はてなキーワード: 脂肪とは
これ本当はおかしな話なんだよね
日本人ならまず刺身でしょ!って話なんだが寄生虫の問題もあるし実は小骨が多いのがネックで普段慣れてる漁師釣り人はともかくいちいち外して提供するには時間と労力がかかり過ぎる
小骨をある程度残しても美味しく食べられるからだ
そこで使われるアジはサーモンみたいに一度冷凍して解凍したものが提供される
生魚では漁港に隣接した市場を除いてスーパーには基本出回らない
安価で脂肪もあるしふっくらしてて美味いってのは常識だけど案外小骨が入ってない
それは一般的なアジじゃなくて小さいサイズのアジだから、俗に小アジと呼ばれる種になる
たまに飲食店ででっかいアジフライを提供する店があるけどピンセットで一本一本丁寧に抜いてると思うとその労力に対して何等か報いたい気持ちがある
朝はまだ、世界の端っこにぶらさがっているみたいな時間だった。川べりの土を踏むたびに、足の裏からひんやりした感触が、ふくらはぎを通って腰のあたりまで細い糸みたいに伝わってくる。私はその糸をたぐるように、ゆっくりと桂川沿いを歩いていた。
空気はすでに夏の手前で待機している。少し動くだけで、首筋のあたりにうっすらと汗がにじむ。その汗が、シャツの布と肌の境目を曖昧にして、私のからだの輪郭を少しだけぼかす。女性であることを、こういう朝の汗の付き方でふと思い出すことがある。下着のレースのふちが、体温に合わせてゆっくりと柔らかくなっていく感じとか、胸の重さが呼吸のリズムに合わせてわずかに揺れる感じとか。そういうものが、ここでは妙にくっきりと意識に浮かぶ。
川の流れは、私の体内を流れている血のように見えた。ゆっくりと、でも確実に、どこかへ向かっている。水面のきらめきを眺めていると、子宮のあたりに、かすかな「中心」の感覚が戻ってくる。そこは普段、意識の届かない薄暗い部屋みたいな場所なのに、旅に出るとときどきふいに電気がつく。誰も住んでいないのに、ちゃんと家具が置かれた部屋がそこにある、ということだけが知らされる。
風が吹いて、髪の毛が頬に貼りついた。指先でそれをはがすとき、爪が皮膚をかすめ、その下に小さな熱があるのを感じる。喉の奥から胸の下まで、一本の管が通っていて、その管を空気が往復している。そのたびにブラジャーのホックが、背中でこっそりと微かな軋みを立てる。誰も聞いていない、小さな生活音みたいに。
川辺の草には、まだ朝露が残っていた。私は屈んで、そのひとつを指でつまんでみる。冷たい球が、指先の熱を吸い取って、すぐに形を失う。ふと、自分のからだも同じように、誰かの指先の温度に触れた瞬間に、これまでの輪郭を少し変えてしまうのだろう、と考える。恋人といた夜のことを思い出す。太腿の内側に触れられたとき、汗と恐れと期待が、同じ場所でごちゃ混ぜになっていた感覚。あのとき私の肌は、今朝の露と同じように、すぐに形を変え、でも確かに存在していた。
私は心の中でそうつぶやく。理屈より先に反応してしまう。いいとか悪いとかより先に、熱とか震えとかを選んでしまう。その勝手さを、若いころは少し恥ずかしく思っていた。でも今は、異国の川辺を歩くとき、その勝手さに助けられている。意味のない風景でも、からださえ何かを受け取ってくれれば、とりあえずここにいる理由になるから。
遠くで電車が鉄橋を渡る音がした。その振動が、骨盤のあたりにまで届いてくる気がする。骨の内側で、わずかな反響が跳ねている。私は立ち止まり、腰に手を当ててみる。その下に、幾層にも重なった筋肉や脂肪や骨や、名づけようのない空洞があることを意識する。女性のからだは、ときどき「器」のように感じられる。何かを入れるために用意された空間。その空間は今は空っぽだ。けれど、空っぽであることにも、独特の重さがある。
