、謎のサンダル男からその家は麻薬カルテル絡みでその捜査にアサインしたいと言われ了承する。サンダル男が連れてきた謎のメキシコ人のアレハンドロとともに世界で2番目に危険な街、フアレスに乗り込むケイト達。現世での地獄めぐりの旅が今始まる。
まずタイトルだけど、これけっこういいなって思ってて。原題は「SICARIO」で冒頭で「シカリオとは……」という説明が入る。原題を知らないと「え?何の話?」ってなると思うんだけど、理由は後で述べるけどこれはこれでオッケー。
ボーダーラインってタイトルも絶妙で、善と悪の境界線みたいな感じで付けたんだろうけど、ケイトは基本的に常に善の人であり、今作では常にボーダーラインのかなりこちら側にいる人間であり、サンダル男はその線を引く係で、アレハンドロは常に向こう側にいる。そしてここは一切交わることがない。
そして話としてはボーダーラインを引く側と向こう側の2人が常に主導権を握っており、ボーダーラインのこちら側にいるケイトと私たち観客は「え?これどうなってんの?」と映画開始から1時間半くらいの間ずっと振り回されることになる。
FBIという危険と隣り合わせながらアメリカ国内という"安全地帯"にいるという意味ではケイトと我々は同じ立場であり、そんなケイトの常軌を逸するような治安がオワり散らかしているメキシコの現実を見せつけられ、ケイトと同じように「なんなのこの街……」と呟くことになる。
このメキシコ侵入する時の描写がよくてねぇ。Cities: Skylinesで作られたかのような放射状に延びる道路に整然と並ぶ家々とその外の荒涼とした砂漠、国境を境にボコボコのオフロードとアスファルトで整備された道路、パンパンに渋滞しているアメリカへ向かう道路と快適なメキシコへ向かう道路。みたいに対比が効いている絵が続く。
そしてメキシコに入るとメキシコ警察の武装車両に警護されながら銃声が不定期で響き渡り、首や腕が切断された死体が吊るされた風景をサファリパークよろしく通り抜けていく。音楽も不安と高揚感を盛り上げてくる。あ、この映画、音楽と音響めっちゃいい。そしてうっかり渋滞につかまってしまい、ジリジリと近づいてくる不審車両。そして虐殺。
作中のケイトと同じく高い緊張感の持続と何がどうなっているのかさっぱりわからない困惑と不安をたっぷり味わえる。
その一方でケイトがいない場所でサンダル男とアレハンドロによる明らかな違法な捜査が進められ、その中で少しずつアレハンドロが何者なのかが明らかになっていく。
で、まぁサンダル男は実はCIAで今回の捜査は麻薬カルテルの撲滅ではなく、元々CIAと組んでアメリカ国内の麻薬の流入量などを調整していた組織の縮小後にのしてきたその組に"わからせ"をしてコントロール下に収める作戦だったことがわかり、アレハンドロは今回ターゲットにしているカルテルに妻子を殺されたCIAと組んでいる麻薬カルテル側の人間だったことがわかる。
彼らはケイトや私たちが考えるような"アメリカの平和"には全く興味のない、それぞれの利害のためだけに動く存在だったことが分かり、また、彼らがケイトを巻き込んだのは単に「FBIがいないと国内での作戦が遂行できない」からだったとわかる。
そして国内の作戦が終わり、話がメキシコ国内に完全に映った瞬間、用済みになったケイトは物語からパージされる。メキシコ行きのトンネルの先でアレハンドロに(防弾チョッキの上から)撃たれ「お前は来た道を戻って帰れ」と言われ、そこから話はアレハンドロの目線に完全に移行する。
彼はトンネルの先で汚職警官を捕まえ、パトカーに乗ってメキシコに逃げ込んでいたカルテルのアメリカ支店長をぶっ殺し、妻子の仇であり今回のホンボシであるナンバー3の家に乗り込む。ここの音響がめっちゃ良くて、ここだけ明らかにサイレンサ―の音や人が倒れる音がめっちゃ響くんよ。夜中の適地って緊迫シチュエーションも相まってドキっとする。
ナンバー3は家族と食事中で、彼の妻子を横目に彼とアレハンドロは話し合う。
お前は妻を殺し娘を殺したと詰めるアレハンドロに対してナンバー3は「今のお前の姿を妻はどう思う」と反論し、アレハンドロは「娘を忘れるな」と返す。「娘か」と一瞬考えた後ナンバー3は一言「it wasn’t personal.」と告げ、アレハンドロは「it was to me」と返し、妻子を撃ち殺しそれを見送ったナンバー3を撃ち殺す。
