はてなキーワード: mvとは
正直、納得いかんですわ…😟
増田でようじょようじょ言ってる自分も自分だけど、基本的に私は紳士であるように努めてるんです、
アメリカ人は無礼で、というか、アメリカ人じゃなくて大衆とかみんなのことを言ってるわけですよ、
他人に何を言われても気にせず、紳士として生きる、それがenglish-man in new yorkだと思うんですよ…😟
それをまったく理解してない方がいて、ちょっとムッとしたこともありました…😟ええ
まあ、そうですね、加害者が得だとしても、それを気にせず、ボクは生きていくしかない、コートを着て、ステッキを持って、帽子をかぶり、
MV集なんやが、ロビンソンもチェリーも楓も入ってて、シングルズつかグレイテストヒッツつか、車でだらだら流すのに最適
(ながら運転とか叩かれるから、信号待ちの時だけ流しとることにしてくれ😎)
ええもん買ったで‼️😁で大変満足なんだが
楓は入ってるのにスピカがなかったり、愛のしるしのコスプレが最高なのに未収録で、そのくせこれも未収録の流れ星と合わせて、おまけのTVCM集ではチラッとだけ映るのがフラストレーション溜まる😂
ソラトビデオ3に入ってるらしいが、売ってなかったのとその3曲以外はカスタムとダブってんのがなあ
4も買って、遥かが被ってるのはちょい不満だがバージョン違いとかされても後々困るしな💦
経済政策における最大の災厄は、「政府と中央銀行が需要をうまく操作すれば、経済を望ましい場所へ運べる」という信仰である。これは一見すると合理的に見える。景気が悪ければ貨幣を増やす。需要が足りなければ財政支出を増やす。失業があれば公共事業を打つ。デフレならインフレ期待を起こす。なるほど、机上では美しい。人間がまた紙の上で神になったわけである。
しかしマネタリストの立場から見れば、これは単なる自己放尿である。
短期的には、貨幣供給や財政支出の変化が実質変数に影響することはありうる。名目需要が急減すれば失業は増えるし、貨幣供給が不安定になれば景気循環は増幅される。ここまでは認める。しかし、そこから「だから政府がその都度うまく調整すべきだ」と結論するのが、第一の自己放尿である。
マネタリストの基本前提は単純である。貨幣数量説を雑に書けば、
MV = PY
である。M は貨幣量、V は貨幣の流通速度、P は物価水準、Y は実質産出である。長期的には、Y は技術、資本蓄積、労働供給、制度、規制、生産性によって決まる。M を増やしても、長期的に増えるのは主に P であって Y ではない。つまり、通貨をいじっても、パンの数は増えない。増えるのはパンにつく値札である。人類、ここで何回も転んでいるのに、また値札を見て豊かになった気分になる。紙幣に催眠術でもかかっているのか。
リフレ派は、デフレを悪と見なし、インフレ期待を起こせば経済が回復すると考える。中央銀行が強い姿勢で金融緩和を行い、人々に「将来は物価が上がる」と信じさせれば、消費や投資が前倒しされ、景気が改善するという発想である。
だが、これは期待という不安定な心理変数に政策効果を過剰に賭ける自己放尿である。
問題は、インフレ期待が本当に実体経済の改善につながるかである。企業が将来の物価上昇を予想しても、需要の持続性や収益性に確信がなければ、投資を増やすとは限らない。家計も、賃金が上がらないまま物価上昇だけを予想すれば、消費を増やすどころか防衛的になる。つまり、インフレ期待は万能薬ではない。場合によっては「生活費が上がる恐怖」を作るだけである。
さらに問題なのは、中央銀行が「2年で2%」のような目標を掲げ、達成できなければ追加緩和、マイナス金利、国債購入拡大といった裁量的手段を次々に投入する点である。これは市場に安定したルールを与えるのではなく、「次に何をするかわからない政策当局」という不確実性を与える。予測可能性が壊れる。企業は長期投資をしづらくなる。
マネタリストが重視するのは、裁量ではなくルールである。貨幣供給を毎年一定率で伸ばす k%ルールのように、市場参加者が将来を予測できる枠組みが重要である。ところがリフレ派は、「期待を変える」という名目で中央銀行のパフォーマンス芸を正当化する。これは金融政策を安定装置ではなく舞台装置に変える自己放尿である。
MMT派は、政府は自国通貨建てで破綻しない、税は財源ではなくインフレ抑制手段である、したがってインフレになるまでは財政支出を拡大できる、と主張する。
この議論には、部分的に正しい観察が含まれている。自国通貨建て債務を持つ政府が、形式的な意味でデフォルトしにくいのは事実である。税が貨幣需要を支える側面を持つことも否定できない。問題はそこではない。問題は、その正しい断片から「だから支出をもっと増やせる」という政治的自己放尿へ飛躍する点である。
