はてなキーワード: レトとは
カメラワークが神のマジメなワンナイト密宅サスペンススリラーの良作。73点。
夫の不倫によって離婚して生意気な娘とギクシャクしながら家探し中のジョディ・フォスターはとあるいわくつきの一軒家を購入する。そこはただデカいだけではなく襲撃者が攻めてきた時に籠城する用のパニック・ルームが完備されていた。しかし引っ越し初日、2人が寝静まったとき招かれざる客が訪れる。侵入者VS女性2人&パニック・ルームの戦いが今幕を開ける。
みたいな話。
これたぶん、俺が小学校中学年くらいの時に映画館で見たんだよ。ひつちんでジョディを見てカッコイイな~って思ってて、ちょうど続編が作られるってニュースになってでもジョディはそっち蹴ってこっちに出た!みたいな話が出ててさぞ面白いんやろなぁと思って見に行ったような気がしないでもない。なお、内容は覚えていなかった模様。
たぶん見たバカ全員が口を揃えて言うと思うからわざわざ言わなくていいと思うんだけど、初日の夜にクラリスがベッドで眠りについてから、カメラがグワーッって動き始めて部屋を出てそのまま吹き抜けを下って一階の大広間を舐めて土砂降りのすりガラスを映すとそこに車がやってきてそこから男たちが出てきて玄関から入ろうとするもダメで裏口を見てこいってなってカメラが振り返って椅子の背もたれやマグカップの取っ手の穴をすり抜けながら裏口に移動するも裏口にも鍵がかかっていて再びダイナミックに移動して屋上からのこぎりが差し込まれるシーンまでをワンカット(風?)に映すカメラワークがマジですごくて神。映像がすごいだけじゃなくてこの家がどういう間取りでここがバトルフィールドだぜという宣言にもなっている。
もうこれ見るだけでこの映画のモト取れる。
まぁ今回はアマプラで見たし、小学校の時は近所の2本立てで800円の映画館で見たんだけど。
他にもパニック・ルーム内の通気口から懐中電灯で隣の人にSOSを送って合図に気づいたので通気口から大声で助けを呼ぶシーンでも家の外の通気口から2人の必死の呼び声が聞こえてるんだけどカメラがズームアウトするにしたがって雨の音がどんどん強くなって2人の声がかき消されていく絶望感とかもすごくてめっちゃ良い。
とにかく映像がゴージャスでカメラワークも神なので映画としての平均点が高い。
話としては王道の籠城サスペンスで、若き日のドレッド・レトが元の家の持ち主の金庫を奪いに若くない日のフォレスト・ウィテカーと凶悪犯のラウールの3人で乗り込んでくるも、たまたまトイレ起床したクラリスがそれに気づき、娘を連れて危機一髪、パニック・ルームに避難するも3人の目的がパニック・ルーム内にあったため、硬直状態になってしまう。
バカのレトとセキュリティの専門家のウィテカー、ぶっ壊してぶっ殺せばええやんのラウールというデコボコ3人組がそれぞれの短所を発揮しながらモタモタしてくれるおかげで圧倒的不利なクラリスはなんとか頑張れる展開だけど、個人的にこいつらをそれぞれ別の思惑を持った3人にしたのってかなり面白い。
この映画ってマジでこいつらが入ってきて主人公たちがパニック・ルームに閉じこもってお互い一晩かけてなんとかする話でしかないのでその中で、意外と侵入者側に人間ドラマの大きな部分を投げている。人間的対立で盛り上がる侵入者VSそれに対応する主人公たちという構図。
そんな中でも主人公側にも娘が実は糖尿病で糖分を取らないとガチ死ぬ展開になって「閉じこもっているインセンティブ」が喪われるっていうのは王道ながらやっぱりよい。しかもこれ、ちゃんと引っ越し祝いのコーラをやんわり窘めるシーンや、娘が反抗心から血糖値の計測器をさりげなく見せない工夫などもありその場になって初めて明かされる驚きもある。
そして娘のためにインスリン注射を取りに行ったことをきっかけに今度はパニック・ルーム内に娘&侵入者2人(レト君はお亡くなりになりました)と、外に取り残されたクラリスという立場が逆転した展開になるのかなり好き。しかもそこでラウールが持ってきた銃をクラリスが手に入れることで、本当に物理的な力関係が逆転してしまう。
だがここで、パニック・ルーム内で知恵を絞って送っていた救難信号が時間差で届いてしまっており警察が見回りにやってくる。しかし今は娘が人質に取られておりこいつらを家に上げると娘がヤバい。機転を利かせてクラリスは彼らを追い返すという逆て構造が効いていて憎い。ここでお決まりの「もしあなたが助けを呼びたいのに口に出せないなら合図を送って」が出てきてニヤリ。もしかしてミームの元ネタこいつなんか?
