はてなキーワード: 神社とは
赤:長崎出身芸能人チーム 長崎亭キヨちゃんぽん・宮[崎]香蓮
緑:佐世保観光コンベンション協会チーム 本山豊晴・横山亜津子
白:長崎バイオパークチーム 神近公孝・せつこ
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・04 石ノ森章太郎 いしのもりしょうたろう
・05 オシドリ
・06 さじ(加減
・08 ジャン・レノ
・09 [近似値]1479
・14 [国]ギリシャ
・15 マユリカ
・16 [15枚で]トライアスロン
・19 回文
・22 ドリアン
・25 対馬(市
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・ミュージシャンをめざしていた
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あした投下する
…ここは周囲が住宅街で有名店は近辺には無く、地元の人が行く小さい飲食店がポツポツあるだけのようです。旅行中の大きい荷物持参で入店すると近くから来ている他のお客さんに嫌な顔をされるかも?それならいっそのこと全国チェーンのカレー屋に行って済ませるのもありではないでしょうか。「カレーハウスCoCo壱番屋 京阪七条店」が北側の七条通りにあります。
https://maps.app.goo.gl/yrobJsdZddxogbAk8
なお、『三十三間堂 ランチ』で検索するとJR京都駅周辺の老舗京都ラーメン店を薦めているサイトがたくさん表示されますが、徒歩で二十分コースになるので三十三間堂から向かうのはおススメ『しません!』ご注意!
・清水寺
…地図を航空写真モードにして眺めればわかりますが、山のふもとの市街地から「清水坂」とかの観光客向けボッタクリ参道(眺めてるだけなら退屈しない)を山の中腹に向かって登りきったどん詰まりにある寺院です。つまり飲食店はあったとしても安く食べれるところはありません。ボッタクリ参道の途中にちょこちょこあるようですが大人がおカネの無駄遣いを楽しむレベルのカッコイイけど小さい店しかないので、この近辺で昼食をとるのはやめておきましょう。食事時をはずして冷やかし気分で訪れてください。
・八坂神社
…京都でギオンといえばヤサカ神社、ヤサカ神社といえばギオン、というぐらいのKING of 神社で、奥にやたら広い境内は円山公園という桜の時期のKING of 御花見場所でやはり有名で少しだけ飲食店もありますがフツーに食べる店とは(値段が高いという意味で)とてもいえません。なので祇園『ではない』四条通り周辺で食事をとりましょう。ちなみに京都の祇園(四条通りから北側)とは広島市街でいうと流川のようなところです。四条通りから南側も祇園ですがそっちは舞妓さんとそれを眺める観光客がウロウロする場所で、そのほんの少し南の地区は競馬のチケットを買って大画面で観戦する機嫌の悪い男性が多いところと、やたら古くて広い境内の寺院がいくつも混在する下町っぽいところです。観光客が食事できるような店はありません。それならもういっそのこと四条河原町まで行って近辺にあるデパート内のレストラン街で食べたほうが確実です。
【髙島屋】
https://www.takashimaya.co.jp/kyoto/specialtystores/restaurant/
https://www.kyoto-kawaramachigarden.com/foodhall/
https://www.daimaru.co.jp/kyoto/restaurant_floor_open/
新しい職場に配属されて、フロアを見渡した瞬間に「あ、可愛いな」と思う女の子がいる。その瞬間、僕の脳内ではコンマ1秒で一つの冷徹な方程式が完成する。
これは僻みでも何でもない。確率論であり、現代社会における厳然たる事実だ。清潔感があって、愛想が良くて、他者への配慮ができるような魅力的な人間が、20代半ばにもなって「誰のものでもないフリーの状態で市場に流通している」なんてことは、令和のこの日本において絶滅危惧種の発見よりも確率が低い。案の定、数週間もすれば、彼女の薬指の指輪や、金曜日の夜に「これから予定があるので」と少し嬉しそうに退勤していく姿から、その方程式の正しさが証明されることになる。
