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はてなキーワード: 女装とは

2026-07-16

今、女装少年男の娘が熱い!3DS『ドーリィ♪カノンキドキ♪トキメキ♪ ヒミツの音楽活動スタートでぇ~す! !』を予約して、ゲームしか聴けない楽曲全9曲を収録した「カノンスペシャルCD(歌:高橋未奈美)」をゲットしよう! goo.gl/yV3zYy

差別をやめろという人々例えば黒人先住民族は、黒人だけではなく他の人種属性への差別も包括して活動しろ!とはいわれないのに、女性差別やめろになるとミソジニー内包女性男性女装男性も包括しろ!と言い出すヤツが出てくるの、女性にすべてのケア労働押し付けてきた差別意識の塊なのでまったく女性差別は根が深い

2026-07-15

弱者男性の一日

10:00 起床

10:30 身支度を終えママの作っていた朝食に手を付けるも和食の気分ではなかったのでゴミ箱

11:00 朝食を食べ損ねお腹が空いたのでお菓子で空腹を紛らわせる

12:00 ひとりで二郎へ いつも頑張ってる自分へのご褒美♪

13:00 メンエス

15:00 オタクアニメコラボしたカフェ

16:00 帰宅父親仕事は無いのかとうるさいので怒鳴りつけソファに寝転びネトフリ視聴

19:00 帰ってきたママに夕食を作るよう指示。材料がない等と言い出したので買ってこいと尻を叩く

20:00 ママが買い物にだらだらを時間をかけて夕食が遅いのでウーバーイーツで済ませる

21:00 ママ洗濯掃除をしていない事を咎められたので頭にきてTVリモコンを投げつけ頭に命中

俺ってプロ野球選手になれちゃうんじゃない?

21:30 ママがまだグチグチ文句を言うので頭にきて女装して彼氏の家に行く

22:30 彼氏ラブホへ。黒人ペニス弱者男性アナルをズボズボ掘られる♪

0:00 彼氏の家で就寝♪

2026-07-13

弱者男性の一日


10:00 起床

10:30 身支度を終えママの作っていた朝食に手を付けるも和食の気分ではなかったのでゴミ箱

11:00 朝食を食べ損ねお腹が空いたのでお菓子で空腹を紛らわせる

12:00 ひとりで二郎へ いつも頑張ってる自分へのご褒美♪

13:00 メンエス

15:00 オタクアニメコラボしたカフェ

16:00 帰宅父親仕事は無いのかとうるさいので怒鳴りつけソファに寝転びネトフリ視聴

19:00 帰ってきたママに夕食を作るよう指示。材料がない等と言い出したので買ってこいと尻を叩く

20:00 ママが買い物にだらだらを時間をかけて夕食が遅いのでウーバーイーツで済ませる

21:00 ママ洗濯掃除をしていない事を咎められたので頭にきてTVリモコンを投げつけ頭に命中

俺ってプロ野球選手になれちゃうんじゃない?

21:30 ママがまだグチグチ文句を言うので頭にきて女装して彼氏の家に行く

22:30 彼氏ラブホへ。黒人ペニス弱者男性アナルをズボズボ掘られる♪

0:00 彼氏の家で就寝♪

2026-07-12

WLGBTQじゃないか

せーのっ男女論、最高!

強烈に立場が固定されていて、綺麗に2等分されたチームが殴り合う競技性の高さよ。使う武器も見事に正反対なんだよな。

そんでもって醍醐味が弾き飛ばされて蔑ろにされるLGBTQだよね。綺麗に整列していた理想発破されてカオスになる喜び。

女装したオッサンが私のテリトリーに入ってくるな」っていやいや今時そういうのダメなんだってあなた気持ちが汲まれマイノリティが消えるといいですね…

あと性産業従事者に対する強烈な差別も見どころだね。憲法改正してから差別しろ

2026-07-10

上司から女装指示やキスPTSD発症自衛官公務災害認定

anond:20260710194142

https://mainichi.jp/articles/20260623/k00/00m/040/279000c

>>上司2人に「女みたい」などと言われ、忘年会では女装するよう指示を受け、キスをされたり胸を触られたりした。

>>勤務中も工場クレーンでつり下げられたほか、下半身露出させられ工具で性器を触られた。こうした行為男性の異動まで5年近く続いた

おじさんの加害性の一例

2026-07-09

[][]] ジョナサンフランゼンがデイヴィッド・フォスター・ウォレスについて語ったとされる「本当らしい話」 https://www.theawl.com/2011/10/a-supposedly-true-thing-jonathan-franzen-said-about-david-foster-wallace/

