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はてなキーワード: 意識とは

2026-07-19

anond:20260719115833

する側の意識なんてどうでもいいんだよ

場所が荒らされるのが荒らしだろう

高市じゃなければ誰がいいんだ、自民党じゃなければどこだ、他人の答えにのっかり民主主義維持や改善努力をせず「なんかよさそうなもの提示されたらのっかってもいいですけど~?」という態度の日本人たち、そりゃ政権批判継続してデモ独裁政権を弾劾してきた韓国人たちに政治民主主義経済身長も負けるわけだよ。恥ずかしい。少しは自分主権者だという意識をもてよ

現代社会結婚というライフスタイルに向いている人はどれくらいいるんだろう?

結婚といえば共同生活である

共同生活をするということは自分以外の人間協調して生活をすることになる。

例えば、週に1〜2回掃除機をかける人と、毎日掃除機をかける人が一緒に暮らすとどちらかに合わせる、または、お互いに妥協したところで折り合いをつけることになる。

こういった違いが積み重なり、上手く折衝できないとストレスが溜まっていく。折衝できたとしても摩擦は発生する。

日々のコミュニケーションでも意識の違いや表現の拙さが積み重なって揉める。

1日の半分は仕事だ。仕事では組織ヒエラルキーに合わせて自分コントロールして、そして家に帰ってもコントロール必要だ。

こんな重労働はよっぽどエネルギーがあり、社会スキルが高くないとやってられない。

または、結婚というライフスタイルに適合した人じゃないと難しいものと思われる。

技術や発展し、社会も変化して、一人でも生きようとすれば可能なこの時代、どれくらいの人が結婚に向いているんだろうな?

2026-07-18

dorawii@新刊発売(予定)

からまず甘えてるって何に対してそう表現してるのかがわからん。俺には自分が甘えてるかどうか自体の(目的)意識が無いし。



dorawiiより


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自由は、一度の到達で得られる「トロフィー」や外的環境ステータスの獲得ではなく、日々磨き続ける 「スキル

自由とは、

一度手に入れたら終わり、というものではなく、**日々意識的に鍛え、守り、深めていかないと、すぐに錆びついたり萎んだりする**生き物です。

### なぜ「スキル」なのか

### 日常で磨くための具体的な「トレーニング

1. **小さな不自由から脱出**:毎日1つ、「これやってるのは本当に自分意志か?」と自問する。

2. **情報摂取自由**:アルゴリズム飼育されないために、意図的情報源を多様化し、反対意見にも触れる。

3. **時間所有権**:自分時間を誰かに「消費」されるままにしない。たとえ1日30分でも、「自分だけの時間」を死守する。

4. **経済的自由微積分**:大きな資産形成ではなく、まずは「今日支出のうち、自分の本当に大事ものに使った割合」を意識する。

自由トロフィーだと思っている人は、しばしば次のステージ挫折する。

そこで「思ったより自由じゃない…」と感じるのは、**自由を扱う筋肉がまだ弱かった**からです。


dorawii@新刊発売(予定)

スマホ広告には画面の一部(多くは下端)を乗っ取る、いや最近の話じゃないかもしれないけど、時間経過やスクロールしただけで表示が切り替わってしまものがあるが、少なくともエロ漫画CG集については買わせる効果が半減しているのではないか更新を伴うスクロール操作もあるがそうじゃない場合でも起こる。

ふと一瞬でこれ抜けそうと目を奪われた広告があって、次の瞬間にその偶発的な切り替えが起こることがある。その後何回切り替えが起こるのを待っても同じ広告が出ない。

うそ漫画に囚われてしまってそれがしばらく続いてしまい他の広告が出てもそれで購買意欲が掻き立てられる精神的余裕がなくなってて、やくさっきの広告が出ろってことにしか意識が行かない。

もっと一つ一つ確実に広告内容を見せるやり方のほうがいいと思うんだけど?


dorawiiより


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anond:20260718141606

ただヨーロッパとかでもキリスト教以前の大地の神とか女神多いんだよね

女神というのが人類アーキタイプというのはあるんじゃないかと俺は思ってる

アフリカから出た時点の人類共通意識というのは論理的に考えてもあるはず

anond:20260718112657

とても共感する

しかしながら凡人がそれをいうと非難されがちではある

プルゴリ営業マン美女しか選ばない

男も美女と並び立てるよう美意識高く容姿を整えねばならぬ

周囲の非難を気にしないならアリ

2026-07-17

anond:20260717223634

男女平等意識が浸透してなかっただけやん

(下に追記あり

カラオケ屋で、部屋に新聞紙を敷いて、コンビニ弁当食べてるおじさんがいる。

よく見かける。

扉を開けてるから、見えちゃうんだよな。

何しにきてるのか謎なんだよ。

カラオケ歌ってそうにないし

ひたすら弁当食べてる

電気もつけずに

迷惑おじさんだと思う



追記

のぞきって言うけど、扉開いてるから意識しなくても勝手に見えちゃうんだよ

カラオケの部屋って扉普通使ってる時は閉めるんだよ?知ってる?

