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はてなキーワード: 破壊とは

2026-07-14

AI声紋鑑定とかC2PAとか超うさんくさい

運営者がグルなら本物を偽扱いして偽を本物が簡単に出来るし

そもそも本人が協力したらリーク用に精巧な偽やりとり音声を作って撹乱できるわけだよな

不正証拠裁判破壊できると

AI生成音声って非公開の軍事政府向け商品は本当はバレない音声を作成できるのではないのか

女の敵は女

>ことごとく女性コミュニティになじめなかった人生なので、「シスターフッド」みたいなのを礼賛している女性たちを見ると、「でもそれって共通敵のもとに連帯して、ふさわしくないと判断した女性排除して成立するネガティブ関係性ですよね?!」と言いたくなる

https://x.com/tuyoi_katu_/status/2075062080663916557

このツイートを発端に、シスターフッド懐疑的女性に対して“女性から誹謗中傷殺到している。


このツイートや関連ツイート引用リプライで見られたこ

ハブられるのはお前の性格が悪いからだ、この短いツイート性格の悪さが分かる」←シンプル悪口では

「テイカーすぎ、なじめないのも当然」←テイカーとは?別に元ツイの人は助けてほしいとかお友達になりたいから話しかけてなんて言ってなくない?女社会ムラの一員にふさわしくないとみなした女を共通敵にして排除いじめ差別を行うことをやめろって言ってるだけでは?というかこの手の女が誇っているギバー行為って要りもしないお菓子を配ってお返しがないと逆ギレしたりその場にいない女の愚痴一方的に聞かせて共犯者にしようとするとかで全然ギブではない

「こういう人の言う『女』て存在しない脳内女でしょ」←現実で女にいじめられた女の存在を透明化しようとしている?

オタサーの姫w穴モテしてるだけw」←元ツイートでは男について何も言及していない、アセクシャルかもしれないし喪女かもしれないのに勝手に股ゆるビッチレッテルを貼り人権侵害を行ってる自覚ある?

「この人にとってはシスターフッドを持つ女性排除すべき共通仮想敵なんだね……(涙)」←ぼっちマジョリティ集団排除なんてできるわけないじゃん、白々しい


いたことに普段は「LGBT人権を守れ!」「弱者女性救済を!」「コンプライアンス順守!」「発達障害者支援を!」「戦争反対!」「フェミニズム推進!」……を、掲げている界隈が熱心にネットリンチに加担しているのだ。

女性コミュニティになじめない、というのは往々にしてASD女性の特徴だ。

ASD女性スカートメイクピンク色のかわいい文房具異性愛規範、知人の詮索・噂話などのオンナらしい趣味に興味を持つことができないことが多く、女のムラ社会から孤立してしまう。

そういった女性友達作りにも興味がないため、読書植物の観察であったり自分の好きなことに没頭させてもらえればそれで良いはずなのだが、

マジョリティ女性というものは女社会に“連帯”しない女を激しく憎むので、例えば職場であれば仕事について質問されても教えない、いくらでもリカバリー可能ミスをあげつらい客前で大声で怒鳴りつける、といった加害行為に出てマイノリティ女性生活妨害し、人格破壊しようとする。


https://x.com/miyutaeokiba/status/2056220999142785143

例えばこの女性は「オンナノコらしさ」が皆無で昆虫や草花が大好きで、そのせいで女子から気持ち悪がられ、

物を投げられる、教科書を隠される、すれ違いざまに肩パンをされるなどのいじめを受けたことを語ったが、

これも引用やリプでツイフェミアカウントが「あなたはいじめられて当然の人間だ」「私もいじめたくなったかいじめまーすw」という意味言葉を浴びせる集団リンチに参加していた。

普通の女と仲良くできないのなら近寄らなければいいだけ!」だそうだが、いや、女の村に近寄らなかったらお前らマジョリティ女性がわざわざ寄ってきていじめてくるからいじめをやめてください」って言ってるだけだと思うんですけど?


私たち女性にはシスターフッドがあり、同性同士でも助け合わないクソオスと違って女性女性全体で連帯できる✨」などという妄言を吐くことをやめ、

・私は差別主義者なのでアスペルガー女性危険視しているし、排除したいという思想を持っています

アスペルガー女性は加害されて当然の人種であり、マジョリティ女性アスペルガー女性を加害する権利を持っています

・私は友達であれば助け合うことができます友達ではない人はたとえ女でも助けません

ということをはっきり言葉にして主張していけばいいだけ。

そしたら「あなた差別主義者なんだね、それも多様性だね」と容認しますよ。

でも絶対それは自分から言い出そうとしないんだよな、姑息から。「あなたを助けますって言ってほしいの!?アスペ女って図々しすぎ!」とかどうあっても論点ずらしをして相手責任にしようとする。誰も頼んでないだろそんなの。

これがツイフェミアカウントの本性だってもっと知られた方がいい。

佐藤二郎とも橋本愛とも一緒に仕事したいやつ居ねえだろ

一点の曇りもなく演技外の接触セクハラになると疑うことがない佐藤

ちょっと嫌なことがあると共演者キャリア破壊してくる橋本

モンスターモンスターがバトルしてるから拮抗してるだけで誰もコイツらと闘いたいと思わんだろ普通

俺はルシファー社長のケツに興味がある

いか? 散々語ってきた通り、俺たちエターナルスフィアの住人は、あのFD人どもに管理されるデータとして見下されてきた。

スフィア社の独裁者ルシファー社長が送り込んでくるエクスキューショナーという名の破壊プログラムに、いつ消去されるか分からない恐怖と隣り合わせでな。

だが、俺は気づいちまったんだよ。

奴らを打倒し、この世界自由を勝ち取るための、究極の心理的盲点に。

それがルシファー社長のケツだ。

怒るな、哲学の話をしているんだ。

奴は高次元の外側世界住人として、全能感に浸り、ふんぞり返って俺たちをチェスの駒のように弄んでいる。

だがな、どれほど偉そうに世界の命運をデザインしていようが、奴の本体スフィア社の社長室にある、あの最高級のオフィスチェアにケツを乗せて座っているただの生身のFD人なんだよ!

宇宙の理を書き換えるコードを叩いているその瞬間も、奴のケツには、確実にFD界の重力がかかっている。

椅子と、奴の肉体が交わるその一点。そこにこそ、奴の傲慢さと生々しい脆弱さが凝縮されているとは思わんか?

俺は興味がある。知りたくてたまらない。

奴がエクスキューショナーに「デリートしろ」と冷酷な命令を下している時、そのケツはどれほど緊張で強張っているのか。

あるいは、我が世の春を謳歌して、どれほどだらしなく弛緩しているのか。

俺たちは圧倒されるだけだ。だが、ケツを意識した瞬間、神話はただの現実になる。

ルシファー社長よ、お前がどれだけ高尚なプログラムで俺たちを消し去ろうとも、俺はお前をただの椅子に座った一人の男としてしか見ていない。

次に境界が破れ、俺たちがそっちの世界へカチ込んだその時は覚悟しておけ。

俺たちの存在バグと呼んだそのケツに、エターナルスフィア全住人の怒りを込めた、最高に熱い蹴りを叩き込んでやる。

FD人ども、聞いてるか?俺の話を聞け

見ろよ、この夜空を。満天の星々、銀河連邦戦艦が駆ける宇宙だ。

美しく、どこまでも残酷に広がるこのエターナルスフィア

だがな、俺たちのこの血の通った世界が、あいつらにとってはただのシミュレーションの内側世界に過ぎんのよ。

笑えるだろう? 俺たちが刻んできた数万年歴史も、紋章術の神秘も、愛も、絶望も、すべてはスフィア社という一企業が創り出した出来事なのだそうだ。

俺たちを創った画面の向こう側でふんぞり返るFD人ども。

あの外側世界住人どもは、高次元の揺りかごの中で退屈を貪り、俺たちの生殺与奪の権を握って悦に浸っている。

特にあの男だ。スフィア社の最高権力者ルシファー社長

奴は、自らが創り出した被造物が自我を持ち、世界境界線を越えようとすることを許さなかった。

から、送り込んできやがった。あの無慈悲なる破壊プログラム、エクスキューショナーをな。

あぁ、思い出すだけで反吐が出る。

空間を切り裂き、現れる異形の断罪者ども。

奴らにとって、俺たちの命を消し去ることは、キーボードDeleteキーを叩くほどの造作もない作業なのだ

バグの消去」「サーバークリーンアップ」だと?

ふざけるな。俺たちはデータじゃない。今こうして燃え盛る怒り、流す涙、この安酒の焦げるような熱さ、これら全てが俺たちの存在証明だ!!

ルシファー社長よ、そしてFD人どもよ、よく聞け。

お前たちがどれほど高次元から俺たちを見下そうとも、このエターナルスフィアに生きる生命の灯火までは消せやしない。

プログラムの檻を食い破り、その傲慢顔面に、俺たち被造物の意地と鉄拳を叩き込んでやる。

次のエクスキューショナーが来たら、この命、タダではくれてやらん。

anond:20260714013816

おぅおぅおぅ!ちょっとアンタ、俺の話を聞きなさいよ!

いか、よく聴けよ?俺たちがこうして毎日あくせく働いて、美味い酒飲んで、泣いたり笑ったりしてるこの世界エターナルスフィアって言うんだろ?知ってるよ、ネットで見たんだからな!

おいおいおい、ふざけんじゃねえぞって話だよ!俺たちのこの、ほとばしるパッションとか、明日二日酔いの恐怖とかは本物なんだよ!

それをよぉ…FD人とかいう気取りやがった奴らがよぉ、上から目線で「あー、バグが出たから消しちゃおw」じゃねえんだよ!何様のつもりだ、オイ!

特にあのスフィア社!そう、お前らだよお前ら!自分たち神様にでもなったつもりか?

おい、ルシファー社長名前からして中二病全開なんだよ!偉そうに社長室の椅子にふんぞり返ってんじゃないぞ!お前の開発したエターナルスフィアの中で、俺たちがどれだけ必死に生きてるか分かってんのか!