A Supposedly True Thing Jonathan Franzen Said About David Foster Wallace

第1回

ジョナサンフランゼンがデイヴィッド・フォスター・ウォレスについて語ったとされる「本当らしい話」

ミシェルディーン

率直に言ってしましかない。今年のニューヨーカーフェスティバルで、ジョナサンフランゼンは、デイヴィッド・フォスター・ウォレス自身ノンフィクション作品の少なくとも一部、場合によってはかなりの部分を創作していた、と語ったのである

私はその場にはいなかった。しか金曜日エリックオルタマンによる要約を読み、その出来事について他のフェスティバル報道ではまったく触れられていないことに気づいたため、オンラインで公開されていた対談映像確認した。

以下は、そのやり取りの該当部分を大まかに書き起こしたものである(読みやすさのため「あー」「えー」といった言い淀みは一部省略している)。

レムニック

「私は興味深く思っていたんですが……この世には、ノンフィクションフィクション境界について、ある種の極端にポストモダン的な考え方をする人たちがいますよね。つまり、結局は全部『書かれたものなのだから事実性とか事実のものを気にするのは古臭くて堅苦しい考え方であって、たとえばカプシチンスキが実際には起こっていないことを書いても、それはポーランドという国全体の比喩なのだから構わない、というような考え方です。

そういう事実虚構について異なる考え方を持つ作家は他にもいますが……あなたは、その境界線についてはかなり厳格ですよね。つまりあなたは――」

フランゼン(割って入る)

「(聞き取れず)」

レムニック

「――ノンフィクションを書いていると称しながら、ごまかしをすれば――」

フランゼン

「そう。」

レムニック

「――それは読者を欺いていることであり、一種の虚偽申告のようなものだと考えている。」

フランゼン

「デイヴィッドと私は、その点では意見が違っていた。」

レムニック

「デイヴィッド?」

フランゼン

「そう、デイヴ・ウォレス。」

レムニック

「じゃあウォレスは……」

フランゼン

「うん。」

レムニック

クルーズ船の記事で会話を作り上げるくらいなら問題ない、と考えていたということ?」

フランゼン

「たとえばね。うーん……。」

レムニック

「それを聞いて本当にショックだよ。」

フランゼン

「分かる、分かる。でも、実際にはああいうことは起きていないんだ。気づいていると思うけど、彼は君の雑誌には一度もノンフィクションを書かなかっただろう。」

レムニック

「まあ、頼まなかったわけじゃないんだけどね。でも、それは別の話で……。」

フランゼン

「彼は、おそらく……。」

レムニック

ファクトチェック担当に引っかかっていただろうね。」

フランゼン

ファクトチェッカーは……私は本当にファクトチェッカーが怖い。」

レムニック(笑いながら)

「それでいい。」

フランゼン

「でも、それはテニスコートラインみたいなものなんだ。すごいショットだった。でも問題は、ベースラインを2フィート越えてしまっていたことだ。どれほど素晴らしいショットでも……。」

レムニック

「でもデイヴィッドなら『インだ』と言っただろうね。」

フランゼン

「まあ、そうだね……。私はデイヴのあのクルーズ船の記事は大好きなんだ。だから私は別に……つまり私たちは少し違うやり方をしていただけなんだ。」

この発言だけを見る限りでは、フランゼンの告発

1. 本当なのか(この文脈では何とも厄介な言葉だが)、

2. あるいは新しい情報なのか、

判断するのは非常に難しい。

すべては、「ああいうことは実際には起きていない」という彼の言葉をどう解釈するかにかかっている。

まさかフランゼンは、ウォレスの有名なクルーズ記事「Shipping Out」(後にエッセイ集『A Supposedly Fun Thing I’ll Never Do Again』収録時に改題された)の中で語られている出来事が、すべて実際には起こっていないと言いたかったわけではないだろう。

……いや、本当にそういう意味なのだろうか。

彼は会話についての質問に答えているのだから、その発言は会話部分だけを指しているのかもしれない。

あるいは、このクルーズ船の記事だけではなく、他のエッセイにも当てはまる話なのだろうか。

「たとえば」という言葉からすると、後者のようにも思える。

映像ではレムニック自身もこの告白にかなり驚いた様子で、それゆえにこれ以上深く追及しなかったのかもしれない。

フランゼン本人が詳しく説明するまでは、彼が何を意味していたのか、私たちは推測するしかない。

第2回

もっとも、フランゼンは、この話を聞いて誰も驚かないと思っていた可能性もある。

実際、ウォレス自身インタビューで、自分ノンフィクションにある程度の手を加えていたことを認めている。

1998年インタビュー(トム・スコッカが昨年Slateに再掲載したもので、それ以前には短縮版がThe Boston Phoenix掲載されていた)で、ウォレスは例えば引用を読みやすく整えるため、「like(えーと)」のような口癖を削除したり、句読点修正したりしていたことを、悪びれる様子もなく語っている。

