はてなキーワード: 若者とは
書かなかった1年ちょいの間に2回も職が変わった。
2回目の職探しで共通点の多い人に出会って、直感を信じて転職した。
その人の部下になり、人となりがわかるにつれて惹かれた。
でもすごい年下。この先がしっかりある若者。だからこそ私がそこでどうこうしたい、なりたいのは違う。
それまでもいろんな話をしたけど、その日もいろんな話をした。
そしていろんな一面を見た。
私もすべてを曝け出した。
何も起きなかったと言うと嘘ではない
ただ、何かあったけどその日限り。
それでいい。
重いな。
ウルトラマン生みの親が明かした戦争体験 「幻のシナリオ」見つかる
高校入学時に上京し、円谷プロで活躍しながらも、復帰前の沖縄に戻り、37歳で早世する。全力で駆けぬけるような人生については、いくつもの評伝や回想録が書かれた。
それらを読むうちに、気づいたことがある。哲夫の人生のある部分については、記述がかすみがかったようにぼんやりするのだ。
生まれたのは1938年。本島南部で地上戦をくぐり抜けた時は6歳だった。幼いとはいえ、多くを目に焼き付けたのは間違いない。だが哲夫自身がその体験を語ったり記したりしたことは、ほとんどなかった。
なぜなのか。関係者をたずねる中で、一本の原稿が見つかった。沖縄戦について哲夫が正面から描いた、幻のシナリオである。
傷痕
沖縄戦の体験を哲夫が語っているとすれば、この人だろう。そう思って、盟友だった森口豁(かつ)さん(88)に千葉県で会った。
しかし早々に、森口さんは首を横に振った。「家族ぐるみのつきあいを長くしたけれど、金城が戦争がらみの話をしたことは一切なかった」
二人が出会ったのは、高校生のとき。東京の玉川学園高等部の2年生だった哲夫は、自由研究の発表で沖縄の言葉について語った。一つ年上の森口さんは感銘を受け、その後の人生が決まった。1958年、大学を中退して琉球新報の記者になり、さらには日本テレビの特派員に。ジャーナリストとして沖縄を追い続けた。
駆け出し記者のころ、森口さんは毎日のように、哲夫の母ツル子さんが那覇市内で営む食堂「かどや」で食事をしていた。
ツル子さんは沖縄戦で負傷し、片方が義足だった。居間と調理場を行き来するたびに、和服の裾をはだけて義足をつけたり外したりする。白い脚が森口さんの記憶に残っている。「お母さんはあの時、どんな気持ちだったのだろう。戦争とはこういうものだ、と本土から来た若者に感じさせようとしていたのか」。当時を思い浮かべてしばらく黙ったあと、森口さんは語った。
ツル子さんは、いまの沖縄県南風原(はえばる)町津嘉山(つかざん)の自宅に家族とともにいた。空襲警報に続いて、米軍機が3機、家に突っ込んできそうな低空で急接近してくる。機銃掃射のバラバラという音とともに、左足に衝撃が走った。足首がふき飛ばされていた。
自宅に泊まっていた青木上等兵が止血してくれ、南風原陸軍病院に運ばれた。のちにひめゆり学徒隊が働く壕(ごう)である。青木上等兵から輸血の提供をうけ、ひざから下の切断手術を受けた。
哲夫の父は召集され、ビルマにいた。一家は曽祖母、祖父母、母、哲夫、妹の栄子。これから大混乱が始まるだろうという矢先に母が歩けなくなり、哲夫はどんな気持ちだったろう。
当時のことをツル子さんが書き残した手記がある。南風原町が1990年にまとめた「津嘉山が語る沖縄戦」に転載されている。
3月25日 二人の子も小さい手で母親の手をさすったり頭をもんだり懸命に看護しているつもりらしい。
3月27日 「第一線に行くよ」と兵隊さんが小さい哲夫に言っていた。
5月7日 早朝から艦砲が盛んに撃ち込まれる。爆風が壕に入ってくる。哲夫と栄子が頭から布団を被って震えている。
戦況は悪化し、5月下旬、日本軍は司令部をおいていた首里を放棄し、南部へ撤退することを決める。津嘉山は、その道程にあった。米軍の激しい砲弾が降り注ぎ、金城家の叔父一家は、壕の中で生き埋めになった。
このままでは、みんなやられてしまうかもしれない、と祖父・忠助さんは5月25日、決断をする。自分と妻と跡取りの哲夫は南部へ逃げ、曽祖母と片足のツル子、幼い栄子はここにとどまる――。決断にともなったであろう多くの悲嘆をツル子さんは書いていない。ただ、こうある。「預けた哲夫のことが案じられて、一睡も出来ずに夜が明ける」
断片的に、祖母がのちに語っている。配給の靴は大人ものばかりで哲夫は裸足だったこと、砲弾が飛んでくると哲夫の上に祖父祖母の順で覆いかぶさって守ったこと、死体をまたぎながら歩いたこと……。