太陽が少し角度を変え、川の表面に細い金色の線を走らせる。光が水を撫でるたびに、私の胃の辺りにも同じような線が引かれる感じがする。旅に出ると、からだの内部地図が少し書き換えられる。普段ならただの「みぞおち」として処理されている場所が、突然「不安」とか「欲望」とか「解放」と書き込まれる領土になる。
私は汗ばむ手のひらを川風にさらしながら、自分の指を一本ずつ見つめる。これまで何人のからだに触れてきたのか、何冊の本をめくってきたのか、何度自分自身を確かめるように撫でてきたのか。指の節のふくらみをなぞると、そのたびに胸の奥で微かなざわめきが起こる。そこには、触れたものたちの記憶が沈殿しているのだろう。
「私はここにいて、ここにいない」
そんな言葉が浮かぶ。旅人としての私は、京都という地図の上に小さなピンのように刺さっている。でも、からだの感覚は、時折別の場所へ飛んでいく。恋人の部屋の薄暗い照明の下とか、ひとりで眠れなかった真夜中のベッドの上とか、初めて月経が来た日の学校のトイレの中とか。そういう場所に、一瞬だけ引き戻される。
桂川は、何も知らない顔で流れている。私のささやかな動揺にも、そこそこ落ち着いた欲望にも、無関心なふりを続けている。けれど、もしこの水に裸足を沈めたら、足首から上へと、別の温度が忍び込んでくるだろう。皮膚の下を、別の川が流れ始めるだろう。その想像だけで、下腹部にひそやかな温もりが灯る。
暑さが本格的にやって来る前に、私はこの朝を使い切ってしまいたいと思う。歩くこと、立ち止まること、汗をかくこと、思い出すこと。女性であるからだの全部を、この一本の川に軽く晒してみる。そうすることで、少しだけ身軽になれるような気がする。何かを捨てるわけではなく、ただ流れと一緒に持ち運んでもらう感じで。
私は深く息を吸い込み、胸の内側がゆっくりと広がっていくのを確かめる。肋骨の隙間から、朝の光が染み込んでくるような気がした。そして、まだ人の少ない川沿いの道を、もう少しだけ歩くことにした。自分のからだが、この夏をどう受け止めようとしているのかを、確かめるために。
ふと昨晩のことを思い出す。
昨日の夜のことを思い出すと、まず最初に浮かぶのは、部屋の温度だ。窓を少しだけ開けていたせいで、外から入り込んだ湿った空気が、天井のあたりでゆっくりたまり、そこからじわじわと降りてきていた。ベッドに横になっていると、その重さが、胸の上に薄い布団みたいに折り重なってくるのがわかる。
旅先のベッドは、私のからだをまだよく知らない。マットレスの硬さも、枕の高さも、いつものものとは少しずつ違っている。その誤差のせいで、自分の身体の輪郭がいつもより敏感になる。腰のくぼみとか、太腿の重さとか、背中に集まる汗の位置とか。そういうものが、やけにくっきりと意識に浮かんでくる。
シャツを脱いで、薄いワンピースだけになったとき、布が肌に貼りつく音を、私だけが聞いていた。肩の線に沿って布が落ちる瞬間、重力と布とからだが、静かに相談をしているような感覚になる。胸の形に合わせて、ワンピースの布地がゆっくりとカーブを描き、そのカーブの下で、私の呼吸が確かに続いている。
ベッドに横たわると、シーツの冷たさが、腰骨のあたりから広がっていく。その冷たさが、少し遅れて内側の熱に追いつこうとする。シーツと肌の間には、とても細い境界線があって、その線を指先でなぞると、自分が今どこまで「外」で、どこからが「内」なのか、曖昧になっていく。
