はてなキーワード: 古典とは
ワイ(6歳からRuby弄ってたCS一本足打法、大学も情報系でAIとビッグデータ解析専攻)やが、日本のIT業界があまりにもアレすぎて外資に転職する前にメンタル逝きそうやから吐き出させてクレメンス。
言っとくがワイ自身の評価はめちゃくちゃ高いで。その上でこの業界のアカン所を書き殴らんとSAN値ゴリゴリ削れてやってられんのや。
これマジでなんなん?技術力もセンスも海外の一線級と戦える地力はあるくせに、異様なまでに被害者意識と他責思考が強くてセルフデバフかけとるやん。X(旧ツイッター)のエンジニア界隈見ててもほんまきつい。
ぶっちゃけワイ、その時代は親父の金玉の中で受精すらしてないレベルのキッズやったから体感したことないんやが、お前らいつまで「政府がIT業界を潰した」「Winny裁判がー」「就職氷河期がー」「リーマンショックがー」って言うとんねん。
Winnyっていつの時代の話やねん。まだPCがブラウン管でOSがWindows Meとかの時代やろ?四半世紀前の話をいつまで引きずり回しとんねん。
確かに社会のせいにしたくなる気持ちはわかるけど、15年も20年も前の出来事で人生激変するか?
それとも何?20年前に日本政府が真紅のベヘリットでも使って理系人材を生贄に捧げたんか?無惨様に家族でも惨殺されてエンジニアやりながら鬼殺隊に入隊でもしたんか?違うやろ。
謎の「昔は世界No.1のIT大国だった(要出典)」っていう過去の栄光に固執しすぎやし、変な拝金思想まで絡んで技術とセンスにデバフかかっとんねん。
儲けたいんか技術高めたいんかハッキリせーや。金儲けしたいなら不動産とか保険営業でも行けばええやろ。病的に高いプライドのせいで若造が何言うとんねんってキレるかもしれんけど、そういうとこ直さんとアカンで、オッチャンら。
これが若手のマネジメントに致命的な悪影響及ぼしとるわ。エンジニアは全員オタクで若い子はみんな「なろう系」見てるみたいな決めつけマジでやめろ。オッサン以外誰も見てへんからな?
正直これが一番きつい。最近辞めたあの子もあいつも、10中8九これが原因やで。
こっちは難しいITの話がしたくてこの業界に入ってきとんのや。それなのに「難しい話は置いといて〜」とか言ってアニメやラノベの話されても「ハァ?」としか言えんわ。
仕事の難しい話をしてくれや。AIでもビッグデータでも、海外の最新論文でもP2PでもGitHubでバズった面白い投稿でも何でもええ。
ワイらが「すげえ!」って思える、生身のエンジニアとしてのカッコいい姿を見せてくれや。若手は男も女もそういう所に憧れるんや。
それを「若者の趣味がわからんから」って良かれと思ってラノベやアニメの話されても、「ガキ扱いして舐めとんのか」としか思わん。酒飲める年齢の高等教育受けた人材雇っといて、いきなりガキ扱いでオタトーク開始とかそれ自体がハラスメントやぞ。
IT企業でIT技術の話をして雑談したってパワハラにもセクハラにもならんやろ。
一番テンション下がったのは、会社の推薦図書になろう系ラノベ入れるのな、マジでやめろ。
なんであんなになろう系大好きなん?若者は見てへんって。オッサン同士でエコーチェンバーかまして「若者に人気!」って言い合っとるだけやん。
オーム社の『テスト駆動開発』とか、矢沢久雄の『プログラムはなぜ動くのか』とか、古典なら『人月の神話』とかな。
もう読んだけど、もう一回読んで感想文書けって言われたら喜んで書くわ。名著なんやから。
無職なんたらだの転生ウンタラだの、極まったオッサンだけがXで騒いでるアニメの原作小説を読ませて、IT業界の何の役に立つんや?異世界転職でもするんか?
仮にウェブ小説が実務に役立つ業界やとしたら、冷静に考えてその業界相当ヤバいぞ。自覚あるか?