津嘉山地区には1949人が住んでいた。このうち戦死したのは808人。じつに40%以上にあたる。戦後の調査では、住民の避難コースは大きく四つに分かれ、いずれも南へ南へと向かった。哲夫たちも、こうした足どりをたどったのだろうか。
海沿いで、一行は米軍に投降した。連れて行かれたのは、名護にあった大浦崎収容所。いま普天間飛行場の移設工事が進む米軍キャンプ・シュワブのある場所だ。ツル子さんらも奇跡的に生きており、家族は再会を果たした。
盟友の森口さんが高校生のときだ。不思議なメロディーを哲夫が口ずさんでいるのに気づいた。尋ねると、戦後に収容所で生まれた「屋嘉節」という沖縄民謡だと教えてくれた。さまざまな歌詞が伝わるが、森口さんが教わったのはこうだった。
世間(しきん)御万人(うまんちゅ)ぬ 袖(すでぃ)ゆ濡(ぬ)らち
かなしいことに沖縄は戦場になってしまい、みなの袖を涙で濡らし――そんな意味である。
なぜ自分の体験を、哲夫は語ったり書き残したりしなかったのでしょう。行く先々で問いを重ねた。
「生々しすぎて語れなかったのでは」と玉城優子さんは言った。子どものころ、ウルトラQを楽しみに見ていた世代である。1993年に地元紙の沖縄タイムスで、哲夫の生涯を114回にわたって連載した。
金城哲夫の評伝「沖縄を愛したウルトラマン」を書いた玉城優子さん=2026年7月6日、沖縄県西原町、谷津憲郎撮影
沖縄戦では、自分や身内を守るのにせいいっぱいで他人を助けたり、食べものを分け与えたりすることもままならなかった。戦場では人間のあらゆる面がさらけ出される。「一つしゃべり出せば、それら全てが噴き出してしまう、だからでは」
玉城さんは取材の中で、こんなエピソードを聞いた。その人が戦後、哲夫と酒を飲んでいた時だ。突然、哲夫は大声をあげて裸足で外に飛び出してしまった。哲夫は沖縄戦について、こう語ったそうだ。「あまりの怖さに泣きたくても泣けず、叫びたくても叫べなかった。いまでも何かの折りにその時の恐怖がよみがえってくることがある」
哲夫の孫にあたる金城琴さん(35)は、大学卒業後、円谷プロにつとめた。哲夫はどんな人間だったのか。何を語ったのか。それを残すのが自分の役割かもしれないと考え、出会う人たちにできるだけ昔のことを聞くようにしていた。それでも、哲夫から戦争の話を聞いたことがあるという人には出会わなかった。
琴さんは言う。「いまでこそ、沖縄戦の体験を残さねばという人は多いですが、哲夫のころはまだ戦争の記憶が新しく、口にするのも嫌だったのではないでしょうか。家族のあいだでも、ほとんど戦争の話はしなかったと聞いています」
沖縄戦でもっと悲惨な体験をした人もいるという思いも、哲夫にはあったかもしれない。母たちを置いていったことへの後ろめたさもあったかもしれない。
哲夫が急死したのは1976年。70年代後半になると、沖縄ではあの戦争について多くの人が語り始め、出版物が急増した。あと10年生きていたら、哲夫も何かを書き残したかもしれない――そう思っていた。
それは、沖縄県立図書館で哲夫に関する資料を探していたときだった。ある冊子に、小さな写真が3枚載っていた。200字詰めの原稿用紙を正面から写したもので、手書きの文字がはっきり見える。目がぴたりと止まった。
沖縄戦を描いた幻のシナリオ「暁の敗残兵」。200字詰め原稿用紙で200枚ほどにのぼる=2026年7月7日、沖縄県南風原町、谷津憲郎撮影
別のカットには「沖縄」の文字も見える。これこそが求めていたものではないだろうか。
冊子の発行元に連絡をとり、資料を保管している南風原文化センターへ行った。金城家は数年前から、哲夫の資料227点を寄託している。
センターの会議室。白い手袋をはめた職員が箱から平らなものをそっと出す。覆っていた包みをはがすと、縁が茶色く変色した紙の束が現れた。やはり哲夫の生原稿だった。一枚一枚めくってもらい、むさぼるように読んでいく。
作中では、沖縄戦の組織的戦闘は終わっており、日本兵3人が敵中突破をして生き延びようと試みる。主な登場人物は18人。F・O(フェードアウト)、O・L(オーバーラップ)など映像上の指示も書き込まれている。計213枚。沖縄戦を描いた未公表の本格的なシナリオだった。
主人公の日本兵は「青木」。母ツル子さんの足の手当をしてくれた上等兵の名である。その青木らに途中で合流する兵隊は、片腕がない。彼はもともと「津嘉山」の民家に泊まっていたが「飛行機の機関銃で関節からふっとんでしまった」。さらに、老人に連れられた幼い子ども2人が迷い込む。下の子の名は「栄」。2人の父は「ビルマ」に行っている。
