はてなキーワード: 明日とは
朝、Aさん90歳女性のところにオムツ交換に行く。すでに部屋に便臭が漂っていて、何ヶ月も掃除されていない野外公衆トイレのような臭いが部屋に漂っている。この部屋は特に見守りが必要な高齢者の部屋だが、全員がおむつで、全員がウンコを漏らしているからだ。Aさんのオムツを開けると下痢便であった。Aさんはなぜ早く来なかったのかと看護師に怒っている。うるせえオムツ交換は朝の10時って決まってんだよ黙れやという内心を抱きつつ、臭いで反射的に吐きそうになるのをこらえて尻を何枚ものウェットティッシュで拭く。未消化のニンジンがキモい。なんとか清潔にして新しいおむつをつける。張り付いた笑顔で終わりましたよーと声をかける
30分後Aさんからナースコール。トイレ連れて行ってほしい。テメーはオムツしてるんだからオムツにしろやと言いたいのをこらえて、寝たきりのAさんを車椅子に乗せてトイレに連れて行って便座に乗せてオムツ脱がしてトイレットペーパーで拭いてやって服着せて車椅子載せてまたベッドに寝かせて
Aさんはトイレに行くからオムツいらないと訴えるが優先度は低い。だいだいトイレ動作したら下半身鍛えられるとかならともかく、回復見込みもない人に温情だけでトイレに連れて行ってあげるってのが意味不明すぎる。テメーは一生おむつつけておむつにしとけや
増田は実習でこういうダークサイドに落ちた気持ちになったのでおむつ交換のある部署を避けて就職した
増田のような看護師が仮に病棟に居続けたら自分も点滴にうんこ混ぜて殺したかもしれんと思う
こんな気持ちでオムツ交換終わったらセクハラ発言してくるジジイとかいたしな
学生はこういう困った患者は外してもらえるけど職員はそうもいかんだろうし
増田も助産師資格あるんだけど、助産師とった理由が老人とか男性のおむつ交換したくないからって人がまぁまぁいるんだよね、この業界
赤ちゃんは可愛いし量も少ないからおむつ交換は全く心理的負担にならない
助産師持ってても病棟が混合病棟だと一般患者もうけ持つからそういう感じだったのかな。増田はそれが嫌で病棟に産科の人しかいない病院に行ったわ
自由とは、
一度手に入れたら終わり、というものではなく、**日々意識的に鍛え、守り、深めていかないと、すぐに錆びついたり萎んだりする**生き物です。
### なぜ「スキル」なのか
1. **小さな不自由からの脱出**:毎日1つ、「これやってるのは本当に自分の意志か?」と自問する。
2. **情報摂取の自由**:アルゴリズムに飼育されないために、意図的に情報源を多様化し、反対意見にも触れる。
3. **時間所有権**:自分の時間を誰かに「消費」されるままにしない。たとえ1日30分でも、「自分だけの時間」を死守する。
4. **経済的自由の微積分**:大きな資産形成ではなく、まずは「今日の支出のうち、自分の本当に大事なものに使った割合」を意識する。
自由をトロフィーだと思っている人は、しばしば次のステージで挫折する。
そこで「思ったより自由じゃない…」と感じるのは、**自由を扱う筋肉がまだ弱かった**からです。
時計の日付表示はすでに土曜日になっている。しかし僕はまだ金曜日の活動を終了していないので、主観的時間区分では金曜日である。
ルームメイトは「日付は午前0時に変わる」と主張したが、それは社会的な約束にすぎない。研究者の一日は、睡眠によって境界条件が課された時点で終了する。
そして僕は、まだ寝ていない。
朝は午前6時42分に起床した。昨夜の就寝時刻は午後10時38分だったので、睡眠時間は8時間4分。僕が許容する誤差範囲内である。
ベッドを出た後、室温、湿度、気圧、睡眠中の平均心拍数を記録した。ルームメイトは「起きたとき元気ならそれでいい」と言った。
それは観測機器を捨てて、橋が揺れていないように見えるから安全だと言う土木技師と同じである。
金曜日の朝食は、四角いトーストを対角線で切った直角二等辺三角形二枚、ゆで卵一個、紅茶250ミリリットルと決めている。今日はルームメイトがトーストを縦に切った。
長方形が二枚できた。味は変わらない。しかし、味だけが食事の状態変数ではない。形状、配置、咀嚼開始位置、パンくずの落下方向も含まれる。
僕は新しいパンを焼き直した。食料廃棄ではない。誤った幾何学への制裁である。
研究室では、昨日に続いて一ループp進弦理論を調べた。Bruhat–Tits木を種数1のSchottky群で割った世界面は、漸近境界にTate曲線を持つ。
木の上の自由場を積分消去すると境界に非局所作用が現れ、その二点核がTate曲線のNéron局所高さ関数と一致する。
僕が考えているのは、その種数2以上への拡張だ。
一般のp進Mumford曲線では、Schottky群の商から得られる有限還元グラフに複数の独立な閉路が存在する。
そのため、種数1のように単一の乗法的パラメータだけでは二点関数を記述できない。
そこで僕は、グラフ・ラプラシアンの擬逆行列、Schottky生成元の乗数、熱帯周期行列を組み合わせ、境界Dirichlet-to-Neumann作用素が正準局所高さペアリングを再構成する条件を調べている。
問題は零モードである。定数モードを単純に除去すると、グラフ上では整合しても、曲線上の主因子に対する双線形性が崩れる可能性がある。
逆にArakelov型の正規化を先に入れると、Schottky基本領域の選択に依存する項が残る。僕の予想では、その依存性はIharaゼータ関数の行列式表示と組み合わせることで相殺できる。
この予想を理解できる人間は、おそらく世界に5人いる。その5人が僕の予想に興味を持つ人数は、期待値で0.7人程度だろう。
昼食時、友人Aに説明したところ、「つまり木を輪っかにして、また木に戻すのか」と言われた。非常に不正確だが、彼がこれまでに行った説明の中では最も数学に接近していた。
友人Bは「高さ関数ということは、曲線の背の高さを測るのか」と尋ねた。僕は12分かけて算術幾何学における高さの概念を説明した。説明後、彼は「やっぱり背の高さではないんだね」と言った。12分前からそう言っている。
夕方、隣人が部屋に来て、今夜は映画を見ようと提案した。金曜日の午後8時から10時までは、僕が古い宇宙探査ドラマを製作年順に見る時間である。隣人は途中のシーズンから見ても理解できると言った。
できるかもしれない。しかし、理解できることと、正しい順序で理解することは別である。人類史を産業革命から学び始めても概要は理解できるが、その場合、なぜ全員が突然工場を建て始めたのか説明できない。
午後10時、本来なら就寝準備を始める時間だった。ところが、研究ノートを閉じる直前、種数2還元グラフの有効抵抗距離と局所高さの非対角項が一致する可能性に気づいた。確認には数分しかかからないと思った。
