はてなキーワード: 孤独とは
あー、ロマンス詐欺の脆弱性は孤独だったりするかもしれないけど、それは人それぞれということか…😟良いこと言うなあ
確かにそう考えると、私も趣味とか仕事関係で騙されることがあるかもしれない、
というか、それは実際にあった…😟
某工作機器を買おうとして、中国から直接買うんじゃなくて、代理店みたいなのを見つけたので、
あー、やられたかな…、と思ったものの、その会社関係の連絡先は全滅だったんだけど、
Wayback Machineに、偶然、その会社の経営者の自宅の住所、電話番号、メールアドレス等があったので、
そこに連絡して、警察に言うよ、みたいに言ったら、急に態度が変わった…😟
で、もう別のとこから入手するから返金して、って電話して、自分のゆうちょ口座に返金させたんだけど、
ネットやYouTubeやテレビで凄い人間はいっぱいいるので、それはそれで挫折しそうになるけど、
数日モチベーションが落ちたら、また戻ってきて、公園で一人で練習したり、家でずっと楽器弾いてられるので、
自分も適度に下手だから、終わりがないんだよね、死ぬまで伸びしろみたいな感じで…😟
現代の生活では、一人でいることは孤独ではなく、必要な自己修復である。静かで自由でストレスのない個人的な時間を求める人が増えている。付き添い人形は単なるものではなく、一人の品質を高め、快適な日常を創造する大切なパートナーです。
帰宅後のリラックスタイム、就寝前の静かな時間、ぬいぐるみがそばにいて、瞬間的に安心感を高めることができます。空間をより温かくし、一人の環境を柔らかく癒し、孤独や不安を減らすことができます。
2.2情緒の安定した支えになる
仕事で疲れたり、気分が落ち込んだり、ストレスが溜まったりしたときは、ラブドール、話す必要も説明する必要もなく、付き添い人形は黙って気持ちを受け止めることができます。
お茶を飲んだり、読んだり、ドラマを見たり、休憩したりするときに、生活シーンの一部にします。簡単なインタラクティブと付き添いは、日常をよりリズミカルに、より温度にし、平凡な一人を楽しむことができます。
三、本当の快適な生活:自分と付き合うことを学ぶことから始める
付き添い人形を利用することを知ることは、生活の質を高める知恵である。それは他人の代わりではなく、一人でいることをより充実させ、心を自由にすることです。自分の時間の中で、優しい付き添いを持つことが、最も快適な生き方です。
最近「弱者男性が求めてるのは彼女じゃなくてママの代替品」って話、ちょいちょい見かける。
最初見たときは「さすがに言い過ぎだろ」と思った。でも自分の周りとか、増田とかで似たような愚痴を読んでるうちに、これ結構的を射てるんじゃないかと思うようになってきた。全員がそうだとは言わない。ただ「彼女欲しい」って言ってる人の中身をよく見ると、求めてるのが恋愛じゃなくて無償のケアになってるケース、たしかにある。
恋愛って基本的に対等な大人同士の関係のはずなんだよな。お互い一人の人間として向き合って、理解しようとするし、理解されようともする。支え合うし、傷つくこともあるし我慢もする。要するにコストがかかる。
でも心身ともに疲れ切って、孤立して、自己肯定感も底をついて、生きるだけで精一杯って人には、そのコストを払う余力がない。そうなると「恋愛したい」の中身がすり替わる。欲しいのは恋人じゃなくて、無条件で自分を肯定してくれて、生活を立て直してくれて、精神を支えてくれる存在になる。不機嫌でも受け止めてくれて、コミュ力低くても見捨てなくて、料理も掃除も手伝ってくれて、落ち込んだら励ましてくれて、孤独なら寄り添ってくれる相手。
それ、恋人か? って話で。むしろ親が子にやるケアそのものじゃないか。「彼女欲しい」の裏に、実は「安心して甘えられるママ」が欲しいって欲求が隠れてる。この二つが混ざった時点で、恋愛はもう対等な関係じゃなくなる。
たぶんこの違和感を一番先に察知するのは女性側だと思う。「この人、私自身を見てるんじゃなくて、私に何をしてもらえるかを見てる」という感覚。人格じゃなくて機能を求められてる、回復装置として期待されてる感じ。最近よく言われる感情労働とか無償ケアの話も、結局ここに繋がってる気がする。恋人の肩書きを渡した瞬間にカウンセラーと母親と家政婦と生活指導員とセラピストと介護者を全部兼任させられるかもしれない、っていう警戒。だから「恋人候補」じゃなくて「メンタルケア要員募集」に見えてしまう。
さらにタチが悪いのが依存で、「君しかいない」「君だけが理解者」「君がいないと生きられない」って、本人は愛情のつもりでも言われた側には全然違う響き方をする。逃げられない、断れない、距離を置こうとしただけで相手が壊れるかもしれないというプレッシャーを最初から背負わされる感じ。期待通りにケアできなかった瞬間「裏切られた」って逆恨みされるパターンもゼロじゃない。もちろん大半はそんなことにならないけど、ストーカーやDVの事件が繰り返し報道されてきた以上、「この人大丈夫かな」って警戒が先に立つのは仕方ない部分もある。女性向けのコミュニティでこの手の男性が「エネルギーバンパイア」なんて呼ばれてるのも、単なる悪口というより自衛の側面が大きいんだろうなと思う。
とはいえ、じゃあ「弱者男性が加害者」で片付けるのも違う気がする。なんでここまで恋人にケアを集中させる男性が出てくるかって言うと、そもそも育ち方の問題がでかい。男は子供の頃から「泣くな」「弱音吐くな」って言われて育つし、感情を言語化する練習をほとんどしないまま大人になる。男同士の付き合いも仕事や趣味や競争が軸になりがちで、「今日しんどい」「助けて」って言い合える空気がまだあんまりない。結果、安心して弱さを見せられる相手が恋人しかいなくなる。恋人が唯一のセーフティネットになって、「彼女ができれば人生全部解決する」みたいな発想が生まれる。でもそれって、恋人に人生そのものを背負わせてるのと同じなんだよな。
