はてなキーワード: 婚姻とは
婚姻はしなくてもええやろ
中坊の頃は2chで膿家ネタとか読んで恐ろしがっていた
今では「義実家同居」を恐ろしがっている
一人だけ、マスオさんしている人は知っているが、よく愚痴を聞く 話半分に聞いても具体的エピソードがキツイ
地方ではまだ当たり前にあると聞くと、やっぱり恐ろしい気持ちになる
結婚を機に、人となりもよく知らない人間と同居家族になるって、どうやって受け入れるんだろう
子供時代から、気心の知れた家族ぐるみの付き合いがあるとかなら、距離感も掴めていて大丈夫だったりするのかなあ
いやー、無理だ。
なんで両性の合意のみに基いて成立した婚姻に、他の人が入ってくるんだ
両家の親全員と暮らすわけじゃない、どっちかがアウェーになる
どちらにも気を遣って擦り減ることが目に見えている
同居できるってことは、同居を受け入れる側もこれまでの家庭に他人が入ってくることを許すわけだ
許すし、調和しなければならない
筈だが、地域全体がそういうムラだと、そこまで考えてる人口は居なそうだ
「当り前」だからそうする
気持ち悪い
入る側でも受け入れる側でも、どちらでも無理すぎる
気持ちが悪い
上野千鶴子の「わたしが女性天皇を歓迎しないこれだけの理由」(『世界』2026年8月号)を読んで、私は彼女の結論には一切同意できなかった。だが読み終えて残ったのは、反論ではなく、ある種の敬意だった——それも極めて日本的な種類の。
論考の骨格
まず内容を整理しておく。上野氏の主張は明快だ。皇室典範改正をめぐる「男系男子か、女性天皇か」という二択そのものが問題設定として間違っている、というのである。
彼女によれば、養子縁組も女性皇族の婚姻による皇籍離脱も、いずれも父系家族原理——つまり「家制度」——に基づいている。男系継承は日本古来の伝統ではなく明治期の「創られた伝統」であり、天皇制は家父長制の最も純粋な標本である。だから器を残したまま女性を座らせても意味がない。問題は人格ではなく制度なのだ、と。結論は共和制の可能性であり、「憲法改正をするなら、第1条から手をつけるべき」で締めくくられる。
正直に言えば、家族社会学者としての分析部分は切れ味がある。氏(うじ)とは子どもの帰属を示す記号だという指摘。1985年改正前の国籍法が父系血統主義そのものだった事実。単独親権が父方から母方へ移った1960年代が、三世代同居の崩壊期と一致するという観察。そこから「夫婦同氏への固執と男系継承への固執は、同じ父系原理の表裏だ」と繋げる論理は、イデオロギーを抜きにしても構造分析として成立している。
夫婦別姓、共同親権、婚外子差別——現代日本の家族をめぐる論点の多くが、同じ父系原理の残滓をめぐる争いだと一枚のレンズで整理できる。これは優れた社会科学の特徴だ。結論に同意しなくても、分析枠組みが現象の見え方を変える。
だが同時に、この論考は議論として決定的に片面的である。天皇制維持のコスト340億円は挙げるのに、便益——皇室外交という資産、災害時の慰問が持つ統合効果、権威と権力の分離という統治構造上の安定装置——は一切検討されない。共和制と言いながら、元首は誰か、国事行為の受け皿はどうするか、代替案の設計は皆無だ。壊すべきだと言うだけで「その後」がない批判は、提案として不完全である。
しかし最大の弱点は別のところにある。多数派国民への説明責任だ。
上野氏は、自説が圧倒的少数派であることを完全に自覚している。冒頭の「語れば語るほど関心が高まる。フェイドアウトを待つほうがいい」という戦略は、正面から廃止を訴えても国民感情に勝てないという敗北認識そのものだ。占領軍がおののいたという「草の根天皇制」の根深さを、彼女は誰よりも詳しく記述している。
ところが、その認識と自説の間の橋——「ではなぜ、国民の大多数が支持するものを廃止すべきなのか」——は架けられていない。彼女の暗黙の処理は、国民の支持を「占領軍と宮内庁の演出」「平成の天皇夫妻の戦略的プロデュース」の産物として扱うことだ。支持とは操作された虚偽意識であって、尊重すべき民意ではない、と。
だがこれは方法論的に一貫していない。家父長制批判では「女性の生きられた経験を聞け」と当事者の主観を最重視してきた人が、国民の天皇への親しみだけを「演出の効果」として割り引く資格はどこにあるのか。
そして読み進めるほどに気づく。彼女が挙げる歴史的事実そのものが、天皇制の除去困難性の最強の証拠になっているのだ。
