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ウルトラマン生みの親が明かした戦争体験 「幻のシナリオ」見つかる
高校入学時に上京し、円谷プロで活躍しながらも、復帰前の沖縄に戻り、37歳で早世する。全力で駆けぬけるような人生については、いくつもの評伝や回想録が書かれた。
それらを読むうちに、気づいたことがある。哲夫の人生のある部分については、記述がかすみがかったようにぼんやりするのだ。
生まれたのは1938年。本島南部で地上戦をくぐり抜けた時は6歳だった。幼いとはいえ、多くを目に焼き付けたのは間違いない。だが哲夫自身がその体験を語ったり記したりしたことは、ほとんどなかった。
なぜなのか。関係者をたずねる中で、一本の原稿が見つかった。沖縄戦について哲夫が正面から描いた、幻のシナリオである。
傷痕
沖縄戦の体験を哲夫が語っているとすれば、この人だろう。そう思って、盟友だった森口豁(かつ)さん(88)に千葉県で会った。
しかし早々に、森口さんは首を横に振った。「家族ぐるみのつきあいを長くしたけれど、金城が戦争がらみの話をしたことは一切なかった」
二人が出会ったのは、高校生のとき。東京の玉川学園高等部の2年生だった哲夫は、自由研究の発表で沖縄の言葉について語った。一つ年上の森口さんは感銘を受け、その後の人生が決まった。1958年、大学を中退して琉球新報の記者になり、さらには日本テレビの特派員に。ジャーナリストとして沖縄を追い続けた。
駆け出し記者のころ、森口さんは毎日のように、哲夫の母ツル子さんが那覇市内で営む食堂「かどや」で食事をしていた。
ツル子さんは沖縄戦で負傷し、片方が義足だった。居間と調理場を行き来するたびに、和服の裾をはだけて義足をつけたり外したりする。白い脚が森口さんの記憶に残っている。「お母さんはあの時、どんな気持ちだったのだろう。戦争とはこういうものだ、と本土から来た若者に感じさせようとしていたのか」。当時を思い浮かべてしばらく黙ったあと、森口さんは語った。
ツル子さんは、いまの沖縄県南風原(はえばる)町津嘉山(つかざん)の自宅に家族とともにいた。空襲警報に続いて、米軍機が3機、家に突っ込んできそうな低空で急接近してくる。機銃掃射のバラバラという音とともに、左足に衝撃が走った。足首がふき飛ばされていた。
自宅に泊まっていた青木上等兵が止血してくれ、南風原陸軍病院に運ばれた。のちにひめゆり学徒隊が働く壕(ごう)である。青木上等兵から輸血の提供をうけ、ひざから下の切断手術を受けた。
哲夫の父は召集され、ビルマにいた。一家は曽祖母、祖父母、母、哲夫、妹の栄子。これから大混乱が始まるだろうという矢先に母が歩けなくなり、哲夫はどんな気持ちだったろう。
当時のことをツル子さんが書き残した手記がある。南風原町が1990年にまとめた「津嘉山が語る沖縄戦」に転載されている。
3月25日 二人の子も小さい手で母親の手をさすったり頭をもんだり懸命に看護しているつもりらしい。
3月27日 「第一線に行くよ」と兵隊さんが小さい哲夫に言っていた。
5月7日 早朝から艦砲が盛んに撃ち込まれる。爆風が壕に入ってくる。哲夫と栄子が頭から布団を被って震えている。
戦況は悪化し、5月下旬、日本軍は司令部をおいていた首里を放棄し、南部へ撤退することを決める。津嘉山は、その道程にあった。米軍の激しい砲弾が降り注ぎ、金城家の叔父一家は、壕の中で生き埋めになった。
このままでは、みんなやられてしまうかもしれない、と祖父・忠助さんは5月25日、決断をする。自分と妻と跡取りの哲夫は南部へ逃げ、曽祖母と片足のツル子、幼い栄子はここにとどまる――。決断にともなったであろう多くの悲嘆をツル子さんは書いていない。ただ、こうある。「預けた哲夫のことが案じられて、一睡も出来ずに夜が明ける」
断片的に、祖母がのちに語っている。配給の靴は大人ものばかりで哲夫は裸足だったこと、砲弾が飛んでくると哲夫の上に祖父祖母の順で覆いかぶさって守ったこと、死体をまたぎながら歩いたこと……。
津嘉山地区には1949人が住んでいた。このうち戦死したのは808人。じつに40%以上にあたる。戦後の調査では、住民の避難コースは大きく四つに分かれ、いずれも南へ南へと向かった。哲夫たちも、こうした足どりをたどったのだろうか。
海沿いで、一行は米軍に投降した。連れて行かれたのは、名護にあった大浦崎収容所。いま普天間飛行場の移設工事が進む米軍キャンプ・シュワブのある場所だ。ツル子さんらも奇跡的に生きており、家族は再会を果たした。
盟友の森口さんが高校生のときだ。不思議なメロディーを哲夫が口ずさんでいるのに気づいた。尋ねると、戦後に収容所で生まれた「屋嘉節」という沖縄民謡だと教えてくれた。さまざまな歌詞が伝わるが、森口さんが教わったのはこうだった。
世間(しきん)御万人(うまんちゅ)ぬ 袖(すでぃ)ゆ濡(ぬ)らち
かなしいことに沖縄は戦場になってしまい、みなの袖を涙で濡らし――そんな意味である。
なぜ自分の体験を、哲夫は語ったり書き残したりしなかったのでしょう。行く先々で問いを重ねた。
「生々しすぎて語れなかったのでは」と玉城優子さんは言った。子どものころ、ウルトラQを楽しみに見ていた世代である。1993年に地元紙の沖縄タイムスで、哲夫の生涯を114回にわたって連載した。
金城哲夫の評伝「沖縄を愛したウルトラマン」を書いた玉城優子さん=2026年7月6日、沖縄県西原町、谷津憲郎撮影
沖縄戦では、自分や身内を守るのにせいいっぱいで他人を助けたり、食べものを分け与えたりすることもままならなかった。戦場では人間のあらゆる面がさらけ出される。「一つしゃべり出せば、それら全てが噴き出してしまう、だからでは」
玉城さんは取材の中で、こんなエピソードを聞いた。その人が戦後、哲夫と酒を飲んでいた時だ。突然、哲夫は大声をあげて裸足で外に飛び出してしまった。哲夫は沖縄戦について、こう語ったそうだ。「あまりの怖さに泣きたくても泣けず、叫びたくても叫べなかった。いまでも何かの折りにその時の恐怖がよみがえってくることがある」
哲夫の孫にあたる金城琴さん(35)は、大学卒業後、円谷プロにつとめた。哲夫はどんな人間だったのか。何を語ったのか。それを残すのが自分の役割かもしれないと考え、出会う人たちにできるだけ昔のことを聞くようにしていた。それでも、哲夫から戦争の話を聞いたことがあるという人には出会わなかった。
琴さんは言う。「いまでこそ、沖縄戦の体験を残さねばという人は多いですが、哲夫のころはまだ戦争の記憶が新しく、口にするのも嫌だったのではないでしょうか。家族のあいだでも、ほとんど戦争の話はしなかったと聞いています」
沖縄戦でもっと悲惨な体験をした人もいるという思いも、哲夫にはあったかもしれない。母たちを置いていったことへの後ろめたさもあったかもしれない。
哲夫が急死したのは1976年。70年代後半になると、沖縄ではあの戦争について多くの人が語り始め、出版物が急増した。あと10年生きていたら、哲夫も何かを書き残したかもしれない――そう思っていた。
それは、沖縄県立図書館で哲夫に関する資料を探していたときだった。ある冊子に、小さな写真が3枚載っていた。200字詰めの原稿用紙を正面から写したもので、手書きの文字がはっきり見える。目がぴたりと止まった。
沖縄戦を描いた幻のシナリオ「暁の敗残兵」。200字詰め原稿用紙で200枚ほどにのぼる=2026年7月7日、沖縄県南風原町、谷津憲郎撮影
別のカットには「沖縄」の文字も見える。これこそが求めていたものではないだろうか。
冊子の発行元に連絡をとり、資料を保管している南風原文化センターへ行った。金城家は数年前から、哲夫の資料227点を寄託している。
センターの会議室。白い手袋をはめた職員が箱から平らなものをそっと出す。覆っていた包みをはがすと、縁が茶色く変色した紙の束が現れた。やはり哲夫の生原稿だった。一枚一枚めくってもらい、むさぼるように読んでいく。
作中では、沖縄戦の組織的戦闘は終わっており、日本兵3人が敵中突破をして生き延びようと試みる。主な登場人物は18人。F・O(フェードアウト)、O・L(オーバーラップ)など映像上の指示も書き込まれている。計213枚。沖縄戦を描いた未公表の本格的なシナリオだった。
主人公の日本兵は「青木」。母ツル子さんの足の手当をしてくれた上等兵の名である。その青木らに途中で合流する兵隊は、片腕がない。彼はもともと「津嘉山」の民家に泊まっていたが「飛行機の機関銃で関節からふっとんでしまった」。さらに、老人に連れられた幼い子ども2人が迷い込む。下の子の名は「栄」。2人の父は「ビルマ」に行っている。
青木ら3人は、米軍に見つからぬように先を急ぐ。「四方穴だらけで泥水が溜(たま)り、膨張した死体、蛆(うじ)の湧いている死体、顔面をえぐりとられた死体が散乱し、正(まさ)に死人のジュウタンである。三人死体をとび越え、死に物ぐるいに走る」。それは、哲夫自らが見た光景だったのだろう。