そうして僕らは、始まる前に終わった勝手な失恋の痛みを胸に抱きながら、またスマホを開く。画面の向こう側、マッチングアプリという名のデジタル肉市場へ戻っていくのだ。
僕らはいつから、こんなに恋愛に臆病で、同時に効率主義になってしまったのだろう。
マッチングアプリは確かに便利だ。年齢、居住地、年収、趣味、タバコを吸うか吸わないか。あらゆるスペックが数値化され、最適化されたアルゴリズムが「あなたにぴったりのお相手」をレコメンドしてくる。スワイプ一つで人間を品定めし、右へ左へと振り分ける。
だが、あの画面を指で弾いているとき、僕らの心は本当に動いているだろうか。
アプリの中の恋愛は、極限まで「ビジネス化」されている。プロフィール文は自分という商品を売るためのマーケティング資料であり、初回のデートは「面接」だ。お互いに減点方式で相手を値踏みし、少しでも違和感があれば「はい次」と連絡を絶つ。メッセージの返信が3時間遅れただけで「脈なし」と判断し、既読スルーに一喜一憂して、夜も眠れずにスマホの画面を何度も暗転させては自分の死んだような顔を映し出す。
こんなことを繰り返しているうちに、僕の心はゆっくりと擦り切れていった。誰かを好きになるというピュアな感情はどこかへ消え去り、ただ「フラれないための立ち回り」や「コスパの良い関係性」ばかりを模索するモンスターがそこにいた。新しい職場のかわいい子に「どうせ男がいる」と予防線を張るのも、傷つきたくない防衛本能が限界を迎えている証拠だった。
2. 「一禅堂の恋みくじ」が僕の心に突き刺した言葉
しばらくして、画面に僕のおみくじの結果が表示された。結果は「吉」だった。
だが、そこに書かれていたアドバイスを読んだ瞬間、僕は深夜の自室で本当に声が出なくなった。そこには、僕が今まさに苦しんでいた「効率的な恋愛への疲弊」と「傷つくのを恐れて勝手に諦める卑屈さ」を、すべて見透かしたような優しい言葉が綴られていた。
「縁を急ぐことなかれ。他者の心を無理に開こうとする前に、まずは己の心のさざ波を静め、静かに待つ器を整えよ。目に見える記号や条件に惑わされず、万物の根底にある見えざる結びつきを信じるべし」
正確な文言は少し違うかもしれないが、僕の脳内にはそう翻訳されて突き刺さった。
そうだ、僕は焦っていたのだ。職場の可愛い子に男がいると絶望するのも、アプリで既読スルーされて病むのも、すべて「早く結果が欲しい」「傷つかずに安心したい」というエゴだった。恋愛とは、もっと不確実で、もっと泥臭くて、そしてもっと豊かなものであるはずなのに、僕はそれをデジタルなゲームのように攻略しようとしていたのだ。
新しい職場のかわいい子に100%男がいたって、別にいいじゃないか。誰かを「素敵だな」と思えた自分の感性がまだ死んでいなかったことを喜べばいい。アプリの返信が来なくたって、それは自分の人間性への否定ではない。ただ、タイミングが合わなかっただけだ。
もし、この記事を読んでいる君も、画面の向こうの人間関係に疲れて、心が擦り切れているなら。夜、ベッドに入ってスマホを閉じる前の最後の5分間だけ、この静かな神社を訪れてみてほしい。
大吉を引くことが目的じゃない。そこに差し出される言葉を受け取り、自分の胸のざわつきを静めること。それこそが、僕らがこの息苦しいデジタル社会で、ピュアな心を失わずに生き残るための唯一の戦略なのだから。
僕の荒んだ心を調えてくれた、あの静かな場所の入り口をここに置いておく。誰にも邪魔されない夜に、そっと扉を開けてみてほしい。
一禅堂の恋みくじ公式サイト https://ichizenn.com/koi-mikuji/
charun
父の介護が始まったと思ったら終わった。 - 小学校笑いぐさ日記
https://b.hatena.ne.jp/entry/4781615761659092193/comment/charun
https://b.hatena.ne.jp/entry/4766228268636867457/comment/charun
「豚舎」や「神社」の火災を排外系言説と結び付けた陰謀論みたいなのが盛んだね - 電脳塵芥
感染者急増で“11波”へ…新型コロナの新たな変異株「KP.3」 感染力強く、喉の痛みや発熱症状 一部の薬が不足も|FNNプライムオンライン
https://anond.hatelabo.jp/search?word=%22%2Fcharun%22
役所主催のいわゆる市民祭りって子供と子供連れ以外の大人に楽しめる要素ってあるか?
