はてなキーワード: 音源とは
コピーバンドなんだけどドラマーが下手くそすぎて自分たちのライブ音源聞くたびにイライラしてしょうがない。
下手くそどころか性格的に音楽を楽しめる素養すら持ってない、でも腐れ縁から誘われたがためにグダグダ大学生のころからドラムやってるらしい。
いや信じられんお前もうアラサーなのにどんだけ下手くそなんだよというかもういい加減ドラムやめろよ、別に音楽そんな好きじゃないんだろわかるよお前の口からあの曲はどういうところが好きでなんて話聞いたことないよ。そもそも音楽を楽しめる真反対の性格なのお前の顔見りゃわかるよ。
世の中にはこんなえげつない矛盾抱えてる人がいるんだなぁと心底驚く。音楽好きじゃないのに腐れ縁からバンドやろうと誘われて始めたドラムを嫌々アラサーになってもまだ引きずって、おそらく腐れ縁から唆されて買った15万くらいのスネアに8万くらいのバスドラペダル、ハイハット、もはや引き返すのが難しいのだろうか。まさに金魚のフンというやつか。
コピーバンドってのは趣味であって嫌々するものではないのに、それを顔に出さないよう必死になって延々と間違ったらどうしようみたいなドラムをやってるのを見ると、もう俺がやめたいって言ってあげた方がそいつのためにもなるんではないかと思うレベル。
ちなみにそいつの腐れ縁はギターめっちゃうまい。音楽が好きなのがヒシヒシと伝わってくる。尊敬するレベル。文句があるとすればなんであいつをドラムに誘った。なんでスネア買えとか唆した。なんで早いうちにそいつが音楽興味ないのをわかってやらない。どうして他のバンドにドラマーとして連れまわそうとする。気が付いてるはずだろ、そいつが音楽興味ないの。俺はバンド組んで初めての練習から勘付いたぞ。お前もそうだろ。近いうちにその腐れ縁のほうとじっくり話してみようと思う。
ちなみにどう下手くそなのかを述べると、とにかくバスドラが致命的で、右足のバスドラが左手のスネアに釣られて動くという癖というか運命がそこにはあり、スネアがタッッタという付点のリズムがあるとそこにバスドラも入り次の1拍目のバスドラを逃すということが起こる。
まるでスネアと同じ機能をバスドラでもやってるみたいな動きで、とにかく低音がグッチャグチャになりあるいはスカスカになったりで、同じベースの方は耐えられないかと。
僕もベースは下手なほうだと弁えてるつもりなので、リズムがモタつくとか精度に関しても緩いつもりなんですが。。
また、連打すらも怪しく、ツくつくツくつくとハイハットの1泊目にアクセントを入れてと言ってもこれができない。何より下手でも楽しそうにしてりゃいいんですがとにかく体も表情も硬い。音楽を体や表情で表現することを恥ずかしがってる。それで音楽どうやって楽しむん。
で、組んでそろそろ1年経ちそうなんですがなんでやめられないかというと、知る人ぞ知るみたいなバンドで中々同志が集まってコピーできるバンドではないからです。どちらかというとテクいほうだろうから、最低限のドラムくらい叩いてもらわないと、、というところなんですが、、、、
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2014年3月20日頃には、シカゴ・オヘア国際空港の場面を撮影するため、マスキーゴン郡空港が使用された。また、マスキーゴンの格納庫にあったエンブラエル145型機の胴体が、機内シーンの撮影に利用された。
2014年3月21日頃には、一部の場面がモール・オブ・アメリカおよびミネアポリスのサード・アベニュー橋周辺で撮影された。[29]
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本作のサウンドトラックはダニー・エルフマンが作曲し、2015年7月24日にLakeshore Recordsから発売された。[30]
音楽監修はティファニー・アンダースが担当し、サウンドトラックにはアラニス・モリセット、R.E.M.、ブライアン・イーノ、フェルトらの楽曲が収録されている。
さらに、パヴメントのバラード「Here」をティンダースティックスがカバーした音源も使用されている。
ジェームズ・ポンソルト監督は『ComingSoon.net』のインタビューで次のように語っている。
「かなり早い段階から、R.E.M.とブライアン・イーノは、デイヴィッド・リプスキーとデイヴィッド・フォスター・ウォレスが一緒に過ごした時間を象徴する存在になっていました。
二人は、どんな音楽を聴いているかについても話していたんです。
だから私は、R.E.M.とイーノの音楽は映画に入れるべきだと最初から考えていました。」[31]
『Soundtrack Dreams』でダニー・エルフマンの音楽を評したミネア・マンドゥテアヌは次のように書いている。
「『Walking the Dog』以降、すべてがぴたりとはまる。終盤でブライアン・イーノの楽曲が使われているのは偶然ではない。エルフマンはその部分で、自身の内なるイーノを呼び起こし、それは見事に魔法のような効果を生み出している。」[32]
『New York Daily News』紙のジョー・ニューマイヤーは、本作に5点満点を与え、次のように評した。
「今年最高の映画の一本だ。
ジェームズ・ポンソルト監督によるこの知的で、鋭く、並外れたドラマは、観た者の心に深く入り込み、人生とは何か、そしてどう生きるべきかについて新たな気づきを与えてくれる作品である。」[45]
ニューマイヤーはまた、ジェイソン・シーゲルの演技について、
「賞に値する演技」
と評している。[45]
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『ロサンゼルス・タイムズ』紙のシェリ・リンデンは次のように書いている。
「ジェームズ・ポンソルト監督による見事な『The End of the Tour』は、ただ二人の男が会話を交わすだけの映画でありながら、その効果は息をのむほど圧倒的である。
ジェイソン・シーゲルとジェシー・アイゼンバーグは、緊張感と慎重さを帯びた絶妙な化学反応を生み出し、まるで神経細胞が火花を散らすような演技を見せている。」[46]
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『Rolling Stone』誌のピーター・トラヴァースは本作を
「引き込まれる(riveting)」
「魅了される(mesmerizing)」
と評し、次のように書いている。
「細部が積み重なるにつれ、この映画の力もまた増していく。
二人の卓越した俳優によってさらに高められたこの映画は、観客にとって心躍る贈り物である。」[47]
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『Slate』誌のダナ・スティーヴンスは本作を、
と呼び、
「私はこの映画を大いに楽しんだ。」
と書いている。[48]
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『Cut Print Film』のジョシュ・オークリーは、本作に10点満点を与え、
「今年最高の映画の一本」
と評した。
さらに、
「『The End of the Tour』は、多くの証拠をもって、ウォレスという人物が、名声というパテで孤独の穴を埋められるような人間では決してなかったことを示している。」
と述べている。[49]