いったい、いつ書いたのか。孫の琴さんも、シナリオの存在をこの取材で初めて知ったという。はっきりとした手がかりはない。
だが哲夫は書いていたのだ。どこかに発表するつもりがあったのか。いや、発表のあてがなくとも、自分は書き残さねばならないと思っていたのか。沖縄戦について語らなかった身体のうちに、記憶はずっと渦まいていた。
シナリオは、運命のいたずらのような悲劇で終わる。あの戦場で生きるか死ぬかは、ただの偶然だった、と沖縄戦の体験者たちは言う。哲夫もきっと同じ思いだったろう。
「おわり」の3文字は、ぴたりとあわせたかのように、原稿用紙の最終行に書きつけられていた。
見る目ない人発見笑
今日、5歳の男の子の遺体なのではないかというご遺体が発見されたニュースをみてさ
息子たちを喜ばせたくてこの部屋を選んだのかなとか
露天風呂の綺麗な景色を息子に見せて親は喜んで欲しかったんだろうなとか
父親がさ、家族旅行でさ、初見の場所で、あらゆる可能性を想定して
うちの住んでるところの近くのマンションでもさ
5歳の男の子が、外出先から父親を振り切って1人でマンションに帰って
マンションの高層階のベランダ?踊り場?から身を乗り出して(上から下にいるお父さんを見てたのかな?)そのまま落下して、亡くなってしまった
5歳児ってさ
園で色んなことをやり遂げてる歳だから
親は油断してる
もう5歳なんだから突拍子もない行動はしないでしょうと油断してる
親はさ、一番近くで我が子を見てるからこそ
油断しちゃう
5年間も生きてるんだから
今日から7月。特に何も変わらないんだけど、カレンダーが1枚めくれるだけでちょっと気持ちが変わるのは不思議だ。朝起きたら6時58分だった。7時に起きようと思っていたので、2分早く起きられたことに謎の満足感を覚える。別に2分早く起きたところで何がどうなるわけでもないのに。
コンビニでいつものように鮭おにぎりを買おうとしたら、鮭が売り切れていて、仕方なく昆布にした。昆布のおにぎりって、子供の頃は苦手だったのに、大人になってから急に美味しく感じるようになった。舌が変わったのか、それとも塩気の感じ方が変わったのか。多分どっちもだと思う。レジのお姉さんが「温めますか」と聞いてきたけど、おにぎりは温めないので「大丈夫です」と答えたら、なぜか少し気まずい空気になった。おにぎりを温める人もいるのかもしれない。今度試してみようかな。いや、多分試さない。
会社に着いたらパソコンの起動が異常に遅かった。Windows Updateが走っていたらしい。5分くらいぼーっと画面を眺めながら、こういう時間って人生でどれくらい積み重なっているんだろうと考えた。多分合計したら何日分にもなる。何日分もの人生を「読み込み中」の画面に捧げているのかと思うと、少し虚しくなったけど、別にどうしようもないのでコーヒーを淹れに行った。
お昼は同僚と近くの定食屋に行った。日替わり定食が鯖の味噌煮だった。鯖の味噌煮は好きなんだけど、骨が多いイメージがあって身構えてしまう。今日は割と骨が少なくて、安心して食べられた。同僚が「最近暑くなってきたね」と言うので「そうですね」と返した。この会話、多分1年に50回くらいしている気がする。季節の変わり目には必ず誰かが「暑くなってきた」「寒くなってきた」と言い、それに対して「そうですね」と返す。この儀式のようなやりとりに、何か意味があるんだろうか。多分ないけど、ないなりに大事な気もする。
夕方、雨がぱらついてきたので傘を差した。折りたたみ傘を持っていたのは我ながら偉かった。天気予報をちゃんと見ていたからだ。天気予報を見て傘を用意できた日は、なんとなく1日の勝率が上がる気がする。逆に傘を忘れて雨に降られた日は、その後もなんとなく調子が悪い。因果関係はないと思うけど、そういう気がしてしまうのは仕方ない。
夜、お風呂に入りながら、今日1日で自分が何を成し遂げたかを考えてみたけど、特に何も思いつかなかった。メールを何通か返信して、会議に1つ出て、資料を少し直した。それだけと言えばそれだけなんだけど、多分こういう「特に何もない日」の積み重ねが生活というものなんだろうなと思う。湯船に浸かりながらそんなことを考えていたら、のぼせてきたので出た。
7月2日(木)晴れ
昨日ののぼせのせいか、朝からちょっとだるかった。それでも起きて、いつも通り顔を洗って、歯を磨いた。歯磨き粉のチューブがそろそろ終わりそうで、最後の方は絞り出すのに苦労する。あの「もう終わりかけの歯磨き粉を絞る作業」って、地味にストレスが溜まる。新しいチューブに変えたときの、あの気持ちよさといったらない。ニュルッと簡単に出てくる感じ。人生の小さな喜びの一つだと思う。
今日は洗濯物がよく乾く天気だった。ベランダに干した洗濯物が風にはためいているのを見ると、なんとなく気分が良くなる。特に理由はないんだけど、白いシャツが風になびいているのを見ると「いい1日になりそうだ」という謎の予感がする。実際にいい1日になるかどうかは別として。
電車の中で、前に座っていたおじさんがずっとスマホでパズルゲームをしていた。カラフルなブロックを消すやつ。おじさんの指の動きがすごく速くて、なんだかプロフェッショナルな雰囲気があった。世の中には色んな「極める」がある。パズルゲームを極めるおじさんもいれば、将棋を極める人もいるし、たこ焼きの焼き加減を極める人もいる。それぞれの人がそれぞれの世界でそれぞれの熟練度を持っているというのは、考えてみると面白い。
会社では、給湯室でお茶を入れているときに、隣の部署の人と少し話した。「最近、暑いですよね」から始まり、「そうですね、まだ7月なのに」という展開になり、「これから8月とか、どうなっちゃうんでしょうね」で締めくくられた。この会話のテンプレート、本当によくできていると思う。誰でも参加できて、誰も傷つかず、特に何の情報も生まれない。ある意味、完璧なコミュニケーションだ。
昼休みに、スマホで特に見る予定もなかったニュースサイトをだらだら見ていたら、30分くらい経っていた。何を読んだか、あまり覚えていない。多分どうでもいい記事ばかりだったんだと思う。でも、こういう「何も生み出さない30分」も、休憩としては必要なんだと自分に言い聞かせている。
夜ご飯は、冷蔵庫にあるものだけで何とかしようと思って、野菜炒めを作った。もやし、キャベツ、にんじん、あと少しだけ残っていた豚肉。特に美味しくもまずくもない、普通の野菜炒めができた。こういう「普通」の料理ができるようになったのは、一人暮らしを始めてからの成長かもしれない。最初の頃は、何を作っても謎に味が濃かったり薄かったりしたから。
7月3日(金)晴れのち曇り
金曜日は、朝から少しだけテンションが上がる。理由は単純で、明日から休みだからだ。この「金曜日効果」は、社会人になってから何年経っても薄れない。むしろ年々強くなっている気さえする。
朝の電車で、席が1つだけ空いていたので座った。座れるとやっぱり嬉しい。座れた日は、なんとなくその日1日がいい日になる気がする。これも昨日書いた「傘の勝率」と同じ現象かもしれない。人間は、朝のちょっとした運不運に、その日全体の気分を左右されがちなんだと思う。
会社では、午後にどうでもいい会議があった。議題は「来月の飲み会の日程調整」。これのために30分の会議を設定するのは、ちょっとやりすぎな気もするけど、誰も文句を言わないので、そのまま進んだ。結局、候補日を3つ出して、後日アンケートを取ることになった。会議で決めたことは「後で決める」ということだけだった。こういう会議、実は世の中に結構多いんじゃないかと思う。
夕方、退勤時に、エレベーターで一緒になった知らない人と、なんとなく気まずい沈黙を共有した。1階から10階分くらい、無言でエレベーターに乗るのって、地味に緊張する時間だと思う。スマホを見るふりをしながら、階数表示を横目でチラチラ確認する。あの時間だけ特別に時間の流れが遅く感じる。
夜は、久しぶりに友達と電話した。特に用事があったわけじゃなくて、「最近どう?」から始まる、内容のない長電話。1時間くらい話したけど、話した内容を思い出そうとしても、断片的にしか覚えていない。友達の会社の上司が変な人だという話、最近見た映画の話、あと猫の話。それくらいしか覚えていないけど、多分こういう「内容を覚えていない長電話」こそが、いい友達関係の証なんじゃないかと思う。用事がなくても話せる関係というのは、実はそんなに多くない。
7月4日(土)晴れ
休日の朝は、目覚まし時計をかけていないのに、なぜか平日とほぼ同じ時間に目が覚める。体内時計というのは律儀なものだと思う。もっと寝ていたいのに、目が覚めてしまう。二度寝しようとしたけど、結局スマホを見てしまい、そのまま起きることになった。