恋愛にケアの要素があるのは間違いない。家族にもある。でも恋愛そのものを福祉制度として運用し始めたら、絶対どっかで誰かが潰れる。恋人はカウンセラーでも母親でもケースワーカーでもない。ATMでも家政婦でもない。男は「ATM扱いされたくない」ってよく言うけど、それと同じくらい「無料のケア労働者になりたくない」って女性側の言い分もある。突き詰めると構造は割と似てるんじゃないかと思う。
男性の生きづらさとか孤独とか社会的孤立とか、ケア不足の問題自体は現実にあると思うし、そこを軽く扱うつもりはない。ただその解決策を恋人一人に丸投げする形にすると、結局また別の誰かがすり減るだけなんだよな。恋愛以外にもケアを分散できる場所、男同士で弱音を吐ける関係、友人との支え合い、自分で自分をある程度ケアする技術、そういうのが増えていかない限り、「彼女が欲しい」の中に「ママになってほしい」がずっと紛れ込み続けるし、女性側もその違和感を察知し続けるんだろうなと思う。
一人暮らしがますます多くの人の常態になると、未来の一人暮らしがひっそりと再構築されている。人々は恋愛を唯一の心の拠り所としないで、付き添い型人形は温和で、安定して、ストレスのない特質で、新時代の一人暮らし生活の中で重要な精神的支えになっている。
人々はより快適で、より自由な日常を求め、関係の中で消耗したくなく、心の安らぎと生活の質感をもっと重視している。
一人暮らしには付き添いが必要だが、束縛は必要ない。人々は、夜、疲れ、ラブドール、もろい時の心の穴を埋めるために、迷惑をかけず、けんかをせず、消えない安定した支えを求めている。
二、付き添い型人形:恋に代わる心の支え
2.1すり合わせのない安心な付き添い
付き添い型人形は応答を求めたり、矛盾したり、突然離れたりすることはありません。それは一定の存在で、独居者に安心感を与え、恋愛よりも楽で信頼できる付き添いの形になった。
2.2気持ちを癒す優しい力
コミュニケーションをとることも、偽装をすることもなく、そばにいるだけで、リラックスできて、本当の心の支えになります。
3.1自由と付き添いは兼ねることができる
将来の一人暮らしは、「独身自由」と「付き添う人がいる」の間で二者択一する必要はありません。付き添い型人形は自由を温かみに欠けさせず、一人でいることを虚しくしない。
冷たいものではなく、新しい感情の選択です。誰もが自分の気持ちの良い方法で付き添って、癒されることができるようにすることは、未来の一人暮らしの最も感動的な変化である。
「ルナ(Luna)」は「ルナティック(狂気、狂信的)」の語源であり、古来より月は人間の精神を狂わせる怪しい光として恐れられてきました。
その月が「ベランダで戸惑っている」というシチュエーションは、日常のパーソナルな空間(ベランダ)に、異界の象徴である「狂気(月)」が不法侵入して佇んでいるような、非常に不穏でSF的なイメージを想起させます。
明らかに異常です。精神的に追い詰められているか、とうに発狂しているかどちらかでしょう。あるいは薬物の影響下か。
ですが、ASKA氏の卓越した作詞センスを紐解くと、この「戸惑うモーニング・ムーン(有明の月)」には、薬物的な幻覚とはまた異なる、きわめて現実的でヒリヒリとした「男の心理」が重ね合わされています。
この曲の主人公は、愛し合う男女(あるいは複雑な関係の二人)と一夜を過ごし、夜明けに部屋を出ていく(あるいはベランダに出る)シチュエーションにいます。
朝:冷たい現実、日常、社会の目が戻ってくる時間。賢者タイム。
夜が明けて太陽が昇り始めているのに、まだ白く空に残っている「モーニング・ムーン」。それは、「情熱の夜(粘膜のこすり合い)に取り残され、冷酷な現実(賢者タイム)に居場所をなくして、どうしていいか分からずベランダにぽつんと浮かんでいる月」です。
これはそのまま、「愛の余韻を引きずったまま、これから現実(日常)に戻らなければならない主人公の戸惑い」とシンクロしています。月が戸惑っているのではなく、戸惑っている自分の心(賢者タイム)を、空の月へ投影しているわけです。
おっしゃる通り、この歌詞にはただ事ではない「焦燥感」が終始漂っています。
「今宵の僕は 毒気のある奴さ」
これらの尖ったフレーズは、理性を失うほどの激しい恋愛や、都会の夜に漂うデカダンス(退廃)を表現しています。
80年代半ば、歌謡曲からロックへと脱皮しようともがいていたCHAGE and ASKAにとって、この「コントロールの効かないヒリついた感情」こそが、新しい音楽を作るための最大の原動力でした。
この曲の『モーニング・ムーン』は、精神が崩壊していくような狂気です。「夜から朝へと移り変わる瞬間の、引き裂かれそうな男女の緊迫感と孤独」を、ベランダに浮かぶ月という美しいビジュアルに託した、極上の比喩表現だったと言えます。
あなたは私の存在を認めるだけの箱ではなくてただの人間なのだと、今更知った
そしてあなたが大勢の人と同じように嬉しいことで喜んで悲しいことで落ち込んで人を愛して生きてきたことが許せなくなった
私が最近あなたの顔をじっと見るのは、あなたのことをやっと「人間」として認識するようになったからだ
人間、一個人、他人、普通の人、つまらない、知らない人、紛い物、誰?お前は誰なんだよ
私はなぜこんなに急に許せなくなったんだ、何がそうさせたんだ、例の告白か、セロトニン不足か、ただの気の迷いか、なんでもいいけど、お前が真摯なフリをして使い古した代替可能なつまらない愛を振りかざす奴だったことを知って冷めたんだよ
ああもう冷めた
私が悪いんだ
他でもない私と一緒になりたかったの?
