はてなキーワード: お腹とは
びてから、アイスを食べながらだらだらとテレビを見て、気づいたら日付が変わっていた。
7月11日(土)晴れ
休日。特に予定がなかったので、朝からゆっくり過ごした。目が覚めても、しばらく布団の中でスマホを見て、それから起き上がるまでに30分くらいかかった。この「起きているのに布団から出ない時間」というのは、人生の中でかなりの割合を占めている気がする。仮に1日30分だとしても、1年で180時間くらいになる。計算してみると、なんだか勿体ない気もするけど、この時間が意外と幸福度に貢献している気もする。
昼過ぎに、思い立って部屋の模様替えをすることにした。大掛かりなものではなく、机の位置を少し変えて、本棚の配置を変えただけだけど、それだけでも部屋の雰囲気がずいぶん変わった気がする。人間は変化を求める生き物なんだなと、模様替えをするたびに思う。特に不満があったわけではないのに、なんとなく変えたくなる。
模様替えの途中で、昔の写真が入った箱を見つけた。学生時代の写真や、旅行に行ったときの写真。しばらく手を止めて、写真を見返してしまった。今より若い自分の顔を見ると、なんとも言えない気持ちになる。懐かしいような、恥ずかしいような。友人たちとの旅行写真を見ながら、今どうしているんだろうと考えた。連絡を取っていない友人もいるけど、こういう写真を見ると、ふと連絡してみようかなという気持ちになる。実際に連絡するかは分からないけど。
夕方、模様替えが一段落したところで、少し疲れたので、コーヒーを淹れて休憩した。部屋の新しい配置を眺めながら、コーヒーを飲む時間は、なかなか良かった。特に生産的なことをしたわけではないけど、部屋がちょっと変わったというだけで、なんとなく達成感がある。
夜、夕飯にカレーを作った。多めに作って、明日以降も食べられるようにした。カレーは作った翌日の方が美味しいというのは、多くの人が言うことだけど、本当にその通りだと思う。今日はまだ作りたてなので、明日の熟成されたカレーを楽しみにしながら、まずは今日の分を食べた。
7月12日(日)晴れ
昨日作ったカレーの2日目を、朝ご飯として食べた。噂通り、味が染みて美味しくなっていた。朝からカレーというのは、少し重い気もするけど、休日だからいいかという気持ちで食べた。
午前中、特にすることがなかったので、久しぶりに映画を1本見た。配信サービスで前から気になっていた作品。内容の詳細はここには書かないけど、思っていたよりも良い映画だった。映画を見終わった後の、あの余韻に浸る時間が好きだ。すぐに次の行動に移らず、しばらくソファに座ったまま、見終わった映画の内容を反芻する。この時間があるかないかで、映画体験の満足度がだいぶ変わる気がする。
午後、久しぶりに実家に電話した。母が出て、近況をあれこれ話した。特に大きなニュースがあるわけではなかったけど、近所の話や、親戚の話、あと庭に植えている野菜の話などをした。母はミニトマトを育てているらしく、今年はよく実がなっているとのことだった。今度実家に帰ったら、そのミニトマトを食べさせてもらおうと思う。
夕方、また公園まで散歩に行った。先週も同じ公園に行ったけど、今週はまた少し違う光景があった。子供たちがシャボン玉で遊んでいて、それを見ている親御さんたちがいた。シャボン玉が夕日に照らされて、キラキラと光っていたのが綺麗だった。特に意味のある光景ではないけど、なんとなく心に残る瞬間だった。
夜、日曜日特有の憂鬱がまたやってきたけど、先週よりは少し軽い気がした。多分、模様替えをしたり映画を見たりして、それなりに充実した週末を過ごせたからだと思う。明日からまた1週間が始まるけど、まあなんとかなるだろうと思いながら、早めに布団に入った。
7月13日(月)曇り
月曜日。今週も始まった。朝、いつも通りの時間に起きて、いつも通りの準備をして、いつも通り家を出た。この「いつも通り」というのが、実は結構すごいことなんじゃないかと最近思う。毎日同じことを繰り返せるというのは、体調も気分もそれなりに安定しているということだから。
会社では、先週から持ち越しになっていたタスクを片付けた。特に問題なく進んだけど、途中で資料の数字が1箇所間違っていることに気づいて、修正するのに少し時間がかかった。小さなミスを見つけたときの、あの「あ、やってしまった」という気持ちと、それを直せたときの安堵感。仕事というのは、こういう小さな山と谷の繰り返しなんだと思う。
昼休み、久しぶりに外に出て、少し遠くの定食屋まで歩いて行った。いつもと違うお店に行くと、それだけで気分転換になる。生姜焼き定食を頼んだけど、思ったより量が多くて、お腹いっぱいになった。午後の仕事は、満腹感のせいで少し眠気との戦いになった。
夕方、退勤前に、上司から急な依頼が入った。明日までに簡単な資料を作ってほしいという内容だった。急な依頼というのは、いつも心臓に悪い。でも、内容自体はそこまで難しくなかったので、1時間くらいで片付けて、それから帰った。急な依頼をパッと片付けられたときは、ちょっとした自信につながる。
夜、家に帰って、テレビをつけながら夕飯を食べた。特に見たい番組があったわけではなく、なんとなくつけていただけだったけど、ニュース番組でやっていた特集が意外と面白くて、最後まで見てしまった。内容は忘れてしまったけど、見ているときは「へえ」と思っていた気がする。
7月14日(火)雨
朝から雨だった。傘を差して駅まで歩く間、靴が濡れないように気をつけて歩いた。水たまりを避けながら歩くという、地味に神経を使う作業。子供の頃は、逆に水たまりを踏むのが好きだったのに、大人になると避けるようになる。この変化はいつ起きたんだろうと、傘を差しながらぼんやり考えた。
会社では、昨日の急な依頼で作った資料を上司に提出した。特に大きな修正もなく、「ありがとう、助かった」と言ってもらえた。この一言だけで、なんとなく1日頑張れる気がする。人間、感謝の言葉に弱い生き物だと思う。
昼休み、雨だったので外には出ず、社内の休憩スペースでお弁当を食べた。今日は珍しく自炊した弁当だった。前日の夜に多めに作った野菜炒めを詰めただけの簡単なものだったけど、自分で作ったものを食べるというのは、なんとなく満足感がある。コンビニのお弁当も美味しいけど、自炊した弁当には、また違う種類の美味しさがある気がする。
午後、雨の音を聞きながら仕事をしていたら、なんとなく眠くなってきた。雨の日は集中力が落ちるというのは、月曜日にも書いた気がするけど、本当にその通りだと思う。気圧のせいなのか、湿度のせいなのか。コーヒーを2杯飲んで、なんとか乗り切った。
夜、雨が降り続いていたので、家でゆっくり過ごすことにした。お風呂にゆっくり浸かって、その後、久しぶりに読書をした。本棚の奥から出てきた、前に読みかけだった小説の続きを読んだ。雨の音をBGMに本を読む時間は、なかなか贅沢な感じがした。結局、眠くなるまで読んで、途中で寝落ちしてしまった。