今日は特に予定がなかったので、部屋の掃除をすることにした。掃除機をかけて、床を拭いて、あと本棚を整理した。本棚の奥から、もう何年も読んでいない本が何冊か出てきた。学生の頃に買った参考書とか、一度読んで満足した小説とか。捨てるかどうか迷ったけど、結局「いつか読むかもしれない」という気持ちに負けて、そのまま棚に戻した。多分このまま一生読まないんだろうけど、捨てる決断をするのも、それはそれでエネルギーがいる。
昼過ぎに、久しぶりに近所の商店街を歩いた。八百屋のおじさんが「今日はきゅうりが安いよ」と声をかけてきたので、特にきゅうりを買う予定はなかったけど、なんとなく買ってしまった。5本で150円だった。安い。家に帰ってから、5本のきゅうりをどう消費するか考えることになったけど、それはそれで悪くない悩みだと思う。
午後は、テレビをつけっぱなしにして、特に集中して見るわけでもなく、なんとなく画面を眺めながらだらだら過ごした。バラエティ番組で、芸能人が知らない街を歩いて美味しいものを探すという企画をやっていた。こういう番組、内容はほぼ毎回同じなのに、なぜか見てしまう。多分、他人が知らない街を歩いているのを見るのが、単純に楽しいんだと思う。自分は歩かなくていいという安心感もある。
夕方、買ってきたきゅうりを浅漬けにした。塩もみして、しばらく置くだけの簡単なやつ。冷蔵庫で冷やして、夜ご飯のときに食べたら、思ったより美味しくできていて、ちょっと得意な気持ちになった。人間、こういう小さな成功体験の積み重ねで、意外と機嫌よく生きていけるものだと思う。
7月5日(日)曇り
日曜日は、なんとなく1週間の中で一番時間の流れが遅い気がする。朝起きて、特に何もしなくていいという状態が、逆に何をしていいか分からなくさせる。結局、布団の中でスマホを見ながら1時間くらい過ごしてしまった。
昼前に、思い立って近くの公園まで散歩に行った。公園には、子供たちが遊具で遊んでいて、お母さんたちがベンチで話をしていた。犬を連れて散歩している人も何人かいた。柴犬、トイプードル、あと名前が分からない小型犬。犬というのは、種類が違っても、みんな同じくらい楽しそうに歩いているように見える。それがちょっと羨ましい。
公園のベンチに座って、しばらくぼーっとしていた。特に何も考えていなかったと思う。強いて言えば、木の葉っぱが風で揺れる音を聞いていた。ああいう「何も考えない時間」というのは、意外と貴重なんじゃないかと思う。普段は常に何かを考えているから、頭が休まる時間がなかなかない。
夕方、日曜日特有の憂鬱がじわじわとやってきた。いわゆる「サザエさん症候群」というやつだ。特に明日の仕事に大きな問題があるわけではないのに、なんとなく気分が沈む。この現象、多分ほとんどの社会人が経験しているんじゃないかと思う。日曜日の夕方6時くらいから、テレビから国民的アニメの主題歌が流れてくると、条件反射的に憂鬱になる。パブロフの犬みたいなものだ。
夜、明日の準備として、シャツにアイロンをかけた。アイロンをかける作業は、地味だけど、なんとなく心が落ち着く。シワが伸びていく様子を見ているのが、単純に気持ちいい。無心になれる作業の一つだと思う。アイロンをかけながら、来週のことをぼんやり考えた。特に大きな予定はないけど、水曜日に歯医者の予約が入っていることを思い出して、少し憂鬱になった。
7月6日(月)雨
朝から本降りの雨だった。月曜日に雨が降ると、なんとなく1週間の始まりとしてはハードモードだと感じる。傘を差して、濡れた靴下のまま会社に行くのは、地味に不快だ。靴の中に水が入ってくる、あの感覚。防水の靴を買おうかと何年も思っているけど、結局買わないまま今年も梅雨を迎えている。
電車が少し遅延していた。雨の日はいつも電車が遅れる。「弱冠の遅れ」というアナウンスをよく聞くけど、「弱冠」という言葉の使い方として合っているのか、前から気になっている。多分、正確には違う言葉なんだろうけど、鉄道業界の中でそういう言い回しが定着しているんだと思う。今度調べてみようと思いつつ、多分調べない。
会社に着いたら、傘立てがいっぱいで、自分の傘を置く場所に少し困った。こういう「傘の置き場所問題」は、雨の日の地味なストレスの一つだと思う。あと、他人の傘と自分の傘を間違えないか、いつも少し心配になる。同じような黒い折りたたみ傘を持っている人が多いから。
仕事は、特に大きな出来事もなく、淡々と進んだ。資料を作って、メールを返信して、会議に1つ出た。雨の日は、なんとなく仕事の効率が落ちる気がする。気圧のせいなのか、気分のせいなのか分からないけど、集中力が続きにくい。窓の外の雨音を聞きながら、ぼーっとする時間が普段より多かった。
夜、家に帰ってから、濡れた傘を玄関で開いて乾かした。傘立てがないので、床にビニール袋を敷いて、その上に傘を置いている。この応急処置的な傘置き場を、そろそろちゃんとした傘立てに変えようと思いながら、もう2年くらい経っている。多分、この先も変えないまま何年か過ぎるんだろう。
7月7日(火)曇り時々晴れ
七夕だった。特に短冊に願い事を書くわけでもなく、笹を用意するわけでもなく、ただカレンダーを見て「あ、七夕か」と思っただけだった。子供の頃は幼稚園や小学校で短冊を書かされた記憶があるけど、大人になってから七夕を意識することは、ほとんどなくなった。
会社の給湯室に、誰かが折り紙で作った小さな笹の飾りが置いてあった。誰が作ったのか分からないけど、ちょっとした心遣いだなと思って、少し和んだ。短冊には「売上目標達成」と書かれていて、思わず笑ってしまった。会社らしい願い事だと思う。
昼休みに、七夕にちなんで素麺を食べようかと思ったけど、結局コンビニでいつものサンドイッチを買ってしまった。七夕に素麺を食べる風習があるらしいということを、テレビか何かで見た記憶があるけど、実際に実行したことは一度もない。今年も同じだった。
夕方、空を見上げたら、雲が多くて星は見えそうになかった。天の川がどうとか言われても、そもそも都会に住んでいると天の川自体、見たことがない。織姫と彦星が年に一度会えるという話は素敵だけど、天気に左右されるというのは、なんだかロマンチックさに欠ける気もする。晴れの年もあれば、雨の年もある。今年は多分会えていない。
夜、実家の母から「七夕だね」というだけのメッセージが届いた。特に返信を求めているわけでもなさそうだったけど、一応「そうだね、こっちは曇ってて星見えなさそう」と返信した。こういう、内容のない親からのメッセージというのは、なんだかんだ嬉しいものだと思う。用事がなくても連絡してくれるというのは、多分ありがたいことなんだろう。
7月8日(水)晴れ
朝から気持ちのいい晴天だった。梅雨の合間のこういう晴れの日は、なんだか得した気分になる。洗濯物を干して、いつもより少し早足で駅まで歩いた。
今日は歯医者の予約日だった。特に痛いところがあるわけではなく、定期検診だったけど、それでも歯医者に行くのは、なんとなく気が重い。あの独特の消毒液の匂いと、器具のキーンという音。子供の頃から変わらない苦手意識が、大人になった今でも残っている。結果は特に問題なく、「歯石が少し溜まっているので、取っておきましょう」と言われて、歯石取りをしてもらった。歯石を取ってもらった後の、歯がツルツルになる感覚は、地味に気持ちがいい。
会社では、新しいプロジェクトの説明会があった。詳しい内容はここには書かないけど、要するに新しいシステムを導入するという話だった。こういう説明会は、いつも「これで業務が効率化されます」という話で終わるけど、実際に効率化された試しがあまりない気がする。新しいシステムに慣れるまでの間、むしろ一時的に非効率になることの方が多い。それでも、みんな真面目にメモを取っていた。
夜、歯医者帰りで少し口の中に違和感が残っていたので、柔らかいものを食べようと思って、お粥を作った。卵を落として、梅干しを添えた、シンプルなお粥。体調が悪いわけでもないのに、お粥を食べるという行為自体が、なんとなく「今日はゆっくり過ごそう」というメッセージを自分に送っているような気がして、悪くなかった。
夜遅く、ベランダに出て夜風にあたった。梅雨の晴れ間の夜は、湿度が高くて、少し蒸し暑い。でも、星がいくつか見えて、七夕の日には見えなかった星が、1日遅れで見えたことに、少し面白さを感じた。織姫と彦星も、1日遅れで会えたのかもしれない。そんなことを考えながら、部屋に戻った。
7月9日(木)晴れ
朝、久しぶりに早起きできたので、朝ご飯をちゃんと作った。トーストと目玉焼きと、コーヒー。目玉焼きの黄身を、いつも半熟にしようとして、気づいたら固焼きになっていることが多いんだけど、今日は珍しく理想的な半熟にできた。黄身にトーストをつけて食べる瞬間は、朝の小さなご褒美だと思う。