さらに彼はこう続けている。

「実際のところ――ここだけの話だけど、それからボストンフェニックス』の理解ある読者にも――小説家を雇ってノンフィクションを書かせれば、ときどき多少の脚色が入るものなんだ。」

またウォレスは、デイヴィッド・リプスキーとの1997年対話(後に『Although Of Course You End Up Becoming Yourself』として出版された)の中で、「Ticket to the Fair」(後に「Getting Away from Already Being Pretty Much Away From It All」へ改題)についても語っている。

その作品には、「Native Companion(地元内人)」という人物が登場する。ウォレスとともにアイオワ州ステート・フェアを回り、戸惑うウォレスに対して事情通としてコメントする役割を担う人物だ。

ウォレスは、その人物には「実際には別の誰かの声を与えた」とリプスキーに打ち明けている。

しかし一方で、ウォレスは、自分真実を書くことに強い責任を感じているとも繰り返し語っていた。

スコッカとのインタビューでは、クルーズ船の記事出会った夫婦について、自分が裏切ってしまったという思いを苦しそうに語っている。

その夫婦クルーズ中、とても親切にしてくれた人たちだった。

ところがウォレスは、その妻について「女装したジャッキーグリーソン」という、あまりにも不器用表現を書いてしまったのである

彼はこう語っている。

「あれは、本当にひどい出来事だった。あの人たちはクルーズ中、本当に親切にしてくれたんだ。

実際、そのあとカードまで送ってくれて、記事が載るのを楽しみにしていた。

そして記事が出た。

それ以来、私は二人から一度も連絡をもらっていない。

気持ちを傷つけてしまったんじゃないかと、今でも心配している……。

でも、トゥルーディの気持ちを気にするあまり、本当のことを書けなくなるわけにはいかなかった。

彼女は本当に素晴らしい、とても親切で、決して魅力のない人でもなかった。

ただ、たまたま女装したジャッキーグリーソンにそっくりだっただけなんだ。」

さらにリプスキーとの会話では、ウォレスはこう続ける。

「あの記事には作り話なんて何一つない。

変な話だけど、私はそんなことをしたことはない。

……まあ、バトントワリングの場面は、あそこまでの大惨事ではなかったかもしれないけど。

でも、そのときは本当に危険に思えたんだ。」

そしてもちろん、問題になっている二つの作品――クルーズ船の記事アイオワ州フェアの記事――はいずれもHarper’s Magazine掲載されたものだった。

編集担当したのは、現在はScribnerに所属するコリンハリソンである

現時点では彼はこの件について何もコメントしていない。

私たちメールで問い合わせたが、今のところ返事はない。

しかし、これらの作品掲載された後にHarper’s編集者を務めたドノヴァン・ホーンは、Twitterで次のように書いている。

Harper’sファクトチェックは、私が経験した限り(1998〜2011年)、他の雑誌と同じくらい厳格だった。むしろそれ以上だったと言ってもいい。

続けて彼はこう付け加えた。

とはいえ、それが絶対に誤りを見逃さない仕組みだったという意味ではない。

まり考えられる可能性は二つしかない。

ウォレス自身が語っていた「真実を書いていた」という説明がすべてごまかしだったのか。

あるいは、何か別の事情があったのかである

第3回

ここで意見を述べる私の資格といえば、正直に言ってしまえば、ウォレスフランゼンの友情についての噂を執拗に追いかける文学ゴシップ中毒である、という程度のものしかない。(このあたりのどこかでは階級闘争が起きているらしい、という話も耳にするけれど。)

しかし、そうした熱狂的な観察者として考えるなら、「ああいうことは実際には起きていない」というフランゼンの発言と、「ときどき多少の脚色はある」というウォレス自身説明との間に横たわる隔たりを理解する鍵は、おそらくフランゼンとウォレス関係という、ますます長くなっていく脚注の中にあるのではないかと思う。

