はてなキーワード: 感想とは
作品への不満は誰にとっても具体的な形で現れることが多く、これを列挙するだけでも、情報としての価値は発生する。
それに対して作品の「面白さ」は曖昧な感覚であることがほとんどで、これを形にするには一定の技術が必要となる。
だから褒める批評ができるプロは偉い、という話になりがちなのが普通だが、自分はむしろ、
と言いたい。
おもしろかった!よりは長文批判の方がよっぽど読む価値あるよ。
作者にとってどうなのかは知らないが。
北欧美術には北欧って感じの特徴でもある?ムーミンとリサランドールだけみての感想だが。マリメッコ柄は初見じゃ北欧だなってならんかったし。
dorawiiより
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連休なのでセルフフェラしてみたけど、そこまで気持ちよくはないな…
理由は、口で頑張って刺激を与えるのに必死で、気持ち良さまで気持ちが向かないからだ。
口で刺激を与えるのって割と大変だと分かった
味はまあ、無味ではないけど、気にはならないかな。
フィニッシュの時にどうするか迷ったけど、口に出す、顔に出すの2パターンやってみた
意外と温かい
ただ飲み込むのは嫌かな…
顔にかかったら、温かいってなる
拭くのは問題ないが、化粧してる人は嫌だと思う
【結論】
誰かにやってもらうのが吉。
インターネットに悪口を書いている人が意外と管理職の男性が多いという統計を見て
日本的な1つのところで上がっていくキャリア形成というのは人を腐らせるんだなっていう感想を持ってる。
現場感覚がないのにコメントするのが仕事みたいな人を一定数作ってるんだなと
もちろん、世の中の経営者や管理職全員がそうだとも思わないけど
ダメな管理職というのは因果関係が見えてないコメンテーターみたいなものになっちゃうんだなとネットや一部の偉い人を見ていると思っちゃうんだよね
悲しいかな。そういう中高年は結構いる。昔は年齢のせいだと思ってたけど
これまで複数の高校と大学でゲスト講師としてお話ししてきたけれど、生徒さんや学生さんから、一定の割合でよく出てくるのが以下のような感想です。
———
・生きづらさにいちいち声を上げていたら、理不尽な人生を生き抜けない、それくらい我慢できる強さを身につけるべき。
———
差別があからさまな悪意のある言動としか認識しておらず、構造的差別への視点を持っていない(知識がないから持てない)。そして、人権問題は限られたパイの取り合いと考えているため、マイノリティが適切な処遇をされると、自分たちのパイがマイノリティに奪われていると思い(=相対的剥奪感)マイノリティに対して敵意を持ってしまう。また、理不尽なことに声を上げてもいいと学んできていないから、声をあげる人たちを「わがまま」で「弱い人」とみなしてしまう。そしてかれらに共通しているのが大きな不安を抱えているということ。
不安を抱えたままでいるのがしんどいから、すぐに解消できる、分かりやすい答えに飛びつきたくなる。「必要な差別もある」「配慮はキリがない」「我慢する強さが必要」というのは、複雑でモヤモヤする状態を抱え続ける力、いわゆるネガティブ・ケイパビリティが育っていないから出てくる言葉なんだと思う。本当は、構造的な差別や人権の話は、すぐに白黒つかない、時間をかけて向き合わないといけない問題のはず。でも、不安に耐えられないから、「マイノリティが我慢すればいい」「配慮は制限だ」という、即効性のある(でも間違っている)答えに飛びついてしまう。
まさに今の社会の縮図だなと思う。
子どもの時から、人権について学ぶ機会を保障する必要性を強く感じる。高校、大学でいきなり教えても、すでにSNSで流布している言説に染まっているので、単発の授業で話してもなかなか伝わらない、そんな難しさを感じている。