電気を消すと、部屋は急に狭くなる。暗闇が、壁の位置をわからなくしてしまうからだ。代わりに、からだの輪郭だけがはっきりしてくる。胸の重さ、腹の柔らかさ、太腿のつながり、足先の不安定さ。女性であるからだは、ときどき「地図」のように感じられる。誰かと一緒にいる夜には見せない裏面の地図を、ひとりの夜には静かに広げてみることができる。
横向きになって膝を少し引き寄せると、太腿と太腿のあいだに、小さな空間ができる。その空間は、ひと晩だけ貸し出される秘密の部屋みたいだ。そこに手を差し入れるかどうかを、私はしばらく迷う。差し入れなくても夜は過ぎていくし、差し入れれば別の速度で過ぎていく。どちらを選んでも、朝は来る。
指先で、太腿の外側の線をなぞることにする。肌の上を滑る自分の指は、誰かの指の代用品みたいでありながら、同時にもっと正確な測量道具でもある。どこが冷たくて、どこが温かくて、どこが少し震えていて、どこが落ち着いているか。そういうことを、一ミリ単位で知らせてくれる。
下腹部のあたりには、いつも薄い膜のような緊張がある。その膜に、心の重さや欲望の影が少しずつ溜まっていく。ひとりの夜には、その膜を破るか破らないかの選択を、誰にも見られずに行うことができる。私は昨夜、その膜の表面を、指先で軽く撫でるところまでにしておいた。破ったときに訪れる種類の安堵を、今夜は必要としていないような気がしたからだ。
代わりに、呼吸を深くすることにした。吸い込んだ空気が、喉を通り、胸を通り、みぞおちを通り、下腹部の手前で少し滞る。その滞りを感じながら、ゆっくりと吐き出す。呼吸だけで身体の内部を触ることだってできる。そのことを確かめるように、何度も同じリズムを繰り返した。
ベッドの上で、手の位置を変える。お腹の上、胸の下、鎖骨のあたり。触れる場所によって、思い出す記憶の種類が変わる。恋人に触れられた夜のこと、医者に触れられた冷たい朝のこと、自分で自分を抱きしめるように眠った冬の夜のこと。昨夜は、その全部が薄く重なっていた。
指先が軽く胸の上に触れたとき、からだはほんの短いあいだだけ、何かを期待する。誰も来ないことを知っていても、とりあえず期待する。その小さな裏切りが、ほんの少しだけ切ない。けれどその切なさは、旅の夜には妙に心地よくもある。自分の欲望や孤独を、誰にも説明しなくていい時間だからだ。
時計の音が、部屋の隅でかすかに刻まれていた。秒針が進むたびに、夜の厚みがわずかに薄くなっていく。私は目を閉じて、その音を胸の奥で聞いた。心臓の鼓動と秒針の音が、ときどきぴったりと重なる。重なった瞬間、からだの中にあるすべての部屋の灯りが、同時にふっと暗くなるような感覚がある。
眠気がゆっくりとやってきて、身体の隅々を柔らかくしていく。太腿の間の小さな秘密の部屋も、やがて静かに扉を閉じる。下腹部の膜の上に溜まっていた緊張も、少しだけ薄くなる。破らないまま朝を迎える種類の夜が、この世にはたしかに存在していて、私は昨夜、そのひとつを選んだのだと理解する。
最後に、私は自分の手を胸の真ん中に置いた。そこが今夜の「中心」だと決める。指先のぬくもりが、皮膚の下をゆっくりと広がっていく。外の世界がどうであれ、今この瞬間だけは、私のからだが私のものとしてそこにある。その事実だけを抱いて、私は眠りに落ちていった。
そして今朝、桂川を歩きながら、昨夜の感覚のいくつかがまだ身体のどこかに残っていることを、私はときどき思い出す。太陽の光に晒されると、それらは少しずつ形を変え、やがて川の流れに紛れていく。それでいい、と私は思う。夜にしか持てない輪郭と、朝にしか持てない輪郭が、ゆるやかに入れ替わりながら、ひとつの身体を保っているのだ。
一般男性が1日に消費するカロリーは、2,000〜2,400kcalだという。