それが開いてて、暗いのに中に人がいるんだよ

カラオケディスプレイの光だけがおじさんを照らしてるんだよ

それでさ、新聞を部屋一面に敷いてるから怖いんだよ

一面にだよ?何十枚と使ってる

意味不明すぎるんだよ

扉閉めてるならいいよ

開けてて、新聞敷き詰めて、電気つけずに暗い部屋で、おじさんが弁当だけ食ってる

かなり異様なんだよ

それが何度もある

違法ではないけど、怖いんだって

なんだよ勝手ネット晒したって、相手個人特定できないんだからいいだろ

こんなことも書いちゃダメなのか?

どうでもいい日記

7月1日(水)曇りときどき小雨

今日から7月特に何も変わらないんだけど、カレンダーが1枚めくれるだけでちょっと気持ちが変わるのは不思議だ。朝起きたら6時58分だった。7時に起きようと思っていたので、2分早く起きられたことに謎の満足感を覚える。別に2分早く起きたところで何がどうなるわけでもないのに。

コンビニでいつものように鮭おにぎりを買おうとしたら、鮭が売り切れていて、仕方なく昆布にした。昆布おにぎりって、子供の頃は苦手だったのに、大人になってから急に美味しく感じるようになった。舌が変わったのか、それとも塩気の感じ方が変わったのか。多分どっちもだと思う。レジのお姉さんが「温めますか」と聞いてきたけど、おにぎりは温めないので「大丈夫です」と答えたら、なぜか少し気まずい空気になった。おにぎりを温める人もいるのかもしれない。今度試してみようかな。いや、多分試さない。

会社に着いたらパソコンの起動が異常に遅かった。Windows Updateが走っていたらしい。5分くらいぼーっと画面を眺めながら、こういう時間って人生でどれくらい積み重なっているんだろうと考えた。多分合計したら何日分にもなる。何日分もの人生を「読み込み中」の画面に捧げているのかと思うと、少し虚しくなったけど、別にどうしようもないのでコーヒーを淹れに行った。

お昼は同僚と近くの定食屋に行った。日替わり定食が鯖の味噌煮だった。鯖の味噌煮は好きなんだけど、骨が多いイメージがあって身構えてしまう。今日は割と骨が少なくて、安心して食べられた。同僚が「最近暑くなってきたね」と言うので「そうですね」と返した。この会話、多分1年に50回くらいしている気がする。季節の変わり目には必ず誰かが「暑くなってきた」「寒くなってきた」と言い、それに対して「そうですね」と返す。この儀式のようなやりとりに、何か意味があるんだろうか。多分ないけど、ないなりに大事な気もする。

夕方、雨がぱらついてきたので傘を差した。折りたたみ傘を持っていたのは我ながら偉かった。天気予報ちゃんと見ていたからだ。天気予報を見て傘を用意できた日は、なんとなく1日の勝率が上がる気がする。逆に傘を忘れて雨に降られた日は、その後もなんとなく調子が悪い。因果関係はないと思うけど、そういう気がしてしまうのは仕方ない。

夜、お風呂に入りながら、今日1日で自分が何を成し遂げたかを考えてみたけど、特に何も思いつかなかった。メールを何通か返信して、会議に1つ出て、資料を少し直した。それだけと言えばそれだけなんだけど、多分こういう「特に何もない日」の積み重ねが生活というものなんだろうなと思う。湯船に浸かりながらそんなことを考えていたら、のぼせてきたので出た。

7月2日(木)晴れ

昨日ののぼせのせいか、朝からちょっとだるかった。それでも起きて、いつも通り顔を洗って、歯を磨いた。歯磨き粉のチューブがそろそろ終わりそうで、最後の方は絞り出すのに苦労する。あの「もう終わりかけの歯磨き粉を絞る作業」って、地味にストレスが溜まる。新しいチューブに変えたときの、あの気持ちよさといったらない。ニュルッと簡単に出てくる感じ。人生の小さな喜びの一つだと思う。

今日洗濯物がよく乾く天気だった。ベランダに干した洗濯物が風にはためいているのを見ると、なんとなく気分が良くなる。特に理由はないんだけど、白いシャツが風になびいているのを見ると「いい1日になりそうだ」という謎の予感がする。実際にいい1日になるかどうかは別として。

電車の中で、前に座っていたおじさんがずっとスマホパズルゲームをしていた。カラフルブロックを消すやつ。おじさんの指の動きがすごく速くて、なんだかプロフェッショナル雰囲気があった。世の中には色んな「極める」がある。パズルゲームを極めるおじさんもいれば、将棋を極める人もいるし、たこ焼きの焼き加減を極める人もいる。それぞれの人がそれぞれの世界でそれぞれの熟練度を持っているというのは、考えてみると面白い

会社では、給湯室でお茶を入れているときに、隣の部署の人と少し話した。「最近暑いですよね」からまり、「そうですね、まだ7月なのに」という展開になり、「これから8月とか、どうなっちゃうんでしょうね」で締めくくられた。この会話のテンプレート、本当によくできていると思う。誰でも参加できて、誰も傷つかず、特に何の情報も生まれない。ある意味完璧コミュニケーションだ。

休みに、スマホ特に見る予定もなかったニュースサイトをだらだら見ていたら、30分くらい経っていた。何を読んだか、あまり覚えていない。多分どうでもいい記事ばかりだったんだと思う。でも、こういう「何も生み出さない30分」も、休憩としては必要なんだと自分に言い聞かせている。