人権の知識を子どもが持たないまま、民主主義教育や対話という理念先行で、ディスカッションさせると、教室内でファシズムとポピュリズムが横行することは容易に想像できる。その時に脅威にさらされるのは、マイノリティ性をもつ子どもたちだ。
対話や熟議というのは、教室の中で最低限守られるべき権利がまず共有されていて、はじめて機能するものだと思う。それが共有されないまま「話し合おう」を実践すると、結局その場の多数派の感覚が規範になり、少数派の子どもがそのつど自分の存在を弁明させられる場になってしまう。
さらに厄介なのは、多数派の共感を得やすい語り口で話せることが、「コミュニケーションスキル」や「対話力」そのものとして評価されてしまう危うさだ。実際には多数派の直感や規範に合わせて話しているから通りやすいだけなのに、それが個人の「能力」の高さとして誤解されてしまう。そしてこの状態で対話や熟議を経験してしまうと、その経験自体が「自分たちの直感は正しかった」という確信を強化してしまう。「ちゃんと話し合って、みんなが納得する結論に落ち着いた」という手続き的な正当性の感覚まで手に入れてしまうから、後から構造的な視点を入れようとしても、「もう十分議論した」という抵抗に遭いやすいなと思う。
「対話」を掲げる学校は多いけれど、それを本当にやるなら、ここまで書いたようなリスクと面倒くささを引き受けることになる。教室に最低限の権利が共有されていない対話は容易にファシズムやポピュリズムの温床になり、多数派の語りやすさが対話力と誤解され、経験そのものが誤った確信を育ててしまう。それを見越したうえで場を設計し、必要なときには介入する。それができるだけの覚悟と知識が、教員の側に求められているんだと思う。「対話しましょう」は、かけ声だけで機能するほど簡単なものではないなと。
人権教育は、民主主義教育や対話の土台であって、あとから足すもので済むものではないとあらためて思う。
そんな風に聞いてたし予想してたけどワイにはじゃりじゃりした土の味にしか思えんかった
ただ、土産なんで同じものを食べたほかの人間の中には特段不味くなかったという奴もいたから
当たりが悪かったのか、なんなのか…
わいも他にも感想きいてみたい
辛辣すぎる
誰と誰のエピソードだか忘れたけど、
とある新人ロックバンドのバカ売れしてる曲の感想を聞かれたとある音楽評論家が、
https://berbagi.link/dhamaal4mp4movies
https://fueler.io/dhamaal4mp4movies
https://berbagi.link/toxicmp4movies
https://fueler.io/toxicmp4movies
https://berbagi.link/deoolband2mp4movies
当たり前やん。なんでワイがお前の感想を述べるのか?
コロナのときに話題になってなるほどと思ったんだけど、予防接種って、「なにもおこらない」という結果が得られたら成功だから、上手くいけばいくほど、何も意味のないことをさせられた、という感想が集まっちゃうらしい。
ガンダムおじさんよりは若干マシ
ガンダムおじさんについては二次創作イラストを投稿した女にリプライで「その二人はカップルではありませんよ」という否定マジレスや
アムロ・レイなりきり口調かつアムロのスクショを添付した感想リプをつけていくプッシュ型の激ヤバおじさん(アイコンはガンプラかガンダムのキャラクター)が大勢いたから圧倒的に尖ってた
水星で暴れたのは外国の百合豚だったけどジークアクスで暴れたのは完全に国産のガノタおじさんだった
ネットだと肯定的というか、名作として扱われてるような意見をよく見てたんだけど、実際見てみると何かすごい虚しくなった。
とりあえず医療メーカーの営業が主人公の話までは見た。そのうえで感想を書く。
真鍋先生の技術によるところがあるんだろうけど、男女問わずすごい汚い。男も女も子供も老人も物凄い小汚く描かれてる。
