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zerobaseに関するbitgleamsのブックマーク (18)

  • ウェブサービス開発の現場におけるデザイナー不要論と5〜10年後の生存戦略 - 情報建築家 石橋秀仁

    稿では、まず「ウェブサービス開発の現場で、ウェブデザイナーの仕事エンジニアに奪われつつある」という脅威を語る。次に、生存戦略を考えるヒントとして「分かりやすい生存戦略」を2つ提示する。「アートディレクター」と「フルスタックウェブデザイナー」という2つの生存戦略だ。 なお、「仕事を奪われていくプロセス」と「生存戦略を遂行するプロセス」について、5〜10年程度のタイムスパンをイメージしている。 ウェブデザイナーの仕事エンジニアによって奪われつつある ウェブサービス開発の現場では、ウェブデザイナーの仕事エンジニアプログラマーによって少しずつ奪われつつある。とくに小さな組織や新規事業の現場では。 象徴的なのは「Bootstrapがあればデザイナー不要だよね」論。「もはや社員としてデザイナーを雇う必要はなくて、必要な時にランサーズで発注すればいいよね」「スタイルシートいじったり画像パーツ作

    ウェブサービス開発の現場におけるデザイナー不要論と5〜10年後の生存戦略 - 情報建築家 石橋秀仁
  • Random Thoughts

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  • 「日本人はハイコンテキストだから言葉で説明しなくても云々」の誤り - 石橋秀仁(zerobase)書き散らす

    「日人はハイコンテキストだから、言葉で説明しなくても、互いに理解しあえる(だからロジカルシンキングが発達しない)」という議論に、ぼくは懐疑的です。日人は互いに理解しあえていない。理解しあっているような幻想があるだけ。 それは日人に限らない。人間は「互いに理解しあっている」という幻想を持っているだけ。「相互理解は結局のところ幻想にすぎない」という理解のうえに、それでもなんとか回る社会にしていくことが大事。 それに対して、日人の問題は、「日人はハイコンテキストだから、言葉で説明しなくても、互いに理解しあえるというメタ幻想を持っていること。それによって「相互理解できている」という幻想を強化していること。 「日人は言語を尽くしたコミュニケーションをしなくても、理解し合える」は誤り。 「日人は言語を通じた相互理解を早々に放棄し、曖昧な理解のままに物事を進める」というのがぼくの認識。 そ

    「日本人はハイコンテキストだから言葉で説明しなくても云々」の誤り - 石橋秀仁(zerobase)書き散らす
  • ユーザー・エクスペリエンスについて考える人に読んで欲しいクリッペンドルフの『意味論的転回−デザインの新しい基礎理論』(石橋秀仁)

    クラウス・クリッペンドルフ (Klaus Krippendorff) の『意味論的転回−デザインの新しい基礎理論』 (The Semantic Turn – A New Foundation For Design) というをご存知でしょうか。 『意味論的転回』は、「デザインとは、そもそも何なのか?」という根源的な問いに答える哲学書です。そして実践的手法を紹介するでもあります。デザインの思想と実践が、一冊のなかでつながっています。 〔この文章は、デザインとユーザー・エクスペリエンスについて考える人に『意味論的転回−デザインの新しい基礎理論』を読んでもらうために書かれています。また、UX Advent Calendar 2013 のために書かれました〕 序論と概観 このの目的は次のように述べられています: 書は、専門的な実践としてのデザインと、人間に一般的に備わっている活動としてのデザ

    ユーザー・エクスペリエンスについて考える人に読んで欲しいクリッペンドルフの『意味論的転回−デザインの新しい基礎理論』(石橋秀仁)
  • アメリカン・ヒーローと司法の適正手続 日本の警察・検察を疑いの目で監視すべき理由 | 石橋秀仁 (Hideto Ishibashi)

    日米の「ヒーロー」のあり方を比較したこのフレーズが、笑いのツボに入りました: こういうのってお国柄がでるよね。 例えばアメコミヒーローは意外なほど法律を重視していて、バットマンやスパイダーマンなんかは基的に悪人を警察に突き出して司法の手に判断をゆだねるんだけど、 日のヒーローはほとんどの場合犯罪者を自分で裁く、すなわち私刑を行うんだよね。 は? なに? アーンパンチ? おまえそれ正義の名を借りたただの暴力だろ。傷害罪で訴えられたら負けるから。 バットマンは私刑の執行を控え、司法に裁きをゆだねます。このような「節度」は、まさしく「お国柄」だと思えます。デュー・プロセス・オブ・ロー(法に基づく適正手続)を重んじる「近代国家」アメリカの国民精神に通じます。1 デュー・プロセス・オブ・ローが重んじられる理由 警察・検察はデュー・プロセス・オブ・ローの原則を守らなければなりません。刑事訴訟で被告