他責思考となろう系ばっか読んどるから社会常識が育ってへんねん、お前らオッサンエンジニアは。
お前らが押し付けてきたそれらの本、13〜14年前の作品やろ?その頃ワイら小学3年生やぞ。自分の立場で考えてみーや。2001年に入社していきなり1987年のアニメ本読まされて感想文求められたらどう思うよ?絶望で膝から崩れ落ちるわ。
「難しい話だととっつきにくいと思って〜」とか言い訳せんでええから、会社で推奨すんなあんな本。こっちは情報技術の難しい本を読みたくて来とんのや。
「Z世代は馬鹿だから難しい本読めないやろ」ってネットの真に受けて決めつけとるんか?なろう系キメすぎて価値観バグっとるからわからんのやろうけど、普通の頭してたら「子ども扱いして侮辱しとんのか?」としか思わんぞ。
人生思い通りにならんくて承認欲求に飢えとるのはわかるけど、人間としての尊厳だけは捨てんといてくれや。
多分この2つ改善するだけでデバフ消えてハイパフォーマンス発揮できると思うで。あと病的に高いプライドな。
この文章に対して「主語がデカい!!」「そんなこと言ってない!」「AI生成だろ!」「これはベンチャーの話じゃない!」とか他責思考の鳴き声上げとるオッサン大量におるけど、これのどこがAIやねん。お前らの言い訳の可能性潰して悪いけど、これでも一応ベンチャー企業での話やで。
AIと人間が書いた文の区別もつかんフシアナアイズどもが「俺たちITエンジニアを舐めるな!」とかどの口が言うとんねん。ギャグとしても寒すぎて笑えんわ。
メンタル病んでこの業界脱落する若手が多いの、絶対このオッサンらのせいやろ。雲より高い理想と承認欲求に現実が追いついてないだけやん。
ほんまもったいない生き方しとるで、今の日本IT業界のオッサン共は。
https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/
自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界のカート・コバーン」へと還元し、その自己破滅をロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレスの作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症や自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身の肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。
だが、昔ながらの保守的な批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。
ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現を模倣したウォレスの自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体の鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的な理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。
ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義(登場人物だけがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。
要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである。
しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムそのものと混同することだ。ヒューバート・ドレイファスとショーン・ドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。
ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。
芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉なニヒリズムそのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。
この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガンに投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)
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ウォレスは、ドナルド・バーセルミやトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトをさらに推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)
その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組が最後にカメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省がプレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。
そのため、最初の長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代の卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。
続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学の創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸の創作プログラムに所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度そのものの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースやバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。
「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。
全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来の北アメリカが「北米国家機構(Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界を舞台にしている。
そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンスも活動しており、ウォレスは物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。
しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家そのものが巨大企業に圧倒されてしまっている。
「ワッパーの年」
この意味で、ウォレスはモダニズムの問題意識をさらに徹底させた作家だった。消費社会が人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である。
消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。
その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画『Infinite Jest』だ。
この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれてしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画をテロ兵器として手に入れようとする。)
この映画を制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリン、マリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。
一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。
そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールド・テニス・アカデミーである。ここは、ウォレス自身が哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。
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『Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である。
その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)
現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。
その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。
つまり、この作品はポストモダン社会の民族誌(エスノグラフィー)なのである。
時間も空間も商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要なものが押し流されてしまう危険も見抜いている。
マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネットが社会を支配する以前、1996年に出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。
「文化が逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」
「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」
『Infinite Jest』は、一つの世代の感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。
とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代にMTVが誕生し、大学時代にインターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。
語り手は、自己意識の牢獄や、無限の可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から、不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。
ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。
薬物依存と絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである。
この見方は私だけではない。
ウォレスの親友の一人だったジョナサン・フランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。
フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。
「私たちの多くにとって人生の意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレスの小説世界ではほとんど存在しない。」
しかし、その一方で彼はこう続ける。
「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分は理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」
私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。
読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。
ウォレス自身もまた、依存症や欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。
そして、この点こそが、ウォレスとフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。
二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。
極端な自己意識、メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。
フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。
私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。
あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。
なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。
それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。
しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものはシニシズムではない。
むしろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである。
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しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである。
それは現代の絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろ、ポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。
もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。
「革新的な文体を用いて、保守的な小説の目的を果たすにはどうすればよいか。」
『ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである。
しかしマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解そのものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。
「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」
彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。
作家スティーブ・ムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカルな世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。
「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」
先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。
そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。
これは決して矛盾ではない。
つまり、「ウォレスは小説の道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。
私たちは、「型破りな文体=非道徳的」という思い込みそのものを退けなければならない。
むしろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。
アップダイクの美文主義では、文体そのものが読者の注意を引きつける。
しかしウォレスが探していたのは、現代の私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。
だからこそ彼は、その声を通して、私たちに真正面から、誠実に、そして道徳的なビジョンを語りかけることができたのである。
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だからこそ、ウォレスがフョードル・ドストエフスキーの人生と作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。
ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。
「もっとも重要なのは、ドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分の文学的栄光しか考えていなかった人物――から、
## ブレット・イーストン・エリス(Bret Easton Ellis)
ブレット・イーストン・エリスは、1980年代の現代アメリカ文学を代表する小説家・脚本家です。富と享楽に満ちた若者たちの虚無と狂気を、冷徹かつ不穏な文体で描くことで知られ、数々の映像化作品でも世界的なカルト的人気を誇っています。
## 代表作
ウォール街のエリート証券マンでありながら、夜な夜な猟奇的な殺人を楽しむサイコパスを描いた長編小説。映画化(クリスチャン・ベール主演)もされ、1990年代のアメリカ社会や消費至上主義に対する強烈な風刺として現代の古典となっています。
彼が21歳の時に発表した鮮烈なデビュー作。クリスマス休暇にロサンゼルスへ帰省した大学生の視点から、ドラッグと退廃的なパーティに溺れる若者たちの日常を描きました。
13年の沈黙を破って発表された集大成的傑作。彼自身の高校時代を舞台に、私小説的なタッチと連続猟奇殺人鬼の恐怖が交錯する大作で、ドラマ化も進行しています。
彼の作品は「文学界のブラット・パック(Literary Brat Pack)」(若き文学の悪童たち)と呼ばれた世代に属し、主に富裕層の若者のアイデンティティの空虚さ、ドラッグ、性、暴力をミニマリズム的な文体で淡々と綴るのが特徴です。読者に善悪の判断を委ね、狂気と現実の境界を曖昧にする「信頼できない語り手」の手法を多用します。
## その他の活動
長編小説のほか、自身のエッセイ集『White』では現代のキャンセルカルチャーやSNS時代の同調圧力に異議を唱え、表現の自由を擁護するなど、辛口な社会批評家としても活動しています。
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絶版なのかな?😟
ちくまだったか、私はちゃんと持ってますけど、インド人、って差別的ですけど、
ハードウェアは理解できても、いくらコンピュータを分解しても、ソフトウェアは理解できない、それが幽霊、ゴースト…😟
といっても、ソフトウェアも電気的に解析できるはずですけどね…😟
還元主義的なモノの考え方の否定であると思うけど、私は還元主義も大事だと思ってる、