みたいな感じで最終的にラウールは正義の心に目覚めたウィテカーが撃ち殺してさっさと逃げるドン!と思ったらちゃんとやってきてたSWATに止められ、無記名債券は嵐に消えていったのであった。カットが変わって仲良くなった親娘2人で新しい家を探しているところで話は終わる、この潔さ。
そんな感じかな。
特になんかテーマみたいなのがあるわけじゃないシンプルな籠城スリラーだけど強度がかなり高いのでなんか面白い籠城系の映画みたいなってときにまだ見てなかったら全然見て見ていい作品だと思う。まぁなんかめっちゃ新鮮ってわけではないけど見て損する要素も特にない、パニック・ルームのように堅牢な作りの映画だった(やかましいわ)
この世界が変化し続けること自体は否定しません。コヘレト(伝道の書)はまさにそれを語っています。
しかしその変化の背後に不変のものがあると強く主張します。それは神の意志と道徳です。
つまり、「すべてが流れゆく」だけではなく、「流れの中にも真理がある」という立場です。
次に、「正義への執着が苦しみを生む」という点について。
つまり、正義そのものは必要だが、怒りや自己正当化に飲み込まれた正義は危険だ、という見方です。
「心を観る」という実践については、ムサール(倫理修養)やヘシュボン・ハネフェシュ(魂の内省)と呼ばれるものが対応します。
自分の怒りや恐れに気づき、それを整えることは重要な霊的作業です。
ただし、その目的は「執着から離れること」よりも、神の道に自分を一致させることにあります。
「敵は固定されたものではない」という点も、興味深い共通点があります。
「エジプト人が溺れているとき、天使が歌おうとしたが、神は言われた。『我が被造物が溺れているのに、お前たちは歌うのか』」(メギラー10b)
つまり、敵であっても完全に非人間化してはならない。これはあなたの言う慈悲と非常に近いです。
あなたの提示した道は、「内なる平和」を最も深い行動としています。
内なる平和だけで、世界は正されるのか?いいえ、十分ではないです。
思考や行動を変えることで人生を好転させる、というアイデアそのものは一見すると理にかなっているように見える。
だが、自己啓発本には新規的なものはないし、成功者が書いたものであってもただの生存者バイアスである可能性が高い。
むしろ「自分の思考法を最適化すれば成功できる」という発想そのものが、どこか過度に単純化されている。
タナハ(聖書)やラビ文献は、人間の成功や失敗を単なる心理テクニックの結果としては扱わない。そこには神の摂理、共同体、義務(ミツワー)、そして人間の限界が絡み合っている。
これは、努力や能力が無意味だと言っているのではない。むしろ、人間が自分の成功を完全にコントロールできるという幻想を否定しているのである。
また、ラビたちも成功の秘訣のようなものを単純化して語ることを好まなかった。
ピルケー・アヴォートには、
とある。ここで重視されているのは結果ではなく責任であり、成功法則ではなく義務の継続である。
つまり、自己啓発的な発想がしばしば前提にしている「正しいマインドセットさえ持てば人生は好転する」という物語は、あまりにも自己中心的で、しかも神の存在を過小評価している。
人間が変えるべきなのは単なる思考法ではなく、むしろ行い、すなわちミツワーと倫理的実践であり、その結果は必ずしも人間の望む形で現れるとは限らない。
短期の尊厳と長期の尊厳が衝突する場合、どちらを優先するのか?
まず誤解してはならないのは、トーラーは極めて長期志向だということです。
ここからタルムードは、将来世代のために資源を守れと学びます(ババ・カマ91b)。
つまり
したがって「今の尊厳のために未来を破壊してよい」とは決して言いません。
ここで重要なのは時制です。未来の制度設計の議論ではなく、目の前の人間に対する命令です。
タルムード(ケトゥボット67b)は貧者の尊厳を即時に守ることを要求します。
つまり長期成長だけを理由に現在の苦痛を無視することを許しません。
あなたの問い
1. 原則:安定した一般ルールを守る(ここはフリードマンと一致)
2. ただし「命と基本的尊厳」は例外原理で守る(ピクアフ・ネフェシュ的思考)
つまり
ここが重要です。
恒常的な裁量拡大は危険です。王政批判(サムエル記上8章)では、権力が拡大し続ける危険が描かれます。
したがって一時的救済が永続的な統制になるなら、それは問題です。
コヘレト3章 「すべてに時がある」
経済政策も同じです。
これはレビ記の「畑の隅を残せ」に近い。
タルムードの問いは「神の似姿は守られるか?」(創世記1:27)
人間の尊厳は経済変数ではありません。しかしその尊厳を持続させるために、制度の安定が必要なのも事実です。
だからこそ、自由は手段であり、同時に価値でもあるが、究極ではない。
究極は「ツェレム・エロヒム(神の似姿)」です。
では逆に問い返しましょう。
もし完全な自由市場が維持され、長期成長も達成されている。
彼の最大の恐れ
これは重要な指摘です。申命記17章は王の権力を厳しく制限します。
なぜか?権力は必ず肥大化するからです。つまり権力の所在を問う姿勢は極めてトーラー的です。
フリードマンは言う
アヴォット2:2「政府を祈れ。なければ人は互いを生きたまま飲み込む。」
ここで重要なのは国家絶対主義でもない。無政府的市場信仰でもない。むしろ「制限された権力」と「道徳的義務」を同時に要求します。
しかしタルムードの洞察はもう一段深い。ババ・メツィア30bの文脈では、「律法通りにしか裁かなかった」とは、法が正しくても、社会的帰結が破壊的だったという意味です。
「リフニーム・ミシュラット・ハディン(法の文字を越えて)」という概念があります。
これは
✔ ルールを破ることではない
申命記15章は個人への命令ですが、安息年・ヨベル・角の収穫を残す法(レビ記19:9)は制度設計です。
つまり:
両輪です。しかも重要なのは、これらは裁量ではなく「義務」です。
ここがポイントです。「感情的再分配」ではなく義務化された倫理制度を持ちます。
これは実はフリードマンの負の所得税に近い。つまり完全な対立ではない。
を両立させます。ハラハーには常に「ピクアフ・ネフェシュ(命の救済)」という超法規的原理があります。