私たちがケイトとともに追いかけてきた全貌の見えない大きな事件はアレハンドロのpersonalな事件であり、この映画の主人公がアレハンドロであったことをここで思い知ることになる。うおおおおお。
そして妻や娘に似ていると語っていたケイトの元に戻り彼女に「今回の捜査で違法なことは何もなかった」という書類にサインをさせる。最初は拒む彼女だったが頭に銃を突き付けられ涙を流しながらサインをする。この瞬間に彼女はボーダーラインを越えてしまったといえる。が、アレハンドロは「ここは狼の町だ、羊にはふさわしくない。お前は治安の残っている場所に帰れ」と告げる。
そしてアレハンドロは消え、メキシコでは銃声が響き続け、画面には「SICARIO」と表示されこれはSICARIO=暗殺者=アレハンドロの映画だったと宣言され映画が終わる。これ絶対知らん方が面白いよなぁ。アメリカ人は最初からSICARIO=暗殺者って情報知って見たんだと思うとこの映画の面白さの9%くらい棄損してると思う。
まぁそんな感じかな。
FBIの女性捜査官が主人公でメキシコ麻薬戦争に立ち向かっていく!みたいなテンションで見始めたらずーっと現場にいるのに蚊帳の外で何が起こってるんや……と振り回され続け、最終的にいやお前の映画じゃなかったんかい!ってなるのをどう捉えるかっていう問題はあるとはいえ、緊張感が持続する展開と最後の哀愁を含めいい映画だなーって思いました。
辺野古の死傷事故が単なる事故で終わるか、それとも別の事件が隠れていないかってのは捜査されるべきである。
抗議船が旅客不定期航路事業の事業者として許可を受けているか、あるいは事業者に当たらないかというのは重大な事柄である。
陸の話で言えばタクシーの事業者許可を受けずに客を乗せていたんじゃないかという話である。
ボランティアか事業者かというのを分けるのには「業として行う」という概念がある。
法律ごとにこの定義は変わることもあるが、だいたいは「金銭の授受に関わらず、不特定多数の人間を対象として反復継続して行う」というのがある。
要は「無許可で事業を行っている期間はどれほどか」「どのくらいの回数、不特定の人を乗せていたか」が事件性のあるものかないものかを分けるのである。(修学旅行の学生を複数年乗せてたことでほぼクロなのだがどの程度悪質かというのも量刑の程度を決めるのに必要である)
で、あれば議員の乗船も誰を何時乗せてたかも事件性の捜査に必要な情報だし、議員の関係も必要な情報である。例えば政党と協議会がほぼ一体の組織であり、不特定の人間に当たらないのでは議員を乗船させたことは業とは見なされないが、仲の良い別組織として何度も乗船させたなら無償であろうが業として行っているとみなされる可能性がある。
また、反対協の活動の取材で乗船させたなら業ではないが、辺野古基地の現状を取材させるために乗船させたなら業として行っているみなされる可能性がある。
仮に捜査機関に政治目的があろうとも、修学旅行の高校生を乗船させて死傷させたことが悪質業者による事件なのか、それとも法に無知なボランティアが起こした事故なのか、どちらの側面が大きいかを測る証拠として重要なことである。
平成12年12月に東京都世田谷区上祖師谷の住宅で、宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件の現場に金品を盗む目的で侵入したとして、警視庁捜査3課は、窃盗未遂と邸宅侵入の疑いで、ベトナム国籍の男2人を再逮捕した。2人は容疑を認めており、「空き家だと思った。生活の足しにするためだった」などと供述しているという。
再逮捕されたのは、住所不定、建設作業員のルオン・ヴァン・ハイ被告(32)=入管難民法違反(不法残留)罪で起訴=と調布市国領町の建設作業員、グエン・マイン・フン被告(28)=同=。2人は同居していた時期もあり、同じ日雇いの仕事をしていたという。
捜査3課によると、昨年12月13日、捜査1課員が現場住宅を訪れた際に、1階の窓ガラスが割れているのを見つけた。今年3月、ルオン容疑者が練馬区内の地下鉄の駅にいたところを練馬署員が職務質問し、不法残留の容疑で現行犯逮捕した。その後の捜査で窃盗未遂事件への関与が浮上し、認めたという。グエン容疑者も4月に不法在留の疑いで逮捕され、事件への関与が明らかになった。