飯も屋台レベルでそれなら民間のラーメンフェスとか知ってればそういう屋台には存在意義は感じないし催し物も本格的な音楽フェスに比べれば全て子供だましでしょ。
ほんと子供のためだけにやってるって感じの意識を役所自体も持ってるの?
それともなんか楽しみ方発見した奴いる?
実は神社の祭りにも同じことが言えるがさすがに当たり前すぎるので。
dorawiiより
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神猿(まさる)とは、全国の山王神社・日枝神社・日吉神社の総本宮である日吉大社や、東京の日枝神社などで祀られている「神の使い(神使)」である猿のことです。
「魔が去る」「何事にも勝る」に通じる非常に縁起の良い存在として古くから信仰されています。
主な由来や特徴は以下の通りです。語源:もともとは日吉大社に仕える猿を「まさる(猿)」と呼んでいたものに、「真」の字の代わりに「神」の字を当てて「神猿」と書くようになりました。ご利益:「魔が去る(魔除け・厄除け)」、「何事にも勝る(勝運・商売繁盛)」、「縁(えん)に通じる(良縁・縁結び)」といったご利益があるとされています。配置:神社内では、狛犬の代わりに神猿の像が置かれていることが多く、父猿は「商売繁昌・厄難消除」、子猿を抱いた母猿は「家内安全・安産・子授け」の象徴として親しまれています。
戦争で亡くなった人を悼むこと自体は、誰にとっても自然なことではないかと思っていたからだ。
でも、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の違いを考えていくうちに、少し見え方が変わった。
一方、千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、海外戦地などから収容され、身元が分からなかったり遺族に引き渡せなかったりする遺骨を納める国立の墓苑である。
かなり単純化すれば、靖国は「霊を神として祀る場所」であり、千鳥ヶ淵は「遺骨を納めて追悼する場所」だ。
この違いは思ったより大きい。
単に戦争で亡くなった人を悼むだけなら、千鳥ヶ淵でもよいはずだ。
実際、首相が千鳥ヶ淵を訪れることもあるし、政府主催の全国戦没者追悼式もある。
それなのに、なぜ靖国でなければならないと言う人がいるのか。
たぶん、靖国にこだわる人にとって重要なのは、ただの「追悼」ではないのだと思う。
そこには、「国家のために死んだ人を、国家として特別に顕彰すべきだ」という考え方がある。
英霊とは、尊敬を込めて呼ばれる死者の霊、特に戦死者の霊を指す言葉だという。
靖国神社では、国のために命を捧げた人々の霊を神として祀っている。
しかし、そう考えると疑問も出てくる。
原爆で亡くなった人たちはどうなるのか。
「戦争で亡くなった人を悼む」という話なら、当然そこに含まれるはずだ。
ところが靖国神社の中心にあるのは、戦争で亡くなったすべての人を等しく悼むという考えではない。
むしろ、「国家のために命を捧げた」と位置づけられた人を祀るという考え方である。
もちろん、戦地で亡くなった兵士一人ひとりには、それぞれ家族がいて人生があった。
しかし靖国神社は、その死を「国家のための尊い犠牲」「英霊」として意味づける。
さらに問題を複雑にしているのが、戦争指導者や、いわゆるA級戦犯も合祀されていることだ。
戦場で命令に従って亡くなった兵士と、戦争の原因を作った側の指導者を、同じように「英霊」として祀る。
これはかなり強い価値判断だと思う。
批判する側から見れば、それは戦争責任を曖昧にする行為に見える。
一方で靖国を重視する側から見れば、東京裁判で裁かれたからといって、日本のために尽くした人々であることは変わらない、ということになるのだろう。