夜ご飯は、冷蔵庫にあるものだけで何とかしようと思って、野菜炒めを作った。もやしキャベツにんじん、あと少しだけ残っていた豚肉特に美味しくもまずくもない、普通野菜炒めができた。こういう「普通」の料理ができるようになったのは、一人暮らしを始めてからの成長かもしれない。最初の頃は、何を作っても謎に味が濃かったり薄かったりしたから。

7月3日(金)晴れのち曇り

金曜日は、朝から少しだけテンションが上がる。理由は単純で、明日から休みからだ。この「金曜日効果」は、社会人になってから何年経っても薄れない。むしろ年々強くなっている気さえする。

朝の電車で、席が1つだけ空いていたので座った。座れるとやっぱり嬉しい。座れた日は、なんとなくその日1日がいい日になる気がする。これも昨日書いた「傘の勝率」と同じ現象かもしれない。人間は、朝のちょっとした運不運に、その日全体の気分を左右されがちなんだと思う。

会社では、午後にどうでもいい会議があった。議題は「来月の飲み会の日程調整」。これのために30分の会議を設定するのは、ちょっとやりすぎな気もするけど、誰も文句を言わないので、そのまま進んだ。結局、候補日を3つ出して、後日アンケートを取ることになった。会議で決めたことは「後で決める」ということだけだった。こういう会議、実は世の中に結構多いんじゃないかと思う。

夕方、退勤時に、エレベーターで一緒になった知らない人と、なんとなく気まずい沈黙を共有した。1階から10階分くらい、無言でエレベーターに乗るのって、地味に緊張する時間だと思う。スマホを見るふりをしながら、階数表示を横目でチラチラ確認する。あの時間だけ特別時間の流れが遅く感じる。

夜は、久しぶりに友達電話した。特に用事があったわけじゃなくて、「最近どう?」から始まる、内容のない長電話。1時間くらい話したけど、話した内容を思い出そうとしても、断片的にしか覚えていない。友達会社上司が変な人だという話、最近見た映画の話、あと猫の話。それくらいしか覚えていないけど、多分こういう「内容を覚えていない長電話」こそが、いい友達関係の証なんじゃないかと思う。用事がなくても話せる関係というのは、実はそんなに多くない。

7月4日(土)晴れ

休日の朝は、目覚まし時計をかけていないのに、なぜか平日とほぼ同じ時間に目が覚める。体内時計というのは律儀なものだと思う。もっと寝ていたいのに、目が覚めてしまう。二度寝しようとしたけど、結局スマホを見てしまい、そのまま起きることになった。

今日特に予定がなかったので、部屋の掃除をすることにした。掃除機をかけて、床を拭いて、あと本棚を整理した。本棚の奥から、もう何年も読んでいない本が何冊か出てきた。学生の頃に買った参考書とか、一度読んで満足した小説とか。捨てるかどうか迷ったけど、結局「いつか読むかもしれない」という気持ちに負けて、そのまま棚に戻した。多分このまま一生読まないんだろうけど、捨てる決断をするのも、それはそれでエネルギーがいる。

昼過ぎに、久しぶりに近所の商店街を歩いた。八百屋のおじさんが「今日きゅうりが安いよ」と声をかけてきたので、特にきゅうりを買う予定はなかったけど、なんとなく買ってしまった。5本で150円だった。安い。家に帰ってから、5本のきゅうりをどう消費するか考えることになったけど、それはそれで悪くない悩みだと思う。

午後は、テレビをつけっぱなしにして、特に集中して見るわけでもなく、なんとなく画面を眺めながらだらだら過ごした。バラエティ番組で、芸能人が知らない街を歩いて美味しいものを探すという企画をやっていた。こういう番組、内容はほぼ毎回同じなのに、なぜか見てしまう。多分、他人が知らない街を歩いているのを見るのが、単純に楽しいんだと思う。自分は歩かなくていいという安心感もある。

夕方、買ってきたきゅうり浅漬けにした。塩もみして、しばらく置くだけの簡単なやつ。冷蔵庫で冷やして、夜ご飯ときに食べたら、思ったより美味しくできていて、ちょっと得意な気持ちになった。人間、こういう小さな成功体験の積み重ねで、意外と機嫌よく生きていけるものだと思う。

7月5日(日)曇り

日曜日は、なんとなく1週間の中で一番時間の流れが遅い気がする。朝起きて、特に何もしなくていいという状態が、逆に何をしていいかからなくさせる。結局、布団の中でスマホを見ながら1時間くらい過ごしてしまった。

昼前に、思い立って近くの公園まで散歩に行った。公園には、子供たちが遊具で遊んでいて、お母さんたちがベンチで話をしていた。犬を連れて散歩している人も何人かいた。柴犬トイプードル、あと名前が分からない小型犬。犬というのは、種類が違っても、みんな同じくらい楽しそうに歩いているように見える。それがちょっと羨ましい。

公園のベンチに座って、しばらくぼーっとしていた。特に何も考えていなかったと思う。強いて言えば、木の葉っぱが風で揺れる音を聞いていた。ああいう「何も考えない時間」というのは、意外と貴重なんじゃないかと思う。普段は常に何かを考えているから、頭が休まる時間がなかなかない。