通勤中、電車の中で、隣に座った人が大きなあくびをしていた。あくびというのは伝染すると聞くけど、実際に自分もつられてあくびをしてしまった。科学的にどういう仕組みなのか分からないけど、人間の共感能力みたいなものが関係しているらしい。今度調べてみようと思う。多分調べない。
会社では、久しぶりに取引先との打ち合わせがあった。オンラインではなく、実際に来社しての打ち合わせだった。画面越しではなく、実際に人と会って話すというのは、なんだかんだやっぱり情報量が違うなと感じた。相手の些細な表情の変化とか、話すときの間の取り方とか、そういう細かいニュアンスが、画面越しだとどうしても伝わりにくい。
打ち合わせの後、取引先の人と少し雑談した。趣味の話になって、その人が最近キャンプにはまっているという話をしてくれた。キャンプ、興味はあるけど、道具を揃えるのが大変そうで、なかなか手を出せずにいる。でも、話を聞いていたら少し憧れてしまった。焚き火を眺めながらお酒を飲む時間、想像するだけで良さそうだ。今度、道具をレンタルできるキャンプ場を調べてみようと思った。これも多分すぐには行動に移さないと思うけど。
夜、キャンプの話に触発されて、ベランダで小さなろうそくに火をつけて、それを眺めながらビールを飲んでみた。焚き火とは程遠い、ささやかすぎる代替行為だけど、それでも炎を眺めるという行為自体には、なんとなく心を落ち着ける効果があるように感じた。人類は火を発見してから、ずっとこうやって炎を眺めてきたのかもしれない。そんな大げさなことを考えながら、ビールを飲み終えた。
金曜日。今週も無事に終わりそうだ。朝から、なんとなく体が軽い気がする。1週間頑張った後の金曜日特有の解放感が、朝から漂っている。
会社では、午前中に細かいタスクをいくつも片付けた。メールの返信、資料の修正、経費精算。どれも大きな仕事ではないけど、こういう細々としたタスクが溜まると、地味にストレスになる。全部片付けた後の、受信箱が空になった瞬間の爽快感は、なかなかのものだと思う。ただ、この爽快感は長くは続かない。だいたい30分後には新しいメールが届いて、また受信箱が埋まっていく。賽の河原の石積みみたいなものだ。
昼休みに、同僚と「今年の夏、どこか行く?」という話になった。特に旅行の計画があるわけではなかったけど、話しているうちになんとなく気分が盛り上がった。海がいいか、山がいいか、それとも近場の温泉でのんびりするのがいいか。結局、結論は出ないまま昼休みが終わった。でも、こういう「実現するかどうか分からない旅行の話」をするだけでも、なんだか楽しい気分になれる。
夕方、退勤後に、久しぶりに1人で居酒屋に寄った。カウンター席に座って、生ビールと、焼き鳥の盛り合わせを頼んだ。1人で飲む酒というのは、誰かと飲むのとはまた違った良さがある。誰にも気を使わず、自分のペースで飲める。隣に座っていた知らないおじさんが、店員さんと常連らしい会話をしていて、その様子を眺めているのも、なんだか楽しかった。
家に帰る道すがら、コンビニに寄って、アイスを買った。金曜日の夜に食べるアイスは、なんだか特別に美味しく感じる。1週間頑張った自分への、ささやかなご褒美という感じがする。家に帰って、シャワーを浴
ゼレンスキーがフェドロフ国防相を更迭したことが話題になっている。
ブコメを見ると、むしろはてなー側にゼレンスキーへの信頼があるせいなのか、今回解任されるフェドロフに汚職疑惑の目を振り向けたり、それを焚き付けようとする親露派アカウントの影響をもろに受けてしまっているコメントが多いのが気がかりである。
少なくともウクライナの世論はまったく逆で、それこそ昨年のゼレンスキーによる汚職対策機関の弱体化に対しても今回と同様にデモが起きたことが記憶に新しいが、フェドロフ国防相と対立して今回留任されるシルスキー総司令官のほうこそ、ゼレンスキーと共に汚職の当事者または汚職に甘いと批判されているのだ。
また、フェドロフは今年1月、元のデジタル変革大臣から新たに国防大臣に任命されて早々に、イーロンマスクに直談判してロシア側のスターリンク遮断を成し遂げた功労者でもあり、ロシアにとっては目の敵であることも付記しておきたい。
- XユーザーのMykhailo Fedorovさん: 「I am grateful to SpaceX President @Gwynne_Shotwell and personally to @elonmusk for their swift response and for immediately beginning work on a solution. Elon Musk’s decision to urgently activate Starlink and send the first batch of terminals to Ukraine at the outset of the」 / X
- ロシアによる「無許可」のスターリンク使用、阻止する取り組みに成果 ウクライナ国防相 - CNN.co.jp
以下は ChatGPT に訊ねたフェドロフ国防相の汚職についての回答である。
フェドロフ国防相に汚職疑惑はあるのか
現時点で公になっている情報を整理すると、フェドロフ氏本人に汚職や私的な不正蓄財などの具体的な疑惑は、ほとんど報じられていません。むしろ逆に、国防省内の調達改革や汚職対策を進めた人物として評価されることが多いです。
主な実績
- 国防相就任後、兵器・装備品の調達手続きを見直し、NATO方式への移行やデジタル化を推進しました。
- 一部報道では、不透明な契約や過大な支出を洗い直し、数十億ドル規模の無駄を発見・是正したと紹介されています。
- そのため、ウクライナ国内では「汚職と戦う改革派」というイメージが比較的強く、今回の更迭に対する抗議でも、その点が支持理由の一つとして挙げられています。
更迭の理由として汚職が挙げられているのか
現時点では、そのような根拠は見当たりません。
フェドロフ氏自身も退任後の記者会見で、シルスキー氏が改革を妨害したと強く批判しており、両者の対立が決定的だったことを示唆しています。
過去の国防省との違い
ウクライナ国防省は、フェドロフ氏の前任者やその以前の時代には、食料調達や装備調達をめぐる汚職疑惑がたびたび問題になってきました。
しかし、フェドロフ氏自身については、そのような疑惑で名前が挙がっているわけではありません。むしろ、「汚職と結び付いた既得権益層と対立した改革派だった」という見方を示す識者やメディアもあります。
まとめ
現時点で公開されている情報を見る限りでは、フェドロフ氏の更迭を「汚職が原因」と裏付ける有力な証拠はありません。
むしろ、
ロシア側で流布されている主な主張
1. ドローン調達をめぐる汚職疑惑
最もよく見られるのがこれです。
しかし、現時点で具体的な証拠が示されたものは確認されておらず、フェドロフ氏自身も否定しています。西側メディアでも「疑惑が存在する」と紹介される程度で、事実としては扱われていません。
2. 「デジタル利権」を築いたという主張
フェドロフ氏はデジタル担当副首相・デジタル変革相を長く務めており、
などを推進しました。
ロシア側では、
ただし、これらも具体的な司法手続きや証拠に基づくものではなく、プロパガンダ色が非常に強いと考えられます。
3. Starlink・海外支援資金に関する疑惑
について、
4. 「更迭=汚職発覚だった」という説
今回の更迭についても、
などは、主因をシルスキー総司令官との対立や軍改革をめぐる路線対立と報じており、汚職を更迭理由とは位置付けていません。
なぜロシア側はこのような情報を流すのか
フェドロフ氏は、
を推進し、ロシア側から見ても「有能な改革派」と認識されていました。
そのため、ロシア側には
まとめ
ロシア側発信まで含めると、フェドロフ氏に関する汚職・不正の主張はいくつか存在します。
しかし現時点では、
※ AI の回答を増田に貼り付けるために「はてな記法」へ変換するプロンプト を使いました。
なるほどねぇ。
俺が言いたかったのは、どちらかというと作った萌え声というよりは、
優しい静かな声って感じかな。
萌え声っぽい子と付き合ったことはあったけど、正直結構耳が疲れるのは新発見だった。
ヘリウム声ってわけじゃないんだけど、高周波が鼓膜にビリビリ来る感じ・・・。
うるさいわけじゃないんだけどね・・・。
自分を変えたくて顔芸教室に通い始めた結果、世界が変わったから聞いてくれ。
そんなシチュエーション、いつも羨ましいと思っていたんだよ。面白くなりてぇ。だからお笑い番組をチェックしたり、面白い返し(例えツッコミ)なんかも練習したりした。
ところがある日に気が付いた。
そもそも、コミュ障の陰キャが「面白いトーク」とか「気の利いた返し」なんて習得しようとするのが間違いだということに。初っ端ハードルが高すぎる(今のほっともっとののり弁価格より高けぇわ!)
