◎ハマスに殺害の母、和平の遺志継ぐ息子 「境界から」㉛イスラエル 憎悪の連鎖断つ

なだらかな丘陵地帯に中東の強烈な日差しが照りつける。心地よい小鳥のさえずりを遮り、時折砲撃の音が耳をつんざく。イスラエル軍が、3キロ先のパレスチナ自治区ガザに向け放った砲弾だ。
イスラエル中部にあるキブツ(集団農場)ベエリ。ヨナタン・ザイゲン(35)が2024年6月、母ビビアン・シルバーが独りで住んでいた「無人」の自宅を訪ねた。室内は黒焦げで、灰とがれきと化していた。2023年10月7日、イスラム組織ハマスの急襲を受けベエリは壊滅、平和活動家の母は亡き人になった。74歳だった。
▽殺りくが起きている
あの日ヨナタンはイスラエル主要都市テルアビブのマンションで早朝、空襲警報を聞き目が覚めた。「いつもハマスのロケット攻撃で警報が鳴るので深刻に受け止めなかった」。だが今回は普段と違いハマス戦闘員がイスラエルに攻め込んだ。ガザに近い母の身辺が心配になった。電話が通じて少し安心したがそのうち、文字メッセージだけのやりとりになった。
ビビアン「助けを呼ぶ声が聞こえる。殺りくが起きているかもしれない」「あなたたち(家族)がいて私は幸せだった」(10時38分)
ヨナタン「お母さんを愛してるよ」(10時40分)
ビビアン「ハマスが家の中に入ってきたみたい」(10時41分)
ヨナタン「お母さん」(10時52分)
ビビアン「ハマスが家の奥にまで来ているようだ。息をするのが怖い」(10時54分)
ヨナタン「言葉が出ないよ。心はお母さんと一緒だよ」(10時54分)
ビビアン「あなたの気持ちは届いている」(10時54分)
▽焦げた骨片
連絡は途絶えヨナタンの不安は募った。「母はどうなったのか」。イスラエル軍からは当初、母の自宅が焼き尽くされ、所在は確認できないと聞かされた。「人質になったかもしれない」。そう考えた。母の知人も同じ思いで、再会を願い人質解放を訴えるデモに一時加わった。
11月7日、軍から自宅の一室で「遺体が見つかった」と知らされ、1週間後に母と確認された。損傷が激しく死因は不明、残されたのは焦げた骨片だった。ヨナタンは体中から力が抜け落ちた。「なぜこんなことになったのか」。しばらく食事も喉を通らず眠れなかった。母の足跡を見つめ直す日々が始まった。
ビビアンは1974年にカナダからイスラエルに移住。まだ男性優位が残るキブツで男女平等を唱える一方、パレスチナの人々が虐げられる姿を目の当たりにして「隣人」との共存を目指す活動に取り組み始めた。医療が整わないガザで、がんに苦しむ子どもをイスラエルの病院に移送する支援も担った。笑顔を絶やさず「暴力では何も解決できない」と訴え、パレスチナの女性と手を取り合った。
兄と共にヨナタンは悲嘆に暮れた。「ハマスは憎い」。当然だ。そこに母の生前の訴えが脳裏によみがえった。「憎悪の連鎖を断ち切る勇気がなければ私たちに未来はない」。ソーシャルワーカーとして路上生活者や薬物、アルコール依存症の人たちと向き合ってきたが、母の遺志を継ぐ決心をした。

▽和解の声は少数
母の葬儀にはアラブ系やユダヤ系の知人や支援者だけでなく、イスラエルの国会議員や政府関係者も集った。ヨナタンは参列者に「母を亡くした苦しみを平和への歩みに変えたい」と語りかけた。
1948年の建国以来、「パレスチナの土地を奪った」として反発したアラブ諸国と4次にわたる中東戦争を繰り返したイスラエル。パレスチナとの紛争は終息が見えず、和平の芽は摘み取られてきた。ガザでの戦闘は長期化、「隣人」への敵意は増す。パレスチナ自治区ヨルダン川西岸で、ユダヤ人による入植名目の「占領」も進んでいる。ヨナタンのようにパレスチナとの共存を望む声は少数派だ。
ヨナタンの憂いは深い。教員の妻と3人の子どもを抱えており「ハマスを軍事的に制圧しても過激思想は消えない。家族を失ったガザの子どもたちの恨みは募るだけだ。次世代に暴力と憎しみを残してはいけない」。
ヨナタンは今、母が生前よく語っていた格言の重みをかみしめる。「かなづちしか持たない者はすべてがくぎに見える」。武器だけ手にする者は周囲がすべて敵に見える。ハマスの侵攻以降、イスラエルでは「力」を信じ、「敵を打ちのめせ」という声が強まる。ヨナタンは、そんな「いばら」の中、パレスチナとの共存を目指して国内外で、隣人との和解と対話を訴える講演に奔走する。
イスラエルによる「占領地」とパレスチナを隔てる分離壁・フェンスは計画中も含め総延長700キロ以上。分断と対立の象徴だ。
「壁ではなく平和への懸け橋が必要だ」。悲劇の後に使命が生まれ、憎しみを超えたゆるしがあった。
【取材メモ/分断を越えて】

思わず後ずさりする恐怖を覚えた。イスラエルがパレスチナとの間に構築する分離壁には、監視カメラ付きの無人の機関銃も備え付けられている。壁設置の目的はテロ防止だが、パレスチナ人は「地域を分断するだけでなく、対話を拒み不信を生む温床だ」と憤る。イスラエルによる苛烈な攻撃でガザは壊滅状態に。イスラエルとパレスチナ双方の憎悪は募り、犠牲者遺族には怒りとトラウマが残る。和解は困難な道だ。絶望的な状況下で、分断を乗り越えようとするヨナタンの勇気に頭が下がる。
(敬称略、文は共同通信編集委員・三井潔、写真は共同通信写真記者・篠雄也=年齢や肩書は2024年8月7日に新聞用に出稿した当時のものです)
