新憲法第1条を見よ。敗戦・占領という国家最大の断絶において、米国という外部権力が白紙から日本を設計できる立場にいて、なお天皇を第1条に置いた。ドイツ基本法の第1条は「人間の尊厳」、フランスは「共和国」、日本は天皇から始まる。上野氏はこれを「日米の合作」と批判的に書くが、裏返せば、あの巡幸への民衆の熱狂を見た占領軍が「これは撤去できない」と判断した、実証された代替不能性の記録である。
天皇制は、教義なき宗教——社会学で言う市民宗教——として機能している。合理的に正当化できないものへの共同の敬意が、バラバラの個人を束ねる。災害のたびに被災者の前に膝をつく天皇の姿に政策的意味は何もない。だが「誰かが国民全体を代表して痛みを受け止めている」という感覚は、首相の視察では代替できない。宗教的なものは論理で倒せない。上野氏がフェイドアウト戦術に賭けたのは、それを一番よく知っているからだ。
それでも彼女は極点に立ち続ける
ここまで書けば、この論考が「議論」ではなく「宣言」であることは明らかだろう。彼女は、議論の双方向性、実装可能性、多数派への説明責任、方法論的一貫性——これだけのものを犠牲にして、原理の純度と分析の切れ味を買った。
これは欠陥というより選択だと思う。全員が現実的な落とし所を探る議論をしていたら、「天皇制は廃止しうる」という選択肢自体が公共空間から消える。誰かが極点に旗を立て続けることで、議論の地図の広さが保たれる。彼女はその係を、40年間引き受けてきた。
しかも構造的に報われない役回りである。仮に将来、女性天皇が実現したとしたら、それは彼女の望んだ廃止ではなく、彼女が「延命への加担」と切り捨てた妥協案だ。その妥協案が通るとき、推進派は「上野のような過激な廃止論とは違う」と、彼女を引き立て役に使うだろう。自説が負けることを通じてしか影響力を行使できない。一生かけて、踏み台になる運命に取り組んでいる。
最後の侍
そして気づいてしまった。この生き方の様式——負けると分かっている戦いを降りない、妥協を恥とする、純度を命より重んじる、勝敗ではなく「いかに戦ったか」に価値を置く——これは武士道の美学、それも葉隠的な「死に方の美学」の型そのものではないか。
戦後の言論界でこの型を体現したのは三島由紀夫のような右派だった。上野千鶴子は、同じ型を正反対の思想内容で生きている。器は侍、中身はフェミニズム。
偶然ではないだろう。彼女は団塊世代の学生運動出身で、あの運動の文化自体が「転向を許さない」「殉教の美学」という、極めて日本的なエートスで動いていた。家父長制を批判する彼女の闘い方そのものが、日本の父権的な戦士文化の産物なのである。欧米のフェミニストには、もっとプラグマティックに勝ちを拾いにいく人が多い。負け戦の美学に殉じるフェミニストは、かなり日本的な現象だ。
彼女が国民の天皇への情動を「演出の産物」としか説明できなかったのは、自分自身がその同じ文化的深層——殉じること、続けること、退かないことへの敬意——の中で生きているからかもしれない。批判者が、批判対象と同じ土壌から生えている。
天皇制の中に流れる、合理化できない何か。それは、天皇制を一生かけて批判した上野千鶴子の生き方の中にも、流れている。
私は彼女の結論を取らない。だが彼女の論考は、切れ味のいい包丁として使える。完成した料理として鵜呑みにするのではなく、自分が「伝統」と呼んでいるものの中身を分解する道具として。読後に保守のままでいることは全く可能だ。ただし「何を、なぜ守りたいのか」の解像度は、確実に上がっている。
「人間だって動物だから仕方ない」と浮気・不倫をする人がいますが、やめてください。
普段は人間社会のルール、法律、社会保障、婚姻による税制優遇などを存分に享受しながら、自分に都合の悪い場面だけ「動物だから仕方ない」と主張するのは筋が通らないので、人間でなくなってください。四足歩行で生活し、婚姻に付随する扶養控除や税制優遇も受けないでください。人間じゃないなら人間社会の恩恵を享受する権利もないので、人権を放棄してください。インフラを使わないでください。森で裸で生きてください。動物なのに人間としての得をしないでください。
そもそも動物界を見ても、浮気は無罪放免ではありません。オオカミは基本的に一夫一妻型で、群れの最上位ペアが協力して子育てを行う社会的な動物です。ペンギンの一部の種でも、パートナーを裏切る個体は群れから制裁を受けることが知られています。動物社会にも秩序を守るための仕組みがあり、「動物なら何でも許される」という発想が無知の証拠です。ハヤブサなどの鳥類、狸など、一夫一妻型の動物は多いです。浮気・不倫をする人間は、確実にオオカミやタヌキやハヤブサを下回っています。なのに、なぜ服を着てエアコンをつけて医療保険を利用しているのですか?
