性犯罪者マップが公開された場合、名字が載ることによって、まったく関係のない人が疑われる可能性は非常に現実的だ。たとえば、マップに「東海林(しょうじ)」という名字が記載されていたとして、同じ名字の人がたまたま自分の職場にいたとする。すると、「え?この名字、マップに載ってたやつと一緒じゃん…」「全国にそんなにいないよね?」と、根拠も確認もなく“関係者認定”する人が出てくる可能性は十分にある。
その時点で、東海林さん本人が何をしていようが、どんな人柄であろうが関係ない。ただ名字が一致したというだけで、「なんか前からちょっと無口だったし」「私、最初からあの人怪しいと思ってたんだよね」と、記憶を都合よく捏造するような人間が現れ、職場や知人の間で疑念が広まっていく可能性がある。
そして問題はここから。もしその東海林さんが「自分は全く関係ない」とはっきり否定したとしても、「そんなに強く否定するって逆に怪しくない?」という声が上がる可能性がある。これがいわゆる悪魔の証明の地獄ルートだ。つまり、「関係がないことを証明してみろ」と無茶な要求をされるが、それを証明する手段なんてない。どれだけ否定しても、「でも本当は…」という疑いは晴れず、関係がないことを証明する責任を押し付けられる形になる可能性が出てくる。
しかもこうした話は、職場内の人間関係や評価にまで悪影響を及ぼす可能性がある。「あの人、ちょっと避けた方がいいかも」「なんかトラブルに巻き込まれたら嫌だし」といった空気が形成され、昇進や配置にまで響くような事態すら招きかねない。全くの無関係であるにもかかわらず、「数百人しかいない名字」という情報と、周囲の無責任な憶測が掛け合わさることで、ひとりの人間の人生がねじ曲げられる可能性がある。
このような状況が実際に起こる可能性は、昨今のSNSやネット社会を見ていれば容易に想像できる。名字の一致だけで「関係があるかも」と拡散され、あっという間に噂が事実のように扱われる。それが例え完全な勘違いであっても、一度疑いをかけられた人は、そのあともずっと「本当に無関係だったのか?」という視線を受け続ける可能性がある。
要するに、性犯罪者マップという制度は、正しく使われれば防犯に役立つかもしれない。しかし、それを見る側に「名字が一致しただけで関係を疑う」という人が存在する可能性を無視すれば、情報が無関係な人への圧力や被害を生む構造に変わってしまう。そのリスクは、制度の設計段階で真剣に検討されるべきだし、「バカな人はいない前提」で進めるような甘い見通しでは到底済まされない。