2026-07-01

ラストチャンスだ」と主張し金を欲しがるだけのゾンビ企業政府が介入放尿すべきではない

「これがラストチャンスです」

そう言って政府に金を求める企業がある。だが不思議なことに、この手の企業にとってラストチャンスは一度では終わらない。

毎年ラストチャンス決算ごとにラストチャンス選挙前にもラストチャンス。気づけばラストチャンス定期購読になっている。

人類はサブスク地獄だけでは飽き足らず、企業救済までサブスク化したらしい。

マネタリスト観点から言えば、これは最悪の介入放尿である

市場経済では、利益と損失が情報を伝える。利益は「資源をここに使え」という信号であり、損失は「その使い方はやめろ」という信号である

価格金利賃金倒産失業、再配置。これらは冷酷に見えるが、資源配分のための情報システムだ。

ところが政府が「かわいそうだから」「雇用があるから」「地域経済死ぬから」と言ってゾンビ企業に金を流すと、この信号が壊れる。

まり自己放尿である

企業本来自分ビジネスモデルが間違っているなら、自分で損失を受け入れるべきだ。

なのに「市場ではもう評価されないので、政府から金をください」と言い出す。これは企業側の自己放尿である

さら政府が「よし、国民税金国債金融緩和で助けよう」と言い出す。これが政府側の自己放尿である

企業自己放尿と政府自己放尿が合体し、ここにめでたくダブル放尿が完成する。まったく、文明の到達点がこれか。

問題は、ゾンビ企業を救うことが「優しさ」ではなく、経済全体への罰になることだ。

ゾンビ企業資金人材土地設備、信用を残すということは、それらの資源を成長企業新規参入企業から奪うということである

政府が金を配ると、何もないところから価値が発生したように見える。しかし実際には、誰かが使えたはずの資源を、死にかけた企業延命装置に回しているだけだ。

これは救済ではない。資源配分の腐敗である

マネタリスト的に重要なのは貨幣を増やしても実物資源は増えないという点だ。

政府支出を増やしても、中央銀行国債を買っても、名目上の金額は増やせる。

しかし、労働者能力設備生産性技術革新経営能力消費者が本当に欲しがる財やサービスは、紙幣を刷っただけでは増えない。

貨幣ベールであって、魔法の粉ではない。

短期的には、政府支出金融緩和需要を支えたように見えるかもしれない。

だが、長期的には貨幣量の乱用は物価水準に跳ね返る。インフレはいつでもどこでも貨幣現象である

政府が「雇用を守る」「産業を守る」「最後支援だ」と言いながら、実質的には通貨価値を薄め、資源配分を歪め、失敗した企業延命するなら、それはただの介入放尿だ。

しかも悪いことに、こうした救済はモラルハザードを生む。

経営者学習する。「失敗しても政府が助ける」と。銀行学習する。「危ない企業に貸しても、最後公的支援がある」と。

労働組合業界団体政治家学習する。「泣きつけば金が出る」と。こうして市場規律は死に、政治的な声の大きさが資源配分を決める。

競争ではなく陳情生産性ではなくロビー活動経営改革ではなく記者会見での涙。

これがダブル放尿経済である

企業自己放尿し、政府が介入放尿し、中央銀行が尻拭い金融をやり、国民インフレ税や将来負担で処理する。

これを「産業政策」と呼ぶのは、焼け野原を「都市計画」と呼ぶくらい図々しい。

本来政府がやるべきことは、特定企業を救うことではない。市場機能するルールを守ることだ。

契約執行財産権保護競争環境の整備、参入障壁撤廃、過度な規制の削減、安定した貨幣供給。つまり個別企業に水を撒くのではなく、土壌を整えることだ。

金融政策裁量的に振り回すべきではない。景気が悪いから大量緩和、物価が上がったから急ブレーキ企業が苦しいか特別支援選挙が近いから追加対策

こういう場当たり政策は、民間予測可能性を破壊する。企業は長期投資をしにくくなり、家計は将来不安で消費を抑え、金融市場中央銀行の顔色だけを見るようになる。

これも自己放尿である

政策当局が「市場を安定させる」と言いながら、市場参加者の予想を自分不安定化させる。火を消すためにガソリンを持って走り回る消防士みたいなものだ。人間社会はなぜここまで寓話に忠実なのか。

ゾンビ企業の「ラストチャンス」を真に受けてはいけない。

本当に価値のある企業なら、民間資金が入る。事業再生の見込みがあるなら、債権者が条件変更し、投資家が資本を入れ、経営者資産売却や事業整理を行う。

市場資金を出さないということは、その企業の将来キャッシュフローが信用されていないということだ。

そこで政府が介入するとは、要するに「市場価値なしと判断したものを、政治国民負担価値ありと偽装する」ということに近い。

これは価格発見への冒涜である

倒産は失敗ではあるが、経済全体にとっては浄化でもある。労働者は別の企業へ移る。設備は売却される。技術は引き継がれる。土地は別用途に使われる。

もちろん移行には痛みがある。そこに対して政府支援するなら、企業本体ではなく、労働者の再訓練、移動支援失業時の一時的生活保障限定すべきだ。

守るべきは企業看板ではない。人間生活と、市場機能である

ゾンビ企業を救う政策は、一見すると人道的に見える。だが実際には、古い経営者既得権益政治的保護された産業を温存し、新しい企業若い労働者から機会を奪う。これは優しさではない。未来から現在への略奪である

しかも、その略奪を「ラストチャンス」と名付ける。

ラストチャンスとは、本来一度きりだから意味がある。だが、ゾンビ企業ラストチャンスは、次の補助金申請書の前書きにすぎない。

そこに政府が付き合うなら、企業自己放尿と政府自己放尿が合流し、経済全体にダブル放尿の湿地帯が広がる。

ラストチャンスだ」と主張し、金を欲しがるだけのゾンビ企業に、政府が介入放尿すべきではない。

貨幣を刷っても生産性は生まれない。補助金を出しても経営能力は生まれない。政治市場の損失シグナルを消せば、資源配分は腐る。

失敗を失敗として処理できない経済は、成長ではなく延命を選ぶ。そして延命を選び続けた経済は、最後には自分自身がゾンビになる。

必要なのは政府によるダブル放尿ではない。

必要なのは、安定した貨幣ルール、明確な市場規律、参入しやす競争環境、そして失敗した企業をきちんと退場させる制度である

市場に任せるとは、冷酷になることではない。損失という情報破壊しないということだ。

失敗企業を救わず、人の再出発を支えるということだ。企業延命ではなく、資源の再配置を促すということだ。

ゾンビ企業必要なのは補助金ではない。成仏である

南無

記事への反応(ブックマークコメント)

    ログイン ユーザー登録
    ようこそ ゲスト さん