今日から7月。特に何も変わらないんだけど、カレンダーが1枚めくれるだけでちょっと気持ちが変わるのは不思議だ。朝起きたら6時58分だった。7時に起きようと思っていたので、2分早く起きられたことに謎の満足感を覚える。別に2分早く起きたところで何がどうなるわけでもないのに。
コンビニでいつものように鮭おにぎりを買おうとしたら、鮭が売り切れていて、仕方なく昆布にした。昆布のおにぎりって、子供の頃は苦手だったのに、大人になってから急に美味しく感じるようになった。舌が変わったのか、それとも塩気の感じ方が変わったのか。多分どっちもだと思う。レジのお姉さんが「温めますか」と聞いてきたけど、おにぎりは温めないので「大丈夫です」と答えたら、なぜか少し気まずい空気になった。おにぎりを温める人もいるのかもしれない。今度試してみようかな。いや、多分試さない。
会社に着いたらパソコンの起動が異常に遅かった。Windows Updateが走っていたらしい。5分くらいぼーっと画面を眺めながら、こういう時間って人生でどれくらい積み重なっているんだろうと考えた。多分合計したら何日分にもなる。何日分もの人生を「読み込み中」の画面に捧げているのかと思うと、少し虚しくなったけど、別にどうしようもないのでコーヒーを淹れに行った。
お昼は同僚と近くの定食屋に行った。日替わり定食が鯖の味噌煮だった。鯖の味噌煮は好きなんだけど、骨が多いイメージがあって身構えてしまう。今日は割と骨が少なくて、安心して食べられた。同僚が「最近暑くなってきたね」と言うので「そうですね」と返した。この会話、多分1年に50回くらいしている気がする。季節の変わり目には必ず誰かが「暑くなってきた」「寒くなってきた」と言い、それに対して「そうですね」と返す。この儀式のようなやりとりに、何か意味があるんだろうか。多分ないけど、ないなりに大事な気もする。
夕方、雨がぱらついてきたので傘を差した。折りたたみ傘を持っていたのは我ながら偉かった。天気予報をちゃんと見ていたからだ。天気予報を見て傘を用意できた日は、なんとなく1日の勝率が上がる気がする。逆に傘を忘れて雨に降られた日は、その後もなんとなく調子が悪い。因果関係はないと思うけど、そういう気がしてしまうのは仕方ない。
夜、お風呂に入りながら、今日1日で自分が何を成し遂げたかを考えてみたけど、特に何も思いつかなかった。メールを何通か返信して、会議に1つ出て、資料を少し直した。それだけと言えばそれだけなんだけど、多分こういう「特に何もない日」の積み重ねが生活というものなんだろうなと思う。湯船に浸かりながらそんなことを考えていたら、のぼせてきたので出た。
7月2日(木)晴れ
昨日ののぼせのせいか、朝からちょっとだるかった。それでも起きて、いつも通り顔を洗って、歯を磨いた。歯磨き粉のチューブがそろそろ終わりそうで、最後の方は絞り出すのに苦労する。あの「もう終わりかけの歯磨き粉を絞る作業」って、地味にストレスが溜まる。新しいチューブに変えたときの、あの気持ちよさといったらない。ニュルッと簡単に出てくる感じ。人生の小さな喜びの一つだと思う。
今日は洗濯物がよく乾く天気だった。ベランダに干した洗濯物が風にはためいているのを見ると、なんとなく気分が良くなる。特に理由はないんだけど、白いシャツが風になびいているのを見ると「いい1日になりそうだ」という謎の予感がする。実際にいい1日になるかどうかは別として。
電車の中で、前に座っていたおじさんがずっとスマホでパズルゲームをしていた。カラフルなブロックを消すやつ。おじさんの指の動きがすごく速くて、なんだかプロフェッショナルな雰囲気があった。世の中には色んな「極める」がある。パズルゲームを極めるおじさんもいれば、将棋を極める人もいるし、たこ焼きの焼き加減を極める人もいる。それぞれの人がそれぞれの世界でそれぞれの熟練度を持っているというのは、考えてみると面白い。
会社では、給湯室でお茶を入れているときに、隣の部署の人と少し話した。「最近、暑いですよね」から始まり、「そうですね、まだ7月なのに」という展開になり、「これから8月とか、どうなっちゃうんでしょうね」で締めくくられた。この会話のテンプレート、本当によくできていると思う。誰でも参加できて、誰も傷つかず、特に何の情報も生まれない。ある意味、完璧なコミュニケーションだ。
昼休みに、スマホで特に見る予定もなかったニュースサイトをだらだら見ていたら、30分くらい経っていた。何を読んだか、あまり覚えていない。多分どうでもいい記事ばかりだったんだと思う。でも、こういう「何も生み出さない30分」も、休憩としては必要なんだと自分に言い聞かせている。
夜ご飯は、冷蔵庫にあるものだけで何とかしようと思って、野菜炒めを作った。もやし、キャベツ、にんじん、あと少しだけ残っていた豚肉。特に美味しくもまずくもない、普通の野菜炒めができた。こういう「普通」の料理ができるようになったのは、一人暮らしを始めてからの成長かもしれない。最初の頃は、何を作っても謎に味が濃かったり薄かったりしたから。
7月3日(金)晴れのち曇り
金曜日は、朝から少しだけテンションが上がる。理由は単純で、明日から休みだからだ。この「金曜日効果」は、社会人になってから何年経っても薄れない。むしろ年々強くなっている気さえする。
朝の電車で、席が1つだけ空いていたので座った。座れるとやっぱり嬉しい。座れた日は、なんとなくその日1日がいい日になる気がする。これも昨日書いた「傘の勝率」と同じ現象かもしれない。人間は、朝のちょっとした運不運に、その日全体の気分を左右されがちなんだと思う。
会社では、午後にどうでもいい会議があった。議題は「来月の飲み会の日程調整」。これのために30分の会議を設定するのは、ちょっとやりすぎな気もするけど、誰も文句を言わないので、そのまま進んだ。結局、候補日を3つ出して、後日アンケートを取ることになった。会議で決めたことは「後で決める」ということだけだった。こういう会議、実は世の中に結構多いんじゃないかと思う。
夕方、退勤時に、エレベーターで一緒になった知らない人と、なんとなく気まずい沈黙を共有した。1階から10階分くらい、無言でエレベーターに乗るのって、地味に緊張する時間だと思う。スマホを見るふりをしながら、階数表示を横目でチラチラ確認する。あの時間だけ特別に時間の流れが遅く感じる。
夜は、久しぶりに友達と電話した。特に用事があったわけじゃなくて、「最近どう?」から始まる、内容のない長電話。1時間くらい話したけど、話した内容を思い出そうとしても、断片的にしか覚えていない。友達の会社の上司が変な人だという話、最近見た映画の話、あと猫の話。それくらいしか覚えていないけど、多分こういう「内容を覚えていない長電話」こそが、いい友達関係の証なんじゃないかと思う。用事がなくても話せる関係というのは、実はそんなに多くない。
7月4日(土)晴れ
