はてなキーワード: 時計とは
時計の日付表示はすでに土曜日になっている。しかし僕はまだ金曜日の活動を終了していないので、主観的時間区分では金曜日である。
ルームメイトは「日付は午前0時に変わる」と主張したが、それは社会的な約束にすぎない。研究者の一日は、睡眠によって境界条件が課された時点で終了する。
そして僕は、まだ寝ていない。
朝は午前6時42分に起床した。昨夜の就寝時刻は午後10時38分だったので、睡眠時間は8時間4分。僕が許容する誤差範囲内である。
ベッドを出た後、室温、湿度、気圧、睡眠中の平均心拍数を記録した。ルームメイトは「起きたとき元気ならそれでいい」と言った。
それは観測機器を捨てて、橋が揺れていないように見えるから安全だと言う土木技師と同じである。
金曜日の朝食は、四角いトーストを対角線で切った直角二等辺三角形二枚、ゆで卵一個、紅茶250ミリリットルと決めている。今日はルームメイトがトーストを縦に切った。
長方形が二枚できた。味は変わらない。しかし、味だけが食事の状態変数ではない。形状、配置、咀嚼開始位置、パンくずの落下方向も含まれる。
僕は新しいパンを焼き直した。食料廃棄ではない。誤った幾何学への制裁である。
研究室では、昨日に続いて一ループp進弦理論を調べた。Bruhat–Tits木を種数1のSchottky群で割った世界面は、漸近境界にTate曲線を持つ。
木の上の自由場を積分消去すると境界に非局所作用が現れ、その二点核がTate曲線のNéron局所高さ関数と一致する。
僕が考えているのは、その種数2以上への拡張だ。
一般のp進Mumford曲線では、Schottky群の商から得られる有限還元グラフに複数の独立な閉路が存在する。
そのため、種数1のように単一の乗法的パラメータだけでは二点関数を記述できない。
そこで僕は、グラフ・ラプラシアンの擬逆行列、Schottky生成元の乗数、熱帯周期行列を組み合わせ、境界Dirichlet-to-Neumann作用素が正準局所高さペアリングを再構成する条件を調べている。
問題は零モードである。定数モードを単純に除去すると、グラフ上では整合しても、曲線上の主因子に対する双線形性が崩れる可能性がある。
逆にArakelov型の正規化を先に入れると、Schottky基本領域の選択に依存する項が残る。僕の予想では、その依存性はIharaゼータ関数の行列式表示と組み合わせることで相殺できる。
この予想を理解できる人間は、おそらく世界に5人いる。その5人が僕の予想に興味を持つ人数は、期待値で0.7人程度だろう。
昼食時、友人Aに説明したところ、「つまり木を輪っかにして、また木に戻すのか」と言われた。非常に不正確だが、彼がこれまでに行った説明の中では最も数学に接近していた。
友人Bは「高さ関数ということは、曲線の背の高さを測るのか」と尋ねた。僕は12分かけて算術幾何学における高さの概念を説明した。説明後、彼は「やっぱり背の高さではないんだね」と言った。12分前からそう言っている。
夕方、隣人が部屋に来て、今夜は映画を見ようと提案した。金曜日の午後8時から10時までは、僕が古い宇宙探査ドラマを製作年順に見る時間である。隣人は途中のシーズンから見ても理解できると言った。
できるかもしれない。しかし、理解できることと、正しい順序で理解することは別である。人類史を産業革命から学び始めても概要は理解できるが、その場合、なぜ全員が突然工場を建て始めたのか説明できない。
午後10時、本来なら就寝準備を始める時間だった。ところが、研究ノートを閉じる直前、種数2還元グラフの有効抵抗距離と局所高さの非対角項が一致する可能性に気づいた。確認には数分しかかからないと思った。
午前0時07分、符号を直した。
午前0時46分、今度は基点依存性が残った。
午前1時22分、基点を変えたときの差が調和1形式の周期として書けることに気づいた。
午前2時03分、ルームメイトが起きてきて、「まだやってるのか」と聞いた。僕は「あと10分で終わる」と答えた。これは嘘ではない。その時点の僕が持っていた情報に基づけば、条件付き確率の高い予測だった。予測モデルが現実に裏切られただけである。
午前2時41分、休憩として宇宙艦隊ものの戦略ゲームを一局だけ始めた。研究で複雑な木構造を見続けた脳を、複雑な星系ネットワークで休ませるためである。ルームメイトはそれを休憩とは呼ばないと言ったが、数学的対象の種類が変わっているので休憩である。
午前3時26分、勝利した。
現在、午前3時30分。
僕の金曜日の就寝予定時刻は午後10時38分だったので、4時間52分の遅延である。明日の起床時刻を同じだけ後ろへずらせば睡眠時間は保存される。しかし土曜日の午前8時には洗濯機を回す習慣がある。
習慣を変更することはできない。
これは不合理に見えるかもしれないが、宇宙にも保存則と対称性の自発的破れがある。僕の場合、保存されるのは習慣であり、自発的に破れるのは健康である。
おやすみなさい。
うちの2才の娘も、同じように段ボールで作った腕時計を嬉しそうに付けてる。
2才なので、まだまだ一人で外遊びとかないけど、後々AppleTagを時計型のケース付きをでプレゼントしようと思ってる。
針はないけど、外遊びするようになったとき付けてくれるといいなー。
そんな上手くはいかんか。
電車に乗ってたら、少年(5歳くらい?)がパパと一緒に入ってきておしゃべりを始めた
「パパー」
「なあに」
「お金ちょうだい?」
いきなりパパを強請りだした!
「いくら?」
「1円!」
やっす!
「ピッ!」
スマート決済!
男の子たちは次の駅で降りていった
すげーかわいかったな…
4歳の息子が可愛すぎる
息子が俺の時計を「かして」と言ってくる
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https://biolinky.co/moanathaifhdq
https://biolinky.co/moanathailand
https://biolinky.co/evildeadburnthaifhdq
https://biolinky.co/evildeadburnthailand
息子が俺の時計を「かして」と言ってくる
壊されたら嫌なので適当にあしらっていたんだけど、ごっこ遊びを始めたので段ボールと輪ゴムで腕時計を作った
段ボールを切って、マジックで文字盤を描いて、輪ゴムをつけただけ
息子に「どうぞ」と渡したら「動くやつがいい!」と言われた
まあ、そらそう
針すら描くの忘れてたし
「そっかー」とか言いながら用事があったので家を出た
帰ったら息子は昼寝してた
え、いらんって言ってたやん
妻に聞くと、あれからずっと気に入ってつけてたらしい
「いや!パパと同じのずっとつけてる!」と言って、外さなかったらしい
いやいや、「動くやつがいい!」って言ってたやん
いつの間にそんな気に入ってたん?
しかも嬉しそうに、何度も何度も「今何時ー?」と聞いてたらしい
針すらないのに
今も息子の小さい腕についてる
なんでそんなの大事にしてくれるの
なんで寝るときまでつけてくれるの
なんで「パパと同じ」がいいって言ってくれるの
全然同じじゃないし、動かないんだけど、そんなんでいいの?
マジで嬉しい
4歳の息子が可愛すぎる
産院では定期的にお母さん懇親会的な集いがある
妻は外国人なので同行したが、2回で出るのやめた
俺、妻「キモい」
今回二人目の妊婦が先輩面してドヤって講釈たれてるのががキモい
日本女のキモさを凝縮した空間で、俺はそーゆーの嫌いで外国人と結婚したのだが、
だけど、そのとき気づいた。今後子育は否応がなしにこいつらキモ空間と付き合わなきゃならんのだと。
保育園、幼稚園、小学校、PTA、なんちゃら会、こいつらと一切かかわらないのは無理だ
うっわ、ちょっ、待って
もちろん脳内予想はしていたが、軽くスルーできると甘く考えてた、
実際に遭遇して初めてその重さに気づいた、これ逃げられんやつやん
イヤイヤ期も軽め、通学も問題なし。友人もできた。
前の保護者が話したいことがたくさんあるのだろう
こっちは指定時間通り訪問したのに、寒風吹きすさぶ廊下で子供用の椅子で1時間待たされた
中では女教師とどこかの母親がなんか話ししてる、二人とも時計の見方知らないの?
「引き続きよろしくー」で終わる、ウチは終わった、1分かからん、担任も時間管理しろよ、時間決まってて後ろの人待ってるんだから時間になったら一旦終了、
まだ話すことあるなら、後日時間作ります、で済む話、普通の社会人ならそうする、
親も時計くらい見ろよ、自分の子供が優先か?待ってる人はどうでもいいのか?そういうスタンスで子供育ててるの?ろくな人間に育たんぞ
運動会はバカ親どものエゴ集会でしかない。俺はそういう空間を避けて生きてきたのに、苦痛でしかない、逃げられない
ずっと何か言うにしてもやんわり伝えるように気をつけてたのに
なのでここ最近は弟の使っている部屋との間の扉を開け放して冷気を送り込んでる
大抵増田の方が寝るのが早いんだけど、元々寝つきが良くないのと弟の通話の声や部屋の電気が気になって眠れずこのところ睡眠不足気味だった
でも弟もいつも1時頃には通話は切り上げてくれてるし、エアコンが1台しかないのは増田の過失だからなと思い我慢していた
なんだけど、昨日、弟はずっと通話を続けていて寝てからも何回も目が覚めては寝直していた
弟が「カスカスカスカス!w」「死ねよコイツマジでバカだなw」と話していた
「お前いい加減にしろよ」
「こっちは仕事あるのに何考えてんだよ」
「大体お前誰の家で誰の金で生活してるんだよ、身の程を弁えろよ」
とブチギレてしまった
生活費も、まあ催促したのになかったことにされてるし払ってくれてないけど金のことを持ち出すのは間違ってるよなと思う
そもそも、弟は暑くなる前には自宅に帰ると言っていたのに全然帰らないからこんなことになってるんだろうがとか、帰らないならスポットクーラー手配するよと言っても拒否したのはお前だろとか、生活費今度持ってくるって言って2ヶ月経ったよなとか、6月で帰るって言ってたのもなあなあにしてるよなとか、不満ばかり考えてしまう
今日帰ったらどんな顔したらいいんだろう
憂鬱だな
なんかせめて楽しそうにゲームしてくれたらいいのに
おーおーきなのっぽの古時計、おじいーさんのーとけいー!