    アメリカン・ヒーローと司法の適正手続 日本の警察・検察を疑いの目で監視すべき理由 | 石橋秀仁 (Hideto Ishibashi)
  • 日本の知的風土では概念が脆くなる | 石橋秀仁 (Hideto Ishibashi)

    にやってきた概念は、来の意味を喪失し、ほかの言葉と区別がつかなくなりがちです。例えば、ウェブ業界では「UX」と「UI」の混同が代表的です。 こういった日の知的環境について、『日のかたち』収録論文が明晰に論じていました。その要約は次のようになります: 神聖なるものを映し出すべき神鏡が錆びている。歪んだ像を見せる。「神聖なるもの」が元のかたちをとどめることがない。 楷書、行書、草書から平仮名へ至る漢字書体の変化は、神鏡のようだ。漢字が論理的なのに対し、仮名は情緒的で、日人の言葉にふさわしい。日にふさわしいかたちに変わった。 日のかたちは、とどまらず、うつろい、消えてゆく。君が代で謳われる「巌」は、しかし苔むす「変わり得る巌」であって、国体すら変わり得るのだ。その柔軟さこそ日のかたちなのだ。 日という国は、舶来の概念をなんでも受け入れます。その際に、どんなに強固な概念であって

    日本の知的風土では概念が脆くなる | 石橋秀仁 (Hideto Ishibashi)
  • ワークショップ、シンポジウム、セミナー、レクチャーという言葉の意味もすっかり日本化 | 石橋秀仁

    ただの講演イベントに「ワークショップ」と名付ける人が少なくないので、日の「ワークショップ」概念は十分に日化されたと見ていいでしょう。「ワークショップ」という言葉は、すっかり独自の意味を喪失しました。感慨深いですね。ただの講演イベントに「ワークショップ」と名付ける人が少なくないので、日の「ワークショップ」概念は十分に日化されたと見ていいでしょう。「ワークショップ」という言葉は、すっかり独自の意味を喪失しました。 ふつうにセミナーとかシンポジウムでいいのに、なぜワークショップと呼ぶのでしょうか。どうにもファッション(流行)のように感じます。 少しだけ残念です。ワークショップでないものを「ワークショップ」と呼ぶのは、ワークショップを大事にしていないことの現れですから。 でも、仕方ありません。日はそういう場所です。日にやってきた概念は、なんでも来の意味を喪失して、ほかの言葉と区別がつ

  • 「設定次第で何でもできる万能アプリ」がクソアプリである理由と、その向うにあるパラダイム - 石橋秀仁(zerobase)書き散らす

    【これはとてもひねくれた文章なので、「実用的な情報を速やかに収拾したい忙しいビジネス・パーソン」は読まないほうがいい。警告はした】 【役立つ部分をさくっと読みたい方はシンプル版を用意しました】 fladdict氏の『スマホUI考(番外編) 顧客やユーザーの要望に全て対応すると、アプリは99%破綻する』は素晴らしい記事だ。 その記事のコメント欄でのやりとりが気になった。 【某氏】 先生! 設定画面で全てのUI機能要素を ON/OFFしたり、configファイルの編集でボタンのレイアウトを変更できれば良いと思います! 【fladdict氏】 その思想をつきつめると、設定オンオフで音楽プレイヤーからFacebook閲覧までユーザーが自在に切り替えられる万能アプリへの道に進むのです・・・ 【某氏】 やりたいことが何でもできる万能アプリの複雑性と、デフォルト設定のシンプルさは両立しますからね。初めて

    「設定次第で何でもできる万能アプリ」がクソアプリである理由と、その向うにあるパラダイム - 石橋秀仁(zerobase)書き散らす
  • なぜ "Designing in the browser" ワークフローへの移行が必要なのか - Zerobase Journal

