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板倉勝氐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
板倉勝氐
時代 江戸時代後期
生誕 天明8年3月6日1788年4月11日
死没 文化2年12月8日1806年1月27日
改名 輝之進、勝氐
戒名 永崇院殿南山源寿大居士
墓所 愛知県西尾市貝吹町の長圓寺
官位 従五下主水佑織部正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
備中庭瀬藩
氏族 板倉氏
父母 板倉勝喜:不詳
兄弟 勝並勝豊勝氐勝資勝貞阿部正信正室
養子:勝資
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板倉 勝氐(いたくら かつもと)は、江戸時代後期の大名備中国庭瀬藩の第6代藩主官位従五下主水佑織部正。重宣系板倉家7代。

略歴

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第5代藩主・板倉勝喜の3男として誕生。幼名は輝之進。

板倉勝氐の墓(西尾市・長圓寺)

兄の勝並勝豊が病弱だったため世子となり、享和3年(1803年)11月7日に父の隠居により跡を継いだ。しかし、2年後の文化2年(1805年)12月8日に18歳で早世し、跡を弟の勝資が継いだ。法号は永崇院殿南山源寿大居士。墓所は愛知県西尾市貝吹町の長圓寺