浮気は「動物的衝動」ではありません。本当に衝動的な行動であれば、その場で終わるはずですが、実際の浮気は隠蔽工作を伴い、長期間にわたって繰り返されるケースが多く、計画的なものであり、衝動ではありません。
より好きな相手が現れることそのものは仕方がないとしても、その場合に取るべき行動は離婚や交際解消という正式な手続きを踏んでから新しい関係に進むことです。隠れて関係を持つことは、動物的な衝動性とはむしろ正反対の、計算された背信行為です。
この場合の養子縁組って、皇族とのいわゆる婚姻とは別であるのに、あたかも皇族の女子がなんか知らん旧宮家の男と婚姻関係を結ぶかのように捉えてそれを前提に批判してる人達
皇室制度は人権上問題しかないので、さっさと改憲含め話すすめろ派の自分でも、その反応はさすがにないわー。普通に考えれば分かると思うけども。
過去の親密な関係における安心感は、婚姻の名分、経済的扶養と絶対的な忠誠を結びつけ、今の新世代カップルの安心感ロジックは徹底的に再構築され、外部バンドルから内在自足へ、一方向依存から双方向同周波数へと変化し、この転換は両性関係モデルを深く変えている。
伝統的なモデルでは、男性は主な養家責任を負い、女性は結婚に頼って物質的なポケットを獲得し、安定した収入と不動産は最も直接的な安心源であり、結婚恋愛は生存保障契約に等しい。
恋を公開し、証明書を受け取って結婚し、家族の認可は制約を構成し、ディルド、社会的身分と道徳的制約に頼って裏切りを根絶し、制度で関係の唯一性をロックする。
双方は妥協に妥協し、個人の需要を抑えて家庭の完全性を維持し、「離れない」ことを安心感と同等にし、個人の感情と境界需要を無視することに慣れている。
若者は経済的独立意識が強まり、パートナーを人生の後ろ盾にすることはなくなり、貯金、事業、社交界、一人でいる能力は、人生を他人に託さない最も確固とした基礎となった。
車や結婚証明書よりも、タイムリーに対応し、何かあったらコミュニケーションし、感情的に包容し、生活習慣が合うことが安心をもたらす。婚約よりも、何かあっても暴力的ではなく、突然連絡を取らないほうが落ち着く。
常に準備し、社交を掌握することを要求するのではなく、安全感は監視と束縛からではなく、心からの率直さと節度感であり、相互に個人空間を残し、信頼が管理に取って代わることを許可する。
低欲望社会の影響を受けて、日本の若者は結婚による圧力と束縛を恐れ、深い束縛を拒否し、バイブ、軽量化の付き添いを選び、進退可能な関係で怪我のリスクを下げ、安心感は「いつでも身を引くことができる」自由から来ている。
親世代の仮面婚、配偶者を亡くした育児を目の当たりにした後、新世代は一方的な家事と支払いを排斥し、安心感は家事分担、収支AA、権利と責任の対等の上に構築され、性別による義務の束縛を拒否した。
独身独居、趣味コミュニティ、オンライン付き添いはいずれも感情の欠員を埋めることができ、結婚恋愛はもはや帰属感を得る唯一のルートではなく、親密な関係は人生の副次的な位置に後退し、安全感は個人の生活秩序に由来することが多い。
おわりに
安心感は消えたことがなく、ただ反復を完成した:旧式の安心感は束縛によって縛られ、新式の安心感は同周波数と自立に頼っている。
やっと報道され始めたね。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2729353
3歳で皇籍を離脱し、80年近くを一般国民として生きてきた81歳の旧久邇宮家の男系男子にあたる久邇朝宏さん「宮様に戻るんだったら小さい頃から教育を受けてないと。今戻れと言われても相当無理な話」と言い切った。
うーん、今の案だと15歳以上だから、中学校3年生または高校1年生過ぎてから養子になるって決意する事になるんだけど、一般国民としてその年齢まで過ごして皇族やれる人居ないと思うし、やれると思う勘違い系の思い込みある人には逆になってほしくないかも。
あと
"対象者とされる旧宮家の男系男子は約10人程度いると言われるが、宮内庁もその意向を把握しているわけではない。"
これ、、、どうするの?
▼誰が調べてゴシップ耐えられるのか?
法案成立したとして、これどういう行政手続きで特定するのだろう。
政府側が個人情報の同意を得ずに、勝手に戸籍謄本とか漁って特定していくの?
申請されたら調べるの?
婚姻中に生まれた子は、たとえ不倫相手との子であっても、「嫡出否認の訴え」が認められない限り法律上は嫡出子になる。つまり、そうした事実が存在していたかどうか確認できないまま天皇が誕生する可能性もあるよ。
戦後80年の一般国民家庭の内情なんて調べられないしゴシップに対抗する術がなくないか?