休日の朝は、目覚まし時計をかけていないのに、なぜか平日とほぼ同じ時間に目が覚める。体内時計というのは律儀なものだと思う。もっと寝ていたいのに、目が覚めてしまう。二度寝しようとしたけど、結局スマホを見てしまい、そのまま起きることになった。
今日は特に予定がなかったので、部屋の掃除をすることにした。掃除機をかけて、床を拭いて、あと本棚を整理した。本棚の奥から、もう何年も読んでいない本が何冊か出てきた。学生の頃に買った参考書とか、一度読んで満足した小説とか。捨てるかどうか迷ったけど、結局「いつか読むかもしれない」という気持ちに負けて、そのまま棚に戻した。多分このまま一生読まないんだろうけど、捨てる決断をするのも、それはそれでエネルギーがいる。
昼過ぎに、久しぶりに近所の商店街を歩いた。八百屋のおじさんが「今日はきゅうりが安いよ」と声をかけてきたので、特にきゅうりを買う予定はなかったけど、なんとなく買ってしまった。5本で150円だった。安い。家に帰ってから、5本のきゅうりをどう消費するか考えることになったけど、それはそれで悪くない悩みだと思う。
午後は、テレビをつけっぱなしにして、特に集中して見るわけでもなく、なんとなく画面を眺めながらだらだら過ごした。バラエティ番組で、芸能人が知らない街を歩いて美味しいものを探すという企画をやっていた。こういう番組、内容はほぼ毎回同じなのに、なぜか見てしまう。多分、他人が知らない街を歩いているのを見るのが、単純に楽しいんだと思う。自分は歩かなくていいという安心感もある。
夕方、買ってきたきゅうりを浅漬けにした。塩もみして、しばらく置くだけの簡単なやつ。冷蔵庫で冷やして、夜ご飯のときに食べたら、思ったより美味しくできていて、ちょっと得意な気持ちになった。人間、こういう小さな成功体験の積み重ねで、意外と機嫌よく生きていけるものだと思う。
7月5日(日)曇り
日曜日は、なんとなく1週間の中で一番時間の流れが遅い気がする。朝起きて、特に何もしなくていいという状態が、逆に何をしていいか分からなくさせる。結局、布団の中でスマホを見ながら1時間くらい過ごしてしまった。
昼前に、思い立って近くの公園まで散歩に行った。公園には、子供たちが遊具で遊んでいて、お母さんたちがベンチで話をしていた。犬を連れて散歩している人も何人かいた。柴犬、トイプードル、あと名前が分からない小型犬。犬というのは、種類が違っても、みんな同じくらい楽しそうに歩いているように見える。それがちょっと羨ましい。
公園のベンチに座って、しばらくぼーっとしていた。特に何も考えていなかったと思う。強いて言えば、木の葉っぱが風で揺れる音を聞いていた。ああいう「何も考えない時間」というのは、意外と貴重なんじゃないかと思う。普段は常に何かを考えているから、頭が休まる時間がなかなかない。
夕方、日曜日特有の憂鬱がじわじわとやってきた。いわゆる「サザエさん症候群」というやつだ。特に明日の仕事に大きな問題があるわけではないのに、なんとなく気分が沈む。この現象、多分ほとんどの社会人が経験しているんじゃないかと思う。日曜日の夕方6時くらいから、テレビから国民的アニメの主題歌が流れてくると、条件反射的に憂鬱になる。パブロフの犬みたいなものだ。
夜、明日の準備として、シャツにアイロンをかけた。アイロンをかける作業は、地味だけど、なんとなく心が落ち着く。シワが伸びていく様子を見ているのが、単純に気持ちいい。無心になれる作業の一つだと思う。アイロンをかけながら、来週のことをぼんやり考えた。特に大きな予定はないけど、水曜日に歯医者の予約が入っていることを思い出して、少し憂鬱になった。
7月6日(月)雨
朝から本降りの雨だった。月曜日に雨が降ると、なんとなく1週間の始まりとしてはハードモードだと感じる。傘を差して、濡れた靴下のまま会社に行くのは、地味に不快だ。靴の中に水が入ってくる、あの感覚。防水の靴を買おうかと何年も思っているけど、結局買わないまま今年も梅雨を迎えている。
電車が少し遅延していた。雨の日はいつも電車が遅れる。「弱冠の遅れ」というアナウンスをよく聞くけど、「弱冠」という言葉の使い方として合っているのか、前から気になっている。多分、正確には違う言葉なんだろうけど、鉄道業界の中でそういう言い回しが定着しているんだと思う。今度調べてみようと思いつつ、多分調べない。
会社に着いたら、傘立てがいっぱいで、自分の傘を置く場所に少し困った。こういう「傘の置き場所問題」は、雨の日の地味なストレスの一つだと思う。あと、他人の傘と自分の傘を間違えないか、いつも少し心配になる。同じような黒い折りたたみ傘を持っている人が多いから。
仕事は、特に大きな出来事もなく、淡々と進んだ。資料を作って、メールを返信して、会議に1つ出た。雨の日は、なんとなく仕事の効率が落ちる気がする。気圧のせいなのか、気分のせいなのか分からないけど、集中力が続きにくい。窓の外の雨音を聞きながら、ぼーっとする時間が普段より多かった。
夜、家に帰ってから、濡れた傘を玄関で開いて乾かした。傘立てがないので、床にビニール袋を敷いて、その上に傘を置いている。この応急処置的な傘置き場を、そろそろちゃんとした傘立てに変えようと思いながら、もう2年くらい経っている。多分、この先も変えないまま何年か過ぎるんだろう。
7月7日(火)曇り時々晴れ
七夕だった。特に短冊に願い事を書くわけでもなく、笹を用意するわけでもなく、ただカレンダーを見て「あ、七夕か」と思っただけだった。子供の頃は幼稚園や小学校で短冊を書かされた記憶があるけど、大人になってから七夕を意識することは、ほとんどなくなった。
会社の給湯室に、誰かが折り紙で作った小さな笹の飾りが置いてあった。誰が作ったのか分からないけど、ちょっとした心遣いだなと思って、少し和んだ。短冊には「売上目標達成」と書かれていて、思わず笑ってしまった。会社らしい願い事だと思う。
昼休みに、七夕にちなんで素麺を食べようかと思ったけど、結局コンビニでいつものサンドイッチを買ってしまった。七夕に素麺を食べる風習があるらしいということを、テレビか何かで見た記憶があるけど、実際に実行したことは一度もない。今年も同じだった。
夕方、空を見上げたら、雲が多くて星は見えそうになかった。天の川がどうとか言われても、そもそも都会に住んでいると天の川自体、見たことがない。織姫と彦星が年に一度会えるという話は素敵だけど、天気に左右されるというのは、なんだかロマンチックさに欠ける気もする。晴れの年もあれば、雨の年もある。今年は多分会えていない。
夜、実家の母から「七夕だね」というだけのメッセージが届いた。特に返信を求めているわけでもなさそうだったけど、一応「そうだね、こっちは曇ってて星見えなさそう」と返信した。こういう、内容のない親からのメッセージというのは、なんだかんだ嬉しいものだと思う。用事がなくても連絡してくれるというのは、多分ありがたいことなんだろう。
7月8日(水)晴れ
朝から気持ちのいい晴天だった。梅雨の合間のこういう晴れの日は、なんだか得した気分になる。洗濯物を干して、いつもより少し早足で駅まで歩いた。