我々人類は、最終的には人体、脳、人間を作れるようになり、最終的には宇宙を作れるようになるべきです…😟
でも、還元主義的発想ではそこまでたどり着けない、無限とも思える距離があります、
だから、乱暴でも他人の臓器を移植して無理矢理動くか試してみる、その前にヤギとかで試してみる、
意外と神さまは交換可能に作っていることに気付く、
私も身体障害があり、大手術を何度かしてるので、拒否反応があってもおかしくない、
それが今のところ起こってないのは、これまでの多くの動物実験、人体実験のおかげです…😟
神さまはアダムの肋骨を切除して、バイオテクノロジーで培養してイブを作りました、みたいなことを聖書に書いてあるわけで驚かされますが、
神さまは自らに似せて人間を作ったというから、じゃあ、神さまもパーツで構成されているの?と思ってしまいますが、
私はそういう神さまだとは思っていません…😟
ジョー・ホールドマン『終りなき戦い』Joe Haldeman, The Forever Warは1974年に公刊され、翌年のネビュラ賞、翌々年のヒューゴー賞を受賞して、半世紀を経た今日でもロバート・A・ハインライン『宇宙の戦士』と並ぶ宇宙戦争SFの古典として読み継がれているが、初版の翻訳である日本語訳(風見潤訳、早川書房、1978年)ではいまひとつその高評価の理由がわかりにくいうらみがある。実は本書は初版刊行時には編集者の意向で内容が修正されており、今日の高い評価は1991年の原型復元版、そして1997年の決定版に主に基づいている。
ここでは重要な修正箇所(地球への帰還、除隊から主人公の母親の死の手前まで)を現行版(2011,Ridan。この他SF-Masterworks版などがある)に基づいて邦訳したものをアップする。邦訳作業はDeepLで下訳したものを適宜修正した。旧版の邦訳は国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる(https://dl.ndl.go.jp/pid/12586124)ので、読み比べていただきたい。
知られているように初版の邦訳者風見潤氏は、詳細は不明だが既に物故していると推定される。
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(「シリ大尉登場前までは旧版と同じ。シリの階級が軍曹から大尉になっている。)
「しかし、この世界についてもっと詳しく話すために、地球から到着したばかりのシリ大尉に話を引き継ぐことにする。大尉?」
「ありがとうございます、将軍。」彼の肌や顔に何かおかしいところがあるように見えたが、やがて俺は、彼がパウダーと口紅を塗っていることに気づいた。彼の爪は、滑らかな白いアーモンドの形をしていた。
「どこから話せばいいのか……」彼は上唇をすぼめ、眉をひそめて私たちを見つめた。「私が少年だった頃と比べて、世の中は本当に大きく変わってしまった。
「私は二十三歳だ。つまり、諸君がアレフへ旅立った時、私はまだおむつをつけていた頃だ……まず最初に、ここにいる諸君のに同性愛者は何人いる?」いやしない。「それは特に驚きではありません。だが私はそうだ。ヨーロッパやアメリカの人口の約三分の一はそうだと思う。
「ほとんどの政府は同性愛を奨励している――国連は中立で、各国の判断に委ねているが――彼らが同性愛生活を奨励するのは、主にそれが唯一確実な避妊法だからだ。」
私にはそれはこじつけに思えた。軍隊での我々の避妊方法はかなり確実だ。すべての男性が精子バンクに精子を預け、その後、精管結紮術を受けるのだ。
「将軍がおっしゃったように、世界の人口は90億人だ。諸君が徴兵されてから2倍以上に増えている。そして、その人々の3分の2近くが、学校を卒業するやいなや生活保護を受ける羽目になっている。
「学校といえば、政府は君に何年間、公立学校での教育を受けさせた?」
彼は俺を見つめていたので、私は答えた。「14年です。」
彼はうなずいた。「今は18年だ。試験に合格しなければ、さらに長くなる。そして、どんな仕事にも就く資格を得たり、第一種給付を受ける資格を得るには、法律で試験に合格することが義務付けられている。そして、若造よ、第一種以外の給付だけでは、生活するのは難しい。わかるか?」ホフスタッターが手を挙げていた。
「サー、どの国でも公立学校は18年間あるんですか? そんなにたくさんの学校をどこで見つけるんですか?」
「ああ、ほとんどの人は最後の5、6年間を、自宅やコミュニティセンターでホロスクリーンを通じて学ぶんだ。国連には40から50の情報チャンネルがあり、24時間体制で授業を行っている。
「だが、君たちのほとんどはそんなことを気にする必要はないだろう。軍に入れば、君たちはすでに頭が良すぎるくらいだからな。」
彼は、実に女性らしい仕草で目にかかった髪を払い、少し口をとがらせた。「歴史について少し話そう。諸君が去った後に起きた、最初の本当に重要な出来事は『配給戦争』だったと思う。
「それは2007年のことだ。多くの出来事が同時に起きた。北米でのイナゴの大発生、ビルマから南シナ海にかけての稲の疫病、南米西海岸一帯での赤潮――突然、皆に回すだけの食糧が足りなくなってしまったのだ。国連が介入し、食糧配給を掌握した。 すべての男女、子供に配給手帳が配られ、それによって月に一定量のカロリーを摂取できるようになった。もし月間の割り当て量を超えてしまったら、翌月の1日になるまで空腹を我慢するしかなかったんだ。」
アレフを過ぎた後に拾い上げた新参者の中には、集合代名詞として「he, his, him」の代わりに「tha, ther, thim」を使う者もいた。それが普遍的なものになったのかと私は思った。
「当然ながら闇市場が生まれ、まもなく社会の各階層の人々が消費する食料量に大きな格差が生じた。エクアドルの私兵集団『インパルシアルス』は、栄養状態が良さそうな人々を組織的に暗殺し始めた。この動きは瞬く間に広まり、数ヶ月も経たないうちに、世界中で全面的な、非公式の階級戦争が繰り広げられるようになった。 国連は1年ほどで事態を収拾することに成功した。その頃には人口は40億人にまで減少し、作物はほぼ回復し、食糧危機は終息していた。配給制は維持されたが、それ以来、これほど厳しい状況には二度と陥っていない。
「ちなみに、将軍は諸君の理解を助けるためだけに、受け取る金額をドルに換算していた。今や世界には唯一の通貨、すなわち『カロリー』しか存在しない。諸君の3万2千ドルは、およそ30億カロリーに相当する。あるいは300万k、キロカロリーだ。
「配給戦争以来、国連は実行可能な場所であればどこでも自給農業を奨励してきた。もちろん、自分で育てた食料は配給の対象外だ……これにより人々は都市から離れ、国連の農業保留地へと移り住み、都市部の問題の緩和に寄与した。しかし、自給農業は大家族化を助長する傾向があるため、配給戦争以降、世界の人口は2倍以上に増えている。
「それに、僕が少年時代に覚えていたような電力の豊富さはもうない……君が覚えている頃よりも、おそらくかなり少ないだろう。 世界中で、昼夜を問わず電力が使える場所はほんの数か所しかない。一時的な状況だと言い続けているが、もう10年以上も続いているんだ。」
彼はそんな話を長い間続けた。まあ、正直なところ、その多くは別に驚くことではなかった。この2年間、俺たちは他のどんな話題よりも、故郷がどんな様子になっているかについて話すことに多くの時間を費やしてきたからだ。残念なことに、俺たちが予言した悪いことのほとんどは現実のものとなってしまったようだが、良いことはほとんど実現していない。
俺にとって最悪だったのは、おそらく、素晴らしい公園の大部分が彼らに接収され、小さな農場に分割されてしまったことだろう。手付かずの自然を探そうと思えば、植物を育てることなど到底不可能な場所へ行かなければならなかった。
彼は、ホモライフを選んだ人々と、彼が「ブリーダー」と呼ぶ人々との関係はかなり円滑だと言っていたが、俺は疑問に思った。俺自身、同性愛者を受け入れることにそれほど抵抗はなかったが、これほど多くの同性愛者に接した経験はなかったからだ。
また、失礼な質問への答えとして、彼は自分のパウダーやメイクは性的嗜好とは何の関係もないとも語った。単にスタイリッシュなだけだ、と。俺は時代遅れになる覚悟で、素顔のまま過ごすことに決めた。
20年の間に言葉遣いがかなり変わっていたとしても、驚くことではなかったのだろう。両親はいつも物事を「クール」だと言ったり、ジョイントを「グラス」と呼んだりしていたし。
地球へ戻る乗り物が手配されるまで、数週間待たなければならなかった。俺たちはアニバーサリー号で帰ることになっていたが、その前に船を分解して、再び組み立て直さなければならなかったのだ。
その間、俺たちは居心地の良い2人用の宿舎に配属され、すべての軍務から解放された。俺たちのほとんどは、図書館で22年分の時事問題を追いかけようと日々を過ごした。夜になると、下士官クラブ「フローイング・ボウル」に集まった。もちろん、二等兵がそこにいるのは本来許されていないことだったが、蛍光色の戦闘リボンを2本もつけている人間には、誰も異議を唱えられないことがわかった。
バーでヘロインが提供されていることに驚いた。ウェイターによると、中毒にならないように「相殺用の注射」が打たれるそうだ。かなりハイになって、一度試してみた。二度とやらない。
ストット少佐はスターゲイトに残り、そこで新たなアルファ攻撃部隊の編成が進められていた。残りの我々はアニバーサリー号に乗り込み、6ヶ月間の旅を比較的快適に過ごした。コルテスはすべてを「軍隊」らしくするとは主張しなかったため、ヨド4からの旅よりもずっと快適だった。
この夏はそうめん大活躍なんですけど!って言うぐらい気が付いていなかったそうめんの夏の偉大さ。
というのも、
特に私はゲーミングで忙しい一刻も早くゲーミングそうめんを茹で上げて食べるという、
あとはもう面倒なのでカッツ野菜を買ってきて、
それを茹でた素麺と和えてサラダ感覚で食べるサラダ素麺も簡単で
2分で茹で上げられちゃう!って凄くない?