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『Chicago Sun-Times』紙のリチャード・ローパーは、本作に4点満点を与え、
「見事だ。
と評した。[20]
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『Minnesota Star Tribune』紙のコリン・コヴァートは、本作に4点満点を与え、
「率直に言えば、これは傑作である。」
と書いている。[50]
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本作の制作にあたり、ウォレスの文学作品を管理する遺産管理団体(Literary Estate)には協力が依頼されなかった。そのため、同団体は映画化を許可せず、最終的には映画に反対する立場を表明した。[51][52]
『The Guardian』紙でグレン・ケニーは、本作を
「笑ってしまうほどひどい(risible)」
と評している。
さらに彼は、この映画に反対するウォレスの友人たちへのリンクを掲載し、彼らが特に問題視しているのは、ウォレスという人物の複雑さが映画ではあまりにも平板に描かれている点だと紹介している。[53]
一方、『The Awl』に寄稿したジャーナリスト兼批評家のマリア・ブスティーヨスは、「映画への反対そのもの」に異議を唱えている。
彼女は次のように書いている。
「ウォレスの作品が始めた対話について、誠実に語り、理解し、それをさらに発展させようとするあらゆる試みは、彼自身が短い生涯を通して体現した知的好奇心と寛容な精神に照らして、読者から敬意を払われるべきである。」
「率直さ(candor)」
「兄弟のような親しみ(brotherliness)」
を、「おそらく一世代の読者が自らも見習うことのできる模範」として挙げている。[54]
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本作は、多くの映画評論家による2015年ベスト映画のリストに選出された。
第15位:A・O・スコット(『ニューヨーク・タイムズ』)[55]
第7位:リチャード・ローソン(『Vanity Fair』)[56]
第22位:『The Guardian』[58]
「Best of 2015」(順位なし):『Entertainment Weekly』[59]
第1位:ラミン・セトゥーデ(『Variety』)[61]
次点トップ10(順位なし):アン・ホーナデイ(『ワシントン・ポスト』)[62]
トップ10(順位なし):K・M・マクファーランド(『Wired』)[63]
第5位:ティム・グリアソン(『The New Republic』)[64]
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受賞・ノミネート
本作は以下のような賞にノミネート、または受賞している。
主演男優賞(ジェイソン・シーゲル)ノミネート。[65]
Chlotrudis Society for Independent Films
Golden Trailer Awards
最優秀インディペンデント映画ポスター受賞。[67]
Indiana Film Journalists Association Awards
助演男優賞(ジェシー・アイゼンバーグ)ノミネート。[69]
主演男優賞(ジェイソン・シーゲル)次点。[70]
主演男優賞(ジェイソン・シーゲル)第3位。[71]
USC Scripter Award
『The End of the Tour』は、ジェームズ・ポンソルト監督、ドナルド・マーグリーズ脚本による2015年のアメリカの伝記ドラマ映画である。
本作は、デイヴィッド・リプスキーが2010年に出版した回想録『Although of Course You End Up Becoming Yourself』(2010年)を原作としている。この回想録は、リプスキーが作家デイヴィッド・フォスター・ウォレスと5日間にわたって共にしたロードトリップについて描いたものである。
映画では、ジェイソン・シーゲルがウォレスを、ジェシー・アイゼンバーグがリプスキーを演じている。
『Although of Course You End Up Becoming Yourself』
マット・デロス
マーク・マニュエル
出演
ヤコブ・イーレ
ダリン・ナヴァロ
製作会社
Anonymous Content
Kilburn Media
Modern Man Films
配給
A24
公開日
上映時間
106分[1]
製作国
300万ドル[2]
マーグリーズは2011年にリプスキーの回想録を読み、自身の元教え子であるポンソルトへ脚本を送った。ポンソルトは監督を引き受け、撮影は2014年初頭にミシガン州で行われ、一部の場面はモール・オブ・アメリカでも撮影された。音楽はダニー・エルフマンが担当し、サウンドトラックにはR.E.M.やブライアン・イーノなどの楽曲が使用されている。これらの楽曲は、ウォレスとリプスキーが実際に聴いていた音楽に基づいて選ばれた。
『The End of the Tour』は2015年1月23日にサンダンス映画祭で初上映され、2015年7月31日にA24によってアメリカで劇場公開された。興行収入は300万ドルとなり、批評家から高い評価を受けた。特にジェイソン・シーゲルの演技は絶賛され、彼はインディペンデント・スピリット賞主演男優賞をはじめ、複数の賞で主演男優賞にノミネートされた。
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2008年、作家デイヴィッド・リプスキーは、小説家デイヴィッド・フォスター・ウォレスが自殺したという知らせを受け、大きな衝撃を受ける。
12年前、ウォレスの小説『Infinite Jest』の刊行直後、リプスキーは数日間にわたり彼へインタビューを行っていた。この小説は批評家から絶賛され、国際的なベストセラーとなり、多くの読者にとって特別な意味を持つ作品となっていた。
リプスキーは、当時二人で過ごした時間を録音したテープを再生する。
物語は1996年へさかのぼる。『Infinite Jest』出版直後、リプスキーは当初、ウォレスの小説が受けている熱狂的な称賛に懐疑的だった。しかし、自身で読んだ後、その内容に圧倒される。当時、作家としてはまだわずかな成功しか収めていなかったリプスキーは、『Rolling Stone』誌の編集者を説得し、ブックツアー中のウォレスへインタビューする仕事を獲得する。
リプスキーは、イリノイ州ブルーミントン=ノーマル郊外(ウォレスが創作を教えていたイリノイ州立大学近く)にあるウォレスの自宅を訪れる。
リプスキーが出会った若き作家ウォレスは、気取らず親しみやすい人物だったが、インタビューを受けること自体にはあまり積極的ではなかった。
ウォレスは会話を録音することを許可するが、一つ条件を付ける。それは、「五分後に自分が『オフレコにしてほしい』と言った発言については、そのまま引用しないこと」だった。
ウォレスは、犬、テレビ、名声、自我など、さまざまな話題についてリプスキーに率直に語る一方で、どこか慎重な姿勢も崩さない。
アルコール依存症だったことについては暗に認めるものの、その体験について詳しく語ろうとはしない。