青木ら3人は、米軍に見つからぬように先を急ぐ。「四方穴だらけで泥水が溜(たま)り、膨張した死体、蛆(うじ)の湧いている死体、顔面をえぐりとられた死体が散乱し、正(まさ)に死人のジュウタンである。三人死体をとび越え、死に物ぐるいに走る」。それは、哲夫自らが見た光景だったのだろう。
いったい、いつ書いたのか。孫の琴さんも、シナリオの存在をこの取材で初めて知ったという。はっきりとした手がかりはない。
だが哲夫は書いていたのだ。どこかに発表するつもりがあったのか。いや、発表のあてがなくとも、自分は書き残さねばならないと思っていたのか。沖縄戦について語らなかった身体のうちに、記憶はずっと渦まいていた。
シナリオは、運命のいたずらのような悲劇で終わる。あの戦場で生きるか死ぬかは、ただの偶然だった、と沖縄戦の体験者たちは言う。哲夫もきっと同じ思いだったろう。
「おわり」の3文字は、ぴたりとあわせたかのように、原稿用紙の最終行に書きつけられていた。
大筋ではだいたい合ってるとは思うけど、細かいところで突っ込みがある。
その層が夫をATM化してセックスレス化するのは当然の帰結であり、そうした妻に当たった夫から「結婚は人生の墓場」という言葉が産まれ、ゼロ年代の2ちゃんねるを席巻したのでは。
彼らのほとんどは結婚なんかしておらず、結婚できない男がすっぱいブドウをやっていただけだし
それはセックスレスが問題なのではなく、むしろ「セックスする気も起きないような老けて劣化した妻を養わなければならない結婚生活=墓場」って意味だよ。
2chには既婚男性板という板があったけど、既婚女性板が「髭の生えた奥様」と呼ばれる男性だらけの誹謗中傷だらけで逮捕者も出ていたのに対して
既男板は嫁に対する愚痴やクソ嫁創作実話スレは多少はあれど、ネタスレやなれ合いスレなども多く比較的平和な板だった。
女叩きに明け暮れていたのは既婚男性ではなく「非モテ」男性がメインだし彼らもそう自称していた(実際は妻や彼女がいる男性が混じっていた可能性は否定しないが)
やってる層は今も昔も同じような非モテ男性なのに、主張が「すっぱいブドウ」から「結婚できない俺不幸」になった理由はよく分からない。
昔の若いうちはいざとなれば結婚出来るだろうとナメてたのが、いよいよそれが不可能になって本音を出すようになったのかもしれないし、
世間の夫婦の共働き化が進んだ事で「稼ぎながら家事育児も夫の世話も全部やってくれる超便利嫁」が珍しくなくなり
家事育児の辛さへの解像度が低い非モテ男性であっても「結婚した方が地獄だからしない!」という主張にリアリティを感じられなくなくなったのかもしれない。
逆に女性からしたら「稼ぎながら家事育児夫の世話全部やらなきゃいけない結婚は超地獄」となったわけだけど。
そして医療の発達による急速な高齢化や障害者の長寿化により、老齢年金や障害年金の支出が嵩み、医療・福祉・教育・介護といった現場でも女性の労働力が不可欠になった結果、
看護師が女だらけ、かつ男に頼らなくても一生食える職とされてて実際生涯独身が多かったのはもっとはるか昔からだろ…
そもそも昔は看護「婦」だったんだが。男性であっても正式には看護婦。
(結果、知的障害・精神障害・発達障害などを抱えた無能女性が、実質的な社内水商売でありながら社保に加入できる「お茶汲み」で人生を誤魔化すことができず、はっきりと風俗堕ちしていくという女性の能力階層分断も発生してはいる。能力階層分断は男性の中では元々当たり前としてあったもので、女性の置かれた状況が男性化したといえる)
「お茶汲み」は基本コネ入社。人件費に余裕のある大企業が自社の男性社員に「身元のしっかりした嫁」をあてがう為にその嫁候補を「お茶汲み」として雇っていた。
(そして男性社員が「嫁まで世話をしてくれた」企業に一生忠誠を誓う、という構図だった)
当然嫁候補に選ばれるのはそれなりの親(のコネ)と教養を持つ女性だけ。
無能障害持ち女でもよっぽど親の力があればどこかの嫁にねじ込まれたかもしれないが、その階層は今でも風俗堕ちなんかしないし
風俗堕ちするような階層は昔に生まれても「お茶汲み」などできず風俗で働いてるよ。
今も昔も上流は困らず下流は困る、ってのは変わらないし、昔は女の階層分断がなかったってのはただの幻想。