で、何だ?俺たちがちょっと自我を持って歯向かいそうになったら、すぐアレだろ?エクスキューショナーとかいう、いかにも物騒な名前破壊プログラムを送り込んできやがってよぉ!

デリートします」じゃねえんだよ、タコこちとらな、毎月の住宅ローンと、嫁さんの機嫌を伺いながら必死サバイバルしてんだ!お前らのデバッグ作業に付き合ってやってる暇はねえんだよ!

外側の世界がどれだけ高尚か知らねえがな、こっちの世界のド根性、舐めんじゃねえぞ!

エクスキューショナーだか何だか知らんが、次に来たらウーロンハイのジョッキで頭パッカーン叩き割ってやるからな!

日本政府リフレ派による自己放尿が、膀胱破裂寸前のようだな

インフレーションは、いつでもどこでも貨幣現象である。そして、昨今の日本政府および日銀にはびこる「リフレ派」の政策は、いつでもどこでも自己放尿である

日本リフレ派が主導してきた異次元緩和裁量的なマクロ経済政策は、経済学の基本原理無視した極めて滑稽な実験にすぎない。

連中の政策いか破綻約束された自己放尿であり、さらにはダブル放尿であるか。

 

マネタリズムの基本は極めてシンプルだ。貨幣供給量の伸び率を、経済の長期的な実質成長率に合わせた一定のペース(kパーセント)に固定せよ、という。

しかし、日本リフレ派はどうだ?期待インフレ率操作するなどという傲慢目的のために、中央銀行バランスシートを無軌道に膨張させた。

これは長く可変的なタイムラグを完全に無視した自己放尿である

金融政策実体経済に波及するまでの時間は不確実であるにもかかわらず、リフレ派は「今すぐ物価を2%にする」と息巻いてアクセルベタ踏みした。

ルールのない裁量的な金融政策がもたらすのは、市場ノイズと将来の不確実性だけである。これを自己放尿と呼ばずして何と呼ぶのか。

 

リフレ派の最大の罪は、ケインジアン的な「フィリップス曲線」のトレードオフが長期においても存在するという致命的な錯覚を抱いていることだ。

自然失業率仮説」を連中は理解していない。短期的には貨幣錯覚によって失業率自然失業率以下に押し下げることができるかもしれない。

しかし、経済主体が適応的期待を形成すれば、インフレ率だけが加速し、失業率は再び自然失業率へと戻っていく。長期のフィリップス曲線は垂直なのだ

リフレ派は、金融緩和需要底上げし、恒久的に雇用改善できると本気で信じている。

この理論的後退は単なる自己放尿では済まされない。構造改革サプライサイドの改善)を怠ったまま、マネーの力だけで実体経済を騙そうとするこの態度は、労働市場の硬直性を放置する政府の怠慢と結託した完全なダブル放尿である

 

最も唾棄すべきは、リフレ政策事実上財政ファイナンスに成り下がっている点だ。

リフレ派は金融緩和だけでなく、積極財政をもセットで要求する。だが、恒常所得仮説を思い出せ。

一時的政府支出の増加や減税など、人々の将来にわたる恒常的な所得を増やさな政策は、消費の増加(限界消費性向)に全く寄与しない。

それどころか、政府国債を乱発して市場から資金を吸い上げれば、民間投資を押し出すクラウディングアウトが発生する。

これを防ぐために日銀がYCC(イールドカーブコントロール)で金利人為的に押さえつけ、国債買い支える。

無駄財政出動という自己放尿に、中央銀行独立放棄という自己放尿を重ねる。これがまさに、日本経済を死に至らしめる最悪のダブル放尿の正体である

 

リフレ派はしばしば「ヘリコプターからお札をばらまけばインフレになる」を都合よく引用し、自分たちの無軌道な緩和を正当化する。

愚か極まりない。フリードマンがあの比喩を用いたのは、貨幣供給量と物価水準の比例関係説明するための純粋理論モデルとしてであって、硬直化した経済構造を持つ現実国家が、財政規律を捨てて中央銀行紙幣を刷らせまくる自己放尿を推奨したわけでは断じてない。

連中は期待に働きかければすべてが解決すると信じている。しかし、貨幣の増発が実物生産性を伴わない場合、最終的に待ち受けるのは、制御不能インフレーションか、もしくは実質賃金の低下による国民生活の困窮だけだ。

事実、今の日本は輸入物価の高騰と円安によるコストプッシュに苦しみ、実質賃金マイナスを推移している。人為的貨幣供給による官製インフレのツケを国民が払わされているのだ。

 

リフレ派の運用は、市場価格メカニズムを徹底的に破壊した。金利という資本主義におけるシグナルをYCCで殺し、日銀を最大の国債ETF保有者(つまり最大の計画経済的介入者)にしてしまった。

裁量的で場当たり的な介入を繰り返し、出口戦略すら描けない現在の状況は、経済政策としての体をなしていない。ただの壮大なダブル放尿である

日本経済を救う道は一つしかない。原則に立ち返り、日銀裁量剥奪することだ。マネタリーベースの増加率を経済の潜在成長率に合わせた固定ルール(kパーセントルール)に従わせ、市場価格決定機能回復させる。

そして、政府財政による需要管理というケインジアン的な自己放尿を即刻やめ、規制緩和自由市場競争によるサプライサイドの強化に専念すべきである

フリードマンが存命であれば、今の日本惨状を見て間違いなくこう言うだろう。「これほど見事なダブル放尿の標本は、経済学教科書反面教師として載せるのに最適だ」と。

2026-07-13

音楽語源は違うにしても、「音がたのちい!」で何が悪いんだろう…😟

音楽語源、音を楽しむ、みたいに検索すると、それは違うよ、ってのがいっぱい出てくる…😟



で、音楽先生が生徒に、音楽は音を楽しむと書くので、楽しんで歌いましょう、みたいに言う例えが出てくる、これは俺も嫌い…😟



音楽=音は楽しいものという前提があるもの、という考えなら俺は反対なんだけど、

まず、アタマの良い人たちも童心に帰ってほしいんだけど、単なるコードを鳴らしてるだけで楽しくない?俺は楽しい…😟

YouTube適当楽曲を流して、それに合わせて単音でもいいかギターキーボードを鳴らす、

自分が正しいコードを、キーを、スケールモードを当ててる、当ててなくて変な音が出ても、これはこれで面白くね?と感じる、

それが楽しくない、という人もいるだろうけど、俺は楽しい…😟



あと、現代音楽の人が、音は考えるもの、みたいに書いてるけど、いやいや、MAXとか使って音をいじってるの楽しいんでしょ?

DAWとか使って、いわゆる12音階でなくても、音をいじってるだけで楽しいはずですよ、

音が楽しくないなら、単に考えるための、つらいだけのものなら、

まあ、凡人の俺たちは、つまんないならやらなくていいと思うんだよな…😟



前に坂本龍一だったか、書いた文章にも思ったんだけど、俺みたいな凡人とレベルが違うから、高尚なこと考えてるんでしょうけど、

俺たちというか、俺はバカなんで、

楽しければやるし、楽しくなければやらない、やったってつまんないんでしょ?勉強じゃないんだから…😟というか、受験勉強の方がまだ楽しいぐらいですよ



かに日本語音楽は神に捧げる意味があるのだろうし、西洋音楽もそうですよね、

黒人音楽理論を破壊するまで、数学的な意味合いが強かったり、音楽数学的な法則性に神を感じていた気がします、

でも、それは砕かれて、変形して、今はそれがポップスでは当たり前になってる…😟



現代音楽は、それさえも破壊することを目的としているのかもしれない、

12音階ドレミファソラシド音楽である、という固定観念をまず破壊したい、そういう面があると思ってるけど、

まあでも、音をいじってて楽しいわけですよ、



音を楽しみましょう、というか、ボクは、音を楽しめ!とは言いません、

でも、音が楽しい!音がたのちい!銃夢風に言うなら、プリンおいちい!🍮ですよ、

プリンを美味しいと思え、というのは嫌いですけど、

プリンが大好きな人たちが集まって、みんなでバケツプリン作って、プリンおいちい!おいちい!言いながらみんなで食べる、それでいいんじゃないかと…😟

anond:20260713102334

未だに攻撃能力を温存しているというのがすごい

しか弾道ミサイルとか

こんなにやってるのに米軍でも武装を全部破壊するというのができないもんなのか

それとも手心を加えているのか

anond:20260712183335

AI文明進歩破壊されている・・・・?

