第41回新築持ち家で「美しい風景」 渡米に原点があった宮沢喜一の住宅政策

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連載「宮沢喜一日録 戦後政治の軌跡」 インタビュー

 宮沢喜一元首相(1919~2007)が40年間書き続けた政治行動記録「宮沢喜一日録」の解読が、朝日新聞と共同研究を続けてきた研究者グループによって進められています。メンバーで、都市行政や住宅政策、現代日本政治分析の第一人者である砂原庸介・神戸大教授に、「日録」から新たに見えてきたことの一端を語ってもらいました。(敬称略、聞き手=池田伸壹)

 宮沢喜一といえば、終戦直後の占領軍との交渉から首相時代のPKOまで、国際派で外交に関する逸話が多いです。しかし、意外に思われるかもしれませんが、社会政策、特に住宅政策にも関心を持っていました。

 宮沢にとって住宅は思い入れのある課題だったようです。戦前に日米学生会議の一員として訪米した際に、立派な住宅が印象に残り、国力の差を痛感したと繰り返し述べています。

「平河会」の提言

 宮沢が住宅について議論する場となったのは、派閥横断の政策集団として1973年に作られた「平河会」でした。中核メンバーは後に厚相や蔵相を歴任する、当時田中派の衆院議員だった林義郎。林芳正官房長官の父です。そして重要なのが事務局長の麓(ふもと)邦明です。共同通信の政治記者でしたが、田中角栄の秘書になり、田中の都市政策大綱のとりまとめなどをした後、平河会に移っています。

 日録によると、平河会は73…

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連載宮沢喜一日録 戦後政治の軌跡(全43回)

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