夕方日曜日特有の憂鬱じわじわとやってきた。いわゆる「サザエさん症候群」というやつだ。特に明日仕事に大きな問題があるわけではないのに、なんとなく気分が沈む。この現象、多分ほとんどの社会人経験しているんじゃないかと思う。日曜日夕方6時くらいから、テレビから国民アニメ主題歌が流れてくると、条件反射的に憂鬱になる。パブロフの犬みたいなものだ。

夜、明日の準備として、シャツアイロンをかけた。アイロンをかける作業は、地味だけど、なんとなく心が落ち着く。シワが伸びていく様子を見ているのが、単純に気持ちいい。無心になれる作業の一つだと思う。アイロンをかけながら、来週のことをぼんやり考えた。特に大きな予定はないけど、水曜日歯医者の予約が入っていることを思い出して、少し憂鬱になった。

7月6日(月)雨

から本降りの雨だった。月曜日に雨が降ると、なんとなく1週間の始まりとしてはハードモードだと感じる。傘を差して、濡れた靴下のまま会社に行くのは、地味に不快だ。靴の中に水が入ってくる、あの感覚。防水の靴を買おうかと何年も思っているけど、結局買わないまま今年も梅雨を迎えている。

電車が少し遅延していた。雨の日はいつも電車が遅れる。「弱冠の遅れ」というアナウンスをよく聞くけど、「弱冠」という言葉の使い方として合っているのか、前から気になっている。多分、正確には違う言葉なんだろうけど、鉄道業界の中でそういう言い回しが定着しているんだと思う。今度調べてみようと思いつつ、多分調べない。

会社に着いたら、傘立てがいっぱいで、自分の傘を置く場所に少し困った。こういう「傘の置き場所問題」は、雨の日の地味なストレスの一つだと思う。あと、他人の傘と自分の傘を間違えないか、いつも少し心配になる。同じような黒い折りたたみ傘を持っている人が多いから。

仕事は、特に大きな出来事もなく、淡々と進んだ。資料を作って、メールを返信して、会議に1つ出た。雨の日は、なんとなく仕事効率が落ちる気がする。気圧のせいなのか、気分のせいなのか分からないけど、集中力が続きにくい。窓の外の雨音を聞きながら、ぼーっとする時間普段より多かった。

夜、家に帰ってから、濡れた傘を玄関で開いて乾かした。傘立てがないので、床にビニール袋を敷いて、その上に傘を置いている。この応急処置的な傘置き場を、そろそろちゃんとした傘立てに変えようと思いながら、もう2年くらい経っている。多分、この先も変えないまま何年か過ぎるんだろう。

7月7日(火)曇り時々晴れ

七夕だった。特に短冊に願い事を書くわけでもなく、笹を用意するわけでもなく、ただカレンダーを見て「あ、七夕か」と思っただけだった。子供の頃は幼稚園小学校短冊を書かされた記憶があるけど、大人になってから七夕意識することは、ほとんどなくなった。

会社の給湯室に、誰かが折り紙で作った小さな笹の飾りが置いてあった。誰が作ったのか分からないけど、ちょっとした心遣いだなと思って、少し和んだ。短冊には「売上目標達成」と書かれていて、思わず笑ってしまった。会社らしい願い事だと思う。

休みに、七夕にちなんで素麺を食べようかと思ったけど、結局コンビニでいつものサンドイッチを買ってしまった。七夕素麺を食べる風習があるらしいということを、テレビか何かで見た記憶があるけど、実際に実行したことは一度もない。今年も同じだった。

夕方、空を見上げたら、雲が多くて星は見えそうになかった。天の川がどうとか言われても、そもそも都会に住んでいると天の川自体、見たことがない。織姫彦星が年に一度会えるという話は素敵だけど、天気に左右されるというのは、なんだかロマンチックさに欠ける気もする。晴れの年もあれば、雨の年もある。今年は多分会えていない。

夜、実家の母から七夕だね」というだけのメッセージが届いた。特に返信を求めているわけでもなさそうだったけど、一応「そうだね、こっちは曇ってて星見えなさそう」と返信した。こういう、内容のない親からメッセージというのは、なんだかんだ嬉しいものだと思う。用事がなくても連絡してくれるというのは、多分ありがたいことなんだろう。

7月8日(水)晴れ

から気持ちのいい晴天だった。梅雨の合間のこういう晴れの日は、なんだか得した気分になる。洗濯物を干して、いつもより少し早足で駅まで歩いた。

今日歯医者の予約日だった。特に痛いところがあるわけではなく、定期検診だったけど、それでも歯医者に行くのは、なんとなく気が重い。あの独特の消毒液の匂いと、器具キーンという音。子供の頃から変わらない苦手意識が、大人になった今でも残っている。結果は特に問題なく、「歯石が少し溜まっているので、取っておきましょう」と言われて、歯石取りをしてもらった。歯石を取ってもらった後の、歯がツルツルになる感覚は、地味に気持ちがいい。

会社では、新しいプロジェクト説明会があった。詳しい内容はここには書かないけど、要するに新しいシステムを導入するという話だった。こういう説明会は、いつも「これで業務効率化されます」という話で終わるけど、実際に効率化された試しがあまりない気がする。新しいシステムに慣れるまでの間、むしろ一時的に非効率になることの方が多い。それでも、みんな真面目にメモを取っていた。