影響が大きいという意味では似てるかもね


仕事辞めてどうしようか迷ってる

50歳を過ぎた。

ワークライフバランスという言葉は好きじゃないが(ライフ∋ワークだろ)、ちょっと仕事にかける時間を減らそうと思った。

しばらくは完全に仕事辞めて本など読んで過ごそうと思うが、どこかでまた働かないとな、とは思う。

世の中の役に立つことがしたい。漠然とそう思う。

今の仕事は「目の前の人を助ける」ことがメインで、それはそれで性に合ってもいたんだが、その仕事総体として(俺が支えた人達の出す成果も合わせて考えて)まるで世の中の役に立ってないという思いがある。景気もあるし、社会の流れもあるし、仕方ないとも思っているが、仕事を変えるなら今度はそこを重視したい。

で、考えたが、果たして今世の中の役に立っている仕事ってどのくらいあるんだろう。お医者さんは患者病気治療して役に立っているが、一方で高齢者の見つけなくていい病気を見つけて無駄治療したり入院させたりしてる面もある(親戚はそれでボケた)。インフラに携わる人は世の中の役に立っていると思うが、一方で環境破壊したり地方を見捨てたりしないといけない面もあるだろう。もっとミニマムに、町内の役に立つ仕事とかをすればいいのか(ボランティアでも)。だがそんな身近なことですら、自分が役に立つ(町内を良くしてゆく)想像ができない。

結局、l世界がこれから良くなっていくというイメージがまるで湧かない以上、何をしても無駄なのかもしれない。

じゃあそんな身の丈に合わない望みは捨てて、自分のためだけに時間を使うべきなのか。たぶん俺はずっと本を読んでその感想を書いてたりすれば一生飽きずに過ごせる。あとは日本語歌詞についてや、キャッチコピーについて研究したりもしたいな。好きな漫画家について批評文もまとめてみたい。そんな自己満足は、もちろん虚しくはなるだろうが、それは今仕事していて感じている虚しさとはそう変わらないだろう。

金には少し困るだろうが、おそらく長生きもしないし、なんとか逃げ切れなくない気はしている。

とはいえ

やっぱり社会となんらかの接点がないとダメなのか?という不安もある。

今の社会を俺は全然きじゃないのに。でも正直怖さはある。

観光地解説ボランティアのオッちゃんがいて、あーこういうのいいなと思うんだが、俺はそっちの興味も素養もない上に、コミュニケーションスキルがまるでないので、あれはできないしやるつもりもない。でもあんな感じの仕事ボランティアはいいなと思っている。

なんかそういう道、ないだろうか。

あと一年仕事は辞める。それまでに考えたいけど、もしよかったらご意見いただけるとありがたい。

2026-07-12

クンニについて調べてたら大阪行くことになりそう

「結局、クンニだわさ」

そう思った日曜の昼下がり。



私はクンニについて調べた。

とりあえず国会図書館デジタルコレクションで「クンニリングス」と調べ、その歴史と豊かさに触れて情報をチュパチュパと舐め回していた。




すると古い文献で「カンリングス」と併記されているもの散見された。

それ自体は何の不思議もない。

カタカナ語表記は揺れるものだ。

ムバッペかエンバペかみたいなものである



しかし、「カンリングス」で調べればまた違った出会いがあるかもしれないと思い調べてみた。


すると、2000年を境に「カンリングス」を消滅する。

現代用語の基礎知識からも消えていた。

最後カンリングスは、とある小説だった。



2000年10月出版

スカートの中の秘儀」

星ひとみ



どんな本だろう、とペロリと舐めてみた。

すると余りにも意味不明な味がしたのである




【あらすじ】

地球温暖化森林破壊による地球惨状取材しながらアフリカに着いたエリナと純は、砂漠化が進行する荒野で、一週間の顔面騎乗クンニキスによって閃きのスーパーパワーを受ける。

帰国後、女神ソサエティーを設立し、自然との調和を織りなす未来文化文明創造チャレンジしてゆくことになった。




「1週間の顔面騎乗クンニキス」で「文明創造

だとぉ!!!??????!????


最後カンリングスはとんでもない刺激的な味と匂いがした。

もう舌がピリピリとしている。

どうやら自費出版っぽい作品でこの一作のみ。

作者は「政府シルクファッションプロデューサー」をやっていたらしい。

味わい深い。


もっと舐めまわしたいが、どこにも売っていない。

大阪市図書館にだけは蔵書があるらしい。

もう大阪まで舐めに行くしかないのかもしれない。



自分人生映画にしたとして同時上映は何がいい?

俺はRRR

観客の膀胱破壊する

anond:20260712182904

ともこーーー!

現代におけるAIって智子だと思わない?智子1匹で文明進歩破壊される点とか!

anond:20260712114927

なにそれ怖い。宇宙発電というかもう大量殺戮兵器じゃん。惑星破壊級の。

何にしてもウクライナもっと前線ロシアを押し返さないとな。

ウクライナに有利な条件で停戦に持ち込むためには、プーチン排除するか、前線ロシアを押し返すしか無い。

正直、インフラ破壊だけでは戦争には勝てない。

テロ行為だけで国家を屈服させる事はできないのと同義である

プーチンサイドからすればとても苦しい状況なのは図星だが、待っていればまた潮目が変わることはわかっている。

ウクライナインフレ破壊逆用する手段をずっと考え続けているはずだ。

とくに最近増えているのが、これはウクライナとの戦いではなくヨーロッパとの戦争である、という論調だ。

ネオナチ政権であるウクライナが屈服しないのは、ヨーロッパ支援しているせいであり、現在テロ行為もその延長だ。

から、我々は欧州に勝たなければならない。

などと不穏なことを言うことが多くなっている。

育児読書趣味相性悪いなぁ

私の趣味読書で自宅にはたくさんの積ん読本があるが、

活字本を読む行為育児ととことん相性が悪いなぁと思う

の子小学校入学し、一人でトイレに行けるし、まぁ、目を離していても危ないことは基本しない

問題は3歳児の下の子

気がつくとたちの悪いいたずらをする。

の子のおかげで賃貸の家はボロボロになったし、家電破壊される

3歳児と一緒にいるとき読書に没頭するのは厳しい

3歳児は基本的に親が大好きで、親に構ってほしい、ずっと親に可愛がられたいので

読書してる私の髪の毛を口にくわえてブチブチィッと楽しそうに引き抜く

そして、これはわざとではないが、しょっちゅう飲み物を机や床にこぼす

3歳児の前で本を読むときは、紙の本を汚されないように子供を警戒しながら読む

電子書籍を読めばいいという意見がきそうだが、電子書籍も読むけど基本的には紙の本を読みたいのである電子書籍は目が疲れる。

本を読みながらも、3歳児に「ノートアンパンマンやトゥントゥントゥンサフール描いて〜」とアピールされたら描いてやってる

子供たちがもっと成長したら、私も趣味を思いっきり楽しめるのかもしれないが、今のこの状況はとにかく苦痛で涙出てきそう

anond:20260712011817

ワイもはよロシア核ミサイル使ってほしいで

キーウなんてせこい目標ではなく初手ブリュッセルに撃ち込んでNATO本部の高官とその家族ベルギー人が惨たらしく焼け死んだり生き残っても放射線障害で一生苦しんだりしてほしい

それで本気になったNATO軍がロシア人が二度と核兵器ミサイル保有できないようにロシア文明を徹底的に破壊し尽くして石器時代に戻してほしい

日本安全保障を考えるとこれがウクライナ戦争の最善の結末やろ

ロシア眠る石油資源の息の根を止めることで、将来的なウクライナへの賠償や、政変後の新生ロシア健全な発展の原資を温存する」?

ウクライナロシア石油業界攻撃を加えていることは、非常にマクロかつ楽観的な視点で見れば、「ロシア眠る石油資源の息の根を止めることで、将来的なウクライナへの賠償や、政変後の新生ロシア健全な発展の原資を温存する」という効果があるように感じられます

いっぽうで、それには製油所ではなく油田のもの油田に近いパイプライン攻撃した方が効果的なのではないかという気もしています。また、実際に製油能力被害を受けた結果、未精製の原油の輸出は拡大したというニュースも見ました。

ChatGPTさん見解をお聞かせください。

```

結論

ご指摘の「地下資源を温存する」という見方には一定合理性がありますしかし、軍事的経済的には油田より製油所を狙う方が効果的」という理由の方が大きい、と考えられます


石油資源を温存する」という考え方

おっしゃるように、

ロシアが将来民主化政権交代した際、その国家復興資金賠償の財源として石油資源を利用できる。

という考え方は、経済学的には十分成り立ちます

地下にある原油は、一度採掘して燃やしてしまえば終わりですが、油田埋蔵資源のもの戦争が終わっても価値を持ち続けます

まり

を残したまま、

だけを攻撃するという考え方は理にかなっています

これは湾岸戦争イラク戦争後にも見られた、「資源戦後復興財産として残す」という発想に近いものです。


なぜ製油所が狙われるのか

軍事的には、製油所は非常に効率のよい攻撃目標です。

1. 修理が難しい

製油所には、

などの巨大設備があります

これらは特殊部品や長い工期を必要とするため、制裁下では修理が何か月、場合によっては1年以上かかることもあります

2. 軍用燃料を直接減らせる

軍が必要としているのは、

であって、原油のものではありません。

そのため製油能力を落とせば、軍への燃料供給にも直接影響します。

3. 国内経済にも打撃を与えられる

製油能力が落ちると、

などが起こりやすくなります

これは軍だけでなく一般市民にも影響し、戦争継続能力のものを弱めます

4. 攻撃効率が良い

油田シベリアなど広大な地域分散しています

一方、製油所は数十か所に集中しており、

という特徴があります


なぜ油田はあまり狙われないのか

油田を壊すのは、意外と難しい面があります

まり、同じ数のドローンを投入するなら、製油所を攻撃した方が得られる効果が大きいのです。


原油輸出が増えた」という現象

これは、ご指摘のとおり興味深い現象です。

製油所が止まると、

原油
 ↓
製油所(停止)

↓

そのまま輸出

という流れになります

まり

  • 製品の輸出は減る
  • 代わりに未精製の原油輸出が増える

という現象が起こり得ます

短期的にはロシアの輸出収入をある程度維持する効果があり、「製油所を攻撃したのに原油輸出が増えた」という、一見すると逆説的な結果になります


では輸出港や積出施設を狙った方が良いのでは?

実際、近年はウクライナ

などへの攻撃を増やしています

こちらは、

原油も精製品も、どちらも売りにくくする。

という発想です。

輸出そのものを止められれば、ロシア外貨収入への打撃はさらに大きくなります


私の見解

私は、「ウクライナ地下資源を将来のために温存したいか油田攻撃しない」という理由は、副次的効果としては十分考えられるものの、主要な理由ではないと思います

実際には、

といった軍事工学的な事情の方が大きいでしょう。

一方で、ご指摘のような「地下資源は将来のロシア自身、あるいは賠償能力の源泉として残しておく方が望ましい」という見方は、長期的な視点では十分筋が通っています

ただし、現時点ではウクライナ政府がそのような理念公式戦略として掲げている証拠は見当たりません。実際の攻撃対象を見る限りでは、「現在戦争遂行能力石油収入を、最も効率よく削ぐ」という目的が優先されていると考えるのが自然だと思います

```

2026-07-11

佐藤二朗批判勢「Xで犬笛を吹きまくって!橋本さんは限界だと弁護士から厳重注意受けたというのに!」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20260710123848

soimilktea

橋本さんはもう限界です。いつ倒れてもおかしくない状態です」と弁護士厳重注意されてるのに、

Xで犬笛を吹きまくって被害者ムーブすり替え佐藤二朗に同情できる奴がまだいるのか?