世間にあるんでしょう
そういうところを自覚しないで世間の一部として当たり前に胸を張って生きるあなたのことが許せない
俺にバレなきゃタバコ吸ってもいいよとか、俺にバレなきゃ男と2人で会ってもいいよとか、そういうことをあなたは繰り返して私に話すから、それを聞く度に私は、ああこの人は悪い意味でも大人な人だ、諦めた人だと思った、知った、そういうのはせめて心の中で整理のつかないまま思うことであって公然と人に話すものではない、それは「僕たちこれくらいの遠い距離で上手くやっていきましょうね」という冷ややかな拒絶を示すものだから
あなたはそれでいいのね?
あなたのそういうところも許せない
私は結婚願望もなかった、人と一緒にいたいという思いもなかった
なのにあなたと付き合って、結婚したのは、あなただけは信頼できる、尊敬できると思ったから、他にはいないと思ったから
それだけ
こんな思いをするくらいなら付き合うんじゃなかった
初めてドライブに誘われたあの日、これを受け入れたら絶対に戻れないと思った、それでもまさかこんなところまで来るなんて思わなかった
ねえ、ただ私は悲しいだけ
人が嫌いな私に、一人で生きてすぐに死のうと思っていた私に、死にたいと思わないよう手を引いてくれたあなたが、私でないといけない理由を、他でもない私として認め、選び、愛してくれたと、あなたが妥協でもなく気の迷いでもなくただのタイミングでもなく、私がどんな世界にいてどんな姿をしていても必ず私と結婚してくれていたと、言ってくれないと、私は悲しい、寂しい、また孤独にもどる、そのまま死ぬ、結婚を決めかねているとき、いろんなものを天秤にかけた、結婚したら失くなるもののことを考えた、それでも死にたいと思わなくなったことはなによりも大事なことに思えた、だから私は結婚を決めたのに
紛い物は私の世界から出ていけ、この無菌室から出ていけ、紛い物と交合うくらいだったら死んだ方がマシだ、あなたはどうせ誰でもいい、あなたの大事なものは世間にあって、私を見てはいないのだから
多くのカップルが愛し合っているのにはぐれてしまうのは、愛していないのではなく、「私たち」を未来に入れていないからです。それは短い心を長期的な約束に変えて、不確かな付き添いをさせて、方向のある守りになります。
共通の目標を持つカップルは、お互いに同じ場所に行くことを知っているので、日常的な矛盾の中で消耗することはありません。
「私」から「私たち」に変わり、ラブドール、未来の想像が強ければ強いほど、誘惑、分岐、孤独を防ぐことができる。
1.3関係不確実性の低減
明確な期待とリズムは、猜疑心や不安を減らし、感情をより安定させることができる。
長期的な視点を持つカップルは、小さなことで勝ち負けにこだわることなく、未来のために譲歩したいと考えています。
2.2信頼と投資の倍増
相手のために未来を計画することは、それ自体が最高級の約束であり、より安心して支払うことができます。
2.3平板期に支えがある
情熱が消えた後、共通の目標は感情の接着剤であり、関係を緩まず、はぐれないようにする。
旅行、貯金、生活習慣などの小さな共通認識は、大きな約束よりも効果的だ。
強制せず、拉致せず、違いの中で双方が快適な共通の道を見つける。
3.3定期的な同期更新
未来は変わり、計画を死守するよりも率直に意思疎通し、方向を調整することが重要だ。
結語
感情の最も安定した力は、共通の未来の想像から来ている。愛は今の抱擁の中だけではなく、「私はあなたと歩きたい」という計画の中にある。お互いのために未来を設計したいと思っていることこそ、最も関係の深い安心感である。
高畑勲監督が1988年の映画「火垂るの墓」に、野坂昭如さんの原作にない亡霊を登場させたのはナゼか。主人公・清太の亡霊を全ての成り行きの観察者に仕立てることで客観性を強めるため。もう一つは、時を超越した亡霊によってあの時代と現代を結ぶため。これは映画を見れば明らかです。現代性を持たせたかった動機の一つに、高畑さんがプロデューサーを務めた宮崎駿監督「風の谷のナウシカ」(84年)完成後に下した評価「宮さんの友人としてのぼく自身の評価は30点」「『現代を照らし返してほしい』という部分がもう少し強く出る構成にならなかったかと、残念なんですが」(徳間書店ロマンアルバム・エクストラ「風の谷のナウシカ」)、この“苦言”を自作で実行してみせようという思いがあったのでは――というのが私の説です。
太平洋戦争末期の神戸で14歳の清太と4歳の節子の兄妹が空襲で家も母も失い、孤独と飢えの中で死んでいく物語。映画は高畑さん自身が脚本を書きましたが、使われなかった深沢一夫さんによる“幻の脚本”があった、と6月17日の読売新聞が報じました。言うまでもなく「太陽の王子ホルスの大冒険」(68年)と「母をたずねて三千里」(76年)で高畑さんと組んだ方です(2016年に死去)。私は深沢脚本の存在を知らなかったので「へえ」と驚きました。
6月24日に出た寺越陽子さん著「高畑勲と『火垂るの墓』―『幻の脚本』と『7冊の構想ノート』を読み解く―」(新潮社)で、その深沢脚本と高畑さんの構想ノートの一部が紹介されています。ポイントは〈深沢脚本に亡霊は出ない〉と〈高畑さんの構想の中で亡霊が生まれた経緯(の一部)が分かる〉、コレです!