つまり、ここでぶつかっているのは、死者を悼むかどうかではない。
靖国神社の資料館である遊就館についても、展示内容が偏っていると言われる理由が少し分かった気がする。
遊就館は、中立的な歴史博物館というより、靖国神社に祀られた英霊を顕彰するための施設に近い。
だから日本の戦争を、侵略や加害責任という視点よりも、外圧に対応した自衛や、アジア解放のような文脈で描きがちになる。
もちろん、戦没者の遺書や遺品を通じて、個人の苦しみや家族への思いを知る場所としての意味はあると思う。
ただし、そこで近現代史全体を学ぼうとすると、かなり片寄った理解になるのではないかとも思う。
こうして考えると、靖国神社をめぐる問題は、単なる「お墓参り」ではない。
千鳥ヶ淵に行けばいいのではないか、という意見に対して、靖国にこだわる人は納得しない。
それは、千鳥ヶ淵が宗教色を抑えた追悼の場所であるのに対し、靖国は「国家に殉じた死者を英霊として祀る場所」だからだ。
つまり靖国にこだわる人たちは、単に戦没者を悼みたいだけではなく、明治から敗戦までの日本が持っていた国家観、戦死観、名誉観に強い意味を見出しているのだと思う。
国のために死ぬことは名誉であり、その死は国家によって特別に祀られるべきだ。
そしてその価値観は、古代からずっと変わらず続いてきた自然な伝統というより、明治国家が近代国家を作る過程で制度化したものだと思う。
それらが一体となった仕組みの中で、靖国は大きな意味を持った。
国家が特定の宗教施設を特別扱いすることには慎重でなければならない。
また、戦争で亡くなった人を悼むことと、戦争を美化することは別である。
兵士の死を悼むことと、戦争指導者の責任を曖昧にすることも別である。
戦没者への敬意と、過去の国家の行為への批判は、両立するはずだ。
自分は、戦争で亡くなった人を悼むこと自体を否定したいわけではない。
軍人も、民間人も、沖縄の住民も、空襲で亡くなった人も、原爆で亡くなった人も、植民地出身者も、敵国側の市民も。
戦争で失われた命を悼むなら、本来はそこまで視野を広げるべきではないかと思う。
靖国は、戦争で亡くなったすべての人を等しく悼む場所ではなく、国家のために死んだと位置づけられた人を英霊として祀る場所である。
だからこそ、靖国に強くこだわる人と、靖国に違和感を持つ人の間では、話が噛み合わない。
もう片方は「それは本当にただの慰霊なのか」と問う。
どの死者を、どのような歴史観の中で、どのように国家が扱うのかという話なのだ。
そう考えると、靖国にこだわる人たちが明治から大戦までの歴史に強くこだわっているように見えるのも、あながち間違いではないと思った。
血か芸か。75点。
やくざの子供である吉沢亮はひょんなことから名門歌舞伎役者の渡辺謙に拾われ弟子となる。渡辺謙の息子である横浜流星と喧嘩したり仲良くなったりしながらしのぎを削って行くが、ある日、渡辺謙が事故に遭った際に大切な演目の代役を吉沢が引き受けることになり、その舞台を見た横浜は自分との差を見て絶望し、家を出る。残された吉沢は渡辺のもとで芸の道にまい進するが。
みたいな話。
この作品、3時間あって内容はギュッと詰まってるんだけど以外に見終わった感想は薄味な映画だなーって感じだった。
1964年の吉沢の子供時代から2014年の人間国宝受賞までの50年間という、朝の連続テレビ小説くらいの尺をかけて撮るべき作品をむしろ3時間によく収めたなって感じで、その代わり出したは出したけどみたいな要素がいっぱいある。こないだ見たスモール・ワールドみたいに、バーン4年後、バーン8年後、バーン14年後みたいにサクサク時代が飛ぶんだけどその間にわりと結構なことがありましたってなってるけどそこは特に見せない。