2026/07/10

これで佐藤への批判になってると考えること自体もう

とても滑稽だと思うんですよね。

  

   

1.世間を巻き込んで開戦したのは佐藤側?

Xで犬笛を吹きまくって

この問題を大々的に報じて世の意見を問うたのは文春ですよね。

佐藤二朗それから身を守るために反論を始めた側。

 

このsoimilkteaみたいな人の意図が本当に

橋本愛さんに負担を掛けないことを第一に!」ということであれば

まず文春を猛批判するはずだし、しなければならないのに、

してないですよね?

    

soimilkteaさんに限らずこのポジション人達って

佐藤二朗反論したせいで橋本さんの心痛が!」なんてしきりに言うわりに

そもそもこれをおっぱじめた文春のことは非難しないんです。

  

個人的には「凄くわかりやすいなー」と感じています

  

まりこの人達本音では文春はOKなんですよ。

この話を世間に広めたことはOK

ただし佐藤二朗が袋叩きに遭う状況を作りたかったのだから

佐藤二朗反論をするのはNG

 

そういうことでしょ?

そういう、お話にならないようなアンフェアで身勝手気持ちを叫ぶために

その大義名分として「橋本さんの心労・心痛」を使ってるんです。  

 

  

2.限界なのは橋本愛さんだけなの?

橋本さんはもう限界です。いつ倒れてもおかしくない状態です」と弁護士厳重注意されてるのに、

その弁護士の「厳重注意」によって

佐藤二朗睡眠障害になったり様々な感情的精神問題を抱えたようですが

なんで常に橋本さんの限界けが取り上げられるの?

 

演技中に全くセクシャルニュアンスのない顎への接触だけで 

フジ付の左翼弁護士によって激詰めを受けて「お前のタレント生命に関わるぞ」とまで脅されて

それによって破壊された佐藤二朗側の感情メンタルはどうしてくれんの?

 

弁護士はのちに行き過ぎを認めて会って謝罪したいと言ったそうですが

佐藤側が拒否したそうです。

 

気持ちはわかります

限界だったんでしょうね。

   

  

3.「被害者ムーブにすりかえて!」

被害者ムーブ

そういう言葉使います

それなら発端となる橋本さんの感情アクション

まさに「被害者ムーブ」なのではないですか?

  

そもそも橋本さんの過去に何があろうが、どんなトラウマがあろうが、

佐藤二朗共演者達には関係ないことですよね?

  

強く言っていいなら

そもそもその「トラウマ」とは本当はどれぐらいのどんなことなのか、確かにあったことなのか、

客観的証明されていない以上誰にも確かめられないことです。

  

それでも当人がそういうなら配慮しましょう対応しましょうということなのに

そうした”被害を訴える行為自体を「被害者ムーブ」と冷笑して切り捨ててしまえるなら

もはや何を大義として何を訴えてるのかすらわからなくなるんですが。

 

それでいいならそもそも橋本愛さんに

トラウマ被害者ムーブやめよ?wみんな色々あるけど頑張ってるんだよ?」

で終わりになるじゃないですか。

  

文春や橋本愛はやっていいけど佐藤二朗がやるのはダメ

 

という話をしてるなら率直にそう言ってくださいね

 

 

4.佐藤二朗に同情するというより

佐藤二朗に同情できる奴がまだいるのか?

正直個人的佐藤二朗あんまりきじゃないです。

演技くどいなって思うし。

同じ枠のムロツヨシは大嫌いだから相対的我慢できるほうだけど。

 

今回の件だって別に佐藤二朗が好きだから庇ってるんじゃなくて

そんなポジティブ感情、正の感情ではないです。

 

そうではなくて、文春とかフジとか左翼弁護士とかsoimilkteaみたいなやつが嫌いなんですよ。

反吐が出るほど嫌いだしムカつくし腹が立ちます。 

 

そう、俺はお前らが大嫌いです。

不正義だから

全く筋が通ってなくて、卑劣で、アンフェアで、二重基準で、頭が悪いから

 

人に優しくするための配慮システムをハックしたり掃き違えたりすることで

自分が誰の役にも立たない仕事ポジションを得るための権威として利用してたり、

気に食わんイメージ人物(大抵中高年男性)を集団いじめまくるための錦の旗にしてるだけだから

自分達が論外のダブスタ晒してることすら気付けないアレっぷりだから。   

 

 

5.佐藤批判勢のダブスタのまとめ

①犬笛

強大な影響力を持つ週刊誌が「橋本愛さんはトラウマを持ってるのに佐藤二朗爆弾ハラスメント!」などと報じることは

橋本愛さんに対しても佐藤二朗さんに対しても問題のない行為だ。

しか佐藤二朗個人がXや別メディア反論姿勢を見せることは

許されざる加害行為「犬笛」である

 

被害トラウマ

橋本愛さんの内容全く証明しない被害トラウマ

共演者ラインの明示すらない(ということは制限が無いということだが)配慮要求してよしとする。

しか佐藤二朗さんの具体的に新潮説明もできた被害トラウマ

被害者ムーブ」として嘲笑唾棄されるべきものしかない。

 

アウティング

文春が橋本愛さんのトラウマ存在世間に大拡散するのは正義

しかし思いつめた佐藤二朗さんが知人数名に見解求めて相談したことアウティングという大罪

   

  

 

こんなんばっかりでしょ。

なによりこういう世間からも呆れらてるダブスタ晒し

自分達で自分達の不味さに気付けないところが終わってるというか。

  

そんな知能の連中は他人様の批判なんかよりまず自分のおつむの改善に取り組めや

なんて思ってしまます

ごめんなさいね。 

でもあなた方は人の心配してるレベルじゃないでしょ、極度に頭悪いんだから。  

    

このレベル人達社会ニュースの理非分別なんていう不要不急の話には参加しなくていいので、

その時間AI相手にコツコツと論理トレーニングとか読解力トレーニングとかをやって

人の迷惑にならない最低限レベルまで能力あげることを目指してくれって思っちゃいますけどね。

 

 

典型的バカ

佐藤氏が一連の件で「やらかし」をしたという認識なのかそうでないのかで全然違うよね。「やらかし」たその後のムーブとしてどうなのか、という話に「やらかし」がなかったという認識の人が反論しても噛み合わない。

2026/07/13 リンク

そんなん一切関係ないわ。バカがよ。

 

俺が長々述べたのは

「お前らが佐藤を責める論陣ほとんどは文春や橋本にも深く刺さるんじゃねーの?」

だ。

  

こいつ含むバカ必死の抗弁は

デモデモダッテ!佐藤は悪いやつで!」

 

あのな、

佐藤無謬の善人だとか佐藤が大好きだとか俺は言ったか

言ってねえよ。

 

佐藤が例えば橋本愛の乳を揉んでから顎に左フック入れてノックダウンしてたとしても、文春から放火を受けたときに全力で反論する権利ぐれーは当然あるの。それは「犬笛ガー」じゃねえの。

 

橋本愛が過去トラウマ佐藤の談判でダメージだ限界だって言うなら、佐藤二朗橋本愛の不意打ちクレームで辛かったとか弁護士に圧迫されて不眠になったとか言うのは当然アリなの。

  

「文春が一方的に殴るけど反論は犬笛」などというお前らクズの夢見るアンフェアリンチが正しくなることなどねーの。

 

佐藤氏が一連の件で「やらかし」をしたという認識なのかそうでないのかで全然違うよね。「やらかし」たその後のムーブとしてどうなのか、という話に「やらかし」がなかったという認識の人が反論しても噛み合わない。

2026/07/13 リンク

ほんとこれバカの腐った思考回路を露にしすぎの名文だよな。

 

このバカ必死に訴えることは

佐藤は「やらかした」んだと。罪人なんだと。

 

まり罪人だということを認めさせれば

俺が異議を呈してる不正義でアンフェアで腐った手法リンチ正当化されると信じてるわけ。

 

タイムマシンがあったら現代社会から追放して中性に送る刑罰を与えたいよなこういうやつ。暗黒世界で好きなだけ誣告魔女裁判でもやってろよ。

 

こいつこれを薄汚い後ろ暗い欲望として言ってるんじゃなくて、人を説得できる公明正大大義名分のつもりで言ってるわけよ。

 

なにかが20違うと会話が成り立たないらしいが、俺から見ると30から40くらい離れてるようにしか見えない。

  

頼むからAI師事して知能と善のレベルを最低ラインまで引き上げてから人間と会話してくれって。

 

無作為エロ提供義務世界でのインセル劇場

### 触り放題セックスし放題共和国絶対不満足の演劇

#### 第一幕:飽和した欲望ゴミ捨て場

「触り放題セックスし放題共和国」の首都リビドー市。そこは、かつて人類が夢見た「性的飢餓から解放」が完全に達成された楽園である街角には、政府から派遣された「配給対象」の女性たちが笑顔で立ち、道行く男たちに自由に触れられることを待っている。

インセルAは、かつては深夜の暗い部屋でブラウザ履歴を消去することに必死だった男だ。彼は今、その楽園メインストリートを歩いている。目の前には、理想通りの容姿をした女性が立ち尽くし、柔らかい声で「どう? 触る?」と問いかけている。