今日は歯医者の予約日だった。特に痛いところがあるわけではなく、定期検診だったけど、それでも歯医者に行くのは、なんとなく気が重い。あの独特の消毒液の匂いと、器具のキーンという音。子供の頃から変わらない苦手意識が、大人になった今でも残っている。結果は特に問題なく、「歯石が少し溜まっているので、取っておきましょう」と言われて、歯石取りをしてもらった。歯石を取ってもらった後の、歯がツルツルになる感覚は、地味に気持ちがいい。
会社では、新しいプロジェクトの説明会があった。詳しい内容はここには書かないけど、要するに新しいシステムを導入するという話だった。こういう説明会は、いつも「これで業務が効率化されます」という話で終わるけど、実際に効率化された試しがあまりない気がする。新しいシステムに慣れるまでの間、むしろ一時的に非効率になることの方が多い。それでも、みんな真面目にメモを取っていた。
夜、歯医者帰りで少し口の中に違和感が残っていたので、柔らかいものを食べようと思って、お粥を作った。卵を落として、梅干しを添えた、シンプルなお粥。体調が悪いわけでもないのに、お粥を食べるという行為自体が、なんとなく「今日はゆっくり過ごそう」というメッセージを自分に送っているような気がして、悪くなかった。
夜遅く、ベランダに出て夜風にあたった。梅雨の晴れ間の夜は、湿度が高くて、少し蒸し暑い。でも、星がいくつか見えて、七夕の日には見えなかった星が、1日遅れで見えたことに、少し面白さを感じた。織姫と彦星も、1日遅れで会えたのかもしれない。そんなことを考えながら、部屋に戻った。
7月9日(木)晴れ
朝、久しぶりに早起きできたので、朝ご飯をちゃんと作った。トーストと目玉焼きと、コーヒー。目玉焼きの黄身を、いつも半熟にしようとして、気づいたら固焼きになっていることが多いんだけど、今日は珍しく理想的な半熟にできた。黄身にトーストをつけて食べる瞬間は、朝の小さなご褒美だと思う。
通勤中、電車の中で、隣に座った人が大きなあくびをしていた。あくびというのは伝染すると聞くけど、実際に自分もつられてあくびをしてしまった。科学的にどういう仕組みなのか分からないけど、人間の共感能力みたいなものが関係しているらしい。今度調べてみようと思う。多分調べない。
会社では、久しぶりに取引先との打ち合わせがあった。オンラインではなく、実際に来社しての打ち合わせだった。画面越しではなく、実際に人と会って話すというのは、なんだかんだやっぱり情報量が違うなと感じた。相手の些細な表情の変化とか、話すときの間の取り方とか、そういう細かいニュアンスが、画面越しだとどうしても伝わりにくい。
打ち合わせの後、取引先の人と少し雑談した。趣味の話になって、その人が最近キャンプにはまっているという話をしてくれた。キャンプ、興味はあるけど、道具を揃えるのが大変そうで、なかなか手を出せずにいる。でも、話を聞いていたら少し憧れてしまった。焚き火を眺めながらお酒を飲む時間、想像するだけで良さそうだ。今度、道具をレンタルできるキャンプ場を調べてみようと思った。これも多分すぐには行動に移さないと思うけど。
夜、キャンプの話に触発されて、ベランダで小さなろうそくに火をつけて、それを眺めながらビールを飲んでみた。焚き火とは程遠い、ささやかすぎる代替行為だけど、それでも炎を眺めるという行為自体には、なんとなく心を落ち着ける効果があるように感じた。人類は火を発見してから、ずっとこうやって炎を眺めてきたのかもしれない。そんな大げさなことを考えながら、ビールを飲み終えた。
金曜日。今週も無事に終わりそうだ。朝から、なんとなく体が軽い気がする。1週間頑張った後の金曜日特有の解放感が、朝から漂っている。
会社では、午前中に細かいタスクをいくつも片付けた。メールの返信、資料の修正、経費精算。どれも大きな仕事ではないけど、こういう細々としたタスクが溜まると、地味にストレスになる。全部片付けた後の、受信箱が空になった瞬間の爽快感は、なかなかのものだと思う。ただ、この爽快感は長くは続かない。だいたい30分後には新しいメールが届いて、また受信箱が埋まっていく。賽の河原の石積みみたいなものだ。
昼休みに、同僚と「今年の夏、どこか行く?」という話になった。特に旅行の計画があるわけではなかったけど、話しているうちになんとなく気分が盛り上がった。海がいいか、山がいいか、それとも近場の温泉でのんびりするのがいいか。結局、結論は出ないまま昼休みが終わった。でも、こういう「実現するかどうか分からない旅行の話」をするだけでも、なんだか楽しい気分になれる。
夕方、退勤後に、久しぶりに1人で居酒屋に寄った。カウンター席に座って、生ビールと、焼き鳥の盛り合わせを頼んだ。1人で飲む酒というのは、誰かと飲むのとはまた違った良さがある。誰にも気を使わず、自分のペースで飲める。隣に座っていた知らないおじさんが、店員さんと常連らしい会話をしていて、その様子を眺めているのも、なんだか楽しかった。
家に帰る道すがら、コンビニに寄って、アイスを買った。金曜日の夜に食べるアイスは、なんだか特別に美味しく感じる。1週間頑張った自分への、ささやかなご褒美という感じがする。家に帰って、シャワーを浴
10:00 起床
10:30 身支度を終えママの作っていた朝食に手を付けるも和食の気分ではなかったのでゴミ箱へ
11:00 朝食を食べ損ねお腹が空いたのでお菓子で空腹を紛らわせる
12:00 ひとりで二郎へ いつも頑張ってる自分へのご褒美♪
13:00 メンエスへ
16:00 帰宅。父親が仕事は無いのかとうるさいので怒鳴りつけソファに寝転びネトフリ視聴
19:00 帰ってきたママに夕食を作るよう指示。材料がない等と言い出したので買ってこいと尻を叩く
20:00 ママが買い物にだらだらを時間をかけて夕食が遅いのでウーバーイーツで済ませる
21:00 ママに洗濯や掃除をしていない事を咎められたので頭にきてTVのリモコンを投げつけ頭に命中
21:30 ママがまだグチグチ文句を言うので頭にきて女装して彼氏の家に行く
22:30 彼氏とラブホへ。黒人ペニスに弱者男性アナルをズボズボ掘られる♪
0:00 彼氏の家で就寝♪
お腹空いてきた
夏のお手軽簡単皮を剥かなくても食べられるキウイフルーツを好んで、
インターネッツの情報にあったキウイフルーツは皮は剥かなくてもそのままモケモケのまま食べられるって情報を正に鵜呑みにして食べて、
うわ!本当にキウイフルーツって皮剥かなくて丸かじりオーケーなのね!
美味しいわ!ってもぐもぐ食べていたら、
あるとき、
口の中が血だらけになったの!?
いやいや、
今歯磨きしてないし、
そもそも私歯磨きしたってそんな滅多に出血しないでお馴染みなんだけど、
なんかキウイフルーツを食べた後に、
ああ!美味しかったな!よーし歯を磨いて寝ましょう!って食べたその場5秒ぐらいあとで、
いや正確には3分ぐらいたってるかな?