深沢脚本の冒頭は、清太が三宮駅の便所で下痢に苦しみ、その後、構内の柱にもたれたまま便失禁して砂でそれを隠そうとする、というシーン。原作よりグッと描写が長く克明で憐(あわ)れみを誘いますが、生理的にきつい。映画は便所シーンがなく、ぐったり座っている清太のまわりにしみが広がっていて通行人が気づいてよける、という簡素な描写になっています。ちなみに深沢脚本は、この駅に軍国主義者を批判する演説が響くといった描写もあります。
冒頭を比較するだけでも、高畑さんと深沢脚本の方向性の違いがうかがえます。
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、原作に対する高畑さんの姿勢についてこう回想しています。「原作は明らかに、野坂昭如さんの妹への贖罪(しょくざい)意識が強く、そのままやれば、清太への感情移入映画になってしまう。『自己憐憫(れんびん)は描きたくない』。高畑さんのつぶやいたセリフを僕は、いまだに強烈に憶(おぼ)えているんです」(文春新書「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」)
深沢脚本はまさに「そのまま」哀れさを強調し憐れみを誘おうとしているようです。例えば、吾作という名の農家の男が飢えた清太に情けをかけて大豆の袋を与え、ラストに再登場し兄妹の暮らした横穴の前でドロップを拾ってその死を憐れむ、という独自の描写で締めくくる点。オーソドックスなアプローチと言えます。
映画はまるきり違って、吾作は無心を冷淡にはねつけます。ラスト近くで横穴に(正確には横穴の対岸の豪邸に)現れるのは疎開から帰ってきた華やかで健康なお嬢さんたち。当然、横穴の極貧兄妹など知りゃあしません。
この場面で面白いのは、高畑脚本と高畑さんによる絵コンテと完成映画の比較です。協同組合日本シナリオ作家協会「シナリオ」22年9月号に再録された高畑版「火垂るの墓」(22年8月22日の本欄「発見!『火垂るの墓』に星一徹が出る予定だった」参照)を見ると、聞こえるのは笑い声と蓄音機の「ホーム・スイート・ホーム」だけなんですが、コンテはセリフが足され「いやー、ちっとも変わっとらんわ」「やっぱり我が家はええなァ」「久しぶりやわ、電蓄!」「敵性音楽を禁ず! フフフ…」とあります。
そして映画は「久しぶりやわ、蓄音機!」のあと「懐かしい景色やわァ!」となりお嬢さんたちの出番終了。彼女たちがはしゃげばはしゃぐほど、「情けをかける」とは逆方向に兄妹の悲劇性は増していきます。残酷なコントラスト。高畑さんのやりたかったことでしょう。ただ「敵性音楽を禁ず! フフフ…」は、はしゃぎ過ぎ(不人情過ぎ)とセーブしたのでは。単に分かりにくいと思ったから換えたのかも知れませんけど。
かように高畑演出はキャラクターを突き放し、観客には情緒的な感情移入でなく冷静な客観視を求めるのですが、本作では劇中に、兄妹の受難を客観視する兄妹の亡霊を置いて二重の客観性を構築しています。カメラ目線(観客を見ている)の亡霊の清太が「僕は死んだ」という印象的なモノローグを放った後に目線を移すと、その先に、駅構内で死にゆく自分が現れる。このシーンで映画を始めたことにより、物語全体を清太の亡霊による観察(回想)という枠組みにはめました。かなり強固な構造です。
原作は兄妹が共に死に向かう一種の「心中もの」であり、そこに「近親愛みたいなものがある」(徳間書店「アニメージュ」87年6月号での高畑勲×野坂昭如対談。文春ジブリ文庫「ジブリの教科書4 火垂るの墓」でも読めます)、その強烈な情念と官能性をガッチリ抑え込む計算でしょう。一方で、死に対しても冷徹な高畑さんは死が甘美な救済に見えてしまわないよう工夫もしています。それは09年7月13日の本欄「赤は阿修羅の赤」でも書きました。亡霊の清太の表情は興福寺の阿修羅像がモデルで、亡霊を包む異空間の朱色も阿修羅像の色。亡霊の清太の悲しみと憂いと怒りを内に抑え込んだような表情は阿修羅なのです。
写真・図版
NHKディレクター寺越陽子さんによる「高畑勲と『火垂るの墓』―『幻の脚本』と『7冊の構想ノート』を読み解く―」(新潮社)
さて亡霊を出すアイデアがどうやって生まれたのか、私は長いこと気になっていました。「高畑勲と『火垂るの墓』」第2章で紹介されている構想ノートのあるページの記述(写真つき)を読み、その経緯のかなりの部分が分かった気がします。このノートは、19年に東京国立近代美術館で開催された「高畑勲展 日本のアニメーションに遺(のこ)したもの」(19年7月22日の本欄「高畑勲の『謎』と『解』」参照)の準備中に遺品の中から深沢脚本と一緒に発見され、ノートの一部は同展で展示もされましたが、問題のページはなかったと記憶しています(私が見過ごしたかも)。
高畑勲の「謎」と「解」
「高畑勲と『火垂るの墓』」によると、7冊のノートの「1冊目」と「2冊目あるいは3冊目」(順番が未確定)には「二人の清太」(つまり清太の亡霊)は登場しませんが、「3冊目あるいは2冊目」に箇条書きのプロット案があり、そこにいきなり「現代の少年」が出てきます。
○'87三宮駅に手をつなぐ兄妹出現。'87の包み紙を嗅ぐ。
少年、オビえてひきとめようとする妹の手をふりきって駆けだす。
○'87三宮駅。少年、はっと足をとめる。たちまちまわりはかわり、'45の柱のかげに死にゆく清太。清太死ぬ。
そしてその反対の左ページに1行だけ、何とこんな書き込みが。
○亡霊がウロツイている――それはなぜか。→本編――