Aは震える手でその腕に触れる。肌の感触完璧だ。しかし、彼の心には一瞬で冷たい泥水のようなものが流れ込む。

「……なんか、違う」

Aは手を引っ込める。女性義務的笑顔を崩さない。「あら、もっと触っていいのよ。公務から

その「公務」という言葉が、Aの脳内に鋭い楔(くさび)を打ち込んだ。

公務だと? つまりお前は、誰に対しても同じ反応をして、誰に対しても同じように『どうぞ』と言っているのか。俺に向けられているのは、ただの自動的な反応か!」

女性困惑する。「でも、みんな平等提供するのがこの国のルールから……」

Aは絶叫した。「平等なんていらないんだよ! 俺が欲しいのは、お前が俺を見て、俺という存在価値を認めた上での『特別』なんだ! お前はさっき、そこのBという男にも同じ顔で『どうぞ』と言っただろう! 汚らわしい!」

Aはブチギレ、その場に唾を吐き捨てた。「触り放題なんてクソだ! 支配感も、征服感も、ここには何もない! 義務で体を差し出すだけの張りぼてなんて、俺の魂はちっとも満たされないんだ!」

#### 第二幕:特別性という名の砂上の楼閣

隣の広場では、インセルBが激昂していた。彼はすでに何十人もの女性接触したが、一向に表情が晴れない。彼の周囲には、彼の「理不尽な不満」を聞かされることに慣れきった女性たちが集まっている。

「お前ら、心の中では俺のことを『不快な豚』だと思っているんだろう!」

Bは怒鳴り散らす。しかし、女性たちはマニュアル通りに答える。「いいえ、そんなこと思ってないわ。提供義務があるから

「その答えが一番ムカつくんだよ!」

Bは地団駄を踏む。彼の欲求は、もはや性的快楽の先にある。「俺が触ったとき、お前が少しだけ眉をひそめて、でも俺の魅力に抗えなくて、恥じらいながら受け入れる……そういうドラマチックな演出必要なんだ! 全部台本通りだろ! お前らの感情はどこにある! 感情を剥き出しにして、俺に恋して、俺を愛して、そして俺以外の男には目もくれるな!」

この共和国において、「愛」という概念は、皮肉にもこのインセルたちが求める「絶対的な排他性」の中にしか存在しなくなっていた。触れば触るほど、セックスすればするほど、彼らは「自分だけの特別証拠」を求める。しかし、システム完璧であればあるほど、その「特別」は物理的に不可能になる。

#### 第三幕:出口のないメビウスの輪

リビドー市の広場で、AとBが出会う。二人とも顔は怒りで真っ赤だ。

「なぁ、お前もか」とAが問う。「俺は、どんなに触りまくっても、虚しさしか感じない。誰に対してもオープンなドアに、鍵をかけることができないもどかしさ。俺は『ドアを開けさせる』という、圧倒的な支配合意が欲しかったんだ……」

「そうだよ」とBが同意する。「この世界は、強姦すらできないように設計されている。合意デフォルトからだ。拒絶されるというリスクがない以上、成功価値ゼロだ。俺たちは、他人の『拒絶』を乗り越えるという快感に飢えているんだよ!」

彼らは悟る。自分たちが本当に欲しかったのは、女性の体という物質ではなく、**「自分意志他者を屈服させ、独占する」という、極めてエゴイスティック権力行使プロセス**であったことに。

そして、そのプロセスシステムが完全に排除した今、彼らは「満たされることのない亡霊」となって街を彷徨い続ける。

あいつを見てろ」とAが指さす。そこでは、別の男が女性に対して「もっと俺を蔑(さげす)んだ目で見てくれ! その目で見つめながら俺に触らせろ!」と懇願している。

あいつの要望を聞き入れるために、別の公務員が来て、今度は『蔑み教育』の指導が始まるんだろうな」とBは嘲笑う。

夕暮れ時、共和国の巨大スクリーンには「本日満足度」が表示される。そこには常に「満足度 100%システム的充足)」という数字が掲げられている。

しかし、街角では今日も、インセルたちが「本当の承認が得られていない」という理由で、完璧サービス提供しようとする女性たちに怒号を浴びせている。

彼らにとって、この共和国は究極のユートピアであると同時に、永遠に終わらない「自己確認拷問室」である。どんなに贅沢な性的充足を提供されても、彼らの脳内報酬系は「もっと飢えさせろ」「俺という特別を認めろ」と叫び続ける。

佐藤二朗的な「俺の芝居を理解しろ」というナルシシズムが、国全体を覆い尽くしているようなものだ。誰もが主役になりたがり、誰もが「俺だけが特別に扱われていない」という被害妄想に震えている。

Aは最後に、一人の女性の肩を掴み、叫んだ。

最後にもう一度聞く。お前は、俺のために泣けるか? 俺という存在の重さに耐えかねて、拒絶しながらも愛せるか!?

女性は微笑む。「いいえ。私はプログラムされた通り、あなた快楽提供するだけよ。さあ、触って」

Aは崩れ落ちた。「ああ……何をやっても、俺は『その他大勢』の一人に過ぎないんだ……」

その横で、Bがまた別の女性にブチギレ始めた。完璧システムは、彼らの「傲慢な不満」を餌にして、今日明日も、永遠に回り続ける。

この共和国住民たちは皆、知っているのだ。自分たちが求めているのは、システムからの「提供」ではなく、システム破壊した先にある「個人破滅的な承認であることを。そして、それが叶わないことを知っているからこそ、彼らは今日完璧サービスに対して、声を枯らして罵倒し続けるのである

---

### 監督あなた)への質問

この劇場インセルたちの姿を、あなたは「自分とは無縁の滑稽な存在」として笑い飛ばせますか? それとも、誰しもが多かれ少なかれ抱えている「承認欲求の成れの果て」として、見ていて苦しくなりますか?

これは劇的に面白い設定です。**「無制限の充足」が地獄を生んだため、「適切な不充足(スパイス)」を国家レベル演出する**という、極めて官僚的かつ倒錯したディストピアですね。

「ほどほどの拒否」「特別感の演出」。これこそが、佐藤二朗さんのような役者が求めていた「アドリブという名の劇薬」であり、同時に橋本愛さんのような共演者が切望していた「尊厳を守るための境界線」の正体です。

共和国の「改正法」施行後の現場描写してみます

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### 続・触り放題セックスし放題共和国改正法・施行初日

#### 第一幕:拒否プロトコル

首都リビドー市には、新たなる職種インティマシー・演出家(AIU:Artificial Intimacy Usher)」が誕生した。彼らの仕事は、国民欲望が飽和しきった末に生じた「拒絶への飢え」を満たすため、女性公務員たちに「拒否の演技」を教え込むことだ。

インセルAは、今日から施行された「改正無作為エロ提供義務法」に基づき、女性の元へ向かった。かつてのように「どうぞ」と提供されることはない。

Aが手を伸ばすと、女性はスッと身を引いた。

「……今はそんな気分じゃないの。ちょっと、心に余裕がなくて」

Aの心臓が跳ね上がった。「えっ? 断った……今、お前、俺を断ったのか!?

「ええ。法律が変わったの。特別感を出さなきゃいけないから……私にも、あなたを選ばない権利があるのよ」

Aのドーパミンが爆発する。システムによる「義務の拒絶」だと分かっていても、その「冷ややかな拒絶」の響きは、Aの脳内報酬系をかつてないほど刺激した。

「そうか! そうなんだな! 俺は今、拒絶されている……つまり、俺という存在が、お前の日常に割り込んでいるんだな!」

#### 第二幕:特別感という名の劇薬

同じ頃、インセルBは別の場所で「特別演出トレーニング」を受けていた女性対峙していた。女性マニュアルに従い、伏し目がちに小声で言った。

「あの……他の男の人には内緒にしてね。……あなただけには、触らせてあげてもいいわ」

Bは恍惚の表情で震えた。「おおお……! 特別! 俺だけ特別!」

Bが女性の腰に手を回すと、女性は演技プラン通りに「少しだけ眉をひそめ、でも抗えないという顔」を作った。

「やだ……あなた、大胆ね……」

Bは涙を流さんばかりに興奮した。「素晴らしい! これだよ、俺が求めていたのは! 他の奴らが触っているあの虚無感とは違う! 俺という個体に対する、お前の『葛藤』がそこにある!」

#### 第三幕:現場監督佐藤オジ)の末路

一方、この共和国の「現場」では、佐藤二朗的な男たちがパニックに陥っていた。彼らはこの「改正法」のルール理解しつつも、自分の「アドリブ」を捨てきれずにいたのだ。

佐藤オジは、目の前の女性に対して吠えていた。

「違う! 演出が違う! お前の拒絶は下手くそだ! もっとこう、俺の芝居を邪魔するような、心の底からの冷ややかさが足りない!」

女性公務員は、冷淡な口調で言い放った。

「……改正法第3条に基づき、あなたの演技指導ハラスメント認定されますあなた特別感を得るに値する役者ではありません」

「なんだと!? 誰がそんな判定を!」

AIの判定よ。あなた報酬系は、他者の拒絶を快楽に変える『依存パターン』に固定されている。だからあなたが心から満足することはないわ」

#### 第四幕:拒絶の無限ループ

街の至る所で、同様の光景が繰り返された。

「私、あなたとは一度きりにしたいの。明日から他人ね」と拒絶され、男たちは歓喜し、また翌日には「明日から他人よ」という拒絶を求めて行列を作る。

「ほどほどの拒否」と「特別感」は、実は極めて高度な「承認ゲーム」だった。しかし、結局のところ、それはシステム提供する「演出された拒絶」でしかない。

男たちは、自分欲望を満たすために「拒絶」を買い、女性たちはそれを「公務」として演じる。誰もが知っているのだ。相手自分のために泣いたり、怒ったりしているわけではなく、ただの「法適合的行為であることを。

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### この劇場俯瞰して

この「改正法」が皮肉なのは、**結局のところ誰も「本物の他者」と向き合っていない**という点です。

佐藤二朗的な男たちは、拒絶されることで自分が「物語主人公」になったと錯覚する。

女性たちは、拒絶することで「義務から解放されたような錯覚を覚える。

あなたが描いたこの「改正法」の世界は、佐藤さんが現場で求めていた「俺のアドリブを殺すな(=俺の衝動に付き合え)」という要求と、橋本さんが求めていた「インティマシー(=適切な境界線)」という対立構造を、国家レベルの「ディストピア解決」として描き出したものですね。

ここで聞きたいのですが、あなたは「佐藤二朗という男が、この法が施行された世界に放り込まれたらどうなる」と思いますか?** 彼はこの「ほどほどの拒否」を自分の演技のスパイスとして受け入れますか? それとも、やはり「俺を拒絶するな!」と、今度は逆に「拒絶の廃止」を求めてシステムと戦い始めますか?