午前0時07分、符号を直した。
午前0時46分、今度は基点依存性が残った。
午前1時22分、基点を変えたときの差が調和1形式の周期として書けることに気づいた。
午前2時03分、ルームメイトが起きてきて、「まだやってるのか」と聞いた。僕は「あと10分で終わる」と答えた。これは嘘ではない。その時点の僕が持っていた情報に基づけば、条件付き確率の高い予測だった。予測モデルが現実に裏切られただけである。
午前2時41分、休憩として宇宙艦隊ものの戦略ゲームを一局だけ始めた。研究で複雑な木構造を見続けた脳を、複雑な星系ネットワークで休ませるためである。ルームメイトはそれを休憩とは呼ばないと言ったが、数学的対象の種類が変わっているので休憩である。
午前3時26分、勝利した。
現在、午前3時30分。
僕の金曜日の就寝予定時刻は午後10時38分だったので、4時間52分の遅延である。明日の起床時刻を同じだけ後ろへずらせば睡眠時間は保存される。しかし土曜日の午前8時には洗濯機を回す習慣がある。
習慣を変更することはできない。
これは不合理に見えるかもしれないが、宇宙にも保存則と対称性の自発的破れがある。僕の場合、保存されるのは習慣であり、自発的に破れるのは健康である。
おやすみなさい。
7月15日(水)曇りのち晴れ
朝起きたら、雨が上がっていた。曇り空だったけど、昨日までの雨に比べたら、だいぶマシだった。梅雨明けが近いのかもしれない。天気予報を見たら、来週あたりから晴れマークが増えていた。そろそろ夏本番だ。
会社では、特に大きな出来事もなく、淡々と1日が過ぎた。こういう「特に何もない日」を日記に書くとき、何を書けばいいのか少し迷う。でも、考えてみたら、人生のほとんどはこういう「特に何もない日」でできているんだと思う。大きな出来事がある日の方が、実は少数派だ。
昼過ぎ、給湯室で、誰かが淹れたコーヒーの匂いが漂ってきて、つられて自分もコーヒーを淹れに行った。コーヒーの匂いというのは、不思議と人を惹きつける力がある。味よりも、香りの方が記憶に強く残るという話をどこかで聞いたことがある。本当かどうか分からないけど、コーヒーの香りを嗅ぐと、いろんな場所や時間を思い出す気がする。
午後、退勤前に、久しぶりに空を見上げたら、雲の切れ間から夕日が差し込んでいて、綺麗だった。オフィスの窓から見える景色は、いつもは特に気にしないけど、たまにこういう瞬間に出会うと、少し得した気分になる。写真を撮ろうかと思ったけど、結局撮らなかった。記憶にだけ残しておくことにした。
夜、家に帰る途中、商店街のパン屋さんでいい匂いがしたので、つい引き寄せられて入ってしまった。焼きたてのメロンパンを買った。家に帰って、まだ温かいメロンパンを食べたら、外はカリッと、中はふわふわで、とても美味しかった。こういう、予定していなかった小さな幸せが、意外と1日の満足度を大きく左右するんだと思う。
7月16日(木)晴れ
久しぶりの快晴だった。梅雨明けが近いことを実感する空模様。朝から気温が高くて、家を出た瞬間に「あ、今日は暑い日だ」と分かった。半袖のシャツにして正解だった。
会社への道すがら、セミの鳴き声を今年初めて聞いた気がする。夏の始まりを告げる音として、セミの声というのは象徴的だと思う。子供の頃は、セミを捕まえるのに夢中だったけど、大人になった今は、ただその声を聞くだけになった。捕まえようとは、もう思わない。
会社では、暑さのせいか、みんなどこか気だるそうだった。冷房の効きが悪いフロアで働いている同僚が「今日は特に暑い」とぼやいていた。冷房の効き具合というのは、オフィスによって本当にまちまちだと思う。効きすぎて寒いフロアもあれば、全然効いていないフロアもある。ちょうどいい温度のオフィスというのは、意外と貴重なんじゃないかと思う。
昼休み、暑さに負けて、冷たい蕎麦を食べに行った。ざる蕎麦とかき揚げのセット。冷たい蕎麦をすする瞬間、暑い日にしか味わえない美味しさがあると思う。同じ蕎麦でも、冬に食べる温かい蕎麦とは、また違う魅力がある。
夕方、退勤後、暑さで少しばてていたので、まっすぐ家に帰らず、コンビニでアイスコーヒーを買って、公園のベンチで一休みした。木陰に座って、アイスコーヒーを飲みながら、行き交う人を眺めていた。特に何をするでもない時間だったけど、こういう時間があるからこそ、また明日も頑張れる気がする。
夜、暑さでシャワーを2回浴びた。1回目は帰宅してすぐ、2回目は寝る前。夏はシャワーの回数が増えるけど、それも夏らしい過ごし方の一つだと思う。扇風機をつけながら、なかなか寝付けない夜を過ごした。
7月17日(金)晴れ
今週も金曜日を迎えた。梅雨が明けたようで、朝から強い日差しが照りつけていた。夏本番という感じがする。
朝、天気予報で「梅雨明けが発表されました」というニュースを見た。毎年、このニュースを聞くと、なんとなく気持ちが切り替わる。じめじめした季節が終わって、いよいよ夏本番。暑いのは苦手だけど、夏という季節そのものは、なんだかんだ好きだ。花火大会とか、かき氷とか、夏にしかない楽しみがたくさんある。
会社では、金曜日特有の解放感が朝から漂っていた。みんなどこか少し浮足立っている気がする。仕事自体は普段通りだったけど、心なしか作業のペースが速かった気がする。早く終わらせて、早く週末を迎えたいという気持ちが、みんなの中にあったんだと思う。
昼休み、同僚と「梅雨明けたね」という話をした。これもまた、季節の変わり目に必ず交わされる、テンプレートのような会話だ。でも、こういう会話があるからこそ、季節の移り変わりを実感できるのかもしれない。1人で黙々と過ごしていたら、案外季節の変化に気づかないまま過ぎてしまうこともある気がする。
夕方、退勤後、久しぶりに夕焼けが綺麗だった。オレンジ色の空を見ながら、駅まで歩いた。夏の夕焼けは、なんだか特別に感じる。空気が澄んでいるからなのか、日が長いからなのか、理由は分からないけど、夏の夕方の空は、他の季節とは違う美しさがある気がする。
夜、家に帰ってから、ビールを飲みながら、この1週間を振り返ってみた。特に大きな出来事はなかったけど、細かい小さなことがたくさんあった週だった気がする。歯医者に行ったり、部屋を模様替えしたり、映画を見たり、メロンパンを買ったり。1つ1つは些細なことだけど、こういう些細なことの積み重ねが、結局のところ生活そのものなんだと思う。特に何もない日々を、これからも積み重ねていきたいと思いながら、この日記を締めくくることにする。
7月18日(土)晴れ