その小汚い奴が出てきて、浅ましい考えとしょうもない野望抱えて生きてる描写が出てくる。マジでこの辺で「うへぇ」ってなる。
で、主人公の丑嶋、滅茶苦茶いかつくて、壮絶な人生歩んでて、「世の中は奪るか奪られるか、俺は奪る方を選ぶ」とかの弱肉強食のバリバリ強者感ある人物なんだけど、彼のやってる闇金ビジネスって、ハッキリ言ってまるで儲かる気がしないんだよ。
まず客として選んでる相手が渋い。数十万の借金すら返す当てがないどころか飛ぶ可能性すらある底辺を相手にする。警察にマークされながらというリスクを冒して。ハイリスクローリターンの割に合わない商売。
しかもその底辺は他の闇金業者からもマークされてる多重債務。腐ったパイを必死に奪い合う蠱毒。レッドオーシャン、いや、もはや不毛のデッドオーシャンと言えよう。アホくさ。
質の悪く劣悪な経済圏で、ほんの僅かな利益になりそうな客を同業他社間でこぞって貪りながら共有し、あとはひたすら道を踏み外して落ちてくる誰かをじっと待つ。
丑嶋が弱肉強食を謳う強者として描写される、猛獣のような見た目に反して、やってることは腐海で死肉を啜るスカベンジャーという有様。正直彼ですらも社会的に見れば底辺、弱者でしかない。
これが景気よくビルを爆破し、街を破壊していくジョーカーのような描かれ方なら、経済や倫理なんて物を蹂躙していく悪の物語ならどれだけ爽快だったか。でも違う。きっと現実でもそんなうまくいかない。
丑嶋くんはすごく魅力的な男だと思う。強靭なバイタリティ、多少の理不尽を撥ね退けるメンタリティ、しかし、そんな彼が、真っ当に働ければ巨額の資本を動かせそうな彼が、こんなしょぼいビジネスに手を出すしかなくなっている。
同情しようがないクズ相手のシノギを続けるしかなくなっている。だからこそ、ひたすらに虚しい。
巨悪をやって欲しかったよ。雑居ビルの一室なんかじゃなくて、一瞬で屍の山を築くような、国を震撼させるようなね。
よくこの漫画の感想で、「真面目に働く気になった」的な感想を見るけど、「正気か?」って思う。
逆なんじゃないか?
真面目に働いてると思ってる足元には餓鬼道の如き経済圏が蠢いてて、いつ自分が落ちるとも分からない。親、子供、恋人、友人、誰に引きずり込まれるか分かったもんじゃない。
『頑張ったらどこか良い所に辿り着ける』どころではない。『頑張り続けないと足元で蠢いてる世界から逃げられないんですよ』って、そんな馬鹿があるかよ。じゃ、いつ心から休めるんだ?
こんなの読んで、それでも世の中死にたくならないなら、ハッキリ言ってそれもうイっちゃってるよ。
自分は就活浪人という名の無職を一時期経験し、運よく社会に出られた。でも無職期間にこんなの見てたら間違いなくホームセンターに首括る用の縄を買いに行ってただろう。
正直この漫画読んで「頑張ろう」なんて感想出てくるのなら、多分君、正気じゃないよ。でも、多分何とかなると思う。褒めてないよ。
正確に言うと、はてブにコメントを書けなくなった結果、その時間を埋めるために本を読んでいる。だから世間一般で言われる「読書習慣が身についた」という美談とは少し違う。
以前は気になる記事を見つけるたびにブコメ欄を開いて、一言書いていた。鋭いことを書こうとか、誰かにツッコもうとか、「それは違うだろ」と書き込もうとか、そういう細かい衝動で一日ができていた。
それがBANで突然できなくなった。
最初は「じゃあ増田にでもニュースへ一言物申す日記を書けばいいのでは」と思った。
でも駄目だった。
ブコメだから成立していた一言は、増田に単独で置かれた瞬間、ただの薄い文章になる。「○○はおかしい」「これは評価したい」みたいな一言だけ書いても反応はほとんどないし、自分で読み返しても面白くない。
ブコメというのは記事に寄生して成立する文化だったんだなと、そのとき初めて気づいた。
そこで仕方なく本を読み始めた。