一方、リプスキーが、ウォレスが過去に自殺防止の監視下で自主的に精神科施設へ入院していたことに触れると、二人の間にはわずかな緊張が生まれる。
夜遅くまで会話を続けたあと、ウォレスはリプスキーに、モーテルへ泊まるのではなく、自宅の使われていない客間に泊まるよう勧める。その部屋には、ウォレス自身の著書が何冊も積み上げられていた。
翌朝、二人は再びインタビューを続ける。
リプスキーは、その後数日間、ウォレスのブックツアー最後の訪問地であるミネアポリス=セントポールまで同行する。
そこで二人は、ウォレスの友人である二人の女性と会う。一人は大学院時代からの知人ベッツィ、もう一人は文芸評論家のジュリーである。その夜遅くと翌日、二人の男は彼女たちとともに時間を過ごし、モール・オブ・アメリカにも出かける。
ウォレスとリプスキーは概して良好な関係を築いているが、リプスキーがベッツィに言い寄っている様子を見ると、ウォレスは腹を立てる。
ウォレスの自宅へ戻ると、リプスキーがウォレスに過去のヘロイン使用の噂について尋ねたことで、二人の間の緊張はさらに高まる。ウォレスはそれを否定し、リプスキーは記事を書くために、自分を決まりきった「ドラッグに溺れた天才作家」という型にはめようとしているのだと非難する。
別れの時が近づくと、二人はある朝をともに過ごす。その時間は、取材する記者と取材対象という関係ではなく、新しく友情を築いた二人の友人としての時間になっている。
リプスキーは勇気を振り絞り、自分が書いた小説をウォレスに手渡す。そして二人は今後も連絡を取り合おうと約束する。
物語の最後の場面は、さらにその2年後へ移る。リプスキーは、自身の回想録『Although of Course You End Up Becoming Yourself』(2010年)の出版ツアー中にいる。この本は、1996年にウォレスと過ごした5日間をもとに書かれたものである。
朗読会でリプスキーは、ウォレスとのロードトリップを振り返り、二人が語り合ったさまざまな考えについて話す。そして、その会話によって自分は以前ほど孤独ではなくなったのだと回想する。
2011年、ピューリッツァー賞受賞劇作家のドナルド・マーグリーズはこの回想録を読んだ。
「そこには、お互いの周囲を回り続ける二人の男の物語があった。」とマーグリーズは『ロサンゼルス・タイムズ』紙に語っている。[7]「必要なものはすべてそこにあった。」
彼はリプスキーの著書を原作として脚本を書いた。また、いくつかの台詞は、ウォレスの死後に出版された小説『The Pale King』から着想を得ている。さらにマーグリーズは、録音されていない時間にウォレスと過ごした際の出来事としてリプスキー本人から聞き、回想録には収録されていなかった内容も脚本に盛り込んだ。
マーグリーズは次のように述べている。
「リプスキーが私に話してくれたのは、一部の人たちから『私が創作した』と批判された、あの場面なんです。『あまりにもハリウッド的すぎる』と言われました。(笑)
でも実際には、それはリプスキーが本には書かなかった出来事でした。彼は、それを書いてしまうとウォレス自身の声を損なうことになると考えたのです。というのも、彼があの本で本当に伝えようとしていたのは、まさにウォレスの声そのものだったからです。
ジュリーの家のキッチンで二人の間に起こる、あの出来事です。もしデイヴィッド・リプスキーが私に話してくれなければ、私はそれを知ることはありませんでした。
少し身も蓋もない言い方になりますが、あの出来事のおかげで、私は物語の第三幕を書くことができました。
あそこでは物語が大きく転換します。亀裂が生まれ、その後に続く出来事全体の調子が変わるのです。
ドラマとして考えれば、それは絶対に必要な出来事だと私は感じました。
そして、そのような出来事が実際に起きていたこと自体が幸運でしたし、デイヴィッド・リプスキーが惜しみなくその話を私に聞かせ、さらに映画に盛り込む許可まで与えてくれたことにも感謝しています。
ですから、本には書かれていない要素を私は取り入れました。
しかし、実際には起きていないことを付け加えた部分は、まったくありません。」[8]
マーグリーズは完成した脚本を、イェール大学での教え子であり、サンダンス映画祭受賞監督でもあるジェームズ・ポンソルトへ送った。
『ニューヨーク・タイムズ』紙は、ポンソルトについて「彼自身も熱心なデイヴィッド・フォスター・ウォレスのファンである」と紹介している。[9]
ポンソルトは、自身の結婚式で、ウォレスがケニヨン大学の卒業式で行った有名なスピーチ「This Is Water」の一節を朗読してもらった。[9]
(ポンソルトは『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に対し、高校時代からウォレスを読み続けており、『Infinite Jest』は「大学一年生だった自分にとって最も重要な人間関係だった」と語っている。[10])
その後ポンソルトは『The A.V. Club』のインタビューで、マーグリーズから脚本を渡されたときのことを次のように振り返っている。
「光栄でした。興奮しました。そして、とても緊張もしました。リプスキーの本のことは十分承知していました。ウォレスは私にとって英雄なんです。」
さらに彼はこう続けた。
「脚本を読んだとき、私は心の底から感動しました。ドナルドが成し遂げたことに、ただただ圧倒されたのです。」[11]
ポンソルトは、この企画の経緯についてインタビュアーに次のように語っている。
「(リプスキーの)本は2010年に出版されました。『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーになりました。彼はデイヴィッド・フォスター・ウォレスの家族の一部の支援を受けてこの本を書いています。そのことは謝辞でも大きく感謝が述べられています。また、ウォレスが亡くなった際にリプスキーが『Rolling Stone』誌に寄稿した記事は、全米雑誌賞(National Magazine Award)を受賞しました。私たちの映画は、ウォレスを知っていた人々、そして映画制作に協力してくれた人々の支えを受けて作られました。」[11]
「私たちは、この作品に対して、私たちなりに非常に人間味をもって向き合ってきたつもりです。」[9]
『タイム』誌の取材で、デイヴィッド・リプスキーは、回想録を出版社へ送る前に、ウォレスの家族へ了承を求めたことを明かしている。[12]
ジェイソン・シーゲルは『ロサンゼルス・タイムズ』紙に対して次のように語っている。
「私自身、この映画に出演することを引き受けた時、そして特に完成した作品を観た時に感じたのは、この映画はデイヴィッド・フォスター・ウォレスが作品で追求していたテーマや、その文章世界を自然に延長したものだということです。」[13]
『ヴァニティ・フェア』誌のリチャード・ローソンは次のように書いている。
「ウォレスの遺産管理団体(エステート)は、この映画を支持していない。しかし、シーゲルも、ポンソルトも、そして制作に関わったすべての人々も、それでもなおウォレスに対して見事な敬意を払っている。旅が終わる頃には、ウォレスの死が私たちの文化にとってどれほど大きな喪失であったか、その重みと影響を私たちは本当に実感することになる。」[14]
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2013年12月、ジェシー・アイゼンバーグがデイヴィッド・リプスキー役に起用された。[15]