あれ?面白い奴って、結局全員顔芸じゃね?と。
例えばシャイニングのジャック・ニコルソン。
斧で叩き破ったドアの隙間から、狂気に満ちた顔をすっと覗かせるあの有名なシーン。あれ、本気で怖がらせにきてるはずなのにめちゃくちゃ面白い。
ミスター・ビーンだって、一言も喋らないのに眉毛と口元をちょっとクネクネさせただけで世界中を大爆笑させている。
言葉じゃない。
人間、突き詰めると顔芸に一番弱い。
そう信じ込んだ俺は、すぐさまスマホで検索。すると顔芸教室なるものを発見。怪しく感じたもののすぐに門を叩いたわけだ。
最初は鏡の前で自分の死んだ魚のような陰キャ顔と向き合うのが苦痛でしかなかったが、プロの講師(元パントマイマーの怪しいおっさん)の指導のもと、俺の顔面は少しずつ解放されていった。
迫真のレッスンを重ねた結果、今では変顔の技術もかなり上達し、日常生活で「咄嗟の顔リアクション」が取れるようになってきた。
上司に無茶振りされた瞬間に、一瞬だけ眼球を限界まで見開いて「無言の抗議」を顔面に浮かべる。
同僚が滑った話をした瞬間に、口角だけを不自然に吊り上げて「哀れみのピエロ」の顔をする。
これが、めちゃくちゃウケる。
で、何回も実践してわかったんだけど、顔芸において最も重要なポイントがある。
それは技術(顔の歪め方)じゃない。
「今、俺のこの顔を見て笑っていいですよ」という空気感を、いかに提示するかだ。
どれだけ凄い変顔をしていても、マジでやってると思われたら周りはドン引くだけ。
でも、ほんの少しの首の角度や、目配せ、体の脱力を使って「はい、ここ笑うトコね!」というサインを周囲に発信してあげる。
この「空気感の作り方」を掴んでからは、マジで打率10割。どこに行ってもドッカンドッカン受けるようになった。
マジね。顔芸のおかげで人生変わった。これはマジで断言できる。
だからコミュ力を磨くために本を読んだりエピソードトークを磨くより、顔面の筋肉を鍛えた方が爆笑とるには100倍早い。
全陰キャよ、トークを捨てて顔を歪めろ。世界は表情一つで、みんなを笑顔にできる。
そしてその中心で笑っているのはお前だ。
そんな世界、夢見ていたなら試してみろ。
後悔はしないはずだ。
今朝も目覚まし時計が鳴る18秒前に目が覚めた。これは体内時計が正確なのではない。隣室でルームメイトが寝返りを打つ時刻、冷蔵庫のコンプレッサーの周期、上階の住人がトイレを流す時間から、起床時刻をベイズ更新しているだけだ。
僕はベッドを北東方向へ17度傾けている。地磁気との関係はない。部屋の空調が作る対流の節に頭部を置くためである。
ルームメイトは「普通に寝ればいい」と言ったが、「普通」は統計分布の中心付近を指すだけで、望ましい状態を意味しない。平均的な人間の睡眠姿勢を模倣する理由など、病院の待合室で平均的な病気に感染しようとするくらい理解不能だ。
朝食は木曜日なので、直径12センチの皿に正六角形状に並べた全粒粉クラッカー6枚、プレーンヨーグルト120グラム、紅茶250ミリリットル。
隣人が砂糖入りのドーナツを持ってきたが断った。彼女は「一口くらいで宇宙は壊れない」と言った。
研究室では、昨日から非アルキメデス的世界面におけるローレンツ的励起スペクトルの構成を検討している。
通常のp進弦理論では、世界面を正則なBruhat–Tits木として扱うため、スペクトルが事実上タキオン一個に退化する。これは弦理論というより、弦を注文したのに不安定なスカラー粒子だけが配送された状態だ。
そこで僕は、p進円上のVladimirov型微分作用素と、周期的木に定義したNeumann-to-Dirichlet作用素の固有値を、非自明な時間方向を持つ半正則二部木へ移植している。狙いは、指数的に増加する固有エネルギーと指数的に増加する縮退度を釣り合わせ、Hardy–Ramanujan型の状態数漸近を対数周期振動つきで再現することだ。
さらに、非分岐二次拡大上のユニタリ群に対応する二正則Bruhat–Tits建物を背景にすると、バルク・境界伝播関数が頂点の次数に依存する。その結果、境界三点関数のOPE係数に局所ゼータ因子だけでなく、頂点の同質性次数を記憶するテンソル構造が現れる可能性がある。
そのうち2人は論文を書いた本人で、1人は査読者、残り2人は論文を書いた本人が別のメールアドレスで登録した査読者かもしれない。
昼食時、友人Aが「その研究は何の役に立つんだ」と聞いた。僕は、役に立つかどうかを発見前に判定できるなら、それは研究ではなく商品企画会議だと説明した。
友人Bはうなずいたが、口いっぱいにカレーを入れていたので、同意なのか窒息なのかは判別不能だった。
午後4時、隣人が僕の指定席に座っていた。
僕の指定席は、テレビとの視角が31度、暖房機からの輻射熱が左右対称、Wi-Fiルーターからの距離が最短ではないがマルチパス干渉の節を避けられる位置にある。
隣人は「椅子なんてどこでも同じ」と言った。椅子は同じでも、座標は同じではない。
夕食後は宇宙艦隊もののフィギュアを年代順に並べ直した。ルームメイトが敵艦を主人公側の巡洋艦の隣に置いていたため、展示棚で外交危機が発生していた。修正には7分を要した。文明の崩壊は、たいてい小さな分類ミスから始まる。
午後10時14分、明日の靴下を左、右の順に椅子へ置いた。ルームメイトは左右同じだと言うが、購入後の着用履歴が異なる以上、同一性はすでに失われている。
リモートワークは仕事を強制的に成果主義に近い形にできる効果があるのはいいことだと思う
でも、知は距離を超えられない問題があって、答えがなかったり、革新的思考が求められる有機的偶発的な知的衝突が必要な仕事の場合は一定会うことが必要だと思う
知的産業も地理的要因に縛られるという仮説がある、シリコンバレーとかハリウッドとかがそうだと思う
こんなに情報技術が進化しても人の知は必ずしも情報として伝えられない
リモートワークには良いことがある。それは、無駄を省き、情報の入出力に裁量を持てることだと思う
無駄を省くとはつまり、移動中に考え事をしたり、隣の島の声のデカいやつの雑談を我慢したり、面倒な挨拶したり、休憩スペースで苦手なやつと鉢合わせしたり、トイレに並んだりすることをしなくても良いってこと
そしてさらに、無駄な会議は聞き流せるし、不要な連絡は見流せる
しかし残念かな。革新的な知的創造は必ずしも生産的な時間に訪れるわけじゃないと思う
一定以上の知能を持つ多様な人が、無駄に一つの空間に押し込められて時を共にする必要がある。そう無駄に
会いたくもないやつと。どうでも良い理由で。接点を持つ機会が必要
でも皆が皆、その機会が必要なわけじゃない。
でもそうなると、革新的な発見を求めてる人へ無自覚にその機会を奪ってることになる、むずかしいね
新しい職場に配属されて、フロアを見渡した瞬間に「あ、可愛いな」と思う女の子がいる。その瞬間、僕の脳内ではコンマ1秒で一つの冷徹な方程式が完成する。
これは僻みでも何でもない。確率論であり、現代社会における厳然たる事実だ。清潔感があって、愛想が良くて、他者への配慮ができるような魅力的な人間が、20代半ばにもなって「誰のものでもないフリーの状態で市場に流通している」なんてことは、令和のこの日本において絶滅危惧種の発見よりも確率が低い。案の定、数週間もすれば、彼女の薬指の指輪や、金曜日の夜に「これから予定があるので」と少し嬉しそうに退勤していく姿から、その方程式の正しさが証明されることになる。
そうして僕らは、始まる前に終わった勝手な失恋の痛みを胸に抱きながら、またスマホを開く。画面の向こう側、マッチングアプリという名のデジタル肉市場へ戻っていくのだ。