男性向けフィクションにおいて、2000年代〜2015年頃の匿名掲示板では処女厨しかおらず、キャラクターが非処女であれば作者が殺害予告されるレベルでの反発が起きていた。美少女絵の体型も「つるぺた」などペドフィリア的な感性が好まれた。
現在はといえば、「長乳」などの脂肪がだらしない体型、異様なまでに太い太腿、そして寝取られなどの性的にだらしない内面の女の絵が人気である。
オタク向けではない一般男性向けポルノでも、若者向けは清純な若い女が好まれ中高年になるとエロい熟女が好まれるという傾向がある。
万年野党や泡沫政党が好きな人は「若者は政治に関心がないから(我々が支持する政党に)投票しないんだ!」「日本の危機を理解していないのか!意識が低い!考えが甘い!」と散々バカにしてくるんだけど
そいつらのやることが「言ってることが立派だから支持して投票して支援して勧誘する」だから、本当にバカバカしいんだよな
じゃあ何?俺が「当選したら全国民に1億円配布します!財源は政治家と大企業が溜め込んでるカネです!きっとそこにありますから!」って言ったら投票してくれるんかな?
いいねぇ~絵に描いたような「労働者の足を引っ張る労働者」だね~日本のみんなも貴方も週80時間労働が当たり前の世の中に戻るといいねぇ~
てかそもそも「(リモートで)働いてることになってるけどサボってる」のと「米国のエンジニアはこんなにも長時間働いている(ことになっている)」って厳密には関係ないよね?
それよりも「昭和のサラリーマンは負荷の低いダラダラ残業が当たり前だった(という噂)」からの「今の若者は(時間数を見ると)大して働かずにヒーヒー言ってる」という話の方がよっぽど関連しててヤバいと思うんだけど、どうお考えかな?
5年で1,000万円か、逆を言うと東京という土地は若者1人あたり5年で1,000万円を吸い上げてるんだなぁ
1年で200万円も資金力に差があるなら推し活にも差が出て当然だわな
そりゃ夜職やパパ活に手を出してしまう子も出てくるし、なぜ隣の子が年間200万円も推し活に使えるのかカラクリ知らないのは教育の敗北よな
それより55歳ぐらいで狂う人が多い。
・他人の言うことを聞かない
・ハラスメントは当然だと思っているし、やる
・コンプライアンスも納得していない
・最後は全てをほったらかして逃げる
・早期退職で金だけはたくさん貰っていく
当時の県警は改造自転車による「チャリ暴走」を警戒していたと報じられている。沖縄県警も、この高校生は暴走行為とは無関係と説明している。
SmartFLASH「【沖縄高校生失明事件】被害者に続く事実無根の誹謗中傷…『無免許』『盗難車』デマ拡散の異常事態」
https://news.livedoor.com/article/detail/23147328/
沖縄県警は「暴走・無免許・盗難車」を否定。高校生は免許を持ち、ヘルメットを着用し、自身が購入したバイクに乗っていたと報じられている。
琉球新報「眼球破裂の高校生、県警が『暴走・無免許・盗難車』否定 本人から聞き取り始める」
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1473119.html
警察側の当初説明と、「警棒が当たって失明した」という高校生側の説明の食い違いがSNSで拡散。その後、沖縄署に集まった若者らの一部が投石した。SNSで参集を呼びかけたとされる暴力団員もいたが、高校生とは面識がなく、高校生本人の関与も確認されていない。
琉球新報「沖縄署襲撃、SNSで参集呼び掛けか 暴力団員を逮捕 失明した高校生とは面識なし」
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1648106.html
警察官は宮崎県警から沖縄県警への出向中で、夜光チョッキや警笛など、夜間の車両停止時に使うべき装備を使用していなかった。沖縄県警も、高校生には警察官が見えていなかった可能性があるとしている。
沖縄タイムス「【沖縄の高校生失明事件】警官による暴行を謝罪 撮影不可だった県警本部の『説明会』を全文公開」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1051551
裁判所は、警察官が警棒を持った手を走行中の高校生の前方に差し出した重大な過失を認定。警察官は業務上過失傷害罪で有罪となった。
那覇地方裁判所「令和5年12月25日判決(業務上過失傷害被告事件)」