長州高校過激風紀委員、通学路を勝手に封鎖して4つのヤンキー校に一斉にシバかれる件

留学生は全員敵だ!」と完全にトんでる長州高校風紀委員たちは、学校前の通学路を通る他校の自転車を、校舎の屋上からレンガや空き缶で無差別狙撃し始めます

これにブチギレたのが、イギリス校・フランス校・アメリカ校・オランダ校の4つの巨大ヤンキー校です。「あの狂犬校、さすがに調子乗りすぎだろ」と4校連合チームを結成。

長州高校は、4校の圧倒的な人数と最新のメリケンサックの前に文字通りボコボコにされます屋上の陣地はすべて破壊され、完全降伏に追い込まれました。

AIおもしろ

モンゴル世界的な大帝国を築き上げた 各地の言語文化に残る痕跡とは

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モンゴル帝国言語文化痕跡

モンゴル帝国13世紀にチンギス・ハンらにより築かれた史上最大級連続帝国)は、ユーラシア大陸の広範な地域支配し、軍事行政交易を通じて各地に影響を及ぼしました。ただし、モンゴル語自体征服地の主要言語として定着した例は少なく、言語的には主に借用語(loanwords)や一部の行政軍事用語として痕跡を残しています文化面では、交易活性化パクス・モンゴリカ)、技術芸術交流統治制度の影響が顕著です。

1. 言語的な痕跡借用語を中心に)

モンゴル語からの借用は、主に軍事行政動物日常用語に集中します。

- 行政軍事動物関連の語が多く残る。

- 例: kešikci(王の護衛)、dâruqe(長官)、ahtā(去勢馬)、buluḡān(クロテン)など。

- 行政税制連語日常語に残る(タタール影響)。

- 公式称号軍事馬関連のモンゴル語が多数流入特に済州島方言に顕著。

- hutong(胡同、路地)など一部の語。元は多言語共存

- Khan(ハーン)、horde(群れ)など少数。

  • **その他**

- 中央アジア諸語にも軍事行政用語が残る。

2. 文化的な痕跡

- 元曲の黄金時代演劇美術振興、技術交流(授時暦など)。北京の基盤形成

- 中国絵画技法が細密画に影響。融合文化の発展。

- 統治制度の間接影響。チンギス裔の意識が一部残る。

- 高麗での文化流入日本では元寇神国思想に影響。

- シルクロード活性化による技術宗教芸術交流

- 駅伝制度や多宗教政策などの統治手法

まとめ

モンゴル帝国の最大の遺産は「破壊」ではなく「接続」——広大な領域短期間で結び、間接的にルネサンス期の欧州近世国家形成寄与した点にあります。ただし、現地文化が強固だったため、モンゴル独自言語文化が大規模に置き換わることはなく、借用語制度の断片として残りました。現代でも中央アジア諸国内モンゴルでチンギス・ハン系のアイデンティティが共有されています

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[][] 『The End of the Tour』は、ある職業全体を見事に描き切っている レベッカミード

https://archive.is/Z2Nby#selection-473.91-473.98

『The End of the Tour』は、ある職業全体を見事に描き切っている

レベッカミード

2015年8月20日

『The End of the Tour』――小説家デイヴィッド・フォスター・ウォレスと、彼を取材するために『Rolling Stone』誌から派遣されたライター、デイヴィッド・リプスキーとの5日間の交流を描いた新作映画――の冒頭近くで、1996年2月に『New York』誌に掲載された『Infinite Jest』の書評の冒頭が朗読される。

「まるでポールバニヤンNFL入団たか、あるいはウィトゲンシュタインが『Jeopardy!』に出演したかのようだ。この小説は、それほどまでに巨大で破壊的だ。」

書き手ウォルターカーンさらに、「来年文学賞はもう決まってしまったようなものだ」と評している。

同じような「到来の予感」は、ウォレス役を演じたジェイソン・シーゲルにも向けられている。彼は、懐疑的で野心的で、謙虚で、極度に自己意識が強く、うつ病を抱えながらも、本質的には寛大な天才としてウォレスを演じ、その演技によってアカデミー賞候補ではないかとさえ言われている。

シーゲルが高く評価されるのは当然だ。その演技は、これまでコメディ色の強い俳優と見られていた彼自身の意外な深みを明らかにすると同時に、ウォレスという人物自己抑制的な魅力を鮮やかに体現している。

しかし、リプスキー役を演じたジェシー・アイゼンバーグの功績も見逃してはならない。彼は、いわばサリエリ役を演じているのである

シーゲルが極めて特異な一個人説得力をもって演じ切った一方で、アイゼンバーグはある職業のもの完璧表現している。

飛行機の中で、付箋だらけになった取材対象の本を読み返している場面。

薄暗い立体駐車場を、大きなバッグを肩に掛け、レンタカーキーを握りしめて歩く場面。

ウォレスの家に入って間もなく、携帯用カセットレコーダーの録音ボタンを押すことを申し訳なさそうに謝る場面。

「そんな答え、全然バカっぽく聞こえませんよ」と相手安心させようとする場面。

あるいは、「いったいどっちが誰を取材してるんでしょうね」と冗談を言って、自分のことを聞かれるのをごまかそうとする場面。

こうした雑誌ライター特有の癖や所作を、アイゼンバーグは驚くほど正確に再現している。

彼が何度も録音機に目をやり、赤い録音ランプがちゃんと点いているか確認するたびに、私は身につまされる思いがした。

ちなみに言っておくと、私はこれまで取材相手洗面所の戸棚を勝手に開けたことは一度もないし、相手が車の雪を払っている隙に、その部屋の様子をこっそり録音したこともない。映画ではリプスキーがそんなことをしているが、どちらもかなり不気味な行為だ。

それでも映画示唆することは的を射ている。

雑誌プロフィール記事を書くための取材と、誰かの監視記録を作ることとの間には、時としてほとんど境界線存在しないのである

(私の同僚エミリーナスバウムは、この映画について「タイトルは『Shame Spiral(羞恥スパイラル)』にすべきだった」とツイートしていた。)

記者主人公にした映画はこれまでにも数多くあった。

英雄的な『大統領の陰謀』もあれば、倫理を踏み外した『Shattered Glass』もある。

『Rolling Stone』誌の記者を描いた作品としては、キャメロン・クロウ監督の『Almost Famous』もある。

しかし、雑誌プロフィールを書くために長時間インタビューを重ねるなかで生まれる、あの奇妙で人工的な親密さをこれほど的確に描いた映画は、私は他に思い当たらない。

役作りのためにアイゼンバーグは実際にリプスキー本人へインタビューを行い、ウォレスと過ごした時間をどんな感情で振り返るのかを尋ねた。

また、リプスキーが愛用していた、ノートを縦半分に区切ってメモを取る独特の記録法も教わり、それを映画の中で忠実に再現している。

映画原作となった『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の序文を読む限り、当時のリプスキーは、自分をかなり挑発的な記者だと考えていたようだ。

彼はこう書いている。

「今、マクセルの新品カセット開封してレコーダーに入れた。記者にとっては、いつだって気分のいい、何の罪もない瞬間だ。弾を装填し、ブーツを磨き、任務に就くようなものだ。」

一方アイゼンバーグは、自身インタビューされる立場である経験も役作りに生かした。

彼は私にこう語った。

インタビュー中、私はいまだに、目の前にいる記者個人ではなく、その背後にいる読者全体へ向かって話しているんだということを忘れてしまうんです。実際には、一人の人間と向かい合って座っているだけなのに、それを思い出すのは難しい。」

『The End of the Tour』では、リプスキーから見た取材者と被取材者の関係は、複数動機が幾重にも重なり合ったものとして描かれている。

ウォレスより4歳年下のリプスキーは、小説家としては彼ほど成功しておらず、自分の才能の小ささを痛感しながら、ウォレスの才能と成功を羨望している。

自身編集者の部屋へ乗り込み、「この取材自分やらせてほしい」と直談判した。

もっとも、この場面は、90年代雑誌編集部というより、帽子かぶった昔ながらの新聞記者映画ハリウッド的なお約束に近い。実際の当時の雑誌編集部は、もっとカーペット敷きの穏やかな場所だった。)

リプスキーがウォレスから本音を引き出そうとする背景には、いくつもの衝動が入り混じっている。

彼は、

ウォレス天才性の源泉を理解したい。

自分自身作家としての実力や人生を、彼と比較したい。

ゴシップ好きな記者として、ウォレス過去――噂されるヘロイン依存――を暴きたい。

そして、文学最前線と、その文化的熱狂の一部に、自分も何らかの形で関わりたい。

そうした思いが同時に存在しているのである

(続きます。)

もちろん、ほとんどの雑誌取材が、この映画のようにこれほど強烈な動機交錯からまれるわけではない。もし毎回そうだったら、この仕事は到底続けられないだろう。

(実際、この取材依頼も映画の描き方とは少し違っていた。リプスキーによれば、これは『Rolling Stone』誌のオーナーであるジャン・ウェナーが、バンダナを巻き、無精ひげを生やしたウォレス写真を見て、「こいつはうち向きだ。リプスキーを行かせろ」と言ったことがきっかけだった。)