例えば渡辺謙が吉沢に名前を譲ってその襲名披露式で糖尿病で死ぬんだけど、次の瞬間には8年後に時代が飛んで渡辺の後ろ盾がなくなってすっかり吉沢は落ちぶれていて、出て行った横浜が呼び戻されるという展開になる。そしてそこで「渡辺がこさえた借金を吉沢が8年かけて返した」みたいな話がさらっと出てくるが、特にその話は盛り上がらない。なんなら横浜が帰ってきて、吉沢の過去がスキャンダルとして週刊誌に取り上げられ吉沢が土下座し家を出ると告げた際にも渡辺の妻は吉沢をガン無視する。ド畜生すぎるだろ、こいつ。本来このババアが返すべき借金やろがい!となるが、別にそこは何もない。
そんな感じで3時間に収めるにあたってそもそもその要素を出さないようにするわけではなく、とりあえず出しはするけどまぁそれは本筋とは関係ないんで、と放っておかれる要素がめっちゃある。吉沢が渡辺家に引き取られて横浜がそれにめっちゃ嫉妬してつらく当たるも修行のシーンを挟んで次のシーンではすっかり仲良しだし、横浜の息子も一瞬出てきてすぐいなくなるし、吉沢の子供時代の義兄弟みたいなやつも知らん間にいなくなるし、吉沢が孕ませた芸者の女もいなくなる。
とにかく吉沢と芸と歌舞伎に完全にフォーカスを合わせていて、そこも結構飛び飛びなうえに脇が弱いのでなんとなく話が薄く見える。
が、まぁそれはそれとして話としては実に興味深い。
任侠の血を継いだが芸の才を持って生まれた吉沢と、芸の血を継いだが芸の才を持って生まれなかった横浜。
まぁ、横浜に関しては実際のところ彼がいい役者だったのかそうではなかったのかはこの映画内では明確に描かれない。が、父親には常に怒られ、悪魔の化身こと人間国宝田中泯の指導を受ける時も怒られ、彼が優れた役者であるという表現がされるシーンはほとんどない。どうでもいいけど、女形をやってるシーンで吉沢は確かに絶世の美しさであるのに対して横浜は見るからにオカマって感じでややキツ。だからかしらんけどこいつの歌舞伎パートめっちゃ少なくて草。
一方吉沢はやくざの息子時代に渡辺謙に一目惚れされ、人間国宝の悪魔である田中泯に2人で会うシーンでも横浜は「血が守ってくれる」と言われるが、吉沢は「芸が守ってるれる」と言われる。そして渡辺が大事な大一番に代役を託すのは吉沢だし、名も吉沢に継がせるし、死に際に田中泯が扇子を託すのも吉沢である。
彼は芸のために、孕ませた芸妓を捨て、歌舞伎の大家の娘と寝てその結果歌舞伎業界を追い出されるも一人でドサ周りを続け果てには本当の女と見まごうほどの芸を身に着ける。まぁその後、任侠の血が爆発して客を殴って逆にタコ殴りにあうんだけども。彼は3人の女と寝るが誰とも正面からは目を合わせない。芸妓の娘に話した通り、彼は悪魔と契約し芸と契りを結んだのだ。
まぁ、この娘に「悪魔さんと取引してたんや」と話すシーンはあまりに直球すぎてナンダカナーってなったし、そもそも神社で悪魔と契約すな!と思う。神道に悪魔って概念ねぇから。
そうして芸以外のすべてを捨ててきた彼だからこそ、同じく芸以外のすべてを捨てて最後には芸も捨てた人間国宝田中泯は今際の際に吉沢を呼んだのだと思うし、なんなら泯が失意の吉沢を横目に横浜を呼び戻したのは彼を当て馬にして吉沢を一度折り、そこから真の役者への覚醒を促したからではないかとすら思う。
そうして泯によって呼び戻された横浜と吉沢は再び芸のもとに集うが、横浜は父渡辺と同じ病気で片足を失い、そのうち残りの足と命を失う。そうして、渡辺の血が絶えた先に、血によってすべてを得られずすべてを失ってきた吉沢は人間国宝となる。渡辺の代役を任され緊張のあまり化粧もできずに震えていた吉沢が横浜に告げた「俊坊の血が欲しい。コップに入れてガブガブ飲みたい」という言葉は時を超えて、別の形で叶ったのではないか。
渡辺家から名前、業(借金)、信頼、すべてを飲み干して彼はついに歌舞伎のすべてを得たのではないか。