素麺って信用してなかったけれど、
電気ポットもお湯を沸かす鍋に移して火を付けて沸かせば、
ずーっとキッチンが火だらけになっていない暑くない快適な私の素麺ライフを送れるのよね。
あれは西麻布のお洒落なお店にしか出てこないそれこそシャレオツでお洒落なアイテムだから、
まあそんなわけで、
ちょこんと厚切りに切った鰹のタタキに乗せてポン酢を掛けていただくという、
夏のこれ完全栄養食品じゃね?ってぐらいもうこれで暮らせそう。
そんで、
うわ!
ブロックくずしではないけれど迫り来るブロックをボールを投げて反射させて上手く消していく、
且つ、
ボールもアットランダムで支給される際に攻撃力の強いボールがもらえると、
ふふふ!
今のところ2位とも大差を付けて、
ユニオン長とは16倍ぐらいのスコアの差を付けてぶっちぎりの1位ってところね。
でもシーズンはまだまだ長いからきっと多分追い抜かれるスコアかもしれないけれど、
あれってさ、
自分の腕前より支給される攻撃力の強いボールがやって来る運の良さでゲームの進行が変わってくるので、
私は気付いちゃったんだけど、
ほぼ運ゲーじゃない?って。
ボールの攻撃力が弱かったらぜんぜん固い敵のブロックを破壊できないから、
支給されるボールの攻撃力にかなり左右されるってことに気付いて、
気が済んだので
これ以上このゲームをやることはないわ!って自信に満ちあふれる笑顔がこぼれたの!
時間を費やしている暇はないのよ。
私は手っ取り早くまたゲーミングパワーを摂取できるように
スーパーマリオに挑戦するの!
もう8-4はクリアできたので今度は自力で死んでも巻き戻し機能を使わずに、
つまり!
私のここで培ってきたゲーミングパワーの実力を真に試すときが来たの!
で結果は、
3-4でゲームオーバーよ。
所詮私のゲーミングパワーをもってしてもこの程度ね!ってガッカリしちゃったわ。
もう巻き戻し機能の勢いを使ったらそれこそ8-4クリア待ったなしだと思っていたのに。
そうは美味しい海苔問屋が美味しい海苔を簡単には卸してくれないように、
なので、
私のゲーミングパワーはいま34よ!
ぜんぜん数値低いわ!って思いつつ、
今度はレトロゲームの何故か私のゲームライブラリに入っている『ワルキューレの伝説』に挑戦!
コインたくさん投入してやられても即ゲーム再開できるというパワープレイでプレイ!
レトロゲームだからって簡単にしかもコインをたくさん使えばすぐにクリアできちゃうわ!って
古典を味わおうって思ってそんな簡単な安易な気持ちで挑戦したのよね。
まあ最後のボスまではコインのコンティニュー押しで押し切ってそこまで簡単に到達できるんだけど、
鬼過ぎて鬼だったわ。
飛んで空中にいる雷雲に当たると容赦なくその場に落ちてしまって水没してしまう、
そんでもって岸の手前からの再開!
これ当時1コインでクリア出来た人本当にいるのかしら?っていうぐらい、
この最後の川の動く足場が鬼過ぎて雷で私を狙ってくる雷雲が邪魔でどうしようもなかったわ。
諦めようとしたとき、
私もヤケになってヤケのヤンパチで苦労に苦労を重ねてラスボスのいる岸まで辿り着いたわ。
ラスボスは積んだコインのパワーでやられても即コンティニューしつつあっという間にやっつけることができたわ。
最後のボスがいる岸に渡る動く足場で狙ってくる雷雲の場面が一番理不尽すぎて、
個人のパーソナルの根性だけが試されるシーンでクリアした途端に
嬉しい楽しいワーイ!ってよりなんかドッと疲れちゃったわ。
レトロゲームってこんなのばっかりなの?