例えば、文字起こしでは伝わらない、あのやり取りのいくつかの点を考えてみよう。

かに話の流れは、ウォレスフランゼンの友情や、お互いにどんな影響を与え合ったかという話題から続いている。

しかし、ここで問題発言は、ほとんど脈絡なく差しまれ話題のように持ち出されている。

レムニックはすでに話題を切り替え、フランゼン自身ノンフィクションについて質問し始めていたのだ。

レムニックが前置きを話している間、フランゼンは身をかがめ、眼鏡や鼻をいじりながら、ぼんやりとうなずいている。

そして「デイヴと私はその点で意見が違っていた」と言い始めたとき、彼は自分の膝を見つめていて、話の途中になって初めてレムニックと目を合わせる。

その直後、彼は笑みを浮かべる。

もちろん、その無言のしぐさをどう読むかは人それぞれだろう。

私の解釈はこうだ。

彼は意識的に、この話を打ち明けることを選んだ。

質問に追い詰められて思わず口を滑らせたわけではない。

一度立ち止まり自分最初の反応を考え直す時間はあった。

それでも彼は話した。

ただ――これはあくま私自身の印象だが――そこには悪意は感じられない。

しろ、彼が終始浮かべている笑顔には、どこかいたずらっぽさがあるように思える。

これこそが、「フランゼンのパラドックス」を象徴する場面だ。

多くの人――そして本人もそう考えているはずだが――なら、自分親友作品に対して「事実でっち上げていた」と言うことは、非常に重大な告発だと考えるだろう。

それにもかかわらず、フランゼン自身は、それを友情精神で語っているつもりなのだ

自身自己認識と、私たち読者が受け取る印象との間にあるこの落差。

それこそが彼の代名詞であり、多くの人が――まあ、率直に言えば――彼を嫌わずはいられなくなる理由でもある。

それが最も顕著に表れていたのが、今年4月に**『ニューヨーカー』**へ寄稿したウォレス追悼エッセイだった。

その文章は、フランゼンがマサフエラ島を訪れる場面からまり最後には激しい非難文とも追悼文ともつかない、居心地の悪い宙づり状態で終わる。

本当に言いたいことは、孤島や『ロビンソン・クルーソー』について延々と続く脱線の奥深くに埋もれている。

そのため、このエッセイは、一方ではひどく重苦しく、他方では痛々しいほど感情をむき出しにした文章として読めてしまう。

フランゼン自身、「ウォレス自殺後、自分は怒りと仕事に逃げ込んだ」と早い段階で認めている。

しかし、その怒りは本人が自覚していない形でも繰り返し表面化している。

その結果、彼は「退屈さとしてのうつ病」や「幼児的な怒り」、「自殺キャリア戦略である」といった、あまりにも単純化された診断へと突き進んでしまう。

また彼は、ウォレスについて他人が抱いたイメージにも反発しているように見える。

ニューヨーカー誌では、彼はこう書いている。

「ウォレス小説を読んだこともなく、名前すら聞いたことがなかった人たちが、『ウォール・ストリート・ジャーナル』に掲載されたケニオン大学卒業式スピーチだけを読み、『偉大で穏やかな魂を失った』と嘆いた。」

さらにデイヴィッド・リプスキーには(『Rolling Stone』誌掲載オンライン未収録)、こう語っている。

「でも、彼は聖人イヴなんかじゃなかった。」

ウォレス神話化されたイメージを壊そうとするこの衝動は、おそらくウォレス自身なら理解しただろう。

卒業式スピーチで彼はこう言っている。

「何を崇拝するかは、自分で決めることができる。」

しかし、

「本当の神以外のものを崇拝すれば、それは必ずあなたを食い尽くす。」

フランゼンの行動には、その言葉を思い起こさせるものがある。

第4回

今週号の**『ニューヨーク』誌**に掲載されたエヴァンヒューズ記事の中で、エリザベス・ワーツェルは、フランゼンが若い頃どんな人物だったかについてこう語っている。

「晴れた日でさえ、ジョン・フランゼンの周囲では雨が降っていた。」

怒りや悲しみは、きっと彼にとって今に始まったものではない。

しかし、ウォレスの死後にその傾向が強まった理由理解するのは、さほど難しいことではない。

フランゼン自身が、その理由文章の中で明らかにしている。

彼はこう書いている。

「そのうつ病人間は、最も自分を愛してくれた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で、自ら命を絶った。