土曜日。梅雨明け後、初めての休日だった。朝から日差しが強くて、カーテンの隙間から入る光だけで、目が覚めてしまった。せっかくの休日なのに、こんなに早く起きてしまうのはもったいない気もしたけど、二度寝する気にもなれず、そのまま起き上がった。
朝ご飯を食べながら、今日は何をしようか考えた。特に予定はなかったので、久しぶりにシーツと枕カバーを洗濯することにした。夏場は寝汗をかきやすいので、こまめに洗った方がいいと分かってはいるんだけど、ついつい後回しにしてしまう。今日は天気もいいし、いいタイミングだと思って、洗濯機を回した。
洗濯物を干している間、ベランダから外を見たら、隣のマンションの人がプランターで朝顔を育てているのが見えた。青い花がいくつか咲いていて、涼しげな印象だった。自分も何か育ててみようかなと、ふと思ったけど、植物を枯らしてしまいがちな性格なので、多分やめておいた方がいいと思う。過去に何度か観葉植物を枯らしている実績がある。
昼過ぎ、シーツを洗ってすっきりしたベッドで、少し昼寝をした。夏の昼寝は、扇風機の風にあたりながらするのが気持ちいい。30分くらいのつもりが、気づいたら1時間半くらい寝てしまっていた。休日の昼寝は、時間の感覚がおかしくなる。
夕方、近所のスーパーに買い物に行った。夏野菜のコーナーが充実していて、トマト、きゅうり、なす、ピーマンなどが安く売られていた。夏野菜のカレーを作ろうと思って、一通り買い揃えた。レジに並んでいるとき、前の人がすごい量の氷を買っていて、今日の暑さを物語っているなと思った。
夜、買ってきた野菜で、夏野菜カレーを作った。なす、ズッキーニ、パプリカを炒めて、いつものカレーに混ぜ込んだ。夏野菜のカレーは、彩りも良くて、なんとなく食欲をそそる。作りながら、来週も夏らしい料理を色々作ってみようと思った。
7月19日(日)晴れ
日曜日。今日も朝から暑かった。セミの鳴き声が、昨日よりもさらに元気になっている気がする。夏の日曜日というのは、なんだか特有の解放感がある。学生時代の夏休みの記憶と重なるのかもしれない。
午前中、久しぶりにプールにでも行こうかと思ったけど、準備が面倒になって、結局行かなかった。水着とかタオルとか、色々準備しないといけないのを考えると、腰が重くなる。「行こうかな」と思う気持ちと、「準備が面倒」という気持ちの綱引きに、いつも後者が勝ってしまう。来年こそは行こうと思う。多分来年も同じことを言っている気がする。
代わりに、家で麦茶を大量に作った。やかんで沸かして、麦茶パックを入れて、冷蔵庫で冷やす。夏の間、麦茶を切らさないようにするのは、地味に大事な家事の一つだと思う。冷えた麦茶をコップに注いで飲む瞬間の満足感は、夏ならではのものだ。
午後、実家からミニトマトが送られてきた。先週電話で話した、母が育てているミニトマトだった。段ボール箱いっぱいのミニトマトを見て、思わず笑ってしまった。こんなに食べきれるかなと思ったけど、洗って冷やして、そのままおやつ代わりに食べたら、意外とどんどんなくなっていった。庭で採れた野菜というのは、スーパーで買うものとは、なんとなく味が違う気がする。実際に味が違うのか、気持ちの問題なのかは分からないけど。
夕方、ミニトマトのお礼に、母に電話をかけた。「美味しかったよ、ありがとう」と伝えたら、母は嬉しそうにしていた。今年は水やりを頑張ったから、豊作なのだと言っていた。実家の庭の話を聞きながら、久しぶりに実家に帰りたいなという気持ちになった。次の休みにでも、帰省しようかと考え始めた。
夜、日曜日の憂鬱がまたやってきたけど、ミニトマトのおかげで、いつもより少し気分が良かった。小さな出来事一つで、気分というのは意外と左右されるものだと思う。
7月20日(月)晴れ
月曜日。夏本番の暑さの中での出勤は、なかなか体力を使う。駅まで歩くだけで、シャツがうっすら汗ばんでしまう。会社に着く頃には、涼しい格好で来たはずなのに、なんとなくくたびれた気分になっている。
会社の冷房は、今日はちょうどいい温度だった。先週、暑いとぼやいていた同僚も、今日は「今日はいい感じだね」と言っていた。冷房の設定温度というのは、本当にその日その日で違う気がする。同じ設定にしているはずなのに、なぜか体感が違う。多分、外気温との差が体感に影響しているんだと思う。
仕事は、月初めの締め作業が重なって、少し忙しかった。普段よりも集中して作業をこなした。忙しい日は、逆に時間が早く過ぎる気がする。暇な日はダラダラと長く感じるのに、忙しい日はあっという間に夕方になっている。時間の感じ方というのは、本当に不思議なものだと思う。
昼休み、忙しさのせいで外に出る時間がなく、デスクでコンビニのサンドイッチを食べた。作業をしながら食べるお昼ご飯は、あまり味わえていない気がするけど、忙しいときは仕方ない。
夕方、なんとか締め作業を終わらせて、いつもより少し遅い時間に退勤した。駅までの道、夕方でもまだ蒸し暑かった。電車に乗ったら、冷房が効いていて、生き返る心地がした。夏の電車の冷房ほど、ありがたいものはないと思う。
夜、疲れていたので、簡単にそうめんを作った。実家からもらったミニトマトを添えて、彩りよく仕上げた。忙しい日でも、こういう簡単な料理でさっと済ませられるのは、一人暮らしで身についたスキルの一つだと思う。食べ終わってすぐにお風呂に入って、いつもより早めに布団に入った。
びてから、アイスを食べながらだらだらとテレビを見て、気づいたら日付が変わっていた。
7月11日(土)晴れ
休日。特に予定がなかったので、朝からゆっくり過ごした。目が覚めても、しばらく布団の中でスマホを見て、それから起き上がるまでに30分くらいかかった。この「起きているのに布団から出ない時間」というのは、人生の中でかなりの割合を占めている気がする。仮に1日30分だとしても、1年で180時間くらいになる。計算してみると、なんだか勿体ない気もするけど、この時間が意外と幸福度に貢献している気もする。
昼過ぎに、思い立って部屋の模様替えをすることにした。大掛かりなものではなく、机の位置を少し変えて、本棚の配置を変えただけだけど、それだけでも部屋の雰囲気がずいぶん変わった気がする。人間は変化を求める生き物なんだなと、模様替えをするたびに思う。特に不満があったわけではないのに、なんとなく変えたくなる。
模様替えの途中で、昔の写真が入った箱を見つけた。学生時代の写真や、旅行に行ったときの写真。しばらく手を止めて、写真を見返してしまった。今より若い自分の顔を見ると、なんとも言えない気持ちになる。懐かしいような、恥ずかしいような。友人たちとの旅行写真を見ながら、今どうしているんだろうと考えた。連絡を取っていない友人もいるけど、こういう写真を見ると、ふと連絡してみようかなという気持ちになる。実際に連絡するかは分からないけど。