もうその時点で私は力尽きて寝ちゃったわ。
調子に乗って安いからって名作っぽいレトロゲームに挑戦だ!って思ったら、
まあとりあえず私はレトロゲームとは言え、
クリアしたという達成感と共にゲーミングパワーが1つ上がったのよね。
これで私のゲーミングパワーは35ポインツになったわ。
ゲーミングパワーを1上げるのも辛いわね。
うふふ。
雨降って風が湿気ていてなんだか嫌だわー。
ここのところの雨の天気が多いってのが心にも傘が必要なぐらいな気持ちよね。
しっかり食べて頑張るわ!
この美味しさのウォーラー忘れていたわ。
本当にこれもう飲むポップコーンよね。
コーン茶未挑戦な人は試してみて美味しいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
面白いSFが読みたい、とかそういう話じゃなくて。
いまの時代の必読SF作品はキム・スタンリー ロビンスンでしょ、ってこと。
イーロン・マスクが何を考えてるかを語るなら、まず「レッド・マーズ」3部作は読んでおかないと話にならないのよ。
正直、既に古典の領域だし、とにかく描写がくどいのでとっつきは滅茶苦茶悪い、SFを読みなれてなければ苦行に近い。そして描かれた火星像は既に科学的に否定されている部分も少なからずある。
だけど、それでもなんとかレッド・マーズだけでも一回読み切って、2周目に入ったときの解像度の上がり方が凄い。
読んでみればわかるんだけど、そこで描かれたビジョンそのものはイーロンがやりたいやりたい言っている火星植民の具体像そのもので、イーロンが作中に登場している「最初の百人」や、それを送り出す地球の巨大コングロマリットの役員たちに自分を投影しているのは明らか。そして、イーロン自身はあえて避けるようにこの作品の話題に触れないのね。
次に、地球温暖化と気候変動を描いた「未来省」。この話は、冒頭、インドが50℃を大きく超える巨大な熱波に襲われて人々が死に絶えるところから始まるんだけど、本当に過酷な話。主人公も右往左往して本当に読みづらい。だけど、もうこの話に類似した事象があと数年で起きてもおかしくないことは昨今のニュースをみていればわかると思う。
「2312 太陽系動乱」は「レッド・マーズ」で時代遅れになった科学的知識を最新のモデルでアップデートした太陽系開拓時代の話。レッド・マーズを読み切ってると、ある意味姉妹編として読めるし、ハードSF寄りな太陽系植民時代の話はガンダム好きにもツボにはまる部分があるんじゃないかと思う。
どれも、これが正しい未来像だ解決策だ、とか、将来こうなる、というわけではないんだけど、おおむね現代を生きるにあたって、基準線として知っておいた方がいい物語であるのは間違いない、ってことなんだよね。
まぁ、一つの苦行だと思って挑戦してみてよ。
7/2
うちは お互いの距離感とかコミュニケーションの仕方が全く一緒
どこまで踏み込んでいいのかがみんな一緒
音読 模写
外的世界に対する感覚が違う それは言語が違うからやで うんうんうん
学問も全部そう
カルチャーなわけよ
な
ほんまに
そうやねん
adfsdfasdsfadfsadfasdfasdfsa
そのレベルじゃないものを知っておいてコンサプションした方がいい
違ういろんなテイストのものを知っておいて、いろんな飯食ってから、ラーメン巡りしなさい うんうんうん
エクスパンションしないとしないと へいへいへい へいへいへい へいへいへい へいへいへい へいへいへい
巻き込み巻き込み
へいへいへいへいへいへいへいへいへいへいへいへいへい
へいへいへい
へい
へいへいへい
へい
へいへいへい
へい
かもん
芸術であればあるほど消費されないんだよ
古典てのは訳わかんねえんだよまじで
今今今今今今今
あれ?
なんか急にスーパーマリオブラザーズが楽しいんですけど!って
こんなこと今の世の中にあるのかしら?
そんな古き良きものに触れて良さを感じているゾーンに入ったかのように、
あれ?
スーパーマリオブラザーズって面白くね?って
私のゲーム機にプリインストールされているスーパーファミコン版のスーパーマリオブラザーズも遊べて、
なんか動きはもしかして一緒だけど
スーパーファミコンのグラフィックのスーパーマリオブラザーズが遊べるのよね。
あれ?
面白くね?って
正しいルートを通ると「ピンポン」と正解音が鳴って間違ったら「ブッブー」って音が鳴るので、
分かりやすくなっているの!
そんでもって、
1ワールド1ワールドをクリアしていくたんびにご褒美グラフィックでキノピオが一人ずつ増えていく高度なボケをかましていて、
ここも見所!って思ってプレイが進んじゃうのよね。
そんで
クリアすぐできちゃうし死んでも瞬間巻き戻し機能のおかげで即やり直しできるし、
実質ノーミスで進めちゃっている感じなのよね。
こんなにも
スーパーマリオブラザーズって面白かったの?って気付き新鮮じゃない?