そして彼を愛していた私たちは、怒りと裏切られた感覚を抱えたまま残された。

それは単に、私たちが注いできた愛という投資が失敗したという裏切りではなかった。

彼の自殺によって、その人間のもの私たちのもとから奪われ、代わりに非常に公的伝説へと変えられてしまたことへの裏切りだった。」

さらに彼はこう続ける。

自分が本当に愛されるに値しない人間だったことを永遠に証明するために、彼は可能な限り残酷な形で、自分を最も愛していた人々を裏切る必要があった。

家で自殺し、彼らをその行為の直接の目撃者にすることによって。」

もちろん、フィクションノンフィクションの違いについての(しばしばあまりにも学術的になりすぎる)議論と同じように、ここでも問題になるのは、

「これらの文章は、ウォレスという人物についての客観的事実として正しいのか」

という問いではないように思える。

私には、それは本質的問題ではない。

本当に問うべきなのは

「これらの文章は、フランゼンが友人の死に苦しんでいるということを表現する文章として、誠実なのか」

ということだ。

結局のところ、ウォレスフランゼンの友情について読んだり、見たり、聞いたりすればするほど、あのフェスティバルでの発言は、フランゼンが世間に向かって投げたもう一つの言葉弾丸のように見えてくる。

そして彼は、それが跳ね返って自分のところへ戻ってくることを望んでいたのではないか

レムニックとの対談の中で、フランゼンは実際、二人の関係性を

「competitive wounding(競争的な傷つけ合い)」

表現している。

彼はそこで、互いの原稿感情的な力によって相手を動かそうとした、という意味で話している。

しかし、事実関係を見てみると、それは二人の関係全体を表す、より大きなテーマだったようにも思える。

このテーマに取りつかれたように調べていく中で、私が見つけた最も興味深い資料ひとつは、二人が――さらに、残念な服装をしたマークレイナーも加わって――**『チャーリーローズ』**で対談している映像だった。

ぜひ見てほしい。

私が一番好きな場面は、11分頃に出てくる。

二人は、現代小説についての高度な理論をめぐって議論している。

そのやり取りは、攻撃的でありながら同時に親密でもある。

その1分間だけを見ても、フランゼンが私たちに語っている物語全体が、もしかすると本当に真実なのかもしれない、という十分な証拠になると思う。

しかし、もちろん。

それがクルーズ船についての話であれ、

失われた友人についての話であれ、

それは「単なる物語にすぎない」のかもしれない。

ミシェルディーン文章は、これまでに Bitch、The American Prospect、The Rumpus などにも掲載されている。

彼女は時々、ここでブログを書いている。

(訳了)

2026-06-24

これってはてなーが言ってる男同士のケアなのでは?

2006年9月の入隊直後から複数上司に「女みたい」とからかわれ、女装強要されたという。その際、キスをされたり、体を触られたり

https://news.livedoor.com/article/detail/31632185/

2026-06-17

ヴァンヘイレンのプリティウーマンMV意味分からん…😟

というか、かなり障害者差別なんじゃ、と最初思ったんだけど、

本当に本人か分からないですけど、YouTubeコメントに出演されてた障害者の方が、

撮影が楽しかった、みたいなこと書いてるけど、オチ女性女装した男性?デイヴ女装

はいいけど、なんか今の世の中だと全方面からなんか言われそう…😟

2026-06-16

anond:20260616125200

女装してくれたら種付けしたげるよ💞

2026-06-09

男だけど記念に女装してみたことある

大学一年

やってみてえなと

専門の業者に依頼して


喉仏隠すように首に巻くとか

膝の形を出さないように靴下ながいやつつけるとか。顔もさ室内か室外で変えるんだって。はへええええ。化粧は寝たよね。筆いっぱいもっててなんか塗られたよね。そう、ふふふ。

大変かわいらしい仕上がりになった

背だけ誤魔化せねえ

あまあま飲食店食事するだけだし。

せっせとパクパク食べてお散歩撮影して

姫サー風


2026-06-07

東大ダイバーシティ推進課

何で一番頭ええはずの東大が、何の科学的根拠もない『性自認』などという妄想思い込みの域を出ない概念肯定をせっせせっせと生徒に強要しようとしてんの?

女装した男は女にならない。

男装した女は男にならない。

めっちゃ簡単な事やんか。

anond:20260607193814

どうなんだろう

寛容ではあると思うけど



この間も公園に座ってたらセーラー服女装おじさんが歩いてきてさ

俺の隣のベンチで着替えてたよ

でもちゃんスカート履いたままズボンを履いて、その後スカート脱いでた

これって治安がいいのかな?