ところが、これも妙なことになった。
はてブを長くやりすぎたせいか、一冊読み終えてから全体の感想を書くことができない。
読みながら「あ、この章めちゃくちゃいい」「ここ伏線うまい」「この展開はちょっとダレるな」と思った瞬間に、その場で感想を書きたくなる。
映画を最後まで観てからレビューを書くのではなく、上映中に「ここ最高」とスマホを取り出したくなるような感覚だ。
だから自分の読書感想は、本全体のレビューではなく、途中途中にブコメが刺さっているだけみたいなものになる。
実際、月に何冊も読むし、本棚も増えた。
SNSが普及し始めてから「SNS」と「病み」はセットだと思っている。
だがこれまでとここ数年、もっと言うならXのおすすめ欄が開くたび必ず目に入る仕様になってからあたり以降では「病み」の質が変わっているようにも思える。
今のXの仕様が声デカい極端な投稿をおすすめに上がりやすくしてるってことを考慮しても、あまりに「自分の結論ありきで強い言葉を振るい、それにそぐわない意見は叩きのめして封殺することこそが自身の高尚な生きる意味である」みたいなやつが多すぎる。
間違ってそういうのを一度でもタップしたらしばらく強い言葉が目に入る。それで病む。
どうせ病むならもっと「自分より若い世代のキラキラ生活投稿を見てから安アパートの汚れた鏡に映る自分と目が合って病む」とかの方が数倍マシに思える。
自分が読める言語で訳わからんこと言ってる投稿ばっか流れてくるのはマジで病む。
特に過激な言葉が飛び交いやすいジャンルとして各所で激アツな男女論、その中でも直近の「女性トイレに立ち小便器が無い理由論争」を例にとる。
こんな感じの趣旨を、各位ものすごい人格否定の罵詈雑言やマンガコマの無断転載、スクショ晒しあげその他諸々で汚く飾り付けて投げつけ合っている。
どっちもなんか違う。
・女の排泄器官の作り上立ち小便だとビシャビシャになりやすいから衛生的に日常使用は難しい
・男子トイレのオープンすぎる作りが嫌な人からしたら女子トイレの個室の多さに不公平感を持つのは仕方ない
・俺は/私はそう思わないから同じ括りに入れるな
・単に男が/女が気に入らない …
みたいなのを個別に語らず全部男女論で一括りにして140文字ぽっちで全て語ろうとすな
またちょっと違う話するけど、もし女が「男の勃起は甘え!TPOわきまえて引っ込めろ!」とか言い出したら男は「なんだこいつ男体エアプがよ」って思うじゃん。
「女は立ち小便できる体の作りになってない!」は「男は自由自在に勃起コントロールできる作りになってない!」と同じだとは思うんだよな。けどこう言ってしまうと今度は女側から「排尿と勃起を一緒にするな!」と言われ、それを見た男側から「勃起コントロールできると思ってるなら女さんは生理コントロールできるんですよね?」とか言われる。
話をもどすと「女は立ち小便できる体の作りになってない」って、男体が凸を自在に引っ込められるわけではないように女体もそもそも持ってない凸を生やせるような人体構造にはなってないんだよなって話じゃないのかこれ。
もしそんなことなくて凸の出し入れが自在な男とか場合に応じて凸を生やせる女がメジャーな構造だったら申し訳ない。
たまにこの手の話で俺は/私は〇〇できますけど?みたいな優れたお方からご意見を賜ることがあるが、希少すぎるため「あなたはそうなんですね」とだけお返ししたい。
こんな感じの真面目に紐解けば紐解くほど頭が痛くなってくるようなのが流れ込んで来るんだおすすめに。アルゴリズムを頑張って浄化しても気を抜くとすぐこうなるんだ。
「こういう人ってモテないんだろうな」系の冷笑にしても、そこに辿り着くまでに「明らかに破綻した持論を叫んでいる→周りに訂正したり話を聞いてくれたりする人はいないのか→こいつモテないんだろうな」などの連想ゲームの末に出る感想だ。
Xのおすすめ欄に上がってきたことしか面識のない相手とは、その連想ゲームの過程をすっ飛ばしても伝わるほど分かり合えている訳がない。