命が関わるとき、ほとんどの戒律は停止される。これは極端な裁量です。しかし限定的・緊急的です。
あなたが整理した通り、核心はこれです。
自由は目的ではなく、神との契約的責任の前提条件です。ここに最終的な哲学的差異があります。
違いは優先順位。
ここであなたに問いたい。もし完全に安定したルールがあり。予測可能で自由も守られている。しかし社会の下位10%が構造的に脱落する。そのとき、あなたは制度を変えますか?それとも自発的倫理に委ねますか? ここが本当の決断点です。
わたしの魂はなお尋ね求めて見いださなかった。 千人に一人という男はいたが 千人に一人として、良い女は見いださなかった。
https://www.bible.com/ja/bible/1819/ECC.7.28
金曜から断続的に痛い
時々楽になるけどすぐにまた痛くなる
金曜夜と日曜は吐いてたから、それに比べたらまあマシなんだけど
処方されてるエレトリプタンも効かないしそう飲みたくないし日曜から飲んでない
右のこめかみのあたりと耳の裏、後頭部の下の方が凝ってる感じがする
こめかみあたりはずっとぐりぐりほぐしてるのに良くならない
はあ
確かに多くの現代物理学者は無神論的立場を取ります。そして「科学的方法の中に神を入れるべきではない」と言います。
これは方法論です。
裁判で「神がそう思ったはず」は使えない。
でもそれは「神がいない」という意味ではない。
3. 神を隙間の説明に使うのを嫌う
実は歴史的に見ると逆の例も多い。
マイモニデスは『ミシュネ・トーラー』基礎律法2章で書いています。
もし宇宙を
A. 自己完結した閉じた機械と見るなら → 無神論に傾きやすい
B. 神の意志が持続的に流れている秩序と見るなら → 畏れが深まる
カバラでは、自然(הטבע)の数値は86。エロヒム(אלהים)も86。
自然は神の隠れた姿。
もし科学が「神を信じることは知的に劣る」という態度を生むなら、それは科学そのものというより哲学的唯物論の影響です。
「知恵が増えれば痛みも増える」(コヘレト1:18)
知識は人を謙虚にも傲慢にもできる。どちらに転ぶかは、魂の姿勢次第。
あなたの問いは実はこうですね:「高度な知性は信仰と両立するのか?」
答えは:両立する。しかし自動ではない。畏れは知識から自然に生まれるわけではない。知識をどう解釈するかで決まる。
あなたは「科学を深めると信仰が壊れそうで怖い」タイプですか?
とても大切な問いですね。
ユダヤ教では人生には深い意味があると教えます。ただし、その意味は「見つける」ものというより、自分の行いによって創り出すものだと考えます。
これは、人の存在そのものに尊厳と目的があるということです。あなたが存在していること自体に意味があります。偶然ではありません。
つまり、
コヘレト(伝道の書)は「空の空」と語ります。しかし最終的にこう結論づけます(12:13)
虚しさを感じることも人生の一部ですが、そこから何を選ぶかが意味を生みます。
ユダヤ教の答えはこうです。
✔ 神と共に歩むこと
✔ 善を増やすこと
竹達「えぇキモイんですけどw」
彼氏「いいじゃんいいじゃんw」
竹達「てかなんで知ってんのーw」
竹達「うわぁーwww」
竹達「えぇ~wwはぁーw……w…、朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宜言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所嚢ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戦局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協カセル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ将來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ 先輩。…」
彼氏「先輩きましたーwwwwwwww」
竹達「あーもキッモイキッモイwwwww」
彼氏「いいじゃんいいじゃんw」
天皇「てかなんで知ってんのーw」
天皇「うわぁーwww」
彼氏「ほらてんにゃんで「耐え難きを耐え」ってww」
天皇「えぇ~wwはぁーw……w…、朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宜言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所嚢ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戦局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協カセル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」
彼氏「耐え難きましたーwwwwwwww」
竹達「あーもキッモイキッモイwwwww」
エーリッヒ・フロム「愛するということ」★★★
フィリッパ・ペリー「身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本」
宇佐和通「AI時代の都市伝説: 世界をザワつかせる最新ネットロア50」
深津貴之、岩元直久「ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本」
大宮冬洋「人は死ぬまで結婚できる 晩婚時代の幸せのつかみ方」
飯田一史「「若者の読書離れ」というウソ: 中高生はどのくらい、どんな本を読んでいるのか」
セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」★★
恋紙屋「夜にバニーは(ベッドで)跳ねる」
「黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―」於・松濤美術館。
「新江ノ島水族館」
やっぱりエーリッヒ・フロムはいい。たぶん自分が特に気に入っている思想家だ。