夕方、模様替えが一段落したところで、少し疲れたので、コーヒーを淹れて休憩した。部屋の新しい配置を眺めながら、コーヒーを飲む時間は、なかなか良かった。特に生産的なことをしたわけではないけど、部屋がちょっと変わったというだけで、なんとなく達成感がある。
夜、夕飯にカレーを作った。多めに作って、明日以降も食べられるようにした。カレーは作った翌日の方が美味しいというのは、多くの人が言うことだけど、本当にその通りだと思う。今日はまだ作りたてなので、明日の熟成されたカレーを楽しみにしながら、まずは今日の分を食べた。
7月12日(日)晴れ
昨日作ったカレーの2日目を、朝ご飯として食べた。噂通り、味が染みて美味しくなっていた。朝からカレーというのは、少し重い気もするけど、休日だからいいかという気持ちで食べた。
午前中、特にすることがなかったので、久しぶりに映画を1本見た。配信サービスで前から気になっていた作品。内容の詳細はここには書かないけど、思っていたよりも良い映画だった。映画を見終わった後の、あの余韻に浸る時間が好きだ。すぐに次の行動に移らず、しばらくソファに座ったまま、見終わった映画の内容を反芻する。この時間があるかないかで、映画体験の満足度がだいぶ変わる気がする。
午後、久しぶりに実家に電話した。母が出て、近況をあれこれ話した。特に大きなニュースがあるわけではなかったけど、近所の話や、親戚の話、あと庭に植えている野菜の話などをした。母はミニトマトを育てているらしく、今年はよく実がなっているとのことだった。今度実家に帰ったら、そのミニトマトを食べさせてもらおうと思う。
夕方、また公園まで散歩に行った。先週も同じ公園に行ったけど、今週はまた少し違う光景があった。子供たちがシャボン玉で遊んでいて、それを見ている親御さんたちがいた。シャボン玉が夕日に照らされて、キラキラと光っていたのが綺麗だった。特に意味のある光景ではないけど、なんとなく心に残る瞬間だった。
夜、日曜日特有の憂鬱がまたやってきたけど、先週よりは少し軽い気がした。多分、模様替えをしたり映画を見たりして、それなりに充実した週末を過ごせたからだと思う。明日からまた1週間が始まるけど、まあなんとかなるだろうと思いながら、早めに布団に入った。
7月13日(月)曇り
月曜日。今週も始まった。朝、いつも通りの時間に起きて、いつも通りの準備をして、いつも通り家を出た。この「いつも通り」というのが、実は結構すごいことなんじゃないかと最近思う。毎日同じことを繰り返せるというのは、体調も気分もそれなりに安定しているということだから。
会社では、先週から持ち越しになっていたタスクを片付けた。特に問題なく進んだけど、途中で資料の数字が1箇所間違っていることに気づいて、修正するのに少し時間がかかった。小さなミスを見つけたときの、あの「あ、やってしまった」という気持ちと、それを直せたときの安堵感。仕事というのは、こういう小さな山と谷の繰り返しなんだと思う。
昼休み、久しぶりに外に出て、少し遠くの定食屋まで歩いて行った。いつもと違うお店に行くと、それだけで気分転換になる。生姜焼き定食を頼んだけど、思ったより量が多くて、お腹いっぱいになった。午後の仕事は、満腹感のせいで少し眠気との戦いになった。
夕方、退勤前に、上司から急な依頼が入った。明日までに簡単な資料を作ってほしいという内容だった。急な依頼というのは、いつも心臓に悪い。でも、内容自体はそこまで難しくなかったので、1時間くらいで片付けて、それから帰った。急な依頼をパッと片付けられたときは、ちょっとした自信につながる。
夜、家に帰って、テレビをつけながら夕飯を食べた。特に見たい番組があったわけではなく、なんとなくつけていただけだったけど、ニュース番組でやっていた特集が意外と面白くて、最後まで見てしまった。内容は忘れてしまったけど、見ているときは「へえ」と思っていた気がする。
7月14日(火)雨
朝から雨だった。傘を差して駅まで歩く間、靴が濡れないように気をつけて歩いた。水たまりを避けながら歩くという、地味に神経を使う作業。子供の頃は、逆に水たまりを踏むのが好きだったのに、大人になると避けるようになる。この変化はいつ起きたんだろうと、傘を差しながらぼんやり考えた。
会社では、昨日の急な依頼で作った資料を上司に提出した。特に大きな修正もなく、「ありがとう、助かった」と言ってもらえた。この一言だけで、なんとなく1日頑張れる気がする。人間、感謝の言葉に弱い生き物だと思う。
昼休み、雨だったので外には出ず、社内の休憩スペースでお弁当を食べた。今日は珍しく自炊した弁当だった。前日の夜に多めに作った野菜炒めを詰めただけの簡単なものだったけど、自分で作ったものを食べるというのは、なんとなく満足感がある。コンビニのお弁当も美味しいけど、自炊した弁当には、また違う種類の美味しさがある気がする。
午後、雨の音を聞きながら仕事をしていたら、なんとなく眠くなってきた。雨の日は集中力が落ちるというのは、月曜日にも書いた気がするけど、本当にその通りだと思う。気圧のせいなのか、湿度のせいなのか。コーヒーを2杯飲んで、なんとか乗り切った。
夜、雨が降り続いていたので、家でゆっくり過ごすことにした。お風呂にゆっくり浸かって、その後、久しぶりに読書をした。本棚の奥から出てきた、前に読みかけだった小説の続きを読んだ。雨の音をBGMに本を読む時間は、なかなか贅沢な感じがした。結局、眠くなるまで読んで、途中で寝落ちしてしまった。
今日から7月。特に何も変わらないんだけど、カレンダーが1枚めくれるだけでちょっと気持ちが変わるのは不思議だ。朝起きたら6時58分だった。7時に起きようと思っていたので、2分早く起きられたことに謎の満足感を覚える。別に2分早く起きたところで何がどうなるわけでもないのに。
コンビニでいつものように鮭おにぎりを買おうとしたら、鮭が売り切れていて、仕方なく昆布にした。昆布のおにぎりって、子供の頃は苦手だったのに、大人になってから急に美味しく感じるようになった。舌が変わったのか、それとも塩気の感じ方が変わったのか。多分どっちもだと思う。レジのお姉さんが「温めますか」と聞いてきたけど、おにぎりは温めないので「大丈夫です」と答えたら、なぜか少し気まずい空気になった。おにぎりを温める人もいるのかもしれない。今度試してみようかな。いや、多分試さない。
会社に着いたらパソコンの起動が異常に遅かった。Windows Updateが走っていたらしい。5分くらいぼーっと画面を眺めながら、こういう時間って人生でどれくらい積み重なっているんだろうと考えた。多分合計したら何日分にもなる。何日分もの人生を「読み込み中」の画面に捧げているのかと思うと、少し虚しくなったけど、別にどうしようもないのでコーヒーを淹れに行った。