逮捕容疑は、令和5年9月~7年12月中旬ごろまでの間、東京都世田谷区の空き家に窓ガラスを割って侵入し、金品を盗もうとしたとしている。
呪われろボゲ
電話が鳴ったのは、日曜の昼下がりだった。
二十三年ぶりの声だった。母が泣きながら離婚届を書いていた夜のことは、もうほとんど思い出せない。覚えているのは、父の背中がやけに緑っぽかったことだけだ。当時は蛍光灯のせいだと思っていた。
「……父さん? どこにいるの」
「屋上」
驚いてベランダから見上げると、隣のマンションの屋上に、全身が深い緑色をした男が立っていた。Tシャツと短パン姿で、両腕を広げて空を仰いでいる。その肌は、新緑というよりも、もっと真剣な緑だった。光合成に最適化された緑。
「降りてきてよ」
「いや、今ちょうど日が当たってるから。あと二時間くらいで満腹になる」
父はそう言って電話を切った。
二時間後、父はうちのリビングにいた。麦茶を出したが、手をつけない。
「水は根から吸うんだ」と父は言った。靴下を脱ぐと、足の裏から細い根のようなものが何本も伸びていた。父はそれをフローリングの溝に丁寧に差し込んだ。
父の話を要約すると、こうなる。家を出た直後から体が緑色になり始め、三年目には完全に光合成だけで生きていけるようになった。食費がかからないので貯金が増え、今は川沿いの日当たりのいい土手に住んでいる。住所は不定。雨の日は元気がない。冬は沖縄に行く。確定申告はしていない。
「つまり、僕と母さんを捨てて、光合成で暮らしてたってこと?」
「捨てたんじゃない。正確には、日照条件の良い場所を求めて移動した結果、家庭から離れた」
「それを世間では捨てたって言うんだよ」
父は黙って窓の方を向いた。三月の西日が差し込むと、父の肌がわずかに艶を帯びた。おやつの時間だったらしい。
翌週、父を病院に連れて行った。
医者は父の腕を見て、しばらく沈黙した後、「ずいぶん立派な葉緑体ですね」と言った。特に治療の必要はないらしい。保険証はあるかと聞いたら、父は市民税を払っていないので保険証がないと言った。医者はもう一度沈黙した。
帰り道、父が言った。
「増田、お前も少し日に当たったほうがいい。顔色が悪い」
「やってみなきゃわからないだろう」
父はいつもそうだった。母から聞いた話でも、脱サラして手品師になると言ったり、庭でトリュフを栽培すると言ったりしていたらしい。結局どれも続かなかったが、光合成だけは二十三年続いている。人間、向き不向きがあるのだろう。
四月の終わりのある日、父から写真が送られてきた。LINEの使い方は教えた。
写真には、河川敷に並んで日光浴をしている数人の緑色の人々が写っていた。四月の陽射しは光合成には最高のコンディションらしく、全員が満足そうに目を閉じていた。
「仲間ができた」
とだけ書いてあった。
僕は既読だけつけて、カーテンを閉めた。そしてコンビニ弁当を電子レンジに入れた。三分間の加熱音を聞きながら、ふと思った。
父は幸せなのかもしれない。
土と水と光だけで生きていくこと。届いた税金の督促状を読めないふりをすること。雨の日にはしょんぼりして、晴れた日には両腕を広げること。それは確かに無責任で、身勝手で、どうしようもなくて――でも、風が窓から吹き込んできたとき、少しだけ、羨ましかった。
電子レンジが鳴った。
「北極と南極の近くの、地球一周の距離が1mになる緯度」って、不定じゃない?
「赤道からほんのちょっとズレた緯度までしか描かずに、そこを一周する距離を1mに縮尺」もできるし、
「北緯60度までしか描かずに、そこを一周する距離を1mに縮尺」もできるし、
「北極からわずか16cmほど離れた円周1mの北緯89.999...度を一周する距離を1mにした原寸大(?)」もできてしまうのでは?
…あ、もしかしてクイズの「北極と南極の近くの、地球一周の距離が1mになる緯度まで描く」って、まさに円周1mの北緯89.999...度のこと?だとしたらめちゃくちゃ巨大になるだろうからメタ読みで 4:約5800m が正解かな?(直感だともっとはるかに大きい気がしたけど!)