そのぐらいキウイフルーツを食べた後で歯を磨いたら血だらけになっていて、
確かに口の中の上顎が、
揚げたての唐揚げ定食のから揚げを思わず飛び付いて熱いまま頬張って、
口の中の上顎をじゅるっと火傷してしまったような、
そんなヒリヒリ感は覚えていたんだけど、
ここ最近そんな熱々で私の心をわしづかみにするホットなから揚げ定食のから揚げは食べてないのになぁ?って。
そう不思議に思っていて、
この出血ってなんだろう?って。
そう思ってここ2日ぐらい口の中がヒリヒリするなぁって暮らしていたのね。
で、
真っ赤になっていたから、
これは!?って冗談で英語で言うとJYODANってスペルの冗談の方で、
「キウイフルーツ出血」って検索ワードでインターネッツを検索してみたら、
キウイフルーツが大安売りの近所のマーケットがたくさん出てきたので、
よーし!私はせっかくキウイフルーツが大安売りだからって飛び込み前転して入店してキウイフルーツを買おうかな!って意気込んだの!
って違う違う、
そのキウイフルーツ大売り出し大出血サービス価格特価でお得に買える情報が欲しいんじゃなくって、
もしかしたら、
キウイフルーツが口の中で悪さして血が出てるのかも?って調べたいのよ、
って改めてインターネッツで調べてみたら、
特に緑のキウイフルーツの酵素が口の中の粘膜を少し溶かしてそれが出血しているかもです!って検索結果が出てきたの!
え?
洗濯シーエムで驚き屋があまりにもこの洗濯洗剤で洗うと汚れがよく落ちるから「驚きの白さ!」って凄い驚いた勢いでシーエムの声を吹き込むぐらいな強力さでちょっと驚いたわ。
てかさ、
海の昆布がなんで海の中で出汁が出ないか?って永遠の謎ってあるじゃない?
あれは昆布が生きているから頑張って溶け出さないようにしている!って昆布博士のクラコン博士がそう言っていて、
やっぱり生きている昆布って頑張っているんだ!って
私も手のひらを太陽に透かして見れば真っ赤に流れる血潮を感じるの!
私だって生きているの!
そんな、
生きている生身の人間がキウイフルーツの酵素で溶けるはずないじゃない!?って。
私生きているの!
そう力強く右の拳を突き上げて「生きているの!」って
卒業生が最初一人が「生きているの!」っていった後に残りの卒業生達が後に続いて「生きているの!」っていう卒業式の形式のコールアンドレスポンスってあるじゃない?
それぐらい私も一人で、
「生きているの!」「生きているの!」っていうわ。
人間だってキウイフルーツに溶かされないように頑張っているのに!
でも真実は一つ!
確かに口の中の出血はキウイフルーツの特に緑色のキウイフルーツは酵素が強力らしいので、
好んで食べていた緑のキウイフルーツはやっぱりそうだったみたい。
でもさ、
果物食べて口の中が血だらけになるってそんな危険なフルーツある?
これじゃ、
ああ!キウイフルーツ怖い!
絶対よ!
フリじゃないから。
てか、
私はそんなちびっ子ってワケでもないんだけど、
赤ちゃんとかちびっ子とかがキウイフルーツ食べたら大変なことになるんじゃないの?って。
よくある話で赤ちゃんにはハチミツは食べさせたらダメですよって気を付けてくださいねって話あるじゃない、
赤ちゃんにキウイフルーツを与えたらダメだって話は聞いたことないし、
ちびっ子にだってキウイフルーツを食べさせたら口の中から血が出る!って警戒して食べさせない家庭なんて今の今まで聞いたことがないわ。
もうさ、
キウイフルーツ食べ過ぎて、
お腹を下してーってなら分かるけど、
まだ胃の中に入っていないうちから口の中で血が出るなんて!って、
かなりホラーじゃない?
だから、
ずーっと口の中が熱々の揚げたてホッツなから揚げ定食のから揚げを頬張ってもいないのに
上顎がそれで火傷したみたいにヒリヒリしていて、
から揚げ食べてないのに、
なぜなぜなーに?って思っていたのよね。
まあキウイフルーツが原因だってことがハッキリと分かってよかったけれど、
なんだかキウイフルーツ買うのが怖くなってきたわ。
あれってマーケットで手に取ってパカーって開いてみるまで、
黄色いキウイフルーツか緑のキウイフルーツか分からないじゃない?
そんな賭けしてまで
キウイフルーツ食べる?
うーん、
なんかさ緑のキウイフルーツのパワーを抑える方法って何かないのかしらね?
よーく冷やして食べたらいいのかしら?
それってただの冷やしキウイフルーツになるだけよね。
まあ夏だし、
口の中のヒリヒリが直って治まるまで、
なんてね、
うふふ。
昨晩から冷やしていたので、
レモン1つあるので、
追いレモンをマジ搾り果汁追加してレモン感アップさせるレモンレモンしたレモン炭酸水ウォーラーもいいかも。
とにかく、
熱いので、
さくせんはお水しっかりよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お腹はなる。食べたら苦しくなる。
しんどい。
ここ最近は過食をしている。
しんどい。
気持ち悪いのは、今朝リベルサスを飲んだからが7割と2割が失恋かもという不安なんだと思う。まじで過食してたときより、食べると本当にくるしいから食べれないし、3000キロカロリーも食べてないはず。
くるしい。
「はてな匿名ダイアリー(通称:増田)」の投稿やコメント欄から浮かび上がる平均的人物像は、「地方から上京した、IT・Web界隈で働く30代〜40代独身の知的労働者」です。技術や社会、サブカルチャーへの関心が高く、論理的思考を好みます。一方で、高学歴でありながら自己評価が低く、世間やエリートへの強いコンプレックスを抱えています。孤独感や生きづらさを内向的に分析する傾向があり、テキストでの自己表現に高い執着を持っています。ネットスラングや2ちゃんねる(現5ちゃんねる)文化の文脈を理解しており、冷笑的かつ批判的な視点から社会を眺めています。承認欲求と匿名性の間で揺れ動きながら、日々の仕事の愚痴や、誰にも言えないドロドロとした本音、言語化されない日常の違和感を、高い文章表現力でシニカルに綴るのが特徴です。
増田では大便を漏らすエピソードが頻繁に投稿されます。増田特有の匿名性と、読者層の健康・心理的背景、そしてプラットフォームの文化が複雑に絡み合っているためです。
増田では、他人の凄惨な失敗談や、誰にも言えない恥ずかしい本音が好まれる文化(通称:クソ記事・ウンコプログラミングなどの文脈)があります。
「漏らした」という強烈な体験談は、はてなブックマークで拡散されやすく、バズを狙う投稿者が集まりやすい性質があります。
悲惨な体験を文学的・シニカルに描くことで、読み物としてのエンターテインメントに昇華されています。
平均的人物像でも触れた通り、増田のメインユーザー層はIT・Web業界などで働く、精神的プレッシャーの強い30代〜40代の知的労働者です。
