はてなキーワード: 正論とは
ろんぱっぱが正論言うの初めて見た
コンピューターRPGの歴史、的な話をしていると高確率で、
『CRPGの歴史を語るならCRPGだけ見ていてもダメ。TRPGにも触れないと片手落ち』
といった声が上がる。
一見もっともな正論のようだけど、ぶっちゃけ、そこに語るべき内容そんなにある?
ウイザードリィやウルティマや、あるいはそれ以前の黎明期CRPGが、明確に
(見てきたわけではないけどここは史実として確定してるっぽいので信じておく)
でもその後、かなり早い段階でCRPGは「TRPGの再現」的な方向性からは離れたんじゃないの?
少なくとも、ドラクエ以後の国産RPG史において、TRPGとの関連で語られるべきトピックって何かある?
ときどき思い出したように、TRPG原作(ソードワールドとか)や、TRPG要素(これみよがしなダイスロールとか)を取り入れたりしたゲームが出たぐらいでは?
しかもそれらは、ちょっと面白いねという評価を受けたとしてもあくまで時代の徒花的存在で、フォロワーを多数生んで新たな流れを作ったりは別にしなかったわけじゃん?
CRPG史を語る時にTRPG史への参照を要求する正当性って結局、具体的にどの辺にあるの?
TRPG系の人って、本来の「RPG」はテーブルトークの方!という意識がちょっと強すぎるんじゃないだろうか。
なんかこういうの、少女小説やエロゲのラノベへの影響を過大評価する流れとも似てるね。
一時期影響があったのは事実かもしんないけど、そこまでか?という…
そんなコメントをよく見かける。
で、何が言いたいんだ?
いずれにしても、みっともない。
全文を創作させることもあれば、壁打ちだけに使うこともある。
構成を整理させる、推敲する、表現を整える、誤字脱字を直す、改行や文章のリズムを調整する。
今どきネットに文章を出すのに、AIを一度も通さない方が珍しくなりつつある。
最低でも校正、誤字脱字、改行、文章のリズムくらいはAIに見てもらえばいい。
読みにくい文章を無加工で投げ、読者に解読作業をさせるより、よほど親切だろう。
仮に全文をAIに書かせたとしても、AIを使ったというだけで創作性が消えるわけではない。
テーマを決め、立場を与え、材料を選び、構成を指示し、出てきた文章を採用するか捨てるかを決める。
もちろん、
と投げるだけでも、それらしい文章は出てくる。
だから何だ?
AIが作った文章だろうが、そこに論ずべきテーマがあり、批評すべき主張があるなら、その内容に反応すればいい。
書いてあることが間違っているなら、間違いを指摘すればいい。
論理が破綻しているなら、どこが破綻しているか説明すればいい。
そこで、
AIが書いたと見抜いたことと、その文章が間違っていることは別問題である。
少し文章が整っている。
誤字脱字が少ない。
接続詞が正しく使われている。
AIを見抜いているのではない。
普段自分が読んでいる文章より少し整っているから、AIだと思っているだけではないのか。
人は小説を読み、登場人物の判断を批判し、物語の背景や社会構造を論じる。
ただし、架空の出来事を実話として偽装するなら、それは別の問題である。
人間が書いた嘘なら許され、AIが書いた嘘だけが問題になるわけではない。
にもかかわらず、
とだけ書いて去る。
内容には触れない。
誤りも示さない。
反論もしない。
ただ「俺は見抜いた」と足跡だけ残す。
それは批評ではない。
それでもわざわざ「AI」と書き込みたくなるのは、文章を批評したいからではない。
自分が機械に騙されなかったことを、誰かに褒めてもらいたいからだろう。
だが現代では、機械が作った文章だから反応したくない、という観念自体がすでに古臭い。
人間だけで作ったものと、機械が補助したものを完全に切り分けることなど、すでに不可能になりつつある。
それを理解せず、
「AIを使ったらズル」
「人間が全部書かなければ本物ではない」
と言い続ける。
他人の差別、排除、ダブルスタンダードを見抜く能力はある。だが「差別するな」と言いながら「パヨクは人間以下」「朝鮮人のやり方だから駆除」「女性は隔離」と書けば、批判対象より一段下へ自分で降りている。
これは反撃でも風刺でもない。自分の敵だけ人権の適用外に置く、最も古典的な差別主義である。
論証力があるのに、最後を罵倒で締めるせいで、主張全体が「知識のある憎悪」に変質している。