夜、歯医者帰りで少し口の中に違和感が残っていたので、柔らかいものを食べようと思って、お粥を作った。卵を落として、梅干しを添えた、シンプルなお粥。体調が悪いわけでもないのに、お粥を食べるという行為自体が、なんとなく「今日ゆっくり過ごそう」というメッセージ自分に送っているような気がして、悪くなかった。

夜遅くベランダに出て夜風にあたった。梅雨の晴れ間の夜は、湿度が高くて、少し蒸し暑い。でも、星がいくつか見えて、七夕の日には見えなかった星が、1日遅れで見えたことに、少し面白さを感じた。織姫彦星も、1日遅れで会えたのかもしれない。そんなことを考えながら、部屋に戻った。

7月9日(木)晴れ

朝、久しぶりに早起きできたので、朝ご飯ちゃんと作った。トースト目玉焼きと、コーヒー目玉焼きの黄身を、いつも半熟にしようとして、気づいたら固焼きになっていることが多いんだけど、今日は珍しく理想的な半熟にできた。黄身にトーストをつけて食べる瞬間は、朝の小さなご褒美だと思う。

通勤中、電車の中で、隣に座った人が大きなあくびをしていた。あくびというのは伝染すると聞くけど、実際に自分もつられてあくびをしてしまった。科学的にどういう仕組みなのか分からないけど、人間共感能力みたいなもの関係しているらしい。今度調べてみようと思う。多分調べない。

会社では、久しぶりに取引先との打ち合わせがあった。オンラインではなく、実際に来社しての打ち合わせだった。画面越しではなく、実際に人と会って話すというのは、なんだかんだやっぱり情報量が違うなと感じた。相手些細な表情の変化とか、話すときの間の取り方とか、そういう細かいニュアンスが、画面越しだとどうしても伝わりにくい。

打ち合わせの後、取引先の人と少し雑談した。趣味の話になって、その人が最近キャンプはまっているという話をしてくれた。キャンプ、興味はあるけど、道具を揃えるのが大変そうで、なかなか手を出せずにいる。でも、話を聞いていたら少し憧れてしまった。焚き火を眺めながらお酒を飲む時間想像するだけで良さそうだ。今度、道具をレンタルできるキャンプ場を調べてみようと思った。これも多分すぐには行動に移さないと思うけど。

夜、キャンプの話に触発されて、ベランダで小さなろうそくに火をつけて、それを眺めながらビールを飲んでみた。焚き火とは程遠い、ささやかすぎる代替行為だけど、それでも炎を眺めるという行為自体には、なんとなく心を落ち着け効果があるように感じた。人類は火を発見してから、ずっとこうやって炎を眺めてきたのかもしれない。そんな大げさなことを考えながら、ビールを飲み終えた。

7月10日(金)曇り

金曜日。今週も無事に終わりそうだ。朝から、なんとなく体が軽い気がする。1週間頑張った後の金曜日特有解放感が、朝から漂っている。

会社では、午前中に細かいタスクをいくつも片付けた。メールの返信、資料修正、経費精算。どれも大きな仕事ではないけど、こういう細々としたタスクが溜まると、地味にストレスになる。全部片付けた後の、受信箱が空になった瞬間の爽快感は、なかなかのものだと思う。ただ、この爽快感は長くは続かない。だいたい30分後には新しいメールが届いて、また受信箱が埋まっていく。賽の河原の石積みみたいなものだ。

休みに、同僚と「今年の夏、どこか行く?」という話になった。特に旅行計画があるわけではなかったけど、話しているうちになんとなく気分が盛り上がった。海がいいか、山がいいか、それとも近場の温泉のんびりするのがいいか。結局、結論は出ないまま昼休みが終わった。でも、こういう「実現するかどうか分からない旅行の話」をするだけでも、なんだか楽しい気分になれる。

夕方、退勤後に、久しぶりに1人で居酒屋に寄った。カウンター席に座って、生ビールと、焼き鳥の盛り合わせを頼んだ。1人で飲む酒というのは、誰かと飲むのとはまた違った良さがある。誰にも気を使わず自分のペースで飲める。隣に座っていた知らないおじさんが、店員さんと常連らしい会話をしていて、その様子を眺めているのも、なんだか楽しかった。

家に帰る道すがら、コンビニに寄って、アイスを買った。金曜日の夜に食べるアイスは、なんだか特別に美味しく感じる。1週間頑張った自分への、ささやかなご褒美という感じがする。家に帰って、シャワーを浴

