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辻村みちよ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
辻村 みちよ
辻村 みちよ像
1948年(昭和23年)
生誕 (1888-09-17) 1888年9月17日[1][2]
日本の旗 日本 埼玉県足立郡桶川町(現・桶川市
死没 (1969-06-01) 1969年6月1日(80歳没)[1][2]
日本の旗 日本 愛知県豊橋市
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 農学
研究機関 理化学研究所など
出身校 東京帝国大学
主な業績 緑茶の化学成分に関する研究
主な受賞歴 日本農学賞
勲四等宝冠章
プロジェクト:人物伝
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辻村 みちよ(つじむら みちよ、1888年明治21年〉9月17日[1][2] - 1969年昭和44年〉6月1日[1][2])は、日本農学者“日本初の“女性農学博士[1][2][3][4][5]お茶の水女子大学教授を経て、実践女子大学名誉教授。茶カテキンを初めて分離するなど、緑茶の化学成分に関する研究で知られる[1][2][3]。1968年勲四等宝冠章受章。位階は従五位[4]

来歴

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1888年(明治21年)、埼玉県足立郡桶川町(現・桶川市)に生まれる[3][4]東京女子高等師範学校理科卒業[6]。高等女学校・女子師範学校教諭を経て、北海道帝国大学農芸化学科への入学を希望するが、当時はまだ同大学では女子の受け入れを行っておらず、無給副手として同学科食品栄養研究室に入り[3][4][5]、主にの栄養についての研究を行う[3][4]。その後、東京帝国大学医学部医化学教室に異動するが、1923年大正12年)の関東大震災により同教室が全焼したため、やむなく理化学研究所に研究の場を移す[3][4]。同研究所鈴木梅太郎研究室では、三浦政太郎との共同研究[7]で緑茶にビタミンCが多く含まれていることを発見する[3][4][5]。この発見は北米向けの日本茶輸出拡大をもたらした[3][4]。緑茶に含まれる化学成分の研究はさらに進み、緑茶中のカテキンの発見やタンニンの化学構造を決定するなど[3][4][5]、傑出した研究成果を出す。これらの成果をまとめた論文「緑茶の化学成分について」によって、1932年昭和7年)日本における女性農学博士第1号となった[1][2][3][4][5]戦後は、お茶の水女子大学[8]実践女子大学などで後進の指導・育成にあたりながら、晩年まで研究活動を続けた[1][2][4]

略歴

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  • 1909年 - 東京府女子師範学校卒業。東京女子高等師範学校理科入学[3]
  • 1913年 - 東京女子高等師範学校理科卒業。横浜高等女学校教諭[3]
  • 1917年 - 埼玉女子師範学校教諭[3]
  • 1920年 - 北海道帝国大学農芸化学科副手。食品栄養研究室に入る[3][5]
  • 1922年 - 東京帝国大学医学部医化学教室に異動[3]
  • 1923年 - 関東大震災で医化学教室が全焼、理化学研究所に移る。研究生となり鈴木梅太郎研究室に入る[3]
  • 1924年 - ビタミンCの研究を始める。三浦政太郎と共同で『緑茶中のヴィタミンCに就て』を日本農芸化学会誌に報告[3]
  • 1929年 - 緑茶からカテキンを初めて分離[3]
  • 1930年 - 緑茶からタンニンを無定形にて分離[3]
  • 1932年 - 東京帝国大学から博士号取得。日本初の女性農学博士となる[3]
  • 1934年 - 緑茶からガロカテキンを得る[3]
  • 1935年 - 緑茶からタンニンを結晶で取り出す。植物から結晶ビタミンCを製造する方法を特許取得[3]
  • 1942年 - 理化学研究所副研究員[3]
  • 1946年 - 女子学習院講師[3]
  • 1947年 - 理化学研究所研究員[3]
  • 1949年 - お茶の水女子大学教授[3]
  • 1950年 - 東京女子高等師範学校教授を兼任。お茶の水女子大学初代家政学部長[3]
  • 1955年 - お茶の水女子大学退官。1961年まで同大学非常勤講師。実践女子大学教授[3]
  • 1963年 - 実践女子大学定年退職。実践女子大学名誉教授[3]
  • 1969年 - 6月1日、愛知県豊橋市の姪の家にて80歳で逝去[3]従五位に叙される[4]

受賞・受章

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著作

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図書

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  • お茶の水女子大学家政学部編 編『基礎実験』岩崎書店〈家政学実験講座 1〉、1955年3月。 NCID BN06971154 
  • お茶の水女子大学家政学部編 編『食品化学と調理』岩崎書店〈家政学実験講座 2〉、1955年10月。 NCID BN06972452全国書誌番号:53003284 
  • 「茶の話」『食生活の科学』文雅堂書店〈新女性ライブラリー〉、1958年9月、83-135頁。 NCID BA61753323全国書誌番号:58012249 

論文

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博士論文

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資料目録

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  • 『辻村みちよ資料目録』お茶の水女子大学ジェンダー研究センター、2003年3月。 NCID BA78000997 

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 辻村みちよ」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E8%BE%BB%E6%9D%91%E3%81%BF%E3%81%A1%E3%82%88コトバンクより2021年9月18日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g h 辻村 みちよ」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E8%BE%BB%E6%9D%91%20%E3%81%BF%E3%81%A1%E3%82%88コトバンクより2021年9月18日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 辻村みちよ”. お茶の水女子大学. 2021年9月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 辻村みちよ 生涯と業績”. お茶の水女子大学. 2021年9月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 埼玉ゆかりの偉人 - 辻村 みちよ”. 埼玉県. 2021年9月18日閲覧。
  6. ^ 『東京女子高等師範学校・第六臨時教員養成所一覧 自大正3年4月至大正4年3月』東京女子高等師範学校、1914年9月21日、208頁。NDLJP:939497/113 
  7. ^ 安武鋭雄 編『医事衛生年鑑 大正15年』日本医事新報社、1926年2月25日、629頁。NDLJP:985256/328 
  8. ^ 『官報』第6886号、昭和24年12月24日、p.307.NDLJP:2963429/6

関連項目

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外部リンク

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