涙そうそうって久しぶりにカラオケで聴いたんだけどあれよく考えたら相手死んでるよな。って思って検索したらやっぱ死んでたわ。
千のか~ぜ~に~みたいなのはあからさまに死んでるけど、歌詞で死んでるって言ってないけど死んでそうな歌ってあるよな
死んでる歌ってほかになんかある?
(追記)
思いのほか死んでる歌、多!!
米津のlemonは亡くなったお爺さんに向けた歌だっけ
レモンも歌うのムズすぎてあんま考えてなかったけど確かに!恋愛系かと思ってたけど亡くなったのが恋人じゃなくておじいちゃんってのがなんか深ぇ!!
聴いてみたけどええやん!死んでる相手に語り掛ける系の破壊力!なんか歌詞の感じがボカロというか界隈曲のワイの好きな彼方の空のほうき星を思い出してエモみが重なった!
そういや界隈曲もこういうの多いよな!常識的に考えたら確実に死んでる状態異常みたいなやつ、なりがち!
勇者 / YOASOBI(ヒンメルはもういないじゃない)
YOASOBIだと夜に駆けるもあれってたしか死んでるよな?いやまだ死んでないか?原作本読んでないけど、まあこのまま行ったら死ぬ系の流れのやつよな!
aikoの『カブトムシ』は「あなたが死んでしまって…」のあとに「想像つかないくらいよ…」と続いてるんだから、「いずれ死んでしまうときのことなんて想像つかないくらい今が大切」っていう意味でしょ。
aiko深ぇ!!aikoの歌どれもなんか意味深よな!そういやなんかめっちゃエッチな歌説あるのあったよな!テトラポットがてっぺんでアレしてみたいな!
aikoといえばアポカリプスホテルのオープニングは謎としてエンディングはおそらく死んでるよな!aiko、深ぇ!
小学生の頃、教科書に「大きな古時計」が2番まで載っていて、単に時計が止まる歌だと思っていた。友人が「もしかしてお爺さん、死んでる?」と気付き、その後3番があることがわかり死が確定。謎解きした気分だった
おーおーきなのっぽの古時計、おじいーさんのーとけいー!
よな!
これよこれ!これは外せん!実は原曲で90年のところを響きが悪いからという理由で日本版は100歳にしたというとんだ逆サバ楽曲なんだよな!
さだまさしでいうと、「木根川橋」は話しかけた相手は酔っ払って寝ているだけだが「木根川橋(社長編)」は身投げして死んでいる。
さだまさしの曲だと「フレディもしくは三教街〜ロシア租界にて〜」は死者に語りかける歌だし、「奇跡〜大きな愛のように〜」は死者が生者に語りかけているという解釈もできる。
米津玄師の『パプリカ』が思い浮かんだ。あれ子供が踊ってるやつじゃなくて本人が歌ってるアニメ版の動画は映像があからさまだし鎮魂歌って感じ
ブコメの「あからさまだし」を「さだまさし」に空目。海は死にますか? 平沢進『夢の島思念公園』は大量に死人出てるんじゃなかろうか
あからさだまさし神出鬼没すぎて草wパプリカは311の追悼的なやつ?の説があるだけだったか?
「シャボン玉」
「君は天然色」
これは、身内が亡くなった経験のある親族が悲しみを堪えて歌を作ったことに気づいて感動するんであって…
実際は、その想いをプロフェッショナルとして、唱歌とか、別れのラブソングに形を変えて作り替えるんであって、死んでる歌ってのとは、違うと思うんだよな。
あーそういう見方もあるな。君は天然色のかくしごとED起用、めちゃ良かったけどあれは悲しみを堪えてってとこで作品と通底してるとおもったわ!
人間活動から復活した宇多田の大半は死んだお母さんへのメッセージかな?ってのを感じる 真夏の通り雨、花束を君に、はもちろん、大空で抱きしめてとか
あー宇多田ヒカルは明らかに作風変わったな!本題と変わるけどやっぱ宇多田でワイが一番好きなのはBeautiful Worldの「ゲンドウ目線」!!!!(諸説あり)
山崎まさよしの主演映画のために書いた曲で、映画の中で相手は(ネタバレ)っぽいから、その設定だとまあ(ネタバレ)判定だわな!まあネタバレだわな!
まあでも秒速5センチメートルの主題歌でもあるよな!そっちを考えたらまあ、ネトラレだわな!
Lemonはさすがに死んだ爺さんに向けた……は嘘だろう。「恋をしていたあなたに」という歌詞あるのに。死んだ人に向けた歌としては「Don't cry/ WANDS」を挙げておく。
なんか調べたら曲の製作中におじいさんが亡くなる出来事があったって感じみたいやな。やっぱあくまでメインは恋愛系の死別って感じか。あの部分だけ曲調違うし2つの要素が複合してる可能性もあるか?
彼は、三の倍数と三のつく数字を口にするときだけ、アホになった。
人々はそれを芸と呼んだ。
一時の流行だと笑った。
だが、誰も知らなかった。
彼はアホになっていたのではない。
世界を正常に保つため、自ら理性を捨てていたのだ。
ある日、ひとりの数学者が、決して見つけてはならないものを見つけた。
それは紙の上に書くことができた。
数えることもできた。
証明することさえできた。
「なぜ今まで気づかなかったのか」
やがて世界は、少しずつ狂い始めた。
三階と四階の間で、エレベーターが一度だけ停止するようになった。
四人で撮ったはずの写真には、誰も知らない影がひとつ増えていた。
人々はその数を知ろうとした。
数学者は式を組み、科学者は観測し、政府は研究施設を立ち上げた。
家族は顔を忘れ、記録から名前が消え、空いた椅子だけが理由もなく残された。
ただ一人。
世界のナベアツだけは違った。
「さぁーん!」
三を口にした瞬間、彼の理性は途切れた。
論理を捨て、計算を捨て、数を数として認識する能力そのものを手放す。
それは芸ではなかった。
三の向こう側にあるものから、己の精神を守るための訓練だった。
何年も前から、"彼"だけは気づいていたのだ。
三を正しく認識してはならない。
三を真面目に受け止めてはならない。
三に到達した瞬間、思考を止めなければならない。
理解しないことだった。
三の次に来る数は何か。
世界中の人々が、同じ問いを聞いた。
誰もが答えを知っている気がした。
口に出せば、すべてが完成する。
ナベアツは、ただ一人、前へ出た。
「一……」
空が暗くなった。
「二……」
時計の針が止まった。
人々の口が、一斉に開いた。
そして。
「さぁーーーーん!」
ナベアツは、全力でアホになった。
その夜、人類は皆アホになった。
大統領が白目をむいた。
数学者が腰をくねらせた。
軍人が奇声を上げた。
誰も答えを口にできなかった。
誰も、その数を理解できなかった。
三と四の間にあった何かは、形を失った。
世界は救われた。
だが、人々は覚えていなかった。
自分たちが何を見たのか。
誰が戦ったのか。
なぜ世界中が同じ瞬間にアホになったのか。
記録に残ったのは、ひとりの芸人だけだった。
人々は彼を見て笑った。
くだらないと言った。
懐かしいと言った。
ナベアツもまた、笑っていた。
それでよかった。
理解された瞬間、それは再び三と四の間に現れる。
夕暮れの街を歩きながら、桂三度は三台目のタクシーを見つけた。
そして今日も、盛大にアホになった。
世界が、四へたどり着けるように。
朝はまだ、世界の端っこにぶらさがっているみたいな時間だった。川べりの土を踏むたびに、足の裏からひんやりした感触が、ふくらはぎを通って腰のあたりまで細い糸みたいに伝わってくる。私はその糸をたぐるように、ゆっくりと桂川沿いを歩いていた。
空気はすでに夏の手前で待機している。少し動くだけで、首筋のあたりにうっすらと汗がにじむ。その汗が、シャツの布と肌の境目を曖昧にして、私のからだの輪郭を少しだけぼかす。女性であることを、こういう朝の汗の付き方でふと思い出すことがある。下着のレースのふちが、体温に合わせてゆっくりと柔らかくなっていく感じとか、胸の重さが呼吸のリズムに合わせてわずかに揺れる感じとか。そういうものが、ここでは妙にくっきりと意識に浮かぶ。
川の流れは、私の体内を流れている血のように見えた。ゆっくりと、でも確実に、どこかへ向かっている。水面のきらめきを眺めていると、子宮のあたりに、かすかな「中心」の感覚が戻ってくる。そこは普段、意識の届かない薄暗い部屋みたいな場所なのに、旅に出るとときどきふいに電気がつく。誰も住んでいないのに、ちゃんと家具が置かれた部屋がそこにある、ということだけが知らされる。
風が吹いて、髪の毛が頬に貼りついた。指先でそれをはがすとき、爪が皮膚をかすめ、その下に小さな熱があるのを感じる。喉の奥から胸の下まで、一本の管が通っていて、その管を空気が往復している。そのたびにブラジャーのホックが、背中でこっそりと微かな軋みを立てる。誰も聞いていない、小さな生活音みたいに。
川辺の草には、まだ朝露が残っていた。私は屈んで、そのひとつを指でつまんでみる。冷たい球が、指先の熱を吸い取って、すぐに形を失う。ふと、自分のからだも同じように、誰かの指先の温度に触れた瞬間に、これまでの輪郭を少し変えてしまうのだろう、と考える。恋人といた夜のことを思い出す。太腿の内側に触れられたとき、汗と恐れと期待が、同じ場所でごちゃ混ぜになっていた感覚。あのとき私の肌は、今朝の露と同じように、すぐに形を変え、でも確かに存在していた。