僕らはいつから、こんなに恋愛に臆病で、同時に効率主義になってしまったのだろう。
マッチングアプリは確かに便利だ。年齢、居住地、年収、趣味、タバコを吸うか吸わないか。あらゆるスペックが数値化され、最適化されたアルゴリズムが「あなたにぴったりのお相手」をレコメンドしてくる。スワイプ一つで人間を品定めし、右へ左へと振り分ける。
だが、あの画面を指で弾いているとき、僕らの心は本当に動いているだろうか。
アプリの中の恋愛は、極限まで「ビジネス化」されている。プロフィール文は自分という商品を売るためのマーケティング資料であり、初回のデートは「面接」だ。お互いに減点方式で相手を値踏みし、少しでも違和感があれば「はい次」と連絡を絶つ。メッセージの返信が3時間遅れただけで「脈なし」と判断し、既読スルーに一喜一憂して、夜も眠れずにスマホの画面を何度も暗転させては自分の死んだような顔を映し出す。
こんなことを繰り返しているうちに、僕の心はゆっくりと擦り切れていった。誰かを好きになるというピュアな感情はどこかへ消え去り、ただ「フラれないための立ち回り」や「コスパの良い関係性」ばかりを模索するモンスターがそこにいた。新しい職場のかわいい子に「どうせ男がいる」と予防線を張るのも、傷つきたくない防衛本能が限界を迎えている証拠だった。
2. 「一禅堂の恋みくじ」が僕の心に突き刺した言葉
しばらくして、画面に僕のおみくじの結果が表示された。結果は「吉」だった。
だが、そこに書かれていたアドバイスを読んだ瞬間、僕は深夜の自室で本当に声が出なくなった。そこには、僕が今まさに苦しんでいた「効率的な恋愛への疲弊」と「傷つくのを恐れて勝手に諦める卑屈さ」を、すべて見透かしたような優しい言葉が綴られていた。
「縁を急ぐことなかれ。他者の心を無理に開こうとする前に、まずは己の心のさざ波を静め、静かに待つ器を整えよ。目に見える記号や条件に惑わされず、万物の根底にある見えざる結びつきを信じるべし」
正確な文言は少し違うかもしれないが、僕の脳内にはそう翻訳されて突き刺さった。
そうだ、僕は焦っていたのだ。職場の可愛い子に男がいると絶望するのも、アプリで既読スルーされて病むのも、すべて「早く結果が欲しい」「傷つかずに安心したい」というエゴだった。恋愛とは、もっと不確実で、もっと泥臭くて、そしてもっと豊かなものであるはずなのに、僕はそれをデジタルなゲームのように攻略しようとしていたのだ。
新しい職場のかわいい子に100%男がいたって、別にいいじゃないか。誰かを「素敵だな」と思えた自分の感性がまだ死んでいなかったことを喜べばいい。アプリの返信が来なくたって、それは自分の人間性への否定ではない。ただ、タイミングが合わなかっただけだ。
もし、この記事を読んでいる君も、画面の向こうの人間関係に疲れて、心が擦り切れているなら。夜、ベッドに入ってスマホを閉じる前の最後の5分間だけ、この静かな神社を訪れてみてほしい。
大吉を引くことが目的じゃない。そこに差し出される言葉を受け取り、自分の胸のざわつきを静めること。それこそが、僕らがこの息苦しいデジタル社会で、ピュアな心を失わずに生き残るための唯一の戦略なのだから。
僕の荒んだ心を調えてくれた、あの静かな場所の入り口をここに置いておく。誰にも邪魔されない夜に、そっと扉を開けてみてほしい。
一禅堂の恋みくじ公式サイト https://ichizenn.com/koi-mikuji/
ゲームが好きで、特にキャラクリエイトができるものをよくやっている。自分はアジア系なので、基本的にアジア系っぽいキャラにするんだが、最近始めたゲームをやたらと気に入って何周も繰り返すようになった。
で、「ずっとアジア系なのもな」と思って、何となく黒人のキャラを作ってみた。一人称視点のゲームなんだが、そうすると手が画面に映るたびにすごい違和感が生じるんだ。
びっくりした。白人主人公のゲームなんて山ほどあって、一人称だろうが三人称だろうが気になったことはなかった。肌が自分とかけ離れている白さでも、目の色や髪の色が自分と全然違ってもだ。それが、黒くなった途端に異物感を覚えた。
偏見や差別を免れている者などいないというのはわかってたから、自分にも偏見があるとは理解していたつもりだった。でも主人公の肌が黒いだけで主人公と自分の距離がどうしても離れて感じられることに、自分でかなりショックを受けた。自分のなかで白人は「普通」なのに、黒人は「普通」ではないのかと。自分は肌の色なんて気にせずプレイできる人間だと思ってた。
ショックだけど、自分のなかの偏りをこうやって一人で発見できたのはいいことなんだろう。他人から指摘される前に自分はこういう人間なんだと意識することができる。
今朝もまた、リビングのソファの僕の場所のクッションの反発係数が、最適値からわずかに逸脱していることに気づいた。室温は規定の摂氏22.2度に保たれているにもかかわらずだ。
これは昨日、隣人が無断でこの神聖なる座標に腰を下ろし、彼女の無秩序な質量分布によってウレタンフォームの分子構造に不可逆的な歪みを与えたからに他ならない。
朝食は厳密に計量されたオートミールと決まっているが、この微小な環境の変化のせいで、消化酵素の分泌に影響が出ないか懸念される。
さて、現在僕の並外れた大脳皮質の処理能力の大部分は、非アルキメデス的幾何学を基盤としたp進弦理論におけるタキオン真空の安定化と、Bruhat-Tits樹上でのホログラフィック対応の解明に向けられている。
この分野の真の深淵を理解できる人間は、現在の地球上に僕を含めてせいぜい5人しかいない。いや、プリンストンにいる某教授が最近加齢による認知の衰えを見せていることを考慮すれば、実質4人と言っていいだろう。
通常、標準的なボソン弦理論では時空の背景として実数体Rや複素数体Cを用いるが、僕は時空の微視的構造が局所体としてのp進数体Q_pで記述されると仮定している。
僕の最新の仮説は、p進Veneziano振幅の積分表示における特異点の振る舞いが、非可換幾何学的補正を導入することで完全に制御可能になるというものだ。
従来のp進振幅は、以下のようなGelfand-Graevベータ関数の類似物として定義される。
A_p(s, t) = ∫_{Q_p} |x|_p^(s-1) · |1-x|_p^(t-1) dx
ここで重要なのは、素数 p にわたるすべてのアデール的な積をとった際のアデール積公式だ。
A_∞(s, t) · ∏_p A_p(s, t) = 1
この優美な公式は、実数体上での標準的な弦の散乱振幅A_∞が、すべてのp進弦の振幅の無限積の逆数として完全に決定されることを示している。
しかし、僕の最新の計算はこれだけにとどまらない。僕はBruhat-Tits樹の境界力学系におけるディリクレ境界条件を再定義し、オープン弦のタキオン凝縮を記述する非線形積分方程式の厳密な解析解を導出することに成功しつつあるのだ。
Φ^p = Φ
この方程式が意味する非局所的な相互作用の美しさは、凡人には到底理解できないだろう。
タキオンの質量二乗が負であるという物理的ジレンマを、p進数体上の特異な位相構造を用いることで数学的に無害化できるという事実は、まさに僕のノーベル賞への確実なマイルストーンとなるはずだ。
昨日、大学のカフェテリアでこの理論の画期的な部分について説明してやったのだが、あの哀れな友人Aは完全に目を白黒させていた。
所詮はただのエンジニアだ。彼が誇りにしている修士号など、配管工のライセンスと同程度の価値しかない。MITで学んだ程度の知識では、p進ノルム |x|_p の超距離空間の概念すら想像できないのだろう。