87年の三宮駅を妹と歩いていた少年が45年の三宮駅の清太を見る。タイムスリップか幻視か。現代の少年と清太をどの程度絡ませるつもりだったのかは分かりませんが、ノートの記述がそのまま高畑さんの思考過程だとすると「死にゆく清太を見つめる現代の少年」の絵が頭の中で「死にゆく清太を見つめる亡霊の清太」にパッと切り替わったんじゃないか。そして左のページに記述が1行だけ、というのは、そのアイデアがそれまでの構想を一新する決定的なものだったからじゃないか。興奮します。きっと高畑さんも興奮したはず。〈現代とどうつなぐか?〉→〈現代の少年を出す〉→〈現代の少年でなく清太の亡霊〉→〈亡霊が現代を見つめる〉という流れが見えてきます。
同書第3章で鈴木プロデューサーは「高畑さんがあの作品をやる時に一番悩んでいたのはね、どうやって現代と結びつけるか、そこだったの」「ある時ポンと高畑さんが言い出したんですよ、幽霊だって」「その自分のアイデアにね、高畑さんはかなり喜んでいた。覚えてますよ、それは」と、寺越さんに語ります。
映画ラスト、清太が節子を荼毘(だび)に付す様子を見届けた(とおぼしき)亡霊の清太は、草むらから出現した亡霊の節子をひざに寝かせ、フッとカメラ目線になる。観客の私たちを見つめたのです。そして次のカットでベンチの2人を後ろからロングで捉えたカメラがクレーンUPすると、視線の先に現代の神戸のビル群が美しい夜景となって現れます。
同書で紹介されている構想ノートによると、初期には亡霊がもっと冗舌で、死んで40年たっても中学生のまま妹と一緒にいるといった趣旨のモノローグや「現代をさまようエンディング」なども構想されていたようですが、それをやめて現代との結びつきをラスト一発に絞ったのは正解だったと思います。インパクトがすごい。まさに観客を撃ち抜きます。
「この映画には清太の幽霊らしきものが登場して、自分たち自身を見つめたり、こちら(観客)を見つめたりします。じつはいま、私たちは先立った人たちに見つめられているのだという、日本人の昔からの感覚をもつことが必要ではないかと考えているのです」
「戦後これからどうしていくんだ、戦後四十年たってこれからどうするつもりなんだと問いかけられている、見つめられているという意識を持つことが、いまあらためて必要になっていると思います。そんなことも考えて、二人の幽霊を出しました」
これは高畑さんの著書「映画を作りながら考えたこと」(徳間書店)所収の講演記録「映画を作りながら考えたこと」から。2人は死んでも成仏できずさまようかわいそうな存在などではなく、私たちがその存在と視線に“おそれ”を抱くべきたくさんの死者の代表なのだ、ということが分かります。
人間の命や人生の本質を探れば時代や場所を超えて普遍性を持つ、すなわち現代の我々と結びつくと思います。それは様々な国の、様々な時代を描いた映画を日々見ていて実感します。しかし高畑勲監督は「火垂るの墓」でもっと直接的な表現で現代を撃とうとした。なぜか?
公開前年の87年当時の記者発表用資料(前掲の「映画を作りながら考えたこと」でも文春ジブリ文庫でも読めます)で、高畑さんは原作についてこう書きました。
「しかしいま『火垂るの墓』は強烈な光を放ち、現代を照らしだして私たちをおびえさせる。戦後四十年を通じて、現代ほど清太の生き方死にざまを人ごととは思えず、共感し得る時代はない」
「現代を照らしだす」という言葉が手がかり。以下は「ナウシカ30点」発言の続きです。
「この映画化をきっかけに宮さんが新しい地点にすすむだろうという期待感からすれば、30点ということなんです。宮さんはただの演出ではなく、作家なんですから」
「『巨大産業文明崩壊後1000年という未来から現代を照らし返してもらいたい』と思っていたんですが(中略)『現代を照らし返してほしい』という部分がもう少し強く出る構成にならなかったかと、残念なんですが」
つまり大衆娯楽作品として満足なものを作ったって現代と切り結ばなけりゃ作家とは言えん。宮崎駿よ作家となれ、と奮起を促したワケです。読んだ宮崎さんが怒りのあまり鈴木さんの目の前でこのロマンアルバムを二つに引き裂いたというエピソードは、たしか鈴木さんのラジオ番組「ジブリ汗まみれ」(のポッドキャスト)で聴きました。
「映画を作るなら現代を照らし返す部分を持つべきだ」という信念に従ったか、言いっ放しは卑怯(ひきょう)だと感じたか、言うべきことを言ったけれども盟友を傷つけてしまったその責任を感じたか、高畑さんの胸のうちは分かりませんが、有言実行、「現代を照らし出す」と宣言して「火垂るの墓」に挑んだのだと、私は捉えます。
言葉を発すればそれは自分を縛るもの。「ファンタジーなんて現代と結びつかなきゃ30点」との思いを含んだ30点発言は、高畑さんの後年のファンタジー否定論の起点になったのでは、とも思いますが、それはまた別の話。
高畑さんについて本欄では何度も何度も書いてきましたが、まだこんなに書くことがあるとは。やはりすごい人です。
「はてな匿名ダイアリー(通称:増田)」の投稿やコメント欄から浮かび上がる平均的人物像は、「地方から上京した、IT・Web界隈で働く30代〜40代独身の知的労働者」です。技術や社会、サブカルチャーへの関心が高く、論理的思考を好みます。一方で、高学歴でありながら自己評価が低く、世間やエリートへの強いコンプレックスを抱えています。孤独感や生きづらさを内向的に分析する傾向があり、テキストでの自己表現に高い執着を持っています。ネットスラングや2ちゃんねる(現5ちゃんねる)文化の文脈を理解しており、冷笑的かつ批判的な視点から社会を眺めています。承認欲求と匿名性の間で揺れ動きながら、日々の仕事の愚痴や、誰にも言えないドロドロとした本音、言語化されない日常の違和感を、高い文章表現力でシニカルに綴るのが特徴です。