オジサンに近づいて、オジサン自由度の高さがわかった

なんでオジサンってあんなにワガママ犯罪とか平気なのかと思っていたんだけど、現代社会ってオジサンに凄く甘い気がするんだよ

正直いって一生学生気分でも問題ないレベルで甘やかしが激しい

駅のホームで微エロはいったソシャゲしてても平気だし、格好が多少悪くても個人自由かいって暴れられるし

平気で無断欠勤繰り返してるオジサンいたけど、上は何にも言わないからね

首にしたくても一応仕事してるのと人手不足で辞めされられないんだから



バサンと違って一人で生きることがそんなに無理じゃないのも強い

世間依存してられるからオジサンはほんと無敵の自立した存在なんだなと

何にもしなくても何とかなる

子ども結婚に縛られず暇な時間なくしてくれる現代はオジサン天国なんだよ

昔のオジサンと違うのはSNSで晒されるくらいだろうね

コンプラ意識を求められる現代にあっても自由度の高さの方がずっと重きを置かれている

タバコや酒みたいなもの以外で解消できるからオジサン選択肢は寧ろ広がった



でも世間からは疎まれてるんだよな

自由すぎてそれが嫌になるんだろう

オジサンはほんと子供のままなんだよ

anond:20260717124540

そういうことじゃあないんだ

まず俺は人に謝ってもらったことがただの一度もない

俺と言う存在迷惑をかけて俺の人生台無しにしたという意識があれば

普通はきっちり謝ることができるんだ

一般的に謝るというのは

誠意がないとだめなんだ

誠意ってのは自分の全てを賭けることなんだ

わかったかぼうず

副業動画編集を始めたいと思った

本業以外でも「収入の柱をもう一つ持ちたい」と最近考えるようになり、副業について調べる機会が増えました。

さまざまな副業がある中でも、特に気になったのが動画編集です。

YouTubeTikTokInstagramリール動画など、動画コンテンツ需要は年々高まっており、企業でもSNS運用広告動画に力を入れるケースが増えています。そのため、動画編集スキルは今後も活かせる場面が多いのではないかと思い、学習検討し始めました。

独学で始めるには不安がある

最初YouTube書籍活用して独学で学ぼうと考えていました。

しかし、調べれば調べるほど、

動画編集ソフトの種類が多い

から学べばいいのか分からない

編集スキルだけで仕事は取れるのか不安

ポートフォリオはどう作ればいいのか分からない

など、初心者ならではの疑問が次々と出てきました。

独学でも学ぶことはできますが、情報が多すぎて「何が正解なのか分からない」という状態になってしまい、効率よく学ぶためにはサポートを受けながら学ぶ方法もあるのではないかと感じました。


動画編集を学ぶのに良さそうなスクールを見つけた

そんな中で見つけたのが、動画編集に特化したスクール動画編集CAMP」です。

動画編集CAMP | 土日2日で現場レベルの技術を習得する実践校

ホームページを見ると、未経験からでも実践的な動画編集スキル短期間で学べるカリキュラムが用意されており、現場で求められるスキル意識した内容になっている印象を受けました。

また、

実践的なカリキュラム

経験豊富講師によるサポート

初心者でも学びやす環境

案件獲得を見据えた学習内容

など、動画編集仕事につなげたい人にとって魅力的なポイントが多く紹介されていました。

動画を作れるようになる」だけではなく、「仕事として活かす」ことまで考えられている点は大きな魅力だと思います

副業はすぐに結果が出るものではありませんが、動画編集は一度身につければ長く活かせるスキルの一つだと思います

副業にできるくらいこれから動画編集スキルを高めていきたいですね。

anond:20260717103206

うーん

声優とか向いてるんじゃない?」とか言って欲しいんだろうけど、実生活において本当に意識した事ないからなぁ

かに声良いなと思う人はたまにいるけど、敢えて言ったりしないしなぁ

anond:20260717103035

声質が良いとか普通に生活してたら意識しないよ

60歳のジジイAIのおかげで転職成功する

60歳のジジイ転職できたのはAIのおかげで、今の時代感謝しかない。

先に言っておくけれど、そんな最先端仕事をしているわけではない。若い人たちの「使いこなしてる」レベルの何十分の1ほどのレベルの話だということもお断りしておきます

ごく普通仕事の、自分何苦手な領域AIに任せることで、これまで対象外だった業種、職種業務への転職に道が開けたのだ

若いバリバリ現役の皆さん世代と違って、我々世代AIに疎い。AIを使ってると言ったところで、無料版で、検索代わりに使ってるレベルだろう。下手すると、バリバリ現役世代の中でも、AI業務で使いこなしてる人がどれほどいるんだろうと思う。

そんなAIに疎い世代の中にあって、Claude Cowork(最近はChatGPT WORKも契約した)を活用して、他人にお願いしていた自分の苦手分野を、自分で完結できるようになったことが大きい