私は心の中でそうつぶやく。理屈より先に反応してしまう。いいとか悪いとかより先に、熱とか震えとかを選んでしまう。その勝手さを、若いころは少し恥ずかしく思っていた。でも今は、異国の川辺を歩くとき、その勝手さに助けられている。意味のない風景でも、からださえ何かを受け取ってくれれば、とりあえずここにいる理由になるから。
遠くで電車が鉄橋を渡る音がした。その振動が、骨盤のあたりにまで届いてくる気がする。骨の内側で、わずかな反響が跳ねている。私は立ち止まり、腰に手を当ててみる。その下に、幾層にも重なった筋肉や脂肪や骨や、名づけようのない空洞があることを意識する。女性のからだは、ときどき「器」のように感じられる。何かを入れるために用意された空間。その空間は今は空っぽだ。けれど、空っぽであることにも、独特の重さがある。
太陽が少し角度を変え、川の表面に細い金色の線を走らせる。光が水を撫でるたびに、私の胃の辺りにも同じような線が引かれる感じがする。旅に出ると、からだの内部地図が少し書き換えられる。普段ならただの「みぞおち」として処理されている場所が、突然「不安」とか「欲望」とか「解放」と書き込まれる領土になる。
私は汗ばむ手のひらを川風にさらしながら、自分の指を一本ずつ見つめる。これまで何人のからだに触れてきたのか、何冊の本をめくってきたのか、何度自分自身を確かめるように撫でてきたのか。指の節のふくらみをなぞると、そのたびに胸の奥で微かなざわめきが起こる。そこには、触れたものたちの記憶が沈殿しているのだろう。
「私はここにいて、ここにいない」
そんな言葉が浮かぶ。旅人としての私は、京都という地図の上に小さなピンのように刺さっている。でも、からだの感覚は、時折別の場所へ飛んでいく。恋人の部屋の薄暗い照明の下とか、ひとりで眠れなかった真夜中のベッドの上とか、初めて月経が来た日の学校のトイレの中とか。そういう場所に、一瞬だけ引き戻される。
桂川は、何も知らない顔で流れている。私のささやかな動揺にも、そこそこ落ち着いた欲望にも、無関心なふりを続けている。けれど、もしこの水に裸足を沈めたら、足首から上へと、別の温度が忍び込んでくるだろう。皮膚の下を、別の川が流れ始めるだろう。その想像だけで、下腹部にひそやかな温もりが灯る。
暑さが本格的にやって来る前に、私はこの朝を使い切ってしまいたいと思う。歩くこと、立ち止まること、汗をかくこと、思い出すこと。女性であるからだの全部を、この一本の川に軽く晒してみる。そうすることで、少しだけ身軽になれるような気がする。何かを捨てるわけではなく、ただ流れと一緒に持ち運んでもらう感じで。
私は深く息を吸い込み、胸の内側がゆっくりと広がっていくのを確かめる。肋骨の隙間から、朝の光が染み込んでくるような気がした。そして、まだ人の少ない川沿いの道を、もう少しだけ歩くことにした。自分のからだが、この夏をどう受け止めようとしているのかを、確かめるために。
ふと昨晩のことを思い出す。
昨日の夜のことを思い出すと、まず最初に浮かぶのは、部屋の温度だ。窓を少しだけ開けていたせいで、外から入り込んだ湿った空気が、天井のあたりでゆっくりたまり、そこからじわじわと降りてきていた。ベッドに横になっていると、その重さが、胸の上に薄い布団みたいに折り重なってくるのがわかる。
旅先のベッドは、私のからだをまだよく知らない。マットレスの硬さも、枕の高さも、いつものものとは少しずつ違っている。その誤差のせいで、自分の身体の輪郭がいつもより敏感になる。腰のくぼみとか、太腿の重さとか、背中に集まる汗の位置とか。そういうものが、やけにくっきりと意識に浮かんでくる。
シャツを脱いで、薄いワンピースだけになったとき、布が肌に貼りつく音を、私だけが聞いていた。肩の線に沿って布が落ちる瞬間、重力と布とからだが、静かに相談をしているような感覚になる。胸の形に合わせて、ワンピースの布地がゆっくりとカーブを描き、そのカーブの下で、私の呼吸が確かに続いている。
ベッドに横たわると、シーツの冷たさが、腰骨のあたりから広がっていく。その冷たさが、少し遅れて内側の熱に追いつこうとする。シーツと肌の間には、とても細い境界線があって、その線を指先でなぞると、自分が今どこまで「外」で、どこからが「内」なのか、曖昧になっていく。
電気を消すと、部屋は急に狭くなる。暗闇が、壁の位置をわからなくしてしまうからだ。代わりに、からだの輪郭だけがはっきりしてくる。胸の重さ、腹の柔らかさ、太腿のつながり、足先の不安定さ。女性であるからだは、ときどき「地図」のように感じられる。誰かと一緒にいる夜には見せない裏面の地図を、ひとりの夜には静かに広げてみることができる。
横向きになって膝を少し引き寄せると、太腿と太腿のあいだに、小さな空間ができる。その空間は、ひと晩だけ貸し出される秘密の部屋みたいだ。そこに手を差し入れるかどうかを、私はしばらく迷う。差し入れなくても夜は過ぎていくし、差し入れれば別の速度で過ぎていく。どちらを選んでも、朝は来る。
指先で、太腿の外側の線をなぞることにする。肌の上を滑る自分の指は、誰かの指の代用品みたいでありながら、同時にもっと正確な測量道具でもある。どこが冷たくて、どこが温かくて、どこが少し震えていて、どこが落ち着いているか。そういうことを、一ミリ単位で知らせてくれる。
下腹部のあたりには、いつも薄い膜のような緊張がある。その膜に、心の重さや欲望の影が少しずつ溜まっていく。ひとりの夜には、その膜を破るか破らないかの選択を、誰にも見られずに行うことができる。私は昨夜、その膜の表面を、指先で軽く撫でるところまでにしておいた。破ったときに訪れる種類の安堵を、今夜は必要としていないような気がしたからだ。
代わりに、呼吸を深くすることにした。吸い込んだ空気が、喉を通り、胸を通り、みぞおちを通り、下腹部の手前で少し滞る。その滞りを感じながら、ゆっくりと吐き出す。呼吸だけで身体の内部を触ることだってできる。そのことを確かめるように、何度も同じリズムを繰り返した。
ベッドの上で、手の位置を変える。お腹の上、胸の下、鎖骨のあたり。触れる場所によって、思い出す記憶の種類が変わる。恋人に触れられた夜のこと、医者に触れられた冷たい朝のこと、自分で自分を抱きしめるように眠った冬の夜のこと。昨夜は、その全部が薄く重なっていた。
指先が軽く胸の上に触れたとき、からだはほんの短いあいだだけ、何かを期待する。誰も来ないことを知っていても、とりあえず期待する。その小さな裏切りが、ほんの少しだけ切ない。けれどその切なさは、旅の夜には妙に心地よくもある。自分の欲望や孤独を、誰にも説明しなくていい時間だからだ。
時計の音が、部屋の隅でかすかに刻まれていた。秒針が進むたびに、夜の厚みがわずかに薄くなっていく。私は目を閉じて、その音を胸の奥で聞いた。心臓の鼓動と秒針の音が、ときどきぴったりと重なる。重なった瞬間、からだの中にあるすべての部屋の灯りが、同時にふっと暗くなるような感覚がある。
眠気がゆっくりとやってきて、身体の隅々を柔らかくしていく。太腿の間の小さな秘密の部屋も、やがて静かに扉を閉じる。下腹部の膜の上に溜まっていた緊張も、少しだけ薄くなる。破らないまま朝を迎える種類の夜が、この世にはたしかに存在していて、私は昨夜、そのひとつを選んだのだと理解する。
最後に、私は自分の手を胸の真ん中に置いた。そこが今夜の「中心」だと決める。指先のぬくもりが、皮膚の下をゆっくりと広がっていく。外の世界がどうであれ、今この瞬間だけは、私のからだが私のものとしてそこにある。その事実だけを抱いて、私は眠りに落ちていった。
そして今朝、桂川を歩きながら、昨夜の感覚のいくつかがまだ身体のどこかに残っていることを、私はときどき思い出す。太陽の光に晒されると、それらは少しずつ形を変え、やがて川の流れに紛れていく。それでいい、と私は思う。夜にしか持てない輪郭と、朝にしか持てない輪郭が、ゆるやかに入れ替わりながら、ひとつの身体を保っているのだ。
夏ね!って思いながら忙しいことを夏のせいにして整理整頓を怠りまくりまくりすてぃーで、
私よくやりがちな、
事務所の私の机の上の風の谷のナウシカみたいに「の」が一方的に続くけれど、
その机の上に私が使っている、
その上に書類とかが乗っかって地層として長年というか1万年ぐらい経ってから、
あれ?私の電卓どこやったの?って
発掘作業が始まるのよね。
幸い、
すぐに発掘できる専門家の私の上の机の地層については専門家なので、
おおよその見当がつくの。
だいたいここらへんにありますな!ってまるで恐竜の化石をすごい長年の研究の勘で、
ここらへんにあるだろう!と見当を付けて掘り始めたらすぐに化石が出ちゃう博士みたいでしょ?