雑誌の表紙で見かけただけで、読んだわけではないので内容は知らないが、ロックバンドの話なのだろう。まあそれは良い。ここで話題にしたいのは、このタイトルからどんなニュアンスを感じとるのか?ということだ。
The Band。定冠詞のついたシンプルな名詞句。洋書やハリウッド映画のタイトルなんかでもありがちなパターンだが、この本当のニュアンスを、多くの日本人は多分掴みきれていない。
それもそのはずで、これは近年の文化的な傾向も反映されたものであり、教科書的な文法をただ適用するだけでは、実は理解できないものだからだ。英語圏の創作指南サイトにあるこの説明が簡潔なので丸々引用しよう。
Take the horror classic A Nightmare on Elm Street. What if it was titled The Nightmare on Elm Street? Immediately we lose the sense of there being many nightmares, the sense of haziness that defines dreams themselves (and the unpredictability of the violent antagonist's appearance). 'A' nightmare can unfold anytime. 'The' nightmare happens at a specific time.
https://nownovel.com/how-to-write-a-book-title/
「エルム街の悪夢のタイトルが仮に不定冠詞でなく定冠詞だったら、たくさんの悪夢が予測不能に発生する感覚がなくなり、特定のイベントの話になってしまう」というような内容。
これは実は英語に特に顕著で(仏語などは違う)、「定冠詞だから」というだけでは説明のつかないことなので、文法書といくら睨みあっても書いてないのだが、英語で定冠詞の題名がついている場合、いかにもある特定の人物やイベントにスポットライトの当たったような、強い指事語感が出るのだ。
上の漫画の例で言えば、つまり、The Bandというタイトルは、いかにもそのバンドのユニークさ、ドラマチックなバイオグラフィ(ディスコグラフィ)に焦点を当てるぜといったような、強い偶像視のニュアンスを感じるのである……
どうだろう? こういう印象を、持てていただろうか?
もっと曖昧に、「バンドってものはよお…」みたいな一般論を訴えかけるような響きで受け取った人も多いんじゃないだろうか……?
**** ****
文法書の解説では、定冠詞には「一般的なことがら」を意味する用法もあるとあり、これはこれで正しい。また、フランス語やドイツ語などでは実際、英語では無冠詞としなければ変になるような一般的な概念を表現する際にも当たり前に用いられ、定冠詞という文法概念を逸脱する使い方ではない。
しかし、ただ現実的に言って、こういう使い方は「英語的ではない」のだ。
Theというのは特定のイベントやオブジェクトを指して、スポットライトを当てる役割を持たせて使うものであり、一般論や観念的な話には普通用いない。何度も言うが、これはフランス語やドイツ語などでは普通に定冠詞を使うような場面だし、文法書の説明を逸脱しないように感じるが、実際には英語の使い方として変なのだ。
教科書文法は、「そこを逸脱すると間違いとなりうるが、その範囲で正しいからといって英語として正しいわけではない」という理解が必要だ。
技術者のクセだわな。
色んな技術的な文書を読み込んでると「VALID」とか「INVALID」とかに厳密な定義が振られてたりしてて
そんで、自分でその技術に関する文を書く時も単純に「正しい」だの「間違い」だのでなくて
「その技術文書で定義された通りの正しさ・間違い」を表すために「VALID」とか「INVALID」とか使いたくなっちゃう。
そこらへんの厳密さを気にしないと、妙な地雷を踏んで、技術者同士の会話がどうも嚙み合わなくなったりするから。
他にも「定義済み」「予約済み」「未定義」「不定」とか「MUST」「SHOULD」「MAY」「CAN」とか
技術的な語彙には罠がいっぱい。。。
で、Mermaid の仕様書は「Valid」「Invalid」とかを厳密に定義してたかなーと調べてみたものの
ちょっと見回った感じでは見つけられなかったけど
なんかもう単純に「正しい」「間違い」という言葉を使うのが怖くて、なんかクセなんよな。
・・・少なくとも「自分は」の話ではあるけども(あと自分は元増じゃないけど)
こういう技術者はわりと多いと思ってる。知らんけど。