アイゼンバーグは『Orange County Register』紙に対し、大学時代からウォレス作品のファンだったと語っている。
「本当に素晴らしいと思っていました。」
また、マーグリーズの戯曲の愛読者でもあった彼は、この役を引き受けるまでに「ほとんど時間はかからなかった」と話している。
「脚本というものは、最終的には物語と登場人物でしか判断できません。そしてこの脚本には素晴らしい物語があり、素晴らしい登場人物がいました。」[16]
アイゼンバーグは、ジャーナリストを正確に演じるため、デイヴィッド・リプスキー本人と時間を過ごし、その立ち居振る舞いを学んだ。[17]
『Wired』誌は、「ジェームズ・ポンソルト監督4作目となる『The End of the Tour』については、『Infinite Jest』そのものに匹敵するほど多くの議論が交わされてきた」と述べたうえで、アイゼンバーグの演技を「この映画で最も優れた部分」であり、「賞レースで評価されるに値する」と高く評価した。[18]
『ニューヨーク・タイムズ』紙によると、ジェイソン・シーゲルはデイヴィッド・フォスター・ウォレス役を引き受けることに不安を感じていた。しかし、「脚本を読み進めるうちに、シーゲルは強い共感を覚えた」という。[9]
役作りのために、シーゲルはリプスキーが録音していたインタビュー音源を徹底的に聴き込み、インターネット上にあるウォレスの映像を見続けた。また、『Infinite Jest』を読むために小さな読書会も立ち上げた。
シーゲルは『ニューヨーク・タイムズ』紙に対し、『Infinite Jest』を購入したときの出来事をこう語っている。
彼女は『Infinite Jestね。今まで付き合った男はみんな、この本を本棚に置いたまま読んでいなかったわ。』と言いました。」[9]
『Entertainment Weekly』誌は、シーゲルによるデイヴィッド・フォスター・ウォレスの演技を「啓示的(a revelation)」と評し、[19]『Vanity Fair』誌は「驚異的(stunning)」と評し、[14]『Chicago Sun-Times』紙は「限りなく見事(infinitely impressive)」と絶賛した。[20]
『The Huffington Post』のマシュー・ジェイコブズは、
「まだ早いかもしれないが、念のためジェイソン・シーゲルのアカデミー賞キャンペーンを始めておこう。」
と書いている。[21]
ミッキー・サムナーは、ウォレスの大学院時代の友人ベッツィ役に起用された。
彼女は、
「デイヴィッド・フォスター・ウォレスについての映画だったんです。私は彼を心から敬愛していました。」
と説明している。
一方、リプスキーの恋人サラを演じたアンナ・クラムスキーは、『Variety』誌の取材で、マーグリーズの脚本が持つ人物描写の深さに惹かれたと語っている。[22]
2014年3月18日までに、アカデミー賞ノミネート経験を持つジョーン・キューザックが、ミネアポリス=セントポール滞在中のウォレスの案内役であるパティ・ガンダーソン役として出演することが発表された。[23]
2014年3月19日には、ロン・リヴィングストンが『Rolling Stone』誌編集者ボブ・レヴィン役で出演することが発表された。[24]
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主要撮影は2014年2月19日にミシガン州グランドラピッズおよびハドソンビルで始まり、5週間にわたって行われた。[25][26][27]
2014年3月19日には、JWマリオット・グランドラピッズで撮影が行われていること、また撮影はまもなく終了する予定であることが発表された。[28]
自殺した人が昔書いてた文章を読んでて、なんか若いのに壮絶な人生生きてんな、と思ったんだけど、
高校ぐらい?で、オケの楽譜書きたい、とか書いてて、自分は高齢になった今更になって、そういう気持ちも芽生えてきた、
バンドスコアぐらいなら、まあなんとかなるんだけど、オケってまた別の面白さがある、
DAWの音源で、バンドサウンドを優先するから、普通にドラム、ベース、キーボードみたいになるけど、
もっとブラスとかストリングとか、変な効果音とか、色々あるわけで、適当に出してると、
映画の効果音とかにも使える音源だから、まあ面白いんだけど、なんかちゃんと使いたい、
手っ取り早いのは、自主製作映画みたいなのに効果音を入れるとか、
できればオケっぽいの、映画のサントラにあるテーマ曲みたいなの、壮大な感じのやつ、作れたらいいなあ、と思う、思ってるだけだけど…😟
ドライヘッドスパ?っていうのか?温泉とかプールとかに併設なやつじゃなくマッサージやエステみたいな感じで受けるやつ。
ヘッドスパ自体2回目で分類とか何が業界標準で何がサロン特有なのかはよく分からんがちょっと感動したので。
Googleマップで職場近くのランチ営業店を探す日課をしていたらめっちゃ近くに今回のサロンを見つけて
調べてみたら「めっちゃ眠りに落としたるで(意訳)」みたいな自身にあふれていたので
へへっ受けて立とうじゃんの気持ちで即日予約。メンズ限定を謳っていたので葛藤はほぼなかった。
まず設備。今回いった所は超絶ふわっふぁなリクライニングソファだった。
(前回行ったところは専門店じゃなくマッサージもするところだったからかいわゆる施術用のベッドだった)
これがもうね,すんごいふわっふぁ。腰掛けた瞬間永遠を感じた。いわゆる人を駄目にするソファってやつなんすかね。
ほんでBGM。こういうサロンってリラックス目的でオルゴールとかピアノなんかのゆったり系の音楽流しているのが普通だと思うんだけど
今回行ったサロンはそこに鳥の鳴き声なんかの自然音を混ぜて来た。(元々そういう音源なのか別で流してるのかはわからんかった)
例えば別のマッサージサロンで音叉を鳴らしているところなんかはあったけど自然音は何気に初だったかも。
集中したい時は自然音。ぼーっとしたい時も自然音な自分としてはこの時点でテンション爆上がり。
いや本来の目的としてはテンション上がっちゃいけないんだけど。
ヘッドスパっていうと施術範囲どこまでだと思う?自分は正直頭だけか広くても肩首くらいだと思ってたよ
初回カウンセリングでここが凝ってるとかあそこが気になるとか色々問診したあと
施術スケジュールの説明で 手→肩首→(耳)→頭 って言われて へ?手もあるんだやべー爪切ってねーよってちょっと焦った。
足湯の手版とでもいうのか片手を施術中はもう片方をお湯につけてってのがすごい気持ちよかったのと
お湯を手の上からかけてくれる時の水音がもう最高だった。
肝心のヘッドスパ。正直手の施術の終わり間際から寝落ちかけてたのでほとんど記憶はない。すまんな。
ただ逆にコレってすごいと思って。一般のマッサージで頭も触ってもらうことがあるんだけど
大体ゴリッゴリに押されて痛い。痛いどころか吐き気がするレベルで眠気なんて吹っ飛んじゃう。
途中で明確な覚醒がなく気づいたら終わってたレベルだったので相当気遣って触ってくれてたのかなと。
頭全体の詰まった感というか凝ってる感がなくなってめっちゃ軽くなったので個人的には満足。
高級エステとは言わないまでもそこそこいい値段するのでリピートするかはちょっと考えるが
寝ても疲れが取れないとか良質な睡眠取れてないと感じている人は一度試して見たら扉が開けるかも