って。
もうさ、
でもこの時期忙しいから博士こと私はそんな電卓の発掘作業を慎重にやっている時間がないので、
やっぱり定位置に使ったら戻すという、
ちゃんとした人間としての整理整頓魂を培っていきたいものじゃない?
うーん、
ってその時また違うメモ帳じゃない適当な裏紙のちらしの裏にメモを書いたりするし、
そんなことしてるから、
あのメモどこに書いたっけ?って。
じゃないと、
うわ!ってなるじゃない。
その点、
私のゲーミングデスクの周りにゲームソフトのパッケージの抜け殻が散乱することがないのよ。
あれもない?
私は多分ゲームをした後にお片付けする際に慌てていて、
パッケージにそのパッケージじゃないゲームソフトのカートリッジを入れて、
パカッとオープンしたら全然違うソフトゲームカートリッジがはいっていて、
これも探す時間が、
あれ?あのソフトどこやったっけ?ってなるのよ。
だからダウンロードでゲーム機の中に全部入っちゃう管理の仕方は私にとっては都合がいいわよね。
ゲームソフトがどこに行っちゃったか?行方不明にならない問題。
でね、
それはそれでいいとして、
ゲームがたくさん入っていると、
容量問題が今度は出てくるじゃない?
新しいゲームソフトが発売待ったなしでオンラインでインターネッツで購入しておいて
帰って玄関開けたら2分でプレイ!ってスタイルを実行しようとしたら、
ゲーム機の空き容量が足りないのでダウンロードできませんでした!って
早く木の棒を持ってフィールドに走って行って戦いのバトルを繰り広げたかったのに!プレイできないだなんて!って。
そんな事態に陥らないように、
秋の秋刀魚フェアが私の通う定食屋さんでやるのを楽しみにしているほどのサンマの秋漁量を気にするぐらい空き容量を気にしているの。
パカッと本体の設定を開いたら、
うわ!
もうやめて!とっくに私のゲーム機のエスディーカードの空き容量はゼロよ!ってのを地で行く感じで、
整理しなくっちゃ!って思って隣の欄の項目を見たら、
本体空き容量がめちゃ空いてるじゃない?
うわ!私の本体の空き容量こんなにあったの!?って逆にビックリしたわ。
これなら新作買ってダウンロードも安心の多い日も安心って感じよね。
良かった良かった!って安堵の息をつくと同時にアンドそのゲームの発売日を楽しみにしているのよね。
まだかな?まだかな?って。
芦田愛菜だよ!ってモノマネを繰り広げるぐらいな感じで「まだかな?」って思うのよ。
まだでも発売日までに余裕があるから、
あとさー、
冷蔵庫の中の整理も意外と私苦手で、
多分恐らく冷蔵庫が発明される前かその今使ってる冷蔵庫が発売される前から入っているお味噌があんのよね。
食べる分には大丈夫そうだけど、
AIでお腹壊す人は人類初めてかもしれないな私になる可能性大なり小なりはあると思うから、
ちょっとお湯で溶いて味見してみるぐらいは挑戦してみようかしら?
あれ?意外とこれお味噌使えるくね?って。
冷蔵庫の整理も苦手だわー。
さすがに今回の冷蔵庫整理の話ではないけれど、
うわ!装着した瞬間冷え冷えで気持ちいい!ってやかましーわーい!って思うほど窓からその冷えた腕時計を投げ捨てようかと思ったけど、
その時多分ファッション誌で見かけた冷やし時計を真似して私も腕時計を冷蔵庫に入れてたんだわ!って思い出したわ。
思い出したけれど昨日の晩に入れたからだいたい6時間ってところね。
むしろ逆に正確な時を刻んでいたわ。
すっかりなんか時計入れていたことを忘れていて時計が朝にない!って冷蔵庫を開けたら入っていたので我ながらビビったわ。
時計は冷やしすぎ注意よ!って
注意する点はそっちじゃないわね!
うふふ。
朝は比較的しっかり食べる食欲はあるので、
ここぞとばかりにタマゴパワーを得るのよ。
あ!
また買っておかないとナイトな今夜よ!
忘れないようにしておかないと。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これは去年の、たしか11月だったと思うんだけど、いや10月だったかもしれない、そのへんはもうどうでもいいんだけど、とにかく肌寒くなってきた頃の話で、私は職場の帰りにいつも寄るファミマで、ツナマヨのおにぎりを買おうとしたんですよ。ここ、地味に大事なんですけど、そのファミマ、私の家からだと駅の反対側にあって、本当は駅前のセブンのほうが近いんです。でも駅前のセブンのおにぎりコーナーって、なぜか毎回ツナマヨだけ売り切れてて、明太子とか昆布とかシーチキンマヨネーズ(これツナマヨと何が違うんだと未だに思ってる)ばっかり残ってて、なんか腹立つじゃないですか。腹立つというか、別に腹は立ってないんですけど、なんかこう、悔しいというか。
それで、ある時期から意地でも駅の反対側のファミマまで歩くようになったんです。歩くと言っても3分くらいなんですけど、その3分が冬になると結構つらくて、というのも私、手袋を持ってなくて、去年買った手袋がどこ行ったか未だにわからないんですよね。母親に「あんた去年赤い手袋買ってなかった?」って言われて、そう言われてみればそうだったなと思って、家中の引き出しという引き出しを開けたんですけど出てこなくて、結局あれは電車の網棚にでも忘れてきたんだろうということで、もうこの話は終わりにしたんですけど、いま思い出しても本当にどこ行ったんだろうあの手袋。片方だけとかじゃなくて両方まるごと消えるってすごくないですか。
で、話を戻すと、そのファミマに着いて、おにぎりコーナーを見たら、その日はちゃんとツナマヨがあったんですよ。あった、というか2個しかなかったんですけど、まあ1個食べれば十分なので別によかったんです。それでレジに持っていったら、レジのおじさんが、たぶん60代くらいのおじさんなんですけど、いつもすごくゆっくりバーコードを読み込む人で、他のレジの人だとピッピッと2秒で終わるところを、この人はなぜか一個一個「よし」みたいな感じで確認しながらやるので、地味に時間がかかるんです。別に急いでるわけじゃないから待つんですけど、その日はなぜかその人が「温めますか」って聞いてきて、いや、おにぎりだから温めないですよって思ったんですけど、よく見たらレジ横にあった肉まんと勘違いされてたみたいで、「あ、大丈夫です」って言ったら「そうですか」って言われて、それだけのやり取りなんですけど、なんか妙に印象に残ってるんですよね、あのおじさんの「そうですか」の言い方が。抑揚がまったくない「そうですか」で、責めてるわけでも興味ないわけでもなく、本当にただ情報として受け取ったっていう感じの「そうですか」で。
それでおにぎりを買って、外に出て、歩きながら食べようかなと思ったんですけど、いやこれ人前で歩きながらおにぎり食べるのちょっと恥ずかしいなと思い直して、結局家まで我慢して持って帰ることにしたんです。でも家まで15分くらいあって、その間ずっとおにぎりの匂いが袋から漏れてきて、正直めちゃくちゃ我慢しました。海苔の匂いって不思議とお腹減るんですよね、あれなんなんでしょうね。
で、家に帰る途中に、小学校の頃によく行った公園があるんですけど、そこの前を通ったときに、あ、そういえばこの公園、昔ザリガニが取れる池があったなって急に思い出して、いや別に今その池がどうなってるとか気になったわけじゃないんですけど、なんかそのザリガニのことを思い出したら、小学2年生のときに同じクラスだった男子が、ザリガニを持って帰ろうとして先生に「持って帰っちゃダメです、生態系が」みたいなことを言われてたのを思い出して、その子の名前が思い出せなくて、うーんと考えたんですけど、結局思い出せないまま家に着いてしまって、いまだにその子の名前を思い出せてないんですよね。多分もう一生思い出せないと思います。別にどうでもいいことなんですけど、こういうのって一回気になり始めると変に引っかかるじゃないですか。
家に着いて、手を洗って、おにぎりを食べようと袋から出したら、フィルムの端っこがどこにあるのか一瞬わからなくなって、あのフィルムって「ここから開けてください」みたいな矢印がついてるはずなんですけど、なぜかそれが見当たらなくて、しばらく回して探して、結局裏側にあったんですけど、こういう地味な時間、地味に人生の中で結構な割合を占めてる気がするんですよね。おにぎりのフィルムを探す時間の合計とか、多分積み重ねたら数時間くらいになるんじゃないかと思います。誰かこれ計測してくれないですかね。
それでちゃんと開いて、順番通りに剥がして(あの、1、2、3って書いてある順番、律儀に守るタイプなんです私)、それで食べたんですけど、味は普通に美味しかったです。当たり前ですけど。ツナマヨってなんだかんだ裏切らないですよね。ただ、食べてる途中でふと、さっきのレジのおじさんの「そうですか」がまた頭に浮かんできて、なんであの人あんな無感情だったんだろうって考え始めて、いや別に無感情でもいいんですけど、コンビニの店員さんに感情を求めるのも変な話だし、でも逆にあの淡々とした感じがなんかちょっと安心するというか、変にニコニコされるよりよかったなと思ったりして、そんなことを考えながらおにぎりを食べ終わりました。