1 全ての他者に対して十二分な思考力・共感性・人格・人間的魅力を求めると消耗してしまう。人間、少なくとも一般的日本人はそこまでレベルが高くないからである
2 この問題に対して、「この世界はテレビゲームやシミュレーターのようなものであり、理解不能な行動を繰り返す他者はそういうアルゴリズムを与えられたNPCなのである」と考えるようにすることは高い効果が得られる。
3 他人が非効率的な行動や理解に苦しむ言動を繰り返していても「なるほど、このキャラクターはこういうアルゴリズムを与えられているからなんだな」と割り切れるようになるとかなり楽になる。
俺はインターネットに毒されたせいもあって、ちょっと現代人に対して期待しすぎている所があり長年苦しんでいた。
現代人はまともな人権意識や倫理観があるはずなのに何故ハラスメント行為を平気で繰り返すのだろうか・・・何故こんなにも非効率的な行動を繰り返して周りに迷惑をかけるのか・・・何故こんなにも無能で性格も終わっているのか・・・、などのことを日々考えていた。
「結局コイツらに本質的な知性や真っ当な人間性はなく、一見それらがあるかのように振る舞う習性がインプットされているだけの出来の悪い人工知能のようなものでしかないんだ」と割り切ってしまうと一気に楽になるということを。
そのイメージを固めるために俺はMMORPGやシム・ピープルのようなゲームを思い浮かべることにした。
この世界がある種のゲームであるならば、ゲーム全体には不特定多数のNPCとPCが共存しており、NPCは与えられたアルゴリズムに従って動くことで世界やPCに対して絶えず干渉し続けているという形となる。
その世界に存在するNPCの行動原理は時にPCからは全く理解不能であるが、それらに意思や目的意識は存在せず単に「そういうI/Oになっているから」以上の理由は存在しないのだ。
PCは彼らのアルゴリズムに直接干渉する権限はないのだから、「そういう現象」として扱う以外の道はないのである。
このようにして一部の他人に対して人間性の実在を疑ってかかるよう覚悟を決めると、まさしく蒙が啓かれたらしく世界の見え方が変わってきた。
たとえば1日に100回「死ね」の言葉を自分の机で呟き続けている人物が時折世の中にはいるわけだが、そういった相手に対して今までの私は「何か不機嫌になる理由があるのかな?私が不機嫌にさせているのかも?」と悩んでしまっていた。
だが、今の私は全くそんなことは考えない。
「なるほど、このNPCはアルゴリズムによって不定期かつ高頻度に罵声をブツブツ言うようにプログラミングされているのだな」で終わりだ。
これは本当に画期的だった。
「なんでこの人はこんなことをしているのか?アドラー心理学にでも考えてみるか?」と悩んでいたものが、本当にたったの一瞬で終わるのである。
私は一部の他人をNPCとして扱うようになったが、別に彼らに対して人権侵害を行ったりはしていない。
何故なら彼らは「種族:人間 役割属性:一般人 犯罪歴:なし~不明」のNPCであって、法治国家のルールによって守られる存在だからである。
たとえばある種の法律がシステムに組み込まれたMMOにおいて一般NPCを不当に傷つければそのプレイヤーのカルマ値はPCを傷つけたのと同じように低下していくわけだが、現実世界も同じような仕組みで動いているわけだ。
相手が「人間」の「一般人」である以上、彼らに対しての犯罪行為はPCに対して行っているものと全く同じように扱われると考えるべきだ。
だが、彼らに対して必要以上に優しさや配慮を振りまいてやる必要はないし、見返りが期待できないのであれば仲良くしてやる必要なんてないわけだ。
「他人はあくまで他人でしかないのだから、考えを理解しようと頑張り過ぎに適当に切り捨てるぐらいでいい」というだけの話ではある。
こんなことを理解するのに何十年もかけて自分流の補助輪を発明する必要があった私はNPC共を笑えない程度には知能が低いのかも知れない。
だがそれでも別にいいのだ。
世界の大部分がNPCに埋め尽くされているのであれば、その中でついた優劣でさえ「この世界は強めのNPCが複数配置されており、ゲームバランスが自分から見ると厳し目に設定されている」というだけで終わりなのだから。
たまたま設定された性能が高かっただけのNPCと自分を比較していちいち落ち込むだけ時間の無駄というものだ。
これを読んで「そっか、俺も同じ事悩んでたからやってみようかな🤔」と考えるPCやNPCがいるなら、よければ「試してみたぞ。ここをこうするともっと良くなる気がする」などと語ってくれたら幸いだ。
前
https://anond.hatelabo.jp/20260318182718
