はてなキーワード: GHQとは
皇位継承問題について議論になると、「女性天皇」「女系天皇」「旧宮家の皇籍復帰」といった制度論から話が始まることが多い。でも、その前に考えるべきことがあるように思う。自分には、この問題は80年近く前に行われた戦後改革の「後始末」を、今になって議論しているように見える。
終戦直後、GHQの占領政策の影響を受けた戦後改革の中で、1947年10月、11宮家51名が皇籍を離脱した。それ以前は、皇室には現在よりはるかに多くの皇族がおり、男子皇族の人数も今より多かった。もちろん、それ以前の皇位継承が常に安定していたわけではない。歴史を振り返れば断絶の危機は何度もあった。それでも、現在のように皇族数そのものがここまで少ない状況とは事情が異なる。
戦後の改革は、民主化や皇室の規模縮小という当時の時代背景の中で行われた。その判断を、80年後の価値観で単純に批判するつもりはない。ただ、そのときの制度変更の影響が、現在まで続いていることも事実だろう。
だから今の議論は、新しい問題への対応というより、戦後改革が残した課題にどう向き合うかという議論でもあるように思う。結論は人それぞれでいい。でも、「現在の皇位継承問題は、戦後改革によって皇族数が大幅に減少したという歴史的経緯の上にある」という認識は、議論の出発点として共有できるのではないだろうか。制度の是非だけを論じるのではなく、「なぜ今、この問題が起きているのか」という歴史的背景から考えてみる。そのほうが、建設的な議論になるような気がしている。
日本国憲法作成時に日本人がやろうとしたことをGHQが監査してバイリンガルの翻訳通訳やる人挟んで大幅修整して憲法ができたんだよな。アメリカ合衆国の影響がかなり大きい。
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結論としては、「現在の日本国はアメリカが作った」と断定するのは歴史的には正確ではありません。 ただし、「現在の日本の国家体制や憲法はアメリカ主導の占領政策によって大きく形作られた」と言うことはできます。
理由は次のとおりです。
日本という国家そのものは、1945年以前から存在しており、敗戦後も国際法上は国家として継続しました。
一方で、1945~1952年の占領期には、GHQ(実質的にはアメリカ)が政治・行政・法制度の改革を強く主導しました。
日本国憲法の制定過程でも、GHQが作成した草案が大きな土台となり、日本政府と帝国議会で修正・審議を経て成立しました。
そのため、表現としては次のように言うのがより正確です。
「戦後の日本の政治体制はアメリカの強い影響の下で作られた。」
「現在の日本国憲法はGHQ(アメリカ)の影響を強く受けて成立した。」
一方で、
という表現は、「日本という国家自体が1947年に新しく建国された」という意味にも受け取られるため、多くの歴史学者や法学者はそのままの表現は用いません。
つまり、「国家そのもの」ではなく、「現在の憲法と国家制度がアメリカの強い影響を受けて形成された」と表現するのが最も歴史的事実に近いと言えます。
日本国憲法の土台はGHQつまりアメリカが作ったんだよな。バイリンガルの翻訳者がGHQと共同で法律作ってた。日本国は法治国家なのでアメリカが作った土台に今の日本があって今もそのアメリカ大先生作った法律が日本で運用されてる。
日本ってアメリカが作ったんだよな。日本国憲法にはGHQの思想が反映されてる。日本軍の解散とか
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戦後の日本は、アメリカ、とりわけGHQ(連合国軍総司令部)の影響を非常に強く受けて再建されたと言えます。ただし、「アメリカが日本を作った」と表現すると少し単純化しすぎです。
例えば、
日本国憲法はGHQが短期間で草案を作成し、それをもとに日本政府が修正・制定しました。そのため、GHQの思想が強く反映されています。
その後、冷戦が始まると、アメリカは日本を東アジアの重要な同盟国として位置づけるようになり、1950年には警察予備隊(後の自衛隊)の創設を後押ししました。
つまり、現在の日本の政治制度や安全保障には、戦後のアメリカの影響が今でも残っています。一方で、憲法の運用や法律の制定、政策の決定は、その後約80年間、日本の国会や政府が主体となって行ってきたものです。
1950年(昭和25年)6月25日に勃発した朝鮮戦争において、アメリカ軍は日本駐留部隊を朝鮮半島に出動させることとなった。その時点で日本駐留陸軍部隊は第8軍の4個師団(第1騎兵・第7歩兵・第24歩兵・第25歩兵)であり、九州駐留の第24歩兵師団は直ちに移動を開始している。その後、7月上旬には第8軍全部隊が朝鮮半島に移動し、日本における防衛兵力・治安維持兵力が存在しなくなった。
7月8日、マッカーサー元帥は吉田茂首相に対し、「日本警察力の増強に関する書簡[4]」を提示した。この書簡においては、「事変・暴動等に備える治安警察隊」として、75,000名の「National Police Reserve」の創設が要望されていた。公表された書簡では左記の表記が採用されていたが、GHQ部内資料である「日本の安全保障諸機関の増強」(Increase in Japanese Security Agencies) においては「Constabulary」(警察軍)と称されており、アメリカが第2次大戦前にフィリピンで創設していたフィリピン警察軍(英語版) (PC)、アメリカ軍政庁統治下の南朝鮮で創設していた南朝鮮国防警備隊(現在の大韓民国陸軍)のような対反乱作戦部隊を想定していたものと考えられている[5]。
※追記
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書き方が悪かったかもしれないけど、別にこういう考え方の人たちを馬鹿にしたり否定したいわけではなくて、言い表す言葉があった方がいいのではと思っただけで、
むしろ、当人たちにも自己紹介で使えるくらいの名称を考えたかったんだよね。
そういえば、キリスト教福音派の人たちって、自分のこと福音派って名乗ってるのかな?