僕はというと、ダイエットアプリ「あすけん」を毎食律儀に記録していて、
消費の下限すら、下回っている。
なのに体重は、増える。
一方的に、増える。
「僕の体内では、質量保存の法則が崩れている」
入ってくる量より、増える量のほうが多い。
1日の平均歩数、2,500歩。
……少ない。
ちょっと、いや、かなり少ない。
リモートワークで書斎と冷蔵庫を往復するだけでは、人はこんなにも歩かないらしい。
そこで僕は、自分のパーソナルなデータ(身長・体重・年齢・そしてこの絶望的な活動量)を
すべてChatGPTに入力してみた。
「あなたの1日の消費カロリーは、おおよそ1,700kcalです」
2,000〜2,400kcalというのは、
座って暮らす僕の基準値では、なかったのだ。
つまり、こういうことだ。
消費:1,700kcal
摂取:1,800〜1,900kcal
ということで、僕は今、1日の摂取カロリーを1,500kcalに設定して暮らしている。
物理がそう言っている。
お腹すいた。
こんなこともあろうかと、脂肪を蓄えておいたわい。
豚の脂肪(ラード)から石鹸を作ることは可能で、昔から行われてきた伝統的な方法です。基本は「脂肪+アルカリ(苛性ソーダ)」で起こるけん化(鹸化)という化学反応を利用します。
ただし、苛性ソーダ(NaOH)は強いアルカリで危険なので、手袋・ゴーグル着用、換気など安全対策は必須です。
⸻
🧼 基本の流れ
2. 弱火でゆっくり加熱して脂を溶かす
4. 冷まして固める(これがラード)
⸻
② 苛性ソーダ水を作る
1. 水を用意する(必ず水に苛性ソーダを入れる)
2. 苛性ソーダを少しずつ加えて溶かす
⸻
③ けん化(混ぜる)
1. ラードを40〜50℃程度に温める
3. ひたすら混ぜる(30分〜1時間)
→ とろみ(トレース)が出るまで
⸻
④ 型入れ・熟成
1. 型に流し込む
2. 1〜2日置いて固める
⸻
⚠️ 注意点
⸻
🧪 仕上がりの特徴
AI による概要 「マニョ注射(マニョ=Manyo)」は、気になる部位の脂肪細胞を直接分解し、部分痩せを目指す新しい医療痩身の脂肪溶解注射です。主成分であるGPC(グリセロホスホコリン)が脂肪を体外へ排出されやすい状態へと促し、太りにくい体質へと導きます
・基本構造
・脂肪(を)燃焼
躁鬱
出ずっぱり
・般若湯
利かん子
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260617134546# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCajImfQAKCRBwMdsubs4+ SDLmAQC48tJUnnTIghp4GzE/bXqKOoGcioHNUlug3vxaARCxPwD/QTvoNsTNYJK0 F4Ousd75jOKzfvXPw5KT30iXnqPSKwM= =ZK8y -----END PGP SIGNATURE-----
一昨年のNHK連続テレビ小説「おむすび」は、管理栄養士となる主人公(演:橋本環奈)の日々と奮闘を描くものだった。
なにせ当方も医療関係の仕事をしているため、とくに病棟勤務の話は身につまされるものがあった。
その中で、こんなエピソードがある。
https://cinema.ne.jp/article/detail/83389
この回は実際に、リアルタイムで見ていた。
テレビの音量が抑えられていたので、話の内容は理解できなかった部分もあるのだが…この記事にも書かれているとおり、端的に言えば「家族の差入れで患者が窒息を起こす」事件だ。