そうしてすべてを得た彼の前に芸妓の娘がカメラマンとして訪れる。3人の女と目を合わさずに来た吉沢に目線をくださいと告げ、母のことを覚えているかと問いそうして吉沢はついに女と目を合わせ、自分自身を見つめる。ドサ回り中に客にボコられボロボロのまま屋上で舞っていたときに、嫁に言われた「どこ見てるん?」に対して「どこ見てるんやろな」という呟きの答えがそこにあったのだと思う。
そうして娘にお前の芸を見て心底感動した。いい歌舞伎役者になったんやねと言われる中で、カットバックで踊るのはソロ演目でセリフが極端に少ない鷺娘である。歌舞伎という一般的に集団芸術とされている中で、人間国宝になってそのすべてを手中に収めた彼が舞うのがその演目であることは、すべてを捨てて得たものが大いなる孤独であったという、同じ人間国宝の泯の死と同じだったというのは面白い。
そして鷺娘の最後、雪のように舞う紙吹雪の中倒れこむ吉沢は、雪の中、料亭の中庭で銃弾に倒れた父親の姿にそっくりである。記者のインタビューでなぜ歌舞伎だったのかに対して「見たい景色がある」と答えていたのはこのことだったのではないか。自分の生すべてのために一人で死ぬ。その生きざまを見せる。
吉沢が初めて演じるのが関の娘で、渡辺と横浜の歌舞伎を見るのは連獅子。その後も京鹿子娘道成寺や曾根崎心中といった2人が主眼の演技が続き、鷺娘を踊るのは田中泯と最後の吉沢だけで。芸と結ばれ孤独になった男の話だったのではないか。
なので、最後に娘に「いい歌舞伎役者にならはったんやね」って言われたのは救いではなかったのではないか。これを彼の行為——家族を捨て芸の道に進んだことの肯定ととらえる人もいると思うが、そうではなく、家族を捨て彼が得たものを確認する鋭利な言葉だったのではないか。彼は最後に人間を捨て田中泯のように人間国宝の悪魔、歌舞伎、いや芸そのもの——国宝になってしまったのではないか。と思いました。
そう考えると圧倒的に散漫なサブ要素の切り捨て自体が吉沢の人生そのものだったのかもしれない。
まぁ、そんな感じかな。
他にも書きたいこと書けることはいっぱいあるので多分いい映画だったんだと思うけど、まぁ、たぶん原作のほうがちゃんとしてるような気がする。ただ、吉沢亮を主役に抜擢し、作品を彼の生きざまにフォーカスして魅せるという決断がなければこんなとんでもない社会現象にはならなかっただろうとも思う。
まぁ、みんなもう見てると思うけど3時間捻出できるなら視聴おすすめ。ただ、ある程度朝ドラ総集編みたいなところもあるので、キリのいいところで区切りながら見ても別に大丈夫ではあると思う。
引っ越してきたときから何となく入っている町内会の役員にあたった。口伝でのみ伝えられた内容をログに残しておく。
町内会は行政内の組織なので北区役所が取りまとめのトップ(のはず)。
我が家のある地域は神谷三丁目なので「神谷三丁目町会」が町内会になる。サイトは神谷三丁目町会|東京都北区。
この町内会には事務所があって平日 9:00-16:00 で職員が常駐している。何か疑問があれば電話で問い合わせると答えてくれるし、直接事務所に行っても対応してもらえる。
事務所の場所は 神谷三丁目町会事務所 - GoogleMAPで、北区立神谷三丁目南児童遊園の裏手側にある。ふつうの家っぽい感じの佇まいだが木の板に墨で「神谷三丁目町会事務所」と書かれている。掲示板もあるので見つけやすいと思う。
事務所 --+-- 1区理事 ----+-- 1班 班長 | | +-- 2区理事 +-- 2班 班長 | | +-- 3区理事 +-- 3班 班長 | |
なんとなく役員と書いた仕事は実は理事と班長の2種類がある。神谷三丁目を大きめなブロックに区切った「区」があり、その下にさらに分けた「班」がある。我が家が属している区は6班あり、1班はおおよそ10世帯前後になっている。