よーし!次のワールドへ冒険だー!って本当に冒険感掻き立てられる感じもいいのよね。
私はふと思ったの。
スーパーマリオブラザーズと対極の立場として作られたセガのソニック・ザ・ヘッジホッグも面白いんじゃね?ってもしかしてそう思いだしたの。
さすがに、
ソニック・ザ・ヘッジホッグは私のゲーム機にプリインストールされていないし、
ソニックレーシングクロスワールドで春日一番さんの車で「極!」「極!」ってクラクションみたいなボタン押したら出てくるソニックとは違う、
どこが結局オリジンなの?って。
私はそこでたこ焼きを頬張りながら、
ソニック・ザ・ヘッジホッグの元祖版をプレイしてみたら、
横スクロール大冒険アクションのスーパーマリオを追い越せ追いつけで開発された
ソニック・ザ・ヘッジホッグをプレイしたら、
私のゲーミングパワーが爆上がり達成感も得られて、
ゲームやったぞ!感の達成感をより手軽にそして比較的大量のゲーミングパワーを摂取できるのかも!?って思い始めたの。
ソニック・ザ・ヘッジホッグ元祖のやつ買って遊んでみようかな?って、
森口博子さんが歌っているドキがムネムネじゃない方の胸がドキドキのマジで興奮している方のドキドキ。
スーパーマリオって足場慎重に飛び越えて渡って、
そういう精密な操作の時はちょっとスピード感物足りないときがあるから、
激高速スクロールのソニック・ザ・ヘッジホッグは私の飢えたスピード感の高速スクロールに応えてくれるのかしら?ってそうも思うのね。
スーパーマリオブラザーズのシリーズをまず順を追って1から2そして3と
順番にやっていけば、
私の飢えた冒険心を満たしてくれるかもしれないけれど、
私はスピードに飢えているようなので、
今回は途中スーパーマリオブラザーズの面白さに気付いてそのゲーミングパワーが高まっているときに
ソニック・ザ・ヘッジホッグをやるとどうなるのか?
実験でもあるわ。
もしかしたらソニック・ザ・ヘッジホッグも超絶面白いんじゃね?って。
その時にはソニックレーシングクロスワールドの春日一番さんの車みたいに「極!」って言うから安心して。
ゲームって新しいリッチなグラフィックにサウンドにフルボイスに、
それがエンターテイメントかエンターテインメントかのどちらかと思っていた最前線じゃないとダメでしょ?ってイキフンとか雰囲気を漂わせている昨今、
もしかしてこういう、
横スクロール大冒険アクションも面白いのかも?って見直してみるのもいいかもしれない、
今ふつふつと沸き上がっているこの私の
ソニック・ザ・ヘッジホッグが満たしてくれるかもしれないわ。
夜やってみよう!って思うの。
ちょっと楽しみね。
ってかさ!
私が遊んでいてすっかり忘れていた、
『スーパーマリオブラザーズ・ワンダー』あれ当時買ったときは
私の心にこれっぽっちのスーパーマリオブラザーズの横スクロール大冒険アクションを渇望していなかった時に遊んでみようって買ってみたので、
案外ふーんって感想だったけど、
いま私の横スクロール大冒険アクションの感度がビンビンに上がっている今また一からやり直したら、
うわ!私のスーパーマリオブラザーズ!ワンダーしすぎ!って思うかもしれない。
ワンダーのことすっかり忘れていたわ。
ワンダーも一から最初からこの際再挑戦してみるのもいいかもしれないわ。
なんか途中までなんとなくで意識低めで進めてクリアしていた何の味わいもしていなかったスーパーマリオブラザーズ・ワンダーだったので、
いま超絶舌が肥えているときにやったら、
ソニック・ザ・ヘッジホッグも良いけれどワンダーやってみるのもありかもしれないわ!
私のゲーミングパワーもしかしたら爆上がりするかも!
おおお!
これは気付きよ。
夜帰って私のゲーム機のライブラリを開いて冒険に飛び出すのが楽しみよ!
夜ソニック・ザ・ヘッジホッグかワンダーやってみるわ!
うふふ。
種類がたくさんあると逆に定番のミックスかこういうハムタマゴとかになっちゃいがちな、
定番安定安心の美味しさの朝のハムタマゴサンドは心強い味方よ!
美味しく食べて元気とパワーとスタミナを付けるわ!
ってスタミナまでっていうと、
ハムタマゴサンドに負担かけすぎかな?ってちょっと心配になるので、
元気とパワーにしておくわ。
忙しいときは前の晩からお茶っ葉を入れてボトルを冷やしておけば、
翌朝に美味しい水出しルイボスティーウォーラーができているんです!