"この法律による皇族男子であった者の嫡男系嫡出の子孫である現に皇族でない年齢15年以上の男子であって、配偶者および子がないものに限り、養子とすることができる。"
これの活用で、旧宮家の血統によらない養子制度で嫡出子となった者の子でも、養子皇族対象者になり得るから法律としても意図通り機能しない穴があるよね。
▼王朝交代とみなされる
あと、男系男子に拘り過ぎておかしな部分があって、養子皇族を「実方の系統による嫡男系嫡出の者」とするんだけど、西洋の王朝の考え方だと、この養子皇族が天皇に即位したら王朝交代とみなされるよ
フランスのカペー朝→ヴァロワ朝とか、共通の始祖からの男系だけど本家ではない傍系が王位継承した際に王朝交代したとされてる。
西洋の歴史学の考え方と日本の皇位継承は違うんだ〜と主張するのは勝手に主張出来るけど、世界的には「万世一系(笑)」扱いされると思う。
欧米からは冷静に指摘され、近隣諸国からは日本が無理も剛弁で主張したら捏造出来ると思って顔真っ赤だな位に扱われるんじゃなかろうか。
あー、わかる…😟
というか、あー、そういう解釈もあるのか、つまり、パートナー自慢してくる人は実は何かに耐えてると、
まあ、そんなもんかもな、みたいに察してたところはあるけど…😟
じゃあ、俺と結婚すればいいのに、俺は縛らないよ、
電通に入ると、まず資料室にデンとある『日本財界系図』という巨大な本を閲覧することになります。
そこには日本の大企業・大資本の株主、経営者の家系図、相関図が網羅されています。驚くなかれ、
●それらの家族の子女はさらに政権与党の有力者の子女と婚姻している
電通マンとは彼らに奉仕する職業であること、仕事を遂行するにあたって、「どこの家族の系列にある資本か」を間違えないこと、を叩き込まれます。
卑近な例ですが、三菱UFJの担当として宴会を仕切ったときにアサヒビールを搬入したりキヤノンのカメラで撮影したりして出入り禁止になったり降格されられたりした人もいました。
日本の結婚制度は、明治以来の「夫婦同姓」を原則とし、配偶者双方が一つの家族単位を形成することを前提としてきた。しかし、現代社会の多様な価値観に対応するためには、結婚そのものを根本から変えるのではなく、現行の結婚制度を「改訂」し、新たな選択肢として**フランスのPACS(民事連帯協約)に類似したパートナーシップ制度**を導入する方が、はるかに合理的かつ現実的である。
夫婦別姓の導入や同性婚の法制化は、結婚の本質を大きく変容させ、家族という社会の最小単位に深刻な影響を及ぼす可能性が高い。一方、パートナーシップ制度であれば、結婚という伝統的な枠組みを維持しつつ、個人の選択を尊重することができる。
### なぜ夫婦別姓や同性婚よりパートナーシップ制度が優れているのか
現行の結婚は、夫婦が同姓となり一つの家族を形成し、子どもがその家族に明確に帰属することを想定している。これにより、親権・養育・相続などの法的安定性が確保されてきた。夫婦別姓を原則化すれば、家族の「同一性」が希薄化し、将来的に「個の集まり」へと変化するリスクがある。同性婚も、生物学的親子関係を基礎とする家族観との整合性が課題となる。
パートナーシップ制度であれば、**結婚を選択する人は従来通りの家族単位を維持**しつつ、別姓や事実婚を望む人、性的マイノリティの人々はパートナーシップで権利(相続・税制・医療同意など)を保障できる。結婚とパートナーシップを明確に区別することで、社会的混乱を最小限に抑えられる。
夫婦別姓を強引に婚姻制度に取り込めば、戸籍・相続・子どもの姓の問題で新たな矛盾が生じる。同性婚も同様に、婚姻の本質的定義(夫婦・親子関係)を変える大改正となる。
これに対し、PACS型パートナーシップは「結婚に準ずる契約関係」として位置づけられる。契約期間の設定、合意解除の手続き、財産分与ルールなどを柔軟に設計可能であり、個人の多様なライフスタイルに適合しやすい。結婚は「一生の家族形成」を志向する人々のための制度として残し、パートナーシップは「生活共同関係」を望む人々のための制度とする。これこそ真の多様性尊重である。
フランスではPACSが同性・異性問わず利用され、婚姻とは別個の制度として機能している。結婚を望む人は婚姻を選択し、そうでない人はPACSを選ぶ。二つの制度が並存することで、社会的対立を緩和している。日本でも同様のアプローチを取れば、伝統的な家族観を尊重しつつ、個人の権利も拡大できる。
結婚制度を「変える」のではなく、「補完する」形でパートナーシップを位置づける。これが、対立を煽らずに多様性に対応する賢明な道筋である。
夫婦別姓や同性婚の推進派が言う「多様性」とは、結局、伝統的な結婚観を解体することに他ならない場合が多い。しかし本当の多様性とは、**結婚という選択肢を残した上で、別の道も認める**ことではないか。