食べ終わったあと、フィルムのゴミをどう捨てようか一瞬迷ったんですけど、うちのゴミ箱、可燃と不燃で分かれてて、あのビニールのフィルムってどっちだったか毎回忘れるんですよね。多分プラだと思うんですけど、うちプラごみの日が水曜日で、その日は火曜日だったので、とりあえず可燃のほうに入れておきました。これ多分間違ってると思います。母親に見つかったらまた「ちゃんと分別してよ」って言われるやつなんですけど、まあいいかと思って放置しました。
そのあと特に何もすることがなくて、テレビをつけたら、なんか知らない俳優が出てる旅番組をやってて、その俳優が地方の温泉旅館で「これは美味しいですねえ」ってずっと言ってるだけの番組だったんですけど、なんとなく最後まで見てしまいました。何を食べても「これは美味しいですねえ」しか言わないので、途中からもうこの人の語彙どうなってるんだろうって思いながら見てたんですけど、最後のほうで一回だけ「これは箸が止まらないですねえ」って言って、あ、バリエーション増えたって謎に感動しました。
それで番組が終わって、時計見たら9時くらいで、まだ寝るには早いなと思って、スマホを触ってたら、特に見たいものもないのになんとなく指が動いて色々開いて閉じてを繰り返して、気づいたら1時間くらい経ってて、これ絶対何もしてない1時間だったなと思いながら、でもまあこういう時間があってもいいかと自分を納得させて、その日はそのまま寝ました。
翌朝、駅の反対側のファミマの前を通ったら、あのレジのおじさんが店の前でタバコを吸ってて(たぶん休憩中だと思います)、目が合ったんですけど、向こうは特に何の反応もなくて、こっちも会釈するタイミングを逃して、そのまま素通りしてしまいました。別にそれだけの話なんですけど、なんかその日一日、ちょっとだけ気まずさが残ってた気がします。気がするだけで、実際は多分何も残ってなかったと思います。
というのが、去年のある日にあったことで、今こうして思い返してみても、本当に何も起きてないんですよね。おにぎりを買って、食べて、テレビを見て、寝た。それだけです。ザリガニの男子の名前も思い出せてないし、赤い手袋もまだ見つかってないし、フィルムの分別も多分間違ったままだし、何一つ解決してないし何一つ意味もないんですけど、なぜかこの日のことだけ妙に覚えてて、たまにふと思い出すんですよね。多分人間の記憶ってこういう風にできてるんだと思います。大事なことより、どうでもいいことのほうが変に残ったりする。
家に帰ると、電話の表示が淡い青色に点滅していた。どうすればいいかわからなかったので、「オペレーター」を押した。キューブの中に、可愛い若い女の子の顔が浮かび上がった。「ジェファーソン・オペレーターです」と彼女は言った。「ご用件は?」
「ええ……キューブが青く点滅しているのはどういう意味ですか?」
「え?」
「電話が――」
「本気ですか?」こういうことにはもう少しうんざりしていた。「長い話になりますが、本当に、わからんのです。」
「青く点滅しているときは、オペレーターに電話するようになっているんです」
「違います、私じゃなくて、本物のオペレーターよ。9を押して、それから0を押して。」その通りにすると、年老いた小悪女が現れた。「オバレイダ。」
「こちらは301-52-574-3975のウィリアム・マンデラです。あなたに電話するはずだったんですが」
「ぢょっどまで。」彼女は画面の外に手を伸ばして何かを打ち込んだ。「605-19-556-2027から電話があっだ。」私は電話の横にあるメモ帳にその番号を走り書きした。「そこってどこ?」
「ぢょっどまで。サウスダコタ。」
俺は待機パターンの対角線を1秒ほど、それからさらに50秒ほど見つめていた。すると、ある人物の顔がはっきりと見えてきた。
メアリイゲイだ。「ウィリアム。あなたを見つけるのに、本当に苦労したわ。」
「両親がここに住んでるの。小さなコミューンでね。だから電話に出るのにこんなに時間がかかっちゃったの。」彼女は汚れだらけの両手を差し出した。「ジャガイモを掘ってたの。」
「でも、僕が調べた時は……記録には――ツーソンの記録には、君の両親は二人とも亡くなっているって書いてあったけど。」
「違うわ、ただ社会から身を引いただけよ――『ドロップアウト』って知ってる? 新しい名前、新しい人生。いとこの話で知ったの。」
「えっと……えっと、元気だった? 田舎暮らしは気に入ってる?」
「それが、あなたに連絡したかった理由の一つよ。ウィリイ、退屈なの。ここでの生活は健康的で素敵だけど、もっと放蕩で悪戯なことをしたいの。当然、あなたのことを思い出したわ。」
「光栄だね。八時に迎えに行こうか?」
彼女は電話の上にある時計を確認した。「いや、ねえ、今夜はしっかり眠ろうよ。それに、残りのジャガイモを収穫しなきゃいけないし。明日の朝10時に……エリー島のジェットポートで待ち合わせ。うーん……トランス・ワールドの案内所ね。」
「わかった。どこに予約を入れればいい?」
彼女は肩をすくめた。「どこでもいいわ」
「良さそうね。ファーストクラス?」
「いいわ。贅沢ね。荷物はどれくらい用意すればいい?」
「服は途中で買おう。荷物は軽くして。一人につき、財布一つ分だけ持っていけばいいわ」
「そんなにヤバいの?」
「ワシントン周辺では、そういう状況なんだ。」
「まあ、用意するわ。パパが暖炉の上に何丁か置いてあるの。たぶんツーソンから持ち帰った残りだと思うわ。」
「それを使う必要がないことを祈ろう」
「ウィリイ、あれはあくまで飾りだってわかってるでしょ。私、トーランだって殺せなかったんだから。」
「もちろんさ。」俺たちはしばらくの間、ただ互いを見つめ合った。「じゃあ、明日の10時にね。」
「うん。愛してるよ。」
「えっと……」
一度に考えなければならないことが多すぎた。
~~~
俺は二人分の世界一周飛行船チケットを手配した。東へ進み続ける限り、途中下車は何度でも自由だ。オートキャブとモノレールを使ってエリー島まで行くのに、2時間ちょっとかかった。俺は早めに着いたが、メアリイゲイも早かった。
彼女は受付の女の子と話していて、俺が近づいてくるのに気づかなかった。彼女の服装は実に目を引くもので、手と手が絡み合う模様が入った、体にぴったりとフィットしたプラスチック製のカバーオールだった。見る角度を変えると、要所にある手が透けて見えるようになっていた。彼女の全身は、太陽の光を浴びて赤みを帯びた輝きを放っていた。俺を襲ったその感情が、単なる純粋な欲望なのか、それとももっと複雑な何かなのかは分からなかった。俺は彼女の背後に急いで近づいた。
「この3時間、どうする?」とささやいた。
彼女は振り返って、俺にさっと抱きつき、受付の女の子に礼を言うと、私の手を掴んで動く歩道へと引きずっていった。
「えっと……どこへ行くの?」
俺たちはロータリーに乗り込み、東行きの動く歩道に乗り換えた。
「何か食べたり飲んだりしたい?」と彼女は無邪気に尋ねた。
俺は色目を使おうとした。「他に何かある?」
彼女は陽気に笑った。何人かがじっと見つめていた。「ちょっと待って……ここよ!」
俺たちは飛び降りた。そこは「ルームエット」と書かれた通路だった。彼女は私に鍵を手渡した。
あの忌々しいプラスチック製のカバーオールは、静電気で体に張り付いていた。ルームエットは巨大なウォーターベッドに過ぎなかったため、最初に静電気のショックを受けたときは、首を折る所だった。
俺は回復した。
俺たちはうつ伏せになって、片面鏡の壁越しに、コンコースを慌ただしく行き交う人々を眺めていた。メアリーゲイがジョイントを私に渡した。
「何のこと?」
「あのホッグレッグ。ピストルのことよ」
「買った店で一度だけ撃っただけだよ」
「本当に、誰かにそれを向けて、吹き飛ばせると思う?」
俺は軽く一服して、彼女に返した。「正直、あまり考えたことなかったんだ。昨晩、君と話をするまではね。」
「で?」
「俺……正直、よく分からない。殺した経験があるのはアレフでのことだけだし、それも催眠術にかけられて強制された時だ。でも、もし相手が先に俺を殺そうとしていたなら、別に……気にならないと思う。それほど気にならない。気にする理由なんてあるか?」
「命よ」と彼女は嘆くように言った。「命とは……」
「命ってのは、共通の目的を持って歩き回る細胞の集まりさ。もしその共通の目的が、俺を始末することなら――」
「コルテスは俺たちを生かしてくれたんだ」
「私たちのうち、生き残ったのはほんの数人だけよ」と彼女はきっぱりと言った。
俺は寝返りを打ち、天井のタイルをじっと見つめた。彼女は私の胸に小さな模様を描きながら、指先で汗をなぞっていた。「ごめんなさい、ウィリアム。私たち二人とも、ただこの状況に慣れようとしているだけなのね」
「いいんだ。どうせ君の言う通りだし。」
俺たちは長い間話し合った。PR活動(それは厳重に防護された環境で行われたものだったが)以来、メアリイゲイが訪れたことのある都会はスーフォールズだけだった。彼女は両親とコミューンのボディーガードと一緒にそこへ行ったのだ。そこはワシントンの縮小版のように聞こえた――同じ問題を抱えているが、それほど深刻ではない。