    QxilというQ&Aサイトで、藤原由翼さんが面白い質問をしていました: 皆さんはWebデザイナーのキャリアやスキルセットは今後どうあるべきだと思いますか? (どうあることを期待されているかという経営者視点でのコメントもお待ちしています。) -- 藤原 由翼さんの質問 (※以下、質問者の藤原さん宛ではなく、多数の想定読者に向けた文章にしました) 「ウェブの技術的側面を理解していないデザイナーは、可変サイズを想定していないレイアウトや、CMYKカラー・モデルのデザイン・カンプを送ってくるので、マークアップ・エンジニアは無駄な苦労をするハメになる」といった逸話は、少し笑い話のようでもあります。しかし、ここにはデザインとテクノロジー質的関係性が見え隠れしています。 この文章では、「メディアの技術的側面を理解し、メディアの技術的特性を活かすことが、より良いデザインに通じる」という話をします。前

  • ウェブデザイナーの年収が低いという話題について、プロフェッショナル・サービス・ファームの経営の観点から一言 - 石橋秀仁(zerobase)書き散らす

    Webクリエイターボックスの『世界のWebデザイナーのお給料はいかほど?』という記事が話題になっている。 ウェブデザイナーの単価の安さについて一言だけいえば、「プロフェッショナル・サービスのマーケティングやブランディング」としての取り組みが欠如してるからフィーを上げることができていない場合が多いと思う。 コトラーのプロフェッショナル・サービス・マーケティング 作者: フィリップ・コトラー,トーマス・ヘイズ,ポール・ブルーム,白井義男,平林祥出版社/メーカー: ピアソン・エデュケーション発売日: 2002/12/11メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 23回この商品を含むブログ (4件) を見る プロフェッショナル・サービス・ファームという一点において我々の仕事コンサルティング・ファームや法律事務所や開業医と類似していて、そこにはハイエンドからローエンドまでの市場が

    ウェブデザイナーの年収が低いという話題について、プロフェッショナル・サービス・ファームの経営の観点から一言 - 石橋秀仁(zerobase)書き散らす
  • アクセシビリティは〈裏技〉として普及する - Zerobase Journal

    不自由(disability)は利用状況(context of use)によります。この視座で「障がい者」と「健常者」の二分法を超えてアクセシビリティを当事者的に語る道筋が見えてきます。その鍵は〈裏技〉です。 【注】「不自由」という言葉を、英語の "disability/disabled" の訳語として用います。「状況」は "context" に対応し、「利用状況」は "context of use" に対応します。なお、英語の "disability" には「障がい(者)」という意味もありますが、この文章ではもっぱら「不自由」や「...する能力の欠如」という意味で用いています。 第4回アクセシビリティキャンプ東京に参加しました。 どうすればウェブ全体のアクセシビリティ水準を向上させられるのだろうか、という問題意識で、グループに分かれて議論しました。テーマは「アクセシビリティのリブランディ

  • 「豊かさ」の主観化(および「HCD と UXD の違い」について) - Zerobase Journal

    HCD(人間中心設計 human-centered design)と UXD(利用者体験デザイン user-experience design)の違いについて。 「これをしなければ○○ではない」という必須手順が、HCD にはあります。UXDにはない。 HCD の場合は、 ISO 13407では、まず人間中心設計の必要性の特定を求めている。次に4つのステップを一連のプロセスとして回していく。 - 使用状況の理解と明示 - ユーザーと組織の要求事項の明示 - 設計による解決策の作成 - 要求事項に基づく設計の評価 ※上記引用元『人間中心設計 - @IT情報マネジメント用語事典』 ユーザー観察、ユーザーのモデルづくり、デザイン、評価など、ひとつひとつの手法はすでに多くの方が実践していて、それぞれに関する情報も世の中に広がってきています。そうした個別の要素を上手くつなぐプロセスが人間中心設計なので

  • UI と UX の違い - Zerobase Journal

    UI」は「ユーザー・インタフェース」。 「UX」は「ユーザー・エクスペリエンス」。 「UI/UX」と混同表記する人がいるから、「UIUX の違い」という不要な疑問も生じるんです。 「UIUX の違い」なんて瞭然ですよ。 それを説明するために、ちょっと回り道します。 「怪我と痛みの違い」は瞭然ですよね。 「怪我」は客観的物質的存在です。 怪我した人でも他人でも誰でも、そこに怪我が「ある」ことを観測できる。 一方、「痛み」は主観的な感覚ですね。 他人の「痛み」は観測できない。 痛がっている様子から「痛いんだろうな」と推定することはできるけど。 「UI」が「怪我」、「UX」が「痛み」に対応した比喩です。 「UI」は客観的物質的存在です。 誰が見ても iPhone にホームボタンは一つです。 誰が押してもホーム画面に遷移する、というインタラクションです。 一方、「UX」は主観的な体