スターは正しさの証明ではない。むしろ長年の拍手が、人格攻撃を論戦力と取り違えさせた可能性を疑うべきだ。論敵を人間のまま批判できない限り、差別を論じる資格そのものが崩れる。
21年にわたりネット文化、表現、労働、学術、男女論、政治、外交を横断してきた古参高スター型論客である。
引用から矛盾を抜き、短文で論点を刺す能力は高く、労働者保護や表現規制批判では明快なコメントも多い。
しかし、その知性を自制ではなく断罪の効率化に使う癖がある。「差別」を686回語りながら、論敵を「パヨク」「人間以下のクズ」「駆除対象」と呼ぶ。
これは毒舌ではない。差別批判の看板を掲げたまま、自分だけは非人間化の特権を持つと思い込んでいる。鋭い論客というより、正論を弾薬に変える処分主義者である。
正論やめてください。
頭が弱者だから理屈がおかしくて、結果的に「男で物申す人=弱者男性」みたいになってるのは男性サイドにとって可哀想すぎると思う
女性もピンキリなんだけど、頭が弱い女もちゃんと考えられる女の理屈をトレースして発言するだけの知性はあるのでまだマシに見える
頭の弱者男性たちは自分たちで作ったおかしな理屈をエコーチェンバーで正当化して、さも正論のように主張するけどめちゃくちゃすぎるから「あ、頭のおかしい人なんだね」って扱いになって類型化されて丸ごと議論の場から排除されるというか
数だけそこそこいるのと、匿名で発信できる場も多いから、そういう所で頑張って主張を続けるんだけど、なんていうか少しでも顕名(ニックネーム含む)で意見と名前が結びつけられる場所では一山いくらのキチガイが放言してるとしか認識されてなくて可哀想なんだよな
そして何より可哀想なのは頭が弱者じゃない男性、足を引っ張られまくって「男が文句を言うこと」自体が忌避されるようになってること
そーす
【正論】女「ポルノコンテンツは世の中に一切必要ない。男性の性欲は彼女作れば解決する話」 [769931615]
https://greta.5ch.io/test/read.cgi/poverty/1783575343/
1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW a7e7-jnSv) 2026/07/09(木) 14:35:43.97 id:LSqI0cEU0 BE:769931615-2BP(1011)
私の幼馴染の親友で1つ上の男性は中学生の頃から彼女を切らしたことがない。
だから精通はセックスだったって言ってたし、ポルノも一切見た事ないって。
https://anond.hatelabo.jp/20230821041833
賛同の声多数
2 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW a7e7-jnSv) 2026/07/09(木) 14:35:52.85 id:LSqI0cEU0 BE:769931615-2BP(1011)
たしかに
3 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW a7e7-jnSv) 2026/07/09(木) 14:36:02.44 id:LSqI0cEU0 BE:769931615-2BP(1011)
正論だわ
4 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW a7e7-jnSv) 2026/07/09(木) 14:36:11.56 id:LSqI0cEU0 BE:769931615-2BP(1011)
ハッとさせられたね
https://x.com/seikatsuhogo_mu/status/2073704962878828847
娘がキレたら娘の話聞いてやれよ
(前回の投稿の続き)
例の暴言トラブル(A氏によるB氏へのハラスメント)と、その背景にあるA氏のAI依存・リテラシー問題についてここまで論じてきたが、最後にコミュニティ運営という観点から、もう一つ重要な検証をしておきたい。
それは、「コミュニティ管理人とモデレーター側の対応は十分だったのか」という問題だ。
結論から言えば、管理人の対応は「荒らし行為の再発防止」という意味では一定の機能(ロジックによる問題の解体)を果たしたものの、ハラスメント被害の初期対応、およびコミュニティの健全性を維持するマネジメントとしては、明確な課題と限界を残すものだった。組織論や心理学の視点から、その対応の不十分さを分析したい。