YouTubeで「〇〇 - トピック」という名前で表示されるチャンネルは、個人が不正に動画をアップロードして著作権を回避しているわけではなく、YouTubeのシステムが公式の音源を元に完全自動生成している公式チャンネルです。
そのため、運営者が「裏技的な手法で著作権をクリアしている」のではなく、「最初から100%著作権をクリアした公式音源」しか配信されていません。
トピックチャンネルが作られる仕組みと、著作権をクリアしている具体的なシステムは以下の通りです。
## 1. 音楽配信代行サービス(ディストリビューター)の利用
アーティストが楽曲を世界に配信する際、TuneCore JapanやDistroKidなどの「音楽配信代行サービス」を利用します。
YouTubeは提供された音源とジャケット画像を組み合わせ、自動的に1本の動画(アートトラックと呼ばれる、静止画と音楽のみの動画)を作成します。
アーティストごとに個別のチャンネルが存在しない場合、YouTubeは自動的に「アーティスト名 - トピック」というチャンネルを新規作成し、そこに生成したアートトラックを格納します。
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もしあなたが音楽クリエイターで、自分の「トピックチャンネル」を作りたい場合は、YouTubeに直接動画を投稿するのではなく、以下の手順を踏む必要があります。
数日〜数週間でYouTube側に自動的に「あなた専用のトピックチャンネル」が生成され、著作権が完全にクリアされた状態で音楽が配信されます。
ご自身のオリジナルの楽曲を配信したいと考えていますか?それとも他人の曲を使ったチャンネル運営について調べていますか?目的を教えていただければ、さらに詳しいアドバイスが可能です。
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> >
YouTubeにおける「トピック(Topic)」という言葉には、大きく分けて2つの意味があります。
文脈によって指すものが異なりますが、一般的に音楽関連で使われる場合は1つ目の意味(自動生成された公式チャンネル)を指します。
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YouTube Musicのシステムが、権利元から提供された音源を元に自動で作った音楽専門のチャンネルという意味です。
YouTubeが動画のジャンルや検索トレンドを分類するために使っている「テーマ(お題)」という意味です。
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今回調べている「トピック」は、1つ目の「音楽アーティストの自動生成チャンネル」のことで間違いないでしょうか?
もし、ご自身のチャンネルを「アーティスト公式チャンネル(音符マーク付き)」に統合したい、あるいは特定のトピックから動画を削除したいなど、具体的な目的があれば教えてください。
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> >
「トピック(Topic)」という英語が、その意味合い(「公式が用意した音楽ページ」であること)を示す言葉として英語のニュアンス的にも完全に正しいかという点について回答します。
結論から言うと、英語本来の意味としても100%正しいです。不自然な点はありません。
YouTubeがなぜ「Official」や「Channel」ではなく「Topic」という英単語を選んだのか、その理由は英語の持つ本来の意味にあります。
英語の「Topic」には、日本語の「話題」以外に「特定のテーマで集められた情報のまとまり(Subject / Category)」という意味があります。
YouTubeの公式英語ヘルプでも、トピックチャンネル(Topic Channel)について以下のように説明されています。
"Topic channels are generated by YouTube to ensure a complete discography of an artist is available on the platform."
(トピックチャンネルは、アーティストの完全な作品目録(ディスコグラフィ)をプラットフォーム上で確実に利用できるように、YouTubeによって生成されます。)
つまり、YouTubeのシステム(AI)が「このアーティストの楽曲データ」というテーマ(Topic)に基づいて自動生成した公式の音楽目録ページであることを示すために、この単語が使われています。
## 3. 他の単語との違い
したがって、「これは第三者の違法アップロードではなく、システムが公式に用意したページである」とユーザーが識別するための英語の表現として、「Topic」は非常に適切で正しい言葉選びです。
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このトピックチャンネルの仕組みについて、英語での表記(表示のされ方など)や、海外向けの配信に関してさらに詳しく知りたい情報はありますか?
<<
> >
「トピック」という言葉に違和感(しっくりこない感覚)を覚えるのは、あなたの言語感覚が非常に鋭いからです。
違和感が生じる理由は、英語の辞書的な意味の問題ではなく、「日本語の『トピック』の使われ方」と「YouTube独自の専門用語(IT英語)」の間に大きなズレがあるからです。
## 1. 日本語の「トピック」は「単発の話題」を意味するから
日本人が日常会話やニュースで「今日のトピック」と言うとき、それは「最近のニュース」「1つの話題」「お題」という意味になります。
しかし、YouTubeのトピックチャンネルは「その歌手の全楽曲が蓄積されたデータベース(公式アルバム置き場)」です。
日本人にとって、「アルバム一覧」という巨大なアーカイブに対して「話題(トピック)」という軽くて単発的な言葉が使われていることに、強いミスマッチを感じるのです。
私たちは「チャンネル」と聞くと、YouTuberやテレビ局のような「意思を持った人間が運営している場所」を想像します。
しかし、YouTubeにおける「Topic」は、人間ではなく「AIやシステムが自動分類したカテゴリの箱」を指しています。
「歌手の名前 = 1つのカテゴリ名(お題)」として処理されているため、人間味のない機械的な冷たさや違和感を覚えてしまいます。
この「トピック」という分類法は、もともとYouTubeが動画をジャンル分け(ゲーム、スポーツ、音楽など)するために裏側で使っているデータベースの管理用語(IT用語)でした。
それが、音楽配信(YouTube Music)のスタートに伴ってそのままユーザーの見える表舞台(チャンネル名)に出てきてしまったため、「なぜここに急に『トピック』なんて言葉があるんだ?」という違和感に繋がっています。
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一言で言えば、「公式音楽アーカイブ」と呼ぶべき場所に、システム都合の「話題(トピック)」という名前がついているから違和感がある、というのが真相です。
この「トピック」という表示を消して、普通の「アーティスト公式チャンネル(音符マーク付き)」に綺麗にまとめたい(統合したい)といった要望はありますか?それとも、単純に仕組みとしての疑問を解消したかった状態でしょうか?