あと、選択的夫婦別姓に反対と天皇の男系継承は別の思想だろ、という突っ込みも結構あったけど、
「選択的夫婦別姓に対して頑なに反対」は戸籍制度がどうこうみたいな理由で反対しているということを言いたくて、
家族は同じ苗字がいいよねとか、親と子で苗字が違うと困りそうだよね、みたいな人は想定していなかった。
まあ、雑にくくっていると言われればそうなんだけど。
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良いアイデアがあれば教えてほしい。
選択的夫婦別姓に対して頑なに反対してたり、天皇の男系継承に異常にこだわってたりする層が
日本の政治の世界では幅を利かせていて、アメリカのキリスト教福音派みたいな存在になっているけど、
保守派だと広すぎて関係ない人たちまで入ってきてしまうから、もう少しピンポイントな名前にしたい。
「戦前保守」とか「明治保守」みたいな感じでもいいけど、もう少し良さげなアイデアあります?
ここからはざっくりした個人的な認識なので詳しい人には補足してほしいんだけど、
こういう人たちが意識的、無意識的に信仰しているのは明治政府が作り出したプロパガンダなんだと思っている。
江戸幕府から明治政府に移行するにあたって、政府は自分たちこそ正当な政府なのだということを国民に知らしめる必要があった。
そこで江戸時代までの様々なことを否定しつつ、幕末から明治にかけて入ってきた西洋文化を取り入れて、古臭い幕府ではなく新しい政府こそ、この国にこれからを導いていくに相応しい存在なのだとアピールをした。
(だから、こういう人たちは伝統とか言いつつ江戸時代以前の価値観ではなく、幕末から明治にかけて入ってきた西洋的な価値観を信奉していると思われる)
明治政府のプロパガンダは憲法や法律という制度的な側面と、国民に根付いている神道を自分たちに都合よく変質させた国家神道という思想的な側面の両輪で進めた。
敗戦後に憲法や法律はGHQによって変えさせられることになるが、国家神道のほうは政府から切り離されただけで存在そのものはほとんど影響なく存続したため、GHQが去り戦犯たちが政界に復帰すると再び接近し、
今も日本会議や神社本庁として自民党に強い影響力を持っていて、憲法や法律も以前の形に戻そうと頑張っている。
たぶんもっと複雑な感じなんだろうけど、自分の認識はこんな感じ。
それを踏まえて良いネーミングを考えたい。
長野県の安倍神像神社で安倍晋三の銅像の除幕式挙行!という全力脱力なニュース(なんだよ安倍神像神社って⋯)を見かけ、そういえば総理大臣ってみんな死んだらどっかに銅像の一つくらい飾られてるもんなんだろうか?と思ってざっと調べてみた。
とりあえず戦後の総理大臣で、多くの人に見てもらう前提で設置してるの、ざっとこれくらいはあるみたいだ。
まだまだ調査中で、ヌケモレはあると思うけと。
なお、大きな全身像もあれば、室内におかれたこじんまりした胸像もあるが、そこは区別してない
普通、この手の銅像は関係者や支援者が出身地とかゆかりの地とか、その人の功績に結びついた場所にたてるもんなんだろう。
でも安倍ちゃんの場合、2つとも宗教施設で、必ずしもその場所と特別に関係性が濃かったわけでもなさそうだが、狂信的なカルト信者支持者の熱い想いが、汲めども尽きぬ泉の如く溢れでちゃってる感が凄い。
大平正芳も神社の境内にあるけと、伝承では創建和銅元年の古い神社で、本人はマジ近所の農家の出らしいし。
次にアレなのは、やはり鳩山由紀夫の像が中国から贈られたってやつかな。
銅像つくってこの人の業績を称えたいのは誰なのか?と考えると味わい深い。
大勲位中曽根康弘の銅像がまだ無いっぽい(ネット検索では見つけられなかった)のはちょっと意外。
資料館はあるのに。
(※追記 資料館内にある胸像の写真をネットで確認。でも既に地元の公園とかに立派な全身像が立ってそうなイメージがあったんだよなぁ)
その一方で菅ちゃんはもうあるんだよな。
地元に帰れば人気者か。
なお森喜朗は銅像制作の話が持ち上がって発起人も集まって資金を募りはじめ、元ラグビー協会会長・東京五輪組織委員長にふさわしく、“建て替える秩父宮ラグビー場内のミュージアムに設置する”なんて話もあったらしいが、その後、東京五輪を巡る談合だの贈収賄だのが事件化してしまい、先行き不透明らしい。どうなることやら。
そういえば、総理大臣ではないけど、政治家の銅像で思い出した。
東海道新幹線岐阜羽島駅前に大野伴睦の像があり、“政治力で新幹線停めさせたらしい”という伝説(実際は、諸事情アリで必ずしも政治力だけで無理矢理ってことでもなかったらしい)と共に有名だが、この像、“夫妻像”なんだよね。
愛妻家で有名な人だったらしいが、日本の“偉い人の銅像”で、夫婦像って他にあるんだろうか?
政治家や指導者の銅像といえば、海外で革命とか起こるとよく引き倒されてるが、日本では戦後GHQの指示よって“戦犯銅像”が倒されて以降は、銅像が引き倒されるような騒ぎはなかったとか記憶する。
平和でいいこと、なんだろう。
多分。
ここには、台湾の国民党独裁時代にあちこち建てられまくって、今は過去の見直しによって撤去が進んでいる蒋介石の銅像が、“壊されるのは忍びない”と200体以上引き取られて並んでいる。
これは是非一度行ってみたい。
今後日本では、どこにどんな政治家の銅像が立つのか立たないのか。
倒す倒さないで騒ぎになる日はくるのか。