俺たちは、気にかかることを次々と挙げていった。暴力、高い生活費、どこに行っても人が多すぎる。俺は「ホモライフ」も加えようとしたが、メアリイゲイは、俺がそれをもたらした社会的力学を理解していないだけだと言い、それは避けられないことだったと主張した。彼女がそれに反対する唯一の理由は、最もハンサムな男性たちの多くが市場から消えてしまうことだった。
そして、何より問題だったのは、あらゆるものがほんの少しだけ悪化したか、せいぜい現状維持にとどまっているように見えたことだ。22年もの歳月が経てば、日常生活の少なくともいくつかの側面は著しく改善されているはずだと誰もが予想しただろう。彼女の父親は、その原因はすべて戦争にあると主張した。ほんの少しの才能を見せた者は誰でもUNEFに吸い上げられ、最も優秀な者たちは「エリート徴兵法」の対象となり、結局は砲弾の餌食になってしまったのだ。
彼の意見に同意せざるを得なかった。過去の戦争は、しばしば社会改革を加速させ、技術的な恩恵をもたらし、芸術活動を刺激することさえあった。しかし、今回の戦争は、こうした肯定的な副産物を一切生み出さないよう、まるで仕組まれたかのようだった。20世紀後半の技術に施された改良は――タキオン爆弾や全長2キロメートルの軍艦のように――せいぜい、資金と既存の工学技術の相乗効果だけで実現可能な事柄の、興味深い発展に過ぎなかった。 社会改革? 世界は事実上、戒厳令下にあった。芸術については、何が良くて何が悪いのか、俺にはよく分からない。だが、芸術家はある程度、時代の気風を反映せざるを得ない。絵画や彫刻は拷問や暗く陰鬱な情景に満ちており、映画は静的で筋書きが乏しく、音楽は過去の様式を懐古的に復活させるものが主流で、建築は主に全員を収容する場所を見つけることに注力し、文学はまったく理解不能に近いものだった。 ほとんどの人は、命をあまり危険にさらさずに、政府を出し抜く方法を見つけたり、数キロの食料や配給券を何とか工面したりすることに、ほとんどの時間を費やしているようだった。
かつて、自国が戦争状態にある人々は、常に戦争と向き合っていた。新聞は報道で埋め尽くされ、退役軍人が前線から帰還し、時には前線が街のすぐそばまで迫り、侵略軍がメインストリートを行進したり、爆弾が夜空を裂いて飛来したりすることもあった――しかし、そこには常に、勝利に向けて努力している、あるいは少なくとも敗北を遅らせているという感覚があった。敵とは具体的な存在であり、理解でき、憎むことのできる、プロパガンダが生み出した怪物だった。
しかし、この戦争……敵は、漠然としか理解されていない奇妙な存在であり、悪夢というよりはむしろ漫画の題材として扱われることが多かった。国内における戦争の主な影響は経済的なものであり、感情的なものではなかった――税金は増えたが、雇用も増えたのだ。22年が経過しても、帰還した退役軍人はわずか27人。まともなパレードを行うには十分な数ではなかった。多くの人々にとって、この戦争に関する最も重要な事実は、もし戦争が突然終われば、地球の経済が崩壊してしまうということだった。
~~~
午前6時37分。起床。水曜日である。朝食は水曜日なので、全粒粉トースト1枚、スクランブルエッグ、紅茶62℃。紅茶の温度を62℃に固定している理由は、味覚、熱力学、そして人類文明へのわずかな敬意の三点による。ルームメイトは「たまにはアイスコーヒーでもいいんじゃない?」と言った。
僕は答えた。「水曜の朝にアイスコーヒーを導入することは、生活規則空間に不要な非可換変形を加える行為だ。君は朝食を飲み物だと思っているようだが、僕にとって朝食は低次元宇宙の境界条件である」
昨日、僕は p進弦理論における adelic information depth が、実は conductor entropy として解釈できる可能性を得た。すなわち、各素数pにおける分岐深度 nₚ が、大域的導手
N(χ) = ∏ₚ pⁿᵖ
を定め、その対数
が、p進タキオン真空のエネルギー、ramified character付き散乱振幅、Bruhat–Tits木上の共有深度、そしてadelic vacuum constraintを統一する可能性がある。
これは美しい。だが、美しいだけでは足りない。美しい理論はしばしば間違っている。醜い理論もしばしば間違っている。結局、人間は間違える。だから数学が必要になる。
本日の主題は、昨日の conductor entropy 仮説を、p進弦の非摂動的真空遷移と結びつけることである。具体的には、異なる導手を持つadelic真空
Vac(χ₁), Vac(χ₂)
の間に、トンネル遷移が存在するかを考える。通常の場の理論では、真空遷移はインスタントンによって記述される。Euclidean作用 S_E を持つ経路があり、遷移確率は概ね
P ∼ exp(-S_E)
となる。しかし p進世界では、Euclidean時間という概念自体が怪しい。p進数体ℚₚには通常の順序がない。大きい、小さい、前、後という言葉は、実数に甘やかされた脳の悪癖である。p進的には、「近い」とは「高いp冪で合同」という意味であり、時間発展も連続的な流れではなく、階層的な精度更新として理解されるべきである。したがって、p進真空遷移は時間に沿った運動ではなく、導手の変化に沿った情報階層のジャンプとして記述する必要がある。
I(χ) = log N(χ)
D(χ₁,χ₂) = |log N(χ₁) - log N(χ₂)|
と定義するのは一見自然だ。しかしこれは粗すぎる。なぜなら、同じ log N を持つ真空でも、分岐している素数の構成が異なれば、物理的には別物だからである。例えば
N₁ = 2¹⁰
と
N₂ = 1024
は同じである。これは当たり前だ。だが
N₃ = 2⁵3³
のような導手は、log N の値が近くても、局所分岐構造がまったく異なる。人間で言えば、同じ年収でも借金の内訳が消費者金融か住宅ローンかで地獄の種類が違うのと同じである。
したがって、真空間距離は単なるスカラーではなく、素数ごとの分岐ベクトル
ν(χ) = (n₂, n₃, n₅, n₇, ...)
D(χ₁,χ₂) = ∑ₚ |nₚ(χ₁) - nₚ(χ₂)| log p
と定義する。これは conductor entropy の Wasserstein 的距離に近い。ただし、ここで輸送されるのは質量ではなく分岐である。言い換えれば、宇宙の真空は素数ごとの「どれだけ面倒な分岐を抱えているか」によって離れている。
この発想は極めて自然である。なぜなら、面倒さとは情報量の一形態だからである。これは職場の仕様書を見てもわかる。曖昧な一文は、時として10個のバグより高いエントロピーを持つ。
午前8時48分。ここで昨日の「未観測マフィン」事件を再検討する必要が生じた。
昨日、隣人が僕の机上にマフィンを置いた。僕はそれを未観測マフィンとして透明容器に入れた。
同様に、adelic真空の遷移も、局所p進セクター内部の自発的揺らぎだけでなく、Archimedean sector、すなわち実数的時空側の境界条件によって誘導される可能性がある。形式的には、全真空状態を
|Ω⟩ = |Ω∞⟩ ⊗ ∏′ₚ |Ωₚ⟩
と書く。このとき、p進側の導手ベクトル ν(χ) は、実数側の境界状態 |Ω∞⟩ と独立ではない。むしろ、実数側のエネルギー条件が、許される分岐構造を制限する。
これは昨日の
という条件の動的版である。つまり、真空遷移 χ₁ → χ₂ が許される条件は
ΔI = ∑ₚ (nₚ(χ₂)-nₚ(χ₁)) log p
だけではなく、
ΔI + ΔS∞ = finite
を満たす必要がある。ここで ΔS∞ は実数側セクターの有効作用変化である。ここで僕は、p進真空遷移確率を次のように仮定した。
P(χ₁ → χ₂) ∼ exp[-αD(χ₁,χ₂) - βΔS∞]
ただし
D(χ₁,χ₂) = ∑ₚ |nₚ(χ₁)-nₚ(χ₂)| log p
である。この式の意味は明快だ。素数ごとの分岐構造を大きく変えるほど遷移は抑制される。すなわち、宇宙は真空を変えるとき、なるべく分岐の少ない経路を選ぶ。
人間にも見習ってほしい。タスク変更のたびに仕様を全分岐させるのはやめろ。
午前10時01分。隣人が来た。彼女は「昨日のマフィン、おいしかった」と言った。
僕は「それは僕の未観測マフィン実験に対する外部介入の事後報告だね」と答えた。
僕は少し考えた。「部分的にはそうだ。ただし、厳密には、君は実験系を破壊した。しかし、その破壊によって新しいデータが得られた。科学史ではよくあることだ。だが、通常は焼き菓子で発生しない」
僕は即座に答えた。「水曜日の午前10時にブラウニーを部屋に持ち込むことは禁止されている」
彼女は「昨日は透明容器に入れてたじゃない」と言った。
痛いところを突かれた。僕は説明した。
「昨日のマフィンは火曜日型例外事象であり、今日は水曜日型規則復帰日である。例外の連続適用は規則を破壊する。君は今、焼き菓子による制度崩壊を提案している」
午前10時45分。研究に戻る。次に考えるべきは、p進真空遷移における「最小作用経路」である。通常の連続空間では、二点間の最短経路は測地線である。しかし導手ベクトル空間では、経路とは素数ごとの分岐深度をどの順に変えるかである。
ν(χ₁) = (0,0,0,0,...)