  • 「(情報)アーキテクト」原論 - Zerobase Journal

    「インフォメーション・アーキテクト」は「アーキテクト」(建築家)としての社会的責任を引き受けるべきではないでしょうか。情報建築家と物理建築家(既存の「建築家」のこと)の接点を増やす活動を模索したいと思います。 「情報アーキテクト」と「情報デザイナー」の違い ウェブ産業には「インフォメーション・アーキテクト」(もしくは「情報アーキテクト」や「IA」)を名乗る人がいます。「情報アーキテクト」をどう捉えるかについては二通りの考え方があるようです。 圧倒的多数の人は「情報アーキテクト」を「情報デザイナーよりも上位のレイヤーで設計するデザイナー」として理解しているようです。 一方、私は「情報アーキテクト」を「アーキテクト(建築家)のなかでも情報アーキテクチャ(情報建築)に特化しているアーキテクト」と捉えています。 例えば、ランドスケープ・アーキテクトに「私は建築家ではありません」と言われても、私には

  • 「デザイン思考」が偉そうな顔をしたら「デザイン」は死ぬ - Zerobase Journal

    肝心の制作作業よりドキュメントワークが上位みたいになってきてる。なんとゆう末転倒。実装しないで「思考」だけで終わる「デザイン思考」って意味あんの? カスタマージャーニーマップとかペルソナシートとかガシガシ作ってドキュメントワークでフィーをとるようになって「デザイン思考」の「外資コンサル」化が進んでいるような気がしつつある昨今。。。(外資コンサルがダメっていう意味ではなく、典型的ダメ外資コンサルを引き合いに) IDEOがMBA就職人気企業上位になってるのと関係あるのかもしれないな。。。(べつにIDEOさんが嫌いなわけではないけども、象徴的存在として言及) 参考:IDEOが2年連続でFortuneのMBA就職人気トップ100企業にランクイン(2010年5月25日) 最初に「デザイン思考」って聞いたとき(5年くらい前だろうか)から思ってたけど、「ロジカル思考」(というか「外資コンサル」)を連想

  • ウェブの「受託開発」が面白くないという8つの誤解 - Zerobase Journal

    ぼく自身は多くのベンチャー企業とかよりよっぽど面白い仕事を「受託開発」でやってきているので(あ、もちろん「面白い」というのは主観的な問題だとお断りしておきますが)、ウェブ業界にはびこる「受託開発はダサい」という思想に強い反発を持ってきました。今日はそいつらをバッサリ斬ることにします。 ぼく自身は多くのダメなベンチャー企業とかよりよっぽど面白い仕事を「受託開発」でやってきているので(あ、もちろん「面白い」というのは主観的な問題だとお断りしておきますが)、ウェブ業界にはびこる「受託開発はダサい」という思想に強い反発を持ってきました。 今日はそいつらをバッサリ斬ることにします。 これまでに見聞きしてきた「受託開発が面白くない理由」を一つずつ取り上げて検証します。 × 受託開発なんて所詮「自分の事業」じゃないから自社事業がやりたい。 ○ 「受託開発」でも「自分の事業」としてコミットすることができる

  • アップルCEOスティーブ・ジョブズ氏のデザイン哲学 - Zerobase Journal

    デザインは「どう見えるか(how it looks)」ではなく、「どう機能するか(how it works)」の問題です。 以前「デザイン」という言葉を、どういう意味で使っていますか?という記事の中で次の言葉を紹介しました。 『デザイン』というのは奇妙な言葉だ。 デザインは外観を意味すると思っている人がいる。 だがむろんそうではなく、もっと深く掘り下げた場合、 デザインとは来は機能のことなのだ。 当にいいデザインにしたければ、 製品を『理解する』ことが必要だ。 それがいったいどんなものなのか、 真にグロク(共感して完全に理解)しなければならない」 スティーブ・ジョブズ (※出典) これの英語版(原典)をみつけました。こちらのほうがずっといいです。というのも、ジョブズ氏は「デザインとは来は機能のことなのだ」とは言っていないからです。 Design is a funny word. So

    bitgleams
    bitgleams 2012/04/18
    2007年9月30日記事
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