現行の結婚を改訂し、パートナーシップ制度を並立させる——それが、激変を避けつつ、誰もが納得できる現実的な解決策である。
現行結婚制度改訂・パートナーシップ制度導入に関するQ&A**
以下は、提案した文章に対する主な反論を想定し、それに対する反論をまとめたものです。
### Q1. 夫婦別姓を婚姻制度の中に認めるだけで十分ではないか?わざわざ新しい制度を作る必要はないのでは?
A1.**
夫婦別姓を婚姻の中に取り込むと、戸籍の連続性、子どもの姓の決定、相続時の家族単位の扱いなどで新たな矛盾と行政コストが生じます。別姓を希望する人は「家族を一つにしない」選択をしたいわけであり、それを無理に既存の婚姻制度に押し込むより、**婚姻とは別の「パートナーシップ」という枠組み**で対応した方が制度全体として整合性が取れます。フランスのPACSもこの発想で運用されています。
### Q2. パートナーシップ制度は同性カップルや別姓希望者を「第二級の関係」として差別するものではないか?
A2.**
これは逆です。婚姻制度を「誰でも使えるように拡張」しようとすると、婚姻の本質(夫婦同姓・家族単位の形成)を変えることになり、伝統的な家族観を持つ人々の権利・価値観を損ないます。
パートナーシップは「婚姻とは異なる制度」として明確に区別し、希望者には婚姻に極めて近い権利を与える形です。選択の自由を認めつつ、**どちらの制度も尊重される**二本立ての方が、真の包摂につながります。一つの制度に無理やり全員を押し込める方が、結果として対立を大きくします。
### Q3. 同性婚を認めないのは時代遅れで、人権侵害ではないか?
A3.**
「婚姻」を生物学的・伝統的な家族形成を前提とする制度として維持することと、性的マイノリティの生活を法的に保障することは、必ずしも矛盾しません。
パートナーシップ制度で相続権、税制上の配偶者控除、医療同意権、年金分割などを十分に保障することは可能です。欧州諸国でも婚姻と登録パートナーシップを併存させている例は少なくありません。「婚姻」という名称と制度に固執する方が、結果として対立を煽っていると言えます。
### Q4. 二つの制度を並立させると手続きが複雑になり、行政負担が増えるだけではないか?
A4.**
確かに初期の制度設計は必要ですが、長期的に見れば夫婦別姓を婚姻に導入した場合の戸籍・登記・裁判上の混乱の方がはるかに大きいと考えます。
パートナーシップは「契約に近い」柔軟な制度に設計可能であり、婚姻を選択する人とそうでない人を最初から区分できるため、後の紛争を減らす効果も期待できます。すでに事実婚状態の couple が多数存在する日本では、むしろ制度の明確化によって法的保護が広がるメリットの方が大きいです。
### Q5. 結局、伝統的な結婚観を優先して、多様性を阻害しているだけではないか?
A5.**
多様性とは「一つの価値観を全員に押し付ける」ことではありません。
このように**選択肢を増やす**ことが本当の多様性です。夫婦別姓や同性婚を婚姻制度に組み込むことは、「多様性の名の下に伝統的な家族観を解体する」方向に働きます。私たちの提案は、両方を尊重するための現実的な妥協案です。
### Q6. 将来的にパートナーシップが婚姻とほぼ同じ内容になったら、結局同性婚と同じではないか?
A6.**
内容を近づけても、**制度の名称・象徴性・社会的位置づけ**を区別する意味は残ります。婚姻は「社会が最も推奨する家族形成の形」として残し、パートナーシップはその他の生活共同関係の選択肢とする。
子どもの出生時の扱いや、制度間の移行ルールを明確にしておけば、両者が混同される事態は避けられます。重要なのは「完全同一化」ではなく、「それぞれに適した法的保護を与える」ことです。
白熊が「男性は丁寧な暮らしに従って生きるしかない」と言っている。
まず自己紹介をしよう。
俺は二十代の頃はフリーターだった。その後、幸か不幸か、比較的年収の高い仕事に就き、以前から女性の多い職場で働いている。簡単に言えば外資系勤務だ。
年齢は白熊とほぼ同世代で、いわゆるフェミニスト教育、つまり男女同一視が始まった第一世代に当たる。
少なくとも同僚を見ている限り、男女には著しい違いがある。
男性は、よほど性格に問題がある人を除けば、ほぼ既婚である。妻のキャリアはさまざまで、キャリア女性もいるが、多くは一般的な大卒・専門卒の経歴である。
一方、女性に目を向けると、責任感が強く優秀な人ほど独身が多い。恋人はいても、結婚にはなかなか結び付いていないケースが目立つ。反対に、仕事への熱量がそれほど高くない、あるいは責任感の薄い女性のほうが、比較的結婚している印象を受ける。
近年では、高学歴・高職歴の女性ほど結婚しやすいというデータもある。しかし実際の働き方を見ると、プライベートを重視し、ほどほどに働いている人のほうが結婚生活とうまく両立しているようにも見える。
つまり、女性は「働く」という点では男性に近づいたものの、その働き方や人生設計は、必ずしも男性的になったわけではないように思う。