政府支出は、実物資源を動員する。労働、資材、土地、エネルギー、時間を使う。通貨発行で名目上の支払い能力を作れても、実物資源は魔法のようには増えない。ここを無視すると、財政支出は単に民間部門から資源を吸い上げ、政治的に選ばれた用途へ移すだけになる。
政府支出を G、民間消費を C、投資を I、純輸出を NX とすれば、
Y = C + I + G + NX
である。この式を見て「G を増やせば Y が増える」と短絡するのが、経済学におけるかなり古典的な自己放尿である。問題は、G の増加が C や I を押しのける可能性である。資源が余っている局面では短期的に効果が出ることもある。しかし、恒常的に政府支出を拡大すれば、民間の資源配分を歪める。政治的配分は市場価格ほど情報を集約できない。ハイエクを持ち出すまでもなく、官僚と政治家が社会全体の最適な資源配分を知っているという前提がすでに危険である。
さらに、MMTが「インフレになったら税で吸収すればよい」と言うとき、そこには深刻な政治経済学上の穴がある。インフレが起きた後に、政府が迅速かつ適切に増税や支出削減を行える保証はない。むしろ政治家は、支出拡大は好み、引き締めは嫌う。票が減るからである。つまり、MMTは理論上の操作盤を想定しているが、現実にはその操作盤の前に座っているのは選挙を恐れる人間である。なんという低スペックな制御装置。
したがって、MMT的財政運営は、短期的には「財源制約からの解放」に見えて、長期的にはインフレ税、資源配分の歪み、政府依存、財政規律の崩壊を招く自己放尿になりうる。
ケインズ派は、有効需要の不足を重視する。景気後退時には民間需要が落ち込むため、政府が財政支出で総需要を補うべきだとする。
この考え方も、短期分析としては完全に無価値ではない。名目硬直性があり、賃金や価格がすぐに調整されないなら、需要不足が失業を生むことはある。問題は、そこから常習的な裁量財政へ進むことである。
ケインズ派の自己放尿は、「景気が悪いから支出する」「まだ弱いから支出する」「回復が不十分だから支出する」「不確実性があるから支出する」と、ほぼ永久に財政拡大の理由を生成できる点にある。理論が政策のブレーキではなく、アクセルを踏むための言い訳製造機になる。
さらに、公共支出の効果にはラグがある。認識ラグ、決定ラグ、実施ラグ、効果発現ラグである。景気後退を認識したころには状況が変わっている。議会で決めたころにはさらに変わっている。事業が始まるころには景気循環の局面がずれている。結果として、景気安定化のつもりが景気変動を増幅することすらある。
これはマネタリストが裁量政策を嫌う理由の中心である。政策当局は全知ではない。データは遅れる。モデルは外れる。政治は歪む。にもかかわらず、ケインズ派は政府が適切なタイミングで適切な規模の支出を行えるかのように語る。もはや経済政策というより、霞が関に住む妖精への信仰である。
リフレ派、MMT派、ケインズ派がそれぞれ単独で自己放尿するだけでも厄介である。しかし本当の地獄は、三者が合体したときに始まる。
リフレ派は言う。「もっと金融緩和しろ。インフレ期待を起こせ」
MMT派は言う。「自国通貨建てなら財源問題はない。インフレまでは支出できる」
この三つが結合すると、政策メッセージはこうなる。「中央銀行は国債を買い、政府は支出し、物価が上がるまで走り続けろ。問題が起きたらそのとき考えよう」
これは、理論の統合ではない。三種類の自己放尿を一つの浴槽に注ぎ込む行為である。
このトリプル放尿体制では、まず財政規律が壊れる。政府支出は景気対策、成長投資、分配政策、少子化対策、防衛、環境、地方創生など、あらゆる名目で拡大される。次に中央銀行の独立性が曖昧になる。国債購入は金融政策なのか財政ファイナンスなのか、境界が溶ける。そして市場は、政府と中央銀行が将来どのような出口を取るのか読めなくなる。
その結果、長期投資に必要な予測可能性が失われる。金利、税、物価、規制、補助金、為替、財政負担が不安定になる。企業は生産性向上よりも、政策の風向きを読むことに資源を使う。これは最悪である。市場経済が価格シグナルではなく、政策シグナルへの忖度ゲームになる。
さらに、インフレが発生した場合、三派は責任の所在を分散させる。
MMT派は「税で吸収すればよかった」と言う。
そして誰も「裁量政策そのものが自己放尿だった」とは言わない。人類の責任回避能力だけは、なぜか生産性が高い。