誰かの時間を気にせず、自分時間の中で業務を進められる

AIの月額費用だけで、費用が削減できる

レベルの低い、隙だらけのコンサルの助言に対して論破できる

苦手領域を「(AIで)できる」ことで、苦手(=できない)意識が激減、強みを最大限にアピールできるようなって、自信がついた

正直、デメリットがない

自分世代2000年前後に、アナログからデジタル移行の洗礼を浴びた世代

そのサバイバルをなんとか凌いで、デジタルアレルギーを乗り越えたことも大きいかもしれない

ジジイ過去遺物経験なんてなんの役にも立たない

世の年寄り世代

AIを使いこなそう

AIに任せよう

劣化激しい我々の脳の代わりに、AIを使おう

機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野で活動を楽しむべきである

オムロンという会社創業者言葉

僕の好きな言葉

anond:20260717081906

標準語キモい」という言い方には、

言語のものへの違和感だけでなく、

東京の話し方は中立で、地方の話し方だけが方言である

という配置への反発も混ざっている気がする。

実際には、東京話し言葉地域階層時代の影響を受けた一つの言語変種で、

透明な基準点ではない。

ただ、だからといって

標準語から叩いてよい」

にはならない。

標準語方言を分けるより、

なぜある話し方だけが中立に見え、

別の話し方だけが属性として意識されるのか。

そこを見た方が、

言葉への嫌悪がどこから来ているかは分かりやすいと思う。

ブロンテ家唯一の男児であったブランウェルは、父パトリックに溺愛され甘やかされて育ったためか、うぬぼれの強い青年に成長した。ブランウェルは他の姉妹たちと同じく文学絵画を始めたがいずれも大成せず、次第に文学的才能に恵まれ姉妹たちに対しコンプレックスを抱くようになった。18歳の頃、自身を含め姉妹4人の肖像画を描いたが、後にこの肖像画より自らの姿を抹消している(このページの右上を参照)。また他の姉妹たちと同じく家庭教師をしており、受け持った子の母親不倫関係に陥ったが、やがてその関係父親に知られて解雇された。

これらの諸問題から、酒と麻薬に溺れて急速に生活が荒れ、1848年9月24日31歳で急死した。その葬式の折にエミリー風邪をひき、医者の診察を受けて結核にかかっていることが判明したが、彼女自分病気であることを認めようとせず、薬を飲むことも拒否し、同年12月19日に30歳で死去した。続いてアンも結核にかかり、翌1849年スカーブラに移ったが、療養の甲斐なく5月28日に29歳で死去した。

きょうだい唯一の生き残りとなったシャーロットは『シャーリー』、『ビレット』を発表。1854年には、父の反対のため求婚を断っていた副牧師のアーサー・ニコルズと結婚。やがて妊娠が判明したが、翌1855年3月31日妊娠中毒症のため胎内の子供と一緒に38歳で死去した。ブロンテ家の子供たちは全員子孫を残すことなく早世したため、その血筋は断絶した。






パトリックブランウェル・ブロンテ

Patrick Branwell Brontë

1817年6月26日ヨークシャーのソーントンに生まれる。シャーロット・ブロンテの弟、エミリ・ブロンテ、アン・ブロンテの兄。3歳の時英国国教会牧師だった父の転任でハワースに移住、家庭で主に父から教育を受けて育つ。9歳の時きょうだい4人が空想物語を作り始め、ブランウェルはシャーロットと一緒にアングリア王国のロマンスを展開させた。1838年ブラッドフォード肖像画家の職業を試みたが挫折自分の姿を後で塗り消した姉妹3人の群像画を残している。1840年半年家庭教師を務めた後、鉄道駅員になり、2年後に職務怠慢で解雇。1843年にはアンと共にソープグリーンホール家庭教師になったが、雇主ロビンソン夫人との感情もつから2年後の1845年解雇された。ハワースに戻ると、落後者意識を強め、阿片や酒に溺れて急激に衰弱する。詩の創作は生涯続けていたが、短詩15篇が新聞掲載されたほかは大部分手書き原稿のままに残された。肺結核のために1848年9月24日31歳で死亡。

2026-07-16

anond:20260716214713

避妊具が普及したって子供が欲しければ増えるやろ?子供を望まないという意識の中に妊娠出産のつらさがあるのではないか、という投稿

万年野党や泡沫政党好きな人は「若者政治に関心がないから(我々が支持する政党に)投票しないんだ!」「日本危機理解していないのか!意識が低い!考えが甘い!」と散々バカにしてくるんだけど

そいつらのやることが「言ってることが立派だから支持して投票して支援して勧誘する」だから、本当にバカバカしいんだよな

じゃあ何?俺が「当選したら全国民に1億円配布します!財源は政治家と大企業が溜め込んでるカネです!きっとそこにありますから!」って言ったら投票してくれるんかな?

やってる事がそのレベルしか見えんのだが…

anond:20260716132156

ビジネスとか付加価値をつける意識がないからね

実際雑に済ませたいし最低限でも最低限の客はついちゃう

嫌なことして稼ぐならどうせなら効率化して稼ぎを最大化する意識が無い

2026-07-15

夢って主観的体験として完全に本物で、今敏映画世界観にフルダイブ出来るのマジで覇権コンテンツすぎる

外的な刺激がないだけで、五感の働き自体覚醒時と(ほぼ)同じなのではないか

外部からの刺激を受けて、それをきっかけに脳や神経であれやこれやして感覚が発生する、という通常のプロセス最初の段階をすっ飛ばしているだけで

それ自体はまあ覚醒時にもある程度可能で、まさにそれが何かを思い浮かべるという行為なのかもしれない

視覚情報記憶なら、目の前の光景のどこでもない、しかしどこでもないどこかにかに映像として見えているような感覚があって

目を閉じた所でやはり赤と緑の砂嵐みたいなのが見えるだけで、見えているものを見ている感覚自体は変わらず、やはりその中にはどこにもない

デュアルディスプレイのように分かりやすく同時並行ではないけれど、しかし別などこかでまさに「浮かんで」いる

何も聞こえてはいないのだけど確かに音声情報再生している感覚があったりして

今まさに対峙する世界情報と、脳内リプレイする感覚の二つがバッティングしてそういうあやふや状態になるのかもしれない

寝ている最中は目なり耳なり刺激の入口が店じまいして外部刺激が遮断されていて、「意識」というものが完全に空白になって、要するにそれが寝ているという事なのかもしれない