お昼は同僚と近くの定食屋に行った。日替わり定食が鯖の味噌煮だった。鯖の味噌煮は好きなんだけど、骨が多いイメージがあって身構えてしまう。今日は割と骨が少なくて、安心して食べられた。同僚が「最近暑くなってきたね」と言うので「そうですね」と返した。この会話、多分1年に50回くらいしている気がする。季節の変わり目には必ず誰かが「暑くなってきた」「寒くなってきた」と言い、それに対して「そうですね」と返す。この儀式のようなやりとりに、何か意味があるんだろうか。多分ないけど、ないなりに大事な気もする。
夕方、雨がぱらついてきたので傘を差した。折りたたみ傘を持っていたのは我ながら偉かった。天気予報をちゃんと見ていたからだ。天気予報を見て傘を用意できた日は、なんとなく1日の勝率が上がる気がする。逆に傘を忘れて雨に降られた日は、その後もなんとなく調子が悪い。因果関係はないと思うけど、そういう気がしてしまうのは仕方ない。
夜、お風呂に入りながら、今日1日で自分が何を成し遂げたかを考えてみたけど、特に何も思いつかなかった。メールを何通か返信して、会議に1つ出て、資料を少し直した。それだけと言えばそれだけなんだけど、多分こういう「特に何もない日」の積み重ねが生活というものなんだろうなと思う。湯船に浸かりながらそんなことを考えていたら、のぼせてきたので出た。
7月2日(木)晴れ
昨日ののぼせのせいか、朝からちょっとだるかった。それでも起きて、いつも通り顔を洗って、歯を磨いた。歯磨き粉のチューブがそろそろ終わりそうで、最後の方は絞り出すのに苦労する。あの「もう終わりかけの歯磨き粉を絞る作業」って、地味にストレスが溜まる。新しいチューブに変えたときの、あの気持ちよさといったらない。ニュルッと簡単に出てくる感じ。人生の小さな喜びの一つだと思う。
今日は洗濯物がよく乾く天気だった。ベランダに干した洗濯物が風にはためいているのを見ると、なんとなく気分が良くなる。特に理由はないんだけど、白いシャツが風になびいているのを見ると「いい1日になりそうだ」という謎の予感がする。実際にいい1日になるかどうかは別として。
電車の中で、前に座っていたおじさんがずっとスマホでパズルゲームをしていた。カラフルなブロックを消すやつ。おじさんの指の動きがすごく速くて、なんだかプロフェッショナルな雰囲気があった。世の中には色んな「極める」がある。パズルゲームを極めるおじさんもいれば、将棋を極める人もいるし、たこ焼きの焼き加減を極める人もいる。それぞれの人がそれぞれの世界でそれぞれの熟練度を持っているというのは、考えてみると面白い。
会社では、給湯室でお茶を入れているときに、隣の部署の人と少し話した。「最近、暑いですよね」から始まり、「そうですね、まだ7月なのに」という展開になり、「これから8月とか、どうなっちゃうんでしょうね」で締めくくられた。この会話のテンプレート、本当によくできていると思う。誰でも参加できて、誰も傷つかず、特に何の情報も生まれない。ある意味、完璧なコミュニケーションだ。
昼休みに、スマホで特に見る予定もなかったニュースサイトをだらだら見ていたら、30分くらい経っていた。何を読んだか、あまり覚えていない。多分どうでもいい記事ばかりだったんだと思う。でも、こういう「何も生み出さない30分」も、休憩としては必要なんだと自分に言い聞かせている。
夜ご飯は、冷蔵庫にあるものだけで何とかしようと思って、野菜炒めを作った。もやし、キャベツ、にんじん、あと少しだけ残っていた豚肉。特に美味しくもまずくもない、普通の野菜炒めができた。こういう「普通」の料理ができるようになったのは、一人暮らしを始めてからの成長かもしれない。最初の頃は、何を作っても謎に味が濃かったり薄かったりしたから。
7月3日(金)晴れのち曇り
金曜日は、朝から少しだけテンションが上がる。理由は単純で、明日から休みだからだ。この「金曜日効果」は、社会人になってから何年経っても薄れない。むしろ年々強くなっている気さえする。
朝の電車で、席が1つだけ空いていたので座った。座れるとやっぱり嬉しい。座れた日は、なんとなくその日1日がいい日になる気がする。これも昨日書いた「傘の勝率」と同じ現象かもしれない。人間は、朝のちょっとした運不運に、その日全体の気分を左右されがちなんだと思う。
会社では、午後にどうでもいい会議があった。議題は「来月の飲み会の日程調整」。これのために30分の会議を設定するのは、ちょっとやりすぎな気もするけど、誰も文句を言わないので、そのまま進んだ。結局、候補日を3つ出して、後日アンケートを取ることになった。会議で決めたことは「後で決める」ということだけだった。こういう会議、実は世の中に結構多いんじゃないかと思う。
夕方、退勤時に、エレベーターで一緒になった知らない人と、なんとなく気まずい沈黙を共有した。1階から10階分くらい、無言でエレベーターに乗るのって、地味に緊張する時間だと思う。スマホを見るふりをしながら、階数表示を横目でチラチラ確認する。あの時間だけ特別に時間の流れが遅く感じる。
夜は、久しぶりに友達と電話した。特に用事があったわけじゃなくて、「最近どう?」から始まる、内容のない長電話。1時間くらい話したけど、話した内容を思い出そうとしても、断片的にしか覚えていない。友達の会社の上司が変な人だという話、最近見た映画の話、あと猫の話。それくらいしか覚えていないけど、多分こういう「内容を覚えていない長電話」こそが、いい友達関係の証なんじゃないかと思う。用事がなくても話せる関係というのは、実はそんなに多くない。
7月4日(土)晴れ
休日の朝は、目覚まし時計をかけていないのに、なぜか平日とほぼ同じ時間に目が覚める。体内時計というのは律儀なものだと思う。もっと寝ていたいのに、目が覚めてしまう。二度寝しようとしたけど、結局スマホを見てしまい、そのまま起きることになった。
今日は特に予定がなかったので、部屋の掃除をすることにした。掃除機をかけて、床を拭いて、あと本棚を整理した。本棚の奥から、もう何年も読んでいない本が何冊か出てきた。学生の頃に買った参考書とか、一度読んで満足した小説とか。捨てるかどうか迷ったけど、結局「いつか読むかもしれない」という気持ちに負けて、そのまま棚に戻した。多分このまま一生読まないんだろうけど、捨てる決断をするのも、それはそれでエネルギーがいる。
昼過ぎに、久しぶりに近所の商店街を歩いた。八百屋のおじさんが「今日はきゅうりが安いよ」と声をかけてきたので、特にきゅうりを買う予定はなかったけど、なんとなく買ってしまった。5本で150円だった。安い。家に帰ってから、5本のきゅうりをどう消費するか考えることになったけど、それはそれで悪くない悩みだと思う。