マネタリストの立場は、何もしないことではない。むしろ逆である。通貨制度を安定させることを重視する。
重要なのは、中央銀行が短期的な景気や政治圧力に反応して裁量的に貨幣供給を振り回さないことである。貨幣供給は、長期的な実質成長率に整合するよう、安定的かつ予測可能なルールで運営されるべきである。
たとえば、
ΔM / M = k
のように、貨幣供給の成長率を一定に保つ。ここで k は長期的な実質成長率や望ましい物価安定と整合する値である。
この考え方の核心は、政策当局の知識と能力を過大評価しないことにある。中央銀行も政府も、経済全体のリアルタイムな状態を正確に把握できない。最適な需要水準も、自然利子率も、自然失業率も、潜在GDPも、推計にすぎない。推計にすぎないものを根拠に巨大な裁量政策を動かすのは、暗闇でチェーンソーを振り回すようなものである。本人は整備しているつもりでも、周囲から見れば自己放尿と大差ない。
マネタリストにとって、経済成長の本体は供給側にある。規制緩和、競争、技術革新、人的資本、資本蓄積、企業家精神、法の支配、安定した通貨制度。これらが実質所得を増やす。金融政策や財政政策は、せいぜい名目環境を安定させる補助装置であって、富を生む本体ではない。
貨幣を増やしても、プログラムは速くならない。財政支出を増やしても、無能な制度は有能にならない。インフレ期待を起こしても、工場の生産性は上がらない。政策文書に「成長」と書いても、米は炊けない。そういう当たり前のことを忘れるから、社会は自己放尿を経済政策と呼び始める。
MMT派の自己放尿は、通貨発行能力を実物資源制約からの解放と誤解することである。
ケインズ派の自己放尿は、政府が需要を適切に管理できるという裁量万能論である。
この三つが合体すると、金融緩和、財政拡大、需要管理が相互に正当化し合い、政策当局は自らの限界を忘れる。短期的な刺激は長期的な歪みを生み、名目値の膨張は実質的豊かさと混同され、市場は価格ではなく政府の次の一手を読む場所になる。
それは経済政策ではない。それは、リフレ派、MMT派、ケインズ派によるトリプル自己放尿である。
そしてその先に待っている地獄とは、ハイパーインフレのような漫画的終末だけではない。もっと地味で、もっと陰湿で、もっと現実的な地獄である。予測不能な政策、肥大化する政府、歪む資源配分、実質賃金の停滞、生産性向上の放置、そして名目値だけを見て「何かやった気」になる社会。
2026年6月24日リリースの新曲MVを見てゴスペラーズへの怒りがふつふつと涌いてきたので書き殴ります。
当方、2001年「ひとり」のヒット以降のゆるーいファン?です。
※ディスしかないからガチのGOSMANIAの人は読まないでください ごめんね
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言葉にしてはいけないのだと思っていましたが、デビュー32年目にしてついにようやく「かっこいい」と素直に思えるMVが出てきたので、言います。
いや一瞬イケてるっぽい瞬間がある映像もなくはないんだけどさ、基本線としてなんか古くてちょっとダサいの。これは昭和生まれのゴスペラーズおよびスタッフ陣と平成生まれの当方とのジェネレーションギャップなのかと諦めていました。でも、できるんじゃん!!!!!!!早くやってよ!!!今さらだよ!!!過去作も作り直して欲しいのいっぱいあるよ!!!悔しいよ!!!ライブ映像は結構かっこいいのにPV・MVはほんっと……。わざと狙ってるんだとしても、「ゴスペラーズってちょっと昔の人だよね。歌上手いし流行ったけど、まあ、こんな感じだよね」って敬遠する人間は多かったと思います。
恐らく世間的に「ゴスペラーズ」と言われて想像されるのは村上氏(サングラス。「ひとり」のメインボーカル)と黒沢氏(「永遠に」「ミモザ」の人)かと思います。あと低い声でボンボンやってる人(北山氏)と「VOXers」の人(酒井氏)なんでしょうか。そして歌番組をよく見る人には「喋ってる人」と認識されるのが件の安岡氏です。
だけどね、だからね、皆さん、果たして安岡優の歌声を聞いたことがありますか???
ゴスペラーズやゴスペラーズの曲を知っていても安岡氏の歌声なんて全然知らない、聞いたことがない、という人が多いのじゃなかろうか。だって音楽番組に持ってったりPV/MV作るような曲では安岡優はメロディーを歌わないから。当方はゆるーいファンなのでゴスペラーズが毎度メンバー内オーディションでリードボーカルを決める(曲ごとにベストな布陣を構築する)のは知ってはいますが、それでもあまりに安岡氏は今まで端に追いやられすぎだったんじゃないか……?