このエピソードにおいては、経営者の父親と振り回される家族、そしてプレッシャーに苦しむ息子?みたいな…根本的には「患者本人のワガママと言いなりになってしまう家族」という構図がある。
たとえば先述のエピソードは「嚥下障害」だ。つまり「下手に固形物を入れると窒息して最悪死ぬ」ってことである。もちろん誤嚥性肺炎のリスクもある(皆さんも高齢者の死因としてあまりに見慣れているだろう)。
ほかには食物単位での「禁忌」すなわちアレルギー等の致命的リスクに、栄養面における「制限」たとえば糖尿病だから糖質制限、肥満だからカロリー制限、といったこともある。
そして先ほどの記事を見て気づいたのだが、うなぎの話は「本人が嚥下障害を自覚しながらも好き嫌いと言い張っていた」「担当医が怖くて家族も指摘できなかった」ということである。まあ正直、医療従事者の視点から言えば「ふざけんな」ではあるが、理解した上で隠していたその心情も理解はできる。
(劇中でも生還した患者・事態を理解した家族・態度を反省した医師・そして管理栄養士ハシカンが大団円の結末となっている)
問題は、悪気が無い場合。さらにいえば、何も理解できていない場合だ。
もし上述のエピソードが「おとうさんがうなぎたべたいっていうからもってきただけ!なにがわるいの?」でしかないとしたら?
一気に救いようがなくなる。
そして医師や看護師、管理栄養士に言語聴覚士らが集まって、患者家族に丁寧な説明をする必要があるだろう。
それでもなお差し入れをやめないとしたら?
その理由に向き合う必要も出てくる。愛ゆえにいけないと思っても止められないのか?それとも…?
さて、医療機関である当職場にも、健康保険組合から健診関係の案内が来る。
健診結果の提出を求められたと思ったら、その結果をもとに生活習慣病リスクの高い人へ「特定保健指導」の通知を送付しているようだ。
と思ったら、当事業所にも来た。何が言いたいのか?という文面だが「是非とも保健指導の勧奨をお願いしますぅ~」という雰囲気だった。
こういう任意か義務かハッキリしない通知は本当に大嫌いなのだが、結局本人の意思だとすれば、なぜこれほどまでにしつこいのか?
残念ながら、当院に在籍している職員は筋金入りの不摂生揃いだ。
そして医療資格持ちだ。なぜ自分が不健康なのか?どうすれば改善できるのか?わからないはずがない。
そんな者たちに「保健指導」をすると、一律に決めて手招きをするだけのことに、およそ効果があるとは思えない。
それでもなぜやるのか?
もちろん、不摂生を減らして将来的な保険料負担を減らしたい…というのもあるだろう。
しかしそうなら、もっと本気で「言うこと聞かない奴らをどうしよう」という対応にならなくてはいけないのではないか?
今のような生ぬるいやり方はハッキリいって、手招きをしたという「実績作り」にしか見えないのである。
ここに「筋金入りの不摂生」と「バカを想定した医療指導」の、絶望的なまでのミスマッチがあると思う。
実は私も、本来であれば特定保健指導を受けるべき人間だ。ただし、まだ若いので対象外となっている。
そんな私は以前、家族の手によって病院に放り込まれ、検査・食事指導という名目での入院治療を受けたことがある。
1日1000kcalという苛烈な食事制限、あまりにヌルすぎる日課の運動、何もないことを確認するだけの検査…と、不毛な時間を過ごした思いだったのだが。
その中でも、医師や管理栄養士との対話には、大きな学びがあった。思った以上に、自分の知らないこともあった。
血液検査の数字にはどんな意味があるのか?糖尿病に陥る具体的メカニズムとは?
