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酒井忠和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠和
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 安永4年(1775年
死没 文化7年10月12日1810年11月8日
改名 熊次郎(幼名)、忠和
墓所 東京都港区愛宕青松寺
官位 従五位下大和守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
安房勝山藩
氏族 酒井氏(雅楽頭家)
父母 酒井忠鄰酒井忠恭の養女
兄弟 忠和土井利豊正室、島津久道
正室井上正国の娘
忠美忠嗣
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酒井 忠和(さかい ただより)は、安房国勝山藩の第6代藩主

略歴

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安永4年(1775年)、第5代藩主・酒井忠鄰の長男として生まれる。幼名は熊次郎、通称は隼人。寛政3年10月6日、将軍徳川家斉に拝謁する。寛政5年(1793年)5月6日、忠鄰の隠居により家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下大和守に叙任する。

前年に死去した父、さらに7月に死去した嫡男の忠美の後を追うように、文化7年(1810年)10月12日に死去した。享年36。跡を次男の忠嗣が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女