安岡氏リードの声が聞けるの、テレビ放送あるような曲だと「星屑の街」くらいじゃない??あれは5人で歌い継ぐ曲だから「センターなし」みたいなものだし。(あと星屑の街は冒頭のコーラスがいいのにあれも安岡氏は暇な時間長いよね。最初「あれっ、一人歌ってない奴がいるぞ?」って気づいたとき結構衝撃だった)
「永遠に」のジャケット写真とか顔半分切られてるよね(北山氏もだけど)
「ひとり」のジャケ写もそっぽ向かされてね(こっちは北山氏はカメラ目線なんだよな)
まあそれは昔のことだしビジュアルなんてどうでもいいんだけど(よくないけど)、リードがあるとしても2番(VERSE 2)だしちょこっとで、安岡氏がセンターの新曲&MVがついに出た今あらためて思うと、「お前は歌詩書いて喋ってウーアーやっとけ」という感じがあったんじゃないか?と非常にもやもやする。メンバー間では当然リスペクトも愛情もあるんだろうけど、一般市民的には「よく喋ってるけど歌声を知らない人」なんだよな。まあ今回のMVで……ようやく……ですが……。
まあ安岡氏が隠匿されてたのもわからなくはないんです。ちょーっと人を選ぶんだよね? メロディー歌ってる時の歌声クドいし、トークもいつもちょっとなんか偉そうだから。コーラスの時はだいぶ渋い声で低音支えてて厄介な音鳴らしてるのも、賢くて真面目で能力も自信もプライドもあるし愛されて育ったからついつい偉そうに聞こえる喋り方になってしまうことがあるのもファンにはまあわかるんです。が、たぶん、「ゴスペラーズ? ♪愛してる~の人たちね! ゴスペルの人ね!」レベルの一般市民がテレビや動画でちょいっと見たら「ん?? なにこいつ??」となりかねない。賢明……。(※やっぱり名前のせいで「ゴスペルの人ね!」という言葉はちょいちょい聞きます。たぶん日本語的に「アカペラ」と「ゴスペル」が似てるもんだから余計にね。リーダーはちょくちょくいろんなところでまだまだ解説し続けてください。個人的には「Lean on me」めちゃくちゃ好き。武道館で隣の人たちと手を繋いでみんなで歌ったの懐かしいなあ……。)
(なんか脱ベースボーカル期?にアイドル的な人気なかった?ライブでいつも「陽ちゃーん!」ってキャーキャー言われて北山氏もくるくるくるくるまわってねえ。「東京スヰート」とか「金色の翼」とか「エンドロール」とか高音リードボーカル多かったよね、その状態で急に低音ボンボンやるとまたキャーキャー言われてねえ。その間安岡氏が地味だけど堅実に低音鳴らしてんだよなあ。リーダーも♪Hey~ってやってたりするからさあ)
(2002年「いろは」でだいぶもうヤバいことやってたのになんか長いこと公には酒井雄二のエキセントリックさを隠してたよね? 透明感だけ見せつけてね? VOXersもあれだけどRecycle Loveをシングル?両A面?カットしたのはなかなか「わあお」でびっくりしました。あれもGOSWINGのほうは安岡氏もなんか目立つタイミングあったのに強烈なRecycle Loveがあったからたぶん世間的には印象が半減して……でも今Recycle LoveのMV見返したら安岡氏の顔がうるさくてびっくりしちゃった。妥当of妥当の扱いなのか……)
(当方ガチファンではなく、記憶が曖昧で全然違うこと言ってたらごめんなさいね。他にも好きな歌手とか応援してる人はいるし、自分の人生のほうが大事だし忙しいしゴスペラーズはあくまで数多ある趣味やエンタメのごくごくごくごく一部ですのよ。そんなに毎日ゴス子のことだけ考えてるわけないんすよ)
あとさあ~~~~~~~~??
鬼越トマホークはちゃんとゴスペラーズのことも叩いて!?!? 安岡優がぶちのめすよ!?!?