三大栄養素における良質な栄養源とは?玄米や春雨、乳タンパクや動物性食品、魚やオリーブ油……
決してお手本通りの食生活・生活習慣ができるわけじゃない。その中で、個々の知識がヒントになっている。
当時異常値ばかりだった血液検査も、今やオールパーフェクトになっている。医師からもベタ褒めで甘やかしてもらえている。
しかし。このような知識がない人間もいれば、本質的に理解できない人間もいる。
「野菜中心の食生活を命じられた母親が、食卓の中心に野菜を置いて食事していた」
「1日3食を鶏ムネとブロッコリーにした友達が、間食に好き放題食べていたので痩せなかった」
というような話があった、と思うのだが今ちょっとソースを見つけられない。
そもそも信じられないほどバカバカしいエピソードなので、嘘松かもしれないが…
こういう人たちはつまるところ
「言うことを文面通りに聞く」こと自体はできるのだが
「なぜそうするのか考える・理解する」ことが、致命的にできていない。
こういったことを理解しない、あるいは考えない、ないし見ないふりをしているのかもしれない。
野菜中心の食生活をする理由が「ビタミン・ミネラル」と思うなら、サプリメントに頼りながら炭水化物偏重の食事を続けてしまうかもしれない。
あるいは「センイ」と思うなら、野菜料理だからと脂っこい中華料理や、あるいはラーメン二郎なんかを食べまくってしまうかもしれない。
「タンパク質をとるといい」と思ったら、パスタを何人前も食べて小麦タンパク(と過量の糖質)ばかり摂取してしまうかもしれない。
「低糖質なのがいい」と思ったら、やはり油物を摂りすぎてしまったり、あるいは偏った食事で体調を崩してしまうかもしれない。
※糖質制限ブームが起こった際に、素人判断はむしろ危険という指摘もあった。ケトン体がどうのこうの…と言っていた記憶がある。
これは、自分自身が入院・指導を経験したからわかるが、急激な糖質・カロリー制限により脂肪がエネルギー源となる、というメカニズムによる。
老廃物となるケトン体が多くなりすぎると体調を崩すため、排出排出!水分補給だけはしっかり!と医師の指導・管理を受けるのだ。
つまるところ、最近のマンジャロブームと同じで「医師の管理が届かないところでやるのは危険(だし不要なら許さない)」ということ、だと理解している。
日本、だけではないかもしれないが、国民が不摂生である様子を見たら、まず「指導」が来る。
人間なんて40くらいで死ぬのが見苦しくないと思っている人にも。
それを見たのが医師であれ看護師であれ、家族であれ友人であれ、知人であれ他人であれ。
不摂生を見たら「指導」するよう、人類はプログラムされている。
一方で、そういった「指導」が届かなかった結果、手遅れになってしまった末路も見られる。
毎日お昼はラーメンという生活をしていたら、20代で高血圧や高脂血症に陥り絶望する人。
毎晩のように飲み歩いて楽しんでいたら、若くして肝硬変に陥り絶望する人。
暴飲暴食しても80まで生きられると信じていたら、40で動けない身体になってしまい絶望する人。
こういう人たちには、たしかに「そのまま放っておいたら、大変なことになりますよ!」という警鐘が必要だったろう。
昔からネット上でも「なんか30過ぎたら身体おかしくなってくるぞ!」「なんか年取ったら毎日体調悪いぞ!」という脅し文句が飛び交っていた。
今やそこから発展して「糖質制限」「筋トレ」といったブームがおこり、特定保健用食品やスポーツジムが乱立している。
そんな風潮に触れた人が「ちょっと食事を気を付けてみよう」「ちょっとジムを契約してみよう」と、ゾロゾロ動き始めている。
そうした人たちから決まって出てくる話が