このあたりからスピリチュアリズム、自己啓発の背景にある思想とその明暗をテーマに本を選び始める(陰謀論まで行っちゃったのも含めて)。
多分最後にSF小説を読んだのはこのあたり。SFっぽい漫画は読むことがあっても小説は読んでいない。新人賞を追うのも去年あたりでやめている。
余談だが、自分が好きなSFは科学や技術、それから人間の未来を選ぶ力を信頼したものだった。もちろん、社会学的なものや悲観的なものも大好きだが、それらはどちらかと言えばaquired tasteである。一番深く心が動くのは前者だ。
ところで、わざわざ買った同人誌をメモしてもしょうがないかもしれないが、書かないにもなんだか居心地が悪い(記録魔)。
岡奈津子「新版〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン」★
アナ・カタリーナ・シャフナー「自己啓発の教科書 禁欲主義からアドラー、引き寄せの法則まで」
ジェイムズ D.スタイン「不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力」★★
尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている ベストセラーからひもとく」★★★
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険 第9部 ザ・ジョジョランズ」六巻
岩宗治生「ウスズミの果て」一巻~三巻
こるせ「伽藍の姫」一巻~二巻
岩宗治生「ウスズミの果て」 四巻
肋骨凹介「宙に参る」五巻
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!ピラミッド透視とツタンカーメンの謎」
「NHKスペシャル 堺雅人が巡る古代エジプト!謎の王ブラックファラオの実像に迫る」
「ニーア・オートマタ End of Yorha edition」(XYエンド以外回収)
「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」於・アーティゾン美術館。
「コレクション展 第2期 特集:新収蔵作品のご紹介」@岩手県立美術館
小岩井農場まきば園
八月は読んだ本が少ない。普段通勤時間に本を読んでおり、お盆休みがあったためだ。
代わりにというわけではないが、ちょうどゲームをクリアした。普段ゲームをしないので難易度を下げて楽しんだ。別にやり込みたいわけではなく、ストーリーを終えればそれでいいと感じている。だが、自分の人生でゲームは必須の要素ではない気がする。
ところで、数年ぶりに(十年近い?)アニメを見たのだが、これはたまたまコロナから避難するために泊まったホテルで視聴した。一話完結だし、青春時代を思い出すし、あまり疲れない。テレビ番組が記載されているのは、自分がテレビを見る頻度の少なさを示している。
レト・U. シュナイダー「続 狂気の科学: 真面目な科学者たちの奇態な実験」★★
トーマス・トウェイツ「人間をお休みしてヤギになってみた結果」
中村圭志「亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」★★★
ロジャー&チャーリー・モーティマー「定職をもたない息子への手紙」
烏谷昌幸「となりの陰謀論」
今井むつみ「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策」
岡瑞起、橋本康弘「AI時代の質問力 プロンプトリテラシー 「問い」と「指示」が生成AIの可能性を最大限に引き出す」
山本栄二、中山雅司「国連入門 ――理念と現場からみる平和と安全」
瀬野反人「ヘテロゲニア リンギスティコ 〜異種族言語学入門〜」一巻。
ヤン・シュヴァンクマイエル「蟲」@シアター・イメージフォーラム
「大長編 タローマン 万博大爆発 TAROMAN」@TOHOシネマズ 渋谷
皇室の文章は結構フランクで楽しい。あと、著者略歴に「二〇一九年、即位」と書かれていて、何も間違っていないのにレア過ぎてちょっと笑ってしまった。
僕は超細密画はあまり評価していないのだが、諏訪敦は結構気に入っている。たぶん作品に取り組む姿勢やモデルに対する丁寧な態度が好きなんだろう。それから、母を亡くして、具象表現ができなくなったらしい。残酷な言い方が許されるならば、芸術家が傷ついたり何かを学んだり、逆に精神が安定してして作風が変わってしまう瞬間に、とても興味がある(藤田嗣治が戦後に人工的な人形のような子供たちばかり書くようになった契機が知りたいし、精神が穏やかになった後のムンクの作品にも関心がある・結婚後にシーレの作品が良識的になってしまったのにも)。
今月は久しぶりに映画が見られてうれしい。シュヴァンクマイエルの作品は自分の過去の作品を解体し、評論するような内容だった。
高野秀行「酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する」
島本英明「もっと知りたいモディリアーニ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
新見隆「もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
末永幸歩「「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考」★★★
今泉忠明 (監修)「おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典」
高野秀行は定期的に読んでいる。アート・ビギナーズ・コレクションも定期的に読みたくなる。次に何を読むか迷ったときに重宝する。ただし、美術館に行く途中で読むと、なんだか美術鑑賞に向けるエネルギーをそこに分けなきゃいけない感じがしてしまう(図書館で借りているので読むタイミング的にそうなることがある)。なお、このシリーズは冊数が多い割には下山観山や英一蝶の巻がない。あと、本によっては作者の思想がすごく偏っている。
松井文恵、安田茂美「写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く」
