第7回72歳で首相就任「遅すぎた」 補佐官型の政治家、宮沢喜一の権力観
御厨貴さん・原彬久さん対談
約40年にわたって「日録」を書き続けた宮沢喜一元首相は、早熟な政治家と言われながら首相に就任したのは72歳のときだった。どうしてだったのか。御厨貴さんと原彬久さんの議論は、宮沢氏独特の権力観へと向かう。
――宮沢さんは知米派でありリベラル派とも言われました。
御厨 そこは実は複雑です。占領下の米軍との交渉については、いくらお尋ねしても「皆さんにお話しするようなことは何一つございません」と拒絶しました。宮沢さんは、占領期の対米交渉については、1956年に「東京―ワシントンの密談」という本を刊行しています。あそこで記した以外の部分があり、それは書いてない。宮沢さんの中で、占領期というのは複雑な複合体なのです。「若い学者たちがサンフランシスコ講和で日本が良くなったとか、日米のわだかまりがほぐれたとか書いているのを見ると、自分としては本当に心外だ。サンフランシスコ講和ぐらい屈辱的だったことはない」と言いました。大日本帝国の元官僚として、戦勝国にあれこれ言われるのが嫌だったのかもしれない。東条英機内閣(1941年10月~44年7月)で閣僚を務めた元外相の重光葵(まもる)(1887~1957)とか元首相の岸信介(1896~1987)のようにGHQ(連合国軍総司令部)に追放されて戻ってきた人たちが、占領は屈辱だったというのはよく分かるのですが、宮沢さんが言うのは、すごく意外ですよ。
宮沢喜一元首相が40年間にわたって政治行動を記した「日録」が見つかりました。 宮沢氏を直接知る2人の政治学者、御厨貴さんと原彬久さんによる「日録」をめぐる対談を3回にわけてお届けします。記事後半では対談の様子をじっくり聞ける動画もあります。
原 確かに、太平洋戦争は(…











































