午後は、テレビをつけっぱなしにして、特に集中して見るわけでもなく、なんとなく画面を眺めながらだらだら過ごした。バラエティ番組で、芸能人が知らない街を歩いて美味しいものを探すという企画をやっていた。こういう番組、内容はほぼ毎回同じなのに、なぜか見てしまう。多分、他人が知らない街を歩いているのを見るのが、単純に楽しいんだと思う。自分は歩かなくていいという安心感もある。
夕方、買ってきたきゅうりを浅漬けにした。塩もみして、しばらく置くだけの簡単なやつ。冷蔵庫で冷やして、夜ご飯のときに食べたら、思ったより美味しくできていて、ちょっと得意な気持ちになった。人間、こういう小さな成功体験の積み重ねで、意外と機嫌よく生きていけるものだと思う。
7月5日(日)曇り
日曜日は、なんとなく1週間の中で一番時間の流れが遅い気がする。朝起きて、特に何もしなくていいという状態が、逆に何をしていいか分からなくさせる。結局、布団の中でスマホを見ながら1時間くらい過ごしてしまった。
昼前に、思い立って近くの公園まで散歩に行った。公園には、子供たちが遊具で遊んでいて、お母さんたちがベンチで話をしていた。犬を連れて散歩している人も何人かいた。柴犬、トイプードル、あと名前が分からない小型犬。犬というのは、種類が違っても、みんな同じくらい楽しそうに歩いているように見える。それがちょっと羨ましい。
公園のベンチに座って、しばらくぼーっとしていた。特に何も考えていなかったと思う。強いて言えば、木の葉っぱが風で揺れる音を聞いていた。ああいう「何も考えない時間」というのは、意外と貴重なんじゃないかと思う。普段は常に何かを考えているから、頭が休まる時間がなかなかない。
夕方、日曜日特有の憂鬱がじわじわとやってきた。いわゆる「サザエさん症候群」というやつだ。特に明日の仕事に大きな問題があるわけではないのに、なんとなく気分が沈む。この現象、多分ほとんどの社会人が経験しているんじゃないかと思う。日曜日の夕方6時くらいから、テレビから国民的アニメの主題歌が流れてくると、条件反射的に憂鬱になる。パブロフの犬みたいなものだ。
夜、明日の準備として、シャツにアイロンをかけた。アイロンをかける作業は、地味だけど、なんとなく心が落ち着く。シワが伸びていく様子を見ているのが、単純に気持ちいい。無心になれる作業の一つだと思う。アイロンをかけながら、来週のことをぼんやり考えた。特に大きな予定はないけど、水曜日に歯医者の予約が入っていることを思い出して、少し憂鬱になった。
7月6日(月)雨
朝から本降りの雨だった。月曜日に雨が降ると、なんとなく1週間の始まりとしてはハードモードだと感じる。傘を差して、濡れた靴下のまま会社に行くのは、地味に不快だ。靴の中に水が入ってくる、あの感覚。防水の靴を買おうかと何年も思っているけど、結局買わないまま今年も梅雨を迎えている。
電車が少し遅延していた。雨の日はいつも電車が遅れる。「弱冠の遅れ」というアナウンスをよく聞くけど、「弱冠」という言葉の使い方として合っているのか、前から気になっている。多分、正確には違う言葉なんだろうけど、鉄道業界の中でそういう言い回しが定着しているんだと思う。今度調べてみようと思いつつ、多分調べない。
会社に着いたら、傘立てがいっぱいで、自分の傘を置く場所に少し困った。こういう「傘の置き場所問題」は、雨の日の地味なストレスの一つだと思う。あと、他人の傘と自分の傘を間違えないか、いつも少し心配になる。同じような黒い折りたたみ傘を持っている人が多いから。
仕事は、特に大きな出来事もなく、淡々と進んだ。資料を作って、メールを返信して、会議に1つ出た。雨の日は、なんとなく仕事の効率が落ちる気がする。気圧のせいなのか、気分のせいなのか分からないけど、集中力が続きにくい。窓の外の雨音を聞きながら、ぼーっとする時間が普段より多かった。
夜、家に帰ってから、濡れた傘を玄関で開いて乾かした。傘立てがないので、床にビニール袋を敷いて、その上に傘を置いている。この応急処置的な傘置き場を、そろそろちゃんとした傘立てに変えようと思いながら、もう2年くらい経っている。多分、この先も変えないまま何年か過ぎるんだろう。
7月7日(火)曇り時々晴れ
七夕だった。特に短冊に願い事を書くわけでもなく、笹を用意するわけでもなく、ただカレンダーを見て「あ、七夕か」と思っただけだった。子供の頃は幼稚園や小学校で短冊を書かされた記憶があるけど、大人になってから七夕を意識することは、ほとんどなくなった。
会社の給湯室に、誰かが折り紙で作った小さな笹の飾りが置いてあった。誰が作ったのか分からないけど、ちょっとした心遣いだなと思って、少し和んだ。短冊には「売上目標達成」と書かれていて、思わず笑ってしまった。会社らしい願い事だと思う。
昼休みに、七夕にちなんで素麺を食べようかと思ったけど、結局コンビニでいつものサンドイッチを買ってしまった。七夕に素麺を食べる風習があるらしいということを、テレビか何かで見た記憶があるけど、実際に実行したことは一度もない。今年も同じだった。
夕方、空を見上げたら、雲が多くて星は見えそうになかった。天の川がどうとか言われても、そもそも都会に住んでいると天の川自体、見たことがない。織姫と彦星が年に一度会えるという話は素敵だけど、天気に左右されるというのは、なんだかロマンチックさに欠ける気もする。晴れの年もあれば、雨の年もある。今年は多分会えていない。
夜、実家の母から「七夕だね」というだけのメッセージが届いた。特に返信を求めているわけでもなさそうだったけど、一応「そうだね、こっちは曇ってて星見えなさそう」と返信した。こういう、内容のない親からのメッセージというのは、なんだかんだ嬉しいものだと思う。用事がなくても連絡してくれるというのは、多分ありがたいことなんだろう。
7月8日(水)晴れ
朝から気持ちのいい晴天だった。梅雨の合間のこういう晴れの日は、なんだか得した気分になる。洗濯物を干して、いつもより少し早足で駅まで歩いた。
今日は歯医者の予約日だった。特に痛いところがあるわけではなく、定期検診だったけど、それでも歯医者に行くのは、なんとなく気が重い。あの独特の消毒液の匂いと、器具のキーンという音。子供の頃から変わらない苦手意識が、大人になった今でも残っている。結果は特に問題なく、「歯石が少し溜まっているので、取っておきましょう」と言われて、歯石取りをしてもらった。歯石を取ってもらった後の、歯がツルツルになる感覚は、地味に気持ちがいい。
