海面上昇で消えるアフリカの貧村 「境界から」㉑ギニアビサウ 温暖化で紛争 移住地めぐり銃撃も

「海がどんどんこっちに向かってくる。畑もだめになった。いつかはこの家を捨てる決断をしないとだめなんだろうな」。岸辺に立つ電気も水道もない粗末な草ぶきの家。薄暗い部屋の中で、アゴティ・サンハがつぶやく。足元の数十センチ下まで海水が迫り、薄茶色の土地をひたひたと洗う。
「誰もがこの土地にとどまりたいと思っている。でも、水がそれを許してくれない」。70歳を超えるという彼女。「長く生きてきてこんなことになるとは思いもしなかった」と話すと無言でうつむいた。
▽湿地に暮らす
西アフリカの最貧国の一つギニアビサウ。首都ビサウから車で5時間、さらに1時間ほどボートに乗ってたどり着いた沿岸の村、ジョベルは湿地帯の中にある。道路から遠く離れ、ボートが主な交通手段だ。この貧村は今、地球温暖化がもたらす海面上昇などの影響で消滅寸前の状況に追い込まれている。
村人は、入り組んだ水路の周囲や生い茂るマングローブ林の中のわずかな土地で米などを育て、魚を捕って生計を立ててきた。散在する小さな島に家を建てて暮らす人も少なくない。海は常に人々のそばにあり、天然のカキや魚は貴重な収入源だった。
だが、今世紀初めごろから海が牙をむくようになった。海面上昇や高潮の影響で、海と陸との境界が動き始めた。土地は削られ、農地は塩水に侵された。畑の周囲に堤防を造っても、海水は簡単にそれを乗り越える。高潮で命を落とした子どもも出た。いずれも過去にはなかったことだ。
乾期の熱帯の強い日差しの中を歩くと、村のあちこちに、真っ白な塩に覆われて使えなくなった土地が広がっていた。井戸からは塩水が出るようになり、ボートと徒歩で往復10時間かけて遠くの村まで飲み水をくみに行く必要がある。生きるための重労働が女性や子どもにのしかかる。
「昔は自転車であそこまで水辺を通って行くことができたのに、今ではボートでなければ通えなくなった」。村長のバシロ・ナンゴ(58)が近くの小島を指さして言う。陸地には海面すれすれに立つ家が散在する。破壊され、放棄された家が目立つ。
「あの木の下にもちょっと前まで人が暮らす家があったんだよ」。ナンゴがそう言いながら、廃虚となった家に連れて行ってくれた。周囲に立つ柵の跡と盛り土の上に残された土壁が、かつてここに人が暮らしていたことをうかがわせる。子どもの黒い小さなTシャツと、割れた食器のかけらが足元の土に半分埋もれていた。
▽絶えた希望
ジョベルの村の小さな希望が、内陸への移転だった。ギニアビサウ政府は国連の支援を受けて、海面上昇の影響を受けにくい土地に村人を移住させる計画を立てた。なかには故郷を捨てるのを望まない人もいる。移住先でカシューナッツを栽培し、現金収入を得られるかもしれない。
だが、これが思わぬトラブルの種になった。移住予定地の両側にある二つの村の住民が計画に反発。ジョベルを含めた三つの村の間の紛争が起こり、死者が出る事態にまで激化した。
「もともとジョベルの人々が権利を持つ土地なのに…」とある村人。「紛争で5人が命を落としたのに政府はまともに調べてもくれなかった」と不満を口にする。
移住予定地に国連が建設した給水施設や住居は、反対する人たちによって一夜にして破壊された。今は草むらの中に荒れ果てた姿で残る。わずかな望みだった計画は頓挫したままだ。
「村はどんどん貧しくなっている。やがて誰も住めなくなるだろう。誰も助けてくれない。何の希望もないよ」とナンゴは力なく笑う。

▽増える争い
温暖化はもともと、豊かな国が便利な暮らしのために排出した温室効果ガスが引き起こしたものだ。ジョベルのような貧しい地域に住む人々は、今でもそうした排出とはほとんど無縁な暮らしを送る。
一方で海面上昇は長い期間にわたって続く。豊かな国が排出を大幅に減らしてもすぐに止めることはできない。
ジョベルを去る日の朝、現地を案内してくれたジャーナリストのアマティジャン(45)から「昨夜、銃撃の音を聞かなかったか?」と聞かれた。
移住予定地をはさむ二つの村の間で銃撃戦が起き、軍隊が派遣されて道路が封鎖されているという。陸路での移動を諦め、頼りない木製のボートで海の迂回(うかい)路を行くことになった。「貧しい人たちの間に起こる紛争を温暖化が加速させている」。アマティジャンの表情が暗く曇る。
深刻化する脅威の最前線に立つ最貧国は、それに対処する適応手段をほとんど持たない。迫り来る海と激化する紛争が、彼らの命と未来を脅かす。
人類は温暖化との闘いに敗れつつある。ジョベルの人々の姿が、どんな言葉よりも雄弁にその事実を語る。
【取材メモ/伝えられなかった言葉】

ジョベルからボートで30分ほどの場所にある別の村には、国連プロジェクトのためのゲストハウスがある。太陽光パネルとインド製の蓄電池が備えられた3棟の建物には夜中、電気がともり、冷蔵庫も動いていた。安価な再生可能エネルギーは貧困地域の希望だ。
だが、これさえもジョベルには届いていない。粗末な船着き場まで見送りに来てくれた村長のナンゴ。別れ際「きっと希望はありますから」と言うつもりだった。だが、それは結局、言葉にできなかった。
(敬称略、文は共同通信編集委員・井田徹治、写真は共同通信契約カメラマン・中野智明=年齢や肩書は2024年5月29日に新聞向けに出稿した当時のものです)
