(内ケ崎さん、本当にどうもありがとうございます。これからも末永くどうぞよろしくお願い申し上げます。)
ていうかそもそも「50代になってから踊らせる」の、強かだよね……。いや前からライブじゃ踊ってるのは知ってんだけどさ(こちらはFive Keysで飛ぶのが辛くなってきました。大好きな曲だしテンション爆上がりだけどドキドキもします。ジャンプせずに腕だけみたいな新しい簡略版振付あるとうれしいです)、一般市民的には「静かにフォンフォンウーアーやってるバラードの人たち」なんですよ未だに。その状態で50代というれっきとしたおじさんになってから「俺たち意外と踊れるんだよ??」ってやるのは賢すぎじゃない??20代30代40代でそれやると本業のダンサーとかアイドルとも比べられちゃうからよくないよね。したたかだよね。クレバーよね。ずるいよね。なんか鼻につくよね。ありがとう。「50代のおじさんたち」なら若い同業者もそのファンも「彼らは敵じゃない」と認識するから好意的な目で見てくれるよね。ずーるい。
あとさあ、
本当にすごく気になってる。踊れる(ようになった)のを知らないわけがないのに、全然MVとかテレビでメインで踊らせなかったじゃん今まで。「お前のターンは50代な。俺らが体力厳しくなってきた頃がんばれよ」って???ちょっとイライラします。腹が立っています。ヤスが踊れなくなってきたらどうするの? 人間だよ? いつまでもヤングなわけないんだよ? 何があるかわからないよ? なんで今さらこのタイミングでそういうプレッシャーを安岡氏のみにかけるの?? それともみんなそんなに自分の体力やダンスに自信がある? 他の四人もダンス猛特訓するぞ! どこからでもかかって鯉!ってことなの? ダンサー安岡優が宝の持ち腐れにならないように、50代はダンス曲いっぱい出していくんだぞ! MVも出すぞ! ってこと? 楽しみです。
そしてさ、ぶっちゃけ黒ぽんにはそのままでいてほしいけど(いつもかわいいねえ)、リーダー、あなたはもっとガッツリ踊れるはずでしょうよ、なにおじいちゃんぶってるのよ、あと50年は歌うんだからまだあなた攻めていかなくちゃです。がんばって。あとRHYMESTER宇多氏とのラジオもなんかぐだぐだしてた時間長かったけど、あれほんとにやめたほうがいい。生放送なんて特に。真夜コーとは違うんだから。ゲストのときは「お邪魔しに行く」気持ちを大切に。あと二重跳びやりすぎるのって膝に悪くないの……? ハラハラしたからあの時期インスタ見るのやめたよ。釈迦に説法でしょうがどうぞお健やかに……。ていうか自撮りひどいからもっと研究して??あなたもっとかっこいいはずなのに最近映りが甘すぎよ??爆イケダンディなんだからそういう写真選んでよ、守りに入るのまだ早すぎよ??
誰かに「仲良いですよね」って言われてだーれもなーにも否定しないの、若干気持ち悪いことありますわよ。羨ましすぎますわよ。たまには仲違いエピソードも聞かせてね!
……って、思ってたら、NHKのSONGSの番外編?のYoutube Shortsに安岡氏がいじめられてるみたいなエピソードあって……なにあなたたち!
あれは安岡氏が咄嗟にああいうこと言ったわけ? みんなで話す内容決めてたの? なんか、「え、かわいそう……。気づいてるんならやめてあげなよ……」って平成生まれはちょっと思いましたー。
あなたたちがめちゃめちゃ愛しあってるのはゆるくてもうっすらファンなので大いに存じ上げているんですが、テレビとかYouTubeを通りすがりに見る人たちは何も知らないからね!?みんな令和の感覚もってるからね!?炎上して活動休止とか嫌だからね!?クレバーにやってくださいね!?冗談が通じない世の中だよ!?50年後を見据えてね!?
☆☆☆☆☆
腹立ちすぎてわけわかんなくなってきちゃったけど、今後も最高な楽曲に見合った素敵なMVを作り続けてください。
新しく入った?SNS担当の?スタッフさん方も、今後ともどうぞよろしくお願いします。輝いています。期待してます。ありがとうございます。
以上、新MVがうれしすぎて生まれて初めてシャンパンを開けた人間の戯言でした。
あいつはラジオでサブスク音楽はもうからないとか言って話題になってたけど
アーティスト応援するやつってうっすら嫌儲的な思想をもっているから受けるよね
よこしまな気持ちで音楽活動してません、純粋な気持ちで音楽活動してますみたいなやつが好きだよね
アイドルとは違うんですみたいな
サブスク儲からないって言ってるサーティストは基本90年代のビジネスモデルのまま
事務所に金とられるって言うけど、MVに金かけてバズらせて回収するモデルだからしょうがない。
これ系は結局音楽で金稼ぐんじゃなくてグッズで稼ぐとかライブどさ周りするしかない。