テレビすら各々が見たいものを見たい時にバラバラに見ているような現代では「普通」の共有の基礎が昔ほどできていない。互いにXに張り付いていることくらいしか共有できる体験はない。故に「そこまで言わなくても普通わかるでしょ」も意味をなさない。
昔なら「一部の狂人が複数垢でやってるだけ」と流せたけどもうそれ言うのも無理があるのでは?と思うくらい多いんだ。1人がやってても地獄、何人もがやってても地獄、AIに書かせてるとしてもそれはそれで地獄。
しかも自分から臭いもん嗅ぎに行ってるなら文句言えないけどそうじゃないんだ。情報化社会の中で見たい情報見に行くまでの過程で目に入るゲテモノの量の多さとギリギリネタ扱いできなそうな悲壮感のある質がどっちもえげつないんだ。
グループ成功の用語集では社員ではなくパートナー、社内ポータルもNASAシステム(公開されているスピリットベンチャー宣言に書いてある)だが、一般的な用語で記載する。
これについて
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2607/14/news074.html
SNSだけで発信するな!
予想通り、社内ポータルで定例の昨日のメディア掲載情報でたくさん取り上げられました!じゃないんだよ!
どうも月曜日(2026-07-13)のグループ全体の経営層会議的な会議でその話があったらしい。
FlattのCEOがPostしているように最後は個社判断で決着したようだ。
https://x.com/niconegoto/status/2076977393651351614
弊社ではみんなざわざわするが、先の会議に出ていたであろう人たちが全体でフォローしないから、わけがわからない状態になるわけですよ。
GMOには「脳内同期」という価値観共有に関するワードがある。
この前あった全社会議での代表の「脳内同期」や動画での「脳内同期」からも、代表の危機感はよく伝わってくる。
だったら、グループの方向性についてSNSだけで発信するのはやめてくれと思うわけですよ。
某スタエングループのオタクをしている。言わずもがな旧ジャニーズである。
Xに常駐していると、ファンアートが大量に流れてくる。歌番組の衣装を着せたデフォルメ絵、雑誌やドラマのワンシーンを模写した絵、メンバーの誕生日に0時と同時に投稿されるお祝いイラスト。
私はそれを見るたびに、少しずつ心が冷える。
最初に言っておくと、私はファンアートや二次創作の文化そのものを否定したいわけではない。私は二次元のオタクでもあり、同人や二次創作の文化も知っている。ファンが好きなものを自分なりの表現に変えて楽しむこと自体を、なくしたいとは思わない。
タグもつけず、本人や公式の目に入りにくい場所で、自分のしていることが他人の権利と無関係ではないと分かったうえで、小さく楽しんでいる人に対しては、そこまで何も思わない。
私が嫌なのは、実在する人を題材にしたファンアートを、何の留保もなく真っ白な愛情表現として、本人や公式に届く場所へ差し出す態度である。
公式タグをつける。本人が見ているかもしれない場所に置く。「推しに届いてほしい」と言う。
実在するタレントには、その人自身の肖像や人格に関わる権利がある。雑誌の写真やドラマ、歌番組の映像にも、それを撮影し、制作した人たちの仕事と権利がある。衣装、ヘアメイク、照明、カメラ、演出、写真、映像。それらはすべて、誰かの仕事の上に成り立っている。
実在の人物を描いたファンアートは、そうした権利と無関係な真っ白な表現ではない。
それを自分の手で描き直せば、急に純粋な自分の作品になるのだろうか。時間をかければ、愛があれば、元になった人や作品の権利への配慮は消えるのだろうか。