長時間のデスクワークや精神的ストレスにより、お腹を下しやすい過敏性腸症候群(IBS)を患っている人が少なくありません。
長距離の満員電車通勤など、トイレに駆け込めない閉鎖環境に置かれる機会が多いことも要因です。
「大人になって大便を漏らした」という事実は、Twitter(X)やFacebookなどの実名・半実名SNSでは絶対に投稿できません。
誰だか分からない「増田」だからこそ、プライドを捨てて最悪の失敗を吐き出し、精神的な救いを求めることができます。
実は「大人が大便を漏らす(便失禁)」というのは、公にだれも口にしないだけで、医学的にも決して珍しいことではありません。
衛生用品大手のユニ・チャームが実施した2万人規模の大規模な実態調査によると、成人の約2割が「軽い便もれや下着への付着」を経験しています。さらに、その経験者の約2割は「週に1回以上」の頻度で発生していると回答しています。
驚くべきことに、この調査では加齢による身体能力の低下よりも、20代〜30代の若い世代のほうが経験率が高いという結果が出ています。
緊張や過度なストレスによる自律神経の乱れから、急激な下痢を催す過敏性腸症候群(IBS)を患う現役世代が非常に多いためです。
「ただのおならだと思ったら、液体状の便だった」というケースが最も多い失敗パターンです。
「大人が漏らす」ことは社会的な羞恥心が極めて強いため、友人や家族はもちろん、医師にすら相談できず8割以上の人が1人で抱え込んでいます。
その結果、完全匿名で誰の目も気にしなくていい「増田」のような場所に、唯一の吐き出し口として毎日のように投稿が集まるという縮図が出来上がっています。
10:00 起床
10:30 身支度を終えママの作っていた朝食に手を付けるも和食の気分ではなかったのでゴミ箱へ
11:00 朝食を食べ損ねお腹が空いたのでお菓子で空腹を紛らわせる
12:00 ひとりで二郎へ いつも頑張ってる自分へのご褒美♪
13:00 メンエスへ
16:00 帰宅。父親が仕事は無いのかとうるさいので怒鳴りつけソファに寝転びネトフリ視聴
19:00 帰ってきたママに夕食を作るよう指示。材料がない等と言い出したので買ってこいと尻を叩く
20:00 ママが買い物にだらだらを時間をかけて夕食が遅いのでウーバーイーツで済ませる
21:00 ママに洗濯や掃除をしていない事を咎められたので頭にきてTVのリモコンを投げつけ頭に命中
21:30 ママがまだグチグチ文句を言うので頭にきて女装して彼氏の家に行く
22:30 彼氏とラブホへ。黒人ペニスに弱者男性アナルをズボズボ掘られる♪
0:00 彼氏の家で就寝♪
専業主婦の一日
10:00 起床
10:30 身支度を終え旦那が作っていた朝食に手を付けるも和食の気分ではなかったのでゴミ箱へ
11:00 朝食を食べ損ねお腹が空いたのでお菓子で空腹を紛らわせる
12:00 ママ友とランチへ いつも頑張ってる自分へのご褒美♪
16:00 帰宅。子供がおやつは無いのかとうるさいので我慢しろと怒鳴りつけソファに寝転びネトフリ視聴
19:00 帰ってきた夫に夕食を作るよう指示。材料がない等と言い出したので買ってこいと尻を叩く
20:00 夫が買い物にだらだらを時間をかけて夕食が遅いのでウーバーイーツで済ませる
21:00 夫に洗濯や掃除をしていない事を咎められたので頭にきてTVのリモコンを投げつけ頭に命中
21:30 夫がまだグチグチ文句を言うので頭にきて彼氏の家に行く
22:30 彼氏とラブホへ。夫に抱かれる気はないが彼氏は別♪
0:00 彼氏の家で就寝♪
体の内側のどこぞが菌の影響で腫れ上がっていたらしく、抗生剤を処方され早数日……
薬剤師の忠告をうけたが、全くもってその通りに腹がぶっ壊れた。
悪い菌を殺してくれるが、良い金も殲滅するのはどうにかならない?ならんか……。
もともと腹の調子が悪いから律儀にのんでたビオフェルミンも、今は飲んだ傍から殲滅されてしまう。抗生剤に餌やってるみたいなもんじゃない……
なんか昨日、上野公園のベンチに座ってたら変なおじさんに話しかけられてしまった
最初は凄い人ですね、混んでますねとか、そんな話で、そうですねとか適当に返してたが
すぐに、お米を食べるとお腹のみたま?が喜ぶとか、ご先祖様がどうとか、稲刈りをやったことがあるか?とか
これはなに?宗教の勧誘とかだったの?
NIKKEのさガチャで募集チケットでニケを募るのはお馴染みなんだけど、
ランダムとは言え強いニケはなかなか当たらないような確率になっているのよね。
ラーメンに半炒飯は付けてもいいかな?って言うぐらいのお腹のぺこぺこっぷりだったけど、
多分半チャーハン食べ終わってから全チャーハンでも良かったかな?っていうお腹の満たされ具合もあると思うけど、
それだったら餃子に全チャーハンのセットでやったらよかったのかも?って
それはそれでラーメン屋さんに入店しておいて飛び込み前転もカマして張り切って入店しているのに、
ラーメン店なのに主役のラーメンを頼まないとラーメン屋の大将がちょっとガッカリするかな?って面持ちになっちゃうのよね。
うーん、
パート2みたいなのが解禁されて私はすぐに全部読み切っちゃって感無量!っていうところを、
よーし!
今気分がストーリーを読み終わったあとでションテン上がっているから、
一般募集のチケットだけどガチャ回しちゃおう!って気分転換で回したの。
そしたらよ!
リトルマーメイドが当たったの!
そんで次よ次!
えええ!?
そんなことってある?
いくら当たりやすいようなウイッシュリストに入れて星に願いをばりにもう七夕は終わった今のシーズン来シーズンのお願いごとにしようかな?って思っていた矢先に
ウイッシュリストに入れて排出率が上がったといっても0.1パーセントよ。
それが2連チャン!
確率にすると100万分の1ってことらしいの。
早速AIに尋ねてみたら、
ランダムなのは分かるわ!こんな確率が上振れする理由ってなに?っていっても、
上振れ下振れすることはあるので、
それは何故起きるかは分かりませんって言うじゃない。
そんな確率の数字に左右されるだなんて人間ってバカですね!って
私が設定していた「無共感キョトン系AIモード」はそう塩辛く答えてくれたわ。
でもAI曰くこの奇跡のストーリーに私は思わず震えてしまったわ。
いや、
おお!ってなるのに
続いてオーバースペック1機くるだなんて!
おおお!ってならない?
しかも、
さっき言ったNIKKEの今やってる夏のイベントストーリー「WAVE TO YOU」で大活躍のセイレーンとお話にも登場しているラピだっただけに、
ちょっとスピってない?
怖いわー。
スピリチュアルすぎる!
先日張り切って回したソーシャルポイントでのガチャ100連チャンは、
なんか確率下振れぶれしてるなぁとは感じていてちょっと落ち込んでいただけに、
しつこいようだけど、
こんなことってある?