空白と断絶は同義であるはずが、夢というものがそこを独占状態で埋めてくる

故にダブルブッキングが解消されて、覚醒時に何かを思い出す時の感覚よりも、遥かに鮮明に何かを見たり聞いたりしているように感じるのかもしれない

それはまさに見えているものを見て、聞こえているものを聞いていて、現実に生きる感覚のもの

しかし大半の上映プログラム不条理ホラーだし、まったく選べもしなければ途中退場出来ないし、かと思えば強制的に蹴り出されたりもするのはやや困りものだけど

それでも究極の4DXはやっぱり最高だし、稀に不条理ポルノ不条理冒険劇があるのも嬉しい

脚本も割と好みなのは、おれの頭が考えているなのか、単に不条理世界観が好きなだけなのか

しかし、感覚の不在が意識の不在というのは五感が揃っている前提の話であって、たとえば視覚障害者ってどうなるんだろうか

目の問題でなら、まあ目を閉じているのに近い状態だったりするのか

脳の問題だとどうなってくるのか

これはもういくら言葉を並べた所で当事者しか理解し得ない類のものなのか

両性関係における「未来想像」|共同計画はどのように感情の安定に影響するか?

多くのカップルが愛し合っているのにはぐれてしまうのは、愛していないのではなく、「私たち」を未来に入れていないからです。それは短い心を長期的な約束に変えて、不確かな付き添いをさせて、方向のある守りになります

一、未来想像感情に見えない「安定した骨格」

共同計画圧力ではなく、関係安心感の源である

1.1方向感覚提供する

共通目標を持つカップルは、お互いに同じ場所に行くことを知っているので、日常的な矛盾の中で消耗することはありません。

1.2「私たち意識の強化

「私」から私たち」に変わり、ラブドール未来想像が強ければ強いほど、誘惑、分岐孤独を防ぐことができる。

1.3関係不確実性の低減

明確な期待とリズムは、猜疑心不安を減らし、感情をより安定させることができる。

二、共同計画はどのようにして直接感情の安定性を高めるのか

未来想像カップルの付き合い方を深く変えるだろう。

2.1衝突が妥協やす

長期的な視点を持つカップルは、小さなことで勝ち負けにこだわることなく、未来のために譲歩したいと考えています

2.2信頼と投資の倍増

相手のために未来計画することは、それ自体が最高級の約束であり、より安心して支払うことができます

2.3平板期に支えがある

情熱が消えた後、共通目標感情接着剤であり、関係を緩まず、はぐれないようにする。

三、健康的な「共通未来像」を作る

良い計画強制ではなく、双方向に赴く。

3.1小さな目標から始める

旅行貯金生活習慣などの小さな共通認識は、大きな約束よりも効果的だ。

3.2お互いのリズム尊重する

強制せず、拉致せず、違いの中で双方が快適な共通の道を見つける。

3.3定期的な同期更新

未来は変わり、計画を死守するよりも率直に意思疎通し、方向を調整することが重要だ。

結語

感情の最も安定した力は、共通未来想像から来ている。愛は今の抱擁の中だけではなく、「私はあなたと歩きたい」という計画の中にある。お互いのために未来設計したいと思っていることこそ、最も関係の深い安心感である

さすがに理解しがたかったので書いちゃう

https://b.hatena.ne.jp/entry/4790157516265554914/comment/KoshianX

> 何も悪いことしてなくても警察暴力を振るわれ失明することもある。生命があっただけよかった方とすら言える。公正世界仮説では確かにそういうのな納得しがたいんだろうな

この人は民主主義国家暮らし民主主義国家の一員としての教育を受けてきたのだろうか。これが平均的な国民認識だとするならば、日本公民教育は失敗しているとしかいいようがない。

前半「何も悪いことしてなくても警察暴力を振るわれ失明することもある。生命があっただけよかった方とすら言える。」はまあよい。これは事実から。ただ、これに納得しないことを「公正世界仮説」とひもづけて解釈するのは根本的に間違っているし、こういう考え方の人間が増えるのは国家暴走を許す予兆であるとも言える。

なぜなら、「公権力を公正なものコントロールし、維持する責任は、主権者である私たち一人ひとりにある」からだ。

コメントは、警察暴力を「仕方のない現実」として受け入れ、それに抗議することを「公正世界仮説」という認知バイアスに帰せている。しかし、これは主権者意識の致命的な欠如だ。

そもそも民主主義国家における警察政府とは、市民社会の秩序を守るために、憲法法律の下で「暴力を預けている代理人」に過ぎない。

世界最初から公正にできている」わけではない。だからこそ、預けた権力暴走して市民に牙を剥いたとき私たちは「あってはならないことだ」と怒り、是正を求めなければならない。

それを「現実とはそういうものだ」と諦めて受け入れてしまえば、権力を縛るブレーキは失われ、国家暴走を許すことになる。

私たち公民教育で学ぶべきだったのは、理不尽現実を物分かりよく諦める姿勢ではない。「公権力を公正に保つ責任自分たちにある」という引き締まった主権者意識と、権力コントロールし続けるタフなルールだったはずだ。

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