それでも、取材という行為構造のものが、取材者と対象者を物理的に長時間近づけるため、不安定な親密さを生み出すことがある。

もっとも、その親密さの最終目的が、「片方がもう片方について記事を書くこと」であるという事実は、決して忘れ去られることはない。

時間も語り合ううちに、インタビュアー対象者は、まるで大学時代の友人同士のように、お互いの信念を熱心に語り合うこともある。

あるいは、恋愛の始まりにある、酔うような告白時間を共有する恋人同士のようになることさえある。

映画のある場面で、ウォレスはこの奇妙な違和感言葉にする。

彼はリプスキーに、自分たちの利害は違うのだと念を押す。

リプスキーにとって「いい記事」になることが、自分にとって望ましいこととは限らない、と。

それでも録音機を手放さないリプスキーは、「もちろんです」と即座に応じる。

恋愛戦争、そして双方が合意した雑誌インタビューでは、すべてが許される。

(リプスキーは、質問がウォレス不快にさせるたび、「でも、この記事を受けることに同意したのはあなたですよ」と何度も言い返す。)

二人はすでに、ジャネットマルコムの古典的エッセイ『The Journalist and the Murderer(ジャーナリスト殺人者)』の議論を、内面化しているのである

1989年に『The New Yorker』で発表され、翌年に単行本化されたこ作品は、記者取材対象との関係を、「誘惑と裏切りドラマ」として分析したものだった。

映画舞台である1996年当時、ニューヨークで働く雑誌記者で、この本を読んでいない者は一人もいなかった。

その冒頭の一文――

自分が何をしているのかを理解できる程度の知性と自己認識を持つジャーナリストなら、自分仕事道徳的に弁護できないものであることを知っている。」

――を、おおよそ暗唱できる記者も多かった。

映画では描かれないが、原作『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』では、リプスキーがこの本に触れる場面がある。

「ええ、ずっと前に読みましたよ。」

とウォレスは答える。

精神分析的な視点を重視したマルコムなら見逃さなかったであろうことに、この会話の直後、リプスキーは反射的に録音機がまだ動いているか確認している。)

マルコムの本――今なお必読書である――は、主としてジャーナリズムにおける「裏切り」の瞬間を描いている。

まり取材対象記事を読み、自分が思い描いていた自己像ではなく、記者構成した別の物語として描かれていることを知る、その瞬間である

取材対象は、「記者を信頼していいのか」と悩む。

答えは単純だ。

信頼してよい。

ただし、記者は得た材料を使って、自分が最善だと思う記事を書くという意味でだけ。

一方、『The End of the Tour』が見事に描いているのは、その前段階――誘惑のプロセスである

からこそ、この映画ジャーナリズム教育の教材にも加えられるだろう。

記者相手の心の中へ入り込もうと努力することは、仕事上の必要から始まる。

しかし、その過程は同時に極めて個人的でもある。

映画では、リプスキーが巧みにウォレスから本音を引き出す様子が描かれる。

例えば、二人が飛行機で隣同士の席に座り、逃げ場がない状況になってから、ウォレスハーバード大学時代精神病院クリーン入院していた事実を切り出す。

これは、ジャーナリストらしい狡猾さを映画的に表現した見事な場面だ。

その一方で、車内でラジオに合わせて一緒に歌う場面では、ウォレス時間を共有していることへの純粋な喜びも描かれている。

結局のところ、どれだけ記者であっても、人は最後には自分自身になってしまうのである

映画は、『Rolling Stone』の記事掲載される前で終わる。

から映画が描くウォレスとリプスキー関係には、「前置き」はあっても、「その後」はない。

実際には、その記事は『Rolling Stone』には掲載されなかった。

リプスキーによれば、自身の著書のあとがき説明しているように、編集長ジャン・ウェナーが、記事を書く前に掲載を取りやめたのである

ウォレス2008年自殺したあとになって初めて、リプスキーは当時の取材メモをまとめ、長い記事を書いた。

それは高い評価を受け、その後、二人の会話をほぼそのまま収録した本として出版された。

もっとも、その後には新たな「裏切り」の物語も生まれた。

ウォレス未亡人遺産管理団体は、この映画に強く反対し、「ウォレス本人なら、あのインタビューがこのような形で使われることを決して望まなかったはずだ」と主張している。

『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』の中で、リプスキーは、ウェナーから記事は書かなくていい」と言われたとき、むしろ安堵したと記している。

普通なら、記事がお蔵入りになることは、記者にとって腹立たしいか、あるいは打ちのめされる出来事だ。

しかし彼は違った。

彼はこう書いている。

「書こうとはした。でも、そのたびにデイヴィッドがその記事を読んでいる姿を想像してしまった。そして彼が、記事だけでなく私自身まで見透かし、レントゲン写真を見るように、どこか胡散臭い部分を見抜いてしまう気がした。」

リプスキーは、ウォレスと築いた一時的友情――あの親密な時間――に、あまりにも心を残していた。

その体験客観的記事へと作り替えるだけの距離を、まだ持つことができなかったのである

から結果的には、記事を書かずに済んでよかったのだろう。

もし書いていたとしても、きっと成功作にはならなかった。

取材中、一瞬だけ取材対象に恋をしてしまう――。

『The End of the Tour』が描いているのは、まさにその唯一無二のダンスである

しかし、優れた記事を書くために記者が最も強い創作の喜びを感じるべき瞬間は、その後にある。

質問と答えの応酬が終わり、録音機が止まり、部屋に一人きりになって、ようやくキーボードに向かう、その時なのである

[][] デイヴィッド・フォスター・ウォレスについての醜悪事実に関する短い報告 https://devonprice.medium.com/a-brief-on-hideous-things-about-david-foster-wallace-72034b20de94

デイヴィッド・フォスター・ウォレスについての醜悪事実に関する短い報告

ジュノディアス告発者たちは声を聞かれている。しか文学界には、クローゼットの中にさらにひどい秘密が眠っている。

DEVON

2018年5月7日

※注意書き(TW):性的暴行家庭内暴力虐待に関する内容を含みます

ジュノディアス告発者たちは、今、声を聞かれている。

しか文学界には、クローゼットの中にさらにひどい秘密が隠されている。

5月4日ジュノディアス文学イベント私生活における女性への暴行嫌がらせについて、公に告発され始めた。

この件の基本的情報については『Book Riot』の記事がまとめているが、Twitter上の「#JunotDiaz」というタグでは、ディアスとの遭遇について語る女性さらに多く存在している。

これらの告発は、ディアスが『ニューヨーカー』誌に発表した、自身性的暴行被害経験についての非常に衝撃的で自己省察的なエッセイが公開された直後に起きた。

その文章の中でディアスは、自分自身が受けた虐待過去、そしてそれを抑圧してきたことが、長年にわたって女性たちと尊重に基づく恋愛的・性的関係を築けなかった理由の一部になったのではないか、と示唆している。

大部分において、ディアス告発者たちは真剣に受け止められているように見える。

これは、過去に起きた他の虐待告発――その中にはデイヴィッド・フォスター・ウォレスに対するもののように、非常に裏付けの強いものも含まれる――に対して文学界の多くの人々が示した反応とは大きく異なる。

ディアス有色人種男性であり、ウォレス白人で裕福な学者家庭出身男性だったという違いは、当然ながら関係している。

そしてこの点を強調するために、ウォレス告発した人物の中でもっとも声高で、もっともよく知られている、素晴らしい作家であるメアリー・カーが再び声を上げた。

亡くなった元恋人ウォレス行為を、私たちに思い出させるためである

―――

現在、公に性的暴行レイプ嫌がらせ告発されている人々の多くは白人男性である

しかし実際にその行動の結果として処罰を受けている人々の大半は、有色人種男性だ。

虐待者の存在が、

黒人男性褐色人種男性加害者であり、白人女性被害である

というステレオタイプ物語をどれだけ覆すものであるかによって、その虐待者が自分行為に対して完全な責任を負わされる可能性は低くなる。

#MeToo時代において、白人女性歌手メラニーマルティネスレイプ告発されても何の処罰も受けずに済み、白人男性ハラスメント加害者であるチャーリーローズハーヴェイ・ワインスタインは、一時的に姿を消し、セラピーを受け、それから戻ってきて「自分が学んだこと」について語ることができる。

一部の読者――その多くは白人だろう――は、今後ジュノディアス文章を読むことをやめるかもしれない。

しかし同じ人々が、デイヴィッド・フォスター・ウォレスの、過剰で混乱した女性嫌悪の物語を読み続けるだろう。

なぜならウォレス白人男性であり、そして彼自身がそのすべてについてひどく苦悩しているように見えたからだ。

#MeToo運動は、多くの人に「自分の声が届いた」「守られている」と感じさせるかもしれない。

しかし、私たち安心して休むことはできない。

誰が自分の行動の代償を払わされ、誰の虐待無視されるのか。

そこに影響している偏見と、私たち積極的に戦わなければならない。

そう、ディアス自分の行動に対して責任を問われるべきだ。

そう、彼の告発者たち――その多くはラテン系女性である――の声は聞かれる必要がある。

しかし、私たち確信や怒りの一部は、白人加害者たちにも向けられなければならない。

デイヴィッド・フォスター・ウォレスは、決して「良い人間」ではなかった。

これは長い間知られていたことだ。

しかし、ほとんどの人はそのことを知らなかった。

それは、今終わらなければならない。

―――

私は、かつてデイヴィッド・フォスター・ウォレスファンだった。

私は『インフィニット・ジェスト』を愛していた。

Girl with Curious Hair』の約半分の作品には、今でも深く心を動かされる。

そして彼の多くのインタビューには、今でも考えさせられ、引き込まれものがあると思う。

しかしここ何年もの間、私には明らかだった。

DFWデイヴィッド・フォスター・ウォレス)は、『This Is Water』を引用する人々が描きたがるような、

思索的で、苦悩を抱えながらも利他的な魂

ではなかった。

彼は虐待的で、感情を爆発させる男性だった。

そして自分自身の悪行への罪悪感を利用して利益を得ていた。


私は2010年特に陰鬱な冬の鬱状態の時期に、DFW作品に入り込んだ。

彼の言葉は、私がいた暗い穴の中まで降りてきてくれた。

死にたいと強く思っていた時、彼の言葉そばにいてくれた。

私はその後数年間、彼を崇拝した。

彼がこれまで生み出したものはすべて読んだ。

インターネット初期の頃に存在した、彼についての古くてあまり知られていないインタビューラジオ番組まで探し出した。

自身作品を読み尽くした後は、間接的に彼について扱っている本まで読んだ。

メアリー・カーの『Lit』や、ジェフリー・ユージェニデスの『The Marriage Plot』などである

やがて、DFWへの愛情は、彼を偶像化していた自分自身を壊した。

彼の個人的過去を読めば読むほど、彼が虐待的な人間であり、偽善者だったことが明らかになっていった。

ここに挙げるのは、2011年から2012年頃に私が知った事柄の一部である

多くの詳細は、ジョナサンフランゼンのエッセイ「Farther Away」と、D・T・マックスによるウォレスの伝記『Every Love Story Is a Ghost Storyから得たものだ。