https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-92645.pdf
それ全部、自民党やマスゴミの強者男性が言ってきたことじゃねーかボケ。
石原慎太郎みたいな本を書き、「若者はレイプするくらい元気がある方が良い!」とか言ってきたのは自民党政治家とマスゴミ文化人だろ。
今、糞フェミぶってるマスゴミの偉いタレントも、みんな昭和時代には、「女なんて無理やり犯せば言うこと聞くから」とかいって笑い取ってた。
2022年1月27日午前1時16分ごろ、沖縄市宮里の路上で、宮崎県警から沖縄県警に特別出向中の警察官が、原付バイクを運転していた当時17歳の高校生を職務質問のため停止させようとした。(*1)
当時、警察は暴走事案の警戒に当たっていた。報道では、警戒対象は改造自転車を集団で走らせる「チャリ暴走」だったとされている。一方、高校生は運転免許を所持し、ヘルメットを着用し、自身が購入したバイクに乗っていた。沖縄県警は、高校生が暴走行為をしていた事実はないとしている。(*2・*3)
警察官は、前方から走ってきた高校生に「おい、止まれ」と声をかけ、バイクの進路上に入った。そして、警棒を持った右手を高校生の前方に差し出し、警棒を右目付近に衝突させた。高校生は右眼球破裂、右頬骨骨折、右眼窩底骨折、脳挫傷などの重傷を負い、右目を失明した。(*1)
警察官側は、高校生を停止させようとしたものの、バイクが止まらなかったと説明していた。一方、高校生側には停止を求められた認識がなかった。沖縄県警も、高校生には警察官が見えていなかった可能性があると説明している。(*4)
沖縄県警では、夜間の職務質問時に夜光チョッキや警笛などを使用し、車両の進路上から後退して停止の合図を送ることなどが定められていた。しかし、警察官はこれらの装備を使用せず、走行中のバイクの進路上で警棒を持った手を差し出していた。(*1)
事件直後、警察は「警察官とバイクが接触した」と発表したが、警察官が警棒を持っていたことを明らかにしなかった。一方、高校生側は当初から、警察官の警棒によって負傷したと訴えていた。(*4)
事件に関する情報がSNSで拡散した後、沖縄署周辺に多数の若者らが集まり、その一部が警察署や警察車両に投石した。SNSで集まるよう呼びかけた暴力団員は、失明した高校生と面識はないとのこと。(*5)
沖縄県警は2022年11月、警棒を高校生に接触させた一連の行為に故意性があったと判断し、警察官を特別公務員暴行陵虐致傷容疑で書類送検した。(*4)
那覇地検は、故意に警棒を衝突させたことまでは立証できないとして、2023年6月、警察官を業務上過失傷害罪で在宅起訴した。
那覇地裁は2023年12月25日、警察官が夜間用の装備を使用せず、走行中のバイクの進路上で警棒を持った手を差し出した行為について、基本的な注意義務に反する重大な過失があったと認定した。警察官には罰金100万円の有罪判決が言い渡され、その後確定した。(*1)
2026年7月、沖縄県議会は、被害男性本人への損害賠償や保険会社が負担した費用など、総額約9140万円を支払う和解議案を可決した。(*3)
*1 那覇地方裁判所「令和5年12月25日判決(業務上過失傷害被告事件)」
https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-92645.pdf
*2 SmartFLASH「【沖縄高校生失明事件】被害者に続く事実無根の誹謗中傷…『無免許』『盗難車』デマ拡散の異常事態」
https://news.livedoor.com/article/detail/23147328/
*3 琉球朝日放送「高校生失明事件めぐり県議会が約9100万円の和解議案を可決 男性側が会見で『加害者の警察官にも負担を』」
https://www.qab.co.jp/news/20260714299574.html
*4 沖縄タイムス「【沖縄の高校生失明事件】警官による暴行を謝罪 撮影不可だった県警本部の『説明会』を全文公開」
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1051551
*5 琉球新報「沖縄署襲撃、SNSで参集呼び掛けか 暴力団員を逮捕 失明した高校生とは面識なし」
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1648106.html