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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(ふく)(: mrakṣaムラクシャ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。

自己の誤ちの隠蔽[1]利益を失う・不利益を蒙ることを恐れて、自分が為したを隠すこと。 しかし、自分の為した罪を隠す人は、後に、必ず悔い悲しむ。

説一切有部五位七十五法のうち、小煩悩地法の一つ[2]。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩である。

脚注

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出典

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  1. ^ 櫻部・上山 2006, p. 115.
  2. ^ 中村 2002, p. 96.

参考文献

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  • 櫻部建上山春平『存在の分析<アビダルマ>―仏教の思想〈2〉』角川書店角川ソフィア文庫〉、2006年。ISBN 4-04-198502-1 (初出:『仏教の思想』第2巻 角川書店、1969年)
  • 中村元『龍樹』講談社学術文庫、2002年。ISBN 4-06-159548-2