サブスク時代にはサブスク時代の戦い方があるがそれをしてないだけ、というかできない
サカナクションのサカナクションらしさって、表に出てる人だけの力じゃないのだろう
物価が上がれば自己放尿。株価が下がれば自己放尿。失業率が上がれば自己放尿。円安になれば自己放尿。
そしてSNSに駆け込み、「政府が悪い」「企業が悪い」「投資家が悪い」「外国人が悪い」などと叫び始める。
しかしマネタリストは違う。まず問う。「貨幣はどうなっている?」である。
感情論を始める前に貨幣を見る。陰謀論を始める前に貨幣を見る。自己放尿する前に貨幣を見る。
初心者はよく勘違いする。「マネタリストとは貨幣を増やせ派?」
違う。かなり違う。フリードマンが嫌っていたのは、中央銀行が景気を操作できると思い込むことである。
景気が悪いから緩和。景気が良いから引き締め。選挙が近いから緩和。支持率が低いから緩和。市場が暴落したから緩和。
人類は毎回、「今度こそ上手くいく」と言いながら自己放尿を繰り返す。
MV = PY (M = 貨幣供給量, V = 貨幣流通速度, P = 物価水準, Y = 実質生産量)
もしVが比較的安定し、Yが長期的には技術や労働力で決まるなら、Pは主としてMによって決まる。
つまり、長期的にはΔM + ΔV = ΔP + ΔYとなる。
例えば、貨幣供給量が8%増え、実質生産量が2%増えれば、物価は概ね6%上昇する。
ここで人類は自己放尿する。「スーパーの店長が悪い!」「米屋が悪い!」「ラーメン屋が悪い!」
フリードマンの有名な言葉がある。「インフレーションは常に、そしてどこでも貨幣的現象である。」
社会全体の価格水準が継続的に上昇するなら、貨幣要因を疑え、というのである。
1960年代、多くの経済学者はこう考えた。「少しインフレさせれば失業率を下げられる」
しかしフリードマンは反論した。長期的にはu = u*である。(u = 失業率, u* = 自然失業率)
人々は最初だけ騙される。賃金が上がった。景気が良くなった。豊かになった。と思う。
だが物価も上がる。やがて実質賃金は元に戻る。失業率も元に戻る。残るのは高い物価だけである。
つまり、インフレで恒久的に失業率を下げようとするのは、金融政策と自己放尿のダブル放尿である。
ここで初心者が再び自己放尿する。「フリードマンは貨幣を毎年4%増やせと言った!」
違う。本質はそこではない。
中央銀行総裁が天才である保証はない。政府が未来を予測できる保証もない。エコノミストが景気転換点を当てられる保証もない。
だからMₜ₊₁ = (1+k)Mₜのような単純ルールで縛れ、と言ったのである。
重要なのは4%ではない。重要なのは「余計なことをするな」である。
さらに深く学ぶ者は驚く。フリードマンが理論的最適解と考えていたのは、むしろ貨幣拡大主義とは逆方向だからだ。
最適状態ではi = 0となる。名目金利ゼロである。これをフリードマンルールと呼ぶ。
そのときπ = -rとなる。(π = インフレ率, r = 実質利子率)
ここまで来ると、「マネタリスト=インフレ推進派」という理解が完全な自己放尿だったことが分かる。
k%ルールとフリードマンルールは矛盾するが、これは実務と理論の差である。
フリードマンは大恐慌を見て、市場経済が失敗した、とは考えなかった。
銀行破綻。預金消滅。信用収縮。貨幣供給量激減。その結果として恐慌が起きた。
マネタリズムを一言で表現するなら、人間の知識への不信である。
政治家は未来を読めない。中央銀行総裁も未来を読めない。エコノミストも未来を読めない。新聞記者も未来を読めない。SNSの経済評論家など論外である。
にもかかわらず、人類は毎回、「今回は正確に景気を制御できる」と思い込む。そして失敗する。そして再び同じことをする。これを数十年単位で繰り返している。
マネタリストは、その光景を見ながら静かに言う。「まず貨幣を見よ」「まずルールを作れ」「まず裁量を疑え」「まず自分が未来を予測できると思うな」
経済学の歴史とは、多くの場合、市場の失敗の歴史ではなく、「自分は市場より賢い」と思った人々による壮大な自己放尿と、その後始末の歴史なのである。
いつの間にかレギュラー化してしまった、NHKの『名曲考察教室』。
関係者のインタビューも新しく撮り下ろされていたりして丁寧だし、そこだけ見ればかなり好印象。
だけど、後半が本当にキツい。
何が悲しくて、芸人がひねり出した「狙った考察(ただのこじつけ)」を延々と聞かされなきゃいけないのか。
さらに地獄なのは、その薄ら寒い独自解釈をわざわざプロの監督に映像化させて、それを見せられる時間。
せっかくの素晴らしい名曲のイメージが、他人のズレた妄想映像で上書きされていく感覚がとにかくしんどい。
あれをゴールデン帯に流されるのは、視聴者へのちょっとした拷問でしかない。