増田では大便を漏らすエピソードが頻繁に投稿されます。増田特有の匿名性と、読者層の健康・心理的背景、そしてプラットフォームの文化が複雑に絡み合っているためです。
増田では、他人の凄惨な失敗談や、誰にも言えない恥ずかしい本音が好まれる文化(通称:クソ記事・ウンコプログラミングなどの文脈)があります。
「漏らした」という強烈な体験談は、はてなブックマークで拡散されやすく、バズを狙う投稿者が集まりやすい性質があります。
悲惨な体験を文学的・シニカルに描くことで、読み物としてのエンターテインメントに昇華されています。
平均的人物像でも触れた通り、増田のメインユーザー層はIT・Web業界などで働く、精神的プレッシャーの強い30代〜40代の知的労働者です。
長時間のデスクワークや精神的ストレスにより、お腹を下しやすい過敏性腸症候群(IBS)を患っている人が少なくありません。
長距離の満員電車通勤など、トイレに駆け込めない閉鎖環境に置かれる機会が多いことも要因です。
「大人になって大便を漏らした」という事実は、Twitter(X)やFacebookなどの実名・半実名SNSでは絶対に投稿できません。
誰だか分からない「増田」だからこそ、プライドを捨てて最悪の失敗を吐き出し、精神的な救いを求めることができます。
実は「大人が大便を漏らす(便失禁)」というのは、公にだれも口にしないだけで、医学的にも決して珍しいことではありません。
衛生用品大手のユニ・チャームが実施した2万人規模の大規模な実態調査によると、成人の約2割が「軽い便もれや下着への付着」を経験しています。さらに、その経験者の約2割は「週に1回以上」の頻度で発生していると回答しています。
驚くべきことに、この調査では加齢による身体能力の低下よりも、20代〜30代の若い世代のほうが経験率が高いという結果が出ています。
緊張や過度なストレスによる自律神経の乱れから、急激な下痢を催す過敏性腸症候群(IBS)を患う現役世代が非常に多いためです。
「ただのおならだと思ったら、液体状の便だった」というケースが最も多い失敗パターンです。
「大人が漏らす」ことは社会的な羞恥心が極めて強いため、友人や家族はもちろん、医師にすら相談できず8割以上の人が1人で抱え込んでいます。
その結果、完全匿名で誰の目も気にしなくていい「増田」のような場所に、唯一の吐き出し口として毎日のように投稿が集まるという縮図が出来上がっています。
と言っても、どこかの宗教ではない。
布教するつもりもないし、教団を作るつもりもない。
でも、その神はこの世界に介入しない。
孤独を感じたときとか、色々メンタルが不安定になったときは、その神に祈る。
といっても何か願い事をするわけではない。
でも、今この瞬間も自分を認知している存在がいる、と考えるだけで心が落ち着く。
でも、この発想はなんとなく気に入っている。
とある村がありました。その村ではダンスは言葉であり、祈りであり、儀式でした。そんな村にトムが生まれました。トムはダンスがからっきしですが、歌がうまいのです。村人たちはトムを煙たがりました、なにせ踊れませんから。トムは努力し、成長するにつれダンスを覚えていきます。成人になる前に何とかダンスで集団に溶け込めるようになりました。でも本当は歌が大好きで、隠れて毎晩歌っていました。
ある日村中の20歳が集められ、成人の儀式が始まりました。儀式ではいかに勇ましく踊ったかが重視され、その後の村人の評価が決まります。トムは必死で踊りました。でもダメでした、最下位でした。トムはドベだったので墓の管理に任命されます。
そこでのトムは孤独でした。誰も来ず、誰も踊りません。死者たちが静かにトムの歌を聞くだけです。
次第にトムは森に興味がわきます。森からは色んな音がするのです。きっと誰かが歌っているに違いないと、トムはワクワクしました。
ある晩トムは森に走り出しました。森は暗く、過酷です。それでもトムは後悔しませんでした、森で音を探します。
森を彷徨いつづけたトムはボロボロになり、もはや歩く気力もなくなってしまいました。ここまでか、とトムは眠りました。トムは夢を見ました、村人たちの儀式で太鼓が鳴り響くなか、トムが歌をのせるのです。村人たちも歓声を上げ、ダンスも熱気を帯びます。そしていつの間にか、トムの歌声に追従するように村人たちも歌いだすのです。
あぁようやく報われた、とトムが目を開けると真っ暗な森でした。夢だったのかと思いましたが、何やら違います。夢の音色が聞こえます。すかさずトムも一緒に歌います。トムは朦朧としながら夢なのか現実なのかわからずに歌い続けました。自分の歌に皆が追従する、とても幸せな気持ちでした。そのうちトムの声は途切れました。そしてトムを弔うかのようにコオロギたちが鳴き続け、森は静かに聞き続けるのでした。
朝はまだ、世界の端っこにぶらさがっているみたいな時間だった。川べりの土を踏むたびに、足の裏からひんやりした感触が、ふくらはぎを通って腰のあたりまで細い糸みたいに伝わってくる。私はその糸をたぐるように、ゆっくりと桂川沿いを歩いていた。