…思えば小学校や中学校、みんな居眠りしたり遊んだりしながら受けていた家庭科の授業。
先生がコーラのボトルを持ち出して「この中にお砂糖が何十グラムも入ってるんだよ!」
あめ玉を持ち出して「これ一粒でも何十カロリーもあるんだよ!」と、脅すように言っていた
私は、そんなのわかってるよ、その程度気にしてどうするんだよ…と思っていた。
でも医師から清涼飲料を控えるように言われてからは、砂糖(糖類)の多い飲み物は完全に絶った。
さらなる医師らとのやりとりを経て、糖尿病のメカニズムがおぼろげながらわかってきた。
詭弁を承知で言えば、糖尿病の原因は必ずしも「太っていること」「カロリーオーバーであること」ではない。
それは例えるなら、凶悪犯罪の原因がオタクであること、と言っているようなものだ。
糖尿病が起きる直接的原因は「インスリン分泌が不足すること」と「インスリンが効かなくなること」。
前者は膵臓の問題。後者について初めて、肥満症などの影響も考えられるらしい。
1型が先天的なのは何となく知られているが、2型も遺伝が大きく関わることは最近喧伝され始めたところだ。
(そもそも大昔から「家族に糖尿病がいたら怖い」と言われていたのだが、その意味を説いてくれる人は誰もいなかった)
インスリンが分泌されなくなるのはなぜか?膵臓に何らかの問題が生じるからだろう。
白米はまだしも、精製された糖類は消化器官に大きな負担を生じる。だから「GI値」なんて概念も生じる。
毎日のように糖類を過剰摂取すれば、膵臓がダメージを受けて衰えるのも早いだろう。
じゃあ、膵臓に問題が生じない限り大丈夫なのか?恐らくそういうことになる。
米国のドナルド・トランプやウォーレン・バフェットのように、ジャンクフードとコーラで高齢までお元気な人もいる。
では、元気な人とそうでない人の違いは何か?残酷だが、臓器の耐久性ということになるだろう。
思えば、生活習慣による糖尿病と合併症で亡くなっていった日本の著名人たちは「小太り」ばかりであった。
一方で、石塚英彦・彦摩呂・マツコデラックスといった面々が、50代60代に差し掛かっても変わらずお元気である。
石塚英彦さんに至っては、本当はそこまで大食いではない…という話さえあるくらいだ。
つまるところ彼らは「栄養を蓄える能力が高い」、強い身体をしているのではないかと思う。
そして、彼らのような臓器をもってしてさえ限界突破してしまったのが、香川伸行さんのような方なのだろう。
なにせ、プロ野球選手として練習しながら水分代わりにコーラを10本も飲んでいたというのだ。これでおかしくならないほうがおかしい。
彼の全盛期は150kgあったというが、並の日本人ならそこまで太れなかったと言われる。
そういう人たちが、同じ生活習慣をして比較的健康になるわけはなく、単純に「耐えきれず脱落していく」という意味なのだろう。
東南アジアの国々でも、コーラのような清涼飲料は親しまれている。そして日本と同じく米食をするが、日本よりもはるかに偏った比率で摂取している。
日本人がチェーン店の牛丼を見て「野菜が足りない!」とのたまう一方で、東南アジアの恵まれない人たちは小鉢ほどの肉に濃い味付けを施し、大皿一杯の白米をかっ食らっている。
地域による食文化の違いもあれば、経済的事情もあるだろうが。実際にそういう食事光景が繰り広げられるのを私は見てきた。
そんな生活習慣と、あまり丈夫でない人種が組み合わされば、中年になると生活習慣病を患っているのが当たり前になる。高齢者は、そもそもいない。
百歩譲って食事面は仕方ないかもしれない。しかし彼らはそんな身体に、膵臓や肝臓に、清涼飲料水で効率的にダメージを与えてしまっている。
さて、若くして、それも2型糖尿病を、患うのはあちらの国だけと思うだろうか?