2026-06-05

不動産王の軌跡

男の娘になります

ベリーダンス披露

稼いだお金

戦後焼け野原土地を購入

お金持ちへ

ロックだわあー

昭和すぐの日本男児女装できるんだろうか。

抵抗すごそう。

2026-06-01

DV阿部かばう男、「ちょっと娘~ひどくない?阿部君泣いちゃったじゃん!そこまですることないでしょ~?チャッピーと一緒に謝んなよ!」でおもしろすぎる。心が女装おじさん

2026-05-31

先日ゲンロンで行われた東浩紀×菊地成孔対談のまとまりきらない感想です。

https://x.com/be42986184/status/2060475914883080280

 

先日ゲンロンで行われた東浩紀×菊地成孔対談のまとまりきらない感想です。

 

たくさん印象に残ることがあった。

高市さんをW浅野表現するのは、サヨリベの言う「女装した家父長制」なんて言うのよりも具体的で分かりやすくて共感やすいと思ったし、

ルメイ叙勲に対する反感や、それに対する自称平和主義者たちから非難殆ど聞こえてこないことへの不信感などの話もとても重要なことに思えた。

終盤の蓮實重彦映画評論界の話を聞いていて、10年以上前映画セッション」の感想が、菊地成孔さんとM山さんの間で真っ二つに別れて論争になったことなどを思い出したりもした。

 

でも、私の中で一番印象に残った気がするのは、性善説性悪説の話だった。

東さんが、以前は性善説で動いていたけど、今はもう性悪説しかいられなくなったと言う。そして、会場の東ファンとの会話や菊地さんの『平和と愚かさ』の解析から、その書かれている内容も、書いた時期によって性善説的なものから性悪説的なものへ徐々に傾斜していっていることが明らかになった。

私も東さんと同じ性悪説派だと思う。というか、反性善説派と言うべきか。世の中から聞こえてくる大抵の性善説は、大体は甘えのようなものが感じられる、自分に都合の良い性善説なら最高だ、みたいな話ばかりで、それがマイナスに転んだ時の想像力責任感が欠けていると思わされるものが非常に多いと私は感じている。性善説=ろくでもない、が私の印象だった。

 

そんな東さんや私へ向けて、菊地さんは「私は性善説ですけどね」とぶつけてくる。少しショッキングだったけど、よく考えたらそれは当たり前のことだ。

日々不特定多数の人々とセッションアンサンブルをしていかなければならない音楽家達が、性悪説でいられる筈がない。彼らは、甘えの性善説家ではなく、切実な性善説家だ。そういえば、私が若い音楽していたころの先生方は、大抵そんな空気があったなということも思い出した。

このことから私が思ったのは、これ以上東さんを性悪説の方向へ引っ張られてしまうのは良くないことなのではないかと言うことだ。

なぜかといえば、性悪説なのは東さんだけでなく、世の中のサヨリベ的な大学先生方も同じ傾向があるように思えるからだ。アカデミズム的なことに耽っていると、どうしても性悪説的な方向に引っ張られてしまうという傾向はあるのではないか。そこを、菊地さんのような実践性善説家との対話を通して、性善説性向回復してもらうということは実はかなり大事ことなのではないか。実は音楽にはそのような効能があるのではないか

 

大体そんなようなことを考えていました。

またお二人の「セッション」があると良いなと思いますありがとうございました。

 

#ゲンロン260527 #菊地成孔 #東浩紀

最終更新

午前6:38 · 2026年5月30日

2026-05-27

女装しても女になれないってやっとフェミニスト理解したんだから

男装しても男になれないのを理解するのもあと一歩

2026-05-24

俺は何回女装おじさんの足をJK勘違いするんだろう

おじさんはセーラー服着て歩くな

逮捕して欲しい

2026-05-22

彼氏女装させてセックスするのが好き、って話を周りでちらほら聞く。港区って何気に性癖秋葉原だよな。

女性キモい成分を男性から抜くとするよ?

すね毛 脇毛 陰毛などのムダ毛がない

ヒゲがない

お肌がつるすべ

甘いいい匂いがする

太っていない




これって女装おじでは?

2026-05-21

anond:20260521211948

女装民族衣装きもいという権利もあるべきと思ってるのかは気になるところではある

2026-05-20

anond:20260520205331

どんなやつだ?と思って「シリコン パンツ」でググッたら女装アイテムがしこたま出てきてワロタ

まあなんか…あるんだな!?これとは別のシリコン風でまともなパンツが とりあえず覚えておく

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