名曲の紹介とまともなインタビューだけで十分魅力的な番組になるはずなのに、なぜこんな「誰得な考察とMV制作」に貴重な予算を浪費してしまうのか。
そう信じていた。
新しい画像生成モデルが出れば試し、動画生成AIが出れば徹夜で検証し、音楽生成AIが話題になれば誰よりも早くワークフローを組んだ。
漫画。
アニメ。
MV。
楽曲。
ゲーム。
私は何でも作れた。
いや、正確には「何でも作れるような気がしていた」。
これから訪れる大生成AI時代に必要なのは、絵を描く技術でも、作曲の知識でも、映像編集の経験でもない。
どんなコンセプトを思いつくか。
どんなアイデアを組み合わせるか。
それさえできれば、AIがすべて形にしてくれる。
だから私は思った。
そして私は、そのクリエーターになろうとしていた。
だが、それは幻想だった。
昨日できなかったことが今日できるようになり、今日できなかったことが来月には当たり前になった。
技術は何も間違っていなかった。
問題は私だった。
気づけば世の中にはクリエーターが溢れていた。
AIを使う者もいれば、使わない者もいる。
漫画家。
もともと作りたいものがあった人たちは、AIによってさらに速く、さらに大きく、自分の世界を表現できるようになった。
そして私は、その中で埋もれた。
そこには数百の作品が並んでいた。
実写風映画予告。
どれも悪くなかった。
再生数もそれなりだった。
数万再生。
十万再生。
たまに百万人以上に届くこともあった。
だが、画面をスクロールし続けるうちに、私は奇妙な違和感を覚えた。
そこに私はいなかった。
作品はたくさんある。
そんな奇妙な感覚だった。
誰が作ったのかわからない。
何を考えている人なのかわからない。
何が好きなのかわからない。
何を伝えたいのかわからない。
まるで大型スーパーの棚だった。
漫画コーナー。
音楽コーナー。
映像コーナー。
お菓子コーナー。
なんでも置いてある。
だが、店主の顔が見えない。
私は初めて気づいた。
それは似ているようで、まったく違うことだった。
本当に作りたいものがある人は厄介だ。
誰に求められなくても作る。
反応がなくても作る。
赤字でも作る。
笑われても作る。
なぜそんなことをするのか本人にもわからない。
ただ作らずにはいられない。
そういう人たちがいる。
私は違った。
私は反応が欲しかった。
だから反応の良い方向へ流れ続けた。
個性とは何だろう。
昔は才能だと思っていた。
だが今は違うと思う。
個性とは執着だ。
それが作風になる。
それが作家性になる。
それがブランドになる。
私はそれを持っていなかった。
そして自由すぎた。
絵柄も変えられる。
世界観も変えられる。
ジャンルも変えられる。
ターゲットも変えられる。
何者にでもなれる。
だから何者にもなれなかった。
数年かけて育てるシリーズを始めた。
反応は良くなかった。
二本目も伸びない。
三本目も伸びない。
数字は正直だった。
本当にこれでいいのか。
そう思ってしまう。
そして私はまた別のものを作った。
その瞬間、積み上げていたものは崩れる。
また別のジャンル。
また別の世界観。
また別の挑戦。
また「つくってみた」。
気づけば何年も経っていた。
信じられないほど進化した。
昔の私が見たら魔法だと思うだろう。
だが私の立ち位置は何も変わっていなかった。
技術は増えた。
ツールは増えた。
作品数も増えた。
どれもそれなりに頑張ったものだ。
どれも完成させたものだ。
だが眺めていると、ある言葉が頭に浮かんだ。
ポートフォリオではない。
これはカタログだ。
「これもできます」
「これも試しました」
そんな作品ばかりだった。
そこには一貫した思想がない。
世界観がない。
物語がない。
私自身がいない。
スクロールを止める。
静寂の中で、私はようやく認めた。
トレンドに負けたのでもない。
アルゴリズムに見放されたわけでもない。
ただそれだけだった。
画面には無数の作品が並んでいる。
漫画。
アニメ。
MV。
楽曲。
ゲーム。
どれも私が作ったものだ。
だが、そのどれもが私ではない。
結局、私に残ったのは――
てんでバラバラの作風の「つくってみた」が並ぶ、一冊の分厚いカタログだけだった。
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AKB、坂道、カワイイラボ…どの時代にも勢いのある女性アイドルは存在する。
勢いのある、つまり流行しているとは、例えばゴールデン帯の音楽番組に毎シングル出してもらえるとか、例えばクラスメイトのほとんどがメンバーを一人以上知っているとか、例えばCD売上とかである。