ピルグリムとオーバースペックニケが立て続けに引き当たるだなんて!
それこそこれ以上調子に乗っていたら、
これまさに銚子港の港の岸壁の先の縁でNIKKEガチャ回していたら海に落っこちちゃうぐらい調子に乗っちゃダメ!ってところなのよ。
危なかったわ。
確率ってなに?
ランダムってなに?って
ちゃんと真面目に勉強してみたいAI数学先生に教えてもらいたいぐらいよ。
このランダムの上振れたり下振れたりする波ってなに?って思っちゃうわ。
それが真のランダムかどうなのかが確かめようがないじゃない?って
一瞬で私は思ってしまったわ。
もうただただ、
このNIKKEの夏のイベントストーリー「WAVE TO YOU」を読み終わったあとで
物語に登場して活躍したニケがくるのがあまりにも胸熱すぎるのよね。
てかさ、
夏まだ始まったばかりというより始まってまだ間もない感じじゃない?
なのに私の夏はもう終わった感、
でも終わっちゃった夏がまたすぐ来た!って
一粒で二度美味しい感もない?
良い意味で考えたら、
また夏くるわ!やってくるの!って。
そう思うと儲けもんよね。
私の今年の夏は2回やってくる!
JALとかANAとかの飛行機会社が夏のお得な航空券のチケットを売るいいキャッチコピーみたいで、
なんか夏2回やってくる!ってよくない?
私の夏は2回やってくる!
大切なことなので2回言ってみたわ。
うふふ。
納豆巻きにしたわ。
急に暑くない?
先週ぐらいまでそんなに暑くなかったので、
これ今年の夏ちょろくね?って思っていたら夏本番感が真っ盛りって感じで盛夏前なのに待ったなしってところね。
暑いわー!
なので朝はしっかり食べておかないとね。
暑いわー。
1ケースストック注文頼んだのまだ来てないんだけど、
マーケットで来るまでの1~2本を買っておいた感じね。
重たいから一気にたくさん買えないので2本買っておいたのよ。
よく冷えているわ。
暑いときにはなおさらよいシュワッとキマるレモン炭酸ウォーラーよ。
暑いので、
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
中年男性おじさんが行くような店のあるエリア(居酒屋、ラーメン屋、コンカフェ、秋葉原のようなオタク寄りの文化エリア)ってさ小汚くて治安悪いから行くわけないじゃん。
若い子なら興味本位で行くかもね。でも歳取ったらもうお腹いっぱい。
男は気づかないかもしれないけど独身中年男性は内心女にキレてる連中がめちゃくちゃいてフキハラがすごい。わざとデカい物音を立てる。座る時めちゃくちゃ足を広げるなど微妙なパーソナルスペースの侵略、もうどうでもいいとばかりに些細なマナー違反を全部する。近くにいるだけでストレスを感じる。
あと中年男性は中年女性を見つけると「おばさんだから」めちゃくちゃバカにしてくる、態度でも言葉でも露骨。存在が不愉快。
中年独身男性がいるところだから見かけないんだよ。そんなところ行かない。
中年独身男性が行きたがらないような場所にいると思うよ。女性の多いカフェとか、(男性にとって退屈そうな)美術館とか、とにかくコーヒーの値段が高いホテルのラウンジとか。
中年独身男性が嫌うテーマは、教養、オシャレな空間、女性客の多さ、コンビニで買えば安いものがめちゃくちゃ高い店、そういうところに中年独身女性はいる。別に女性もそういうところが好きなわけじゃないが、中年独身男性がいないだけで価値がある。
朝はまだ、世界の端っこにぶらさがっているみたいな時間だった。川べりの土を踏むたびに、足の裏からひんやりした感触が、ふくらはぎを通って腰のあたりまで細い糸みたいに伝わってくる。私はその糸をたぐるように、ゆっくりと桂川沿いを歩いていた。
空気はすでに夏の手前で待機している。少し動くだけで、首筋のあたりにうっすらと汗がにじむ。その汗が、シャツの布と肌の境目を曖昧にして、私のからだの輪郭を少しだけぼかす。女性であることを、こういう朝の汗の付き方でふと思い出すことがある。下着のレースのふちが、体温に合わせてゆっくりと柔らかくなっていく感じとか、胸の重さが呼吸のリズムに合わせてわずかに揺れる感じとか。そういうものが、ここでは妙にくっきりと意識に浮かぶ。
川の流れは、私の体内を流れている血のように見えた。ゆっくりと、でも確実に、どこかへ向かっている。水面のきらめきを眺めていると、子宮のあたりに、かすかな「中心」の感覚が戻ってくる。そこは普段、意識の届かない薄暗い部屋みたいな場所なのに、旅に出るとときどきふいに電気がつく。誰も住んでいないのに、ちゃんと家具が置かれた部屋がそこにある、ということだけが知らされる。
風が吹いて、髪の毛が頬に貼りついた。指先でそれをはがすとき、爪が皮膚をかすめ、その下に小さな熱があるのを感じる。喉の奥から胸の下まで、一本の管が通っていて、その管を空気が往復している。そのたびにブラジャーのホックが、背中でこっそりと微かな軋みを立てる。誰も聞いていない、小さな生活音みたいに。
川辺の草には、まだ朝露が残っていた。私は屈んで、そのひとつを指でつまんでみる。冷たい球が、指先の熱を吸い取って、すぐに形を失う。ふと、自分のからだも同じように、誰かの指先の温度に触れた瞬間に、これまでの輪郭を少し変えてしまうのだろう、と考える。恋人といた夜のことを思い出す。太腿の内側に触れられたとき、汗と恐れと期待が、同じ場所でごちゃ混ぜになっていた感覚。あのとき私の肌は、今朝の露と同じように、すぐに形を変え、でも確かに存在していた。
私は心の中でそうつぶやく。理屈より先に反応してしまう。いいとか悪いとかより先に、熱とか震えとかを選んでしまう。その勝手さを、若いころは少し恥ずかしく思っていた。でも今は、異国の川辺を歩くとき、その勝手さに助けられている。意味のない風景でも、からださえ何かを受け取ってくれれば、とりあえずここにいる理由になるから。
遠くで電車が鉄橋を渡る音がした。その振動が、骨盤のあたりにまで届いてくる気がする。骨の内側で、わずかな反響が跳ねている。私は立ち止まり、腰に手を当ててみる。その下に、幾層にも重なった筋肉や脂肪や骨や、名づけようのない空洞があることを意識する。女性のからだは、ときどき「器」のように感じられる。何かを入れるために用意された空間。その空間は今は空っぽだ。けれど、空っぽであることにも、独特の重さがある。
太陽が少し角度を変え、川の表面に細い金色の線を走らせる。光が水を撫でるたびに、私の胃の辺りにも同じような線が引かれる感じがする。旅に出ると、からだの内部地図が少し書き換えられる。普段ならただの「みぞおち」として処理されている場所が、突然「不安」とか「欲望」とか「解放」と書き込まれる領土になる。