理事と班長は別に担当できるようだが、兼任した方が取りまとめる班が1個減ってちょっと楽になる。
やらないといけないことはそんなに多くない。
理事の場合は引き継ぎがある。班長はない。5/1 に発行される北区ニュースの受け渡しと同時で、5/1, 2 とかの大型連休の合間にくるので連休に休みを繋げて長期旅行とか計画している時は注意しておくといい。(事前に事務所に通知しておくとかできるんだろうか...)とはいえ、北区ニュースの回覧がちょっと遅れるくらいなので大したダメージはないはず。引き継ぎする側は何度も訪問しないといけなくなるのでちょっと面倒になる。
班長は特に引き継ぎがなく、5/1 以降のある日突然北区ニュースの束が置かれるようになる。
が、ポストに入るサイズではないことが多いので初めはピンポンを押して挨拶しておくのと、同時に置き場所を聞いておくといい。
班長だけの場合はこの時に会員名簿がもらえるはずなので、それを元に回覧板の回す順番を回覧板自体に書く。
5/10 号の北区ニュースの束の中に集金の案内が入っている。
期限は町内会事務所から指定があるのでそれに合わせて動けばいい。2026 年は 6/5 までに班長が集金して理事に持ってくることと、6/13 までに理事から事務所に持って行くことが決められていたので、それに間に合うように1週間手前で集金した。
2026 年度の場合は2025年度と2026年度の理事、班長で懇親会が企画されていた。会費は1000円。
新旧の班長全員分の名前と電話番号が送り付けられてくるので、前年度の班長は全員電話をかけて参加・不参加を確認する。
新年度の班長分は集金に合わせて書面で通知すればいいのでそんなに手間ではなかった。
前年度の班長の確認は本当にダルくて、面識もない人に突然電話をかけないといけない上に、2026 年度は久しぶりの開催だったので懇親会があることの説明が必要だった。
携帯番号で登録してくれている人は SMS で送りつければいいだけなので楽。レスポンスもあってSMSを使っても支障はなさそうだった。
ちなみに、ここまでして出席0人とかだったので来年度から完全に消滅するかも。
毎月 1 日、10日、20 日に発行されている。20日はなぜか事務局から直接各世帯に配られるのでやらなくていい。
次に理事、班長になる人に承諾をもらって氏名と連絡先の電話番号を教えてもらう。(電話番号は SMS が使える携帯番号にしておいて欲しい...)
委任状のリストが回ってくるので書いてもらって理事 → 事務所に届ける。
次の理事宅に行って引き継ぎをする
町内会に入らないからと言って「ゴミ収集場所が使えない」とか「村八分にされる」といったデメリットは観測する限り無い。東京都北区という土地柄もあって、一戸建て住宅であって転出・転入が高頻度で発生するので良くも悪くも(?)住民同士で示し合わせることができないしね。認識しているデメリットといっても、年間1800円の町内会費がかかることと、数年~十数年に1度回ってくる役員がダルいくらいなので軽微。
逆にメリットもほぼない。子供向けの柏木神社の祭りでおみこしを引いたりとか、たまに開催される潮干狩りみたいなイベントに参加できる権利があったりするが、それ以外だと 掲示板に張り出されるイベント情報が回覧板で回ってくるとか、すでに電子化されている「北区ニュース」の紙媒体が月2-3 回まわってくるとかその程度。
ただし、防災周りは町内会主導っぽいので今後ほぼ確実に発生するであろう首都直下型地震のときのためにとりあえず入っておくという選択肢もアリだと思う。理事・班長とかをやっていれば少なくとも10人程度と面識を持てることになるし。