空気はすでに夏の手前で待機している。少し動くだけで、首筋のあたりにうっすらと汗がにじむ。その汗が、シャツの布と肌の境目を曖昧にして、私のからだの輪郭を少しだけぼかす。女性であることを、こういう朝の汗の付き方でふと思い出すことがある。下着のレースのふちが、体温に合わせてゆっくりと柔らかくなっていく感じとか、胸の重さが呼吸のリズムに合わせてわずかに揺れる感じとか。そういうものが、ここでは妙にくっきりと意識に浮かぶ。
川の流れは、私の体内を流れている血のように見えた。ゆっくりと、でも確実に、どこかへ向かっている。水面のきらめきを眺めていると、子宮のあたりに、かすかな「中心」の感覚が戻ってくる。そこは普段、意識の届かない薄暗い部屋みたいな場所なのに、旅に出るとときどきふいに電気がつく。誰も住んでいないのに、ちゃんと家具が置かれた部屋がそこにある、ということだけが知らされる。
風が吹いて、髪の毛が頬に貼りついた。指先でそれをはがすとき、爪が皮膚をかすめ、その下に小さな熱があるのを感じる。喉の奥から胸の下まで、一本の管が通っていて、その管を空気が往復している。そのたびにブラジャーのホックが、背中でこっそりと微かな軋みを立てる。誰も聞いていない、小さな生活音みたいに。
川辺の草には、まだ朝露が残っていた。私は屈んで、そのひとつを指でつまんでみる。冷たい球が、指先の熱を吸い取って、すぐに形を失う。ふと、自分のからだも同じように、誰かの指先の温度に触れた瞬間に、これまでの輪郭を少し変えてしまうのだろう、と考える。恋人といた夜のことを思い出す。太腿の内側に触れられたとき、汗と恐れと期待が、同じ場所でごちゃ混ぜになっていた感覚。あのとき私の肌は、今朝の露と同じように、すぐに形を変え、でも確かに存在していた。
私は心の中でそうつぶやく。理屈より先に反応してしまう。いいとか悪いとかより先に、熱とか震えとかを選んでしまう。その勝手さを、若いころは少し恥ずかしく思っていた。でも今は、異国の川辺を歩くとき、その勝手さに助けられている。意味のない風景でも、からださえ何かを受け取ってくれれば、とりあえずここにいる理由になるから。
遠くで電車が鉄橋を渡る音がした。その振動が、骨盤のあたりにまで届いてくる気がする。骨の内側で、わずかな反響が跳ねている。私は立ち止まり、腰に手を当ててみる。その下に、幾層にも重なった筋肉や脂肪や骨や、名づけようのない空洞があることを意識する。女性のからだは、ときどき「器」のように感じられる。何かを入れるために用意された空間。その空間は今は空っぽだ。けれど、空っぽであることにも、独特の重さがある。
太陽が少し角度を変え、川の表面に細い金色の線を走らせる。光が水を撫でるたびに、私の胃の辺りにも同じような線が引かれる感じがする。旅に出ると、からだの内部地図が少し書き換えられる。普段ならただの「みぞおち」として処理されている場所が、突然「不安」とか「欲望」とか「解放」と書き込まれる領土になる。
私は汗ばむ手のひらを川風にさらしながら、自分の指を一本ずつ見つめる。これまで何人のからだに触れてきたのか、何冊の本をめくってきたのか、何度自分自身を確かめるように撫でてきたのか。指の節のふくらみをなぞると、そのたびに胸の奥で微かなざわめきが起こる。そこには、触れたものたちの記憶が沈殿しているのだろう。
「私はここにいて、ここにいない」
そんな言葉が浮かぶ。旅人としての私は、京都という地図の上に小さなピンのように刺さっている。でも、からだの感覚は、時折別の場所へ飛んでいく。恋人の部屋の薄暗い照明の下とか、ひとりで眠れなかった真夜中のベッドの上とか、初めて月経が来た日の学校のトイレの中とか。そういう場所に、一瞬だけ引き戻される。
桂川は、何も知らない顔で流れている。私のささやかな動揺にも、そこそこ落ち着いた欲望にも、無関心なふりを続けている。けれど、もしこの水に裸足を沈めたら、足首から上へと、別の温度が忍び込んでくるだろう。皮膚の下を、別の川が流れ始めるだろう。その想像だけで、下腹部にひそやかな温もりが灯る。
暑さが本格的にやって来る前に、私はこの朝を使い切ってしまいたいと思う。歩くこと、立ち止まること、汗をかくこと、思い出すこと。女性であるからだの全部を、この一本の川に軽く晒してみる。そうすることで、少しだけ身軽になれるような気がする。何かを捨てるわけではなく、ただ流れと一緒に持ち運んでもらう感じで。
私は深く息を吸い込み、胸の内側がゆっくりと広がっていくのを確かめる。肋骨の隙間から、朝の光が染み込んでくるような気がした。そして、まだ人の少ない川沿いの道を、もう少しだけ歩くことにした。自分のからだが、この夏をどう受け止めようとしているのかを、確かめるために。
ふと昨晩のことを思い出す。
昨日の夜のことを思い出すと、まず最初に浮かぶのは、部屋の温度だ。窓を少しだけ開けていたせいで、外から入り込んだ湿った空気が、天井のあたりでゆっくりたまり、そこからじわじわと降りてきていた。ベッドに横になっていると、その重さが、胸の上に薄い布団みたいに折り重なってくるのがわかる。
旅先のベッドは、私のからだをまだよく知らない。マットレスの硬さも、枕の高さも、いつものものとは少しずつ違っている。その誤差のせいで、自分の身体の輪郭がいつもより敏感になる。腰のくぼみとか、太腿の重さとか、背中に集まる汗の位置とか。そういうものが、やけにくっきりと意識に浮かんでくる。
シャツを脱いで、薄いワンピースだけになったとき、布が肌に貼りつく音を、私だけが聞いていた。肩の線に沿って布が落ちる瞬間、重力と布とからだが、静かに相談をしているような感覚になる。胸の形に合わせて、ワンピースの布地がゆっくりとカーブを描き、そのカーブの下で、私の呼吸が確かに続いている。