言い換えれば、「女性の男性化」という価値観には実際にはあまり従っていなくても、従っているように振る舞うほうが有利な場面もあるのではないか、と感じている。
これについても、大いに疑問である。
もちろん他人の家庭の事情までは分からない。しかし、本当に「丁寧な暮らし」が広く実践されているのだろうか。
同僚を見る限り、専業主婦やパート勤務の妻を持つ人が多く、実際の家事は彼女たちが主導しているように思える。そうした家庭は、結果として「丁寧な暮らし」なのかもしれない。
しかし、それを「男性が丁寧な暮らしをしている」と言えるのだろうか。
女性が男性を選ぶ際にも、高身長や、高収入、イケメンについては依然として強い要素だ。
結局のところ、女性が家事を担い、男性が主に働くという家庭の形は、以前と比べてもそれほど大きく変わっていないように思う。男女ともしたがってるふりをしてる人が一番強いのではないか。
令和を迎え、SNSが普及しきって人間男女の本性がより明確になって「正解」がはっきりしてきたので、ここらで人生ガイドラインをまとめておこうと思う。
なお、基本的に男性向けとして書くけれど、女性向けにも応用できる内容だと思う。
結婚・出産・育児は個人の安全と快楽に対する最大の敵なので、これは絶対に回避する。
XやThreadsの子育てアカウント・愚痴アカウントを半日も見れば、即座にリスクとして認識できるだろう。
一方、自分以外の他者の結婚・出産・育児については最大限に祝福・推奨する。
恋愛に興味が無いという幸福な人は、それだけで自己の安全と快楽の最大化達成に非常に近いと思うので、後はほぼ何も考えずに好きに生きればよい。
男性の場合に必要なのは以下なので、運動・勉強等頑張って確保する。
相手の入れ替えについては「倫理的」に後ろめたさがあるかもしれないが、それはまったく気にしなくて良い。むしろ倫理的にはより優れているとさえ言える。
SNSで常時ポストされている通り、結婚・出産・育児こそ最大の危険と不満と憎悪の源泉で、それさえ回避できていれば、自分が最大の憎悪対象、いわば犯人となることからは逃れられる。
女性側は下方婚はしづらくなるかもしれないが、ある程度の同格婚ならまったく可能であるし、マッチングアプリや婚活のある現代、あなたと同程度の男性とならいくらでも関係を持てる。
その中の特別純真であるとか、何か結婚や育児に特殊な願望のある男性と結婚してもらえれば良いだろう。
そういった結婚・出産・育児に突入する女性の甘美な思い出として存在することは、まったく罪ではないし、場合によっては女性の人生に花を添える粋な行為ともいえる。
ただし、女性が結婚後に連絡を取ってきたとしても、絶対に関わり合いにならないこと。訴訟リスク等発生する。今の彼女と結婚が近いアピール(当然実際はしない)でもして回避すること。
そんな身勝手は許されません
ファックするなら子供を拵えるべきだし、それならば婚姻も結ぶべきなのです
美味しいところだけつまむようなファックのあり方は認められないのです
これは腐女子の立場から書いている。だからこそ言う。二次創作BLをやりながら正義を語るのをやめてくれ。頼むから。
まずこの前提を共有したい。二次創作BLは著作権の侵害である。原作者が生み出したキャラクターを無断で借用し、原作に存在しない性的関係を描く行為だ。これは好意的に見ても「お目こぼしをいただいている」状態であって、正当な権利の行使ではない。
普通に原作を読んでいる人は、公式で描かれたカップリングだけをカップリングとして認識している。公式で結婚している男性キャラの婚姻関係を破壊し、その妻を邪魔者として排除し、夫を別の男性キャラの「攻め」や「受け」に仕立てる創作物に対して、一般の読者がぎょっとしたり不快感を覚えるのは当たり前のことだ。排除される妻キャラへのヘイト創作と受け取られるのも当然のことだ。
決まって返ってくる反論がある。
「実在する男性アイドルやお笑い芸人でナマモノBLを書くほうが問題だろう」
「プリキュアのような女児向けコンテンツで、成人男性が女児キャラをモブにレイプさせる同人誌を出すほうが問題だろう」
「クジラックスの同人誌の手口を模倣した現実の女児性暴行事件のほうが問題だろう」
しかし、もっと悪いものが存在すれば二次創作BLは善になるのか? ならない。殺人より軽いからといって窃盗が善行にはならないのと同じことだ。
二次創作BLの問題性については、いわゆるWoke的な立場からもすでに批判が出ている。
BLで描かれる「攻め」と「受け」の関係性は、結局のところジェンダーステレオタイプにおける男性役と女性役をセクシュアルマイノリティに再演させているにすぎない、という指摘だ。
マジョリティであるシスジェンダーのヘテロセクシュアルの女性が、マイノリティであるゲイの表象を簒奪し、自分たちの欲望に都合よく消費している、そう言われたときまともな反論ができる腐女子がどれだけいるのか。