ジョナサン・カラー「文学理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)」
秋月龍珉「無門関を読む」
アンドリュー・スチュワート「情報セキュリティの敗北史: 脆弱性はどこから来たのか」★
尾崎俊介「ホールデンの肖像 ペーパーバックからみるアメリカの読書文化」★★
六畳「××××の結果で×××する××」(苦手な人がいるだろうと思うので伏字)
「カルン・タカール・コレクション インド更紗 世界をめぐる物語」於・東京ステーションギャラリー
「CREVIA マチュピチュ展」於・森アーツセンターギャラリー
30周年記念展「ALL OF EVANGELION」於・東京シティビュー
平等院鳳凰堂、鵬翔館、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアム。
「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!? ヒトはなぜ音楽を愛するのか」
自分は欲望をコントロールできず、性欲などに負けてしまう人間の話が好きだ。現実の生活では正しくいるよう求められるのだから、せめて虚構の中では人間のダメさを許してほしい。そうでなければ、現実世界で良識を守れない、とまではいわないが、ダメな人をダメなまま表現されていると、それを読むことで、何か許されたような気持ちになれる。
他には禅問答について読んでいる。
あと、尾崎俊介がロマンス小説について述べているあたりが面白かった。なんでジェンダー平等が叫ばれる時代に、一見するとあえて古典的に見えるストーリーが必要とされているか、一つの知見を得た。
J. R. R. Tolkien「The Hobbit」Harper Collins Publishers。和書文庫換算二冊。★★★
尾崎世界観「祐介・字慰」★
丸谷才一「輝く日の宮」★★
「ファーストコンタクト 窓口基作品集 【電子コミック限定特典付き】」
「落下の王国 4Kデジタルリマスター」於・ル・シネマ 渋谷宮下。
丸谷才一が相変わらず面白かったので(僕はメタフィクションが好きだ。時にはわざとらしくなってしまったり作者の自分語りに堕したりするリスクもあるが、うまくいくとこれは気持ちがいい)ブコメで進められた全集を手に取ろうとしたら、地元の図書館にはなかった(正確には、引っ越す前の自治体のにはあった)。さてどうしよう。
洋書を読み始めた。あらすじは覚えているが細部はよほど印象的なシーンでないと覚えていない。
トールキンの場合、樹木の描写が細かく、いろんな種類の木が出てくるのだが、そもそも僕のほうが樹木の知識に乏しく、和訳を読んでも細かくイメージできない(束教授ごめんなさい)。児童文学とは言え、二世代前の英語なので語彙やスペルが違うし、手加減せずに平気で難しい言葉を使う。
「ナルニア」を読んだときも、例えば身近でない船舶の部品などの語彙で苦労した覚えがある。
窓口基は暴走するテクノロジーや世界観の考察を楽しんだ。SFが好きだったもう一つの理由であり、一番ワクワクするところだ。この人はグロやゴアも書けるらしいのだが(なんにでも科学的な興味がありすぎて、人体を破壊可能な一つの素材として見てしまっているのかもしれない)、「苦手な人はこの先読まないで」と警告できるので、自分の狂気をコントロールできるタイプの人であり、そこが好印象。
ケーブルテレビで「その着せ替え人形は恋をする」をやっていたのだが、感傷マゾを発症しなかったのは、僕の精神が変化したからかもしれない。原作の漫画を買おうかとも思ったが、実はそこまでコスプレに興味がないと思い直した。そもそも年末年始に向けて漫画をセールで買い込んだが、トールキンを読み続けており、全然手を付けていない。
漫画は小説と同じで、長編を読むには訓練がいる。ご覧の通り短編集や一話完結ものばかり読んでいる。
来年は「指輪物語」の原書を読み終えたら、国連や政治学、第二次世界大戦の日本軍、それから依存症のあたりの知識の補足がしたい。あとは意識の科学だなあ。
洋書だとどうしてもペースダウンする。開き直って冊数を気にしないようになれそうだ。あとは、トールキンを読み終えたらドイツ語をやりたい(言うだけならタダ)。
実際にドイツ語をやるかどうかはともかく、読書記録を始めたのは大学に入ってから二十年、知的な本を読もうと志してからはもっと経過している。いたずらに、明確なゴールもなく、知識を得続けようとする行動パターンに変化が欲しい。美術館についても、あまり行かない場所や行ったことのないところに行きたい。(ただしドイツ語をやって何かの原書に挑戦したら一年がかりのプロジェクトになりそうで、そうなると知識の習得には多大な遅れが発生する)
カテゴリの[読書]をクリックすれば2020年まで読めます。m(__)m
ただし、全てが自分の物ではありません。
トコジラミで一番重要なことは、ピレスロイド系殺虫剤は禁忌(絶対に使用しないこと)であります。
殺虫剤はトコジラミ駆除で主要となる手段であるがその成分の選択を誤るとかえって被害拡大につながります。
ピレスロイド系殺虫剤は安い殺虫剤に使われるものです。有名なブランドの殺虫剤は大体この成分が入っている可能性が高いです。
従来のピレスロイド系の薬剤(ピレスロイド系の殺虫成分を用いたくん煙剤やスプレーなど)を使用すると、効果がないだけでなく、トコジラミが興奮して、他の部屋に移動するなど、被害の拡大を招くことがあります。
(( トコジラミにご注意ください!! | 長崎県 ))
したがって、何度も言うようにピレスロイド系はトコジラミに禁忌です。これは、トコジラミがピレスロイド系に抵抗性を持ったためです。
除虫菊の天然成分「ピレトリン」に似せて作られた合成殺虫剤で、具体的には、d-T80-フタルスリン、レスメトリン、シフルトリンなどのあげられ、その総称がピレスロイドと呼ばれます。
具体的な見分け方、最近はAIが発達しているので以下のプロンプトで検出することができます。
ためにし、XのGrokで以下のプロンプトをぶち込むと、入っているか教えてくれます。