そして私が認識している範囲で、一時代を築いていたのが上にあげた3組である。他にもいたのかもしれないが分からないので触れられないし、AKB以前の流行はよく知らないので扱わない。にわかなので間違った知識や噂話も含まれるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。
それでは早速、上記の各組がなぜ流行ったのかを、タイトル通り雑に考察する。
前田敦子や大島優子などの神7を代名詞に、平成を代表するモンスターアイドルだったAKB48。SKEやHKTあたりの地方グループにも松井珠理奈や指原莉乃などの有名メンバーが居たし、当時は本当にAKBグループ一強だった。
まず、人数が多かった。とにかく多かった。100人は超えていた気がするし、地方グループと合同のイベント、例えば選抜総選挙なんかでは数百人いた気がする。
これだけ居ると、顔でも性格でも、つい好きな子が出てきてしまう。だから誰と話しても、「AKBで誰が好き?」で話ができた。
そんな推しが、大人数の中で明確にヒエラルキーをつけられている。上位十数人だけが歌える選抜制度は勿論、総選挙では全員が細かく順位をつけられた。そして自分が買うCD1枚だけが、彼女を押し上げる唯一の方法だった。そのために当時の男どもは、勿論多数派ではないが女性も、そしてそして恐らく今でもAKBのファンは、骨身を削ってCDを買ったのだった。
半ばホストクラブのようなこの推し方は、AKB発症な気がしている。
そして、簡単に会えたし、メディアへの露出も多かった。売れるためなら何でもするという気概があった。
その最たるところは握手会で、CDを1枚買えば握手ができた。総選挙がホストのランキングをオマージュしているならば、こちらはキャバクラのオマージュか、なんて言ったら怒られるだろうか。
とにかく好きな子に会うために、手を握るために、お話するために、コアなファンは大金を費やしていた。
そして握手会に行かない層へのアプローチというと、雑誌の水着グラビアがハマっていたように思う。
それまで漫画雑誌のグラビアと言えば、若手女優が控えめな水着を着るか、グラビアアイドルが過激な水着を着るか、という印章だった。しかしAKBはドラマやバラエティで見る人気メンバーすらも過激な水着姿を披露しており、学生からサラリーマンまで大幅に知名度を上げてみせた。
AKBの公式ライバルとして登場した乃木坂46は、その妹分グループと共に、AKBを超える人気を誇っていた。平成の終わり頃のことである。
坂道の売れた理由を考えると、AKBのシステムを活かしつつ、高級路線を取ったことが大きいように思う。
つまり何よりもまず可愛かったし、スタイルの良い子が多かった。メンバー一人一人が高嶺の花だった。
AKBより少ない数十人という体制は、選抜システムと質重視のバランスを上手く取っていた。
はじめの頃は握手会があるが、一定の人気メンバーになったら無し。
AKBのような定期公演も無く、なかなか会えないという希少価値もあった。
売り文句は「専属モデル」。オーディションの倍率は毎度世間を騒がせた。
清楚で水商売にはいないような子というブランディングは、家族や友人にも推していることを言いやすく、広く世間から受け入れられる結果となった。
やっと令和である。
まさにこれを書いている2026年は、FRUITS ZIPPERやCUTIE STREETをはじめとするカワイイラボがアイドル文化をリードしている。
可愛いを連呼する彼女らが人気の理由を考えると、そこには「推し疲れ」があるような気がしている。
まずカワラボグループの特徴を挙げると、7〜9人程度のメンバー構成である。つまり選抜がない。全員が歌えるし、MVにもがっつり写る。つまり不人気で傷ついたり、心配したりする必要がない。また他のメンバーのライバル感が薄れ、敵視しなくても良くなる。みんな仲良し。みんな仲間。優しい世界がそこにある。
そしてカワラボはコンセプトから、見ている者の自己肯定感を高めてくれる。
ひとつ前に取り上げた坂道は、どちらかというと「私なんて可愛くないよ…」と言うメンバーに、ファンが「可愛いよ!」と声をかけていた。それにメンバーが「そうかなぁ」と返し、ファンがまた「可愛いって!」と返す…そんなイメージだった。
カワラボは違う。「可愛いでしょ?」と言うメンバーに、ファンは「うん、可愛い!」と返し、またメンバーが「ありがと、あなたも可愛いよ!」という構図になっている。
謙虚な人を褒めそやすのは、実はそこそこ疲れる。現代人は、褒めた言葉を素直に受け取ってほしいのだろう。そしてできるなら、自分も肯定されたいのだろう。
そう言った意味で、カワラボのグループはどれも、推していてストレスが無く、とても楽である。
カワラボと度々混同される超ときめき♡宣伝部も、人気の理由は近いところにありそうに思う。