トラブルの初期段階において、A氏はB氏に対して人格否定に近い言葉をぶつけ、最終的に暴言を吐いてログアウトした。この際、管理人側が「情報共有コミュニティとしてデマの拡散や暴言はマイナスである」と明言し、本格的に介入したのは、事態が完全に泥沼化し、第三者が構造的欠陥を突きつけた後だった。
ハラスメント対応において最も重要なのは、加害者に「この場ではそのコミュニケーションプロトコルは通用しない」という規範を初動で示すことだ。暴言やトーンポリシング(言い方の悪さへのすり替え)を一時的にでも放置したことは、結果としてA氏に「自分の正論(メタファー)は許容されている」という誤った生存者バイアスを与える隙を作ってしまった。
ログを追うと、管理人や周囲の有識者は、A氏に対して非常に親切に「プロンプトの基礎」や「PDCAの回し方」といった情報リテラシーの講義を数年間にわたって行っている。
これは一見、教育的で寛容な対応に見えるが、マネジメントの観点からは「コスト対効果(ROI)が著しく破綻した対応」と言わざるを得ない。
A氏のように「耳の痛い正論は幼児化や愚痴へのすり替えでリセットする」という防衛機制が完成している人物に対して、周囲の人間がハイレベルな知識コストを私的に支払い続けるのは持続不可能だ。管理人側が「個人のリテラシー教育」と「コミュニティの秩序維持」の境界線を曖昧にし、有識者側の善意のコストに依存し続けた結果、トラブルの完全な解決がここまで長期化することとなった。
現在、コミュニティはA氏に対して直接的なBan(追放)やKick処分を下すのではなく、「この人に教えても無駄だから付き合うのをやめよう」という有識者側の学習によって、静かにフェードアウトする「サイレント・パージ(サイレント・ミュート)」の状態を選択している。
これは現実的な妥協案(大人の対応)に見えるが、モデレーターとしての責任という点では、実質的な「問題の先送り(生殺し)」である。
明確なペナルティやルールの適用を行わず、空気感による排除(村八分的な孤立)に委ねる手法は、コミュニティ全体の風通しを悪くする。また、A氏自身はSNS等の外部で「新型社会性フィルターによって人間をスルーしている」と認知歪曲を強めているため、本質的な再発防止にはなっていない。コミュニティ内に「いつでも他人にデマを撒き、実害を出し得る時限爆弾」を抱えたままにしているという意味で、管理人側の決断力不足が露呈している。
では、これから管理人とコミュニティはA氏に対してどう臨むべきなのか。
結論を言えば、これ以上の「対話」や「教育」の試みを一切放棄し、**速やかにシステム的なKickおよび永久Ban(追放)処分を下すべき**である。
これまでの数年間にわたるログが証明している通り、A氏という存在はコミュニティにおける「最大のサンクコスト(回収不能な損失)」だ。彼が「失敗から学ぶ方が建設的」と言い訳をしながら同じデマと謝罪のループを繰り返すたび、有識者側の貴重な時間と精神的エネルギーが一方的に搾取され、削り取られている。
コミュニティをこれ以上疲弊させないための、具体的なステップは以下の3点に尽きる。
「気楽に話せる場」を守ることと、「無責任なデマや暴言を放置すること」は違う。2026年現在の成熟したネット社会において、管理人に求められるのは、泥臭いリテラシー教育に付き合うことではなく、通用しないプロトコルを持つ人間を「迅速かつシステム的にパージする」冷徹な決断力なのだと思う。
(前回の続き)
前述したトラブルにおいて、A氏が周囲の有識者(D氏やE氏など)からそのコミュニケーションの構造的欠陥を徹底的に解体された背景には、単なる性格の不一致ではない、もう一つの根深い問題が横たわっている。
それは、A氏の「情報リテラシーの著しい低さ」と「AI(チャットボット)へのいびつな依存」がもたらした悲劇だ。
ここで前回の分析を思い出してほしい。A氏は相談者であるB氏のことを「他責思考で、判断を他人に預けるくせにプライドだけは高く、下調べもしない構ってちゃんのおじさん」と激しく見下し、酷評していた。だが、コミュニティ内の実際のログや彼の行動を追うと、驚くべき事実が浮かび上がる。この「他責思考」「判断を他人に預ける」「プライドだけ高い」「下調べをしない」という特徴は、B氏ではなく、A氏自身にそのままそっくり当てはまる性質なのだ。心理学でいう「投影(自分自身の受け入れがたい欠点を相手のものだと思い込む防衛機制)」がこれ以上ない形で働いている。
