描くことで、悪夢を抜け出した 国際通年企画「はたらく世界地図」(1)フランス編 風刺漫画家たちの10年

編集会議はいつものように談論風発だった。風刺漫画家のコリンヌ・レイ(通称ココ)は、携帯の時計を見た。保育園に娘を迎えに行く時刻だ。ココは身支度を整え、そっと編集部を出る。「さよなら」は告げなかった。

2015年1月7日、パリ中心部の風刺週刊紙シャルリエブド本社。ココが編集部から階段を下りると、男2人と出くわした。覆面姿、手に自動小銃。「編集長はどこだ。シャルリへ案内しろ」。ココは凍り付いた。
拒むことは不可能だった。銃口を向けられ「編集長か、おまえかだ」。編集部へ戻り、震える指で入り口の暗証番号を押す。ドアが開き、男たちが飛び込んだ。銃声、また銃声。何が起きたかはすぐに分かった。そこから先の記憶は、ない。
▽理想の職場
イスラム教預言者ムハンマドの風刺画を載せた週刊紙が、国際テロ組織「アルカイダ」を名乗る兄弟に襲われ、編集長や漫画家ら12人が射殺されたシャルリエブド事件は、世界を震撼(しんかん)させた。
事件後、パリの広場には犠牲者への連帯と表現の自由を訴える「私はシャルリ」のプラカードがあふれた。一方で預言者を冒涜(ぼうとく)した週刊紙が「復讐(ふくしゅう)」に遭うのは自業自得と冷笑する声もあった。
国内外に論議が広がったが、シャルリエブドで働く者にとって、事件はつい先ほどまで一緒にいた仲間が、一瞬にして無残に殺された悪夢以外の何ものでもない。

「事件は人生を根底から変えてしまった」。2025年9月、43歳になったココは、そう振り返った。
漫画を描くのは、小学生の頃から得意だった。先生の似顔絵を描くと、友人たちが噴き出した。シャルリエブドとの出会いは、美術学校の恩師の一言だ。描いた漫画を見て「インターン先をシャルリにしては」。1カ月の研修後、新人漫画家として採用された。
「先輩たちはインテリで鋭かった。でもふざけるのも好き。活気があって、理想の職場だった」
ココは、シャルリが自分を一人前に育ててくれたと感じている。だからこそ「自分が犯人を編集部に入れた」という自責の念に押しつぶされた。「他に方法はなかったか」と自問し、心理療法士に何度も通った。
▽最良の治療法
現在、シャルリエブドの発行責任者を務めるローラン・スリソー=通称リス=(59)は事件の日、編集部の床で息を潜めていた。犯人に右肩を撃ち抜かれたが、一命を取り留めた。「今でも時々、恐怖がよみがえるよ」と表情を曇らせる。

けがが癒える間もなく、ベテラン漫画家だったリスは難題に突き当たった。事件の1週間後に発行された特別号は、国外を含めて約800万部を売り上げた。だが、多くの同僚が殺された中で、これからも発行を続けられるのか。
「生き残った者はぼうぜんとしていた。目標を見失っていた」。約1カ月後、リスは全員を集めて問いかける。「週1回発行は可能か」。9割が「やろう」と答えた。
「フランスで、風刺週刊紙がテロで廃刊に追い込まれるなんてあり得ない。テロリストを勝たせるわけにはいかない」
だが、編集部の再出発は難航を極めた。新たに漫画家を雇おうとしても尻込みされる。家族に「シャルリを辞めて」と懇願され退社する者もいた。事件後、スタッフの8割が入れ替わった。現在はウェブ版5万部、店頭売り1万8千部まで復調したが、リスは「この10年は、20年にも感じた」と労苦を語る。

リスは、テロを経験した同僚がトラウマを乗り越えられたのは、毎週の締め切りに合わせ描き続けたからだと思っている。「感じたことを表現する。これが最良の治療法だった。シャルリのせいで殺されたが、シャルリのおかげで生き延びることができた」
▽「突っ走れ!」
ココもまた、描くことで悪夢を抜け出した。20年、事件の裁判に証人として出廷を求められ、あの日のことを漫画本にしようと思い立った。
「これまで胸の奥に封印した嘆きを、法廷で話せるようになりたい。でも予想以上につらい作業だった」。描きながら泣いた。そのうち悲劇から少し距離を置けたと感じた。本は「また描く」という題で出版された。
「風刺とは、疑いを喚起することだ」とリスは語った。どんな宗教も信仰対象への疑いは許さない。硬直した教義に疑いを差し挟み、笑いに変える。笑いは時空を超え、普遍的だと言う。「食欲に似ている。テロを経験した後も食べずにいられないように、笑いを捨てることも無理なんだ」
2人に目の前で漫画を描いてもらった。10分ほど黙考した後、一気にペンを走らせる。ココは海に浮かぶ「シャルリ」号に大波が迫るシーンを描いた。ココとおぼしき女性が「船長、時事問題の波が来ます」と叫ぶ。船長役のリスが答える。「ひるむな。突っ走れ!」

【取材後記】ボディーガード
シャルリエブド発行責任者のリスは、2人の屈強な男に付き添われてインタビューの場に現れた。テロの標的になり得る要警護対象者として、常にボディーガードを帯同するのだという。
「最後に地下鉄に乗ったのは、2015年1月7日。あの事件が発生した日だよ」と、苦笑いを浮かべる。移動はいつも、ボディーガードが運転する車だ。「混雑する場所では、安全を保てないと言われるんだ」
パリ市内と目される編集部の住所も「厳秘」扱い。インタビューは、指定されたインテリアデザインの店で行われた。笑いを生み出す仕事の裏にある、緊張した日常が垣間見える。
(敬称略、筆者は共同通信編集委員・軍司泰史、写真は共同通信契約カメラマン・沢田博之=年齢や肩書は2026年1月7日、新聞用に配信した当時のものです)
























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