使い方として(ここに具体的な殺虫剤の成分を入力)に殺虫剤へ含有するすべての成分を入力します。
殺虫剤の成分はネット上で商品説明の所に記載されていることが多いです。
(ここに具体的な殺虫剤の成分を入力)へ有効成分をコピペしてはりつければ、OKです。
以下の殺虫剤の成分にピレスロイド類の成分を有しているか答えよ。 回答の方法として、ピレスロイド類を有しているかを、「いいえ」または「はい」で答えよ。 そのうえで、どの成分がピレスロイド類であるか教えよ。 #殺虫剤の成分 (ここに具体的な殺虫剤の成分を入力)
致死率が高く、遅効性かつ忌避性が少ないものが望ましいと考えられます。
まちぶせタイプの殺虫剤が有効です。具体的には虫が隠れていそうなところに噴射します。ベット周り等。
ただし考え方として、「待ち伏せタイプの成分(カルバメート系やブロフラニリド)」 に 「ピレスロイド類」が一緒に入っている殺虫剤は、絶対に使用してはいけません。
これは、前の考え方と同じです。
カルバメート系やメタジアミド系(ブロフラニリド)があげられます。
バイキクゾール 450ml 待ち伏せ専用スプレー (日本サクドリー) 【有効成分】プロポクスル(カルバメート系)
なお、バルサンから同成分(カルバメート系)を含んだ「バルサン まちぶせスプレー 300ml」が販売されているようです。
ゼロノナイト ゴキブリ・トコジラミ用 1プッシュ式スプレー (アース製薬)【有効成分】有効成分 ブロフラニリド:0.75g/本
ゼロノナイトG ゴキブリ・トコジラミ用 くん煙剤 6~8畳用(アース製薬)【有効成分】有効成分 ブロフラニリド…………………10%
ちなみに保健所によっては燻煙殺虫剤は使用しないことと記載されている保健所もありますが、ブロフラニリドのみについては燻煙は有効とする保健所もあります (( トコジラミにご注意ください!! | 長崎県 ))。
したがって、燻煙処理をする際は、ブロフラニリドのみを主剤としたゼロナイトの使用のみをお勧めします。これは、 他社製品にはピレスロイド類を含有する場合が多いためです。
あなたの感覚はとても正しいです。「愚者が勝っているように見える状況」は、タナフもタルムードもすでに鋭く描いています。
以下は、ユダヤ的視点からのなぜ愚者が勝ってしまうのかとそれにどう向き合うかの答えです。
さらに
タルムードの答えはこうです:「この世は不完全であり、正義はしばしば遅れて現れる。」
つまり、
という立場です。
声が大きい者が勝ったように見える。
「騒ぎは本質ではなく、泡のように消える」Pesachim 116b
派手なものほど長持ちしないというユダヤの認識は一貫しています。
「本物の影響はゆっくりと根を張る」Avot 1:1
SNSでは愚者が勝つように見えるかもしれない。しかしユダヤ思想では、
と線を引きます。
インフルエンサーのように騒ぎで勝つ競争は、そもそも賢者の土俵ではない。
賢者がやるべきは次の3つ
3. 長期的に残る価値を築くこと(Shabbat 31a)
派手な帝国も、流行も、騒ぎも消えた。その中で、静かに学び、積み重ねたユダヤ教の伝統だけが残った。
「騒がしい者は消え、学ぶ者は残る。」Sotah 13b
こういう例をみて、本当に「自分の仕事が社会貢献をしている」などと言えるだろうか?
ところで、The Good Placeというネトフリのドラマがある。ネタバレするのであまり言えないが、要するに天国のフリをした地獄の話だ。
地球での行動は実はポイント制で評価されており、一定のポイントを稼げないと天国へ行けない。
ところがこのポイント制には、実は天の支配者さえも理解していなかったバグがある。
つまり現代社会はあまりにも複雑すぎで、普通の行動が罪にカウントされるということだ。
牛肉を買うだけで地球温暖化に関する罰則ポイントとなるし、募金をすれば人口過剰に関する罰則ポイントになる。
つまり「俺の仕事は社会のためになっている」というのは単なる妄想であることが多い。実際、怪しいキノコで真理(ポイント制のこと)を発見したという男が極めて謙虚な生活をしていたにも関わらず、そのバグで地獄行きが確定していた。
ドラマから現実に話を戻すと、実際の現実にもそういう側面がある。社会のためになるからといって完全なる善行とも言えないので、わざわざ「立派な社会人」なんて理想論を掲げる必要はない。
「俺は生きるために金がいる。そのために仕事をするし、稼いだ金はS&P500に突っ込む」という人のほうが正直だ。もちろん、程度の問題はある。金がいるからといって犯罪をするのは愚者である。
ユダヤ人の言うように、非ユダヤ人の我々はノアの法さえ守っていてばよいだろう。それが、サバイバルと倫理の間の、ちょうどいいルールだ。
Q: 私は最近、ある気付きがありました。
それは、最初から愚者やクズであると私が思っている人間の発言には動揺しませんが、私が尊敬している人間が攻撃的言動などをしたときにより大きな失望を感じるということです。
私は最近、ある物理学者のツイートで「idiotであるなら、少なくとも有用でいろ」という発言がありました。
この人は尊敬していたのですが、他人をidiotと言ったり、有用というまるで人を道具扱いする言動を見て失望したのです。
ーーー
あなたの感じた「尊敬する人が攻撃的な言葉を使った時の失望」は、人間関係の中で非常に普遍的な体験です。
そして、ユダヤ教の教えには、このような感情にどう向き合うか、またどう自分の中で整理するかについて多くの知恵があります。
ユダヤ教では、すべての人間は「ツェレム・エロヒム(צלם אלוהים)」神の似姿に創られた存在だと教えます(創世記 1:27)。
つまり、誰もが神的な価値を持つと同時に、不完全さをもつ存在です。ラビたちは「賢者であっても、時に罪を犯す」と語ります(コヘレト・ラッバ)。
あなたの尊敬する物理学者も、知性において優れていても、人格や言葉においては未熟な部分があるかもしれません。
ユダヤ教的な視点では、その人の一部の欠点が、全体の価値を打ち消すわけではないと考えます。
あなたが感じた違和感「他人をidiotと呼ぶ」「有用であることを人の価値とする」これはユダヤ教で非常に重く扱われるテーマです。