AIにそう言われて、私も考えを改めようと思いました…😟
女性にも、老人にも好かれたいので、じゃあボンジョビとかヨーロッパは最低限やらないとなあ、みたいに思ったり、
まあ、ビートルズとかですね、ディープパープルもですし、あと、アニソンは共通語になるので、
と思いましたが、完全自己満足に走るとして、
まずは民族音楽ですかね、ケチャとかもそうですけど、AKIRAの芸能山城組みたいな方向性とか、
ユーロビートとかエレクトロニカ、それとデスメタル、djentですね、
中国のメタルバンドみたいに、和楽器も入れたいですね、やりましょう…😟
有名な曲のコピーは飽きてきたので、奏法とか、テクニカルな部分はまだまだ詰める必要がありますけど、
K-POPアイドルのオタクを約3年ほどやっているが、最近こう思うようになってきた。
こう思いはじめたきっかけは、私が応援しているアイドル達が不祥事を起こした訳でも、彼らに直接的な原因がある訳でも無い。「良い歳した大人なのに、オタクをやっているのってヤバいな、やめなきゃ」という焦燥感から辞めようと思い立った訳ではない。「推しに貢ぐお金って無駄!自分に投資した方が有益」という風に、他のオタクを煽りたい訳でも無い。そういう風に考えたことは全く無い。寧ろ、オタクをやり始めてから毎日が楽しくなった。その事実は今も変わらない。同じオタク同士で仲良くなれた人もいる。アイドルに元気を貰い、日々の活力になった。こんなにもやりがいのある趣味は無いと思う。アイドルには感謝しかない。理不尽な叩かれ方をするアイドルを見て悲しくなったり、不誠実な対応をする事務所に怒りを覚えることもあったが、毎回なんとか立ち直れていたし、ライブが楽しみだった。
でも、何も考えず楽しむには、この趣味は辛いことが多すぎる。辛いこと、というのは、突発的な炎上や、事件だけではなく、いわゆる"推し活"が抱える問題や、仕組みに対する不満だ。それを薄っすらとずっと考えてモヤモヤしていることに、最近耐えられなくなってきた。
それを考え始めた1番のきっかけは、お金だった。アイドルを応援し、十分にコンテンツを楽しむにはお金が掛かりすぎる。私はアルバムを大量に買わないし、握手会やサイン会といった対面イベントにも興味が無く、恐らくお金を掛けている人間の百分の一もお金を使っていないが、それにしても出費が痛い。私が地方在住者であり、ライブ会場に行くまでの交通費がかかることが1番のネックだが、それを抜きにしても、毎回かなりの出費になる。今、日本が不景気であることを加味しても、ライブのチケット代はとても高い。そして、チケット代は毎年少しずつ値上げし続けている。
アルバムも地味に高い。私の応援しているアイドルのアルバムは、1つにつき、安くて2000円前後、高い時は4000円ほどだ。恐らく、これより高額なアルバムを出しているグループも沢山あると思う。こうして見ると、高価な物でも無いが、K-POPアイドルは大体1年に2〜3回カムバック(※新しいアルバム、曲を出すこと)をしている。その度にアルバムを購入しなければならない。これが積み重なっていくと、割とキツい。アルバムの出費自体はそこまで大きくはないが、購入が自然と義務化されていくことによるストレスは、感じるようになっていた。
そして、出費が固定されていると、他のことができなくなる。東京でやっているイベントに行きたい。新しい靴が欲しい。家具を新調したい。でも、アルバムを買わないといけないから余計な出費は抑えたい。いつか必ずあるライブのために、貯金をしておかなければならない。交通費、グッズ、チケット代、それらのために貯金をしなければならない。そう考えると、他のことに使っている余裕は無い。好きでやっていることだから別に良い。別に良いが、正直、そう言い聞かせている側面があった。いくら自分が好きでやっていることだと言っても、ここまで行動が制限されるのは辛い。私の生活にもっと余裕があればこのような思いはしなくても良かったのかもしれないが、そういう問題では無い気がして、少しモヤモヤとした気持ちがあった。それが最初だった。
だが、少しの不満はあれど、これらに対して無駄金、とまで思ったことは無い。アイドルが好きだから。自分がやりたくてやっているから。全て必要経費だと割り切っているつもりだった。ライブに行きたいからライブに行っているし、アルバムが欲しくてアルバムを買っているから。でも、ライブに行った月や、アルバム購入後のクレジットカードの請求額を見ると、少し苦しくなるのは事実だった。
そこで気づいたが、私とアイドルを繋ぎ止めている理由には『アイドルが好きだから』以外の物がない。他の人間のように莫大なお金を掛けていないから諦めきれない気持ちも無く、どうしても対面イベントに行きたい欲も無い。"好き"以外の理由が無い。強い執着心が無い。その為、アイドルが好きではなくなった訳ではないのに、「好きだけど、アイドルを応援し、お金を掛けることへの後ろめたさ」に耐えられなくなった瞬間に終わってしまう。そして、最近その気配を感じるようになった。
終わってしまったら、想い出は残るが、これ以上更新されない。アンコールの終わりに、「ずっと一緒にいてね」と涙ぐむ彼らの表情が目に浮かぶ。それらを想像し、深く悲しむくらいの情はあるのに、辞めたくない、と抵抗する気力は不思議と全く湧かない。
現代の、"推し活"のシステムが肌に合わないとはずっと思っていた。というか、現代の、アイドルの商売としてのシステムや、取り巻く環境に納得している人間なんて、存在しているのだろうか。売り上げ貢献や、対面イベントに行くためのシリアルコード欲しさを抜きにしたら、同じCDを何百枚も買いたい人なんて存在しないと思う。カムバの度に「大量のCDがもったいない」という気持ちが過る。
アイドルに、清く正しく聖人であるよう、それが当たり前のように、無邪気に強要しているオタクは恐ろしい。別に彼女がいようが、彼氏がいようが、恋人がいようが、どうでも良い。恋愛禁止は人権侵害だと思う。だって人間なのに。人間だから過ちを犯すこともあるだろう。その過ちの大小に限らず、オタクは言葉だけではなく、使えるものを全て利用し、ある時は肉体的に、精神的にアイドルを徹底的に叩きのめす。ボコボコにする。そもそも、アイドルとオタクのパワーバランスはおかしい。お金を払っていたら何を言っても、何をしても良いのだろうか。
所属タレントにも、消費者であるオタクにも、不誠実な態度をとり続ける事務所への不信感を抱えたまま、アイドルを応援するのはもどかしい。それでもアイドルが好きだから、アルバムを買うしライブにも行く。しかし、私の払った対価が、憎たらしい事務所にも吸い取られていることを考えると、やるせなく、悔しい。
匿名のメッセージツールに、出所が不明のゴシップや愚痴・デマを送る人間と、それを何の責任追及もなしに取り上げることができる人間の不気味さと異常さは、この世で最も醜い物の1つだと思う。反吐が出る。全員捕まって欲しい。
