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酒井正親

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酒井 正親
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正18年(1521年
死没 天正4年6月6日1576年7月2日
改名 政家、正親
別名 雅楽助
墓所 愛知県岡崎市龍海院
幕府 室町幕府
主君 松平清康広忠徳川家康
氏族 酒井氏(雅楽頭家)
父母 父:酒井清秀:不詳
正室妙玄尼石川清兼の娘)
重忠忠利(形原)松平家忠正室、(長沢)松平近清
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酒井 正親(さかい まさちか)は、戦国時代武将酒井雅楽頭家5代当主。松平氏徳川氏)の家臣で、松平清康広忠徳川家康の3代に仕えた。一説に初名は政家とする[1]

略歴

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三河国坂井郷出身。酒井清秀の子として誕生。

天文11年(1542年)12月、家康の誕生時、へその緒を切る胞刀の役を務めた[2][3]。また、このとき蟇目の役は、舅である石川清兼だった[2]

主君・家康の初陣に付き従い、その働きを感嘆している[4]。家康が人質として駿府に送られた際には、酒井忠次と行動を共にして駿府に行っている。永禄4年(1561年)に三河西尾城を攻め、落城後に城主となった。

岡崎市龍海院の酒井正親の墓

天正4年(1576年)6月6日、56歳で病死。墓地は愛知県岡崎市龍海院。なお、兵庫県姫路市姫路神社は、姫路藩主の祖である正親を祭神としている。

登場作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ ただし「政家」と伝えるのは寛政譜ぐらいであり、他の主な系譜・史書では「正親」となっている。

出典

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参考文献

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  • 新編岡崎市史編集委員会 編『岡崎市史』《中世 2》(新編)新編岡崎市史編さん委員会、1989年3月31日。NDLJP:9540743 (要登録)

外部リンク

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