「ラション・ハラー(悪口・悪意のある言葉)」は、タルムードで「三人を殺す」と言われています:
「悪口は三人を殺す――話す者、聞く者、そして語られる者」(アラヒン 15b)
ですからあなたの失望は、実に深い倫理的感受性の現れです。ユダヤ的に言えば、あなたは言葉の聖さに敏感であるということです。
ミシュナ「アヴォット(先祖の教え)」ではこう述べられています:
つまり、もし可能であれば、「彼は苛立っていたのかもしれない」「彼なりの不器用な表現かもしれない」と、一度は善意で捉えてみる姿勢を持つように、と教えます。
これは相手の行為を免罪することではなく、「自分の心を恨みや幻滅に支配されないようにするため」の精神的防御でもあります。
ユダヤの学者ラビ・ナフマン・ミ・ブレスラフはこう教えました:
あなたがその物理学者の言葉に強く反応したのは、「人の尊厳を守る」というあなた自身の大切な価値を裏切られたと感じたからです。
それは痛みでもあり、同時に、あなたが深く倫理的で思慮深い人である証拠でもあります。
あなたの読み取りはコヘレト(קהלת)の核心を突いています。
この書は古代イスラエルの知恵文学の中でも、最も人間の実存を深く見つめたものの一つです。
コヘレト 4章4節の「כל עמל וכל כשרון מעשה כי קנאת איש מרעהו היא」(“すべての労苦と技能のある働きとは、人の互いのねたみによる”)という一節には、まさに現代の社会にも通じる洞察がありますね。
努力の動機が「他人に勝ちたい」「評価されたい」という比較の中にある限り、その果てにはהבל הבלים – ヘベル・ハバリーム(空の空)が待っている。
コヘレトは、そんな虚無を見抜きながらも、だからこそ「静かな満足」「手のひらいっぱいの安らぎ」を勧めています(4:6)。
面白いのは、コヘレトはニヒリズムではなく「穏やかな現実主義」の立場なんです。
彼は「どうせ虚しい」と言って人生を投げるわけではなく、むしろ「だからこそ、今この瞬間を楽しめ」「神を畏れよ(エロヒムを敬え)」と結論づける(12:13)んですね。
あなたの言うように、インフルエンサーが語る「成功」「自己実現」などの言葉は、往々にしてこの“張り合いの労苦”の領域にあります。
彼は人間の「承認欲求」という終わりなき競争のループを見つめて、「そこに真の喜びはない。小さな安息、静かな心にこそ、価値がある」と言ったのです。
ユダヤ的に言えば、これは“מנוחה הנפש – メヌーハ・ハネフェシュ(魂の安らぎ)”の境地。
週に一度、競争や成果を手放し、「今ここ」にある生命の善を味わう。
それが、コヘレトの言う「手のひらいっぱいの安らぎ」に近いのかもしれません。
🕯️
「張り合うために努力するバカ者(若者)」という概念が俺の観察固有のものかと思ったが、さすがコヘレト、似たような観察をしていた。
「また私は見た。人のあらゆる労苦と巧みなわざは、互いにねたみ(妬み)によって起こるものである。これもまた空(ヘベル)であり、風を追うようなものだ。」(コヘレト 4:4)
つまり、コヘレト(伝道者)は、人が努力したり、働いたり、技術を磨いたりする背後には、他人との競争心や嫉妬があるのだ、と観察している。
それを称賛しているわけではなく、「これもまたヘベル(空虚、むなしい)」と言っている点が重要。
つまり、そうした「張り合いによる努力」は、結局は空しいものであり、本質的な満足にはつながらないという洞察。
この後の節(4:6)ではこう続く。
「手のひらいっぱいの安らぎの方が、両手いっぱいの労苦と風を追うことよりましである。」
「人間はただ、狂った時代に、狂ってダンスを踊っているだけ」という言葉には、人生の不条理や社会の混沌に対する諦め、あるいは皮肉な観察が込められています。
ユダヤ教的な視点から見ると、この考え方は一面の真理を含みつつも、最終的にはユダヤ的世界観とは異なる方向を指しています。
つまり、ユダヤ教は世界の混乱や理不尽さを否定しません。人間は確かに時代の流れに巻き込まれ、ときに「狂ったように」見える世界を生きている。
しかし、それでも世界は無意味ではなく、神の意志の中にある秩序が存在すると教えます。
ユダヤ教では、踊りは単なる気まぐれではなく、神への喜びや生命への感謝の表現です。
つまり、もし「踊り」が「混乱に流される無意味な行動」を指すならユダヤ教はそれを戒めますが、もし「踊り」が「困難な時代の中でも神を見失わず、生命の意味を表現すること」なら、それは非常に尊いものです。
むしろ、人間はティクンオラム(世界の修復)、すなわち「世界をより良くする責任」を負う存在とされます。
世界が狂って見えるのは、私たちにその混乱の中で意味を見出し、行動する使命があるからです。
これは、「狂った時代に、どう踊るか」を示すユダヤ的答えとも言えるでしょう。
この現象は、タナフ(聖書)やタルムードでもたびたび語られています。
「なぜ悪や愚かさが目立ち、善や知恵が隠されるのか」
彼は、愚か者が栄える現実を見て心が乱れました。しかし彼は神殿に入り、悟ります。
つまり、ユダヤ的視点では、今見える「栄え」は最終結果ではないのです。
SNSの評価や人気は、「この世」の一時的な見せかけ(הֶבֶל, hevel=虚しいもの)にすぎません。
「すべては虚しい(הֲבֵל הֲבָלִים, hevel havalim)。」
真の価値は「天の裁き」で決まる。世間の人気は、多くの場合「耳に心地よい言葉」を語る者に与えられる。
しかしトーラーの真理は、しばしば人に「挑戦」と「不快」を与えるものです。
だから、ラビたちが評価されないことは、実は彼らが真理を語っている証拠でもあるのです。
カバラ的に言えば、世界は「クリッパー(קליפות, 外殻)」に覆われています。
これは善の光を隠す「殻」のような力です。
SNSや世俗文化の多くは、この「殻」の領域に強く働きます。なぜなら:
派手な炎はすぐ消えるが、ランプの灯は長く燃える、という比喩がタルムードにもあります(シェバット 31a)。
ピルケイ・アヴォット(祖先の言葉)4:2にこう書かれています:
「ミツワーはミツワーを生み、罪は罪を生む。」
つまり、善の結果は目に見えないところで積み重なり、最終的に永遠の世界で報われる。