会社では、新しいプロジェクトの説明会があった。詳しい内容はここには書かないけど、要するに新しいシステムを導入するという話だった。こういう説明会は、いつも「これで業務が効率化されます」という話で終わるけど、実際に効率化された試しがあまりない気がする。新しいシステムに慣れるまでの間、むしろ一時的に非効率になることの方が多い。それでも、みんな真面目にメモを取っていた。
夜、歯医者帰りで少し口の中に違和感が残っていたので、柔らかいものを食べようと思って、お粥を作った。卵を落として、梅干しを添えた、シンプルなお粥。体調が悪いわけでもないのに、お粥を食べるという行為自体が、なんとなく「今日はゆっくり過ごそう」というメッセージを自分に送っているような気がして、悪くなかった。
夜遅く、ベランダに出て夜風にあたった。梅雨の晴れ間の夜は、湿度が高くて、少し蒸し暑い。でも、星がいくつか見えて、七夕の日には見えなかった星が、1日遅れで見えたことに、少し面白さを感じた。織姫と彦星も、1日遅れで会えたのかもしれない。そんなことを考えながら、部屋に戻った。
7月9日(木)晴れ
朝、久しぶりに早起きできたので、朝ご飯をちゃんと作った。トーストと目玉焼きと、コーヒー。目玉焼きの黄身を、いつも半熟にしようとして、気づいたら固焼きになっていることが多いんだけど、今日は珍しく理想的な半熟にできた。黄身にトーストをつけて食べる瞬間は、朝の小さなご褒美だと思う。
通勤中、電車の中で、隣に座った人が大きなあくびをしていた。あくびというのは伝染すると聞くけど、実際に自分もつられてあくびをしてしまった。科学的にどういう仕組みなのか分からないけど、人間の共感能力みたいなものが関係しているらしい。今度調べてみようと思う。多分調べない。
会社では、久しぶりに取引先との打ち合わせがあった。オンラインではなく、実際に来社しての打ち合わせだった。画面越しではなく、実際に人と会って話すというのは、なんだかんだやっぱり情報量が違うなと感じた。相手の些細な表情の変化とか、話すときの間の取り方とか、そういう細かいニュアンスが、画面越しだとどうしても伝わりにくい。
打ち合わせの後、取引先の人と少し雑談した。趣味の話になって、その人が最近キャンプにはまっているという話をしてくれた。キャンプ、興味はあるけど、道具を揃えるのが大変そうで、なかなか手を出せずにいる。でも、話を聞いていたら少し憧れてしまった。焚き火を眺めながらお酒を飲む時間、想像するだけで良さそうだ。今度、道具をレンタルできるキャンプ場を調べてみようと思った。これも多分すぐには行動に移さないと思うけど。
夜、キャンプの話に触発されて、ベランダで小さなろうそくに火をつけて、それを眺めながらビールを飲んでみた。焚き火とは程遠い、ささやかすぎる代替行為だけど、それでも炎を眺めるという行為自体には、なんとなく心を落ち着ける効果があるように感じた。人類は火を発見してから、ずっとこうやって炎を眺めてきたのかもしれない。そんな大げさなことを考えながら、ビールを飲み終えた。
金曜日。今週も無事に終わりそうだ。朝から、なんとなく体が軽い気がする。1週間頑張った後の金曜日特有の解放感が、朝から漂っている。
会社では、午前中に細かいタスクをいくつも片付けた。メールの返信、資料の修正、経費精算。どれも大きな仕事ではないけど、こういう細々としたタスクが溜まると、地味にストレスになる。全部片付けた後の、受信箱が空になった瞬間の爽快感は、なかなかのものだと思う。ただ、この爽快感は長くは続かない。だいたい30分後には新しいメールが届いて、また受信箱が埋まっていく。賽の河原の石積みみたいなものだ。
昼休みに、同僚と「今年の夏、どこか行く?」という話になった。特に旅行の計画があるわけではなかったけど、話しているうちになんとなく気分が盛り上がった。海がいいか、山がいいか、それとも近場の温泉でのんびりするのがいいか。結局、結論は出ないまま昼休みが終わった。でも、こういう「実現するかどうか分からない旅行の話」をするだけでも、なんだか楽しい気分になれる。
夕方、退勤後に、久しぶりに1人で居酒屋に寄った。カウンター席に座って、生ビールと、焼き鳥の盛り合わせを頼んだ。1人で飲む酒というのは、誰かと飲むのとはまた違った良さがある。誰にも気を使わず、自分のペースで飲める。隣に座っていた知らないおじさんが、店員さんと常連らしい会話をしていて、その様子を眺めているのも、なんだか楽しかった。
家に帰る道すがら、コンビニに寄って、アイスを買った。金曜日の夜に食べるアイスは、なんだか特別に美味しく感じる。1週間頑張った自分への、ささやかなご褒美という感じがする。家に帰って、シャワーを浴
検索に失敗しているうちに、Claude自身から、もしかしたら検索できる状態になるまでに時間がかかる、
反映に時間がかかる可能性があるので、明日にまた試して、みたいに言われたのだけど、どうなんだろう…😟
結局、Claudeにこれまで書き溜めたメモをあまり見ないで、自分の記憶で書くことにしたら、
それなりに記憶でも書き進められてしまって、どうしよう、折角だからFableの機能を何か試さないと勿体ないのかな、と思ったり…😟
酒がまずい。
酒屋のせいじゃねえ。水が悪いわけでもねえ。俺の肝臓については、まあ、多少の責任はある。長年にわたり酷使してきたからな。だが今夜の酒がまずい最大の原因は、FD人だ。
あいつらだよ。外側世界に住んでやがる、四次元だか何次元だか知らねえ連中だ。
聞けばこの宇宙は、エターナルスフィアという名前のシミュレーターらしいじゃねえか。
俺たちが汗水垂らして働き、惚れた腫れたで揉め、借金に追われ、二日酔いで便所に這っていく、この壮大にして下品な宇宙が、FD人どもの娯楽用データだとよ。
ふざけるな。
こっちは毎朝、腰の痛みと相談しながら靴下を履いてるんだぞ。それが全部プログラムだと?だったら腰痛パラメータを設定した奴を出せ。俺が紋章術で肛門を裏返してやる。
宇宙を作った会社だか何だか知らねえが、随分と景気のいい商売じゃねえか。惑星を生成し、生命を配置し、文明が勝手に育つのを眺めて、利用者には「自由度の高い仮想世界です」とでも宣伝していたんだろう。
誰がそんな追加コンテンツを頼んだ。
しかも人類が紋章術を発達させ、ついに外側世界へ手を伸ばしたら、仕様外の異常データ扱いだ。
紋章術は俺たちが自分で積み上げた技術だぞ。身体に紋章を刻み、宇宙の法則を読み、力を引き出し、ついには次元の壁に穴を開けるところまで来た。
「削除しろ」だ。
会社経営者という人種は、世界が四次元になってもやることが変わらねえ。現場が予想外の成果を出すと、褒めるどころかリスク管理だの規約違反だの言い始める。
人類が自我を持った。人類が管理領域を越えようとした。だからエクスキューショナーを投入します。
馬鹿野郎。まず話し合え。