サバイバルオーディション番組に付随する何もかもが怖い。1番怖いのが、様々な問題が起こっているのにも関わらず、続々と新しい番組が登場していき、皆過去の苦しみを忘れてそれに熱狂していくことだ。
若く細く美しいアイドルの容姿に惹かれ、評価する度、これはルッキズムの助長行為だと葛藤する。完璧に近いアイドルの容姿を褒めることで、自分で自分達の首を絞め、生き辛くしている。
過酷なスケジュールに体調を崩したり、忙しくて辛そうなアイドルを見る度に罪悪感が募る。そこまでして貰えるほど、私は彼らになにもしていないし、して欲しくもない。しかし、私が望む彼らのパフォーマンスは、それらの苦しみによって生み出されているのだろうと思うと、何も言えなくなる。
ボランティアであること以上の仕事量を求められる、ファンダムに対する申し訳なさと、素人故の危うさから感じる緊張感。ファンダム同士の衝突やトラブルが起こり、それによるオタク同士の確執が誕生するのを、たった3年間で数えきれないほど見てきた。
オタクの善意や不安心、競争心を煽る音楽番組の仕組みも面倒すぎる。ライブや曲、アイドル本人達のことだけを考えてオタクをやりたい。カムバック中だって、他のアイドルの曲を聴きたい。でも音源の点数に貢献してしまうから聴けない。成績とか、音楽番組で1位を取れたとか、CDを何枚売り上げたとか、本当は全く興味が無い。私が楽しめるならそれで良い。でも、そうはいかない。そして、投票しない理由も、好成績を喜ばない理由も無い。アイドルが喜ぶから。喜んでいるから。好きなアイドルが喜んでいる姿を見て、嬉しい気持ちにならない訳がない。成績を残す度に、アイドルとして活動できる時間が少しずつ伸びていく。それの繰り返し。オタクが課金をして1位を取れたからなんなのだろう。そのお金はどこに行き、何になるんだろう。これはいつまで続くんだ。終わりはいつ来るんだ。誰かが倒れるまで?恐らく、誰が倒れようが、死のうが、続いていくのだろう。現に続いているのだろう。誰かがボロボロに傷付いても、一時のセンセーショナルなニュースとして取り上げられ、その内コンテンツとして処理され、美化され、忘れられていく。それはまだマシな方だろう。そもそも、そんな苦しみも、怒りも、悲しみも、無かったことのように処理されることが殆どなのだろう。
いつか来るであろう終わりが予想されていても、この業界とシステムの限界を第三者に指摘されていても、生きる為に、膨大な数の人間を満足させる為に、続けていくしか無いのだろう。
全てが少しずつストレスになっている。アイドルもオタクも、全員が全速力で走り続けなければならないやり方は息が詰まる。
アイドルという商売、特にK-POPアイドルの売り方が持つネガティブな側面について目を向けないようにしていたが、嫌でも直視しなければならない瞬間が来てしまった。物事を俯瞰で観察している自分に酔っている、と思われるかもしれない。現にそうかもしれないが、部屋の片隅に大きく積まれているアルバムの収納に頭を悩ませる時間は、本当に必要な時間なのだろうか。集票や投票のために、大量の広告を視聴している時に感じる虚しさは誤魔化せない。我々は何度白熊を狩り、ネジを抜いて、ジュースを大きくしていけば良いのか。
「そんなことは分かった上で楽しんでいる」という意見はごもっともだと思う。自分もそうだ。楽しんでいる最中こんな文章を目にしたら「うるさい、嫌ならさっさと辞めろよ」としか思わないだろう。でも今はもう楽しめない。アイドルと消費者の犠牲の上に成り立っている物が楽しめなくなっている。趣味に生産性を求めるのはあまり好ましくないが、それにしたって何も生み出さない。一瞬の感動を得る為に、多くの人間が、それぞれの何かを犠牲にしているにしては、あまりにも虚無だ。限界を感じる。
個人的な話だが、自分の、アイドルに対する距離感にも問題がある。個人的な話になるが、自分はかなり外的要因からの影響を受けやすく、共感しやすい。その為、アイドルを「赤の他人だから」と割り切れない。彼らが理不尽な攻撃を受ければ、腹が立ち、眠れなくなる。彼らが過ちを犯せば、大きなショックを受け、1日中それについて考えている。アイドルの全てを追いかける必要はないのに、それができない。0か100しかない。この性質は、現代でオタクをやる上でとても厄介だと感じる。
私がオタクを辞めたからといって、今の現状に歯止めをかけることはできないし、何かが変わる訳でも無いと思う。事務所の利益がほんの少し減る可能性と、私の日常のルーティンが1つ減ることが確かだ。
私は、これからもオタクを続けるのだろうか。自分でも分からない。今でもアイドルのことは好きだ。好きだと思う。楽しい想い出も沢山ある。元気を貰ったことも確かだ。でも好きである以上に、この終わりのない連鎖に加担している事実が耐えられない。別に、ある日突然現在の環境になった訳でもなく、今までずっとそうだったし、私がオタクになる前から続いていたことだと思う。それに耐えられなくなった、というだけである。もしかしたら、数ヶ月後にはまた元気にアイドルを応援している自分がいるかもしれない。今、確かなのは、自身が苦しんでいることを整理し、言語化しなければならないほど疲弊しているということだけだ。
同じアイドルを応援している友人達に水を差す訳にもいかず、かと言って自分1人で抱えるには辛かった為、ここで開示した。
少しでも、今のアイドル業界が、"推し活"が抱えている問題点が改善してくれれば良いと祈っている。
こないだ突然大泉洋に噛みついた松山千春。(これだって大泉が自分のことは歯向かえないと分かっていた上での発言)
ちょっとYahoo!ニュースで話題になっているなあと思ったら裏事情を知っている人がコメント書いてた。
メンバーの承諾なしにベスト盤やリミックス盤を発売したために清志郎は激怒。「NEWSからのレコードは買うな」とファンに呼びかけた。
音楽はね、もう生産にコストは掛からないし、ほとんどの客も大してクオリティを求めてないから安くなったんだよな
音楽(というか音源を売るビジネス)はもうコモディティ化したからなぁ
ストリーミング(と動画配信サービスとSNS)という流通革命、DTMという製造革命、この2つが起きたことにより参入障壁がほぼなくなり、新しいプレイヤーが無限に湧く供給過多な業界になった
で、厄介なのが新規プレイヤーが半分趣味でやっていて、儲ける<有名になるという価値感を持っていること
そしてそいつらがそれなりのクオリティで音楽を生産できるようになっていること(中華製品の品質が上がってきたのと同じ)
なので、音楽(音源を売るビジネス)で儲けることはほぼ無理な世の中になった
で、組合作ったところで、音楽で儲けるという価値観がない奴らは入るわけなく爆安単価で仕事をしまくる
そんな業界の変化が起きたのに未だに音源で儲けようとするのがそもそも古く保守的なんだよ