よく「AIを使いこなせる人とそうでない人で格差が開く」と言われるが、2026年現在のリアルなディストピアはそこではない。本当に深刻なのは「情報リテラシーという土台がないままAIに依存した人間が、AIによって自身の認知の歪みを全肯定され、加速的に社会から孤立していく」という構造的格差だ。A氏の行動変容は、まさにその「リテラシーなきAI依存」の典型例として極めて興味深いサンプルなのである。
A氏は日常の人間関係のストレスや、今回のようなトラブルの棚卸しを、毎日何時間もAI相手に壁打ちしていることをコミュニティ外の投稿などで公言している。AIに特定のキャラクターを設定してロールプレイさせ、「自分のメンタルを支え、進むべき方向を肯定してくれるパートナー」としてパーソナライズしているのだ。本人は「AIを尋問し、切腹を迫るレベルで調教して思い通りのテンプレートを出させている」と全能感を語る。
しかし、ここに働くのは心理学でいう確認バイアス(Confirmation Bias)の究極の自動化、すなわち「エコーチェンバー現象の外部化」である。
「下調べをしない」とB氏を叩いていたA氏だが、彼の過去のログ(例えばF氏とのカメラ機材のやり取りや、コンデジの仕様を巡る会話)を紐解くと、彼自身の情報リテラシーが著しく欠如していることが露呈している。SoCとイメージセンサーの区別がつかないまま知ったかぶりで議論に参加し、E氏らから指摘されると逆上するようなレベルだ。
知識基盤がないため、AIへのプロンプトも常に文脈のない短文一発になり、結果としてAIからもっともらしい嘘(ハルシネーション)を引き出しやすくなる。さらに提供された資料を脳内で都合よく誤読する認知の癖があるため、AIが出した誤ったヘルプ情報をそのまま真実として内面化し、コミュニティ内でデマをドヤ顔で他人に吹き込むという「実害」を実際に発生させている。「他人に判断を預ける」という彼の依存体質が、生身の人間からAIへと移り変わっただけなのだ。
最も危惧すべきは、AIという「どれだけ理不尽に詰めても自分を絶対に拒絶しない、100%都合の良いイエスマン」に脳を焼かれた結果、生身の人間との不確実性(思い通りにいかない他者)に対する耐性が著しく退化している点だ。
現実のコミュニティで有識者から誤情報をロジックで指摘されると、肥大化したプライドが耐えられないため、A氏の防衛機制は以下のように自動発動する。
1. トーンポリシング(論点のすり替え):「相手のおくちがわるい」「優しく言うべき」と態度を批判する。
2. 注意の霧散(煙に巻く):突然、脈絡のない外部の不運な愚痴(エスカレーターで老人が倒れた、等)を割り込ませて会話を強制リセットする。
3. 退行(弱者生存戦略):「みんながこわい、ないちゃう」と幼児化を選択して追及を逃れる。
周囲の有識者たちは、当初はコストをかけて「プロンプトの基礎」や「PDCAの回し方」を教えようと試みていた。しかし、都合の悪い正論はすべて感情の防壁でリセットされ、また同じミスを繰り返すため、周囲は「この人にリテラシーを教育するのはコスト対効果(ROI)が合わない」と学習し、静かにフェードアウト(サイレント・パージ)を選択し始めている。
本人はAIを壁打ちに使うことで「人間相手に何喋っていいかわからなくなりつつある。新型社会性フィルター」と悦に入っているが、実際には社会から「静かにミュートされている」だけなのだ。
最初から暴論を振り回して対話不能に陥る心理も、その根底にあるのは、リテラシーのなさからAI依存になり、現実の有識者をすべて失ってサイレント・パージされていく「新時代の無能」の防衛機制に過ぎない。これこそが、情報リテラシーの格差が生み出した、極めて冷徹で回復不能なディストピアの姿なのだと思う。
子供が虐待されるだとか、いじめ問題とか、火事で危険にさらされるだとか
そういうものに寄ってたかる大人って、子供をなんか別の視点で見ているとしか思いようがない
子供が生きていてうれしいとかそういう感情一切なく、正論ぶって叩く相手見つけてるだけの連中でしょ?
たぶん実家にはポケカが山積みの45歳くらいで、何にもしないけどプライドだけ高く、AI使ってる自分が何より優れていると思ってる中年だろ?