二次創作の世界でも、公式絵のトレスや模写、元作品との距離感は日々問題になる。公式の扉絵を自分の絵柄できれいに模写して「ファンアートです」と出せば、少なくとも何の疑問もなく受け入れられるとは限らない。
それなのに、生身の人間の顔や、雑誌やドラマの表現を元にしたファンアートになると、なぜ急に無垢な愛として扱われるのか、私には分からない。
本人が見て喜ぶかどうかは知らない。好意そのものを嬉しいと思うことはあるのかもしれない。
しかし、本人が喜ぶ可能性と、その行為が正当化されることは別の話だ。
高額転売された最前列の席にいるファンを見て、推しが来てくれたこと自体を嬉しいと思うことはあるかもしれない。だからといって、高額転売でその席を手に入れたことが正しくなるわけではない。
本人に届くことを願うファンアートも、私にはそれと同じ原理に見える。
相手が喜ぶかもしれないことは、権利への配慮を放棄していい理由にはならない。愛情は、手段を白くする免罪符ではない。
多くのオタクは、番組のスクリーンショットや雑誌の画像を無断でXに載せること、高額転売、他人名義でのコンサートチケット申込みなどが、少なくとも堂々と誇れる行為ではないと知っているはずだ。
実際に自分がしているかどうかは別として、少なくとも白い行為ではないことには自覚的だと思う。
それとも、公式タグをつけて堂々とファンアートを公開している人たちは、自分の表現が実在する人の肖像や、公式が作った写真や映像の上に成り立っているという自覚がないのだろうか。
自覚がないのなら無邪気すぎる。
自覚があるのなら、なぜそんなに白い顔ができるのだろう。
そして、しばしばそこに「作品を盛り上げたい」「推しの応援になるから」という大義名分が加わる。
私はそれを見るたびに、権利侵害グレーなのに何が応援だよ、と思う。
タグ付きで作品の感想を書くことと、他人の肖像や公式の表現を元にした自分の創作物を公式タグに乗せることは、同じではない。
作品が面白かった、演技がよかった、この場面が好きだった。そういう感想は、自分が作品を見て感じたことを言葉にしている。
一方でファンアートは、他人の権利と無関係ではないものを素材にして作った自分の表現である。
そのグレーさを棚上げしたまま、「作品のため」「推しのため」「応援です」と胸を張る感覚が、私には分からない。応援という言葉で、グレーなものを白く塗り替えないでほしい。
私は、ファンアートを描くなと言いたいのではない。
ただ、私の大好きな推しの権利に関わることをしているという自覚くらいは持ってほしい。
グレーなら、グレーとして扱ってほしい。
愛だから許されるという顔をしないでほしい。
推しのためになるという顔をしないでほしい。
「推しに届いてほしい」などという、私にはグロテスクにしか見えない願いを、無邪気に掲げないでほしい。
これは誰にも見せないメモ書きではない。インターネットの片隅でただ吐き出したかっただけです、という顔をしながら、本当はあわよくば読まれ、広く拡散され、白い顔でファンアートを公開している人たちの手が一度止まればいいと思っている。投稿ボタンを押す前に、自分が何をしているのか考えるようになればいいと思っている。愛を届けたい人たちと、後ろめたさを植えつけたい私。権利を侵害することと、それを批判する文章を書くことは同じではない。それでも、自分の感情をインターネットに投げ、誰かを変えたいと思っている点で、私は完全に無関係な場所には立っていない。同じ穴の狢なのだと思う。
これは正義ではない。
それでも、私の自担の権利に関わることをしながら、それを純粋な愛や応援として本人に差し出そうとする光景が、どうしても耐えられないので書いた。