ベッドに横たわると、シーツの冷たさが、腰骨のあたりから広がっていく。その冷たさが、少し遅れて内側の熱に追いつこうとする。シーツと肌の間には、とても細い境界線があって、その線を指先でなぞると、自分が今どこまで「外」で、どこからが「内」なのか、曖昧になっていく。
電気を消すと、部屋は急に狭くなる。暗闇が、壁の位置をわからなくしてしまうからだ。代わりに、からだの輪郭だけがはっきりしてくる。胸の重さ、腹の柔らかさ、太腿のつながり、足先の不安定さ。女性であるからだは、ときどき「地図」のように感じられる。誰かと一緒にいる夜には見せない裏面の地図を、ひとりの夜には静かに広げてみることができる。
横向きになって膝を少し引き寄せると、太腿と太腿のあいだに、小さな空間ができる。その空間は、ひと晩だけ貸し出される秘密の部屋みたいだ。そこに手を差し入れるかどうかを、私はしばらく迷う。差し入れなくても夜は過ぎていくし、差し入れれば別の速度で過ぎていく。どちらを選んでも、朝は来る。
指先で、太腿の外側の線をなぞることにする。肌の上を滑る自分の指は、誰かの指の代用品みたいでありながら、同時にもっと正確な測量道具でもある。どこが冷たくて、どこが温かくて、どこが少し震えていて、どこが落ち着いているか。そういうことを、一ミリ単位で知らせてくれる。
下腹部のあたりには、いつも薄い膜のような緊張がある。その膜に、心の重さや欲望の影が少しずつ溜まっていく。ひとりの夜には、その膜を破るか破らないかの選択を、誰にも見られずに行うことができる。私は昨夜、その膜の表面を、指先で軽く撫でるところまでにしておいた。破ったときに訪れる種類の安堵を、今夜は必要としていないような気がしたからだ。
代わりに、呼吸を深くすることにした。吸い込んだ空気が、喉を通り、胸を通り、みぞおちを通り、下腹部の手前で少し滞る。その滞りを感じながら、ゆっくりと吐き出す。呼吸だけで身体の内部を触ることだってできる。そのことを確かめるように、何度も同じリズムを繰り返した。
ベッドの上で、手の位置を変える。お腹の上、胸の下、鎖骨のあたり。触れる場所によって、思い出す記憶の種類が変わる。恋人に触れられた夜のこと、医者に触れられた冷たい朝のこと、自分で自分を抱きしめるように眠った冬の夜のこと。昨夜は、その全部が薄く重なっていた。
指先が軽く胸の上に触れたとき、からだはほんの短いあいだだけ、何かを期待する。誰も来ないことを知っていても、とりあえず期待する。その小さな裏切りが、ほんの少しだけ切ない。けれどその切なさは、旅の夜には妙に心地よくもある。自分の欲望や孤独を、誰にも説明しなくていい時間だからだ。
時計の音が、部屋の隅でかすかに刻まれていた。秒針が進むたびに、夜の厚みがわずかに薄くなっていく。私は目を閉じて、その音を胸の奥で聞いた。心臓の鼓動と秒針の音が、ときどきぴったりと重なる。重なった瞬間、からだの中にあるすべての部屋の灯りが、同時にふっと暗くなるような感覚がある。
眠気がゆっくりとやってきて、身体の隅々を柔らかくしていく。太腿の間の小さな秘密の部屋も、やがて静かに扉を閉じる。下腹部の膜の上に溜まっていた緊張も、少しだけ薄くなる。破らないまま朝を迎える種類の夜が、この世にはたしかに存在していて、私は昨夜、そのひとつを選んだのだと理解する。
最後に、私は自分の手を胸の真ん中に置いた。そこが今夜の「中心」だと決める。指先のぬくもりが、皮膚の下をゆっくりと広がっていく。外の世界がどうであれ、今この瞬間だけは、私のからだが私のものとしてそこにある。その事実だけを抱いて、私は眠りに落ちていった。
そして今朝、桂川を歩きながら、昨夜の感覚のいくつかがまだ身体のどこかに残っていることを、私はときどき思い出す。太陽の光に晒されると、それらは少しずつ形を変え、やがて川の流れに紛れていく。それでいい、と私は思う。夜にしか持てない輪郭と、朝にしか持てない輪郭が、ゆるやかに入れ替わりながら、ひとつの身体を保っているのだ。
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
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もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
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しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
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『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
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そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
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一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。