事故後(2026年3月17日以降)の報道で明確になったのは、「不屈号」および「平和丸」の運航が海上運送法(内航一般不定期航路事業)上の事業登録を一切行わず、違法状態で継続されていた事実です。国土交通省・内閣府沖縄総合事務局の基準では、他人の需要に応じて人を運送する場合(学校の平和学習、生徒・学生・政治家・著名人乗船)は無償・ボランティアであっても「事業性あり」とされ、登録+安全管理規程策定+出航判断基準の設定が義務付けられています。知床遊覧船事故(2022年)後の法改正で小型旅客船の規制は大幅強化されたにもかかわらず、団体は「ボランティアだから」と登録を怠り続けました。これが典型的なコンプライアンス(法令遵守)の欠如です。
• 過去の信念は変わらず尊敬に値する部分もあるが、船長としてのプロフェッショナル責任は完全に失われた。
◦ 10年以上にわたり「不屈号」船長を務め、「海のガンジー」「不屈の精神」と称された献身は事実。しかし、繰り返し生徒・学生を有償・無償問わず乗船させていた以上、登録義務を認識・遵守する法的・倫理的義務があった。
◦ 出航判断は「船長の裁量」と学校側が説明したが、事業登録がない状態では安全管理規程自体が存在せず、波浪注意報下での判断すら法的に裏付けられていなかった。結果、生徒の命を預かる「事業」を無許可で継続した責任は重い。
◦ コンプライアンス欠如の本質:信念(平和・抵抗・命の恩返し)が優先され、法令(海上運送法・船舶安全法の精神)を「抗議活動の範囲内」と矮小化した。牧師としての信仰が「正義」だったとしても、船舶運航のプロとして法を無視した時点で、信念と責任は両立しなかったと言わざるを得ません。事故は人災の側面が強く、船長個人の過失だけではなく、長年の違法運航の積み重ねが招いた悲劇です。
◦ 会見で「ボランティアだから登録していない」と堂々と説明した仲村善幸共同代表・浦島悦子共同代表ら。長年、学校や団体に「見学者」を乗せ(年に数回程度だが継続)、カンパで維持しながら法規制を回避してきた。
◦ 知床事故後の全国的な安全基準強化を無視した点が特に深刻。登録していれば安全統括管理者配置・気象判断ルール・保険義務が発生し、波浪注意報下の出航は防げた可能性が高い。
◦ 支援者ネットワーク(キリスト教団体、全国カンパ寄付者、日本共産党系政治家など)も同罪。資金提供や「平和の象徴」として称賛しながら、運航の実態(無登録旅客運送)が違法であることを放置・黙認。結果、学校や生徒を「安価な実相学習の道具」として利用し、法的リスクを外部に転嫁した構造です。
◦ 2023年以降正式に「辺野古コース」で使用しながら、運航主体の登録状況・保険・安全基準を一切確認せず(学校会見で明言)。引率教員すら同乗させず、「海のことは船長に任せる」と丸投げ。
◦ 平和学習の美名で違法事業者に生徒を預けた時点で、教育基本法・学校安全基準・コンプライアンスの観点から完全に失格。第三者委員会設置を表明したが、事前の法令確認すら怠った根本原因は「信念先行・コスト優先」の同じ病理です。
信念や「平和」という大義名分は、法令遵守を免除する免罪符にはならない。特に小型旅客船は知床事故以降「人命最優先」の規制が国レベルで強化された分野です。彼らは「抗議活動」「ボランティア」「教育利用」という枠組みで法の網をくぐり抜け、結果として生徒と船長の命を失いました。
• 金井船長:信念の人だったが、**法を無視した船長は「不屈」ではなく「無責任」**だった。
• 支援者全体:理念の純粋さが仇となり、コンプライアンスを「敵のルール」と軽視した集団的怠慢。これが「怪しい団体」への便宜供与のメカニズムの最終形態です。
今後、運輸安全委員会・海上保安庁の捜査で正式に業務上過失致死などの刑事責任が問われる可能性が高い。過去の肯定的評価(琉球新報などで報じられた「闘士」「希望の便り」)は変わらないが、命を預かる事業に法を守らなかった時点で、すべての美談は崩壊します。真の「不屈」とは、法を遵守しながら信念を貫くことだったはずです。
ざっと見たが亡くなった船長の名前も、船の名前である「不屈」「ふくつ」「平和丸」「へいわまる」どれも見当たらんな
転覆した船運航の抗議団体、運輸局に登録せず「ボランティアでやってきたので」
沖縄県名護市の辺野古沖で船2隻が転覆し、2人が死亡した事故で、2隻を運航する「ヘリ基地反対協議会」が16日夜、報道陣の取材に応じ、「命を守るべき私たちの運動体の中でお二人の命が亡くなる大変な事故を引き起こし、おわび申し上げる」と謝罪した。最大搭載人員が12人以下の小型船舶でも、他人の需要に応じて人を運送する事業に該当すれば、運輸局へ登録する必要がある可能性もあるが、登録はしていなかったという。
あー…これは揉めるぞ