ってばりに簡単美味しいすっきりとした味わい。
夏に嬉しいウォーラーね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
英語だけが特別というより、英語が「library」を採用し、フランス語やドイツ語など多くのヨーロッパ言語が「bibli-系」を採用したという状況です。
英語 library
フランス語 bibliothèque
ドイツ語 Bibliothek
ロシア語 библиотека (biblioteka)
スペイン語 biblioteca
イタリア語 biblioteca
理由は、中世の英語が**ラテン語の librarium(本を保管する場所)**を経由した言葉を早い段階で受け入れ、それが定着したためです。英語にはもともとフランス語由来の bibliotheque も存在しましたが、一般語にはなりませんでした。
また、中世の英語では library は単に「書物の収蔵庫」や「蔵書」を意味しており、大学や修道院の書庫を指す言葉として広まりました。近代になって公共図書館が発達した際も、そのまま library が使われ続けました。
一方、大陸ヨーロッパではギリシャ語由来の bibliotheca(書物を保管する場所)が学術語として広く普及し、それが各国語に定着しました。
興味深いことに、英語にも bibliography(参考文献)、bibliophile(愛書家)、Bible(聖書) など bibli- 系の単語は多数あります。つまり英語が bibli- を嫌ったわけではなく、「図書館」という基本語だけが歴史的な経緯で library になったということです。
ーー
一方、「図書」という語そのものは日本で作られたものではありません。古代中国の漢語です。
図(図面・記録)
中国の古典にも「図書」という言葉は見られ、書物や文献を指しました。
したがって、
近代以降、日本で作られた「図書館」という語は中国にも伝わり、現在の中国語でもそのまま使われています。
つまり現在の中国語の「图书馆」は、日本で近代に整備された訳語の影響を受けて普及したと考えられています。
まとめ
語 起源
bibliothèque / Bibliothek ギリシャ語系のヨーロッパ語
明治時代には「図書館」以外にも、「哲学」「経済」「科学」「社会」「文化」など多くの和製漢語が作られ、それらが後に中国や朝鮮半島へ広まりました。
ーー
「図書館」を各言語で何と呼ぶかを、中国語表記も含めて並べると次のようになります。
フランス語 bibliothèque ビブリオテック 图书馆
韓国語 도서관 トソグァン 图书馆
興味深い点として、
中国語:图书馆
bibliothèque
Bibliothek
biblioteca
библиотека
→ ギリシャ語 bibliothēkē(本を保管する場所)系統。
library
つまり世界的には「ビブリオテカ系」が多数派で、英語の library はむしろ少数派です。日本・中国・韓国はそれとは別に、漢語の「図書館」系統を使っています。
サイバーパンクエッジランナーズのブックレットのインタビューでこの話が出てきたから読んだ
事前知識としてはなんかきーたことあるよーなないよーなー・・・って感じ
青空文庫で読んだ
https://www.hyuki.com/trans/magi.html
クリスマス、貧乏な夫婦がクリスマスの贈り物を伴侶に贈ろうとするけど、貧乏だから金がない
自分の大事なものを犠牲にしてお金を工面して、相手が一番喜ぶであろうプレゼントを用意するが、
贈り合ったプレゼントは、お金を工面するために二人が売ったものがないと意味をなさないものだった
(夫がおくったプレゼントは髪をとかす櫛だったが、妻は髪を売って金を工面。
妻が送ったプレゼントは懐中時計用のくさりだったが、夫は時計を売って金を工面)
しかし何を考えてそれを贈ったのかお互いにすぐわかった
だから役に立たないプレゼントだったとしても、とても幸せな気分になったのでした
チャンチャン
なんか見覚えあるなと思ったら前感想書いた魔女のパン書いた人だった
内容と読後感もどことなく似ている
ただこっちはあっちみたいになんともいえないもやもやした気持ちにはならない
お互いを思いやることの尊さ、すばらしさを、短編の中にこれでもかとばかりにエッセンスとして詰め込んでいる
最後にはもうこれ以上いらんだろというくらい、作者自身がそのことをとうとうと語っている。
言いたいことはわかった
なんかまどろっこしいんだよね言い回しが
全体的にさ
もはや古典こえた教訓に近いもんだからそれにイチャモンつけるのは野暮ってもんかもしれんけど、さ
24歳
今東京藝術大学に在籍している
クラシック音楽が好きで
13歳
魂に新しい道を刻まれた気がした
だけど極めれば極めるほど
遠いと400年前
最近でも100年近く前
そりゃそうか
木の枝でイノシシ捕まえてたような、ウンコを道端に捨ててたような時代の人たちが作ったのがコレなのだから
何一つ良さのない古典を落語のように繰り返すだけの芸術音楽業界
隣の畑は知的障害者が奇をてらっただけの叫び声が繰り返されるB級作業所状態
ねぇだろ
まともに演奏もできない知恵遅れが作った曲自分すら聴けないよな
死ねよ今すぐに
食うに足りるギリギリの金を上の方だけもらえるからそのギリギリに甘えて死んだ
かてぃんという本物を生かせば変われたかもな
でも、うちじゃ藝大出てないってだけですげぇ冷笑されてんだ
ジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエ著『Le Guide Culinaire(料理の手引き)』(1903年)や、ルイ・ソルニエ著『Le repertoire de la cuisine(フランス料理総覧)』(1914年)にも掲載されている『Homard Tourville(オマール海老のトゥールヴィル風)』という、古典フランス料理が存在する。
タンバル皿(グラタン皿)にリゾットを敷き、手鍋でマッシュルームをバターでソテーし、薄切りにしたオマール海老、牡蠣、ムール貝、トリュフを合わせ、クリームソースで和えてリゾットの上に乗せ、そして全体にモルネーソースをかけ、チーズをふってオーブンで焼く。
「トゥールヴィル」とは、17世紀に活躍した有名なフランス海軍提督トゥールヴィル伯アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン(1642年~1701年)のことで、「海将風」は本当はこれに由来するともされる。