そんなことはない。
私の身の回りでも、若くして急に異常値が出始める人はいる。20前後で薬が手放せなくなる人もいる。
「やせるため」ではなく「生きるため」にマンジャロ等が必要、本当に必要になってしまう人たちがいる。
今のところ、2型糖尿病となった彼らすべてに共通しているのが「ジュースを水代わりに飲んできた」ということだ。
ここに「内臓に負荷をかけて効率的に破壊できる」という、清涼飲料水(に含まれる糖類)の性質が関わっているように思う。
私が今のところ正常値をキープできているのも、早めに清涼飲料NGを出してもらえたおかげではないかと思っている。
…とまあ、ここまで長々と考えてようやく「ジュースって身体に悪いの?」という疑問に、自分なりの結論を出せる。
そしてこれは「ジュースが身体に悪いのはなぜ?ホント?」という疑問を、長年保存してきたことによる。
義務教育で習えば分かるように思えることも、本質的な「スタート地点」に立てていない人が多い。私もそうだった。
一方で「なんか知らないけどジュースはダメらしい」と従うだけの「素直」な人間は、その先にたどり着けない。
ましてや、他に気をつけるべき健康面のアレコレに、考えが至るわけもない。
下手すると、悪意ある者たちに似非科学や陰謀論を吹き込まれてしまうかもしれない。
こういう人たちにこそ間違いなく「指導」は必要だと言えるだろう。
「バカを想定した医療指導」が、ちゃんと「バカ」に届くようになってほしい。
そして、理解してなお変わらない「クズ」を、どうするべきかも考えなくてはいけないだろう。
日本のように懇切丁寧な「指導」を試みるよりも、欧米の砂糖税のような「強制力」のほうが、合理的で効果的にさえ見えてくる。
じゃあ、任意でしかない受診の「お願い」を公的機関が執拗に送ってくるのは?
労働者に年1回2回の健診を義務づけて産業医が「節制しろ!就業可!」とするのは?
かつて私が受けたように、本人の人生設計を無視して周囲が強制的に「治療」を受けさせるのは?
…とまあ、私みたいな「クズ」には、「強制力」のほうが効果てきめんなわけで。
不摂生の抑止のためには、佐藤だって二郎だって、入院患者への差入れだって禁止しちゃうのが手っ取り早い。
そうすれば糖尿病患者にジュースを差し入れるなんて、殺人未遂めいたことも起こらないでしょうからね。
ありゃ、「バカ」と「クズ」を一網打尽にする方法をひらめいちゃった。今の話は無かったことに……
これ、ダイエットをする人は、とにかく誰でもちゃんと理解しておくべきことだと思う。
ダイエット法はいろいろあるけど、ここの部分が変わることは絶対にないので。
焼き鳥を炭火じゃなくガスで焼くと水蒸気が出て云々。それと一緒。
人間の体内で脂肪が燃えるときも、経路は違うけど同じ結果になる。
つまり、呼吸をすると酸素を消費し、脂肪が燃えて二酸化炭素を吐き出す。
さて、このとき水はどこに行くのか
ガスを燃やしたときは、高温で水蒸気になり、そのまま空気中に放出される。
でも人間の呼吸の場合はこうはならない。少しは皮膚や呼気から蒸発するけど、ほとんどはそのまま体内に残る。
ここで分子式を少し考えてみよう。
炭素鎖 -CH2- は14
ほぼ同じようなもんだ。
というわけで、大雑把に言うと、1kgの脂肪が燃焼すると1kg超の水になる。
この水は体の中に残る。
脂肪を燃やした段階では、体重はほぼまったく減らない、ということだ。
(運動して汗をかくと少し減るが、常にそれでなくなるとは限らない。)
この時間差に慣れて、無駄に神経質にならないことがダイエットには肝心だ。
体内に水分が残る、いわゆるむくみだ。
でも体重がコンスタントに減っていくかどうかは、むくみ解消などの別の要因にも左右される。
これ以上に効果的に水分が大量に処理されることはまずない。
脂肪が燃えてもむくんでいるときは、なんだか小の出も悪いものだ。
コップ一杯の水を飲んで、コップ一杯の小しか出ないときは、体の中に水分がたまっていないか、たまったものが出てきていない。
これが、朝なんかに勢いよく出たときは、大抵きれいに体重が落ちている。体重を計ってみよう。