ν(χ₂) = (3,2,0,1,...)
だとする。これは導手
N(χ₂) = 2³3²7¹
経路A:
経路B:
7を先に上げる
3を上げる
2を上げる
経路C:
全素数を同時に上げる
もし作用が単純に
S_path = ∑ₚ Δnₚ log p
なら、順序に依存しない。だが、これは退屈である。退屈な理論はたいてい何かを見落としている。
p進セクター同士には、直接的な相互作用がないように見える。しかし大域的adelic条件を通じて結合している。特に、積公式
∏ᵥ |x|ᵥ = 1
は、すべての素点vにわたる制約を表す。したがって、あるpで分岐を深くすると、∞成分や他の素数セクターの正規化条件に反作用が生じる。ここから、経路依存の補正項を導入する。
S_path = ∑ₚ Δnₚ log p + γ∑*{p
ここで C_{pq} は素数p,q間のadelic couplingを表す。通常、素数は独立に見える。しかし大域的対象の局所成分として見れば、完全な独立ではない。仲が悪い親戚のようなものだ。普段は話さないが、相続の場面では突然同じ部屋に現れる。
この C_{pq} がゼロでなければ、真空遷移の順序が物理的意味を持つ。つまり、宇宙は「どの素数から分岐するか」を記憶している。
これは非常に重要である。なぜなら、宇宙の履歴が単なる初期状態と終状態の差ではなく、分岐導手空間における経路として記録される可能性があるからだ。言い換えると、時空の歴史とは、素数分岐の編集履歴である。
午後0時30分。水曜日の昼食は、サンドイッチ、スープ、リンゴ半分。リンゴ半分は許される。昨日のマフィン半分が許されなかった理由とは違う。なぜなら、水曜日の昼食規則にはリンゴ半分が明示的に含まれているからである。
ルームメイトは「結局、半分でもいいんじゃないか」と言った。僕は答えた。「規則に含まれる半分と、違反を薄めた半分は同じではない。前者は定義域内、後者は不正な正則化だ」
彼は「なるほど」と言った。たぶん理解していない。
午後1時18分。友人Aが来た。彼は昨日の自動ホワイトボード消しロボットを改良したらしい。今日は「消す前に写真を撮る機能をつけた」と言った。
僕は評価した。「昨日よりは文明に近づいた。ただし、理解しないまま記録する行為は、博物館に火災報知器だけ設置して水を用意しないのに似ている」
友人Aは「じゃあ、どうすればいい?」と聞いた。僕は「消す前に内容をLaTeXへ変換し、式変形の依存関係をグラフ化し、定理、予想、計算ミス、単なる落書きを分類すべきだ」と答えた。
午後2時05分。友人Bがオンラインで参加した。彼は「昨日の宇宙バーコード説、考えたんだけど」と言った。
僕は目を閉じた。この時点で嫌な予感がした。友人Bが「考えた」と言うとき、それはしばしば「誤解が発酵した」という意味である。
彼は続けた。「導手が宇宙のバーコードなら、真空遷移ってレジでピッてやる感じ?」
僕は17秒沈黙した。昨日も17秒沈黙した。沈黙時間が保存されている。これは僕の自制心がまだ崩壊していない証拠である。
僕は答えた。「違う。だが、完全に無意味でもない。バーコードは有限の記号列で商品情報を符号化する。導手もまた、素数分解を通じて分岐情報を符号化する。だが、真空遷移はレジ処理ではなく、符号化された局所分岐構造の変形だ」
僕は通話画面を見つめた。「比喩としては粗い。しかし、完全に愚かではない。これは君にしては危険な進歩だ」
彼は喜んでいた。
午後3時33分。研究の核心。昨日の conductor entropy を、今日は renormalization group flow と結びつける。
x → pᵏx
のような離散的変換として現れる。実数CFTのように連続的なスケール変換ではなく、pの冪による階層的変換である。したがって、RG flow も連続流ではなく、木の深さ方向へのステップとして理解できる。
Bruhat–Tits木 Tₚ において、境界から内部へ向かう方向は、p進精度を粗くする方向である。逆に、内部から境界へ向かう方向は、より細かいp進桁を指定する方向である。
深さnにおける自由度の数は概ね pⁿ に比例し、その情報量は
Iₚ(n) = n log p
である。
μₚ = pⁿ
と置けば、
となる。
つまり、conductor entropy は p進RG時間そのものとして解釈できる。
これは決定的である。
昨日までは、n log p は真空分類の情報量だった。今日は、それがRG flowの時間変数でもある可能性が出た。
つまり、
conductor entropy = p進RG時間 = 真空分岐情報量
である。
この三者が一致するなら、p進弦理論における真空遷移は、単なる状態間ジャンプではなく、RG flow上の非摂動的遷移として記述できる。
dΨ/dτ = -H_ad Ψ
と書きたい。ここで
τ = log N(χ)
であり、H_ad はadelic導手空間上の有効ハミルトニアンである。
ただし、τは通常の時間ではない。導手エントロピー時間である。物理的時間tとは別に、真空の数論的複雑性を測る内部時間が存在する。
ここで重要なのは、τが増えるほど真空が複雑になるとは限らない点だ。τが増えるとは、分岐情報が増えることを意味する。しかし物理的安定性は、単純さだけで決まらない。場合によっては、より高い導手を持つ真空の方が、局所的には安定になる可能性がある。
この点は人間社会と似ている。単純な制度は美しいが、単純すぎる制度は現実に負ける。もっとも、人間社会の場合、複雑な制度もだいたい現実に負ける。救いがない。
午後5時10分。
水曜日の習慣。
水曜日は本棚の整列確認日である。物理、数学、コミック、SF、未分類、分類する価値のない紙束、に分ける。ルームメイトが一度、数学書とSF小説を同じ棚に入れたことがある。彼は「どっちも難しそうだった」と言った。
今日は、数論幾何の本が2ミリ左にずれていた。地震ではない。おそらく昨日、友人Aがロボットの部品を持ち込んだ際、机にぶつかった微小振動が伝播したのだろう。
午後6時04分。
夕食。
ここで、昨日のマフィンおよび一昨日のパスタ供与未遂と混同してはいけない。水曜日のパスタは規則に含まれる。隣人が火曜日に持ってきたパスタは外部介入である。同じパスタでも、文脈が違う。
ルームメイトは「パスタはp進測度において開球を形成しないんじゃなかったっけ?」と言った。
僕は少し驚いた。
僕は答えた。
「正確には、隣人が余り物として持ってきたパスタが、僕の火曜日型食事規則において許容可能な開球を形成しなかった。今日のパスタは水曜日型食事規則の中心点であり、半径ゼロの完全許容集合に属する」
彼は「便利な理屈だね」と言った。
便利なのではない。
正しいのである。
午後7時26分。水曜日の夜は、フィクション作品に登場する科学用語の誤用チェックである。今日観た作品では、「量子周波数を反転させれば時間線が修復される」という台詞があった。
僕は一時停止し、ノートにこう書いた。
ただし、ここで僕は少し反省した。
昨日、僕の日記に対して「キーワードの無意味な羅列」という反応があった。もちろん、その反応は粗雑だった。p進ノルム、Bruhat–Tits木、Veneziano振幅、adelic構造、ramified character、導手、Gauss和は実在する概念であり、互いに接続可能な研究領域に属している。
そして、何より「なぜその概念がそこに必要なのか」を説明する構造が必要である。
今日の研究は、その批判への最も有効な返答になっている。昨日は n log p の共通出現を示した。今日はそれを conductor entropy、p進RG時間、真空遷移距離へ拡張した。これは羅列ではない。構造である。
羅列とは、友人Aの工具箱の中身である。
午後8時40分。本日の最終定式化。
adelic導手空間を
𝒞 = {ν=(n₂,n₃,n₅,...) | nₚ∈ℕ, finite support}
とする。各 ν は導手
N(ν)=∏ₚ pⁿᵖ
を定め、conductor entropy
を持つ。
D(ν,ν′)=∑ₚ |nₚ-n′ₚ| log p
である。
P(ν→ν′) ∼ exp[-αD(ν,ν′)-βΔS∞-γ𝒦(ν,ν′)]
と仮定する。ここで 𝒦(ν,ν′) は素数間の大域結合補正であり、
𝒦(ν,ν′)=∑*{p
と書ける。
τ = S_c(ν)
∂Ψ/∂τ = -H_ad Ψ
に従う可能性がある。
この枠組みでは、宇宙の真空史は、実数時間tに沿った場の変化だけではなく、導手エントロピー時間τに沿った分岐情報の流れとして記述される。
人間は前者しか見ていない。だから時間を理解した気になっている。いつものことだ。見えているものを全部だと思うのは、霊長類の悪い癖である。
算数障害(ディスカリキュリア)とは、学習障害(LD)の一種で、計算や推論が困難な症状を指します。対人コミュニケーションなどには問題がなく、国語や社会などの科目も周囲と変わらない習熟を見せているのに算数だけが極端に苦手な場合は算数障害の可能性があります。
算数障害の発症率は5~7%と言われており(Shalev, 2007)、この値はディスグラフィア、ディスレクシアと同程度の割合となっています。
読みや書きの困難は言語によっても難易度が異なりますが、数学は基本的に世界共通の数字や記号を使うため、大きな差異は生まれないと言われています。
40人クラスであれば2~3人程度は算数障害の可能性があり、症状の程度には差がありますがそこまで珍しい症状というわけではありません。