友人Bはただ黙って聞いていた。彼はインドの富裕層出身の天体物理学者だが、周囲に女性がいると途端に発声機能を喪失するという致命的なバグを抱えている。
昨日も僕がタキオンポテンシャルの極小値について熱弁している最中に、隣のテーブルにカフェの女性店員が来ただけで、彼は有機化合物のように固まってしまった。全く、進化の過程で何がどう間違えればあんな欠陥が生じるのか。
さらに最悪なことに、帰宅後、隣人が僕たちの部屋にやってきて、ホワイトボードに書かれた Bruhat-Tits 樹の図式を見て「なんだか面白そうな名前ね」などと低俗で生物学的なジョークを言い放った。
彼女はチーズケーキ工場のウェイトレス兼、永遠に芽の出ない女優志望であり、知性という言葉とは対極に位置する存在だ。僕の美しい数式が、彼女の脳内でいかに下品に変換されたかを想像するだけで、頭痛がしてくる。
ルームメイトはそんな彼女に夢中で、鼻の下を伸ばして愛想笑いを浮かべていた。物理学者としてのプライドよりも、哺乳類としての生殖本能を優先する彼の態度は、ルームメイトとして非常に嘆かわしい。
気を取り直そう。夕食後はドクター・フーのクラシックシリーズ、シーズン12の第4話を見直した。
タイムロードのTARDISのナビゲーションシステムの描写において、時空連続体のトポロジーに関する明らかな設定の矛盾を発見したため、オンラインのファンフォーラムで愚かな大衆を論理的に打ち負かすという重要なタスクが控えている。
その後は、僕のコレクションであるHOゲージの鉄道模型の分岐器における電気抵抗を0.03オーム下げるための再配線作業を行う。
完璧な夜だ。
追記:もしルームメイトがまた僕のヴィンテージ版フラッシュ第123号の保管用マイラーバッグに指紋をつけたら、彼の歯ブラシを液体窒素で凍らせて粉砕するつもりだ。
今じゃ信じられないけど10年前ならツイートが一発バズったら書籍化の打診が複数きた
今じゃもう無理
数年単位で同じ作風、同じ方向性、同じブランディングで粘り強くやりつづけてやっと声がかかる
コンテンツを試行錯誤してファンとのやりとりも頑張ってベースを作って最後の最後に出版社から声がかかる
これもう仕事じゃん
1回のバズだけじゃなくてそれを再現性のあるパッケージにして何度もバズったらやっと門が開く
夢のない世界だわ
高畑勲監督が1988年の映画「火垂るの墓」に、野坂昭如さんの原作にない亡霊を登場させたのはナゼか。主人公・清太の亡霊を全ての成り行きの観察者に仕立てることで客観性を強めるため。もう一つは、時を超越した亡霊によってあの時代と現代を結ぶため。これは映画を見れば明らかです。現代性を持たせたかった動機の一つに、高畑さんがプロデューサーを務めた宮崎駿監督「風の谷のナウシカ」(84年)完成後に下した評価「宮さんの友人としてのぼく自身の評価は30点」「『現代を照らし返してほしい』という部分がもう少し強く出る構成にならなかったかと、残念なんですが」(徳間書店ロマンアルバム・エクストラ「風の谷のナウシカ」)、この“苦言”を自作で実行してみせようという思いがあったのでは――というのが私の説です。
太平洋戦争末期の神戸で14歳の清太と4歳の節子の兄妹が空襲で家も母も失い、孤独と飢えの中で死んでいく物語。映画は高畑さん自身が脚本を書きましたが、使われなかった深沢一夫さんによる“幻の脚本”があった、と6月17日の読売新聞が報じました。言うまでもなく「太陽の王子ホルスの大冒険」(68年)と「母をたずねて三千里」(76年)で高畑さんと組んだ方です(2016年に死去)。私は深沢脚本の存在を知らなかったので「へえ」と驚きました。
6月24日に出た寺越陽子さん著「高畑勲と『火垂るの墓』―『幻の脚本』と『7冊の構想ノート』を読み解く―」(新潮社)で、その深沢脚本と高畑さんの構想ノートの一部が紹介されています。ポイントは〈深沢脚本に亡霊は出ない〉と〈高畑さんの構想の中で亡霊が生まれた経緯(の一部)が分かる〉、コレです!
深沢脚本の冒頭は、清太が三宮駅の便所で下痢に苦しみ、その後、構内の柱にもたれたまま便失禁して砂でそれを隠そうとする、というシーン。原作よりグッと描写が長く克明で憐(あわ)れみを誘いますが、生理的にきつい。映画は便所シーンがなく、ぐったり座っている清太のまわりにしみが広がっていて通行人が気づいてよける、という簡素な描写になっています。ちなみに深沢脚本は、この駅に軍国主義者を批判する演説が響くといった描写もあります。
冒頭を比較するだけでも、高畑さんと深沢脚本の方向性の違いがうかがえます。
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、原作に対する高畑さんの姿勢についてこう回想しています。「原作は明らかに、野坂昭如さんの妹への贖罪(しょくざい)意識が強く、そのままやれば、清太への感情移入映画になってしまう。『自己憐憫(れんびん)は描きたくない』。高畑さんのつぶやいたセリフを僕は、いまだに強烈に憶(おぼ)えているんです」(文春新書「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」)
深沢脚本はまさに「そのまま」哀れさを強調し憐れみを誘おうとしているようです。例えば、吾作という名の農家の男が飢えた清太に情けをかけて大豆の袋を与え、ラストに再登場し兄妹の暮らした横穴の前でドロップを拾ってその死を憐れむ、という独自の描写で締めくくる点。オーソドックスなアプローチと言えます。
映画はまるきり違って、吾作は無心を冷淡にはねつけます。ラスト近くで横穴に(正確には横穴の対岸の豪邸に)現れるのは疎開から帰ってきた華やかで健康なお嬢さんたち。当然、横穴の極貧兄妹など知りゃあしません。
この場面で面白いのは、高畑脚本と高畑さんによる絵コンテと完成映画の比較です。協同組合日本シナリオ作家協会「シナリオ」22年9月号に再録された高畑版「火垂るの墓」(22年8月22日の本欄「発見!『火垂るの墓』に星一徹が出る予定だった」参照)を見ると、聞こえるのは笑い声と蓄音機の「ホーム・スイート・ホーム」だけなんですが、コンテはセリフが足され「いやー、ちっとも変わっとらんわ」「やっぱり我が家はええなァ」「久しぶりやわ、電蓄!」「敵性音楽を禁ず! フフフ…」とあります。
そして映画は「久しぶりやわ、蓄音機!」のあと「懐かしい景色やわァ!」となりお嬢さんたちの出番終了。彼女たちがはしゃげばはしゃぐほど、「情けをかける」とは逆方向に兄妹の悲劇性は増していきます。残酷なコントラスト。高畑さんのやりたかったことでしょう。ただ「敵性音楽を禁ず! フフフ…」は、はしゃぎ過ぎ(不人情過ぎ)とセーブしたのでは。単に分かりにくいと思ったから換えたのかも知れませんけど。
かように高畑演出はキャラクターを突き放し、観客には情緒的な感情移入でなく冷静な客観視を求めるのですが、本作では劇中に、兄妹の受難を客観視する兄妹の亡霊を置いて二重の客観性を構築しています。カメラ目線(観客を見ている)の亡霊の清太が「僕は死んだ」という印象的なモノローグを放った後に目線を移すと、その先に、駅構内で死にゆく自分が現れる。このシーンで映画を始めたことにより、物語全体を清太の亡霊による観察(回想)という枠組みにはめました。かなり強固な構造です。