BLにはミソジニー表現が多い、異性愛嫌悪的な表現が多いことも指摘されている。「完全な善」の創作表現を追求する最前線にいる西側の人文系勢力が、二次創作BLに味方すると思っているのであれば大きな間違いだ。
男性作者が少年読者に向けて創作した作品を素材にして二次創作BLを書く。邪魔なポジションにいるヒロインその他の女性キャラクターを叩く。公式男女カップリングを好む層を、公式男女カップリングを成立させた作者を、「時代遅れ」と罵倒する。
ないだろ。
私が心底迷惑しているのは、「BL無罪論者」とでも呼ぶべき層の存在だ。
彼女たちは二次創作BLを生産・消費しながら、男性向けの女体表現を「性的消費だ」と殴る。女性向けの男女恋愛表現を「ステレオタイプの再生産だ」と殴る。
政権を批判し、社会正義を語り、フェミニズムを掲げる。それ自体は個人の自由だ。だがそれを、二次創作BLのアカウントと同じ場所でやるのだ。
悪目立ちする。当然だ。他人の表現を道徳的に断罪する人間が、自分は著作権侵害の二次創作で他者のキャラクターを性的に消費している。敵意を持つ人間でなくても、その自分への甘さを指摘したくなる。
そしてその視線は、静かにやっている腐女子も含めた全体に向けられる。
正義を語るなと言っているのではない。政治を論じるなとも言っていない。
二次創作BLが簒奪であるという自認を持て。政治や正義を語りたいなら別のアカウントでやれ。二次創作BLのアイコンで、プロフィールにカップリング名を並べたまま、社会正義の棍棒を振り回すのをやめてくれ。
それは二次創作BLという行為そのものに、余計な注目を集めるだけだ。そしてその注目の火の粉は、黙って隅でひっそり楽しんでいる人間にまで降りかかる。
本当に、心底、迷惑している。
現在の民法では○○家という受け継ぐ家系というものはなくて婚姻したら新しい家をつくるんだが(だから親夫婦の田中家と子夫婦の田中家は全く別の田中家。相続は婚姻した別姓の兄弟姉妹にも同等の権利があり、○○家という相続権はない)その知識が不足してまだ婿入りとか嫁入りがあると考える人が多すぎる。フィクションの影響はあると思う。フィクションと現実の区別ができない、それ以外に知識もない人も多いから。だから選択性夫婦別姓なんて世界で当たり前の制度も導入されにくい。
さて、父親から息子に継承される遺伝が大きいみたいなイメージあるけど、じっさいはY染色体はX染色体よりずっと小さくて情報量も少ない(なにせ、男にする以外の情報がほぼない)ので、息子の能力は実際は母親から受け継がれるものの方が大きい。運動能力や知的能力もそう。なので、父親と息子の能力的な繋がりは母親と息子の繋がりより小さい。
細胞のエネルギー代謝・酸素消費・老化・免疫 に密接に関与しているミトコンドリアDNAは必ず母親から子に受け継がれ、父親から受け継がれることはない。だから女系は起源まで遡ることができるけど、男系y染色体は実際は3代程度で遡れなくなる。科学ではね。
言いたいことはタイトルで尽きてるけど、こんな記事に説得されちゃってる人たち大丈夫? というお気持ちがある。
同性婚と同等に近親婚を法制化すべきという主張がよくわからない - 法華狼の日記
たとえば叔父と姪の(あるいは叔母と甥の、叔父と甥の、叔母と姪の)結婚を考えてみればわかるが、彼らは遺産の配分や病院での意思決定に関して親兄弟より明白に劣後する。叔父叔母あるいは甥姪は兄弟姉妹より少なくしか受け取れないし少ししか関与できないのだから、彼らに正当な取り分を確保しようと思ったら近親婚の法整備が必要である。
あるいは、兄弟姉妹の取り分は夫や妻の取り分よりも少なくなるのが法律の規定なのだから、たとえば10人きょうだいのうち2人が恋愛関係に陥るような場合を想定してみれば、「近親婚の法整備は不要」ということにはならないだろう。当事者にしてみれば、残りの9人と遺産を分け合うか、遺産を独占できるかというのは大きな違いだ。
ということで、この記事は前提が間違っているので結論も間違っているのだが、よろしい、百歩譲って近親婚当事者には同性婚ほどの切実な必要性がないものとしよう。
しかし、同性婚ほどの切実な必要性がないことは、だから法制化せずともよい、という結論にはならない。両方やればよいだけだからだ。
限られた予算をどのように振り分けるか? という話であれば、なるほど必要性が問題になることも理解できる。あるいは両者がトレードオフの関係にあるなら、必要性が高いほうを優先するべきだ。
だが同性婚と近親婚(そして複婚)はそのような排他的関係にはない。いずれも国会で議決するだけで施行でき、書類の様式を少し書き換えるだけで済む(たとえば「夫となる者」「妻となる者」を「配偶者1」のように変更するなど。まあそもそも近親婚には書類変更のコストすら必要ないのだが)。低コストで実施できて矛盾しない政策なら両方やればよいのだ。
加えて、いずれも「選択肢を増やす」方向での解決である。選択肢を減らす解決ならともかく、増えるのは基本的には喜ばしい話であるはずだ。
それなのになぜ、「同性婚と違って近親婚は喫緊の課題ではない」などと主張する必要があるのだろうか?