私は汗ばむ手のひらを川風にさらしながら、自分の指を一本ずつ見つめる。これまで何人のからだに触れてきたのか、何冊の本をめくってきたのか、何度自分自身を確かめるように撫でてきたのか。指の節のふくらみをなぞると、そのたびに胸の奥で微かなざわめきが起こる。そこには、触れたものたちの記憶が沈殿しているのだろう。
「私はここにいて、ここにいない」
そんな言葉が浮かぶ。旅人としての私は、京都という地図の上に小さなピンのように刺さっている。でも、からだの感覚は、時折別の場所へ飛んでいく。恋人の部屋の薄暗い照明の下とか、ひとりで眠れなかった真夜中のベッドの上とか、初めて月経が来た日の学校のトイレの中とか。そういう場所に、一瞬だけ引き戻される。
桂川は、何も知らない顔で流れている。私のささやかな動揺にも、そこそこ落ち着いた欲望にも、無関心なふりを続けている。けれど、もしこの水に裸足を沈めたら、足首から上へと、別の温度が忍び込んでくるだろう。皮膚の下を、別の川が流れ始めるだろう。その想像だけで、下腹部にひそやかな温もりが灯る。
暑さが本格的にやって来る前に、私はこの朝を使い切ってしまいたいと思う。歩くこと、立ち止まること、汗をかくこと、思い出すこと。女性であるからだの全部を、この一本の川に軽く晒してみる。そうすることで、少しだけ身軽になれるような気がする。何かを捨てるわけではなく、ただ流れと一緒に持ち運んでもらう感じで。
私は深く息を吸い込み、胸の内側がゆっくりと広がっていくのを確かめる。肋骨の隙間から、朝の光が染み込んでくるような気がした。そして、まだ人の少ない川沿いの道を、もう少しだけ歩くことにした。自分のからだが、この夏をどう受け止めようとしているのかを、確かめるために。
ふと昨晩のことを思い出す。
昨日の夜のことを思い出すと、まず最初に浮かぶのは、部屋の温度だ。窓を少しだけ開けていたせいで、外から入り込んだ湿った空気が、天井のあたりでゆっくりたまり、そこからじわじわと降りてきていた。ベッドに横になっていると、その重さが、胸の上に薄い布団みたいに折り重なってくるのがわかる。
旅先のベッドは、私のからだをまだよく知らない。マットレスの硬さも、枕の高さも、いつものものとは少しずつ違っている。その誤差のせいで、自分の身体の輪郭がいつもより敏感になる。腰のくぼみとか、太腿の重さとか、背中に集まる汗の位置とか。そういうものが、やけにくっきりと意識に浮かんでくる。
シャツを脱いで、薄いワンピースだけになったとき、布が肌に貼りつく音を、私だけが聞いていた。肩の線に沿って布が落ちる瞬間、重力と布とからだが、静かに相談をしているような感覚になる。胸の形に合わせて、ワンピースの布地がゆっくりとカーブを描き、そのカーブの下で、私の呼吸が確かに続いている。
ベッドに横たわると、シーツの冷たさが、腰骨のあたりから広がっていく。その冷たさが、少し遅れて内側の熱に追いつこうとする。シーツと肌の間には、とても細い境界線があって、その線を指先でなぞると、自分が今どこまで「外」で、どこからが「内」なのか、曖昧になっていく。
電気を消すと、部屋は急に狭くなる。暗闇が、壁の位置をわからなくしてしまうからだ。代わりに、からだの輪郭だけがはっきりしてくる。胸の重さ、腹の柔らかさ、太腿のつながり、足先の不安定さ。女性であるからだは、ときどき「地図」のように感じられる。誰かと一緒にいる夜には見せない裏面の地図を、ひとりの夜には静かに広げてみることができる。
横向きになって膝を少し引き寄せると、太腿と太腿のあいだに、小さな空間ができる。その空間は、ひと晩だけ貸し出される秘密の部屋みたいだ。そこに手を差し入れるかどうかを、私はしばらく迷う。差し入れなくても夜は過ぎていくし、差し入れれば別の速度で過ぎていく。どちらを選んでも、朝は来る。
指先で、太腿の外側の線をなぞることにする。肌の上を滑る自分の指は、誰かの指の代用品みたいでありながら、同時にもっと正確な測量道具でもある。どこが冷たくて、どこが温かくて、どこが少し震えていて、どこが落ち着いているか。そういうことを、一ミリ単位で知らせてくれる。
下腹部のあたりには、いつも薄い膜のような緊張がある。その膜に、心の重さや欲望の影が少しずつ溜まっていく。ひとりの夜には、その膜を破るか破らないかの選択を、誰にも見られずに行うことができる。私は昨夜、その膜の表面を、指先で軽く撫でるところまでにしておいた。破ったときに訪れる種類の安堵を、今夜は必要としていないような気がしたからだ。
代わりに、呼吸を深くすることにした。吸い込んだ空気が、喉を通り、胸を通り、みぞおちを通り、下腹部の手前で少し滞る。その滞りを感じながら、ゆっくりと吐き出す。呼吸だけで身体の内部を触ることだってできる。そのことを確かめるように、何度も同じリズムを繰り返した。
ベッドの上で、手の位置を変える。お腹の上、胸の下、鎖骨のあたり。触れる場所によって、思い出す記憶の種類が変わる。恋人に触れられた夜のこと、医者に触れられた冷たい朝のこと、自分で自分を抱きしめるように眠った冬の夜のこと。昨夜は、その全部が薄く重なっていた。
指先が軽く胸の上に触れたとき、からだはほんの短いあいだだけ、何かを期待する。誰も来ないことを知っていても、とりあえず期待する。その小さな裏切りが、ほんの少しだけ切ない。けれどその切なさは、旅の夜には妙に心地よくもある。自分の欲望や孤独を、誰にも説明しなくていい時間だからだ。
時計の音が、部屋の隅でかすかに刻まれていた。秒針が進むたびに、夜の厚みがわずかに薄くなっていく。私は目を閉じて、その音を胸の奥で聞いた。心臓の鼓動と秒針の音が、ときどきぴったりと重なる。重なった瞬間、からだの中にあるすべての部屋の灯りが、同時にふっと暗くなるような感覚がある。
眠気がゆっくりとやってきて、身体の隅々を柔らかくしていく。太腿の間の小さな秘密の部屋も、やがて静かに扉を閉じる。下腹部の膜の上に溜まっていた緊張も、少しだけ薄くなる。破らないまま朝を迎える種類の夜が、この世にはたしかに存在していて、私は昨夜、そのひとつを選んだのだと理解する。
最後に、私は自分の手を胸の真ん中に置いた。そこが今夜の「中心」だと決める。指先のぬくもりが、皮膚の下をゆっくりと広がっていく。外の世界がどうであれ、今この瞬間だけは、私のからだが私のものとしてそこにある。その事実だけを抱いて、私は眠りに落ちていった。
そして今朝、桂川を歩きながら、昨夜の感覚のいくつかがまだ身体のどこかに残っていることを、私はときどき思い出す。太陽の光に晒されると、それらは少しずつ形を変え、やがて川の流れに紛れていく。それでいい、と私は思う。夜にしか持てない輪郭と、朝にしか持てない輪郭が、ゆるやかに入れ替わりながら、ひとつの身体を保っているのだ。