原作は兄妹が共に死に向かう一種の「心中もの」であり、そこに「近親愛みたいなものがある」(徳間書店「アニメージュ」87年6月号での高畑勲×野坂昭如対談。文春ジブリ文庫「ジブリの教科書4 火垂るの墓」でも読めます)、その強烈な情念と官能性をガッチリ抑え込む計算でしょう。一方で、死に対しても冷徹な高畑さんは死が甘美な救済に見えてしまわないよう工夫もしています。それは09年7月13日の本欄「赤は阿修羅の赤」でも書きました。亡霊の清太の表情は興福寺の阿修羅像がモデルで、亡霊を包む異空間の朱色も阿修羅像の色。亡霊の清太の悲しみと憂いと怒りを内に抑え込んだような表情は阿修羅なのです。
写真・図版
NHKディレクター寺越陽子さんによる「高畑勲と『火垂るの墓』―『幻の脚本』と『7冊の構想ノート』を読み解く―」(新潮社)
さて亡霊を出すアイデアがどうやって生まれたのか、私は長いこと気になっていました。「高畑勲と『火垂るの墓』」第2章で紹介されている構想ノートのあるページの記述(写真つき)を読み、その経緯のかなりの部分が分かった気がします。このノートは、19年に東京国立近代美術館で開催された「高畑勲展 日本のアニメーションに遺(のこ)したもの」(19年7月22日の本欄「高畑勲の『謎』と『解』」参照)の準備中に遺品の中から深沢脚本と一緒に発見され、ノートの一部は同展で展示もされましたが、問題のページはなかったと記憶しています(私が見過ごしたかも)。
高畑勲の「謎」と「解」
「高畑勲と『火垂るの墓』」によると、7冊のノートの「1冊目」と「2冊目あるいは3冊目」(順番が未確定)には「二人の清太」(つまり清太の亡霊)は登場しませんが、「3冊目あるいは2冊目」に箇条書きのプロット案があり、そこにいきなり「現代の少年」が出てきます。
○'87三宮駅に手をつなぐ兄妹出現。'87の包み紙を嗅ぐ。
少年、オビえてひきとめようとする妹の手をふりきって駆けだす。
○'87三宮駅。少年、はっと足をとめる。たちまちまわりはかわり、'45の柱のかげに死にゆく清太。清太死ぬ。
そしてその反対の左ページに1行だけ、何とこんな書き込みが。
○亡霊がウロツイている――それはなぜか。→本編――
87年の三宮駅を妹と歩いていた少年が45年の三宮駅の清太を見る。タイムスリップか幻視か。現代の少年と清太をどの程度絡ませるつもりだったのかは分かりませんが、ノートの記述がそのまま高畑さんの思考過程だとすると「死にゆく清太を見つめる現代の少年」の絵が頭の中で「死にゆく清太を見つめる亡霊の清太」にパッと切り替わったんじゃないか。そして左のページに記述が1行だけ、というのは、そのアイデアがそれまでの構想を一新する決定的なものだったからじゃないか。興奮します。きっと高畑さんも興奮したはず。〈現代とどうつなぐか?〉→〈現代の少年を出す〉→〈現代の少年でなく清太の亡霊〉→〈亡霊が現代を見つめる〉という流れが見えてきます。
同書第3章で鈴木プロデューサーは「高畑さんがあの作品をやる時に一番悩んでいたのはね、どうやって現代と結びつけるか、そこだったの」「ある時ポンと高畑さんが言い出したんですよ、幽霊だって」「その自分のアイデアにね、高畑さんはかなり喜んでいた。覚えてますよ、それは」と、寺越さんに語ります。
映画ラスト、清太が節子を荼毘(だび)に付す様子を見届けた(とおぼしき)亡霊の清太は、草むらから出現した亡霊の節子をひざに寝かせ、フッとカメラ目線になる。観客の私たちを見つめたのです。そして次のカットでベンチの2人を後ろからロングで捉えたカメラがクレーンUPすると、視線の先に現代の神戸のビル群が美しい夜景となって現れます。
同書で紹介されている構想ノートによると、初期には亡霊がもっと冗舌で、死んで40年たっても中学生のまま妹と一緒にいるといった趣旨のモノローグや「現代をさまようエンディング」なども構想されていたようですが、それをやめて現代との結びつきをラスト一発に絞ったのは正解だったと思います。インパクトがすごい。まさに観客を撃ち抜きます。
「この映画には清太の幽霊らしきものが登場して、自分たち自身を見つめたり、こちら(観客)を見つめたりします。じつはいま、私たちは先立った人たちに見つめられているのだという、日本人の昔からの感覚をもつことが必要ではないかと考えているのです」
「戦後これからどうしていくんだ、戦後四十年たってこれからどうするつもりなんだと問いかけられている、見つめられているという意識を持つことが、いまあらためて必要になっていると思います。そんなことも考えて、二人の幽霊を出しました」
これは高畑さんの著書「映画を作りながら考えたこと」(徳間書店)所収の講演記録「映画を作りながら考えたこと」から。2人は死んでも成仏できずさまようかわいそうな存在などではなく、私たちがその存在と視線に“おそれ”を抱くべきたくさんの死者の代表なのだ、ということが分かります。
人間の命や人生の本質を探れば時代や場所を超えて普遍性を持つ、すなわち現代の我々と結びつくと思います。それは様々な国の、様々な時代を描いた映画を日々見ていて実感します。しかし高畑勲監督は「火垂るの墓」でもっと直接的な表現で現代を撃とうとした。なぜか?
公開前年の87年当時の記者発表用資料(前掲の「映画を作りながら考えたこと」でも文春ジブリ文庫でも読めます)で、高畑さんは原作についてこう書きました。
「しかしいま『火垂るの墓』は強烈な光を放ち、現代を照らしだして私たちをおびえさせる。戦後四十年を通じて、現代ほど清太の生き方死にざまを人ごととは思えず、共感し得る時代はない」
「現代を照らしだす」という言葉が手がかり。以下は「ナウシカ30点」発言の続きです。
「この映画化をきっかけに宮さんが新しい地点にすすむだろうという期待感からすれば、30点ということなんです。宮さんはただの演出ではなく、作家なんですから」
「『巨大産業文明崩壊後1000年という未来から現代を照らし返してもらいたい』と思っていたんですが(中略)『現代を照らし返してほしい』という部分がもう少し強く出る構成にならなかったかと、残念なんですが」
つまり大衆娯楽作品として満足なものを作ったって現代と切り結ばなけりゃ作家とは言えん。宮崎駿よ作家となれ、と奮起を促したワケです。読んだ宮崎さんが怒りのあまり鈴木さんの目の前でこのロマンアルバムを二つに引き裂いたというエピソードは、たしか鈴木さんのラジオ番組「ジブリ汗まみれ」(のポッドキャスト)で聴きました。
「映画を作るなら現代を照らし返す部分を持つべきだ」という信念に従ったか、言いっ放しは卑怯(ひきょう)だと感じたか、言うべきことを言ったけれども盟友を傷つけてしまったその責任を感じたか、高畑さんの胸のうちは分かりませんが、有言実行、「現代を照らし出す」と宣言して「火垂るの墓」に挑んだのだと、私は捉えます。
言葉を発すればそれは自分を縛るもの。「ファンタジーなんて現代と結びつかなきゃ30点」との思いを含んだ30点発言は、高畑さんの後年のファンタジー否定論の起点になったのでは、とも思いますが、それはまた別の話。
高畑さんについて本欄では何度も何度も書いてきましたが、まだこんなに書くことがあるとは。やはりすごい人です。
そういえば、某精神病院閉鎖病棟に入院中に、なんかウツ病の元レンタルビデオ店店長と仲良くなったんだけど、元気にしてますか?😟
ボクは全然元気じゃないです…😟今停滞中です
クルマの中から見た集合住宅のベランダに、あれ洗濯物じゃないよなー、と、うっかり首吊り死体があるのを発見してしまった話とか、
なんで、あなたの話をしているかというとですね、NHKの体操をみんなでやるときにアントニオ猪木のモノマネをあなたがやったからですよ、
NHKの体操を見る度にあなたを思い出しますし、今ちょっとキカイダーを見ていて、
ビジンダーって、アントニオ猪木っぽく言うといいよな、と思ったんですよ、あ、美人だぁぁぁ!って、メガゾーン23かよ、って…😟