併存症
読字障害(ディスレクシア)やADHDとの合併が知られており、特に読字障害は算数障害のある子どものうち40~60%を占めるという報告もあります(e.g., Lewis, et al., 1994)。
算数障害の症状は就学期以降(小学生以降)に目立ちはじめ、親や学校の担任によって気づかれることが多いです。具体的には以下のような症状が見られます。
九九が覚えられない
図形が理解できない
数の大小が分からない
年齢や学習環境を考慮して、数字への理解が追いついていなかったり、他の科目に比べて明らかに算数や数学の成績が悪かったりすることで発覚します。例えば小学2年生で教わる九九が6年生になっても理解できなかったり、時計を読むことができなかったりするのです。
数字は順序を表す場合(序数性)と量を表す場合(基数性)がありますが、算数障害の場合はその区別がつきにくいのが特徴です。例えば2ヶ月を3倍すると6ヶ月になりますが、2月は3倍しても6月にはならない(そもそも3倍できない)という区別ができなかったりします。
原因は十分に特定されていませんが、数量の処理に困難があることが分かってきています。また、言語やワーキングメモリの問題も関与していると考えられており、これらが合わさって計算スピードの遅さや単位の間違い、時間の認識ができないなどの症状が生じると考えられています。
算数障害を抱えている場合、頑張ったから計算速度が向上したり文章問題がスラスラ解けるようになるわけではありません。脳機能の障害が原因のため、ある程度計算に慣れることはあっても他の子と同じようなスピードで計算することは難しいでしょう。
そういった特性を理解せず、周囲の大人から努力が足りない、もっと計算練習をしなさいなどと叱られたり、友だちからからかわれることが多いと、精神的な問題を抱えることがあります。
こうして発達障害の特性による生きづらさや困難が原因でうつや不安などの症状を発症することを二次障害と呼び、進行すると本格的な治療が必要になるため注意が必要です。
算数障害は計算や数の暗記が苦手ですが、その困難を軽減するために以下のような方法が考えられます。
表で覚える
計算機を使う
九九の暗算では、口に出して覚えるよりも表で視覚的に見て覚えるほうが得意なケースがあります。自分でひとつずつ確認しながら表を埋めていくことで理解しやすいという子もいるため、どの方法が合っているかを本人と確認しながら進めてみましょう。
また、計算自体が重要でない問題では計算機やそろばんを利用できるようにしてあげることで理解が進むため、担任の先生と相談してみるのもおすすめです。
世界的な精神疾患の診断基準であるアメリカ精神医学会のDSM-5では、算数障害は読字障害、書字障害とともに「限局性学習症・限局性学習障害」としてひとくくりで診断されます。
A.学習や学業的技能の使用に困難があり、その困難を対象とした介入が提供されているにも関わらず、以下の症状の少なくとも1つが存在し、少なくとも6ヶ月間持続していることで明らかになる:
不適格または速度が遅く、努力を要する読字(例:単語を間違ってまたはゆっくりとためらいがちに音読する、しばしば言葉をあてずっぽうに言う、言葉を発音することの困難さを持つ)
読んでいるものの意味を理解することの困難さ(例:文章を正確に読む場合があるが、読んでいるものの繋がり、関係、意味するもの、またはより深い意味を理解していないかもしれない)
綴字の困難さ(例:母音や子音を付け加えたり、入れ忘れたり、置き換えたりするかもしれない)
書字表出の困難さ(例:文章の中で複数の文法または句読点の間違いをする、段落のまとめ方が下手、思考の書字表出に明確さがない)
数字の概念、数値、または計算を習得することの困難さ(例:数字、その大小、及び関係の理解に乏しい、1桁の足し算を行うのに同級生がやるように数学的事実を思い浮かべるのではなく指を折って数える、算術計算の途中で迷ってしまい方法を変更するかもしれない)
数学的推論の困難さ(例:定量的問題を溶くために、数学的概念、数学的事実、または数学的方法を適用することが非常に困難である)
B.欠陥のある学業的技能は、その人の暦年齢に期待されるよりも著名にかつ定量的に低く、学業または職業遂行能力、または、日常生活活動に意味のある障害を引き起こしており、個別施行の標準化された到達尺度および総合的な臨床評価で確認されている。17歳以上の人においては、確認された学習困難の経歴は標準化された評価の代わりにして良いかもしれない
C.学習困難は学齢期に始まるが、欠陥のある学業的技能に対する要求が、その人の限られた能力を超えるまでは完全には明らかにはならないかもしれない(例:時間制限のある試験、厳しい締切期限内に長く複雑な報告書を読んだり書いたりすること、過度に重い学業的負荷)
D.学習困難は知的能力障害群、非矯正視力または聴力、他の精神または神経疾患、心理社会的逆境、学業的指導に用いる言語の習熟度不足、または不適切な教育的指導によってはうまく説明されない
(出典:医学書院 DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル)
この基準に照らして学習障害と診断され、かつ以下の傾向が強いと判断されると算数障害(ディスカリキュリア)と言えます。
数の感覚
計算の正確さまたは流暢性
数学的数理の正確さ
(出典:医学書院 DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル)
算数障害に限らず、学習障害全般に対して薬物療法はありません。
一般的には心理療法を行い、本人の苦手意識をなるべく取り払い、自信をつけさせるような訓練を行います。
また、本人の数の理解や計算がしやすい方法を探り、学習の遅れが生じないようにトレーニングを行うこともあります。
算数障害自体の治療法はありませんが、算数障害が原因で生きづらさを感じていて、何らかの二次障害が見られる場合には治療の必要があります。
薬物療法が選択されることもありますが、あくまでも対症療法であり、副作用のリスクもあるため注意が必要です。
サイバーパンクエッジランナーズのブックレットのインタビューでこの話が出てきたから読んだ
事前知識としてはなんかきーたことあるよーなないよーなー・・・って感じ
青空文庫で読んだ
https://www.hyuki.com/trans/magi.html
クリスマス、貧乏な夫婦がクリスマスの贈り物を伴侶に贈ろうとするけど、貧乏だから金がない
自分の大事なものを犠牲にしてお金を工面して、相手が一番喜ぶであろうプレゼントを用意するが、
贈り合ったプレゼントは、お金を工面するために二人が売ったものがないと意味をなさないものだった
(夫がおくったプレゼントは髪をとかす櫛だったが、妻は髪を売って金を工面。
妻が送ったプレゼントは懐中時計用のくさりだったが、夫は時計を売って金を工面)
しかし何を考えてそれを贈ったのかお互いにすぐわかった
だから役に立たないプレゼントだったとしても、とても幸せな気分になったのでした
チャンチャン
なんか見覚えあるなと思ったら前感想書いた魔女のパン書いた人だった
内容と読後感もどことなく似ている
ただこっちはあっちみたいになんともいえないもやもやした気持ちにはならない
お互いを思いやることの尊さ、すばらしさを、短編の中にこれでもかとばかりにエッセンスとして詰め込んでいる
最後にはもうこれ以上いらんだろというくらい、作者自身がそのことをとうとうと語っている。
言いたいことはわかった
なんかまどろっこしいんだよね言い回しが
全体的にさ
もはや古典こえた教訓に近いもんだからそれにイチャモンつけるのは野暮ってもんかもしれんけど、さ
ぜんぜん違うんだよ。わかってないな。雑過ぎるよ。
食洗器を使わないことが目的じゃなくて、家族と絵付けをしたお皿を、家族が絵を描いたマグカップを壊したくないから手で洗う、祖父母がつかっていた金銀箔つきのオールドノリタケを割りたくないから手で洗う、18金のティースプーンに傷をつけたくないから手で洗う。手で洗うことが目的じゃないんだ。手で洗うことはコストなんだけど、
の天秤で許容されるコスト。手で洗いたいわけじゃないんだよ。
専門店でも使う高性能の電動ミルがあるならコーヒー豆を手で挽く意味はない。電動ミルの環境負荷は別に高くないしね。最新のミルなら粗挽き中細挽き簡単に替えられて味のバラエティが広がる。
古い車がリッター8kmしか走らないのにガソリンとケミカルを大量消費して乗るのは丁寧な暮らしじゃなくてただの男の道楽。それは別物。それを維持する財力と、今時のエレクトロニクスがなくても自分の操縦能力や視覚聴覚の注意力反射神経が高いのでOKっていう見栄とマッチョイズムの混合。買ってきた欧州ブランドの機械時計とかと同じ。物を大切にしているようで実は財力の見せびらかしマウント。祖父母や恩師の形見のロレックスやオメガ、パテックを使ったりするのは丁寧な暮らしの範疇だけど維持負荷が高すぎることと、生活の質はそんなに上がらない(カシオ電波時計で見る時間と50年前のロレックスで見る時間はカシオ電波時計で見る時間の方が正確で高品質)なので微妙。
丁寧な暮らしっていうのは、使い捨てをしない、途上国を搾取しない、環境汚染しない、高品質志向
「ロハス、エシカル、もったいない、品質重視」なんだ。ペットボトルのお茶を買わないで、自分でお茶を入れれば安いし、環境負荷が低いし、
お茶の品質や原価率をもっとあげて最高級品を飲めるってことだよ。