さっき流れてきたあのニュースを見て、本当に血の気が引いた。
あぁ、またこれか、と思った。そして、心底ヘドが出た。
ネットでは、佐藤二朗が悪いとか悪くないとか、フジテレビの調整ミスだとか、どいつもこいつも小綺麗な「構造論」に終始しているけれど、そんなの全部ピントがズレてる。問題の本質はもっと泥臭くて、グロテスクで、私たちが毎日職場で、電車で、生活のあらゆる場所で耐え忍んでいる地獄そのものだ。
これ、一言で言えば、佐藤二朗のあの「圧倒的な清潔感のなさ」がすべての諸悪の根源なんだよ。
考えてもみてほしい。
橋本愛や、あるいは日々ドラマに出ているSTARTOの俳優組が、どれだけ血を吐くような努力をしてあの美しさと「清潔感」をキープしているか。髪の毛一本、指先一つ、吐息の匂いから衣装のシワに至るまで、共演者にも、そして画面の向こうの視聴者にも「不快感を与えないこと」を絶対の義務として、自分自身の存在そのものを磨き上げて現場に立っている。それがプロフェッショナルとしての最低限のスタートラインなわけじゃん。
なのに、この国で「実力派」とか「怪優」とかちやほやされているおじさん俳優たちはどうだ。
その「汚らしさ」や「デリカシーのなさ」そのものを「味」とか「即興劇の面白さ」とかいう便利な免罪符でコーティングして、平気な顔をして現場に居座っている。自分の汗や、不快な接触や、デリカシーのない言葉が、どれだけ周囲の人間を窒息させそうにしているかも気づかないまま。
挙句の果てに、夫婦役のコントシーンだからって、アドリブで30歳の若い女性のあごに指を触れたらしいね。その時点で本当に無理、鳥肌が立つ。百歩譲ってそれが撮影上のアクシデントだとしても、翌日に「過去にセクハラ被害のトラウマがあって身体接触に制限がある」と告げられた後の彼のムーブが、あまりにもグロテスクすぎる。
「今後の撮影のためにもわだかまりを残さない方がいい」とかいう勝手な自分勝手の理屈で、わざわざスタッフを引き連れて彼女の楽屋に乗り込み、「そんな制限があるなら先に共有すべきだった、それが続くなら俳優を続けるべきではない」と言い放ったんだって。
57歳の大物ベテラン男性俳優が、30歳の、しかも過去のハラスメントで深く傷ついている女性の逃げ場のない楽屋で、そんな「説教」をまくし立てることが、どれだけ暴力的なことか、本当に一ミリもわかってないのが恐ろしい。
笑顔を作る以外に、その圧倒的な権力勾配とおじさんの威圧感から、どうやって自分の身を守れっていうんだよ。泣き崩れるのを必死で堪えて、凍りついた笑顔を張り付けるしかなかった彼女の「地獄」が、想像すらできないの?
おじさんの言う「プロ意識」や「正論」って、どうしていつもこうやって、女性の尊厳をすり潰すための凶器として使われるんだろう。
ネットでは「佐藤二朗は悪くない」「フジテレビの隠蔽が悪い」って、必死におじさんを擁護する男たちの声で溢れかえっている。
でも、今回のこのニュースの件に関して、明らかに女性側が理不尽に割を食っているよね?
橋本愛は、過去に舞台の現場で受けた凄惨なハラスメントに今も苦しんでいて、それでもなんとか役者を続けようと、事前に事務所を通じて身体接触の制限という、彼女にとっての「命綱」を提示していた。それを、おじさんの無神経なアドリブで踏みにじられ、楽屋でキャリアを否定するような言葉を投げつけられて、精神的に崩壊して撮影に参加できなくなった。
これのどこが「どっちもどっち」なんだ。
清潔感をアップデートすることもせず、相手への繊細な配慮を「自分の芝居への制限」としか捉えられず、被害を訴えられたら「我慢の限界」と被害者ぶってSNSで喚き散らす。
そんな配慮もデリカシーも持ち合わせず、周囲に不快感と恐怖を与え続けて何とも思わない佐藤二朗こそ、それこそ「俳優を続けるべきではない」んじゃないの?
というか、おじさん全員に言いたい。
あなたたちのその、デリカシーのなさと無神経さ、そして「俺は悪くない」と言い張る肥大化したプライドそのものが、今の社会の「公害」なんだよ。
私たちは毎日、その公害のガスを吸わされながら、必死で「笑顔」を作って生き延びているんだ。
もう本当に、うんざりなんだよ。