まず、Dom/Subユニバースってのはオメガバースみたいな海外発の二次創作BL用(たぶん)の設定のことね。今は一次にも使われてるし、BL以外にも出て行ってるという話を聞いた気がする。調べてないから正確ではないが。簡単に言うと世界の人間はDom, Sub, Switch, Usualの4種類に分けられて、Domには支配欲、庇護欲があり、Subには被支配欲、庇護下に置かれたいという欲があり、Switchにはそのどちらもがあって、それが満たされないと体調に異常を来すなどする、そんでコマンドと呼ばれる特殊な命令を下したりそれに従ったりするとDom, Sub, Switchは心地いい(性的快感や安心感を得るみたいな設定が多い。この辺は作品によるが、とにかくポジティブな反応がある、くらいに思ってほしい)……みたいなやつ。他にも色んな付随する設定があるんだが、詳しくはググってくれ。とりあえずこれだけ知ってれば私の言いたいことはわかると思う。
一応言っておくけど私は腐女子で、二次創作はそもそもそれほど読まんが一次のDom/Subユニバースはたまに読むって感じ。中身によるが割と好き。
その上で私はこれが多少の倫理的な緊張を孕んでいる気がするんだが、それが上手く言語化できなくてモヤモヤしている。
chatGPT、Gemini、Claudeを壁打ち相手にして色々考えたからちょっと聞いて欲しい。(ちなみに、Geminiは強い言葉で一刀両断してくるらしいので切り込み隊長として、Claudeはこういう文系っぽい論理構成がうまいっぽいので論点整理役として、chatGPTは一番馴染みがあったのでコイツを統合役として使った。まあ馴染みがあると言っても正直ほぼ使ったことなかったのであんまり上手いこと手綱を握れた自信はない。この文自体は自分で書いた。私の使い方の問題かもしれないが、コイツら壁打ちの整理役としては使えるけどあんまり正しく繋がった文章の生成には向いてない気がするぜ……。普通に壁打ち中も主述関係おかしかったりしたもん)
まず前提として、現実にドミナント/サブミッシブと呼ばれる性的嗜好的なモノは実在する。それはBDSMの中の嗜好(?)の一つとも呼ばれる(ホントはもっと複雑だけど、まあそういうカテゴリが現実にあるんだな~くらいに思ってほしい。詳しくはググってくれ)んだが、要は支配/被支配に興奮を覚える嗜好のこと(ホントはもっと複雑ry)。スッッゲ~~~~~雑に言うと、ドミ = S, サブ = Mみたいな感じ?(SM軸とドミサブ軸って違うとされてるのでドミマゾとかも存在してるんだが、あくまで一般的なイメージの話。ごめんなSM界隈の人。間違ってるのはわかってる。なんなら私はあんまドミサブわからん身体的苦痛だいすきマゾです。そういうのもいる)。
この記事上ではわかりにくいからDom, Sub, Switch, Dom/Sub表記をDom/Subユニバースの設定の物として、ドミ、サブ、スイッチャー, D/s表記を現実の物として扱うものとするね。
その上で問題(便宜上「問題」としたが、「倫理的な緊張を孕んでるような気がする事柄」くらいの意味)として
・実在するD/s概念を、生物学的属性として再構成、架空設定を付与すること
・創作上のDom/Sub像が普及することで、現実のD/s像が見えにくくなること
ざっくりこの二つが上げられる気がする。
とりあえず今回は一個目だけ扱うことにする。希望があれば二個目の話も簡単に追記するかも
一つ思考実験をしてみた。
これは私がDom/Subユニバースに疑問を抱いたときに思いついた話なんだが、たとえば「ホモセクシャルバース」というのがあったとする。それは「この世には、ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、ストレートの4種類の人間がいて、ゲイ、レズビアン、バイセクシャルには発情など社会的不利になる生物学的特性があり、社会的地位が低い」みたいな設定。性的指向と性的嗜好は違うかもしれないが、実在する属性として借りた。なんらかの任意の属性に生物学的属性や本能を付与することがこの思考実験の肝。
で、この「ホモセクシャルバース」、直感的にかなりマズい気がしないか?