「どんな人も軽んじてはならない。どんな行いも無視してはならない。すべての人に時がある。」
ラビや善人の評価が表に出ないのは、彼らの時がまだ来ていないだけなのです。
もしあなたが「善が報われない」と感じるなら、それは神があなたに「外ではなく、内に目を向けよ」と促しているサインかもしれません。
| 世俗の価値観 | ユダヤの視点 |
| 人気・フォロワー数 | 神の前での誠実さ(אמת, emet) |
| 目立つことが成功 | 隠れた善が真の成功 |
| 今この瞬間の評価 | 永遠の次元での評価 |
| 愚者が栄える | 賢者は神のもとで報われる |
この問いはまさに「アサフの苦悩」と呼ばれる、霊的成熟の通過点です。
この主張 「神を全面信頼する。なぜなら男性乳首を設計したから」は一見冗談のように聞こえますが、タルムード的に読み解くと、いくつか深い視点が考えられます。
タルムードの思想には、「神が創造したものには無意味なものはない」という考え方があります。
たとえば:
"The Holy One, blessed be He, does nothing in vain.” (ベラホット 10a、サンヘドリン 37aなどの文脈にも近い思想)
つまり、たとえ人間には「無駄」に見えるものでも、神の視点では何らかの意味や目的がある。
この言葉の発言者は、「男性の乳首」という一見不要に見える存在さえも創造された神を見て、「そこまで完全な設計をされたなら、他のことも信頼できる」と感じている、という読み方ができます。
「神はすべてを時にかなって美しくされた。人は神のなさることを初めから終わりまで見極めることができない。」
この発言は、「神の創造の不可解さ」を笑いながら受け入れ、それをもって「だからこそ信じる」と言っているわけです。
タルムード的なパラドックスのユーモアにも似ています(例:Eruvin 13bの「これもあれも神の言葉」など)。
タルムードの賢者たちは、しばしばユーモラスな比喩を用いて信仰や哲学を語ります。
この発言も、皮肉に見えて実は「創造の完全さ」「神の知恵の深さ」への驚嘆を、俗っぽい表現で表したものです。
たとえばラビ・アキヴァのように、「すべてのことは神の慈悲によって」と言いながらも、世俗の中に神の意志を見出そうとする姿勢に似ています(Berakhot 60b 「すべて神がなさることは良いことのためだ」)。
例えば「犯罪者を擁護するなんて、君は犯罪をしたいに違いない」みたいなやつ
総じて言えば【人身攻撃(personal attack、Ad Hominem)】になるらしい
概要: 議論そのものではなく、相手の人格や属性を攻撃する論法
または【モチーフ・アトリビューション・バイアス(Motive Attribution Bias)】というのも近い
概要: 相手の行動や意見の動機を悪意として解釈する心理バイアス
ChatGPTは「「悪意帰属型アドホミネム(Motive Attribution Bias)」を推していた
参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Attribution_bias
【連座論法・連帯責任論法(Guilt by Association)】という
概要:集団内の一部の悪質な行為や発言を、集団全体の本質や主張そのものに結びつけて否定する論法
面白い概念として【ポイズニング・ザ・ウェル(Poisoning the Well)】もあった
概要:議論の場に先に毒を流しておき、相手集団の発言が最初から信用できないようにする
例えば「これを否定する奴は皆ロリコンだ(だから否定するなよ)」みたいに
【ストローマン論法(Strawman Argument)】 も有名だね、別名は藁人形論法
概要:集団のうち「最も過激で悪意のある意見」を意図的に取り上げ、それを集団全体の主張であるかのように歪めて批判する
まあ、こういう事言う人間・議論の場からは離れたほうが良い、単に傷つくだけだから
不思議なもので、誤謬や詭弁を使わないけど主張が異なる人とは有意義な議論ができるんだけど
誤謬や詭弁を使う相手とは、意見が同じだろうがまともな議論ができないんだよね
もし建設的な議論が成り立つ人が居たら意見が合わなくても大事にするべきだ
参考
詭弁 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81
誤謬 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC
今ってAIという素晴らしいものがあるんだから、「自分の意見は詭弁か?相手の意見は詭弁か?」って聞けばすぐ返ってくるよ
____
伸びてたブコメ
PrivateIntMain 議論しましょうねで納得して始めた話なら非難されて然るべきだが、公園で勝手に叫び出して横から叫び返されて議論のルールとか持ち出すのは、そもそも勝手に議論始めた気になってんじゃねぇよとしか。
↓
この文章には、いくつかの議論上の詭弁・誤謬的要素が含まれています。特に次の2点が挙げられます。
・ここでは相手の状況を、実際よりも極端に単純化して**「公園で勝手に叫ぶ」**という比喩に置き換えています。
・これにより、本来の「議論のルールを持ち出す状況」を矮小化し、相手の主張を弱めて攻撃しやすくしています。
本来は「相手が議論を求めたのかどうか」「議論の前提合意があったか」という複雑な問題があるのに、
「ただ勝手に叫んでいるだけ」という極端な形に置き換えているためです。
2. 偽りの二分法(False Dichotomy)
A. 「議論しましょうね」と合意して始めたならルールを持ち出すのはOK
実際にはその中間として、
しかしこの文章はAかBかという単純化で話を進めているため、偽りの二分法にあたります。
「公園で勝手に叫び出す」という比喩自体が感情的な印象を与え、相手をバカにするニュアンスを強く含みます。
これは論理的誤謬というよりもレトリカル・トリックですが、議論ではしばしば「人格攻撃的訴え(Ad Hominem)」の一種とみなされます。
僕にはとてもできない
さて今私は何を使っているでしょうか?