業界を変えるより、ユニクロやsheinがあるのにまだ儲かってるルイ・ヴィトンとかハイブランドを参考にして自分たちの音楽をブランド化するしかないと思う
全体的に思ってたんと違った型、何コワホラームービーの珍作で44点。
霊障に困っている人たちにお祓いをするというていのペテンにかけることで金儲けをしている兄妹と兄の恋人&ナード君の4人組。そんなある日、借金漬けの兄が金欲しさに勝手に受けた依頼で山奥の屋敷に出向くことに。そこは昔、イカれ男が女児3人を口を縫い付け殺したというセンセーショナルな事件があった館だった。やたらと鋭く高圧的な主のババアにお前らペテン師だろと詰められながらもお祓いの仕込みを始める4人。しかし、館内で次々とおかしな出来事が起こり始める。この館に潜む真実とは……
みたいな話。
まず、呪われた死霊館ってタイトルだけど、ジェームズ・ワンの死霊館シリーズとは何の関係もありません。配給会社の人間はJAROに自首するように。
で、話としてはぱっと見、悪霊祓い詐欺師たちが実際の悪霊屋敷に乗り込んでしまい彼らの怒りを買って酷い目に合う話っぽく見えるし、だとしたら面白そうじゃんと思うんだけど見ているとなんだかもっと無駄に複雑な感じになっていく。
彼ら4人のチームは、兄がお祓いの説明係、妹が霊媒師係で、兄の恋人がなんかいてて、ナード君がカメラと技術担当。兄が依頼者に活動を説明しながら安全な場所でモニターを一緒に見て、ナード君と妹が霊障現場に乗り込み、妹が霊媒師の演技をしながら時間を持たせて、良きところでナード君がそれっぽい音声を流し妹が何かを説得する演技をして音声を消し「去りました」と告げてお祓い完了。その流れ自体はなんていうか詐欺の裏側ものみたいな感じで面白いし、なんていうかこれで依頼者たちに安寧が訪れるんだったら取ってる金次第だけど、まぁ、いいんじゃないという気がする。宗教みたいなもんやろ。
しかし映画冒頭のチュートリアルの現場でいきなり妹がガチ幽霊を見てしまう。その後、大学お前サボり気味やなって教授に詰められているときにも見ちゃうし、ババアの依頼の電話を最初に受けたときにもすごい耳鳴りがしちゃうし、怖くなって祖父に相談しに行ったら「お前の母親は霊媒体質やったんや。なんかいろいろ聞こえる言うてな。最終的に霊媒師になってその後、自分で目玉をくりぬいて自殺したんや。あいつは弱かった。だから死んだんや」と告げられる。
エッ、霊媒師詐欺師ものかと思ったら本当に霊媒師だったっていうお話なの?ってなってくる。ちょっと話変わってきたな……
そんなこんなで詐欺に加担するのよくないよなぁという妹に対して、兄は地元のギャングに借金があるのでもっと詐欺したいというクズキャラなんだけど、なぜか一人でいるときはずっと自己啓発音源を聞いている。そして、俺は大丈夫、俺はやれると言いながらなんか変な薬もやっていて、こいつはこいつでなんかおかしいのね。
で、まぁババアの家に行ったらちゃんと口を縫い合わされたガキどもがウロウロしてて妹はそれに導かれてその家で起きた悲劇の真相を探っていくことになり、一方で兄の方はいつも通り詐欺の工程を進めようとするもやたらと鋭いババアにガンガンに論破されていく。このババア、底知れぬ怖さがあってめっちゃいい。そうこうしているうちに兄にもガキどもが見えるようになり、なんなら死んだ母親まで見えてくるし、ナード君はうっかり床板踏み抜いて落下して足を折るし、ババアにはもう完全にバレてるしで「はい、もう終わり。撤収です!撤収!」って感じになるが気付くと恋人がいない。
うろついてるガキどもに導かれて見つけると、なんと彼女は口を縫い合わされていた。大慌てで車に乗って逃げだす4人だったが、いつも通りうっかり単独事故を起こし恋人はフロントガラスを突き破り飛んで行って死亡、兄は何者かに連れ去られ、ナード君は殴られて、意識を取り戻した妹は兄を探しに再び屋敷に戻る。
そこで、怖いのは悪霊屋敷だと思っていたら実は怖かったのはババアだったというヒトコワ展開に突入する。息子大好きなババアはたぶん息子が誘拐してきたガキたちがなんか息子の悪口を言ってるから(そりゃそうだろ)、口を縫い合わせてブチ殺していたのだった。いつの間にか息子もいます。口を縫い合わされた兄はブチ殺され、妹も捕らえられ、助けに来たナード君は息子をぶち殺すことには成功したものの中華包丁を持ったババアに生きながら切り刻まれる阿鼻叫喚の事態に。思ってたホラーと違う~!
霊媒体質の妹は死んだガキどもに「助けてクレメンス!」と訴え、それを聞き入れたガキどもが叫びだすとババアはうるさすぎて悶絶。そのすきに妹がアイスピックで首をぶっ刺してFATAL K.O。強い。まぁあんだけうるさかったら口を縫い合わしたくもなるわなという説得力はあった。
さっきも書いたけど、悪霊屋敷が怖い話かと思ったらガキどもはシンプル被害者で実は怖いのはババアでしたという話になってう~んそういう話だったっけ、じゃあそもそもこのバアアはなんでお祓いを呼んだんや。もしかして自分たちで殺したガキどもがうるせーからお祓いしたろwと思って呼んだん?サイコパスすぎん?と思うし、なんで兄の恋人の口を縫い合わせてそのまま放置してたんかもわからん。
たまたま車がホラー映画のお約束を熟知してくれていたからうっかり単独事故を起こして逃亡を阻止できたからよかったものの、もしすんなり逃げ切れてたら通報されておジャンジャン?だからこそ殺人鬼たちはまず移動手段を奪うんであって。
ここのジャンルチェンジありきでババアが実は怖い存在でしたにハンドル切った結果、じゃあこのババアは”現在”いったい何を考えて行動しとるんやというところがかなりないがしろにされている感じはする。
あとはイカれた親子愛ババアと息子が実は敵でしたという展開をラストに持ってくるとして、だったらせっかく置いた主人公チームも実は母親が霊媒師でしたという設定を絡めてこないのは片手落ちというか、そこで母親の加護みたいなものを一個挟んどけばまとまりができたのになと思わんでもない。まぁ母親譲りの霊能力でガキどもに協力を仰げたと言えんくもないが。
あと兄が自己啓発に励んでいたのももうちょっとイイ感じの活かし方があった気はする。たぶんだけど母親の衝撃的な自殺から自分を守っていたんだと思うんだけど、なんかそのへんは全然表に出てこないし、むしろ兄にこそ霊媒形質が強く遺伝していてその能力を否定するために俺は大丈夫だと言い聞かせていた、みたいな感じでもよかったのに。知らんけど。
まぁ、そんな感じかな。
なんかもっとシンプルに霊媒師詐欺師集団VS悪霊屋敷という形のほうがもっとまとまりのいい面白い映画が撮れたんじゃないかなって気がするんだけど、そこに実はヤバいのはその屋敷の霊を生み出したババアでしたという展開を突っ込んだ結果、なんか散漫な映画だなぁって感じになっちゃった印象。
とはいえ、そのひねり自体は面白くはあるし霊媒師詐欺師の裏側もちょっと見られるし、ババアは怖いしホラーとしてもギリギリ楽しめるかなって感じなので、ホラー映画好きにはギリギリおすすめかな。