延暦22年(803年)従五位下・中衛権少将に叙任されると、同年7月に春宮権亮、翌延暦23年(804年)春宮亮を兼ねて、桓武朝末に同い年である皇太子・安殿親王に側近として仕えた。大同元年(806年)安殿親王が即位(平城天皇)すると、同年従五位下から一挙に従四位下まで昇叙されて近衛中将に任官するなど、急速な昇進を果たす。平城朝では近衛中将のほか内蔵頭・中務大輔などの要職を兼帯し、天皇の側近として近侍した。 大同4年(809年)4月に嵯峨天皇が即位すると山陰道観察使として公卿に加わる。一方で、同年11月には左馬頭・藤原真雄、左少弁・田口息継、左近衛少将・藤原貞本らとともに平城京に建設する宮殿の敷地占定を行い[1]、大同5年(810年)正月には造平城宮使に任ぜられるなど、他の平城上皇の腹心とともに上皇が平城京に移るための業務を担当した。同年、正四位下・参議(観察使制度廃止による)に叙任される。 同