もしも本音が「近親婚はけしからん」なら、堂々とそう言えばよいのではないか?
くらべると、現在の日本で近親婚を法制化したいという運動がもりあがらないのは、当事者においても喫緊の課題が少ないためではないかと想像するのだが、どうなのだろうか?
「差別が怖いから」という理由をなぜ思いつかないのか理解に苦しむ。ネトウヨならばともかく、左派・リベラル派であるならまっさきに思いつくべき理由だと思うのだが。
きょうだいでの同居など何も珍しくはない。普通に行われていることだ。だからきょうだい同士が恋人として同棲したいと思えば実行はきわめて容易であり、そういう意味では確かに同性婚ほどの切実性はないかもしれない。だが、近親婚へのタブー視は同性婚と同じくらい強いだろう。「あいつきょうだいとヤってるんだってよ」というのは、「あいつゲイらしいぜ」と同様に周囲からの迫害を生む。後者であればまだ都市部でゲイコミュニティを見つけたり、リベラル派から多様性の旗手として持ち上げられる道があるかもしれない。だが前者にはそれもない。差別を恐れるなら口をつぐむほかない。
それにしても、同性愛者が結婚のかわりに養子縁組を使うことがあると認識していながら、近親婚には必要性がないとか言い出すのは本当にわけがわからない。一度養子縁組してしまったら、もう結婚できないのだが。つまり年季の入ったゲイやレズビアンは、仮に同性婚が合法化されたとしても結婚できない可能性がある。なぜなら一度養子縁組をした相手とは結婚できないのだから。彼らはなるほど遺産や病院などの問題からは逃れているかもしれないが、しかし正式に結婚できないまま人生を終えるのだ。
(「それで構わない、結婚できなくても実利があるんだからいいだろう」というのは一つのありうる主張だが、じゃあ「別に同性婚を整備しなくとも、同等の恩恵があればいいよね」という主張にも頷かなければ整合性が取れないだろう)
反動勢力の雑「ミラーリング」だよね。イチャモン/米ドラでは結構いとことの恋愛や性行為は忌避されがち。合法である加州が舞台のビッグバンセオリーでもハワードがいとこといちゃついた事が大げさにキモがられてた
ええっと……つまり……差別があるってこと、だよね? 差別がある、ってことは、必要性があるってことだから、反動的でも何でもないよね? それともまさか、いとことの恋愛や性行為が忌避されたりキモがられたりするのを正しいことだって思ってるんですか? さ、差別主義者……!
近親婚を認めてほしいのではなく同性婚を否定したいだけなのが見え見えだからな。/近親婚あり派は親子もOKなのか?/幼い時から同じ家にいる相手だからこそグルーミングを危惧する。被害者には逃げ場がない。
監護者等性交罪が立法されてからしばらく経つんだけど、知らないのかしら? 養育者としての地位を利用して性交におよぶのは現行法で犯罪だから、粛々と取り締まればよいのでは? 逆に、成人になったら、まあ、誰と性交しようが自由でよくない?
(個人的には、親兄弟とセックスするなんて、うわキモい、ありえない、って思っちゃうんだけど、同じくらい同性とのセックスもキモくてありえないんだよね。ただ、嫌なら断ればいい話なので、増田は個人の自由を重視して後者も認めるべきだと思う。ということは、前者も認めないと筋が通らない)
そして、「幼い時から同じ家にいる相手だからこそ」ということは……たとえば、親の離婚で子どものときから別居してるきょうだい同士なら、婚姻してよいってことですか? 逆に、幼稚園の頃からよく一緒に遊んでくれたお隣のお兄さんお姉さんとの結婚は禁止すべきって理解でいいですか? だってグルーミング度なら後者のほうが断然高いよね?
なるほど、一理ありますね! つまり、高齢出産だとダウン症の子どもが生まれる可能性が高くなるので、40歳以上の女性の結婚を禁止すべきってことですね! ……まあ、こんな政策を提案したら灰も残らないほど大炎上するのは目に見えてますよね。中年女性の結婚禁止が人権侵害で無理だと思うなら、近親婚の禁止も人権侵害だと考えるべきでは?
ところで、たとえば「兄と弟」や「姉と妹」なら、障害児が自然に生まれる可能性は(片方がトランスジェンダーでない限り)ゼロですよね。ってことは、障害児のリスクを理由に挙げる人は、同性近親婚には賛成してくれるという理解でよいですか?
同様の理路で「同性愛を認めろというなら小児性愛も認めるべき」と主張する人々がいる…が、そちらの場合、単なる同性婚への嫌がらせではなく、本気で幼児への性的行為を合法化したがっている人がいる気もする。
ええと、
ということでよろしいでしょうか。