つまり、この思考実験によって「実在する概念を、生物学的属性や本能として再構成すること」に問題がある可能性が浮上する。
ただし、同性愛とD/s間には違いがあって、整理すると
→同性愛の方が比較的広く知られているため、実在の概念であるという認識が広く強い。だから、それを生物学的属性として再構成し、そこに架空の設定を付与することに違和感があるという認識が広がりやすい
・同性愛者(特にゲイ)にある種のステレオタイプな負のイメージがまだ根強くあり、実際差別されてきた歴史があると言う事実
→差別を正当化するような創作上の設定は差別の助長に繋がるのではないか? という懸念が生まれる
あたりが挙げられる
後者はあんまり元々のステレオタイプイメージがないD/sには当てはまらないんじゃないかという気がするので、ホモセクシャルバースがDom/Subユニバースより大きな違和感を抱かせることの一因になっている。(SMには亀甲縛り、鼻フック、首輪にリードのオッサンを鞭でぶっ叩くボンデージ、網タイツ、仮面の女王様、みたいなギャグ由来のイメージはあるが、D/sにはない気がする。そもそもドミナント/サブミッシブみたいな言葉をDom/Subユニバースで知ったって人も多いのでは?)
しかし、前者は違和感の有無や大小には直接関与せず、認識の広がりやすさの差にすぎない。
ここから、二者間にはホモセクシャルバース>Dom/Subユニバースという違和感の強弱はあるものの、「実在の概念を、生物学的属性として再構成し、そこに架空の設定を付与することへの違和感」は同性愛とD/sに共通の違和感ではないかと考えた。
あとはまあ、「あまり社会的に認知されていないD/sという概念に架空設定を付与すること」のマズさ(つまり実態の見えにくさ、最初に挙げた二つの問題の二個目の方にあたる)もある気はするね。
そんで、その「生物学的属性への再構成」が、現実のD/sが持つ複雑な若干汚めの側面を恋愛作品向けに整理・選別する方向へ働く、みたいなことが起こっている気がするんだわ。AIと喋ってるときはこの現象に「脱色」とかいう名前をつけてたんだけど。少なくともメインストリートでは割とそうじゃない?
とにかくその結果として、現実では交渉や葛藤の対象であるはずの欲望や関係性が、「運命」や「恋愛」の中で自然と解決されるものとして描かれやすくなったりね。これは私の感想でしかないが。
「じゃあお前が書け」みたいな話ではあるし、実際それしか解決の手段がないので書いてもいるんだが、こう……「メインストリートの傾向、大丈夫か?」というお気持ちと、「そもそも実在のカテゴリを示す言葉にそういう設定つけて大丈夫なんか?」みたいな気持ちがね……。
まあそれはそれとしてD/sモノもSMモノも好きだしDom/Subユニバースも読むし、Dom/Subユニバースの人気によってそういう作品を好む人口が増えれば自ずと裾野が広がって多様性が生まれ私の欲しい作品も増えるんじゃないかという下心があるので全部を否定するつもりはないんだけど。当事者から否定的な声が上がってるのを聞いたこともないし(声が上がりにくい界隈の性質とかはあるのかもしれんが)。
他にもDom/Subユニバース作品の傾向に関して言いたいことはあるが、それは多分に私の好みとかが反映されるから別のとこでやるわ。
消費期限内とはいえ買った翌日に食したこと、鞄の中で潰れて空気が抜け、表面のさくさくが失われていたことは念頭に置いて読んで欲しい。
見た目がピーク。これを模したキーホルダーなら少しほしいくらいには見た目がよかった。
しかしファミマのメロンパンシリーズは体調によって同じ商品でも信じられないほどおいしい日もあれば甘すぎて二口目にいけない日もあるので、次食べたら感想が違うのかもしれない。
ストレスMAXで落ち込んでいる時に食べたバタークロワッサンメロンパンという外はザリザリの砂糖をまぶし、中はクロワッサンみたいに層になったフカフカでバターの風味たっぷりのメロンパンがめっちゃおいしかった。普通の精神状態の時に食べたらエグい味がした。