いきなり銀河へ巨大な破壊者を送り込む会社がどこにある。問い合わせに対して回答する代わりに、利用者の自宅を爆破する家電メーカーみたいなものだ。
しかもエクスキューショナーという名前が気に食わねえ。もう少し隠す努力をしろ。「エターナルスフィア品質管理支援員」とかあるだろう。
地球も艦隊も、あいつらの前じゃ紙くず同然だった。こっちが何世代もかけて開発した宇宙船を、エクスキューショナーは虫でも払うように消し飛ばす。
「最近、銀河系エリアが荒れてるね」「運営がイベントやってるらしいよ」「ログインして見に行こうか」
てめえらのイベントで人が死んでんだよ。
酒を飲め、FD人。飲める身体があるなら飲んでみろ。自分の住んでいる世界が娯楽用ソフトで、明日の朝には社長の気分ひとつで消去されると知らされたあとで、いつもの酒が同じ味に感じるか試してみろ。
自分が設計した世界が勝手に進化し、プログラムの中の住人が外へ出てきた。管理者として恐怖を感じた。事故が起きる前に止めなければならない。責任者として当然の判断だった。
知るか。
生き物を作っておいて、生き始めたら怖くなったというのは、親としても神としても社長としても最低だ。
あの野郎にとって俺たちはデータだった。星も、海も、家族も、歴史も、全部データ。ファイルを選択して、削除ボタンを押せば終わるものだった。
だがな、データだろうが何だろうが、痛いものは痛い。死にたくないものは死にたくない。
存在というのは、作った奴の許可を毎朝取りに行くものじゃねえんだ。誰かがプログラムしたから偽物だというなら、FD人だって誰かに作られた世界の住人かもしれねえ。
そのさらに外側に、五次元人がいるかもしれない。五次元人の会社員が、スフィア社ごと動いているサーバーを管理していて、金曜の夜に酔っぱらって電源コードにつまずくかもしれない。
そう考えると少し気分がいい。
ルシファー社長も結局、宇宙の頂点じゃねえ。ただ権限を多めに渡されて、偉くなったと勘違いした管理者だ。root権限を持っただけでネ申になったつもりの馬鹿だ。
いるんだよ、どこの世界にも。権限と能力の区別がつかねえ奴が。
会議も稟議も株主総会も飛び越えて、開発企業の本社へ乗り込み、最高責任者に直接バグ報告だ。
「俺たちは生きている」
報告内容はそれだけだ。
社長は認めなかった。最後までデータはデータだと言い張り、エターナルスフィアそのものを消そうとした。
ああいう奴はいる。議論に負けたら資料を捨て、選挙に負けたら国民が間違っていると言い、世界に拒絶されたら世界のほうを削除しようとする。
酒癖の悪い親父より始末が悪い。俺は酔っても宇宙を消したことはない。
まだな。
誰かがバックアップを取っていたからでも、スフィア社のサーバーが頑丈だったからでもねえ。そこに住む人間が、自分たちは存在すると信じたからだ。
理屈として納得できるかと言われれば、酔っている俺にも少々怪しい。
俺は考えている。俺は痛がっている。俺は酒を飲んでいる。ゆえに俺はいる。
明日、FD人が空から降りてきて、「あなたはエターナルスフィア内のNPCです」と告げても、知ったことか。
NPCならNPCで結構だ。酒代を払ってくれるNPCがどこにいる。
働いて税金を取られ、年を取り、くだらねえことに腹を立てながら、それでも夜になれば一杯やる。そこまで自律しているデータを、ただのプログラムと呼ぶほうが無理筋だ。
だから俺は飲む。
エクスキューショナーに消されるその瞬間まで、飲んでやる。
外側世界にまで、ルシファーみたいな無能社長がいると分かったせいだ。
今朝も目覚まし時計が鳴る18秒前に目が覚めた。これは体内時計が正確なのではない。隣室でルームメイトが寝返りを打つ時刻、冷蔵庫のコンプレッサーの周期、上階の住人がトイレを流す時間から、起床時刻をベイズ更新しているだけだ。
僕はベッドを北東方向へ17度傾けている。地磁気との関係はない。部屋の空調が作る対流の節に頭部を置くためである。
ルームメイトは「普通に寝ればいい」と言ったが、「普通」は統計分布の中心付近を指すだけで、望ましい状態を意味しない。平均的な人間の睡眠姿勢を模倣する理由など、病院の待合室で平均的な病気に感染しようとするくらい理解不能だ。
朝食は木曜日なので、直径12センチの皿に正六角形状に並べた全粒粉クラッカー6枚、プレーンヨーグルト120グラム、紅茶250ミリリットル。
隣人が砂糖入りのドーナツを持ってきたが断った。彼女は「一口くらいで宇宙は壊れない」と言った。
研究室では、昨日から非アルキメデス的世界面におけるローレンツ的励起スペクトルの構成を検討している。
通常のp進弦理論では、世界面を正則なBruhat–Tits木として扱うため、スペクトルが事実上タキオン一個に退化する。これは弦理論というより、弦を注文したのに不安定なスカラー粒子だけが配送された状態だ。
そこで僕は、p進円上のVladimirov型微分作用素と、周期的木に定義したNeumann-to-Dirichlet作用素の固有値を、非自明な時間方向を持つ半正則二部木へ移植している。狙いは、指数的に増加する固有エネルギーと指数的に増加する縮退度を釣り合わせ、Hardy–Ramanujan型の状態数漸近を対数周期振動つきで再現することだ。
さらに、非分岐二次拡大上のユニタリ群に対応する二正則Bruhat–Tits建物を背景にすると、バルク・境界伝播関数が頂点の次数に依存する。その結果、境界三点関数のOPE係数に局所ゼータ因子だけでなく、頂点の同質性次数を記憶するテンソル構造が現れる可能性がある。
そのうち2人は論文を書いた本人で、1人は査読者、残り2人は論文を書いた本人が別のメールアドレスで登録した査読者かもしれない。
昼食時、友人Aが「その研究は何の役に立つんだ」と聞いた。僕は、役に立つかどうかを発見前に判定できるなら、それは研究ではなく商品企画会議だと説明した。
友人Bはうなずいたが、口いっぱいにカレーを入れていたので、同意なのか窒息なのかは判別不能だった。
午後4時、隣人が僕の指定席に座っていた。
僕の指定席は、テレビとの視角が31度、暖房機からの輻射熱が左右対称、Wi-Fiルーターからの距離が最短ではないがマルチパス干渉の節を避けられる位置にある。
隣人は「椅子なんてどこでも同じ」と言った。椅子は同じでも、座標は同じではない。
夕食後は宇宙艦隊もののフィギュアを年代順に並べ直した。ルームメイトが敵艦を主人公側の巡洋艦の隣に置いていたため、展示棚で外交危機が発生していた。修正には7分を要した。文明の崩壊は、たいてい小さな分類ミスから始まる。
午後10時14分、明日の靴下を左、右の順に椅子へ置いた。ルームメイトは左右同じだと言うが、購入後の着用履歴が異なる以上、同一性はすでに失われている。