本能寺の変の当日、吉川元春が重臣に宛てた書状=山口県岩国市の岩国徴古館で2026年5月30日、大山典男撮影 織田信長が討たれた「本能寺の変」があった1582(天正10)年6月2日、備中高松城(岡山市)を包囲する羽柴(豊臣)秀吉と対陣していた毛利氏一門の武将が残した書状の原本が見つかった。調査した東京大史料編纂(へんさん)所の村井祐樹准教授(日本中世史)によると、秀吉の水攻めで有名な戦いを、敵対した側の視点でリアルタイムに記した1次史料の確認は初めてで貴重という。 書状は、毛利元就の次男・吉川元春から重臣の今田経高宛てで、縦28センチ、横47センチ。今田家は、関ケ原の戦い後に岩国(現在の山口県岩国市)に移封された吉川家で家老職を務め、その子孫が2023年度に岩国市立博物館「岩国徴古(ちょうこ)館」に史料約300点を寄贈した。同館では、江戸時代に作られたこの書状の写しを所蔵していたが、寄贈史料