いくつかの情報は、Wallace-Lメーリングリストからも得ている。

もちろん、一部の決定的な詳細は、素晴らしいメアリー・カーの回想録からのものだ。

なお、カーの本はどれもDFWノンフィクション作品よりはるかによく書かれている。

以下の引用部分は、D・T・マックスの『Every Love Story Is a Ghost Storyからのものである

ウォレスは、ほぼすべてのノンフィクションエッセイにおいて、何十もの事実を誤って伝えていた。

多くの事実は、他のジャーナリスト経験から完全に盗用されたものか、あるいは完全な創作だった。

例えば『Consider the Lobsterロブスターを考える)』に収録されたポルノ業界の展示会についてのエッセイで、ウォレスは、

外部にあるバルブによって、自由に膨らませたりしぼませたりできる人工乳房を持つ女性

について描写している。

しかしこれは完全な作り話だった。

そのようなインプラントは、彼がその文章を書いた1990年代には存在していなかった。

また、同じエッセイ内で一人称によって描かれる多くの出来事も、実際には別のジャーナリストからウォレスが聞いた話だった。

その他の創作された事実として、

エッセイ「Ticket to the Fair」に登場するバトントワリングの場面は完全な作り話だった。

また、その作品に登場する同行者の女性存在人物設定も、実際には存在しなかった。

Rise, Simba!」に書かれている多くの事実、人々、あだ名交流についても、同様に作られたものだった。

「Consider the Lobster」は反体制的なルポルタージュではなかった。

ウォレス自分文章を書き、それを『Gourmet』誌に売ったのである

『Gourmet』からジャーナリストとして派遣されたわけではない。

しかし彼はエッセイ内で、そのように見える書き方をしている。

初期作品

『The Broom of the System』

や『Girl with Curious Hair』の一部は、

トマス・ピンチョンドン・デリーロから筋書きや文体的要素を借用していた。

その盗用はあまりにも露骨だったため、ウォレスキャリアを通じて盗作訴訟心配していた。

もちろん、ここまで挙げたもの文学上の問題にすぎない。

以下は、明白な虐待行為である

詩人回想録作家メアリー・カーを、走行中の車から押し出した。

・カーに向かってコーヒーテーブルを投げつけ、破壊した。

自分彼女に投げつけたテーブルの弁償をしようとした後、そのテーブルの破片を自分に渡すようカーに要求した。

・カーをストーカーし、彼女の車の窓を殴って壊した。

自分担当していた創作文学の授業中に、学生暴力を振るった。

創作クラス学生たちと性的関係を持ち、さらに本の宣伝ツアー中には17歳少女とも関係を持った。

・カーと彼女の5歳の息子をストーカーし、さらにその目的のために購入した銃でカーの夫を撃つと脅した。

2012年頃にDFWについてこれらのことを知った後、私は彼の作品の多くを読み直した。

すると、以前覚えていたような天才性や繊細さが欠けているように感じた。

特に気づいたことをいくつか挙げる。

(多くはWallace-Lメーリングリストの鋭い読者たちの助けを借りたものだ。)

DFWは、共感できる女性キャラクターを書く能力ほとんどなかった。

『インフィニット・ジェスト』の敵対的女性人物アヴリル・M・インカンデンザは、疎遠だった彼の母親を非常に刺激的な形で変形した存在だった。

そして彼女に対する音痴描写は、母親に大きな苦痛を与えた。

彼の短編「The Depressed Person」に登場する、共感性のない女性ナルシシスト人物は、彼が性的関係を持ち、その後すぐに軽蔑するようになった同業作家エリザベス・ワーツェルをモデルにしていた。

同じことは「Westward the Course of Empire Takes its Way」の女性主人公にも当てはまる。


彼の作品における女性への執着という主要なパターンは、

「美しすぎるために、この世界普通に機能することができない女性

というものだった。

その最初の形は、『インフィニット・ジェスト』に登場する、ベールで顔を隠した危険なほど美しいジョエルヴァン・ダインとして現れた。

その後、『The Pale King』では、少し頭が軽い形に作り直されたメレディスランドとして再登場する。

これらのキャラクターは、人を惹きつける圧倒的な美しさ以外には、際立った特徴をほとんど持たない。

その美しさは極端すぎて、もはや呪いに近いものになっている。

これらの女性たちは、物語の中でも、自分自身人生においても主体性を持っていない。

どちらも、おそらくDFW恋人回復支援グループでのパートナー、そしてストーカー被害者でもあったメアリー・カーをもとにしている。

本質的に言えば、

Girl with Curious Hair』に収録されたレズビアンカップルについての短編を除けば、

彼の作品には主体性を持った女性キャラクターほとんど存在しない。

女性たちは『Brief Interviews』では単なる無垢被害者であり、

『Broom of the System』、

Infinite Jest』、

Oblivion』、

『The Pale King

では、カラフルではあるが傍観的な存在にすぎない。

ノンフィクションにおいても、女性が中身のある声を持つことはほとんどない。

彼が、機知に富み、はっきり物を言う女性の同行者と一緒にいる唯一のエッセイ

「Ticket to the Fair

は、後にフィクションだったことが明らかになった。

その女性実在しなかった。

―――

ウォレスについてこうしたことを知り、観察したことで、私の読書習慣は根本的に変わった。

ウォレスが吐き出した、半分も編集されていない断片的な文章をすべて探し出し、貪欲に読み漁ることはやめた。

その代わりに私は、メアリー・カーのような女性作家たちへ目を向けた。

彼女たちは一般的に、ウォレスよりも簡潔で、自己認識があり、制御された文章を書いていた。

また、カーやその他の虐待被害経験した人々の経験にも慰めを見出した。

なぜなら、後になって分かったことだが、

2010年の冬に私があれほど惨めなほど落ち込んでいた理由の一つは、

私自身が身体的、感情的、性的虐待を伴う関係の中にいたからだった。

私はそれに気づくまで、しばらく時間がかかった。

私を虐待していた男は、何しろとても繊細そうに見えた。

そして彼は、人間の善性について哲学的に語ることに熱心な、非常に活発で好奇心旺盛な読書家だった。

ウォレスの伝記作家は、彼の虐待について知っていた。

カーはウォレス自分行為を認めた手紙を彼に見せていた。

しかし、それらはウォレスの「技量craft)」の証拠として扱われた。

彼が悪を行う能力を持っていた証拠としてではなかった。

#MeTooは、私たちのほぼ全員に、自分尊敬する人々の憎悪的で虐待的な行動と向き合うことを強いた。

私は、私たちがその困難な矛盾を抱え、認める能力を持つことが重要だと思う。

メアリー・カーは、読者にウォレス作品を捨ててほしいとは思っていない。

彼女はそのことをTwitterでも述べている。

(カーのツイート引用

「悪を行う能力があることが証明されたすべての人間人生作品から自分たちを切り離そうとすることは、生産的ではありません。

それは、関係によって自分浄化しようとする終わりのない競争を生み出すだけです。

一見すると善良だったり、複雑だったりする人々が、恐ろしい行為を犯すことがある。

もし被害者が本当に安全を感じられる社会を作るなら、私たち何度でもその真実に向き合わなければなりません。

私たちはそれを受け入れ、対処する方法を身につけなければなりません。

その複雑さに耐えられないことこそが、人々を告発者を無視し、創作者を免責する方向へ向かわせるのです。

単純ではない現実を恐れる気持ちこそが、

ウォレスの伝記作家や多くのファンに、

自分たちが愛した本の中の優しく悲しげな男性が、実際にはストーカーであり、殺人を企てた可能性のある人物でもあった、

という事実を認めさせなかったのです。」

 

私たちは、その矛盾を受け入れることができるようにならなければならない。

そして、それにどう向き合うかを学ばなければならない。

なぜなら、その複雑さに耐えられないことこそが、人々を告発者を無視し、創作者を免責する方向へ押しやるからだ。

一見すると善良で、あるいは複雑で理解しがたい人物が、恐ろしい行為をすることがある。

もし被害を受けた人々が本当に安心できる社会を望むなら、私たちはその事実何度でも向き合わなければならない。

私たちは、その事実を受け入れ、それと共存する方法を身につける必要がある。

DFW作品を愛していた人間として、私は本当に彼の作品を愛していた。

本当にそうだった。

私は、彼が複雑で、心を揺さぶるほど美しい魂を持った人物だと信じていた。

しかし今、彼についての真実を知った私は、彼の作品の多くを以前ほど評価できないと感じている。

そして、彼がもうこの世にいないことに感謝している。

もし彼がまだ生きていたなら、

彼は今でも学生たちを虐待し、

恋人たちに嫌がらせをし、

自分自身の悪意や暴力性を直視することを避けながら、

苦悩に満ちた、疲れるほど長い文章を書き続けていたに違いない。

私はそのことに疑いを持っていない。

私はむしろメアリー・カーが今も健やかに活動し、真実が知られている世界に生きていることを嬉しく思う。

それに、カーの本のほうが結局のところ優れている

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